【コラム】韓国にはそれでも希望遺伝子がある(中央日報)
乙未年の年末は憂鬱だった。青春時代より懸命に走っても暮らしに悩まされ、国経済は危うい状況だった。丙申年の新年が始まったけれども希望は浮び上がってこない。国民が力を加えてほしいという大統領の切実な呼び掛けも、ただ耳元をかすめていくだけだ。家族と国家のために、ひたすら熱中して走っていた記憶は遠ざかった。最近の意識調査によれば、社会の現実に対する市民的な冷笑感が最高潮に達したということだ。冷笑は不信の表出の窓口であり、不信は利己的な隠れ場所の内壁を強化する。解放後70年の間、血と汗で構築してきた「希望の韓国」が冷笑とあきらめの泥沼に陥るのを対策なしに眺めなければならないこの時代の人生は苦しい。

その「対策のない」馬ダンスで世界を席巻した歌手PSY(サイ)が話した。「韓流の競争力は、熾烈さとち密さから出てくる」と。しおれていたこの時にそんなふうに言ってくれるのは有難いことこの上ない。政治、企業と社会の指導者が韓流企画会社ぐらいのことさえすれば日本も中国も怖くはないだろう。 (中略)

 苦労して世界トップに上がった携帯電話・鉄鋼・造船産業に警告灯がついたのは、蓄積された経験知識の量と質の問題のためだろう。蓄積の時間が短かったのだが、模倣と追撃モデルでここまで来たというだけでも感心だ。50年の「熾烈な時間」で蓄積時間100年を超えていた日本をいくつかの分野から追いやったからだ。その原動力は希望の遺伝子、「望」意識だった。日本に「恩」意識があるならば、韓国には「望」意識がある。 (中略)

グローバル低成長時代と韓国的の追撃成長の限界が重なった今日、私たちは何をもって未来を約束するべきか。それは「望意識」、現実の環境が劣悪なほど対策なしにわき上がってくる希望の遺伝子を生かすことだ。 (中略)

「ヘル朝鮮」「イセンマン(この命は滅びたという意味の略語)」のように四方の出口が行き詰まったというこの時代に何をあきれた言葉かと言うだろうか。そうではない。私たちにいつ容易な日々があっただろうか。技術と経験知識、制度革新の蓄積時間が短かった代償を今払っているところなのだ。(中略)
低成長、景気低迷、所得停滞は耐えなければならない涙の渓谷だ。それでも最後までつかんでいなければならないのは希望の遺伝子、望意識だ。望意識はまさに上昇欲求であり成就動機だ。希望が怨望と絶望に変われば「世界で最も成就動機が高い国」韓国は座り込んでしまう。私たちはそれによって20世紀を渡ってきた。丙申年、サル年の望だ。
(引用ここまで)

 まあ、言わんとしているところは「現状は現状として認識しよう。それでも希望を持つことをやめてはいけない」って1行でまとめられてしまうくらいに中味が薄いのですけども。
 でも、楽韓的にはちょっと面白い部分がひとつ。

 記事中にある「希望遺伝子」っていうのが、いかにも韓国の物言いなのです。
 たとえばリトルリーグのワールドカップで優勝したら「我々には一騎当千の遺伝子がある」。
 「韓国人は世界最高のリーダーシップ遺伝子を持つ」だのも言います。
 「安倍は戦争遺伝子を持つ男」なんて言いかたも普通にしていますね。

 「韓国人は優れた遺伝子を持っている」

 これが韓国人の基本的な考えかたのひとつです。
 なので、他国人を差別する。
 特に東南アジア人、黒人相手にはなにをしてもいいというように考えてしまう。彼らは韓国人のように優れた遺伝子を持っていないから。
 日本人相手には「この優れた遺伝子を持つ民族を支配した」という話になる。
 社会的に優生学がものすごいフィットしてしまうのですよね。

 教育の問題だと思うのですが。
 スペックを並べまくって競争させるっていうのも、この考えかたが基盤にあると思うのですよ。
 「韓国人は優れているはずなのだから、優れていないものは必要ない」と切り捨てられる。

 そういう考えかたが社会のベースにあるということを知っておいて損はないと思いますよ。
 ひょいっと「優れた遺伝子」っていう言いかたをしてしまう、できてしまう人たちであるという背景があるということです。