韓経:【コラム】ノーベル賞に関する虚言、自己欺まん、そして希望拷問=韓国(中央日報)
今年のノーベル賞関連の報道と論説を整理してみると、依然として2つの重要な誤りがある。まず、わが国が科学に莫大な投資をしたという主張だ。現在の韓国の研究開発費規模を国内総生産(GDP)比でみると、世界最高水準に到達したのは事実だ。しかしこの数年間に限られた話だ。さらにそのほとんどが企業の技術開発投資に該当する。ノーベル賞と関連する基礎科学の場合、政府の投資に依存するが、この比率は絶対的に小さい。

また、政府の投資のうち実際に基礎科学に投入される部分はまだ少ない。確実な統計資料は得られないが、いくつか公開された資料から推定したところ、日本の基礎科学投資に比べるとまだ3分の1から5分の1水準にすぎない。日本経済と科学技術の黄金期という1980年代後半を基準にすれば20分の1以下と推定される。我々が最近目撃している日本のノーベル賞はほとんどが1970年代末から1990年代に成し遂げられた業績であることに注目する必要がある。この時期の基礎科学に対する投資の総量を日本と比較すると、あきれるような数字が出てくるだろう。我々の経済状況に比べて基礎科学が多くの投資を受けたという考えもあるが、我々が基礎科学にすでに多くの投資をしたという話は真実でない。

もう一つの誤りは、ノーベル賞は業績ではなく、ノーベル賞受賞者の人物に対する集中から始まる。我々のノーベル賞受賞に関する議論も、我々の周囲にノーベル賞を受賞する科学者が誰であるかに集中することになる。ノーベル賞は高いレベルに到達した科学者に授与する賞ではなく、特定の科学的成果に与える賞だ。我々が関心を持って先に探すべきものは、ノーベル賞を受ける科学者でなく、ノーベル賞を受賞するほどの我々の科学の成果ということだ。しかしまだ韓国の科学界にはすでにノーベル賞を受けた科学的成果に並ぶと世界の学界が称賛する業績がほとんどないというのが科学界の全体的な意見だ。

これは上で述べた投資総額の問題とわが国の基礎科学投資が実際30年にもならない短い歴史を持つということから容易に理解できる。これという成果がないため、ノーベル賞を受ける科学者を我々の科学界でいま探すというのは不可能だ。ノーベル賞は科学者をそのレベルによって列に並べるわけではないため、「ノーベル賞に最も近い科学者」のようなものもない。したがって今までメディアで取り上げられた「最もノーベル賞に近い科学者」「受賞の可能性が高い科学者」というのはすべて虚言であり、自己欺まんであり、国民に対する「希望拷問」(相手に希望を持たせて苦痛を感じさせること)だ。

ノーベル賞受賞が可能な水準の独創的な科学成果が作られるまで今後数年から10余年かかるだろう。優れた業績が出てからノーベル賞を受賞するまで平均15年かかるという広く知られた統計に基づくと、韓国のノーベル賞受賞には平均的に20年ほどの時間が必要だ。
(引用ここまで)

 ……なんの反論もできないほどの正論。
 特に「科学の成果に対して与えられる」という部分ですね。これはけっこう勘違いしている人が少なくないんじゃないかなぁ。日本人、韓国人に限らず。
 一定の科学の成果に対して関与した人物に対して与えられる。その枠は最大で3人ってことですね。

 そういったノーベル賞の性質を垣間見せたのが田中さんの化学賞受賞でしたね。
 「成果の源流を辿るとどこなのか」というリサーチ力を見せつけたわけですが。あのときは「田中って誰……日系人?」とか思ったものでした。
 韓国人のノーベル賞に関する意識で一番わかりやすいのは、ファン・ウソク教授の「もうこの日にノーベル賞あげちゃいましょう」ってアレかなと思います。

 そういう意味で韓国人が韓国人に自然科学部門のノーベル賞を期待するのは言っちゃなんですが無駄なのですよね。少なくとも今世紀前半は無理。
 山中教授のiPS細胞のように世界を変えてしまうような屹立した(ある意味で異常な)業績を打ち立てれば別でしょうけどね。

 以前に自然科学部門のノーベル賞、世界的なアミューズメント施設、ミシュランガイドの三つ星レストランの3つが韓国人の心の底からの念願であるというような話を書きましたが、少なくともひとつは到達できたからよしとしてくれないかなぁ……。
 メディアから「日本人よりも圧倒的に優秀な韓国人」という認識が発信されている以上、無理か……。

ノーベル賞でたどる アインシュタインの贈物 NHKブックス
小山慶太
NHK出版
2011/2/26