大韓帝国は無気力に滅びたのではない(中央日報)
大韓帝国に対する新たな研究は2000年ごろに始まった。以前はさげすむばかりだった。亡国の責任をすべて押し付けられた高宗(コジョン)と彼の時代は嫌悪の対象だった。恥ずかしく頭の痛い過去だと思い込み、振り返ってみようとさえ思わなかった。2000年、李泰鎮(イ・テジン)ソウル大名誉教授が出した『高宗時代の再照明』が新たな突破口を開いた。その後、韓永愚(ハン・ヨンウ)ソウル大名誉教授、徐栄姫(ソ・ヨンヒ)韓国産業技術大教授などが相次いで大韓帝国関連の新しい研究の流れを継承していった。

黄台淵(ファン・テヨン)東国(トングク)大教授(62)の新刊『百姓の国 大韓帝国』『甲辰倭乱と国民戦争』は、そのような流れに乗ってはいるが、研究の量と質で従来の作業を圧倒している。著者はこれに先立ち、昨年『大韓民国国号の由来と民国の意味』を、ことし1月には『甲午倭乱と俄館亡命』を出した。ともに大韓帝国関連の本だ。執筆中の『韓国近代化と政治思想』も来年出版する予定だ。これらの本を通じて、大韓帝国に対する誤解とさげすみはこれ以上幅を利かせることはできなくなると著者は自信を持つ。 (中略)

1894年6月、甲午倭乱の時に侵入してきたが、明成(ミョンソン)皇后殺害に怒った百姓(ペクソン)の武装蜂起と、高宗(コジョン)の俄館亡命で一時退却した日本軍は、1904年(甲辰年)2月に再び侵入して韓半島(朝鮮半島)全域を占領した。日帝の全面侵攻に国軍と民軍(義兵)が力を合わせ、全国各地で6年間にわたってすさまじい「国民戦争」を繰り広げて抵抗した。その時敗北したからと言って、大韓帝国国軍をただの烏合の衆だと下に見るべきではない、と著者は言う。1901年、すでに韓国軍は日帝以外のアジアのどの国も持てなかった3万大軍の「新式軍隊」であり、乙巳勒約(第二次日韓協約、1905年)以降、3万国軍と民軍が合わさって組織された国民軍は14万1815人に達した。清軍とロシア軍に勝った日本軍に戦いを挑み、戦いらしい戦いをした軍隊は、その後米軍を除いては大韓帝国の国民軍しかなかったが、このような事実を私たちは知らずにいる。
(引用ここまで・太字引用者)

 清、ロシアに勝った日本軍に正々堂々と戦いを挑んだ韓国人14万1815人。
 ずいぶんとまぁ、細かい数字まで分かっていることで(笑)。
 この14万人という数字、ざっくり現在の陸上自衛隊の隊員総数と同じです。
 ちなみに日露戦争で満州、シベリアに駐留していたロシア陸軍が16万人。
 当時の日本の1個師団は1万8000人前後で、日露開戦時には13個師団が存在して23万人。
 同規模とまでは行きませんが、充分に戦いえる陸軍が韓国には存在していたのですねぇ……ってアホか!

 8個師団相当の陸軍がいてその装備や兵站をどうしていたんだって話ですわ。
 軍というのは上意下達で命令系統が整備されていなければ存在できない存在です。
 官僚組織が存在していなければまともに動かないのですよね。
 「○○隊はどこそこへ行って○○を目的とせよ」という連絡体系ができているべきだし、それがなかったら軍とはいえない。
 しかも14万人。
 歴史的に隠蔽できる数ではないのですよね。どこでどんな戦闘行為があったのやら……。
 「従軍慰安婦」と同じことです。

 韓国人的にはどうしても日本と戦ったという歴史がほしいし、できたら勝ったという歴史がほしい。
 なので山賊の襲撃ていどであった「青山里の戦闘」を大げさなものにして建国神話に組み入れたりしているのですが。
 そして、その戦闘を指揮したことになっている人物の子孫が大きな顔をしていたりもするのです。
 今回もその発作の一環ですね。
 どうしても「輝かしい歴史を持っていた韓国」「日本の横暴に最後まで抵抗した韓国」という歴史がほしいのです。
 これといった抵抗もなくすんなりと併合を受け入れたと言うことにはしたくないのです。まあ、実際にはすんなりと戦闘行為すらなく受け入れることになったのですけどね。

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語(通常版) [Blu-ray]
アニプレックス
2014/04/02