【コラム】国語辞典の差、韓日の知力差(朝鮮日報)
 先日、日本で静かな文化的事件が起きた。岩波書店が国語辞典の「広辞苑」の第7版を出したのだ。 (中略)

 国語辞典の改訂版を出すとはどういうことか。全ての思考の出発点である言葉を時代の変化に合わせて再定義することだ。広辞苑第7版には25万語が収録されている。改訂には6年をかけ、10人余りの担当チームと外部の専門家220人が加わった。彼らは2008年6月の前回改正以降に収集された10万語の候補から1万語を選んで新たに収録した。既に収録済みの語彙も全て専門家が検討し、必要に応じて再収録した。新たに採用された単語は、クールビズ、レジェンド、婚活、殺処分、ゲリラ豪雨、ディープラーニング、東日本大震災、安全神話などだ。 (中略)

 日本も「紙の辞典」が退潮する現象を経験した。広辞苑も1998年の第5版が100万部、2008年の第6版が50万部と販売が落ち込んだ。第7版は6月までの販売目標を20万部に設定している。しかし、インターネット時代に紙の辞典に1万5000円も払う人が20万人もいるということはむしろ驚くべきだ。いい加減な辞典を無料で使うより、カネを払っても信頼できる辞典が欲しいという人たちだ。彼らが日本の国語辞典を支える力だ。広辞苑はソウル光化門の教保文庫でも15部が売れたという。

 韓国では国語辞典という市場自体が死滅した。人々がポータルサイトを利用するからだ。出版社の辞典チームは解体された。それゆえ、改訂競争で辞典の質を高める機会も消えた。国民の税金で設立した国立国語院の標準国語大辞典は1999年の初版発行以降、一度も改訂版を出していない。オンラインでも本格的な改訂はなされていない。載せるべきものと載せなくてもよいものを区別できず。単語の最も正確な意味も盛り込まれていないという批判が根強い。オンライン辞典が大勢ならば、読者がオンライン国語辞典の誤りを指摘し、修正を求めて声を上げなければならない。国語辞典の差が韓国と日本の知力の差をもたらすと思うと恐ろしい。
(引用ここまで)

 専門家が参加して辞書編纂なんてことができなくなっている。
 韓国の教育事情の悲惨さというのがよく分かる事例。
 広辞苑も毀誉褒貶ありますが、辞書編纂っていう事業をやっていること自体は賞賛されるべきだと思うのですよ。
 国民に知られるべきとする用語を選定し、その解説をする。これがひとつだけというのであれば問題もあるでしょうが、日本には広辞苑以外の選択肢もありますからね。
 ちなみに大辞林派。

 以前に韓国では物理学の博士号を持っている人物が「もう無理だ」とゴミ収集員に応募するなんてことが話題になりましたね。
 高等教育ってそれを修めた人間がそれなりの報酬を得ることができるようにバックアップができるようにすべきだと思うのですよ。
 逆に大学に行かない人にもそれは必要ではあると思いますが。

 ただ、韓国ではいわゆる労働人口の半数が大卒。このくらいなら先進国にはあってもおかしくない数字なのですが。
 2035年には労働人口の70%が大卒になるとも予想されています。

「超高学歴社会」韓国、2年後には25−64歳の半数が大卒(朝鮮日報)

 ノ・ムヒョン政権が進めた「大卒じゃないと就職できない? それじゃあ教育機関は全部大学ってことにしちゃえ」政策で、こんな事態になっているのです。
 執るべき政策はまったく逆で、高卒でもあるていどの給料を稼げる職に就けるように中小企業を育成し、内需拡大を推し進めるように構造改革を進めるべきだったのですが、小手先で専門学校もなにもかも大学にしちゃったものだから、こんなミスマッチングが生まれてしまっているというわけです。

 かつては高卒の受け皿とされていた9級公務員をソウル大学出身者が受験する時代ですからね……。
 ミスマッチが半端でない。
 就職には資格や語学力、留学経験やボランティア体験、さらには整形といった「スペック」は山ほど必要とされるのに、国語の専門家を集めて辞書のひとつも作れない。
 武藤正敏元駐韓日本大使が言っていたように「超競争社会の韓国に生まれなくてよかった」ってとこですか。

辞書を編む (光文社新書)
飯間 浩明
光文社
2013/4/20