尹東柱を讃える席なのに「疑問の注射なかった」なんて...(オーマイニュース・朝鮮語)
講演原稿は尹東柱詩人の日本語版最初の翻訳者になるまでの事情である「時の心」と「謎の注射はなかった」(尹東柱を死なせた注射の意味)「あなたの心は?」(翻訳家に対する弟ユン・イルジュの心)の三つのテーマにまとめていた。

この三つのトピックの中、記者の目に留まったのは第二の主題であった。「謎の注射はなかった」という断定のタイトルが正直、気に入らなかったので記者はこの部分を読んで、また読んだ。

「1945年2月に福岡刑務所で死亡した尹東柱の死因について韓国社会では注射による死亡という説が広がっている。しかし、証拠はなく、これは間違って伝えられたものである。当時の伝染病などの予防注射が実施された文書は残っているが、このような誤った事実が拡散されていることは何を意味するのだろうか? 」

結論から言えば伊吹郷さんは「注射剤によって尹東柱が死んはデータはない。したがって、彼は注射剤で死んだという言葉は合わない」としながら、自分が「福岡刑務所に勤務していた刑務所長、看守、受刑者の面談を通じて注射があった話を聞いていない」と述べた。

記者はこの記事を見て苦笑した。例えが適切かは分からないが、どの世の中で強盗犯人が人を殺して帳簿に「こんな方法で何某を殺した」と記録するのだと思ったためである。

ましてや伊吹郷氏が面談した刑務所所長や看守がどんな目に遭うかも分からないのに当時勤めていた頃の「極秘」を打ち明けるのかという点も信頼しにくい部分だ。

伊吹郷氏は「当時食糧難があったが刑務所にはその余波が与えなかった。注射のようなものを置く理由がなかった。以降の調査によっても注射をしたかどうか何の資料も出てこなかった」としながら韓国で提起される注射剤による死という言葉は「憶測」であることを強調した。 (中略)

若い朝鮮人青年尹東柱は日本の警察によって捕まって日本の刑務所内で獄死した。そこで、これまであったことは誰も知らない。また、知られていない。したがって、記者は伊吹郷さんの断定こそ「憶測」の中の憶測という考えだ。死因調査が適切に行われたのかについての担保も信じ難い。特に昨日のように神聖追悼会で「どうして尹東柱は注射剤で死ななかった」との講演をしようとしていたのかも理解できない。

伊吹高氏は講演要旨集で「刑務所での予防接種はしたという記録がある」とした。次に、その予防注射とやらに疑いの余地がないのか聞きたい。刑務所側で罪人たちの健康を心配して本当の予防注射をしたのか知ることができない。なぜなら刑務所で囚人を人間のゴミとして扱う例はあまたあるからである。 (中略)

福岡刑務所において生体実験が行われていない根拠はないと思う。収監されたのが朝鮮人であればなおさらだ。18日に配布された伊吹郷さんの講演資料に「尹東柱は注射剤で死ななかった」という主張は適切でないと思う。 (中略)

「尹東柱の死についてむやみに言ってはならない」のは、現在も正確な死因が明らかにされていないためである。これは多分永遠に迷宮の中に陥ってしまうかもしれない。それ解く鍵は「何月何何時にどのような注射で尹東柱を殺した」と記録の存在するかどうかにかかっている。

もしどこかにそのような記録が残っている場合伊吹郷さんは、昨日の講演原稿に残した自分の記録については永遠に恥ずかしい荷物を下ろすことができないだろう。
(引用ここまで)

 ユン・ドンジュという詩人がいた、ということは知識としてはあるのですが。
 どのような人物でどんな詩作をしていたかは寡聞にして知りません。
 韓国では「抗日詩人」として扱われているようですね。
 創氏改名までして大学に入学して学ぶために日本にやってきた人間が「抗日詩人」なんですって。

 で、韓国では「収監されていた福岡刑務所で人体実験の犠牲となって死んだ」ということになっているのだそうですよ。
 なんでも映画でそのような描写があって、かつ「福岡刑務所では1800人が人体実験の犠牲となった」というナレーションだかテロップだかが入って終わるっていう話なのです。
 で、その描写を見て「このようなことがあったのか」と新聞のコラムを書いてしまう輩もいるという、いつものアレ。

「尹東柱」の取り調べ刑事と刑務所看守…日本から来た2人の俳優(中央日報)
先週末、映画『東柱(ドンジュ)』を見に行った。映画のエンディングの字幕がすべて流れ終わり、映画館に明かりがつくまで、席から立ち上がる観客はいなかった。映画が終わった後にまで続いた短かくて長い静寂は馴染みのないものだった。立ち上がって周囲を見渡した。私と同じくらい茫然とした表情で依然としてスクリーンを見つめたままの観客が目に映った。 (中略)

「このような時代」。国の主権を失い、言葉と文を失い、名前まで失った時代。「アジア解放」という名分を突きつけて罪のない詩人を人体実験のマルタとして投入し、命を要求した狂者のような日帝治下が彼の時代だった。
(引用ここまで)

 どうもユン・ドンジュのいとこが「ユン・ドンジュが『注射をされた』と言っていた」という証言をしていた、というだけで「人体実験があったに違いない」と飛躍しているという話なのですが。
 で、そこからこの映画の描写になっている、と。

 この記事でも「どこにも『福岡で人体実験が行われていなかった』という証拠はない」ってあってもう苦笑するしかないのですが。
 客観的な証拠はなにもない。
 そこから「注射された」という一言から人体実験まで飛躍できる。

 証拠がなくても日帝時代であればどのような扱いを受けていてもおかしくない。
 日本において朝鮮人の扱いはそうであらねばならない、という彼らの意識が根本にあるのでしょうね。
 逆説的には「日本人をそう扱いたい」という意識なのだろうなぁ……と感じます。

 なお、「ドンジュ」という映画ですが、日本ではなんらかの映画祭に出品されただけでビデオスルーにすらなっていないようです。