「朝鮮より日本のほうが壊しやすかった…だから明治維新が成功した」(中央日報)
中央日報は日本屈指の明治維新権威である三谷博・東京大学名誉教授(現・跡見学園女子大学教授、68)にインタビューを行った。

4月の対面インタビュー後、3回の書面インタビューを通じて内容を補充した。日本国内の論争ポイントだけでなく、当時の東アジア諸国のうち、なぜ日本だけで維新が成功したのか、日本と韓半島(朝鮮半島)の違いは何だったのかについても光を当てた。

三谷氏は「当時の日本は韓国(朝鮮)に比べて国をひっくり返して壊すことがはるかに容易な構造だった。だから可能だった」と話し始めた。 (中略)

−−なぜ日本だけで可能だったか。韓国(当時の朝鮮)との違いは。

「260の藩に分かれていた連邦制的特徴と、天下の権力が天皇と将軍に分かれていた双頭制だったから可能だった。一言でいえば(国の体制を)壊しやすかった。朝鮮の支配階級『両班(ヤンバン)』は地主だったが、日本の大名と侍のほとんどは自分の土地を持っていなかった。土地がない官僚なので、彼らの権益や収入を国が奪いやすかった」

−−朝鮮のほうが安定的だったから変化に不利だったという意味だろうか。

「そうだ。朝鮮は王が1人だったが、日本は2人(天皇と将軍)だった。朝鮮は科挙制度と性理学の伝統が強かった。当時の朝鮮の人々は、自身の(政治)制度を変える必要があるとは誰も考えることができなかった。科挙制があり、原則的には誰でも試験を受ければ官僚になることができた。現実はどうであれ、ひとまず『機会の平等』があった。朝鮮は日本より政治制度の整合性が高かった。(壊しにくく)しっかりと体系が整っていたため、結果的に改革が遅れたと考える」
(引用ここまで)

 この記事のタイトルを見て「なんだと!?」って思う人も少なからずいると思うのですが。
 これ、実際の話としてそうなのですよ。
 李氏朝鮮というのは王朝の健全さ、強固さを保つために一切の成長を止めた社会であるという言い方ができるのです。
 実際にそれを企図して政策を行ったのかということはかなり疑問もありますが、結果としてそうなっているのですね。

 崇儒廃仏や僧侶の賤民化も思想というものを殺す手助けになっていると思います。
 儒教を重んじたために商業を卑しいものとして退けた結果、富の蓄積が行えなくなりました。
 豪商や富農が生まれることもなく、通貨すら必要とされていなかった……というか通貨が必要となるほどの通商が国内で行われなかった。
 その結果、王朝を脅かす勢力というものが生まれなかったのですね。
 強固な社会が構築されていたというは正しい解釈だと思います。
 「科挙を誰でも受けることができた」というのは嘘ですけどね。「原則として」とか「現実はどうであれ」とか言い訳してますが。

 それに比べれば日本はかなり柔軟性があり、それぞれの地方というか藩が「国」として運営されていた。
 複数の藩が幕府打倒という方向性でしか日本という国を救えないという志を共通して持つこともできた。産業振興が藩毎で行われていたというのも大きいですね。

 韓国ではなんとかして明治維新150周年を貶めたいという願望があり、こういった「明治維新検証」をよくやっているのですが物事に輝く面もあれば暗い面もあるに決まっているのですよ。
 よその国の歴史をどうのこうのいう暇があったら、自分ところの「ろうそく革命」とやらの後始末をつけたほうがいいように思いますよ。

朝鮮紀行 (講談社学術文庫)
イザベラ・バード
講談社
1998/8/10