2006年11月01日

ブログリニューアルのお知らせ

京都の旅コラム は、11月1日 より 「 京都の水 」 をイメージした
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にリニューアルしました。
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11.01 らくたびコラム

  

2006年10月31日

源氏名

10.31 源氏物語 『 源氏名 』

  平安時代中頃に紫式部によって書かれた 『 源氏物語 』 ( げんじものがたり ) は、物語文学の最高峰 として世界に知られる長編物語です。

  源氏物語に登場する人物430人 を数え、その中で 実名で登場する人物 はわずかに 6人 だけ、あとは全員が 通称愛称 となっています。

  特に 女性が実名を隠す古いしきたり に習い、宮中の女官 や、後世には 大名や名家の奥女中 までが通称や愛称を持ち ( お万の方、春日局 など )、いつしか通称や愛称は 『 源氏名 』 ( げんじな ) と呼ばれ、水商売の世界では現在も 『 源氏名 』 が用いられています。

  

2006年10月30日

本名を隠す

10.30 紫式部 『 本名を隠す 』

  平安時代には 自分の本名を相手に知られる事 は、相手に支配されてしまう事 と考えられていたことから、女性は本名を隠して女房名 ( ニックネーム ) が呼び名として用いられていました

  小野小町紫式部和泉式部清少納言 なども 女房名 であり、本名は現在もわかっていません。

  紫式部 は、当初は 藤原為時の娘 であることから 藤原の 「 藤 」父親の官職名 「 式部丞 」 ( しきぶのじょう ) から 「 藤式部 」 ( とうのしきぶ ) と呼ばれ、のちに 源氏物語の登場人物 「 紫の上 」 にちなみ 「 紫式部 」 と呼ばれるようになったと考えられています。
  

2006年10月29日

武野紹鴎

10.29 抹茶 『 武野紹鴎 』

  室町時代末期、豪商として和泉国の堺 ( さかい : 現、大阪府堺市 : 港湾都市として日明貿易の根拠地として栄えた ) で武具商や皮革商を営んでいた 『 武野紹鴎 』 ( たけのじょうおう ) は、茶の湯の中心的な人物 としても活躍しました。

  村田珠光 ( むらたじゅこう : 室町時代の茶人で、一休宗純に禅を学び、侘び茶を創始した ) に茶道を学び、侘びの境地を茶道の理想 として小座敷の数寄屋を考案、弟子でのちに茶道を大成した 千利休 にも深い影響を与えました。

  弘治元 ( 1555 ) 年 10月29日 ( 今日 )、武野紹鴎は亡くなりました。
  

2006年10月28日

四天王

10.28 毘沙門天 『 四天王 』

  仏教を守護する四神である 『 四天王 』 ( してんのう ) は、本尊の仏像が安置される 須弥壇の四隅に配され、四方を守護 しています。

  四神はそれぞれ古代インドの神話に登場する神々で、東方を守護する 『 持国天 』 ( じこくてん ) は 「 国を支える者 」 という意味があり、その他も 南方を守護する 『 増長天 』 ( ぞうちょうてん ) は 「 大きく育つ 」、西方を守護する 『 広目天 』 ( こうもくてん ) は 「 千里眼を持つ者 」、北方を守護する 『 多聞天 』 ( たもんてん ) は 「 すべてを一切聞きもらさぬ知恵者 」 という意味があります。

  ちなみに四天王の 多聞天が単体で独立する と一般に 『 毘沙門天 』 ( びしゃもんてん ) と呼ばれています。
  

2006年10月27日

大師の称号

10.27 東寺 五重塔 『 大師の称号 』

  延喜21 ( 921 ) 年 10月27日 ( 今日 )、醍醐天皇 から 空海 ( 774 〜 835年 ) に対して 『 弘法大師 』 の称号 が贈られました。

  『 大師 』 ( だいし ) とは、朝廷 ( 天皇 ) から偉大な高僧へ贈られる称号 であり、最澄 へ 伝教大師法然 円光大師親鸞見真大師 などが贈られています。

  大師の称号が贈られた僧は歴史上わずかで、多くが生前の優れた功績を称えて死後に贈られています。

  ちなみに 『 国師 』 ( こくし ) も 「 大師 」 と同様の称号ですが、こちらは主に 禅宗の僧 ( 聖一国師、夢窓国師 など ) に贈られた称号 です。
  

2006年10月26日

天皇、上皇、法皇

10.26 御所・仙洞御所・仁和寺






 
『 天皇、上皇、法皇 』

  天皇 が皇太子など 後継者に皇位を譲った 場合は、『 太上天皇 』 ( だいじょうてんのう ) または 『 上皇 』 ( じょうこう : 太上天皇の略称 ) と呼ばれるようになります。

  また 太上天皇 ( 上皇 ) が出家した場合は、『 太上法皇 』 ( だいじょうほうおう ) または 『 法皇 』 ( ほうおう ) と呼ばれるようになります。

  太上天皇 ( 上皇 ) は、文武元 ( 697 ) 年に 持統天皇が譲位して称した のが最初とされ、また 太上法皇 ( 法皇 ) は、寛平9 ( 897 ) 年に 宇多上皇が出家して 「 寛平法皇 」 と称された のが最初となります。
  

2006年10月25日

天皇

10.24 御所 『 天皇 』

  『 天皇 』 ( てんのう ) という言葉は、古代の中国において道教 ( どうきょう : 中国固有の宗教 ) の 北極星を神格化した最高神 である 「 天皇大帝 」 から生まれた言葉とされており、唐の高宗 ( こうそう : 唐国の第3代皇帝 ) が君主 ( くんしゅ : 国を統帥する最高の地位にある人 ) の正式名称として用いました。

  古代の日本では 政治や軍事権力の頂点に立つ者「 大王 」 ( おおきみ ) と言いましたが、天武天皇の時代 ( 673 〜 686年 ) ごろから中央集権国家の君主に対して 『 天皇 』 の称号が用いられるようになりました。
  

2006年10月24日

梵鐘

10.24 梵鐘 『 梵鐘 』

  「 梵 」 という文字は、古くサンスクリット語で 「 神聖な、清浄な 」 という意味があり、梵鐘を撞いて響く音は人々の魔、悪、邪、罪、苦などを祓う とされてきました。

  昔は神聖な仏教儀式に梵鐘は用いられていましたが、次第に 決まった時刻に鐘を鳴らして庶民に 「 時 」 を報せる道具 となり、寺院と庶民をつなぐ大切な役割 を担うようになりました。

  寺で日 ( 太陽 ) を見て、鐘を撞いて庶民に時刻を知らせる、つまり 『 日+寺 』 で  『 時 』 という漢字が成り立っている、ということです。

  

2006年10月23日

阿国歌舞伎

10.23 出雲阿国 『 阿国歌舞伎 』

  出雲阿国 ( いずものおくに )とは、歌舞伎の創始者 とされている安土桃山時代の 女性芸能者 です。

  生年や没年には諸説があり、その人生には不明な部分も多くありますが、元は 出雲大社の巫女 とされ、文禄年間に 出雲大社の勧進 ( 勧進 : かんじん : 寺社の造立や修復のために寄付を集めること ) のために 芸能団を組織して各地を巡ったところ評判になった と伝えられています。

  その後、出雲阿国は京都へ入り、北野天満宮や四条河原などで念仏踊りを興行して人気を得て、さらに簡単な所作を加えて 『 阿国歌舞伎 』 に発展させました。
  

2006年10月22日

鞍馬の火祭

10.22 火 『 鞍馬の火祭 』

  毎年 10月22日 ( 今日 )、鞍馬の 由岐神社 ( ゆきじんじゃ ) において 京都三奇祭のひとつ 『 鞍馬の火祭 』 が行われます。

  平安時代、京都御所内に祀られた神様を由岐神社に遷す際、神様の遷宮行列を鞍馬の人びとが松明を焚いて迎えた のが祭りの始まりと伝えられています。

  夕方、里の各家の門口にかがり火が焚かれ、午後6時から子供の手松明が練り歩き、その後、武者わらじを履いた里人が 大松明 をかついで 「 サイレイ、サイリョウ 」 の掛け声とともに神社前に集まり、火の粉の中を神輿が出発する勇壮な祭りです。

< 地図 : 由岐神社
  
Posted by rakutabi at 12:00Comments(0)洛北 |   鞍馬・貴船

2006年10月21日

10.21 裃 『 裃 』

  『 裃 』 ( かみしも ) は、肩衣 ( かたぎぬ : 袖無しの上衣 ) と  ( はかま ) を組み合わせたもので、和服における男子正装の一種 として江戸時代には 武士の礼装 とされ、身分のある町人もこれに倣って礼服 として広く用いていました。

  その起源は明確ではありませんが、室町中期に 直垂 ( ひたたれ : 古くは庶民の労働着であり、鎌倉時代に武士の公服となる。江戸時代には三位以上の武士の礼服。 ) の袖を切って用いたことに発するとする伝承が江戸時代からあり、応仁の乱前後から 戦陣における略礼服 として 一般化 したのではないかと考えられています。
  

2006年10月20日

徳川城使上洛列

10.20 徳川城使上洛列 『 徳川城使上洛列 』

  江戸時代、徳川幕府 は朝廷において重要な儀式や大礼が行われる際、必ず 『 城使 』 ( じょうし : 幕府からの使者 ) を上洛させて 皇室 に対して 礼を厚く していました。

  「 城使 」 という大役には、親藩 ( しんぱん : 徳川家一族が大名である藩 ) や 譜代大名 ( ふだい : 関ヶ原の戦い以前から徳川家に臣従していた大名 ) が選ばれ、特に天皇が即位する 「 即位の大礼 」 には徳川将軍家の名代 ( みょうだい : 将軍の代わりを務める者 ) が大行列を率いて京へ上洛しました。

  時代祭 徳川城使上洛列 は、江戸時代の城使の上洛列を模したものです。
  

2006年10月19日

7時代 18行列

10.19 鳳輦 『 7時代 18行列 』

  明治28年に始められた 『 時代祭 』 は、当初は 6列 500名 で行われましたが、現在では 7時代 18行列 約2000名 の人びとが参加する一大行列となっています。

  現在の進行順は・・・

  【 明治維新時代 】 維新勤王隊列、幕末志士列
  【 江戸時代 】 徳川城使上洛列、江戸時代婦人列
  【 安土桃山時代 】 豊公参朝列、織田公上洛列
  【 吉野時代 】 楠公上洛列、中世婦人列
  【 鎌倉時代 】 城南流鏑馬列
  【 藤原時代 】 藤原公卿参朝列、平安時代婦人列
  【 延暦時代 】 延暦武官行進列、延暦文官参朝列、神饌講社列
            前列、神幸列、弓箭組列

※ 本年は有隣学区内にある町内の町内会長を務めていることもあり、時代祭の 『 徳川城使上洛列 』 に参列します。 徳川城使上洛列の最後方に有隣学区の役員や、その町内にある町内会長が裃 ( かみしも ) を着装して参列します。 時代祭をご覧になられる方は、ぜひ 「 徳川城使上洛列 」 にご注目ください ( 笑 )。
  

2006年10月18日

時代祭

10.18 時代祭 『 時代祭 』

  京都三大祭の一つである 『 時代祭 』 は、明治28年、平安京遷都から1100年を記念した奉祝行事 として始められた時代風俗行列であり、平安京遷都を行なった桓武天皇が延暦13 ( 794 ) 年 10月22日に入京したと伝えられることから、毎年 10月22日に行われています。

  鼓笛を響かせ整然と行進する維新勤王隊列を先頭に、江戸安土桃山吉野室町鎌倉藤原延暦 の各時代の人物が時代絵巻を繰り広げます。

  総勢2000名、総延長2キロにわたる時代行列は、まさに 一大歴史風俗絵巻 そのものです。

『 時代祭 』
   10月22日
   12:00 京都御所を出発 → 平安神宮まで

< 参考 : 時代祭の進行
  

2006年10月17日

左女牛井

10.17 左女牛井 『 左女牛井 』

  『 左女牛井 』 ( さめがい ) は、源氏の京屋敷 として建てられた 六条堀川邸にあった井戸 と伝えられ、現在は堀川通沿いに石碑のみが残されています。

  染井 ( そめのい : 梨木神社境内に現存 )、県井 ( あがたい : 京都御苑内に石碑 ) とともに 京の三名水のひとつ に数えられた歴史を有しています。

  村田珠光 ( むらたじゅこう : 侘び茶の創始者 ) が 室町幕府 8代将軍 足利義政 ( あしかがよしまさ ) に茶を献じた際に左女牛井の水を汲み、また 千利休 ( せんのりきゅう : 茶道を大成 ) も愛用したと伝えられています。
  
Posted by rakutabi at 12:00Comments(0)洛中 |   京都駅周辺

2006年10月16日

藤原鎌足

10.16 夕日 『 藤原鎌足 』

  朝廷内で実権を握っていた 蘇我蝦夷 ( そがのえみし ) ・ 入鹿 ( いるか ) の父子は、中大兄皇子 ( なかのおおえのおおじ : 後の天智天皇 ) と 中臣鎌足 ( なかとみのかまたり : 飛鳥時代の政治家 ) によって、皇極4 ( 645 ) 年に滅亡へと追いやられました。

  その後の 大化の改新 において、中臣鎌足は中大兄皇子の腹心として活躍 し、大織冠 ( 647年制定の冠位の最高位 ) とともに 『 藤原 』 の姓 を賜わり、のちの藤原氏の繁栄の礎を築きました。

  天智天皇8 ( 669 ) 年 10月16日 ( 今日 )、藤原鎌足はこの世を去っています。
  

2006年10月15日

浮気の虫封じ

10.15 やきもち 『 浮気の虫封じ 』

  昔々、上賀茂神社の門前に店を構える主人はとても 浮気者 でした。 それに妬く奥さんはいつも主人に対して小言を言っていましたが、とうとう主人は奥さんに対して 「 妬いてるヒマがあったら餅でも焼いたらどうや! 」 と言いました。

  そう言われた奥さんは本当に 「 やきもち 」 を焼いて店で売り始めましたが、こんがりと焼いた香ばしい 「 やきもち 」 は 多くの参詣者に大評判 となりました。

  それ以来、「 やきもち 」上賀茂神社の門前名物 となり、また先ほど面白い話しから 『 浮気の虫封じ 』 になるともいわれています。
  
Posted by rakutabi at 12:00Comments(0)洛北 |   上賀茂・紫野

2006年10月14日

武家政治の終焉

03.28 二条城  武家政治の終焉

  慶応3 ( 1867 ) 年 10月14日 ( 今日 )、二条城大広間に集まる諸大名を前にして、江戸幕府 15代将軍 徳川慶喜征夷大将軍の職を辞し政権を朝廷に返上する旨 を告げました。

  翌日には朝廷がそれを許可して 『 大政奉還 』 ( たいせいほうかん ) が成立し、これによって 約 260年に及ぶ江戸幕府は終焉 となり、それはまた、鎌倉幕府以来 約 670年間続いた武家政治の終焉 でもありました。

  主を失った二条城 は、その後、太政官代 ( 現在の内閣にあたる )、京都府庁二条離宮 ( 皇室の離宮 ) と変遷し、昭和14年に 宮内省より京都市に下賜 されて現在の 『 元離宮 二条城 』 となりました。

  

2006年10月13日

日蓮

10.13 蓮 『 日蓮 』

  鎌倉時代初期、安房国 ( 現、千葉県 ) で漁師の子として生まれた 『 日蓮 』 ( にちれん ) は、12歳で仏教を学びましたが、しだいに 「 仏教には様々な宗派があるが、釈迦が唱えた真の教えは何か? 」 という疑問を持ち、鎌倉・比叡山・奈良・高野山などをめぐって諸宗を熱心に学びました。

  そして 「 法華経こそが釈迦の真の教えである 」 と確信し、その教えを人びとに強く説きました。

  弘安5 ( 1282 ) 年 10月13日 ( 今日 )、日蓮は61歳で亡くなりましたが、その教えは 「 日蓮宗 」 ( 法華宗 ) となって今に伝えられています。
  

2006年10月12日

神無月

10.12 稲 『 神無月 』

  歴史が始まる以前の神話の時代、ある年の 旧暦10月天照大神 ( あまてらすおおみかみ : 太陽の神格化で皇室の祖神 ) が 天岩戸に隠れて 世の中が真っ暗になってしまい、諸国の神々は出雲国に集まって話し合いを行いました。

  その時、各地に神様が一人もいなくなった ため、10月のことを 神様がいない月 ということで 『 神無月 』 ( かんなづき ) というようになった、と伝えられています。

※ 実際は五穀豊穣に感謝して 神を祭る月 であることから 「 神の月 」 とする説が有力。 「 無 」 は 「 の 」 を意味する格助詞。
  

2006年10月11日

開祖、開基、開山

10.11 禅寺 『 開祖、開基、開山 』

  寺院の歴史を著した本を読むと、『 開祖 』 『 開基 』 『 開山 』 という言葉が出てきます。

  『 開祖 』 ( かいそ ) とは 「 初めて宗派を開いた人 」 を意味し、例えば 浄土宗の開祖 法然上人臨済宗の開祖栄西禅師 となります。

  『 開基 』 ( かいき ) と 『 開山 』 ( かいさん ) は同じ 「 寺院を開いた人 」 を意味しますが、実際に寺院を建立した人『 開基 』初代の住職となった人 『 開山 』 とする場合がほとんどです。

  つまり、鹿苑寺 ( 金閣寺 ) の場合、開基は足利義満 ( 将軍 )、開山は夢窓疎石 ( 禅僧 ) となります。

  

2006年10月10日

日蓮上人

10.10 本法寺 『 日蓮上人 』

  法華宗 ( 日蓮宗 ) の開祖 『 日蓮 』 ( にちれん ) は 12歳で仏門に入り、鎌倉や京都など各地の寺院で厳しい修行を行ないました。 やがて 「 仏教は釈迦の教えであるが、なぜ多くの宗派に分かれているのか? 」 との疑問を抱き、徹底的に各宗派を研究しました。

  そして 「 法華経 」 こそが唯一の正しい釈迦の教えである との考えに至り、法華宗を民衆に強く唱え、また 他の諸宗を激しく批判 していきました。

  諸宗や幕府に対する激しい批判は次第に摩擦を生み、文永8 ( 1271 ) 年 10月10日 ( 今日 )、日蓮上人は佐渡へ流罪 となりました。

  その後、罪を許された 日蓮上人は弟子達にその教えを伝承し法華宗は民衆を中心に広く信仰される こととなりました。

  

2006年10月09日

秋の夕暮れ

10.09 秋の夕暮れ  
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粟田祭 剣鉾

10.09 粟田祭 剣鉾  
Posted by rakutabi at 18:00Comments(4)らくたび最新情報 

10.09 対い鳩 『 鳩 』

  『 鳩 』 ( はと ) は 平和のシンボル とされ、帰巣本能 ( きそうほんのう : 自分の巣に戻る性質 / 伝書鳩として活用 ) などの優れた能力を持つことから、古くから人びとに尊ばれてきました。

  しかし、日本では 武神・軍神 である 八幡神 ( 最も古い神仏習合神 / 元は九州の宇佐地方の農業神 ) の神使 ( しんし : 神様の使い ) として、中世より 武士に尊ばれてきた歴史 があります。

  鳩を象った紋 ( もん : 家紋や神紋など ) もあり、二羽の鳩が向き合った 「 対い鳩 」 ( むかいばと ) は、八幡神の 「 八 」 を表した形となっています。
  

2006年10月08日

粟田祭の剣鉾

10.08 剣鉾 『 粟田祭の剣鉾 』

  青蓮院の北に鎮座する 粟田神社 は、貞観18 ( 876 ) 年、疫病を封じるために創建されたと伝えられる古い神社です。

  粟田神社に伝わる 「 剣鉾 」 ( けんほこ ) は、長さ 7〜8m の柄の先に剣が付いた、重さ 40〜60kg にも及ぶ祭具で、一千年の歴史を持つ 『 粟田祭 』 において 神様が通る道筋を祓い清め悪霊を鎮める祭具 とされています ( 今年の剣鉾巡行は 10月9日 )。

  粟田の剣鉾祇園祭の山鉾の原型 とされており、室町時代、応仁の乱で 祇園祭が中断した際粟田祭をもって祇園祭の代わりとした 歴史もあります。

『 粟田祭 』  粟田神社
   10月8日、9日、15日
   9日に剣鉾が町内を巡行
  

2006年10月07日

陰と陽

10.07 月と太陽









 
『 陰と陽 』

  『 陰陽思想 』 ( いんようしそう ) とは、この世に存在する万物は 「 陰 」「 陽 」 の互いに対立する二つの気に分類されるという考え方です。

  宇宙の始まりは混沌とした状態であり、その混沌の中から 光に満ちた陽の気が上昇して天となり重い暗黒の陰の気が下降して地になった と考えられ、この 陰と陽の二気の働きによって森羅万象ありとあらゆる事物を理解しよう という考え方が 「 陰陽思想 」 です。

  陰と陽は善と悪ではなく、あくまでこの世を構成する二つの要素であり、陰と陽の二気が調和して始めて自然の秩序が保たれます
  

2006年10月06日

東洋と西洋

10.06 月夜 『 東洋と西洋 』

  古くから 東洋 ( 日本や中国 ) では、月の光苦しみや悲しみの心にある暗闇を照らす慈悲の光 と考えられ、特別な想いで月を愛でてきました。 仏教を開いた釈迦も、月の光を満身に浴びて坐禅したと伝えられ、その姿が月光菩薩である、と言われています。

  それに対して 西洋 では、月の光人の心を乱して狂わせるもの と考えられ、月の女神が死を暗示したり、狼男が月を見て変身する、という伝説が生み出されてきました。

  月を愛でる 『 お月見 』 という行事は、東洋の思想や文化を象徴する行事 と言えるかもしれません。
  

2006年10月05日

中秋の名月

09.16 名月 『 中秋の名月 』

  お月見とは、旧暦8月15日の夜空に浮ぶ月を鑑賞する行事 で、その美しく輝く満月を 中秋の名月 十五夜 と呼んできました。

  ちょうど中秋の名月の頃は 里芋の収穫期 にあたり、古くは 芋を月見に供えた ことから 芋名月 とも言われています。

  そして 中秋の名月を過ぎると、月が夜空に姿を見せる時刻はしだいに遅くなり人々が月の出を今か今かと待ち焦がれた ことから、十七夜は 立待月 ( たちまちづき )、十八夜は 居待月 ( いまちづき )、十九夜は 寝待月 ( ねまちづき )、二十夜は 更待月 ( さらまちづき ) と呼ばれるようになりました。

※今年は 10月6日 ( 明日 ) に中秋の名月を迎えます。