洛北

2006年10月22日

鞍馬の火祭

10.22 火 『 鞍馬の火祭 』

  毎年 10月22日 ( 今日 )、鞍馬の 由岐神社 ( ゆきじんじゃ ) において 京都三奇祭のひとつ 『 鞍馬の火祭 』 が行われます。

  平安時代、京都御所内に祀られた神様を由岐神社に遷す際、神様の遷宮行列を鞍馬の人びとが松明を焚いて迎えた のが祭りの始まりと伝えられています。

  夕方、里の各家の門口にかがり火が焚かれ、午後6時から子供の手松明が練り歩き、その後、武者わらじを履いた里人が 大松明 をかついで 「 サイレイ、サイリョウ 」 の掛け声とともに神社前に集まり、火の粉の中を神輿が出発する勇壮な祭りです。

< 地図 : 由岐神社


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2006年10月15日

浮気の虫封じ

10.15 やきもち 『 浮気の虫封じ 』

  昔々、上賀茂神社の門前に店を構える主人はとても 浮気者 でした。 それに妬く奥さんはいつも主人に対して小言を言っていましたが、とうとう主人は奥さんに対して 「 妬いてるヒマがあったら餅でも焼いたらどうや! 」 と言いました。

  そう言われた奥さんは本当に 「 やきもち 」 を焼いて店で売り始めましたが、こんがりと焼いた香ばしい 「 やきもち 」 は 多くの参詣者に大評判 となりました。

  それ以来、「 やきもち 」上賀茂神社の門前名物 となり、また先ほど面白い話しから 『 浮気の虫封じ 』 になるともいわれています。


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2006年05月17日

大田の沢のカキツバタ

05.17 大田の沢 『 大田の沢のカキツバタ 』

  上賀茂神社の境外摂社 ( けいがいせっしゃ : 上賀茂神社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社 ) である 『 大田神社 』 ( おおたじんじゃ ) は、祭神として 天鈿女命 ( あめのうずめのみこと ) と 猿田彦命 ( さるたひこのみこと ) をお祀りしています。

05.17 カキツバタ  境内の 「 大田の沢 」 には カキツバタの野生群生 ( 国の天然記念物 ) があり、平安時代の昔から濃紫の花を愛でる人々が観賞に訪れ、貴族はその美しさを歌に詠みました。


   神山や 大田の沢のカキツバタ
      ふかきたのみは 色に見ゆらむ
                
  − 藤原俊成 −


< 地図 : 大田神社


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2006年05月03日

葵祭と斎王

05.03 神殿 『 葵祭と斎王 』

 
千二百年の歴史がある京都では 年間に三百を越す祭りが行われていますが、その中でも 「 葵祭 」 の格式と伝統はきわだち、昔から 単に 「 祭り 」 と言えば 「 葵祭 」 を意味してきました。

  平安京遷都により、賀茂社『 平安京の鎮守社 』 となり、葵祭 ( 賀茂祭 )『 勅祭 』 ( ちょくさい : 天皇の命で行なわれる国家的な祭り ) として執り行われるようになりました。

  平安時代には、皇室から 「 斎王 」 ( さいおう : 未婚の内親王 ) が 賀茂社に奉仕 していました。

  現在は 「 斎王代 」 ( さいおうだい : 斎王の代理 ) が 民間の未婚の女性から選ばれて奉仕し、葵祭を一層華やかに彩ります。

『 斎王代御禊神事 』 ( さいおうだいみそぎしんじ )
   5月4日  上賀茂神社
   葵祭の斎王代が身を清める神事。
   十二単を着た斎王代が、神社の川に手を浸して
   身を清める 「 御禊 」 ( みそぎ ) を行います。


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2006年05月02日

葵祭の幕開け

05.02 新緑と鴨川 『 葵祭の幕開け 』

  風薫る5月、新緑の美しい京都は 『 葵祭 』 の季節 を迎えます。

  賀茂社上賀茂神社下鴨神社 の総称 ) の大祭 「 葵祭 」 ( あおいまつり ) は、凶作を鎮めて五穀豊穣を祈る神事 として、6世紀中頃から始まったと伝えられています。

  葵祭の幕開け となる 3日 「 流鏑馬神事 」 ( やぶさめしんじ ) は、疾走する馬上から 射手が清め祓いの矢で的を射る神事 であり、15日の 大祭行列の平穏無事を祈願 して行われます。

  4日 「 斎王代御禊神事 」 ( さいおうだい みそぎしんじ )
   5日 「 賀茂競馬 」 「 歩射神事 」 ( かもくらべうま / ぶしゃしんじ )
    12日 「 御蔭祭 」 ( みかげまつり )

  大祭へ向けて 清めの神事 が続き、そして 15日、平安の王朝絵巻の如く華麗で優雅な行列 「 路頭の儀 」 ( ろとうのぎ ) が行なわれます。

  葵祭は、半月に渡って様々な神事が行なわれます


< 地図 : 下鴨神社 / 上賀茂神社


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2006年04月13日

上品蓮台寺

04.13 上品蓮台寺 『 上品蓮台寺 』

  千本鞍馬口に位置する 京都屈指の古刹 『 上品蓮台寺 』 ( じょうぼんれんだいじ : 真言宗智山派 ) は、今から約 1400年前、聖徳太子が母の菩提を弔うために創建した と伝えられています。

  一時は 応仁の乱で焼失 して寺勢が衰えましたが、江戸時代には再興されて 子院 12ヵ寺をもつ大寺として繁栄 し、その 子院 12ヵ寺より 「 十二坊 」 と呼ばれて町衆から厚い信仰を集めてきました ( 現在は子院 3ヵ寺 )。

  今、境内には ソメイヨシノ枝垂れ桜紅枝垂れ桜 が同時に咲き誇り、見事な 春の競演 を見せてくれています。

< 地図 : 上品蓮台寺


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2006年04月12日

半木の道

04.12 半木の道 『 半木の道 』

  北大路大橋から北山大橋にかけての賀茂川東岸の散策道は 『 半木の道 』 ( なからぎのみち ) と呼ばれ、紅枝垂れ桜 約 800mに渡って咲き誇る絶景の散策道 として市民に親しまれています。 市内のソメイヨシノが満開を迎えてから 約 1週間後に見頃 を迎えます。

  半木 ( なからぎ ) という名前は、府立植物園内にある 半木神社 ( なからぎじんじゃ ) に由来しています。

  昔、賀茂川の上流にあった神社が洪水で流され、流れ着いた 流れ木 ( ながれぎ ) で再び神社を創建したことから、「 なからぎ 」 と呼ばれるようになったようです。

『 京都府立植物園 』
   国公立としては、日本最古の植物園。
   園内では、70類 500本の桜 を愛でることができます。


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2006年03月08日

雨乞祭

03.08 雨乞祭 『 雨乞祭 』

 
納涼床 「 川床 」
で賑わい、「 京都の奥座敷 」 として親しまれている 『 貴船 』 ( きぶね ) は、京都市内から北山連峰へ少し入った山間に位置します。

  貴船山の東の麓にある 『 貴船神社 』 の歴史は古く、鴨川の水源地 にあたることから、平安時代より 「 水を司る神 」 として厚い崇敬を集めています。

  3月9日 ( 明日 ) に行なわれる 『 雨乞祭 』 ( あまごいまつり ) は、降雨と五穀豊穣を祈願する神事 であり、これから本格的に始まる農耕に欠かせない祭事です。

  京都に水の恵みをもたらす貴船にも、まもなく春がやってきます。

< 地図 : 貴船神社



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2006年03月07日

日本仏教の母なる山

03.07 比叡山 『 日本仏教の母なる山 』

  標高 848m、京都市街の北東に高く聳える 東山の最高峰 『 比叡山 』 ( ひえいざん )。

  平安時代初め、伝教大師最澄 によって 延暦寺が創建 され、その教えを多くの僧が学びました。

  最澄が亡くなった後も教えは受け継がれ、最盛期には 三塔十六谷三千坊東塔西塔横川 という、教学の中心を成す 三塔 があり、三千を越える坊舎 があったと伝えられている ) と言われる巨大な勢力を誇りました。

  後の世になり、 法然上人親鸞聖人 などの優れた僧を多く生み出したことから、比叡山は日本仏教の 「 母なる山 」 と言われています。


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2006年02月23日

おんめでとうーごーざーる

02.23 神社 『 おんめでとうーごーざーる 』

 
『 上賀茂神社 』
を地元の神様とする 賀茂の里 ( 神社周辺の町 ) では、全国的にも珍しい、男子の元服 ( げんぷく = 大人の仲間入り ) を祝う 『 幸在祭 』 ( さんやれまつり ) が、厳冬の寒さも僅かに緩む 毎年 2月24日 ( 明日 )、しめやかに行なわれます。

  あがり と呼ばれる、数え年で 15歳 を迎えた 男の子 は、大人の服 羽織着物 に袖を通して儀式に臨み、太鼓 を打ち鳴らしながら 町内を練り歩いた後、上賀茂神社 の氏神様へ 元服を報告 して 晴れて大人の仲間入り をするのです。

  おんめでとうーごーざーる。
   
※ 『 幸在祭 』 の囃子言葉で 「 おめでとう 」 の意味。

  『 幸在祭 』 は、 字の如く 「 幸在る人生 」 を 心から願う 伝統行事 なのです。

< 地図 : 上賀茂神社


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2006年02月21日

牛若丸誕生井

02.21 牛若丸誕生井 『 牛若丸誕生井 』

  平治元 ( 1159 ) 年、源氏の棟梁 ( とうりょう : 一族を率いる者 ) である 源義朝 ( みなもとのよしとも ) と 常盤御前 ( ときわごぜん ) の間に生また男の子は 『 牛若丸 』 ( うしわかまる : 後の源義経 ) と名付けられました。

  現在の 紫竹牛若町 辺りが 牛若丸誕生の地 と伝えられ、今も 産湯の水を汲んだと伝えられている井戸 が残っています。

  畑の中に 『 牛若丸誕生井 』 と書かれた石碑があり、石碑の後ろには現在も井戸がそのまま残っています。 井戸の水は一度も枯れたことがないと伝えられ、今も水を湛えています。

< 地図 : 牛若丸誕生井戸



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2006年02月20日

勝林院

02.20 勝林院 『 勝林院 』

  大原三千院の北にある 『 勝林院 』 ( しょうりんいん ) は、承和2 ( 835 ) 年、天台宗における声明 ( しょうみょう : 仏教音楽。 仏教儀式の際に僧侶によって唱えられる声楽。 ) の根本道場 として天台僧 「 円仁 」 ( えんにん : 平安時代初期に天台密教を充実させ、日本天台宗の教義を大成させた高僧 ) によって開かれました。

  その後に寺勢は一時衰えましたが、長和2 ( 1013 ) 年、僧 「 寂源 」 によって再興され 『 勝林院 』 と称されました。

  浄土宗祖法然上人にまつわる 「 大原問答 」 の舞台 としても歴史に名を残しています。

< 地図 : 勝林院


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2006年01月15日

歩射と流鏑馬

01.15 上賀茂神社 『 歩射と流鏑馬 』

  1月16日 ( 明日 )、上賀茂神社 にて 『 武射神事 』 ( ぶしゃしんじ ) が行われます。

  境内参道横の御幣殿前の芝生に長さ 40m余りの射場が設けられ、狩衣に烏帽子姿の神職が裏に 「 鬼 」 と書かれた大的を矢で射抜き、悪鬼や邪気を射ち祓って一年の無病息災を祈願します

  「 武射 」「 歩射 」 ( ぶしゃ ) が転じた言葉で、徒歩で矢を射ること を言います。 それに対して 「 流鏑馬 」 ( やぶさめ ) は 騎乗して矢を射ること を言います。

  威風堂々とした構えから放たれる矢が見事に的を射抜くと、射場には歓声が沸きあがります。


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2006年01月12日

清めの盛り塩

01.12 上賀茂神社 『 清めの盛り塩 』

  『 立砂 』 ( たてすな ) とは、砂を円錐形に盛り上げたもの であり、上賀茂神社の社殿前にある立砂が広く知られています。

  上賀茂神社立砂 は、賀茂の神様が天から降臨したと伝えられている 神山 ( こうやま : 上賀茂神社の北側にある円錐形の美しい山 ) をかたどったものと言われ、憑代 ( よりしろ : 神様が招き寄せられて乗り移るもの ) とされています。

  この立砂こそが、鬼門 ( きもん : 北東の方角にあたり、忌み嫌われる方角 ) などに撒く 清めの砂 の起源であり、玄関などに盛る 盛り塩 の起源でもあります。



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2005年11月29日

虫八幡さん

11.29 狛鳩 『 虫八幡さん 』

  洛北の上高野に鎮座する 『 三宅八幡宮 』 ( みやけはちまんぐう ) は、虫退治の神様 として 子供の夜泣き封じ癇の虫封じ害虫駆除 などの御利益で知られ、通称 「 虫八幡さん 」 ( むしはちまん ) と呼ばれて親しまれています。

  ずっと昔、宇佐八幡宮 ( 八幡宮の総社 : 現、大分県宇佐市 ) から石清水八幡宮へ八幡神を勧請 ( かんじょう : 神様を分けて移すこと ) した際に 白い鳩が道案内をした と伝えられ、以来、八幡宮の 「 鳩 」 は 「 神様の使い 」 として大切にされてきました。

  三宅八幡宮では、狛犬ならぬ 「 狛鳩 」 が神社を守り続けています。

< 地図 : 三宅八幡宮


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2005年10月21日

勇壮な鞍馬の火祭

03.14 炎 『 勇壮な鞍馬の火祭 』

  天慶3 ( 940 ) 年に大地震が京都を襲い、京都御所内に祀られていた 由岐大明神 を鞍馬山中腹の 由岐神社 に遷し、都の北方を守護する神様としてお祀りした と伝えられています。

  由岐大明神を御所から鞍馬へ遷す際、神様の遷宮行列を鞍馬の人々がかがり火や松明を焚いて迎えたのが 『 鞍馬の火祭 』 の始まりと伝えられています。

  毎年 10月22日の夜、真っ赤な火の粉を落とす百数十の松明が鞍馬寺仁王門前に集結し、天を焦がす炎と散る火の粉で祭りは最高潮に達します

  鞍馬の火祭は、山間の里に伝わる勇壮な火の祭り です。


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2005年10月18日

信長の偉勲

10.18 船岡山 『 信長の偉勲 』

  桓武天皇が遷都した平安京は、最良の地相 「 四神相応 」 ( しじんそうおう ) である京都盆地に造営されました。

  京都市街の北に位置する 『 船岡山 』 ( ふなおかやま ) は、東西南北を守る四神のうち、北の 「 玄武 」 ( げんぶ ) が宿る丘とされ、辺りには平安貴族の別荘も多く建てられました。

  戦国の世、本能寺の変で亡くなった 織田信長 の葬儀が船岡山の北にある大徳寺で執り行われ、のち明治2年、明治天皇が 織田信長の偉勲を称えて祀る 『 建勲神社 』 ( たけいさおじんじゃ : 通称、けんくんさん ) を船岡山に創建しました。

『 船岡大祭 』  建勲神社
   10月19日 ( 水 )
   建勲神社は織田信長、信忠の父子を祀る。
   永禄12(1569)年10月19日、信長が入洛した日を記念する大祭。
   仕舞、舞楽の奉納や信長公の甲冑など宝物が特別公開される。


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2005年10月13日

百々御所

10.13 宝鏡寺 『 百々御所 』

  京都に数ある門跡寺院の中、上京区の 『 宝鏡寺 』 ( ほうきょうじ ) は、江戸時代初めに後水尾天皇の皇女 ( 天皇の娘 ) が入寺して以来、皇女が代々の住持 ( じゅうじ : 寺の住職 ) を務めてきた格式ある尼門跡寺院 ( あまもんぜきじいん ) です。

  寺院の表通りは昔から 「 百々の辻 」 ( どどのつじ ) と呼ばれ、ゆえに宝鏡寺は 『 百々御所 』 ( どどごしょ ) と呼ばれてきました。

 
皇室とのゆかりが深く、天皇より賜った人形を多数所蔵している ことから 「 人形の寺 」 と称されています。

『 人形供養祭 』  宝鏡寺
   10月14日
   1年間に納められた人形を燃やし、灰を人形塚に納めて供養します。



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2005年10月08日

八瀬

10.08 川 『 八瀬 』

  比叡山麓の 『 八瀬 』 ( やせ : 地名 ) は、高野川の急流に多くの瀬が生じる ことから 「 八瀬 」 と呼ばれるようになりました。

  延元元 ( 1336 ) 年、後醍醐天皇は比叡山への行幸 ( みゆき : 外出のこと ) を行い、その時に 八瀬の村人が天皇の護衛を無事に果たして褒められた ことから、八瀬は永久に土地租税を赦免 ( しゃめん : 免除のこと ) されました。

  江戸時代、八瀬の赦免地 ( しゃめんち : 土地の租税を免除された土地 ) を祝う祭り 『 赦免地踊 』 が秋元神社で始められ、洛北の奇祭として今日まで受け継がれています

『 赦免地踊 』 ( しゃめんちおどり )  秋元神社
   10月9日 ( 日 )
   赤紙で作った透し彫りの切子型灯籠を頭にのせて女装した少年が、
   太鼓に合わせて静かに踊り、神社に奉納する珍しい伝統芸能。


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2005年09月17日

天台宗の秘法

09.17 赤山禅院 『 天台宗の秘法 』

  夏に黄色い花を咲かせる ヘチマ ( 糸瓜 ) は、若い果実 食用 に、熟れた果実 は網目状の繊維を たわし草履 として活用してきました。

  また、ヘチマの茎から採れる水 「 ヘチマ水 」 は、化粧水喘息 ( ぜんそく ) の薬 として昔から広く利用されており、ヘチマ水を採るのは中秋の名月の夜が一番いい と言われています。

  比叡山延暦寺の別院 赤山禅院 ( せきざんぜんいん ) では、毎年中秋の名月に 天台宗の秘法 『 へちま加持 』 が行なわれ、ヘチマを本堂に供えて加持祈祷 ( かじきとう ) を行い、健康を願う参詣者にはヘチマ護符が授与 されます。

『 へちま加持 』  赤山禅院
   9月18日 ( 日 )


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2005年09月05日

上賀茂名物 「 やきもち 」

09.05 神馬堂 やきもち 上賀茂名物 『 やきもち 』

  上賀茂神社の名物菓子 「 やきもち 」

  柔らかい餅で小豆の粒あんをやさしく包んだシンプルな焼き餅 ですが、焼きたての香ばしさは絶品 です。

  上賀茂神社の神紋 「 双葉葵 」 にちなみ、「 やきもち 」 の正式名称は 『 葵餅 』 ( あおいもち ) と言い、上賀茂神社前の 神馬堂葵屋やきもち本舗 で売られています。

09.05 神馬堂  明治5 ( 1872 ) 年創業の 「 神馬堂 」 ( じんばどう ) は、馬に縁のある神事が上賀茂神社で行なわれることから名付けらたそうです。

  上賀茂神社へ参拝の折には、ぜひ、名物「やきもち」をご賞味ください


< 参考コラム : 神紋 双葉葵


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2005年08月29日

感謝の気持ち

08.29 裏千家 『 感謝の気持ち 』

 
京都には 小川通 ( おがわどうり ) という小さな通りがあり、昔は 小川 ( こがわ ) という清流が道に沿って流れていたことから 「 こがわどうり 」 と呼ばれていました。

  小川は埋め立て ( 昭和 39年 ) によって姿を消しましたが、現在も辺り一帯は地下に 豊富な地下水 が流れています。

  その小川通には、表千家裏千家武者小路千家 という、千利休を祖とする茶道の家元 が門を構えています。

08.29 水の渦巻き文様  茶道にとって 水は命 であり、一帯を流れる 清らかな地下水は常に井戸の水を満たし、茶道の歴史を四百年にわたって支えてきました

  裏千家の門の瓦 には 水の渦巻き文様 が見られ、大切な水への感謝の気持ちが表されています


< 参考コラム : 不審花開今日春 / 茶筅の音

< 地図 : 裏千家


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2005年08月27日

心を癒す特等席

08.27 円通寺 『 心を癒す特等席 』

  庭園の外にある自然の風景を、庭園の景色の一部として取り入れる手法 『 借景 』 ( しゃっけい ) と言います。

  例えば、壮大な山を借景 とすることによって、庭園という限られた空間は無限の奥行きとスケールを持つ空間に変わます。

  比叡山を借景とする名庭 で知られる洛北の名刹 『 円通寺 』 ( えんつうじ ) は、江戸時代初め、後水尾上皇が 京都で最も比叡山が美しく見える場所 を探し巡り、唯一無二の場所に営んだ離宮 「 幡枝御殿 」 ( はたえだごてん ) が寺院に改められたものです。

  円通寺の縁側は、あなたの心を癒す特等席 です。

< 地図 : 円通寺


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2005年08月11日

豪腕政治家 と 風流文化人

08.11 義満 『 豪腕政治家 と 風流文化人 』

  暦応元 ( 1338 ) 年 8月11日 ( 今日 )、足利尊氏 は朝廷より 征夷大将軍 に任ぜられ、以来、十五代の将軍が 235年間に渡って政権を受け継ぐことになる 室町幕府 が開かれました。

  足利将軍家の菩提寺 である 等持院 ( とうじいん ) には、初代尊氏から十五代義昭 ( よしあき ) までの 歴代将軍の木像 ( 五、十代を除く ) が安置されています。

  歴代将軍の木像は江戸時代の作とされていますが、その 表情や姿風格 には 歴代将軍の性格や特徴が実によく現れています。

08.11 義政  特に、三代将軍 足利義満八代将軍 足利義政 は、政治や文化などあらゆる面で比較される二人の違いをはっきりと見ることができます。

  祖父と孫とは思えない・・・
     あまりにも対照的な二人
です。

※ 左上の写真 : 足利義満 / 右下の写真 : 足利義政

< 地図 : 等持院


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2005年05月29日

響き渡る声明

05.29 三千院 『 響き渡る声明 』

  『 三千院 』 の別名
    梶井門跡 ( かじいもんぜき )
    梨本門跡 ( なしもともんぜき )
    円融院門跡 ( えんゆういんもんぜき )

  『 三千院 』 は、
代々法親王が住持を務めてきた 格式高い門跡寺院 です。

  その歴史は、延暦7 ( 788 ) 年に 天台宗祖 「 伝教大師 最澄 」 が比叡山内に建てた一宇の御堂に始まり、後に滋賀の坂本梶井に移り、応仁の乱後、現在の 大原 に移りました。

  三千院を中心に大原では 「 天台声明 」 ( 仏教音楽 ) の研鑚が行なわれ、現在も 修業の地 として厚く信仰されています。

  三千院で行われる 『 御懺法講 』 ( おせんぼうこう ) は、平安から江戸時代まで御所で行なわれていた 由緒と伝統ある皇室の法要 で、声明と雅楽が三千院一帯に響き渡る平安絵巻さながらの法要 です。

『 御懺法講 』  三千院
   5月30日 ( 月 )  法要 11時〜


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2005年05月24日

風の吹く庵

05.24 夕景 『 風の吹く庵 』

 
異色の経歴
を持つ 『 石川丈山 』 ( いしかわじょうざん )。

  徳川家康の家臣として数々の武功を立てる が、大坂夏の陣を境に武士を辞め、一転、文化人としての道 を歩みました。

  寛永18 ( 1641 ) 年、京都一乗寺山の麓に小さな庵を建て、花鳥風月と共に 隠棲 を始めました。

  漢詩文の才能に秀で、中国の詩家三十六人の肖像画を庵に掲げたことから、いつしか庵は 『 詩仙堂 』 ( しせんどう ) と呼ばれるようになりました。

  風雅風流風趣風景風光明媚 ・・・、詩仙堂には 石川丈山の心を満たす風 がいつも吹いていたのです。 


   生涯寒潤水 我が生涯は谷川の水のように人知れず細々と続いた。
   老病夕陽天 沈み行く夕陽のように今や病を抱え年老いた。
   偏極煙霞楽 ひたすら山水の景色を楽しみ尽くして、
   百齢少十年 百歳にわずか十年という所まで生きてしまったのである。
      
− 石川丈山 寛文12(1672)年、90歳で没する年に読んだ漢詩 −


『 丈山遺宝展 』  詩仙堂
   5月25日 ( 水 ) 〜 27日 ( 金 )
   書を中心とした石川丈山作の遺品を公開。
   料金 500円。


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2005年05月23日

国家安泰の風景

05.23 正伝寺 『 国家安泰の風景 』

  時は鎌倉時代、日本は二度に渡る 「 元 」 ( げん : 中国の王朝 ) の来襲を受けました ( 元寇の役 )。

  この 未曾有の国難 に対し、弘安5 ( 1282 ) 年、東巌慧安 ( とうがんえあん ) 禅師は 『 吉祥山正伝護国禅寺 』 ( 通称、正伝寺 ) を創建し、蒙古降伏祈願文を捧げて 護国を祈願 しました。

  僧の一念は天へ伝わった のか、再び 元軍が日本へ来襲することはありませんでした。

  西賀茂の山腹に静かに佇む 『 正伝寺 』 には、比叡山を借景とする枯山水の庭 があり、その見事な眺めこそ、慧安禅師の護国の念が生み出した 「 国家安泰の風景 」 なのかもしれません。

  末の世の すへの末まで 我国は
      
よろずの国に すぐれたる国
                     − 東巌慧安 禅師 −

< 地図 : 正伝寺


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2005年05月16日

大原女

05.16 大原女 『 大原女 』

  大原 の山麓に佇む 『 寂光院 』 ( じゃっこういん ) は、飛鳥時代に 聖徳太子によって創建された古刹 です。

  平家滅亡後の文治元 ( 1185 ) 年、平清盛の娘 「 建礼門院徳子 」 ( けんれいもんいん とくこ ) が入寺し、平家一門の菩提を弔いながら生涯を過ごした ことでも知られています。

  当時、建礼門院にお仕えしていた 「 阿波の内侍 」 ( あわのないじ ) は、 ( しば = 木の小枝。 薪や炭のもと。 ) を束ねて頭上にのせて遠く離れた京の町へ売り歩いた と伝えられ、その姿が 『 大原女 』 ( おはらめ ) として現在に伝えられています。

『 第26回 大原女まつり 』  大原の里
   5月16日 〜 31日
   ※ 22日 午後1時〜 大原女時代行列

< 参考コラム : 平家一門の滅亡


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2005年04月29日

木の根道を行く

04.29 木の根道 『 木の根道を行く 』

 
牛若丸 ( 後の 源義経 )は、源義朝 ( よしとも : 義経の父 ) が 平治の乱 で 平清盛 率いる平氏に敗れる と、捕らえられて 山深い 鞍馬寺 に預けられました。

  幼い牛若丸でしたが、昼は寺で学業に励み夜が更けると鬱蒼とした鞍馬山で 「 鞍馬天狗 」 ( くらまてんぐ ) に兵法や剣術を学んでいた とも伝えられています。

  鞍馬から貴船へ通じる 「 木の根道 」 ( きのねみち ) 沿いには、「 義経堂 」 「 義経背比石 」 「 僧正ガ谷不動堂 」 など、数々の義経ゆかりの史跡が今も残されています。

  『 鞍馬 』 ( くらま ) という地名は、 「 暗間 」「 暗魔 」 に由来するとも言われ、昼でも薄暗い 鞍馬山の神秘的な雰囲気「 鞍馬天狗 」 や 「 義経 」 の伝説を創り出したのかもしれません。

< 地図 : 鞍馬寺 > < 参考コラム : 義経特集


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2005年04月16日

さぞな吉野は花ざかり

04.16 桜 『 さぞな吉野は花ざかり 』

 
江戸時代初め、京はもとより、遠く江戸にまで 「 京の島原に浮舟あり! 」 と知れ渡る名妓がいました。

  浮舟太夫 ( うきふねだゆう ) は 絶世の美女 というだけではなく、和歌、茶道、書道、生け花など、諸芸どれをとっても 並ぶ者がない才気 も持つ、まさに 当世一の名妓 でした。

  春、桜が咲き誇る島原で、浮舟は まだ見たことのない 吉野山の桜 を想い浮かべながら、こう歌を詠みました。

   ここにさへ
      さぞな吉野は 花ざかり

  当世一の名妓当世一の吉野桜、人はいつしか浮舟の名を 『 吉野太夫 』 と呼ぶようになりました。


『 吉野太夫花供養道中 』  常照寺

   4月17日 ( 日 )
   吉野太夫ゆかりの寺、常照寺 ( じょうしょうじ )。
   吉野太夫を偲ぶように咲く満開の桜の下で、
   艶やかな太夫道中行列が盛大に催されます。


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