玄style

No Additive, Pure Natural & Tasty Ramen

2006年02月

第2章ラーメン哲学序説・第2節化学調味料に頼らないということ

化学調味料が、子供の脳の発達を阻害することを知りながら、自分の子供の食事に化学調味料を使う親がいるだろうか?そして、飲食店において、大人の、アカの他人であるお客様にならば、問題ないということになるだろうか?安易に、化学調味料に頼ってしまうラーメン屋が多いのは、残念なことだ。

天然素材のみで美味しさを表現しようとすると、化学調味料を使う場合に比べた場合、素材のコスト、調理の手間には、格段の違いがある。匙一杯の化学調味料で、一瞬にして完成度の高いラーメンが出来上がるのを目の当たりにすると、愕然としてしまうが、それでも尚、敢えて天然だしにこだわるのは、両者の旨味に根本的な違いがあるからである。化学調味料漬けラーメンの、「一口バカうま」の強烈な旨味に慣れきってしまった舌にも、天然素材のみに可能な本当の美味しさとの出会いの感動は可能であると信じている。

無添加にこだわったおかげで、店は繁盛しても、貧乏暮らしが続いた。朝の5時から深夜まで、休まず働いて、人並みの生活が出来ないのであれば、これはもう狂気の沙汰としか言えまい。それでも仕事の充実感だけは、確実につかんでいた。化学調味料に頼らないでラーメンを作るという、この荊の道に、よく耐えたものだ。

食の安全が、なし崩し的に、悪い方向に進んでいこうとしている今、4.5坪のほんの小さなラーメン屋のオヤジが、ささやかな捨て身の抵抗を続けていることも、無意味ではあるまい。「玄」の味を支えている全国の生産者の方々が、私たちなど足元にも及ばないほどの無添加へのこだわりで、昔ながらの手間をかけた方法により、素材にトコトンこだわって生産を続けている限り、戦い続けなければならない。

生産性、経済性を追及するあまり、この社会で、私たちは、危険な食材に囲まれての生活を余儀なくされている。しかし、失われつつありながらも、今まだ、化学調味料に頼らない、本物の美味しさは、各地に、確実に生き続けているのである。我々には、健全なる食文化を、次の世代に伝えていく義務がある。ラーメンという食文化も然り、カネの亡者が作った、化学調味料漬けのラーメンなど、恥ずかしくて、21世紀の子供たちに食べさせてはなるまい。

21世紀、ほんものの美味しさが、その価値を認められ続ける時代であることを信じたい。

赤坂「JAPAN」の酸ラー湯麺

2a7084c6.jpg本物を追求する仕事をしたい。

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「鶏白湯」開発

f011feb9.jpg新小岩の「麺処 八木屋」さんで、
新作のメニュー開発を手伝っている。
かつて、偶然、五反田と秋葉原で、
同名の店「めんめん」を営業していたという縁もあり、
最近、苦境下の私の良き相談相手である。
比内鶏を使った「鶏白湯」スープの研究に凝っており、
その成果で「八木屋」さんに恩返ししようと思っている。
今日は、茨城県袋田から「奥久慈しゃも」を取り寄せ、
丸鶏、ガラを使って試作、乳化がイマイチだったが、
偶然届いていた林家製麺の新作麺を使用、
良い感じにまとまった。
林家の圭一郎氏は、麺に対する天才的な感覚をもっており、
かつて、二人で様々なラーメンの開発を行った。
私の厳しい要求にも良く応えてくれたものだ。
二度と無いであろう二人のコラボレーションが、
今日、二杯だけ偶然に成立したというのも不思議な気がする。

江戸前喧嘩ラーメン「玄麺」

c3b43373.jpg「無化調ラーメンは、物足りない・・・」という言葉には、
長いこと悩まされていた。
化学調味料を使ったラーメンの味のインパクトが、
あまりにも強いので、
天然素材だけでは、どうしても、
おとなしい味と感じられてしまう。
完全無添加を目指す我々としては、最も難しいテーマだからこそ、
あえて、そうした声への挑戦として開発した。
味の組み立て方において、
それまでの玄流ラーメンづくりとは、まったく逆の発想からスタートした。
スープ、麺、具材・・、全体のバランスを最優先にする従来の開発では、
各要素の旨味の抑制が必要だった。
「玄麺」においては、まず、無化調ラーメンスープとして表現できる可能な限りの旨味に挑戦し、
同時に、全粒粉を使用した強烈な存在感の麺を開発した。
両者を、一つのどんぶりで拮抗させ、ギリギリのバランス創造を目指した。
丸鶏、豚肉、げん骨、魚介系だし、それぞれの旨味を最大限に引き出そうと、
素材選びと、手間の掛け方には、一切妥協せずに仕込み、
天然素材だけでも充分にインパクトのあるスープに仕上げた。
そんなスープと充分に対決できる麺作りを目指し、
あえて技術的に難しい全粒粉による風味の強い麺を開発した。
どんぶりの中での、両者の大喧嘩を狙ったはずが、
結構、良いバランスで、「名勝負」を演じてくれた。
毎日、様々な素材を試し、半年近く、スタッフ達の楽しい賄いだったが、
たまたま試食したもらったラーメン王石神氏の推薦で、
「実験メニュー」という隠れメニューが、すっかり人気のメニューに
なってしまった。
今でも、思い出すと無性に食べたくなるラーメンだ。

中華そば「多賀野」(中延)訪問

dffd555d.jpg前々から気になっていた「多賀野」さんに行きました。
無化調ということで、「玄」との共通点がありそうで、
それに、お客様からも頻繁に薦められていました。
店を経営していると、なかなか食べ歩きも出来ませんが、
今のような、プータロウならではの特権でしょう。
こうした店を体験すると、
食べ歩きをしている場合じゃない、
早く自分のお店を持ちたいと、強く感じます。
塩にするか迷いましたが、とりあえず「中華そば」。
無化調なのに・・・。
そう思ってはいけないんでしょうが、しっかり、堂々としたスープです。
旨味もしっかり出ており、スープのキレもOK。
そして、「無化調」ならではの!後味の良さ。
僕は、こういうスープ、大好きです。
魚の出汁も、前面に出過ぎずちょうどイイ感じ。
麺は、好みの問題だけど・・・、
もう少し加水率高めが合うと思うのと、
麺の茹で加減が、ちょっと固く、スープとのバランスを壊しているようです。
とはいえ、やはり素晴らしいラーメンですね。
明日、早速、我が「研究所」(!?)で、再現してみようと、
頭の中で、味のイメージを組み立てながら楽しんでいます。
「はるゆたか」の試作麺が残っているので、
それとのバランスを実験したいと考えています。

秘伝抄4;旨味の追求ではなく、素材を活かせ!

330e411a.jpgラーメンにおける旨味の追求は、
行き着くところ、「化学調味料」依存ということになってしまう。
玄流のラーメン作りにおいては、
素材を活かすことを第一と考え、
それぞれの素材から、最大限に引き出した美味しさを、
バランス良くまとめることを目的として調理を行う。
そうした意味で、衝撃的だったのが、
マクロビオテックの調理方法研究の過程で出会った、
多くのベジタリアンの方々の、
「野菜」という素材の捉え方である。
動物系の素材を一切使わないマクロビオテック対応のラーメンの開発が目的であったが、
ラーメン作りにおいては、
決して大きな役割を果たしているとは言い難い「野菜」という素材と、
本気で向き合う契機となった。
自然農法の素晴らしい野菜たちとの出会い、
それぞれの野菜にとっての最適の調理方法を知ることが出来た。
野菜ごと(産地ごと、品種ごと)に違う火加減、調理法で火入れを行い、
蒸し煮工程、出汁工程と、手間と時間をかけ、味を引き出していく。
そうした技術を「玄菜麺」というメニューに纏め上げるのは、
至難の業であったが、
そのとてつもない挑戦でも、
大きな成果を得る事が出来たことは喜びである。

「玄」の新たな活動

eaab4cf0.jpg「玄」の終焉と同時に、すべてを失いました。
ともにラーメン作りの夢を語り明かした愛すべき弟子達、
大切に育てて来たお店、
いっしょに「玄」を作り上げてきた生産者の方々・・・、
でも、玄は、決して夢を捨てません。
自ら追求してきた玄流のラーメン作りは、
間違いなく、真のラーメン屋の在り方であったと信じています。
2年間、やんちゃな組織により運営されてきた、
最後期の秋葉原「ラーメン創房玄・総本店」も、
昨年末、閉鎖されたようです。
他にもまだ、「玄」が存在しているようですが、
とりあえずの「玄」の終焉を宣言します。
引退後1年半、業界の片隅で、無名の一職人として活動しながら
研究活動を続けています。
いつの日かまた、
小さなお店の開業を夢見ながら・・・。

「玄」の終焉

a7c7d8f6.jpg約10年間、
秋葉原のはずれ「末広町」で営業して来ましたが、
4.5坪の店舗では、24時間体制でも
膨大な量の仕込み作業をこなすことが出来なくなり、
御茶ノ水寄り「昌平橋」に移転を余儀なくされます。
移転後、売上も伸び、仕事のレベルも向上して行きました。
しかし、開業当初から、悪質な組織が侵入を始め、
気づいた時には、「玄」の経営を乗っ取られてしまいました。
その結果が、
「大宮REX店」、湯島「玄や」、「稲毛ワンズモール店」などの店舗展開と
最後期「秋葉原・総本店」の醜態です。
「玄」の屋号でありながら、
コントロール不可能な店舗が増殖し、
「玄」とはまったく違った味を提供し始めてしまいました。
かつて「玄」に命をかけてきた者の責任として、
最後に、特に悪質な店舗を買い取り、閉鎖しました。
そのために、大きな負債を背負ってしまい、
結果が「玄」の崩壊でした。

「ラーメン創房玄」開業

3e7b348b.jpg「ラーメン工房めんめん」は、
開業後半年を過ぎた頃から、
当時のラーメンブームの影響もあり、
TV、雑誌で頻繁に取材される店となり
常に行列の絶えない人気店になりました。
人間、弱いもので、
少しでも売上を伸ばそうと欲が出て来ます。
仕事の質へのこだわりが薄れ、
仕込みを合理化し、
本来の道を忘れかけてしまいました。
その危険性に気づいた時、
一切のメディアの取材を拒否し、
あえて「めんめん」という屋号も捨て、
一年間、味の研究に専念しました。
もう一度ラーメン作りの原点に立ち返ろうと始めたのが、
「ラーメン創房玄」でした。
この時から頭も剃髪にし、自分自身に修行僧のよな生活を強い、
一切の妥協を排して、ラーメン「道」を追求しました。
屋号は、当時読み込んでいた中国古典「荘子」の影響で
「老子」における理想としての「玄」としました。
私の姿勢に共鳴してくれた多くの優れた弟子達が入門
「玄」から育って行きました。

「超こだわりラーメン」誕生

1be8d6ec.jpg研究成果は、膨大な量の研究ノートに、実験レシピとして残っています。
「超こだわりラーメン」の最初のレシピを書いたのは、長女の誕生日、
12年間のラーメン屋人生の中で、唯一お店を休んだ日です。
娘を含め、21世紀を担う子供たちに、本物のラーメンを残すことが、
私の使命であると、強く感じました。
それには、当時提供していたラーメンは、無化調とはいえ、
キャリーオーバーといった問題を無視して作っていた妥協の産物と思えました。
採算は度外視しても、本当に子供たちに食べてもらいたいラーメンは・・・ということで、
自分の食生活で使っていたオーガニック系の素材だけでラーメンを作ってみました。
常連のお客様に試食してもらっているうちに、
人気の隠れメニューになってしまい、
お客様たちが、勝手につけていた呼び名「超こだわりラーメン」という妙なメニュー名が
そのまま正式名称になってしまいました。
第一回の試作後、約一年の間、何度もレシピを見直し、試作を繰り返し、
後に、「玄」のNO1人気メニューになりました。
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