玄style

No Additive, Pure Natural & Tasty Ramen

2014年04月

開業準備中です。

いよいよ
本格的に、ラーメン店の開業準備を始めました。

砂町での仕事は、
給与の未払ということで
金銭的には、苦境に追い込まれましたが、
そこでの私の仕事を評価してくれた方々が
結果的には、
支援者となってくれたことを
感謝しています。

生活苦から
この20年間のラーメン研究上の
膨大な資料を廃棄しなければならず
そのことで
その20年を振り返る機会を得ました。
忙しさの中で忘れていた
研究活動の資料の中から
多くの学びがありました。

店をやめて10年、
開業の夢に向けて
少しずつ買い集めてきた
調理道具、器、設備などを
久々に、倉庫から持ち出しましたが
10年ぶりに再会した
道具、業務ノート、経理資料、研究ノート・・・
に感動しつつ
挑戦すべき時が来たことを確信しています。

佐野先輩との思い出

テレビの画面の中の
「ラーメンの鬼」的佐野先輩とは違った
大変、勉強家であった佐野さんの印象を示すエピソード・・・

週刊誌の取材で
池波正太郎氏が生きていたら・・・
という仮定の上で
私の剃髪と、先輩の頭髪スタイルを比較した記事が原因になり
佐野さんが、私に喧嘩を仕掛けてきたことがありました。
当時、ラーメン博物館の武内氏が
その状況を心配して
私と佐野先輩との会合を設定してくれました。
事情を説明し
佐野さんとは仲直り、じっくりお話する時間を頂きました。

ラーメン関係者も参加して
当然、全国のラーメン屋の情報交換になりました。
著名なラーメン食べ歩きの方々が同席していましたが
その中でも、佐野さんの情報量は圧倒的で
全国、津々浦々、食べ歩いていたことがわかりました。

その場で
佐野先輩から教えて頂き驚いたことですが・・・

私たちが創業した当時
ラーメンブームの直前で
まだ、ラーメンに関する書物が少なかったことを記憶していますが、
唯一、原寸大のラーメン画像で編集された大ぶりのラーメン本があり
我々の貴重な情報源でした。
その最終ページに、
佐野さんの名前が、表記されているということ教えられました。

つまり、
その本に、資金を投入し
全国の有名ラーメン店の取材に参加し
各店舗を厨房内から取材し続けることで
そのラーメン作りの秘密を勉強していたということでした。
家に戻り、
ボロボロになった原寸大ラーメン本を探し出し
「佐野実」の文字を見つけた時の感動!
先輩、凄いな!!
でした。

佐野さん、周さん、
スタイルは違っても
「食」に対する姿勢、素晴らしいものがあったと思います。
私自身は、
この10年、資金も無く
プロデュース・・・、店舗立て直し・・・などと
不本意な仕事ばかりが続きましたが、
いよいよ、
もう一度、「玄」を仕掛ける時が来たようです。
先輩たちの
「食」への思いを継承しつつ
玄STYLEを追求して行きたいと思います。

周さんのご冥福も、お祈りします。

周さんとは、
TVの企画でご一緒させて頂いただけですが
大変、素晴らしい時を過ごしたことを覚えています。
周さんが、私に弟子入りする・・・
という、恐るべき企画でしたが
大変、楽しい時間でした。
無化調ラーメンは昆布の使い方が決めて・・・
などと宣った私のせいで
周さんが、北海道まで行き
自ら、寒い時期、昆布採りをするという流れでした。
もちろん、
ラーメンづくりを指導しながらも
カメラの無いところで
私の方が、いろいろ勉強させて頂きました。
まだ幼かった私の娘を
待ち時間中、抱っこしてくれていた姿が印象的でした。
周富徳氏の
ご冥福をお祈り致します。

佐野さん、ご冥福をお祈りします。

20年前、
秋葉原で「めんめん」を開業して間もない頃
突然、お客様として出現した佐野さん・・・。
長い行列に並んで頂き、カウンター席8番へ。
長いラーメン作りの日々の中で
一番緊張した瞬間でした。

素材にこだわったラーメン作り・・・という
当時、私が追求し始めていたスタイルにおいては
「一二三」の匠さん、佐野さんの二人が
目指すべき先輩でした。

その後、じっくりお話をする時間を頂いたこともあり、
様々な情報、アドバイスを頂きました。
氏の全国のラーメン屋の食べ歩きの話を聞かせて頂いたこと、
「ムラセ」など、食材の仕入先を紹介していただいたことは、
その後の私が、
素晴らしい生産者の方々との出会いを求めて日本全国を歩き回り
そのネットワークを背景にラーメンを構築するスタイルを目指していったことの
大きなきっかけでした。
「TVカメラ」のない場面での氏は
一般に知られている「ラーメンの鬼」というよりも
実に、素敵な「アニキ」でした。

ラーメン屋を志す以前
湘南を根城にしていた私にとって、
藤沢の店の厨房に立つ氏の姿は素敵でした。
その姿が、
ラーメン職人の理想の姿として
その後の、私にとって
大きな影響を与えていたことに
改めて気がつきました。

佐野さんと大喧嘩をしたこともありましたが
ラーメン博物館の方々の調整で、和解。
でも、私の方が、店を失い、情けない日々が続き
姿をお見かけしても(いつも酒を飲んでいる姿でした。)
声をかけられないまま
二度とお話出来なくなってしまったことが悔やまれます。

スタイルは、かなり違いますが
私も、恥ずかしながら
ある意味、「ラーメンの鬼」になったようです。
今は、ラーメン屋の下っ端として
改めて修行を始めた、一アルバイトの身ですが、
開業の夢は捨てていません。
佐野先輩直伝の
ラーメン職人としての生き様を
追求して行きたいと考えています。

佐野さん、
ご冥福をお祈り申し上げます。

玄style第二章

私の仕事を支援してくれる人々が
この、どん底の状況で
集まり始めています。
流石に、もうダメかと、
諦めかけていた時だったので
感激です。

再び、
自分が追求して来た
ラーメンづくりのStyleを
妥協なく表現するための場を
確保するため
毎日、
店舗物件を探し歩いています。

最悪の状態で撤退した
多くのラーメン屋居抜き物件を
毎日、内見し続けていますが、
多くのラーメン屋たちの夢のあと…
同じ立場の者として
その苦しみが伝わって来るからこそ、

いい仕事をしたいと
心から思います。

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