錦織圭、今や彼は世界ランキング第5位
世界一のテニスプレイヤーになる日がもう目の前に迫ってきている。
いかにして錦織圭が生まれたのか?
お父さん、お母さんがプロのテニスプレイヤーだったのか?
いやいや、二人とも普通の人でした。
お父さんは、ダムや林道を作る土木技術者でお母さんは、普通の専業主婦。
じゃあ、小さい頃からテニスの英才教育をしてきたのか?
それも違う。
たまたま、両親と姉が趣味でテニスをやっていた程度で
彼も両親と一緒に小学生の頃からついでに
島根県松江市のテニスクラブに通っていただけ。
その頃のコーチをしていた柏木さんは
当時を振り返ってこう言う。
『小学生の錦織くんは、いつもお母さんの影に隠れるほどのシャイな子供でした。』
その彼が今や世界中で外人相手に堂々と英語でインタビューに答えている。
サラブレッドでもない彼が
いかにして今の地位を築いたのか?
日本最強テニスプレイヤー錦織圭を生み出したその「成功法則」とは何か?
それは、『環境を変える』ことだ。
小学生の頃からテニスの頭角を現した錦織くんは、
野茂投手のトルネード投法をマネしたり
イチロー選手の振り子打法をマネしたりして
型にハマらない練習法で頭角を現してきた。
島根県松江市という街では強豪がいないので
すぐに代表に選ばれて全国大会に出場。
その全国小学生テニス選手権大会で優勝した。
その彼のプレーを見てスカウトが来た。
松岡修造である。
すぐに修造クラブチーム強化合宿に入った小学生の錦織圭くんは松岡修造に育てられ更に磨きがかかった。
次に出会った人生の恩人がソニー創業者、盛田昭夫の弟の盛田正明氏。
盛田氏は、当時、日本テニス協会名誉会長であり、個人的にも莫大な私財を投じて盛田テニスファンドなるものを作っていた。
世界に通用するテニスプレーヤーを育てるためのファンドである。
盛田氏は、錦織圭くんを全面バックアップするため
IMGアカデミーというテニスのフロリダ留学に誘った。
中学二年生のときである。
まだ、13歳の子供のとき。
小学校を終えたばかりの幼い子供をフロリダに送り出す親の気持ちはどんなであったろう。
米国に行ったからといって必ずプロになって成功する保証はない。
しかも日本にはテニスだけで飯を食えるようなプロはほとんどいなかった。
まだ義務教育が終わっていない段階で
息子に人生の大きなリスクを背負わせ、
海外に行かせることに両親は悩みに悩んだ。
決断の時が来た。
お父さんは息子に涙ながらにこう言った。
「目の前にあるチャンスを自分で掴んで来い」
こうして13歳からテニス留学でフロリダへ渡った。
IMGアカデミーでは、朝の5時半から夕方の6時まで
授業時間数時間を除いて、テニス漬けの毎日が続いた。
同部屋の喜多くんは、つらくてつらく早く家に帰りたいと泣いていたそうだ。
16歳の頃、専属のコーチを付けて徹底的に育てるべきだとIMGから助言が来た。
そのためには年間1000万円の費用がかかる。
盛田氏は、0.2秒の返事でOKした。
こんな時のために作ったファンドである。
この時、盛田氏は、こうつぶやいた。
「ついに世界を狙える子が出てきた」
17歳でプロになった。
2013年に、さらに偉大な師匠と出会う。
マイケルチャン氏。当時世界ランキング2位。
この人にコーチになってもらいたくてコネクションを探しまくっていた。
お母さんの登場である。
やはり母の力は偉大だ。
試合会場でチャンのお母さんに錦織圭のお母さんが話しかけて
友達になって連絡先を交換した。
お母さんがお母さんをナンパしたのだ。
そのご縁が発展して、マイケルチャン氏が
錦織圭のコーチに就任してくれた。
現在、世界ランキング5位。
日々日々、記録を更新している。
バルセロナオープンでは2年連続で優勝。
マドリッドオープンでは、ベスト4の活躍。
島根で生まれたテニス少年が世界一に輝く日が、もうそこまで来ている。
日本最強のテニスプレーヤー錦織圭を生み出した成功法則
それは、「環境を変えること」だ。
小学生でテニスクラブに通い
中学生でフロリダへテニス留学
アメリカの文化に触れ、
はにかみ屋の少年がいまでは
堂々と英語で会見に臨んでいる。
環境を変えたことにより
次々と偉大な人との出会い
さらに器を大きくしていく。
小さな世界にひきこもることなく
チャンスがあれば、新世界に
飛び込む勇気が大事である。
見えない世界に飛び込むのは誰でも怖い。
不安だし躊躇して当たりまえ。
今のまま居心地のいい空間にいる方が安全。
こたつに入ってみかんを
食べてるほうが幸せかもしれない。
しかし、これからの自分の人生を
本当に輝かせたいと思うなら環境を変えて
何か新しく動き出さなければならない。
すべての方々に感謝します。(不定期掲載・その106に続く)
御来店ありがとうございます。

