研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2010年09月

ナットアイランド症候群:自律的な組織を失敗に導く組織病

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー20102月号に、「ナットアイランド症候群」の紹介記事[文献1]が掲載されています。このブログのノート10では、研究組織運営において自律性を重視することが望ましいとする考え方をご紹介しましたが、この記事では自律的なチームがうまく機能しなくなる事例が述べられており、研究開発マネジメントを考える上でも示唆に富むと思われますので、その内容をまとめておきたいと思います。なお、この記事は抄録ですので、ご興味のある方は元の邦訳[文献2]、原論文[文献3]もご参照ください。

 

ナットアイランド症候群とは

ナットアイランドというのはアメリカ、マサチューセッツ州ボストン郊外の地名で、そこにあった下水処理場がこの事例の舞台です。1960年代後半に稼働したその処理場を操業していた約80人のチームは、給与水準も比較的低く、「いわゆる『3K職場』(きつい、汚い、危険)にもかかわらず、みな愚痴一つこぼすことなく仕事に精を出し、残業手当がなくとも何千時間という労働を提供し、部品を買うために自腹さえ切るほどだった。現場監督などまったく不要で、自分たちで人員配置を計画したり、クロス・トレーニングを実施したり、また業務上のトラブルや予算枠にも機転を利かせたりと、まさしく究極のチームだった。もちろん団結は固く、自分たちのミッションに誇りを感じていた。」という状態だったそうです。しかし、1982年に37億ガロンもの未処理下水を半年間にもわたって通常業務中に海に放出、しかもその未処理下水には大量の塩素が投入される、という失敗をしてしまいます。

 

著者のLevyは、なぜこれほど優れたチームがこのような過失を犯したのか、なぜその過ちに気付かなかったのかについて分析しています。そして、このような事例は様々な組織で存在するうえ、そこには特徴的な組織力学、組織病とも言える症状が存在するとして「ナットアイランド症候群」と名付けました。Levyは、このような事例には「献身的で結束の高いチーム」と「責任感に乏しいマネジャー」が登場し、概ね以下の5段階の過程で事態が悪化していくとしていますので、以下でその過程を詳しく見てみたいと思います。

 

ナットアイランド症候群の5段階(ここに示した説明は原著の5段階の説明のままではありません。各段階の内容は基本的には原著の記述に基づいていますが、それぞれの段階の関連性がわかりやすくなるように整理しています。)

第1段階:シニア・マネジャー(チームに指示を与える立場のマネジャー)は、目に見えやすい問題を解決することに頭がいっぱいで、目立たないが必要な任務をチームに任せる。チームは、外部の目には映らないところで、その任務を遂行し、権限を与えられたチームは自己流ながら組織編成や管理の方法を身につけ、プライドと自意識が高まっていく。

第2段階:シニア・マネジャーはチームの自主性に安心しきっている。チームが助けを求めたり、指示を仰いだり、緊急事態を報告したりしても親身の対応をせず、それがチームに憤りを覚えさせる。その結果、チームは組織から孤立し、あぶれていると思うようになる。

第3段階:チームはシニア・マネジャーの存在を疎ましく思うようになり、組織的なバックアップが必要な場合でもあえて頼ることをしなくなる。問題の軽視や否定も行なわれるようになる。

第4段階:チームは仕事のやり方や方針についてほとんど干渉されなくなり、チームは独自の身勝手なルールで行動し始め、それがあるべきルールだと思うようになる。

第5段階:チームは、自分たちの仕事を本当にわかっているのは自分たちだけだと思いこみ、善意の第三者による問題の指摘すら受け入れないようになる。さらに、自分たちの望まないデータを否定あるいは無視し、自分たちのやり方で問題がかえって悪化したり、深刻な問題が発生したりしていることを認識できなくなる場合もある。一方シニア・マネジャーはこの段階に至っても、従来の態度を変えず(変える必要も感じず)、チーム、マネジャーともに現実から乖離していく。

 

そうして、どこかで破滅的な事態を引き起こす準備が整えられてしまうというわけです。しかし、マネジャーはそうした事態に気付かない(情報交流が遮断されていますから)上に、チームの方は現状のやりかたでよいと思っています。そして、問題点を修正するフィードバックがかからなくなっている状態のまま、どこかで破滅的な事態が起こってはじめてこのような組織上の問題が明らかになる、ということになります。

 

まさに、研究開発組織でもこのような事態は起こりうるのではないでしょうか。上記の説明を補足する意味で、上記の各段階においてナットアイランドでは具体的にどのようなことが起こったのか、そういう事態は一般の企業や研究開発組織でも起こりうるかを考えてみます。

 

第1段階:1960年代、ナットアイランド下水処理場を管理していた都市部委員会(MDC)は議員の後援者たちの天下り先となっていたそうです。したがって、MDCメンバーは議員に受けのよい事業に積極的に対応し、下水道システムのメンテナンスのようなことにお金を使うことには消極的で、実際MDCの理事がナットアイランドを訪れることはめったになかったとのことです。要するに、シニア・マネジャーは「操業はうまくやっておいてくれ」ということで、地道な現場の業務に無関心になり、これに対して操業現場では権限を与えられたメンバーの意識が高いほど自分たちでなんとかしようとするようになったのだと思われます。このような状況は、企業活動の場面でも十分にありうる状況ではないでしょうか。マネジャーの関心は、企業の将来を担うと期待されるような、あわよくば世間的な注目も集めるようなプロジェクトに向かいがちになるでしょう。その結果、必要ではあるが注目を浴びにくい業務には関心が薄くなる場合もあると思います。さらに研究開発部門の場合、業務の専門性が高いためマネジャーが業務内容について十分に理解することが難しく、結果として「任せるからよきにはからえ」ということにもなるかもしれません。

 

第2段階:ナットアイランドではシニア・マネジャーのこうした対応がつづき、メンテナンス機器充実の必要性を操業側が何度も訴えたにもかかわらず、予算はおりなかったそうです。これによりチームが憤慨したであろうことは想像に難くありません。企業活動においても、注目も評価もされず、必要な資源も制限されるとなれば、憤りやいじけ、あぶれているという感情が起こるのは自然なことでしょう。

 

第3段階:1976年、ナットアイランドでは設備メンテナンスの不足により、下水を処理場に送る全てのポンプが停止し、4日間水処理が行なえなくなる事態が発生します。職員たちは、この事故はシニア・マネジャーが現場の声を聞いていれば避けられた事故とみなし、マネジャーを避けるようになったといいます。上層部に対する働きかけは無駄であると考えたということでしょう。普通であれば、組織への忠誠心が低下し、士気、意欲が下がるわけですが、ナットアイランドでは「共通の敵」を相手に一致団結してしまいます。その結果、上層部に訴えるのではなく、下院議員を動かして資金を獲得しようとしたり、様々な工夫をこらして設備寿命を過ぎた老朽設備の延命を図ったりするようになります。設備投資資金が得られないための苦肉の策でしょう。おそらく、こうしたことは、この操業チームが自律的で優秀なチームであったがために起こったことと考えられます。自律的でなく能力も劣るチームであればこの時点で崩壊してしまい、より致命的なトラブルには至らなかったかもしれません。そう考えると、自律的な組織が創造的な成果を生む、ということはここでも実証されているとも考えられます(この場合は、間違った方向の創造性でしたが)。研究開発において、研究者が自分たちのマネジャーを頼ることができない、と思ってしまった場合はどうなるでしょうか。研究者は、組織への忠誠心が失われてしまったとしても、仕事そのものに対する意欲は持ち続けることができる可能性があります。これは、自分の専門分野への純粋な興味とともに、研究の必要性について自分はマネジャーよりもよく理解している、というプライドによってモチベーションを維持できる場合があるからです。また、学会などの社外ネットワークを持つ場合には、社内組織との関係を無視しても社外で評価されることにより意欲を維持できるかもしれません。いずれにしても第一線研究者が上層部から孤立することは研究組織においても十分にありうることのように思われます。部下が、あまり報告にも来ずに、なんでも自分で解決しているように見える兆候があったら、その上司はあまり頼りにされていないのかもしれません。

 

第4段階:ナットアイランドでは、劣化したポンプをむりやり動かすために大量の潤滑油を注入する(その潤滑油は海に出ていくことになります)、処理量を超える流入下水はそのまま海に放流する、処理場を通過しても設備の能力不足で十分に浄化されていない水については大量の塩素を注入する(塩素により病原体の一部を除去することは期待できるが、海の生態系に悪影響を及ぼす副作用までは眼中にない)などの、身勝手なルールを作り、それに従うことが正しいと思い込んでしまいます。一般企業においては、従業員が面従腹背の態度で(あるいは、上司からの指示がないのをいいことに)、自分のやり方に固執する場合がこの段階と言えるでしょう。

 

第5段階:ナットアイランドでは、気に入らない分析データは無視するようになっていたようです(環境基準を外れる測定データは異常値として処理される、など)。また、この下水処理場が閉鎖される1年前の1996年に操業の状況をチェックした環境コンサルタントには敵意を持って接し、彼の忠告には耳を貸さなかったといいます。シニア・マネジャーは問題に気付かず、簡単にだまされてしまったわけです。これにはマネジャーがチームの実態に目を向けなかったことに加えて、マネジャーは多くの解決しなければならない課題を抱えていたことも影響しているようで、マネジャー自身、操業はうまくいっていると信じたかった面もあるかもしれません。これは、誰しも自分に好都合な情報は信じやすく、自分に不都合な情報は受け入れにくい、という人間の思考の傾向とも関係しているでしょう。企業の研究部門の場合、このチームよりは科学的知識があるでしょうから、科学的思考を重視する姿勢、モラルの基盤があれば、このような事態にまで至ることはないように思いますが、その基盤が揺らいでいたり、あるいはモラルが低下している場合には、このような事態に陥る可能性もあるのではないでしょうか。外部からの干渉や問題の指摘に対して、敵意をもって接する兆候があったとすれば、その組織はこの段階に至っているのかもしれません。

 

以上の症状から導かれる最も重要な教訓としては、あるチームの能力が高く、その組織が自律的にうまく回っているように見えるからといって、問題がないと判断してはいけないということが挙げられると思います。このような事態をひきおこしてしまう因子として、Levyは、「献身的で結束の高いチーム」と「責任感に乏しいマネジャー」が登場する、と述べていますが、私はそれに加えてチームの仕事が世間から注目されにくい仕事であることも重要な因子だと思います。もし、この仕事が世間からもっと注目されていれば、マネジャーももっと関与したでしょうし、世間の監視や世間との情報交流があれば身勝手なルールを作ったりすることもなかったかもしれません。チームの孤立も防げたでしょう。さらに人的要因として、チームに正しい科学的な判断を下せるメンバーがいればこのような事態にはならなかったようにも思います。ただし、このようなチームにあっては、そういうメンバーには居場所がなく、追い出されてしまったかもしれませんが。

 

Levyはナットアイランド症候群の予防方法について、以下のようにコメントしています。

・治療より予防を重視すべき:ナットアイランドでは最後の10年間、多額の資金を投入して構造改革、経営改革の努力をしたがこの症状は完治しなかった。おそらく治療を目指すより、最初からそうならないように予防する方がはるかに楽である。

・チームの仕事と全社の目標が結び付いた時、これに報いるような業績評価基準を定めることが重要:ナットアイランドでは、本来の目的(処理量の最大化、肥料化できる汚泥の生産)などよりも、実際の作業(沈殿槽の砂の除去、ポンプの故障防止、メンテナンスなど)に報いる報奨体系がつくりあげられてしまっていた。

・シニア・マネジャーは、マネジャーとしての自覚を持つ:現場との接触を増やし、チームが組織上重要であり、きちんと話が聞いてもらえるという実感をチームに与える。

・チームメンバーの他部門との交流推進:他部門や他企業の視点や業務慣行に接することで大局的な判断ができるようになる。

・チーム間の人材交流:悪習慣の制度化を防止するため、定常的なローテーションなどの交流を行なう。

 

以上述べたような症状を知ると、自らの組織においても心当たりがあるように思えてこないでしょうか。自律的であり優秀である組織が、自分たちはまじめに精力的に仕事に取り組んでいると思っているにもかかわらずこのような崩壊を起こす場合があるということは衝撃的でもあり、その原因としてマネジメントの関与不足が大きな要因になっているということは、研究マネジメントを考える上で極めて示唆に富んでいるのではないでしょうか。ただし、マネジメントの関与が重要であるとしても、過剰な関与は自律性を阻害し、創造的な環境づくりの上でマイナスになるでしょうし、安易なローテーションは専門性の育成を妨げるとも思われます。したがって、この事例だけから直ちに最適なマネジメントの方法についての指針が得られるとは思いませんが、組織においてこのような現象が現れることがあることには十分に注意し、その予防をするとともに、予兆が見られるならば早めに対策をとる努力をすることが重要と考えます。

 

 

文献1Levy, P.F、(ポール・F・レビー)、「模範的チームはなぜ失敗したか」、Diamond Harvard Business Review, Feb.2010, p.154, (2010).
文献2Levy, P.F、(ポール・F・レビー)、飯岡美紀訳、「模範的チームはなぜ失敗したか、『ナットアイランド症候群』の悲劇」、Diamond Harvard Business Review, Dec.2006, p.110, (2006).
文献3Levy, P.F, “The Nut Island Effect, When Good Teams Go Wrong,”, Harvard Business Review, Mar.2001, p.51, (2001).

 

 

(参考)web上でみつけた関連記事です。

Wikipedia “Nut Island Effect”. http://en.wikipedia.org/wiki/Nut_Island_effect

・慈恵医大助教授、浦島充佳先生によるリスクマネジメントに関する記事「崩壊するプロ組織」:ナットアイランド症候群の他、ダナ・ファーバー癌研究所抗がん剤過剰投与事故、東海村臨界事故のケースが紹介されています。http://dr-urashima.jp/pdf/r-4.pdf

Michael Harrisによる紹介記事”The Nut Island Effect”health service review May 2010, p.5):研究者のマネジメント事例、報道機関のIT技術者の成果分析を行なう会計士の事例が紹介されています。

http://www2.accaglobal.com/pubs/members/publications/sector_magazines/health_service_review/archive/2010/79/island_effect.pdf

「ビジョナリーカンパニー3 衰退の五段階」:批判には応えたか?

ベストセラーになったビジョナリーカンパニーシリーズ[文献12]Rosenzweigによる批判本[文献3](単なる批判を目的とした本ではないですが)をここのブログで取り上げた後、ビジョナリーカンパニーシリーズの続編が出版されたことを知りましたので、以下の本を読んでみました。

 

Collins, J., 2009、ジェームズ・C・コリンズ著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー③衰退の五段階」、日経BP社、2010. [文献4]

 

原著の題名は、「How the mighty fall: and why some companies never give in」です。なお、このシリーズのどの本[文献124]の原著の表題にも「ビジョナリーカンパニー」という言葉は含まれていません。とは言っても、著者も「『ビジョナリー・カンパニー』と『ビジョナリー・カンパニー2飛躍の法則』で調査したかつての偉大な企業のいくつかが衰退したのはなぜなのかを知りたくなった」[文献4p.8]と述べているとおり、前2作の続編であることは明らかです。

 

さて、内容以前に興味があったのが、Rosenzweigの指摘にどう応えたか、でした。RosenzweigCollinsの調査手法を問題にし、企業の成功要因を科学的に結論づけることは不可能としています(ストーリーとしての意味はある、としていますが)。これに対し、この本ではRosenzweigの批判について明示的には記述していないものの、調査方法について第1章と第2章で述べ、以下のようにRosenzweigへの反論と受け取れる考え方を示しています。

・偉大だった企業が没落しても以前の研究の結果は無効にならない:ビジョナリー・カンパニー2では、良好な企業から偉大な業績に飛躍した企業について成功の原則を導いているが、その後偉大さを維持するかどうかは予測しようとしていない[文献4p.22]

・われわれの研究の要点はどの企業が現在、偉大なのか、あるいはどの企業が将来、偉大になるか、偉大な状態を維持するのか、偉大な状態から転落するのかをあきらかにすることではない。われわれの研究は過去のある時期を対象としており、偉大な企業の構築(あるいは偉大だった企業の没落)と相関する基礎的な要因を理解することが目的である[文献4p.38]

・「成功企業と衰退企業の違いを調査して学べる点は何か」こそが決定的な問いである[文献4p.39]

・われわれが調査で見つけだす要因は、実績のパターンと相関しているものではあるが、確かに原因結果の関係であるとは主張できない。比較対照法を使うことで、成功企業だけ、あるいは衰退企業だけを対象にした場合より、調査結果に強い自信がもてる[文献4p.40]

・資料は財務報告書、年次報告書、主要な記事、書籍、事例研究、アナリストレポートなどであるが、結果がどうなるかが分かる前の時点に書かれた資料に基づいているので、結果を知っていることによるバイアスが避けられる(事後に書かれた論評や当時を振り返るインタビューだけに頼った場合、間違った結論に達する可能性が高い)[文献4p.42-43]

 

要するに、今までの調査手法は基本的に踏襲するが、Rosenzweigの指摘するハロー効果にまみれバイアスのかかる可能性がある事後のインタビューなどは用いないように注意し、結論についても因果関係は主張するつもりはなく、相関が認められる基礎的な要因を理解し、学べる材料を探すだけだとしています。受け取り方によっては「開き直り」ともとれる記述だとも思いますが、この本では、自らの主張のスタンスとして、企業の成功や飛躍、没落の秘密を解き明かしたなどと主張するつもりはない、と宣言しているのだと思います。上記の反論が、いちいちRosenzweigの批判した項目に合っているように思われる点(ハロー効果という言葉は使っていませんが)、Collinsなりの批判への反論だと受け取りました。

 

このように、ある批判を受けた後、その批判に対する自らの考え方を説明し、自らの主張の正当性やその有効範囲を明確にしようとすることは科学的な議論においてはよくあることなので、技術者から見ると非常に納得しやすい態度です。自説に弱点があるなら、そこを補うデータや説明を加えたり、もし批判の内容に納得するのならそれを受け入れて自説を修正したりすることは(もちろん、修正する必要がないにこしたことはありませんが)誤った態度とは思われません。論旨の根拠が少ない場合や主観的なデータに基づいた推論が議論される場合には、こうした批判と反論が水掛け論になってしまいやすいのですが、多少なりとも実証的な方向の議論を行なおうとしていること自体、議論をつうじた科学的な進歩を目指そうとする意思が感じられ、経営学の分野でもそうした進歩が期待できるという意味で重要なことと思われます。私には、Collinsの主張はデータに基づいた議論を重視したいという真摯な態度が現れているのではないかと思われ(不十分だとは思いますが)、好感が持てました。

 

批判に応えようとするCollinsの態度はよいとして、その内容については、残念ながらRosenzweigを納得させることのできるレベルには達していないように思われます。しかし、そもそもこうした分野できちんとコントロールされたデータを集めること自体が困難であることを考えれば、そのデータからできるだけの意味を読み取ろうとするCollinsの手法にも共感できるものはあります。多少の勇み足や、当たり前なことの追認でしかないという意見もあるかもしれませんが、得られた推論の信憑性と適用限界をきちんとわきまえておけば、あとはその推論をどう使うかは読み手の問題となるでしょう。その意味で、前著と同様、ストーリーとしての意義は大きいのではないかと思われます。

 

以上、前置きが長くなってしまいましたが、偉大だった企業が衰退していく過程としてCollinsが調査事例から見出したとされる結論をまとめておきましょう。彼の分析によると、偉大な企業の衰退は次の5つの段階を経て進むとされます(一部の段階は重複して進行したり、ある段階を飛ばして進行したりすることもあるそうですが)[文献4p.47-51]

第1段階、成功から生まれる傲慢:成功により現実の厳しさから隔離され、真の成功要因を見失い、成功を当然視する。成功した理由が通用しなくなる条件を理解しなくなったり、運が良かっただけで成功したという可能性を認識せず、自分たちの長所と能力を過大評価する傲慢に陥る。

第2段階、規律なき拡大路線:当初に偉大さをもたらしてきた規律ある創造性から逸脱し、偉大な実績をあげられない分野に規律なき形で進出するか、卓越性を維持しながら達成できる以上のペースでの成長を目指す。

第3段階、リスクと問題の否認:内部では警戒信号が積み重なってくるが、外見的には業績が十分に力強いため、悪いデータを小さく見せ、良いデータを強調し、曖昧なデータを良く解釈する、ということが起きる。

第4段階、一発逆転策の追求:問題点と失敗が表面化し、衰退が明らかとなり、一発逆転狙いの救済策にすがろうとする。カリスマ的指導者、大胆だが実績のない戦略、抜本的な改革、大ヒット狙いの新製品、ゲームを変える買収などに頼る。しかし、こうした策による効果は一旦業績を好転させても長続きしない。

第5段階、屈服と凡庸な企業への転落か消滅:後退を繰り返し、巨費を投じた再建策が失敗に終わったことで、財務力が衰え、士気が低下し衰退、消滅、身売りなどに至る。

 

このようなプロセスについては、特に目新しいものではないとの指摘もありうると思います。衰退している企業ではごく一般的にみられる傾向だというのは多くの人の認めるところでしょう(Millerによる衰退企業の症状をコア・リジディティと関連してすでにご紹介しました)。衰退期にある多くの企業における問題として、上記の5項目が特に重要である、とする根拠も不足しているように思いますが、結局のところ、企業運営において陥ってはいけない多くの問題のうち、特に注意を払わなければいけない症状として上記の点を認識すべきである、ということでしょう。個人的には、以下の点が他の著書ではあまり述べられていない重要なポイントだと思いました。

・衰退は、成功し高業績を挙げている時から、成功していること自体を原因として始まる。

・苦境を脱出しようとする一発逆転策はほぼ失敗する。

・第4段階までなら回復の可能性がある。

 

Rosenzweigの指摘のとおり、この本も学術的には不十分な記載は多いと思います。しかし、実務的な立場から見ると、単なる思想を語った意見よりは裏付けがあるかもしれず、主張には重要な指摘が含まれていると思いました。前著どおり、内容は信じすぎず、参考になるところを役立てていけばよいのではないかと思います。参考になる本だったとは言えるでしょう。Collinsの主張が正しいかどうかは、彼の指摘を参考に企業運営をしてみた結果に基づいて後世が検証してくれるはずです。

 

 

文献1Collins, J.C., Porras, J.I., 1994、ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー」、日経BP出版センター、1995.

文献2Collins, J., 2001、ジェームズ・C・コリンズ著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」、日経BP社、2001.

文献3Rosenzweig, P., 2007、フィル・ローゼンツワイグ著、桃井緑美子訳、「なぜビジネス書は間違うのか」、日経BP社、2008.

文献4Collins, J., 2009、ジェームズ・C・コリンズ著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー③衰退の五段階」、日経BP社、2010.

 

ビジョナリー・カンパニー3 衰退の五段階

 

研究者と金銭的報奨

仕事で何らかの成果を挙げることができた場合、その成果が正当に評価され、見返りに何らかの報奨が与えられるべきだ、というのは多くの人が認めるところでしょう。成果に対して報奨が貰えて困る人はいないでしょうし、もし報奨を受け取りたくないならば返すなり、仲間で使ってしまうなりなんとかできます。

 

このような報奨を制度化して、「もし○○○の成果が得られれば、□□□の報奨を与える」ということが約束されれば、それがインセンティブとなってモチベーションが上がるだろう、ということは一般的には言えると思います。「成果主義」というのは大雑把にはこうした原理に基づくものでしょうから誤りではないはずなのですが、最近は成果主義に否定的な意見もよく耳にしますし、少なくとも単純な「成果主義」のやりかたでは利点よりも欠点の方が多いように私も思います。おそらく、難しい点は成果を正しく評価すること(負の成果、すなわち失敗も含めて)、および評価された成果に対してどの程度の報奨(負の報奨、すなわち罰も含めて)を与えれば組織全体として効果が最も大きくなるかを予測して報奨を決めるところではないでしょうか。そのシステムがうまくできていないと、「成果を挙げたのに評価してもらえない」「評価はされてもそれに見合った報奨がもらえない」「たいした成果でもないのに高い評価、報奨を受けている人がいる」などの不満が出てきたり、成果が出やすく評価されやすい課題を選んで実行しようとし、本当に必要な仕事、チャレンジングな仕事が敬遠されたり、ということが起きてしまうのだと思います。

 

特に、研究開発の場面では、こうした難しさは一層顕著になると思われます。成果を評価して、それに基づいた報奨として翌年の給与を決めようとしても、取り組む課題の不確実性のために研究の中途段階での成果判断が正しいという保証はありませんし、そもそも成果が出るまでに時間を要する課題もあるのでなかなか好ましい報奨システムをつくりあげることはできないのではないでしょうか。加えて、研究者は金銭的報奨のような外発的動機づけよりも、自己決定や自らの有能さの確認といった内発的動機づけの方を重要視する、という意見がありますし(「ノート7」参照)、外的報奨が内発的動機づけを低下させる(「研究の管理と評価再考」参照)、課題が簡単すぎてもモチベーションが上がらないとする達成動機理論(「ノート7」参照)、といったややこしい指摘もあります。

 

こうした問題に対処するため、自分が納得した目標を設定し、目標に対する達成度で成果を評価しようとする考え方もありますが、この方法でも非常に頻繁に目標の見直しを行なわない限り不確実性に対応することは不可能でしょう。また、目標の設定に恣意性があるので挑戦的な目標設定が行われにくくなる可能性もあると思われ、こうした方法も研究開発分野を対象とした評価、管理システムとしては問題があると考えます。

 

では、金銭的な報奨が不要なのか、というとそれもまた違うでしょう。おそらく、研究者にとって、金銭的報奨はHerzbergの言う「衛生要因」すなわち、それを改善しても不満がなくなるだけで、動機づけにはならない要因(「ノート7」参照)としての作用が強いのではないかと思います。つまり、研究者に不満を与えることのないような金銭的報奨授与システムは必要であるが、モチベーションを上げる効果は期待してはいけない、ということになるのではないでしょうか。

 

そうすると、必要とされる報奨システムとはどのようなものになるのでしょうか。以下は私案になりますが、成果の程度によってどのような報奨が与えられるべきかについて考えてみました。

 

まず、報奨は成果にどの程度依存したものとすべきでしょうか。これについてはDavilaによる興味深い調査結果がありますのでご紹介しておきます[文献1p.286]Davilaは医療機器メーカーの製品開発部門のマネージャーを対象に給与に占める変動給(業績給)の割合と得られた業績の印象との関係を調べ、変動給の割合が多すぎても少なすぎても業績は低下し、変動給の割合には最適値があるとしています(彼の調査では、15%程度が最適になっていますが、この値は業界やプロジェクトの種類、人のタイプなどによって変わるので、この値そのものは重要でないと述べています)。特に変動給の割合が大きすぎる場合に業績の低下が大きく、彼は「適度なインセンティブはプラスに働くが、過剰になると業績の低下を招く」と結論づけています。

 

業績給の割合が高いということは、収入が業績に影響される度合いが大きい、ということになりますので、インセンティブの大きさとほぼ同じと考えられると思います。このようにインセンティブが大きい場合には、おそらく業績が挙がっている場合には問題はないのでしょうが、業績が低かった場合には給与が減ってしまうことになるためモチベーションを下げる可能性があると考えられます。おそらく不確実性の高い研究への意欲も低下してしまうでしょう。しかし逆に、研究が成功した場合の報奨はもっと高くあるべきとの考えも無視できないと思われます。近年話題になることが多い、発明の成果に対して高額の報奨金を求める裁判などもそうした考え方の現れと見ることができるでしょう。そうすると、研究が大きな成果を挙げた場合には報奨は大きく、しかし、リスクをとりやすくするために成果が挙がらなかった場合の報奨減額の程度は小さくするというシステムがよいのではないかと思われます。

 

もちろん、このような制度としたところで、成果の評価方法に関する問題は残ります。そこで、いっそ、成果の細かな評価はあきらめてしまえばよいのではないでしょうか。つまり、小さな成果についてはその細かな優劣を評価することはやめにして、非常に大きな成果の場合のみ大きな評価をすることにするわけです。一般に非常に大きな成果というものは、誰が見ても異論が少ないものだと思いますので、こうした成果に対して大きな報奨が与えられることには異論が出にくいのではないでしょうか。

 

ただし、大きな成果に対する大きな報奨は非常に目立ちますので、社内の他部署にも納得してもらえるような評価体系とするために、研究者の平均的な報酬は他部署と合わせるべきであると思います。大きな成果に対する大きな報奨に加えて、成果があがらない場合に報酬の減額が少なくなるとすると、平均的な成果に対する報酬は、全社員平均よりは少なくなることになります。一般に研究員には自律的な環境が与えられることが多いですし、例えば成果の社外発表や学会での交流によって、社会的な活躍の機会や社会的評価を受けるチャンスが与えられていることを考慮すると、これは給与外の報酬とも考えられますので、給与面での多少の減額は研究者も納得できるのではないかと思います。また、大きな成果を挙げた研究に対する報奨は、特許実施補償などの名目で行なうことも考えられるでしょう(ただし、特許に基づく報奨は、開発成功から特許の権利化、収益化までに時間がかかるため、タイムリーな報奨が行なえないという欠点がありますし、特許にならないが重要な研究というものが存在することもあります)。

 

このような評価体系をイメージにまとめると以下の図のようになります。

 

 報奨イメージ500

 

もちろん、このような評価体系は研究開発の対象、不確実性の程度、目指す目標、業種などによっても変わってきますので、このようなシステムが最善であると言うつもりはありません。また、こういうイメージを決めたところで、成果の評価の難しさが軽減されるわけではなく、モチベーションの向上につなげるためには他のマネジメント手法との組み合わせなどのいろいろな手段をとる必要があると思われます。ただ、研究の成果を単純な評価にあてはめて、その評価結果に比例するような単純な報酬の決め方では、おそらく研究者のモチベーション向上にはつながらないように思いますので、このような案もあるのではないかと考えてみました。研究者の評価とインセンティブを考えるヒントにでもなれば幸いです。

 

 

文献1Davila, T., Epstein, M.J., Shelton, R., 2006、トニー・ダビラ、マーク・J・エプスタイン、ロバート・シェルトン著、スカイライトコンサルティング訳、「イノベーションマネジメント」、英治出版、2007.


参考リンク<2012.8.5追加>
 

コア・リジディティ

コア・コンピタンス、コア・ケイパビリティという考え方は、企業の競争優位の源泉として、技術開発の場面においてもよく話題になります[]。どんな研究テーマに取り組むべきか、技術開発の方向はどうあるべきかなどを考える時に当然おさえておくべきことには違いないと思うのですが、下手をすると研究開発活動に過度の制約を加える因子ともなるように思います。そこで、今回は、コア・コンピタンスに伴う負の側面と考えられる「コア・リジディティ(硬直性)」についてまとめておきたいと思います。

 

「コア・リジディティ」とはLeonard-Bartonにより提案された言葉とのことですが、著書[文献1p.46-86]ではその概念の重要性について、「コア・ケイパビリティをマネジメントするうえで問題になるのは、それが逆説的にコア・リジディティ(硬直性)でもあるということである。つまり、企業の強みは、同時にその弱みでもあるのだ。」と述べています。さらに、コア・リジディティは、「コア・ケイパビリティを生み出したのと同じ活動によって蓄積される」としていますので、つまりは表裏一体であるということでしょう。さらに、「コア・ケイパビリティが確実にコア・リジディティへと変質し」「コア・ケイパビリティによる知識を生み出す活動が、逆に知識の流れを妨げてしまうことになる」こともある、とも述べています。

 

Leonard-Bartonはコア・リジディティの特徴と問題点について次のように述べています。

・内側ばかりに目を向け、居心地のよい現状にあぐらをかき、偏狭さを生む。とくに、その企業を優良企業へと導いた人々に刃向う覚悟が失われる。

・競争優位性を生み出したのと同じケイパビリティを利用しすぎる。つまり、それまで利益をもたらしていた活動の行き過ぎや、成功が生んだ習慣の犠牲となる。「成功は、専門化と過剰、自信と自己満足、そしてドグマと儀式をもたらす」、「技術上の細部にばかりこだわり、顧客満足を忘れる」「攻撃的な成長戦略が無責任な拡大や買収になる」「自己満足的な技術追求」などがその例(Millerからの引用)である。

 

さらに、コア・ケイパビリティのコア・リジディティへの変質について、一つのシステムが特定のケイパビリティを生むようになると、そのシステムは慣性を持ちだし、たとえそれが時代遅れだったり、意味のないものになっても解体することが難しくなるとし、そうした変化をもたらす理由について次のように述べています。

・コア・ケイパビリティの変更は現行の経済基盤を壊しかねない(現行のラインや、知識、スキルが不要になったり、資産価値が減少してしまうことへの懸念が存在する)。

・それぞれの領域で上に立つ者たちから、組織への忠誠心を奪いかねない。さらに、経営幹部は政治的な権力を手放すのを渋る。

・組織のルーティーンが深く染み込み、さまざまな習慣が支配する(コア・リジディティの核心はこうした制度的な活動にあるので、この点が最も強調されるべき、とのこと)。

 

具体的には、以下のような現象が指摘されています。

・暗黙のうちに未来は現在と同じようなものであると仮定されてしまう。

・問題解決において、慣れ親しんだ過去のアプローチや発想に従ってしまう。

・従業員は何も考えずに過去に執着するように訓練される(革新的な雰囲気を壊す)。

・新しいツールと方法論を軽視する。

・多くのルールに拘束される。

・現在おこなっていることをもっとよくすることに主眼がおかれる。

・実験が限定的になる。

・新技術の評価にバイアスがかかる(新技術の悪い面が強調される、など)。

・顧客の声に耳を傾けすぎる。

 

こうした現象は企業活動、特に新しい分野への挑戦の障害になるだろうことは容易に想像できますが、こうした現象が、企業の持つ強みから不可避的に発生してしまいがちであることには特に注意が必要でしょう。実際、研究開発の実行の場面でも上記の現象に似たような場面には時に遭遇することもあるように思います。

 

こうしたコア・リジディティへの対処としてLeonard-Bartonは、「新しいケイパビリティを構築するために、古いケイパビリティを創造的に破壊することが要求される」と主張しています。「マネージャーは、過去を積極的に断ち切るように部下たちに奨励しなければならない」、だそうですが、これはそうした立場をとることが難しいからこそ心掛けなければいけないことかもしれません。

 

コア・リジディティからの脱出のためには、過去を断ち切り、変化を起こす必要があるわけですが、コア・リジディティを構成する諸要素は、変化のしやすさが異なっており、概ね以下の順に変化が困難になると指摘しています。

1、物理的システム(ツールや技術要素など):最も変化が容易

2、マネジメント・システム(特定の知識に対する報酬やステータス、発言力も含む。従来の価値観においてステータスの低い職務からの声は無視されがち。)

3、スキルと知識(人材に伴うスキルと知識。コア・ケイパビリティの一部となる暗黙知を持った人材は、それがコア・リジディティに変化してしまったとしても追い出すのが困難。)

4、価値(会社の使命に関わる基本的な価値観の変更なのか、ミッションを補助するためにどのような活動を評価するかという価値観の変更なのかの区別が重要。):最も変化が困難

これらの諸要素は相互に連動していることも多いとされますので、単純な処方箋により問題点を解決するようなわけにはいかないのでしょうが、こうした要因を知っておくことは問題解消の助けになるのではないでしょうか。

 

Leonard-Bartonはこの著書において、コア・リジディティへの対応としてナレッジ・マネジマントの観点から、創造的摩擦の推進、実験と失敗からの学習、外部知識を受容する能力の向上を挙げて議論を進めていきますが、そうした個別の対応策に飛びつく前に、まずは、コア・リジディティの存在とその特質を理解することが重要と考えます。研究開発担当部署は、会社のなかでも技術的な立場から「変化」を作り出す役割を担うことが多いことを考えると、コア・リジディティの存在には十分に注意を払い、コア・リジディティにはまり込まないように変化をつくりだしていくことが必要になると思われますが、いかがでしょうか。

 

コア・コンピタンスの議論にはHamelの提示した意義から離れて、コア・コンピタンス分野以外の無視や切り捨て、リストラの材料という意味で誤用されることもあるようです。そうした傾向はコア・コンピタンスという考え方の表面的な部分(場合によっては、自分に都合のよい解釈)にとらわれていることによる可能性もあるかもしれません。コア・コンピタンスが表裏一体として持つコア・リジディティーについて十分に認識することによって、自社の強み、競争優位の源泉を正しく捉え、望ましい戦略の決定が可能になるのではないかと思われます。

 

 

[]コア・コンピタンスについての簡単な解説はこちら(@IT情報マネジメント用語事典)が参考になると思います(コア・リジディティーについても述べられています)。

http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/corecompetence.html

文献1Leonard-Barton, D., 1995、ドロシー・レオナルド著、阿部孝太郎、田畑暁生訳、「知識の源泉」、ダイヤモンド社、2001.


参考リンク<2011.8.14追加>
 

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