研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2011年01月

働きがいのある会社とは(Fortune誌「最も働きがいのある米国企業2011」No.1、SASの考え方)

Fortune201127日号に「最も働きがいのある企業100The 100 Best Companies to Work For)」リストが発表されました[文献1]。この調査は米国企業を対象に行なわれたものですが、昨年につづき第1位はSASとなりました。ちなみに、第2位がBoston Consulting Group、第3位がWegmans Food Markets、第4Google、となっています。今回は働きがいNo.1とされるSASの考え方の特徴と評価される理由を考えてみたいと思います。

 

この調査を行なったのは、Great Place to Work(R) Instituteで、対象企業は、アメリカにおいて1000人以上の従業員を有する設立後7年以上の企業で調査にエントリーした311社となっています。思ったより対象企業数が少ないですが、この調査にエントリーしている企業は少なくとも従業員を重要な経営資源と考えてその働きがいに注目していると言えるでしょうから、その中での1位というのは、やはり意義深いことであると言えるでしょう。

 

まずは、何をもって「働きがいがある」と評価されているかについて見てみましょう。日本でこの調査を行なっている機関のWebページ[文献2]に基づいて調査内容をまとめてみます。働きがいのある会社とは、「従業員が勤務する会社や経営者・管理者を信頼し、自分の仕事に誇りを持ち、一緒に働いている人たちと連帯感が持てる場所」と定義されています。調査は、従業員および会社(人事担当者)へのアンケートにより行なわれ、従業員へのアンケート結果で評点の2/3、残りの1/3は、会社へのアンケート結果に対して人事の専門家が評点をつけて、働きがいが定量化されるようです。

 

評価される要素は次の5つです。

・信用:率直で円滑なコミュニケーション、目標達成のためのリソースが調整されていること、一貫性を持ったビジョンの遂行

・尊敬:従業員の専門性を高める支援、従業員への敬意と感謝、重要な意思決定の検討への従業員の参画、従業員個々の生活や家庭の尊重

・公正:公正な報酬、採用、昇進・昇格、会社に対して意見や不満が言える制度

・誇り:自分の仕事と役割への誇り、会社やグループが推進する仕事への誇り、商品やサービス、社会から受ける評価への誇り

・連帯感:自分らしくいられる環境、好意的で人を歓迎する雰囲気、家族やチームといった連帯感

このうち、信用、尊敬、公正によって構成される「信頼」が組織としてのパフォーマンスを高める上で不可欠とされています。

 

会社へのアンケートでは、会社方針、人事施策、制度などについて、「採用する、歓迎する」「触発する」「語りかける」「傾聴する」「感謝する」「育てる」「思いやる」「祝う」「分かち合う」という9つのポイントから評価されます。さらに、具体的な取り組みが、「バラエティ(多種多様なプログラムと実行のための手段)」「オリジナリティ(プログラムは創造的/ユニークか、他者の単純な真似ではなく自社なりの解釈が加えられているか)」「包括性(プログラムやポリシーは全員を対象とし、利用可能か、あらゆる地位の社員が作成と実行に関わっているか)」「人間味(プログラムやポリシーには配慮、思いやり、尊敬の感情があるか、個々人の違いに配慮しうるか)」「統合性(共通のテーマ、コンセプト、哲学に基づくプログラム、企業のビジョン、ミッション、バリューと結びついたプログラム)」の5つの観点から評価されるます。

 

以上の調査の内容は一見するとややアメリカ的な考え方が強いと感じられるものの、このようなことができていれば仕事が進めやすいだろうことは間違いないと思います。守島はこの調査に関連した記事の中で、「働きがい」について、人材を前へ前へと押し出す力としての「働きがい」と、それを阻害する要因を取り除くことによる「働きやすさ」を分けて考え、その両方を追求することが従業員価値(従業員にとっての企業の価値)を高め、従業員から高いレベルの努力を引き出すことにつながるとし、さらに、現在の価値だけではなく未来への期待も含めた従業員価値を考えることが重要、と述べています[文献3]

 

さて、SASはどうなのでしょうか。SASは企業向けソフト開発の大手で、2009年の売上は約23億ドル、アメリカにおける従業員数は5629人、という会社ですが、SASのマネジメント方針にはCEOであるJim Goodnightの考え方が大きく影響しているとされています。彼は、クリエイティビティについて、「だれもが持っている能力」とし、「問題は、それを引き出す配慮がどの程度なされているかである」と述べています。そして「挑戦を奨励するには、失敗に寛容であることも不可欠」「社員の煩雑さを取り除く配慮も効果的」として、「マネジャーが社員の創造性を発揮するよう支援する必要がある」「マネジャーは社員の『部下』となり、それぞれが高いモチベーションで働き、能力を発揮するよう努める」「だれもが豊かな創造性を持っており、それを刺激し、引き出す社風や制度を整えれば、能力を開花させることができる」「それはマネジメントの責務である」と述べています[文献4]

 

具体的には、企業キャンパス内に充実した医療施設、レクリエーション施設、保育所といった福利厚生施設を設け、原則自由な勤務時間を採用し、社員全員には個室を与え、社内に芸術品を飾るようなことまでしています。これは、SASが「ソフトウェアを開発する知識集約企業」であって、「このような製品は、社員のマインドから生まれる」ために「創造的な仕事を後押しする職場環境をつくろうとしている」ことによるようですが、「社員一人ひとりを『会社に貢献する人物』として常に尊重して扱ってきた」「会社が社員を信じれば、社員もまた会社に忠実になる。信頼とは本来双方向的なものだ。」という彼の信念にもよっていると思われます。もちろん、きちんと仕事をしない社員に対しては態度を改めるような指導はされるようですが、6ヶ月以上ひとつのポジションに就いた後は他のポジションに応募してよいという社内転職制度や他の仕事を学ぶ社内訓練コースを設けて離職率を低く抑えつつ、人材の流動性を高めて職場の活気が失われないようにする努力もしているようです。株式公開もせず、ストックオプション制度も使っていないですが、「社員の満足を考え、働きやすい環境を整備していれば、優秀な人材は集まってくる」とのことです [以上、文献5] 。他にも、頻繁な人事異動により挑戦しがいのある仕事を社内でみつけ、成長する機会を与える、複線型のキャリア(管理職にならなくても社員に報いる制度)、仕事に専念することを妨げる障害を取り除く、『素敵な場所で働いている』と社員に思ってもらう、ワークライフバランス重視(『職場以外での生活を大切にすることは良いことだ』という認識)などの施策も採用され、その結果社員の離職により発生するコストが削減できていると言います[文献6]

 

このような考え方は、社員を管理する、という立場とは相容れないものかもしれません。しかし、働きがいを動機づけ要因と衛生要因に分けて考えること、内発的動機づけを活発化させること、達成感を重要視すること(達成動機理論)などの考え方に基づけば至極当然のやり方のように思います(ノート7でレビューしました)。その具体的な方法の例を示しているものと考えられるのではないでしょうか。

 

SASの哲学をまとめると、

1)社員、顧客、サプライヤーと密接で長続きする関係を築く、

2)多額の研究開発費を投じる、

3)創造性と成長を促進する環境を提供することによって、ワールドクラスの人材をひきつけ、定着させる

となり、この哲学は長期的な成功をもたらしてきたと言われています[文献6]。これは、SASが必要とする仕事の種類と質から必然的に導かれる考え方であるともいえるでしょうが、Goodnightの「社員のモチベーションを高め、それをサポートする環境を整えれば、社員は創造的でイノベーティブな仕事や生産性の高い仕事をしてくれる」という信念[文献6]に基づいた、社員の尊重と社員への信頼に根ざすものでもあるのでしょう。

 

もちろん、こうした考え方が他の企業にも有効かどうかは、行なうべき仕事の内容や企業の置かれた環境によっても変わるでしょう。しかし、Goodnightも述べているように、知識集約的、創造的な仕事に対するモチベーションを向上させる方法としては特に有効なのではないでしょうか。従業員からの高いレベルの努力を引き出すことが必要とされる研究(特に創造的な段階の研究)や、トップダウンの命令を単に実行するだけではよい成果が得られるとは限らない不確実性の大きい研究開発を行なう場合には、この考え方はほぼそのまま適用できるように思われます。さらに、SASの考え方は、Collinsが「ビジョナリー・カンパニー②」で指摘している「最初に人を選ぶ」という原則、すなわち「適切な人材なら厳しく管理する必要はないし、やる気を引き出す必要もない」[文献7p.66-67]という考え方とも一致するのではないでしょうか。SASのやり方は、働きがいのある会社であることとそれを支える哲学を社会的に認知させることで適切な人材を集め、その離職を防ぐ上でも効果を挙げているのではないかと考えられます。離職を防ぐということは、研究者、技術者が蓄積した暗黙知の流出を防ぎ、効果的に活用する上でも重要でしょう。従来のマネジメントの考え方から見ると、「社員を信頼する」ということは容易なことではないかもしれませんが、そうしたチャレンジこそが、創造的な仕事のマネジメントに求められているように思います。

 

 

文献1Fortune誌、Vol. 163, No. 1, Feb. 07, 2011”The 100 Best Companies to Work For”

リストは、http://money.cnn.com/magazines/fortune/bestcompanies/2011/full_list/

文献2Great Place to Work(R) Institute Japanwebページ

http://www.hatarakigai.info/index.html

なお、以下の本にも調査方法についての説明があります(著者はGreat Place to Work(R) Institute Japan代表)。

和田彰、「日本でいちばん働きがいのある会社」、p.27-33、中経出版、2010.

文献3:守島基博、「なぜ日本の会社は『働きがい』がないのか」、プレジデント2009.10.5号、PRESIDENT online

http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2009/20091005/12261/12270/

文献4James Goodnight(ジェームス・グッドナイト)、「クリエイティビティを引き出す」、Diamond Harvard Business ReviewSep., 2006, p.3.

文献5:「ジム・グッドナイト(インタビュー)」、週刊ダイヤモンド、2010515日号

全文がこちらにあります→http://diamond.jp/articles/-/8099

文献6:「“最も働きがいのある”米国企業の「内実」アリサ・ブライト元 米SASインスティチュート人事部ディレクターに聞く」、日経ビジネスオンライン、2008.7.20

http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080718/165747/?P=1

文献7Collins, J., 2001、ジェームズ・C・コリンズ著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」、日経BP社、2001.

 

(参考)

SAS2010年のこの調査でNo.1になった時にCNNで取り上げられたビデオがこちら。SASの様子と考え方を知ることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=EjTZF19jBs8

CNN - SAS Named #1 in Best Companies to Work For

 

日本企業対象にもこの調査は行なわれていて、2010年度ランキングで上位の企業の事例の紹介が以下の本(上記文献2の本と同じです)にまとめられています。

和田彰、「日本でいちばん働きがいのある会社」、中経出版、2010.

また、上記調査のNo.1となった会社、ワークスアプリケーションズについての記事が以下にあります。SASのやり方とは表面的には異なる点も多いと思いますが、哲学は似ているように感じました。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100224/213009/?P=1

(「『働きがいのある会社』1位に輝いたワークスの経営、“興奮のフィールド”を与え続ける~牧野正幸CEO」、日経ビジネス2010.3.1、(日経ビジネスオンライン))

 

参考リンク<2011.8.14追加>
2011年版日本のランキングなど


<2012.1.27:タイトルに「2011」を追加しました(2012年はSASは3位でしたので)> 

モチベーションは管理できる?

モチベーションが高ければ成果があがるはず、ということは大多数の人の認めるところだろうと思います。モチベーションの基本的な考え方はノート7で整理しましたが、大雑把には「やる気」、「努力に結びつくもの」(Lawler IIIの指摘[文献1p.33]として理解できると思われます。したがって、モチベーションを高め、適切な方向に活用すればよい成果が期待できると考えてよいでしょう。

 

モチベーションを高める方法については様々な提案があります。人の意欲が何によって高まったり落ちたりするのかを明らかにして、その知見に基づいてモチベーションが上がるような手をうてばよい、という考え方は理解しやすいものですが、実務的な立場からすると、まず、今自分たちの組織や仲間、部下のモチベーションが高いのか、低いのかを知りたい、そのための簡単は方法はないのかと思うことがよくあります(もちろん、極端な場合はすぐわかりますが)。

 

もし、現状のモチベーションのレベルがわかれば、あとどのぐらいモチベーションを上げる余地があるのかがわかるでしょう。また、モチベーションを上げようとして何らかの手を打ったときに、その結果として実際にモチベーションが上がったのかどうかを知ることができれば、どういう手が効果的なのかが検証できるでしょう。そういうデータがなければ結局、「上がると信じて」手を打つしかない、となってしまいがちなのではないでしょうか。つまり、モチベーションのレベルやその変化が観測できれば、その結果に基づいてフィードバックや計画修正をしてモチベーションの維持管理を行なうことができるのではないかと思われます。しかし、実際のところ、モチベーションはどのように測定すればよいかはなかなかわかりにくいと思うのです。

 

もちろん、モチベーションを測定しようとする試みは多く、例えばインターネットで「モチベーション 測定」

と検索すると、多くの調査会社やコンサルタントが測定を請け負っていることがわかります。しかし、その多くは従業員へのアンケートをベースにしたもののようで、頻度の高い測定や日常の管理には向いているとは言えないと思います。また、「個人にとってモチベーションは精神的、内面的なものである。つまり、モチベーションは、外部から直接観察することはできないし、そのコントロールも難しい」[文献1p.33-34]とする考え方もありますので、はたして、そういう測定でよいのかもよくわかりません。

 

しかし、研究マネージャーとしてはグループや研究員のモチベーションを知りたいわけで、今回は困難を承知の上で、モチベーションのレベルを認識するためのヒントがないものかについて考えてみたいと思います。

 

モチベーションに影響する因子を大きく分けると、主に論理的な判断によるものと、感情や気分など必ずしも論理的ではない判断によるものに分けられるのではないでしょうか。例えば期待理論におけるEP期待(努力が業績に結び付く期待)、PO期待(業績が報酬に結び付く期待)は、こうしたらこうなるだろうというある程度の推論に基づいていると考えられます。これに対して、達成動機理論のように不確実性の高い課題にこそかえって意欲を感じるというのは、論理的でない、感情の要素が入っていると考えられるのではないでしょうか。さらに、エンパワーメント(心的活力)として理解されているような要因にも感情の要素が大きく影響すると思われます。例えば、開本が採用しているエンパワーメントの構成概念[文献1p.74]としては、意味(組織目標の自己の信念や価値観との一致)、有能感(自分の能力に対してもっている認知)、自己決定(職務に対する自律性)、インパクト(仕事の組織や社会への貢献)などがありますが、これらも論理的でない要因を多く含むでしょう。

 

管理を行なう立場からすると、上記の論理的な要因に関しては「ああすれば、こうなる」という予測がある程度できると思います。また、論理を重んじる傾向のある研究者に対しては、説明によって納得が得られやすいとも思われます。また、ベンチマーキングなどで社外の状況と比較することで納得感を得ることも可能かもしれません(例えば、報酬の水準など)。つまりこれらは管理し易い要因と言えるでしょう。しかし、感情的な影響を受けやすいモチベーション要因は、個人の選好や価値観に左右されるために、行なったアクションが実際どの程度モチベーションの向上につながるかを推定することが難しいと思われます。従って、こうした感情的な要因に影響されるモチベーションを測定することこそが大きな意味のあることと思われます。そこで以下では、理屈で制御することの困難なエンパワーメントに絞ってその測定と制御について考えてみます。

 

開本は、エンパワーメントを心理的エンパワーメントと状況的エンパワーメントに分類しています[文献1p.157-160]。心理的エンパワーメントとしては、次の3つの要素を指摘しています。

・有能感(自分の能力を信じ、やればできるという意味での自信のある心理的状態)

・自律性(自分自身の行動を自分自身で決定できる状況にある場合に増大する感情)

・心理的無力感(がんばろうと努力しているにも拘らずうまく結果が出せなかったり、成果を出したのに周りから評価されなかったりした場合に増大する感情)

また、状況的エンパワーメントは、次の4要素が挙げられています。

・成長機会(仕事をこなすことで自分を高めていける、能力を発揮できるような環境かどうか)

・権限委譲(自分自身の仕事に関する意志決定が職場の状況としてできるか)

・支援(協力してくれる上司やその他の人たちがいる場合に増大する)

・状況的無力感(自分にとって不利な職場かどうか、苦手な仕事や、周りから好ましい反応がなかった場合に増大する)

 

このような要素によってモチベーションが影響を受けるとするとき、どのような態度、症状が見られると予想されるでしょうか。特に研究開発の場面において、以下のような態度、症状が周囲から観察可能と思われます。

有能感に基づくモチベーションが高い:困難な課題への積極的な挑戦

自律性に基づくモチベーションが高い:必要なことは言われなくても自主的に実施する

心理的無力感によってモチベーションが下がっている:やっても無駄という感情がおこる、言われたことしかしない

成長機会に基づくモチベーションが高い:仕事を成果だけでなく自らの成長にも生かそうとする

権限委譲に基づくモチベーションが高い:担当者が自ら判断を行なうべき問題と上司に相談すべき問題の区別をしっかりと行なえる

支援に基づくモチベーションが高い:必要な場合に支援を求める、あるいは他人に支援を与える活動を積極的に行なっている

状況的無力感によってモチベーションが下がっている:職場や仕事に対する不平を述べる、職場内の交流を避ける(他人に反応しない、無関心)

さらに、有能感を裏付け、無力感を与えない状況を形成する傾向として、仲間の成果を正しく認めて評価する雰囲気も重要だと思います。

 

つまり、ここで挙げたような職場の状態、雰囲気に着目すれば、現在のモチベーションの状態がある程度推測できるのではないかと思います。また、ある症状が観察された時に、これら因子のどこに問題があってそういう症状が現れているのかを推定できるのではないでしょうか。

 

もう一点重要なこととして、このような症状が見られたときに、それを直接注意しても本質的な解決にはならないだろう、ということが言えると思います。例えば、困難な課題に積極的に挑戦しなくなっていると思われるときに、「積極的に挑戦しろ!」と命令しても、それを素直に受け入れてその通りに実行してくれるとは限らないと思います。それよりも、そうした症状をもたらしている原因、この例で言えば、「有能感」が不足していることを認識して、有能感を刺激するようなこと、有能感が高まると考えられるようなことを実施するべきなのではないでしょうか。

 

もし、このようなモチベーションの要因について定量的な測定ができるようになれば、実務的には非常に役に立つと思われます。しかし、実際には上記のような定性的な把握が限界なのかもしれません。モチベーションについてはすでに多くの研究があるなかで、今回は例として開本の考え方に基づいて上記のような判断の方法を考えてみたわけですが、今回の試み以上のもっとよいやり方があるような気もします。モチベーションの状態を把握して制御することができるような理論の確立に期待するとともに、実務的な観点からのモチベーション管理についてはもう少し勉強したり考えたりしてみたいと思っています。

 

 

文献1:開本浩矢、「研究開発の組織行動」、中央経済社、2006.

 

 

論文から見た各国の科学力比較

最近、日本の国際競争力が話題になることが多いように思います。ビジネスの世界でアジア諸国の存在感が大きくなるにつれ日本の競争力低下が指摘される一方、日本の技術力はまだまだ高いとする意見も多く、技術力発揮への期待もよく耳にします。そこで、今回は、論文数の国際比較データをもとに日本の技術力の位置を考えてみようと思います。もちろん、技術力は論文の数だけで評価できるものではありません。特にビジネスに結び付いた技術力、研究開発力を論文数で評価することには無理があることは当然のことですが、国全体の雰囲気やトレンドといったものは見てとれるのではないでしょうか。まずはデータを見てみましょう。

 

データソースは、文部科学省がまとめた科学技術要覧平成22年版、科学技術白書平成22年版です。そのなかで、以下の論文数の国際比較図が興味深いと思いました[文献1、p.78]。



論文シェア700


この図は、自然科学分野の論文について、ある年に各国の研究機関から出された論文の数の全世界の論文の数に対する割合を横軸に、ある国の論文が引用された回数の全論文の引用回数に対する割合を縦軸にとった図です(この図はトムソン・ロイター「National Science Indicators」または「Web of Science」のデータをもとにまとめられたものとのことですが、データについての科学技術白書[文献2、p.38]中の説明からこのように解釈しました。共著論文は複数国で重複カウントのようです。)。なお、アメリカは論文シェア(2008年データで約28%)、引用シェア(同約43%)とも多すぎて図からレンジアウトしています。日本語で書かれた論文がカウント漏れになっていることなど、データ上の問題点があることは科学技術白書[文献2、p.36]に述べられていますので、そうした点は注意すべきですが、大雑把な議論には使えるデータなのではないかと思います。

 

論文数シェアをみると、2008年データでアメリカに次いでシェアが高いのが中国、次いで、日本、ドイツ、イギリスがほぼ同じぐらいの論文数となっています。被引用数シェアはアメリカに次いで、ドイツ、イギリスが来て、その下のランクに日本、フランス、中国、となっています。被引用数が高いほど、世界中で注目される論文であるということで、同じ論文数シェアなら縦軸で上に位置するほど論文の質が高いことを表わしていると考えてよいでしょう。ここで、日本のデータの変化を見ると、2004年ごろから論文数シェアが落ちていますが、被引用数シェアがその割には落ちていないので、論文の質が上がっていることがうかがえます。中国については近年の論文数の増加はめざましいですが、その割に被引用数シェアがあまり上がっていないので、質はまだまだ、と考えていいでしょう。なお、科学技術白書では、中国のトップ10%論文(論文の被引用回数が各分野で上位10%に入る論文)シェアが8.0%と近年急増している(日本は6.4%)ことも示されていますが[文献2、p.40]、中国の論文は中国の文献を多く引用すると思われますので、論文数増加の影響ではないかと思われます(データがないので明確には言えませんが)。

 

アジア諸国を見てみると、中国以外はシェアは低いですが、インド、韓国が伸びてきていることがわかります。論文数シェアの割に被引用数シェアは低めなので、質はそれほどでもないと言えるでしょうが、今の傾向の延長線上に2000年までの日本が位置していますので、その当時の日本の論文と同程度の質は確保しているようです。

 

ここで、研究者の人口も考慮してみます。科学技術白書概要[文献3、p.14]によれば、研究者人口は、日本83.8万人(2009年)、中国142.3万人(2007年)、韓国22.2万人(2007年)、インド11.6万人(2000年、2005年では15.5万人という統計あり[文献4、p.235])だそうです。上図から読み取った論文数シェアをこの人数で割ると、日本:0.088、中国:0.074、韓国:0.15、インド:0.19(インドは2005年の研究者数を使用→2005年の論文数シェアで計算すると0.187、単位は%/万人)となります。ちなみに、アメリカは新しいデータがないのですが、2000年ごろで0.23ぐらいの値になっています。おそらく、日本や中国では、自国語で書かれた論文が統計に認識されていない影響もあると思われますが、韓国、インドも研究者の生産性という点では、論文数シェアほど下のレベルではないことがわかります。

 

ちなみに、各国の人口[文献5](日本:1.27億人、中国13.46億人、韓国0.483億人、インド11.98億人)で論文数シェアを割ると、日本:5.8、中国:0.8、韓国:6.8、インド:0.3(単位は%/億人)となり、ここでも韓国のレベルはかなり高いと評価できるように思われます。

 

もちろん、科学技術レベルを論文数だけで評価することはできません。日本の、特に企業研究者の場合、論文よりも特許に力を注ぐ傾向があり、例えば2008年の特許出願件数は、日本:50.0万件、アメリカ:38.9万件、中国:20.3万件、韓国:17.2万件となっています[文献1、p.85]。特許に関していえば、国により制度や企業の考え方が違いますので単純な比較はできないのですが、トレンドとして興味深いのが、日本の出願件数に占める外国人割合が2007→2008年で若干減少していることでしょう[文献1、p.89]。日本市場の魅力が失われ始めているのかもしれません(1年だけのことなので、判断は早計かもしれませんが)。

 

いかがでしたでしょうか。ごく当たり前の結論ではありますが、論文動向から見る限り、日本の科学力はアジアの中ではやはりまだ高いレベルにあると言ってよいように思います。しかし、注意すべきはそのトレンドではないでしょうか。中国の論文数の伸びによって先進国の論文シェアは低下していますが、なかでも日本のシェア低下の度合いが大きくなっています。反面、韓国やインドはシェアをあげており、特に韓国は論文生産性では日本と互角になっているように思われます(質は、まだ日本の方が高いようですが)。このデータは2008年のものですので、その後どうなったのかは興味あるところですが、少なくとも、「アジアの技術力は日本に比べればまだまだ」というような楽観はできないような気がします。過去の技術蓄積を過信せず、さらに努力しなければいけないということでしょう。ますます「研究をうまく進める」ということが求められてくるのではないでしょうか。

 

文献1:文部科学省「科学技術要覧平成22年版」

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2010/08/20/1296532_3.pdf

文献2:文部科学省「科学技術白書平成22年版」

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2010/10/01/1294970_003.pdf

文献3:文部科学省「平成22年版科学技術白書概要」

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpaa201001/1294965_001.pdf

文献4:文部科学省「科学技術要覧平成22年版」

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2010/08/20/1296532_5.pdf

文献5:ウィキペディア「国の人口順リスト」<2011.8.14現在、2010年の推計人口が記載されていて、上記数値とはやや異なります>

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88


<2011.8.14追記:「科学技術要覧平成23年版」各国の傾向はあまり変わりません>
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2011/07/12/1307510_3.pdf

参考リンク

オープン・イノベーションは使えるか?

 新たなイノベーション手法として「オープン・イノベーション」がよく取り上げられますが、期待する意見とともに、困難さが指摘されることも多いようです。そこで今回はオープン・イノベーションの可能性について考えてみたいと思います。

 

オープン・イノベーションとは、提唱者Chesbroughによれば、企業の内部と外部のアイデアを有機的に結合させて価値を創造すること[文献1p.8]になるでしょう。こうした考え方は、「技術開発コストが益々増大する一方で、市場での競争が激化しているために製品のライフサイクルは益々短縮しており、自前主義のやり方では、イノベーションに対する投資から十分な利益を上げることが困難になっている」[文献2]ことにより着目されているようですが、こうした考え方自体は至極当然のことと言えるでしょう。研究者であれば、課題解決のために社内外を問わず有効な手段を模索しようとすることは当たり前ですし、異なる技術や考え方の接点で新たな発想が生まれることも広く認められていると思います。

 

しかし、特に民間企業において、その実行には次のような障害があると思われます。

・自前主義(NIHNot Invented Here症候群)

・外部との協働に伴う損失の可能性への不安(競争優位獲得のために研究開発はなるべく秘密裏に実行したい、自社のアイデアや成果を他社に奪われる危険があるなどの不安は自前主義の裏付けのひとつにもなり得ます)

・外部で行なわれることが管理しにくいことを嫌う感情(これも自前主義の根拠のひとつです)

・外部の情報をうまく取り込む現実的な仕組みがない

そのため、オープン・イノベーションをシステムとして活用してイノベーションを成功させることはそれほど簡単ではないでしょう。

 

さらに、オープン・イノベーションの意義そのもの関しての問題点の指摘もあります。例えば、丹羽は、オープン・イノベーションの考え方はそもそもアメリカのイノベーションの状況(例えば、ベンチャー企業が新しい優れた技術を保有するようになったことなど)に基づいて提唱されたものであって日本の環境とは前提が必ずしも一致しないことを指摘しています。さらに、オープン・イノベーション活用のためには外部の技術を判断し使いこなす技術力や知識と、協働をマネジメントする能力が不可欠であると述べてその有効性に疑問を呈し、日本企業の場合には同一企業の他事業部や、グループ会社内といったセミ・オープン環境での協働の方が有効ではないかと指摘しています [文献3p.73-84][文献4132-138]

 

また、永田はオープン化を有効なものとするために、どのような場合に、何を、どの程度オープンにすべきか、という点について、1)組み合わせる技術や部品間のインターフェイスが標準化されていたり、モジュラー化されている場合、2) 多様な専門的能力をイノベーションに向けて組み合わせていく能力(統合能力)を持ち、その組織能力を保有しつづけるための管理コストの回収が期待できる場合、3) イノベーションに必要な諸資源を仲介する市場が十分に存在している場合、を挙げています。そして、部品のインターフェイスが企業グループ内で半ば開かれている「クローズド・インテグラル」型製品(例えば自動車など)を得意とする日本の製造業において適した形態として、1)3)が未成熟な環境の下では、企業グループのような中間組織における「統制されたオープン・イノベーション」が可能ではないかと提言しています[文献2]

 

また、アクセンチュアは、オープン・イノベーション成功のためのKSFKey Success Factor)として、1)掛け算型コラボレーション(自社の強みを梃子にして必要なケイパビリティを社外から調達する)、2)グローバルネットワーク(ケイパビリティを探しにいく世界を可能な限り広める)、3)イノベーション・プロデューサー(目的志向に基づき社内・社外のリソースを中立的に評価し、イノベーションをマネジメントする舵取り役)、4)全社規模の意識変革(イノベーションをR&D部門のみに任せることや、コスト効率だけを追求することをやめ、ビジネスモデルの変革機会としてオープン・イノベーションに取組む)、と述べています。ただし、「日本企業の現状に鑑みると、KSFの実現はそう容易ではないと推測される」とした上で、上記KSF実現のためにまず、取り組むべき内容を提案しています[文献5]

 

このような難しさについての指摘はあるものの、いくつかの成功事例や、活用の試みは報告されています[文献2,5,6]。こうした事例を見ると、オープン・イノベーションと一口にいっても、社外のアイデアや能力を活用する(『アウトサイドイン型』)だけではなく、社内のアイデアや能力を社外で活用してもらう(『インサイドアウト型』)もあり[文献2] 、さらに、企業の外部に存在するオープン・ソースを積極的に活用する(『狩猟型』)、自社の資産をオープン化させてビジネスパートナーを呼び込みイノベーションを促進させる(『農耕型』)[文献5])など、従来、共同研究、外部委託などと呼ばれていたやり方を含むかなり広い概念が含まれていることがわかります。

 

上記の指摘に基づいて、具体的にオープン・イノベーション成功に必要な条件をまとめると、次のようになると思います。

自社が主体的にイノベーションを行なおうとする場合(ほぼ対等な協働も含む)

・自社に強みがあること

・少なくとも外部の能力を適正に評価できる能力が自社にあること

・協働をマネジメントする能力が自社にあること

・協働に適したイノベーション(課題)であること

・外部情報(自社が求めている資源をもっている協働相手の情報)が入手できること

・協働をサポートする社内環境が整備されていること

自社の資源を提供し、他社に主体的にイノベーションを行なってもらう場合

・自社にメリットがあること

・将来において、少なくとも自社に不利益になるような展開が予想されないこと

・失敗のリスクが過大でないこと

・外部情報(自社の資源を求めている協働相手の存在についての情報)が入手できること

 

このように考えると、マネジメント上の課題としては、従来から検討されている企業間提携、合弁、買収、産官学協同などと近いもの[文献3p.75-76]になってくると思われます。なかでも、自前主義にとらわれないマネジメントを行なうことが特に重要でしょう。自前主義の傾向が強い企業ではその改革と仕組みづくりが大きな課題になると思われます(社内連携ですらうまくできない企業では、グループ内でのオープンも困難かもしれません)。もっとも、自社技術より他社技術をありがたがる気持ち(NIHの反対でNITNot Invented There-よそでやっていないことはやりたくない-症候群というらしいです[文献4p.88])もあるらしいので、そうした文化はオープン・イノベーションへの適性があるかもしれませんが、そういう企業はそもそも新しいことには挑戦しないかもしれません。

 

さらに上述の課題に加えて、オープン・イノベーション自体の限界もあると思います。上述の課題以外の限界、難しさを以下に挙げてみたいと思います。

・「暗黙知」の共有が難しい(上述のインターフェイス標準化、明確化の問題とも関連)

・セレンディピティや創発的戦略のように、予定にないことを扱う際には困難が予想される

・戦略変更が難しい(従って、新市場型破壊的イノベーションには向かない可能性がある)

・協働先との成果の配分(成果はモチベーションにつながりますので、担当者の意欲にかかわります)。

・失敗のリスク、責任をどう決めるか

・社内でも実施できそうな技術を外部に求めた場合(故意あるいは、社内の情報不足で)、社内の関連部署からの反発や軋轢を生む可能性がある

すなわち、事前に計画や実施内容を明確化できるような、オープン・イノベーションに適したプロジェクトを選び、社内の合意に基づいて体制を整備して進める必要がある、ということになるでしょうか。

 

結局のところ、オープン・イノベーションはイノベーションを効率的に進めるための手段のひとつであって、かならずしもイノベーションを成功に導くための処方箋ではない、ということでしょう。個人的には、オープン・イノベーションは、条件さえ整えば新しいイノベーションの進め方として期待してよいと思っています(容易ではないでしょうが)。特に、近年のIT技術の発達によって、情報の流通が、質、量、手軽さとも大きく進歩していることは、オープン・イノベーションを活用しやすくしていると考えられますので、イノベーションにおける重要な戦略的選択肢のひとつとして認識しておく必要はあるでしょう。ただし、まずオープンにすべきは自社の境界ではなく、「自部署の境界」なのかもしれませんが。

 

 

文献1Chesbrough, H., 2003、大前恵一朗訳、「Open Innovation」、産業能率大学出版部、2004.

文献2:永田晃也、「オープン・イノベーション①」、2009.9.8、「オープン・イノベーション②」、2009.9.9BBIQモーニングビジネススクールwebページより<2013.1.12現在つながりません>

http://bbiq-mbs.jp/blog/post_804.php

http://bbiq-mbs.jp/blog/post_805.php

文献3:丹羽清、「イノベーション実践論」、東京大学出版会、2010.

文献4:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.

文献5:松田記子、鵜飼勇人、「オープン・イノベーション ―オープン・イノベーション先進企業に学ぶ、自前主義脱却のKSFs―」、アクセンチュアwebページより

http://www.accenture.com/jp-ja/consulting/strategy/pages/insight-open-innovation.aspx
<2011.1.25追記:上記リンクが元記事につながらなくなってしまったようです。リンクは残しておきますが、別ページが開いてしまいます。残念ですが。2013.1.12追記:リンクが復活しましたのでURLを修正しました。>
文献6:くまたろうさんブログ記事、「オープンイノベーションの事例」、2009.11.08

http://kuma777.jugem.jp/?eid=8

 
参考リンク<2011.8.14追加>
文献集、オープンイノベーションに取り組んでいる企業情報、批判的見解なども。

イノベーションとあいまいな意思決定(判断の根拠は何か?、ヒューリスティクスの活用?)

他のビジネスプロセスと同様に、イノベーションにおいても意志決定は重要です。しかし、研究開発が本来的に持つ不確実性のため、その意志決定は、量的に不十分で、しかも正確とは限らない情報に基づいて行なわなければなりません。加えて、企業における研究開発では開発スピードを優先するため、純粋科学の研究のように正しいことを確認して確実な事実を積み重ねていくアプローチが採られないこともあります。そこで今回は、イノベーションにおける意志決定の特徴と注意すべき点、活用方法などについて考えてみたいと思います。

 

企業でのイノベーションにおける意志決定の特徴は、「限られた情報に基づく、素早い判断」+「素早い見直し」が必要とされていることではないでしょうか。つまり、十分な情報に基づいて、十分に吟味した上で判断することよりも、とにかくプロジェクトを前に進める判断を行ない、進めながら同時に確認や見直しも行なう、という判断が求められるのではないかと思います。

 

このような状況における判断については、ヒューリスティクスという考え方があります。ヒューリスティクスとは、「論理的に厳密な手続きに頼らず、確実ではないが効率よく問題を解決しようとする考え方」[文献1p.149]とのことです(実際には、いろいろな定義がある幅の広い概念のようですが、最大公約数的に「簡便な問題解決法」という説明が最も理解しやすいように思いました。様々な定義や例については記事末尾[参考文献]をご参照いただければと思います。)。この考え方は特に心理学や行動経済学の分野で、人間の意志決定に影響する要因として重視されているようで、心理学の分野では、簡便な意思決定による正確な判断からのずれ(心理バイアス)が問題にされることが多く、また、行動経済学の分野では、簡便な意思決定を行なうことによって経済合理性に従わなくなる人間の行動が検討の対象にされているようです。いずれも、簡便な意思決定を行なおうとする人間の考え方をしかたのないものと認めつつ、簡便な方法をとることによる誤りの可能性などの問題点が多く注目されているように思います。

 

しかし、研究を進めていく過程では結構あいまいな考え方をしているものです。これはひとえに、熟考できるだけの材料がない状況でも判断を効率的に行ない、少しでも早く物事を進めたいという意欲の表れと考えることができるでしょう。つまり、イノベーションにおけるヒューリスティクスは、発想を次の段階に発展させるために積極的に簡便な意思決定を使っている、とも言えるのではないかと思います。企業における研究の場合、最終目標は真理の探究ではなく、イノベーションを世の中に送り出すことですので、こうした考え方を認めざるを得ないのではないでしょうか。もちろん、ヒューリスティクス自体が持つ誤りの可能性については十分に注意しなければなりませんが、私はイノベーションにおける簡便な意思決定は、後でその考えの正当性が確認されることを前提として、有用なもの、不可欠なものとして肯定的に考えてもよいのではないかと思っています。

 

具体的にどんな判断がなされ、どんな点に注意すべきなのでしょうか。研究開発における簡便な意思決定の例として、ある情報(データ)に遭遇した時に、それを「正しい」と認識する過程を考えてみたいと思います。この過程は次のようなプロセスからなると考えられるでしょう。すなわち、

第一段階:情報を認識し解釈する

第二段階:その情報が正しいことを納得しようとする

です。ヒューリスティクスの議論では主にこの第一段階が注目されているようですが、私は第二段階も重要であると思います。研究開発のような場合、最初は得られる情報が少ないため第一段階の情報認識と解釈が十分には行なえず、必然的に第二段階の推論にも頼って判断しようとすることになるでしょう。

 

つまり、情報が少ない状況では、

・得られた情報をとりあえず信じる

・情報が得られた前提条件を十分に吟味できずに汎用化、拡大解釈する

ということが起こりやすい、あるいはそうせざるを得ないことになってしまうと思われます。このような状態で、ある情報を「正しい」と認識して問題がない場合もありうるとは思いますが、研究開発の場面においては、この段階だけの簡便な判断で結論を出すのは大胆すぎるでしょう。従って、そのような場合には、第二段階でその解釈の正当性が高いことを確認しようとするのが普通であると思います。つまり、「データは少ないが、データ以外の傍証があるのであれば、『正しい』と考えてもよいだろう」と思えるわけです。しかし、第一段階での情報が少なければ、第二段階での考えをサポートする情報も少ないはずですので、第二段階でも「簡便な判断」が使われることになるのではないでしょうか。

 

では、第一段階の推論をサポートしようとする第二段階での簡便な判断にはどのようなものが考えられるでしょうか。

 

まずは、間接的な証拠(第一段階の推論をサポートする別の情報)に着目する場合が考えられるでしょう。例えば、以下のような場合に第一段階の推論がサポートされると思うのではないでしょうか。

・偶然ではおこりそうもないこと(こんな結果が得られるのは偶然ではあり得ないと思う)

・再現性がよい(同じことを何度やってもいつもそうなる)

・反例がない(いろいろやってみても解釈に合わない例が出てこない)

・結果から推理したことが当たる(第一段階の判断が正しいとすれば、別のことをしたらこうなるはずだ、と推理し、それを試した結果が期待どおりとなる)

・第一段階での判断が正しいとすると多くの現象の辻褄が合うと思える

いずれも、きちんと考えれば第一段階での推論を証明するものにはなり得ないはずですし、ヒューリスティクスの議論でよく取り上げられる認知バイアスによって判断が歪められる可能性を持った考え方なのですが、このような間接的な結果であっても、第一段階での推論が正しいという根拠のひとつとして感じてしまうことがあります。

 

さらに、より不確かな方法として、自分の考え(先入観や予想)を根拠として第一段階の判断が正しいと思うことがあります。例えば、

・自分がうすうす思っていた仮説に一致する(やっぱりそうか)

・自分がそうなってほしいと期待していたことに一致する(自分の予定や計画どおりに結果が出る)

・自分の過去の記憶(経験)に一致する(そういえばそうだ)

・自分が正しいと思っていることから、自分が正しいと思っている論理に従って導けることに一致する

・第一段階の判断が誤っている、という論理を組み立てることができない(他にどんな説明が可能だというのか?)

このような、すでにもっている知識や態度、信念、仮説を保護・維持しようとする傾向は、「認知的保守性の原理」「認知的一貫性の原理」と呼ばれ[文献1p.183]、複数の認知が矛盾する状態(不協和)を避けようとする心理的作用が反映されていると考えられます。つまり、このような考え方を用いると心理的に楽になるために、ついそうしがちである、ということです。なお、自分の考えの中には、過去に誰かから聞いて、そのように聞いたことを忘れてしまって、さも自分が考えたように思いこんでいる場合(「スリーパー効果」というらしいです)も含まれるでしょう。

 

同様に、他人の意見を根拠として正しいと認識する場合もあり得ます。例えば、

・自分が偉いと思っている人(信頼している人)の意見に合っている(権威への服従、その人と同じ意見を持つことがうれしい)

・多数の人が言っている意見と同じである(同調の心理)

・世間で正しいとされていることから、正しいとされている論理に従って導ける結果に一致する

 

これよりもさらに不確かな方法としては、あるいは、自分自身でも間違っているかもしれないと思いつつも正しいことにしてしまう、あるいは、疑う心を故意に封じてしまう、ということも起こり得るでしょう。

・事前の予定や計画に沿ったデータである(それに反していると面倒なことになる)

・他人の意見との衝突を避けるため、他人の主張に従ってもよいと思ってしまう

・他人の意見に従っておくと、利益が得られるのでそれでよいことにしてしまう

・自説に固執すると、不利益が予想されたり、面倒なことになる可能性があるので、自説を曲げてしまう

・第一段階の判断が正しいとすると自分の評価が上がる、自己満足感が増す

・間違っていても大きな損失にならないと思う

・第一段階の情報は都合のよい解釈が可能で、違っていても後で言い訳ができる

このような判断は、判断した時点では間違っている可能性があることを覚えているものですが、時間がたつと、妥協的な判断をしたことや間違っている可能性を忘れてしまう場合もあるそうです。

 

このように、不十分な情報しかない状態での判断については、上記のような第二段階での追加的考察によって、自らの考えを正当化しようとするのではないかと考えられます。しかし、ここで見た第二段階の推論も簡便な判断であると言えるでしょう。より正しい判断を行なうためにはさらなる検証が必要であること、簡便な判断は間違っている可能性があることを認識して、その判断を改めることに躊躇しないことを心掛けなければならないと思います。

 

だたし、上記の点にさえ注意すれば、このような簡便な判断を有効に使うことによって、研究をとりあえず先に進めることができます。簡便な判断を用いることを避けようとすると「失敗や挑戦を恐れる」ということにつながり、恐らく未知なものへの挑戦やイノベーションの達成には逆効果となる可能性もあるのではないでしょうか。このような理由から私は簡便な判断であっても、十分な注意を払ったうえで有効に活用すべきであると考えています。

 

さらに、このような判断のパターンを認識することは、他者を説得する場合にも有効だと思われます。そもそも、簡便な方法で考える傾向があるのは、あることに対し熟慮する気持ち (motivation) がなかったり、情報処理する能力的余裕なかったりする場合に(あるいは年長者にありがちな傾向として)多くみられるということです[文献2]ので、例えば研究内容を十分に吟味する時間のない(年長の)経営層や、新しい成果にまだ興味を持っていない潜在的顧客は簡便な判断を行なう可能性があると思います。例えば、研究成果を経営層や他部署に納得させる場合、開発した製品を買ってもらうよう顧客を説得する場合など、データの解釈の正当性を主張するだけでなく、情報の受け手のその情報に対する正当化の手助けをしてやることによってその情報に対する信頼感を形成できるのではないかと考えられます。

 

もちろん、認知バイアスを悪用して他者の判断を誘導するようなことは厳に慎まなければなりませんし、誤った判断を正当化する情報を提供するようなことも行なうべきではないでしょう。しかし、簡便な判断を活用した大胆な仮説の構築や、判断の効率化については、そうした判断のメカニズムをきちんと認識しておけばイノベーションにとって有用な手法になりうるのではないかと思います。

 

(注)今回の話題については、心理学、行動経済学、リスク評価、科学哲学、計算機科学などの分野で様々に研究されているようです。この記事を書くにあたり、そうした成果を少し調べてみましたが、短時間ではとてもまとめきれるものではないと思いました。勉強不足、理解不十分の点も多いと思いますが、まずはとりあえずの考えをまとめたものとご理解いただければ幸いです。機会があればもう少し詳しいまとめを試みたいと思います。

 

 

文献1:菊池聡、「超常現象をなぜ信じるのか」、講談社、1998.

文献2:「消費者心理学とマーケティング -消費者心理学・消費者行動論の研究より-」ブログ記事より、「心理学のお勉強(社会心理学)No9:バイアスのかかった判断(Judgement heuristicsNo1

http://ameblo.jp/consumer-psychology/entry-10016073404.html#main

 

参考文献(上記「文献2」以外で見つけた参考になるweb上の資料です)

なお、英文表記の最後にsがあったりなかったり、日本語でもヒューリスティク、ヒューリスティックスなどの表記の揺れがあるようです。

・ウィキペディア:「ヒューリスティクス」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9

・原子力技術リスクC3研究ホームページ、「リスク認知とは」より、「ヒューリスティックスから生じる認知のバイアス」

http://tokaic3.fc2web.com/rc/rc2142.html
<2011.8.14追記:残念ながら現在このサイトにはつながりません>
同上サイトより、谷口武俊、「私たちが物事を判断するときに陥りやすい罠とは?」2004.5.25

http://tokaic3.fc2web.com/body/lesson/text02.pdf
<2011.8.14追記:残念ながら現在このサイトにはつながりません>

sapporokoyaさんブログ記事より、「心理学とヒューリスティックと科学コミュニケーション」2008.04.15

http://dole.moe-nifty.com/etc/2008/04/post_8746.html

Q-BPM.orgBPM -Business Process Management-に関する百科事典サイト)記事より、「心理バイアス」

http://ja.q-bpm.org/mediawiki/index.php/%E5%BF%83%E7%90%86%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

・友野典男、「行動経済学—経済は『感情』で動いている」、ITmediaエグゼクティブ誌 2007929日号、早稲田大学IT戦略研究所webページより

http://www.waseda.jp/prj-riim/ITS-56.pdf

・大阪大学 社会経済研究所 附属行動経済学研究センターwebページより講義資料、多田洋介、「行動経済学のイントロダクションと応用可能性について」2004.8.25

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/rcbe/event/tada.pdf

・「社会人の経済学お勉強ノート」webページより、「行動経済学入門/多田洋介,2003

http://jwiz.net/es/?no=t018&type=pdf&u=1184139561

・高尾義明さんwebページより、「意思決定とバイアス」

http://homepage1.nifty.com/~ytakao/MDMS05-03.pdf

・瀬戸口毅さんブログ記事より、「ヒューリスティクスとは/依田高典」

http://agarusagar.way-nifty.com/we_see/2010/12/index.html

(依田高典「行動経済学」岩波新書、が取り上げられています)

Web担当者Forumwebページより「選択肢は多い方が良い? アンカリング? 代表性バイアス? - 行動経済学の“選択アーキテクチャ”(中編)」

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2009/08/20/6326

同上、「利益vs損失? プライミング効果? 測定作用? - 行動経済学の“選択アーキテクチャ”(後編)」

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2009/08/21/6327

(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン著、「実践行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択」日経BP社、が取り上げられています)

・小林英二さんブログ記事より、「論理的な話が通じないワケ。行動経済学から学ぶ20のバイアス」

http://d.hatena.ne.jp/favre21/20090626

(柏木吉基「人は勘定より感情で決める 直感のワナを味方に変える行動経済学7つのフレームワーク」技術評論社、が取り上げられています)


参考リンク 

記事検索
最新記事
プロフィール

元研究者

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ