研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2011年11月

Thinkers50 -経営思想家ベスト50(2011年)

2011年のThinkers50リストが発表されました[文献1]Thinkers50は、2年に一度発表される経営思想家のランキングです。これは、webサイトでの投票と、Stuart CrainerDes Dearloveをリーダーとするアドバイザーチームの意見によって決定されるもので、アイデアの独創性、アイデアの実用性、プレゼンテーションスタイル、著作物、支持の強さ、ビジネスセンス、国際的展望、研究の厳密さ、アイデアのインパクト、教祖的な力に基づいて評価されるとされています。

単なる人気投票、流行を反映しただけのランキングと見ることもできるかもしれませんが、経営思想の最新の動向を知る上で参考になるのではないかと思いますので、以下にそのリストをまとめます。なお、独断ですが、イノベーションに関する貢献が大きいと考えられる思想家には◎(極めて重要)、○(重要)をつけてみました。独断のコメントもつけていますが、私の勉強不足で知らない点も多く、そういう方のコメントはThinkers50webページの紹介を参考にさせていただいいています。

Thinkers502011年の結果)

1、Clayton Christensen:◎、言わずと知れた「破壊的イノベーション」理論の提唱者。Thinkers50 Innovation Award受賞。

2、W. Chan Kim & Renée Mauborgne:○、「ブルーオーシャン戦略」の提唱者。Thinkers50 Strategy Award受賞。

3、Vijay Govindarajan:◎、GEとともに「リバースイノベーション」の考え方を発表。Thinkers50 Breakthrough Idea Award受賞。

4、Jim Collins:○、「ビジョナリーカンパニー」シリーズの著者。最新の著作では、不安定な環境で生き残れる会社を分析しているらしいです。

5、Michael Porter:5つの力のフレームワークで有名。Strategy Awardの最終選考候補者。2005年のThinkers50トップ。

6、Roger Martin:インテグレーティブシンキングで有名。Book AwardBreakthrough Idea Awardの最終選考候補者。最近ではデザインシンキングを提唱しているらしいです。

7、Marshall Goldsmith:エグゼクティブコーチ、360度フィードバック、MOJOで有名。Thinkers50 Leadership Award受賞。

8、Marcus Buckingham:自分の強みを発揮する、という考え方で有名。Leadership Awardの最終選考候補者。

9、Don Tapscott:○、デジタルネイティブ、ウィキノミクスで有名。Book AwardGlobal Village Awardの最終選考候補者。オープンイノベーションとの関連も。

10、Malcolm Gladwell:「The Tipping Point(急に売れはじめる~)」「Blink(第1感~)」「Outliers(天才~)」で有名なライター。

11、Sylvia Ann Hewlett:女性の能力活用や、才能を生かすマネジメントの専門家。Center for Work-Life Policy(非営利シンクタンク)代表。

12、Lynda Gratton:ロンドンビジネススクール教授。競争から協働に変わっていく、という主張。

13、Nitin Nohria:ハーバードビジネススクール学部長。リーダーシップの研究者。

14、Robert Kaplan & David Norton:「バランスト・スコアカード」の開発者。

15、Gary Hamel:プラハラードとの共著「コア・コンピタンス経営」で有名。

16、Linda Hill:ハーバードビジネススクール教授。管理職のあり方などを研究。

17、Seth Godin:「パーミッションマーケティング」「バイラルマーケティング」などで有名。

18、Teresa Amabile:○、ハーバードビジネススクール教授。創造性、モチベーションなどを研究。Breakthrough Idea AwardInnovation Awardの最終選考候補者。

19、Rita McGrath:○、コロンビア大学教授。「仮説のマネジメント」「仮説指向計画法(Discovery-Driven Planning)」で有名。Strategy Awardの最終選考候補者。

20、Richard Rumelt:経営戦略論、多角化戦略、RBVResource Based View)で有名。Strategy AwardBook Awardの最終選考候補者。

21、Richard D’Aveni:競争戦略が専門。最近では「脱コモディティ」など。Strategy Awardの最終選考候補者。

22、Jeffrey Pfeffer:「権力」「事実に基づく経営」などが有名。Leadership Awardの最終選考候補者。

23、David Ulrich:人材戦略が専門。GEWorkoutなどにも関わっていたそうです。

24、Tom Peters:「エクセレント・カンパニー」で有名。

25、Rosabeth Moss Kanter:ハーバードビジネススクール教授。企業変革、リーダーシップなどを研究。

26、Nirmalya Kumar:マーケティング、最近ではインドの経済発展を研究。Thinkers50 Global Village Award受賞。

27、Pankaj Ghemawat:「セミ・グローバリゼーション」(世界はフラットではなくローカル性も重要)を主張。Thinkers50 Book Award受賞。

28、Herminia Ibarra:「キャリア・チェンジ」で有名。Leadership Awardの最終選考候補者。

29、Daniel Pink:「ハイ・コンセプト」「モチベーション3.0」で有名。

30、Henry Mintzberg:「マネージャーの仕事」「組織の構造」などで有名。Strategy Awardの最終選考候補者。

31、Costas Markides:○、企業のイノベーションを研究、最近では社会問題への適用なども。Strategy Awardの最終選考候補者。

32、Thomas Friedman:コラムニスト。「フラット化する世界」が有名。

33、Tammy Erickson:職場における世代ギャップを研究。

34、John Kotter:変革のマネジメント、リーダーシップ論で有名。

35、Amy Edmondson:「チーム」の機能、「チーム」での仕事について研究。

36、Kjell Nordström & Jonas Ridderstråle:「ファンキービジネス」で有名。

37、Howard Gardner:「多重知能理論(Multiple Intelligences)」で有名。

38、Henry Chesbrough:◎、「オープンイノベーション」提唱。Innovation Awardの最終選考候補者。

39、Daniel Goleman:心の知能指数EQ(原著ではEIEmotional Intelligence)で有名。

40、Vineet Nayar:インドHCLテクノロジーCEO。従業員第一主義で成功。Book Awardの最終選考候補者。

41、Rakesh Khurana:リーダーシップ、CEO、カリスマなどを研究。

42、Fons Trompenaars:異文化経営論を研究。Global Village Awardの最終選考候補者。

43、Ken Robinson:創造性、教育論などを研究。

44、Andrew Kakabadse:企業トップ層、取締役会、ガバナンスなどを研究。

45、Stewart Friedman:リーダーシップ、work/lifeの統合などの専門家。

46、Adrian Slywotzky:「ザ・プロフィット」で有名。ビジネスモデルイノベーションなども。

47、Stephen Covey:「7つの習慣」で有名。

48、Sheena Iyengar:「決断」に関する研究で有名。

49、Umair Haque:新たな資本主義を研究。Breakthrough Idea AwardFuture Thinker Awardの最終選考候補者。

50、Subir Chowdhury:シックスシグマの入門書を出しています。

ベスト50のリストは以上です。どんな考え方の持ち主、どんな本を書いた人が支持されているのかはそれなりに面白いと思いますし、勉強にもなりました。ただ、ここで強調しておきたいのは、前回2009ランキングとの比較です。ちなみに、2009年ランキングでは、1位がプラハラード、2位がグラッドウェル(今回10位)、3位がポール・クルーグマン、4位がスティーブ・ジョブズ、5位がキム&モボルニュ(今回2位)でした。それと比較すると、今回はイノベーションに関連した研究者が上位に来ているのが特徴と言えるのではないでしょうか。今回1位のクリステンセンは前回28位、2位のキム&モボルニュは前回も5位でしたが、今回3位のゴビンダラジャンは前回24位、今回4位のコリンズは前回17位です。また、AmabileMcGrathChesbroughは前回はランクインしていません。つまり、イノベーションがマネジメントの重要課題として世の中の注目を集めるようになってきたのではないか、ということが今回のランキングから言えるのではないかと思います。

もうひとつ、インドの重要性が高まっているように思われる点が気になりました。インドに関係しているからという理由だけで「思想」の面で重要ということにはならないと思いますが、少なくともこのアンケートの投票者がインドに着目していること、また、中国や韓国にも着目していることが感じられるような気がします。今回は「イノベーション」が特徴になっていると思いましたが、次回は「新興国」がポイントになるのかもしれません。

こうした経営思想について、最先端の流行を追うことの自体の意味はそれほど大きくないかもしれません。ただ、リストの中に日本であまり大きくとりあげられていない思想家がいることなど(1位のクリステンセン自体、技術に関わる人以外では重要性の認識が低いように感じられますが)、世界の考え方のトレンドのようなものは知っておく必要はあるように思います。

なお、参考までに上記リストに含まれていない受賞者、最終ノミネート者も付記しておきます。将来注目を集めるようになるかもしれません。

Lucy P MarcusMarcus Venture Consulting CEOThinkers50 Future Thinker Award受賞。

・伊藤穣一:MITメディアラボ所長。Innovation Awardの最終選考候補者。

Linda Scott:オックスフォード大学教授。Breakthrough Idea Awardの最終選考候補者。

Ranjay Gulati:ハーバードビジネススクール教授。Future Thinker Awardの最終選考候補者。

Chip and Dan Heath:コラムニスト。Future Thinker Awardの最終選考候補者。

Sung-Joo KimSUNGJOO Group CEOFuture Thinker Awardの最終選考候補者。

Dong MingzhuGree Electric Appliancesプレジデント。Future Thinker Awardの最終選考候補者。

Haiyan WangThe China India Institute パートナー。Global Village Awardの最終選考候補者。


文献1:「The Thinkers50webページ

http://www.thinkers50.com/home

参考リンク

 

P&Gのすごさ-ニュー・グロース・ファクトリー

ブラウン、アンソニーによる論文「P&Gニュー・グロース・ファクトリー イノベーションの成功率を高めるシステム」[文献1]について考えてみたいと思います。この論文の原題は「How P&G Tripled Its Innovation Success Rate(いかにしてPGはイノベーション成功率を3倍にしたか)」で、著者のブラウン氏はP&GCTO、アンソニー氏はイノサイト社(破壊的イノベーションの考え方を提唱したクリステンセン氏が設立したコンサルティング会社)のマネージングディレクターです。

表題のニュー・グロース・ファクトリーとは、P&Gが採用している、体系的にイノベーションに取り組む枠組みのことで、そこでは様々なサポート体制により、創造性とスピード、信頼性を兼ね備えた「工場」のようにイノベーションが次々と生み出されるといいます。P&Gというと、オープン・イノベーションを活用したコネクト・アンド・デベロップ戦略が有名ですが[文献2]2004年から検討が始められたニュー・グロース・ファクトリーには破壊的イノベーション理論が取り入れられて成果をあげ、P&Gのイノベーション活動のうち、売上げと利益目標を満たしている割合が2000年の15%から、現在は50%まで高まったといいます。(破壊的イノベーションについては、拙稿ノート4ノート9をご参照ください。)

以下、ニュー・グロース・ファクトリーとはどのようなものか、どのように形作られていったのかを具体的に見ていきましょう。2004-2005年の段階では、次のような活動が始められました。

・破壊的成長を促すマインドセットと行動を教育

・破壊的プロジェクトに取り組むチームを支援するために、新成長事業の指南役グループの結成(指南役には失敗した経験の持ち主が選ばれた)

・新しい成長を促す組織構造を開発(成長に特化した小規模のグループを組織)

・プロセス・マニュアル作成

・デモンストレーションプロジェクトの実施

この時点では、破壊的イノベーションの基本的な考え方に沿った活動が開始されたと言っていいでしょう。

そして、2008年ごろには、ニュー・グロース・ファクトリーに次のような改善が行なわれます。

・転換的持続的(transformational-sustaining)イノベーションの推進:既存ラインの強化を目的としたイノベーションと、新製品やビジネスモデル開発を切り離すのではなく、その中間のカテゴリーとして既存の製品カテゴリーに新しい重要な便益をもたらす転換的持続的イノベーションをいっそう重視するようにした。この種のイノベーションは不確実性が高いが、ニュー・グロース・ファクトリーは不確実性を管理することを特に意図して設計されている。

・組織的サポートの強化:コア事業から切り離された新事業創出グループを立ち上げ、複数事業にまたがるアイデアを開発するとともに、新しい事業機会も追求。また、「ラーニング・ワークス」と呼ばれる消費者調査を行なう専門チームを設立した。

・戦略立案とレビュー体制の刷新:全社戦略、事業戦略、イノベーション戦略をはっきりと関連づけ。

著者は、これらの経験から、以下の6つの教訓が得られるとしています。

1、ニュー・グロース・ファクトリーをコア事業と緊密に連携させる:新しい成長を促す取り組みは、健全なコア事業の存在があって成り立つ。コア事業はケイパビリティの宝庫。コア事業でのプロジェクト進捗をフォローするような管理ツールは新しい成長への取り組みを管理するうえでも役立つ。ニュー・グロース・ファクトリーにおける迅速な学習のアプローチは、既存の製品ラインを強化する知見をもたらすことが多い。(破壊的イノベーションの理論でもコア事業の重要性は強調されていますが、コア事業の枠組みの中では新規事業は育ちにくいため、コア事業の能力を引き出しつつ、コア事業に邪魔されない適度な距離感が求められていると考えられます。)

2、意志決定にポートフォリオ思考を使う:P&Gのイノベーションポートフォリオは次の4種類。1)持続的イノベーション、2)コマーシャル・イノベーション(創造的なマーケティング、パッケージ、プロモーションによって既存の製品やサービスを成長させる)、3)転換的持続的イノベーション、4)破壊的イノベーション。

3、小さく始めて慎重に大きくする:(これも破壊的イノベーションの理論で強調されている考え方です。)

4、新規事業を評価するための新しいツールをつくる:例えば、「取り扱い学習実験(TLE: transaction learning experiments)」という仕組みがあり、少量生産と少量販売により商品の可能性を調査することが行なわれている。

5、適材適所で人材を確保する:破壊的イノベーションと転換的持続的イノベーションへの取り組みは片手間にできるものではないため、担当者は新規事業に専任するようにした。また、チームは経験豊富なメンバーを含む少人数で編成。さらに2007年には「ディスラプティブ・イノベーション・カレッジ」を開設、イノベーションの基本用語から実践方法に至るまでの講座を用意し、トレーニングを行なっている。

6、積極的に社内外との交流を促す:非競合会社との人材共有(グーグルとの交流)、外部のイノベーターの関与をいっそう高める(コネクト・アンド・デベロップの拡大-その貢献度を3倍にすることが2010年の目標)、外部からの有能な人材の迎え入れといった交流の強化が取られている。

以上が、ニュー・グロース・ファクトリーについての概要です。現在も形をかえつつ発展的に運用されているようですので、確立されたノウハウとはいえないと思いますが、そのように柔軟な進め方がとられていること自体が、不確実性の高い新規分野に対応するために必要なことなのではないでしょうか。P&Gといえば、コネクト・アンド・デベロップ戦略が有名で、成果も喧伝されていますが、これらの経緯をみると、コネクト・アンド・デベロップ戦略に安住するわけではなく、破壊的イノベーションの考え方を取り入れ、改良を加えて転換的持続的イノベーションという考え方を生み出し、さらにエスノグラフィーの考え方も取り入れ(前出の「ラーニング・ワークス」が担当しているのではないかと思われます)、これらを統合して管理可能なシステムをつくりあげようとしているようです。かといって、コネクト・アンド・デベロップ戦略は捨てられてしまったわけではなく、さらなる発展も考えられているようで、様々な考え方を生かしていることがうかがえます。コネクト・アンド・デベロップ戦略の基本となるオープン・イノベーションの考え方については、それをどううまく進めるかが課題と思われる、と以前に述べましたが、まさに、P&Gでは、オープン・イノベーションをニュー・グロース・ファクトリーに組み込むことでその潜在力を効果的にひきだすことに成功していると言えるのかもしれません。本論文の著者のひとり、Anthonyは、破壊的イノベーションを基盤とするコンサルティング会社の人ですので、本論文は破壊的イノベーションの記載が多くなっているとは思いますが、要するに、P&Gは、ある理論や思想にとらわれることなく、役に立ちそうなことはなんでも取り入れて、それらの考え方を統合改良して効果的な方法を創造しているといえるのではないでしょうか。本稿に述べられた個々の戦略がすばらしいというよりも、このようなP&Gの考え方が「すごい」と感じます。

著者は論文の最後に、「我々の経験上、個人の創造性は予測もコントロールも不可能だが、集団の創造性は管理可能である。」「ニュー・グロース・ファクトリーのプロセスには、持続可能な売上成長源を生み出す可能性がある。」と述べています。現在までのところ成果は順調のようですが、これが継続できるとしたら、理想的なイノベーションの進め方についてひとつの大きな示唆が得られるように思います。今後どう発展するのか、何か課題にぶつかることがあるのか、それをどのように克服していくのか、など、P&Gのイノベーションの動向には注目していく必要がありそうです。



文献1:ブルース・ブラウン、スコット・D・アンソニー、(Brown, B., Anthony, S.D.)、佐藤咲子訳、「P&Gニュー・グロース・ファクトリー イノベーションの成功率を高めるシステム」、Diamond Harvard Business ReviewOct 2011, p.10.

文献2P&G webページより、「コネクト+デベロップ」

https://www.pgconnectdevelop.jp/<2013.7.21現在つながりません>

参考リンク


 

研究組織におけるコミュニケーションの難しさ

研究開発活動においては、様々な場面での情報交換が必要です。例えば、野中らが提唱する知識創造に必要な「場」という概念も、情報交換をつうじてそこから何かを生み出す一種の組織と考えることができるでしょう(拙稿ノート10)。しかし、研究組織内での情報交換、その基礎となるコミュニケーションの促進はそれほど容易ではありません。そこで、今回は、研究組織内でのコミュニケーションの難しさと、コミュニケーションの活性化について考えてみたいと思います。

そもそも、コミュニケーションは同類性の高い人の間で効果的になると言われています[文献1p.359]。つまり、同じようなタイプ(知識、考え方、行動など)の人とは「話が通じやすい」ということで、これは経験的にも納得しやすいと思いますが、これは裏を返せば、違うタイプの人とは話が通じにくいということです。では、コミュニケーションを活発にしたいとき、同類性を高めることだけを考えていればよいのでしょうか。組織やしくみのマネジメントによって同類性を超えるコミュニケーションを促進することはできないのでしょうか。

以下では、特に研究組織におけるコミュニケーションの問題について、コミュニケーションを2種類のパターン、すなわち、「ヨコ」のコミュニケーション(研究者間)と、「タテ」のコミュニケーション(上司-部下間)に分けて、その問題点と対処法について考えてみたいと思います。

ます、どのような異類性が問題となるかを考えてみます。研究者のコミュニケーションを考える場合、以下の4つのポイントが重要と思われます。

・専門的知識(知識の深さの違い、分野の違い)

・話題への興味の違い(関わりの深さ、問題意識の違い)

・利害関係

・相手に関する情報(日頃の接触度合、相手がどんな人か知っているか)

専門的知識の違いというのは、研究開発部門に特徴的な要素でしょう。要するに、専門的な話(専門用語、概念)が特別の説明なしに通じるかどうかが問題となります。基本的には話題に対する専門知識の深さの違いが影響するわけですが、専門分野が違えば基礎的な知識が違いますので、一口に研究者といってもその間のコミュニケーションは容易でない場合があります。さらに、知識の深さの程度は業務経験の長さとは必ずしも一致しません。研究の場合、専門分野の狭い範囲に関しては担当する研究員自身が最も知識が多いことが普通ですので、相手が同僚であっても上司であっても部下であっても、知識の深さが異なる相手とコミュニケーションしなければならないという、大変骨の折れる状況が生じるわけで、どうしてもコミュニケーション不足に陥りやすいでしょう(特に研究手法や背景について理解不十分な相手への説明は非常に大変です)。この問題は、上述の「タテ」「ヨコ」いずれのコミュニケーションでも起こり得ます。

話題への興味の深さに関しては、「タテ」の場合は、上司が多数のプロジェクトを管理する場合に問題になります。仮に上司が十分な専門的知識を持っていたとしても、1つのプロジェクトに割く時間が少ないと、すべてのプロジェクトには十分な対応が行なえず、上司の興味が薄い話題に関しては部下のコミュニケーションの意欲が阻害されてしまうでしょう。これは単純に上司の時間的制約の問題だけではなく、個々のプロジェクトに対する期待の軽重が興味の差に現れてしまうことにも注意しなければなりません。さらに、上司には上司としての立場上の問題意識がありますので、それが第一線の意識とは異なる場合も当然あるでしょう。「ヨコ」コミュニケーションの場合には、いわゆるタコツボ化、他人のやっていることに興味を持たないために情報交流が阻害される場合が考えられます。この傾向は、仕事に没入するタイプの研究者の場合に特に顕著ですが、セクショナリズムや過度の目的指向、成果主義によって他の業務に興味を示す雰囲気、余裕がない場合のような、組織運営に基づく問題もあります。

利害関係を異にする場合、正直な情報の交換が阻害される可能性があります。「ヨコ」の場合では、例えば、個人間、部署間の競争状態がある場合、交換される情報が自分と他者のどちらを利するかによって、伝わる情報にバイアスがかかる可能性があります。「タテ」の場合には、一般に、上司は部下の評価を行なう任務を持っていることが普通でしょうから、部下自身が悪い評価を受けると予想されるような情報は上司には伝わりにくくなるでしょう。

相手に関する情報については、そもそも知らない人とは用事以外の情報交流が行ないにくいことは容易に想像できます。

実際にはコミュニケーションの阻害は上記のような要因が総合されて起こると考えられますが、組織の構造に依存している可能性にも注意が必要でしょう。おおざっぱな経験的感覚ですが、「タテ」の情報伝達に関しては、本音のコミュニケーションが自然に可能なのは、自分より2階層上、または下が限度のように思います。それ以上に階層が開くと、評価に伴う利害、知識や興味の共通性、相手の情報のどれをとってもコミュニケーションを阻害する方向に作用するのではないでしょうか。「ヨコ」の情報伝達に関しては、日ごろの協力関係(多くの場合、利害が一致する)を超えた範囲(部署の区切りで考えると、業務上の交流のない部署)とは情報伝達が難しくなることが予想されます。

セクショナリズムのような悪習はもちろん論外ですが、そうした問題のない組織でも何も手を打たなければ上述のような構造的なコミュニケーション阻害が発生する可能性があるのではないでしょうか。従って、時にはこうした観点から研究組織の形態と運営を見直すべきと考えます。例えば、組織のフラット化や、組織の垣根を低くするような制度(大部屋制など)などは検討に値すると思われますが、それだけで十分とは思われません。組織のフラット化などは「ヨコ」のコミュニケーションは促進するでしょうが、「タテ」のコミュニケーションについては必ずしもうまくいくとは限らない点に注意が必要だと思われます。これは、「タテ」制度が持つ機能(部下を評価する、多くのプロジェクト、メンバーを統括する)そのものがコミュニケーションの阻害要因となっていると考えられるからです。このような状況を打破できる可能性があるとすれば、ネットワーク組織の活用、フラット化の極限までの追求、部下の評価の放棄(例えば、拙稿「研究者の金銭的報奨」で述べたような方法)があると思われますが、いずれも最適な解決策とはなりえないように思います。野中らは、ホンダで行なわれている「ワイガヤ」の効果を述べていますが、こうした非定常的な活動も有効なのかもしれません。

このように定常的な組織にはコミュニケーション阻害の問題(特に「タテ」の問題)が存在するとなると、その問題を軽減する方法としては、その問題があることを認識した上で、個々のマネジャーが努力する必要があることになるでしょう。「タテ」のコミュニケーションの問題は、上司から部下へのコミュニケーションよりも部下から上司へのコミュニケーションの方が難しいと考えられますので、その分、上司が部下から情報を引き出す工夫が必要になると考えられます。まずは前提として、背景となるビジョンや目的を共有し、お互いに相手を知る努力をし、その上で、上司は知識をできるだけ身につけ(完璧に部下と同じ知識を身につけることは困難だと認識し、せめてポイントが理解できるよう、さらに、上司ならではの立場からの情報提供も効果的と思われます-これはコミュニケーションをつうじた協力関係と言えるでしょう)、話の内容には興味を示し(もし、上司にとってもはや興味のないプロジェクトであれば中止も考慮すべき)、利害を共有する(少なくとも上司は部下を評価する態度で接しない)ようなマネジメントが重要と考えます。

その上で、コーチングのノウハウが活用できるのではないかと思います。例えば、COACH Aはコーチングを活用したマネジメントスタイルのポイントとして次の4つを挙げています[文献2]

・コミュニケーションの量と質を変える:例えば、詰問ではなく安心して答えられる質問、部下自ら考え、問題解決を促進させるような質問、タイムリーなフィードバック、提案後のフォロー、部下のやり方・強みを認める、など。

・個別対応する:例えば、自分と部下が好むコミュニケーションスタイル、自分と部下のストレッサーは何か、自分と部下がどんなときにモチベーションが上がるかを知っておく。

・答えでなく問いを共有する:「問い」の共有により、メンバーの思考を刺激し、新たなアイディアや状況にあった行動を引き出すことが可能になる。

・「部下が自ら動き、目標達成すること」をゴールにする:上司がティーチングによって目標を達成させるのではなく、上司がいなくとも部下が目標達成できるようにする。

コーチングスキルそのものは、組織構造とは関わりなく、様々な個人対個人のコミュニケーションにおいて活用できると思われますが、組織構造が生みだすコミュニケーション阻害の問題点をコーチングスキルの活用によって補いながら解決していくことが有効であるように思います([文献2]では上記の他にも示唆に富むスキルが数多く紹介されています)。研究組織というのは、専門性の問題や研究者個人の特性によって、コミュニケーション阻害を招きやすいものです。様々な情報の出会いがイノベーションを生むことは多くの人の認めるところですが、情報の出会いづくりをイノベーター個人の能力に頼るのではなく、組織的、効率的におこなうために、コミュニケーションの活性化は不可欠だと思います。コミュニケーションの阻害要因を知り、環境を整え、マネジメントスキルを磨くことはイノベーションの実現の必要条件であるように思うのですが、いかがでしょうか。


文献1Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.

文献2COACH A webページより

「今日から変わるコミュニケーション」:スキル集http://www.coach.co.jp/coaching/change/
<2013.8.18現在、上記リンクはなくなってしまいました。>

 

「なぜ科学を語ってすれ違うのか」に学ぶ

ジェームズ・ロバート・ブラウン著「なぜ科学を語ってすれ違うのか」[文献1]を参考に、「科学」をめぐる人々の理解の違いについて考えてみたいと思います。

企業の研究者や技術者も当然ながら「科学」を利用している立場であり、その成果は一般の人々に影響を与えます。特に製造業の場合、製品の販売を通じて、あるいは地域における企業活動のためにも、使われている科学技術について一般の人々に正しく理解していただくことは必要になります。しかし、そうした理解を得ることは、実際にはそれほど容易なことではありません。残念ながら3.11震災以降、こうした問題は顕在化してきているように思われます。

科学技術者に限らず人間は、他人も自分と同じような考え方をする、と信じているところがあるといわれます。科学についてもついそのように思ってしまいがちですが、実際には、人によってかなりの認識の差があるようです。その背景には科学的知識の有無という問題ももちろんあるのですが、根本の考え方が違い、議論すら成立しない状況も見受けられるように思います。今回はこの問題について、具体的にどのような考え方の違いがあるのか、意志の疎通にはどんな点に注意すべきなのかを、科学哲学に基づいて考えてみたいと思います。

ブラウン著「なぜ科学を語ってすれ違うのか」は、やや変わった科学哲学の入門書と言えるでしょう。邦訳副題「ソーカル事件を超えて」のとおり、ソーカル事件の波紋を中心とした科学哲学の解説になっていること、原著の書名「WHO RULES IN SCIENCE? An Opinionated Guide To The Wars」にあるとおり著者の意見がはっきり示されていることが特徴になっています。このソーカル事件とは、「1996年に、ニューヨーク大学の物理学者アラン・ソーカルが、ポストモダン主義を擁護する『ソーシャル・テクスト』誌に、ポストモダンを支持するかに見せかけたでたらめなパロディー論文を投稿し、論文が掲載された直後、ソーカルはそのことを『リングア・フランカ』誌に自ら暴露した」[文献1p.367訳者あとがきより]というものであり、原題の「The Wars」は、そのころに起きた「サイエンス・ウォーズ」とよばれる科学的な知識の性質(客観性、合理性、普遍性など)をめぐる論争を指しているものであって、科学をめぐる考え方の違いを考察するにはうってつけの材料を提供していると思います。

ソーカルは政治的な目的、すなわち「左派の政治運動をお粗末な思想から奪回」[文献1p.25]する目的でこのようなことをしたと言っているようです。一般に右派、左派とはあいまいな表現ですが、著者は「左派」の本質的な特徴として「経済格差を是正したいと願っている」、「右派」は「格差是正を最大の課題のようにいうことを嫌い」、自由の重要性を強調し、伝統が重んじられることも多い考え方としています[文献1p.13]。当時の「左派」には正統的科学観に反対の立場をとる「社会構成主義者」「ポストモダニストの一部」と、ソーカルら正統的科学観を支持する人々がいて[文献1p.51]、いい加減な科学理解にもとづいた主張をするポストモダニストを愚弄することで、正統的な科学観に反対する人々を批判することがソーカルの目的であったと言えるでしょう。

ブラウンは正統的な科学観を支持する立場をとっています。ここでいう正統的な科学観とは、「ものごとには特定のありようというものがある。科学者はそれを理解しようとし、そのためにさまざまなテクニックを身につけ(そのテクニックを使ってもなお、誤ることはあるが)、多大な成功をおさめてきた。」[文献1p.23]というもので、さらに、次の点が付け加えられています。

・世界が存在し、物質とプロセスと性質が、わたしたちがそれらをどうとらえるかどうかとは無関係に存在する。それらに対するわたしたちの記述は、偽または真である(真偽が永遠にわからないこともある)。

・科学の目的は、この宇宙を正しく記述すること。純粋科学のおもな目的は真実を知ること。

・ものごとのありようを知るための道具やテクニックにはさまざまなものがあり、今後さらに発展する可能性が高い。

・これらの方法を使っても間違いは起こるが、科学は驚くべき進展をとげてきた。これらを、自然にかんする知識を得るためのもっとも頼りになる方法と考えて、今後も使いつづけ磨きあげるのが合理的である。

これに対して、ブラウンが批判する対象である「社会構成主義」は、次のように説明されます。「知識が社会的な構成物であるとは、知識はさまざまな社会的要因によってつくりあげられており、社会的な利害とは無関係に、客観的にものごとのありようを調べた結果として得られるものではないとする立場」「発見されるべき客観的事実などというものは、そもそも存在しない」。また社会構成主義とみなされることが多い「相対主義」は、「知識は(科学的な知識であれ、道徳的な知識であれ)特定の集団や社会と密接に結びついて」おり、それらには「正しい道徳も間違った道徳もなく」「事実に立脚する真実もなければ事実に反する虚偽もない」「あるのはただそれぞれの社会で受け入れられている道徳や真実だけである」と説明されています[文献1p.12-13]。上記の社会構成主義もある部分では正しいようにも思われますが(ブラウンもそういう部分的なとらえかたもありうる、と述べています)、正統的な科学観とは相容れない部分があることは理解できます。

本書においてブラウンは、主に社会構成主義者たちの考え方の問題点を整理し、それを通じて科学哲学の考え方の解説を行なっています。つまり科学哲学の諸理論の公平な解説ではないのですが、ブラウンの指摘は、一般の科学技術者にとって自分たちと異なる科学の捉え方にはどんなものがあり、その問題点はどのようなもので、異なる意見を持つ人に自分の科学観を理解してもらうためにはどうしたらよいのか、ということについてのヒントを与えてくれているように思います。ちなみに、ブラウンの考え方は一般的な科学技術者にはかなりなじみがよいと思われますので、自分の考え方の確認もできるかもしれません。以下に本書の内容のうち、科学技術者に役立ちそうな内容をご紹介します。

第1章、サイエンス・ウォーズの情景:ソーカル事件、政治的右派か左派か×正統的科学観を支持するかしないかで別れる4つの陣営

第2章、科学者の経験は理解されているか:科学的経験の特徴とそこから導かれる考え方には次のものがある。

・新奇な予測をして的中した理論はいい線をいっている

・多くの現象を統一的に説明できる理論には見込みがある

・正確な予測をする理論は有望

・思考実験には威力がある

・反証を重く受け止め、間違っていると思えば中核的信念を捨てることができる

・科学的方法は改良される

第3章、科学哲学は何を問題にしてきたのか:経験論とは、あらゆる知識は感覚的経験に基づいているとする立場。検証主義とは、命題は経験によりたしかめられてはじめて意味をもつという立場。合理論は、経験論と対立する考え方で、知識のなかには感覚的な経験によっては基礎づけられないものがある、とする。合理主義は社会構成主義と対立するととらえられることが多く、科学上の判断は、合理的論拠と証拠にもとづいておこなわれるべきだという立場。その他、ポパー、クーン、ラカトシュ、ラウダンの考え方も紹介されています。(参考:拙稿「理性の限界」「知性の限界」、「科学哲学の使い方」)

第4章、社会構成主義のニヒリズム派とポストモダン:ソーカルが攻撃したポストモダンは社会構成主義のなかでニヒリズムよりの一翼であって、社会構成主義全体としてみればかなり特殊な集団。ポストモダンの中心概念は、合理主義に反対すること、客観的真理の存在を認めないこと、ローカリズム(観点主義、ごく限定された記述のみが正しく、大きな理論は必然的に間違っているか抑圧的)と考えられる。ニヒリズムは「すべての思想は観点に依拠し、事実というものは存在せず、あるのはただ解釈だけ」というニーチェの全面否定に基づく。ファイヤアーベントもニヒリスト陣営に属するが、多元論(ライバル理論が進歩に寄与する)という考え方から、後年「なんでもあり」(競合する理論は、それが何から生じたものであっても、人々の暮らしを豊かにし、自らの見解に疑問を投げかけるという健全な行為のために役立つ。真に重要なのは「真理」という思い上がった概念ではなく、人間の幸福。)に意見が変化していく。

第5章、3つのキーワード――実在論、客観性、価値

・実在論:ふつう、あるものが実在すると思っていることにたいして実在論という言葉が使われるが、哲学的立場としては、1)科学の目的は実在を正しく記述すること、2)科学理論は正しいか誤りかのどちらか。正否は理論を検証する方法や、わたしたちの心の構造や、社会などにも依存しない。3)理論が正しいということは証拠によって裏付けることが可能(しかし、すべての証拠が理論を支持しても誤りである可能性は残る)、とする。反実在論は「真実を知ろうとしてもむだ」という考え方で、道具主義は、科学の目的は真理を明らかにすることではなく、経験に照らして妥当な説明を与えること(正しいかどうかは重要でない。理論は経験を体系的に整理するのに役立つ記号体系。)。カント主義も反実在論で、ものごとが正しいかどうかは多くの場合、わたしたちの心の構造によって決まるとされる。懐疑主義者はいかなる科学的信念も、証拠に照らしてその正しさが証明されることはない、と考える。社会構成主義は、そもそも科学者は真実を知ることなどを目指すわけではなく、自らの社会的利害に奉仕する理論を推進しようとしている、とする。

・客観性:実在論は客観主義をとるが、反実在論の中にも客観主義をとる考え方がある(道具主義、検証主義)。客観性は、存在論的な意味(ものごとはどうなっているか)と、認識論的な意味(いかにして知識を得るか)を区別して考えることが重要。存在論的には、我々と関係ない事実(客観的)と、我々の判断が入る事実(主観的)を区別できる。認識論的には、客観的とは合理的論拠と証拠に基づく信念であって、そうでないものが主観的と言える。ただし、客観的であるからと言って正しいことにはならない。社会構成主義は主観性を重視する(本当の争点は、認識論的な客観性と主観性の違いである)。

・価値命題とは、「~であるべき」というもので、事実命題(「~である」)とはことなり、一方を他方から引き出すことができない。価値には「認識論(認知)的価値(その根拠を経験的事実に還元できるような価値)」とそれ以外の価値がある。科学はいかなる価値にもとらわれない、と考えるよりも、経験にもとづく検証ができない価値にはとらわれるべきでない、と考えるべき。

第6章、社会構成主義の自然主義派:この分野の研究はSSKSociology of Scientific Knowledge、科学知識の社会学)として行なわれている。自然主義とは「何かを理解するということは、その対象を科学的に調べることであり、調べる対象が科学それ自体であっても同じこと」「自然界を理解する唯一の方法は科学的アプローチ」という立場。しかし、規範のような、一見して自然科学に基礎づけられていないものを、除去するか、再解釈するか、ともかくも何か説明をつけることによって、自然科学に基礎づけられたものにしようとする。しかし、その結果として社会構成主義がもたらされてしまう。これらの基礎となるブルアの考え方の紹介、議論がなされています。

第7章、合理的論拠の役割:合理的であることが信念の形成にどう影響するかが議論されます。ブルアは「因果の物語のなかに、合理的論拠という自然主義的ではない観念が侵入することをやめさせたい」と言います。つまり、合理的論拠に基づく説明は、因果的ではないとみなさなければならず、それゆえ自然主義的でもなければ科学的でもない、という主張です。これに加えて決定不全性(2つの理論のうちどちらが正しいかを決定するには証拠が足りない)を考慮に入れることで、ある信念の採用が社会的ないし心理学的理由によって採用された、という社会構成主義の考え方が出てくる、というのがブラウンの分析のようです。当然、ブラウンはこうした考え方には反発し、合理的論拠は信念の原因になりうる、という立場です。

第8章、科学の民主化:この章では、社会構成主義の議論を離れ、科学の民主化の問題が議論されます。マルクス主義との関係、専門家から権力を取り上げる考え方、弱者の文化と極端な相対主義の問題、大衆のための科学の運動、一般市民は科学の内容を理解することよりも専門家たちの社会関係を理解すべしとする考え方などが取り上げられます。その上で、代表制民主主義、理論の相対評価、多元主義、幅広い可能性の考慮などが提案されます。

第9章、社会的行動計画をもつ科学:科学的知見が社会を動かす論拠として使われる可能性が議論されます。正統的科学観をもつ人たちの考えとしては「価値は、科学研究の方向性を決めはしても、わたしたちが最終的に信用する理論の内容を決めているわけではない」とされます。そして、「わたしたちは社会をより良いものにするために行動できるし、行動すべきなのだ。科学者もそうだが、とくに科学哲学者は、社会の不平等を正当化するようなニセ科学を論駁できるという、社会貢献という観点から特別の位置に立っている。」としています。なお、「あとがき」では、「知識の営利化」が問題と指摘されます。これは企業の立場としては自戒しなければいけないことかもしれません。

なお、ブラウンは、科学と技術は明確に区別していて、本書では科学の問題が議論されています。科学を応用するものとして技術を考えると、価値の問題、目的の問題など、議論がさらに複雑になってくるとは思いますが、社会との関わりの根本のところは同じ問題を抱えているのではないでしょうか。少なくとも、科学や技術の恩恵や迷惑を受ける一般の人は、科学と技術を明確に区別していないようにも思われます。従って、大筋では本書の議論は技術的な話題にも適用が可能ではないか、と思います。

以上が本書の内容の私なりのメモです。内容については、著者の考え方の哲学的側面について考えることが本来なのでしょうが、ここでは、科学哲学を使う立場にいる者として、科学に関する考え方の違いをどう扱えばよいかや、自分と異なる考え方を解釈する上でのチェックポイントになりうると思われる記述を集めてみました。科学技術者にとって、自らとは異なる考え方に接した時、特に、話がうまく通じないなどの違和感を持った時には、上記の観点でチェックをしてみれば、違いのポイントを掴めるのではないかと思います。その違いをきちんと認識しておかないと、話はいつまでも「すれ違い」のまま、ということも起こり得るのではないでしょうか。相手の考え方も尊重しつつ、こちらの考え方もなるべく理解してもらうための具体的な知恵としても、科学哲学が使えるのではないか、と思った次第です。



文献1James Robert Brown, 2001、ジェームズ・ロバート・ブラウン著、青木薫訳、「なぜ科学を語ってすれ違うのか ソーカル事件を超えて」、みすず書房、2010.

参考リンク<2012.2.19追加>


 

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