研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2011年12月

1年後のTime誌「2010年のベスト50発明」

今年もTime誌の2011年ベスト50発明(2011.11.28号)が発表されました。その内容も興味のあるところですが、詳細に紹介して下さっている方がいらっしゃいますので[文献1]、ここでは少し視点を変えて、去年のベスト50発明が今どうなっているかを調べてみました。

調べたといっても、Googleの検索で何か新しい展開があったかどうかを確認してみただけですので、細かい点で漏れや抜けがあるのはご勘弁いただかざるを得ないですが、発明というものはどうやって育って、あるいは消えていくのかについてのヒントが得られるかもしれない、と思って試みてみました。結果としては、去年から情報が増えていないもの、ビジネスとして立ち上げる努力がされているもの、軌道にのっているように見えるものなどいろいろでした。以下に各発明についての調査結果を列挙しますが、Time誌記載順ではなく、その発明が現時点でどの段階にあるか(独断ですが)に基づいて区分してみます(No.は去年のTime誌記載の順位です)。なお、ここで「新情報なし」とは、Time誌の記事以降、目立った記事がないもの、その他のコメントを入れているものは、2011年に何らかの活動の情報があったものです。

アイデア・基礎研究段階の発明(技術未完成または市場性不明確)

No.1NeoNurture Incubator(古い車の部品を使って作った新生児保育器):新情報なし。

No.3First Synthetic Cell(初の人工合成細胞):新情報なし。

No.12Lab-Grown Lungs(実験室でラットの肺を幹細胞から再生):肺のラットへの移植を行ない、機能したものの血栓や出血の問題が発生。

No.13The Deceitful Robot(状況に応じて嘘がつけるロボット):新情報なし。

No.14Sarcasm Detection(皮肉を読み取れるソフトウェア):新情報なし。

No.15BioCouture(バクテリアがつくるセルロース繊維生地):研究継続中。Webサイトあり。

No.18The Straddling Bus(道路を走る車を跨いで走る立体バス):新情報なし。

No.373-D Bioprinter3Dプリンターで細胞を組み立てて臓器を作る):開発中。Webページあり。

No.40-41Body Powered Devices (身体の動きからのエネルギー回収):ピエゾ素子によるエネルギー回収技術開発中。Webページあり。

No.42Body Powered Devices (地下鉄からのエネルギー回収):新情報なし。

No.45The Malaria-Proof Mosquito(遺伝子操作で生み出したマラリアを媒介しない蚊):新情報なし。No.46The Mosquito Laser(蚊を選択的に攻撃するレーザー):新情報なし。

基礎技術は確立され、製品化・実用化を目指す段階の発明(少なくとも使える試作品があり、用途も想像できるもの)

No.2The (Almost) Waterless Washing Machine(ほとんど水を使わない洗濯機-ナイロンビーズで洗濯):開発継続中(実用化トライアル)。

No.4The X-51A WaveRider(超音速軍用機):開発中、2011.6月の試験は失敗。

No.7Lifeguard Robot(水難救助ロボット):新情報なし。

No.9The English-Teaching Robot(ロボット英語教師):新情報なし。

No.16Faster-Growing Salmon(遺伝子工学によって生まれた成長速度2倍の鮭):研究継続中。Webページあり。

No.17Road-Embedded Rechargers(道路に埋め込まれ、電磁誘導で電気自動車に給電するシステム):実用化試験中。

No.19Edison2(超軽量自動車):開発継続中。Webページあり。

No.20Antro Electric Car(軽量小型電気自動車、太陽電池、人力チャージつき):開発継続中。Webページあり。

No.24Amtrak’s Beef-Powered Train(列車燃料として牛脂からとったバイオディーゼル油を利用):1年間の実使用試験成功。

No.28Super Super Soaker(水の噴流で爆弾を処理する装置):新情報なし

No.29Martin Jetpack(一人用の飛行装置):高度5000ft(約1500mまでの飛行試験成功、開発中。

No.31Google’s Driverless Car(無人運転自動車):開発中。

No.32Deep Green Underwater Kite(水中に設置し海流で発電する凧のような装置):開発中。Webページあり。

No.36STS-111 Instant Infrastructure(無人飛行船):Argus Oneと改名、開発中。

No.38Spray-On Fabric(スプレーで布地、衣服を作る):開発中。Webページあり。

No.39Iron Man Suit(人のパワーを増強するロボットスーツ):新情報なし。

No.43Less Dangerous Explosives(安定性の高い爆発物-軍事目的):新情報なし、メーカーwebページあり。

No.44Terrafugia Transition(空飛ぶ自動車):米国政府が発売承認、2012年発売か?

No.47Power Aware Cord(電流が多く流れるほど明るく光るコード):新情報なし。Webページあり。

製品化・実用化済みの発明

No.5Responsible Homeowner Reward Program(住宅ローン返済を滞らせなければ返済額を割り引くシステム):実施継続中。Webページあり。

No.6Sony Alpha A55 Camera(半透過ミラーを使ったカメラ):販売中、上位機種α65、α77も発表。

No.10Square(スマートフォンでクレジットカード決済ができるアタッチメント):使われ始めている模様。

No.11Bloom Box(燃料電池):いくつかの企業に導入されているようです。

No.21Electric-Car Charging Stations(電気自動車充電設備):Timeで取り上げられたのはCoulomb Technology社ですがそれ以外にも多数あり。

No.22Sugru(接着性加工性耐久性に優れた粘土):市販されています。Webページあり。

No.25eLegs Exoskeleton(身障者用の歩行補助装置):実用化済み。Webページあり。

No.26Woolfiller(セーターの虫食い穴を補修する材料):実用化済み。Webページあり。

No.30Better 3-D Glasses(3D眼鏡改良版):市販中。

No.33Looxcie(耳につけるビデオカメラ):市販中、改良品もあり。

No.34iPad(有名なので説明省略!):販売中。

No.35Flipboard(情報を整理して見せてくれるiPadアプリ):iPhone版も発表。好評らしいです。

No.48X-Flex Blast Protection(爆風を防げる壁紙):販売中。Webページあり。

No.49EyeWriter(目の動きで文字入力ができる装置):実用化済み。ロボット操縦ができる改良品もあり。Webページあり。

No.50Kickstarter(ネットで資金調達できる仕組み):稼働中。Webページあり。

製品化前提でない発明

No.8The Plastic-Fur Coat(値札止め用のプラスチックピンを多量に刺したコート)

No.23The Plastic-Bottle BoatPETボトル船で太平洋横断)

No.27The Seed Cathedral(上海万博での英国パビリオン、種の入った樹脂ファイバーで飾られている)

1年という期間は研究開発の成果を論ずるには短すぎる期間と言えるでしょう。しかし、このように研究のフェーズに分けてみると、1年でどのような動きがあったかの傾向が見えるように思います。まず、アイデア・基礎研究段階の発明については、「新情報なし」のものが多い傾向にあります。もちろんこの中には、研究開発継続中で、単に新たな成果が得られるのに時間がかかっているものや、実用化を想定して結果を伏せているものもあると思われます。しかし、いくつかは研究が壁にぶつかったり、すでに開発を中止しているものもあるでしょう。この段階の発明は、不確実性が高く、短期間での評価も難しいことが言えると思います。次のフェーズ、すなわち製品化・実用化を目指す段階の発明については、「新情報なし」が1/3程度に減ります。このうち、軍事目的の3件については、意図的に発表されていない可能性もあるかもしれません。この段階の発明でも消えてしまったものもあるでしょうが、多くは開発をがんばって続けている印象です。次の製品化・実用化済みの発明については、すべてに新情報がありました。この段階の発明が消えてしまうとすれば、一旦市場に出た後、市場に受け入れられない場合、ということになるでしょうから、その結果が明らかになるためには1年という期間は短すぎると言えるでしょう。ただし、評判が高く、大きく伸びているものと、あまり発展していないものの差が出始めている印象は受けました。

研究開発の前に立ちはだかる壁については、以下のように言われることがあります(厳密な用語ではありませんが、私は次のように理解しています)。

魔の川:アイデア・基礎研究から実用化を目指した研究までの間の壁

死の谷:実用化研究から製品化までの間の壁

ダーウィンの海:製品が市場による淘汰を受けて生き残る際の壁

この考え方を1年後のTime誌ベスト50発明にあてはめると、いずれの壁も1年で越えられるものではなく、ドロップアウトの確率は、魔の川ではかなり高いということが言えそうな気がします。死の谷、ダーウィンの海でのドロップアウトの確率は魔の川よりは低いようですが、これは、単にあきらめる判断が1年ではできない、ということかもしれません。もちろん、Time誌のベスト50の選定自体、サンプルとして定量的な議論に耐えうるものではありませんが、研究におけるタイムスケールと不確実性のイメージを与える材料にはなりうるような気がします。5年後ぐらいに再調査したらどうなっているか、多少興味のあるところです。



文献1hiranoxxさんのブログ記事、「TIME誌が選んだ今年の発明品ベスト50 @2011」(その1~4)

http://ameblo.jp/hiranoxx/entry-11089069670.html

http://ameblo.jp/hiranoxx/entry-11089307539.html

http://ameblo.jp/hiranoxx/entry-11090865878.html

http://ameblo.jp/hiranoxx/entry-11090890548.html

参考リンク


 

協力的環境と研究-「不機嫌な職場」に学ぶ

以前に研究における競争の重要性について書きましたが(競争心と研究開発)、競争の対極としてとらえられることの多い「協力」も研究にとっては重要です。異なる考え方との出会いによって新たな発想を得ることは言うまでもなく、多様性を創造につなげるためにも、組織的知識創造の基盤としても、また比較的単純な分業を行なううえでも、協力的な環境は研究の遂行に役立つはずです。

ただ実際には、競争と協力のバランスをとることはそれほど容易なことではないように思います。特に、外部に対して競争を行ない、社内でも競争的環境に置かれながら、研究グループ内では協力を維持することが求められるとき、何らかのマネジメント上の工夫が必要になるのではないかと思います。今回は高橋克徳、河合太介、永田稔、渡部幹著、「不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか」[文献1]に基づいて、協力の問題について考えてみます。なお、今回は、オープンイノベーションで想定しているような外部との協力関係構築については除外し、組織(研究グループ)内での協力について考えます。

本書の著者らの問題認識は、近年日本の会社では協力行動が阻害されており、それが原因で職場環境が悪化、生産性や創造性が低下し、品質問題や不正、個人の疲弊が起こる等の問題が起きているというものです。著者らは協力行動阻害の原因について、個人の視点からではなく、組織の問題としての観点から、以下の3つのポイントを指摘しています [文献1p.37-66]

・役割構造:近年の成果主義重視と仕事の高度化は組織のタコツボ化をもたらし(他人がやっていることがわからない、興味を持つ余裕がない)、個人の力は高まったが個人間のつながりを弱める結果となった。

・評判情報:効率性の追求により仲間に関する評判情報の流通機能、情報共有、インフォーマルネットワークが弱体化し、協力関係を構築、発展させるきっかけが失われた。

・インセンティブ:従業員は、会社があてにならないものだということに気付き、協力行動よりも自らのスキル開発を考えるようになった。

成果主義については、効率向上、個人能力の向上という効果があることは著者らも認めていますが、それがもたらす協力関係の毀損は問題と言わざるを得ないと思います。著者らは、そうした協力行動阻害の背景には、協力の見返りとして何かが得られるという信頼関係が失われていることがあると指摘しており、確かにこうした傾向が日本企業の閉塞感につながっているのかもしれません。研究者に必要な専門性の育成は、組織のタコツボ化を促進する傾向があることを考えると、それが協力関係の阻害に繋がらないようにすることは研究マネジメントとしてまず必要なことだと思われます。

著者らは、グーグルやサイバーエージェントの事例などをもとに、問題を改善し協力を促すためには次のような点が重要だとしています [文献1p.91-201]

役割構造を改善する方策:

・個人の利益を越えた目標、価値観の共有化:ビジョン設定だけでなく、ビジョンや価値観を共有化するために努力する。

・発言や参加の壁をつくらない。

・特定の人しかわからない状況をつくらない。

・フラットな組織、流動的な組織により役割固定化を防ぐ(タコツボ化抑止)。

・考えられた異動による交流促進と、異動損しない仕組みづくり。

・他人と一緒に働けること、自分で動けることを重視して採用する。

・援助行動のルール化

評判情報の共有:

・出会い、交流の場を設ける(社員旅行など)

・個室を作らないオフィス

・メーリングリストによるコミュニティづくり

・ブログ活用、インフォーマルネットワーク支援

・インフォーマル活動自体を魅力あるものにする。

インセンティブ構造:

・感情を重視する。効力感(手ごたえ、まっとうな反応、感謝)を与える。

・社内での認知の促進、仕組みづくり。

・働きやすい環境、優秀な仲間、互いが認知される風土→エンジニアにとっての価値ある報酬となる。

・フラット、リスペクト、フェアという価値観の徹底(グーグル)。

・公私混同の職場環境→会社と個人の一体感醸成。

ただし、著者らは、これらの方法論について、何か一つの必殺技のボタンがあるわけではなく、多角的に仕掛けていくことが大切であり、またすぐに効果があらわれる類のものではない、と言っています[文献1p.144]。その意味では、確立された方法論と言えるものではないでしょう。しかし、おぼろげではありますが、協力行動を促すための方向は見えているのではないか、そしてそれは実現不可能な方法というわけではない気がします。おそらく、それは、社員がやりがいを持ち、安心して仕事に取り組み、十分な情報を持ち、お互いに協力したくなるような環境を整える、ということなのではないでしょうか。社員同士の協力行動をひとつの経営資源と考えるならば、このような取り組みを考えてみる価値はあると思われます。少なくとも、協力関係の喪失によって組織の能力が低下しているという著者らの警鐘には耳を傾ける必要があるでしょう。

ただし、気になる点としては、これらの方策のいずれも、仕事にある程度の余裕(つまりムダな部分)が必要なのではないか、ということです。成果主義など、個人の能力向上による効率化を求めた結果として協力関係が崩壊したということは、効率化と協力行動は相容れないものである可能性があることになります。そして単純に考えればそれはおそらく真実なのでしょう。そうなると、協力行動を犠牲にして効率化を追求すべきか、それとも効率を犠牲にして協力行動を獲得すべきか、という議論になってしまう可能性もあるわけです。著者らの結論は、協力行動を重視した方がよりメリットがある、というもののようですが、残念ながら本書に示された説明だけでは、効率追求派を納得させるだけの根拠にはなっていように思います。そうなると要は経営思想の問題、という考え方をする人もいるでしょう。しかし、協力行動が長い目でみればよい成果につながる、という著者らの意見には同意せざるをえないように思います。

もちろん、研究活動を他の企業活動と同じ基準で考える必要はありません。例えば、あるプロジェクトを分担して進めているような場合、その中にはいわば強制された協力関係があり、上述のような自発的な協力関係の構築とは異なる進め方が必要な場合もあるでしょう。また、一人のリーダーに率いられた研究プロジェクト(大学での研究などではよく見られる形態ですが)ではグループ内での協力関係よりは、中央集権的な指揮命令系統に従った運営の方がよい成果が得られることもあるでしょう。製品開発においても、一人のアイデアで全体を統一した方がよいのか、多くの人の協力によって製品をつくりあげたほうがよいのかは議論が分かれるかもしれません。しかし、協力が必要なときに、協力が得られない組織というのは、組織の機能として柔軟性が低いことは確かだと思います。これからの時代、画一的な研究の進め方では成果を得ることが難しくなっていくかもしれません。そんな時、協力行動を活用してイノベーションを進めることも必要になるのではないでしょうか。そもそも、研究活動には「ムダ」や多様性の要素が必要です。多少の非効率があったとしても、協力行動によって新たなアイデアが得られ、問題が解決できるのなら、また、多くの人のプロジェクトへの参画意識が高まるのなら、協力行動の促進は研究の成功率を高める作用があるかもしれません。また、協力行動が環境によって左右されるものであるのならば、効率を追求しながら協力的な環境を作る、ということも不可能ではないでしょう。上記の方策はそのヒントを与えてくれているように思います。

競争心の強い研究者がよい業績を挙げる、という例は数多くあります。しかし、普通の研究者が「機嫌のよい」職場で、やりがいをもって仕事をし、自らの力を十分に発揮して、組織として成果を挙げる、というのも望ましい研究の姿なのではないか、という気がします。企業における研究マネジメントの役割としては、後者の方が重要性が高いのかもしれません。


文献1:高橋克徳、河合太介、永田稔、渡部幹、「不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか」、講談社、2008


(参考)

高橋克徳、河合太介、「『不機嫌な職場の治療法』の全記事一覧」、DIAMOND ONLINE2009.1.21-6.24

http://diamond.jp/category/s-unhappy

中野目純一、「“不機嫌な職場”は変えられる 永田稔ワトソンワイアットコンサルタントに聞く」、日経ビジネスON LINE2008.7.5

http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080702/164216/?P=1

参考リンク


 

 

 

iPS細胞研究に見る研究の進め方雑感

iPS細胞(induced pluripotent stem cell、人工多能性幹細胞)は、山中伸弥京都大学教授がその作成方法を開発したことで有名ですが、その多能性(あらゆる組織の細胞になる可能性を持つ性質)のゆえに多くの応用が期待されています。しかし、その実用化のためには解決しなければならない課題も多く、単なる学問的興味を越えた「使える」成果を獲得できるかどうかには、研究の進め方も関わってくるのではないかと思われます。

朝日新聞大阪本社科学医療グループ著、「iPS細胞とはなにか 万能細胞研究の現在」[文献1]という本では、iPS細胞の解説だけでなく、研究の進め方ついても触れられていました。そこで、本稿では研究の進め方、マネジメントの観点からの感想を述べさせていただきたいと思います。

iPS細胞の研究においては、研究マネジメント上次の点が重要だと考えます。まず、不確実性が高いこと、しかしその状態で実用化を目指していること、成果への期待が大きく(金銭的期待も含めて)競争相手が多いこと、生命倫理に関わる問題があり科学技術社会論(STS)の立場からの考慮が必要なことがポイントとして挙げられると思います。このうち不確実性については、成功するか失敗するかがわからないという不確実性とともに、予想していなかったような応用が開ける可能性も含めて考える必要があるでしょう。このような最先端技術の研究では技術的な成功がとかく注目されがちですが、企業における研究と同様、技術的な成功は実用化のひとつの前提条件にしかすぎません。報道などでは特許の問題もよく取り上げられますが、それも成功のためのひとつの条件であって、要するに実用化に必要なこと全体のマネジメントができなければ目的が達せられない性格を持っているといえるのではないでしょうか。

ES細胞(胚性幹細胞、受精卵を壊して作る万能細胞)など、他の幹細胞研究も含めてこの分野での競争は激しく、研究投資も活発なようです。これはひとえに再生医療や医薬品開発の効率化などへの期待に基づくものと考えられますが、最終的に成功に至るのは誰か、それがどのような形になるのかは現段階でははっきりしないと言えるでしょう。それでもこの不確実な段階で戦略を決め、投資を行なっている人々がいます。一方、現段階では研究の推移を見守り、もっと実用化の可能性がはっきりするまで参入の判断を待つという戦略をとる人たちもいるようです。研究マネジメントを考える上で、様々な人々が様々な戦略で課題に取り組み、最終的にどのような成功例が得られるのか、現在進行形のケースとして非常に興味深いと思っています。

文献1では、研究マネジメントについての細かい議論がなされているわけではありませんが、いくつかの興味深い戦略が取り上げられていますので、その内容をご紹介しておきたいと思います。

・京都大学iPS細胞研究所:20104月設立、所長は開発者の山中教授。研究者同士の情報交換や議論を活発にしたいという山中教授の要望で、仕切りを設けずにグループで共有するオープンラボ形式になっている[文献1p.12-13]。この研究所の前身は20081月に京都大学が設立したiPS細胞研究センターで、これは200711月の山中教授のヒトiPS細胞作製成功発表の直後のこと。この設立に続いて20084月には「産業応用懇話会」を開催、企業との連携を企画、20086月にはiPS細胞関連特許の管理活用を図る会社「iPSアカデミアジャパン」が設立された。文部科学省も研究の支援を強化、20082月には研究拠点を定め、3月には20を超す大学や研究機関が連携するネットワークが立ちあがった。iPS関連の研究予算も2007年度の2.7億円から、2011年度には60億円に届く勢いであるという[文献1p.73-82](この金額は京都大学だけが対象ではありません。実際には、文部科学省以外に厚生労働省、経済産業省などからの研究費支出もあるようです[文献2])。このような研究支援、体制整備の一方、政府がロードマップ(工程表)をつくり臨床応用を目指す進め方に対しては、そういう計画を立てること自体に対する疑問や、「日本政府はiPSに力点を置きすぎているように見える」という批判もあるようです[文献1p.146-147]iPS細胞が日本発の技術であることは、日本の研究者の意欲を高める上では重要なことですし、研究の重点を絞る意味でも重要ではありますが、それだけに集中しすぎてしまうことにはリスクもあることには注意が必要でしょう(おそらく研究者の皆さんはその点はわかっておられると思いますが、不確実なものを取り扱った経験の少ない研究者以外の方の反応には特に注意が必要と思います)。

・アイピエリアン社:アメリカのバイオ企業。バイエルが開発したヒトiPS細胞の特許をイギリスで権利化。京都大学との交渉により、アイピエリアン社の保有する特許を京都大学に無償で譲渡するとともに、アイピエリアン社は京都大学の保有する特許の使用許諾を受けるライセンス契約を結んだ。これによりアイピエリアン社はiPS細胞を使った創薬ビジネスが加速できるという。ベンチャー企業としてのこうしたアプローチは有効でしょう。アイピエリアン社が京都大学の技術を有効活用できるなら、有効な戦略だといえるように思います。

・ハーバード幹細胞研究所:2004年設立。ES細胞の研究実績が豊富だが、iPS細胞についても山中教授のマウスでの成功発表(20068月)以降、積極的に取り組み多くの成果を挙げている。設立にあたっての方針は3つ、1)多くの分野の研究者を集める、2)チームとして働きたい人を集める、3)若者に活躍してもらう、であるという。患者が必要だと思うことから考えて研究の方向性を定め、製薬会社がしていない研究を行なうという目標を明確に掲げる。研究所の副所長が研究者(ハーバード大学メルトン教授)で、所長はバイオ企業で働いていたビジネスマンであり、ビジネスモデルの確立までを視野に入れて研究を進めている。研究所には70人の独立研究者がいるがその多くは専任ではなく、様々な学部や病院、研究所の仕事と兼務、さらに学内外に協力研究者が100人いるという体制。新規採用の独立研究者に対してパッケージと呼ばれる研究資金(研究費、給料、研究者を雇う資金)を1億円~2億円(最初の35年分)与え、すぐにでも研究が開始できる条件で研究者を迎え入れることにより若手に活躍のチャンスが与えられている[文献1p.138-160]。ちなみに、同研究所の2011年度総支出は17.7百万ドル(約14億円)とのことです[文献3]。アメリカではiPS細胞以前にES細胞による研究の蓄積がありますが、それに加えてこうした柔軟な体制のおかげで、iPS細胞研究においてもすぐに日本に追いつくことが可能だった、ということかもしれません。なお、ここに書かれた組織の特徴は、著者(新聞記者)の見た目による日本との違いが強調されていると見ることもできると思いますが、このような研究の進め方は、アメリカにおける幹細胞研究の柔軟な取り組みを示す例ともいえるのではないかと思われます。

ハーバード幹細胞研究所のやり方は、研究者の流動性が高いアメリカならではの体制という面もあるでしょう。また、山中教授も指摘するように、アメリカでは基礎科学に対する関心が高いこと[文献1p.163]、研究分野の垣根が低いという文化、研究現場でのヒエラルキーがなく若手が力を発揮できること[文献1p.159]にもよっているでしょう。しかし、研究の目標に応じて、組織や体制を柔軟に作っている点は参考になる点があると思います。特に、リーダーやマネジャーが目的に応じて、組織の形態や運営方法までも最適と思われるものに作り上げていく点は、研究マネジメントにおける創造性の発揮ともいえるのではないでしょうか。既存の組織ややり方にとらわれることで研究に障害が発生しないよう、十分に注意して研究を進めていただきたいと思います。

iPS細胞の研究は、従来できなかったことが可能になる、従来のやり方をシンプルに行なうことができる(受精卵を壊すES細胞のような倫理的問題がなく、技術的にも易しい)、という破壊的イノベーションの特徴を備えていると思います(典型的な例とは言えませんが)。もし、この技術が破壊的な性格を持つのであれば、予測できない技術面や用途面の展開もありうると思われます。そうだとすると、技術の確立とともに、それをうまく実用化にもっていくためのマネジメントが非常に重要になるはずです。企業内でこの研究を行なうのであれば、小規模な投資で始めることが好ましいはずなので、大きな期待は持ちつつも小さな実用化を目指すアプローチも有効かもしれません。ちょうど今日、iPS細胞を用いた血小板製造技術開発成功のニュースが報道されましたが[文献4]、様々なアイデアが求められているのでしょう。現在のところ、「官」主導による大きな投資によって競争上優位に立つことが優先されているようですが、その成果を「産」に生かすにはどのようにマネジメントすべきか、試行錯誤的な取り組みも求められているように思います。

期待が大きいけれども不確実性の高いiPS細胞という技術が、どのようなアプローチによって花開くのか、やはり技術の開発、確立が重要なのか、それともそれに加えてマネジメントが重要になってくるのか、勝ち残るグループはどこなのか、どんなやり方をすれば勝ち残れるのか、何が成功のポイントになるのかなど、マネジメント上興味深い点は多くあります。この研究の進展をフォローすることによって、不確実性の高い研究をマネジメントする方法について重要な示唆が得られるのではないでしょうか。どんな形で花開かせることができるのか、大きな期待を持って見守っていきたいと思います。以上、傍観者としての感想なので、研究者の皆さんにはご不快の点もあるかもしれません。研究者の皆さんにはぜひ頑張っていただきたいと思って応援していますのでご不快の点はご容赦いただければ幸いです(援護射撃にでもなっていれば幸いです)。


文献1:朝日新聞大阪本社科学医療グループ著、「iPS細胞とはなにか 万能細胞研究の現在」、講談社、2011.

文献2:文部科学省、iPS細胞等研究ネットワークwebページより、「iPS細胞研究 再生医療への道 1. iPS細胞研究 過去最大の予算規模」、2010.4.8.

http://www.ips-network.mext.go.jp/column/regenerative_medicine/no01.html

文献3Harvard Stem Cell Institute Annual Report 2011よりFinancial Highlights

http://www.hsci.harvard.edu/2011AR/financials.php

文献4asahi.comより、「血小板、iPS細胞で限りなく増殖 京大グループ成功」、2011.12.11.

http://www.asahi.com/science/update/1211/OSK201112100166.html



参考リンク<2012.2.19追加>

 

研究マネジメント・トピックス目次(2011.12.4版)

このブログの「研究マネジメント・トピックス」というカテゴリでは、「ノート」に入れられなかったものの、重要だと思われる話題について本や記事の引用をベースに書いています。その目次を整理しなおしました(前回整理は2011年4月)。記事に関連したリンクは別ページにまとめ、リンクの接続確認、新たなリンク追加も行なっています。


研究・イノベーション総論についてのトピックス

「イノベーションの神話」(Scott Berkun著)のまとめと感想(2011.2.20)
この本では、イノベーションを生み出す方法が存在するとか、ひらめきやアイデアでイノベーションが成功する、といったような10の神話をとりあげ、それが誤りであることが述べられています。どの神話をどこまで信用しているかは人により異なるでしょうが、こういう神話が信じられていることは認識しておくべきでしょう。

「イノベーションの神話」参考リンク


Thinkers50 -経営思想家ベスト50(2011年)(2011.11.27)

2年に一度発表される経営思想家ランキングの2011年の結果です。1位がクリステンセン、2位がキム&モボルニュ、3位がゴビンダラジャン、とイノベーションに関わる思想家が上位にきているところが要注目と思います。

Tinkers50参考リンク


研究・イノベーションの方針、着想、スタート段階についてのトピックス

リバース・イノベーション(2010.10.17)
GEの新たなイノベーション戦略とされているリバース・イノベーションについて考えてみました。元文献は、GE会長兼CEOのImmelt氏、Dartmouth大学教授Govindarajan氏他共著、「GEリバース・イノベーション戦略」(ハーバード・ビジネス・レビュー日本版2010年1月号、英語版2009年10月号)です。リバース・イノベーションとは「新興国で開発し、これを先進国に展開する」というやり方ですが、新興国のニーズに合わせた開発を行なうことが特徴でしょう。破壊的イノベーションとの関連も重要だと思います。

リバース・イノベーション参考リンク

オープン・イノベーションは使えるか?(2011.1.10)
オープンイノベーションの難しさと可能性について考えました。外部のアイデアを有効に利用する、外部との連携を有効に活用するというオープンイノベーションの基本的な考え方は望ましいことであり、成果も期待できると思うのですが、実施にあたっては自前主義(NIH-Not Invented Here-症候群)や社内の仕組みの不備などの困難があるため、オープンイノベーションに適した課題をうまく選択することが重要と思われます。オープンイノベーション成功の条件も考えてみました。

オープンイノベーション参考リンク

エスノグラフィーとイノベーション」(2010.12.19)
イノベーション、研究開発の入り口において、真のニーズを探ることは非常に重要です。そのための手法としてエスノグラフィーに期待する考え方があります。人類学に学ぶ手法と言えばよいでしょうか、主に「行動観察」という手法で真のニーズに迫ることができる可能性は高いと思います。もちろん、これだけでイノベーションができるものでもありませんが、特に研究の着想や開始段階では考慮に値する手法と思われます。エスノグラフィーの得意なところ、苦手なところなど考えてみました。

エスノグラフィー参考リンク

「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」(2010.11.28)

イノベーティブな人材を育てる場として、東大「知の構造化センター」で実施される教育プログラム「東大i.school」で行なわれる活動を解説した本の内容紹介です。教育の場としてのi.shool、企業からみた意義なども考えてみました。i.schoolの活動ではエスノグラフィーも重視されているようです。

東大i.school参考リンク


研究・イノベーションの進め方に関するトピックス

「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想(2011.3.21
この本では様々なイノベーション(技術には直接関係しないものが多いのですが)の事例と、知識創造理論からみた成功要因、イノベーションにおけるリーダーの役割について述べられています。この本の事例を題材に、難解な野中教授の知識創造理論の私なりの解釈も試みました。

「イノベーションの知恵」参考リンク

「技術経営の常識のウソ」感想(2011.4.17)
伊丹敬之、東京理科大学MOT研究会編著による本「技術経営の常識のウソ」のポイントのまとめと感想を書きました。特に、オープンイノベーション、プロジェクトマネジメント手法、ステージゲート法などが批判的に評価されています。肯定的な側面とともに否定的な側面も評価し、そうした手法がどういう場合に適しているのかをしっかり認識する必要がある、ということだと思います。

「技術経営の常識のウソ」参考リンク

祝ノーベル賞:『発見の条件』by根岸英一教授(2010.10.11)
根岸教授の研究マネジメント手法について、根岸教授が1996年に発表された記事をもとに考えました。大学における基礎的な研究の進め方について述べられたものですが、特に探索的な研究を行なう場合には有用な示唆が含まれていると思います。

根岸英一教授参考リンク


P&Gのすごさ-ニュー・グロース・ファクトリー(2011.11.20)

ブラウン、アンソニーによるHBR論文「P&Gニュー・グロース・ファクトリー」をもとに、P&Gのイノベーションの進め方を考えました。オープンイノベーション、破壊的イノベーション、エスノグラフィーなど、なんでも取り入れて、それらを改良発展させて成果につなげているところがすごいと思います。

P&Gニュー・グロース・ファクトリー参考リンク


研究・イノベーションの環境(仕組み、組織、人)に関わるトピックス

働きがいのある会社とは(Fortune誌「最も働きがいのある米国企業」No.1、SASの考え方)」(2011.1.30)
2010
年、2011年と2年連続して最も働きがいのある会社に選ばれたSASの考え方を探ります。誰もが持っているクリエイティビティを引き出す努力が必要、というSAS社CEOのJim Goodnightの考え方に従い、社員を信頼する文化を作り、望ましい仕事環境の整備を行なっていて、それが働きがいを生んでいるようです。

働きがいのある職場参考リンク

イノベーションに必要な人材-「イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材」(2010.11.7)
東大i.schoolにも参加、エスノグラフィー活用でも有名なデザイン会社IDEOのトム・ケリー氏の著書の紹介です。「人類学者」「実験者」「花粉の運び手」の重要性が指摘されているようですが、イノベーションには様々な役割を担う人材が必要ということも重要なことだと思われます。

「イノベーションの達人」参考リンク

ナットアイランド症候群:自律的な組織を失敗に導く組織病(2010.9.26)
アメリカ、ナットアイランド下水処理場で、優秀で自律的かつ献身的なチームが重大な過失を犯してしまった事例の紹介です。組織の優秀さに安住せず、トップマネジメントが適切に関与(管理強化という意味ではありません)していないとこのような失敗が起こりうる、ということには注意すべきでしょう。

ナットアイランド症候群参考リンク

コア・リジディティ(2010.9.5)
Leonard
による組織の硬直性についての考察の紹介です。コア・ケイパビリティを持つようになると、それがコア・リジディティに変質し、組織の柔軟性が失われ、新しいことへの挑戦が難しくなるといいます。こうした傾向を認識しておくこと、積極的に変化を起こすことが重要かもしれません。

コア・リジディティ参考リンク

リーダーがつまずく原因(2010.7.19)
McCallによる「脱線した経営幹部」についての分析の紹介です。強みが弱みになること、インセンシティビティ(無神経さ)、成功を重ねると傲慢になること、不運への対処の失敗など、成功を維持できなかったリーダーの特徴が示されています。優秀なリーダーに特有の資質というものがあるのではなく、経験からの学習によりリーダーは育成できるというのは重要な指摘と思われます。

リーダーがつまずく原因参考リンク

イノベーターのDNA2011.5.15

ダイアー、グレガーセン、クリステンセンによるHBR論文「イノベーターのDNA」に基づいて、創造性あふれるビジネスリーダーの特徴について考えました。イノベーターがもつ重要な資質を明らかに、その能力は育成できる、と主張しているようです。

イノベーターのDNA参考リンク

技術者が問題社員になるとき(2011.7.24

P. Glen著「Leading Geeks」に述べられたギーク(高度な技術知識を持つ従業員)の特徴と、それがいわゆる「問題社員」とされる人々の特徴と似ていることについて考えてみました。問題社員は作られているのかもしれません。

技術者が問題社員になるとき参考リンク

モチベーション再考(2011.8.28

金井壽宏著「危機の時代の[やる気]学」に基づいて、モチベーション理論の追加整理を行ないました。夢・希望系の要因を総動員し、持論に働きかける、というアプローチが有効のように思われます。

モチベーション再考参考リンク


ポジティブ心理学の可能性(2011.9.25

モチベーションを高め、成果をあげる考え方として注目されているポジティブ心理学について、ピーターソンの「実践入門ポジティブサイコロジー」に基づいて考えました。研究者の能力を発揮させるための心理学的基盤として重要だと思います。

ポジティブ心理学参考リンク


事業創造人材とは(2011.10.16

リクルートワークス研究所が発表した「事業創造人材の創造」について考えました。世の中を変えようとする「青臭い」部分と、成果を追求する「腹黒い」部分を併せ持つことが重要、という指摘がなされていますが、環境を整えることによってそうした人でなくてもイノベーションを起こせるようになるのではないか、と思います。

事業創造人材参考リンク

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