研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2012年04月

部下を守る?組織を守る?技術を守る?

部下を守ることは上司の重要な役目のひとつであると言われます。今回は、サットンの論文「部下を守る『盾』となれるか」[文献1]をもとに、部下を守る意味、何を、何から、どのように守るべきなのか、について考えてみたいと思います。

サットンは、「管理職とは企業の中核業務を不確実性と外部の混乱から守る『緩衝材』であるという考え方は、昔から組織論にあるテーマ」とした上で、「優れたボスは、部下に仕事をさせることに全力で取り組む。」「優れたボスは、“人間の盾”となることに誇りを感じ、社内外からのプレッシャーをみずから吸収するか、はねのける。そしておもしろみのない瑣事をみずから引き受けて、部下を働きにくくするような愚か者や余計な口出しと戦うのである。」とし、部下を守るための7つの方法を示しています。

1、ボスの特権を振り回さない(Resist Your Worst Instincts):部下がやる気を失うような時間の浪費(無駄なミーティング、権力の誇示、自己満足など)をしないように、ボス自身が気をつける。

2、安心して戦える環境をつくる(Make It Safe to Fight Right):「互いに相手を尊重していれば、アイデアをめぐる論争(arguments)は生産的であり、かつ創造的」「たとえ相手がリーダーであっても自分の気持ちを正直に話しても大丈夫だと、部下が感じるようにする」。

3、外からのじゃまと時間浪費から部下を守る(Protect Them from External Intrusions and Time Sinks):「業務に集中する必要がある部下のためにじゃま者を追い払う」、定例業務や報告書作成負荷の軽減など。

4、上からの愚かな意見に待ったをかける(Defy Idiocy from On High):上司の愚かな考えに従うのか、抵抗、無視するかを、どちらが部下と自分にとって役に立つかにより選択する。上司の指令への抵抗の代償があまりに大きかったり、一見愚かに思えても実は的確な指令だったりすることもある。

5、「創造的無能」と「悪意に満ちた恭順」を実行する(Practice Creative Incompetence and Malicious Compliance):「さほど重要ではない用事を押し付けられ、しかも無視できない場合、最もよい方法はさっさと片付けて、より重要な課題へと進むこと」。「わざとずさんな仕事をする(ただし、ほどほどに、しかるべき予防策を講じたうえで)ことの価値」がある場合がある。「悪意に満ちた恭順」とは、上からの愚かな命令に逐一従い、それによってその仕事を失敗に終わらせることであり、最後の手段として役立つこともある。

6、敵を打ち倒す、あるいは足を鈍らせる(Slay—or Slow—Their Enemies):上司と直接戦うことも可能(「ただし、絶対クビにならない保証があるか、有力者を友だちに持っているか、あるいは別の会社から転職の打診を受けている必要がある」)。わがままな顧客は遠ざけるようにする。

7、批判の矢面に立つ(Take the Heat):部下のミスをかばう、上からのプレッシャーを部下に代わってかぶる。危険な場合もあるが、身をもって部下を守ることを示すことで部下の忠誠心の向上が期待できる。

これに対し、部下を守ることが現実的でない場合として以下の3つを挙げています。

1、政治力(Political Power):「自分の影響力や評判にどんな影響が及ぶかを考える前に、反射的に部下のために戦おうとするボスは、自分の力を弱めることになる。それは結果として、自分のためにもチームのためにもならない。」

2、腐ったリンゴ(Rotten Apples):「非力な人材や有害な人物が雇用されたり、押しつけられたりすることがある。それが組織の現実」。「そうした部下が学習し、成長するのを助けるのがボスの任務」。「しかし、彼ら彼女らが変わらない場合には、お引き取り願うのがベスト」。

3、自分自身の健康(Your Own Well-Being):「自分の心身の健康や家族からの要望、キャリアにまったく気を配らないボスは、失敗する運命にある。」「自分が呼吸困難に陥ってしまったら、他人を救うどころではない。」

部下を守る方法として挙げられているのは以上です。ちなみに、論文の原題は「Managing Yourself: The Boss as Human Shield」ですので、著者の意図は、単に「盾」となるだけでなく、部下が働きにくくなるようなことをボスとしてしないよう自己管理をすることも含んでいると考えられます。

著者の主張の要点をまとめると以下のようになるでしょう。

部下を守る意義

・部下(現場)の意欲を高める

・現場における非効率を抑止する

・現場からの提案や意見を活用しやすくする

ボスの心構え

・外部からの不合理な強制が往々にして上記の意義に反する結果を生む場合があることを認識する

・中間管理職であるボスは必要な場合には外部からの強制に抵抗する必要がある

・ボス自身不合理な強制をしないようにする

問題となりうる不合理な強制の源

・上司からの指示命令

・社内の制度やルール

・顧客等のステークホルダーからの要請

著者はこのような不合理な強制には従わないでよい場合があることを指摘し、うまく「従わない」ためのアイデアをこの論文で提示していると言えるでしょう。

では、なぜそのような不合理な強制が発生してしまうのでしょうか。上司の命令や、社内のルール、顧客の要望に従うことは一般的には好ましいはずです。例えは軍隊では上司の命令への服従は原則でしょう。しかし、会社においては上司の命令に従わない方がよい場合があるわけです。おそらくこれは上司の命令の「正しさ」の度合いが会社と軍隊とでは異なるためと思われます。軍隊では、現場で得られる作戦行動の情報は限られていますし、他の部隊との連携も必要です。しかし、部隊間での情報のやりとりはそれほど緊密には行なえないでしょう。従って、情報が集約される司令部で作戦を立て、そこからの命令に従って各部隊が行動することが、現場の判断で各部隊が行動することよりも「正しい」場合が多いと思われます。しかし、企業活動の場合、現場で得られる情報が複雑で、司令部でそれをすべて判断して細かい指示を与えることが困難なこと、部署間の緊密な連携がそれほど必要でない場合があること、現場の自律性にもとづく意欲が成果に結びつきやすいことのために、命令に従わない場合の方が「正しい」場合がある、ということだと思います。

こう考えると、企業においては中間管理職が上からの命令に従わない選択肢を持つことは合理的であると思われます。もちろん、「部下を守る」の名目のもとに、自分たちの判断だけで物事を実施してもよい、ということにはならないはずです。しかし、つい陥りがちな、上司の命令は「絶対」という狭い視野での物の見方を戒めることは必要でしょう。上司の命令に従わない選択肢を選ぶかどうかはその得失を考えて決めなければならないことは当然のことであり、その裁量が中間管理職に与えられているのだと思います。

とすると、「部下を守る」ことのデメリットも考えておく必要があります。著者も部下を守ることが現実的でない場合を3つ挙げていますが、それに加えて、「部下を守る」大義名分のもとに「組織を守る」、いわゆるセクショナリズムに陥ることも避けるべきこととして挙げられるのではないでしょうか。「部下を守る」ことと「組織を守る」ことがどう違うかを考えてみると、「組織を守る」場合には、最前線の効率向上とは無関係に、組織内で既得権を得ている人々(多くの場合、その組織のボス自身や上層部)の利益が優先されがちであることが大きな違いではないかと思います。もちろん、組織を守ることによって、より「正しい」決断が下せるのであればそれでかまわないわけですが、「部下を守る」目的は、あくまで最前線の個人の意欲を高め、ムダを省き、意思疎通を活発にするためであって、組織の既得権を守ることではないはずです。特に、組織を守ろうとするあまり、情報の流通までも制限する、いわゆる「鎖国」のような状態を作ることは、これからの時代、不利益がますます大きくなっていくことでしょう。

研究開発においては、特に最先端の情報は専門的すぎて経営層では十分に理解できないこともあるでしょうし、その情報がわかりやすく経営層に伝わらない可能性もあります。経営幹部が研究の内容に興味を持ち、積極的に関わることは研究を進める上で極めて効果的であることはよく指摘されることですが、ともすると上からの命令が「愚かなもの」になってしまう可能性があることもまた事実でしょう。加えて、研究活動には異なった考え方との接触、自由な発想と議論、自律性と多様性の維持が必要です。従って、上司の指示が的を射たものではなく、研究環境にマイナスの作用を及ぼすと判断される場合にはその指示に待ったをかけることは必須といえるのではないでしょうか。もちろん、研究部隊が独善的になったり、既得権を守ろうとしたりすることは避けなければなりませんが、愚かに見える指示を発する上層部との関係をうまくハンドリングして摩擦を軽減していくことは研究マネジャーに求められる重要な役割と言っていいでしょう。加えて、「部下を守る」ということは「技術を守る」ことにもつながるという認識を持つ必要があると思われます。研究者個人の持つ専門的知識の育成には長い時間がかかりますし、暗黙知は個人に蓄積されるものですので、「技術を守る」ことは、部下である研究者を守ることにほかならないこともあります。さらに、研究部隊には、組織に密着したノウハウや研究設備があります。また、独創性を大切にし、異なる意見を戦わせることができる研究風土も一朝一夕にできるものではありません。こうした研究部隊の能力を守ろうとすることは、一見既得権を守ろうとしているように見えるかもしれませんが、それは「技術を守る」ために必要なことなのではないでしょうか。人に付随したノウハウや技術、暗黙知がかけがえのないものであるならば、研究マネジャーは、部下を守りかつ技術を守るために外部と戦わなければならない場合があるはずです。著者は我々に、戦うべき時にはその覚悟を決めて戦うべきであること、戦うべきか戦わざるべきか、どちらが「正しい」か、どちらが部下と自分にとって役立つのかを考えて、いかに「うまく戦う」かが重要であること、上司の立場としては研究者をそういう苦境に追い込まないようにすべきことを示唆しているのではないでしょうか。


文献1:Robert I. Sutton、ロバート I サットン著、スコフィールド素子訳、「社内外のじゃま者と戦う 部下を守る『盾』となれるか」、Diamond Harvard Business Review, 2011, 2月号、p.86.

原著はHarvard Business Review, Sep. 2010.

参考リンク<2012.8.5追加>



 

 

 

「働かないアリに意義がある」感想

科学技術の最新の成果に触れることは、単に知識を増やすだけでなく、そこから様々なアイデアや示唆を得るという楽しみがあります。長谷川英祐著、「働かないアリに意義がある」[文献1]では、社会的な昆虫といわれるアリやハチの生態が解説されていて、同じく社会を形成するヒトの行動について考えさせられる点が多くありました。以下、その感想をまとめておきたいと思います。

ハチやアリの多くが「繁殖を専門にする個体と労働を専門にこなす個体からなる、コロニーと呼ばれる集団をつくる」ことはよく知られていますが、このような特殊な集団構成をもつ生物を「真社会性生物」と呼ぶそうです[文献1、p.13]。本書では、その社会の仕組みがどのようになっていて、なぜそのような社会を形成しているのかが解説されています。

アリと言えば、「働き者」の代名詞のように言われますが、実際は巣の中の7割ほどのアリは何もしていないといいます。しかも、個体識別して長期間観察しても約2割のアリはほとんど働いていないという観察結果があるそうです[文献1、p.27]。このこと自体は2:8の法則(集団のうちよく働くのは2割で、その2割を取り出して集団を作ると、その取り出した集団のうちの2割しか働かない、あるいは、最初の集団の働かない8割を取り出して集団を作ると、その取り出した集団の2割は働くようになる、というような説)として知られていることかもしれませんが、なぜそうなるのか、なぜそういう一見無駄な仕組みを持つ種が淘汰されずに生き延びているのかは興味のあるところです。加えて、こうした社会性昆虫の仕事の分担がどうやって決まるのかも不思議です。

こうした疑問に対し、著者は観察結果や学説に基づいて以下のように説明しています(私が興味深く感じた点を中心にまとめさせていただきます)。

・働く個体と働かない個体がいることは、「反応閾値」(=仕事に対する腰の軽さ)の個体差で理解できる[文献1、p.54]。

・反応閾値に個体差があると、一部の個体は小さな刺激(仕事の必要性)でも仕事を開始し、刺激が強くなると仕事をする個体数が増加する。この作用により、仕事の質と量に時間的・空間的変動がある場合でも、特段の指令なしに必要な個体数を仕事量に応じて動員できる。[文献1、p.56-58

・ある仕事に対する反応閾値が同じ個体でも、他の仕事に対する反応閾値は異なる。これにより様々な仕事への個体の配分が制御される。[文献1、p.68

・能力の劣る個体であっても「間違えることによる発見」をもたらす場合がある。[文献1、p.42

・反応閾値は遺伝的に決まる他に、行動によって制御されることもある[文献1、p.69]。

・刻々と変わる状況に対応して組織を動かすためには、様々な状況(環境変動、疲労による労働力低下など)に対応可能な一種の「余力」が必要になる。その余力として存在するのが働かない働きアリだといえる[文献1、p.76]。

・アリやハチは自分の子でない幼虫を育てる。このように、他者のために自らを犠牲にして働く利他的な個体が存在する理由としては、利他行動をする場合の適応度(自分の遺伝子を残し得る度合い)で説明する考え方があり、血縁選択の他に群選択(群を形成することにより、個体の適応度があがる、ないしは協力者数の増加以上に利益があがるという相乗効果が生じることによる選択)という考え方がある。[文献1、p.84,100

・メンバーが利他的に振る舞う社会では、フリーライダー(社会的コストを応分に負担せずに社会システムがもたらす利益だけを享受する者=チーターcheater)が現れ[文献1、p.115]、そのコロニーはやがて滅びる。しかし、チーターの感染率と毒性のバランスが保たれれば両者の共存が成立する。

・同じ個体(クローン)からなる集団は遺伝子を次の世代に残す点からは有利なはずだが、伝染病への抵抗が弱い、あるいは反応閾値の差が少なく分業がうまくいかないために効率が落ちるという理由からそのようなコロニーは少数派。つまり集団には「多様性」が必要。[文献1、p.166

・適応度を考える場合には、どの程度の未来に対する適応なのかを考える必要がある。「働かない働きアリの存在も、(中略)直近の未来の効率ではなく、遠い未来の存続可能性に反応した進化が起こっている」と考えられる。「みながいっせいに働くシステムは直近の効率が高くても、未来の適応度は低い」。[文献1、p.179

以上の真社会性昆虫の生態に関する説明は、それ自身興味深いものですが、人間社会と類似している点でも非常に面白いと思いました。もちろん一般的には、科学的知見と人間社会との間に類似点を感じ、そこから新しい発想が得られたとしても、それはあくまで「似ている」にすぎないことも多く、類似していることだけを根拠に何かの示唆をひきだそうとすることは一歩間違えば科学の乱用につながるものです。科学にたずさわるものとしてはそうした態度は控えるべきではありますが、ヒトも社会生活を営む生物の一種として、昆虫と同じように淘汰を受け、進化してきた可能性もあると考えると、本書に述べられたことは、単なる類似として面白がる以上の意味を持っている可能性もあると思います。そこで、あくまで私の憶測の範囲を出ない議論であることをお断りした上で、本書に述べられた昆虫社会の特徴と人間社会の比較をしてみたいと思います。

仕事に対する反応閾値の個体差については、ヒトでもその存在は疑う余地はないと思います。例えば「イノベーションのDNA」[文献2]では、実行力、発見力に関して個人差があることが述べられています。さらに、反応閾値が集団内における仕事の自律的な分業につながる可能性もありうると思われますし、そのような個体差、多様性が変化に対する対応余力として作用することも期待できると思います。多様性というと、つい質的な多様性(様々な能力や考え方の多様性)に目が向きますが、反応閾値という観点からの多様性(同じ仕事でもやる気や能率が異なるという意味での多様性)も考えておくべきなのかもしれません。一方、フリーライダーの発生も不可避なものと考えておかなければならないでしょう。また、研究の立場からは間違える個体による発見の可能性も重要です。本書では「バカ」であることが重要なように書かれていますが、それよりも冒険心を持った個体とか、ルールから逸脱する個体とかの貢献と考えた方が現実に近いように思います。組織の観点からは「群選択」の考え方が重要ではないでしょうか。協力者数以上の効果を挙げる相乗効果によって群の存在意義が高まることは、人間が協力する場合の基本のように思います。

もちろん、人間には考える力、意思の力、感情があるという点は昆虫とは大きく違います。仮に生物として同じような遺伝的性質をもっているとしても、人間はその性質の一部を意思の力でコントロールできるはずです。例えば、余力としての「働かないヒト」であっても、ただ何もしないだけではなく、目先の仕事以外のことならしてもらえるかもしれません。また、余力としての人員とフリーライダーを区別し、フリーライダーは生まないような社会を作ることも可能なように思います。群における相乗効果を高める工夫をすることもできるでしょう。昆虫の社会とヒトの社会を比較することで得られるこうしたアイデアは、興味深いアナロジー以上のものではないかもしれませんが、もしかしたら人間にも存在するかもしれない性質を推測することで、マネジメントのヒントが得られるように思いますがいかがでしょうか。

なお、著者は本書の最後で、ご自分のことを「働かない働きアリである私」[文献1、p.189]と述べています。もちろんこれはご謙遜に違いありませんが、確かに、研究者は、短期的な企業収益に直結しない仕事をしているという意味で「働いていない」と見られることもあります。しかし、多様性を確保すること、遠い未来の適応度を上げることには貢献できているのではないでしょうか。その意味で「働くこと」、「働かないこと」の意味をどのように考え、「働かないこと」をどのように生かすべきなのか、研究者として考えてみることも必要かもしれないと思います。


文献1:長谷川英祐、「働かないアリに意義がある」、メディアファクトリー、2010.

文献2:Dyer, J., Gregersen, H., Christensen, C. M.2011、クレイトン・クリステンセン、ジェフリー・ダイアー、ハル・グレガーセン著、櫻井祐子訳、「イノベーションのDNA 破壊的イノベータの5つのスキル」、翔泳社、2012.


(参考)産経ニュース、「『もしドラ』マネジメントブーム」長谷川英祐・北海道大学大学院准教授、「働かないアリと組織管理」、2011.11.8

http://sankei.jp.msn.com/life/news/111108/bks11110807280000-n2.htm
<2012.9.2現在上記リンクはつながらなくなってしまいました>

参考リンク 

 

 

「イノベーションのDNA」

クリステンセン、ダイアー、グレガーセンによる著書、「イノベーションのDNA」[文献1]についてまとめておきたいと思います。イノベーションを推進する「人」に焦点をあて、イノベーションをうまく進めることができる人はどんな人で、どうしたら我々もそのスキルを身につけることができるか、どんな環境でイノベーションの能力を発揮できるのか、といった内容が述べられています。

原著の表題は「イノベータのDNA:破壊的イノベータの5つのスキルをマスターする」です。本書は、2009年(日本語訳は2010年)に発表された論文「イノベーターのDNA」[文献2](本ブログでも以前に取り上げました)の内容を発展させ、詳しく述べたものといえるでしょう。共著者のクリステンセン氏は、「イノベーションのジレンマ」において破壊的イノベーションの概念を提唱したことで有名ですので、その続編のような感じを受けるかもしれませんが、本書でとりあげられているのは必ずしも彼の定義した「破壊的」イノベーションをなしとげた人々に限定されてはいないようですので、「破壊的」であるかどうかは本質的な問題ではないと思います。邦訳の題が原著とは微妙に異なり、著者の順番も違っているのは訳書出版上の戦略でしょう。

本書は、大きく2つの部分に分けられます。第1部では、イノベータがどうやってイノベーションを生み出していくか、個人に焦点をあわせてそのスキルが説明されます。そして第2部では、そのイノベータの能力を組織やチームに適用する方法が述べられます。なお、第1部の内容は先行論文[文献2]と重複するところがあり拙稿でも紹介しましたので、ここでは要点のみレビューし、論文で詳しく説明されていない点を中心にまとめたいと思います。

著者らは、多数のイノベータの調査から、彼らには典型的な企業幹部と異なる一貫した行動のパターンがあることを見出し、それを「5つの基本的な発見力(スキル)」(以下の1~5)にまとめました。さらに本書ではそれに基づき、イノベーティブなアイデアを生み出すための「イノベータDNA」モデルを提示しています。[文献1、p.31

1、関連づけ思考:一見無関係に思える物事を結びつけ、独創的なアイデアを生み出すという、この認知的スキルが革新的なビジネスアイデアを生み出す要となる。

この関連づけ思考を誘発するために、イノベータは以下の2~5の4つの発見力(行動的スキル)を駆使して、イノベーティブなアイデアのもとになる「アイデア成分」の在庫を増やす。[文献1、p.26、第2章]

2、質問力:現状に異議を唱えることも含めて、質問によって物事の探究に情熱を燃やす。[文献1、p.26、第3章]

3、観察力:観察を通して新しいやり方のもとになる洞察やアイデアを得る。特に「片づけるべき用事」を知ることが重要。物事の仕組みを観察するうちにうまくいっていない物事に目が向くようになったり、問題解決の方法に気付くこともある。[文献1、p.27、第4章]

4、ネットワーク力:多様な背景や考え方をもつ人たちとの幅広いネットワークを通じて、アイデアをみつけたり試したりする(文献2の訳では「人脈力」となっています)。[文献1、p.27、第5章]

5、実験力:将来成功する方法について手がかりを得るには実験に勝る方法はない。実験者は世界を飽くことなく探究し、判断を保留しながらさまざまな仮説を検証している。[文献1、p.28、第6章]

イノベータがこうした行動をとれるのは、以下に示す「イノベーションに取り組む勇気」を持っているからにほかならない。[文献1、p.30

・現状に異議を唱える:現状を変えたいという意思。質問力、観察力、ネットワーク力に影響する。

・リスクをとる:スマート・リスク(リスクを認識した上で自らの責任で果敢にリスクをとること)が重要。実験力に影響する。

著者らの言う「イノベータDNA」とは、上記1~5の発見力が合わさり組成されるもの、ということです。[文献1、p.28

著者らはこのモデルから、「革新的なアイデアを生み出す能力が、知性だけではなく、行動によっても決まる」[文献1、p.4]、「創造的なアイデアを生み出すのは行動的スキル」[文献1、p.24]とし、「誰でも行動を変えることで、創造的な影響力をますます発揮できる」[文献1、p.4]としています。この点については、本書でもきちんと論証されているわけではありませんが、遺伝だけではない何らかの後天的要因が関係していることは確からしく思います。少なくとも、実践的観点からは著者の主張は受け入れてもよいのではないででしょうか。

以下の点は、文献2には書かれていませんが、重要な指摘だと思います。

・本書では上記5つの発見力に対比するものとして、4つの実行力(Delivery skills)という概念が提示されています。4つの実行力とは、分析(Analyzing:意思決定のための情報分析)、企画立案(Planning:目標達成のための計画)、行き届いた導入(Detail Oriented:計画通りきちんとこなすこと)、規律ある実行(Self-Disciplined:きちんと準備し、いやな仕事も先送りや決断の先延ばしをしない)です[文献3より、それぞれの英語と説明はInnovator’s DNA self assessment, sample reportの説明を参考にしました]。この実行力は「既存のビジネスモデルが変わらないという前提で、やるべきことを効率的にこなそうとする」[文献1、p.35]スキルであって、イノベーション以外の通常業務では重視される能力です。

・イノベータは発見力に優れるが、実行力はそうでもない。これに対してイノベータでない経営幹部は実行力に優れる人が多い[文献1、p.34]。その結果、実行力に優れた人が評価される組織では、発見力を持つ人材が評価されないことも起こりうる。要するに著者らは、発見力と実行力が共存しにくいスキルであることを示唆しているように思います。これは、「イノベーティブな起業家は、イノベーションを生み出した実績のないCEOに比べて発見に関わる行動に1.5倍もの時間を費やしていた」[文献1、p.29]、つまり、通常の業務に結び付かない活動に労力を使い、「効率」を犠牲にしているとも考えられるでしょう。もし、一人の人間が両方の能力を併せ持つことが難しいなら、発見力に優れた人と実行力に優れた人の協力がイノベーション実現のために必要なのではないかと思います。

・事業のライフサイクルで考えると、立ち上げ期では発見力が、成長期、成熟期では実行力が、衰退期では実行力が主だが発見力の重要度が増す[文献1、p.38]。この考え方に立てば、成長期、成熟期で優れた実績を挙げた企業では実行力が評価されやすくなり、再び発見力が必要とされるようになってもそれへの対応ができず、破壊的イノベーションにはうまく対応できなくなってしまうという、イノベーションのジレンマで指摘された傾向を人材の面からも説明できるのではないかと思います。

第2部ではイノベータの能力を組織やチームに適用する方法について述べられます。イノベーティブな企業の特徴は以下の1~3に示した3Pの枠組みで理解できるとされています。

1、人材(People):イノベーティブな企業は発見力に優れたリーダーに指揮され、発見力に優れた人材を多く抱え、活用しているという特徴がある。特にリーダーがもつイノベーティブなスキルはあたかもDNAのように組織に植え付けられていくもののようです。ただし、イノベーティブな人材であってもすべての発見力において高いレベルのスキルを持つわけではなく、また、発見力スキルと実行力スキルのバランスや、多様な専門領域(人間、技術、ビジネス)の融合も必要であるため、人材の組み合わせによって、それぞれのスキルを補完するような組織、チームを作っているとのことです。[文献1、第8章]

2、プロセス(Process):従業員に関連づけ、質問、観察、ネットワーキング、実験を明確に促すプロセスと、発見志向型の人材を採用、要請、優遇、昇進させるプロセスがある。つまり、組織として発見力を向上させる仕組みが作られているということでしょう。[文献1、第9章]

3、哲学(Philosophy):次の4つの点が重視されているといいます。

・イノベーションは全員の仕事であって、研究開発部門だけの仕事ではない:社員にイノベーションに取り組む時間と資源をより多く与え、安心してイノベーションに取り組める場(チームの全員が進んで意見を述べ、リスクをとり、実験をし、過ちを認めても罰せられない「心理的安全」がある場)を確保する[文献1、p.242]。おそらく、全社的にイノベーションを重視してその環境も整えていることを社員に示し、どこからでもイノベーションを創造でき、イノベーションの実行に協力できる考え方を植え付けようとしているのでしょう。

・破壊的イノベーションにも果敢に取り組む(リスクの少ないイノベーションだけでなく)。[文献1、p.28、第6章]

・適切な構造を持った少人数のチームを多く用いる:特に、破壊的イノベーションやラディカルイノベーションに取り組む場合、自律的なチームが必要。適切な人材の組み合わせも重要。

・スマート・リスクをとる:発見志向型の人材を採用、育成し、社員の質問、観察、ネットワーキング、実験、関連づけを後押しするようなプロセスを制度化することでリスクが下がり、「スマートな」リスクとして、イノベーションの成功の可能性を高めることができる。つまり、発見力を重視することは、アイデアを多く生むだけではなく、質問、観察、ネットワーキング、実験により成功確率を高めることにも作用する、ということでしょう。

以上をまとめてしまうと、イノベーティブな組織とは、個人のイノベーションの能力を育成し、発揮させやすくなる努力をしている組織、ということになるのではないでしょうか。そして、そのような環境を作るためには、リーダーのイノベーションに対する理解と、イノベーションを実現させようとする意思が不可欠だということでしょう。そのために何に注意して、どうすればよいのか、それを多数のイノベータの行動の分析により与えようとしているのが本書の特徴と言えるのではないでしょうか。もちろん、発見力はイノベーションの成功を保証するものではありませんが、マネジメント上のひとつの指針、考え方として一考の価値があるものと考えます。

ただし、本書で提示された考え方を、スタートアップ企業以外で実践することはそれほど容易ではないように思います。特に、人の能力が発見力志向と実行力志向に分かれてしまう傾向があるとするなら、実行力志向でやってきた既存の組織において発見力の必要なイノベーションを実現することは容易ではないでしょう。既存企業においては実行力を重視する企業文化と折り合いをつけること、すなわち、個人の発見力を育成しながら、発見志向の人と実行志向の人をうまく組み合わせ、能力を補完し合いながら組織としてイノベーションを目指すことが現実的には重要なのだろうと思います。本書には、発見力を育成する多くの具体的なやり方、アイデアも提示されていますので、それを試してみることはもちろん有効でしょうが、本書で提示されたスキルを指標として、発見力の高い人材を大切にしてその能力を有効に活用すること、様々な能力を持つ人材をうまく組み合わせて組織の能力を高めることがマネジメントの課題なのではないかと思います。



文献1:Dyer, J., Gregersen, H., Christensen, C. M.2011、クレイトン・クリステンセン、ジェフリー・ダイアー、ハル・グレガーセン著、櫻井祐子訳、「イノベーションのDNA 破壊的イノベータの5つのスキル」、翔泳社、2012.

原著:Jeff Dyer , Hal Gregersen , Clayton M. Christensen, ”The Innovator’s DNA: Mastering the Five Skills of Disruptive Innovators”, Harvard Business Review Press, 2011.

文献2:ジェフリー・H・ダイアー、ハル・B・グレガーセン、クレイトン・M・クリステンセン著、関美和訳、「イノベーターのDNA」、Diamond Harvard Business ReviewApr. 2010p.36.

原著論文:Jeffrey H. Dyer, Hal B. Gregersen, Clayton M. Christensen, ”The Innovator’s DNA”, Harvard Business Review, Dec. 2009, p.61.

文献3:The Innovator’s DNAwebページより。

http://www.innovatorsdna.com/



参考リンク<2012.7.8追加> 

正しい現場主義と研究開発

「現場主義」は、マネジメントにおいて重要なこととしてよく語られます。具体的には、三現主義すなわち、「現場で現物を手にとって現実を知ること」(ホンダの定義[文献1、p.33])あるいはもっと簡単に現場、現物、現実(現認、現状を知るとも言われます)、また、マネジャーや経営幹部が現場に出向いて現場の問題点を解決したり課題やニーズを把握したりすることを指しているようです。こうした現場主義の効果を指摘する人は多いですし、私もそれに疑問を持っているわけではないのですが、単にマネジャーが現場に行くだけで効果が現れるわけではないはずですし、「悪しき現場主義」というものがある、と指摘する人もいるようです。

そこで、なぜ「現場主義」が有効なのか、望ましい「現場主義」とはどのようなものなのかを考えてみたいと思います。まず、「現場主義」には次の2つの側面があることを確認しておきましょう。

1)現場にいる人たちに対して現実を知るよう促す側面

2)マネジャー、経営層が現場に行くことで、現実を知ろうとする側面

どちらの場合も、現場で現実の現象、市場、顧客に触れることで、事態の本質を掴み、問題解決や課題の発見がしやすくなることが「現場主義」の効果と言えるでしょう。上記1)の場合は、この効果が明白だと思いますが、2)のマネジャーにとっての「現場主義」が有効に作用する理由は、もう少し複雑で、以下のような効果も加わってくると思われます。

・マネジャーが与えた方針、目標、戦略がうまく機能しているかをマネジャー自身が検証し、それらの見直しを行うきっかけになる。(報告されるデータではうまくいっているように見えても、何か問題が発生している場合には、現場の人の様子に何らかの異変が感じられたりするものです。)

・マネジャーが、現場の人々とは違った新しい視点、俯瞰的な視点を提供できる。

・マネジャー自身の持つノウハウや、その分野、異分野で培った経験を生かすことができる。

・現場の権限を超える解決策を提示することができる。

・現場とのコミュニケーション促進、一体感醸成、現場のモチベーション向上に寄与する。

このようなメカニズムを考えてみると、現場主義を実践する場合の注意点も浮かびあがってくるように思います。上記1)の現場に対する働きかけにおいては、以下の点が挙げられるでしょう。

・経験主義に陥り、理論やデータの軽視、育成指導における実践偏重に陥っていないか。

また、2)のマネジャーが現場に行くことに関しては次の点に注意が必要と思われます。

・現場に行くだけで安心、自己満足していないか。現場から得た情報を自身の反省に役立てたり、現場の問題解決に寄与できているか。

・特に経営幹部が現場を訪問する場合、受け入れ側のお膳立てによって、受け入れ側が見せたいもの、見せてもよいと思っているもの(真実とは限らない)しか見られない場合がある。

・幹部を受け入れるお膳立てに必要以上に労力を使っていないか。

・マネジャーの視点や指示が、自らの経験や古い知識にとらわれたものになっていないか。

・マネジャーが助言、指示することで、現場の考える意欲、観察する意欲、自律性を阻害していないか。

・マネジャーがあまり細かな指示を与えると、現場の人が自分たちは信頼されていない(任されていない)と感じることがある。

・マネジャーの助言や指示が、現場の人でもできるレベルなのではないか。もし現場がそれをできていないのなら、できていない理由を見つける必要がある。

・現場で接したことは、たまたまその時だけのことである可能性がある。その時だけの経験にとらわれていないか。

・現場で接したことが、なぜそのようなことになっているか、本質を探る努力をしているか。

・現場で接した物理的現象、モノ、データだけにとらわれていないか。現場の「人」や「人の行動」もきちんと見ているか。

・マネジャーが見ているのに何の指摘もしない場合、その状態を承認したと受け取られることがある。

もちろん、マネジャーが現場に行くことの効果と注意点は、業種や現場の形態、規模などによって異なるでしょう。しかし、上述の点を考えると、マネジャーが現場に行ってただ現状を見るだけの現場主義では効果が上がらないだろうことは容易に想像できるのではないでしょうか。マネジャーが現場に行けるチャンスは限られているわけですから、そこで効果を挙げるためには上記の期待効果と注意点をよく認識する必要があると思います。

さて、研究開発における「現場主義」を考えてみましょう。現場で、現物にあたり、現実を知り本質を理解することの重要性は研究現場でもそれ以外の現場でも変わらないでしょう。ただ、研究現場の場合、マネジャーが注意しなければならないこととして、次の点が挙げられるように思います。

・研究開発における現実の対象は、多様性が高く、非定常的で繰り返して行なわれることが少ないため、たまたまマネジャーが現場を訪問した際に得た情報が本質なのかどうかわからない。

・課題の専門性が高く、その進歩も早い場合には、現場に対するマネジャーの指示が適切でない(素人判断、時代遅れ)である場合がある。

・マネジャーが現場に立ち会うチャンスが限られるため、現場での観察による「発見」のチャンスは多くない(現場での観察が重要な場合、第一線研究者の意識向上の方が効果的)。

・マネジャーが「発見」において能力を発揮しやすい場面は、課題を絞った問題解決や、報告されるデータとマネジャーの持つ知識や経験との融合、新たな視点に基づくデータの解釈によるような場合となる。

・報告される情報が直接観察できるものではなく「データ」の形で示されることが多い点にも注意が必要。データというのは多くの場合、調べる対象の現象の一面を観測し、何らかの加工を経て得られるので、報告されたデータには、生の情報以外に、データ加工に用いられる「思想」が含まれる。さらにデータをとるための実験計画、条件の選び方、用いる手法にも担当者の「思想」が入るので、現実を観察しているとはいっても、その結果は、担当者のフィルターを通して見た結果である可能性を認識しておく必要がある。(ちなみに、このようなデータの解釈にあたっては、極力「生」のデータを大切にし、そこから示唆される推論について、他のデータや理論に照らして妥当性を判断することで、研究者の思いこみや見落としを排し、より本質に迫りやすくなると考えます。)

もちろん課題や状況にもよりますが、このような状況を考えると、研究における現場主義の場合、他の分野に比べてさらに注意が必要なのではないかと思います。思うに、第一線の研究者に現場主義の大切さを認識させること(そうすればマネジャーが口出ししなくともよくなるかもしれません)、そして、研究者のモチベーションを高めること、マネジャーとして自らの方針、目標、戦略がうまく機能しているかどうかの「感覚」を掴むことなどが、まずは重要でしょう。研究の内容に部外者や上司の立場から関与するとすれば、現場から得られる知見や情報にマネジャーが何を付加できるか、違った視点、違ったノウハウ、他部署との連携も含めて、個々の研究者の能力を補完するような役割として何ができるかをよく考える必要があるでしょう。Collinsはその著書「ビジョナリーカンパニー」で、「時を告げるのではなく、時計をつくる」[文献2、p.35] べきであると指摘しています。現場主義はアイデアの源泉であり、本質を知る近道であることは間違いないように思いますが、マネジャーとして時を告げようとする(解決策を提示しようとする)ことがよいことなのか、ひょっとしたら「現場主義」という言葉が創造性のないマネジメントの隠れ蓑になっているのではないか、などとも思います。自戒も込めて注意したいところです。

 

文献1:野中郁次郎、遠山亮子、平田透、「流れを経営する――持続的イノベーション企業の動態理論」、東洋経済新報社、2010.

文献2:Collins, J.C., Porras, J.I., 1994、ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー」、日経BP出版センター、1995.

「テクノロジーとイノベーション」感想

ブライアン・アーサー著「テクノロジーとイノベーション」[文献1]の感想です。日々の研究開発活動は、テクノロジーとは何か、技術とは、科学とは、といったことは考えなくても進められます。しかし、これらについての全体観(どういうものか、どう変化するのか、といったこと)を持っておくことは、自身が取り組む技術の性質を知り、将来の展開を考える上で役に立つこともあるように思います。今回は、テクノロジーについての総括的な議論を行なっている上記の本についてまとめておきたいと思います。

著者は、アメリカ、サンタフェ研究所招聘教授で、複雑系理論の開拓者のひとりとされる研究者です。原著は2009年刊、題名は「The Nature of Technology, What It Is and How It Evolves」なので、イノベーションというより、テクノロジーの本質とそれがどう発展するかについて議論している本です。新鮮味がないと感じられる方もあると思いますが、詳しい議論が丁寧になされていて技術者にも受け入れやすいのではないかと思いました。以下、著者の考え方に沿って、特に重要と感じた点をまとめます。

第1章~第4章では、テクノロジーの性質、原理、意味、テクノロジーの形成と働く枠組みについて述べられています。

第1章、疑問:基本的な問題意識は、次のとおりです。「現代の重要問題と変動を絶え間なく生み出しているのは、テクノロジーだ。」「機械が自然の力を手助けする時代から、(中略)自然を模倣し、代替するテクノロジーの時代へと移り変わっていく。」「その特質と仕組みは、私たちの将来と懸念を決定づけつつある」[文献1、p.18]。そして、「本書では、テクノロジーとは何なのか、そしてどのように進化するのか」について議論し、「テクノロジーの理論、つまり私たちがテクノロジーの働きを説明するときに利用できる『一般命題の矛盾のないまとまり』」を打ちたてようと試る、とされます。

第2章、組み合わせと構造:テクノロジーの3つの原理として、1)組み合わせ、2)再帰性、3)効果への依存が挙げられています。1)組み合わせについては、「テクノロジーはコンポーネントあるいはアセンブリを統合、あるいは組み合わせたもの」[文献1、p.46]として、それらが上位、下位の関係で、あるいは中核をなすものと支援するもの、という関係で全体としてのテクノロジーができあがる。この時、有効でよく使われるまとまりがモジュール化されて、組み立てや修理が簡単になるという効果を示す。2)再帰性とは、あるテクノロジーが「それ自体がテクノロジーである構成要素から成り立っており、その構成要素はやはりテクノロジーである下位のパーツから、その下位パーツもまたテクノロジーであり・・・という繰り返しのパターン」[文献1、p.54]。そして、このような特徴により「テクノロジーが固定化されていることはめったにない。常に構成が変更され、目的の変化に対応して再編成され、改良されている」と述べられます。

第3章、現象:上記テクノロジー3原理の、3)効果への依存とは、「テクノロジーは常に(物理)現象、つまり自然の理に依存しており、それを目的達成のために活用または利用できる。」[文献1、p.62]ということで、「テクノロジーとは、私たちが使うために現象を統合したもの」[文献1、p.71]。このとき、物質的な「現象」を非物質的な「効果」にまで拡張すれば、金融制度や契約、法制度なども「テクノロジーと見なせるようになる[文献1、p.74]。また、科学について、「テクノロジーは、主として科学によって明らかにされた現象を利用することで作られている。」そして科学は「テクノロジーが発達させた器具、方法論、実験を用いることで形づくられ」「互いに完全に依存している。」「科学は深く埋もれた現象を見つけ出し、理解するために必要であり、テクノロジーは科学を進歩させるために必要」であって、テクノロジーのない、思考と推測のみで成り立っている科学は「脆弱な科学」。すなわち、「科学はテクノロジーの一形態」[文献1、p84-.85]というのが著者の考え方です。

第4章、ドメイン―-目的を達成させる世界:「ドメイン」とは、効果の系統が共通していたり、共通の目的を持ったテクノロジーがグループとしてまとまったもので、「実践法と知識の収集、組み合わせのルール、関連した思考様式とともに、装置や手法を形作るために抽出されたもの」[文献1、p.90]です。そして「重要なイノベーションは新しいドメイン化によって行われていた」とされ、「新しいドメインの出現がもたらしたのは、ただそれができることだけでなく、潜在的な可能性だった。」[文献1、p.91]とされます。

第5章以下では、どのようにしてテクノロジーが生まれ、進化するかが述べられます。

第5章、エンジニアリングとその解決法:「テクノロジーは内部パーツを変えながら変化していく」「斬新な構造は新しい組み合わせを通じて生まれる」[文献1、p.114]。標準的なエンジニアリングとは「新しいプロジェクトを実行すること、既知であり認められた原理のもとで手法と装置を統合すること」[文献1、p.116]ですが、その中で行なわれる内部パーツの変化や新しい組み合わせは、役立つ問題解決法を生み出し、それが広まることでイノベーションやテクノロジーの進化に寄与するとされます。

第6章、テクノロジーの起源:ここでは根本的に新しいテクノロジーがいかにして生まれるかが議論されます。著者の定義によれば、「根本的に新しいテクノロジーとは、対象となる目標にとって、新しいかあるいはそれまでとは違う原理を元にしたもの」[文献1、p.139]。そして、発明は「目標あるいは必要性から始まって、それを達成する原理を見出す場合」と「現象または効果から始まって、その中に何かに役立つ原理を見出す」場合がある[文献1、p.142]。この時、「困難なのは、原理を適切に機能させることで、これにはときに何年もの努力を要する」[文献1、p.155]と述べ、新しい手段や方法を支えるのに「とりわけ重要なのが、時間をかけて蓄積された知識」[文献1、p.160]と述べています。

第7章、構造の深化:テクノロジーの発展の過程では、内部構造の交換と、コンポーネントやアセンブリの追加によって構造が深化していく。テクノロジーが成熟期を迎えると、性能が大幅に向上しない時期が訪れ、既存の原理が長期間安定した地位を確立するようになる。その原因としては、さらなる発展に必要な斬新な原理がすぐには得られないこと、経済的メリットや変化に対する心理的抵抗によって新テクノロジーの導入が遅れることが考えられる[文献1、p.171-180]、と述べられています。

第8章、変革とドメイン変更:単体のテクノロジーとドメインとは挙動が異なる。テクノロジーの進歩によってドメインは変形するが、「テクノロジーそのものが利用者に適応するまで本当の変革が訪れたとは言えない」。「ドメインを適応させるプロセスの期間は、(中略)新たなドメインを受け入れるために、既存の経済構造が再設計されるまでの時間で決まる。」「新しいテクノロジーよりも劣ると立証されていても、既存のテクノロジーは生き続ける」[文献1、p.200]。以上より、イノベーションには4通りのやや関連性のないメカニズムが存在する。1)一般工学にもたらされる新たな解決法に存在する。2)根源的に新しいテクノロジーに存在する。3)構造深化の過程で内部のパーツを交換し、また追加して発展するテクノロジーに存在する。4)テクノロジーの本体全体(ドメイン)に存在し、この全体は時間をかけて創発し、建ちあがり、その全体に遭遇した産業を創造的に変化させる[文献1、p.208]、と述べられています。

第9章、進化のメカニズム:「おおざっぱにテクノロジーは既存のテクノロジーから生じる」「人間の活動も一くくりにして考えるなら、テクノロジーの集合体は、“自己創出”する――それ自体から新たなテクノロジーを産出している」[文献1、p.213-215]。新たなテクノロジーの需要(テクノロジーが有益とみなされる機会のニッチ(適所))は、人間の繁栄を実現させるニーズの他に、個別のテクノロジーが以下の理由で直接生み出すこともある。すなわち、1)テクノロジーの存在自体が低コスト、高効率という目標を満たす機会を達成するためにあるため、機会が開かれている、2)テクノロジーには支援するテクノロジーが必要、3)テクノロジーは間接的にではあるがしばしば問題を引き起こす[文献1、p.222]。私見ですが、この3)は、忘れがちですが重要だと思います。

第10章、テクノロジーの進化に伴う経済の進化:「経済を“社会が自身のニーズを満たすための調整と活動の集合”と定義」すると、「広義のテクノロジーとも考えられる。」「“調整”をすべてテクノロジーの集合体に組み込むと、経済はテクノロジーの受け皿ではなく、テクノロジーをもとに組み上げた、意義のある存在とみなされるようになる。」すなわち、「経済とはテクノロジーの表現なのだ」[文献1、p.242-243]。

第11章、テクノロジー――この創造物とどう共存するか:この章では全体のまとめが述べられていますが、ここではマネジメントに関する指摘を取り上げたいと思います。「ハイテク経済における意思決定上の“問題”が明確に定義されていない。」「問題に対して最適な“解決策”もない。このような状況でマネジメントに課されるのは、問題を合理的に解決することではなく、定義されていない状況を理解できるようにする、つまり状況を“認識”すること、または状況を対処できる枠の中におさめることであり、同時にまた、状況に沿った形で提案を位置付けることなのである。」「ハイテク化が進むほど、処理業務の合理性はどんどん無くなっていく。」「テクノロジー思想家のジョン・シーリー・ブラウンは言う。『マネジメントは、もの作りからつじつま合わせに移行してきた』」。「マネジメントが競争優位を引き出すのは、蓄積した深い専門知識を新しい組み合わせ戦略へと転換する能力からなのである。」「現代テクノロジーの本質は一連の新たな変化を迎えつつある。ビジネス・マネジメントの分野では、生産過程の最適化から、新製品、新機能など、新たな組み合わせの創出へ、そして、合理化から意味形成へ、商品ベースの企業から技能ベースの企業へ、コンポーネントの購買から提携関係の形成へ、安定した運営から不断の適応へ。」[文献1、p.265-266]。さらに、人間とテクノロジーの関係について、次のように述べています。「人間は本来自然の中に存在するのであって、“信頼”しているのは自然であり、テクノロジーではない」。「本当はそれほど信頼してはいないのに期待だけは寄せている。」「テクノロジーの根底にあるのは自然である。」「だがテクノロジーが自然だとは感じられないのだ」。「大事なのは、テクノロジーを顔のない意思を削ぐ存在として受け入れるべきか、それとも、有機的で生活を豊かにするものとしてテクノロジーを所有するかだ。」「私たちは人間の感覚をなくすテクノロジーを受け入れるべきではないし、可能なものと望ましいものを同じだと考えてもいけない。」[文献1、p.271-274

以上が私なりのまとめです。著者の主張は特に目新しいものではない、当たり前の考え方である、と感じられる方もいると思います。また、異議のある方もいるでしょう。私もにわかには受け入れにくい考え方もありました。ただ、このような事例から導かれた考え方や解釈は、容易にその正否を決められるものではないと思います。少なくともかなり妥当な考え方が含まれているのではないかと思いますので、著者の主張に対する意見はさておき、一旦受け入れてみて、そこから何を引き出して自らの糧とするかが我々には問われるのではないかと思います。個人的には科学も経済もテクノロジーとして捉える考え方は面白いと思いましたし(この論理では人間活動は何でもテクノロジーだと強弁できそうにも思いましたが)、人間がテクノロジーに抱く不信感は、テクノロジーの変化の早さにヒトという生物が適応できていないと考えると納得できるものがあります。本書ではテクノロジーの本質や変化についてのマクロ的な考え方が述べられていますが、研究を実施する立場からは、ミクロ的に、個々の人間や企業が個々の問題をどう考え、対応し、その結果としてイノベーションの成功や失敗にどう結び付くのか、といった点にも興味があるのですが、研究の方向性を誤らないために、本書のようにテクノロジーを俯瞰的な立場から論ずることは有意義なのではないかと思いました。本書から得られる示唆をどう用いるかが我々の課題なのかもしれません。


文献1:Arthur, W. Brian, 2009、W・ブライアン・アーサー著、有賀裕二監修、日暮雅通訳、「テクノロジーとイノベーション 進化/生成の理論」、みすず書房、2011.

参考リンク<2012.9.2追加>


 

 

記事検索
最新記事
プロフィール

元研究者

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ