研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2012年06月

研究者の主体性

研究開発において、研究者が主体的に課題に取り組むことの重要性はよく指摘されます。自らの意思で、意欲をもって、自分に適したやり方で課題に取り組めば、よい成果が得られやすくなるだろうことは想像に難くありません。もちろん、それだけで成功が保障されるものではありませんが、野中氏による組織的知識創造の理論でも自律の重要性は指摘されており(ノート10)、研究マネジメントの観点からも重要な概念と言っていいでしょう。

しかし、いまだにトップダウンの命令による研究マネジメントもよく行なわれているようです。例えば、次のようなエピソードが紹介されています[文献1]。本田技研が異業種のA社との間で、互いに7~8人の若手研究者を相手会社の研究所に派遣する交流プログラムを行なったところ、A社から本田技研に来た技術者は「指示が曖昧で何をやったらいいのか分からない」という不満を述べ、本田技研からA社に行った技術者は「『あれをやれ』『これをやれ』と、やたらと指示が細かくて仕事にならない」という不満を持ったといいます。

本田技研では自らの信念に基づく主体的な行動が求められるのに対し、A社はトップダウンの指示に基づく仕事の進め方が一般的なのでしょう。もちろん、こうしたマネジメントのスタイルは、その会社の業務内容や環境に応じて変わることは当然ですので、トップダウンのマネジメントが直ちに好ましくないとは言えません。例えば強いリーダーシップのもとに明確な作業を効率的に処理する場合などには有効でしょう。しかし、上司が逐一細かな作業まで的確に指示できないような場合や、不確実性の高い業務を行なう場合、すなわち研究開発のような場面では、個人の主体性に基づいて研究者の能力をフルに発揮することが望ましい場合が多いのではないかと思います。

まずは、トップダウンのマネジメントにより、研究員の主体的行動が損なわれる具体的な原因と、そのようなマネジメントを行なってしまう背景を考えてみましょう。次のようなケースがありうると思います。

・上司が細かな指示をする:部下の主体的行動の機会を奪う。

 (背景)部下の行動を制約することで部下の行動が予測でき、上司は安心できる。

  部下も言われたことをやりさえすればよいという点で悩みが少ない。

  意外な結果に直面した場合のフラストレーションを上司のせいにできる。

・部下の思考停止:考える習慣が減退し、主体的な行動への意欲が薄れる

 (背景)もともと主体的な思考、行動の習慣が薄い人がいる。

  上司の細かな指示が、思考停止を招き、指示待ちの部下を作ってしまう。

主体的な行動を阻害するこのような要因の根底には、新しいことに対する心理的抵抗があるように思います。もちろん、その程度には個人差がありますが、新しいことを行なう場合には多少なりとも不安感を持ちやすいことは否めないでしょう。従って、自然に任せていたのでは主体的な行動を避けようとする傾向になりやすいことは理解できます。しかし、その傾向の違いを個人の性格だけで説明しようとすることには問題があると考えます。上述のエピソードにおいて、本田技研の技術者は一様に主体的な行動を好み、A社の技術者はその逆であったとすれば、その行動のパターンは、社風や育成方針、環境によって作られた可能性があると考えられるからです。新しいことに対する心理的抵抗の大きな人であっても、マネジメントによってその行動を主体的なものに変えることは可能であると考えるべきではないでしょうか。

自立性(自律性)を支えるホンダの哲学(人間尊重の哲学)は次のようなものだそうです[文献1].

・自立(自律):自立とは、既成概念にとらわれずに自由に発想し、自らの信念にもとづき主体性をもって行動し、その結果について責任を持つことです。

・平等:平等とは、お互いに個人の違いを認め合い尊重することです。また、意欲のある人には個人の属性(国籍、性別、学歴など)にかかわりなく、等しく機会が与えられることでもあります。(技術の前では役職に関係なく平等)

・信頼:信頼とは、一人ひとりがお互いを認め合い、足らざるところを補い合い、誠意を尽くして自らの役割を果たすことから生まれます。ホンダは、ともに働く一人ひとりが常にお互いを信頼しあえる関係でありたいと考えます。

上記の平等と信頼はいずれも自立を支えるものであるように思います。例えば、平等は、上司からの指示だからといってそれに盲目的に服従する必要がないことに、信頼は、上司が部下を信頼し、細かな指示や管理を必要としないことに、あるいは部下はいちいち上司の許しを得なくても行動を起こせることにつながるでしょう。このような哲学に加えて、失敗を容認すること、チャレンジを促す風土、行動に対する心理的抵抗を軽減すること(例えば、挑戦の習慣化や、挑戦の楽しさを自覚させることなどによって)を加えれば、主体的な思考や行動を促すことができるようになるのではないでしょうか。

おそらく上記のA社はトップダウンのマネジメントによって今までに成功を収めてきたのだろうと思います。しかし、過去の成功体験に基づくマネジメントが指示待ちの技術者をつくり出してしまっているとすれば、これからの時代、あまりに損失が大きいのではないでしょうか。確かに主体的に行動することは「楽」なことではないかもしれません。しかし、その見返りに「楽しさ」も得られる可能性があるはずです。それに加えて、研究成果にもプラスに作用するのであれば、主体的であることは行動規範としてもっと重要視すべきなのではないでしょうか。


文献1:小林三郎、「ホンダイノベーション魂 第16回 自律、信頼、平等」、日経ものづくり、2011年7月号、p.103

同じ記事がこちらにあります:http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK14027_U2A610C1000000/



 

参考リンク<2012.8.5追加>
 

 

イノベーションをビジネスへ(マリンズ、コミサー著「プランB」より)

イノベーションは何らかの新しいことへの挑戦と言っていいでしょう。新しい技術はイノベーションの一つの要素ですが、イノベーションをビジネスとして成功させるためには、そのビジネスモデルを考慮することも重要です(拙稿「ホワイトスペース戦略-ビジネスモデルイノベーションの方法」)。今回はマリンズ、コミサー著「プランB」[文献1]に基づいて、アイデアをビジネスにするための注意点についてまとめてみます。

なお、原著の表題は、そのまま訳すなら、「プランBに到達する――よりよいビジネスモデルへのブレ-クスルー」あたりになると思います。邦訳副題は「破壊的イノベーションの戦略」となっていますが、クリステンセンによる破壊的イノベーションについては述べられていません。原題の方が実際の内容をよく表わしていると思います。

プランBとは

本書におけるプランBとは、当初の計画であるプランAに対し、「プランAの失敗を受けてそれを改良した結果としてできる、その次の計画のこと」[文献1、訳者あとがき、p.370]です。プランBという言葉の一般的な用法では、「プランAと並行してあらかじめ考えておく、バックアップ用の次善の計画」なのだそうですが、本書のプランBはそれとは異なります。著者らは、起業プロセスの多くの事例に基づき、「プランAは失敗する」[文献1、第0章]と述べ、「起業家には必ずプランAがあり」、「起業家たちはプランAがうまくいくと思っている」が、「不幸なことに、たいてい予想ははずれる」。そして、プランAの失敗により「新たに身につけた洞察力を武器に、もっと大きなビジネスへと転じ」ることになり、「成功の秘訣はそうしたプランAにあるのではなく、プランBにある」と述べています[文献1、p.21]。本書の狙いは、「プランBを見つけるためのロードマップ――系統だったプロセス」[文献1、p.13]を指し示すことであると著者らは述べており、著者らの考え方は、当初計画のプランAをなんとか成功させよう、というものではなく、プランAが失敗することを前提としたマネジメント手法として、その失敗に学んだ、あるいは新たに創発してくるプランBによりビジネスの不確実性を乗り越えよう、とする立場に立つものと言えると思います。

モノになるビジネスモデル(プランBC・・・)を創るには

「プランAを出発点に、できる限り迅速かつ安価な方法で、(中略)プランを荷重試験にかけ」「出てきた兆候がプランBに移行しなさいと告げていたら、次へ移って同じプロセスをもう一度繰り返す」[文献1、p.27]がプランBを創る方法ということです。具体的には以下の実験的プロセスの検討が、潜在的魅力を持つプランBの発見につながるとしています。

・類似例:自分のアイデアに似たもの、真似るに値するものを調べる。

・反例:先行企業との違い、先行企業の失敗を調べる。

・未踏の信念(leaps of faith・・・手元の辞書では「盲信、確信」)を確かめる:未踏の信念とは、先例から答えることのできるようなものではなく、また、現実に正しいという根拠がないにもかかわらず答えに確信をいだいている信念、ということです。ビジネス実現のためには、この信念の成否を確かめる必要があり、そのためには実験が必要であって、先例の取捨選択、混ぜ合わせ、ひとひねりも有効としています。

・検証結果を記録(ダッシュボード、計器盤)[文献1、第2章]:「ダッシュボードの活用は、プランBへの近道」。先例の真似をすべきところ、すべきでないところ、確認すべき信念を明らかにし、その信念についてなるべく定量的に検証、記録し、その結果から次のプランに移る必要性(洞察、軌道修正)がわかるようにする。ダッシュボードは時間の経過とともに変更していくもので、検討の焦点を絞ることや、他人への説明にも好都合であるという特長がある。(ダッシュボードの作り方の具体例も示されています)

そして、上記の検証は、以下の5つのビジネスモデルの要素について行なう必要があるとしています。

1、売り上げモデル[文献1、第3章]:「買う人がいなければ、会社は生き残れない」。誰が、どのくらいの頻度で、どのくらい早く、どのくらいの対価で買ってくれるか、など。顧客の悩みを解決することや喜びを与えることが重要。

2、粗利モデル[文献1、第4章]:「事業を続けるには、粗利をあげるのが肝心」。売り上げから直接経費をひいた残りの収益が粗利であり、粗利増のためには、原価を下げる(webの可能性は大きい)、コスト低減、高い価値を顧客に認めてもらうアプローチがある。

3、運営モデル[文献1、第5章]:「運営にかかわる諸費用を見直して、型破りなビジネスを」。売り上げを支えるための費用をコントロールする。

4、運転資金モデル[文献1、第6章]:「キャッシュフローこそ、事業の生命線。現金があればこわくない」。入金、支払いタイミングの調整で運転資金を確保しておけば、初期投資や借り入れを抑えることができ、環境変化への対応や投資家の介入を小さくできる点でも有利になる。

5、投資モデル[文献1、第7章]:「最初の投資額は少ないほどよい。なるべく投資家の手は借りない」。ビジネスがしっかり回りはじめるまでの資金をどう確保するかを考える。

もちろん、これらのモデルは相互に関係しており、相互連携をとることが重要だと言います[文献1、第8章]。本書では「時間をかけて、ビジネスモデルの5要素のあいだにある流動的なパターンを見つけだし、それを協働させることで帳尻があい、途中で資金切れを起こさないようにするためのプロセス」[文献1、p.348]を作ろうとしていると言えるでしょう。

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この本で述べられているビジネスモデルの5要素については、経営の観点からは当たり前のことであるという意見もあるでしょう。しかし、著者らがこの本を出そうとしたのは、ビジネスモデル化の段階で失敗する起業家を多く見てきたからではないでしょうか。一技術者として想像するに、技術主導の起業の場合には、財務的な対応が悪く、それが原因で起業が失敗に終わる場合が多いことは想像に難くありません。だから、著者らは、ビジネスモデルの重要性を指摘し、ビジネスモデルを考慮したプランBを見つける方法を示そうとしているのではないかと思います。

例えば、第8章に述べられている、アマゾンの赤字脱却に寄与した財務面での運営改善は、財務にはなかなか注意が向かない一般の研究者にとっても興味深い事例なのではないでしょうか。財務の重要性は表面的な知識として知ってはいるかもしれませんが、自らの課題に結び付けて考えることは重要ですし、具体的事例が書かれている点は特に参考になると思われます。起業家だけではなく、既存企業内で仕事をする一般の研究者にとっても、少なくともこの本に書かれた程度のことは頭の片隅に置いておくべきでしょう。

加えて、アイデアの検証のしかた(ポイントの絞り込み、可視化、結果から学習すること)や、事業立ち上げ、継続のための経済的基盤への配慮の方法は、起業家のみならずすべての人の役に立つと思います。特に、ダッシュボードの考え方と、本書に述べられた具体例は、研究を遂行する上でも役に立つのではないでしょうか。先例を調査し、検討すべき点を絞り込み、その効果的な検証方法を考え、結果を記録し、洞察を得る、ということは、日常の研究でも行なっていることですが、このような形で可視化することで、考え方の整理ができ、組織内での意思統一や関係者への説明、説得にも有効に活用できることの重要性については認識を新たにする価値があると思われます。

一方、研究者にとっては、プランAがほぼ失敗するというのは当たり前の指摘でしょう。しかし、その時どうすべきか、どのようにしたら結果から多くを学び、やり方を軌道修正していけるのか、ビジネスモデルを考えるには何に注目したらよいのかのハウツーはそれほどよく知られているわけではないように思います。その意味で、一見あたりまえのように思われることでも、それを具体的に指針としてまとめた本書の内容はやはり参考になると思います。加えて、プランBへと計画を変更する勇気をもつこと、よりよいプランBを発見しようとする心構えは変化に柔軟に対応するために必須の考え方であると思われます。

こうしてみると、本書の指摘には次の2つのポイントがあるように思います。

・部分的な起業のアイデアに頼ろうとする人に対して:最初のプランAは失敗する。よりよいプランBを創るためにはビジネスモデル(特に財務面を中心に)全体を考慮する必要があること。

・不確実性のマネジメントに慣れていない人に対して:プランAに固執することの危うさ、実行前の綿密な計画の無意味さと、不確実なプロジェクトに対する対処の方法を理解すべきであること。

もちろん、上記の両方を深く理解することが望ましいには違いないと思いますが、例えば、研究者、財務担当者、マネジャーで業務を分担することもあるでしょう。そんな時には、当たり前レベルの話であっても、本書に紹介された財務を含むビジネスモデルの重要性、不確実性のマネジメントに関する基本的な考え方を知っておくことは、協働によってイノベーションをビジネスとして成功させるために有意義なことなのではないでしょうか。



文献1:John Mullins, Randy Komisar, 2009、ジョン・マリンズ、ランディ・コミサー著、山形浩生訳、「プランB 破壊的イノベーションの戦略」、文芸春秋、2011

原著表題は「Getting to Plan B, Breaking Through to a Better Business Model」です。

原著webページ:http://www.getting-to-plan-b.com/index.html


参考リンク<2012.7.8追加>



 


 


 

複雑系の可能性(ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」より)

世の中で起こる複雑な現象をうまく取り扱うためには、まずは現象の複雑性を受け入れ、複雑性を前提とした判断を行なうことが重要だと思われます(拙稿「複雑系経営(?)の効果」)。しかし、複雑な現象の原因やその挙動が十分に理解できれば、複雑性を積極的に利用することも可能かもしれません。本稿では、ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」[文献1]に基づいて、複雑系の特徴、本質、予測と制御などの問題について考えてみたいと思います。

本書は複雑性に関する一般向けの解説書ですが、著者は複雑系に関する現役の研究者であり、書かれている内容には現在進行形の研究成果も含まれています。そのため、結論がはっきりしないように感じられるところもありますが、反面、今後の発展への期待が強調されているところが特徴ともいえるでしょう。まずは、本書の要点を簡単にまとめてみたいと思います。

複雑性とは何か、複雑性の条件

著者によれば、「残念ながら複雑性は簡単に定義できるようなものではない」、「科学者たちのあいだですら、複雑性をどう定義するかに特段の決まりがあるわけではない」とのことです[文献1、p.18]。その代わり、複雑性の研究者たちの多くが認める以下の8つの条件を挙げ、複雑系と見なせるためにはこのすべて、ないしは大半を満たしていなければならないと述べています[文献1、p.33]。

1、その系に、相互作用をしている多数の要素が含まれている。

2、系の構成要素が記憶、すなわち「フィードバック」の影響を受けている。

3、系を構成する要素が過去の結果にもとづいて戦略を変更できる。

4、一般には、その系が周囲の影響を受ける「開いた」系である。

5、「生きている」ように見える系である(著しい進化、複雑な進化をすることも多い)。

6、創発現象が見られる。その創発現象は概して予想外のもので、極端なものになる場合がある。

7、創発現象が、全体を制御する中心的な存在なして生じる。系それ自体で複雑な進化をする。

8、秩序ある挙動と無秩序は挙動の複雑な組み合わせを示す。

つまり、複雑系とはわけのわからない系ではないということでしょう。偶然が支配するランダムな系とも異なり、予想外ではあるが何らかの秩序が制御なしに創発されることがある系(上記5~7)であって、そうした現象を生む前提にはある特徴(上記1~4)がある、というわけです。しかし、結果の予測は困難である場合が多く、少なくとも、ものごとを細かく分解して理解するような還元主義的アプローチが役に立たない、という面もあります。著者も、「複雑系科学の焦点は、何かをばらばらにしてその構成要素を明らかにすることではなく、比較的単純な要素の集団からどのような新奇な現象が生じるかにあてられている」「要素の集団の挙動を理解するのには、構成要素についての完璧な知識は必要ない」[文献1、p.39]と述べており、従来の科学や、合理的な考え方とのアプローチの違いは重要なポイントであると思います。

複雑な現象から生まれる秩序と、そのような秩序を生む条件の例

本書では、複雑でありながら秩序が生まれる以下の例が解説されています。

・秩序ポケット[文献1、第2章]:複雑系がなんの制約も受けずに、秩序ある状態(秩序ポケット)と無秩序な状態の間を行き来できる(例えば、交通渋滞、株の暴落など)。これにはフィードバックが影響する。また、外的条件のせいで構成要素の配置に偏りが生じる(フラストレーション)こともある。

・カオスとフラクタル[文献1、第3章]:一定の規則のもとに整理、理解できる複雑な現象が存在する(カオスやフラクタル)。(注:というのは、私なりの著者の意図の理解です。複雑性を予測、制御する可能性という視点から、カオスやフラクタルを定性的に解説している、という印象を受けました。)

・群衆の行動を予測する[文献1、第4章]:意思決定を行なう要素からなる集団が何らかの限られた資源をめぐって競争を繰り広げるとき、人間の集団はランダムな行動から離れて両極端の判断をする2つの集団に分かれる。また、多数の構成要素間の競争がある場合には、複雑系の挙動が予測可能になる場合(予測可能ポケット)があり、調整タイミングさえ考慮すれば、構成要素の一部を調整するだけで全体の制御が可能になるという。

・ネットワーク[文献1、第5章]:構成要素間の局所的な相互作用を考慮することで、ネットワークの影響を考慮できる。ネットワークは他の場所からもたらされる情報によるフィードバックのひとつともなり、系全体の挙動に影響する。

複雑性が関係する様々な問題についての予測の例

本書の第6章以降で挙げられている複雑系の例のうち、以下のものが興味深いと思いました。

・異なる株式市場でも値動きのランダムさの度合いは同程度。

・市場の暴落の際には無秩序状態から秩序が出現する傾向が見られる

・交通渋滞緩和のための道路ネットワークの考え方(組織内情報ネットワークにも応用できる)

・理想のパートナー選び、どんな要因が影響するか

・戦争やテロの類似性(犠牲者数と戦争頻度に相関がある)

・感染症の伝搬ネットワーク

以上、著者が主張したいことは、複雑系だからといって予測はお手上げというわけではなく、複雑系の特徴として無秩序状態から現れてくる秩序にはパターンがあり、少なくともその一部は予測、制御可能な場合があるということだと思われます。もちろん、複雑系を形成するための要因や、秩序ポケットの発生メカニズム、秩序のパターン、予測および制御の方法などは現在も研究中のようですので、ただちに実用の役に立つようなものではないかもしれません。しかし、まずは、自らの扱っている系が、複雑系の特徴を満たしているなら(最初に挙げた8つの条件の1~4、さらに、限られた資源をめぐる競争がある場合)、予測や制御の方法を考えてみる価値がある、ということではないでしょうか。

複雑性というと、とかくよくわからないものと考えてしまいがちで、マネジメントの場合には「不確実性」と関連づけられることが多いように思います。しかし、そういう理解は不正確なのかもしれません。複雑性においては「相互作用している多数の要素」と「フィードバック」が重要な役割を担うとされていますが、マネジメントにおける不確実性の根源はこうした要因とは関係の薄いものも存在します(例えば、単純な科学的知識の不足など)。本書の議論でも、不確実なできごとをすべて複雑系の考え方で予測できる、とは言っていないわけで、複雑系への理解が深まるに従い、不確実と複雑の区別をきちんとすることが求められるようになるような気がします。

一方、研究開発を行なう観点からは、次の点を検討する価値があると感じました。

・複雑性を示す要因を解析し、無秩序状態をうまく扱えるようにするか、あるいは秩序ポケットをうまく予測し制御できるようにする。特に複雑な系の理解のためには、系をうまくモデル化し、定量的に表現することが重要なように思われます。ただし、実際の系の中には、複雑性を持たない因子もあるかもしれませんので、その評価をきちんと行なうことによって、複雑系の特徴をより明確にできる可能性もあるでしょう。また、複雑系として理解できる現象であっても、その裏付けとして何らかの理論化が可能かどうかも考えてみる価値があると思います。

・複雑系からの脱却、複雑性の軽減を図る可能性を検討する。例えば、複雑性に影響を与える因子として、限られた資源をめぐる競争がよく登場しますが、この競争状態は研究開発によって取り除くことが可能かもしれません。技術やビジネスモデルによって競争を回避することができれば、複雑性の低減によって成功の確率を高めることができるように思います。

著者は「複雑性科学はあらゆる科学の根底をなす科学」[文献1、p.314]と言っています。確かに、多くの現象に複雑性が関係してくる可能性はあるでしょう。また、いろいろな分野の現象が、複雑性の観点からは似たような現象として関連づけられることも指摘されているようです(例えば、ネットワークにおける渋滞、菌類のネットワーク、癌への血管新生など)。科学技術の分野でも従来の要素還元的アプローチの限界が指摘され、ビジネスの世界でも複雑性の高い人間の行動が重視され、不確実な現象の効率的な取り扱いが要求される状況では、複雑系の本質と可能性を正しく理解し、マネジメントに反映させていく努力が必要なのではないかと思います。


文献1:Neil Johnson, 2007、ニール・ジョンソン著、阪本芳久訳、「複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する」、インターシフト、2011.

原著表題は「Simply Complexity, A Clear Guide to Complexity Theory」です。

参考リンク<2012.9.2追加> 


 

 

ノート記事目次(2012.6.3改訂版)

ノート記事目次を再整理しました。今回は関連記事のアップデートと、関連リンクを確認しています。
旧バージョンの目次はこちら:2011.10.30版2011.3.27版


はじめに(2010.3.21)
 注)現在は仕事が変わってしまいましたが当時の記事をそのままに残しています。

ノート1:どんな研究が必要なのか(2010.3.22)

 ポイント:企業にとってイノベーションは重要。技術はイノベーションの一要素。

 キーワード:創造的破壊、Shumpeter、アイデア、イノベーション

 関連記事:「「イノベーションの神話」(Scott Berkun著)のまとめと感想」(2011.2.20)イノベーションの全体に関わる考察がまとめられている本です。

  「科学技術と社会とのかかわり、これからのイノベーション」(2011.7.18)3.11震災を機に見直す科学と社会のかかわり方。
参考リンク

ノート2:研究の不確実性をどう考えるか
(2010.3.27)

 ポイント:研究は不確実。その認識がマネジメントには必要。

 キーワード:意思決定理論、確定性、リスク、不確実性、錬金術、セレンディピティー、創発的プロセス、未来予測

 関連記事:「技術の目的、研究の役割」(2010.7.25)未来予測、不確実性の低減などを考察しました。

  「複雑系経営(?)の効果」(2012.5.6)不確実性の原因としての複雑性、複雑性への対応。
参考リンク


ノート3:研究と競争相手
(2010.4.3)

 ポイント:競争相手の存在は忘れてはいけない。

 キーワード:技術の普遍性、競争、Porter
参考リンク


ノート4:企業の収益源となる研究テーマの設定
(2010.4.10)

 ポイント:イノベーションの企業活動への影響認識が重要(特に破壊的イノベーション)。

 キーワード:破壊的イノベーション、持続的イノベーション、Christensen、ブルーオーシャン戦略、コンプレックスシステム、ボリュームオペレーション、コア

 関連記事:「コア・リジディティ」(2010.9.5)Leonardによる硬直性についての考察。

  「リバース・イノベーション」(2010.10.17)GEの新たなイノベーション戦略。

  「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」(2010.11.28)人間中心のイノベーションの試み。

  「エスノグラフィーとイノベーション」(2010.12.19)真のニーズを探るアプローチ。

  「P&Gのすごさ-ニュー・グロース・ファクトリー」(2011.11.20)イノベーション成功のためのP&Gの取り組み。

  「「ホワイトスペース戦略」-ビジネスモデルイノベーションの方法」(2012.1.9)ビジネスモデルイノベーションの方法。

  「キュレーションと研究開発(勝見明著「キュレーションの力」感想)」(2012.3.11)情報の編集により新しいものを生み出す可能性。
参考リンク


ノート5:研究部門に求められるテーマ
(2010.4.17)

 ポイント:研究にはイノベーション以外にも様々な業務が求められる。

 キーワード:未知、既存、頭を使う、体を使う、中核事業の安定、オープンイノベーション、10年ルール、宣伝、信用度

 関連記事「技術を維持する-イノベーションの負の側面への抵抗」(2010.11.14)既存事業も重要。

  「オープン・イノベーションは使えるか?」(2011.1.10)オープンイノベーションの難しさと可能性について。
  「苦しいときの技術開発頼み」(2011.9.4)研究開発に期待するとはどういうことか。
参考リンク


ノート6:研究部門が実施したいテーマ
(2010.4.24)

 ポイント:シーズ志向、セレンディピティーの重要性。

 キーワード:シーズ志向、ニーズ志向、暗黙知、形式知、トップダウン、ボトムアップ、ミドルアップダウンマネジメント、レディネスギャップ、偽セレンディピティー、真のセレンディピティー
参考リンク


ノート7:研究者の活性化
(2010.5.1)

 ポイント:モチベーション理論、エンパワーメントのまとめ。

 キーワード:機能人、経済人、Maslow、欲求段階理論、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現欲求、X理論、Y理論、動機づけ要因、衛生要因、内発的動機づけ、欲求説、過程説、期待理論、誘意性、達成動機理論、エンパワーメント

 関連記事:「研究者と金銭的報奨」(2010.9.12)研究者に対する金銭的報奨の与え方についての考察。

  「研究者と金銭的報奨再考:処遇をどうすべきか」(2010.10.3)過去の成果に対する報奨vs将来の成果への期待料について。

  「モチベーションは管理できる?」(2011.1.23)モチベーションは何によってどう変わるのか。

  「働きがいのある会社とは(Fortune誌「最も働きがいのある米国企業2011」No.1、SASの考え方)」(2011.1.30)SASの考え方の紹介。

  「研究開発におけるスピードと俊敏さ-「加速の罠」について」(2011.2.13)スピードは重要なのか?。
  「研究開発とフラストレーション:ルーチンワークの罠」(2011.5.8)研究の不確実性が生む非合理的行動。
  「モチベーション再考」(2011.8.28)金井壽宏著『危機の時代のやるき学』に基づくモチベーション理論まとめ。
  「ポジティブ心理学の可能性」(2011.9.25)ポジティブ心理学入門。
参考リンク


ノート8:研究者の適性と最適配置
(2010.5.8)

 ポイント:研究に求められる様々な仕事と研究者の適性のマッチングが重要。

 キーワード:適性、認知スタイル、行動類型、人を選んでから目的を考える

 関連記事:「イノベーションに必要な人材-『イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材』」(2010.11.7)ケリー氏の著書紹介。

  「研究者の年齢限界?」(2010.12.12)年齢限界は個人差?。

  「競争心と研究開発」(2011.3.6)弊害のない競争心の発揮はできないのか?。
  「イノベーターのDNA」(2011.5.15)Dyerらによるイノベーターの特徴分析。

  「イノベーションのDNA」(2012.4.15)上記論文の書籍化内容。イノベーターの能力と組織への適用。
  「技術者が問題社員になるとき」(2011.7.24)ギーク(いわゆる専門家)を問題社員にしないためには。
  「事業創造人材とは」(2011.10.16)事業創造を得意とする「青黒い」人材とは。(石原、白石による)
参考リンク


ノート9:研究組織の構造
(2010.5.15)

 ポイント:イノベーションのための組織は固定的、定型的でない方がよいのでは?。

 キーワード:機能組織、タスクフォース、階層性、トップダウン、ボトムアップ、ミドルアップダウンマネジメント、ネットワーク組織、破壊的イノベーション、小さな組織

関連記事:「研究における企画という仕事」(2012.2.12)研究部隊の能力を補う意義。
参考リンク


ノート10:研究組織の望ましい特性と運営
(2010.5.22)

 ポイント:重要な要素は、ビジョン、多様性、コミュニケーション、自律性。

 キーワード:組織的知識創造、自律性、ゆらぎと創造的カオス、冗長性、最小有効多様性、ビジョン、針鼠の概念、コミュニケーション、弱い絆、公正なプロセス

 関連記事:「ナットアイランド症候群:自律的な組織を失敗に導く組織病」(2010.9.26)
  「思考停止をもたらすもの」(2011.7.31)考える苦しさ、考えることと行動すること。

  「研究組織におけるコミュニケーションの難しさ」(2011.11.13)タテとヨコのコミュニケーションのポイント。

  「協力的環境と研究-「不機嫌な職場」に学ぶ」(2011.12.18)協力行動を引き出す方法。

  「『流れを経営する』を読む」(2012.3.25)野中郁次郎氏の知識創造理論のまとめ。

  「利他性と協力」(2012.5.13)人間は本質的に利己的ではない?。
参考リンク


ノート11:研究組織運営におけるリーダーの役割
(2010.5.29)

 ポイント:環境整備、仕事による動機づけ、多様性、コミュニケーション、育成、ロールモデルが重要。

 キーワード:仕事による動機づけ、多様性、コミュニケーション、ゲートキーパー、育成、経験、ロールモデル

 関連記事:「リーダーがつまずく原因」(2010.7.19)McCallによる「脱線した経営幹部」について。
  「プレイングマネジャーの功罪」(2011.4.10)プレイングマネジャー制の危うさと有効活用。

  「フロネシス(賢慮)と研究開発」(2012.1.29)知識創造を達成する実践知を持ったリーダーとは。

  「部下を守る?組織を守る?技術を守る?」(2012.4.30)部下に仕事をさせるために内外の圧力を緩和する。
参考リンク


ノート12:研究プロジェクトの運営管理
(2010.6.5)

 ポイント:計画よりも上手く実行することが重要。定型的な運営は難しいのでは?。

 キーワード:計画、戦略、創発的戦略、評価、方向転換、変化のスピード、心のエネルギー

 関連記事:「研究の管理と評価再考」(2010.8.1)Davilaによるイノベーション管理手法について。

  「祝ノーベル賞:『発見の条件』by根岸英一教授」(2010.10.11)根岸教授の研究マネジメント手法。
  「『技術経営の常識のウソ』感想」(2011.4.17)オープンイノベーション、プロジェクトマネジマント、ステージゲート法の注意点。
  「報連相と研究開発」(2011.10.2)研究開発における報連相の使い方。
  「研究開発と会議」(2011.10.23)研究開発における会議の使い方。

  「魔の川、死の谷、ダーウィンの海を越える」(2012.1.15)研究を進める上での壁をどう越えるか。

  「知的な失敗」(2012.2.26)失敗を役立てる方法、うまく失敗する方法。

  「正しい現場主義と研究開発」(2012.4.8)現場から情報を得て活用する上での注意。

  「数値目標の功罪」(2012.5.20)数値化することが役立つ場合、そうでない場合。

  「アジャイル、スクラム、研究開発」(2012.5.27)アジャイルソフト開発手法に学ぶ不確実性のマネジメント。
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ノート13:研究成果の活用
(2010.6.12)

 ポイント:技術的な価値だけでは技術は普及しない。受け入れられるプロセスの理解が必要。

 キーワード:イノベーション普及、相対的優位性、両立可能性、複雑性、試行可能性、観察可能性、再発明、持続可能性、採用、選択的エクスポージャー、ハウツー知識、原理的知識、採用者カテゴリー、イノベータ、初期採用者、ラガード、革新性、能力信頼性、無難信頼性

 関連記事:「イノベーションとあいまいな意思決定(判断の根拠は何か?、ヒューリスティクスの活用?)」(2011.1.3)成果の活用に限った内容ではありませんが、意志決定や説得の問題について。
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ノート14:研究成果の転用
(2010.6.19)

 ポイント:知識としての研究成果の活用も重要。知識創造、ナレッジマネジメントの可能性。

 キーワード:特許、組織的知識創造、知識変換、知識移転、ナレッジマネジメント

 関連記事:「創造性を引き出すしくみ」(2010.10.24)野中教授の知識創造理論(SECIモデル)と実践的な方法。

  「「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想」(2011.3.21)知識創造ケーススタディ。
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