研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2012年11月

「リバース・イノベーション」(ゴビンダラジャン、トリンブル著)より

リバース・イノベーションについては、以前にHBR誌に発表された論文に基づいてご紹介させていただいたことがありますが、最近、その詳細が書籍[文献1]として出版されました。書籍でも基本的な考え方は同じなのですが、取り上げられている事例が増え、実践的な手法の整理も進んでいて、概念の深化や若干の変化もあるように感じられました。これからのイノベーションを考える上で、重要な考え方だと思いますので、再度取り上げておきたいと思います。

まず、リバース・イノベーションの定義ですが、本書では、「リバース・イノベーションとは、簡単に言うと、途上国で最初に採用されたイノベーションのことだ。こうしたイノベーションは意外にも、重力に逆らって川上へと逆流していくことがある。」[p.6]とし、論文での「新興国で製品開発し、これを先進国に展開する」という定義よりも、広い内容となっているように思います。原著の題名は「Reverse Innovation: Create Far from Home, Win Everywhere」(リバース・イノベーション:本拠地から遠く離れた場所で開発し、世界中で勝て、というところでしょうか)ですので、先進国から途上国へという従来の流れとは逆の意味でのリバースという視点とともに、どうやって新興国で世界的に展開可能なイノベーションを実現するか、という意味合いが濃くなっているように思います。

著者らは、リバース・イノベーションについて、「ベスト・プラクティスというよりもむしろ、新たな試みである。」[p.x]と述べています。しかし、グローカリゼーション(「富裕国の顧客向けに開発されたグローバル製品にわずかな修正を加え、主に機能を落とした低価格モデルを輸出するだけ」)で「新興国市場を開拓できると考えている」ことは「完全な誤り」とし、「富裕国で有効なものが自動的に、顧客ニーズがまったく異なる新興国市場でも幅広く受け入れられるわけではない。リバース・イノベーションが急速に勢いを増している理由はそこにあり、そうした動向は今後も続いていくだろう[以上p.7]」としています。「途上国の経済は大きく、とてつもないスピードで成長を遂げている[p.13]」、従って、「富裕国と有力な多国籍企業が成功を持続したければ、次世代のリーダーやイノベータは、(中略)途上国におけるニーズや機会にも関心を向けなければならない。」「未来は本国から遠く離れたところにある」[p.11]」、さらに、「いわゆる『新興国の巨人』と呼ばれる、途上国を本拠とする新世代の多国籍企業」との競争を考えるなら、「リバース・イノベーションを無視することは、(中略)海外での機会を逃すこと以上に高くつくおそれがある」、つまり「リバース・イノベーションは選択肢というよりも、酸素のように必要不可欠なもの」[以上p.12]、というのが著者らの基本的な考え方です。なお、著者は、「本書の読者には、富裕国を本拠とする多国籍企業のリーダーが多数含まれると想定しているので、本書では主に、そうした企業が強さを維持し、未来をかたちづくっていくための要件について取り上げていく」という立場で書き進めています。そのため、我々富裕国企業の実態に沿ったアドバイスが豊富に述べられていますが、「新興国の巨人はまた、本書の概念を用いて、世界進出の際にリバース・イノベーション戦略を活用できるだろう」[p.15]とも述べていますので、リバース・イノベーションをどちらかの視点に偏った考え方とは見ていないようです。以下、本稿では、本書前半で述べられているリバース・イノベーションの基礎理論、戦略策定と行動(実行方法)の内容を中心にまとめてみたいと思います(本書後半のケーススタディについては本書をご参照ください)。

富裕国と途上国の間にある5つのニーズのギャップ

以下のギャップが、リバース・イノベーションの機会を考える上での出発点。

・性能のギャップ:「途上国の人々は、私たちが富裕国で慣れ親しんできたような高いレベルの性能を求めることはできない。」「超割安なのにそこそこ良い性能を持つ画期的な新技術を待ち望んでいる」(わずか15%の価格で、50%のソリューションのような)[p.24-25

・インフラのギャップ:「富裕国ではインフラが広範に行き届いているが、途上国はそうではない」。ただし、富裕国には既存のインフラという制約がある。[p.26-27

・持続可能性のギャップ:新興国には環境に優しいソリューションを用いるニーズがある[p.28

・規制のギャップ:「規制による影響を受けない途上国のほうが、より早くイノベーションが進展する可能性がある。」[p.29

・好みのギャップ:「国ごとに存在する味覚、習慣、儀式などの豊かな多様性」[p.30

このような違いは、富裕国がいまだ解決したことのない問題であったり、富裕国が数十年前に似たようなニーズに対処した際にはまだ利用できなかった最新技術を用いて対応することになるため、「貧困国で機会をつかむことは、一から始めることを意味する。」(「白紙状態のイノベーション)。「イノベーションを行う企業が勝ち、輸出する企業は負ける」[p.32

川上へとさかのぼるパターン

富裕国でリバース・イノベーションが魅力を持つのは次の場合。

・今日の取り残された市場:「富裕国には、無視されたり、サービスが不十分だったりする『取り残された市場』がある。そうした市場でイノベーションが起きなかったのは、それが必要ないからではなく、市場が小さすぎて多額のイノベーション投資を正当化できないから」。[p.33

・明日の主流市場:富裕国と途上国の間のニーズの「ギャップがある間は、富裕国の主流市場では魅力を出せないイノベーションも、ひとたびギャップが解消傾向に転じれば、最終的には魅力的なものとなる。」[p.36

リバース・イノベーションのためのマインドセット

著者は、「リバース・イノベーションの規律を熟知するうえで、過去にとらわれることは唯一最大の弊害」[p.53]と述べています。貧困国のニーズを無視したり、貧困国がいずれは成長して富裕国と同じ製品を求めるようになるはず、という考え方が新興国での成功に結びつかないことは容易に想像できますが、グローバル企業の次のような思考がリバース・イノベーションの障害となると指摘しています。

・グローカリゼーション:「グローカリゼーションは富裕国間の違いには効果的」。しかし、「新興国市場の真の成長機会は大衆市場にある。そしてそれはグローカリゼーションが壁に突き当たるところ」。「グローカリゼーションが無効になったのではない。」「グローバル企業はリバース・イノベーションとグローカリゼーションを同時に実行することを学ばなければならない。」[p.62-63]。「グローカリゼーションとリバース・イノベーションは、ただ共存していればよいわけではなく、両者が協力しあう必要がある。[p.95]」

・思考の罠:1)貧困国の顧客は古い技術で満足というような、「貧困国の市場を斜陽技術のゴミ捨て場のごとく見ることは、重大な間違い」[p.64]。2)リバース・イノベーションでは、「必ずしも徹底的に低価格にしなくてはいけないわけでもない。」[p.65]。3)「リバース・イノベーションの可能性は、ただ製品設計をいじるだけの問題ではなく、(中略)多くはビジネスモデルのイノベーション」。[p.66

・妨げとなる不安:1)新興国では利益率が低いと考えがちだが、「たとえ、粗利益率が低かったとしても、新興国の固定費は比較的低く、潜在的なボリュームははるかに大きいので、営業利益率とROI(投資収益率)は同等かそれ以上になるかもしれない。」[p.68]。2)低価格市場での競争は自社の高級ブランドを危険にさらすか、自社製品に対するカニバリゼーション(共食い)をもたらす危険があるが、「何もしないことのリスクに比べれば、(中略)比べものにならないほど小さい。」[p.69]。3)技術リーダーとして優れているから超低価格とは相容れない、というのは間違い。

CEOのとるべきステップ:まずは、このような隠された前提、罠、不安を認識した上で、CEOは次の3つのステップをとる必要がある。1)組織の重心を新興国市場に移す。2)新興国市場の知識と専門性を深める。3)個人として象徴的な行動をとることで雰囲気を変える。[p.73-80

リバース・イノベーションのマネジメント

リバース・イノベーションを実行する部隊が取り組むべきこととして、著者は以下の指摘をしています。

・支配的論理を覆す:経営者や組織を支配しているリバース・イノベーションの障壁となる考え方を取り除く。

・ローカル・グロース・チーム(LGT)を組織する:「組織上の障壁を取り払うための方法は、リバース・イノベーションのために特別な組織単位を作ること」[p.92]。白紙の状態で組織を設計する(外部人材の活用も有効)。

・グローバル組織の資源を活用できるようにする:グローバル企業としての資産が、ローカルの競合企業に対する優位となる。ただし、「LGTと社内の他の組織との間で、健全な協力関係を進展させることはなかなか難しい[p.104]」。対立解決のためにはLGTを上級幹部の直轄とし、橋渡し役を有効活用する。

・統制のとれたやり方で実験を行なう:計画を達成することよりも、「将来について仮説を立て、テストを行い、不確実性を知識や情報に変換し、実行可能なビジネスモデルを開発するための教訓を導き出すほうが大切[p.110]」。具体的には、重要な未知の事柄の解明への集中、LGTに適した業績評価、頻繁な計画の修正、計画の実行結果ではなく学習結果について説明責任を負わせることが重要。[p.110-114

リバース・イノベーション戦略の「9つの重要ポイント」

以上の本書前半部のまとめとして、著者は以下の9つのポイントを挙げています。[p.125を要約]

戦略レベル

1、新興国市場の成長をつかむために、単なる輸出ではなく、イノベーションに取り組む。

2、イノベーションを他の貧困国、富裕国の取り残された市場、富裕国の主流市場へと移転させる。

3、いわゆる新興国の巨人を自社のレーダーで捕捉し続ける。

グローバル組織レベル

4、人材、権限、資金を、成長している場所である途上国に移す。

5、リバース・イノベーションのマインドセットを全社的に培う。新興国市場にスポットライトを当てる。

6、グローバルとは別の損益計算書をつくり、成長性に関する指標を重視した業績評価を設ける。

プロジェクト・レベル

7、LGTに権限を委譲する。白紙の状態でニーズを評価し、ソリューションを開発し、組織を設計する。

8、LGTが自社のグローバルな経営資源の基盤を活用できるようにする。

9、迅速かつ経済的に、重要な未知の事柄の解明に注力し、統制のとれた実験として管理する。

本書の後半では、9つのケーススタディが紹介されています。もともと著者は、GEのコンサルタントとしてリバース・イノベーションを推進していたため、GEのケースについてかなり詳しく説明されていますが、その他のケースにおいても、似たようなアプローチが取られている点は興味深いと思います。特に上記の、2、4、7(特に)、8、9のポイントが複数の事例で強調されていました。

---

以上が本書のまとめですが、著者の主張は軽々しく無視できるようなものではないでしょう。本書の解説では、小林喜一郎慶応義塾大学教授が日本企業にとっての課題を挙げています[p.371-372]。内向きからの脱却、新興国を生産拠点ではなくイノベーション拠点ととらえること、経営システムのユニバーサル化、投資しないリスクの大きさ、新興国における社会との互恵関係を念頭に置いた事業創造、など、いずれも日本企業にとって容易ならざる課題と言えると思いますが、小林氏も指摘されているように、かつて、日本が新興国だった時代に日本で技術開発した製品が海外進出していった状況には、リバース・イノベーションとも似たような要素があったと思います(その頃には今日のような多国籍企業がなかった点は違いますが)。もちろん新興国の動向は予測が難しい面もありますが、リバース・イノベーションの流れを念頭におき、著者の指摘するように、貧困国に対して、慈善や援助ではなく、ビジネスを通じて貢献できる[p.336]可能性もよく認識した上で、グローバル戦略を考える必要があることは間違いなさそうに思われます。


研究開発マネジメントの観点からは、Christensenによる破壊的イノベーションとの関係が重要でしょう。著者は、「リバース・イノベーションと破壊的イノベーションは一対一の関係ではないが、重なり合う部分がある。すべてではないが、リバース・イノベーションの一部は破壊的イノベーションの事例でもある。」[p.360]と述べています。リバース・イノベーションと破壊的イノベーションの類似は、リバース・イノベーションの論文を取り上げた際にも述べましたが、起きている現象、考え方、進め方のノウハウなどにかなり共通の要素が認められます。ただ、Christensenの理論では、イノベーションや技術の進歩の傾向とそれによる企業の盛衰が破壊的イノベーションの考え方で理解、予測できる、という現象面の重要性が強調されていて、実際に、どうしたら破壊的イノベーションを起こせるのか、特に、その芽を見つけるにはどうしたらよいのか、という点についてはそれほど詳しい手法が提示されているわけではないと思います。「最初の戦略は必ず間違っている」「正しい戦略を知っているかのように意図的に行動するのではなく、正しい戦略が市場から『わき出る』、つまり創発するようなアプローチを採用すべき」[文献2、p.373,236]というのが基本的な考え方になっていて、ChristensenAnthonyもその具体的な方法を提案しているわけですが、本書に示された新興国発のリバース・イノベーションについて言えば、かなりの確率で計画的に破壊的イノベーションの芽をみつけ、育てることが可能なのではないかと思われます。その意味で、リバース・イノベーションが破壊的イノベーションを効率的に生む方法になりうることを示したことは、著者らの指摘の最も重要なポイントではないでしょうか。実践的な観点からは、リバース・イノベーションの中には、新興国の中だけのイノベーションにとどまり、破壊的にもリバースにもならないものもあるでしょうが、その可能性については十分に認識しておく必要があると言ってもよいと思います。著者は日本語版への序文で「必要なのは行動することである」[p.iii]と言っています。どう行動するかが問われているということでしょう。


文献1Govindarajan, V., Trimble, C., 2012、ビジャイ・ゴビンダラジャン、クリス・トリンブル著、渡部典子訳、「リバース・イノベーション 新興国の名もない企業が世界市場を支配するとき」、ダイヤモンド社、2012.

文献2:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.


(参考)

原著のwebページ

http://www.tuck.dartmouth.edu/people/vg/reverse-innovation/

ビジャイ・ゴビンダラジャン、小林喜一郎、渡部典子、「リバース・イノベーション講座」、ダイヤモンド社書籍オンライン、2012.10.1から

(第1回)http://diamond.jp/articles/-/25138

他の回も上記URLからたどれます。

参考リンク<2013.1.14>


 

 

 

人事のプロへの期待(八木洋介、金井壽宏著、「戦略人事のビジョン」より)

イノベーションを事業として成功させるためには、様々な部署、専門家との協力が必要です。しかし、「人事部門」と協力しながらプロジェクトを進めることはあまりないのではないでしょうか。もちろん、人事配置や採用、処遇や評価、給与、厚生といった業務では人事と連携することはあるでしょうが、それ以外の場面では、人事という職種の専門家にどんな点で協力してもらえるのか、何を期待できるのかがよくわからない、というのが実際のところだと思います。

八木洋介、金井壽宏著、「戦略人事のビジョン 制度で縛るな、ストーリーを語れ」[文献1]では、人事のあるべき姿、その役割、本質が語られています。人事と技術者との協力が本書の主題というわけではありませんが、人事部門以外の人にとっては、人事の専門家(人事のプロ)に期待できること、人事とどう協力していけば成果につながるのかについて参考になるヒントが示されていると思いますので、そのまとめを試みたいと思います。なお、著者の八木氏は、NKK(現JFE)とGEにおいて人事の仕事をされてきた方とのことであり、本書には、GEで八木氏が実践された戦略人事について述べた部分と、それにとどまらない八木氏の人事感が述べられている部分とがあります。当然両者の重なる部分は多いのですが、以下ではその両者を分けてまとめてみました。

人事のあるべき姿

八木氏は、人事のあるべき姿として以下のような内容を述べています。

・人事部門は本来、ラインマネジャーと働く人たちにとっての、よい意味でのサーバント(奉仕する人)なのだ[p.7、金井氏コメント]。

・マネジメントには「戦略性のマネジメント」と「継続性のマネジメント」がある。「『戦略性のマネジメント』は、『現在』を見て、勝つための戦略を立て、それを企業内の各機能に一貫性をもって反映させるマネジメント。」「他方、『継続性のマネジメント』とは、『過去』を見て、企業における歴史的連続性を重視するマネジメント」。戦略性のマネジメントのもとでは、変化に対応して臨機応変に動くのに対して、継続性のマネジメントでは前例踏襲、制度やマニュアル固守といった姿勢になりやすい。「多くの日本企業の人事部門は『継続性のマネジメント』に縛られています」[p.27-28]とのことです。

・「企業を実際に動かしているのは、ふつうの人たちです。一部の優秀なリーダーやエリート経営陣が会社を動かしていると考えるのは誤りで、ふつうの人たちが、リーダーの言うことや会社の経営方針に納得し、頑張って働くことで、会社は業績を伸ばし、成長します。」[p.36

・「戦略は『こうやって勝つ』というふうに話の筋が通っていて、ふつうの人が聞いて納得できるストーリーになっていなければなりません。そういった戦略をベースに、ふつうの人である社員とのコミュニケーションを図り、そのやる気を最大化し、企業の生産性を向上させること、これが私の考える戦略人事のあり方であり、人事部門が担うべき役割です。」[p.37

・「社員の頭の中に霧がかかっていれば、霧を晴らす手伝いをする。社員の心の中で火が消えかけているのであれば、熱く語って火付け役になる。(中略)そうやって、社員のやる気を高めるために人事の仕事はある」。[p.40

・「『人事の役割は社員のやる気を引き出すことだ』などと言うと、『それはむしろラインマネジャーの仕事ではないか』と反論する人がいるかもしれません。(中略)ただし、世の中のすべてのマネジャーが『人間のプロ』とは限りません。(中略)さまざまな得意分野をもったマネジャーたちが集まって形づくっているものが企業です。(中略)会社の中に『人間のプロ』がいることで社員の生産性を高めることができていれば、その会社において人事部門の存在意義はあるとも言えます。」[p.41-42

・「人事制度ができれば、人事部門には権限が生まれ、人事担当者はルールや権限に基づいて仕事をするようになります。そして、いくら権限を振りかざしたところで、結局のところ、社員の心を揺り動かすことはできませんし、社員のやる気を本当の意味で引き出すことは不可能です。なぜなら、少なくともふつうの人は、人を縛り付ける制度が嫌いだからです。」[p.45

・「人事担当者にとってのリーダーシップとは、権限ではなく見識をもち、正しいことを正しく主張することです。その場合の正しいこととは、ストーリー化した戦略であり、企業が業績を上げて成長していくための大きな絵(ビッグピクチャー)であり、あるいは世の中の変化に合わせて会社に起こすべき変革の道筋です。そういう事柄を社員に対して真摯に語りかけ、会社が目指していく方向に向かって人々を巻き込んでいく。それが本当の『人事の力』」[p.46]。

・「人事部門は、個人や組織が最高のパフォーマンスを出せる状態をつくり出すことで経営に貢献します。」[p.47

・「人事部門のきわめて重要な仕事の一つに、次世代リーダーの育成が挙げられます。」[p.160

・日本人にはハイパーフォーマンスのすばらしいフォロワーは多いが、リーダーには育ちにくい。それは、その人たちの中に、自分を突き動かすエンジンが欠けているからではないか。「もともと『勝ちたい』とか『一番になりたい』というエンジンをもっている人、あるいは『創造性を発揮したい』とか『正義を実現したい』というエンジンをもっている人は、少なくとも自分の考えをもとうとします。自分で意思決定しようとしますし、相手が誰であろうと怖がらずに自分の意見を言おうとします。」「ところが、日本人の場合は、自らを突き動かし、駆り立てるエンジンをもともともっていないわけですから、いきなりリーダーの行動や条件について教え込んでも、それらはせいぜい知識として型通りに吸収されるだけです。」「日本人をリーダーに育成するには、エンジンをもってもらうことから始めなくてはならない。」[p.167-170

・人事のプロに求められる資質:情熱があること、ビジネスを知ること、人間に対する理解(人間についてのプロ)、人の心を揺り動かす(正しいことを言って正しい行動をとれるストイックさ、変革を恐れない勇気、自らがリーダーとして成長する)、常日頃からの努力と学習。[p.210

GEの戦略人事について

GEのやり方あるいは、日本GEにおいて八木氏が進められたやり方の特徴は次のようなものです。

・「GEの戦略はシンプルで、なおかつストーリー性があり、社員にとって納得感のあるもの」[p.62]。

・「業績が悪くなれば、人事にも問題があると見なされます」[p.68]。「GEでは人事は結果責任を負うことになっており、組織のパフォーマンスが下がり、目標が達成できなかったら、リーダーとともに責任を問われる」[p.79]。

GEグロースバリュー:GEのビジネスを成長させるリーダーに求められる5つの資質。外部志向(external focus)、明確でわかりやすい思考(clear thinking)、想像力(imagination)、包容力(inclusiveness)、専門性(expertise)。これは、トップクラスのリーダーの調査から導かれたもの。[p.71-72

GEにおける人事評価:ナインブロック。パフォーマンスの度合いと、GEグロースバリューの発揮度を、それぞれ「期待以上」「期待どおり」「期待以下」に分けた9つのブロックで評価。これは世間一般の成果主義とはかなり異なった考え方。通常の成果主義では、業績のみを重視するが、GEでは会社が理想とする価値観や行動規範(バリュー)にどのぐらい合った働き方をしているかも評価。長い目でみれば、バリューの発揮が必ずやGEのビジネスを成長させるという前提。細かい測定項目はなく、おおむね主観で評価。[p.72-76

・「組織を活性化できない人事担当者は、GE社内で敬意を払ってもらえません。コーチングやファシリテーションなどの手法が使えない人事担当者は本物の人事とは見なされません。」[p.89-90

・「組織開発には、人事担当者が自ら現場に介入していって組織の問題点を掘り起こし、解決への道筋をつけることも含まれます。」[p.92

GEにおける人事の役割:ビジネスパートナー(ビジネスの目標をパートナーとして達成する)、チェンジリーダー(変革を率先して引っ張る)、オーガニゼーションコーチ(組織の状態を見抜き、リーダーや社員に対して適切なコーチングをする)、タレントチャンピオン(優秀な人材を採用し、社員の悩みを解決したり代弁者になったりする)、HRエキスパート(給与や労務などの専門家)。八木氏はこれに、アンバサダー(進むべき方向性を示す)、トランスレーター(トップが言うことを社員にわかるように伝え、社員が抱いている思いをトップに正しく伝える)、ストーリーテラー(社員のやる気を引き出して集団のパワーを最大化するために、会社の戦略をストーリーとして語る)、エンライター(社員の悩みやフラストレーションを、言葉によって前向きの考えに変えていく)を付け加えています。[p.208-209

---

つまり、こうした考え方の特徴は、人事が「人間のプロ」として、社員のやる気をひきだすこと、組織を活性化すること、次世代のリーダーを育成することなどのマネジメントの多くの側面に対し、直接的介入も含めて積極的に関わる、というところにあるように思います。そして、そうしなければならない理由が「強い会社」「強くて、よい会社」をつくる、というシンプルな戦略にある、ということではないでしょうか。当然、異なる戦略、ビジョンを持つ会社には異なる人事のあり方があるかもしれません。GEのやり方が魅力的に見え、それを参考にしたとしても、結局自分たちで作り上げていく必要があるのだろうと思います。

研究開発やイノベーションの観点から見るとどうなるでしょうか。業種や状況によっては、技術や事業を独占していたり、変革が漸進的でゆっくりでよい場合もあるでしょう。そのような場合には、継続性の人事マネジメントでもよいのかもしれません。しかし、イノベーションは多くの場合、何らかの変革を伴いますので、古いものに「勝つ」必要がある、つまり「強い」ことが要求されるでしょう。そうなると、「強さ」を実現するためのマネジメントとして、著者の言うような人事のあり方は非常に参考になると思います。

実は、ここに書かれたような社員の活性化を図るというリーダーの役割は、様々なところで指摘されていることだと思います。本ブログでも、研究開発組織運営(ノート10)リーダーの役割(ノート11)で考えてみましたが、つまるところ多様な研究員の能力を引き出すことこそがリーダーの役割であるという点は、本書に述べられていることと近いように思います。しかし、研究開発のリーダー(つまりはラインマネジャー)がそうした役割を身につけ、実行するにあたって、人間のプロである人事部門が手助けしてくれる可能性がある点については、認識を新たにすべきでしょう。研究における自前主義の問題点が指摘され、自分の知識不足の点や専門外のことについては他者の協力を仰ぐべきであることは理解していても、「人事」にそれを求めうる、とはなかなか思いつかないのではないでしょうか。さらに、リーダー自身が持つマネジメントスキルについて、人事が専門の視点からアドバイスをしてくれるとなれば、それだけをとっても意義は非常に大きいように思います。

もちろん、このような人事の役割を実践している企業はまだ少数かもしれません。八木氏も指摘されるように、日本では継続性のマネジメントにとらわれている人事部門がまだまだ多いように思います。しかし、継続性にとらわれて戦略的なマネジメントができていないのは技術部門においても然り、ではないでしょうか。例えば、事業性の意識が低い研究開発や、目的を見失ったプロジェクトにいつまでもこだわることがあることはよく指摘されます。「『継続性のマネジメント』に縛られた人事部門では、人事担当者はいつしか考えることを忘れてしまいます」[p.36]という指摘は、そのまま技術部門にもあてはまるかもしれません。シンプルな戦略によって社員のやる気を引き出すこと、そのために人事のプロを含めた様々な専門家の知恵やノウハウを結集することはイノベーションの成功を目指す上でも有効な手法なのではないでしょうか。八木氏は「制度に頼らない人事」を目指す[p.228]と言われていますが、それで社員のやる気が引き出せるのであれば、すばらしいことだと思います。「機械の性能を上げようといくら改良を加えても、生産性が一気に5倍も10倍も向上することはありません。けれども、(中略)人がやる気を出せば、その生産性は5倍にも10倍にも跳ね上がります。」[p.40]という指摘は、研究開発の世界でも肝に銘ずるべきことだと思います。


文献1:八木洋介、金井壽宏、「戦略人事のビジョン 制度で縛るな、ストーリーを語れ」、光文社、2012.


参考

「“人間のプロ”として、人事はどうあるべきか?~今、求められる「戦略人事」の実現に向けて 八木洋介さん」、日本の人事部 インタビューwebページ、2012.10.15

https://jinjibu.jp/article/detl/keyperson/794/

野田稔、八木洋介、「HRトークLIVE、グローバルで躍動する人材づくりのために、人事は今何をすべきか?」、jin-Jour webページ、2012.8.22

http://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=57315

参考リンク


 

 

 

「感性の限界」(高橋昌一郎著)より

高橋昌一郎著、「感性の限界」[文献1]の感想です。以前に本ブログで同じ著者の「理性の限界」「知性の限界」について書かせていただきましたが、本書はその続編(姉妹編?)です。本書では前2作よりも「人間」についての話題が多く取り上げられていること、前2作の観念的(哲学的、思索的)な話題から少し変わって、最近の成果も含むより実験科学的な話題が多く議論されていることが特徴だと思います。前2作同様、科学と人の関わりを考える上で興味深い話題がわかりやすく述べられており、非常に参考になりました。

著者は、「なぜ人間は『空気』に支配されやすいのだろうか?」「なぜ理性的であるはずの人間が(中略)『愚かな』集団行動を取るのだろうか?」「人間は、『論理』や『情報』とは別のアプローチによって、結論を導いているという可能性が出てくる。理性や知性とは別の感性によるアプローチとは、いったい何なのだろうか?」などを本書の主題の一例として挙げています[p.249-253]。要するに、私たち人間の思考や行動の本質、メカニズムはどうなっているのか、そこから何が言えるのか、といったことが取り上げられているわけですが、その中から私が特に興味深く感じた点を以下にまとめておきたいと思います。

第1章、行為の限界

1、愛とは何か:外界からの刺激を受けて体内で起こる物理的変化(ホルモン濃度変化など)が「心」と深く関わっている可能性がある。

2、カーネマンの行動経済学:プロスペクト理論(不確実な状況における人間の意思決定が、『効用』ではなく、『効用の変化』に基づき、損失を回避する傾向が強い)[p.58]。認知バイアスの中で重要なのがアンカリング(「何らかの数値に繋ぎ止められたうえで、意思決定をくだす状況」[p.61]。人間には、得をするフレーム(表現のしかた)ではリスクを避け、損をするフレームではリスクを冒そうとする傾向がある(フレーミング効果)[p.100]。

3、二重過程理論と不合理性:二重過程理論(スタノヴィッチによる)とは、ヒトの脳内には、2つの異なるシステムが並行して存在し、それぞれが独自のメカニズムで働くという考え方。ひとつは自律的システム(ヒューリスティック処理システム)、もうひとつは分析的システム(系統的システム)[p.82-85]。分析的システムは、言語や規制に基づく処理を行い、意識的に刺激を系統立てて制御。自律的システムは、ヒューリスティックなモジュール型のシステムで、刺激を自動的かつ迅速に処理し、意識的に制御できない反応を引き起こす[p.90]。(情報科学におけるヒューリスティック処理システムは、精度は低くなるけれども短時間で結果を予測できるシステム。人間でいえば、一種の「発見」、あるいは「直観」的処理のようなもの[p.83]。)

4、人間行為の限界と可能性:矛盾した認知を同時に抱えたような状況である「認知的不協和」も二重過程理論で説明可能。専門家でさえ認知バイアスから抜けきれない。人間が完全に合理的な判断をくだすことは不可能。[p.103

第2章、意思の限界

1、自由の限界:ヒトの行動は与えられた環境によって完全に決定される(環境決定論)という考え方がある(ワトソン)[p.118]。

2、ドーキンスの生存機械論:例えば、ミルグラムの服従実験などで明らかになった権威に盲目的に服従する行動様式は、脳に遺伝的に組み込まれている可能性がある[p.134]。ドーキンスは人間を、「利己的遺伝子を運ぶ生存機械」と定式化しているが、「自律的システム」は、進化の過程で人間に組み込まれた遺伝的傾向を示しているといえる[p.132-133]。服従実験の結果も二重過程理論で説明可能。「『自律的システム』は遺伝子の利益を優先し、『分析的システム』は個体の利益を優先していると解釈できる[p.137]。

3、進化と不自由性:脳内の「自律的システム」は無意識的に利己的遺伝子の利益に沿って判断を下しているが、「分析的システム」はそうではなく、どうすれば自身の利益を最大にできるかを合理的に考えることができる[p.156]。分析的システムの力によって自律的システムに叛逆することが「自由意志」とも考えられる(デネット)[p.156]。

4、人間意志の限界と可能性:もしあらゆることが決定されているという意味での「決定論」が正しければ「自由意志」は錯覚にすぎない。「決定論的世界観」と「非決定論的世界観」についてのイメージを、複雑性に応じて理解すること、すなわち、複雑性が極端に低い(量子論的現象)場合と、複雑性が高い(複雑系の現象)の場合には不確定性が高く、その中間では不確定性が低くなるように捉えることが可能ではないか[p.170]。

第3章、存在の限界

1、死とは何か:ヒトは生物学的には遺伝子の乗り物としての「ジーン・マシン」、社会学的にはミームの乗り物としての「ミーム・マシン」と考えることができる(ブラックモア)[p.184]。ミームとは、「コミュニケーションをする複雑な脳によって用意される環境だけで繁栄する」複製子であり、「脳から脳へ伝達される最小単位」の情報(ドーキンス)[p.180]。

2、カミュの形而上学的反抗:「利己的遺伝子」が無目的に繁殖を続けているように、世界には生々しい『実存』が優先してあるのみ」。「それなのに人間は、何らかの『本質』を懸命に探し求めている。そのことを『不条理』と呼ぶ」[p.202]。カミュによれば、不条理に対処する3つの方法は、『自殺』『盲信』『反抗』。「世界が『不条理』であることをそのまま認めて、あらゆる真実を包括するような科学的、合理的あるいは宗教的な『本質』も存在しないことを理解し、さらに人生に意味がないことを受け入れ、そのうえで『反抗』するという方法が『形而上学的反抗』[p.205-206]。

3、意識と不条理性:「カミュのように現実から目をそむけるような態度の方が、許しがたい『美徳の暴力』(サルトル)」[p.215]。科学技術が意識的あるいは無意識的に悪用される脅威がある(テロやバイオエラーなど[p.217-221])。

4、人間存在の限界と可能性:テロリストは「小集団の論理」に無抵抗に従う特徴がある[p.224]。「『意識』的なレベルでは、愛国心や信仰こそが自分の行動の動機だと認識していますが、実際には自分が小集団で特別な存在だと認められたい、小集団に自分を捧げたいという『無意識』的な衝動に突き動かされています。」「この衝動も脳内の『自律的システム』から生じるもの」[p.225-226]。「意識」も「脳の作り上げた幻想」である可能性もある[p.226](無意識が勝手に行なった行動について、あたかも『意識』の命令で行動したかのように、後付けのイメージ処理がなされる[p.229])。科学者も人間。科学技術者が未来を不安に満ちたものにしたのは、彼らが自分の仕事だと思ったことをただこなしていった結果(ズッカーマン)[p.239]。「『科学』を視野に入れない『哲学』も、『哲学』を視野に入れない『科学』も、もはや成立しない」[p.245]。「『愛』と『自由』と『死』のような抽象概念が、行動経済学、進化生物学や認知科学、あるいは神経生理学や実存哲学の視点から考えていくと、すべて一種の『幻想』かもしれないことが見えて」くる[p.246]。

以上が本書全3章の私なりのまとめですが、最後に著者は以下のように述べています[p.252-254]。「未知の現象に対する『恐れ』や無意識的『認識』の相違によって、議論の出発点から結論まで、大きく影響を受ける可能性がある」。「『充分に進歩した科学技術は、魔法と見分けがつかない』というアーサー・クラークの有名な言葉がある。それに付け加えたいのは、現代の科学者は『科学』を行っているが、一般大衆は『科学』ではなく『魔法』を期待している」。「残念ながら、現実の世界は『限界』に満ちている。」(本書を含めた3作の内容は)「壮観なネガティブの山のように映るが、逆に言うと、どれほど果敢に限界に挑戦し続けていることか、信じられないほどポジティブな人間の姿が見えてくる。」

---

イノベーションを考える上で、科学の問題、科学を利用してイノベーションを作り上げる人とそのマネジメントの問題、イノベーションの成果を受け取り使う人の問題は重要です。本ブログでは、著者による前2作で科学哲学に触れて以来、興味の赴くまま、科学的な考え方や科学と社会の関わりの問題を取り上げ、さらに、協力の問題から進化心理学へ、意志決定の問題から行動経済学や複雑系へ、という方向に関心が広がってきたのですが、本書はそうした展開をまとめてくれるような内容で非常に参考になりました。なかでも、二重過程理論は、人間の思考や行動を考える上で柱となる考え方なのではないかと思います。科学者ですら自律的システムに影響されることは十分に認識しなければなりませんし、科学者自身、気付かぬうちにありもしない「魔法」に期待していることもあるかもしれません(思考停止苦しい時の技術開発頼み、といった現象も根は同じかもしれません)。

著者はこの3作で取り上げた9つの「不○○性」を「壮観なネガティブの山」と言われていますが、あることが「存在しない、あるいはできない(かもしれない)」と認識していることは実用的にも非常に重要なことです。できないという知見に意義を感じられないとすれば、そのこと自体、自律的なシステムに影響されすぎているということではないでしょうか。良くも悪くも科学の影響が大きくなっている現代において、なるべく判断の誤りを減らすために、また、できる範囲で着実に前進していくために、限界を知ることは意味のあることだと思います。加えて、限界を知ろうと努力することで開けてくる新たな世界というものもあるような気がします。前進することが単純によいことなのかどうかは分かりませんが、第2章に述べられた、「利己的遺伝子のプログラムに叛逆し、自らの道を歩もうと」[p.155-156]努力することが我々の役割なのかもしれません。



文献1:高橋昌一郎、「感性の限界」、講談社、2012.

参考リンク



 


 

「イノベーション5つの原則」(カールソン、ウィルモット著)より


企業にとってのイノベーションは、その価値を顧客に活用してもらって(商売として成立させて)はじめて成功と言えるでしょう。しかし、周知のとおり、アイデアを事業化してイノベーションに仕上げる過程には様々な困難があります。今回は、カールソン、ウィルモット著、「イノベーション5つの原則 世界最高峰の研究機関SRIが生みだした実践理論」[文献1]に述べられたイノベーションの進め方についてまとめてみたいと思います。

本書には、著者のカールソン氏が1998年以来CEOを務めている[文献2]SRI Internationalでの事例、ノウハウが中心に述べられています。SRI Internationalは、その前身がStanford大学によって設立されたStanford Research Instituteであり、研究開発によりイノベーションを生み出す(特に初期段階のイノベーション)ことが主要な事業領域になっている会社ですが、著者らは、「イノベーションというのは、『技術的に優れたガジェットの発明』などではない。『発明』だけでは不十分だ。『発明を世に出すこと』に成功して初めて、イノベーションは成立する」と述べ、『市場に新しい顧客価値をもたらすこと』こそが『イノベーション』なのである」[p.4]と述べています。さらに、「新製品や新サービスの80~90%が、1年ほどで失敗に至っている。」「失敗の主因は、顧客の欲しいものを提供できなかったことにある。」「『イノベーションを生み出す体系的方法論』を構築すること。これこそがSRIがやらなければならないイノベーション」と述べ、「最終的に、成功するには『5つの原則』をマスターすることが必須であるとわかった」[p.17-19]と述べています。まずは、その「5つの原則」を見てみましょう。

イノベーション5つの原則p.25-26][p.275-276

1、真の顧客ニーズ:自分がおもしろいと感じることだけでなく、顧客と市場にとって重要なニーズに取り組む。(第3、4章)

2、価値創出:価値創出のツールを活用して、顧客価値を迅速に生み出す。(第5~9章)

3、イノベーションをリードするチャンピオン:『イノベーションを率いるチャンピオン』になって、価値創出プロセスを推進する。(第10章)

4、イノベーション・チームの構築:様々な専門家を集めた混成チームにより、天才レベルの集合知を実現する(第11~14章)。適切なメンバーを選び、全面的にプロジェクトに関与してもらい、噴出する懸念を解決し、前進させていく。

5、組織の方向づけ:チームを組織全体の方向性に合致させ、価値の高いイノベーションを体系的に生み出す(第15、16章)。成功に向けてチームを結束させる。

本書では、上記の原則についてそれぞれの章で詳しく述べられていますが、述べられている方法やノウハウは極めて実践的で共感できるもので、かつ、実用的であるとも思います。その分、オリジナリティーがないという意見もありうるとは思いますが、イノベーション手法をこの5項目に体系化していること、そしてそれらがSRIでの研究開発によって有効性が裏付けられたものである、という点の価値は大きいのではないでしょうか。欲を言えば、原著が書かれたのが2006年のため、至近の状況が反映された事例が書かれていない点は残念ではありますが、決して古くて使えないというような内容ではありません。なお、原著表題は「Innovation, The Five Disciplines for Creating What Customers Want」ですので、顧客にとっての価値を創造することこそが、イノベーションにとって重要なことである、という点が本書の主題と考えてよいと思います。

「5つの原則」の詳細に入る前に、本書冒頭第1、2章に書かれたイノベーションの本質に関わる議論を見ておきたいと思います。著者らは「『イノベーション5つの原則』は、今日の経済の潮流に応えるものだ。イノベーションを牽引するのは、コンピュータや通信をはじめとする多くの市場で明らかなように、知識型ビジネスの急速な進化である。この進化があまりに急速で、その影響があまりに甚大であるため、(中略)われわれはこれを『指数関数的な進化』と呼ぶことにする」[p.26]と述べています。指数関数ということは、y=ax(著者は、xを時間、yを顧客価値や価値提案の質という例を挙げています)ですから、a>1であれば急激な進化を表現するのには比較的妥当なモデルといえるでしょう[p.31の説明を少し修正しています]。もちろん厳密に指数関数で表現できるとは著者は言っていません(~的と言っています)ので、加速度的、とか累進的とかいう表現が実際のところかもしれませんが、例えばムーアの法則(「コンピュータの価格性能比は1年半ごとにほぼ倍増している[p.32]」)や、クリステンセンがイノベーションのジレンマで示した、ハードディスクの性能などの対数が時間に一次に増加していく傾向[文献3]とも符合していて興味深い考え方ではないかと思います。著者らは、これは単なる経験則ではなく、「知識が蓄積されるにつれ、ソリューションがいっそう優れたものになる」[p.32]とか、「ネットワーク上でユーザーが増加すれば、ユーザー同士の接触が指数関数的に増加する」[p.34]などの現象に基づいていると指摘しており、「新しい発明の一つ一つが以前の発明を足がかりとして生まれ、それがさらに進化を生み出す」[p.50]、という複利的なメカニズムにも例えていますので、かなり必然的なものと考えているようです。その上で著者は、指数関数的な進歩が必要と述べ、そのような進歩を促すためのアドバイスとして以下の点を述べています。

・業界の指数関数的な進化の先取りをする重要度の高いニーズに取り組むこと。

・新しくて貴重なアイデアを多数収集し、段階ごとに最大限の改良を施すこと。

・循環的な増殖プロセスを活用し、複利のマジックを起こすこと。

・経済的リソース、人的リソースなど、適切なリソースを用意して、プロセスを推進すること。

本書で述べられる「イノベーション5つの原則」の根底にはこの考え方があるようです。以下、本書の構成に沿って、特に重要と思われた点をまとめてみます。

原則1:真の顧客ニーズ

・重要度の高いニーズに取り組む[第3章]:社内や社外の顧客に明らかな価値をもたらすものか?、自社の目標と合致しているか?、本気でそのプロジェクトに取り組みたいと思っているか?を念頭に置く。

・顧客価値を創出する[第4章]:品質と利便性を考える。顧客価値のあらゆる要素を網羅する。ベネフィット/コスト比のような指標でできるだけ定量化する。

原則2:価値の創出

NABCを考慮する[第5章]:NNeed、重要な顧客と市場のニーズ)、AApproach、ニーズに応えるための独自のアプローチ)、BBenefits per costs、アプローチの費用対効果)、CCompetition、費用対効果は競合や代替品と比較してどのくらい優れているか)。

・「ウォータリング・ホール」で価値を創造する[第6章]:ウォータリング・ホールとは動物が水を飲みに集まってくる場所のこと。横断的かつ協力的な環境であり、社員がそれぞれの価値提案を練り直したり、顧客価値をさらに緻密で明快なものにするにはどうすればよいかを話し合う。「安全な場所」であり、アイデアや意見、リソースを集めることができる。SRIではこのミーティングのやり方が体系化されているようです。

・アイデアが集まれば価値創造は加速する[第7章]:価値提案のたたき台作成→意見、新しいアイデアを収集→価値提案を手直し→このプロセスを繰り返す。このとき、顧客の観察、ヒヤリング、リスクの軽減を検討する。明らかなリスクを排除する前に、資金と時間を浪費しないようにする。魅力的な価値提案を構築しないまま先を急ぐというのが犯しがちな間違い。

・エレベーター・ピッチで売り込む[第8章]:エレベーター・ピッチとは、1~2分で伝えることができる『価値提案』の核心部分。これで注目を得て支援をひきだす。

・イノベーション・プランで成功を引き寄せる[第9章]:価値提案の完成度を高める。核となるのは、数値化した価値提案に、リスク軽減策などの情報を加えたもの。新規参入の手がかりになる「橋頭保」、成功のカギとなる要因の「ゴールデン・ナゲット」、企業やパートナー、投資家に対してどのように利益をもたらすかを明らかにする「ビジネスモデル」などを考慮する。

原則3:イノベーションをリードするチャンピオン[第10章]:

・チャンピオンとは、指数関数的に進化する市場で顧客価値を生み出すために必要な5つの原則を修得したイノベーター。意欲と決意を持ってイノベーションに取り組み、ビジョンを掲げ、チーム・メンバーやパートナーを触発し、全責任を負ってやり遂げる。「チャンピオンは、イノベーション・チームの触媒や進行役として機能する。」「われわれが強調したいのは、チャンピオンの概念であり、リーダーシップや経営、起業家精神ではない。」「私たち一人一人が、それぞれの役割で権限を持つチャンピオンを果たさなければならない。」

原則4:イノベーション・チームの構築

・チームの才能を引き出す[第11章]:「ハイパーフォーマンス・チームは集合的な知識や知性、メンバーの多様な視点を有効に活用する。」「様々な分野の境界線を越えて機能するチームだけが大きな貢献を果たす時代になりつつある。チャンピオンは、こうした問題を解決するスキルを持ったチームを、最適な規模で編成しなくてはならない。」指数関数的な進化を生むチームは、重要度の高い顧客ニーズと市場ニーズにフォーカス、チーム編成は組織横断的でメンバーは相互補完的な独自の役割を持つ、意欲的なチャンピオンがいる、言語やツール、プロセスを共有し、反復サイクルを活用して、アイデアを加速度的に増やす、継続的なフィードバックによって、貢献度を向上させる、評価や報酬で成果を分かち合う、という条件を満たす。ただし、メンバーのコミュニケーションが増えることによりメンバー間に何らかの問題が生じるのは不可避であり、その問題への対処が必要。

・イノベーション・チームを構築する[第12章]:コラボレーションの3つの基本要素(「三脚椅子」と呼ばれる)は、戦略ビジョンの共有、スキルの相互補完、報酬の共有。人とチームが変化するための3つの基本要素(変化のDNA)は、欲求(Desire、変化のニーズ)、新しいビジョン(New vision、目指すべき場所)、アクション・プラン(Action plan、新しいビジョンへ到達する方法)。「敬意のこもった継続的なコミュニケーションは、三脚椅子をまとめる接着剤の役割を果たし、強さと柔軟性をもたらす。」

・イノベーションの壁を乗り越える[第13章]:「画期的なイノベーションは協力関係からしか生まれない。」「信頼関係に欠けるチームには、成功を導くスピードは出せない。」チームが信頼を築くために必要不可欠な要素は、「他者への敬意、誠実さ、寛容といった姿勢や態度」。変化に対する抵抗は、「懐疑的な態度と、FUD=恐れ(Fear)、不安(Uncertainty)、疑い(Doubt)、誤解、レッド・へリング(誤った事実)。チームでは、批判的な態度、消極的抵抗、陰口、告げ口が発生する可能性がある。こうした行動への対処も必要。

・イノベーションの動機は金ではない[第14章]:「イノベーションは、根源的な欲求が動機として機能することによって生まれる。『達成・権限・関与』という人間の3つの根源的欲求を『モチベーション・マントラ』と呼んでいる。チームが目覚ましいイノベーションを生み出し続けるには、この3つが不可欠だ。」「人は、仕事にポジティブな貢献をして価値を生み、有意義な目標を達成したいと考えている。」「私たちには、仕事上の自由が必要だ。上司が邪魔立てしたり、障害を作りだしたり、自由を制限したりすれば、仕事ができない。」「重要な意思決定にメンバーを関与させることは、メンバーに対して敬意を払い、メンバーの知見が解決策を導くのに有用だと考えていることを示す。」

原則5、組織の方向づけ

・あなたのイノベーション・チームだ[第15章]:「様々な障壁が成功を妨げる。」「新規プロジェクトのために、あえて別組織を作ることが成功につながることもある。」「目指すべきは、目覚ましい成果を上げること。」「パートナーを見つけることが重要」「まずは、成果を得やすいことから着手」「不必要な業務やコスト(ムダ)を取り除く」

・イノベーションの精神を根づかせる[第16章]:継続的な価値創造(CVC: Continuous Value Creation)を進める。

---

これらのハウツーについては、従来から言われているマネジメント手法を並べているだけのようにも感じられるかもしれませんが、著者の経験と思想に基づいて重要と思われることだけが選ばれている点で意義があると思います。しかも、それらは、著者が考えるこれからのイノベーションの本質に裏打ちされていることも特徴と言えるでしょう。すなわち、イノベーションは売れなければダメだということ、イノベーションはひとりではできないこと(だから、協力者を得る努力が必要なこと)、イノベーションを上手く進めると指数関数的に進歩すること(従って、上手く進められない場合には競争力を失うこと)、指数関数的な進歩を達成するためには重要なポイントにフォーカスし、多くの人の知恵を生かし、チームによる相乗効果を発揮させる必要があること、などが考え方の柱になっていて、それに基づいて細かなノウハウが体系化されていると言ってよいのではないでしょうか。もちろん、世の中はどんどん変わっていきますので、この方法が決定版であるというつもりはありませんが、ひとつの足がかりとして、使う人の置かれた状況にあわせて修正していくことでイノベーション成功の確率を高められるかもしれません。イノベーションのマネジメントを実践する必要のある方にとってはかなり参考になる本なのではないかと思います。



文献1:Carlson, Curtis R., Wilmot, William W., 2006、カーティス・M・カールソン、ウィリアム・W・ウィルモット著、電通イノベーションプロジェクト訳、「イノベーション5つの原則 世界最高峰の研究機関SRIが生みだした実践理論」、ダイヤモンド社、2012.

(参考)「イノベーションと、それを生む“ベストのチーム”作り、『イノベーション5つの原則』著者・カーティス・R・カールソンに聞く」、ダイヤモンド社書籍オンライン、2012.5.7

http://diamond.jp/articles/-/17791

文献2:SRI International, webページ

http://www.sri.com/about/people/curtis-r-carlson

文献3:Christensen, C.M, 1997、クレイトン・クリステンセン著、伊豆原弓訳、「イノベーションのジレンマ」、翔泳社、2000.

参考リンク<2013.1.14追加>





 


 

記事検索
最新記事
プロフィール

元研究者

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ