研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2013年05月

「ビジネスモデルイノベーション」(野中郁次郎、徳岡晃一郎編著)より

イノベーション実現のためには、ビジネスモデルを考慮する必要があることについては、本ブログでも何回か取り上げました(2012.1.92013.3.17)。ただ、ビジネスモデルについては、新しい事業の仕組みづくりや儲けのからくり構築、といった観点から議論される場合が多いようにも思います。今回は、野中郁次郎、徳岡晃一郎編著「ビジネスモデルイノベーション」[文献1]に基づいて、やや広い観点からビジネスモデルについて考えてみたいと思います。

編著者らは、「暗黙知をベースにして創造される高質な知を単にモノづくりに終わらせることなく、新たなやり方で価値に変える経営モデルに衣替えしないといけない。すなわち、それが本書の主題であるビジネスモデル・イノベーション(BMI)だ。・・・共通善をベースにしたビジョンをもとに、組織的知識創造の枠組みを築き、既存の産業の固定観念や企業内のしがらみを取り払ったうえで、世界の再創造のためのビジネスモデルに作り替える組織能力を構築しなくてはならないのである。それが知識ベースのビジネスモデルの変革であり、われわれが提唱する『事業創生モデル』である。[p.4]」としています。そして、「事業創生モデルをさまざまな角度から明確にするべく、編集する形でまとめた[p.5]」ものが本書、とのことです。以下、各章の内容の興味深い点をまとめてみたいと思います。

序章:賢慮の戦略論への転換(野中郁次郎)

・「2008年のリーマンショック以降、ビジネスを貫く戦略観は急速に変わりつつある。大きな変化は2つある。第一は、共通善への思いだ。・・・第二は主観を排除した論理思考偏重の破綻だ。[p.17-18]」

・「これまで二律背反してきた収益性と社会性に関するわれわれの暗黙の了解を覆し、両者の二律創生を共通感覚として組み込んだ新しい次元の競争で、われわれは世界の発展、未来の創造をめざすべきなのだ。その中核にあって高次元のバランスを図るのが賢慮である。・・・賢慮の戦略を具現化することはすなわち、本質的に真善美を追求する『知』を『価値』に変えるダイナミックプロセスを実践することであり、そのビジネスモデルがわれわれの提唱する知識創造理論を組み込んだ『事業創生モデル』(Business Creating Model)なのである。[p.20]」

第1章:事業創生モデルの提言――知を価値に変える(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

・ビジネスモデルを革新していくために新たに重要となる知的姿勢は、1)未来探索(未来を探り当てていく仮説思考や漸進的・実験的な態度が重要になる)、2)試行錯誤、3)共創(多くの関係者とのコラボレーションで進める)。[p.35-37

・実践知プロセスとは、1)自分なりの将来の仮説の下での自分のビジョンを創出する、2)そのビジョンをめざして、当面の目標を仮説的に設定する、3)その実現へと現場主義の強みを活かしてまず行動する、4)実践から学び、次なる目標をより正しい方向で設定する、5)ビジョンやビッグピクチャーを意識し、そこに意識的に近づくための漸進的なアブダクティブな知的意図を忘れない、6)このような作法を通じて毎日の業務を振り返り、こなしていくことで、本質が見え目の前に徐々に未来が像を結び始める、7)より鮮明になってきたビジョンに目がけ、次の実行目標は、よりクリアな方向感を持って設定することが可能になる、8)ビジョンと実践の往還運動から導かれる高い志と透徹したリアリズムのプロセスによって、仮説検証を行ない、より高質な目標設定につなげていく。[p.38-39

・事業創生モデルのフレームワーク(オスターワルダーらのモデルを知識創造の視点で発展させたもの):4層構造からなる。第1層は存在次元(ビジョン)、第2層は事業次元(共通善に根差した『価値命題』、知を創造する『場』、賢慮を生み出す『実践知リーダー』)、第3層は収益次元(コスト構造、市場価値、利潤)、第4層は社会次元(より成熟した社会の創造への貢献)。[p.45-54

・「ムーンショットという言葉がある。月に向かって打つような大胆なプランのことをいう。世の中を変えるような夢を持ち、それを達成する大きなビジョンを描き、ビジネスプランに落とし込んで実験しながら、夢に近づいていくのが事業創生モデルなのである[p.58]」

・事業創生モデルを起動させる3つのカギ:1)価値命題の刷新、2)関係性の刷新、3)実践知プロセスの高速回転。[p.59

第2章:ビジネスモデル・イノベーション競争――ビジネスモデルの多様な展開事例(根来達之・浜屋敏)

・オスターワルダー=ピニュールの「ビジネスモデル・キャンバス」が利用可能。核心は価値命題。[p.88

第3章:日産のグローバル・ビジネスモデル・イノベーション――対談、カルロス・ゴーン×野中郁次郎

・BMIを成功させるための土台は「ビジョン」(個々人が働き方を決めるための大きなピクチャー)[p.128

・「共通善のための行いは、必ずリターンを生む・・・重要なことは『将来の共通善』を探究すること」[p.134

・日産の危機管理:1)アセス(状況評価)、2)プラン(何をすべきか)、3)エンパワー(権限委譲)、4)トップの覚悟とコミットメント、5)ラーン(学ぶこと)[p.143-146

第4章:政府レベルのビジネスモデル・イノベーション――知識創造国家をめざすシンガポール政府の挑戦(大屋智浩)

・「シンガポールでは2000年頃から急速に知識創造型経済への転換を進めており、持続的な世界のイノベーションセンターの一角となるべく政策を打ち出している。」「ビジネスモデル・イノベーション(BMI)をまさに国家レベルで進めている」「土地も天然資源も限られたシンガポールにとって、自らを常に世界中から魅力あるイノベーション創出の『場』として、プロデュースし、内外の人材・企業から『場』として利用されていくことが、シンガポールの発展にとって不可欠である。」「シンガポール政府は、まさにそのプロデューサーとしての役割を発揮している。」[p.149-151

・シンガポールではITコンテンツ開発、水資源開発、バイオメディカル・サイエンスを成長の柱と位置づけ、集中的な投資を進めている。[p.154

・知の交流拠点を作ること、次世代育成、海外からの人材引き抜き、などをはじめとして、「研究者の嗜好に合致するような政策が総合的に展開され」「さまざまな政策が連携して、知識創造型経済を創り出すために相乗効果が出るように運営がなされている[p.162]。

・行政の仕組みとしても、柔軟な予算編成、上下の情報の流れをスムーズにする、省庁間の摩擦や組織の壁をなくす、優秀な官僚を育て集める、プラグマティズム(実用主義)、メリトクラシー(能力主義)、インテグリティー(反腐敗、高潔)という風土を定着させるなどの環境が整えられている。[p.163-178

第5章:社会インフラ事業モデルの構造と戦略展開――ナレッジエンジニアリングの視点(旭岡叡峻)

・「情報ネットワーク技術の進展、ソフトやサービス技術の進化、また各種機能材、センサー、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーなどの新技術のブレークスルーによって、数年前からそれらの新しい技術を応用した社会インフラ整備事業(メガソーラー開発、環境循環都市)、未来産業の集積を意図した未来都市開発事業(研究都市、デザイン都市)、先進国のスマートシティ開発、持続可能な社会づくりのための都市システムの再構築など、新たな『社会インフラ事業』が展開され始めている。[p.183]」

・「社会インフラ事業の経営には、社会課題を解決するための的確な判断とめざすべき社会条件を形成する合意形成プロセスが不可欠であり、さまざまな試行錯誤と実践を通じて生まれる実践知の方法論が重視されなければならない。[p.212]」

第6章:ビジネスモデルとデザイン思考――ビジネスモデル・イノベーションの実践知(紺野登)

・「ビジネスモデル・イノベーション(BMI)の本質は、顧客や現場の視点で関連する要素をいったん破壊し、新たな関係性を生み出す『知識のデザイン』である。[p.215]」

・「顧客の現場観察や社会トレンドなどから顧客価値を洞察し、それに沿ってできるだけ数多くのプロトタイプを創り出し(プロトタイピング)、試行錯誤を通じて事業を具現化する。その後も、変化の余地を残しながら、試行錯誤を続けていかなければならない。これがデザインアプローチ、デザイン思考(design thinking)の基本である。論理分析的に最初に計画を立てるアプローチやPDCAとは異なる視点である。[p.229]」

・「具体的には、まず顧客の現場から顧客価値を感知する(エスノグラフィーデザイン)、事業を取り巻く変化要因を(非決定論的に)認識する(シナリオ・ベースド・デザイン)、次に、顧客価値を提供するための資産・能力の関係性を生み出す(ビジネスモデル、パタンランゲージによるデザイン)といったツールを用いながらデザインアプローチをとるのが望ましい。[p.229-130]」

第7章:ビジネスモデル・イノベーションを阻む「しがらみ」からの脱却――ハードルを越える実践アプローチ(木村雄治)

・「しがらみとは、利益を生まずに負債化した関係性と定義できる。[p.255]」これは、BMIが失敗する大きな原因のひとつとして明らかになった。「企業経営において問題となる『しがらみ』に共通して言えることは、1)その関係性自体が不採算である一方で、2)その関係性がなければ現状の事業が成立しなくなるリスクがあり(または、そう思われており)、さらに3)永く過去から継続してしまっていて、半ば社内常識化している、という特徴である。[p.256]」

・しがらみにとらわれている理由は、「その企業が『自らの創造する価値を見失っているから』であろう。[p.259]」

・「つまり、企業が自らの本来的な価値よりも、諸々の関係性に依存するようになることで、徐々にしがらみにとらわれ、さらに自らの経済的価値を棄損してしまうというネガティブスパイラルに陥っていくのである。しがらみに陥らないためには、自社の企業ビジョンと価値命題を明確にして、さらに強い信念でそれを推進する勇気を持つことである。[p.261]」

第8章:事業創生モデルを推進するイノベーターシップ――知を価値に変える新たなリーダーシップ(徳岡晃一郎)

・「ビジネスモデルを創造していくリーダーには、金儲け以上のことが求められる。それは共通善を視野に実践知のプロセスを執拗に回し、困難を乗り越え、社員やパートナーを奮い立たせ、顧客、社会、世界を明るくしていく能力だ。そのようなリーダーたちの持つ最も重要な資質が実践知(practical wisdom)である。[p.279]」「その能力には6つの要素があるとされる。1)『善い』目的をつくる能力、2)場をタイムリーにつくる能力、3)ありのままの現実を直観する能力、4)直観の本質を概念に変換する能力、5)概念を実現する能力、6)実践知を組織化する能力。[p.280-281]」

・「事業創生モデルを引っ張り、社会を変えるために知を創造し価値に転換していくコアになる活動を野中郁次郎教授と筆者は『イノベーターシップ(innovatorship)』と名付けている。[p.287]」その条件は、「一見矛盾する共通善を希求する高い志とビジネス嗅覚の二律共存、同時追求」、それを支える原動力は、「強烈な原体験と自分でもできそうだという達成イメージからくる自信」であり、「自らのコンセプトを明確にし、発信力を鍛え、影響力を行使していくスキルが重要」、「集団としてのやり抜く実行力を醸成するイノベーターシップの源泉は、人の気持ちを察する人間理解と感謝の念に根差した人間力である。場の形成の根幹には信頼関係が必要だからだ。」[p.287-294

・「成果主義を象徴する仕組みとしてのMBOを超えて、事業創生モデルの時代の人事制度のあり方としてまとめたのがMBB(Management by Belief、思いのマネジメント)[p.303]」

終章:賢慮のビジネスモデル・イノベーションへ向けて――統合型事業創生モデル(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

・「事業創生モデルにはさらなる発展段階がある。それは、世界の諸課題へと視線を跳ばし、より良く共通善を達成していくために、個別ビジネスモデルを統合し、世界を巻き込むダイナミズムの中核になることだ。われわれ人類が乗り越えなければならない地球規模の課題へ挑戦するための知の結集である。それを『統合型事業創生モデル』(iBCM: integrated Business Creating Model)として提示してみたい。

・「今の日本の企業は、事業モデルの再創造が決定的に不足しているが、それはひとえに事業創生モデルを担う人材の不足にある。そういう人材を学校教育の段階から育ててこないばかりでなく、組織人になってからはモノのように酷使し、知の創造の主体とはとてもいえない扱いをしてきたつけが回ってきたものだ。知を創造する探究心や好奇心にあふれる姿勢、豊かな暗黙知を蓄える原体験や知的経験、そこからスパイラルアップする問題意識の深さなど、知の創造にとって不可欠なすべての要素において貧困な社員を作り上げてしまった。知的貧困化の悪循環に入り込んでしまっているのだ。スリム化でますます人材が減り、かつ雇用が流動化する中で、ストレッチターゲットに対しての意味づけ能力を欠いた管理職が成果主義のツールを振り回し、社員に対して目標を垂れ流している。知を創造するために不可欠なシャドーワークや部門間の連携の余地を、単年度利益をひねり出すための効率化により、絞り込んでしまい、仕事から面白みを削ぎ、知を創造する体力と気力を奪ってきてしまった。[p.344-345]」

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以上が私なりのまとめですが、本書は、副題にあるとおり、「戦略論」が主題であることには少し注意が必要だと思います。本書では、どうしたら儲かる(うまくいく)ビジネスモデルが作れるか、というようなハウツーはあまり述べられていませんし、例えば「共通善」についてもそれを重視すれば競合に勝てるとも言っていません(共通善の有効性の証明がなされているわけでもなく、例えばシンガポールの事例では共通善の位置づけは不明です)。従って、本書では多様なビジネスモデルの特性が示され、著者らの考える「あるべき姿」が提示されていると考えるべきでしょう。

しかも本書の指摘は、かなりトップレベルのマネジメント層を念頭に置いたものであるように思います。そのため、第一線の研究マネジャーにとっては、具体性に欠け、納得しにくく物足りない点もあるように思います。しかし、これからのイノベーションにおいて個別の技術ではなくビジネスモデルを考慮しなければならないこと、ビジネスモデルの考え方にはある程度のハウツーや知見が蓄積されつつあること、短絡的な成果主義よりは共通善や賢慮といった概念がこれからより重要になってくるだろうこと、などの著者らの洞察は時代の流れとしてすべての技術者やマネジャーがよく認識しておくべきことのように思いますがいかがでしょうか。


文献1:野中郁次郎、徳岡晃一郎編著、「ビジネスモデルイノベーション 知を価値に転換する賢慮の戦略論」、東洋経済新報社、2012.

参考リンク<2013.7.21追加>


 

 

ノート2改訂版:研究の不確実性をどう考えるか

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点

1.1研究活動における基本的な注意点

1)研究の必要性ノート1

2)研究の不確実性:すべての研究が克服しなければならない課題

研究を考える上で認識しておくべき基本的事項の2点目として、研究の不確実性を挙げたいと思います。

そもそも、人間がある目的を達成しようとして行動する場合、何らかの未来予測に基づいて行動することがほとんどでしょう。その予測の裏付けとなるのは、単なる勘のこともあるでしょうし、過去の経験や、他人の意見、多くの経験を体系化したり原理から導かれたりした理論のこともあるでしょうが、どんな場合も何らかの根拠に基づいて行為の結果を予測し、その予測に基づいて行動しているはずです。

このような行動とその結果の問題を扱うのに、意思決定理論では、次のような分類がなされるそうです。[文献1、p.17(文献2、p.255]

・確定性:ある行動について必ずある一定の結果が生じることが分かっている場合

・不確定性:ある行動について起こりうる結果が1つでない場合で、さらに2つのケースに分かれる。

 ①リスク:起こりうる結果の確率が分かっている場合。

 ②不確実性:起こりうる結果の確率が分からない場合。

このリスクと不確実性の区別はフランク・ナイトがその重要性を強調している考え方で、「リスクにおいては母集団における事象の分布が(事前確率の計算あるいは過去の経験で)わかっているのに対して、不確実性の場合にはわからない・・・。その理由は一般的には、扱う状況が高度にユニークであるため、母集団がわからないからである」とのことです[文献3、p.233(文献4、p.107)]。

企業活動について考えてみると、例えば工場での定常的な製品生産などは通常上記の確定性の場合に該当するでしょう。また、事故などの非定常な場合でも、過去の実績や情報、理論の蓄積があればその確率はある程度予測できますので上記のリスクの場合に該当する場合が多いと考えられます。これに対し、「イノベーションとは、従来とは違う新しく価値ある事業やサービスを起こすこと」(ノート1Druckerによる)ですから、イノベーションはユニークで、過去の情報や理論が十分であるとは限りません。従って、イノベーションを目指す研究開発活動は上記の「不確実性」の分野で扱うべき課題となるでしょう。

そうなると、研究開発を考える際には、まず、研究開発が「不確実」なもの、つまり期待どおりの結果が得られる確率がわからないものである、ということを認識することが重要ということになります。もちろん、不確実だからと言って目標や計画、管理の意味がないというわけではありません。マネジメントのやり方によって成功の確率は上がるはずです。しかし、どうやってもうまく行かない可能性もあることを理解し、その時にどのような「次の手」を打てるかを考えておくことが必要になるといってよいでしょう。

このような不確実性のマネジメントを考える場合、不確実性をもたらす要因を次の2種類に分けることが有効なように思います。すなわち、

1)期待している内容、目標についての不確実性

2)目標達成のために採用した手段に伴う不確実性

の2種類です。

例で考えてみましょう。「4、5、6と並んだ数字の後には何がくると期待されるか?」という問いに対して、最も素直には「7」と予想できると思います。しかし、この「4、5、6」が、普通のサイコロを振ってたまたま出た目の順番であった場合、「7」はありえません。サイコロなら「7」が出ないことに疑問の余地はありませんが、サイコロの仕組みや構造を知らない場合、すなわち起こりうる結果の確率がわからない(上述の「不確実性」に該当)場合には「7」を期待してしまうかもしれません。もし「7」を出したいなら、サイコロを振る回数を増やしたり、振り方や重さを変えたりする手段ではダメで、例えば普通のサイコロではなく12面体のサイコロを持ってくるというような手段が必要となります。あるいは、普通の6面体サイコロしか手段として使えない状況であれば、「7」を期待してはいけないわけで、目標を変更する必要があることになります。

意思決定においては、期待通りの結果が得られるかどうかを知ることができればよいので1)と2)をひとくくりにした確率を議論すれば問題はないかもしれません。しかし、イノベーションのように、起こりうる結果の確率がわからない「不確実」な課題に取り組み、なんとかして期待通りの結果を得たいという場合には、目標設定に基づく問題(「7」を期待してよいかという問題)と、手段や方法に基づく問題(「7」を出すにはどうしたらよいかと言う問題)に分けて考えた方がよいのではないかと思われます。例えば、研究開発を進めていて期待通りの成果が得られない場合、やり方が悪い(ということは、やり方を変えればうまくいく可能性がある)のか、そもそも目標が悪い(どういうやり方をしても不可能(原理的に成功確率がゼロだったり、与えられた資源の中での成功確率がゼロ))のかを理解できれば、それぞれの問題に応じた対応が可能になるのではないでしょうか。

往々にして、ある目標の実現を目指した研究開発においては、手段や方法の検討に主眼がおかれがちです。手段や方法の検討というのは、サイコロを何回も振ってみることに似て、目に見える努力が要求され、努力をしているのだという報告もできます。また、お金や人といった資源を投入することによって試行の回数やパターンを増やすことができます。しかし、そもそもの目標設定が誤っていると、こうした努力は実を結びません。科学は多くの夢の実現に寄与してきましたが、錬金術、永久機関、タイムマシンなど、実現できないことが証明された夢もまた存在します。さらに近年では、複雑系における現象のように、本質的に予測が不可能(あるいは限定的)だったり、現象を要素に還元して理解しえない場合もあることが明らかになっています(本ブログ「複雑系経営(?)の効果」「複雑系の可能性」)。自分たちが狙っているイノベーションの目標が、このような達成不可能な目標や制御不可能な目標になってしまっているかもしれないことには常に注意が必要でしょう。

もう一つ、目標設定の問題と手段や方法の問題を分けることによってわかりやすくなることがあります。それは、研究によって予想外の結果が得られた場合です。予想外ということは、期待通りの結果を得ようとする立場から見ると失敗になってしまうわけですが、セレンディピティーと呼ばれる能力(偶然に幸運な予想外の発見をする能力[文献5、p.198])によってなされた発見が科学技術における大きな進歩をもたらした例は数多くあります[文献5] [文献6]。このような予想外の結果も成果として生かしたいなら、当初の目標設定を見直す必要がでてきます。当初の目標に縛られて大きなチャンスを失わないためにも、目標自体の不確実性を認識し、目標を変更することで成功を掴むアプローチも考えてみることが必要でしょう。不確実な研究開発においては、このような目標見直しの余地を持つことは、メカニズムの解明や手段の改良で成功確率を高めようと努力することに劣らず重要なことと考えられます。

具体的な不確実性のマネジメントとしてはどのような方法が考えられるでしょうか。Christensenらは「将来を予見することが難しく、何が正しい戦略かはっきりしないような状況では創発的プロセス主導で戦略を策定することが望ましい」[文献7、p.260]と述べています。創発的戦略についてはノート12で議論しますが、ChristensenAnthonyらは、「不確実性が極めて高い環境におけるイノベーターは『創発的戦略』に従うべきことを示唆している。正しい戦略を知っているかのように意図的に行動するのではなく、正しい戦略が市場から『わき出る』、つまり創発するようなアプローチを採用すべきということだ。」[文献8、p.236]と述べています。

一瞬先は闇、ではないですが、そもそも100%の確率で未来を予測することは不可能なはずです。行動そのものが何らかの未来予測に基づいて行なわれる以上、企業活動においても期待通りの成果が得られる確率は0100%まで、いろいろな場合が存在することになります。もちろん、一見単純そうに見える事務的作業や工場の操業などはほとんど100%に近い確率で予測が当たるでしょう。これに対して、研究開発は、予測に適用できる理論や情報が限られているため、予測が当たる確率が低くなります。しかし、どちらの場合も程度の差こそあれ予測が100%当たることはありえません。そんな不確実なことは行なうべきではない、という考え方もあるとは思いますが、そういう不確実な場合こそ技術の重要性は増すのではないでしょうか。Rogersは「技術とは、こうあって欲しいと思う成果の達成に関わる因果関係に不確実性が内在するとき、これを減じる手段的な活動のための綿密な計画のことである」と述べています[文献9、p.17]。イノベーションという新しいことへの挑戦には不確実性が存在するため、成功の確率は事前には予測できず、場合によっては全くうまくいかなかったり当初の狙いとは異なる有益な結果が得られたりする場合があります。そのことへの注意をおろそかにすると、成果が得られない目標に向かって延々と無駄な努力を重ねる、という事態にもなりかねません。研究開発、イノベーションを考える上でこのような不確実性の影響は常に念頭におく必要があるでしょう。

考察:不確実性の高い研究の計画、管理について

様々な業務において、目標を立て、計画的に目標達成に向けた努力を行ない、進捗を管理するというマネジメント方法は有効な場合が多いでしょう。しかし、不確実性を考慮すると、そうした業務の進め方が好ましいのかどうかという疑問が湧いてきてしまいます。考えてみれば、そもそも明確な目標を設定して、その達成を管理する、というマネジメントは、不確実性の低い業務に対して有効な方法だったと言えるのではないでしょうか。研究開発においても、技術の導入や、最適化、技術改良(漸進的、インクリメンタル、持続的イノベーション)など、比較的不確実性が低い課題については目標を定め計画を立ててマネジメントする方法が効果的と考えられます。しかし、その方法を不確実性の高いイノベーションに適用して効果があがるかどうかは慎重な見極めが必要でしょう。少なくとも、細かな計画や管理は向かないのではないかと考えられますし、実際、発見を支援するマネジメントとしてはゆるやかな管理が効果的であるという報告があります[文献10、p.52](本ブログ「技術経営の実践的研究」(丹羽清編)より)。

今後は、研究課題の複雑化に伴い、不確実性の高い課題のマネジメントがますます求められるようになるでしょう。一方、不確実性の低い課題にも同時に対応することが求められるかもしれません。そのような場合には例えば、研究における目標や計画の設定にあたって、まず不確実性の程度を予測し、それに応じて、不確実性が高い課題であれば、大まかな目標と、柔軟に変更可能な計画を立て、不確実性が低い課題に対しては通常のプロジェクト管理のような計画を立てる方法が考えられるでしょう。ただし、その不確実性の予測を行ない、大まかな計画の進捗を管理し、必要に応じて軌道修正するという作業を誰がどのように行なうのか、という点が大きな問題になります。ひょっとすると意思決定のための組織構造のあり方自体も問われるようになるかもしれません。今までのように、管理者が目標を設定し、下からあがってくるデータを管理者、経営者が判断する、という方法が最適なのかどうかは考え直してみる必要があるように思われます。個人的には不確実性のマネジメントは、多様性(様々な考え方による評価と協力、知的相互作用)、自律性(現象に最も精通している人の判断を尊重して任せる)、リスク分散(最初から過大な投資をしない、協力による負荷軽減)、柔軟性(臨機応変の戦略変更)といった点が鍵になると思っていますので、このような観点を考慮して、研究開発マネジメント自体も創造的に行なっていくことが求められていくのではないでしょうか。



文献1:宮川公男、「意思決定の経済学」丸善、1968.

文献2:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.

文献3:Knight, F.H., 1921, “Risk, Uncertainty, and Profit”.

文献4:池田信夫、「イノベーションとは何か」、東洋経済新報社、2011.

文献5:Roberts R.M., 1989、R・M・ロバーツ著、安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.

文献6:Shapiro, G., 1986、G・シャピロ著、新関暢一訳、「創造的発見と偶然」、東京化学同人、1993.

文献7:Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー著、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.

文献8:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.

文献9:Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.

文献10:丹羽清編、石黒周、板谷和彦、白肌邦生、清野武寿、手塚貞治著、「技術経営の実践的研究 イノベーション実現への突破口」、東京大学出版会、2013.

参考リンク

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デザインとイノベーション(エスリンガー著「デザインイノベーション」より)

イノベーションにおけるデザインの重要性がよく指摘されます。いわゆる機能や外見といったデザインが製品やイノベーションの価値に影響することは容易に想像できるのですが、では、デザインとは何か、その真の役割や意味は何か、ということになると様々な捉え方があるように思います。そこで今回は、エスリンガー著「デザインイノベーション」[文献1]に基づいて、イノベーションにおけるデザインの役割について考えてみたいと思います。

著者はフロッグデザインの創始者としてアップルやソニーをはじめとする様々な企業でのイノベーションにデザイナーとして深く関わってきた実績を持つ方とのことです。この本では、著者自身の経験に基づく考え方が述べられており、デザインについての様々な考え方を系統的に総括したような内容ではありませんが、今後ますますデザインの考え方は重要になると予想する著者によりなされている、経営とデザインの関わりについての提言は有意義な示唆を含んでいるように思われました。ちなみに、原著表題は「A Fine Line: How Design Strategies Are Shaping the Future of Business」(「紙一重:デザイン戦略が形作るビジネスの未来」[文献2])です。著者は、「本書では、現代の物質文化を見渡して、『すごい』ものと『いい』ものとを、独創的な戦略と二番煎じの戦略とを、傑作と凡作とを区別し、両者を隔てている紙一重の差を吟味していきたい[p.xiv]」としています。以下、興味深く思われた点をまとめてみます。

デザイン主導戦略の意義

・「見ためをよくすることだけがデザインではない。デザインとは、画期的なコンセプトを提案することによって、人々の生活を豊かにしようとするものである[p.xi]」。

・「長続きするビジネスを築くためには、デザイナーとビジネスリーダーが協力するのがいちばんいいと、わたしは強く信じている[p.xv]」。

・「デザインとは優れたビジネス戦略の一部であって、芸術ではない。・・・自己陶酔型の芸術家のひらめきでは、持続可能なビジネスモデルは築けない。フロッグ流のビジネスデザインとは、まず一流の人間を惹きつけて、ひとつの場所に集めること、そして、みんなが協力することで互いの力を引き出し合えるよう、必要な環境やリーダーシップを提供すること[p.11]」。

・「世界は多様な文化のからみあった『球体』であり、それぞれの文化にはそれぞれにちがったニーズや要望がある。・・・複雑な輪郭線を持った現実の世界では、とうていワンサイズではビジネスをフィットさせることはできない。だから、創造的なビジネス戦略においてはデザインが重要になってくる[p.15]。」

・「製造業でもサービス業でも、効率と規模が限界に達していることは、もはや否定できない。・・・あえて危険に挑むような戦略・・・でなければ、変化する経済の中で勝つことはできない[p.17]」。

イノベーションにおけるリーダーシップの役割

・「どんなにすばらしい戦略であっても、それを支え、引っぱっていく有能なリーダーがいなかったら、すぐにつまずくだろう。戦略を立案し、実行することは、そのこと自体が創造的な行為だ。だからリーダーには、デザインの役割を理解し、社内にイノベーションの文化を浸透させる能力が求められる[p.20]」。

・「長期的な成功のためにはリーダーに、戦略的なビジョンと、従業員や社会に仕えようとする倫理観と、新しい道を切りひらく勇気と、夢を現実のものにする能力が必要だ[p.45]」。

創造的なビジネス戦略

・「イノベーションが成功するかどうかは、事業の初期段階・・・の前の段階で、どういう戦略を立てるかにかかっている[p.48]」。

・創造的な戦略に共通の要素に、戦略的に予備を持つことがある[p.51]。

・「利益にばかり目を向ける分析では、競争力を正しく把握できない。成功の指標として信頼できるのは、相対市場シェア――自社のシェアを業界トップ企業のシェアで割った値――だ。[p.54]」

・フロッグの4原則:1)「スイートスポット」を見つける(自分が得意にしていて、他人が得意にしていない分野)、2)ビジネス意識を持ち、クライアントのためになる仕事をする。そしてそれがひいては、自分の会社のためにもなるようにする(クライアントの財務状況に応じたデザインを考える、自分たちのデザインをプロフェッショナルなやりかたで売り込む、など)、3)トップになりたがっている貪欲なクライアントを見つける(壮大な構想を持つグローバル企業で、テクノロジー分野に大きな可能性を秘め、世界一になっているか、なろうとしている。そして、商業的な面でも野心があり、なおかつそれを実現する手段を持っている)、4)一番になることで有名になる(その過程で、自分を支えてくれる人への感謝を忘れてはならない、名声を保つためには不断の努力が必要である)

・「フロッグは常に、新しいことを学んだり、試したりするよう努めている。・・・過去の成功を単純に繰り返すのでなく、クライアントにいちばん必要なものを作り出そうとする発想の戦略だ。・・・勝つためには適応しなくてはならない[p.66]」。

・「戦略的な適応を果たそうとする過程では、」「ビジネス戦略のもたらす観念的な興奮と、独創性を追求するデザイナーの本能的な欲求の食いちがいに、どう対処するかという問題」にぶつかる。「理想を言えば、そのどちらもできる人間を見つけて、育てるのがいい。」[p.72

・「ビジネスでもデザインでも、創造的な戦略家とは、自分のため、会社のため、世界のためによりよい未来を築けるよう、パートナーと力を合わせられる者のこと[p.82]」。

イノベーションプロセスの3つのステップ、頼りになるのは金より人間

・ステップ1:基礎作業。能力(ビジネスの目標と、それを達成するためのデザインの役割を知り、両方とも大切であることを忘れない)と選択(適切なチームや、パートナーや、クライアントや、事業を選ぶ)が必要[p.86]。「ビジョンの倫理性を重んじ、顧客に有意義なエクスペリエンスを提供し、人間の幸せのためにテクノロジーを役立て、品質の高さを頑固に守る[p,88]」。「イノベーションが成功するかどうかは、人的な要因に大きく左右される[p.91]」。「創造性を軽視したり、理解できなかったりする人間を、デザイナーとの共同作業に加えるべきではない[p.92]」。

・ステップ2:創造的なコラボレーション。明確な目標のもとに、一致団結しているチームには、儀式(ブレインストーミングやアイデア作りセッションなど)がある。それから展望(全員が、自分たちのイノベーションによって会社や消費者や世界がどう変わるかを思い描く)。そしてマネジメント(グループ内の意見をまとめ、イノベーションの実現に向けた計画を立てる)[p.86]。アイデア出しのためのフロッグの「THINK」プロセスは、代替案または自由連想、ランダム発想、挑発や拒絶により極端な結論へ導く、の3つのステップで行なう。

・ステップ3:マーケティング。イノベーションのもたらす恩恵について、改善と証明が行われ、ビジネスモデルにおけるイノベーションの役割が最適化され、商品化に必要なリーダーシップのツールが提供される[p.86]。

・「イノベーションのデザインやマーケティングにおいては、必ず、頼りになるのは金より人間ということだ。創造的な人間のコラボレーションや、先見の明のある強力なリーダーシップがなければ、イノベーションのプロセスはうまくいかない[p.124]」

これからのビジネスデザイン

・「デザイナーの仕事とは、人間と、科学や技術やビジネスとのあいだのインターフェースを作ることだ。デザイナーには、これからの『グリーン経済』の推進役になる義務とチャンスがある[p.127]。」

・「デザインはマーケティング同様に、大量消費を加速させる。そしてどんな商品でも大量に生産されれば、環境汚染や地球温暖化につながる。・・・持続可能なビジネスを築こうとするときのデザインの役割は、個々の企業の利益を超越したものである[p.126]」。

・「人間の活動による環境破壊は、ついに体感できるレベルまで達してしまった。もはや小手先の対策だけでは、壊滅的な事態は避けられない。これはつまり、ビジネスやテクノロジーや科学と関係の深い仕事をするわたしたちにとっては、環境問題に取り組む以外に道はないことを意味する[p.164]」

よりよいビジネス、よりよい世界のためのデザイン主導戦略

・融合製品:さまざまなテクノロジーがひとつのパッケージに統合されていて、多様な用途に使える製品のこと[p.170

・オープンソースデザイン:どうしたら効果的にコラボレーションを進められるか。「共通の目標に向かって努力しようという気持ちが、自分の創造意欲を満たしたいという自己中心的な気持ちより、優先されなくてはならない。・・・そういうデザインのしかたを、わたしは『オープンソースデザイン』と呼んでいる[p.180]」。鍵となるのはツールの共有[p.181]。「オープンソースデザインでは、知的所有権が妨げになることがある[p.191]」

・ソーシャルネットワークを通じた共同デザイン:「製品デザインはエリートの職業であり、これからもそれは変わらないだろう。・・・本物のデザインのクオリティは、民主的に決定されるものにはならない・・・。ここで提案したいのは、デザイナーと製造業者が力を合わせて、『消費者にも参加してもらう、ソーシャルネットワークを使った共同デザイン』というコンセプトだ[p.193]」。

製造とデザイン

・「デザイナーは工場の持っている可能性よりも、限界のほうに目を向けがちだ。」「デザイナーが製造者に対して、ただ単に『わたしたちの』製品を作るよう要求するだけでは、いい結果は期待できない。こちらも製造のプロセスに加わって、手を貸す必要がある。[p.204-205

・誤ったオフショアリング、アウトソーシングの問題点:「外部に製造を任せれば、やがては自分たちの製品知識やスキルが失われる可能性もある[p.211]」。「イノベーションのチャンスが失われる[p.213]」。「ODM(他社ブランドの製品を設計製造するメーカー)の能力がほとんどむだにされる[p.324]」。「経済的な安定性が失われる[p.219]」。「オフショアリングやアウトソーシングによってコストの節減を図っても、たいていは思ったほどコストを節減できていない[p.222]」。

・スマート-ソーシングは上記の問題解決のための提案。「プロセスの初期段階から企業間でコラボレーションが行われる」。「企業間のコラボレーションに先行投資をすることで、独創的でなおかつ長期的に売れる強力な商品を開発しようとする。」「すべての関係者が積極的に参加し、協力する」[p.224-226

・ホーム-ソーシング:「地元の人材や能力と、グローバルな部品調達網の両方を生かそうとする戦略」「地元の顧客を誰よりもよく知るのは、地元の企業」[p.229-230

・個人生産:「製造業界の『振り子』は、現在、ローカル生産のほうへ戻りつつある。ときには、ローカルどころか、個人での生産さえ可能になってきた」[p.233]。

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技術者にとって、よい製品をより効率的に生産することは重要な課題です。しかし、技術者が思うよい製品ができたとしても、ビジネスとしてうまくいかないことは多々あります。その原因としては、ビジネスモデルがよくないことに加えて、技術者が考える「よい」という尺度と、ユーザーが考える「よい」という尺度が乖離している場合があげられるように思います。これはつまり、製品の持つ特性について技術者が考慮している範囲が狭い、ということなのでしょう。言い換えれば、従来技術者が気にかけていた特性以上の様々な特性を制御することが求められる時代になったと言ってもよいでしょう。

しかし、従来型の技術者では、そこまでの広い範囲の特性は制御できない。そこで、「デザイナー」と呼ばれる専門家の協力を仰ぐことが必要になります。本書では、そのようなコラボレーションをどのように進めればよいかの示唆が述べられている点が参考になると思うのですが、特に興味深く思われたのは、顧客によいエクスペリエンスを与えるデザインの有効性とともに、次のような示唆です。

・デザイナーとビジネスリーダーが互いの価値をよく理解し協力する必要があること

・デザイナーの才能、ビジネスリーダーのリーダーシップといった個人の能力や資質が重視され、ビジネスの組織や仕組みはあまり重視されていないように思われること(ただし、環境やコラボレーションは重要であるとの指摘はありますが)

技術者にとっては、デザイナーの重要性は理解しつつも、実際どう協力していけばよいのかがわかりにくいのではないでしょうか。その点で本書の指摘は非常に参考になります。ただ、本書は著者の経験や思想に基づいた考え方が主ですので、汎用性があるのか、著者の主張を支える根拠は万全なのか、といった問題はあり、ひとつの仮説としてしか受け入れにくいような議論もなされていると思います。しかし、デザインという考え方が、これからのイノベーションの進め方を考える際の重要なポイントになる可能性はあるのではないでしょうか。研究者もデザイナーのような思考、デザインの能力、デザインを活用できる能力を身につける(少なくとも理解する)必要があるのかもしれません。


文献1:Hartmut Esslinger, 2009、ハルトムット・エスリンガー著、黒輪篤嗣訳、「デザインイノベーション デザイン戦略の次の一手」、翔泳社、2010.

原著webページ:http://www.afinelinebook.com/

文献2:小飼弾氏ブログ、404 Blog Not Found、「Redesigning the Design Itself - 書評 - デザインイノベーション」、2010.5.18, http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51448663.html



参考リンク<2013.8.18追加> 

 

ビッグデータ考

イノベーションの源泉として、最近「ビッグデータ」が注目されているようです。IT技術の進歩により、多量で複雑なデータ、すなわちビッグデータの解析が可能になり、それにより様々なイノベーションが生まれ、既存プロセスの改善が報告されるようになってきたことが契機のようですが、ビッグデータの取り扱いには従来にない手法や考え方も求められるようです。データの取り扱いには慣れているはずの研究者や技術者にとっても従来の考え方の延長で対応できるとは限らないようですので、今回は、ビッグデータとは何か、マネジメントにとってどのような意味を持つのかについて考えてみたいと思います。

ビッグデータについての記事や書籍はすでに様々なものが出版されていますが、全体観をつかむには特定の考え方に偏らない方がよいと思い、今回はDIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー誌20132月号の特集の中から興味深く思われた6編の記事をとりあげることにしました。まず、それぞれの記事の要点を簡単にまとめます(内容紹介は掲載順)。

「ビッグデータで経営はどう変わるか」(アンドリュー・マカフィー、エリック・ブリニョルフソン著)[文献1]

・これまでの「データ分析」との決定的な違い:データの量が多いこと。鮮度(いち早く知見を手にいれること)が重要なこと。多様性が大きいこと(メッセージ、画像、センサーからのデータなど様々なものが対象)。このため、従来の構造化データベースはビッグデータの記憶と処理に適さなくなっている。

・データを重視する企業は明らかに業績がよい:北米の株式公開企業330社の調査で、「データ重視を自任する企業ほど、財務・営業両面の客観的指標で優れていた。」

・意思決定と役割の変化:HiPPOthe highest-paid person’s opinion)に頼る直観的意思決定法が見直される。専門性を持った人材は、HiPPOに対して答えを示すからではなく、どのような問いと向き合うべきかを知っているからこそ重宝されるようになる。

・マネジメント上の5つの課題:1)リーダーシップ(明確な目標を掲げ、成功の定義を示し、適切な問いを抱くことが企業繁栄の条件)、2)人材マネジメント(大量の情報を扱えるデータ・サイエンティストが求められる)、3)テクノロジー(ビッグデータに対処するためのツールが必要)、4)意思決定(優れた組織は、情報とそれに関係する意思決定権を同じ場所に集める)、5)企業文化(直観だけを基に行動する性癖と決別しなければならない)

・「どの業界においても、事業についての専門性とデータ・サイエンスを結びつける方法を探り当てた企業が、競合他社に水をあけるだろう。」

「情報は物語をほしがっている」(松岡正剛著)[文献2]

・ビッグデータ神話:「SCM(サプライチェーン・マネジメント)で手詰まりになった壁を、ビッグデータを使ったCRM(カスタマー・リレーションシップ・マネジメント)によって超えられるに違いない。そういう幻想が広まっている」

・求められる編集技能:「販売業務のためのヒット率やリピート率を得る程度なら、そこそこの統計処理を駆使していれば手頃な指針を得られるだろうものの、そこからどんな製品や商品をつくるべきかという企業側がほしくなるような判断を導き出すには、私の見るところ最低でも次の7つの編集技能が試されなければならないはず」。1)データを見分ける技能、2)データを処理する技能、3)データを収納しておく技能、4)データを理解する技能、5)データから価値を取り出す技能、6)データ分析の結果を人に伝える技能、7)データ分析を物語にする技能、などなど。

・編集工学による「アブダクティブ・アプローチ」:ビッグデータにはそこからもたらされる意味を得るための仮説が先行して必要であり、このように仮説を先行させることが「アブダクティブ・アプローチ」。「この時、その仮説の仮構造には後に導き出したい物語回路をこっそり埋め込んでおくのがミソになる。」

・「ビッグデータにはリピート率やシェア率だけでなく、欲望とその解決のための物語が身を隠している」。「問題はそれをどこで取り出せるようにするのか、もしくはどこで物語として解釈できるようにするのかということ」。

「ビッグデータが日本企業に迫るもの」(ポール・マクナーニ、ジョシュア・ゴフ著)[文献3]

・「ビッグデータの今後の重要性には多くの企業が気づき始めているが、見落とされがちなのは、経営トップから現場までのさまざまな意思決定を、迅速かつ的確に行うために利用されてこそ有益」ということ。

・「ビッグデータの活用をマスターした企業は、業務のなかでどの意思決定をよりよく行いたいのかを特定し、それに必要なヒトやデータ、ツールやプロセスを検討するという、目的から逆算する形のアプローチを取っている。」

・「ビッグデータは意思決定プロセスをサポートする単なるツールの一つにすぎない。それを使いこなすのは、マネジャーや現場の従業員、顧客といった『ヒト』である。」

・「組織は、意思決定を直観に頼りがちなところがあり、これがデータ活用が根づかない原因となることが多々ある。」

「データ・サイエンティストほど素敵な仕事はない」(トーマス・H・ダベンポート、D.J.パティル著)[文献4]

・「データ・サイエンティストが何を置いても取り組むのは、山のようなデータをかき分けながら何かを見出すことである。・・・形のない大容量のデータに構造を与え、分析可能なものにする。情報がいっぱい詰まったデータ・ソースを特定し、それ以外の不完全かもしれないデータ・ソースを結びつけ、その結果として得られたデータセットを整理する。・・・意思決定者を助け、場当たり的な分析から継続的なデータ活用へと軸足を移せるようにする。・・・創造的なやり方で情報を視覚的に示し、見出したパターンをわかりやすく説得力のあるものにする。製品やプロセス、意思決定のためにそのデータが意味することを、経営幹部やプロダクト・マネジャーに助言する。」

・「データ・サイエンティストに見られる顕著な特徴は、好奇心の強さである。それは問題を深層まで掘り下げ、核心にある疑問を明らかにし、非常に明確で検証可能な一連の仮説に落とし込みたいという欲求である。これは分野を問わず、最も独創的な科学者の特徴である連想思考を伴うことが多い。」

・例えば、インテュイットのデータ・サイエンス・チームを率いるルメオリティスが求めるのは、数学や統計、確率、コンピュータ・サイエンスの確固たる土台と、ある一定の思考習慣の両方が備わっていること。ビジネスの問題がわかり、顧客を思いやれる人が望ましい、という。

・「データ・サイエンティストは、がんじがらめに管理されると、効果的に仕事を進めることができなくなる。社内外の「場」とつながっている必要がある。

「データ解析の真髄とは」(樋口知之氏へのインタビュー)[文献5]

・データ解析の重要な3つのステップ:1)データ・マイニング(なるべく多くのデータを集めて、相関などの事実を見出す)、2)モデリング(一般的な別の事例に適応できるようにモデルをつくる)、3)最適化(モデルを使って現実的かつ最善の方策を求める)

・「狭義の意味でのデータ・マイニングの特徴は『列挙』」。「データ解析においては、因果の情報が本質的に重要」だが、「膨大なデータを扱うに当たっては、単純な列挙だけだと難しい」

・ビッグデータの次元は自然に増えるので、データ量が多いほうが何かを正確に予測することが難しいということも起こり得る。

・「最近の新しいテクノロジーというのは、まったく違う分野の技術のアイデアを移植し、適用先の分野に合わせて解釈、発展させてイノベーションが生まれることが多い」。「このような分野を超える力とは何かと言えば、データが語りかけてくるものを自分の言葉でインタープリテーション(解釈)できる能力」。

・「モデリングやアルゴリズムというのは、それ独自で価値を生み出すものではありません。何かを実践したい、価値創造したいという、何らかの意識がないと、関係式も何も出てこないのです。プロセスを組み合わせて、つなげていくと初めて、価値になるのです。ですから、会社にとって本当に手に入れたい人材、それは、そのようなフローを俯瞰できる人」

・「ビッグデータ時代こそ、データ分析の結果を何に使うかというシナリオを明確にすることです。そして、そのうえで必要なデータ量、分析の精度などを決定していく目的志向と、そのためのデータ・リテラシーが、経営者に求められます。」

「ビッグデータ活用スキルをいかに育むか」(ドミニク・バートン、デイビッド・コート著)[文献6]

・データと解析ツールを十分に活用するには、相互に支え合う3つのケイパビリティ(組織能力)が必要なことが判明した。1)複数の情報源(社内外からデータを独創的に収集する)、2)成果を予測・最適化するモデル(高度さと使いやすさのバランスが取れたモデル構築)、3)組織改革(データとモデルを意思決定の改善に実際に結びつけるために、組織を変身させる腕力が経営陣に備わっていること)

・ケイパビリティ転換の3つのポイント:1)事業に即した実用的なツールを開発する、2)現場向けの簡単なツールに落とし込む、3)ケイパビリティを育てる(解析ツールが最も重要だとマネジャーが考えるようにしなければならない)

―――

ビッグデータに関しては、アマゾンやグーグルの成功事例がよく取り上げられていますので、その価値については広く認識されていることと思います。しかし、ビッグデータを使えば誰でも成功できるわけではないことは容易に想像がつきます。この状況は、研究開発において、萌芽的な技術が開発されて成果をあげはじめた段階とまさに同じ状況で、成功事例のインパクトがいかに大きくとも、それに目を奪われて単純に模倣するだけでは多くの場合うまくいきません。成功の要因を分析し、自らの状況に当てはめて考え、しかも時期を逸しないことが求められるわけですが、そのためには、さまざまな角度から新しい技術を評価することが必要になります。今回とりあげた記事を概括すると、まず、ビッグデータが技術として新しい面を持っていることとともに、その扱い方については他の萌芽的技術と同様に、多面的な検討が必要のように思われます。

中でも重要だと思われるのは、データを集め、解析し、示唆を得て意思決定する、という人間の思考や精神活動にビッグデータが影響を及ぼす可能性がある点ではないでしょうか。研究者は、通常の研究開発においてもデータを扱い、そこからの示唆により意思決定を行ないますので、データの数や種類が拡大したという違いはあってもスキルさえあれば従来と同じ考え方でビッグデータを取り扱えるように思えるかもしれません。しかし、思考や精神活動の観点からは、以下の点で他の物理的な新技術とは若干異なる要素があるように思います。

・通常の研究の場合、どういうデータをとるかをある仮説のもとに研究者が設計することが多いですが、ビッグデータの場合には先にデータありきで、そこから何かを引き出そうとするという状況もあるようです。このような状況からは有意義な示唆を得にくい可能性があることは、今回記事でも指摘されているわけですが、データというものをどう扱い、どう活用すればよいかについて、我々に十分な認識があるでしょうか。ビッグデータを契機として、データに関する考え方が問われているように思います。
・もう一点は、ビッグデータが意思決定のプロセスそのものに影響する可能性があるということです。特に、意思決定の根拠としての直観とデータ(論理)のバランスに影響するのではないか、という点に注意が必要だと思います。例えば、ビッグデータを用いて推定の精度が上がると、意思決定における直観の役割は当然低下していくでしょう。その時、その直観の役割の低下を我々が受け入れられるかどうかがまず問題になります。特に、ビッグデータの扱いが複雑なものとなる場合には、元のデータと得られた結果の関係が直観ではつかみにくくなるでしょう。そうなるとその結果は意思決定の根拠として受け入れにくくなってしまうのではないでしょうか。さらに、データハンドリングのプロセスがブラックボックス化してしまうと、データ採取、ハンドリング、モデル化などの過程に何らかの瑕疵があった場合に、その発見と修正が困難になってしまうかもしれません。今回の記事では、データに基づく意思決定が好ましいものである、という前提のものが多いように思われますが、それを人間が心理的に受け入れられるのか、よりよい意思決定を行なうにはどうすればよいのか、といった点も考える必要があるように思います。

何か新しい技術が現れた場合には、まずはとりあえずその可能性を考えてみることが必要です。ビッグデータの可能性についてはなんら疑うものではありませんので、チャンスがあれば積極的に活用を図るべきだと思いますが、そこから真に有効な成果を得るためにはそのコストやリスク、実現可能性、メリットなどを総合的に考えることが必要だと思います。特に人間の思考に及ぼす影響をよく考え、他の新技術と同様、ビッグデータを成果を生む魔法のように考えるべきではないという点はしっかりと認識すべきでしょう。その上でビッグデータが有効な場合、そうでない場合の見極めをうまく行ない、有効な成果がえられるようにうまく育てていくことが求められるようになるのではないでしょうか。そのためには、ビッグデータの本質と、人間の意思決定の本質をもっと理解しなければならないのだと思います。将来の発展に期待して注目していきたいと思います。

 

文献1Andrew McAfee, Erik Brynjolfsson、アンドリュー・マカフィー、エリック・ブリニョルフソン著、有賀裕子訳、「ビッグデータで経営はどう変わるか 測定できれば、マネジメントできる」、Diamond Harvard Business Review, Feb. 2013, p.42.(原題:Big Data: The Management Revolution

文献2:松岡正剛、「情報は物語をほしがっている ビッグデータ時代の編集工学」、Diamond Harvard Business Review, Feb. 2013, p.64.

文献3:Paul McInerney, Joshua Goff、ポール・マクナーニ、ジョシュア・ゴフ著、「ビッグデータが日本企業に迫るもの 意思決定が競争優位に直結する」、Diamond Harvard Business Review, Feb. 2013, p.72.(原題:Big Data: What It Means For Japan Inc.

文献4:Thomas H. Davenport, D.J. Patil、トーマス・H・ダベンポート、D.J.パティル著、編集部訳、「データ・サイエンティストほど素敵な仕事はない いま最も必要とされているプロフェッショナル」、Diamond Harvard Business Review, Feb. 2013, p.84.(原題:Data Scientist: The Sexiest Job Of the 21st Century

文献5:樋口知之(聞き手:編集部)、「データ解析の神髄とは インタビュー統計学の第一人者が語る」、Diamond Harvard Business Review, Feb. 2013, p.98.

文献6:Dominic Barton, David Court、ドミニク・バートン、デイビッド・コート著、編集部訳、「ビッグデータ活用スキルをいかに育むか 高度だが実用性の高いモデルを構築する」、Diamond Harvard Business Review, Feb. 2013, p.110.(原題:Making Advanced Analytics Work For You

 

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