研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2014年06月

ノート14改訂版:研究成果の転用

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点→ノート1~6
2、研究の進め方についての検討課題→ノート7~12
3、研究成果の活用・発展
3.1
、研究成果の活用
→ノート13

3.2
、研究成果の転用(競争優位の維持と新たな競争優位の獲得)
研究開発の重要な目的のひとつに、競争優位の獲得が挙げられます。これまで本稿では、どのようにすれば、研究開発を成功させ、競争優位を獲得できるかについて様々な側面を考察してきました。今回は、得られた成果の「転用」と題して、成果が得られた後(あるいは失敗した研究から学習した後)その成果をどう使うべきかを考えてみたいと思います。これは言い換えれば、イノベーションから得られた競争優位性を維持するためにはどうすればよいか、得られた知識を新たな競争優位性の獲得につなげるためにはどうすればよいか、ということでもあり、イノベーションを一瞬の成功に終わらせないために、そして成功や失敗から学んだことを将来に活かすために重要なことであると考えます。

競争優位の維持
研究によって得られた競争優位を維持するための重要なポイントとしては、特許の問題と、ノウハウ(知識、ステークホルダーとの関係なども含む)の問題が挙げられると思います。まず、特許の問題について考えます。

・特許
研究によって有用な知識が得られた場合、それを特許化しておくのは、通常は当然のことと考えられます。これは、特許化によりその知識の独占的使用が可能になり、競争相手との技術的差別化につながるためですが、残念ながら特許さえあれば万全というわけではありません。特許に関しては、以下の点に注意が必要でしょう。
・技術を公開しなければならないこと:真似されたり改良されたりする危険性がある
・技術を独占しようとすると技術の普及の障害となること
・有期の権利(出願後20年)であること:権利保護のタイミングと実用化のタイミングが合わないことがある
・それぞれの国ごとに特許を取得する必要があること
・コスト構造の異なる国では、実施者からライセンス料をとっても競争力確保にならない場合があること
・技術のすべてを特許で押さえることは困難な場合が多く、回避技術が開発されたり、改良技術が特許化されてしまう可能性があること
・特許の本来の目的である「発明を奨励し、産業の発達に寄与させる」という趣旨に反し、他社の業務の妨害や、訴訟や回避技術の検討などによる労力の浪費につながる可能性があること
したがって、丹羽は、「結局のところ、技術的なアイデア(発明)が付加価値の源泉であって、特許はそれを保護する1つの方策である」と述べ、「技術的なアイデア(発明)を競争上いかに有利に展開するかには、多くの方策がある」と述べています。具体的には、特許取得による独占、ライセンス収入、クロスライセンス以外に以下のような方策を挙げています[文献1、p.52]
・自社技術の延長上に業界の標準規格を定める
・技術を無償公開しデファクトスタンダードにする
・自社のビジネスモデルが対象としているバリューチェーンの価値を高める
・技術を秘密にしておく

もちろん、特許取得の効果は、業種や業界によって異なりますので画一的な議論はできませんが、特許はイノベーションによって競争優位を維持する上でのひとつの手段と認識しておくべきでしょう。なお、こうした特性を考えると、特許の出願数や権利化数を技術力や研究成果の評価の指標として用いることには議論の余地があると思われます(単に数を指標とすることは、技術の質を考慮していないという問題もありますが)。

・ノウハウ
イノベーションには、特許や論文に書かれた知識だけでなく、いわゆるノウハウも必要とされます。例えば、ビジネスを進める上での知識や経験、様々なステークホルダー(顧客、パートナー、規制当局なども含む)についての情報やそれらとの関係自体(これをエコシステムと呼ぶ人もいます)もノウハウに含めてよいでしょう。こうしたノウハウには他者には容易に模倣できないものがあり、特に、文書化されずに個人の頭の中に存在する暗黙知は他者に伝えることが困難なため、競争優位を維持するためには、こうした知識資産を構築し、模倣されないようにすることも重要となるでしょう。

将来の競争優位の構築
情報技術の進歩、産業構造の変化により、近年では、従来よりも技術やビジネスモデルの模倣が容易になっているという指摘があります。イノベーションを成功させて競争優位を得たとしても、イノベーションの内容をより進歩したものに発展させていかなければ、他者の追随や逆転を許すことになりかねません。保有する知識資産を有効に活用して、新たな競争優位の源泉となるイノベーションを創りつづけていくことが必要と考えられます。もちろん、こうした知識資産の活用は、他者に追随する場合にも重要であることは言うまでもありません。

・知識資産の活用
どのような知識がイノベーションに役立つかについて、野中らは、「組織的知識創造」の概念を提示しています[文献2]。この理論では、個人と組織における暗黙知(言葉や文章で表わすことの難しい主観的、経験的知識)と形式知(言葉や文章で表現できる客観的な知識)の相互作用が重視されており、暗黙知や知識変換、知識移転が重視されているところなど研究者の実感とも無理なく調和がとれていて、イノベーション成功のメカニズムについて重要な示唆を与えてくれます。しかし、この理論に基づいて展開が試みられたナレッジマネジメントは、一時期活発に検討されたものの現在は「行き詰まり」[文献1、p.327]の状況にあるようで、ナレッジマネジメントと言っても実体はIT化による業務効率化の提案にとどまるなど、実用面での有効な方策の提示には至っていない点が課題と言えるようです [文献1、p.317,328]。野中らは、その原因として、「知識を情報と同列視し、ナレッジ・マネジメントとは、単に情報を効率的に蓄積・伝達・使用することであるとの誤解に基づいてIT投資を進めたものの、結局期待した成果をあげることができなかった企業も多かった。知識の本質的な性質を理解しないままでは、その共有や活用を進めても効果をあげることはできない[文献8、p.4]」と指摘しています。

例えば、知識の有効活用を狙って、知識やノウハウをデータベース化することが試みられることがありますが、単に知識を蓄積し検索できるようにすればうまくいくというものではないでしょう。Dixonは、データベースへの知識の蓄積がうまくいかない理由について、「自分と関係なく,連絡することもなさそうな人たちがアクセスするデータベースに入力することで得られる個人的な利益はほとんどない」、「情報を共有するのは、そうすることによって個人的な利益を得るからだ。その個人的な利益とは、他人に自分の専門知を認めてもらうとか'ほほ笑みが返ってくるぐらいだったかもしれないが」と述べています[文献6、p.12]IT技術を使うにしても、なぜ人間は自分の持つ知識を他人に伝えたくなることがあるのかを理解した上での仕組み作りが必要ではないでしょうか。また、知識を組み合わせて新しいアイデアを創造する過程にも工夫が必要でしょう。丹羽は、単なる寄せ集めの状態から総合力を発揮するまでの方法を段階を追って提案しています[文献7p.84]。それに倣って言えば、知識を化合させるための仕組みづくりが重要ということになるのでしょう。もちろん、ビッグデータの活用などのIT技術の進歩が知識創造に貢献する可能性もあり、新たなナレッジマネジメントの方法が提案されるかもしれませんが、知識を扱う人間の思考や行動も含めた知識創造の本質の理解なしには、単なるツールの開発にとどまってしまう可能性もあると思われます。

・知識資産の拡大
上述のような知識資産の活用方法の検討とともに、知識資産自体の拡大も考えるべきことと思われます。例えば、従来、あまり顧みられることのなかった失敗に関する知識[例えば文献1、p.210](これには、「失敗学」という分野も提案されています[文献3])や、すでに却下された古いアイデア[例えば文献4、p.195]、知識のある人との人脈[文献5、p.117]、少数意見や反対意見[文献5p.173]の有効活用の可能性も考えるべきでしょう。知識の組み合わせが知識創造の源泉になりうるという指摘は数多くあります。成功したイノベーションが多くの注目を集めることはしかたがない面もありますが、活用できる知識が多いほど、組み合わせの可能性は増えるはずです。個人の能力の限界を、他者との協力(機械との協力も含めてもいいかもしれません)によって補い、組み合わせの可能性を増やすことは意味のあることと考えられます(おそらく、数多くの組み合わせが提案されると、それらから絞り込んでいく過程のスキルもより重要になってくると考えられます)。

考察:知識マネジメントと研究マネジメント
以上、競争優位の維持、新たな競争優位の獲得という観点から、イノベーション自体やその過程で獲得した知識資産をどう活用、転用すべきかを考えてみました。近年、競争優位の持続については、「本当に持続する優位性を築ける企業は稀である。競合他社や消費者の動向はあまりにも予測が難しく、業界も刻々と変化しているためだ」。「実際には、戦略はいまでも役に立つ。・・・ただし、昔ながらの戦法に固執していてはだめだ。・・・先頭を走り続けるためには、常に新しい戦略的取り組みを打ち出すことで、多くの『一時的な競争優位』を同時並行的に確立し活用していく必要がある」。「現状維持の戦略はもう通用しない」、という考え方が主流になりつつあるようです[文献9]。現在のところ、知識を効果的に競争優位の獲得につなげる具体的方法は未確立かもしれませんが、効果的な知識資産のマネジメントを行うことは、競争優位獲得のためのひとつの手段になるはずです。結局のところ、「厳密にいえば、知識を創造するのは個人だけである。組織は個人を抜きにして知識を創り出すことはできない。組織の役割は創造性豊かな個人を助け、知識創造のためのより良い条件を作り出すことである」[文献2、p.87]と考えると、しっかりした研究マネジメント(人と組織のマネジメント)の基盤を確立した上で、知識マネジメントを考えるべきなのだと思います。


文献1:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.
文献2:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献3:畑村洋太郎、「失敗学のすすめ」、講談社、2000.
文献4:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献5:Leonard, D., Swap, W., 2005、池村千秋訳、「『経験知』を伝える技術」、ランダムハウス講談社、2005.
文献6:Dixon, N.M., 2000、梅本勝博、遠藤温、末永聡訳、「ナレッジ・マナジメント5つの方法」、生産性出版、2003.
文献7:丹羽清、「イノベーション実践論」、東京大学出版会、2010.
文献8:野中郁次郎、遠山亮子、平田透、「流れを経営する――持続的イノベーション企業の動態理論」、東洋経済新報社、2010.
文献9:Rita Gunther McGrathリタ・ギュンター・マグレイス著、辻仁子訳、「一時的競争優位こそ新たな常識 事業運営の手法を変える8つのポイント」、Diamond Harvard Business Review, November 2013, p.32.

参考リンク

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データが語るよいマネジャーとは(ガービン著「グーグルは組織をデータで変える」DHBR2014年5月号より)

よいマネジャーとはどのようなマネジャーなのでしょうか。技術組織とそれ以外の組織でマネジャーの役割は異なるのでしょうか。もちろん、技術者でもそうでなくても人間をマネジメントする上での基本は同じだと思いますが、技術者の中には、そもそも管理されることを嫌い、マネジメントの必要性をあまり感じていない人もいるように思います。

今回は、ガービン著「グーグルは組織をデータで変える」という論文[文献1]に基づいて、この問題に関するグーグルのアプローチと、その示唆について考えてみたいと思います。グーグルといえば、技術重視の考え方で有名で、「エンジニアのために、エンジニアによって設立された企業」と言われ、「同社は、一般社員が決断を下し、イノベーションを起こす可能性を残している。こうした自由とともに、役職や社内的権限よりも、技術的な専門性や巧みな問題解決、優れたアイデアを尊重する風潮がある」とされています。そこでは、「全社中がマネジャーの価値に疑問を抱いていた」ということですが、組織が大きくなるに従い、「マネジャーの貢献は大きい」と認識するようになります。本論文では、その結果直面した難問、すなわち、マネジメントの意義に「疑問を感じている人を信奉者に変え、他の社員のマネジメントに時間を費やすよう説得するにはどうすればよいのか」という課題にどう対応したかがまとめられています。

特徴的なのは、「総体的に序列に対する関心が薄いため、同社で変革を起こそうと思えば、説得力のある論理と豊富な裏付けデータを提示しなければならない。社員がトップダウンの指令を鵜呑みにすることなど、めったにないのである」という認識に基づいて、データに基づいて、マネジャーの価値を実証し、具体的にマネジャーとしての優れた行動を特定し、それを文書で説明し、組織に定着させたことでしょう。原著のタイトルは「How Google Sold Its Engineers on Management」(訳すなら、どうやってグーグルはエンジニアにマネジメントの役割を納得させたか、でしょうか)です。以下、具体的な内容をまとめます。

マネジャーの資質は何に影響するか
・高評価を得たマネジャーは他のマネジャーより部下の離職率が低かった。
・社員の定着率はその社員の職位や成果、在職年数、昇進の有無よりも、マネジャーの資質により強く相関していた。
・マネジャーの資質と社員の幸福度の間に強い相関関係がある。
・評価の高い上司の下で働く社員は一貫して、イノベーションやワークライフ・バランス、キャリア開発など複数の分野でより高い満足度を示していた。

・「この研究を踏まえて、・・・間違いなくマネジャーは重要であるとの結論を下した。」

評価の高いマネジャーに共通する8つの行動
・グーグルにおける社内調査(社員アンケート、マネジャーの質についてのコメント、業績評価など)から導かれた、評価の高いマネジャーに共通する8つの行動は以下のとおり。
1、優れたコーチである
2、チームを力づけ、こと細かく管理しない
3、チーム・メンバーの仕事上の成功と私的な幸福に関心を示し、心を配る
4、建設的で、結果を重視する
5、コミュニケーション能力が高く、人から情報を得るし、また情報を人に伝える
6、キャリア開発を支援する
7、チームのために明確なビジョンと戦略を持つ
8、チームに的確な助言をするために、主要な専門的スキルを持ち合わせている

組織への定着
・8つの行動に結び付いた項目について、上司であるマネジャーを(5段階評価で)社員に評価してもらう調査を行った。
・調査は機密厳守を強く訴え、あくまで本人の能力向上のためにしか利用しないこと、業績評価指標ではないことを強調した。
・調査結果は、報告書の形でマネジャーに届けられる。報告書では、改善に向けて各マネジャーが取り得る行動を提案、研修プログラムも準備した。
・人事部門の姿勢:「私たちは、グーグルで働く人たちの性質を変えようとしているわけではありません。そんなことは不遜であり危険です。そうではなく、『より優れたマネジャーと思われるための、ちょっとしたヒントをいくつか差し上げましょう』と言っているのです。」
・「社員がグーグルでの日々をどうとらえるかに与えた影響は大きかった。とりわけ大きく変わったのは、共同作業への貢献や業績評価の透明性をどう評価するか、そして所属部署のイノベーションとリスク・テイクへの取り組み方に対する評価である。」
・「グーグルのように、ほぼ全員が『Aクラス』の人材で構成される企業の場合、マネジャーは一筋縄ではいかない難しい役割を要求される。日常業務の監督のみならず、部下の個人的ニーズ、成長、キャリア・プランを支援しなければならない。換言すれば、的を射た確実なフィードバックを提供し、より高いレベルの実績へと部下を導かなければならない。しかも、優秀な知識労働者は自主性を最も重要視するため、口をはさむ時は思慮深く、かつさりげなく行う必要がある。」

限界と課題
・評価疲れ:社員の自由意志に基づく調査であるため、回答率が悪くなるかもしれない。
・8つの行動に秀でるマネジャーが効果を上げ続けられるか。
・上級幹部になってからも「8つの行動」が役立つか。リーダーシップ・スキルの方がより重要かもしれない。
・「調査スコアは職場環境に対する社員の満足度と意見を測定するものだが、そうしたとらえどころのない要素が売上げや生産性、利益率といった利益指標にどのような影響を与えているかを正確に知ることはできない(このような因果関係を証明することは、グーグルの有能な統計専門家ですら難しい)。」
・「たとえ『8つの行動』が組織の利益に貢献していたとしても、それがグーグルにもたらす競争優位は長続きしないおそれがある。・・・たとえば同様のデータ主導型ハイテク企業などは、このやり方を真似できるのである。」
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本論文で述べられた「8つの行動」の内容自体はそれほど意外なものではありません。しかし、先にも述べたとおり、それがデータに基づいているということの意義は大きいと思います。特に以下の2点が重要でしょう。
1)マネジャーに求められる数多くの行動指針の中から、データに基づいて、実際に部下の技術者が望んでいる内容が抽出されていること:すなわち、単なる経験に基づいた指針ではなく、また、マネジメントの権威や成功者が自らの思想に基づいて提案していることでもなく、さらに、トップマネジメント層がミドルマネジャーを評価する項目でもなく、マネジメントされる立場の社員の考えが抽出されたている点です。もちろん、グーグルで得られたデータが他社にも当てはまるかどうかはわかりませんし、著者も述べているとおり、このマネジメントが組織の利益に貢献するかどうかについては議論の余地があります(一般に、マネジメントが悪くても、それをある程度カバーするメカニズムが組織に備わっていることが多いので、そもそもマネジメントと業績の相関を調べること自体が難しい課題ですが)。しかし、仮に8つの行動をとれないマネジャーがいるとしたら、そのマネジャーは技術者にとっての衛生要因を阻害して、仕事に対する社員の意欲を失わせる原因になるだろうことは予想できます。この8つの行動は、優秀なマネジャーになるための十分条件ではないかもしれませんが、社員(特に根拠がないと何事も納得しない技術者)にマネジメントの重要性を納得させることの意義は大きいのではないでしょうか。社員が望んでもおらず、効果もはっきりしないマネジメントを社員におしつけてしまう愚を避けるために、マネジメントされる立場の社員が本当は何を望んでいるのかを知っておくことは意味のないことではないでしょう(もちろん、現場が望むことをただ鵜呑みにすることがよいとは限らないことは言うまでもありません)。理屈だけに頼って顧客がほしがらない製品を作ってしまうことの問題点はよく指摘されますが、マネジメントにおいても同じことが言えるのかもしれません。
2)マネジャーに対して、理想的な行動がどの程度できているかを指標化してフィードバックするシステムが作られていること:人間、何が重要かを理解し、やっているつもりになっていても、それが実際にうまくできているとは限りません。データによる定量的評価は、理想と現実の差を認識し、改善に繋げるうえで非常に役立つものです(もちろん、データが現実や理想を正しく表現できているか、一面的なものになっていないか、などの点には注意が必要ですが)。マネジメントのようにデータ化しにくいものを定量的に扱うことは容易なことではありませんが、データを安易な業績評価に用いないということも含めて、本論文のアプローチはひとつの試みとして示唆に富んでいると思います。

今後、マネジメントの分野でこうしたアプローチがどの程度普及するかはわかりませんが、著者が論文の最後で述べている、「きちんとしたデータ収集と徹底した分析という科学的ツールを駆使することで、マネジメントという言わば一種の伝統工芸に、深い知見を見いだすのだ。」という考え方には、一考の価値があると考えます。



文献1:David A. Garvin、デイビッド・A・ガービン著、高橋由香理訳、「グーグルは組織をデータで変える コミュニケーション軽視の風土を改善する」、Diamond Harvard Business Review, May 2014, p.45.
原著表題:”How Google Sold Its Engineers on Management”, Harvard Business Review, Dec. 2013.


「意思決定理論入門」(ギルボア著)より

誰しも正しい意思決定を行いたいという気持ちはあるでしょう。しかし、正しい意思決定とは何なのでしょうか。本ブログでも、人間は様々な状況で、誤った判断や無意識的判断、非合理的判断をすることを紹介してきました(「ファスト&スロー」(カーネマン著)より意思決定の罠(モーブッサン著「まさか!?」より)、など)。もちろん、誤った判断が「正しい判断ではない」ということは言えるでしょうが、誤りがなければ正しい判断なのか、非合理的かもしれないが誤っているとは言えない場合や、誤っているかどうかがはっきりしない場合にはどうすればよいのかなど、正しい意思決定をするために考えておくべきことは多いように思います。

ギルボア著「意思決定理論入門」[文献1]では、判断におけるバイアスやヒューリスティクスの問題も考慮した上で、意思決定において考慮すべきポイントが述べられています。以下、その中から重要と思われる点をまとめておきたいと思います。

第1章、基礎概念
・「何が『より良い選択』なのか?・・・その答えは自明ではない。わたしは、意思決定の結果がどうであったかは、分析の最終段階においては、意思決定者自身の判断によって決められるべきであるという見方を採用している[p.1]」。「本書の主要な目的は、読者であるあなた自身がより良い意思決定をできるよう手助けすることである[p.8]」
・記述的理論:「現実を記述することを目指す理論のこと[p.3]」。「その原理はそれに対応する現実と照らし合わせて検証される。・・・良い記述的理論とは、あなたの周囲の人々がどのように行動しているかをあなたに告げるもの[p.4]」。
・規範的理論:「意思決定者に忠告を与える理論、つまり、意思決定者がどのように意思決定すべきかという指図を与える理論のこと[p.3]」。「その原理は現実に適合する必要はない。・・・良い規範的理論とは、あなたが採用したくなるような理論であり、あなた自身の目で見て良い意思決定を可能にするような理論[p.4]」。

第2章、判断と選択におけるバイアス
・フレーミング効果:「問題文の設定や表現方法が意思決定に与える効果のこと[p.15]」。(例えば死亡率で表現するか、生存率で表現するか、など)。「われわれ消費者に商品を売ろうという仕事に従事している人々はたいてい、どの表現方法が別のものよりも客を引きつけるかについて良いセンスを持っている[p.20]」。形式的なモデルによってフレーミング効果は消すことができる[p.21]。
・賦存効果:「自分が持っているものに持っていないものよりも高い価値をつける傾向だと定義できる。・・・現状維持バイアスと呼ばれる一般原則から導かれる効果と見ることができる。[p.23]」保有しているものについて情報を持っていること、頻繁な選択の変更を防止できること、習慣形成など、現状維持が合理的と考えられる場合もある[p.25-26]。
・サンクコスト(埋没費用):「支払った金額は、回収することができないサンクコストである。多くの合理的な指南によれば、サンクコストは無視すべきである[p.29]」。しかし、サンクコストへのこだわりが正当化されるケースとして、現状維持バイアスが意味をもつ場合、他人を困惑させる可能性、自分の選択を後で後悔する可能性、未完のプロジェクトをだめにしてしまう可能性がある場合などが挙げられる[p.30-31]。サンクコストを無視したい場合には、問題を決定木としてモデル化することが有効。[p.31
・代表性ヒューリスティック:代表的、典型的な表現に影響される。「矛盾のない長い証言は短い証言よりもより信用をもたらす[p.37-38]。
・利用可能性ヒューリスティック:事例の思いだしやすさに影響される。
・係留効果(アンカリング効果):「関係がないかほとんど関係がない情報が持つ影響力・・・、十分なデータがない場合には、人の評価は、関連性が乏しいような情報に影響を受けるかもしれない[p.47]」。「係留のヒューリスティックとは、『アンカー』として機能するある推定値を基準としてそこから推定値を修正していくこと[p.47]」。ただし、「誰かによってもたらされる評価値は、情報量としては乏しいが、評価値であることには変わりはない。[p.48]」
・メンタル・アカウンティング(心の会計):「お金が代替可能なものであっても、・・・あなたのお金は支出の種類ごとに配分される[p.51-53]」。
・動学的非整合性:「あなたが将来の行動についてある選択をし、やがてそれを実行する時が来ると、あなたはそれを実行しようとはしない[p.55]」。

・「人間の心というのは、長い期間にわたって進化してきた、むしろ洗練された推論の道具なのであり、また、恐らくはその目的にとってそれほど悪い道具ではない・・・実質上ほとんどすべての思考様式にとって、良い推論を見いだすことができ、またそれが最適であるようなさまざまな環境を見いだすことができる[p.61]」。

第3章、統計データを理解する
・条件付き確率:「ある側面に関する条件付き確率から別の側面に関する条件付き確率を導き出すのは一般的に難しい[p.67]」。「一般に、2つの事象の条件付き確率が同一になることはない。それでも人々は2つの条件付き確率を同一視してしまう傾向がある[p.74]」。(基礎比率の無視)
・ギャンブラーの錯誤:独立の事象に対して過去の事例から過剰に学んでしまう、大数の法則を誤って適用する、条件付き確率と条件なし確率を混同するなどの誤りをする。[p.77-83
・悪い(偏った)サンプルに要注意
・平均への回帰:「何かをその極端な過去の結果(良いものにせよ、悪いものにせよ)に従って選ぶなら、将来的にはその結果は平均的なものに戻ってくることを期待すべき」[p.86-87]。
・相関関係と因果関係:「単なる相関関係から因果関係を見いだす助けとなる洗練された統計的手法が存在するが、それには限界がある。特に、株式市場の暴落や戦争などといった一回限りの出来事の原因を特定化することは非常に難しい。・・・相関関係は因果関係を意味しないということを覚えておくとよい。[p.90]」
・統計的有意性:帰無仮説が棄却できないことは、それが真であることの証明にはならない。[p.91
・ベイジアン統計学と古典統計学:「古典統計学とベイジアン統計学は非常に異なった種類の問題に用いられるべき統計手法であるということが大事なのである。もしあなたが何かを立証したい、つまり、『客観的に(統計的に)証明された』ものとして受け入られる結論を主張できるようになりたいなら、用いるべき手法は古典統計学である。もしあなたが自分にとって最善の選択となるような判断や決定を行いたいのなら、誰かを説得することなどに顧慮する必要はないので、選ぶべき手法はベイジアン統計学になるだろう。[p.100]」

第4章、リスク下の意思決定(「リスク、すなわち既知の確率を伴う状況における意思決定」)
・「確率変数の期待値とは対照的に、期待効用はより多くの意味を持つ。・・・フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの定理は、あなたはある効用関数の期待値を最大化するかのように振る舞うという非常に緩やかな想定をしている[p.124]」
・プロスペクト理論の「1つの特徴は、人々は提示された確率に対して非線形的に反応すると主張している点である[p.133]」。もう一つの要素は、「人々は富の絶対的な水準ではなくその変化に反応すると考えている点[p.134-135]」。

第5章、不確実性下の意思決定
・「われわれの人生における多くの重要な意思決定は、同じような仕方で繰り返されるような事象には依存しておらず、i.i.d(「identically and independently distributed、同一で独立の分布[p.77]」)の事象であるという仮定は成り立たない[p.149]」。
・「パスカルは既に確率論という道具を用いて、客観的な確率が存在しない不確実性の状況についての直観と論理を分離していた。その考えは、たとえ事象に割り振る確率が客観的に、あるいは科学的に推定されないとしても、不確実性を数量化することによって課される規則そのものが有用であるかもしれないというものだった。科学的・客観的査定を引きだすための情報がほとんど十分に手に入らないので、あなたが手にする確率は主観的なものに限られる。しかし、確率論という道具を主観的確率に用いれば、あなたの信念は内的には整合的なものであることが保証される。人があなたの査定を実際のデータと比較すると、あなたの査定は正しくないかもしれないが、少なくともあなた自身は自分の信念の間で矛盾するような愚かな結果にはならないはずである。[p.150]」
・「解くべき問題に対して正しいモデルを用いることがとてつもなく重要である。・・・不適切なモデルによって分析を始めると、間違った問題に対する数学的に正しい解を得ることになってしまう。・・・モデル形成において暗黙的になされている隠れた仮定に気をつけるべきである。・・・あなたが情報を知る仕方は、それ自体で、またそれ自身について、参考になる情報をもたらすかもしれない。時には、あなたが何かについて知っている、あるいは知らないという事実そのものが、何か新しいことを伝えてくれるものである。[p.173-174]」
・第3章では「因果関係を確証することは困難であり、しばしばそのために十分なデータが手に入らないことが確認された。しかし、意思決定問題の分析においては、たとえ小さな主観的確率を割り当てるだけに終わるとしても、潜在的な因果関係に注意しておくことが要求されるのである。[p.178]」
・確実性原理(sure thing principle):「エルズバーグがその実験で発見した現象とは、多くの人々が不確実性回避的であるということである。つまり、他の事情が一定であるならば、人々は既知の確率を未知の確率より好む、あるいはリスクを不確実性より好むということである。リスク回避性の場合と同様に、不確実性回避性は損失が出る局面よりも利益が出る局面においてはるかに良く見られ、また、恐らく・・・損失回避性の場合と同じ効果によって、人々は損失が出る局面では不確実性愛好になるかもしれないという証拠がある。[p.180]」
―――

結局のところ、著者が「あなたにとって何が良い決定であるか決めるのはあなた自身であるという見方を強調してきた[p.201]」と述べているとおり、「正しい」意思決定のための決まった方法などはない、ということなのでしょう。しかし、意思決定にあたって明らかに間違った判断や、望んでいない判断、首尾一貫せず自分自身が混乱してしまうような判断をしないために、さらに納得感の高い意思決定を可能にするために意思決定理論は活用可能だということは言えるように思います。

研究を行う上では、意思決定の考え方は以下の2つのケースで特に重要になると考えられます。
1、情報に基づいてどのような行動をとるべきかを決定する(一般の意思決定と同じ)。

2、データに基づいて、より真実に近い情報を明らかにする。
上記1については、研究に限らず重要なことですので、特に議論は不要でしょう。2は、自分の行動を決める際の選択、意思決定とは異なりますが、未来予測のための根拠となる理論を打ち立てたり、データを集め、解釈することにより、ある事象が起こる確率の推定精度を向上させるために、意思決定論の考え方は特に重要だと思います。集めたデータがバイアスによって歪められていないか、ヒューリスティックによって誤った結論が導かれていないか、統計的に誤ったデータ解釈をしていないか、等の点には常に注意が必要ですし、精度の高い結論を得るためにはどのようにデータをとるべきかという研究計画立案の問題を考える場合にも、本書に述べられた注意点は活かせると思います。

結局のところ、研究活動とは、不確実性の高い現象を検討対象として意思決定を繰り返し、その不確実性をリスク(成功確率を評価できるもの)に転換し、さらにそのリスク(失敗確率)をできるだけ下げていくプロセスと考えられます。その検討対象の中に人間の行動が含まれているならば、意思決定に関わる記述的知識も必要でしょう。また、場合によってはヒューリスティックを積極的に活用して、判断のスピードを上げることも求められるかもしれません。意思決定の方法を学ぶだけではなく、意思決定のメカニズムや原理もよく理解した上で、創造的に意思決定理論を活用していくことが研究者には求められているような気がします。


文献1:Itzhak Gilboa, 2011、イツァーク・ギルボア著、川越敏司+佐々木俊一郎訳、「意思決定理論入門」、NTT出版、2013.
原著表題:Making Better Decisions: Decision Theory in Practice

参考リンク<2014.9.28追加>



模倣の意義(シェンカー著「コピーキャット」より)

科学の世界においては、新しい成果といってもすべてが全くのオリジナルであることは稀です。通常は、なにがしか過去の業績や他者の知見に基づいてその上に築かれたものがほとんどといっていいでしょう。その研究の基盤に拠ることを「模倣」というなら(どこまでのマネを「模倣」と考えるかはさておいて)、多くの科学者は、ある程度の「模倣」は必要なものと考えているのではないでしょうか。一方、ビジネスにおける「模倣」の認識は少し違うかもしれません。

シェンカー著「コピーキャット」[文献1]では、ビジネス、イノベーションにおける模倣の重要性が述べられています。模倣は現代のビジネスにおいて無視できるものではなく、うまく用いれば成果を挙げられるという著者の指摘そのものは、技術者にとってはそれほど目新しいものではないですが、模倣に関する定量的な議論、成功する模倣と失敗する模倣の違い、模倣を行う場合にはどんな点に注意すべきか、等の考察は実用的にも重要だと思います。今回はその内容のポイントをまとめておきたいと思います。

イノベーションと模倣
・「1948年から2001年に生み出されたイノベーションを対象にした大規模な調査から、イノベーターたちは自分が起こしたイノベーションの現在価値の2.2%しか獲得していない[p.10]」、「後発企業に敗れたパイオニアルーザーは市場の7%しか獲得していないことを示す調査結果がある[p.37]」。
・「シュンペーターは、イノベーターを突き動かしているのは『成功から得られる果実』ではなく『成功そのもの』であると論じて[p.36]」いるが、まさにその通り、「模倣者のほうがイノベーターよりはるかに大きな成功を収めている[p.37]」。
・「組織学習の研究であるエドウィン・マンスフィールドは次のように書いている。『イノベーターはイノベーションの利益をすべて受け取り、模倣は無視できるという前提を置く・・・(中略)・・・傾向がある。こうした前提がどれだけ便利なものであるかはわかるが、私たちの研究結果は、その前提が現実から大きくかけ離れているものであることを示唆している』。組織能力を研究するデビッド・ティースも、企業は『顧客ニーズを満たす新製品を開発すれば素晴らしい成功を手に入れられるという誤った幻想の下で努力している』が、現実には、『迅速な二番手はもちろん、遅い三番手でさえ、イノベーターの成果を上回るかもしれない』と述べている[p.38]」。
・模倣の優位性:「後発の強みを活かして、先発品の欠点から学んでいる[p.10]」、「パイオニアはイノベーションに投資しなければならないが、模倣者はそうする必要がない。そのため、顧客の好みの変化に合わせてオリジナルに手を加えることもできるし、次世代技術に一足飛びに進むリープフロッグ(カエル跳び)型のアプローチをとることもできる[p.11]」、「模倣のコストのほうが低いことは明らかであり、ほとんどの場合はイノベーターが投じたコストの60~75%程度ですむ[p.11]」、「模倣者は自己満足にも陥りにくい[p.12]」
・「知識の形式知化、ビジネスのグローバル化・モジュール化が進んだことで、模倣はかつてないほど広まっている。模倣することは格段に容易になり、ペースは急激に上がり、模倣の収益性は大幅に高まった。こうした流れはこれからも続き、加速していくと見られる[p.20]」。「提携、社員の移動、イミテーションクラスターが、大規模な模倣を可能にしている主な経路である。ブランディング、法的救済など、模倣に対する従来の防御は効力が弱くなっている[p.63]」。
・「ただ乗りからリープフロッグ(カエル跳び)まで、模倣にはさまざまなメリットがあるにもかかわらず、企業はそれを認識していない[p.22]」。
・『イモベーション』とは、イノベーション(革新)とイミテーション(模倣)を融合させて、競争優位を築くものである[p.22]」。
・「なぜ、模倣は過小評価されているのか。非難されている理由の中でも特に大きいのは、模倣がセオドア・レビットの言う『イノベーションの神』に対する異端とみなされていることだ。私たちは自由意志、自主性、独立心という理想を大切に育んできた。模倣はそれに逆行するものであり、したがって、私たちの自己意識や独立独歩の精神を脅かすものとなる。こうした価値観が影響して、模倣は低く評価されている[p.39]」。

成功する模倣者と失敗する模倣者
・「対応づけの問題は、模倣研究の中心的な課題であると広く考えられている。・・・モデルを正しく変換して、原型に観察されるものと同じ結果を生み出すコピーを作り出すには、対応づけの問題を解決しなければならないとされている。モデルとコピーの要素同士を対応づけるには、『需要→理解→類似した行為への変換』という、一連の段階を踏む必要がある。[p.32-33]」
・「敗者は、そのモデルがなぜ成功しているのかを説明しているブラックボックスを開けて、中身を解明することができていない。レプリカを作れば同じ結果が生まれるだろうと期待して、オリジナルを極端に単純化したが、モデルの複雑さを把握できなかった。[p.106]」、「失敗した模倣者は真の模倣を行っていなかったということになる。対応づけの問題を解決できなかったばかりか、それに取り組みさえしないケースもあった。そのため・・・きちんと機能するレプリカを作り出すこともできなかった。[p.107]」、「大きな失敗をしたコピーキャット企業は、自社の既存のモデルと模倣対象のモデルを併存させようとする、相いれないモデルを結合しようとするなど、真の模倣に及ばない単純な模倣をしている[p.109]」。
・「大きな成功を収めているコピーキャット企業は、真の模倣を行っている。そのためには、因果関係を解明し、対応づけの問題を解決しなければいけない。[p.109]」、サウスウェスト航空、ウォルマート、アップルなどは、「卓越した模倣者だったことは明らかである。他者を模倣しているが、模倣する要素を厳選しているだけでなく、特に戦略上の重要な分岐点に関して、対応づけの問題を解決している。・・・卓越した模倣者であると同時に、イノベーターでもある。つまり、イモベーターなのである。[p.108-109]」

模倣に求められる6つの能力
・模倣の心構えを万全とする(getting ready):「模倣を受け入れるだけでなく、模倣をイノベーションと同じように高く評価して奨励する文化や意識を作る[p.111]」、「謙虚になれ・・・『他者を模倣する行為は、自分よりも相手のほうが有能であると認めて、自分が出した答えを放棄することを意味する』ものであり、『有能な競争相手に対する優越感が少ない人ほど、模倣することが多かった』[p.114]」。
・模倣対象を参照する(referencing):「模倣する価値がありそうなモデルを特定し、ターゲットに設定する[p.112]」、「局所探索の代わりに大域探索を使う・・・企業は大域探索よりも局所探索をする傾向が見られるが、ベンチマーキングもその傾向の一環である。局所探索は、同じ業界、同じ製品カテゴリー、同じ国情にある他の企業に焦点を合わせる。裏返せば、『遠い時代、遠い場所、失敗例』は見過ごされているのである[p.119]。
・情報を探索し、評定し、選択する(searching, spotting, and sorting):「模倣する価値のある製品、プロセス、サービス、慣行、アイディア、モデルを探し、可能性を見極めて選択する[p.112]」。情報収集を行い、対象をとことん研究する。「模倣したものが既存の、あるいは将来の製品やプロセス、モデルにどう適合するかをイメージする能力が必要[p.127]」。
・対象の脈絡を理解し、自らに適用する(contextualizing):「関連性のある環境要因を特定し、原型モデルと模倣をそれぞれの状況に埋め込まれたものとして捉える[p.112]」。
・対象に深く潜り込む(deep diving):「単に相関関係を分析するにとどまらず、対象に深く潜り込んで調査し、複雑な因果関係を把握する[p.112]」。
・模倣を実践する(implementing):「模倣する要素を素早く効果的に吸収、統合、配置し、実務レベルに落とし込む[p.112]」。

模倣戦略上の5つの問い
・どこを模倣するか:どの業界や領域から模倣の対象を選び出すか。「どんなものでも模倣できるが、他よりも模倣しやすいものがある[p.143]」。「傾向として模倣がしやすいのは、法的保護が強くない領域や、補完的資源がイノベーターを保護する役割を果たさない領域[p.142]」。コモディティ化したもの[p.142]。ビジネスモデルは法的な保護が一番弱い[p.143]。
・何を模倣するか:製品か、プロセスか、ビジネスモデル全体か。「第一に、何を模倣するかを的確に判断し、自社の状況に合うように作り替えて、ターゲットを明確に示すべきだということである。と同時に、イノベーションを選択した後で残ったところを選ぶのではなく、何を模倣するのかを戦略的に分析して決めなければいけない。第二に、これを模倣するのだということ、さらに、それを誰が、いつ、どのように、そしてなんといっても、なぜ模倣するのかを、あらかじめ詳細に示し、周知させなければならない。[p.147]」。「一度模倣が始まってしまうと、中止させるのはとても難しい[p.146]」
・誰を模倣するか:「大きくて、華やかで、成功している企業を模倣するのがいつも正しいとは限らない[p.147]」。「内部模倣を忘れてはならない。・・・社内で模倣するのは良いアイディアなのである。[p.148-149]」。「すぐ頭に思い浮かぶものを寄せ集めるより、地球上のさまざまなところから参照先になりそうな候補を幅広く見つけることから始めるべきである[p.149]」
・いつ模倣するか:「パイオニアのすぐ後に続くファストセカンド(迅速な二番手)、強力な差別化要因を使って最初の模倣者の後を追う後発参入者であるカム・フロム・ビハインド(後発追撃者)、別の時期に、別の国、別の産業、異なる製品市場などの別の領域に最初に参入するパイオニアインポーター(先駆的移植者)[p.150]」という選択肢がある。
・どのように模倣するか:「どのように模倣するかをはっきり決めるのはもちろん、どうやって模倣を成功させるかを示した詳細なロードマップも作らなければならない[p.159]」。
・上記の課題に加え、模倣のコスト、リスク、メリットを考慮する[p.162-166]。

イモベーションを成功させるための10カ条
1、車輪の再発明はするな:質が良いか安い、他の技術と結合させて有用なモデルや装置を作る、新しく有望な用途に応用する、などを考えるべき。「しなければならないことは、『ここで発明されたものではない』という組織にはびこる敵意を取り払い、『誇りを持って見つけ出したものである』という意識を吹き込むこと[p.187]」。
2、模倣を熱狂に変えろ:「模倣につきまとうマイナスのイメージを取り払って、模倣を受け入れられやすくするだけでなく、イノベーションと同じくらいエキサイティングでファッショナブルなものにする[p.188]」。
3、類人猿に倣え:「競争相手が模倣や模倣の基礎的な能力が持つ価値を正しく理解していない現状をうまく利用して、・・・模倣戦略を効果的かつ創造的に展開して、競争相手を追い越す[p.188-189]」。
4、すぐに頭に思い浮かぶものを集めるな:「自分のテリトリーの外に目を向け、地理的にも視野を広げること、小さくて目立たない企業だけでなく、失敗した企業も探すこと、そして、最近の出来事よりも過去の出来事から学ぶようにすることが求められる。・・・特に重要なのは、模倣者だけでなく、イノベーターも参照することだ。イノベーターがいるところには模倣者が必ずいること(それもたいてい1社以上いる)、イノベーターも、模倣者も、利益を創出していることを思い出してほしい。[p.189]」。
5、物事の脈絡を読み取れ:「ある環境の中でうまくいっているものが別の環境でもうまくいくとは限らない・・・。脈絡を理解せずに模倣するのは、地図も計器も見ないで飛行機を操縦するようなものである。[p.189-190]」
6、ピースを正しく合わせろ:「徹底的な分析をして、システムの関係性の根底にある組み立て構造の全体像を見失うことなく、オリジナルとコピーの両方の個々の要素が持つ役割を一つひとつ明らかにしなければいけない。そうして初めて、対応付けの問題と向き合えるようになり、これを解決できるようになる。[p.190]」
7、タイミングがすべてではないと心得よ:「タイミングは模倣の重要なポイントだが、答えを出さなければいけない問題は他にもある。模倣に対して戦略的なアプローチをとるのであれば、どこの、誰の、何を、どのように模倣するかということに答えを出すことも、同じくらい重要になってくる。[p.191]」
8、より価値の高い新製品を作れ:「模倣者は、他者の才能や投資にただ乗りする悪魔のように言われることが多い。そのため、模倣には相応のコストやリスクがあることは忘れられがちである。模倣者はオリジナルよりも安いか質のよい新製品を送り出すだけでは足りない。リスクを調整したコスト効率の高いやり方でそれができるかどうかも、問題になってくる。[p.191]」
9、攻撃して防御せよ:「模倣というゲームで成功するには、内部模倣も含めて、適切なモデルをうまく模倣すると同時に、自分たちが生み出したイノベーションや模倣の成果を他者に真似されないように、模倣を効果的に阻止することが求められる。・・・模倣に対する防御を克服する方法を学べば、模倣する能力を磨けるばかりか、防御の効果も高められる。[p.192]」
10、イノベートして、イミテートして、イモベートせよ:「成果が出ているのは、多くの場合、他社から借り入れた要素を独自性のある低コストのパッケージにまとめ、それを継続的に改善してきたからだと考えられる。こうしたイモベーターたちが模倣とイノベーションを融合させて競争優位を構築するまでには時間がかかっている。そのため、一夜にして結果が出ることを期待してはならない。しかし、これを避けて通ることはできないだろう。既存の文化と相いれず、特定の社会階層の利益に反するからという理由で、重要な技術を放棄する時代は終わっている。そんな時代に戻ることはもうない。だからこそ、今すぐ行動を起こさなければいけないのである。[p.193]」
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現代のビジネス、イノベーションにおける模倣の影響はもはや無視することはできないでしょう。独創的な技術だけではイノベーションを成功させられないことは広く認識されています。さらに、優秀な技術が後発者に模倣され、イノベーターが優位性を失うことは日常茶飯事ですし、そもそもイノベーション自体が何らかの先行技術から派生したり、先行技術を上手く組み合わせて改良したり、といった行為から生まれてくるケースも増えていると思います。「真似」というと、あまり好ましくない語感があるかもしれませんが、優れた技術を導入する、という考え方はオープンイノベーションの基本でもありますので、提携や協力を行う場合には、「模倣」という行為は欠くべからざるものであると考えるべきでしょう。

そういう視点で考えると、模倣の意義を再認識する必要性を強く感じます。最初のイノベーターが自分が起こしたイノベーションの価値を享受できない、模倣者に価値を持っていかれてしまう、ということは、最初のイノベーターが自らのイノベーションを模倣者ほどにはうまく活用できなかったことにもなります。もし、最初のイノベーターが模倣者のようにイノベーションを利益に結び付ける能力を持っていたとしたら、成果を模倣者に譲るようなことにはならないのではないでしょうか。イノベーションを成功させるためには、イノベーションを生み出すだけではなく、イノベーションを磨き上げ、利益に結び付けるビジネスモデルを作り上げる能力も重要である、というのは、最近の共通認識でしょう。うまく「模倣」する行為の中に、イノベーションを育て上げる能力や方法(落とし穴を回避する方法も含めて)が含まれているのではないか、と思えます。

おそらく最大の障害は「模倣」という行為への心理的抵抗ではないでしょうか。本記事の冒頭に書いたとおり、科学の研究は、模倣行為とは切っても切れない関係にあります。しかし、研究の方法論として、「模倣」は好ましくないもの、独創的、オリジナルであることが好ましいという教育をされるのが一般的でしょう。これはひょっとすると、研究の本質に「模倣」が含まれているからこそ、「模倣しない」ことを心掛けないと「模倣」ばかりの研究になってしまいがちだからかもしれません。NIHNot Invented Here)症候群がイノベーションの障害になることはよく指摘されますが、模倣をよしとしない研究者自身の思考習慣がNIHの原因になっているとすれば、研究者ももっと模倣に寛容になるべきなのでしょう。

ただし、研究者にとって「模倣」は、通常あまり楽しいものではありません。誰かがやってできるとわかっていることは、それがうまくできて当たり前、できなければ能力が劣るという評価を下されがちです。加えて未知への挑戦といった「夢」も持てないとすれば、「模倣」のための研究に対する意欲を維持することには難しさが伴うでしょう。本書の示唆のうち、研究マネジメントの実践において最も重要な点は、イモベーションを成功させるための10カ条の2、模倣を熱狂に変えろ、というところだと思います。著者は、模倣の失敗には対応づけの問題をうまく処理できないことが原因になりうることを指摘していますが、その背景には、社員の積極的な意欲を維持できなかったこともあるのではないかと思います。ビジョンの実現でも、社会への貢献でも、技術的卓越性でも、独創性の付加でも、様々な形がありうると思いますが、単なる「模倣」ではなく、熱狂を付加することができれば、模倣への抵抗も小さくなるのではないでしょうか。模倣を嫌うだけでなく、他社から模倣されないよう守るだけでなく、模倣の価値を認め、原理を理解し、うまく活用することをもっと考えないといけないのかもしれません。


文献1:Oded Shenkar2010、オーデッド・シェンカー著、遠藤真美訳、井上達彦監訳、「コピーキャット 模倣者こそがイノベーションを起こす」、東洋経済新報社、2013.
原著表題:Copycats: How Smart Companies Use Imitation to Gain a Strategic Edge

参考リンク<2014.8.3追加>


ノート13改訂版:研究成果の活用

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点→ノート1~6
2、研究の進め方についての検討課題→ノート7~12

3、研究成果の活用・発展
3.1
、研究成果の活用

ほとんどの研究開発において、研究開発部隊が得た研究成果はいずれ研究部隊の手を離れ、別の担当者によってその技術が実施されたり、製品化されて商品が消費者の手に渡ったりして、便益、利益を生むことになります。しかし、この過程は単純なものではなく、技術的に優れた製品が必ずしも売れるとは限らない、とか、すぐれた技術の適用がなかなか広がらない、ちょっと使われてもすぐに捨てられてしまう、ということがしばしば起こります。このような不幸な事態について、マーケティングの失敗として片付けてしまうこともできるとは思いますが、折角の開発成果ですから、できることならうまく売ってほしい、一旦適用された技術ならばなるべく長く有効に使ってほしいというのが技術者の本音でしょう。もし、売り方や適用のしかたにも技術者が関与する余地があるならば、そこまで考えた研究を行なうことも可能かもしれません。

こうした研究成果の適用の問題については、「イノベーション普及学」と呼ばれる分野で検討され、新しい技術がどのように利用者に受け入れられるかについて、技術者にとっても示唆に富む多くの成果が得られています。この分野の研究はRogersの著書[文献1]にまとめられていますので、その中で特に重要と思われる点についてまとめておきたいと思います。


Rogersによるイノベーション普及の要点
まず、研究開発に携わるものにとって、耳の痛い指摘から始めましょう。Rogersは「優れたイノベーションはそれ自身が売りものである。したがって、明らかに利便性の高い新しいアイデアは潜在的な採用者に広く認知されて、そのイノベーションは速やかに普及すると技術者の多くは信じている。しかし、このようなことはほとんどない。少なくとも、イノベーションを創造して、他の人に普及させようとする発明家や技術者の目からみると、多くのイノベーションの普及速度は失望するほど遅い」、「イノベーションによる便益が火をみるより明らかであったとしても、普及と採用にあたっては、イノベーションの相対的優位性以上のものが必要なのである。」[文献1、p.10-11]と述べています。

では、普及と採用を促すためには、どのような要素が必要なのでしょうか。Rogersは、「個人によって知覚されるイノベーション特性がその普及速度を左右する」[文献1、p.49]と述べており、5つの特性を挙げています。すなわち、1、相対的優位性(そのイノベーションが既存のアイデアよりよいと知覚される度合い)、2、両立可能性(そのイノベーションが採用者の既存の価値観、過去の体験、必要性と相反しないと知覚される度合い)、3、複雑性(イノベーションを理解したり使用したりするのが困難であると知覚される度合い)、4、試行可能性(イノベーションを経験しうる度合い)、5、観察可能性(イノベーションの結果が採用者以外の人たちの目に触れる度合い)、です。これらのうち、複雑性は低い方が、その他の特性は高い方がイノベーションの採用速度が高くなるという調査結果があるようですが、そのこと自体は当然の結果のように思われます。しかし、えてして技術者は相対的優位性の向上にばかり着目しがちであることを考えると、それ以外の要因も考慮する必要があることには注意が必要でしょう。さらに、「再発明」すなわち、イノベーションの採用と使用に際して利用者による変更が行なわれることが起きやすいほどイノベーションの採用速度は高まり、持続可能性(継続的に使用される度合い)も高まること[文献1、p.103,107]、また、予防的イノベーションすなわち将来の欲せざる出来事の発生確率を減じるためのイノベーションは、そうでないイノベーションに比べて採用速度が遅いことも指摘されており[文献1p.94]、以上のようなイノベーション自身がもつ特性を認識し、普及されやすいような形に仕上げることも必要なのかもしれません。

ユーザーがどのようにイノベーションを受け入れていくかのプロセスからも、イノベーションの採用、普及に関する重要な情報が得られます。Rogersは、「イノベーションに対する個人の意思決定は瞬時に生じる行為ではない」[文献1、p.84]と述べ、その過程には次の5つの段階があるとしています。1、知識(イノベーションの存在を知り、機能を理解する)、2、説得(そのイノベーションに対する好意的ないし非好意的態度の形成)、3、決定(イノベーションを採用するか否かの選択)、4、導入(イノベーションの使用)、5、確認(すでに行なった決定の補強)、です。すなわち、このそれぞれの過程をスムーズに進めることができれば普及に役立つということになるのでしょう。知識段階には、個人の特性やコミュニケーション行動が影響を与えると言われていますが、特に注意すべきポイントとしては、「選択的エクスポージャー(人は関心事、ニーズ、それまでの態度に合致するアイデアに触れたがる傾向があり、自らの性向と相容れないメッセージを意識的ないし無意識的に回避する)」、「選択的知覚(人のそれまでの態度や信念などの観点からコミュニケーションメッセージを解釈する傾向)」という傾向で、その結果、「われわれはこれまで出会ったことのないアイデアに対して、それほど容易には好意的な考えをもつことができない」とされています[文献1、p.87]。また、イノベーションに関する知識としては、ハウツー知識(イノベーションを活用するのに必要な知識)、原理的な知識(働きの根底にある原理的な知識)が重要であって、これらが不十分だと、採用拒否や中断、誤用が起こりやすいと言われています[文献1、p.89-90]。説得段階については、上述のイノベーションの知覚特性が影響を与えますが、知識段階での精神的な活動は主として認知(知ること)に関わるものであるのに対して、説得段階での思考形式は感情(感じ)に関わるもの[文献1p.92]であって、人は新しいアイデアの機能に対して確信を持てないので、他の人を通してイノベーションに対する自身の態度を強化するため、自身の考えが同僚の見解から外れていないかどうかを知りたがったり、イノベーション評価情報(科学的な評価や、同僚の評価)を求めたりするといわれます。この説得段階とそれにつづく決定段階ではイノベーションの試行が行なわれることがあり、試行可能性とその効果は重要になるでしょう。導入、確認段階では、イノベーションの実行を通じてイノベーション採用を決定したことの強化が行なわれます。その結果が不十分であればそのイノベーションの継続的採用は難しくなりますので、もし、完成したイノベーションに期待外れの結果が出ているとすれば、それへの対応を取る必要があることになるでしょう。

こうしたイノベーションに対する受け入れ方が個人によって異なることはよく知られています。Rogersは採用者カテゴリーという概念で個々人の革新性に基づいて社会システムの成員の区分を行なっています[文献1、p.213-]。ここで、革新性とは、個人(や採用単位)が他の成員よりも相対的に早く新しいアイデアを採用する度合いのことを指し、採用者カテゴリーは、あるアイデアの採用時期とその採用者数が正規分布することに基づいて、平均採用時期よりも2σ以上早期に採用したグループを「イノベータ」、1~2σ早期のグループを「初期採用者」、平均より早く1σまでのグループを「初期多数派」、平均より遅く1σまでのグループを「後期多数派」、平均より1σ以上遅いグループを「ラガード」と区分されています。イノベーションの採用時期に関してこのような分布があること自体は経験的にも理解しやすいですが、イノベーションが普及する上での役割については、若干注意が必要なようです。特に社会の大多数への普及を目指す場合、重要視すべきは「イノベータ」ではなく「初期採用者」とされる点です。これは、新しいアイデアを積極的に受け入れる「イノベータ」は、その社会の中では異質な存在と受け取られることが多く、その他の多数派とは必ずしも十分なコミュニケーションがとれていなかったり、多数派の規範となるような人物ではなかったりする傾向があるからのようで、社会から尊敬され、役割モデルとなりうる「初期採用者」こそが普及において重要な役割を担うと考えられています。このことは、イノベーションを適用するためにまず対象とする層を決める上で重要な知見でしょう。また、革新性と年齢の間には相関が認められない、という調査結果はイノベーションの普及のみならず個人の個性を理解する上でも重要な点であると考えられます。

以上の個人におけるイノベーションの普及に対して、組織への普及については若干異なる視点が必要なようです。Rogersは「組織においては、何人もの人々がイノベーション決定過程に関与しており、導入者と意思決定者は異なることが多い。また、組織に安定と連続性をもたらしている組織構造が、イノベーションの導入を妨げることがある」と述べています[文献1、p.102]。組織におけるイノベーション過程は、大きく2つの段階、すなわち開始段階(情報収集、概念形成から採用決定まで)と、導入段階(決定されたイノベーションが実用に供するのに関わるすべての活動)に分けられ、開始段階におけるニーズの認識と問題解決のためのイノベーションの選択については、個人におけるイノベーションの適用と類似していると考えられますが、導入決定以後の過程は若干異なり、組織におけるイノベーションでは、導入決定後、「再定義・再構築」すなわち、イノベーションの修正とイノベーションに順応するよう組織構造が変化し、「明確化」すなわち、イノベーションの意味が組織の成員にとって明らかになる段階を経て、「日常業務化」されていくとされます。日常業務化された後は、組織成員のイノベーション設計、議論、導入への参加の度合いが大きいほど、イノベーションの持続可能性は高まるといわれています。組織におけるイノベーションの採用決定段階において、組織成員の間に合意が形成される場合(集合的なイノベーション決定)と、採用の選択が強制力、地位、あるいは専門知識を有する少数の人によってなされる場合(権限に基づくイノベーション決定)では、成員の参加の度合いが異なり、集合的なイノベーション決定の方が持続可能性が高くなるといわれています。組織の特性によるこの過程の進み方の違いに関しては、複雑さ(組織成員の知識や専門能力の高さの度合い)が高いほど、情報収集、概念形成といった開始段階は早まるが、導入への合意形成が妨げられることがあり、集中化(権力や統制が比較的少数の個々人に集中している度合い)および公式化(規則や手続きに従うことを重要視する度合い)が高いほど、開始段階が遅くなるがひとたびイノベーションの採用が決定すると導入が促進される、という傾向を持つと言われています。[文献1、p.385-425]

以上のようなイノベーションの普及は社内のどの部署が担当すべきなのでしょうか。実際のところ、そうした業務の分担が明確になっている場合は少ないように思いますが、研究者が関与できる余地は大きいのではないかと思われます。実際に普及の担当者ともなりうるでしょうし、普及しやすいように製品や技術の作り上げる、という過程を通じて関与することもあるでしょう。イノベーションの受け入れに伴って発生する不確実性を取り除き、イノベーション普及を図る役割を担う人は「チェンジ・エージェント」と呼ばれますが、開発を行なった研究者もそうした役割を担ったり、その補助を行なったりする必要があると思われます。しかし、研究者やチェンジ・エージェントは採用者にとっては外部の人間であるため、コミュニケーション上の問題が発生する可能性があることには注意が必要でしょう。一般には、コミュニケーションは同類性の高い人の間で効果的になる[文献1、p.359]わけですが、新しい技術を持っているという点で、研究者や技術者は採用者とは異類的な側面を持つため、コミュニケーションがうまくいかない可能性があります。さらに、採用者からの信頼を得られるかどうかの問題もあります。情報の受け手にとって、情報源となる人物に対して持つ信頼には2種類、すなわち能力信頼性(情報源の人物が知的で熟達していると知覚される度合い)と無難信頼性(情報源が信頼しうると知覚される度合い)があるとされますので、技術的能力が高いことだけでは信頼を得ることができない可能性にも注意が必要でしょう。理想的なチェンジ・エージェントの場合、この2つの信頼性が均衡している[文献1、p.363]とされますので、研究者が採用者にアプローチする場合にはこうした点を認識しておくことも必要でしょう。

考察:イノベーション普及プロセスの変化
以上のRogersによりまとめられたイノベーション普及に関する知見は、新しい技術に接した人が、その内容に納得してその技術を受け入れる、という普及の素過程についての重要な原理を含むものと考えられます。しかし、最近の新たな知見や、環境の変化を考慮すると、若干追加すべき点もあるように思われます。なかでも重要と思われる点は、人間の感情的な側面と、情報ネットワークの進歩でしょう。

感情的側面については、Rogersも上述の説得段階における影響を述べていますが、そのアプローチは理性的な要素が強いように思われます。それに対して、近年の行動経済学の成果からは、人間の行動はそれほど理性的、合理的ではないことが認識されるようになってきており、普及のプロセスについても人間の感情に対する考慮が必要なように思われます。例えば、Heathらは、「変化に失敗するのは、たいてい理解不足が原因ではない」「変化すべき理由を非のうちどころがないくらい合理的に説明しても、人々は行動を変えない。」[文献2、p.155]とし、「変化は『分析し、考えて、変化する』の順序ではなく『見て、感じて、変化する』の順序で起こる(コッター、コーエン)。」、「なんらかの感情を芽生えさせる証拠を突きつけられたとき、変化が起こる。感情のレベルであなたを揺さぶる何かだ。」[文献2、p.147]として、理性に訴えかけ、感情を揺さぶり、環境(道筋)を整えるという3つの条件が変化には必要と述べています。

情報ネットワークの進歩に関しては、ChristakisFowlerは、「ロジャーズの理論によると、テクノロジーが広がるスピードは最初のうちは遅いが、やがて速くなり、すべての人に行き渡る頃にはまた遅くなるという。だが、社会的ネットワークの構造を考慮に入れた最近の研究では、そう単純ではないことがわかっている[文献3、p.201]」。「イノベーションを普及させようとする際の基本的な考え方は、情報や影響力は密接で深いつながりを通じて広がる、というものだ。・・・しかし、この考え方は人間の社会的ネットワークの重要な特徴を見逃している」。強い絆に基づく構造は、「集団外の人と接触するには都合が悪い」[文献3、p.203]と述べています。また、様々な技術情報が得やすくなることで技術理解が早まると同時に、似たような技術の間での競争も起こりやすくなる点にも注意が必要でしょう。

もちろん、こうした見直しの可能性があるとしてもRogersの考え方が重要であることに変わりはないと思います。Rogersが明らかにした普及の素過程に関する知見は実際示唆に富むものですし、それを理解した上で、時代の変化に対応することが必要ということだと思います。折角開発した技術ならば、なるべく速やかにその技術が使われるように願うのは技術者として普通の感情でしょうが、実際には普及には様々な障害があること、競争相手のいる開発を行なっている場合には、技術ではなく普及させ方の巧拙で勝敗が決まってしまう可能性があることなど、技術的な価値だけではそのイノベーションがすぐに用いられるようになるわけではないことはよく認識しておくべきでしょう。技術者としても普及プロセスまで考慮し、できれば制御したような開発が求められているのかもしれません。


文献1:Rogers, Everett M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献2:Chip Heath, Dan Heath, 2010、チップ・ハース、ダン・ハース著、千葉敏生訳、「スイッチ! 『変われない』を変える方法」、早川書房、2010.
文献3:Nicholas A. Christakis, James H. Fowler, 2009, ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムズ・H・ファウラー著、鬼澤忍訳、「つながり 社会的ネットワークの驚くべき力」、講談社、2010.


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