研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2015年07月

「バリュー・プロポジション・デザイン」(オスターワルダー、ピニュール他著)より

よいビジネスモデルを構築するための具体的方法論の例として、以前にオスターワルダー、ピニュール著、「ビジネスモデル・ジェネレーション」をご紹介しました。そこに述べられた、ビジネスモデルを視覚的に記述、評価、変革するための枠組みであるビジネスモデルキャンバス(Business Model Canvas)は、その後、その有用性が広く認識されるようになってきたように思います。今回は、同書の続編とも言える、オスターワルダー、ピニュール、バーナーダ、スミス著、「バリュー・プロポジション・デザイン」[文献1]を取り上げます。

本書では、ビジネスモデルキャンバスを基礎としつつ、「顧客が欲しがる製品やサービスを創る」方法論やツールが解説されています。最近注目されているデザイン思考、リーンスタートアップ、顧客開発などの手法も取り入れられ、より具体的かつ実効性の高い方法が提案され、実務家にとっても使いやすくまとめられているように感じました。以下、特に興味深く感じた点を中心に内容をまとめておきたいと思います。

INTRO
・「バリュー・プロポジション・デザイン」の核心は、顧客の求める価値提案の面倒な探索に「ツール」を取り入れ、探索後にも価値提案と顧客の求めることとの方向性を一致させることです。[p.XV]」
・バリュー・プロポジション・デザインの役立つ点:「価値創造のパターンを理解する」→「はっきりとした見通し」が持てる。「仲間の経験とスキルを活用する」→「チームの方向性を一致」させられる。「うまくいかないアイデアに時間を浪費しない」→「失敗のリスクを出来る限り減ら」せる。[p.X-XI
・「この本の核になるツールがバリュー・プロポジションキャンバスです。価値提案を見える形にし、議論と管理を助けるのが、このツールです。バリュー・プロポジションキャンバスは、ビジネスモデルキャンバスの構築ブロックのうちの2つの要素をくわしく描いたものです。[p.XVI]」
・ビジネスモデル・ジェネレーションの議論との関係:「環境マップは、価値創造におけるコンテクスト(文脈)を理解することを助けます。ビジネスモデルキャンバスは、事業の価値創造を助けます。バリュー・プロポジションキャンバスは顧客の価値創造を助けます。[p.XVII]」

1、Canvas
・「価値創造キャンバスには2つの面があります。顧客プロフィールはお客様をよりはっきりと理解するためのもの。バリューマップは顧客のためにどう価値を創造するかを描くものです。その2つが重なり合うところにフィットが生まれます。[p.3]」
・顧客プロフィール(Customer Profile):「ビジネスモデルにおける特定の顧客セグメントを、より整理された形で詳しく描いたもの」。顧客の仕事(顧客が成し遂げたいこと)、ペイン(顧客の仕事に関係する悪い結果、リスク、障害)、ゲイン(顧客が求める具体的な恩恵)からなる。[p.9
顧客の仕事:機能的な仕事(顧客が果たそうとしている具体的な任務または解決したい特定の問題)、社会的な仕事(顧客がそれをすることで周囲からよく見られたり、権力やステータスを得られるようなこと)、個人的/感情的な仕事(顧客の気分が上向いたり安心したりするようなこと)、サポート的な仕事[p.12
顧客のペイン:機能不十分、感情を害する、気に入らない、妨げ遅らせる、リスク[p.14
顧客のゲイン:必要不可欠なもの、当たり前と期待されるもの、もしあればありがたいもの、顧客の期待や要望を超える予想外のもの[p.16
・バリュー(提案)マップ(Value Map):「ビジネスモデルの中の特定の価値提案を、より整理された形で細かく描いたもの」。価値提案を基に作られる製品とサービス、ペインリリーバー(顧客の悩みを取り除くもの)、ゲインクリエーター(顧客に恩恵をもたらすもの)からなる。[p.8
・「パリュー・プロポジション(価値提案)が顧客の大切な仕事に役立ち、深刻な悩みを和らげ、必要な恩恵を与えてくれることで顧客が喜べば、価値提案が顧客に『フィット』したことになります。・・・価値提案のデザインにおいて、フィットを探し続けることが欠かせません[p.42]」
・3種類のフィット:「フィットは3つの段階を経て起こります。まず最初は、あなたの価値提案によって解決できる顧客の仕事、ペイン、ゲインを見つける段階。次に、顧客があなたの価値提案に前向きに反応し、それが市場で人気を集める段階。そして最後に、規模と利益が拡大できるようなビジネスモデルを見つける段階です。[p.48]」
・「組織と顧客は異なる関係者から成り立っていて、それぞれが異なる仕事とペインとゲインを抱えています。それぞれにあてたバリュー・プロポジションキャンバスを作りましょう。[p.50]」例えば、影響者、推奨者、購買者、決定者、エンドユーザー、妨害者、仲介者など。

2、Design
・「出発点をもとにして、簡単なプロトタイプを作り、バリュー・プロポジション・デザインの第一歩を踏み出しましょう。顧客を理解してバリュー・プロポジション(価値提案)を形作り、その中からさらに開発を続けるものを選び、適切なビジネスモデルをみつけましょう。[p.67
・プロトタイピング:「手早く、お金をかけずに、粗い実験模型を作り、さまざまな価値提案とビジネスモデルの人気、実現可能性、実用性を探ること。[p.76]」
・出発点:「一般的な通念とは違い、優れたバリュー・プロポジション(価値提案)が顧客から始めるとは限りません。ですが、その終わりはかならず、顧客にとって重要な仕事、ペイン、ゲインに行きつかなければなりません。[p.88]」「『プッシュか、プルか』は、よく議論されるトピックです。プッシュとは、いまある技術やイノベーションから価値提案のデザインを考える手法で、プルとは、顧客の仕事、ペイン、ゲインを起点にする手法です。この2つの手法は出発点として一般的[p.94]」
顧客プロフィールからイノベーションを生み出す6つの方法:より包括的な仕事に対応する、従来の価値提案では対応できない仕事を助ける、社会的な仕事や感情的な仕事に対応する、より多くの顧客の複雑すぎる仕事、高価すぎる仕事を達成する、小さな改善により段階的に改善する、古い手法を劇的に上回る[p.102-103
・顧客を理解する:「顧客の視点を理解することは、優れたバリュー・プロポジション(価値提案)のデザインに欠かせません。[p.106
顧客インサイトを手に入れる6つのテクニック:データ探偵(既存の調査を分析)、ジャーナリスト(顧客と話す、ただし顧客が取材のとおりに行動するとは限らない)、人類学者(観察)、モノマネ(自分が顧客になりきる)、共創パートナー(顧客と共にアイデアを探る)、科学者(顧客に実験に参加してもらう)[p.106-107
・選択する:顧客の意見のシミュレーション、コンテクスト(重要な技術や規制や社会などのトレンド)、産業における圧力、市場における圧力、マクロ経済の圧力」、他社との差別化、周囲からのフィードバックなどに基づいて価値提案、プロトタイプを選択する[p.122-141
・正しいビジネスモデルを見つける:「ズームアウトして全体像を捉え、特定の顧客の価値提案の周りに、利益を生み出しながら価値を作り、届け、取り込むことができるかどうかを分析する。ズームインして詳細を見ることで、ビジネスモデルの中の価値提案が本当に顧客に価値を生み出しているかどうかを調べます。[p.145]」この反復プロセスによって適切なビジネスモデルを見つける。
・確立された組織におけるバリュー・プロポジション・デザイン:「既存組織は既存のバリュー・プロポジション(価値提案)を改善すると同時に、積極的に新しい価値提案をつくり出さなければなりません。プロジェクトのはじめに、自分たちが、発明から改善までの線上のどこにいるかを確認しましょう。その位置によって、必要とされる姿勢とプロセスが変わります。[p.160

3、Test
・「何を検証するかを正しく判断し、改善された新しいバリュー・プロポジション(価値提案)のリスクと不確実性を減らしましょう。そして段階を踏んでテストを進め、『実験資料室』を活用し、それらすべてを持ち寄って、進捗を測りましょう。[p.176]」
・「新しいアイデアを探し始める時点では、たいてい先が全く見えません。自分のアイデアがうまくいくかどうか、わからないのです。ビジネスプランを立ててアイデアを磨いたからといって、成功の確率が高まるわけではありません。お金をかけずにテストを行い、そこから学ぶことでシステマチックに不確実性を減らしましょう。確実性が高まってから、実験やプロトタイプやパイロットにかける費用を増やしましょう。バリュー・プロポジションキャンバスとビジネスモデルキャンバスのすべての側面を、顧客からパートナー(流通パートナー)まで、すべての相手に検証しましょう。[p.178]」
・何を検証するか:顧客プロフィール、価値提案、ビジネスモデルキャンバスを検証する。「顧客プロフィール、初期調査、初期観察、インタビューで得た知識が正しいかどうかを確認します。[p.190]」「あなたの解決策を顧客が果たして気に入るか、どのくらい気に入るかを確かめましょう。あなたの製品とサービスが顧客の悩みを取り除き恩恵を生むかどうかのエビデンスが得られるような実験をデザインしましょう。[p.192]」「あなたのビジネスモデルが成功し、収入がコストを上回り、顧客のためだけではなく自社のためにも価値を創造するというエビデンスを見つけましょう。[p.194]」
・段階を踏んで検証する:仮説を引き出す(うまくいくにはどの仮説が正しくなければならないか)→仮説に優先順位を付ける(ビジネスを殺すことになりかねない要因をみつける)→検証をデザインする(検証する仮説、検証方法、計測、評価基準を明示)→検証に優先順位を付ける→検証を行なう(得たデータと結果、結論とインサイト、取るべき行動を明示)→学習を取り入れる→改善する[p.198-199
・実験資料室:顧客は言葉通りに行動するとは限らないこと、あなたがいる時といない時では、顧客の行動は違うことを念頭に置く。顧客への行動要請(CTACall to Action)を行なってエビデンスを得る、広告トラッキング、専用リンクのトラッキング、MPV(実用最小限の製品)カタログ、仮想サイト、スプリットテスト(A/Bテスト)、イノベーション・ゲーム(顧客と協力しながらプレーすることで、よりよい価値提案のデザインを助ける)、架空品の販売、先行販売、といった手法がある。[p.214-237
・すべてを持ち寄る:「活動とその結果を追跡し、目標への進捗を測りましょう。[p.242]」

4、Evolve
・「バリュー・プロポジションキャンバスとビジネスモデルキャンバスを共通言語として使うことで、組織の隅々まで全員が方向性を一致させ、常に進化を続けましょう。バリュー・プロポジション(価値提案)とビジネスモデルの計測とモニターを続け、たゆまぬ改善と継続的な自己再生に努めましょう。[p.257]」
・「バリュー・プロポジション(価値提案)が市場に出たら、バリュー・プロポジションキャンバスとビジネスモデルキャンバスを使って効果測定の指標を作り、モニターしましょう。ビジネスモデル、価値提案、顧客満足度の成果を追跡しましょう。[p.262]」
・「今日の企業は迅速に動けなければなりませんし、コロンビアビジネススクールのリタ・マグレイス教授が『競争優位の終焉』で紹介した、『一時的な競争優位』を育てることが必要です。企業は長期的な競争優位を探し求めるよりも、新しいビジネスチャンスに素早く対応し続ける能力を育てなければならない、とマグレイス教授は言っています。この本のツールとプロセスを使って、絶え間なく自己を再構築し、新しい価値提案を優れたビジネスモデルに組み入れましょう。[p.266]」、「自分に問いかけ続けましょう。変わり続ける環境要因は何ですか?」「あなたのビジネスモデルは時代遅れになっていませんか?[p.267]」「価値提案とビジネスモデルをたゆまず再構築し続けましょう。市場環境に強いられてやむをえず改革していては間に合いません。それでは遅すぎます。既存の価値提案とビジネスモデルを改善し続け、同時に新しい価値提案を開発できるような組織構造を作りましょう。[p.272]」
―――

イノベーションの進め方について書かれた近年の本や論文では、事前に十分に計画を検討してその計画の実行をうまく管理するというアプローチよりも、実験を重視してその実験結果から学んで計画を柔軟に手直ししていくというアプローチのほうが注目されているように思います。本書もその考え方に基づいて書かれた本ですが、具体的な手法がかなり洗練され、使いやすくなってきたという印象を持ちました。例えば、顧客を重視するという考え方にしても、顧客の「何を」重視するのか、それに対してどうアクションすべきか、といったポイントが絞り込まれていながら、手法の汎用性も確保されているように思われる点が興味深く感じました。もちろん、これ以外のアプローチもあり得るとは思いますが、少なくとも本書のアプローチは決して無視できるものではないと思います。

そうなると、既存企業においては、このアプローチを採用しやすい組織体制になっているかどうか、という点が気になります。従来の計画重視のアプローチに合わせて最適化された研究開発の仕組みを持った企業では、本書のような新しいビジネスモデルの創造は困難なのではないか、とも思えますので、研究組織の構造、運営管理のあり方も、今後問われるようになるかもしれません。

例えば、本書では、高度の技術を持つこと自体は顧客価値創造における最優先課題とは限らないように思えます。そうであれば、従来のような「専門性を極める」という研究者の一つの役割も見直す必要が出てくるかもしれません。単に顧客の抱える問題の技術面での解決者であればよいのか、技術シーズの提供者であればよいのか、それとも高度な専門性はやはり必要とされているのか。さらに、研究者と顧客との関わり方も従来とは大きく変わってくるのではないか、という気がします。おそらく、どのような技術者であれ、本書のようなアプローチにも柔軟に対応できる能力が求められるようになるのは間違いないと思いますが、イノベーションを起こせる技術者をどう育成するかという問題も含めて、技術者にとってはマネジメントの面でも示唆に富んだ本だと感じました。


文献1:Alex Osterwalder, Yves Pigneur, Greg Bernarda, Alan Smith、アレックス・オスターワルダー、イヴ・ピニュール、グレッグ・バーナーダ、アラン・スミス著、関美和訳、「バリュー・プロポジション・デザイン 顧客が欲しがる製品やサービスを創る」、翔泳社、2015.
原著表題:Value Proposition Design: How to create products and services customers want

参考リンク




失敗を知る(菅野寛著「経営の失敗学」より)

研究でも経営でも、先行事例から学ぶことは重要です。もちろん、成功事例からも失敗事例からも学ぶことができるはずですが、成功事例を取り上げた分析の方が注目を集めることが多いように思います。考えてみれば失敗の方がずっと数が多いはずなのに、なぜ失敗にはあまり着目されないのでしょうか。成功事例の方がストーリーがわかりやすいことがまずあげられるとは思いますが、失敗事例はあまり表に出てこないこともその原因かもしれません。

菅野寛著、「経営の失敗学」[文献1]では、経営における失敗事例の分析がまとめられています。本書では、著者の「経営コンサルタントとして、その後は経営学の教授として、・・・多くのビジネスの成功・失敗をインサイダーとして間近に観察する機会に恵まれました[p.3]」という経験が、失敗事例を考察する上で大きな力となっていて、それが本書の特色のひとつになっているように思います。実務家にとっても、本書にまとめられた「これをやってしまえばほぼ間違いなく失敗する。したがってこれをやってはいけない[p.4]」という内容は非常に有用だと思いますので、以下、そのポイントをまとめておきたいと思います。

I部、失敗から学ぶ
第1章、ビジネスは失敗の山

・「ビジネスとは、そもそも失敗する確率が圧倒的に高いものです。失敗したビジネスは枚挙に暇がありません。[p.16-17]」
・「アップルにせよ、ユニクロにせよ、どれほど名経営者が率いる企業でも失敗を免れません。・・・特に、製品レベルで見ると、どの企業も失敗を山ほど経験しているでしょう。ある巨大メーカーの研究所のコンサルティングをしたときのことです。過去数十年にさかのぼって研究開発に投じた資金、その成果として生まれた製品の売り上げ・利益、あるいは、研究成果を他企業に売って得たライセンス料について、財務的な観点でROI(投資利益率)を詳細に追跡しました。すると残念ながら、投資に見合うだけのリターンは全く得られていないという結論になりました。・・・もちろん、これは財務的側面だけで判断すべきことではありませんが、そのくらい新しい製品を成功させることは難しいのです。[p.20

第2章、ビジネスは本質的に失敗する運命にある
・「ビジネスにはそもそも、失敗しやすい構造的要因があると、私は考えています。一般論になりますが、ビジネスには2つのジレンマが存在します。
同質化による失敗:他社と同じこと、あるいは、今までの自社と同じことをやっていては成功しない。

異質化による失敗;他社と違うこと、あるいは、今までの自社と違うことをやれば成功しない。
要するに、同質化しても失敗しがちであり、異質化しても失敗しがちであるということです。すなわち、ビジネスではどちらに転んでも失敗すべく運命づけられているのです。ビジネスとは、この2つのジレンマの間を揺れ動きながら出口を探っていく行為と呼んでもいいかもしれません。[p.28-29]」
・「何とか成功する例外的な出口を見つけて実行するのが、ビジネスの命題です。すなわち、他社と同じことをやっていても泥沼の利益低減競争に陥らない出口、あるいは他社と違うこと、慣れないことにチャレンジし続けても企業としては失敗しない出口を、何とかして見つけるのです。[p.44]」

第3章、成功学の幻想
・「成功事例からの学習には、非常に注意が必要です。[p.46]」「成功事例の研究は『正しく』行えば有効なことも多いのですが、多くの企業は『間違った』成功事例研究をしていると私は感じています。他企業の成功を表面的にモノマネしても、成功する保証はありません。それどころか、かえって失敗する確率のほうがはるかに高いでしょう。[p.48]」
・成功事例を学ぶことができない第一の理由:「成功している企業が行っている『目に見える表面的なアクション』を単純にモノマネすると十中八九失敗するでしょう。なぜならば、『目に見える表面的なアクション』の裏にある『目に見えない要因』のほうが、はるかに重要な場合が多いからです。[p.48]」「成功の裏にある『目に見えない要因』は大きく、①企業の『価値観や文化』、②企業の『能力』、あるいは、③目に見える個々のアクションをつなぐ全体としての目に見えない『つながり・システム・仕組み』に分かれます。いずれも一朝一夕では真似はできないものばかりです。仮に真似できたとしても、自社の価値観や能力、仕組みを変えることによる副作用のほうが大きくなる可能性もあるため、本当に真似することが良いのかどうかは一概には言えないのです[p.50]」。真似しにくい事例として、リクルートの社内公募制度、トヨタ生産方式、セブン-イレブン・ジャパンの仮説検証アプローチが挙げられています。

第4章、成功は学べない
・「成功した企業のやり方が唯一絶対の正解ではありません。複数の解の一つを実行して、『たまたま』成功した他社の事象を『後付け』で分析し、成功要因を抽出することはできても、それが、本当に再現性があるかどうかは甚だ疑問です。特に、成功した企業の状況(コンテクスト)と自社独自の状況が違うため、同じことを実行しても、成功した企業と同じように 成功するとは考えにくいものです。[p.61-62]」
・「成功から学ぶ価値があるのは、『表面的な目に見えるアクション』(WHAT)ではなく『深層の成功・失敗要因』(WHY)です。成功あるいは失敗した企業がある意思決定やアクションを行ったという事実は、それ単体ではあまり意味がありません。[p.77]」
・「『こうすれば必ず成功する』という成功の十分条件(すなわち“必勝法”)は存在しない」、「そのような必勝法がない以上、経営者にできるのはいかに成功確率を上げていくかということです。できることをしっかりとやり、あとはリスクを管理するしかない。それがビジネスというゲームの本質です[p.78-79]」

第5章、失敗学の有用性
・「私が観察したところ、『結果として』成功しているのは、負けない戦略、他社を凌駕する努力、時の運という3つの条件がすべてそろった企業です。・・・ここで誤解してはいけないのが、この3つが揃うことは成功の必要条件であって、十分条件ではないことです。すなわち、3つのすべてが揃っても、必ず成功する保証があるわけではありません。一方、3つのうちどれか一つが欠ければ、高い確率で失敗します。正確に言えば、いずれかが欠けている場合、瞬間的にうまくいくことはあっても、長期的に持続可能な成功はあり得ないのです。[p.82]」
・「しかしながら、『これをやったらほぼ確実に失敗する』、すなわち『これをやってはいけない』という『DON’T』は存在します。別の言い方で言い換えると、『踏んではいけない地雷』は存在すると私は思っています。そして、成功の十分条件は存在しないにせよ、地雷を踏まないことが、少なくとも『成功の必要条件』となると考えることができます。[p.84]」
・「ビジネスでは・・・『成功パターンは様々で共通性・再現性はないが、失敗パターンはかなり共通性がある』というのが、これまで様々なビジネスに関わって私が実感するに至った観察結果です。[p.87]」

II部、陥りがちな失敗のパターン
第6章、考えるアプローチ、頭の使い方がずれている

・典型的な失敗パターン:「①教科書にある理論を何も考えずにそのまま使って意思決定してしまう、②意思決定の質とスピードのバランスを失っている(要するに、グズグズと調べすぎて意思決定しない、あるいは意思決定が遅れる)、③そもそもの出発点としての論点がずれている」[p.92-93
・「ビジネスの教科書に載っている理論は百パーセント正しい公式ではありません。教科書に載っているような考え方をすれば、頭の整理がしやすくなる、答えが出やすくなる『場合がある』というだけのことなのです。[p.95]」
・「どれほど時間とお金をかけて調査しても、知りたい情報が100%わかるということはまずあり得ません。・・・重要なのは、少ない情報、あるいは、不完全な情報であったとしても、そこからよく考えて、情報が足りない部分は自分なりの前提を置いて、仮説でもいいから意思決定する癖をつけることです。[p.102-103]」
・「ビジネスは、意思決定とそれに続くアクションによって『結果』を出す作業です。どのように良い意思決定をするのか、どのように良いアクションを取るのかという『HOW』の前にそもそも何に対して結果を出そうとしているのかという『WHAT』がずれていれば、出発の時点ですでに失敗していることになります。[p.104]」

ビジネスの立案における失敗のパターン
第7章、戦略の筋が通っていない

・「まずは戦略の筋が通る、通らない以前の問題として、そもそも戦略不在の企業もいまだに多く見受けられます。その理由として、高度成長期はとうの昔に終わったにもかかわらず、依然として高度成長期の『頑張りのみで突っ走る』という価値観を持っているトップがいるからでしょう。[p.112-113]」
・目的地、ルート、視点の3つの要素が必要。ロジックの因果関係に欠落があってはいけない。
・「自分では筋が通っていると思って自信を持って実行しても、実際にやってみると筋が通っていないことも多々あります。そのような場合は、十分な検討を行ったら、むしろさっさと実行してみて、結果を解析して、必要な軌道修正したほうがよいでしょう。[p.127]」

第8章、顧客が求めていない価値を提供してしまう
・「あなたのビジネスが顧客に提供している価値は何かということを、真剣に考え抜く必要がある[p.131]」「いつの間にか顧客の求める価値が変化し、気づくと劣勢に立たされていた、ということも少なくありません[p.140]」「表面的な調査で顧客の求めている価値はわかっていると思い込む[p.144]」こともある。「顧客が考える他の選択肢[p.147]」を考える必要あり。「自社の競争優位性を、『相対的』と『顧客の判断基準』という視点を入れず捉えているのだとしたら、顧客の見方とは大きく食い違ってしまう恐れがあります。[p.151]」

第9章、定性的なロジックの詰めだけで満足して、定量的な数字の詰めが甘い
・数字の詰めが甘い例:「市場の大きさ・事業の大きさを考えない[p.152]」「『市場全体』と『自社のビジネスが対象とできる市場セグメント(市場の一部)』との勘違い[p.155]」「楽観論だけでバラ色の戦略を立ててしまう[p.156]」「ダウンサイド・リスク(悲観ケースが起こった場合のリスク)を見極めない[p.158]」「数字を幅で捉えない[p.161]」「成功に大きなインパクトのある要素ではなく、瑣末な要素に目を奪われ、無駄にリソースを注力してしまう[p.162]」

第10章、リスクや不確実性に対処しない
・「リスクや不確実性をマネージしない典型的な失敗例としては、以下のようなものがあります。①予定調和を信じて一つのシナリオで突き進んでしまう、②いったん作ったプランに固執しすぎてタイミング良く軌道修正ができない、③成功しなかった場合の次の打ち手(プランB、撤退プラン、等)を考えずに突っ走る、④未来を『作る』のではなく『予測』して『追随』しようとする[p.166]」

第11章、「地雷排除」が行きすぎた結果、戦略が尖っていない
・「地雷排除作業をやればやるほど、これもやってはいけない、あれもやってはいけない、という『ダメ出し』になり、すべての『ダメ』を取った後に残った戦略が、全く差別性のない、つまらないものになってしまうことがあります。確かに地雷は排除したので『負けない』戦略のはずですが、同時に『勝てない』戦略にもなり得ます。というのは差別性のない普通の戦略であれば、同質化競争や泥沼の価格競争に陥って、利益が限りなくゼロに近づいていくからです。よく『経営とは矛盾のマネジメントである』と言われますが、まさに地雷を排除して角の取れた戦略になることと、戦略をとがらせることの矛盾をマネジメントしなければいけません。地雷を排除した結果、角が取れて丸くなってしまった戦略を、勝つためにもう一度見直して、あえてリスクを取って(もう一度地雷に近づいて)尖らせる必要があるわけです。では『戦略を尖らせる』ために何が必要でしょうか。私は次の二つだと思っています。①イノベーションを起こして『×』を『○』にする、②失敗しても立ち直れるだけの体力を残しておく[p.187-188]」。
・「イノベーションが必要とはいえ、あまりに革新的すぎてもいけないというのが、イノベーションをめぐる難しさの一つです。・・・あまりにも独創的な百歩先のイノベーションでは、誰にも理解できません。・・・ビジネスでは、そういう『百歩先』を行くようなものではなく、『半歩先』が重要です。[p.196]」

実行において陥りがちな失敗
第12章、実行に必要な徹底度が足りない

・「何事を実行するにしても、誰が(WHO)何を(WHAT)いつまでに(WHEN)達成するかという三つの要素が決まっていなければ、実行のしようがありません。[p.205]」
・「ビジネスを成功させるためには、『この能力がないと事業はうまくいかない』という能力要件があります。その能力要件を満たさない限りは、そもそも実行して成果を出すことができないため、その事業は失敗してしまいます。[p.210]」「新しいことをやるときには、必要な資源を過小評価しないことが重要です。ただでさえ慣れないことをやるのですから、予想外のことが起こります。その対処に、お金、人、時間などの資源が必要になります。しかも、不慣れなことなので余計に手間もかかるので、通常以上の資源がかかります。それを忘れてしまって、少ない資源でやろうとするのは、確実に失敗に至る道となります。[p.217]」「実行では、結果をモニターし、フィードバックし、必要なら軌道修正するというサイクルを頻繁にかつスピーディーに回していくことが大切です。しかし、実行してうまくいっているかどうかを、きちんと測定していないケースが案外多いのです。[p.218]」「スピードを上げていくには、単にお尻を叩けばいいという話ではありません。誰が、いつ、何をやるのか。必要な資源はどれぐらいか。意見が割れたときに、誰が意思決定をするか。このあたりの詰めが甘いと、実行の段階でつまずいてしまうのです。[p.225-226]」

第13章、実行者の意識・行動を変えていない
・「実行者のモチベーションが不十分であればまず間違いなくそのビジネスはうまくいきません。[p.231]」「人間が行動を変える際のハードルは3つあります。BCGでは『Ready』『Willing』『Able』という言い方をするのですが、私流の言い方にすると『頭』『心』『体』となります[p.234]」。

頭:「なぜ行動を変える必要があるのか、頭で理解しているか?」→対策は情報共有
心:「たとえ困難を伴っても、行動を変えようという強い意思を持つに至ったか?」→対策はモチベートすること、アメとムチ
体:「新しい行動を実際にやりきるだけの能力があるか?」→対策は組織能力を向上させるトレーニング、ツール提供、採用。[p.235
・「目に見える戦略や資源配分、組織形態ばかりに気を配って、それを実行する人間や組織の価値観に手を加えなかったため、失敗してしまうケースがあります。[p.238]」

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失敗に着目して、そこから学んだ結果に基づいてビジネスの手法を提案することは、考えてみれば非常に合理的な考え方だと思います。特に、これからの時代、未経験のことに挑戦しなければ長期的な成功は期待できない世の中になっていくだろうことを考えると、失敗をよく知り、できるだけ失敗を避けるようにしながら失敗の可能性のあることに大胆に挑戦してくことがますます求められるようになるのではないかと思います。

研究開発は、失敗の可能性のあることへの挑戦を主たる業務として分担していると言ってよいでしょう。当然、失敗に遭遇する確率は高いわけですが、失敗慣れして失敗することに甘んじていてはいけないはずです。失敗しやすいからこそ、避けうる失敗は回避できるよう、失敗についてもっとよく知る必要があるのではないでしょうか。もちろん、失敗事例は表面化しにくいですし、失敗の原因を論理的に分析し今後の教訓として活かすことは容易なことではないかもしれません。ともすると、失敗はその責任を誰かに取らせてそこから得られるはずの教訓は失敗の事実とともに闇に葬ってしまう、ということもあるかもしれませんが、本気で成功を望むなら失敗も価値ある知的資産として認識し、その内容や原因をきちんと理解、整理して対策を考えるべきではないでしょうか。本書のようなアプローチが、失敗と上手につきあい、失敗の可能性に果敢に挑戦するための方法論の基本となるような気がします。


文献1:菅野寛、「経営の失敗学 ビジネスの成功確率を上げる」、日本経済新聞出版社、2014.

参考リンク




「偉大なる失敗」(リヴィオ著)より

研究開発というものは、思い通りにならないことが多いものです。思い通りにならないことを失敗というなら、失敗の山を築いているといってもよいかもしれません。一方、優れたリーダーやマネジャーには将来を見通す能力が必要、という意見もあります。将来起こることが予測できるなら失敗もしないのでしょうが、はたしてそのような能力を持つことは可能なのでしょうか?。

リヴィオ著、「偉大なる失敗」[文献1]では、5名の著名な科学者たち、チャールズ・ダーウィン、ウィリアム・トムソン(ケルヴィン卿)、ライナス・ポーリング、フレッド・ホイル、アルベルト・アインシュタインが犯してしまった失敗がとりあげられています。ただし、失敗とは言っても日常生活での失敗や、単純ミスの話ではなく(例えば、「アインシュタインのオリジナル論文の20パーセント以上には、何らかの間違いが含まれている[p.346]」とのことですがそうした間違いを議論しているわけではありません)、科学の発展に大きな影響を及ぼした失敗をとりあげて、その原因や科学の発展への影響が考察されています。失敗の意味、教訓を考える上で非常に示唆に富んだ内容だと思いますので、以下に本書の中から興味深く感じた点をまとめておきたいと思います。なお、科学的な解説の部分は大幅に省略させていただいていますので、ご興味のある方はぜひ本書をご参照ください。

ダーウィンの失敗(第2、3章)
業績:「ダーウィンの著書『種の起源』の初版は、1859年11月24日、ロンドンで出版された。その日を境に、生物学は永久にその姿を変えてしまった[p.29]」。「単純にいえば、ダーウィンの理論は、ひとつの驚異的なメカニズムによって支えられる4本の主な柱で成り立っている。その4本の柱とは、『進化』『漸進説』『共通祖先』『種分化』だ。そのすべての原動力であり、それぞれの要素を結びつけて連携させている重要なメカニズムというのが、『自然選択』である。[p.31]」
失敗:「ダーウィンの過ちの根源には、19世紀に流布していた遺伝理論に根本的な欠陥があるという事実があった。ダーウィン自身も既存の理論の欠点に気づいていたらしく、『種の起源』で素直にこう打ち明けている。遺伝を司る法則についてはまったくわかっていない。同種の別個体、あるいは別種の個体間に見られるまったく同じ特徴が遺伝したりしなかったりする理由は誰にもわかっていないのだ。・・・ダーウィンは、両親の特徴がペンキをまぜ合わせるように融合して子に伝えられるという、当時の一般的な考え方のもので教育を受けていた・・・。ダーウィンは当時の科学界で受け入れられていた遺伝理論以上のことを知らなかったわけだが、そのことで彼を責めることはできない。したがって、私は融合遺伝の考え方を採用したことがダーウィンの過ちだとは考えていない。ダーウィンの過ちとは、融合遺伝の仮定のもとでは、彼の自然選択のメカニズムは期待どおりに作用しえないという点を(少なくとも当初は)完全に見落としてしまったことにあるのだ。[p.53-55]」
・「ダーウィンの自然選択による進化論がうまく機能するためには、メンデル遺伝が必要だったのだ。[p.62]」「最終的に、彼は融合遺伝に業を煮やして、『パンゲン説』というまったく的外れな理論を提唱してしまった。ダーウィンのパンゲン説では、全身が生殖細胞に指令を出すとされた[p.69]」「ダーウィンはもどかしいくらいメンデルと同じ発見に迫っていたにもかかわらず、その発見があらゆるものを包括するほど一般的であり、自然選択にとってきわめて重要であることに気づかなかったのである。[p.72]」
・「ダーウィンは変異が生物の一部だけに影響を及ぼすという観点で考えたことがなかったし、メンデルの確率論的なアプローチを理解し、その価値を十分に認めるだけの数学力も持っていなかった。・・・ダーウィンが自身のパンゲン説を頑なに弁護したことからすると、彼は人生のある時点から、現代の心理学者のいう『自信の幻想(illusion of confidence)』、つまり自分の能力を過大評価している状態に陥っていたのかもしれない。[p.79]」

ケルヴィン卿の失敗(第4章、第5章)
失敗:「地球は冷却しているため、熱力学の法則を使えば、地球の有限の地質学的年齢、つまり固体の地殻が形成されてから現在の状態に至るまでの時間を計算できる[p.97]」というモデルにもとづき、地球の年齢を約1億年と推定[p.100]。
・「地球の年齢をめぐる論争について記したものを見てみると、すべてではないにしてもその大半が、ケルヴィンが年齢の推定を大きく誤った直接の原因は、あたかも放射性崩壊を無視した事実にあると思い込ませている。もしそれが事の全容だとすれば、ケルヴィンの犯した間違いは本書で紹介する『過ち(ブランダー)』には当てはまらなかっただろう。ケルヴィンには当時未発見のエネルギー源について考える余地はなかったからだ。しかし、年齢の算出ミスをすべて放射性崩壊のせいにするのは、実際問題として間違っている。・・・ケルヴィンの最大の過ちは、放射性崩壊に気づかなかったことではなく・・・、ペリーが提唱した地球のマントル内部の対流の可能性を始めのころ無視し、その後も否定しつづけたことなのだ。これこそ、地球の推定年齢が許容できないくらい低くなってしまった真の原因なのである。[p.128]」
・「人間はある意見に傾倒すればするほど、たとえその意見とは食い違う強力な証拠を突きつけられたとしても、意見を手放すのは難しくなる・・・。心理学者のレオン・フェスティンガーが最初に提唱した『認知的不協和』理論は、まさに人々が自分の信念と食い違う情報を突きつけられたときに体験する不快感を扱ったものだ。数々の研究結果によると、多くの場合、人々は認知的不協和を和らげるため、判断の誤りを認める代わりに、従来の意見を正当化するような新しい方法で、自身の見解を作り替えることがわかっている。[p.130]」
・「動機づけられた推論は、冷静な分析ではなく、感情によって制御されており、その目的は自我に対する脅威を最小限に抑えることなのである。[p.133]」
・「ケルヴィンの地球の年齢の計算が過ちだったのは事実だが、私はそれでも、彼の計算は実に見事だと思っている。ケルヴィンは、地質年代学をあいまいな憶測から、物理法則に基づくれっきとした科学への変えたのだ。[p.135-136]」

ポーリングの失敗(第6章、第7章)
業績:タンパク質構造のαヘリックスモデル

失敗:誤ったDNAの3重らせん構造モデルを提案。「ポーリングの核酸分子は、そもそもまったく酸とはいえない代物だったのだ。[p.182]」世界最高の化学者が、「化学のもっとも基本的な性質について、ありえないようなドジを踏んだ[p.183]」。
・「皮肉な話だが、αヘリックスでの大勝利が3重らせんでの大敗北に寄与したことは間違いない。ポーリングはαヘリックスの成功をもとに、3重らせんでも同じ成功を再現できると思い込んだのだ。そういう意味では、これは『帰納的推論』の典型例だった。・・・帰納的推論は確率論的な推測を含むので、間違ってしまうこともある。・・・ポーリングの構造に対する直感は、常に正しかった。彼はこの過去の経験に基づいて、近道ができると思い込んだ。DNAの場合、彼は自分自身の過去の輝きの犠牲になったわけだ。[p.187-188]」
・「ポーリングはなぜシャルガフの法則を忘れてしまったのか?」(シャルガフの法則:アデニンとチミン、グアニンとシトシンの量が等しい)。「なぜ自分がひらめいた遺伝システムの自己相補性を忘れてしまったのか?」「ポーリングは、ようやくDNA研究に本腰を入れると決めた時点でも、DNA分子が生命の神秘、つまり細胞分裂と遺伝のメカニズムを解明する鍵であると、完全に確信していなかった。[p.189]」「ポーリングはDNAの研究中、絶えず邪魔を入れられていたことを思い出してほしい。・・・そのため集中できる時間がほとんどなかったのである。[p.191]」
・ポーリングは次のような言葉を言ったそうです。「名案を思いついたと思ったら、とにかく発表しなさい! 間違いを恐れちゃいかん。科学では、間違いは何の害も及ぼさない。科学界には、すぐに間違いを見つけて訂正してくれるような優秀な人間がたくさんいるのだ。恥をかくかもしれんというだけで、害は何もない。プライドは傷つくがね。しかし、もし名案なのに発表しなければ、科学が損失をこうむるかもしれんのだ。[p.192]」

ホイルの失敗(第8章、第9章)
業績:恒星内元素合成理論(「大半の化学元素とその同位体が、巨大な恒星内部の原子核反応によって、水素とヘリウムから合成されたとする考え方[p.234]」)
失敗:定常宇宙論(「ホイルの説明によれば、・・・ビッグバン・シナリオでは、全物質が1回の爆発的な始まりによっていっせいに作られたと考えるのに対し、定常状態モデルでは、物質が無限の時間にわたって一定の速度で作られてきた(そして今も同じ速度で作られている)と考える[p.264]」。
・「ホイルの理論そのものは大胆で、きわめて巧妙であり、当時存在していたあらゆる観測的事実とも一致していた。ホイルの過ちとは、どれだけ自説と対立する証拠を積み上げられても、自分の理論の破綻を認めようとしない、腹立たしいくらいの頑固さと、ビッグバン理論に対しては厳しく定常理論に対しては甘い判断基準にあったといえよう。[p.280]」
・「イギリスの王室天文官のマーティン・リースは、ホイルがビッグバン理論に反抗した理由について、ふたつの興味深い仮説を立ててくれた。ひとつめに、彼は科学的な孤立がもたらした悪影響を強調した。彼の説明によると、1960年代半ばごろから、ホイルはほとんど親しい共同研究者としか科学の話をしなくなったという。・・・リースはもうひとつ、・・・面白い意見を述べている。彼の指摘によれば、科学者は、キャリアの終盤になると、長い科学研究に付きものの淡々とした一歩ずつの前進に興味を失い、まったく新しい科学分野、時には自分の専門分野からかけ離れた分野に目を向けることがあるのだという。ライナス・ポーリングが晩年、ビタミンCに異様なまでにこだわったのも、この現象の一例だというのだ。[p.282-283]」
・「リースの指摘したように、孤立はそれなりの代償を伴う。科学はAからBへの一直線に進歩していくわけではなく、批評的な再評価や誤りをみつける相互的な交流を通じて、ジグザグの道をたどりながら進歩していく。ホイルがあれほど忌み嫌った科学界による継続的な評価こそ、科学者が誤った方向に深く迷い込むのを防ぐ歯止めを生み出しているのだ。ホイルは学会内であえて孤立したことにより、こうした修正力を自ら否定してしまったのである。[p.284]」
・「ホイル自身は自分の間違いを否認しつづけたようだ。・・・当然ながら、科学者たちは否認を研究精神に反するものだととらえている。実験結果がそう求めるときには、古い理論は新しい理論に道を譲らなければならないものなのだ。・・・ジークムント・フロイトは、人間が自我を脅かすトラウマや外的現実に対する防衛機制のひとつとして、否認という行為を築き上げたのだと仮定した。・・・否認がホイルの過ちの一因になったと考えることもできるだろう。[p.286-287]」

アインシュタインの過ち(第10章、第11章)
失敗:一般相対性理論への宇宙定数(宇宙項、Λ)の導入と削除。
・「宇宙定数に関するアインシュタインの全記録を分析した結果、彼が宇宙定数を破棄した理由は次のふたつのみであることはどう見ても明らかだ。ひとつは美的観点からの簡潔さ。もうひとつは間違った動機で宇宙定数を導入したことへの後悔だ。[p.314]
・「宇宙定数によって静的宇宙が実現すると考えたのは悔やまれるミスに違いないが、本書で紹介するほど大きな“過ち”には当てはまらないだろう。アインシュタインの本当の過ちとは、宇宙定数を取り去ったことだったのである!・・・方程式から宇宙項を取り去るのは、Λにゼロという値を恣意的に代入するのと同じことだ。・・・これは最近になって宇宙の加速が発見される前でさえ、方程式の簡素化のために払った高い代償だったといえよう。簡潔さが美徳といえるのは、方程式の形式ではなく基本原理に当てはまる場合である。宇宙定数の場合、アインシュタインは表面的な美のために、誤って一般性を犠牲にしてしまった。[p.345
・「宇宙定数の歴史についての記述を読むと、必ずといっていいほど、アインシュタインが方程式に宇宙定数を導入したことを『最大の過ち』と悔やんだという話が出てくる。[p.303]」「結論を言えば、誰かが何かを言わなかったということを確実に証明するのは、まず不可能である。それでも、あらゆる証拠に基づく私の最善の推測からすると、アインシュタインは宇宙定数を導入したことに『良心の呵責』くらいは抱いていたかもしれない。特に、彼は宇宙の膨張を予言するチャンスを逃したからだ。しかし、彼はそれを『自身の犯した最大の過ち』とは呼んでいないと思う。この表現は、私のささやかな意見を言わせてもらえば、まず間違いなくガモフ自身の誇張だろう。・・・ガモフが実際に創作しただろう、というのが私の結論だ![p.317]

失敗の影響と評価
・「ダーウィンの過ちとジェンキンの批判は、もうひとつの予期せぬ結果をもたらした。言ってみれば、ロナルド・フィッシャー、JBS・ホールデン、シューアル・ライトが集団遺伝学の数学的理論を確立する道を切り開いたのだ。彼らの研究は、メンデルの遺伝学とダーウィンの自然選択が互いに補いあう、切っても切り離せないものであるという究極の証拠をもたらした。ダーウィンが遺伝学の初歩的な事実を誤解していたことを考えれば、彼の理論の大部分が正しかったことは、まさに驚きとしか言いようがない。[p.81]」
・「たとえ間違っていたにせよ、解決の必要な問題を浮き彫りにしたのがケルヴィンの計算だったというのは、紛れもない事実なのだ。[p.136
・「ポーリングの過ちに特に“輝かしい”面はないと主張することもできる。なんといっても、彼のモデルは内側と外側があべこべだったし、鎖の本数も間違っていたのだ。それでも、ポーリングの手法、考え方、そして複雑なタンパク質分子の研究で見せた過去の驚くべき成功が、ワトソンとクリックの刺激や知力の源になったことは確かである。[p.205]」
・「ホイルの理論は、たとえ結局は間違いだとわかったものであっても、常に刺激的であり、間違いなく分野全体を盛り上げ、新しい説の生まれる引き金になった。[p.287]」
・アインシュタイン「のような一流の科学者でも間違いを犯すという事実は、興味をそそると同時に、謙遜や科学の真の進歩の仕方に関して、貴重な教訓を教えてくれる。どんなにすばらしい頭脳の持ち主でも、完璧ではない。理解の次なる段階への道を切り開くことしかできないのである。[p.317-318]」
・「どんな科学理論にも、絶対的で永久不滅な価値などない。実験や観測の手法や道具が向上するにつれ、理論は論駁されることもあれば、従来の考えの一部を包含するような新しい形へと変身することもある。・・・『改良された新しい』理論への道のりは、決して平たんではないし、真実へと一直線に進んでいくようなものでもない。・・・しかし、本書で見てきたように、天才たちの犯す過ちは、事実、発見に通じる入口であることが多いのだ。[p.351]」
・「バートランド・ラッセルは、狂信を確実に避けたいと思っている人々に向けて、・・・コツを提案している。『何事にも絶対の確信を抱くなかれ』。・・・疑念は弱さの表われと見なされることも多いが、効果的な防御機構でもある。そして、科学にとっては欠かせない活動原理なのだ。[p.351]」
―――

本書に述べられた過ちの分析には、多分に人間的な要因が含まれていると言ってよいでしょう。であれば、その教訓は科学以外の分野にも役立つはずです。以下に私が興味深く感じたポイントをまとめておきたいと思います。
・本書に取り上げられた天才たちでも過ちを犯すことを考えると、すべての人は確実に過ちを犯すと考えておいたほうがよい。すなわち、どんな考え方にも誤りの可能性があることを認識し、過ちのない決断を求めたり、過ちを避けようとしてもそれは不可能であると認めるべき。
・しかし、その過ちは新たな発見、発展を導くきっかけ、刺激になりうる。
・過ちが避け得ないものであり、それに価値があるなら、過ちを恐れて慎重になりすぎることに大きな意味はないのではないか。過ちから正しく学ぶことのほうが重要なのではないか。
・しかし、避け得る過ちもある。本書にも指摘されている、過去の成功にとらわれることによる誤り、孤立による誤りは比較的避けやすいかもしれない。

このうち、過ちから正しく学ぶことについては、まず自らの過ちを謙虚に認めることが重要になってくると思われます。本書の事例では、ポーリングとアインシュタインは自らの過ちを認めていますが、ケルヴィンとホイルは自らの過ちを認めなかったようで、それぞれの後世の評価の違いを考えると興味深いものがあります。過ちは避け得ないものとして、本書で指摘されたような原因で起こる過ちはなるべく少なくし、過ちから正しく学ぶという姿勢は、科学のみならずマネジメントの世界でもきっと役立つのではないでしょうか。


文献1:Mario Livio, 2013、マリオ・リヴィオ著、千葉敏生訳、「偉大なる失敗 天才科学者たちはどう間違えたか」、早川書房、2015.
原著表題:Brilliant Blunders: From Darwin to Einstein – Colossal Mistakes by Great Scientists That Changed Our Understanding of Life and the Universe

参考リンク



ノート記事目次(2015.7.12版)

2013年3月から2014年6月に行った「ノート:研究マネジャー基礎知識」の改訂版および3編の「補遺」の目次です。今回はリンクの見直しのみ行いました。より詳細な目次(本ブログ関連記事へのリンクを入れた目次)は、容量の関係でその1その2に分割して別ページにしています。

ノート記事改訂版(2013-4
はじめに
2013.3.24):旧版(2010.3.21)はこちら
 本ブログの趣旨、ノート記事の全体構成などについて書きました。研究マネジメントにおいて最も重要なことは意欲の管理だと思います。

ノート1:どんな研究が必要なのか
2013.4.21)、旧版(2010.3.22)はこちら
 ポイント:企業にとってイノベーションは重要。技術はイノベーションの一要素。研究は情報を生んでいる。
 キーワード:創造的破壊、Shumpeter、アイデア、イノベーション
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ノート2:研究の不確実性をどう考えるか
2013.5.19)、旧版(2010.3.27)はこちら
 ポイント:研究は不確実。その認識がマネジメントには必要。不確実性のマネジメントでは多様性、協力、知的相互作用、自律性)、リスク分散、柔軟性が鍵か。
 キーワード:意思決定理論、確定性、リスク、不確実性、錬金術、セレンディピティー、創発的プロセス、未来予測、複雑系
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ノート3:研究と競争相手
2013.6.16)、旧版(2010.4.3)はこちら
 ポイント:競争相手の存在を忘れないようにすること、その動向を予測することの重要性。競争を避ける戦略。
 キーワード:技術の普遍性、競争、Porter、ブルーオーシャン戦略、不均等の意欲、セレンディピティー

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ノート4:企業の収益源となる研究テーマの設定
2013.7.28)、旧版(2010.4.10)はこちら
 ポイント:イノベーションを事業として成功させるため、技術を成功するイノベーションに育てるためには、破壊的イノベーションのメカニズムを知ることが重要。そこから示唆される技術進歩のパターン、既存企業の行動パターンも理解しておくべき。
 キーワード:破壊的イノベーション、持続的イノベーション、Christensen、ブルーオーシャン戦略、コンプレックスシステム、ボリュームオペレーション、コア、リバースイノベーション
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ノート5:研究部門に求められるテーマ
2013.9.1)、旧版(2010.4.17)はこちら
 ポイント:研究にはイノベーション以外にも様々な業務が求められる。新規事業と既存事業のバランスをとる上でも研究部門に求められる業務を認識する必要がある。
 キーワード:未知、既存、頭を使う、体を使う、中核事業の安定、オープンイノベーション、10年ルール、宣伝、信用度、既存事業とのバランス
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ノート6:研究部門が実施したいテーマ
2013.10.6)、旧版(2010.4.24)はこちら
 ポイント:研究部門はシーズを育てる役割を担うが、ニーズも考慮する必要がある。セレンディピティーも重要。テーマの判断主体によるテーマ分類の提案。
 キーワード:シーズ志向、ニーズ志向、暗黙知、形式知、トップダウン、ボトムアップ、ミドルアップダウンマネジメント、レディネスギャップ、偽セレンディピティー、真のセレンディピティー、テーマ分類
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ノート7:研究者の活性化
2013.11.10)、旧版(2010.5.1)はこちら
 ポイント:モチベーション理論、エンパワーメントのまとめ。研究者の活性化における注意点。
 キーワード:機能人、経済人、Maslow、欲求段階理論、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現欲求、X理論、Y理論、動機づけ要因、衛生要因、内発的動機づけ、欲求説、過程説、期待理論、誘意性、達成動機理論、エンパワーメント
参考リンク

ノート8:研究者の適性と最適配置
2013.12.8)、旧版(2010.5.8)はこちら
 ポイント:研究に求められる様々な仕事と研究者の適性のマッチングが重要。研究への適性も考慮要。
 キーワード:適性、認知スタイル、行動類型、人を選んでから目的を考える、多様性、自律性
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ノート9:研究組織の構造
2014.1.13)、旧版(2010.5.15)はこちら
 ポイント:あらゆるイノベーションに適したベストな組織形態を確立することは困難。それぞれの研究に適した組織構造とし、それをうまく運用することが重要。
 キーワード:機能組織、タスクフォース、階層性、トップダウン、ボトムアップ、ミドルアップダウンマネジメント、ネットワーク組織、破壊的イノベーション、小さな組織
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ノート10:研究組織の望ましい特性と運営
2014.2.16)、旧版(2010.5.22)はこちら
 ポイント:創造性発揮のために重要な要素は、自律性、目的・感情・価値観共有、多様性、浸透性ある境界・コミットメント、協働。
 キーワード:組織的知識創造、自律性、ゆらぎと創造的カオス、冗長性、最小有効多様性、ビジョン、針鼠の概念、コミュニケーション、弱い絆、公正なプロセス、協働
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ノート11:研究組織運営におけるリーダーの役割
2014.3.30)、旧版(2010.5.29)はこちら
 ポイント:環境整備、仕事による動機づけ、多様性、コミュニケーション、育成、ロールモデルが重要。
 キーワード:仕事による動機づけ、多様性、コミュニケーション、ゲートキーパー、育成、経験、ロールモデル、ミドルマネジャー
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ノート12:研究プロジェクトの運営管理
2014.5.6)、旧版(2010.6.5)はこちら
 ポイント:計画よりも不確実性に対応して上手く実行することが重要。定型的な運営は難しいのでは?。
 キーワード:計画、戦略、創発的戦略、評価、方向転換、変化のスピード、心のエネルギー、プロジェクトマネジメント、ステージゲート、規律ある実験、リーンスタートアップ
参考リンク

ノート13:研究成果の活用
2014.6.1)、旧版(2010.6.12)はこちら
 ポイント:技術的な価値だけでは技術は普及しない。受け入れられるプロセスの理解が必要。
 キーワード:イノベーション普及、相対的優位性、両立可能性、複雑性、試行可能性、観察可能性、再発明、持続可能性、採用、選択的エクスポージャー、ハウツー知識、原理的知識、採用者カテゴリー、イノベータ、初期採用者、ラガード、革新性、能力信頼性、無難信頼性、行動経済学、情報ネットワーク
参考リンク

ノート14:研究成果の転用
2014.6.29)、旧版(2010.6.19)はこちら
 ポイント:知識としての研究成果の活用も重要。知識創造、ナレッジマネジメントの可能性。
 キーワード:特許、ノウハウ、組織的知識創造、知識変換、知識移転、ナレッジマネジメント、競争優位
参考リンク

補遺1:これだけは知っておきたい研究マネジメント知識
2014.8.10
 ポイント:研究活動と人間の特性をよく知り、イノベーションに参加する人の意欲を適切に管理することが重要。
 キーワード:研究の不確実性、人間の思考の限界、競争相手、破壊的イノベーション、アイデア、ニーズ、暗黙知と形式知、モチベーション、リーダー、多様性

補遺2:研究マネジメントの実践に役立つ知識
2014.9.15
 ポイント:補遺1でとりあげた注意すべき項目に対して、どのように対応すべきかの具体策を議論しました。
 キーワード:創発的戦略、二重過程理論、複雑系、Porterの5つの力、破壊的イノベーション、Heilmeierの基準、ビジネスモデル、Canvas、イノベーション普及学、オープンイノベーション、ステージゲート、プロジェクトマネジメント、組織的知識創造、やる気を引き出す

補遺3:研究マネジメントにおいて気をつけるべきこと(問題点、弊害・・・)
2014.10.19
 ポイント:「こういうマネジメントはよくない」、「ここに気をつけなければいけない」という指摘を集めました。
 キーワード:固定観念、コンピテンシー・トラップ、エコシステムに伴うリスク、先進国企業の戦略の問題、衰退の5段階、コア・リジディティ、脱線する幹部、成果主義、加速の罠、チーム、プレッシャー



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