研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2015年10月

脳科学の使い方(ミチオ・カク著「フューチャー・オブ・マインド」より)

人がどのように状況をとらえて意思決定するのか、どのような場合に意欲をもって課題に取り組むことができるのか、といった問題はマネジメント上の重要課題でしょう。その課題に対しては、従来から様々な対応方法が提案されていますが、その多くは、ある状況やインプットのもとで、どういうアウトプットが得られやすいか、という視点からの検討に基づくもので、その作用メカニズムは必ずしもはっきりしているとは限らないように思います。

これに対して、近年の脳科学の進歩は、意思決定やアウトプットが得られる過程についての研究を可能にし、どういうメカニズムで脳が動き、どのようにアウトプットを出すのかが明らかになりつつあるように感じます。とはいっても、ある程度の基本的な知識がないと、断片的な情報に振り回されることにもなりかねない気がしますので、まずは、全体観を正しく理解することが必要でしょう。そこで今回は、最近の脳科学の進歩とそこから得られている知見について、ミチオ・カク著、「フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する」[文献1]に基づいて基本的なポイントをまとめてみたいと思います。なお、本書では、最新の脳科学のトピックスや未来技術についても多くのページを割いて解説されていますが、本稿ではその部分は大幅に割愛させていただいていますので、ご興味のある方はぜひ本書をご覧ください。

I部、心と意識
第1章、心を解き明かす

・「MRIは次のような仕組みで働く。患者を寝かせて、磁場を生み出す二個の巨大なコイルを収めた円筒のなかに入れる。スイッチを入れて磁場ができると、患者の体内の原子核が・・・磁場の方向に沿って並ぶのだ。それから電波の弱いパルスを発生させると、体内の原子核の一部がひっくり返る。その原子核がやがて元の状態に戻るときに、二次パルスが出るので、これをMRI装置で分析する。このわずかな『エコー』を分析することで、対象となる原子の位置と性質が明らかになる。[p.35]」
・「MRIは初めて登場した当時、脳とそのさまざまな部位について静的な構造を明らかにすることができた。ところが1990年代の半ば、『機能的』MRI(fMRI)という新しいタイプのMRIが発明された。これは脳内の血中酸素を検出できるものだった。・・・MRIではニューロン内部の電気の流れを直接検出できないが、ニューロンにエネルギーを供給するために酸素が必要なので、酸素に富んだ血液を目印としてニューロン内の電気エネルギーの流れが間接的にたどれ、脳のさまざまな部位同士がどのように相互作用しているのかがわかる。・・・MRIの大きな強みは、脳の細かい部分を零コンマ数ミリメートルのサイズまで突き止められる卓越した能力だ。・・・しかしMRIには欠点も2,3ある。・・・時間分解能はそれほど高くない。脳内の血液のルートをたどるのに、ほぼ1秒かかる。・・・だからMRIでは、思考パターンの込み入った細部を見逃してしまう可能性がある。[p.35-38]」
・「脳波計は、・・・脳から自然に出る微弱な電磁波のシグナルを分析する。・・・脳波計の主な欠点は、空間分解能が非常に低いこと[p.39-40]」
・「PET(ポジトロン放出断層撮影装置)・・・は、ブドウ糖――細胞の燃料となる糖分子――の存在を突き止めることで、脳内のエネルギーの流れを推定する。・・・PETスキャンを始める際には、・・・放射性を示す糖をわずかに含む特殊な溶液を被験者に注射」、放出される陽電子(ポジトロン)をセンサーで検出。「MRIほど画像の分解能が高くない。それでも、身体のエネルギー消費の間接的な指標でしかない血流を観測するのでなく、エネルギー消費そのものを観測するおかげで、もっと神経の活動と密接にかかわる結果が得られる。[p.40-41]」
・「脳磁計(MEG)・・・は、脳内で変化する電場が生み出す磁場を受動的に測定する。・・・時間分解能がきわめて高く、1000分の1秒にもなる。しかし空間分解能は1立方センチメートル程度だ。[p.41-42]」
・「経頭蓋磁気刺激装置(TMS)・・・は大きな磁気パルスを発生させ、それが脳内で電気パルスを生み出す。この電気パルスが十分に大きいと、今度は脳の特定領域の活動を止めたり鈍らせたりする。・・・TMSでは、人に危害を及ぼさず、自在に脳の一部の活動を止めたり鈍らせたりすることができる。・・・TMSの欠点となりそうなものは、磁場が脳内にあまり深くは届かないという事実だ。[p.41-43]」
・「私が(まだ不完全だが)使えると思った脳についての比喩は、大企業だ。・・・CEOは、前頭前皮質にあたる。CEOは、自分の注意を引くほど重要な情報しか知る必要がない。そうでないと、本質的でない情報の洪水で身動きがとれなくなってしまう。・・・感情(不安、怒り、恐怖など)は、進化によって生み出された、低次のレベルで即時に発される警戒信号として、危険や深刻になりかねない状況を指揮中枢に警告するものと言える。・・・脳には、判断を下すただひとつの・・・CPU・・・があるのではない。むしろ、指揮中枢にあるさまざまなサブ中枢が、CEOの注意を引こうと絶えず競い合っている。そのため、思考にスムーズで安定した連続性はなく、さまざまなフィードバックループの不協和音がしのぎを削っているのだ。あらゆる判断を連続的に下す一個のまとまった総体として存在する『私』という概念は、われわれ自身が意識下の心で生み出す錯覚なのである。・・・脳はおよそ20ワット・・・しかエネルギーを消費しないが、きっと・・・それより発熱すると、組織にダメージを与えてしまう。だから脳は、頻繁に近道を利用してエネルギーを節約している。[p.49-52]」

第2章、物理学者から見た「意識」
・「私は神経科学や生物学においてこれまでなされている意識の記述から断片を拾い、次のように意識を定義してみた。
意識とは、目標(配偶者や食物や住みかを見つけるなど)をなし遂げるために、種々の(温度、空間、時間、それに他者との関係にかんする)パラメータで多数のフィードバックループを用いて、世界のモデルを構築するプロセスのことである。
私はこれを『意識の時空理論』と呼んでいる。[p.63]」
・「ほかの動物と違ってわれわれは、・・・未来について、『もし~だったら?』と頻繁に自問する。・・・人間の意識は、世界のモデルを構築してから、過去を評価して未来をシミュレートすることによって、時間的なシミュレーションをおこなう、特殊な形の意識だ。そのためには、多くのフィードバックループについて折り合いをつけて評価し、目標をなし遂げるべく判断を下す必要がある。[p.67]」
・「脳はいったいどうやって未来をシミュレートするのだろうか? 重要なのは、出来事のあいだに因果関係を構築することによって、未来をシミュレートするということだ[p.70]」
・「ジョークを聞くとき、人はどうしても未来をシミュレートして自分で話を完成させることになる・・・。われわれは物理的・社会的な世界についてよくわかっているので、話のエンディングを予想することができるのだ。そのため、オチがまったく予想外の結末になると、大笑いする。[p.72]」
・「最近の脳スキャンでは、脳がどのように未来をシミュレートしているかについて、解決のヒントが少し与えられている。そうしたシミュレーションは、主に脳のCEOである背外側前頭前皮質で、過去の記憶を使ってなされている。未来のシミュレーションで望ましい満足な結果になれば、脳の快楽中枢(側坐核と視床下部にある)が光る。一方、問題のある結果になれば、眼窩前頭皮質が活動してわれわれに危険を知らせる。すると、脳のなかで、(望ましい結果にも望ましくない結果にもなりうる)未来にかかわる異なる部位のあいだで闘争が起きる。最後には背外側前頭前皮質がそれを調停して最終的な判断を下す[p.81]」。

II部、心が物を支配する
第3章、テレパシー

・脳内の活動パターンや信号から考えていることを推定できるようになるだろう。

第4章、念力
・読み取った意図を動力源につなげば物を動かせる。

第5章、記憶や思考のオーダーメード
・「感覚情報(視覚、触角、味覚など)はまず脳幹を通って視床に達する。視床は中継局の役目を果たし、そこからシグナルは各種感覚の脳葉へと導かれ、分析される。処理された情報は前頭前皮質へ届き、そこでわれわれの意識に入り、数秒から数分までの幅を持つ短期記憶なるものを形成する。この記憶をもっと長く保存するには、情報をさらに海馬に通す必要がある。そこで記憶をさまざまなカテゴリーに分解するのだ。・・・海馬は分解した記憶のかけらをさまざまな皮質へ再び導く。[p.147-148]」
・「ウェイクフォレスト大学と南カリフォルニア大学の研究チームは、2011年・・・マウスが形成した記憶を記録し、コンピュータにデジタル形式で保存することに成功した[p.150]」


第6章、天才の脳と知能強化
・「人生の成功ときわめて強い相関を持ち、何十年も持続する特質は、満足を先延ばしにする能力と言えるようなのだ。・・・脳スキャンからわかるのは、前頭葉と頭頂葉とのつながりが数学的・抽象的思考にとって重要であるように見える一方、前頭葉と辺縁系(感情の意識的なコントロールにかかわり、快楽中枢もある)とのつながりは人生の成功に欠かせないのではないかということだ。[p.191]」

III部、意識の変容

III部(第7章~第15章、補足)では、より広い範囲の「意識」の問題、例えば、夢、ドラッグの影響、精神疾患、心の操作、人口知能、ロボットの意識、脳のリバースエンジニアリング、オバマ大統領が公表したBRAIN(革新的神経テクノロジーの推進による脳研究)プロジェクト、EUのヒューマン・ブレイン・プロジェクト、幽体離脱、身体から離れた心(脳データ)の移動(宇宙への移動)、エイリアンの意識、脳と量子論、自由意志の問題などが議論されています。
―――

脳科学の進歩が人間の考え方や行動についての理解を深めることは間違いのないところだと思います。理解が深まれば、それを根拠に、よりよい活動を行うためのマネジメントが可能になるでしょうし、脳の活動自体をよい方向にもっていくことも可能になるでしょう。今後どんな知見が現れ、どんな活用法やマネジメント法が工夫されていくのかが楽しみです。少なくとも、今の方法が変わっていくことだけは確かなことだと思いますので、研究の成果に期待するとともに、従来の考え方を変える覚悟も持っておきたいものです。

著者は、人間の意識の特徴は未来をシミュレートする点にあると述べています。「意識」という概念の捉え方はこれ以外にもありうると思いますが、人類がここまで繁栄してきた理由が、未来をシミュレートする能力にあるという考えは納得しやすいものだと感じました。未来をより正確にシミュレートすることが進化の過程で有利に働くということでしょう。翻って企業活動について考えてみると、未来のシミュレーションの精度を上げるにはどうしたらよいでしょうか。脳のアナロジーから、情報収集強化、技術蓄積、因果関係をより正確につかむことが重要といえるのではないでしょうか。こうしたことが得意なのが研究開発部隊であるとすれば、研究部隊の存在意義はこういうところにあるとも言えるような気がしますが、いかがでしょうか。


文献1:Michio Kaku, 2014、ミチオ・カク著、斉藤隆央訳、「フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する」、NHK出版、2015.
原著表題:The Future of the Mind: The Scientific Quest to Understand, Enhance, and Empower the Mind



「イノベーションは日々の仕事のなかに」(ミラー、ウェデルスボルグ著)より

イノベーションを実行するのは誰なのか。アイデア出しからイノベーションの完成までトップが深く関与する場合ももちろんあるでしょうが、最先端の現場から出てくるアイデアを現場主導で育てていくイノベーションも重要であるという指摘は多いと思います。最先端の現場から次々と新しいアイデアが出てきて、それがイノベーションの形に実を結ぶ、そんな組織はどうやったら作れるのか、その組織を導くにはどうしたらよいのでしょうか。

パディ・ミラー、トーマス・ウェデル=ウェデルスボルグ著「イノベーションは日々の仕事のなかに」[文献1]では、そうした視点でのイノベーションの進め方が議論されています。著者らは、「本書は、最高経営責任者(CEO)や最高イノベーション責任者(CIO)、研究開発(R&D)部門や社内ベンチャーチームといったイノベーション専門部隊ではなく、組織の最前線で日々闘いつづけるリーダー、限られた時間と予算と既存の人材で業務を遂行するリーダーに向けて書かれている。リーダーの支援によって、財務やマーケティング、セールス、オペレーションに従事する一般社員が、日々の仕事のなかでイノベーションを起こせるようになること。これが本書のねらいだ。[p.9]」と述べていますが、その指摘はそうした組織だけでなく、研究開発を担当する者にとっても役に立つ点が多いと感じましたので、以下に本書の議論の中から重要だと感じたことをまとめておきたいと思います

序章、日々の仕事のなかでイノベーションを起こすには
・「リーダーの仕事は、イノベーションを起こすことではない。リーダーの仕事。それは、イノベーションの設計者(アーキテクト)となること。そして部下のために、日常業務の一環として革新的な行動を実践できる職場環境を整えることだ。本書はこの考え方に基づいている。[p.11]」
・「心理学者クルト・レヴィンは、行動科学の研究初期に社会科学で最も有名な方程式を発明した。人の行動=個人の特性×環境。・・・しかしリーダーシップに関する多くの文献では、この方程式において作用するのは『個人の特性』だけだとされている。・・・多くのチェンジメーカーは人々の『考え方』を変えることに重点を置きがちだ。・・・本書ではこのようなアプローチを『物の見方を変える手法』と呼んでいる。・・・だが・・・、物の見方を変えるだけでは行動は変わらない。革新的な行動が部下に欠けているようなら、リーダーは振り返ってみる必要がある。変えるべきは彼らの物の見方なのか、それともシステムなのか、と。[p.15-16
・「マネジャーは部下の優れたアイデアの実現を助ける際、彼らにさまざまな行動の変化を促す必要がある。しかしどの行動も等しく重要なわけではない。そこで私たちは、真に重要な行動を特定し、それらを『日常のイノベーションのための5つの行動+1』と名づけた。[p.22]」それは、1、ビジネスに直結するアイデアにフォーカス、2、独自のアイデアを探すために、外の世界とつながる、3、当初のアイデアを見直し、必要に応じてひねる、4、最も優れたアイデアを選ぶ、それ以外は捨てる、5、社内政治をかいくぐり、ひそかに進める、+1、あきらめない[p.23

第1章、フォーカス[真に重要なことに焦点を絞るには?]
・「私たちは、イノベーションは自由に何でもできる人の専売特許だと考えがちだ。しかし日常業務においてはそうとは限らない。むしろ組織内で何でも自由にできる人は、業務とは無関係なアイデアに手当たり次第に焦点を当て、結果的にいくつもの小さなサイドプロジェクトを抱えることになり、成果を出せずに終わるものだ。[p.22]」
・「米国の心理学者JP・ギルフォードが1950年の講演で非公式発表した創造性に関する研究以後、創造プロセスの研究成果は何度となく、『オリジナリティあふれる優れたアイデアは、完璧な自由を与えるよりも、ある種の制約を設けたほうが生まれやすい』ことを明らかにしてきた。[p.53]」
・「もしも上司から、具体的な説明もないままに『イノベーションを起こせ』と命じられたら? いつもの道筋を離れて未踏の領域へと足を踏み入れた途端、彼らは幾通りもの選択肢に直面することになる。・・・選択のプロセスには3つの落とし穴が待ち構えている。1つめは意思決定に関する著書のなかでバリー・シュワルツが『選択肢の矛盾』と名づけた、選択肢が多いために判断が鈍るという落とし穴だ。・・・2つめは、方向性の欠如のために人々がてんでばらばらのゴールを目指してしまい、成功を勝ち取れないという落とし穴。3つめの落とし穴は、上司の指示どおりに行動した部下が大胆なイノベーションを追求するも、それは会社にとって何の価値ももたらさない領域だった、という落とし穴だ。[p.57-58]」
・「自由は絶対悪なわけではない。完璧な自由を部下に与えることで、真に個性的なアイデアをまったく思いがけない角度から見つけるチャンスが増す場合もある。しかし自由を得た部下が会社に(適切なタイミングで)価値をもたらさないアイデアに無駄なエネルギーを注いでしまう可能性も劇的に増す(・・・大部分のアイデアはただのゴミだ)。われわれの経験から言って、これらのメリットとデメリットを相殺するのは難しい。イノベーションにおいては、たいてい短期間で成果を上げることが求められるからだ。従って完璧な自由を与えるのは、R&Dなどのハイリスク・ハイリターンなプロジェクトも可能な現場により適したアプローチだと言える。[p.61]」
・焦点を絞り込む3つのアプローチ:1、目標を明らかにする(何を達成しなければならないのか)、制約を明らかにする(「制約があれば、どうやってそこに向かえばいいのかがわかる」)、3、追求領域を見直す(どの領域に目を向けるべきか、「会社にとって新しい領域や未開拓の分野に目を向ける」)[p.61-71

第2章、外の世界とつながる[影響力のあるアイデアを生み出すには?]
・「2つめの重要行動は、未知の世界と『つながる』ことだ。・・・アイデアの多くは一から新たに発明されたものではなく、カリフォルニア大学のアンドリュー・ハーガドンが『再結合イノベーション』と呼ぶものの一例にすぎない。つまり、既存の知識を新たな方法で結合させたのがアイデアだ。イノベーションはパズルのようなもので、そのピースは世界中に散らばっている。これらのイノベーションの基本要素に部下が触れられるよう、リーダーは彼らが外部の情報源とつながるのをサポートしなければならないのである。企業にとっては既存の顧客もそうした知識の宝庫だが、情報源は顧客だけではない。他部門の同僚とつながることでも、業務とは無関係な分野の誰かとつながることでも、新しいアイデアを見つけることができる。[p.26-27]」
・顧客とのつながり:「顧客からオリジナリティあふれるアイデアが出てくることはまずない。・・・市場ですぐに注目されるアイデアを生み出す最善の方法は、満たされないニーズや問題を特定することなのである。・・・企業は顧客と直接、個人的かつ継続的なつながりを持つ必要がある。満たされないニーズは、メールなどの『消極的な』チャネルで問い合わせてもまず特定できない。・・・フォーカスグループよりも『観察』のほうが適していると言える。[p.83-90
・同僚とのつながり:「『インサイト創出の場』を構築したいリーダーにとって、社員同士をつなげるのは初めの一歩として最適だ。・・・スタッフ間のつながりを促したいなら、たとえばパーティションなど、職場の物理的な環境から見直すといいだろう[p.92]」。他にもチームや会議に部外者を招くなど。
・関連性のない新たな世界とのつながり:ソーシャルメディアなど

第3章、アイデアをひねる[アイデアに磨きをかけるには?]
・「生まれたてのアイデアは完全ではない。それどころか欠点だらけだ。従って優れたイノベーションほど、生まれたての状態から最終的に実践されるまでの間に微調整が繰り返されていることが多い。試行と分析を迅速に行って、『ひねり』を加えてあるのだ。[p.29]」
・問題を見直す:「優れたイノベーターは、解決策の発見者ではない。『問題の発見者』なのだ。彼らにとって、解決策は二次的なものにすぎない。答えは問題のなかに潜んでいて、問題を100%理解できれば、たいては答えも見えてくるのである。[p.106]」
・解決策を試す:「リーダーの役割は、アイデアがすっかり熟す前に試行し、共有するよう部下に促すこと[p.121]」。ラピッド・プロトタイピング、定期的なフィードバックが有効。「イノベーションを目指す時、人はしばしば自己満足の落とし穴に陥るものだ。この穴が深くなると、イノベーションは常に楽しく追求しなくてはいけない、辛い体験であってはならないと思い込んでしまう。そうしてゲーム感覚の楽しさばかりを追い求め、批判や意見の対立は創造性を損なうものとして退けるようになる。・・・批判的な意見など避けるに越したことはないと思うかもしれないが、それは間違いだ。過酷なイノベーション・プロセスは多くの見返りをもたらすが、ゲーム感覚でいれば見返りなど得られない。・・・批判はイノベーション・プロセスを頓挫させるものではなく、アイデアをひねるのを助けるツールの1つだ。[p.125]」「未完成のアイデアを常に共有し、気軽にフィードバックを行えるようなルーチンを構築する。・・・アイデアの発案者は、必ずしもフィードバックを取り入れる必要はない。参考にするだけでいいのである。[p.131]」

第4章、アイデアを選ぶ[本当に価値あるアイデアを選別するには?]
・「あらゆるアイデアは、それを生み出した当人にとっては至宝である。しかし現実には、大部分のアイデアは残念ながらただのゴミだ。だからこそ組織はアイデアをふるいに掛け、投資対象になるものと、ゴミ箱行きになるものを選別しなければならない。けれども実は、アイデアを選別するプロセスそのものにも落とし穴が待ち構えている。・・・組織が新しいアイデアを評価する時、単独の評価チームだけに判断を委ねると認知バイアスや構造的バイアスの影響を受けやすくなり、誤った判断を下しがちになるのである。だから組織は、アイデアの選別環境を最適化し、堅固なサポートシステムを構築して、『ゲートキーバー』たる評価チームがより良い判断を下せるよう支援しなければならない。[p.31-32]」
・「ゲートキーピング」というプロセスは、イノベーション・チーム内で行うアイデアの評価プロセスとは異なるので注意してほしい。[p.135]」
・破壊的なアイデアには別ルートを用意する、ゲートキーパーにアイデアを体験させる、「定期的にレビュープロセスを見直して、それが正しく機能しているかどうかを評価[p.155]」することなどが重要。[p.136-158

第5章、ひそかに進める(ステルスストーミング)[社内政治をかいくぐるには?]
・「組織で働く人にとって社内政治はつきものだ。・・・イノベーションの設計者には、イノベーションを追求しやすい社内政治環境を整え、部下のために道を切り開くことも求められる。[p.34-35]」
・「多くの人は、社内政治を嫌っているはずだ。創造的な人ならとりわけそうだろう。優れたアイデアであればそれにふさわしい価値を認めてもらえるはずだと安心しきって、組織内の政治を無視したり、拒絶したりするイノベーターも中にはいる。このやり方は望ましくない。イノベーションは、優れたアイデアであると同時に政治にも配慮してこそ成功できるからだ。・・・残念ながら、社内政治をかいくぐるためのさまざまな手法を一語で言い表せる言葉はない。さんざん考えた挙句、われわれは独自にこのような言葉を作ることにした――『ステルスストーミング』である。ブレーンストーミングにヒントを得た言葉だが、ブレーンストーミングよりもさりげなく、秘密裏にイノベーションを追求するアプローチである。[p.159-160]」
・ステルスストーミングの5つのアプローチ:1、影の実力者とつながる、2、アイデアの「ストーリーづくり」をサポートする、3、早い段階でアイデアの価値を証明させる、4、より多くのリソースを獲得できるようサポートする、5、パーソナルブランド管理(企業風土にあわせて創造性を売りにするかどうかなど)をサポートする。
・大多数の人と同じことをしようとする「社会的証明」の原理を使う、プロジェクトにひそかに着手し改良を進めることで注目を集めるタイミングを遅らせる、外部から資金調達するなどの方法も使える。[p.168-170

第6章、あきらめない[イノベーション追求のモチベーションを高めるには?]
・「イノベーションというパズルの最後の1ピースは、『モチベーション』である。部下のモチベーションを上げ、彼らの好奇心や社内の報賞制度を利用して、逆境に遭ってもあきらめずにイノベーションを追求することを促さなければならない。なぜなら、創造性は選択するものだからだ。イノベーションの設計者はイノベーション追求の手法を絶えず改良して、部下が5つの行動を『あきらめずに継続』できるよう努めなければならないのである。[p.38
・内因性モチベーションの活用:専門分野、関心領域でのイノベーションを促す。さらに、明確な目的や自主性の尊重、仲間の存在によって、あきらめない追求が可能になる。「自主性とは、革新的なアイデアを追求する際にいま以上の自由を部下に与え、彼らのモチベーションを高めることを意味する。ただし調査が示しているように、ゴールに関する自主性は必ずしも与える必要はない。他者によって定められたゴールであっても、それが合理的なゴールであれば、人はそれを達成するための努力をいとわない。大切なのは、ゴールを達成するための『方法』を部下に決めさせること。そして、彼らがアイデアを実現するまでのプロセスをこと細かに管理しないことである。[p.187]」
・外因性の報酬を軽んじない:「創造性やイノベーションの追求における外因性モチベーションの役割は激しい論争の的となっている。[p.193]」「こう結論づけることができないだろうか。イノベーターはプロセスの初期段階では外因性の報賞をほとんど重視しないかもしれないが、プロセスが進み、何かを実践したり、管理したりといった仕事が主体になってくるにつれ、報賞を重視するようになる。[p.195]」「外因性モチベーションには、大部分の人が賛同する1つの側面がある。初期のマネジメントの研究者であるフレデリック・ハーツバーグが提唱した、『動機づけの衛生要因』という側面だ。雇用の安定、給与、手当といった衛生要因は、それ自体が積極的に動機を与えることはないものの、一定のレベルを下回ると不満を引き起こしたり、同僚と比較した時の甚だしい不公平感をもたらしたりする。[p.197-198]」
・「マネジャーは、許容できる失敗と許容できない失敗を明確に定義し、両者の区別の仕方を部下に明示しなければならない[p.199]」。「失敗に対する処罰がさほど厳しいものでさえなければ、イノベーションを起こそうとする部下に多少のリスクを負わせるのは妥当だと言える。従って部下にイノベーション追求の選択肢を与える時には、それがいつものやり方に比べてハイリスクで、ハイリターンなキャリアパスであることを明示するのが望ましい。リスクとリターンのバランスが適切なら、少なくとも一部の部下はイノベーションの追求を選択してくれるはずだ。[p.200]」

日常のイノベーションを追求するべき4つの個人的な理由
・「イノベーションは組織の成長の主要因である」というのは組織にとっての教訓。「真の質問は『なぜ組織にとってイノベーションは重要なのか』ではなく、『なぜ彼ら(部下)にとってイノベーションは重要なのか』[p.222]」ということ。
・「日常のイノベーションを追求するべき個人的な理由は、少なくとも4つある。[p.222-225
1、イノベーションは、目標を達成し、さらには超えるのを助ける。
2、イノベーションは、仕事に対する満足度を高める。
3、イノベーションを主導する能力は、人事考課において重要性を増しつつある。
4、イノベーションは、世界をより良い場所にする。
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本書に述べられたれに5つの行動+1は、「未来のイノベーターが最も道を誤りやすいのはどこか?[p.42]」に基づいて選び出された、とのことです。本書の議論の対象は、イノベーション専門部隊ではない組織で日常的に行なわれるイノベーションとされていますが、私はこの議論は、研究部隊におけるイノベーションでも有効なように感じました。研究部隊でも第一線と同じような業務を行う場合はありますし、なにより、どちらのイノベーションでも同じようなところで失敗する可能性がありますので、本書の指摘はイノベーション全般について興味深い示唆を与えてくれると思います。実務的にも、現実に則した指摘が多く(社内政治の克服などは他ではあまり議論されていないと思います)、とかく技術にばかり目が向きがちな研究者にとっても有益だと感じました。

加えて印象的なのが、個人にとってのイノベーションに取り組むことの意義を述べている点です。私は、ハイリスクなイノベーションに取り組む(取り組ませる)ためには、個人としての意義を重視する必要があるのではないか、と感じるところがあったのですが、その点からも本書の視点は大変興味深く感じました。どんな業務でも日常的にイノベーションが生み出せるようなマネジメントができたら理想だな、と思います。


文献1:Paddy Miller, Thomas Wedell-Wedellsborg, 2013、パディ・ミラー、トーマス・ウェデル=ウェデルスボルグ著、平林祥訳、「イノベーションは日々の仕事のなかに 価値ある変化のしかけ方」、英治出版、2014.
原著表題:Innovation as Usual: How to Help Your People Bring Great Ideas to Life

参考リンク



科学の話題・目次(2015.10.12版)

「科学の話題」というカテゴリーでは、社会や企業活動、研究開発と関係のありそうな科学の話題について書いています。この目次では記事表題とリンクをリストにし、要約入りの目次は「その1」「その2」に分割した別ページをご参照ください。

その1・・・要約入りはこちら
科学研究の動向
「GEグローバル・イノベーション・バロメーター」世界調査2012より2012.2.5)、参考リンク
「GEグローバル・イノベーション・バロメーター」世界調査2011より
2011.2.6)、参考リンクは上と同じ
論文から見た各国の科学力比較
2011.1.16)、参考リンク

科学と社会
科学と倫理(今道友信著「エコエティカ」より)2013.1.27)、参考リンク
「もうダマされないための『科学』講義」-科学でダマし、ダマされる状況について考える
2012.1.22)、参考リンク
科学技術と社会の関わり、これからのイノベーション
2011.7.18)、参考リンク
技術で仕事はどう変わる?
2011.8.21)、参考リンク
「機械との競争」(ブリニョルフソン、マカフィー著)感想
2013.11.24)、参考リンク
理系と文系、とイノベーション
2011.5.1)、参考リンク
「科学嫌いが日本を滅ぼす」(竹内薫著)感想
2012.10.21)、参考リンク
「エコ企業」雑感 (ニューズウィーク日本版、2011.2.9号、エコ企業100より)
2011.2.27)、参考リンク
「不完全な時代――科学と感情の間で」感想
2012.3.4)、参考リンク
「科学との正しい付き合い方」感想 (科学者とそれ以外の人との付き合い方?について)
2010.11.21)、参考リンク
科学的な考え方をシンプルに理解する(小飼弾著「『中卒』でもわかる科学入門」感想)
2014.5.18)、参考リンク
動的平衡
2010.10.31)、参考リンク
「知の逆転」にみる科学の課題
2014.7.21)、参考リンク
科学とエンジニアリング(「エンジニアリングの真髄」(ペトロスキー著)より
2014.10.5)、参考リンク
「<科学ブーム>の構造」(五島綾子著)から学ぶこと
2014.12.7)、参考リンク
誤解を生む原因は何か(垂水雄二著「科学はなぜ誤解されるのか」より)
2015.4.19)、参考リンク
「人と『機械』をつなぐデザイン」(佐倉統編)より
2015.6.14)、参考リンク
「オートメーション・バカ」(ニコラス・カー著)より(2015.9.6)
参考リンク
「技術大国幻想の終わり」(畑村洋太郎著)より
2015.9.27)、参考リンク

研究開発事例
2010年のベスト50発明(「Time」2010.11.22号)2010.12.5)、参考リンク
1年後のTime誌「2010年のベスト50発明」
2011.12.25)、参考リンクは上と同じ
3年後のTime誌「2010年のベスト50発明」
2013.12.23)、参考リンクは上と同じ
「偉大なる失敗」(リヴィオ著)より(2015.7.12)
参考リンク

研究マネジメント事例
祝ノーベル賞:『発見の条件』by根岸英一教授2010.10.11)、参考リンク
iPS細胞研究に見る研究の進め方雑感
2011.12.11)、参考リンク
MITメディアラボの研究マネジメント考
2012.12.31)、参考リンク

研究開発の方法
シチズンサイエンス考2012.7.1)、参考リンク
ロボットに研究ができるなら
2011.4.3)、参考リンク
ビッグデータ考
2013.5.6)、参考リンク
「オープンサイエンス革命」(ニールセン著)より
2013.10.27)、参考リンク
これからのモノづくり(アンダーソン著「MAKERS」より)
2014.3.9)、参考リンク


その2・・・要約入りはこちら
科学哲学関連
「理性の限界」「知性の限界」2011.9.19)、参考リンク
「感性の限界」(高橋昌一郎著)より
2012.11.11)、参考リンクは上と同じ
科学哲学の使い方(「理系人に役立つ科学哲学」感想)
2011.10.10)、参考リンク
「なぜ科学を語ってすれ違うのか」に学ぶ
2011.11.6)、参考リンク
「テクノロジーとイノベーション」感想
2012.4.1)、参考リンク
「科学を語るとはどういうことか」(須藤靖、伊勢田哲治著)感想
2014.4.13)、参考リンク

判断、予測、行動経済学、複雑系周辺
いかに判断、予測するか(ダンカン・ワッツ著「偶然の科学」より)2012.7.29)、参考リンク
科学的判断の受け入れ(「代替医療のトリック」感想)
2012.9.23)、参考リンク
多様性の意義(スコット・ペイジ著「『多様な意見』はなぜ正しいのか」より)
2013.2.24)、参考リンク
複雑系の可能性(ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」より)
2012.6.10)、参考リンク
ネットワークの力(クリスタキス、ファウラー著「つながり」より)
2013.3.31)、参考リンク
「ファスト&スロー」(カーネマン著)より
2013.7.7)、参考リンク
「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」(ダン・アリエリー著)より
2013.8.11)、参考リンク
「集合知とは何か」(西垣通著)より
2013.9.23)、参考リンク
ベキ乗則の可能性(バラバシ著「バースト」より)
2014.2.2)、参考リンク
「意思決定理論入門」(ギルボア著)より
2014.6.15)、参考リンク
データから言えること(ソーバー著「科学と証拠」より)
2014.8.24)、参考リンク
「誤解学」(西成活裕著)感想
2014.11.9)、参考リンク
「無意識のわな」(日経サイエンス2014年5月号特集)とマネジメント
2014.12.28)、参考リンク
「バグる脳」(ブオノマーノ著)-思考、判断のバイアスと誤りを理解する
2015.1.25)、参考リンク
無意識の作用(ムロディナウ著「しらずしらず」より)
2015.3.22)、参考リンク
クリティカルシンキングの活用(伊勢田哲治+戸田山和久+調麻佐志+村上祐子編「科学技術をよく考える」より)
2015.5.17)、参考リンク
関連記事
意思決定の罠(モーブッサン著「まさか!?」より)
2012.10.28)、
参考リンク
複雑系経営(?)の効果2012.5.6)、参考リンク

ヒトの行動、社会、進化
「ヒトは環境を壊す動物である」感想2010.12.26)、参考リンク
「利他学」(小田亮著)より
2012.12.2)、参考リンク
進化心理学からの示唆(「友達の数は何人?」ロビン・ダンバー著)より
2012.8.26)、参考リンク
「働かないアリに意義がある」感想
2012.4.22)、参考リンク
利他性と協力
2012.5.13)、参考リンク
天才の創造性の源泉とその活用
2013.6.2)、参考リンク
協力とフリーライダーと罰(大槻久著「協力と罰の生物学」より)
2015.2.22)、参考リンク
「競争の科学」(ブロンソン、メリーマン著)より
2015.8.9)、参考リンク


続・技術者流出考(谷崎光著「日本人の値段」より)

以前に本ブログで技術者流出の問題を考えた際、その実態がよくわかっていないため、きちんとした調査を期待したい、ということを書きました。もちろん、こうした調査をきちんと行うことは容易ではないと思いますが、最近、中国における流出日本人技術者の実態を調査してまとめた本(谷崎光著「日本人の値段」[文献1])が出版されていることを知りましたので、今回は、その内容をもとに、技術者流出の問題を再考してみたいと思います。

この本では、ヘッドハンティングされて中国に渡った日本人技術者とヘッドハンターたちへのインタビューに加え、その背景にある中国の事情が考察されています。もちろん、デリケートな問題だけに取材されている人数は限られており(著者も「取材に応じてくれる方を探すのは簡単ではなかった[p.2]」と述べています)、内容も「話せること」「書けること」に限定されているでしょうから、これだけで技術者流出の全体像がわかったとは言えないでしょう。しかし、長く中国に住まわれている著者ならではの考察は、皮相的なマスコミ報道にはない貴重な情報や洞察を含んでいると感じましたので、以下に興味深く感じた点をまとめておきたいと思います。

本書でインタビューが紹介されている4名の流出技術者の状況
・中国の自動車メーカーで技術統監として働いている技術者:日本では自動車部品の開発を担当。日本での製品開発の際の過労が転職のきっかけという。「やっているのは経験を生かした開発指導であって、データ流出ではない。[p.19]」「『今より高給で転職の誘いはひっきりなしにあります。』・・・契約は3年・・・が、1ヵ月分の違約金を払えば、転職できる。[p.34]」
・東芝で電子レンジの開発をしていた技術者:希望退職に応じ、サムスンに転職。その後日本で会社を設立しオーブンを開発したが、事業化がうまくいかず、中国の家電メーカーに入る。1年余り勤めて辞めるという。
・元三菱重工のエアコン技術者。56歳で子会社に転籍になったのを機に転職先を探し、58歳で中国の電機メーカーに転職。年俸は手取り1000万円強。[p.83-102
・コマツ出身で、三一国際公司の経営陣に加わり2012年に日本に帰国した奥信彦氏。コマツで30年間働いたあと、ヘッドハンティングで欧州のメッツォ・ミネラルズの日本法人社長、さらにヘッドハンティングで三一重工へ。[p.166-183

中国全体で日本からの流出技術者はどのくらいいるのか

・「『2、3000人はいる。数百人などという数字ではない』(女性ヘッドハンター)。『5000人ぐらい。これ、だいぶ堅い数字だ』(人材会社の中国人経営者)。『意外といますよね。中国企業だけでなく日系の現地採用を含めてですが、沿岸部だけでも2000人以上はいるでしょう』(リクルートの中国法人担当者)[p.2]」
・「日本人は文化が違いすぎて辞める人が多い。中国企業に10年勤める日本人はいない。平均勤続年数?5年ぐらいですか』[p.79]」

ヘッドハンターたちへの取材より
・大手外資エグゼクティブ・サーチ会社の日本支社で働く、キャリア20年のヘッドハンターへのインタビュー:「中国企業から支払われるマージンは送りこんだ人の年収の25パーセントから30パーセントである。・・・これを中国側のエージェントと折半する。[p.113]」「現在、中国からの日本人技術者求人は増える一方である。『中国の自動車会社1社で、日本人150人、韓国人も150人の求人とかです』自動車業界、家電業界に加えて、化学や鉄鋼、アルミ、ゴム、液晶などの素材分野も激増した。・・・求人の激増と逆にこの1、2年、中国からの求人に応じる人は激減した。一番の理由は、中国の環境汚染である。[p.115]」
・中国の技術専門人材エージェント、李氏へのインタビュー。「家電なんか、韓国、中国は日本をすぐ超えられる。だけど鉄鋼、材料、重工業はまだまだ本当にダメ。基礎研究はものすごい時間がかかるから、20年、30年かかっても追いつけるかどうかわからない。中国では民間は基礎研究に投資しないし、研究所はあってもひどい状態だ。日本人はまじめだし、研究力がある[p.130]」。
・リクルート中国:「リクルート中国の今のメインの仕事は、中国人社員を日系企業に送りこむこと。・・・日系企業からの中国人求人増の背景としてあるのが、まず現地化である。[p.148-149]」

待遇は?
・「中国企業で働く、日本人の車のエンジニアで、1年で200万元(3600万円)程度の報酬を受け取る人はけっこういる。多いのは150万元(2700万円)程度。これに加えて、高級マンションが用意され、通訳と送迎がつく。年、数回の帰国費用も会社が負担する。[p.18]」
・「日本勢はだいたい1000万円以上。そうじゃなきゃ中国来ないよ。[p.77]」
・ヘッドハンターによると、「素材の研究開発で200万元(3600万円)。これは契約が成立する数は多くはない。自動車の技術者で150万元(2700万円)ぐらい。でも80パーセントは日本円で1000万円前後だ。自動車、家電などの製品の設計は、本来、そんな高くないんだよ。中国で一番高いのは原材料・素材関係だ」[p.129
・「中国の企業からの技術者の評価を高い順から並べると、日本、ドイツ、イスラエルだそう。[p.133]」
・取材した中国のエージェントによれば、「技術者の値段は、実は韓国人のほうが高い。ふつうの仕事で1500万円ぐらい。これは中国に渡る韓国人技術者が、一般に日本人より若くて40歳ぐらいなのもある。企業からすれば一番使い頃で、学歴も博士取得者が多い。韓国の一流企業で10年働き、その後、中国で働けば、抜群の収入になるから、こぞって来る。『200万元(3600万円)、300万元(5400万円)の韓国人技術者はたくさんいる。日本にだって、中国でそのレベルの年俸が取れる技術者はいる。だけど中国には、なかなか来ないんだよ・・・グローバル企業が、世界向けの営業を探す時、日本人は探さない、韓国人なんだよ。日本がもう30年前の栄光に戻ることは、まずないと思っている』[p.139-140]」

背景にはこんなことも
・2009年の金融危機の頃、「中国中央政府の人材開発チーム(人材工作協調小組)が、『海外の高級人材招へい1000人計画』という政策を発表する。これは海外から、ハイレベルの職能を持った外国人、および海外で技術や技能を身につけた中国人(外国籍を含む)を積極的に雇用すべし、という通達である。基本条件は55歳以下、博士以上、中国国内で6ヵ月以上働くこと、海外の有名企業および研究所などで仕事をしていたこと。職種は、教育、金融、技術、経営管理などで、特に先端技術を持っている人、発明や特許を持っているなどの科学技術関係者は優遇され、ビザなどの便宜をはかる他に、雇用した会社に、1人、100万元(1800万円)の補助金が出る。[p.124-125]」

技術流出経路は流出人材だけなのか?
・「経済産業省調べ(2011年1月)によると、技術流出経路のナンバー1は、現地採用従業員で何と52パーセントにのぼる。次が販売製品で44パーセント。その次、部品22パーセント、製品設備19パーセント、データ漏えい18パーセントと続いて、6番目にやっと今回のテーマの日本人退職者17パーセントが来る。そしてその次が、在職中の日本人社員(技術者、研究者)で8パーセントである。[p.152]」
・「最近は中国企業が自ら、日本に事務所を持ち、人を採用するようになってきた。さらには日本に研究所を持ち、そこで日本人を雇用する。[p.160]」華為の日本法人、ファーウェイ・ジャパンの社員は600人、「日本人比率は不明だが、2012年から、日本で新卒採用も始めた。」「旧三洋の社員を何百人か吸収したハイアールも、日本で会社と研究所を持つ。[p.161]」「今、中国は政財官をあげて、日本の技術を静かに獲りにかかっているのである。[p.162]」
・「日本の技術を手に入れる究極の方法が、・・・会社を手に入れる――株主になることである。[p.218]」

中国企業の問題
・安全意識の低さ[p.23]、不正[p.25]。
・「中国の自動車産業は、・・・軍との関係を元に成長した企業が多い。[p.32]」
・「いったん有事になると、国営も民間企業も、全部、いっせいに軍需工場になる。中国はこういう『隠蔵(隠れた)軍需工業』が多い。自動車、造船、飛行機など重工業の大半、また新興急成長のIT企業、通信企業はそうである。[p.33]」
・「中国ローカルの自動車メーカーが普通の自動車もちゃんと作れないのに新製品開発や新技術に功を急ぐのは、中国の場合、それが株価や資金調達に直結するから[p.26]」。
・中国の研究所は、「買ってきたものをバラしたりして単に設計する場所[p.88]」「しかし家電のような身近なものでも、分解して研究し、そのまま再現できるか、というとそうではない。図面で1個だけ製品を作るのは、何とかできる。しかし同じものを安定した品質で、何百万個も作るのは難しい。・・・『回路を5ミクロンの幅でつくる、などという製造技術はマネできない。が、技術者を連れてくると、わりと簡単にできます。[p.90]』」
・「日本で開発した建機は、・・・小さなノウハウの集積で非常に長持ちする。その技術を手に入れるには、実験してトライして結果を追跡しデータを集める、という辛抱強さが必要だが、『中国人はそのへんは、まだわかっていないです』[p.172]。技術がなかなか伝わらない背景には、極端な成果主義のため、データを積み重ねるような悠長なことができないこと、強烈なトップダウンで、皆、上ばかり見て仕事をするため、現場から上がってくるボトムアップの知恵が集まらないことがある。[p.175-178
・「車や家電は部品を買えば、作れる、・・・しかしその優秀な部品を作る素材の基礎技術は買えない。中国で暮らしていると、モノの品質の良し悪しを決めるのは最後は素材だな、ということがよくわかる。それは何も最先端技術の話ではない。[p.130]」

中国企業の狙い?
・「今回取材してみて、おそらくは国レベルの、最終的には軍事力アップをめざす技術習得プロジェクトがあるだろう、という気がした。[p.191]」「日本はその気になれば軍事転用できる技術の宝の山なのである。そして外国から見た、その価値がわかっていない日本。[p.201]」

人材流出から見えてくる日本企業の問題
・「そもそも液晶技術を自社で持っていた日本のメーカーが、中国での携帯市場進出にほぼ全部失敗していることを忘れてはいけない。完成品というのは利幅があるが、部品は主導権を持てず買いたたかれやすい。優位性がなくなれば、それで終わりで設備投資のリスクだけが残る。[p.132]」
・「中国のエアコン売れ行きナンバーワンは格力というメーカーである。・・・格力のエアコンは、日本人からすれば品質はまあまあだが、何とか許容できる範囲である。そして世界では、たしかに高性能だがやたら高い日本製より、こちらのほうが需要がある。・・・いったい誰が『我々の製品は、中国では富裕層向け』などと、努力しないですむ、うまい言い訳を考えだしたのだろうか。せめて2倍の値段なら市場は取れていただろう。[p.94-95]」
・「優秀な人の大半が、入社後に『退行』していくのが今の日本の一流企業である。昔と違い、価値を生み出すのではなく、利権を守ることや管理が仕事になっているうちに、実力をなくすのである。人生を社内政治に費やして、上がるのは仕事の技術ではなく、派閥技術や社内遊泳技術だけになる人も多い。・・・高給で働いていないオジサンがこんなにも多い民間会社は、他国には存在しない。[p.140-141]」
・「日本は待遇に差をつけず、全員をがんばらせる仕組みだった。昔の製造業だとそのほうが利があったのだろう。しかし制度疲労を起こしている。今の日本人はどういう環境でもっともパフォーマンスを発揮するのだろうか。金だけではない気もする。・・・日本の明日が明るい技術が欲しい。それは実は経営技術なのかもしれない[p.183]」。
―――

本書にまとめられたインタビューや情報、著者の考察には、ここに取り上げた内容以外にも興味深い点が多くありました。もちろん、インタビューの人数も限られており、また、その内容もすべて信頼性の高いものと受け取るわけにはいかないと思いますが、技術者流出の問題に対する貴重な情報であることは間違いないと思います。では、そこから何を受け取るのか。特に気になったのは以下の点です。

・技術流出の流れは止められないかもしれない:日本人技術者の流出は、技術流出の大きな原因なのか?。確かに流出技術者が指導すれば、現地の技術向上には効果的かもしれませんが、技術流出は、現地生産自体、現地従業員など様々なルートで起こりうることはしっかり認識すべきだと思います。加えて、韓国人やドイツ人が現地に行くことは止められないでしょう。さらに、現地企業の日本支社設立や日本企業買収を防ごうとするとなるとこれは、もう一企業でできることの範囲を超えているように思われます。
・中国は何を求めているのか:中国はどんな技術を、日本人技術者から得たいのか。それを知ることは戦略的にも重要だと思います。本書によれば、どうやら日本は、中国が欲しがる技術を安売りしてしまっているのではないでしょうか。中国が本当に欲しい技術があるのならそれを交渉材料にしない手はないと思います。中国が本当に欲しい技術は何で、それは韓国や欧米企業も持っているものなのか。日本が持っている技術に優位性があるなら、それをなるべく高く売ろうとすること、交渉材料として活用するしたたかさも必要なのではないでしょうか。現地で活躍されている技術者の皆さんにとっても、自分の技術のどこが高く売れるのかを知っていれば、対価をもっと要求できるかもしれませんし、またその部分を出し惜しみする戦略もあると思います。
・流出技術者をタブー視することへの疑問:本書でも、中国企業の問題点が多く指摘されています。こうした問題点は、見方を変えれば将来のニーズともなりうるでしょう。そうしたニーズを誰が最もよく知っているのか。それは現地で活躍されている技術者の方々ではないでしょうか。そう考えると、中国で技術指導をされた技術者の経験を経営戦略に生かすことも考えられるでしょう。流出技術者の発生が避けられないのであれば、その存在をタブー視せず、その経験を有効に利用すること、つまり、技術者流出を、技術流出の原因と捉えるのではなく、貴重な情報ソースとして活用することも考えるべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。


文献1:谷崎光、「日本人の値段 中国に買われたエリート技術者たち」、小学館、2014.

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