研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2016年05月

研究とイノベーションをめぐる様々な考え方:研究開発マネジメントの実践と基礎知識1.1.3)(「ノート」全面改訂第3回)

1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと
1.1
、研究開発とは?
1)研究開発とは?:シンプルな理解
2)研究開発とは何かを考える研究開発マネジメントの実践と基礎知識第2回

3)研究とイノベーションをめぐる様々な考え方
前回(第2回)では、研究開発を、「新しい」ことを扱い、「情報」を得ようとする活動と捉えることを提案しました。このような捉え方は実は古くからあり、例えば、今野浩一郎氏は「研究開発マネジメント入門」という本で、「『研究開発』という言葉から、何をイメージしますか。ここでは『技術の開発を行う企業の活動』といった意味で使っていますが、それがカバーする範囲は、われわれが普段考えている以上に広いのです。ノーベル賞の対象になるような、大学や公的研究機関で行われている学術的な活動は当然のことですが、新しい製品を開発したり、既存の製品や機械を改善したりする、企業の中で普通に見られる活動も研究開発に含まれます。また研究開発というと自然科学や工学の分野をすぐに思い浮かべると思いますが、経済や法律等の社会科学までも対象分野に含まれます。しかし、本書が扱っている範囲は自然科学や工学の分野なので、それに合わせて研究開発を抽象的に定義すると『自然現象についての新しい知識を得るための、あるいは、既存の知識の新しい活用を創造するための活動』ということになるでしょう。[文献1、p.16]」と述べています。こうした考え方を拡張し、「新しい」こと、「情報」を得ることを特に強調したのが、前回提案した考え方、ということになります。

これに対して、最近は「イノベーション」という言葉が多用されています。「イノベーション」という言葉は、「研究開発」よりも、社会や企業経営にもたらす影響が強く意識されている印象になると思いますが、安易な使い方をされていることも多いと感じます。そこで、まず「イノベーション」に関する考え方を整理しておきましょう。

イノベーションとは何か、その意義(Schumpeterの考え方)
「イノベーション」と言えば、まず引用されるのはSchumpeterでしょう。
・宮本又郎氏は次のように述べています。「経済活動における企業家の決定的な役割を主張したのはJ・A・シュンペーターであった。体制としての資本主義と社会主義の優劣が盛んに論じられていた1940年代に、シュンペーターは、資本主義の歴史において、人口の増加とか資本の供給の増大といった生産要素の増加がないときでもなぜ経済は停滞しなかったのか、また競争があるにもかかわらずなぜ利潤が消滅しなかったのであろうかと問い、それは『企業家』によって生産要素の結合の仕方が変えられ(『新結合』と呼ぶ)てきたからであった。シュンペーターはこのような行為を『革新』(イノベーション)、『創造的破壊』(クリエイティブ・ディストラクション)と名付け、それを5つに分類した。すなわち、①新製品あるいは新品質製品の生産、②新生産方法の導入、③新市場の開拓、④原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得、⑤新しい組織の実現、である。シュンペーターはこのような『革新』を遂行する『企業家』は、そのことによって創業者利潤を手にすることができるとした。この利潤は革新が模倣されるにつれ、消滅することになるが、こうした革新が不断に連続する限り、利潤は存在し、資本主義経済は発展することが可能となる。[文献2、p.5]」
・岡崎哲二氏は次のように述べています。「シュンペーターは20世紀初めに刊行された書物『経済発展の理論』(邦訳、1977年)において、経済に関する新しい見方を提起した。・・・『経済発展の理論』において、内生的な経済発展の機動力と位置づけられたのが、『企業者』による『新結合』の遂行であった。『新結合』というのは、財や生産要素の組み合わせの仕方を変更することであり、企業組織やマーケティングの変更を含む広い意味でのイノベーション(革新)を指している。イノベーションは、それに成功した企業の費用を低下させて、他の企業によって模倣されるまでの期間、とくに大きな利潤を、イノベーションを実現した企業に与える。そしてその利潤がイノベーションの誘因となるとともに、利潤から支払われる利子が銀行信用によるイノベーション活動の金融を可能にする。このようなイノベーションと模倣の繰り返しを通じて経済が発展していくというのが、『経済発展の理論』においてシュンペーターが提起した資本主義経済に関する新しい見方である。[文献2、p.26-27]」
・丹羽清氏はSchumpeterの次の言葉を引用しています。「経済活動の慣行軌道の変更、すなわち、非連続的変化が経済を発展させ[文献3、上p.171-180(文献4、p.112]」、「非連続変化は新結合の遂行によって起き[文献3、上p.180-184(文献4、p.113]」、「新結合が新しい軌道を確立していく過程を『創造的破壊』[文献5、上p.130(文献4、p.113]と呼ぶ。
・また、DruckerSchumpeterの意見を支持し、「イノベーションとは、従来とは違う新しく価値ある事業やサービスを起こすことであり、それを行なう企業家の責務はSchumpeterが明らかにしたように『創造的破壊』である」[文献6、p.26-29(文献4、p.116]。「企業の基本機能は、マーケティング(財やサービスを市場で売ること)とイノベーション(より優れた、より経済的な財やサービスを作ること)の2つだけである」[文献7、p.37,39(文献4、p.8]と言っているということです(丹羽清氏の著書[文献4]より)。
・このSchumpeterの言葉の解釈については、伊丹敬之氏が次のように述べています。「イノベーションの世界で一番有名な大先生にシュンペーター先生という人がいるんだけど、その人がイノベーションとは『新結合』だ、と言ったんだよ。・・・それはその通りなんだけど、でも、何でも二つくっつけりゃイノベーションか、とも言いたくなる。シュンペーター大先生は、『イノベーションというのはそういうことで起きて行きます』というプロセスの一部を言ったんだけど、その一部だけを取り出して『新結合』だから、これをイノベーションって、つい言う人が出てきちゃう。[文献8、p.36]」
・この「新結合」という考え方について、入山章栄氏は次のように述べています。「イノベーションとは言うまでもなく、新しい知を生み出すことである。そしてシュンペーターによると、「新しい知とは常に、『既存の知』と別の『既存の知』の、『新しい組み合わせ』で生まれる」のだ。言われてみれば、これは当たり前のことだ。人間はゼロからは何も生み出せない。新しい知は、いままでつながっていなかった知と知が、新しくつながって生まれるのだ。・・・しかし、知の探索だけではビジネスにならない。・・・すなわち、一度組み合わされた既存の知を何度も活用すること(知の深化)で、初めて『ただの新しいアイデア』から、収益性のあるビジネスとなり、イノベーションとなるのである。[文献9]

イノベーションとは?(Schumpeterから離れた最近の考え方)
・玉田俊平太氏は次のように述べています。「現在、多くの学者の議論により、①アイディアが新しい(=発明)だけでなく、②それが広く社会に広く受け入れられる(=商業的に成功する)、という二つの条件が揃って初めてイノベーションと呼び得る、というのが定説となっている[文献10、p.41]」。
・また丹羽清氏は「激しい競争に勝ち、社会や顧客に貢献して生き続けるためには企業は何をすべきか、それは、他社にはまねのできない、従来とはまったく異なる新しい価値を生み出す製品やサービス、そして事業を提供することだ。これをイノベーション(革新)という。」[文献4、p.111]と述べています。
CrainerDearloveは次のように述べています。「イノベーションとは、物事を変えるための新たな方法を見つけることなのだ。『新たな価値を創造する』と言い換えてもいい。このことがいつの時代にもまして今日、重要になったのは、わたしたち消費者が常にモノやサービスに新たな価値を要求するようになったからである。[文献11、p.11]」
Anthonyは「ファーストマイル」で、「本書では、何らかの価値、特に、従来とは異なる方法で価値を生み出すことを『イノベーション』と呼ぶ。[文献12、p.12]」としています。

イノベーションと技術
イノベーションには新技術が深く関わる場合があります。イノベーションにおける技術の役割については、重視するかしないかに多少幅があるようですので、イノベーションと技術の関係に関する指摘を集めてみます(もちろん、どういう文脈でイノベーションという言葉が使われるか次第のところもありますので、以下の引用はある側面での考え方とご理解いただいた方がよいと思います。)まず、イノベーションにおける技術の役割を比較的重視する考え方をあげます。
・伊丹敬之氏は、「イノベーションという言葉の定義としては、『素晴らしい技術を使って我々の生活を変えるような物やサービスが提供されること』。それをイノベーションという。・・・イノベーションとわざわざ名前を付けるんだったら、大きな変化が起きて欲しい。[文献8、p.16]」「イノベーションとは、素晴らしい技術をベースに、多くの人の生活を大きく変えるもの。[文献8、p.31]」、「思いつきだけでイノベーションって言っちゃいけない。『いわゆる技術革新』という話で終わっちゃう危険が高い。・・・『いわゆる技術革新』という人は、技術だけが新しくなるとそれでイノベーションと言いたがるんだよね。技術者には特に多い。[文献8、p.27]」
・三品和広氏は、次のようなイノベーションの定義を述べています。「過去の競争の中で定められたパラメーター上で、技術的なブレークスルーにより、漸進的あるいは飛躍的な性能の向上、または多機能化を実現すること」[文献13、p.71-72

一方、技術だけが重要ではない、という考え方には以下のようなものがあります。
・後藤晃氏は「イノベーションとは『新しい製品や生産の方法を成功裏に導入すること』を意味している」とし、「技術開発はそのなかの(重要な)一部分」とした上で、さらに「イノベーションには(中略)組織革新なども含まれる場合がある」「(上述の『製品』には)液晶ディスプレイのような財と、宅急便のようなサービスの両方が含まれる」と述べています[文献14、p.22]
CarlsonWilmotは、「イノベーションというのは、『技術的に優れたガジェットの発明』などではない。『発明』だけでは不十分だ。『発明を世に出すこと』に成功して初めて、イノベーションは成立する」と述べ、『市場に新しい顧客価値をもたらすこと』こそが『イノベーション』なのである」[文献15、p.4]と述べています
・デザイン思考で名高いIDEOKelleyは、イノベーションの3つの要因として、1、技術的要因(技術的な実現性、「画期的な技術だけでは十分とはいえない」。2、経済的実現性(ビジネス要因、「技術は機能するだけでなく、経済的に実現可能な方法で生産・販売できなければならない」。3、人的要因(人間のニーズを深く理解すること)をあげ、「技術、ビジネス、人間という3つの要因の交わる点を見つけることが重要」と述べています。[文献16、p.37-39

イノベーションにとって技術はどの程度重要なのか
上述の指摘のように、技術がイノベーションの必須の要素ではないと考えるなら、それはなぜなのでしょうか。以下のような意見があります。
Christensenらは、業界をリードしていた優良な企業がある種の市場や技術の変化に直面したとき、(特段の経営上の失敗もないのに)その地位を守ることに失敗した例の分析を通じて、「刺激的な成長事業に乗り出そうと奮闘する企業にとっての根本的な問題が、優れたアイデアの不足であることはほとんどない」[文献17、p.19]、「成長を維持できなくなる恐れのある企業にとって、刺激的な成長を生み出すアイデアが不足していることが問題なのではない」[文献17、p.338]と述べています。
・また、Collinsは、良い企業が偉大な企業に飛躍する過程を分析した結果に基づき、「技術そのものが偉大な企業への飛躍や企業の没落の主因になることはない」[文献18、p.253]と述べ、さらに、不確実なできごとに遭遇しても躍進しつづける企業の分析においても、「どんな環境下でも、脱落せずに競争し続けるために最低限達成しなければならない『イノベーションの閾値』がある。閾値が低い業界もあれば、閾値が高い業界もある。だが、いったん閾値を超えれば、それ以上のイノベーションにこだわってもあまり意味がない[文献19、p.179」と述べています。
Berkunは、「素晴らしいアイデアというものは、真のイノベーションというプロセスのごく一部」「(ひらめきは)コントロールすることなどできない」「素晴らしいアイデアを見つけ出すには努力が必要ですが、そのアイデアをうまく利用して世の中を良くするためにはさらに大きな努力が必要」[文献20、15-17]と述べています。
Griffinらは、「技術主導型からイノベーションを行おうとして失敗する場合、そこにはまったく異なる2つの理由がある。1つは、技術主導型の多くが技術の有効な応用の仕方を探し出せず、またすぐには企業に利益をもたらさない『打つ釘がない金槌』をつくっているからだ。・・・2つ目の理由は、技術組織から生まれたブレークスルー・イノベーションが、いわゆる『死の谷』を越えられないために事業化されないというものだ。・・・『死の谷』とは、技術開発と事業化における人材と組織構造の間に存在するギャップのことである。製品を事業化するには、マーケティング、営業、製造、流通などの人材を必要とする。だが、彼らは新技術の開発に必要な人材とは異なり、また両者は分断されているため、もっとも重要なブレークスルーも両者の間にある死の谷に落ちてしまい、事業化されないのだ。[文献21、p.59-60]」と述べています。
Anthonyは、イノベーションの歴史的変遷について、4つの時期に分けて考察し、技術の意味が変わってきていると指摘しています。すなわち、発明家が単独で発明する時代(1915年以前)を第1期、企業内研究所の発明者が活躍する第2期(1970年ごろまで)、企業から離れたベンチャーが活躍する第3期(1950年代末から60年代に種が蒔かれ最盛期は70年代、その後最近まで)、それ以後の第4期に分け、「第1期から第3期を代表する発明は技術的なブレークスルーが(すべてではないが)一般的だったが、第4期のイノベーションはビジネスモデルに関連している可能性が高い。」と述べています。[文献22]
・池田信夫氏も、「重要なのは技術ではなくビジネスモデルである。」、「新しい事業を起こそうとする場合、まず何を売ればもうかるかというアイディアがあり、その上で収益を上げる方法を考え、技術はそれに適したものを選ぶ(あるいは開発する)。イノベーションの本質は技術ではなく、このビジネスモデルにある。」[文献23、p.15-17]として、ビジネスモデルの重要性を指摘しています。

これからのイノベーションにとって、技術よりもビジネスモデルの方が重要になる、と結論づけるのは早計に過ぎるでしょう。しかし、技術がイノベーションの主役であると考えることにも無理がある時代になりつつあるように思います。技術的な成功を華々しく取り上げて企業の成功に結び付けようとする考え方はたしかにわかりやすいのですが、技術がイノベーションを導いた事例をもって、それが常に成り立つ真理であるかのごとく単純化してしまうことは危険なことと思います。まずは、イノベーションと技術開発は同義ではないということ、技術はイノベーションに貢献できる可能性がある(必須ではないかもしれない)ことを確認すべきなのでしょう。

技術者はとかく、自分の担当である技術の部分に集中するあまり回りが見えなくなることがあり、その結果、「役に立たない研究」「興味本位の研究」「自己満足」などの批判を受けることがあります。もちろん、高度な技術の世界では回りが見えなくなるほど集中しなければ解決できない問題があるのも事実でしょう。しかし、技術者が技術の進歩のみに関わるだけではイノベーションの成功は難しいかもしれません。例えば、技術者も、技術を効果的に利用し製品やサービスを販売して社会に貢献するところまで視野に入れて活動することも必要かもしれませんし、研究部門以外の方はイノベーションを技術陣だけに任せきりにしない、ということも必要なことかもしれません。要するに、イノベーションは研究部隊だけの仕事ではない、ということになるのでしょう。その意味で「研究、技術開発」よりも広い意味での「イノベーション」を念頭におくことが現代におけるイノベーションの成功には必要なことではないかと思います。

本シリーズでは、イノベーションの一要素としての研究開発をどのように進めたらよいのか、得られた研究開発成果をどのようにイノベーションにつなげていけばよいのかを検討していきたいと思います。


文献1:今野浩一郎、「研究開発マネジメント入門」、日本経済新聞社、1993.
文献2:宮本又郎、加護野忠男/企業家研究フォーラム編、「企業家学のすすめ」、有斐閣、2014.
文献3:Schumpeter, J.A., 1926、塩野谷祐一、中山伊知郎、東畑精一訳、「経済発展の理論」岩波書店、1977.
文献4:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.
文献5:Schumpeter, J.A., 1950、中山伊知郎、東畑精一訳、「資本主義・社会主義・民主主義」東洋経済新報社、1995.
文献6:Drucker, P.F., 1985、上田惇生訳、「(新訳)イノベーションと企業家精神」、ダイヤモンド社、1997.
文献7:Drucker, P.F., 1954、上田惇生訳、「(新訳)現代の経営」、ダイヤモンド社、1996.
文献8:伊丹敬之、「先生、イノベーションって何ですか?」、PHP研究所、2015.
文献9:入山章栄、「世界標準の経営理論 第14回『両利き』を目指すことこそ、イノベーションの本質である」、Diamond Harvard Business Review, Nov. 2015, p.124.
文献10:玉田俊平太、「日本のイノベーションのジレンマ 破壊的イノベーターになるための7つのステップ」、翔泳社、2015.
文献11:Stuart Crainer, Des Dearlove, 2014、スチュアート・クレイナー、デス・ディアラブ著、関美和訳、「Thinkers50 イノベーション 創造的破壊と競争によって新たな価値を生む営み 最高の知性に学ぶ実践的イノベーション論」、プレジデント社、2014.
文献12:Scott D. Anthony, 2014、スコット・D・アンソニー著、川又政治訳、津嶋辰郎、津田真吾、山田竜也監修、「ザ・ファーストマイル」、翔泳社、2014.
文献13:三品和広+三品ゼミ著、「リ・インベンション 概念のブレークスルーをどう生み出すか」、東洋経済新報社、2013.
文献14:後藤晃、「イノベーションと日本経済」、岩波書店、2000.
文献15:Carlson, Curtis R., Wilmot, William W., 2006、カーティス・M・カールソン、ウィリアム・W・ウィルモット著、電通イノベーションプロジェクト訳、「イノベーション5つの原則 世界最高峰の研究機関SRIが生みだした実践理論」、ダイヤモンド社、2012.
文献16:Tom Kelley, David Kelley, 2013、トム・ケリー、デイヴィッド・ケリー著、千葉敏生訳、「クリエイティブマインドセット 創造力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法」、日経BP社、2014.
文献17:Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.
文献18:Collins, J., 2001、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」、日経BP社、2001.
文献19:Collins, J., Hansen, M. T., 2011、牧野洋訳、「ビジョナリーカンパニー4 自分の意志で偉大になる」、日経BP社、2012.
文献20:Scott Berkun2007、村上雅章訳、「イノベーションの神話」、オライリー・ジャパン、2007.
文献21:Abbie Griffin, Raymond L. Price, Bruce Vojak, 2012、アビー・グリフィン、レイモンド・L・プライス、ブルース・A・ボジャック著、市川文子、田村大監訳、東方雅美訳、「シリアル・イノベーター 『非シリコンバレー型』イノベーションの流儀」、プレジデント社、2014.
文献22:Scott D. Anthony、スコット・D・アンソニー著、編集部訳、「スタートアップ4.0 再び大企業の時代へ」、Diamond Harvard Business Review, Aug. 2013, p.62.
文献23:池田信夫、「イノベーションとは何か」、東洋経済新報社、2011.


よりよい意思決定プロセス(「決定力!」チップ&ダン・ハース著より)

人間の意思決定の危うさについては、今までにもたびたびとりあげてきました(例えば、「ファスト&スロー」「意思決定理論入門」「まさか!?」など)。しかし、よりよい意思決定のための具体的手法はあまり提案されていないように思います。人間の意思決定はさまざまな要因で歪められるのだから注意しましょう、というのが関の山で、カーネマンに至っては、「私たちは、自分自身の判断や意思決定をどうしたら向上させられるだろうか。・・・一言で言えば、よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めない。」とまで言っています(カーネマンは、自分よりも他人の方がエラーに気づきやすいので、組織的な協力が重要と言っていますが)。

しかし、すべてのエラーを完全に防止することは無理としても、ある程度限られた局面であれば意思決定の質を向上させることは可能なのではないでしょうか。今回取り上げる「決定力! 正解を導く4つのプロセス」(チップ・ハース、ダン・ハース著)[文献1]では、人生や仕事の意思決定における致命的な罠を回避して、よりよい意思決定ができるようになるための具体的な方法が提示されていますので、以下にそのポイントをまとめたいと思います。

第1章 意思決定の四つの罠
1、第一の罠――視野の狭窄:「視野の狭窄とは、選択肢を狭めすぎ、意思決定を白か黒かで見てしまう傾向のことだ[p.20]」
2、第二の罠――確証バイアス:「私たちは生活の中で、ある状況について直感的に信念を抱いたあと、その信念を裏づける情報を探すという習慣がある。・・・周囲の世界から情報を集めるとき、もともとある考え方、信念、行動を裏づける情報ばかりを選びやすい。・・・仕事でも人生でも、真実を求めているふりをして、本当は確証を求めていることが多い。・・・私たちは、何かが真実であってほしいと思うと、それを裏づける状況にスポットライトを当てる。そして、スポットライトの当たった状況から結論を導き出し、合理的な判断を下したつもりになるのだ。[p.21-23]」
3、第三の罠――一時的な感情:「やがて色あせる感情に惑わされること[p.47]」
4、第四の罠――自信過剰:「私たちは自分が実際以上に未来予想に長けていると思っている。[p.29]」
WRAPプロセス:「バイアス(偏見)をなくすことはできない。だが、・・・正しい習慣さえ身につければバイアスを弱めることはできる。四つの罠の性質を見れば、その罠を打ち破る戦略が見えてくる。[p.37-38]」
1、選択に直面する。でも「視野の狭窄」によって選択肢を見逃してしまう。→選択肢を広げる(Widen Your Options
2、選択肢を分析する。でも「確証バイアス」によって都合の良い情報ばかり集めてしまう。→仮説の現実性を確かめる(Reality-Test Your Assumptions
3、選択する。でも「一時的な感情」によって間違った選択をしがちになる。→決断の前に距離を置く(Attain Distance Before Deciding
4、選択の結果を受け入れる。でも未来の出来事について「自信過剰」に陥りやすい。→誤りに備える(Prepare To Be Wrong
・「この本で扱うのは、決断まで5分以上かかるようなタイプの意思決定だ。・・・決断まで数秒しかかからないような意思決定には、この本は役立たないだろう。・・・直感的な判断は驚くほどすばやく正確なこともある。しかし・・・、直感が正確なのは、十分な訓練を受けた分野だけだ。直感を鍛えるには、何度も選択を繰り返し、自分の選択について即時にフィードバックが得られるような、予測可能な環境が必要だ。[p.40]」

選択肢を広げる
第2章、視野の狭窄を避ける

・元オハイオ州立大学のポール・ナットによる企業、非営利組織、政府機関の意思決定の調査(1993年)では、「ふたつ以上の選択肢を考慮していたのは29パーセントにすぎなかった。(ここでは、『~べきか否か』形式の意思決定は、選択肢がひとつだと数えている。ひとつの選択肢に対して、賛成か反対のどちらかだからだ。)・・・ナットによれば、『~べきか否か』形式の意思決定の52パーセントは、長期的に見て失敗している。一方、選択肢がふたつ以上ある意思決定は32パーセントしか失敗していない。[p.57-58]」
・「最初のステップは、『~べきか否か』形式の意思決定を疑うようにすることだ。・・・たいていは思っていたよりも選択肢がたくさんある[p.58-59]」。
・「視野の狭窄から抜け出すには? 機会費用を考える[p.75]」「『機会費用』とは、ある意思決定をした際に断念しなければならないものを指す経済学の用語だ。[p.64]」「意思決定のたびに、『この選択をしたら何をあきらめなければいけないか?』『同じ時間とお金で何ができるか?』と自問したら、どれだけのメリットがあるだろう?[p.69-70]」
・「もうひとつ、視野の狭窄を抜け出すためのテクニックがある。それは『選択肢の消去テスト』だ。・・・今考えている選択肢がどれも選べないとする。ほかに何ができるか?[p.70]」「ある選択肢が選べないと想像すると、心のスポットライトを別の(まったく別の)場所に向けざるをえなくなる。・・・対照的に、『別の選択肢を考えてみて』と言われると、スポットライトをほんの数センチだけ渋々動かし、今までとほんの少ししか変わらない選択肢しか見つけ出せない人が多い。[p.73]」

第3章、マルチトラックする
・「いくつかの選択肢を同時に考慮する・・・方法を本書では『マルチトラッキング(複線化)』と呼ぶ。[p.78]」「アイデアを順繰りに検討するのは、たとえその間にいくつも選択肢を検討したとしても、並行して検討するほど効果的ではない・・・。マルチトラッキングすることで、現状に対する理解が深まる。選択肢のいいとこ取りをし、自我を抑えることができる。[p.98]」
・「たくさんの選択肢を考慮するときの気がかりは意思決定の麻痺だが、選択肢をひとつかふたつ増やすだけでも、効果は絶大だ。・・・あるドイツの企業は、ふたつ以上の選択肢を検討しただけで、意思決定の『成功』が6倍に増えた。[p.100-101]」「マルチトラッキングのメリットを得るには、有意に異なる選択肢を生み出さなければならない。『偽の選択肢』にも注意が必要だ。偽の選択肢とは、“まとも”な選択肢を良く見せるためだけにある選択肢だ。・・・意見が分かれたなら、どれもまともな選択肢だという大きな証拠だ。[p.88-90]」
・「心理学者たちは、新しい機会に対する意欲や重要性に影響を及ぼす、ふたつの対照的なマインドセットを明らかにしている。悪い結果を避けようとする『予防焦点』と、良い結果を追求しようとする『促進焦点』だ。[p.91-92]」「予防焦点の企業は、コスト・カットを重視するあまりに、“強迫観念”に陥る傾向があった。こうなると、『悲観主義が社内に広がり、集権化、厳しい管理、継続的なコスト削減の要求によって、一種の無力感が生まれる。個人にとっても組織にとっても、生き残ることだけが目的になる』・・・。一方、促進焦点の企業は、おおむね能天気で反応が遅かった。研究者によれば、そういう企業は『楽観主義の社風を築き、ずっと危機の重大性を否定しつづける』のだとう。いちばん成功したのは、促進焦点と予防焦点のいいとこ取りをし、マルチトラッキングのような行動を取った企業だった。[p.93]」
・「『ORではなくAND』[p.94]」「『AND』で考えることができれば、つまり損失を最小限に抑え、かつチャンスを最大化する選択肢を探す気になれば、どんな選択肢も見逃さずにすむようになるだろう。[p.98]」

第4章、自分と同じ問題を解決した人を見つける
・「新しい選択肢を生み出すいちばん基本的な方法は、自分と同じ問題を解決した人を見つけるというものだ。[p.104]」
・外部に選択肢を探すこと(競合分析、ベンチマーキング、ベスト・プラクティス)も役に立つが「変革力があることはめったにない。名案はだいたいすぐにまねされ・・・競争上の優位性はなくなる[p.104]」。「ある組織にとって有効な方法が、別の組織にとっても有効とは限らない。・・・だから、新しい選択肢を探すときには、自分の組織の内部で探すことを忘れてはいけない[p.104]」(自分の組織内の「ブライト・スポット」(お手本となる成功例[p.108])
・「科学的思考の確かな・・・柱のひとつは、『類推』[p.119]」
・「能動的に行動するには、自分の成功事例を意思決定の『プレイリスト』として記録する。チェックリストはミスを予防するのに役立つが、プレイリストは新しいアイデアを刺激する。[p.130-131]」
・「行き詰ったら、『はしごをのぼる』プロセスを使うことでひらめきを得られる。[p.121]」

仮説の現実性を確かめる
「視野の狭窄とは違って、確証バイアスは克服しづらい[p.129]」
第5章、逆を考える
・「反対意見によって・・・自信過剰を和らげることができる。確証バイアスを和らげるのにも、同じような反対意見が必要だ。[p.164]」
・「選択肢が正解であるためにはどのような条件が必要か[p.143]」を考える。
・「信頼できる情報を集めるには、反証的な質問をするといい。・・・力関係がある状況では、核心を突く質問はかえって裏目にでることがある。[p.164-165]」
・「あえて失敗してみる」ことで仮説を検証することもできる。[p.155,165
・確証バイアスと戦うための3つのアプローチ:「①反対意見が言いやすい状況を作る。②否定的な情報が判明しやすい質問をする。③逆を考えて自制を効かせる。[p.162]」

第6章、ズームアウトとズームイン
・「ズームアウトとは、外部の視点に立ち、自分と似た選択をした人々の経験から教訓を学び取ることだ。ズームインとは、状況にクローズアップし、意思決定の参考になる“色合い”をとらえることだ。[p.190]」「クローズアップのもうひとつの形が、『ゲンバ(現場)』に行くというものだ。・・・工場の作業場で問題が起きたら、エンジニアは自分の目で問題を確認し、状況を評価し、関係者に直接話を聞くべきだ。・・・つまり、エンジニアたちは、工場の問題を診断するには問題にクローズアップするのが効果的だと考えている。[p.185-186]」
・「専門家は予測が不得意だ。でも、基準率を評価するのは得意だ。[p.173]」

第7章、ウーチングするOoch
・「ウーチングとは、小さな実験を行なって自分の仮説を検証することだ。[p.194]」「ウーチングすれば、意思決定に実体験を盛りこめるのだ。[p.196]」
・「ウーチングは仮説の現実性を確かめるのに打ってつけな場合もあるが、ひとつだけ大きな欠点がある。全力投球の必要な状況では使えないのだ。・・・一言でいえば、ウーチングは信頼できる情報をすばやく集める手段として使うべきだ。全力投球の必要な意思決定を先延ばしにするために使ってはいけない。[p.210-211]」
・確証バイアスを避けるには「自分の仮説の現実性を確かめる必要がある。本書ではそのための3つの戦略を紹介してきた。①情報収集を念入りに行ない、反証的な質問をし、逆を考えること。②正しい種類の情報を探すこと。具体的にはズームアウトして他者の経験からはじき出された基準率を明らかにし、ズームインして現実のより繊細なイメージをつかむこと。③現実性を確かめる究極の方法、ウーチングを行なうこと。全力投球の前に選択肢を試してみるべきだ。[p.217]」

決断の前に距離を置く
第8章、一時的な感情を乗り越える

・「厳しい葛藤に直面すると、簡単に大局観を見失ってしまう。状況の細かな点ばかりに気を取られ、延々と悩み、毎日のように心変わりしつづける。こういう心の葛藤を解消するうえで最大の敵は、おそらく一時的な感情だろう。・・・一般的には、必要なのは心の距離だ。[p.227]」
・「その決断について今から10分後にどう感じるだろう?10ヵ月後は?10年後は?この3つの時間枠で考えることで、イヤでも自分の意思決定と一定の距離を置くことができる。[p.228]」「10-10-10は、一時的な感情を唯一の選択肢にしないようにするためのもの[p.231-232]」。
・「私たちの意思決定は次のふたつの繊細な感情によって歪められることが多い。①単純接触効果:私たちは馴染みのあるものを好む。②損失回避:利益の喜びよりも損失の痛みの方が大きい。[p.247-248]」「単純接触効果と損失回避のふたつの要因が絡み合うと、現状維持を好む強烈なバイアスが生まれる[p.236]」
・「傍観者の視点から状況を見つめることで、距離を置くことができる。[p.248]」
・「私たちは他人にアドバイスするときの方が、最重要な要因に注目しやすいのだ。[p.242]」「意思決定の行き詰まりを解消するには、こう自問するのがいちばん効果的かもしれない。親友が同じ状況にいるとしたら、何とアドバイスするか?[p.245]」

第9章、核となる優先事項を貫く
・「悩ましい意思決定は、『核となる優先事項』同士が対立しているサインであることが多い。『核』という言葉を使っているのは、・・・長期的な感情という意味を表すためだ。[p.255]」
・「優先事項を見つけて明文化すれば、今までよりもラクに一貫した意思決定を下せる[p.264]」
・「核となる優先事項にかける時間を捻出するには、優先順位の低い物事をやめなければならない。[p.272]」

誤りに備える
第10章、未来を“幅で考える

・「未来は点ではなく”幅“だ。たったひとつのシナリオを予測するのは不可能。未来を”幅“でとらえ、最悪の結果から最高の結果まで、結果を範囲で考えるべきだ。[p.305]」
・投資家の「ペンストックは自分の手法を『ブックエンディング』と呼んでいる。ブックエンディングでは、会社にとって事態が悪く進む悲劇的なシナリオ(左側のブックエンド)と、次々と幸運が舞い降りるバラ色のシナリオ(右側のブックエンド)のふたつを想定する。[p.276]」
・「左側のブックエンドに備えるには、事前検屍が必要。『今から1年後、私たちの意思決定が大失敗したとする。その理由は?』」「右側のブックエンドに備えるには、前祝いが必要。『今から1年後、私たちが大成功したとする。成功への備えは万全か?』[p.305]」「未来の一点から過去を振り返る『先見的後知恵』・・・を用いると、現在と未来の出来事の間の空白を埋めざるをえなくなるので、発想が浮かびやすくなるようだ。[p.285]」
・「問題を予期すると対処しやすくなる。・・・事前に仕事の内容をありのままに打ち明け、失望に対する”予防接種“を受けさせる。[p.306]」

第11章、アラームをセットする
・「私たちは生活の中で、過去の意思決定を疑わないまま、無意識のうちに自動操縦に身を任せている。[p.333]」「アラームの目的は、私たちを無意識の日課から叩き起こし、選択の存在に気づかせることだ。[p.312]」「一言でいうと、アラームをセットしておけば、自信過剰の代償を最小限に抑えながら、行動に確実に専念できるのだ。たとえそれがリスクのある行動であっても。[p.325]」
・「期限は私たちの心のスポットライトを決断へと向ける。[p.320]」「小分けにすることで、・・・自分の行動を意図的に選ぶことになる。[p.322]」「私たちは間違った意思決定にのめりこむ傾向がある。小分けはその抑制に効果的。[p.334]」

第12章、プロセスを信じる
・「組織で働く人々にとって、厄介な意思決定といえば、集団の意思決定だろう。・・・意思決定をすれば、アイデアを採用してもらえなかった人に、ちょっとした”二次的影響“が及ぶことがほとんどだ。たとえば、怒り、心の傷、新しい方向性に対する不信感などだ。そうならないよう、意思決定を公正だと認めてもらうにはどうしたらよいか?。WRAPプロセスを日常的に使えば、公平感を生み出すことができるだろう。意思決定の方法を理解してもらえるし、意思決定が一貫した方法で行なわれているという安心感を持ってもらえる。・・・公正な意思決定を下すいちばん単純明快な(とはいえ難しい)方法は、なるべく多くの人を意思決定に巻き込み、全員に納得してもらうことだ。[p.336-337]」
・「だが、コンセンサスを築くのには時間がかかる。・・・交渉で意思決定が遅くなるのは事実だ。[p.339]」「ナットによれば、交渉によって常に意思決定の成功率が上がった。・・・交渉の段階では時間がかかるが、実行の段階はスムーズに進む。[p.355]」
・「手続き的公正は、意思決定に対する人々の感じ方を説明するうえで重要だということがわかっている。重要なのは単なる結果ではなくプロセスなのだ。手続き的公正の条件はシンプルだ。人々に主張を聞いてもらう機会を与える。人々の発言に(心から)耳を傾ける。正確な情報をもとに意思決定を下し、情報が不正確な場合は反論の機会を与える。どんな状況でも一貫した原理を適用する。バイアスや自己利益を排除する。意思決定の理由を説明し、関連するリスクや懸念事項を率直に示す。[p.341]」「マネジャーの自己批判は、不安よりも安心を生む。現実に沿って意思決定を下しているというシグナルになるからだ。[p.344]」
・「本書では・・・意思決定のプロセスを改善する方法を紹介してきた。・・・プロセスが与えてくれるのは・・・自信だ。といっても、不確実性を無視し、偏った情報ばかり集めて得られる生意気な過信ではなく、自分にできる最善の意思決定を下したと心から思えたときに湧いてくる本当の自信だ。意思決定にプロセスを用いたからといって、必ずしも選択が易しくなるわけでも、毎回成功するわけでもない。でも、心の落ち着きを得ることはできる。・・・これも同じくらい重要な点だが、プロセスを信じることで、リスクを冒す自信も付く。・・・プロセスは決して万能薬でも束縛でもなく、大胆に行動するための安心を与えてくれるものなのだ。・・・正しいプロセスがあれば、正しい選択へと突き進むことができる。[p.352-354]」
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著者の主張の特徴は、人間が持つ数多くのバイアスのうち、意思決定において特に注意が必要なものを特定して、その克服のための指針を提案しているところでしょう。そしてさらに興味深いのは、著者の着眼点と問題克服のプロセスが、研究開発の進め方においてもほぼそのまま役立つのではないかと思われる点です。研究開発でも、独創性へのこだわりや自信過剰で視野が狭くなってしまうことがあります。あらかじめ仮説を立ててそれを検証することも多いので、確証バイアスにも注意が必要です。また、専門家としてのプライドや誇りの感情が判断ミスを誘うこともあります。さらに、研究対象が持つ不確実性のゆえに失敗は日常茶飯事です。もちろん、研究者はウーチングや調査には慣れているはずですが、それが正しく行なわれていないこともしばしばあるように思います。研究開発においては、競争相手より早く結果を出さなければならないという圧力が意思決定のミスを拡大してしまう状況もあるでしょう。

そう考えると、本書のWRAPプロセスは、単なる意思決定にとどまらず、不確実性のあるプロジェクトのすべてにおいて役立つ手法といってもよいのではないでしょうか。扱う題材の不確実性が高まっている現在、人間の判断も確実なものではないことがわかってきています。今まで以上に不確実性をどううまくマネジメントするかが問われているのだと思います。


文献1Chip Heath, Dan Heath, 2013、チップ・ハース、ダン・ハース著、千葉敏生訳、「決定力! 正解を導く4つのプロセス」、早川書房、2013.
原著表題:”Decisive: How to Make Better Choice in Life and Work”

参考リンク


全員経営とイノベーション(野中郁次郎、勝見明著「全員経営」より)

どうしたらよい経営ができるのか、経営に役立つイノベーションがうまく起こせるのか。答えはそう簡単に得られるものではないでしょうが、知識創造理論で名高い野中郁次郎氏は最近「全員経営」という考え方を提唱されているようです。そこで、今回は野中郁次郎氏、勝見明氏による「全員経営 自律分散イノベーション企業 成功の本質」[文献1]に基づいて、その考え方を見てみたいと思います。

著者は「まえがき」で、全員経営の背景を次のように述べています。「世界的にも全員経営が求められ、注目されるようになってきた背景にあるのは環境の大きな変動、そして、知識こそが唯一の意義ある経営資源となる知識社会の到来です。市場の変化が加速し、複雑化し、不確実性や不透明性が増すなかで、今、企業は戦い方の大きな転換を迫られています。すなわち、戦力の大きさで競合相手を圧倒する消耗戦から、一人ひとりが『知的機動力』を発揮する機動戦への転換です。それはまさに、全員経営のあり方そのものです。しかしながら、企業の多くは依然、ピラミッド型のヒエラルキー(序列)で構成される官僚制階層組織の構造をとっています。これは、上からの指示命令をブレイクダウンして分業化し、効率的に遂行するのには適していますが、そのままでは機動戦には不向きです[p.7]」。では、どうすべきなのか。本書では、全員経営を行って成功した企業の事例とそこから導かれる洞察がまとめられていますので、以下、本書の構成に従って重要と思われる点をまとめておきたいと思います。

第1章、日本企業が取り戻すべきは衆知を集めた「全員経営」である
「第1章では、全員経営を実現していくとき、社員やメンバー一人ひとりに求められる能力について考えます。[p.8]」
・「『経営の神様』と称された松下幸之助氏は、多くの名言を残しています。そのなかで、今の時代に私たちがもう一度目を向けるべきは、『衆知経営』という言葉です。・・・企業が成長を続けるには、絶えずイノベーションを起こしていくことが必要です。20世紀を代表する経済学者シュンペーターは、資本主義の本質はイノベーションによる不断の発展過程であるととらえ、その担い手こそ既存の構造の破壊と新たなシステムの創造(創造的破壊)を遂行する『起業者(アントレプレナー)』であると位置づけました。シュンペーターは、イノベーションの遂行は困難な仕事であるため、『一人あるいは数人のものが成果をあげて先駆すれば、多くの困難は除去される』として、ごく少数の人間だけがリーダーシップを持って成功に至るという展開を想定しました。ただ、私たちが再認識すべきなのは、日本経済および企業経営においては、過去、シュンペーターの想定とは様相を異にする日本特有の展開を見せてきたことです。それを端的に表現したのが、幸之助氏が唱えた衆知を集めた全員経営の考えでした。[p.18-19]」
・「日本企業がもう一度、強い競争力を発揮するために、今、私たちが取り戻すべきは、すぐれた実践的知恵、すなわち『実践知』を社員一人ひとりに組み込む全員経営のあり方にほかなりません。[p.25]」「現場で個別具体のミクロの現実に直面したとき、その都度、背後にある文脈や関係性を読み、マクロの大局と結びつけ、適時に最善の判断を俊敏に行う。これが典型的な実践知です。即興の判断力を身につけるには、どうすればいいのか。その出発点として、『何がよいことなのか』という共通善(コモングッド)の価値基準を持たなければなりません。[p.26]」
・「イノベーションは『さあ、これからやろう』と思い立って起こせるものではありません。ましてや、論理分析的にイノベーションの方法が導かれることはありません。論理分析からは非連続な発想は生まれないからです。では、イノベーションはいかにして生まれるのか。日々の仕事という凡事の連続が蓄積していくなかで、あるとき、非連続が生まれ、凡事が非凡事化する。それがイノベーションにほかなりません。[p.31]」
・「プロデューサー的なミドルがネットワークのハブ的な役割を担い、そこにかかわる人々の知と知を結びつけていくことが、衆知を集めた全員経営の実現には何より必要です。・・・企業や組織の内外において、ミドルマネジャーやミドルリーダーがタテとヨコの知の流れが交差する中心点に立ち、トップとフロントを巻き込み、知識創造プロセスを促進する。これは『ミドルアップダウン』ともいうべきマネジメントのあり方です。[p.33-34]」
・「実践知にすぐれた人材には、次のような共通する特性があることがわかります。1)『何がよいことなのか』という判断基準を持ち、『よい目的』をつくる能力を持つ、2)ありのままの現実のなかで本質を直観する能力を持つ、3)『場』をタイムリーにつくる能力を持つ、4)直観した本質を概念化し、物語として伝える能力を持つ、5)あらゆる手段を駆使し概念を実現する政治力を持つ、6)実践知を埋め込み組織化する能力を持つ。この6つの能力を合わせると、野中らが『賢慮(フロネシス)』と呼ぶリーダーシップのあり方が浮かび上がります。[p.37-38]」
・「全員経営を実践してイノベーションを実現したり、事業を成功に導いた企業や組織・・・には、次のようないくつかの共通する特徴があります。
1)一人ひとりが実践知を発揮し、知識創造の『SECI(セキ)モデル』のサイクルを回す・・・人間が行う最も知的な営みである知識創造は、暗黙知と形式知が互いに作用し合い、相互変換し、それがスパイラルに循環していくなかで行われます。この知の循環運動が組織やチームで起きる場合、知識創造理論では次のような4つのモードをたどると考えます。(1)まず、個人はまわりの世界との相互作用のなかで暗黙知を組織的に共創する。これを『共同化』(Socialization)と呼ぶ。(2)次に、暗黙知を形式知に変換する『表出化』(Externalizaion)。(3)続いて、形式知を組織内外の他の形式知と組み合わせ、一つの体系としての新たな形式知をつくり出す『連結化』(Combination)。(4)こうして体系化された形式知は行動や実践を通して、新たな暗黙知としてメンバー全員に吸収され、体化されていく。つまり、形式知からまた暗黙知へと変換される。『内面化(Internalizaion)』と呼ばれる。この知識変換の4つのモードを、・・・それぞれの頭文字をとって『SECI(セキ)モデル』と呼びます。[p.41-43
2)全体と部分が相似形の『フラクタル組織』が生まれる・・・トップからフロントまで、一人ひとりが『経営者の意識』を持ち、実践知を発揮すると、どのレイヤー、どのレベルにおいても、自己完結的な判断能力と実行力が発揮されるようになる。その結果、全体と部分が相似形をなすようになり、『フラクタル組織』が生まれる。[p.45-46
3)組織が『自己組織化』し、創造性と効率性を両立させる・・・組織やチームのメンバーが全体の目的や目標を達成するよう、自分の役割と価値を理解し、自らを動機づけながら、自律的に動く。その結果、メンバーの力の総和より、高度な知が創発されるような組織のあり方、それが自己組織化です。[p.46-47
4)変化への即応性が高い『知的機動力』を発揮する・・・機動戦では、指揮系統は中央より現場の状況判断と行動が優先されます。[p.47
5)有事に強い『ハイパーテキスト型組織』がつくられる・・・縦割りの階層型組織とタスクフォースの間をつなぐもう一つの仕組み・・・そのような形態を『ハイパーテキスト型組織』と呼びます。[p.48-49
6)組織が『共同体=コミュニティ』化し、社員の自己実現が可能になる・・・全員経営や衆知経営を追求すれば、志を同じくするコミュニティ型経営に行き着く。[p.49]」

第2章、JAL再生には「全員経営」のすべての要素が凝縮されている
・「なぜ、JALV字回復を達成できたのでしょうか。・・・V字回復を実現できたのは、更生計画のうえに、稲盛氏がフィロソフィとアメーバ経営の2本柱を導入したことにより、社員一人ひとりが実践知を発揮し、全員経営を行うという『実践知を持つ組織体』へとJALが変身したことが大きいと思われるのです。[p.77-78

第3章、企業の全体と部分が相似形になる「フラクタル組織」をつくり出せ
ヤマト運輸・まごころ宅急便、セブン&アイ・ホールディングス「セブンプレミアム」事例に学ぶ
・「基本理念の共有と徹底した権限委譲が全員経営を可能にする。[p.104]」
・「ソーシャルビジネスには『エコシステムの世界』でプラットフォームの構築が必要[p.105]」
・「顧客との境界にいる『マージナルマン』が物語を紡ぐ『物語的戦略』が大切[p.107]」
・「全員経営を実践する強い企業は、社員のなかで知識創造の『型』が共有されている・・・。型とは、単なるルーティン(決まり切った仕事や手順)やハウツウではなく、新しい価値や意味を生み出すため、社員が身につけ、組織に根づいた知の作法のことで、『クリエイティブ・ルーティン』とも呼びます。・・・セブン-イレブンの場合、『仮説・検証』がそれに相当します。[p.135]」

第4章、共感できる目標を立てメンバーが自律的に動く「自己組織」を生む
小惑星探査機・はやぶさ、「釜石の奇跡」・津波防災教育の事例に学ぶ
・「自律的なメンバーが多数集まることにより、相互作用を媒介にして、混沌のなかからそれぞれの総和より質的に異なる高度で複雑な秩序やシステムが創発される。それが自己組織化です。自己組織においては、メンバーが他からの制御なしに、挑戦的な取り組みを通して、自らが潜在的に持つ可能性を最大限に伸ばしていこうとする自己実現の意思を持ちます。そこにかかわる人間の誰もが傍観者ではいられなくなり、他人事ではなく、自分事として当事者意識を持たざるをえなくなります。[p.141]」
・「自己組織化したチームが大きな成果を出せる最も大きい要因は、主体的なコミットメントがメンバー各自の高質な経験に基づく深い暗黙知を触発することです。その暗黙知はしばしば、形式(さまざまなデータなど)に基づく論理的で合理的な判断を超えた直観を生み出します。[p.153]」
・「自己組織化には全員が共感できる挑戦的な目標設定が必要・・・自分たちのプロジェクトについて物語を描き、そこから目標を設定してメンバーたちと物語を共有し、場をつくり出す。そして、それを達成していく過程でも、その都度、意味を生成し、物語を紡いでいく。リーダーがチームを自己組織化していくには、演繹的で客観的な論理分析力以上に、機能的で主観的で実践的な物語生成力が重要であることを川口氏は示しています。また、川口氏は・・・チーム内から閉鎖性や硬直性を排除し、開放性や柔軟性を高めてメンバーの自律性を鼓舞するマネジメントを行っています。[p.157]」
・「客観的で論理的なサイエンスは、『こういう状況においてはこう行動するように』とルール化を求めます。しかし、災害発生時という不確実性の高いカオス状態のなかで時々刻々変化する状況に応じて、何が最善かを即興でジャッジメントするのは主観的で直観的なアートの世界・・・。[p.171]」「メンバー一人ひとりの実践知を育み、組織を自己組織化していくためのマネジメントにはサイエンスの面だけでなく、アートの面が重要である。[p.174]」

第5章、自律分散リーダーを育て「知的機動力経営」を実現する
テラモーターズ・電動バイク日本一、良品計画・MUJIGRAMの事例に学ぶ
・「企業が機動戦を展開するには、『人事の機動力』が大きなカギを握ります。[p.181]」
・「第一線で機動戦を担う自律分散リーダー人材はどうすれば育成できるのでしょうか。重要なのは質の高い経験です。人材は実践を通じてしか育成できず、実践に勝る研修はないからです。自己の能力を最大限発揮せざるを得ない状況を与え、高質の経験知を積ませる。要は極限状態の修羅場を体験させることです。・・・もう一つ注目すべきは・・・新しい形の徒弟制です。徒弟的な関係のなかで、身体性を共有すると、主観が共有され、知が一人ひとりに継承されていきます。[p.198-199]」
・「『人事の機動力』は知識創造の『型』が埋め込まれて初めて可能になる[p.216]」。無印良品では、実践知を組織に埋め込むため、業務マニュアルMUJIGRAM、業務基準書が作られた。「MUJIGRAMや業務基準書の仕組みにおいては、店舗スタッフや社員一人ひとりが深くコミットメントしながら、日々の状況と共振しながらマニュアルを変化させていきます。その起点となるのは、・・・主観的な目的意識(暗黙知)がもたらす気づきです。気づきは現場で現実をありのままに直観するなかで得られ、周りと対話しながら磨かれます。[p.217]」

第6章、会社の中に「企業内特区」をつくり思う存分仕事をさせる
ダイハツ・ミラ イースの事例に学ぶ
・「先の見えない不確実性の時代には、タスクフォースをいかに活用できるかが問われます。ビジネスシステムの官僚制階層組織とプロジェクトチームのタスクフォース、2つの組織構造をつなぐ形態として、一般的にはマトリックス組織が多用されます。・・・ただ、マトリックス組織はメンバーの本籍が出身部署に置かれたままなので、ややもすると、メンバーがラインの利益代表になり、横のプロジェクトとの間で葛藤が生まれがちです。結果、利害の調整が行われるだけで、組織間の相互補完や知識の相互変換が起きにくいという問題があります。この問題を克服するのが、われわれが『ハイパーテキスト型組織』と呼ぶ組織構造です。・・・知識創造の視点から見たハイパーテキスト型組織は3つの層からなります。いちばん上がプロジェクトチーム・レイヤー、いちばん下がビジネスシステム・レイヤー、そして、まん中が2つのレイヤー間の知識の相互変換や相乗作用を支援する知識ベース・レイヤーです。[p.236-237]」

第7章、実践知を育成し組織に埋め込む 「型破り」な5社の共通性
伊那食品工業、メガネ21、未来工業、三鷹光器、植松電機の事例に学ぶ
・「ここに紹介した5つの企業はいずれも、型破りで常識をくつがえす組織運営を行っています。・・・型破りで常識破りの5つのケースにこそ、実践知を育成し組織に埋め込むためのポイントが示されているはずです。共通する要素を抽出してみましょう。[p.281]」
・「実践知を育成し、組織に埋め込み、圧倒的な競争力や高収益を実現している5つの企業はいずれも、ルールや規則で統制するより、誰もが“腑に落ちる”共通感覚としての常識を行動指針とし、自分で考え、学ぶという主体的な経験により高質な暗黙知を身につけ、失敗を許容される組織風土でリスクをとって挑戦し、日常的な凡事の積み重ねのなかで非凡を生み出します。そこには、全体と個人が相似形を形成する究極のフラクタル構造があり、社員一人ひとりが自己組織化し、知的機動力を発揮する。経営側も、自社の利益追求以上に、社員の自己実現欲求を重視し、結果として利益を得る。こうした企業をひと言で表現すれば、『いい会社』ということになるのでしょう。[p.291-292]」
・全員経営についての理論的総括:「知識は、企業の部門や組織の境界を超え、世界との開かれた関係性のなかでつくられます。そのためには知の境界を超える場を構築し、関係性をダイナミックに生成し、変容させていくことが求められます。・・・多様性のみが多様性に対応できる。複雑で多様な環境に対応するには、組織内部にも最少で有効な多様性が必要です。最少有効多様性を持つ組織は、誰もが最少のステップを通じて最速のスピードで最大限の知を共有できる。・・・そこでは、個人と個人、個人と組織の間で暗黙知と形式知の相互変換が絶えず行われ、SECIモデルがスパイラルに循環する。その暗黙知の源泉は、人間存在として、いかによりよく生きるかという主体的な『生き方』の信念や意図に根ざします。・・・そのため、誰もが傍観者ではなく、主体的にコミットメントせざるを得ない場が生まれ、創造的で効率的な知の循環が起こり、成功確率も高まる。ここに創造性と効率性を備えた組織が生まれます。つまり、共通善を目指す多様性のある組織こそが組織的知識創造を行い、社会的価値を提供できる。だからこそ、全員経営のあり方が最も根源的で究極的な姿になるのです。[p.294-295]」
・「いちばん大事なのは、なによりも、まずはやってみることです。・・・『試す人になろう』――日本企業の再創造に向けた集合的実践知経営は、一人ひとりがこの言葉を胸に刻むことから始まるのでしょう。[p.296]」
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組織の上から下まで基本的な考え方が統一され、しかし、実践の場面における行動は定型的に決められたものではなく、それぞれの立場でそれぞれの人が自分で考えて多様な能力を発揮し、よりよい方向に世界を変えていく。非常に大雑把に言うと、全員経営とはこういうものなのではないかと感じました。本書の事例と考察は必ずしも技術に関わるイノベーションばかりではありませんが、新しいことを成し遂げるという意味では、技術者にとっても非常に示唆に富んだ内容だと思います。

ただ、多くの示唆に富んだ指摘や考え方が述べられていることもあり、焦点が絞りにくい印象も持ちました。多くの概念のどれがより本質的なのか。本書の考え方を実践しようとすれば、何から手をつければよいのか。個人的には、誰もが腑に落ちる挑戦しがいのある共通の行動指針を作り、組織のすべての人々の自律的な実践を促し、試してその結果から学び、その知識を組織で活かす文化を作ることが最も重要なのではないか、という気がしていますが、著者はそれを「考える」ことも我々に委ねているのではないか、という気がします。従来型の階層的、官僚的組織を変えることは容易なことではないかもしれませんが、それができるかどうかに我々の未来はかかっているのかもしれません。


文献1:野中郁次郎、勝見明著、「全員経営 自律分散イノベーション企業 成功の本質」、日本経済新聞社、2015.



これからの雇用の形?(「ALLIANCE」(ホフマン、カスノーカ、イェ著より)

組織に属する個人の能力を十分に発揮させることは、組織のマネジメントにおける重要な課題のひとつといってよいでしょう。では、どうやれば個人に存分に力を発揮してもらい、組織に貢献してもらうことができるのでしょうか。働く環境や雇用形態はどうあるべきなのでしょうか。

例えば日本でも、従来一般的だった終身雇用形態が崩れつつあることはよく指摘されます。働く個人がひとつの組織にとどまらず職場を変えて活躍する例が増えている一方、企業が終身雇用を維持できなくなり、企業の都合で人員整理が行われることもあります。アメリカほどではないでしょうが、人材の流動性は上がってきているといえるでしょう。今回は、このような雇用形態の変化を背景に、これからの雇用のあり方を提案したホフマン、カスノーカ、イェ著「ALLIANCE」[文献1]に基づいて、雇用のあり方と個人の能力発揮の方法について考えてみたいと思います。

本書の主張のポイントは、表題および副題に示されています。本書監訳者のまえがきによれば、「本書では、仮にたった数年で転職していったとしても、会社と働く人が『終身信頼』関係を築けることが、豊富な実例とともに論じられています。会社と個人の間に、フラットで互恵的な信頼に基づく『パートナーシップ』の関係を築こうよ、というのが本書の主張です。それを本書では『アライアンス』と呼んでいます。[p.3]」とのことですが、この信頼関係は転職した後のことだけにとどまらず、仕事のやり方のすべての面で重要だ、というのが著者の主張のキーポイントだと感じました。以下、本書の構成に沿って、重要と感じた点をまとめたいと思います。

1、ネットワーク時代の新しい雇用  職場に信頼と忠誠を取り戻す「アライアンス」とは
・「今日、真剣に雇用を保証しようなどという企業はほとんど存在しない。・・・企業は社員側に忠誠を求めながら、会社側は何も約束しない・・・。このようなやり方に対し、雇われる側の多くは、賭ける先を分散してリスクヘッジすることで応えてきた。転職のチャンスがあればすぐに飛びつく。・・・このように雇用主も社員も、建前と行動が矛盾している。・・・それぞれの自己欺瞞のせいで、お互いを信頼できない。・・・上司であるマネジャーは、両者の間で板挟みになってしまっている。・・・部下の将来を見据えて、いかに成長させるかを考えるマネジャーなどいない。誰だって入れ込んだ相手から冷たく切り捨てられるリスクは避けたい。だから誰も、長期的な関係をじっくり育もうとしない。雇用主の会社、上司となるマネジャー、雇用される社員。三者とも新たな関係構築の枠組みを必要としている。実際に守れる約束を土台にした関係が築けるように――。その枠組みを示すことこそ、本書の狙いである。[p.20-21]」
・「米国においても一昔前の雇用モデルは、終身雇用であった。それは、当時の安定した時代にうまく合っていた。変化の少なかった時代、企業は成長して規模の経済とプロセス改善から大きなメリットを得ようとした。そして巨大企業はそこで働く人に暗黙の約束をした。『会社のため忠実に働くなら、見返りに終身雇用を提供しよう』――。[p.21]」
・「新しい時代、事業で成功してそれを維持するカギは、適応力と起業家精神だ。・・・比較的安定していた時代に最適だった終身雇用という伝統的な雇用モデルは、現在のネットワーク時代には硬直的すぎる。・・・程度の差こそあれ、この伝統的な雇用モデルは世界中で解体途上にある。こうした競争上の圧力に対応するために、多くの(おそらくはほとんどの)企業は組織の柔軟性を高めようとした結果、雇用関係を契約書に明記された取引関係に矮小化した。社員もその仕事内容も、短期間で取り換え可能なコモディティとして扱うようになった。[p.23]」
・「どれほど企業が安定した時代を懐かしがり、社員が終身雇用を切望しようとも、もう引き返せないところまで世界は変わってしまった。とはいえ、今までのようなやり方をこの先続けていくこともまたできない。というのも、今のビジネス界に対する信頼度は史上最低に近いからだ(ここでいう『信頼度』とは、自分の勤務先の『経営陣と組織に高い信頼を置く』と答えた社員の比率を指す)。忠誠心を得られない企業は、長期的思考ができない企業である。長期的思考ができない企業は、将来に向けた投資のできない企業である。そして、明日のチャンスと技術に投資しない企業は、すでに死に向かっている企業なのだ。[p.25]」
・「本書の目的は、雇用を『取引』ではなく『関係』としてとらえるための枠組みを示すことにある。雇用を『アライアンス』だと考えてみよう。自立したプレーヤー同士が互いにメリットを得ようと、期間を明確に定めて結ぶ提携関係である。マネジャーと社員がお互いを信頼して相手に時間と労力を投入し、結果的に強いビジネスと優れたキャリアを手に入れる。『アライアンス』は、そのために必要な枠組みとなるのだ。アライアンスの関係は、雇用主と社員が『どのような価値を相手にもたらすか』に基づいてつくられる。[p.27]」
・「シリコンバレーが成功した本当の秘訣は何か。・・・それはこの地の企業が社員との間に築く『アライアンス』の手法にある。・・・非常に力のある起業家タイプの人材を獲得してチームを結成し、彼らを上手に使いこなし、会社に留まりたいと彼らが思い続ける手法としてアライアンスを用いているから成功したのだ。[p.32]」

2、コミットメント期間を設定しよう  アライアンスは仕事の内容と期間を定める
・「長期的関係のために定期的に仕事を変える――一見矛盾しているようだが、これが『コミットメント期間』(ツアー・オブ・デューティー)の枠組みの真髄である。[p.43]」「この『コミットメント期間』は特定のミッションに対する会社と社員の道義的責任を具現化したものを意味する。これは、終身雇用と、フリーエージェントの両方のメリットを取り入れる方法だ。会社と社員は終身雇用と同じように信頼関係を築き、長期的な関係に互いに投資することができるようになる。フリーエージェントと同様の柔軟性も維持でき、会社も社員も急速に変化する世界に適応していける。・・・働き方を『いくつものコミットメント期間の積み重ね』という形に位置付け直すと、起業家タイプの人材を惹きつけ、自社で働き続けようと思ってもらいやすくなる。[p.44-45]」
・コミットメント期間の3つのタイプ
1)ローテーション型:「ローテーション型のコミットメント期間は社員ごとにパーソナライズされておらず、概して互換性が高い。・・・ローテーション型にも2つのタイプがある。1つ目は、体系化された有期の制度で、通常は新卒や経験の浅い社員を念頭に置いたものだ。・・・もう一種類・・・のタイプの主眼は、その社員を将来の別の職務に向けて訓練することではなく、現在の職務と社員との相性を高めることにある。[p.50-53
2)変革型:「変革型コミットメント期間は社員ごとにパーソナライズされている。・・・特定のミッションを完遂することに重点が置かれる。内容は、上司であるマネジャーと社員本人が一対一で話し合って決める。・・・変革型コミットメント期間の核心は、その社員が自分のキャリアと会社の両方を大きく変革させるような機会を得るという約束である。・・・経験則でいえば、その人材の初めての変革型コミットメント期間は2年から5年ほどになる。[p.52-53]」
3)基盤型:「会社と社員の方向性が深く整合している点が、基盤型コミットメント期間の最大の特徴だ。・・・その人にとって会社がキャリアの基盤、時には人生の基盤にすらなり、会社にとってもその社員が基盤の一つになる。・・・基盤型の社員は会社に継続性と組織的記憶をもたらす。・・・基盤型コミットメント期間もやはり定期的に率直な対話を重ね、双方の満足が続くようにする必要がある。[p.55-57]」
・「ほとんどの大企業は社員の集団ごとに使い分けながら3つのタイプをすべて利用している。・・・社員の大半を基盤型にしようとしてはいけない。それでは本質的に終身雇用の旧モデルに戻ることになってしまう。[p.59]」
・「ローテーション型は会社に『規模拡大』をもたらす。・・・変革型は『適応力』を与えてくれる。・・・基盤型は会社に『継続性』をもたらす。[p.61]」
・「変革型コミットメント期間は、大半の企業の経営慣行から最もかけ離れたタイプだ。そこで本書では、このタイプのコミットメント期間を制度設計し、組織に導入する方法について重点的に解説することにした。[p.62]」
・「継続性がどれほど大事であるかは、会社や業界を取り巻く力学によって異なるだろう。たとえば、ボーイングは・・・1人のエンジニアが十分な生産性を発揮できるようになるまで10年の養成期間が必要だと見込んでいる。・・・このような訓練とスキルの持つ価値を成果に結び付けるには、ボーイングと個々のエンジニアが長期にわたりコミットし合わなければならない。それは要するに基盤型コミットメント期間のことだ。コミットメント期間という枠組みの主眼は、期間の長短にかかわらず、信頼が強く誠実な対話を可能にし、その結果、雇用する側もされる側も賢い投資ができるようになることだ。[p.69-70]」

3、コミットメント期間で大切なもの  社員と会社の目標および価値観をそろえる
・「今は、企業の目標が社員にとって唯一絶対の目標になるなど、期待できない時代だ。・・・起業家精神旺盛な社員なら、会社と切り離した『個人ブランド』を築き上げたいと考える。終身雇用の終わった現在、こうした反応は、合理的だし必要なことでもある。・・・目指すべきは、会社と個人の目標をあらゆる面で完璧に一致させることではない。ある期間、一定の条件のもとでのみ、自然な形で両者をそろえる『整合性』を目指そう。整合性を目指すには、『企業の目標と価値観』と『社員のキャリア目標と価値観』との間にある共通点を、マネジャーが意識的に探して明示しなければならない。[p.80-81]」
・「最終的には利害と価値観、そしてありたい姿の整合性が一致するほど、会社とその人材との間に長期間続く強固な提携関係の可能性が高まる。[p.90-91]」

4、変革型コミットメント期間を導入する  うまく活用する4つのステップ
・「しっかりと整合性の取れたコミットメント期間を導入し実施するということは、率直でオープンに、みっちりと対話をしなければならないということだ。・・・必要とあらば、相手が会社を辞めた後のキャリア全体まで視野に入れた話し合いをするつもりで臨むことだ。[p.98-99]」
1)対話を開始し、コミットメント目標を設定する:「コミットメント期間には、明快で詳細、そして確固たるコミットメント目標がなければならない。・・・会社の役に立ちながらも、同時にその社員の成長を助けるようなコミットメント目標を選ぶことが肝心である。この目標に基づき、コミットメント期間がどれぐらいの長さになりそうかも決めなければならない。・・・そのコミットメント期間が成功した場合、会社に何をもたらすのか?・・・社員に何をもたらすのか?。[p.100-101]」
2)双方が定期的にフィードバックし合う仕組みをつくる:「従来型の年次ベースの業績評価はほとんど無意味になる。[p.103]」
3)コミットメント期間の終了前に次の期間の設計に着手する:会社に残る場合、次の会社に移る場合も考慮する。「社員の味方として、次の一歩を正しい方向に踏み出すサポートをするのはマネジャーの務めだ。[p.106]」
4)想定外の事態に対処する:コミットメント期間の途中での変化:「コミットメント期間の目的は、誠実な対話で信頼を重ね、社員が自発的に会社に留まる期間をなるべく長くする点にある。・・・会社か社員のどちらかがコミットメント目標の完了前にコミットメント期間を終わらせたいと思ったり、そうせざるを得なくなった場合、そのプロセスを互いに協力して進めよう。[p.108]」

5、社員にネットワーク情報収集力を求める  社員を通して世界を自社内に取り込む
・「終身雇用では、マネジャーも社員も社内に集中することがよしとされた。・・・ところが、ひとたび終身雇用モデルが崩壊し始めると、このような内向きの姿勢は自滅的な自己陶酔になってしまった。・・・会社は、社員に仕事上のネットワークを広げる機会をつくって彼らのキャリアを一変させるサポートをする。社員は、自分のネットワークを使って会社を変革する手助けをする。まさに会社と社員の提携関係だ。[p.118-119]」
・「外向き志向には数々のメリットがあるにもかかわらず、一部のマネジャーは、居心地のいい会社の屋根の下から一歩の外に出たがらない。・・・こうしたマネジャーは、社員に社外から情報収集することを過剰に怖がるかもしれない。企業秘密や戦略が意図せず漏れてしまいかねないと。確かに、社員が社外のネットワークを自由に張りめぐらし、外からも彼らがよく見えるようになると、明らかな『リスク』がある。彼らを採用したいと思う企業やその採用担当者に発見されやすくなってしまうのだ。・・・しかし、自らの姿をさらさずに一方的に外の世界から利益だけを得るためのマジックミラーは存在しない。・・・シリコンバレーが成功した大事な要因の一つに、ネットワーク情報収集力や、その背後にある、積極的に社外の人々の助けを借りようとする姿勢がある。そのリスクは大半の人が考えるより低く、外向きであることのメリットは、あなたが思っているよりおそらく大きい。[p.122-123]」
・「ネットワーク情報収集力の最もわかりやすい役目は、社外の情報源と会社の橋渡しをすることにある。社員の個々のネットワークは情報源であると同時に、新しい情報のフィルター役も果たす。・・・第二の役目は『隠れた情報』、すなわち、一般には公開されない情報へのアクセスを可能にすることだ。・・・高度にネットワーク化された時代においては、『何を読んできたか』よりも、『誰を知っているか』のほうが価値のあることが多いのである。・・・第三の役目は、セレンディピティが予想外の発見をもたらすことにある。・・・大半のイノベーションは、すでにある技術や手法を新たな分野に持ち込むことで成立しているのだ。・・・四番目の役目は、それなしでは見過ごしていたであろうチャンスに気づかせることだ。

6、ネットワーク情報収集力を育てるには  社員の人脈を伸ばすコツと戦術
・ネットワーク情報収集力を活用する仕組みを導入する方法:[p.130-141
1)ネットワーク力のある人材を採用する
2)会話とソーシャルメディアを駆使して情報を掘り出す手法を教える
3)個人のネットワーク構築を支援するプログラムと方策を全社展開する
4)社員が得た情報を会社に還元させる
・「人脈づくりが今後の自分のキャリアにプラスになると社員は本能的に知っている。そこで会社がすべきことは、人脈づくりが相互に利益を与え合うアライアンスの中で、不可欠な要素であることを明確にすることだ。[p.144]」

7、会社は「卒業生」ネットワークをつくろう  生涯続く個人と会社のアライアンス関係
・「フリーエージェント・モデルと違い、アライアンスなら最後のコミットメント期間が終わった後でも社員との信頼関係を維持できるし、維持すべきだ。[p.147]」
・「卒業生」ネットワークに投資すべき4つの理由:「会社を離れていた『出戻り』社員が、またコミット面と期間で復帰しやすくなる・・・さらに『卒業生』は、非常によい採用候補者を紹介してくれる。・・・『卒業生』はネットワーク情報の素晴らしい源泉である。・・・『卒業生』自身が顧客になったり、他の顧客を紹介してくれたりする。・・・口コミの分野でも『卒業生』は元の職場の力になれる。[p.152-157]」

8、「卒業生」ネットワークを活かすには  効果的に導入するためのコツとテクニック
・「幅広い参加者を受け入れると面倒な状況が発生するリスクもある。・・・問題行動を起こした会員は、『卒業生』グループから『クビ』にできるようにしておいたほうがいいだろう。このような課題を長期にわたり確実に解消する方法は、『選ばれた』元社員だけの『卒業生』グループを設立することだ。・・・会社と『卒業生』との関係は互恵的でなければならない。・・・元社員との間には、個人的な繋がりとあわせて、『組織的な繋がり』が必要だ。・・・『卒業生』の助けを必要とする事態が生じる前に、彼らの知恵を利用するための公式な仕組みと手続きを、経営幹部が決めておこう。[p.166-171
―――

本書で示された新しい会社と従業員の関係である「アライアンス」という考え方については、魅力的に思える点もある反面、具体的な手法としては未完成であるようにも感じます。また、人材の流動性の高いアメリカならではの考え方、という面もあるでしょう。さらに、本書でもボーイング社の例に言及がありますが、社内での技術蓄積の時間が必要な職務に適切なコミットメント期間が設定できるのか、という問題点もあるように思います。しかし、終身雇用制が行き詰まり、もっとよい「アライアンス」という働き方が成果をあげつつあるのなら、昔ながらの働き方に固執したり、それが適用できない言い訳を言って何もしないでいては、先進的な企業と旧態依然の企業の差はもっと広がってしまうかもしれません。もちろん、著者の提案をそのまま鵜呑みにして真似する必要はないと思いますが、少なくとも、著者の提案のよい点を積極的に受け入れることは考えなければならないのかもしれません。

「アライアンス」の考え方の優れた点のうち、どんな企業にも役立つポイントをあげるとすれば、例えば以下のようになるのではないでしょうか。
・会社からの社員への期待と、社員の会社に対する期待を明確にできる
・社員にとっては、「将来、どういうことをしたいのか、どうなりたいのか」をきちんと考える機会になる
・会社はその社員をどう育成していくつもりなのかを考える機会になる
・単に「金を稼ぎたい」とか「偉くなりたい」という目標ではなく、何のために稼ぎたいのか、偉くなりたいのかを考える機会になる
・能力を仕事に活かすことと、育成(スキルアップ)の両方を同時に考えることができる
・コミットメント期間の設定の過程を通じて、会社と社員との間に信頼関係が作れる
こうしたことは、今までの雇用においては明確に示されていなかったことではないでしょうか。「アライアンス」の考え方は、これらを明確にすることで、社員の意欲を高く維持し、能力を発揮しやすい環境を作るきっかけになるのではないかと思います。どんな業種であれ、どんな雇用慣行にある企業であれ、今以上に社員の能力の発揮を狙うならば、「アライアンス」の考え方は一考の価値があるのではないかと思います。


文献1Reid Hoffman, Ben Casnocha, Chris Yeh, 2014、リード・ホフマン、ベン・カスノーカ、クリス・イェ著、倉田幸信訳、篠田真貴子監訳、「ALLIANCE 人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用」、ダイヤモンド社、2015.
原著表題:”The Alliance”

参考リンク




研究開発とは?:研究開発マネジメントの実践と基礎知識(「ノート」全面改訂)1.1

1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと
1.1
、研究開発とは?
1)研究開発とは?:シンプルな理解

研究開発とはどのようなものかをシンプルにまとめると以下の2点になると思います。
・「新しい」ことを対象にした活動である
・「情報」を得る活動である

2)研究開発とは何かを考える
研究開発とは何かを考えることの意味
世の中には研究開発を分類した様々な言葉や関連する概念があります。しかし、そういう分類や概念は、それによって研究開発の進め方の指針になるようなものでなければ、実践家にとってはあまり意味はないと思います。私が研究開発の特徴を、上記の2つの視点で捉えようとしているのは、そのように研究開発を考えることで研究開発の進め方と他の活動の進め方との違いがはっきりしてくるように思われるためです。以下、1)のポイントについて考えてみましょう。

「新しい」ということ
企業における仕事には様々なものがあります。例えば、新製品の開発は一般に研究開発部隊の仕事でしょう。では、工場の操業改善や新たなビジネスモデルの構築はどうでしょう。市場調査や営業活動は?。それぞれ専門の部隊に任されることも多いでしょうが、研究部隊が参加することもあるかもしれません。本稿の狙いは、どうしたら研究開発がうまく進められるかを考えることですから、既成の仕事の種類にとらわれることなく、様々な仕事が持つ同じような特性に着目し、その特性を有する仕事を「研究開発」と定義した方が実践的に便利なのではないかと思います。この考え方で研究開発を特徴づけようとすると、まず「新しい」ということが挙げられるのではないでしょうか。

例えば、世の中にないものを対象にするならそれは文句なく「新しい」と言えるでしょう。また、操業のちょっとした改善であっても、それが世の中にないチャレンジであるならその部分は「新しい」と言えるでしょう。さらに、世の中では知られていても、自分たちだけが知らないことを扱う場合は、自分たちにとっては「新しい」ことになります。例えば、周知の事実から新しい洞察を生み出すような場合はそうでしょうし、外部から技術を導入するような場合であっても、自社の状況に合わせる工夫が必要な場合には「新しい」と言ってもいいのではないでしょうか。

こうした「新しい」ことには、共通の特徴があり、「新しい」ことを扱う上で必要なノウハウには重なるところもあると思います。そこで本稿では、研究開発の範囲を広く捉え、「新しい」ことを対象とする活動と考えたいと思います。

「情報」を得るということ
「新しい」ことは「知らない」ことでもあります。なぜ「知らない」ことを扱うかと言えば、それは「知る」ため、すなわち、対象に関する「情報」を得るため、「学習」するためと言えるでしょう。ただし、学校で普通に学習する場合のように一方的に情報が外部から与えられてそれを受け取るだけのような場合は、研究とは異なる活動だと思われます。つまり研究開発とは、「情報」を取りに行く、言い換えれば能動的、積極的な活動によって「情報」を得る活動と理解できると思います。例えば、先生や文献から何かを学ぶとしても、その情報を能動的に探しにいく過程には研究の要素があるでしょう。また、ふと思いついたり、たまたま狙い以外の役に立つ情報が得られる場合でも、何らかの情報を探しに行って見つけたものであったり、その情報をもとに実際に使える情報を得ようとする行為があれば、それは研究開発と言ってよいと考えます(なお、この考え方は、ThomkeReinertsenの「製品開発は、情報を生み出す非定形の業務」とする考え方[文献1]にヒントを得たものです)。

研究開発を以上のように捉えることにより、研究開発に関わるいくつかの問題がうまく整理できると私は考えています。以下、それらの点について考えてみましょう。

なぜ研究開発は必要なのか
なぜ研究開発が必要なのかは時々議論になります。研究開発などしなくても企業が収益をあげられればいい、とか、研究開発は他者に任せておけばよい、というような意見を持つ人もいるようですが、研究開発を上記のようにとらえると、そうした意見に反論しやすくなると思います。研究開発はなぜ必要なのか。それは、「世の中が変わるから」、と言ってよいのではないでしょうか。世の中が変わればそれに対応するには「新しい」取り組みが必ず必要になるはずです。もちろん、世の中が変わって今の事業が成り立たなくなれば、その事業を捨てるという経営戦略もあり得ますので、その場合には研究開発は要らないかもしれませんが、逆に言えば、研究が不要なのはそういう決断をしたときのみ、と言えるでしょう。

おそらく研究に対する懐疑的な見方は、研究開発という行為と、研究開発部隊を混同していることに端を発しているのではないかと思います。実は、研究者でも研究開発部隊と研究開発行為を同一視する人もいるのですが、研究開発を上記のようにとらえると、「新しい」ことへの挑戦は誰がやってもよいし、誰もがそれなりに行い得ることだと考えることができます。上記のように研究開発を広く捉えることにより、研究開発の必要性について意味のある議論ができるようになるのではないでしょうか。

経済学では、研究開発は経済成長の原動力と捉えられることが多いと思いますが、そのように考えても実践的にはそれほど有意義な示唆を導けない気がします。経済成長は研究開発の成果のひとつであって、経済成長だけを目指した研究開発では、あまりに研究開発の可能性を狭く捉えすぎているのではないでしょうか。研究開発に携わる人々の意欲を、社会の変化に適応した「新しい」取り組みや社会の変化を生み出すような「新しい」取り組みに方向づけることで、より実りある研究開発の可能性が開けてくるように思います。

研究開発を定義することの実利的な意味
さらに、研究開発を上記のように定義することには実利的な意味もあります。それは、「何が研究開発ではないか」を明確にできることです。上記の定義に従えば、例えば、やればできるとわかっていることをその通りにやることは「新しく」ないので、研究開発ではないということになります。例えば、工場での定常的な生産、変化のないルーチンワークの仕事、「新しい」ことや「情報」を得ることに繋がらない報告業務などが挙げられるでしょう。もちろん、こうした業務は研究部隊が行った方が効率的な場合もあるでしょうが、研究開発の本来の仕事ではないと考えます。他部署からこうした業務の依頼を受けたような場合、それが研究開発には該当しないという理由で断ることも可能かもしれません。また、研究部隊がそうした活動に関わらなければならないとすれば、そこから何か「新しい」こと、有益な「情報」を見つけるように研究者を意識付けすることにもつながると思います。つまり、何が研究開発であって何が研究開発がないのかを明らかにしておくことは、研究部隊の仕事を正しく方向づけることにも使えると言えるのではないでしょうか。

加えて、研究部隊は何も生んでいない、という乱暴な批判に反論することもできます。確かにモノを生んではいませんが、「情報」を生んでいるはずです。その「情報」が利益に結び付いていないとすれば、その情報の質が悪いか、情報を活用してうまく利益に結び付けることができていないかのどちらかでしょう。決してモノを生んでいないから意味がないわけではないはずです。

研究マネジメントは何をすべきか
研究開発を、「新しい」ことを扱い、「情報」を得ようとする活動であると考えるとき、そのマネジマントはどうあるべきでしょうか。まず、確認しておきたいことは、研究開発を誰がどうやるかによって成果の大きさが変わるということです。そうであるならそのやり方をうまく行い、なるべく効率よく大きな成果を挙げることがマネジメントの重要なポイントとなるでしょう。もちろん、研究者に何もかもを任せて研究を進めるのも一つの方法であり、それが成果につながると判断すれば放任するマネジメントもあり得ますが、研究開発という活動を上記のように広く捉えると、担当者の手に余ることも多いのではないでしょうか。そうであれば、何らかのマネジメントはあった方がよいと言えると思います。

具体的に、「新しい」「情報」という視点からマネジメントのポイントを考えると以下のようになると思います。
・何が研究開発で何が研究開発でないかを明らかにするにする
→研究開発部隊がやるべきことと他部署に任せるべきことを区別して効率的な運用を行う
→研究開発部隊がやるべきことから逸脱することを防ぐ
→アウトプットすべきは「情報」。モノでもカネでもない。
(モノやカネ、社会への貢献など、企業活動の改善に結び付く「情報」が重要になるでしょう。)
→研究開発に役立つ手法と、研究開発でないことに役立つ手法は異なる
(例えば、シックスシグマによる品質管理は決まったこと(「新しく」ないこと)をうまく進めるのに適した手法なのではないでしょうか。だとすれば、「新しい」ことの管理には向かないかもしれません。また、目標による管理は、「新しく」て明確な目標が立てにくい場合には向かないと思います。)
・どんな「新しい」ことに注目すべきか
→世の中の変化から求められる(と予想される)「新しい」こと
(例:ニーズやシーズ、環境(競争環境、法令、社会的要請など)の変化など外因性の変化への対応)
→世の中を変えるような「新しい」こと
(先手を打って世の中を変えていく、現状のままではダメだから変える、など自発的な変化)
・どんな「情報」がよいのか
→「こうすれば、こうなる」というような因果関係の情報
→現象の理解、原理解明
(特に、企業活動にとっては因果関係のヒントになるような側面の理解・解明が重要)
→試行のきっかけとなるような「情報」(こうしたらよいのではないか、など)
→精度の高い情報、応用範囲の広い情報、インパクトの大きい情報

結局のところ、上に述べたような新しく有用な情報を、なるべく効率よく(多く、速く、少ない資源で)得ること、それが研究開発マネジメントのポイントなのではないかと思います。


文献1Thomke, S., Reinertsen, D.、有賀裕子訳、「製品開発をめぐる6つの誤解 製造プロセスでの効率性は通用しない」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 8月号、p.76.(本ブログ記事「製品開発をめぐる6つの誤解」(トムク、ライナーセンの論文より)


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