研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2016年06月

研究の不確実性をどう考えるか:研究開発マネジメントの実践と基礎知識1.2.(「ノート」全面改訂第4回)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと
1.1
、研究開発とは?
第2回第3回

1.2
、研究開発活動が本来的に持つ不確実性
1)これだけは知っておくべき研究の特性=不確実性
1.1第2回)では、研究開発を、「新しい」ことを扱い、「情報」を得ようとする活動と捉えることを提案しました。そこから導かれる研究の特性があります。それは、研究は「不確実な」ものだということです。研究の特性として最も重要なことをあげるとすれば、「新しい」こと、すなわち、知らないこと、わかっていないこと、経験のないことを扱うことから導かれる「不確実性」といえるのではないかと思います。研究の不確実性を正しくとらえることは研究の進め方を考える上で実践的にも重要ですので、以下、研究が不確実であるということはどういうことか、どこに不確実性があるのか、どう対処すべきなのかを考えてみたいと思います。

2)研究の不確実性とは
不確実性とは
不確実性とはどう定義されているのでしょうか。意思決定理論では、次のような分類がなされるそうです。[文献1、p.17(文献2、p.255]
・確定性:ある行動について必ずある一定の結果が生じることが分かっている場合
・不確定性:ある行動について起こりうる結果が1つでない場合で、さらに2つのケースに分かれる。
 ①リスク:起こりうる結果の確率が分かっている場合。
 ②不確実性:起こりうる結果の確率が分からない場合。

このリスクと不確実性の区別はフランク・ナイト(Knight)がその重要性を強調している考え方で、「リスクにおいては母集団における事象の分布が(事前確率の計算あるいは過去の経験で)わかっているのに対して、不確実性の場合にはわからない・・・。その理由は一般的には、扱う状況が高度にユニークであるため、母集団がわからないからである」とのことです[文献3、p.233(文献4、p.107)]。

企業活動について考えてみると、例えば工場での定常的な製品生産などは上記の確定性の場合に該当するでしょう。また、事故などの非定常な場合でも、過去の実績や情報、理論の蓄積があればその確率はある程度予測できますので上記のリスクの場合に該当する場合が多いと考えられます。これに対し、研究は新しいことを扱いますので、過去の情報や理論が十分であるとは限りません。従って、研究開発活動は上記の「不確実性」の分野で扱うべき課題となるでしょう。

不確実性の定義は上記のようであるとして、実践的には、「わかっていない」(特に、研究開発では、「こうしたらこうなる」という因果関係が「わかっていない」)、確かにこうだと言いきれない、判断がつかない、判断が正しいかどうかわからないような状態であって、リスクの評価も難しい場合を「不確実性」のある状態と考えればよいと思います。

研究の不確実性はどこに存在するのか
では、研究活動のどこに不確実性が存在するのでしょうか。不確実性が存在する場所を以下のように分類すると、実践的に便利だと思います。
・研究者(研究を遂行するすべての人を便宜的に研究者と呼ぶことにします)が直接関わる範囲の不確実性(「研究内部の不確実性」と呼ぶことにします):取り組んでいる研究対象、採用した手段、研究遂行の過程で関係者が下す判断に存在する不確実性。行っている研究開発活動が本来的に持つ不確実性と呼んでもよいと思います。
・研究者が直接関わるわけではない不確実性(「研究外部の不確実性」と呼ぶことにします):研究プロジェクトの外部、周囲の環境、部外者、競争相手などに起因する不確実性。
この区分に従い、今回は、「研究内部の不確実性」について考えることとします(「外部の不確実性」は1.3で触れます)。

研究者が直接関わる範囲の不確実性(「研究内部の不確実性」)
研究者が直接関わっている範囲の不確実性は、次の3つに分類できるでしょう。
1)、研究対象(研究課題、目標)が持つ不確実性
2)、研究のアプローチ、方法、目標達成のために採用した手段が持つ不確実性
3)、研究者の判断に存在する不確実性

例で考えてみましょう。「4、5、6と並んだ数字の後には何がくると期待されるか?」という問いに対して、最も素直には「7」と予想できると思います。しかし、この「4、5、6」が、普通のサイコロを振ってたまたま出た目の順番であった場合、「7」はありえません。サイコロなら「7」が出ないことに疑問の余地はありませんが、サイコロの仕組みや構造を知らない場合、すなわち起こりうる結果の確率がわからない(「不確実性」に該当)場合には「7」を期待してしまうかもしれません。もし「7」を出したいなら、サイコロを振る回数を増やしたり、振り方や重さを変えたりする手段ではダメで、例えば普通のサイコロではなく12面体のサイコロを持ってくるというような手段が必要となります。あるいは、普通の6面体サイコロしか手段として使えない状況であれば、「7」を期待してはいけないわけで、目標を変更する必要があることになります。
すなわち、今扱っているものが、サイコロなのかどうか、どういう仕組みなのかがわかっていないとすればそれは上記1)の不確実性、サイコロの振り方や構造をどう変えればよいかがわかっていなければそれは上記2)の不確実性、サイコロの構造や振り方の本質を研究者が見抜けるかどうかは上記3)の不確実性、と理解できると思います。

意思決定においては、期待通りの結果が得られるかどうかを知ることができればよいので1)、2)、3)をひとくくりにした確率を議論すれば問題はないかもしれません。しかし、イノベーションのように、起こりうる結果の確率がわからない「不確実」な課題に取り組み、なんとかして期待通りの結果を得たいという場合には、研究対象や目標設定に基づく問題(上記例では「7」を期待してよいかという問題)と、手段や方法に基づく問題(「7」を出すにはどうしたらよいかと言う問題)、さらにその両者について研究者が確実な判断を下せるかという問題に分けて考えた方がよいのではないかと思われます。例えば、研究開発を進めていて期待通りの成果が得られない場合、やり方が悪い(ということは、やり方を変えればうまくいく可能性がある)のか、そもそも目標が悪いのか(どういうやり方をしても不可能(原理的に成功確率がゼロだったり、与えられた資源の中での成功確率がゼロ)など)、そういう判断を下すこと自体に問題はないのか、を理解できれば、それぞれの問題に応じた対応が可能になるのではないでしょうか。

往々にして、ある目標の実現を目指した研究開発においては、手段や方法の検討に主眼がおかれがちです。手段や方法の検討というのは、サイコロを何回も振ってみることに似て、目に見える努力が要求され、努力をしているのだという報告もできます。また、お金や人といった資源を投入することによって試行の回数やパターンを増やすことができます。しかし、そもそもの目標設定が誤っていると、こうした努力は実を結びません。また、現象の解釈を誤って目標が達成可能であると判断し、泥沼にはまってしまうこともあります。科学は多くの夢の実現に寄与してきましたが、錬金術、永久機関、タイムマシンなど、実現できないことが証明された夢もまた存在します。さらに近年では、複雑系における現象のように、本質的に予測が不可能(あるいは限定的)だったり、現象を要素に還元して理解しえない場合もあることが明らかになっています(本ブログ「複雑系経営(?)の効果」「複雑系の可能性」)。自分たちが狙っているイノベーションの目標が、このような達成不可能な目標や制御不可能な目標になってしまっているかもしれないことには常に注意が必要でしょう。

加えて、行動経済学や心理学の新たな知見は、人間の判断の不正確さを次々に明らかにしています(例えば、Kahnemanファスト&スローなど参照)。この不確実性の原因としては、知識の不足や認識の誤りの他、人間の無意識の思考特性が関わっていることが近年明らかになってきました。また、集団が個人に影響を与え、集団としての意思決定が正しく行われなくなる場合があることも指摘されています。自らの思考の中にも不確実性が存在することはよく認識しておかなければならないと思います。

不確実性は悪いことばかりなのか?:セレンディピティの可能性
しかし、「わからないことがある」という状態は必ずしも悪いことばかりではありません。研究においては予想外のよい結果が得られることもあります。予想外ということは、期待通りの結果を得ようとする立場から見ると失敗になってしまうわけですが、セレンディピティと呼ばれる能力(偶然に幸運な予想外の発見をする能力[文献5、p.198])によってなされた発見が科学技術における大きな進歩をもたらした例は数多くあります[文献5] [文献6]。このような予想外の結果も成果として生かしたいなら、目標自体の不確実性を認識し、目標を変更することで成功を掴むアプローチも考えてみることが必要でしょう。さらに、予想外の発見をするためには、研究者の判断の感性を磨くことも必要です。予想外の事態に直面したとき、そこから有意義な発見を導くことができるかどうかは、自らの判断の不確実性をどう制御できるかにかかっていると言ってもよいと思います。

不確実性のマネジメント
新しいことに基づく不確実性はどうマネジメントすればよいのでしょうか。イノベーションがどうやって拡がっていくか(イノベーションの普及)の研究で名高いRogersは、「技術とは、こうあって欲しいと思う成果の達成に関わる因果関係に不確実性が内在するとき、これを減じる手段的な活動のための綿密な計画のことである」と述べています[文献7、p.17]。では、どうやったら不確実性を減らす技術を生み出すことができるのでしょうか。破壊的イノベーションの概念を提唱したChristensenらは「将来を予見することが難しく、何が正しい戦略かはっきりしないような状況では創発的プロセス主導で戦略を策定することが望ましい」[文献8、p.260]と述べています。また、Anthonyらは、「不確実性が極めて高い環境におけるイノベーターは『創発的戦略』に従うべきことを示唆している。正しい戦略を知っているかのように意図的に行動するのではなく、正しい戦略が市場から『わき出る』、つまり創発するようなアプローチを採用すべきということだ。」[文献9、p.236]と述べています。こうした創発的」な戦略については、最近具体的な方法論が多く発表されるようになっており、次回にその例を考察してみたいと思いますが、基本的な考え方は、研究開発の不確実性を前提として受け入れることから始まるように思います。

研究課題は様々ですので、どんな研究にも通用する画一的な手法は存在しえないかもしれませんが、まず、研究は不確実なものであることを認識し、どこに、どんな種類の不確実性があるのかを見極めることが、不確実性を減じるための研究の出発点になると思います。


文献1:宮川公男、「意思決定の経済学」丸善、1968.
文献2:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.
文献3:Knight, F.H., 1921, “Risk, Uncertainty, and Profit”.
文献4:池田信夫、「イノベーションとは何か」、東洋経済新報社、2011.
文献5:Roberts R.M., 1989、R・M・ロバーツ著、安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.
文献6:Shapiro, G., 1986、G・シャピロ著、新関暢一訳、「創造的発見と偶然」、東京化学同人、1993.
文献7:Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献8:Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー著、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.
文献9:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.


経営学者はイノベーションをどうとらえているか(入山章栄著「世界標準の経営理論(DHBR誌連載第14-17回」より)

Diamond Harvard Business Review誌に入山章栄氏が連載中の「世界標準の経営理論」は、最近の経営学研究の流れを知る上で大変参考なります。今回は、その中から研究開発やイノベーションに関係の深い第14回~第17回[文献1~4]の記事に基づいて、現在の経営学者たちが研究開発やイノベーションをどうとらえているのか、イノベーションに関する最新の経営理論の焦点は何かなど、イノベーションに関する経営学の最先端の動向について見てみたいと思います。

知の探索(exploration)と知の深化(exploitation
・カーネギー学派による組織の意思決定モデル:「人や組織は認知に限界があるから、本当はこの世に自社にとって有用な選択肢が多くあるにもかかわらず、その大部分を認識することができない。したがって『サーチ』をすることで、認知の範囲を広げる必要がある。サーチによって、以前は見えなかった『自社をより満足させうる選択肢』が増え、業績期待が高まる。[文献1]」(限定された合理性bounded rationality
・「この『サーチ→業績(期待)』という関係は実に単純すぎる。たしかに組織がサーチをすれば、新しい選択肢が見えてくるかもしれないが、業績を高めるとは限らないからだ。・・・この問題に対する回答として、『知の探索』というより包括的な概念を打ち出し、さらにその対立概念である『知の深化』も提示したのが、スタンフォード大学のジェームズ・マーチが1991年に『オーガニゼーション・サイエンス』に発表した論文なのである。このマーチの1991年論文が、イノベーション研究における金字塔であることは論を待たない。[文献1]」
・「現在では経営学者に普及した『知の探索・深化』のほぼ共通の定義がある。・・・知の探索は『新しい知の追求』であり、一方知の深化は『すでに知っていることの活用』である。」(マーチとレビンサールによる)。「知の探索は、組織の現在の知の基盤(と技術)からの逸脱であり、知の深化は、組織にすでに存在している知の基盤に基づいたものに関連している」(ラビ―による)。「新しい知を求めるのが『探索』、いま持っている知をそのまま活用するのが『深化』ということになる。」[文献1]
・「イノベーションの源泉である『新しい知』を生み出すには、既存の知と知を組み合わせる必要がある。しかし、認知心理学が主張するように、人や組織は認知に限界がある。したがって、いま認知できている目の前の知同士だけを組み合わせる傾向があるのだ。これを経営学では『知の近視眼化』(myopia)という。・・・しかし、知の探索だけではビジネスにならない。なぜなら新しい組み合わせを試みる中で生まれた新しい知が、実際に『商売の種になるかもしれない』とわかれば、それを深堀りする必要があるからだ。すなわち、一度組み合わされた既存の知を何度も活用すること(知の深化)で、初めて『ただの新しいアイデア』から、収益性のあるビジネスとなり、イノベーションとなるのである。この考えは現代の経営学では、まるで右手と左手が両方使える人のようだという意味で、ambidexterity(両利き)と呼ばれる。」[文献1]
・コンピテンシー・トラップ:「知の探索は、経済的、人的、時間的なコストがかかる割に、不確実性が高い。・・・一方で、知の深化は既存の知の活用だから、その見通しは確実性が高く、コストも小さい。・・・『限定された合理性』の帰結として、知の深化への傾斜が起こるのである。」「組織は知の探索をなおざりにし、知の深化に傾斜する傾向がある。結果として、中長期的なイノベーションが枯渇していく。これをコンピテンシー・トラップという。」[文献1]
・「知の探索と深化をバランスよく行うことを『両利き』という。両利きは、イノベーションや事業成果にプラスの影響を及ぼしうることが、多くの実証研究からわかっている。」[文献1]

両利きに関する経営学の研究成果・知見
・戦略レベルでの両利き:「企業は戦略的に、みずからを『両利き』へ促すことができる。その代表は、オープン・イノベーション戦略だ。・・・なかでも経営学で研究が進んでいるのは、戦略的な提携(アライアンス)だ。アライアンスを通じて自社がいままで持たなかった知を探索することは、典型的な知の探索になるし、逆に同じパートナー企業と似た技術を共同開発して、知を深化させることもできる。」CVC(コーポレート・ベンチャー・キャピタル)とは、「既存の事業会社が新興ベンチャーに投資をしながら、時に連携を図ることをいう。大企業にとって、ベンチャーの持つ技術・ビジネスモデルは目新しく、まさに認知の範囲外だから、そこから知を得ようとするCVCは、既存企業にとって典型的な『知の探索』である。・・・実証研究でも、事業会社がCVCを行うことは、その後のイノベーション成果に(条件付きで)プラス、という結果が出てきている。」[文献1]
・組織の両利き:「企業は、構造的に組織を『知の深化部門』と『知の探索部門』に分けることで、両利きのバランスを取りながらイノベーションを追求することが可能だ。」「「『両利き』を従業員が自立的に進める文化を、組織内に埋め込むこともできる」という主張もある。」「『知の探索と深化は、必ずしも同時に行われる必要はない』という議論もある。」[文献1]
・両利きの人材:「両利きの人材を育成するために重要なのは、当人への権限委譲と、他部門・ファンクションとの幅広い交流」[文献1]
・両利きの脳:「ヒトが知の深化型の意思決定をする時には、『報酬』に関連する脳の部位・・・が活性化する。」「知の探索型の意思決定をする時は、『報酬に関する不確実性』と『関心のコントロール』(control of attention)に関連する脳の部位・・・が活性化する。」[文献1]

組織学習とイノベーション
・「そもそもイノベーションは、広義の『組織学習』の一部と言える。イノベーションも組織学習も、『何か経験をすることから学習して、新しい知を得る』点では、本質は変わらない。要は程度論である。学習の結果、新しく得られる知が革新的ならイノベーションと呼ぶし、『改善』のような小さな知を得るなら組織学習と呼ぶにすぎない。」[文献2]
・「組織学習は一連の循環プロセスとしてとらえられる。」[文献2]
サブ・プロセス①組織→経験:「組織・人は何らかの意図を持って行動する。行動した結果、『経験』するのだ。」「サーチや知の探索・深化は、このサブ・プロセス1に当てはまる。」
サブ・プロセス②経験→知:「組織は経験を通じて新たな知を獲得する。知の獲得には大きく3つのルートがある。」、1)知の創造(knowledge creation)、2)知の移転(knowledge transfer)(「経験を通じて外部から知を手に入れる」)、3)代理経験(vicarious learning)(「『他の組織の経験』を観察することから学ぶこともできる」)
サブ・プロセス③知→主体:「サブ・プロセス3を総称して、組織の記憶(organizational memory)と呼ぶ。」「組織の記憶プロセスは、さらに2つに分解されて議論されることが多い。それは知の保存(retention)と知の引き出し(retrieval)だ。」「獲得された知は組織に保存される必要がある。そうでなければ、組織に知が蓄積されないからだ。保存には大まかに3つの方法がある。第一は当然ながら、組織メンバー個人が脳内で記憶することだ。第二に、組織は『モノ・ツール』に知を保存することである。・・・第三は、組織に独自の行動習慣・決まり事を埋め込んでしまうことだ。」「保存した知は、必要な時に引き出される必要がある。・・・引き出されて活用されなければ、意味がない。」

サブ・プロセス②における知の移転の理論[文献3]
・①意図的な知識移転:「組織間の知の移転が容易でないことは、経営学者のコンセンサスと言っていい。・・・ガフリエル・スズランスキらは、この知の移転の難しさをstickiness(粘着性)と呼んでいる。・・・粘着性の高い知を移転するには、人や組織の間の信頼関係、あるいは企業内外の人脈構築など、『人と人(あるいは組織と組織)の社会的な関係』が、大きく寄与する。」
・②意図せざる知識移転:「ライバルに自社製品を分解・解析されて要素技術などが流出するリバースエンジニアリングや、従業員が短期間で職を変えるジョブホッピングなどがそれに当たる。・・・これらは『知の取引』にかかるコストであり、したがってこれらの問題は経済学ディシプリンの取引費用理論で説明されることが多い。」
・③代理経験:「代理経験は、『経験するのが自分か他者か』の違いだけで、そのメカニズムは、・・・組織学習に近い部分が多い。したがってその説明には・・・認知心理学ベースの理論などが、主に使われる。」

サブ・プロセス②における「知の創造」理論の本質にあるもの
・「企業の『知のアクセス先の多さ』あるいは『知の幅』とイノベーション成果の関係については、これまでにおびただしい数の実証研究が行われている。そしてその多くでは、両者の間にプラスの関係があることが示されている。」「しかし、それはあくまで『新しい知を生み出す確率が高まる』と言っているだけ」。「そう考えると、知を生み出し続ける組織には、よりもっと深いレベルで、知の組み合わせ方・創造の違いがあるはずなのだ。」[文献3]
・「マインドフルネスとは『新しいことに能動的に気づけるように、認知をコントロールする』ことである。」「この逆は、新しいことに対する能動的な認知コントロールをしないこと、すなわち『起きていること、言われたこと、見たことを、そのまま受け入れて行動してしまうこと』だ。たとえば、自社の業務プロセスを最初から『これはこうやるものだ』と決めつけて、行動するような態度である。心理学分野では、マインドフルネスを高く持つことのさまざまな効能が示されている。」「アルゴーティの論文によると、経営学では『知の創造』を高めるうえで、マインドフルネスに関する視点が大きく2つ、提示されている。」[文献3]
・その一方は、「アナロジカル・リーズニング(analogical reasoning)と呼ばれる。アナロジカル・リーズニングは、日本語で類似推論という。端的に言えば、自分がいま直面している状況を、個人が過去に経験したこと(あるいは他者がやってきたこと)に『なぞらえて』考えることである。」「心理学の研究では、表層的なアナロジカル・リーズニングは、むしろ誤った結論も導きやすく、リスクも大きいことが明らかになっている。」「重要なのは、その表層だけを取り上げて受け入れるのではなく、その背後にある法則・メカニズムを理解し、そのメカニズムをもとにしたパターン認知力を磨くことだといえる。」[文献3]
・「第二の手段・・・は対話(dialogue)である。・・・その基本視座を提供するのが、野中郁次郎一橋大学名誉教授・・・の貢献で有名な、いわゆる『Nonakaの知識創造理論』である。本稿ではSECI理論と呼ぶことにする。」「形式知とは、『言語化・記号化された知』のことだ。・・・一方で暗黙知とは、そのような『言語化・記号化ができない』知のことだ。ヒトは、言語化・記号化できる以上のことを本来知っており、それを言葉・記号以外の手段で、他者に伝えることができる。・・・この2種類の知を前提に、『暗黙知と形式知の相互作用こそが、企業の知の創造の源泉』と主張するのがSECI理論だ。」「SECI理論では、知の創造は『共同化→表出化→連結化→内面化→さらなる共同化』という、ダイナミックな循環プロセスとして示される。」「なかでも重要なのは、暗黙知→形式知の変換である『表出化』と、形式知→暗黙知の変換の『内面化』だ。ある種の知を別種の知へと変化させるプロセスだからだ。これらのプロセスを効果的にする条件は何だろうか。・・・以下のポイントが挙げられている。」「①対話(「直接対話をすれば形式知と暗黙知が同時にやりとりされるから、そこで人は暗黙知を形式知に転換しうる」)、②比喩(metaphor)、類似推論(analogy)、仮説思考(abduction)、③行動、④場(「参加者が同じ『文脈』を共有することで、暗黙知と形式知を移転させ、共有させ、変換させやすくする」)、⑤リーダーのビジョン」[文献4]

サブ・プロセス③における知を引き出す力を高めるメタ知:シェアード・メンタル・モデル(SMM[文献2]
・「SMMとは、チームメンバー間で共有されている知についての、認知体系のこと・・・組織の他のメンバーとどのくらい基本的な認知体系が共有できているかを指す。SMMはさらに2つに分けられる。一つはタスクSMMだ。これは『組織の行う仕事・作業や、組織が持つ技術・設備』などに関するメンバー間の共有認識のことである。・・・もう一つは、チームSMMと呼ばれる。これは『メンバー同士がどのように行動するかの役割分担、チームメンバーの好み、強み、弱み』などに関する共有である。」「基本認識の共有があれば、他メンバーの行動や役割分担を『予見』しやすくなる。その結果、各メンバーの認知負担が減り、知を引き出しやすくなるのだ。」「これまでの実証研究の蓄積を通じて、SMMが高い組織・チームほどそのパフォーマンスが高くなる傾向は、経営学者のコンセンサスになりつつある。」

サブ・プロセス③における知を引き出す力を高めるメタ知:トランザクティブ・メモリー・システム(TMS[文献2]
・「TMSは『組織内の知の分布』についてのメタ知である。すなわち『組織メンバーが『他のメンバーの誰が何を知っているのか』を知っていること』だ。」「TMSを規定する条件で特に重要なのは、専門性(specialization)と正確性(credibility)である。『専門性』は、個人の記憶と組織の記憶を分ける決定的なポイントである。組織にいるからこそ、人は分業が可能となって、それぞれの専門性を高めることができる。・・・そしてそれを『引き出す』ためには、各自が正確なWho knows whatを持つ必要がある。」
・フェース・トゥ・フェースのコミュニケーションがTSMを高める可能性を指摘した実証研究がある。ブレーンストーミングはアイデアを出すことよりもTMSを高めるうえで意義があるという考え方がある。TMSはメンバー全員で分散されるよりも特定の人に集中させたほうがよいという結果がある。

ナレッジ・ベースト・ビュー(KBV)とSECI理論[文献4]
・「認知心理学の前提に立ち、『暗黙知をスムーズに移転させる共有の基盤を持つ部分が企業の範囲』と主張するのが、KBVである。」「KBVは企業という『知の範囲』を説明し、SECI理論はそこで実際に起きうる『知の創造』の動的プロセスを説明する。」「SECI理論とKBVは補完的な関係ととらえることができる。現在の世界標準の経営学では、企業の知は実証研究しやすいKBVをベースに応用されることが多いが、今後は知の創造プロセスの本質により肉薄するSECI理論が注目される可能性がある。」
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本連載で解説されているような経営理論を、実践家はどう使っていけばよいのでしょうか。技術者にとっては、基礎研究と応用研究の違いと似た面があるように感じられるかもしれません。基礎研究は真理の探究や現象の理解を主目的として行われ、その成果として理論が導かれることも多いものです。しかし、それが直ちに実用化するわけではありません。一方、技術の発展においては、理論が先行してその応用が後につづく場合もあれば、新しい発見が先にあって、それを説明する理論が後からできる場合もあります。従って、理論先行と実践先行のどちらがよいとは一概には言いにくいところがありますが、理論がなければ未来予測は非常に困難であることも確かだと思います。理論が提案されているならそれを知っておくこと、どの程度その理論が確からしいのかの感覚を持っておくことは、実践家にとっても重要なことなのではないでしょうか。そういう意味で、今回取り上げた記事は、実践家にとっても貴重なヒントを与えてくれるような気がします。

ただ、理論だけでは、実際の問題にどのように立ち向かえばよいのかの方法論はわからないことがほとんどです。また、経営学の理論は、科学の理論ほどには因果関係が明確なものではないことにも注意が必要でしょう。理論の例外であっても、実践においては結果がよければ問題ない、という場合もあるかもしれません。経営学の理論をどう使って(あるいはあえて逆らうのもよいかもしれません)、どうやって目の前の問題を解決するか、その具体的な方法論を創造することが実践家には求められているのだと思います。


文献1:入山章栄、「世界標準の経営理論 第14回 組織学習・イノベーションの理論① 『両利き』を目指すことこそ、イノベーションの本質である」、Diamond Harvard Business ReviewNovember 2015p.124.
文献2:入山章栄、「世界標準の経営理論 第15回 組織学習・イノベーションの理論② 『組織の記憶』は全員で共有すべきか、個人が独占すべきか」、Diamond Harvard Business ReviewDecember 2015p.124.
文献3:入山章栄、「世界標準の経営理論 第16回 組織学習・イノベーションの理論③ 知の創造を導く『マインドフルネス』を高める法」、Diamond Harvard Business ReviewJanuary 2016p.126.
文献4:入山章栄、「世界標準の経営理論 第17回 SECI理論とナレッジ・ベースト・ビュー 世界の経営学に『野中理論』がもたらしたもの」、Diamond Harvard Business ReviewFebruary 2016p.128.



よりよい話し合いのための心理的課題(ドレスラー著「プロフェッショナル・ファシリテーター」より)

近年、他者との協力、協働がイノベーション成功のために重要であるという指摘が増えているように思います。そういう状況では、当然、他者との意思疎通、合意形成が重要になってくるでしょう。つまり、いわゆる「会議」の重要性が高まっていると言えるのではないでしょうか。

会議をうまく進める手法としてファシリテーションがよく取り上げられます。本ブログでもファシリテーションの概要について取り上げたことがありますが(「ファシリテーションの意義」)、その手法や考え方は、単に会議をうまく運営するだけでなく、研究開発をうまく進める上でも役に立つスキルなのではないかと思います。しかし、そのスキルを使いさえすればあらゆる会議がうまく運営できるようになる、と考えるのは少し甘すぎるでしょう。今回はスキルとともに必要とされるファシリテーターの心構えについて述べた「プロフェッショナル・ファシリテーター」(ドレスラー著)[文献1]に基づいて、ファシリテーションの実践や話し合いにおける心理的な問題について理解を深めたいと思います。

本書の「はじめに」で、著者は次のように述べています。「グループの中に対立があって、参加者が怒りや恐れ、不安を抱えている会議を進めることは困難を極める。混乱した状況にうまく対応するには、単にスキルや手法を熟知しているだけでは十分ではない。心の持ち方、マインドというプラスアルファの要素が必要なのである。・・・炎上する議論の中でも動じず、平常心で臨むことができるプロフェッショナル・ファシリテーターになるということは、カリスマ性を持つことでもなければ、その場の混乱に超然としていることでもない。それは刻々と変化する状況に応じて、自分の向き合い方を柔軟に選択するということである。・・・本書の目的は・・・複雑な人間関係やその結果生まれる困難な状況にあっても、ポジティブな変化を生み出す第一歩につながる実践的な手法やアイデアを提供することである。[p.ix-x]」以下、本書の構成に沿って著者の考え方をまとめたいと思います。

序章、炎上する会議
・「人にはそれぞれ熱い思いや信念がある。それが炎の原因になるのだが、炎がなければ人や組織の成長はないというのも事実だ。炎のマイナス面をうまく扱えば、炎は役に立つ。ファシリテーターがグループを活性化し、その創造性を引き出すには、炎をうまく処理する『炎の達人』とでも言うべき能力が要求される。・・・炎の達人は、火の気のあるところには変革の可能性があることを知っている。それゆえにそういうところに引きつけられ、仕事をする。その最大の武器は、自分自身の内面(思考力と情緒の安定性、そこから滲み出す存在感)であることも熟知している。炎がどのような形で目の前に現れても、自分の感情スイッチをコントロールする方法を心得ているのが『炎の達人』、つまりプロフェッショナル・ファシリテーターなのである。[p.5-6]」

パートI、ファシリテーターの修羅場
第1章、炎を味方につけよう

・「熱い思い、恐怖、意見の対立や混乱が火種となる炎がなければ、革新的で面白いことはこの世の中には生まれてはこなかった。炎は人の真剣度合いの証であり、逆に炎の立ち上らないところには、ほとんどの場合無関心や抑圧が蔓延している。[p.17]」
・破壊的な炎とは[p.17-19]:「ヒートアップした場面では、負けたくないという気持ちが先に立って極端に攻撃的になることが少なくない。・・・そうなれば、勝敗がつくまで争いは続き、負け組は当然傷つくが、勝ち組も心に傷を負う。」「条件次第で、ほんの些細な失言が発端となり、組織やコミュニティ全体に混乱や憎しみが燃え広がる。」「いったん炎が燃え上がると手がつけられなくなる場合もある。当事者たちは心を閉じ、長期にわたって自己正当化を繰り返すパターンに陥ってしまう。やがて話し合いに力尽き、悪意ですべてを解釈するようになる。」
・創造的な炎とは[p.19-21]:「意見の不一致から生まれる炎は、まさに問題を自分事としてとらえ、解決しようと真剣に取り組んでいることの表れであり、活力の源となる」。「対立や行き詰まり状態を経て、改めて現実を見直し、新たな可能性を見出すことは多い。」「健全な場をつくるチャンスとなる――表面に出てこない隠れた主張や反対意見、対立は、見えないガスのようにその場に溜まり空気をよどませる。放っておくと最後には爆発を招くこともある。そうならないためには、例えば、参加者にその場で感じたことを率直に口にする機会を提供することや、それを他のメンバーもしっかりと聴き、きちんと受け止める場をつくる必要がある。」「炎は再生を促す」「熱く厳しい試練を乗り越えることで、新しいパラダイムや戦略、組織のあり方に気づき、新しい解決法を発見することができる。」
・「心のクセは、私たちの経験や教育などによって形成され、判断や解釈にさまざまな影響を及ぼす。特に白熱した状況においては、現実を冷静に客観的に見ることが難しくなる。・・・ものごとをありのままに受け止めるポイントは、自分の思い込みを意識することだ。[p.26-27]」「修羅場では、ちょっとしたことで私たちの感情スイッチは入ってしまう。・・・ファシリテーターは、何よりも自分のスイッチがどこにあるかを知っている必要がある。・・・いったん感情スイッチが押されると、私たちの脳はネガティブな感情や思考から自分を守ろうとする。理性的な判断ができる大脳新皮質に情報が届く前に、脳の原始的な部分(大脳辺縁系)が『闘うか、逃げるか』という反射的なモードに入ってしまう。[p.27-29]」「人は、自分は有能で人から好かれ、自分自身をよく知っていて利己的ではないと、自分のことを実際より、よく思いたいものだ。・・・そのため、会議が横道に逸れて混乱し、期待どおりの結果が出せそうにないとわかると、私たちは自己イメージとのギャップを感じて怖くなる。・・・恐怖にとらわれると、誰かに助けを求める道すら閉ざしてしまう。・・・長年持っている自己イメージは幻想である、ということに気づかないでいると、自分自身の炎に翻弄され焼き尽くされてしまうのである。[p/29-30]」
・「会議がどんなに炎上しようとも、自らは傷を負わずその場に立ち続ける方法が一つだけある。・・・燃え上がる炎に翻弄されるのか、それとも冷静でいるのか。実は、その選択肢は自分の手の中にある。自分で自分に火をつけないようにするだけのことなのだ。[p.30]」

第2章、「炎の達人」としてのファシリテーター
・「炎の達人になるには、3つの要素を兼ね備える必要がある。1つめは知識だ。まず人の心理や行動、グループ全体とその力学を理解するための基礎知識を持っている必要がある。さらに当事者が抱えている問題やそれを取り巻く構造についても理解し、彼らが議論すべき論点を把握しなければならない。次に、ファシリテーション・スキルを磨くことだ。・・・3つめの要素・・・は知識やスキルを使う『自分のあり方』である。・・・自分のあり方を知り、意識的な選択ができる状態を保つことができれば、修羅場に巻き込まれても、我を忘れて不用意な反応をせずリーダーシップを発揮することができる。[p.42-43]」
・「プロのファシリテーターは、修羅場とも言える危険で混乱した場面に出くわす。しかし、そんな時でも、参加者の強い思いや恐怖、混乱から発生するエネルギーをうまく方向づけ、本来の目標達成に向けて全力をあげる。そのためにはまず、自分のリーダー像をいったんリセットする必要がある。真のリーダーとは、『常に答えを持ち、困難な状況を打開する胆力と、客観的で冷静な判断力を持った感情を表にしない人』という思い込みを捨て去るのだ。・・・この意識改革なしに、借り物の知識やスキルでは、変革のファシリテーターとなることは難しい。[p.47]」


パートII、修羅場を切り抜ける6つの流儀
第3章、<流儀1>自分の状態変化に敏感になる

・「心理学者のポール・エクマンは・・・人には、外部環境を常に監視していて、そこに起こる現象を、恐れや怒り、喜びや悲しみといった感情と結びつけて学習する『自動評価機能』があると述べている。この機能によって形成される現象と感情の直接的な結びつきは、人生を通じてデータベースとして蓄積される。そのおかげで、思考を介さず瞬時に反応することができる。特に、この結びつきが幼少期に形成された場合、特定の現象が非常に強い情動反応を引き出すことがある。それが『感情スイッチ』になる。[p.57]」
・「感情スイッチが入ると、・・・自分の持つ知識やスキル、創造性を活かせなくなる、視野が狭まり、自分の感情を正当化する情報以外のものを無視してしまう、自分が平常心を取り戻すことに気をとられ、他者への理解や共感を失う、状況判断を誤ったり、意味もなく感情的になっていることに気づいても、芽生えた感情はすぐには消え去らない。中立性は失われ、誤った感情を正当化するようなストーリーづくりに精を出す。[p.59-60]」などの問題が生じる。
・「自分の状態変化に敏感であろうとするのは、強い感情を抑え込むためではない。『自分の感情や理解は、実は正しくないかもしれない』とまず認識するためのものである。[p.60]」
・自分の状態変化に敏感になるためには、自己観察(俯瞰的な観察、思考の意識化など)、全身センシング(感情に伴う身体的変化に気づく)、リフレクティブ・プロセッシング(自分の信念や思い込みを検証する)が有効。[p.62-70

第4章、<流儀2>「いま、ここ」に集中する
・「過去についてあれこれ後悔しているとしたら、『いま』を忘れ、『過去に生きている』ことになる。・・・未来に関する心配や不安にとらわれていても同じことだ。流れを先読みしようとしていると、ファシリテーターが唯一影響を与えられる『いま、ここ』から意識が離れてしまう。・・・『いま、ここ』に対する集中力が欠けていては、とても変革の担い手、チェンジ・エージェントにはなれない。集中力がなくなると柔軟な対応ができず、目的を見失って、新しい視点を提供できなくなる。[p.79-81]」
・「自分の心に注意を向けることで、自己を正当化しようとしている反射的なパターンに気づくことができ、他の選択肢はないかと考えを広げることができる。その選択肢の一つには『静かに何もしない』ということも含まれる。[p.86]」
・「いま起きていることに集中すると、解決すべき問題は消え、あるのは『何をするか』『何をしないか』の選択肢のみ、という心理状態になる。[p.89]」

5章、<流儀3>オープンマインドを保つ
・「変革リーダー、司会者、交渉人、コンサルタント、ファシリテーター。肩書は何であれ、彼(彼女)らは専門家であり、経験豊富なプロと自覚しているが、その自意識は両刃の剣となる。確かに専門家という自覚は自信につながるが、逆に、そのために他人の視点や知識を素直に受け入れられなくなる。自分とは違う見解に耳をふさぐようになると、プロ失格である。[p.94]」「オープンマインドであるはずのファシリテーターは『質問する人』でなければならない。[p.96]」
・「常にオープンマインドでいるためには、『謙虚な態度』『判断保留』『好奇心』『諦めない心』が必要だ。[p.102-103]」

第6章、<流儀4>自分の役割を明確に意識する
・「自分のミッションを自覚すると、グループの動きをより大きな視点からとらえられるようになる。その視点を持つことにより、グループが行き詰っている時にも、落ち着いて事態に対応できる。[p.122]」「自分が理想とするファシリテーションと自分のあるべき姿を端的に言葉で表し、意識してそれに基づいた行動を取ることが、プロフェッショナル・ファシリテーターには求められる。[p.123]」「事前に必ず『誰のために、ここにいるのか』と自問する必要がある。[p.124]」「ファシリテーターは、グループの目指すものを短期と長期の両面で理解しておくことが重要だ。短期とは会議の目的であり、長期とは、その後何を目指しているのかということである。[p.125]」「自分の力量と、グループが達成したいことをしっかり把握したうえで、『この会議で自分がすべきこと、すべきでないことは何か』と自問する必要がある。[p.126]」
・「自分の志と羅針盤が明確に理解されていると、目先の動きに注意を奪われたり、自分の感情に振り回されることなく、正確にクリアにものごとを見ることができる。[p.128]」「コミットメントとはすなわち『私は初期設定された反応ではなく、自分の志に従って生きる』と誓うことなのである。コミットメントがあると、自分にも他人にも、イエス・ノーがはっきり言えるようになる。本能的な防衛反応に対してもノーと言える。[p.129-130]」

第7章、<流儀5>意外性を楽しむ
・「人間は想定外の出来事に出合うと守りに入り、硬直的な考え方から抜け出せなくなる。しかしこれは、私たちが知らず知らずの間に、何かに対してこだわっていることの表れだ。そのこだわりの正体は、『この会議はこうあるべきだ』という思い込みである場合が多い。[p.142-143]」「意外性を楽しむということは、私たちを動揺させる想定外の出来事に直面した時に、それに抵抗するのではなく、スムーズに受け入れ、柔軟に対応するということである。[p.144]」
・「自然体で柔軟に現場に対応するには、どうしたらいいだろうか。それには、3つの能力(『こだわりを捨てる』『遊び心を持つ』『必ずうまくいくと確信する』)を育てることが大切だ。[p.145]」

第8章、<流儀6>共感力を養う
・「職務を全うするために、面倒な感情を無視したり、鈍感になりがちだが、そうなってはいけない。・・・人間らしい感情をしっかりと、しかし冷静に感じ取る能力を養う必要がある。[p.158]」「ファシリテーターが最も気をつけないといけないことの一つに、立場の違いを超えて、全員が努力し、悩んでいるということを忘れないことがある。[p.163]」
・「共感力を高めるためには、本能的に防衛機能が働き、心を閉じてしまうようなことをあえて受け入れる努力が必要となる。[p.166]」「感情受容力とは、(他人の)感情に対してどれだけオープンになれるかということであり、自分の心の鎧を脱ぐことを意味する。[p.166]」「人は自分の中で最も拒否している部分を他人に投影し、それを拒絶する。自分の中に強い感情があることを発見したら、その感情の源を丁寧に扱うようにしよう。そのためには、自分が恥ずかしく思っていることや恐れていることに気づき、それを易しく受け入れること、つまり自己受容が必要になる。[p.167-168]」「『全体知覚』というのは、・・・その日その状況で出会った人には、目に見えるよりはるかに大きな背景があることを常に意識するということだ。[p.170]」「『無条件の肯定的受容』という言葉は、心理療法のパイオニア、カール・ロジャーズの造語である。その人がどんな人であろうと、無条件に尊重に値する者として受け入れる姿勢を指す。この態度を貫くということは、問題行動に対しても軽蔑や批判の目を向けずに対応するということだが、同意したり、容認するわけではない。ただ、介入する際に見下したり、バカにした態度を取らないということである。[p.171-172]」

パートIII、プロフェッショナル・ファシリテーターになるために
第9章、日常的に行うトレーニング

・「より自分の状態に敏感になるために役に立つ方法として、『身体のセンタリング』と『マインドフルネス瞑想』を取り上げる。[p.186]」
・思考と感情の限界を押し広げるために役立つ方法には「自問法」「相互メンタリング」「クリアネス会議」がある。[p.190-196
・共感力を養うには「共感日記」「共感呼吸」という方法がある。[p.196-p.199
・「自分が貢献したいこと、実現したいことを自分らしい表現で前向きに宣言すると効果的だ。これをアファメーションと呼ぶ。[p.199]」

第10章、ファシリテーションの事前準備
・直前の準備には、自分とつながること(自分を整える)、会場とつながること、参加者とつながること、より大きな世界とつながることが重要[p.210-223]」

第11章、修羅場にどう立ち向かうか
・現場で炎と向き合う際に使える手法には、身体意識、命名法(言語化して意識する)、一旦停止、状態シフトがある。[p.228-248

第12章、振り返りと休息
・「ファシリテーターには、会議の後に学ぶひとときと、リフレッシュし回復する時間が必要だ。[p.252]」
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人間の判断が、理性ではなく、人間の本能的な反応や感情によって歪められることについては近年、非常に多くの指摘がなされています(例えば、カーネマンらによる研究成果など)。当然、会議の場面でも、そうした判断の歪みが現れる可能性はあるはずですが、それが会議の成果にどう影響するかについてはあまり大きく取り上げられてはいないように思います。本書は、ファシリテーター向けの指南書のような構成になってはいますが、会議における「参加者の心理状態」「ファシリテーターの心理状態」の重要性を指摘している点、会議に参加するすべての人にとって重要な内容を含んでいると思います。

イノベーションにおける「協働」や「協力」の重要性が指摘される一方、オープンイノベーションをはじめとして実行の難しさが指摘されることもあります。本書のような観点は、そうした協力の難しさを克服する上でも意義深いものなのではないか、という気がしましたがいかがでしょうか。


文献1Larry Dressler, 2010、ラリー・ドレスラー著、森時彦監訳、佐々木薫訳、「プロフェッショナル・ファシリテーター どんな修羅場も切り抜ける6つの流儀」、ダイヤモンド社、2014.
原著表題:”Standing in the Fire”

参考リンク



アジャイルを採用する(「Embracing Agile」(Rigby, Sutherland, Takeuchi著HBR2016,May)より)

「アジャイル」ソフトウェア開発手法については以前にも取り上げたことがあります(「アジャイル、スクラム、研究開発」)。研究開発の手法としても期待できるのではないかと思っていましたが、最近、マネジメントの観点から「アジャイル」手法を論じた文献(「Embracing Agile」(Rigby, Sutherland, Takeuchi著[文献1])を見つけましたので、今回はその中から興味深い点をまとめたいと思います。

著者らは、「アジャイルは25-30年にわたり、ソフトウェア開発の成功率を上げ、市場に投入される品質とスピードを向上させ、ITチームのモチベーションと生産性を上げてきた。今やアジャイル手法――新しい価値、原理、手法と利点を有し、命令と統制によるマネジメントに代わる手法――は、広い範囲の業界や様々な機能の組織、果ては経営層にまで広がっている。」と言っています。本論文では、アジャイルに関与したり調査したりした結果に基づいて見出された、「アジャイルの可能性に投資したいと思うならリーダーが実行すべき6つの必須のやり方」が議論されていますので、以下そのポイント見てみましょう。

1、アジャイルがどのように機能するかを学ぶ
・アジャイルの価値と原理(アジャイルマニフェスト):
プロセスやツールよりも人(サポートされ信頼されたモチベーションの高い人による作業、楽しく創造的な精神、持続可能なペース、フェイストゥーフェイスのコミュニケーション、マネジャーは実りある協働がしやすいように障害を除去する)
計画に従うよりも変化に対応する(開発が進んでからでも、方向転換には積極的に対応することで顧客にとってよりよい結果を生む)
過剰な文書よりも動くプロトタイプ(顧客の反応をみながら、エンドレスな議論や権限を持つ人へのアピールよりも実験を重視)
詳細な契約よりも顧客との協働(「ラピッドプロトタイピング、頻繁なマーケットテスト、常に協働することで、顧客にとっての真の価値に焦点を絞る」)
・アジャイル手法にはいくつかのバリエーションがある:スクラム(scrum)は、複雑な問題の解決における創造性と順応性の高いチームワークを強調。リーン開発(lean development)は継続的な無駄の排除に焦点を絞る。カンバン(kanban)はリードタイムと作業量の低減に集中。
・「スクラムとその派生手法は、他の手法より最低でも5倍使われているので、ここではその手法に基づいてアジャイルの実践手法を説明する。」「スクラムの基本はシンプル。機会に挑戦するため、権限を与えられた通常、3~9名のほとんどがフルタイムからなる小さいチームを作る。チームは課題解決に必要なすべてのスキルを有したクロスファンクショナルなもの。チームは自身を管理し、仕事のすべての説明責任を負う。チームの『イニシアチブオーナー(別名プロダクトオーナー)』は、顧客(内部顧客や将来ユーザーを含む)やビジネスに価値を届ける責任を負う。イニシアチブオーナーはビジネス担当部署出身で、チームと、主要なステークホルダー(顧客、経営上層部、ビジネスマネジャー)とチームの間に立つ仕事をする。イニシアチブオーナーは期待される機会について、デザイン思考やクラウドソーシングなどの手法も用いながら包括的な「ポートフォリオバックログ」を作る。そして、最新の内外顧客、会社の価値の見積もりに基づいてリストのランクづけを継続的に行う。イニシアチブオーナーはチームに対し、業務分担やスケジュールの提示は行わない。そのかわり、チームはシンプルなロードマップと、実行前に変わらないとわかっていることについて計画を立てる。メンバーは最優先課題を小さなモジュールに分解し、どのくらいの時間でどうやって達成するかを決め、明確な「完了(done)」を定義し、スプリント(sprints)と呼ばれる短いサイクル(1ヶ月以下)で製品のworking versionをつくり始める。このプロセスはプロセスファシリテーター(ふつうは訓練を積んだスクラムマスター)が指導する。この人物は、チームが混乱しないようにし、集合知がうまく発揮できるようにする。プロセスは、すべての人に公開される。メンバーは日毎の「stand-up」ミーティングで進捗と問題点をレビューする。彼らは、議論や上司への報告ではなく、実験とフィードバックによって問題を解決する。彼らは、少数の顧客とともに短期間で小さなworking prototypesをテストする。顧客が満足すれば、経営者が不満でも、あるいは、もう少し手を加える必要があるという人がいても、プロトタイプはただちにリリースされる。そしてチームは将来のサイクルを改善し、次の最優先課題に取り組む準備をする。」

2、アジャイルがうまくいく場合、いかない場合を理解する
・「アジャイルは万能薬ではない。最も効果的で適用が容易なのはソフトウェアイノベーションによく見られるような条件の場合だ。解決すべき問題が複雑で、最初は解決方法がわかっておらず、製品への要求が変わりやすい場合、作業がモジュール化できる場合、エンドユーザーとの協働(と速やかなフィードバック)得やすい場合、命令と統制によるグループよりも創造的なチームの方がよい結果を生む場合。」「我々の経験では、製品開発、マーケティング、戦略策定、サプライチェーンへの挑戦、資源分配などでこうした条件が満たされる。しかし、プラントメンテナンス、購買、電話営業、会計などではそれほどでもない。」
・アジャイルに適した条件:顧客の好みと解決手段の選択肢がしばしば変わる。顧客との密接な共同と早いフィードバックが得やすい。プロセスが進むにしたがい、顧客の望みがあきらかになってくる。問題が複雑、解決手段がわからない、範囲がはっきりしない、製品スペックが変わりうる、創造的なブレークスルー、市場投入までの時間が重要なイノベーション。クロスファンクショナルな協働が重要。部分的な開発が効果的で、顧客が試せる。仕事を部分に分けて、素早く繰り返せる。開発後期の変更も可能。ミスから貴重な学習ができる。
・「アジャイルの適用には訓練が必要で、行動も変えなければならず、時に新しいITも必要になるので、経営者は期待が必要な努力に見合うかを検討しなければならない。」
・「アジャイルイノベーションは、熱心な参加者からなる組織に依存する。」

3、小さく始めて思想を広げていく
・「アジャイルの導入は小さく始めると上手くいく。・・・そして、最初の参加者がコーチとなって他の部署に広げることができる。」(伝道師のように)
・「成功により注目される。」

4、「マスター」チームにやり方のカスタマイズを許す
・守破離のプロセスをアジャイルにも適用できる。「守は決まった方法を学ぶ。・・・破では伝統的な形を変え始める。・・・離では原理を十分に吸収して即興で自由に変える。」
・「パートタイム配属や、メンバーのローテーションは避ける方がよい。経験的なデータによると、固定的なチームの方が、メンバーのローテーションがある場合よりも生産性が60%高く、顧客へのインプットも60%高い。」
・「もし、チームが特定のやり方を変えたいという場合、実験を行って結果を追跡し、変化により顧客満足、仕事のスピード、チームのモラルが改善されることを確認すべきである。」

5、トップでもアジャイルを実践する
・「Cスイートの活動のいくつかはアジャイル手法に向かない(ルーチンで予測可能なタスク――例えば、パフォーマンスの評価、プレスインタビュー、工場や顧客、サプライヤー訪問など)。しかし、戦略策定、資源配分、ブレークスルーイノベーション創出、組織的コラボレーション推進など向いている重要な活動も多い。シニアエグゼクティブがアジャイルチームとしてこうした手法の実践を学ぶことは大きな利益がある。」
・3つの適用例:

1)チームに追いつく:「エグゼクティブグループをアジャイルチームとする」
2)事業変革を加速:GEの例。アジャイル手法を活用
3)共通ビジョンのもと、部門や機能組織を連携させる
・「スクラムは、経営者の日々の活動から秘密を取り除く」

6、アジャイル活動に対する障害を壊す
・「40万以上の会員を有する独立NPOのScrum Allianceの調査によると、アジャイル担当者の70%以上がチームとそれ以外の組織との緊張の存在を報告していることがわかった。」
・こうした障害を破壊するテクニックのいくつか:
全員を同じページに:アジャイルに関係なくとも同じ優先順位のリストに基づく。
構造を変えるのではなく役割を変える:別々に、あるいは順々にではなく、一緒に同時に働くやり方を学ぶ必要がある。
ひとつの決定にはひとりのボスを:アジャイルでは運営、決定の責任は明確になっている。オーナーの決定は尊重されるべきで、それが気に入らないならオーナーの力を制限するのではなく、人を替えるべき。
個人ではなく、チームにフォーカスする:「アジャイルチームはプロセスファシリテーターを使い、常に彼らの集合知を改善するようにする――例えば、役割を明確化し、矛盾を解決するテクニックを教え、チームメンバーが等しく貢献できるようにする。アウトプットや活用率(人がどれくらい忙しいか)ではなく、ビジネス上の結果やチームの幸福度(人々の価値や関与がどれくらいか)に評価基準を変更することも効果的。」
命令ではなく質問で導く:「アジャイル組織のリーダーは命令するのではなく、質問でガイドすることを学ぶ。例えば『どうしたらよいと思うか』『どうしたらテストできるか』など。」

・「アジャイルイノベーションはソフトウェア業界を変えた。・・・今やほとんどすべての業界のすべての仕事を変革する準備が整っている。現時点での最大の障害は、よりよい手法の必要性や、大きな利益が得られることの実証、IT以外でうまくいくことの証明ではない。経営層の態度だ。アジャイルのより広いビジネス活動への展開を導くことを学ぶ人は、利益の成長を加速するだろう。」
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アジャイルの活用はもはやソフトウェア業界にとどまるものではないようです。不確実性への対処、協働の促進、実効性のある問題解決のスピードアップ、顧客満足度の向上、従業員のモチベーションアップなど、適用の効果が期待できる分野は広いと言ってよいのではないでしょうか。研究開発でも使える場面はあるのではないかと思います。本論文によれば、どんなプロジェクトにアジャイルが向いているのか、アジャイルをどうサポートすればよいか、よくある障害は何で、どんな対処が有効か、など、アジャイルの運用ノウハウはだいぶ蓄積されているようですので、従来よりもかなり使いやすくなっていると思います。もちろん、アジャイルの導入は従来の仕事のやり方を変えることを意味しますので、変革に伴う困難もあるかもしれませんが、効果のありそうなこと、できることから始めてみて、自分たちなりにカスタマイズしていくと面白いのではないかと感じました。


文献1:Darrell K. Rigby, Jeff Sutherland, Hirotaka Takeuchi, “Embracing Agile”, Harvard Business Review, May 2016, p.40.


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