研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2016年09月

不確実性とリスクの扱い方(サンスティーン著「恐怖の法則」より)

研究開発の大きな役割のひとつは、不確実性を減らすことです。不確実性とは、ある行動の結果が1つではなく、起こりうる結果が得られる確率がわかっていない状態を指しますが、不確実性が解消されただけでは役に立つ研究成果が得られたことにはならないことも多いものです。例えば、研究によって、起こり得る結果が得られる確率が明確になり、不確実性をリスクに転化できれば研究としては一歩前進ですが、それだけでは研究課題の解決にはならない、ということがしばしば起こります。特に、課題解決の手段を生み出すことが研究課題の場合、不確実性とリスクの区別はあまり意味を持たないこともあるでしょう(結局、不確実性もリスクもどちらも解決しなければならないので)。

一方で、取り組む研究課題を決める場合には、不確実性が解消できる見通しがない状態で決めなければならないこともあります。さらに、不確実性が存在していることをわかっていながら何らかの対応をしなければならないこともあります。例えば、新しい技術を適用することで起こる社会の変化を予測しようとする場合や、現在起こりつつある現象が将来社会にどのような影響を与えるかに基づいて対策を考えるような場合には、根拠となる情報が少ないなかで判断を迫られることもあるでしょう。また、社会への影響を考える場合には、単に科学的な情報だけでなく、科学技術や不確実性に対する人々の反応も考慮しなければならないかもしれません。

今回ご紹介する、サンスティーン著、「恐怖の法則 予防原則を超えて」[文献1]では、不確実性やリスクのある課題を人々はどう捉え、どのような対応をすべきかが議論されています。著者はロースクール教授ということもあり、不確実性に対する法的、政治的対応についての議論が主ですが、その背景にある人々の考え方の傾向や社会における様々な考え方を知ることは、技術と社会の関わりを理解する上で技術者にとっても有益なことと思いますので、以下、特に技術者にとっても参考になる指摘を中心に内容をまとめてみたいと思います。

I部、問題編(個人的・社会的な判断の問題)
第1章、予防とその機能不全
・「世界中で、リスク規制に対する単純な発想に対する関心が広がっている。そう、『疑わしき場合は予防原則に従え』というものだ。危害のリスクを発生させる行動は避けよう。安全が確保されるまでは警戒しておこう、確固たる証拠を求めてはいけない、というのだ。[p.17]」
・「最も慎重で弱いバージョンは、害悪の決定的な証拠が欠けているということを、規制を拒否することの理由とすべきではないと提言する[p.23]」。「予防原則の弱いバージョンは異論の余地のないものであり、かつ重要である[p.29]」。
・「強いバージョンとしては、『他者に対して、もしくは次世代の健康や環境に対して重大な被害を及ぼすリスクがある場合、そして損害の性質やリスクの発生可能性について科学的不確実性がある場合、科学的な証拠によって損害は起こらないだろうということが示されない限り、またそれまでの間は、そのような活動が行われるのを防ぐための意思決定がなされるべきことを予防原則は要求する』というものがある。[p.24]」「規制が『機会便益』を失わせたり、代替リスクをもたらしたり増加させたりする場合だけではなく、規制が莫大な費用を要するようなすべての場合において、予防原則は適用困難なものになる。[p.42]」「予防原則の意義を突き詰めてみれば機能不全に陥り、まったく役に立たない[p.44]」。

第2章、予防原則の背景
・「予防原則は・・・規制に関わる状況のうち特定の側面にのみ着目し、それ以外の側面を軽視、ないしは無視している[p.45]」
・「想起可能性ヒューリスティックによって、何らかのリスクが、実際にそうであるよりもはるかに実現しやすいかのように考えてしまう。」「確率無視によって、実際にはほとんど起こりえないものであっても、起こり得る最悪のケースに目を向けてしまう。」「損失回避性によって、現状と比較して損失が出ることに対して回避的になる。」「慈しみ深き自然への信頼によって、人為的な決定や過程に対してとくに疑念を抱いてしまう。」「システムの無視によって、リスクはシステムに内包されたものであるという見方や、システムに介入することがそれ自体リスクを発生させてしまうといった見方が出来なくなる。」[p.45-46
・「人々は、新たにもたらされるリスクや現存するリスクの増加によるいかなる損失にもきわめて敏感だが、規制の結果として捨てられた便益にはほとんど関心がない。[p.54]」
・「なじみ深いリスクとなじみ深くないリスクが統計上同等であったとしても、人々は、なじみ深いリスクの方を許容する程度の方がはるかに高い[p.56]」
・「よりよいアプローチは、なにもしないことからも、規制することからも、そしてその中間のすべての対処からも、それぞれ様々なマイナスの効果が起こるかもしれないことを認めることだろう。[p.82]」

第3章、最悪のシナリオ
・「最も重要な点は、激しい衝動が引き起こされるとき人々は結果の蓋然性ではなく悪い結果に焦点を当てがちなことだと私は考える。人々は危害が起こる確率について敏感ではない。最悪のシナリオを強調する。[p.86]」
・「起こりうる最悪のケースに人々が注目しているときや、その他強い感情に囚われているときに、・・・確率無視はとくに甚だしくなる。[p.90]」
・「リスクに対する感情的な反応や確率無視は、『心配性バイアス』の主な原因にもなっている。危険に関して相互に両立しない複数の説明が示される時、人々は、より不安を感じるような説明に引かれていってしまう。・・・人々は、『高リスク』という情報をより有益なものとして」扱う[p.109]」。「危害のリスクの場合、災害の鮮明なイメージや具体的な映像が、さまざまな点についての思考を『押しのけて』しまい得る、そしてその押しのけられる思考の中には、災害が発生する確率は本当は小さいという[本来]重要な点についての思考が含まれている[p.110]」。
・「一般人が専門家に異議を唱える場合、それは異なる価値判断に由来するのではなく、一般人の方が確率無視の餌食により陥りやすいだけのことだ、というのもしばしば[p.116]」。

第4章、野火のように広がる恐怖
・「利用可能性と顕著性は、社会的なバンドワゴンやカスケードを通して広がっていくことがある。[p.126]」
・「社会あるいはその一部が、異教徒、外国人、移民、同性愛者、不良少年達、薬物使用者が、道徳に対する脅威を与えていると突然認識し、恐怖を感じるようになる。このようなモラル・パニックは、どのようにして広まるのだろうか。・・・多くの人は、道徳に対する脅威を恐れるべき独自の理由を持っているからではなく、他人が恐怖を表現しているがために、モラル・パニックに陥るのである。[p.132]」
・「同じような意見を持つ人々が互いに熟議し合うと、概して彼らは、議論を始めた時点よりもずっと極端な観点を受け容れてしまうことになる・・・『集団極化』として知られる過程である。[p.132-133]」「集団極化は、恐怖に関する文脈では必然的に起こる。[p.134]」
・「想起可能性と顕著性が関係しているとき、ある意見は他のものよりも重要である・・・とくに、メディアの行動や優先事は大きな役割を果たす。[p.138]」
・「異なる文化的指向は、何が想起可能なものとなるかどうかを決定する上で、大きい役割を担っている。[p.142]」

II部、解決編
第5章、予防原則の再構築と恐怖の管理

・「確率を割り当てることができない壊滅的なリスクに市民が直面したとき、反カタストロフィ原則を適用することは、彼らにとって理にかなっている。もし規制主体が不確実性の条件の下で行動している場合、マキシミン原則に従い、最悪のシナリオを特定して、それらの中でも最悪の場合を取り除くようなアプローチを選ぶのがおそらく最も良いだろう。[p.148]」「脅威が非現実的であるとして無視されうるようなものであるならば、マキシミン原則に従うべきではない[p.152]」
・「不可逆的損害が一方にあり、可逆的損害がもう一方にあるとき、『オプション価値』の理解によれば、不可逆的損害を回避するために一定の額のプレミアムを支払うことで将来の柔軟性を守ることは有意義である。[p.157]」「単なる不可逆性という事実だけではなくその規模に目を向けなければならない[p.159]」。
・「我々の課題は、関連するリスク総体を特定し、適切な手法を特定し、そして、『ターゲット』たるリスクのみならず、リスクの削減と結びついたリスクに対しても十分に注意した上で、安全マージンを課すことである。[p.167]」
・「政府が、恐怖を減らそうとしてその恐怖を生み出す活動を規制すると、その活動が規制するに値するのだと暗示することになり、まさにその活動に対する恐怖を非常に強めることになるかもしれない。[p.175]」

第6章、費用と便益
・「費用便益分析が規制に関する決定をコントロールすべきだとは私は主張しない。この分析は選択ルールを確立するものではない。・・・予防原則と比較した場合における費用便益分析の主要な長所は、後者が、狭い視野ではなく広い視野を与えてくれるということである。[p.178-179]」

第7章、民主主義、権利、分配
・「費用便益分析の最も重要な点は、何が実際に問題となっているかについてより具体的な感覚をもたらすことで、過剰な恐怖や不十分な恐怖に対する対応となることである。少なくとも、何もしないこと、規制すること、それぞれの選択肢の予想される効果を非金銭的に示すことが重要である。そしてこれらの効果を、金銭的等価額に換算しなければならない。それは算数によって拘束衣を着せようというのではなく、分析を整理して一貫性を促進するためのものである。・・・もっとも困難な種類のリスクから防御するためには、安全マージンが用いられるべきである。そして不利な立場にある人々が、一つあるいは他の選択肢によって大きな利益をあげられるのであれば、費用便益分析が他の選択肢を提案する場合であっても、その選択肢を選ぶことは合理的である。[p.242]」

第8章、リバタリアン・パターナリズム
・「リバタリアンたちは選択の自由を信奉し、パターナリズムを非難する。パターナリストたちは拘束されない選択の自由に懐疑的であり、リバタリアニズムを非難するものと思われている。[p.244]」「リバタリアン・パターナリズムは、比較的弱い、押しつけがましくない形態のパターナリズムである。選択が妨害されたり制限されたりするわけではないからだ。その最も慎重な形態におけるリバタリアン・パターナリズムは、制度立案者が望ましいと思う選択肢から離脱しようとする人々にごくわずかな費用を課すだけである。[p.146-147]」
・「人々の恐怖はしばしば現実を上回る。他方で人々は、極めて深刻なリスクに対して無関心である。不運にも、現在行われている決定の多くはデフォルト・ルールの産物である。このルールが行動を形作る効果に関する真剣な省察は、これまでまったく行われていなかった。これに対する最も理に適った矯正策は、選択肢を奪う必要はないが、疑わしい場合には人々の幸福に軍配を上げるものである。[p.283]」

第9章、恐怖と自由
・「想起可能性ヒューリスティックや確率無視は、人々がリスクを実際のものよりもかなり大きいものとして取り扱うように仕向け、相当な損害をもたらす一方でほとんど利益をもたらさないようなリスク軽減方策を受け入れさせてしまう。政府の規制による負担に直面するのが多数派ではなく少数派である場合、不当な行動がなされるリスクはかなり増加する。・・・予防措置は愚かな不注意よりなお悪いかもしれない。残酷でかつ不正なものでありうるのである。[p.313]」「リスクが現実的であれば、ある程度の自由の侵害は不可避的であり望ましい。我々の課題は、人々の恐怖によって正当性を欠く規制がもたらされるリスクに対抗する一方で、自由を保障する諸制度に対してそれが適していないような役割までも認めてしまうことを避けることなのである。[p.314]」
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研究の場面において「恐怖」を感じ、それによって判断が歪められてしまうことはそれほどないかもしれません。しかし、本書で述べられているように、不確実性に直面した状況においてはバイアスやヒューリスティック、確率無視などにより不合理な信念を抱き、判断を誤ってしまう可能性はあると思います。まずは自分自身と所属する組織において、よりよい判断がなされるように考え方や行動を自省してみる必要があるでしょう。加えて、本書は、社会で不確実性がどのように捉えられがちであるかも解説してくれています。今や、新しい技術の導入や、技術の変化が社会にどういう影響を与えるかを考慮せずに技術開発を成功させることは困難ではないでしょうか。そんな場合に、社会は不確実性にどう反応するのか、それに対して技術者としてどういうことができるのかを考える上でも本書は役に立つのではないかと感じました。


文献1Cass R. Sunstein, 2005、キャス・サンスティーン著、角松生史、内野美穂監訳、神戸大学ELSプログラム訳、「恐怖の法則 予防原則を超えて」、勁草書房、2015.
原著表題:Laws of Fear: Beyond the Precautionary Principle

参考リンク


研究開発活動に影響する環境要因と競争:研究開発マネジメントの実践と基礎知識1.3.3)(「ノート」全面改訂第7回)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと
1.1
、研究開発とは?
第2回第3回
1.2
、研究開発活動が本来的に持つ不確実性第4回第5回
1.3
、研究開発活動に影響する環境要因、1)研究を進める上で忘れてはならない(が忘れてしまいやすい)こと:環境要因、2)環境要因検討の重要性と競争相手を分析する意義

3)環境要因と競争に関する考え方
前回は、研究をとりまく環境要因として、競争相手の分析、特にその意図の分析が重要であることを述べました。もちろん、それ以外の環境要因は無視してよいというわけではなく、例えば競争環境の分析におけるポーターの枠組み(5つの力・・・参照ください)は、検討すべき環境要因のリストとして極めて重要で使いやすいものだと思います。ただ、前回も触れたように、「『安定』と『予見性』を前提としている」こと、「人の認知面に入り込まない」(入山氏[文献1]による)という問題、言い換えれば、環境要因が時間とともに変化することや、競争要因の変化の方向を予測するのに必要なステークホルダーの意図や行動にあまり注意が払われていないという問題が指摘されていることは、最近の経営環境を考えるには物足りない枠組みである可能性も大きいと思います。これに対し、「競争相手」の視点、競争相手やステークホルダーの「意図」を探るという視点を持つことによって、環境要因を表面的で静的なものではなく変化しうるものと捉え、その本質や変化の方向性が予測しやすくなると思われますので、今回は、競争と環境要因の問題を、変化と意図の視点から考えてみたいと思います。

従来の環境・競争要因の捉え方の問題点
・まず、従来の考え方の問題点とされている「安定」と「予見性」について考えてみましょう。例えば、マグレイスは2013年の著書、「競争優位の終焉」[文献2]で次のように述べています。「現在用いられている戦略のフレームワークやツールはほぼすべて、ある一つの考え方に支配されている。つまり、戦略の目的は持続する競争優位の確立だというものである。・・・本書で私は、この『持続する競争優位』という概念に立ち向かい、経営陣はそれに基づく戦略論を放棄する必要があると訴える。かわって、『一時的な競争優位』に基づく戦略について展望する。不安定で不確実な環境で勝つためには、経営陣はつかのまの好機を迅速につかみ、かつ確実に利用する方法を学ばなければならない。[文献2、p.iii]」「持続する優位性という想定が生み出す安定重視の姿勢は、命取りになりかねない。・・・熾烈な競争環境では、変化ではなく安定こそがもっとも危険な状態なのである。・・・安定という仮定はあらゆる間違った反応を引き起こす。既存のビジネスモデルに沿おうとする惰性と力を強める。人々の精神を型にはめ、習慣に従わせる。縄張り争いや組織の硬直化を招きやすい状況をつくる。イノベーションを妨げる[文献2、p.8-9]」。マグレイスは持続的な競争優位を狙うという考え方の問題点を指摘していますが、その狙いにより環境要因も持続的で安定的であると誤解してしまう、という問題点も指摘しているものと考えてよいと思います。
・では、環境要因が持続的で安定的でないとすれば、環境要因を変化させる原因は何でしょうか。最も大きな原因は人の意図ではないでしょうか。表面的なデータの分析から得られた環境要因が「安定」で将来も「予見」可能であるとすれば、ステークホルダーの意図はあまり考える必要がありませんが、最近の経営環境ではそうした考えは単純にすぎるようです。例えば、マーケティングの世界でも単なる市場調査ではなく、顧客の意図をさぐるためのエスノグラフィーが注目されています。研究開発の分野では、「片づけるべき用事」という概念がChristensenらによって提唱されています。この概念は「顧客は製品を『買う』のではなく、自分の『用事』を片付けるために、その製品を『雇う』ということ[文献3、p.120]」というもので、「この概念により、顧客の視点で世界を見て、顧客が何を行っているかだけではなく、なぜそれを行なっているかを理解する[文献3、p.120]」ことがイノベーションにとって重要だとされています。

不確実性への対処と競争
・研究開発行為は、研究対象および周囲の環境から受ける不確実性を減らす行為と言う事ができますが、それを競争相手よりうまく行うことが成功には必要です。ただし、研究においては、相手と同じ環境で、同じルールの下で競争するばかりではありません。環境は変化するものですし、その変化を積極的に変えたりルールそのものを変えてしまうことさえ可能な場合があります。不確実性への一般的な対処方法については、第5回で検討しましたが、環境要因の変化を前提とするなら、その方向を左右する要因をより深く、広く知り、変化をより正確に予測することが有効でしょう。また、時には競争相手と異なるアプローチをとったり、競争上有利な状況を選択したり創造していくことも必要ではないでしょうか。競争相手を含めたステークホルダーの意図を知ることはそのために役立つと考えます。

競争上有利な状況をいかに選択し、つくりあげるか
競争において有利な状況と言えば、まずは競争の「ない」状況でしょう。これには、競争相手のいない分野でビジネスを創造するという方法と、競争相手よりも格段に優れた方法で差別化を行うという方法があると思います。以下、いくつかの方法を見てみましょう。
・競争を避けようとする代表的な考え方としては「ブルー・オーシャン戦略」[文献4]が挙げられます。ブルー・オーシャン戦略は必ずしも研究開発を対象にしたものではありませんが、1)市場の境界を引き直す、2)細かい数字は忘れ、森を見る、3)新たな需要を掘り起こす、4)正しい順序で戦略を考える、5)組織面のハードルを乗り越える、6)実行を見すえて戦略を立てる、という6つの原則[文献4、p.43]により、競争のない未知の市場空間を開拓することによって、競争を無意味にする[文献4、p.31]ことを目指しています。この時、注意すべきなのは、単に競争のない市場を探して進出するということではなく、今までになかったような市場や新たな価値提案を行なうべきだということでしょう。そういう意味では、研究開発やイノベーションの進め方と基本的な考え方は同じであるように思います。
・競争相手との資源の違いを活用する方法も考えられます。組織における人間の発想は、その組織が持つ人材、技術、知識、情報(置かれた環境の違いも当然反映されます)、設備、提携関係などの資源の影響を受けます。従って、資源が異なれば違う発想が生まれる可能性も高くなるでしょう。競争相手の意図を考える際には、競争相手がどんな資源を持っているかは重要なヒントになります。なお、外部の資源を有効利用して研究開発を行なうオープンイノベーションの考え方のもとでは、どんな企業と協力関係にあるかも資源として考慮する必要があるでしょう。想定される競争相手が保有していないと考えられる技術要素、資源、競争相手が気づきにくいと考えられるニーズに基づくアイデアで差別化が可能になる場合があります。
・非対称的モチベーション[文献5、p.42](不均等の意欲[文献6、p.114,501])を活用する:Christensenらによる破壊的イノベーションの理論において、不均等の意欲とは、「ある企業が、別の企業にはその気のないことをするときの状態[文献6、p.501]」とされています。破壊的イノベーションは、既存企業にとって魅力のない市場、気づかない市場に新興企業が参入することによって起こる場合がありますが、この時、既存企業が参入する意欲のなり新市場は、新興企業にとっては競争のない市場(少なくとも強大な資源を有する既存企業とは競合しない市場)ということになります。
・セレンディピティーを活用する:偶然が、自らと競争相手に同じタイミングで訪れる可能性は低いでしょう。従って、偶然によるセレンディピティーを活かすことができれば、競争相手との差別化が可能です。もちろん、偶然をコントロールすることはできませんが、偶然によるチャンスを生かす能力を磨くことによって、競争相手が保有しない技術要素を身につけられる可能性があります。
・自社と競争相手の環境要因や意図の違いが明確でない場合、差別化できるアイデアが得にくくなりますが、マネジメントの方法を工夫することで、競争相手より優れたアイデアを発想できる場合があります。例えば、同じ資源を使っていても、その組み合わせ方を工夫するアプローチが可能で、この方法は近年注目されていると思います。具体的には、技術要素は同じでもビジネスモデルを工夫する、外部の知識を内部の知識と組み合わせて活用する(模倣も含めて)、組織の多様性を高め多様な知識の組み合わせを模索する、失敗事例からうまく学習するなど、従来の仕事のやり方を見直すことも、競争相手にはできない差別化につながる可能性があります。競争相手の意図を探る場合には、競争相手がマネジメント上の工夫をしているか、新しいマネジメント手法の活用に積極的な人材がいるかどうかも考慮する必要があるでしょう。

研究が本来的に持つ不確実性と、競争相手の存在を考えると、論理的な思考に基づいて立てた戦略が必ずしも有効であるとは限りません。もちろん、論理的な分析と思考が有効な場合もあり、そうした思考が状況の理解を深め、専門性を高めることにつながり、また新たなアイデアのヒントになることもありますので、論理的な推論が無駄とはいえませんが、自分が考えることは、たいてい競争相手も同じように考えている可能性がありますので、論理的思考だけで競争相手より優位に立つことは難しいかもしれません。イノベーションの成功のためには、単に狙った技術を実現するだけではなく、競争相手より優れた価値を提供することが必要なことを考えると、まずは、競争相手の存在を認識し、その意図を予測することで競争相手がどう動くかを想像し、それに対応した戦略を立てることが必要なように思われます。さらに、競争相手を含む様々なステークホルダーの意図を考えることで、環境要因の変化をつかむことができれば研究の成功確率も上げられるのではないかと思います。


文献1:入山章栄、「世界標準の経営理論 第3回 SCP理論② ポーターのフレームワークを覚えるよりも大切なこと」、Diamond Harvard Business ReviewNovember2014p.126.
文献2:Rita Gunther McGrath2013、リタ・マグレイス著、鬼澤忍訳、「競争優位の終焉 市場の変化に合わせて、戦略を動かし続ける」、日本経済新聞出版社、2013.
文献3:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V.,Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献4:Kim, W.C., Mauborgne, R., 2005W・チャン・キム、レネ・モボルニュ著、有賀裕子訳、「ブルー・オーシャン戦略」、ランダムハウス講談社、2005.
文献5:Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー著、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.
文献6:Christensen, C.M, Anthony, S.D., Roth, E.A., 2004、クレイトン・M・クリステンセン、スコット・D・アンソニー、エリック・A・ロス著、宮本喜一訳、「明日は誰のものか」、ランダムハウス講談社、2005.(現在は櫻井祐子訳による改訳版「イノベーションの最終解」、翔泳社、2014が市販されていますが、本ブログ記事での引用部分は旧訳によるものです)

「教科書を超えた技術経営」(伊丹敬之編著)より

研究開発はその目標も、取り巻く状況も様々です。従って、研究を成功に導く方法も事例によってかなり異なるはずです。もし、そうした様々な事例から、共通する成功要因を探し出し、それを教科書にまとめることができれば研究開発の成功確率も高まるのではないか、とは誰もが思っているでしょうが、そんなことは原理的に不可能なことかもしれません。

では、研究マネジメントの有効性を高めるにはどうしたらよいのか。おそらく、研究開発の成功を左右するマネジメント要因はどういうものかを常に考えながら多くの事例、多くの考え方に触れ、その中から汎用的な原理原則に近いものを抽出していくことが必要なのではないかと思います。今回は、そのような検討の材料とする意味も含めて、いくつかの技術経営事例について、その成功に関わったであろう要因について考察を加えた「教科書を超えた技術経営」(伊丹敬之・東京理科大学MOT研究会編著)[文献1]の内容をご紹介したいと思います。

総論、イノベーション経営のウソ・マコト(伊丹敬之)
・「イノベーションとは、『技術革新の結果として、新しい製品やサービスを作り出すことによって人間の社会生活を大きく改変すること』[p.22]」。「一つのイノベーションが結実するまでには、実は非常に長い時間がかかる。そのプロセスは、次の三つのステップが段階を追って積み重なっていることが多い。(1)筋のいい技術を育てる、(2)市場への出口を作る、(3)社会を動かす[p.22-23]」
・市場への出口の作り方についてのウソ:マーケットインのウソ(「自分たちで作れる製品は何かを中心に考えてしまって、ニーズがあるかどうかをついつい軽視してしまうのは、多くの企業で起こる現象であろう。それへの警鐘として、『プロダクトアウトはいけない』という部分は正しい。しかし、それを是正しようとするスタンスを、マーケットインという言葉で表現していいのか。・・・マコトは『顧客イン』というスタンスだと思う。・・・マーケットインで考えよ、と言われると、みんなですぐにマーケットの現状を調べる。そのために市場調査をする。その結果、二つのことがわかるだろう。一つは、実際の売り上げはどのような製品に向かっているか、という実態である。もう一つは、競争相手がどんな行動をとっているか、という実態である。いずれの情報も、手に入れた方がいい情報である。・・・しかし、顧客の潜在的ニーズについては、市場の売上データは何も語ってくれない。その潜在的ニーズは、『顧客の心に棲んでみる』ことによってしか想像できない。しかし、マーケットのデータはそうした方向への探索の努力を小さくしてしまう危険がある。・・・競争相手の行動について情報がくわしく手に入ることも、・・・危険がある。・・・どんな項目についてベンチマークすべきか、ということを決める時点で、顕在化しているニーズへの偏りが生まれている。・・・ベンチマーキングは劣位解消の行動への過剰反応を引き起こし、結果として優位を作る行動につながらない危険がある。[p.24-27]」)、「製品企画・設計技術こそ命」のウソ(「イノベーションのプロセスではまず、新しい製品が企画され、うまく設計され、きちんと生産されてはじめて、市場に届く。・・・そうした製品企画・設計・生産という一連のプロセスがすべて有効に行なわれなければならないのだが、現実は製品企画や設計にばかり光が当たりがちである。・・・しかし・・・生産技術がしばしば本質的重要性を持つことも多い。・・・市場が拡大してくると、生産技術の深い蓄積が大切となる第二の理由が見えてくる。それは、『生産技術は競争相手に模倣されにくい』ということである。[p.28-31]」)
・筋のいい技術の育てかたについてのウソ:ステージゲートなどの「管理の見える化」のウソ(「問題は、見える化が説得性高く行える定型性の高い仕事の場で作られた手法を、不確実性も高く定型性も低い研究開発の現場で機能するように翻訳するのがむつかしいということである。・・・こうした翻訳のむつかしさに深く目配りをしてシステム設計とシステム運用をしないと、二つの歪みが出てしまう危険が大きい。・・・第一の歪みは、現場が『見える化』システムに対応して、そのシステム向けの化粧を施した歪んだ行動をとることである。・・・もう一つの歪みは、・・・研究開発の管理をする側が楽をしてしまって技術の目利きが育たなくなる、というマイナスである。[p.34]」)、セレンディピティのウソ(「偶然に見えることの中に宝が潜んでいることを、セレンディピティという。・・・セレンディピティだからと否定的に捉えて、それを積極的に活用するような姿勢をあらかじめ持とうとしないのも、もったいない。それをセレンディピティのウソと呼ぼう。[p.36]」)
・「自然から学び、顧客から学ぶという学習活動を、企業はチームとしてやっている。・・・そうしたチームとしての学習活動のマネジメントが、イノベーション経営の本質である。[p.40]」「市場への出口の作り方についてこの章で取り上げた二つのウソは、そのプロセスでの学習の対象についてのウソ、勘違いであった。・・・筋のいい技術の育て方についてこの章で取り上げたふたつのウソは、学習のやり方についてのウソ、勘違い、と整理できるだろう。[p.42-43]」

第1章、技術者による、技術者のためのマーケティング(宮永博史)
・「ここでは、・・・技術者が『技術マーケティング』を行ううえでの問題点とその解決方法について考えてみたい。・・・一般消費者を対象とするマーケティングに対して、技術マーケティングには、三つの特徴がある。(1)顧客を特定しやすい、(2)顧客も専門家である、(3)顧客の先に顧客がいる[p.54-55]」
・「村田製作所は、37歳の係長でも、担当する製品に関しては、まるで『社長』のように、世界中の顧客と交渉し、即断即決で事業を進めていく権限委譲体制を作り上げてきた。・・・現場で『社長のように』意思決定をして事業を推進していける人材を発掘し、長い時間をかけて育成し、各現場に配置している[p.67]」
・「技術マーケティングを担う人材に必要な能力の筆頭に上げられるのは、情報収集を含めたコミュニケーション力であろう。・・・コミュニケーションをよくするには、ロゴス、パトス、エトスという三つの要素が必要となる。・・・ロゴスとは、言葉、知識、論理といったことを意味するが、技術マーケティングでは、技術的な専門知識は不可欠だ。・・・次に必要となるのが、パトス、つまり熱意だ。・・・そして、最後がエトス、信頼関係だ。[p.72-73

第2章、「枯れた技術」を活かしきる競争優位(野島俊則)
・「『枯れた技術』とは、決して最先端の技術でもなく、むしろすでに使いこなれた技術であり、技術や部品を外部から調達する場合も、比較的安価で誰でも調達しやすい技術のことをいう。・・・『枯れた技術』で競争優位を持続している代表選手として、・・・テプラを取り上げる。[p.82-83]」(テプラ:キングジムの表示ラベル作成文具、1988年の発売以来トップシェアを維持)
・「『基本操作(機能)はあえて変えない』、使い勝手のよさを追求する『小出しのアップグレード』、『小さな特許を数多く束で持つ』。・・・これらを『束にして』確実に履行していくことが、競争優位の持続という大きな成果を得るうえで、後になってジャブのように効いてくる。『枯れた技術』ならではの競争優位の持続とは、こうした地味で小さなことを少しずつ積み重ねていくこと、これが一番の成功要因だといえるだろう。[p.109]」

第3章、三つの“敢えて”――グローバルニッチトップをとる(高瀬英明)
・「ニッチ市場で実質的な独占を目指すことを理想に掲げても、その実現は容易ではない。次に挙げる各ステップをどう乗り越えるか、一つひとつのステップを乗り越えてはじめて市場が生まれ、高いシェアを獲得できる。(1)ニッチ市場を創出する(突破口)、(2)ニッチ市場を拡大させる(手配り)、(3)新たなニッチ市場に展開させる(ジャンプ)[p.114]」
・根本特殊化学の事例から導かれる3つの“敢えて”取り組む戦略的行動[p.115-116]:(1)“敢えて”規格や規制を厳しくする(厳しい規格を満足する製品を提供することで、顧客の採用を促し、競争品と差別化する)、(2)“敢えて”顧客の製品を作ってしまう(「直接の顧客の主力製品ではない製品を作り、最終顧客との接点を持つ[p.135]」)、(3)“敢えて”製品の価値をずらす(「製品の価値を言い換えたり・・・別の価値を訴求点として新たな顧客や市場に問いかけたり・・・する[p.136]」)

第4章、美しいデザインで企業は成功する(菊地雅博)
・「製品の機能性や経済性を無視してまでもデザインだけがイノベーションの駆動力を持つということはない。しかし、美しいデザインには独特の伝染力がある。・・・まず、デザインが素晴らしいと、それが人々の感性に訴える。その感性への働きかけが、その製品を持つ人、使う人に感動を与える。これが・・・【感動の強さ】である。そして、人々が感動するから、美しいデザインは記憶に残りやすい【残存効果】。そして同時に、その製品を見た人、使っているのを観察している人(つまり製品を買った人以外の他人)にもデザインは見えるため、そのデザインのよさがその人たちにも伝わり、また見せたくなる【影響人数】。[p.156-157]」
・「アップルの製品は、既存のテクノロジーの組み合わせに過ぎないといわれ、斬新なテクノロジーなど一つもないと指摘されることがある。しかし、重要なのは、コンセプトに合わせて、様々なテクノロジーの組み合わせから美しいデザインの製品を作り出したことである。[p.173]」

第5章、非常時の現場力――場の情報の流れが、創意工夫を生み出す(佐藤大輔)
・東日本大震災からの東北新幹線の復旧、アイシン精機工場火災時の部品供給の事例をもとに、その背後に存在する論理を「場という概念、場と場の間の情報の流れという観点から考える[p.182]」。
・「場とは、『人々が参加し、意識・無意識のうちに相互を観察し、コミュニケーションを行い、相互に理解をし、相互に働きかけ合い、共通の体験をする、その状況の枠組み』のこと[p.192]」。
・「本部と現場、中心になる会社と協力企業、といった『大きな場』と『小さな場』という関係は、多くの組織あるいは組織間協働プロセスに見られる。・・・大きな場の中心的役割は、全体の戦略を決めて、それを現場がわかるようなかたちで発信することである。・・・実は、小さな場からの逆方向の情報の流れが、フィードバック情報として重要な役割を果たしているので、それに鋭敏に耳を傾け、そうしたフィードバックを来やすくするのも、・・・そうした現場の創意工夫をきちんと取り上げて全体で共有するようにするのも、大きな場の役割の一つなのである。・・・大きな場の役割は、複数の小さな場に対して方針(戦略)を示すことだけではなく、小さな場からの逆方向の情報の流れを次々と捕捉しながら、方針(戦略)を軌道修正することによって実行の可能性を高めることである。[p.201-203]」

第6章、モノを媒体として、コンセプト具現化での合意を作る(金田利彦)
・マツダのロードスター開発での感性的なコンセプトを具体化する際のモノの役割を考察。
・「感性的なコンセプトを出発点として自動車のような複雑な製品の開発プロジェクトが動いていく場合に、・・・必ずしもすべての担当者が同じ理解に達することはむつかしい・・・こうした状況で会話を成立させる一つの要因が、モノという媒体の存在である。・・・モノを媒体とする合意形成のプロセスの第二の意義は、モノが触媒の役割を果たしてくれることである。・・・開発プロトタイプを使うことで、そのモノによって関係者の発想が刺激されて、あたかも触媒として機能し、関係者が自分の既知の限界を超えることがあり得る。[p.232235]」

第7章、成功する組織統合――現場での情報と感情の流れが左右する(東海響一)
・JFEホールディングスの経営統合事例から、組織統合に伴う現場合理性の確立を議論。
・「現場合理性とは、現場の仕事がうまくいくように、現場の組織と人間関係を、当事者たちが納得するようなかたちに作ることである。・・・そうした現場合理性を作り出すためには、現場での情報の流れのマネジメントと感情の流れのマネジメントが重要・・・。こうした現場合理性は、研究開発の現場で特に重要になると思われる。[p.241-242]」
・現場合理性を生むための施策(JFEホールディングスの経営統合の際にとられた施策をベース):(1)重複テーマをあえて解消せず、飛躍技術狙いと延長技術狙いにずらす、(2)組織間の距離をあえて置き、非融合から生まれる感情の流れを機能させる、(3)顧客との接点をあえて強調し、顧客の圧力のもとに協働せざるを得なくする。[p.251
・「現場で情報と感情の論理が成立する(つまり現場合理性が成立すること)ことで、組織統合で必要なものが加わり、不要なものが捨てられ、その結果として新しいものが生まれる可能性が高くなる。組織統合の成功に現場合理性が重要であるゆえんである。[p.268]」
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編著者の伊丹氏は、本書の「はしがき」で、「教科書に書いてある基本的なことを踏まえたうえで、しかしそれを超える、意外性の経営が求められている。それがこの本の基本的メッセージである。[p.3]」と述べています。本書の事例を見ると、あらためて研究開発やマネジメントの多様性を認識させられますが、そこから何らかの示唆を得ることは、それが意外であってもなくても重要なことだと思います。本書各章の考察は、少数の事例に基づいたものですので、その汎用性は確実なものではないかもしれませんし、考察の内容も、他の解釈が可能なものもあると思いますが、ひとつの仮説として示唆に富んだ指摘も多いと感じました。研究には多様な側面がありますので、どんな研究も成功させられるような単純な手法や戦略がないことは当然のことだと思いますが、このような考察を積み重ねることで、どういう特徴をもつ研究開発は、どんな風に進めたらうまくいくのか、どうしたら失敗しやすいのか、というようなことがわかれば実務家にとっての価値は大きいと思います。こうした事例の蓄積と、それを整理する試みにはこれからも期待したいと思います。


文献1:伊丹敬之・東京理科大学MOT研究会編著、「教科書を超えた技術経営」、日本経済新聞社、2015.


霧の晴れる瞬間を求めて(マスビェア、ラスムセン著「なぜデータ主義は失敗するのか?」より)

判断を下す際に何らかのデータを考慮することは、誰でもやっていることでしょう。データに基づいた判断はよい結果を与えてくれることが多いわけですが、冷静に考えると、データだけを判断基準にしてよいのか、手持ちのデータは判断の根拠としてふさわしいものなのか、など考えなければならない点もあります。
特に数値化されたデータはわかりやすく、処理もしやすいことから、目標の管理や状況を知るための指標、判断材料としてよく使われますが、数値万能の考え方には問題点があることも事実だと思います(例えば、本ブログ「数値目標の功罪」参照ください)。

要は、どんなデータがどんな場合に使えるのかを知り、状況に応じてデータをうまく使うことが重要、ということになると思いますが、現実にはそうした点に注意を払わず、ただ習慣的にデータを使っていることも多いのではないでしょうか。マスビェア、ラスムセン著「なぜデータ主義は失敗するのか? 人文科学的思考のすすめ」[文献1]では、そうした習慣的傾向、データ信奉の先入観に警鐘を鳴らし、データ主義では対応がうまくいかない場合の方法論を提示しています。この書名からだと、データ主義の問題点を指摘しているだけのような印象を受けますが、原著の表題は、「The Moment of Clarity」で、訳者あとがきによれば「本書では、進むべき道を見失った企業の陥っている先行き不透明な状況を『霧』にたとえ、企業が針路を見いだしてこの霧の中から抜け出す瞬間を<霧の晴れる瞬間>と呼んでいる。これが『The Moment of Clarity』である。[p.304]」とのことです。つまり、本書は、データ主義をはじめとする従来の手法が役立たない先行き不透明な状況で役立つ考え方を提案したものと理解してよいと思います。著者は次のように述べています。「本書の目的はただ一つ。人を理解するのにもっとよい方法があるということを示したい[p.17]」。以下、そのポイントをまとめたいと思います。

1、霧の中を進む
・「戦略のほとんどは直線的な問題解決法を用いて策定されており、合理的で論理的な分析によって事業から最大限の成長と利益を得ることを目指している。演繹的な論理としっかり構築された仮説、そして根拠とデータの徹底的な収集によって、戦略策定の作業を厳密な規則に変えることが理想とされる。・・・今日では、あらゆる問題解決において暗黙のデフォルトツールとなっている。こうした直線的なマインドセットは、物理学や数学のようなハードサイエンスを範としたものだ。つまり過去の事例から学んで、数字で検証できる仮説を生み出すのだ。帰納的推論を土台とするので、過去に得られた既知のデータから推測される情報の分析はきわめてうまくいく。デフォルト思考は効率を生み出し、資源を最大限に利用し、製品ポートフォリオのバランスを整え、生産性を高め、最短で最大の資本回収が可能な市場に投資し、業務の煩雑さを削減し、一般に投資に対してより多くの見返りを得るのを助ける。要するに、システムの生産性向上さえなし遂げれば達成可能な経営課題に対しては、デフォルト思考はすばらしく有効なのだ。[p.31]」
・「直線的で合理的なアプローチが有効な場合がある一方で、一筋縄ではいかない、霧の中を進むような課題については、哲学や歴史、芸術、人類学といった人文科学で用いられる問題解決法が役に立つ。私たちは後者の問題解決法を『センスメイキング』(意味を見出すこと)と呼んでいる。[p.32]」
・「自然科学は『属性』・・・をもつデータに着目するのに対し、人文科学は人がそれらの属性をいかに『体験』するか・・・に光を当てるデータを追求する。私たちは人間の体験を検分するデータを『アスペクト』と呼ぶ。[p.33]」
・「私たちは道を進むためのガイドブックとして本書を執筆した。現在の事業戦略で用いられている前提について読者が批判的に考えるのを助け、格別に手ごわい経営課題に取り組む画期的な方法を提示することを目指している。・・・あまりにも長きにわたって会社役員は、自分たちが消費者行動を単純化しすぎているという思いを抱きながらも、同じタイプのデータやツールにすがるということを何度も繰り返してきた。人文科学を発見のための枠組みとして使うのは単純な作業ではなく容易でもないが、その有効性は長年にわたって無数の状況で実証されてきた。それなりのスキルをもって実践すれば、センスメイキングのような手法は市場の力学についてこれまでよりも格段に深い理解をもたらしてくれる。あたかも長い夜の終わりに地平線の向こうから朝がやって来るように、『わかった!』と思える瞬間が訪れる。[p.36-37]」

第1部、人を正しく理解できないのはなぜか

第1部では、人を誤った方向にみちびく従来の考え方が検討されます。

2、事業分析、データ、ロジック デフォルト思考的問題解決法
・「デフォルト思考による問題解決モデルは、目的合理主義(マックス・ウェーバーが唱えたもので、最適な手段を用いて目的を達成しようとする態度)と呼ばれる考え方に根ざしている。このモデルの中核にあるのは、経営課題は客観的で科学的な分析によって解決できるという考え、そして意見や嗜好よりも根拠と事実を優先させるべきという考えだ。[p.50]」
・デフォルト思考の前提[p.53-79]:1)人は合理的な存在で十分な情報をもっている、2)明日も今日と同じような日になるはずだ、3)仮説は客観的でバイアスがかかっていない(「どんな仮説も必ず何かを基盤としているものだ。その基盤とは、科学ではなく文化の産物であることが非常に多い。・・・私たちの仮説が客観的事実にもとづいていることは皆無に近い」)、4)数字だけが真実である(「ロジャー・マーティンは、企業が量的モデルばかりに目を向けていたら成長機会の可能性を十分に見出すことができなくなると訴える。『量的アプローチの最大の弱点は、事象を現実世界の状況から抜き出したり、モデルに含まれない変数の影響を無視したりすることによって、人間の行動をコンテクストから切り離してしまうことだ』」)、5)人間らしさをなくす言語を用いなくてはいけない(専門的な用語で人間の世界から切り離す)

3、クリエイティブになろう! 枠にとらわれない思考による問題解決法
・デザイン思考、ブレインストーミングなどの枠にとらわれない思考の問題点:「ビジネスにおける創造力をめぐる言説は、極端なケースではばかげていることも少なくないが、従来の経営論理の限界に対して強まりつつあるもっともな懸念に向きあっていることは間違いない。公平に言って、枠にとらわれない思考を構成する要素の多くが企業に成果をもたらしているのは事実だ。たとえばブレインストーミングは、定義が明確で限られた問題に対して多様なアイデアを生み出すにはすばらしいツールとなる。製品のバリエーションや製品名、企業や製品のキャッチコピー、現実的な問題を解決する代替手段、ユーザーの属性リストなどについてのアイデアを得るには有用だ。オフサイトのクリエイティブワークショップの段取り全体――打ち解けるための活動やスピーディーなアイデアの展開から活発なチームワークに至るまで――は、チームのパフォーマンスや知識の共有、参加しているという実感、そしてそこで生じる純然たる楽しさに対して、大きく影響する。しかし、新製品が立て続けに失敗した理由や、企業全体が何四半期も続けて巨額の損失を出しているときに打つべき手、あるいは将来を把握して賭けに出る方法を役員に理解させる助けにはならない。枠にとらわれない思考によるアプローチの問題点は、その意図ではないしツールやプロセスでもない。このアプローチに伴う根本的な誤りは、手っ取り早く効率的に何度でも簡単にリスクなしでアイデアが生み出せると思わせてしまう点にある。人を正しく理解するには、クリエイティブなアイデアを温める時間を長くするとともに、人間の行動をもっと深く探ることが必要なのだ。また往々にして、訓練や予備知識、あるいは経験が求められる。・・・ブレークスルーとなる洞察が、工場で製品を生産するのと同じように生み出されることはない。そうした洞察は、地平線の向こうからぼやけた影が見えてくるように、形成途上の姿で私たちのもとへ現れる。・・・このようにして訪れた理解の端緒が認識可能な洞察になるとき、私たちは<霧の晴れる瞬間>に到達する。[p.107-109]」

第2部、人を正しく理解するには
・「デフォルト思考が機能していないことが明らかな場合、人はなんらかの手法と思われるものに頼ろうとするが、じつはそれがとうてい手法とは呼べないようなものということがままある。・・・近ごろ世に出回っていて最も人気があるが最も誤解を招きやすい戦略的解決策の欺瞞を明らかにしておこう。[p.113]」
・ビッグデータによる解決策:「ビッグデータによる解決策はテクノロジーのみを重視し、『人間の脳』という何よりもすぐれた計算装置の重要性を軽んじる。しかし・・・結局はいずれかの段階で人間がデータを分析しなくてはならない。アルゴリズムがもたらすものを把握できる展望(パースペクティブ)をもつ人間がいなくてはどうにもならない。このパースペクティブ、すなわち<霧の晴れる瞬間>は、時間と深い思考と経験を必要とする。ところがビッグデータはいずれの必要も満たすことができない。[p.114]」
・「スティーブ・ジョブズ」的解決策:「チームの誰かがスティーブ・ジョブズの役割を演じるべきだ[p.114]」
・カスタマイズによる解決策:「消費者は自分の買う品物を自分仕様にしたがっている、という考えに固着した戦略[p.115]」
・オープンイノベーションによる解決策:「イノベーションが企業の外で起きれば問題は解決される。[p.116]」
・ソーシャルメディアによる解決策:「ソーシャルメディアによって消費者層とブランドとの関係が変えられると信じさせる解決策[p.116]」
・「これらの解決策は真実を含んでいるかもしれないし、インスピレーションさえ与えてくれるかもしれないが、会社のためになる長期的戦略を生み出せるものは一つもない。市場が見通せるパースペクティブを与えてはくれないし、会社の中核で変化しつつある現象を明らかにするというもっと厄介な作業をしてくれるわけでもない。・・・これらのアイデアが長期戦略的な解決策として与えてくれる安心感に背を向けるのは容易ではないが、それらに限界があることは誰にもわかっている。自社の消費者の行動をもっと深く探ることによってのみ、イノベーションと将来の成長への機会が開けてくる。現実をありのままに受け入れること、すなわち生活の真のあり方を受け止めることによってのみ、私たちは本当に重要なものが何かを知ることができるのだ。[p.117-118]」
4、人文科学
・「本書では、・・・経営課題を解決するための、人文科学に由来する理論的な背景を紹介する。この背景は決してすべてを網羅するものではないが、お仕着せの回答など用意されておらず、型にはまらない探索の流儀を読者が独自に築き始める際に指針とすることができる。[p.124]」
・「現象学とは、人が生活をいかに体験するかを扱う学問である。・・・現象学は・・・物事の本質を明らかにするのではなく、物事に対する私たちの関係の本質を明らかにする・・・現象学は何がどんなときに最も大きな意味をもつのかを教えてくれる。[p.125-127]」
・「行動をまず観察し、記録し、それから分析するプロセスであるエスノグラフィーは、人文科学における主たるデータ収集法の一つだ。・・・人文科学はすべてそうだが、エスノグラフィーもコンテクストの中でこそ最もよく理解できる。[p.142-144]」
・「測定装置から得られるのは属性に関する薄い記述であり、アスペクトに関する洞察は得られない。・・・厚い記述を正確に理解しようとするなら、背景、すなわちさまざまな世界のシステムがどのように構成されているか調べる必要がある。[p.152-153]」
・「パースは、新しいアイデアを生み出せるのは仮説形成的推論(アブダクション)――まず観察し、それから真でありえる仮説に進む推論方法――だけだと主張した。[p.159]」
・センスメイキングの5つのフェーズ:1)問題を現象としてとらえる、2)データを集める、3)パターンを探す、4)鍵となる洞察を生み出す、5)事業にインパクトを与える。[p.162-163

5、方向転換 レゴ
6、製品デザイン コロプラスト
7、企業戦略 インテル、アディダス

・センスメイキングの手法を用いて問題をとらえなおし、洞察を得た事例。

8、<霧の晴れる瞬間>を実現させるリーダーとは
・「人間の中核にはパースペクティブをもつ能力――重要なことや有意義なことに対処する能力――が存在し、敷衍すればすべての成功している企業の中核にもこれが存在する。パースペクティブをもつということは、特定の大事な事柄に優先順位をつけて、その順位によって一部の事柄は放棄することを意味する。収益性のある機会を別の機会のために手放すというリスクは、あらゆる提供価値の本質である。[p.243]」
・「適切なリーダー――自社に対する有意義なパースペクティブを見出した導き手――が存在しない限り、人類学者のチームを雇うだけでは大した変化は起こせないだろう。[p.248]」
・センスメイキング型リーダーの基本的特徴:「センスメイカーは、自社の提供する製品やサービス、そしてそれらが人に対して生み出す意味に強い関心を抱く。」「センスメイカーは、自社に関する確固たるパースペクティブをもつ。このパースペクティブは、現在の時間的地平や現在の会社の境界を越えてその先まで視野に入れる。」「センスメイカーは、社内に存在するさまざまな世界を結びつけることに長けている。大きなアイデアを理解し、行動に移し、実行し続けるために、組織は多様なスキルを擁するべきである。」[p.256
・「センスメイキング的な手法は直線的ではなく機械的でもないということを思い出してほしい。データの複雑な計算をする装置も用いない。それどころか唯一の正解さえない。リーダーはさまざまな洞察の意味を理解し、それらを目の前の問題に結びつけなくてはならない。それにはヒューバート・ドレイファスが言った『有意義な区別』を生み出す能力が必要だ。あるパースペクティブを選ぶときには、何が重要で何が瑣末的かを直観的にとらえ、何と何が結びつくかわかり、重要なデータや情報や知識を手にしている。そして、いわば結合組織としてこれらをすべて可能にするのが『気づかい』である。[p.258]」
・「特定のパースペクティブをもつ企業はそうでない企業と比べて、製品やサービスのイノベーションが格段にうまくいく。その理由の一つは、全社員が会社の目指す新たな方向性について同じような考え方を共有できる点にある。・・・もう一つの理由は、そのような企業は重要性の高い事柄に開発資源を優先的に回せるということだ。一定のパースペクティブのない企業は進行中の開発プロジェクトを大量に抱えていることが多く、資源をあまりにも広く薄く配分してしまう傾向がある。[p.267]」「パースペクティブをもたない企業は驚くほど多い。そのような企業では、上級幹部は・・・自分のキャリアや自社の業績ばかりに目を向けている。業績が好調なときにはそれでもかまわないかもしれないが、会社を霧から抜け出させるにはそのような視野のせまいパースペクティブでは不十分だ。[p.269]」
・「組織内の対話としてセンスメイキングの手法を設計する際に肝心なのは、批判や批判的思考を受け入れる余地を確保しておくことである。リーダーは、自分が常に正しい解釈をしているか、あるいは正しい道を理解しているか、自分ではわからない。そこで大事なのが、リーダーの考えに異議を申し立てる諮問チームをまわりにつくることだ。[p.276]」

結論
・「本書から何か一つだけ覚えてもらえるなら、次のことを心に留めておいてほしい。人を正しく理解することこそ、会社を霧の中から抜け出させる鍵であるということだ。[p.283]」
・「人文科学は人を正しく理解する助けとなる理論的な足場を与えてくれる。人間とは何よりもまず、社会的な生き物である。われわれが下す判断の大半は意識的なものではなく、むしろ自分の世界に対する『なじみ深さ』に応じてなされる。われわれは自分の置かれた雰囲気や社会的状況に従って選好を変える。われわれの選択はしばしば自然発生的になされる。われわれが最高の状態になるのは、世界にしっかりとかかわっているときである。[p.284-285]」
・「私たちは成功への三つの簡単なステップとか経営課題を解決する魔法のアルゴリズムなどは約束できないが、顧客が実際に生活をどう体験しているか理解するという目的地へ向かう旅路を約束することはできる。これこそすべてを変える瞬間、つまり<霧の晴れる瞬間>をもたらせる唯一の旅路なのだ。[p.289-290]」
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著者は、人文科学的手法を用いて物事の本質を掴むことの重要性を述べているわけですが、センスメイキングの手法自体は、科学研究の手法と共通する点もあります。結局のところ、課題によらず、知られていない物事の本質を掴みたいと思うなら、観察結果からアブダクションによって洞察を得ることは必須のことなのではないでしょうか。ただ、経営実務の世界では著者の指摘のとおり、こうした手法が軽視されていることは事実だと思います。確かに、顧客を物と同じように考えてモデル化したデータで考えることは比較的簡便で使いやすいですし、わかりやすい課題に関してはそれで十分に役立つこともあるでしょう。しかし、進むべき方向性を見失っていたり、顧客の人間としての側面についてのより深い理解が必要な状況にあるなら、人を研究対象とした人文科学的な手法を活用して得た洞察に基づいて戦略を考えることは重要なアプローチだと思います。

もちろん、センスメイキングには手間も時間もかかります。しかし、結局のところどんな課題も解決できる簡便な手法などというものは存在しないということでしょう。実務家にとっては、それぞれの手法が、どんな特徴を持っていて、どんな課題の解決に有効なのかをきちんと知ること、そして、解決すべき課題の性質に応じて、手法を使い分けることが重要なのだろうと思います。著者の提案は、そうした手法のラインアップのひとつとしてこれからますます期待されるようになるのではないか、と思いますがいかがでしょうか。


文献1Christian Madsbjerg, Mikkel B. Tasmussen, 2014、クリスチャン・マスビェア、ミゲル・B・ラスムセン著、田沢恭子訳、「なぜデータ主義は失敗するのか? 人文科学的思考のすすめ」、早川書房、2015.
原著表題:The Moment of Clarity: Using the Human Sciences to Solve Your Toughest Business Problems

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