研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2016年11月

「技術流出の構図」(藤原綾乃著)より

日本企業を退職した技術者が新興国企業に移り、その新興国企業の発展に寄与するという「技術者流出」の問題については本ブログでも何回か話題にしました(技術者流出考続・技術者流出考(谷崎光著「日本人の値段」より))。しかし、議論の基盤となるべき技術者流出実態のデータがほとんどないため、想像で補わざるをえないところも多く、もどかしさも感じていました。

そんな中、技術者流出についての研究成果をまとめた本(藤原綾乃著「技術流出の構図 エンジニアたちは世界へとどう動いたか」[文献1]を見つけましたので、今回はその内容をご紹介したいと思います。この本では、アメリカに出願された特許の発明者データに基づいて、日本からアジア企業に移った主としてエレクトロニクス分野の技術者の実態分析が行われています。特許データを用いるという制約があるものの、個人へのインタビューでは得られない情報が含まれおり、この問題を考える上での貴重な材料になるのではないかと感じました。以下、本書の構成にそって、興味深く感じた点をまとめておきたいと思います。

第1章、アジアに逃れた技術者たち
・移動時期:「移動者が移動前に出願した最後の特許の優先権主張年と移動先企業で出願した特許の最初の優先権主張年の中間時点を移動時期と設定[p.21]」。著者らが特定できた韓国企業への移動技術者は490人。「韓国企業への移動は1990年代後半に増えはじめ、2004年頃をピークに、近年は減少傾向にある[p.16]」。「近年では・・・R&D人材の移動がピークを越え、ほぼ収束状態にある。この原因としては・・・すでに一定の人材を確保したこと、・・・もはや日本から学ぶ必要はないと判断したのではないかと考えられる[p.30]」。中国企業への移動者数は196人。「移動者は2002年頃以降急激に増加・・・近年若干減少傾向にある[p.31]」。その他のアジア諸国(台湾、シンガポール、インド、香港、マレーシア、タイへの移動は350人。「一貫して増加傾向にある[p.34]」。「技術者の移動は、日本の電機メーカーでリストラが増加した年の2~3年後に必ず増加しており、リストラで放出された人材の多くが韓国企業に流れ、一部は中国企業にも流れたのではないかと推測される。[p.17]」
・キャリア年数:「最初にアメリカ特許出願を行った時点から移動想定時までの経過年数[p.36]」で評価。「移動者の中では、アメリカ特許出願の経験が5年未満の若手技術者が比較的多い[p.37]」。
・年齢:「初出願年を28歳時点と仮定し、転職者の現時点での推定年齢を算出[p.38]」。「40代で移動した技術者が4割超えを占め、30代、50代がそれに続くものと推測される。・・・中国企業へ移動する技術者は比較的若い傾向があり、30代、40代が約9割を占めている。・・・韓国企業へ移動する人材は比較的年齢層が高く、50代以上の技術者が4分の1近く存在するものと推定される。・・・その他アジア企業へ移動する人材は、40代を中心に多様な年齢層の人材が移動している[p.38]」「中国企業は『技術者・研究者の年齢が高いと技術も古い』と考えており、若い技術者から最先端の技術を取り入れたいという考え方が強いとの指摘もある。[p.40]」
・出身企業:「約6割が電機大手8社と大企業で占められている。[p.41]」
・実績:「移動発明者は顕著に特許生産性が高い・・・移動技術者の約8割が、全国の電機分野技術者のトップ25%以内に入っている。[p.45]」(ここで「特許生産性」とは「1年間に出願した特許の平均出願件数を言う[p.43]」)。優秀度として、発明者が関与した特許の1特許あたりの被引用回数を指標とすると、「韓国企業は優秀度の高い技術者・・・を明確に狙って採用しているのではないかと推測される。[p.46]」
・「日本企業の多くは、何とかリストラを進めなければならないという焦りが強く、新興国企業の動向に対する危機感や退職者への配慮が欠如していたことが、優秀な人材から海外流出するという結果につながったのではないかと考えられる。[p.52]」

第2章、選ばれる人材の条件
・技術者の特性を、キャリア年数、優秀度(関連特許の被引用回数)、複雑技術の応用力(関与特許の引用件数)、専門性(特許技術分野の集中度(ハーフィンダール(HHI)指数))で評価[p.75
・技術者のネットワーク上のポジション:ネットワーク分析により、スター性(次数中心性:他のノードと直接つながっているリンク数)、政治力(固有ベクトル中心性:次数の大きいノードとのつながりを評価、「重要な人物と最もよくつながり、重要ではない人物とはあまりつながっていない」)、仲介力(媒介中心性:他のノードと直接つながっていない関係をつなぐ)、社交性(近接中心性:「すべての頂点に到達するための距離の総和に基づき、他の点との距離が近いほど中心性が高くなる指標」)で評価。[p.75-86
・「サムスン電子の外部人材採用傾向は、幅広い技術を有し、技術の応用力の高い人材で、技術者ネットワーク内で政治力のある技術者を選ぶ傾向にある[p.90]」。鴻海では「強く重視しているのが、複雑技術の応用力と技術者ネットワーク内での政治力である。[p.91]」「華為技術は若い技術者を選ぶ・・・過去の実績の高さを重視する[p.92]」。LGでは「過去の実績、すなわち重要技術に関与した経験を強く重視している[p.93]」。現代は傾向が弱い。
・「本研究の結果からは、選ばれる人材の条件とは、第一に社内の人間関係において『政治力』があること、第二に『ゼネラリスト的技術者』であること、すなわち多様な技術分野の経験を有することが求められるという結論が導かれた。[p.96]」

第3章、ローカル人材の技術学習
・日本企業出身者と共発明経験のあるローカル発明者の特許が共発明経験によりどう変わったかを解析。
・「日本企業出身者と共同研究を行うことによって、その後日本企業が出願した特許を参照する回数が増加する[p.119]」「日本技術の『模倣』が効果的に実現できている。[p.119]」。「サムスンや鴻海、LGに関しては、日本企業出身者との共同発明経験を経ることによって、特許生産性が向上している。[p.120]」「一方で、日本企業出身者と共同研究を経験した後も、現地技術者の質的イノベーション創出効果は生じておらず、技術のスピルオーバー効果は確認されなかった。[p.120]」被引用件数に基づく研究開発の質は向上していない。

第4章、日本企業技術者のアジアイノベーションへの貢献
・日本企業出身者と同程度のキャリア、技術分野のローカル技術者の貢献の差を検証。
・「サムスンに移動した技術者については、量的イノベーションへの貢献が、鴻海に移動した技術者についてはイノベーションの高度化への貢献が、さらにLGに移動した技術者についてはイノベーションの高度化及び質的イノベーションへの貢献がそれぞれ確認された。・・・一方で、華為や現代では優位な差は現れなかった。・・・類似のキャリア年数や専門技術分野にもかかわらずパフォーマンスに相違がないのであれば、外部人材を効率的に活用できていない可能性がある。[p.132-133]」

第5章、外国人技術者の活かし方
・「外国人技術者を採用した場合に、特許の量産を期待するのであれば、どのような研究ユニットに組み込んでも一定の効果が期待できるが、質の高い特許を生み出すためには、外国人を1つの研究ユニットに3人以上投入することが良いということを示唆している。[p.141]」「研究開発パフォーマンスに影響を与えるのは、外国人投入割合ではなく、外国人投入人数である[p.142]」。「この原因として考えられるのは、言語が異なる技術者同士が同じ研究ユニットで研究開発を行う場合には、1人だけ異なる言語の者を投入するよりも、複数人同じ研究ユニットに投入することで、より円滑なコミュニケーションの機会を確保することができ、研究開発の効率性向上に資するためではないかと考えられる。[p.147]」
・「研究は、自分の言葉で理解し、考えなければ、真に新しい革新は生まれないことを意味しているように思われる。[p.138]」

第6章、キャッチアップと外国技術
・「後発国の工業化論では、後発国や後発企業のキャッチアップは、より進んだ国や企業から借用できる技術革新のバックロッグ(備蓄)を利用することで、急速な成長が可能になったと説明される。[p.150]」これに対し、「近年、既存の工業化論では説明し尽くせないほど急成長を遂げるケースが生じている。・・・リープフロッグ(leapfrog)現象とは、直訳すれば『かえる跳び現象』となり、先を行っていた国を一気に飛び越えるという意味と、従来のように軽工業から重工業へというキャッチアップのステップを飛び抜かすという2つの意味で用いられている。[p.151]」「東アジア企業は技術学習のために、社内の人材育成のほか、先進国から輸入した製造装置を操作・指導できる技術顧問の招聘、そして新たな技術開発のための外部人材の採用等、外部人材の積極活用によって最先端技術の採り入れに成功したと言える。[p.160]」

第7章、外部知識を活用した研究開発
・「日本企業が、新興国を研究開発拠点とするイノベーション戦略に消極的な原因としては、自前主義へのこだわりと技術流出リスクへの懸念が大きく影響しているのではないかと考えられる。すなわち、自社の技術を用いることにこだわり、他社や他機関の技術を用いることなく基礎研究や商品開発を行うことを重視する傾向が指摘される。また、現地企業等との連携や現地人材の採用を通じて、技術漏洩や優秀な人材の流出等の技術流出リスクを懸念し、研究開発拠点のグローバル展開に慎重になっていることなどが考えられる。・・・日本企業は今、大きな転換点に立たされている。技術流出のリスクをマネジメントしながら、新興国に進出し、新興国ニーズに合致した技術を獲得しない限り、世界市場のシェア奪還は難しいと思われるからである。・・・東アジア企業の外部知識活用状況や外国人材のマネジメント戦略等は、今後の日本企業の外部知識を活用した新たなイノベーション創出につながるのではないかと考える。[p.166]」
・「先進企業によるブラックボックス化は、後発企業のキャッチアップにとって大きな障壁になったと考えられる。・・・機械装置を輸入しただけでは技術を学習することが非常に難しくなったからである。・・・このようなキャッチアップの行き詰まりは、一般に『キャッチアップの天井』と呼ばれ、機械装置のリバースエンジニアリングの限界を示唆している。そこで1990年代後半以降、『人』に埋め込まれた暗黙知的な技術やノウハウが先端的技術開発において果たす重要性に再び注目が集まるようになった。[p.171]」
・「人材の移動がイノベーションを促進すると考えられる理由としては、以下の2点が考えられる。第一に、企業間を人材が移動する過程で、様々な知識や情報が交換され、新たな知識融合をもたらすことが挙げられる。・・・第二に、人材の移動によって、移動者が前職で築いた人的ネットワークがイノベーションを促進する上で重要な情報源になると考えられている。・・・このように人材の移動は、技術や知識の移転、人的ネットワークの拡大によってイノベーションを促進する上で重要な役割を果たすと言える。[p.174]」

第8章、分析結果の確認と技術者インタビュー
・「日本人の多くは、メディア等の影響もあり、日本の技術は非常に高いと信じている。しかし、A氏は

日本の技術が衰退傾向にあるからこそ、そう信じたいだけではないだろうかと指摘する。A氏は、台湾企業及び中国企業で活躍し、タイやベトナムにも行き来しているが、日本の技術や日本人技術者が必要とされる局面が明らかに減少していると感じているそうである。その理由の1つに、日本人のグローバル化がまったくできていない点を指摘する。『世界一の日本の技術を活かし』、『日本人としての強みを活かすためには』というような視点がそもそも間違っており、国は関係なくボーダレスに考え、行動できる人材が多く生まれない限り、日本人のグローバル化は絶望的だと語られる。[p.187]」

終章、技術流出と技術獲得の狭間で
・「確かに、人材流出に伴う技術流出に危機感を持ち、そのための対策を行うこと自体は重要なことである。・・・今の日本企業に求められるのは、移動者や受け入れ先企業を非難することではなく、新たなイノベーションを創出するため、技術や人材の効果的な活用について再検討することではないだろうか。[p.191]」
・「長引く不況の影響もあり、日本企業は多くの優秀な技術者の流出を許してしまっている。本研究で明らかにした通り、大手電機メーカーでリストラが本格化した後に、多くの人材が東アジア企業へと流出した。しかも流出した人材は、特許生産性が国内上位25%に入る優秀な人材がほとんどである。企業はリストラをすれば優秀な人材から流出するということを前提に人材マネジメントを再構築する必要があるだろう。・・・今後は台湾やシンガポール、マレーシア等のアジア地域への移動者が増加することが予想される。日本企業は、新たな人材流動化の波にどのように対処すべきかを改めて考え直しておかなければ、次はこれらの国に追いつかれ、追い抜かれる可能性も否定できない。[p.192-193]」
・「一方で、日本企業の技術者・研究者・その他社員にとっては、大きく可能性が広がっていると言えるだろう。[p.193]」
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著者の研究は、特許データに基づいているという点で、必ずしも技術者流出、技術流出の全貌を捉えたものではないかもしれません。例えば、ブログ
でも紹介した谷崎氏のインタビューによれば、中国だけでも流出技術者は数千人いるとされており、著者の研究ではそのごく一部しか把握されていないことになります。また、例えば、「政治力」のある人材が外国企業から求められている、というのは、「政治力」が、固有ベクトル中心性で評価されていることを考えると、そうした人材がリストラされやすいことを示しているだけではないかといったことなど、私には理解しにくいこともありました。(スター人材のみに出世の機会が与えられる結果、そのすぐそばにいる陰の実力者がリストラ対象になってしまうことがあるのではないでしょうか。外国企業はそういう特性の人を狙って採用しているわけではなく、日本では実力が評価されずに放出されてしまった人を正しく評価しているのが外国企業という見方もできると思います。)

とはいえ、なかなか明らかになりにくい技術者流出の実態の一端を示しているという意義は大きいと思います。加えて、データの解析から得られたマネジメントに関する示唆も興味深く感じました。個人的には異論のある考え方もあるかもしれませんが、本書の示唆は単に技術者流出の問題だけではなく、異なる技術や文化を持つ人たちとどう協力すればよいのかを考える参考にもなると思います。日本や諸先進国からの技術者を受け入れ、活用したことが成功要因になっている会社があるとするなら、その効果の本質を理解し、日々のマネジメントに活かしていくことが実務家に求められることなのではないかと思います。


文献1:藤原綾乃、「技術流出の構図 エンジニアたちは世界へとどう動いたか」、白桃書房、2016.

参考リンク


多組織によるイノベーションのマネジメント(「Managing Multiparty Innovation」、Furr、O’Keeffe、Dyer著HBR2016, Novemberより)

多くの組織が関わり、協力して行うイノベーションの重要性については、近年その指摘が多くなっているように思います。しかし、一方で、協力の難しさも指摘され、実際にどのように協力を進めればイノベーションが成功しやすくなるのかはまだよくわかっていないように思われます。

今回は、FurrO’KeeffeDyerによる論文「Managing Multiparty Innovation」[文献1]で述べられている、多くの組織が参加して行われるイノベーションの手法についてご紹介したいと思います。著者は、「広がりつつあるデジタルで接続された環境において、既存企業のリーダーたちは、彼らあるいは彼らの業界単独ではつかみきれない機会に直面していることに気づいている。」と述べ、「スタートアップ企業がイノベーションを創造し後に彼らを買収する方法に代わり、我々が『エコシステムイノベーション』と呼ぶ新しいプロセスに参加する組織は、協力して新しい概念を開発し、商業化する。」としており、本論文では著者が関わったCiscoにおける新たなイノベーションにおける協力の進め方が紹介されています。著者によれば、この手法を採用する「Cisco Hyperinnovation Living Labs (CHILL)は、一見似たように見えるR&Dアライアンスとは、それが、複雑な知的財産契約なしに、速く機敏にアイデアを商品化することに集中する点が異なる」とのことです。

R&Dアライアンスの成功要因
まずは、著者らによるR&Dアライアンスの成功要因分析の結果を見てみましょう。著者らは353の企業が参加した121のR&Dアライアンスを分析し、以下の場合によい結果(特許出願、商業化、有用な知識の数を基準にして)が得られているとしています。
・「技術陣をより多くアライアンスに投入する。1人か2人の専門家しか派遣しない場合は、4人から6人派遣した場合ほどうまくいかない。参加者が多いとブレーンストーミングで問題を多角的に捉えるのに役立つ。」
・「R&Dプロセスにおいてパートナーと頻繁に意思疎通する。」
・「知的財産保護に強く満足している――アイデアと知識をより自由に共有する気にさせる。」
・「アライアンスは4企業以下、それにより調整コストとただ乗りを減らす。」
・「競合をアライアンスに含めない(競合が入っていても大学のパートナーが含まれている場合にはよりよい結果を出した例もある――おそらく、大学が競合よりも有用な新しい知識を供給したと思われる)。」
・「より野心的なプロジェクトを追求する。それにより参加者の意欲をかきたて、より高度なスキルを持つ参加者をひきつけ、経済的支援もえる。」
・「アライアンスを始めた企業は、誘われて参加した企業よりよい成果を挙げていることを見出した。これはリーダーの主要メンバーが、アライアンスによってどうやって価値が得られるかについてより明確なビジョンを持ち、プロジェクトによりコミットし、人的経済的資源をより提供しやすいからだと思われる。」

通常のR&Dアライアンスとエコシステムイノベーションの違い
・「R&Dアライアンスは、通常イノベーションを開発することを狙うが、エコシステムイノベーションは商業化に焦点を絞る。」
・「R&Dアライアンスでは、通常数年かけて、協力企業間で最初に定義された知識を得ること、探索することを行なう。」「エコシステムイノベーションは、非常に短い期間で企業にまたがる大きなチャンスを発見、探索、評価する。」
・「R&Dアライアンスでは、一般的に、知的財産を保護するため、詳細な契約や持ち分に依存する。CiscoのCHILLではより単純なアプローチをとり、チームの発見は投資比率に応じて参加者で利用可能とする。」

エコシステムイノベーションの進め方
・「もし、ひとつの相手企業と効率的に協力することが難題だと思うなら、それを、それぞれが異なった文化と目的を持つ4つの巨大企業と同時に行うことを考えてみてほしい。この課題を克服するにはリーダーシップが必要だ。Ciscoのエコシステムイノベーションでは、CHILLチームが全体のプロセスをリードし、ファシリテートする。エコシステムと、デザイン思考、リーンスタートアップ、ビジネスモデルイノベーション手法から導かれるツールと手法の適用を調整する。このプロセスは4つのフェーズからなり、数ヶ月かけて行う。」

1、「フォーカスゾーン」とイノベーションパートナーを特定する
・「まず、ホストカンパニーは、戦略上重要な機会の分野であるフォーカスゾーンを特定する。」
・「CHILLチームは、3つの側面から可能性のあるパートナーを評価する:イノベーション能力の発達度;社内のイノベーションプロセスの完成度;他企業との協力、スタートアップとの協働、スタートアップへの投資経験、である。目標の調整、マーケットパワー、資源に基づいてパートナーを選ぶ。」
・「CHILLチームは、上級役員(executive)を喜んで送ってくれ、エンドユーザーからのフィードバックを受け入れ、資源をコミットしてくれるパートナーを探す。この役員は、業界の課題と組織の目標についての高度な知識を持ち、イノベーションプロセスの経験を有するかその企業のイノベーション担当の肩書を持つ人で、新しいプロジェクトに資源を割り当てる意思決定の公式権限を有する人であるべきだ。」

2、問題を見つけて定義する
・「CHILLチームメンバーはこの準備に3ヶ月かける。彼らは何十人ものエコシステムの仲間の経営者、専門家、顧客、エンドユーザーと会話し、顧客の真の問題を理解し、参加企業にとって最大の機会を与えるものを特定する。何回もの会話を繰り返して、チームは取り組むべき一つの問題に狙いを定める。」
・「問題の根本原因を十分に理解したところで、CHILLチームは一連の機会の分野を定義する:参加者と顧客の現実の問題に基づいて、次のフェーズ3で取り組むべき具体的で狭い課題である。」

3、参加者を集め解決策のプロトタイプをつくる
・「CHILLのエコシステムイノベーションプロセスにおいて最も目につく部分は、Living Lab、2日間のデザイン思考とリーンスタートアップアプローチを用いたイベントである。そのポイントは、チームが簡単なプロトタイプをつくり、顧客とともに彼らの挑戦の要(leap of faith)となる仮説をテストし、テストから学んだことを再び製作-テスト-学習(build-test-learn)ループに適用することである。」
・「CHILL labでは、それぞれの組織から来た役員たちは4,5人のグループに分かれ、それぞれ仮説設定、プロトタイピング、顧客とのテストを繰り返す。各チームは2日間で5サイクルを行なう。」
・「CHILLは創造的で協力的な環境と雰囲気をつくるよう努力する。」

4、コミットメントを得てフォローする
・「Living Lab2日目のなかほどでチームは専門化や投資家――Ciscoの上級役員や参加組織の役員に対するプレゼンテーションを準備する。CHILLチームは、チームがビジネスモデルと”value at stake”(賭ける価値)、Ciscoが定義した指標で、イノベーションによって創造される価値(新たな収入)またはコストダウン、を通じて考えることができるビジネス分析を導入する。」
・プレゼンテーションの後、イベント審査員たちも含めた役員たちは、投資したいものをその場で決める。・・・これは将来的なプロジェクトの成功に不可欠な興奮をもたらす。」
・「最後のステージで、CHILLチームは2週間かけて、(1)セッションで生まれた内容、顧客のフィードバック、洞察;(2)プロトタイプづくりで開発した物理的なアーキテクチャーやコード;(3)ビジネスモデル;(4)次の6ヶ月間の行動計画を含む、参加者がまとめでコミットしたbuild archetype(原型)を作る。」
・「CHILLlabの直後にすべての参加者と会うが、次のステップに進むかどうかは彼らに任される。・・・通常プロジェクトを次のステージに進めることをコミットするのは2、3社だ。CHILLはグループを最初のミーティングに集め、次に進むプランを作ることを保証するが、開発契約――通常驚くほど簡単なもの――を作るのは参加企業に任される。ElsteinCiscoseniorcorporate counsel)は、『彼らはすでにLiving Labで一緒に働く経験をしている。彼らは関係を築きあげ、一緒に価値を創造できることを理解している。』と言っている。」

エコシステムイノベーションの成果
・「エコシステムイノベーションの金銭的成果を測定したいと思うだろうが、まだ始まったばかりで多くのプロジェクトは商業化されていない。しかし、参加者によれば、収入増以上の価値があるという。」
・「生まれる価値は3種類:launchstrategicexitだ。Launch valueとは、イノベーションの商業化による利益、収入、名声だ。・・・Strategic valueは、参加者が互いにつくるコネクションと、将来の協力関係からもたらされる。・・・Exit valueは直ちに商品化されるものではないが、将来参加者が利用可能な知識、パーツ、解決策だ。・・・多くの参加者が、このプロセスによるコスト低減で、大きな組織が機敏になり、より大きなリスクをとりやすくなったと言っている。」
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共同開発がイノベーションを進める上で役立つことは多くの人が指摘しています。しかし、その難しさの指摘も多くなされています。オープンイノベーションにしても、潜在的な有効性のわりに、その適用はまだ限られているのではないでしょうか。本論文で述べられたような試みによって、共同開発の手法が洗練され、採用されやすくなることを期待したいと思います。

この提案のプロセスでは、役員の積極的な関与を求めているところが興味深く感じました。共同開発で問題になりやすいのが、権利・利益の配分、投入資源の配分、役割分担だとすると、そうしたことについて決定権を持つ人が積極的に関与すれば、プロジェクトの成否、スピードによい影響を与えることは理解しやすいと思います。であれば、プロジェクトの参加者に役員並みの決定権を与えることでもよいのかもしれません。既存の大企業でこうした体制をとることはかなり難しいとは思いますが、研究開発における権限委譲の意味を考える上でも示唆に富んだ手法と言えるのではないでしょうか。考えてみれば、協働は、企業間だけでなく、企業内でも必要です。協働にとって何が重要なのか、考え直してみる必要があるのかもしれません。


文献1:Nathan Furr, Kate O’Keeffe, Jeffrey H. Dyer, “ManagingMultiparty Innovation”, Harvard Business Review, November 2016, p.76.
https://hbr.org/2016/11/managing-multiparty-innovation

研究開発実践のマネジメント-研究テーマ設定を不確実性の観点から考える:研究開発マネジメントの実践と基礎知識2.1.3)(「ノート」全面改訂第9回)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第3回第4回第5回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)

1)テーマ選びのポイント:どこに不確実性があるかの見極め2)不確実性の分析の例第8回

3)研究テーマ設定を不確実性の観点から考える
前回(第8回)では、どんな研究に取り組むべきかを考える際、どこに不確実性があるかに着目することを提案しました。到達すべき大目標を設定する際には、どこにどの程度の不確実性があるかを推定し、目標達成のために必要なブレークダウンした研究課題を設定する場合には、個々の不確実性の重大さに基づいて、どの不確実性の解消を優先して行うべきかを決める、というのが実践的にやりやすい方法ではないか、と考えます。そして、研究に伴う不確実性の種類として、①技術(できるのか?)、②ニーズ(売れるのか?)、③市場での収益(どうやって市場に届け、儲け、競争に勝ち儲けを持続させるか?)の3点に注目することを提案しました。さらに、それぞれの不確実性には、第5回で述べたように、内生的(自分で低下させることが可能な不確実性)、外生的(自分ではコントロールできない)という側面(あるいは、内部の不確実性と環境の不確実性)がありますので、これらに基づいて不確実性を分類することによって、不確実性解消のためにどんな手段をとればよいのかがわかりやすくなるのではないか、というのが私の提案です。今回は、研究開発目標、テーマ選定、進め方を中心とした話題について、不確実性の観点からどのように捉えることができるのかを考えてみたいと思います。

不確実性に着目したイノベーションの捉え方
不確実性の区別や、不確実性に着目したイノベーションの考え方、テーマ選定のしかたについての議論には以下のようなものがあります。

Anthony
は、イノベーションの一連の過程の最初の段階であるファーストマイルでのイノベーションの進め方について検討し、ファーストマイルにおける3つの要件として、1)市場/顧客が求めているものがはっきりと見えている(「需要はあるか?」という問いにイエスと答えられる)、2)その需要に応える方法が明確になっている(「提供できるか?」という問いにイエスと答えられる)、3)その方法は、価値を創り出すものである(「取り組むべきか?」という問いにイエスと答えられる)[文献1、p.28-29]を挙げています。そして、「ファーストマイルの時期を素早く通り過ぎるために大切なことは、戦略上の主要仮説を明らかにすることだ。[文献1、p.69]」と述べ、仮説を優先順位づけするには、確信の度合いと、その想定が間違っていた場合の影響の大きさで判断する。影響の大きさについては、事業を根底から覆しかねない仮説(ディールキラー)と、これから先に選択する戦略に影響を与える仮説(パス・ディペンデンシー)に注意が必要[文献1、p.72-84]と述べています。ここでいう仮説とは、検証すべき不確実性のことと考えられますので、何に基づく不確実性なのかを識別し、その中から重要な検討課題を選ぶことを奨めているものと考えられます。

IDEO
Kelleyも、イノベーションの3つの要因として、1、技術的要因(技術的な実現性、「画期的な技術だけでは十分とはいえない」。2、経済的実現性(ビジネス要因、「技術は機能するだけでなく、経済的に実現可能な方法で生産・販売できなければならない」。3、人的要因(人間のニーズを深く理解すること)。「技術、ビジネス、人間という3つの要因の交わる点を見つけることが重要」[文献2、p.37-39]と述べ、着想を実行可能なフレームワークや原則へと変換し、問題の枠組みのとらえ直し(リフレーミング)を経て、どこに力を注ぐかを決める[文献2、p.41-45]と述べています。

また、Riesは、「まず、検証する仮説を選ばなければならない。スタートアップの計画でもっともリスクが高い要素、ほかのすべてを支える基礎となっている部分を私は挑戦の要(leap-of-faith)となる仮説と呼んでいる。なかでも重要度が高いのが価値仮説と成長仮説だ。[文献3、p.106]」ここで、「価値仮説(value hypothesis)とは顧客が使うようになったとき、製品やサービスが本当に価値を提供できるか否かを判断するもの・・・成長仮説(growth hypothesis)とは、新しい顧客が製品やサービスをどうとらえるかを判断するもの[文献3、p.87]」です。

このように、いくつもの仮説や不確実性が存在する状況において、優先して取り組むべき課題を選ぶ必要性については多くの指摘があります。興味深いのは、複数の不確実性の扱い方について、Adnerが、企業が協力して行うイノベーション(コーイノベーション)について、「コーイノベーション・リスクはパートナーそれぞれが特定の時間の中でコミットメントを果たすことができるかどうかという複合的な確率で決まる・・・。コーイノベーションのロジックは平均ではなく掛け算だ。複合確率の特徴は、発生している出来事の本当の確率が平均値ではなく、潜在確率の積である、ということだ。[文献4、p.34-37]」と述べていることではないでしょうか。Adnerは協力関係について述べていますが、自社単独で行うイノベーションであっても、イノベーションの成功のために複数の不確実性を解消しなければならない場合には、全体の成功確率は個々の成功確率の積となる、という指摘は重要だと思います。このように考えると、個々の不確実性を確実に把握し、どの不確実性の解消に注力すべきかをうまく選ぶことがイノベーション全体の成功にとって有効なアプローチだということが理解しやすくなると思います。

不確実性の識別
では、どのように不確実性を識別したらよいのでしょうか。一般に、研究は、不確実性が低い(と感じられる)何らかの拠り所に基づいてアイデアが出され、開始されることが多いものです。例えば、何らかのシーズ技術がある、とか、特定のニーズが想定される、すでに保有している競争優位の基盤を活用して何か新しいことを行ないたい、というような場合です。そういう場合には、まず、拠り所以外の不確実性の側面に目を向けることが不確実性識別の出発点になるでしょう。

この時、自らの置かれている環境自体の不確実性についてもしっかり認識する必要があるでしょう。例えば、Mooreは、イノベーションの発展段階、市場の成熟度、企業の型(コンプレックスシステム-複雑な問題を解決するコンサルティング的要素が大きい個別ソリューションが提供される、ボリュームオペレーション-標準化された製品と商取引により大量販売市場でビジネスを遂行する[文献5、p.37])、競合他社に対する長期的な優位性を企業にもたらしてくれる要素(コア)かそうでないか、ある要素がうまく稼働しなかった場合には企業に深刻な結果がもたらされる(ミッション・クリティカル)かどうか[文献5、p.268]、競合他社との競争や自社のしがらみからの脱出[文献6]といった点を考慮して戦略を立てるべきだとしていますが、これはそうした状況によって不確実性の種類が異なるためだと考えられます。例えば、イノベーションの発展段階を考えてみても、製品が世に出たばかりなのか、成熟段階にあるのかでは当然不確実性の種類は異なります。最初のうちは、世の中にニーズがあるかどうかも、技術的に達成できるかどうかも確実ではないかもしれませんが、成熟段階になれば、どちらも不確実性は下がります。こうした環境要因とその変化を考慮せず、今までのやり方に固執したり、状況の異なる成功事例を模倣するだけでは不確実性を正しく認識したことにはなりません。Mooreは、状況の分析に基づいて細かな場合分けを行ない、戦略を立てることを提案していますが、実務的には煩雑で使いにくいように思いますので、このような場合分けは自社を取り巻く環境の不確実性を検討する際の手がかりとして使うようにするのが効果的だと思います。

このように、なるべく前もって不確実性を把握していくことは重要ではありますが、イノベーションにおいては予想外の不確実性が現れたり、不確実性の程度の見積もりが狂うことがよくあります。このような場合に役立つ手法にプロトタイピングがあります。アイデアをラフな形で表現したプロトタイプ[文献2など]や、実用最小限の製品(Minimum Viable Product)[文献3]は、仮説の検証に使えるだけでなく、見落していた不確実性を気づかせてくれる点で非常に役に立つものです。技術、ニーズ、市場への供給と競争の各フェーズをつうじて、なるべくすべてのプロセスを模擬できるようなプロトタイプを作ったり、システムを試行してみたりすることは、不確実性の認識において大いに役立ちます。

魔の川、死の谷、ダーウィンの海と不確実性
研究開発には様々な難所、壁があり、そこを越えられずに実現しないイノベーションの試みは数多くあります。壁として有名なのは、魔の川、死の谷、ダーウィンの海、ですが、これを不確実性の視点から考えてみたいと思います。なお、この言葉は人により様々な意味で使われているようですが、私は次のように解釈しています(詳細は本ブログ別記事をご参照ください)。
魔の川:アイデア・基礎研究から実用化を目指した研究までの間の壁
死の谷:実用化研究から製品化までの間の壁
ダーウィンの海:製品が市場による淘汰を受けて生き残る際の壁

それぞれ、どの種類の不確実性がクリアできずに壁に阻まれることになるかを考えてみると、以下のようになると思います。
魔の川:狙った成果が技術的に達成できない。すなわち、技術の不確実性が解決できない。
死の谷:技術的には狙ったものができることが確認できたが、顧客に受け入れられない。あるいは、量的、質的に顧客に受け入れてもらえる条件で、顧客に届けることができない。すなわち、ニーズの不確実性、市場に届け、収益を上げるビジネスモデルを創造する段階の不確実性が解決できない。(場合によっては収益性の点での技術的不確実性が解決できない)
ダーウィンの海:市場での競争に敗れる。すなわち、競争における不確実性が解決できない。市場で敗れる原因には技術的問題、顧客にとっての魅力不足(ニーズ)、ビジネスモデルの問題が考えられるでしょう。

この時、内生的(自分がコントロールできる)か、外生的(環境要因など、コントロール不能な要因がある)かを考えてみると、次のようになるでしょう。

魔の川:主に内生的(自分が課題を解決できるかがカギ)。

死の谷:およそ内生的だが、顧客の嗜好や法規制、社会動向という外生的要因も影響する。
ダーウィンの海:内生的な要因(技術、魅力で負ける)もあるが、競争相手の能力という外生的要因が大きい。

こう考えてみると、不確実性がどこにあるかを見極め、それが自分たちで(あるいはパートナーとの協力によって)どの程度解決可能か、解決不能であれば回避したり対策を打てるか、ということを検討しておくことが、この3つの壁を越えるために必要なことと言えると思います。

実際には、研究開発が扱う不確実性にはさまざまなものがありますが、以上のように、不確実性の種類に着目して対応を考えることは実用的に使いやすい方法なのではないかと思っています。次回以降しばらく不確実性の種類によって、どのような対応が考えられるかを中心に議論を進めていきたいと思います。


文献1:Scott D. Anthony, 2014、スコット・D・アンソニー著、川又政治訳、津嶋辰郎、津田真吾、山田竜也監修、「ザ・ファーストマイル」、翔泳社、2014. ブログ紹介記事
文献2:Tom Kelley, David Kelley, 2013、トム・ケリー、デイヴィッド・ケリー著、千葉敏生訳、「クリエイティブマインドセット 創造力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法」、日経BP社、2014. ブログ紹介記事をご参照ください。)
文献3:Eric Ries, 2011、エリック・リース著、井口耕二訳、「リーン・スタートアップムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす」、日経BP社、2012.ブログ紹介記事
文献4:Ron Adner, 2012、ロン・アドナー著、清水勝彦監訳、「ワイドレンズ イノベーションを成功に導くエコシステム戦略」、東洋経済新報社、2013.ブログ紹介記事
文献5:Moore, G.A., 2005、ジェフリー・ムーア著、栗原潔訳、「ライフサイクルイノベーション」、翔泳社、2006.
文献6:Moore, G.A., 2011、ジェフリー・ムーア著、栗原潔訳、「エスケープ・ベロシティ キャズムを埋める成長戦略」、翔泳社、2011.ブログ紹介記事

「科学の困ったウラ事情」(有田正規著)より

企業の技術者、研究者であっても、いわゆる科学界、学会から多くの恩恵を受けています。と同時に幾分かは科学の発展にも寄与しているのではないか、とも思います。もちろん、扱っている技術分野や仕事の種類によっていわゆる学問の世界との関わりの程度は異なるとは思いますが、企業の研究者であっても多少なりとも科学の世界に関わる者として、科学界や科学研究のあるべき姿を考えなければいけないと感じることもあります。

ただ、企業にいると、大学や公共研究機関(いわゆる「官」の研究機関)の研究事情は、わかっているようでわからないことも多いような気もします。特に、最近では大学の組織、研究費の配分の制度なども従来とは変わっているようですし、そうした変化がかならずしも社会にとってよい方向に進んではいないのではないか、という議論も耳にします。今回は、そうした「学」の世界の研究事情の実態について、有田正規著「科学の困ったウラ事情」[文献1]から、興味深く感じた点をまとめておきたいと思います。

I
、危機に瀕する科学
1、基礎科学はこれでよいのか

・「基礎研究である以上、本当は、目標を達成できずに終了するプロジェクトのほうが多い。しかし、そんなことでは社会にアピールできない(と思う人が多い)。その結果、基礎研究がおしなべて我々の未来に貢献するかのような宣伝をされてしまう。こうした研究に対する誤解と実態の矛盾に、研究者は疲れている。[p.4-5]」
・「不適切な成果主義は研究環境を悪化させていく。たとえ論文数が増えたとしても、それは研究者にとって負の努力である。論文数だけなら成果を細切れにしても増やせるし、つまらない論文はむしろ研究の邪魔である。また、狼少年のようなプレスリリースを繰り返せば、いずれ化けの皮が剥がれる。研究者にはこうした弊害が重々わかっている。しかし、研究費のため、部下のキャリアのため、所属する機関のためにはせざるを得ない、という状況ができている。だから研究者は疲れている。しかし、こんな綱渡りをいつまでも続けられるはずは無いのである。[p.6]」
2、天職からシゴトになった科学
・「今の科学の特徴は、・・・補助業務をシゴトと割り切っておこなう研究者が非常に多いことだろう。[p.7]」
・「近年になって、研究不正が大きく取り上げられる遠因には、研究のシゴト化・科学の商業化が大きく影響しているはずだ。[p.12]」

II
、科学者というシゴト
3、研究の影に隠れる大学院教育

・「基礎研究は重要だし、世の中に役立つ研究も同様に重要だろう。しかしそれ以前に、大学は優れた教育をしているのか。[p.14]」
4、商業化される国際会議――失われゆくソサイエティ
・「科学が商業化される以前、研究者はテーマごとにワークショップを開いて人脈づくりや問題解決をおこなった。・・・とりわけワークショップは、教育の場としても機能していた。優れた研究者がしのぎを削る表舞台がカンファレンスであるならば、学生が教科書でしか名前を知らない研究者に出会い、意見やコメントをもらえる楽屋がワークショップだった。・・・昔ながらのワークショップや国内学界は廃れる一方である。その反面、有名な国際カンファレンスには企業スポンサーがつき、商売として成立するようになっている。[p.20-21]」「研究とは何か、研究者はどうあるべきかは、倫理観を含めてソサイエティで学ぶべきものだ。[p.23-24]」(筆者注:商売として成立する国際会議は分野によるように思います。)
5、研究者のベーシック・インカム
・「学術界の大ボスは多額の研究資金を工面できるし知名度も高い。そうした資金で雇用される若手研究者は当然ボスに逆らえない。そのうえ、豊富な資金で研究がしやすいから、部下たちはボスを悪玉とも言い切れない。黙っていれば次の就職先も見つけやすい。しかし、そうした部下たちは疑問を抱きながら研究を分担していないか。自分が将来ボスになるための必要なステップと勘違いして我慢していないか。[p.26]」
・「インターネットは社会をフラットにしたといわれる。・・・しかし情報が溢れる反面、信頼すべき知識の拠り所も失われている。このような時代にこそ、研究者や専門家がどう考えるのかが問われている。それに応えられるのは、社会の一員としての学会組織ではないか。・・・しかしまず、多くの人に信頼される知識の源としての学会を再構築するためにも、学術界の民主化が重要である。[p.30]」
6、研究のマル査
・「問題の原因は少数の人間が多くの権力を握るところに生じる。・・・研究者がみな最高の倫理観を備えた人格者であるはずがないし、現場の知識すら持たない大御所が会議を開くだけで科学が正しい方向に進むはずもない。[p.34]」

III
、学術論文という制度
7、学術研究というビジネスの裏側

・学術雑誌の経済的側面:「世界が不況に喘ぐ中でも、税金に支えられた研究関連業は儲かっている。驚くなかれ、Elsevier出版部門の利益率は35%で、額でいうとAmazon.comと同等に儲けている。[p.39]」
8、論文数はどれほど重要か――置き去りにされる質
・「論文急増の原因には印刷物を発行しないオンライン誌の影響が大きい。そのほとんどが、著者がお金を払って論文を掲載してもらうオープンアクセス誌である。[p.43-44]」
・「結果として、何でも発表できる環境を整え、論文数の急増を招き、サーベイ・査読の手間を無闇に増やし、学術発表の本質を変化させてしまった。・・・論文の大多数はもはや、研究者の共有知識でもなければ新規な発見でもないのである。内容の判断は実質、読者一人一人に任されている。・・・大多数の学術誌が内容に責任をもてない状態にあるのは事実である。・・・つまらない論文は検索の手間を増やし、コンピュータを無駄に占有し、読む人の時間を浪費させる。個々の研究者が論文の質を上げる努力をしないと、いずれ学術界全体の信用が失墜するだろう。[p.46-47]」
9、知識の1パーセント則
・「人間が生涯で知りうる知識はCD-ROM1枚、後世に残せる知識はフロッピーディスク4枚でしかない。[p.50]」「研究者の肌感覚としては、入力として得る情報を自分の頭で処理した結果、量にして1パーセント程度に圧縮したものを知識と呼びたい。この圧縮率を1パーセント則と呼ぼう。[p.50]」
・「無闇に論文数を増やすことはサーベイを不能にし、研究を妨害する行為であることを各人が認識すべきだろう。・・・学術論文は世の中に周知すべき優れた知識を積み上げるための道具である。引用もされない文章を、税金を使って垂れ流す努力の愚かさに早く気づくべきである。[p.53]」
10、ハイエナ学術出版
・「論文を書かなければ研究職はおろか研究補助者にすら就けないのが現実だ。・・・だから皆、論文を迅速に受理してくれる査読付き論文誌や、嘘でも実績を積ませてくれる国際会議を探している。・・・だから市場原理によって、何でも受理してくれるオープンアクセス誌や、いろんな肩書を発行してくれる国際会議、つまりハイエナ出版社が生まれるのだ。・・・研究論文の捏造や剽窃が増えるのも同じ理由による。世の中がインパクトのある成果を求めれば、話題性のある研究成果を大げさに発表し、不都合な実験結果には目をつぶる研究者が増える。[p.57-58]」
・「時間のふるいをかければ不誠実な研究成果は消えていくから大丈夫という楽観論は成り立たない。有名雑誌に載りさえすれば再現性がなくても引用され、そうでなければ大量の論文に埋もれて見向きもされないのが現実だ。そうしてオープンアクセス誌に埋もれた論文は、完全に消滅する可能性すらある。・・・儲かるうちだけウェブ上に置いてあると思うほうが常識的である。[p.59]」
11、ライブラリ化する大学図書館の未来
・「データは体系化されて初めて知識となる[p.64]」。「インターネットを通じてフラットになりデータと化した諸学問は、新しい視点から補完、または再構築されねばならない。[p.65]」
12、オープンサイエンスを誰が支えるのか
・「研究とは新しい知識を作成する活動に他ならない。しかし知識を維持する作業も重要である。・・・知識を常に最新の状態に保つことは新規の作成と同程度、あるいはそれ以上に難しい。・・・オープンサイエンス思想とは、すべての研究成果を無償公開するという表向きこそ聞こえはいいが、科学研究のコストを受益者負担から国民負担に移すことにも相当している。[p.67-68]」

IV
、不正はなぜ起きるのか
13、不適切なオーサーシップ

・「現実的な対策としては、厳しい執筆ガイドラインを設定するよりも『論文数が多い≠優秀』という認識を社会が共有することが重要だろう。[p.77]」
14、信用を傷つける「メガホン科学」
・「知名度重視の人たち、ニュースになる研究を社会貢献と勘違いしている人たちをメガホン科学者と呼ぼう。[p.80]」「そうした挑発行為を繰り返すことが科学界全体への信頼を次第に損ない、科学を監視・規制しようという動きにつながるリスクこそ正しく理解しておくべきだろう。[p.83]」
15、腐ったリンゴは落ちるか
・「捏造行為の原因には、業績主義や出世至上主義といった制度的・環境的要素が大きい。[p.85]」「研究者は出版される論文の内容が正しいとは微塵も思っていない。・・・研究者には(捏造を含む)不正確なデータから正しい情報を見極める能力が要求されている。疑わしい論文なら引用しないで終わりである。自分で論文内容を精査するのでゴミが交じっていても問題視しない。捏造があまりに悪質で、研究者仲間からも見放された場合のみ、少数の腐ったリンゴとしてスケープゴートにされる。傷み腐りつつあるリンゴはたくさん見かけるが、その白黒判定に労力を割きたくないのが実情だ。[p.86]」
・トップダウン研究が助長する組織的不正:「スケープゴートにされる捏造行為よりもずっと深刻なのは、論文を地道に精査しようとする研究者を阻む研究環境の悪化である。・・・悪化する研究環境から目をそらすかのように腐ったリンゴ探しが宣伝されるのはなぜか。それはトップダウン研究に必要な権威付けに、不適切なオーサーシップや査読仲間という組織的不正が必要だからだろう。[p.87]」
16、研究不正とその対策
・「STAP騒動を受けて、国内では実験ノートの記録・保管の義務づけが進むだろう。多様な自然科学に一律の研究ルールを課することで、研究をしづらくするだろう。しかし、研究不正対策としての有効性は疑問である。日本の研究不正では、責任者が否認を続け、所属機関による処分も下りにくいケースが多い。より現実的な対策として、ペナルティ取引制度や学会による資格認定制度の導入を提案したい。[p.96]」

V
、社会における科学のあり方
17、老後の初心忘るべからず

・無駄にみえる研究と研究費の無駄遣いの違い:「研究者のはしくれとして、基礎研究は無用だと言いたいわけではない。大多数の研究者は少ない研究資金を工夫して使う。そして試行錯誤の結果が水泡に帰しても失敗例に対する知識は残る。つまり失敗も知的生産の範疇であり、研究費の無駄遣いとは本質が違う。[p.102]」
18、評価経済社会
・岡田斗司夫氏の提唱する評価経済社会と生命科学研究の世界は似たところがある。
19、技術化する科学
・「(少なくとも生命科学の分野において)インターネットが研究の質を向上させているようには思えない。インターネットは、必要な学習を補佐するメディアというよりも、地道な努力をスキップする口実を与えている。まず、物事を暗記する必要性を失わせた。教育に必要な世の中の権威も失わせた。吟味していない文章や発言を出版できるようにもした。そのうえ、ランキングや数値化による競争をも助長している。・・・こうした点数至上主義は学術誌や研究者にあたかも序列があるかのような誤解をもたらす。競争が激化すれば、仲間の貢献を尊重しながら知識を積み重ねる作業すら軽視される。・・・インターネット検索のメリットは途方もなく大きいが、同じくらい大きなデメリットも持ち込まれた。[p.109-110]」「インターネットのお陰で、話題性のある論文をタイムリーに量産し、成果の点数を競える世の中になった。この変化は、科学の技術化と呼べる。・・・もともと、急がないと先を越されるような競争的内容は科学の範疇ではない。イノベーションでもない。・・・科学、特に理論の世界はコミュニティで大きな彫刻を作製するようなところがある。研究者にはそれぞれ得意とする彫り方や意匠があり、単純な競争社会ではないのである。これに対して、国を巻き込んで競争を繰り広げてきたのは企業の技術開発である。競争である以上スピードを重視し、お金もつぎ込む。誰がどんな役割をするかはあまり問わない。・・・科学と技術の違いは今、失われている。[p.110-111]」「知識と呼ぶに値するものを生み出すには、多くの時間をかけて推敲する過程が必要なのだ。これはインターネットが得意とする価値観とは相反する。そもそも学術界は既発表の内容を訂正する手段すら持たない。科学には技術開発とは相容れない側面がある。[p.112]」
20、社会のための、個人の科学
・「科学者は与えられた目標に沿って歯車のように働く存在ではない。一人ひとりが社会における自分の役割を自問しながら、真実を追求する存在であるべきだ。そのためにも、アカデミアと呼ばれる研究者がボトムアップに研究を続けられる環境づくりは大事である。組織として社会に貢献するのではなく、個人として社会に貢献することがアカデミアの使命である。残念ながら今の日本は真逆の方向に向かっている。個人という側面を強調するほうが効率は悪いし無駄も多いだろう。しかし我々は、効率と無関係に営まれてきた学問文化を基礎科学と呼んできたはずだ。[p.116]」

おわりに
・「言葉や文化の障壁により世界から人材を集められない日本は、国内で優秀な人材を育てられなければ凋落する。・・・基礎科学は何を目指すのか、研究者はどう行動すべきか、研究者を含む多くの利害関係者が一緒に考えなくてはならないだろう。・・・今のままでは次世代の優秀な研究者は育たないだろう。だからこそ、研究はどうあるべきか、皆で考えていくことが重要である。[p.118]」
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昨今の基礎科学には様々な問題がある、というのは企業に所属する立場から見ても同意せざるを得ないと感じます。では、基礎科学をどう扱えばよいのでしょうか。企業においても、すぐには収益に結び付かないという意味で基礎科学に近い課題もあります。また、成果主義の問題(数値評価、アピール)や意思決定の問題、研究者の育成の問題など、企業でもアカデミアでも同じような課題を抱えているかもしれません。著者の指摘は、企業の研究者にとっても研究をうまく進める方法のヒントとして参考になる点が多いと感じました。

一方、基礎科学の恩恵を受けている立場からは、企業として基礎科学の発展に協力できることもあるのではないかとも感じました。例えば、ポスドクレベルの研究者の企業への受け入れや学会活動支援はもっと積極的に行うべきなのかもしれません。また、研究成果の実用化を積極的に検討することで研究不正のリスクを減らせる可能性があるようにも思いました(データを捏造したとしても、実用化段階では必ず捏造がばれてしまうので)。

最終的には、アカデミアと企業の共存共栄のしくみをいかに構築するか、ということになると思います。今までやってきたやり方や制度、既得権を変えるのは容易なことではないと思いますが、本書に示されたような現状の問題点をよく認識することが環境改善の第一歩になるのではないかと思います。基礎科学の問題は、単にお金の問題ではなく、企業も含めた社会全体の問題ということなのでしょう。


文献1:有田正規著、「科学の困ったウラ事情」、岩波書店、2016.

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