研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2017年03月

エコシステムイノベーションの進め方(「How to Get Ecosystem Buy-In」、Ihrig、MacMillan著HBR2017, Mar.-Apr.より)

近年、一企業だけの力で大きなイノベーションを完結する、という事例が減り、協力によってイノベーションを達成する可能性が注目されているように思います。しかし、協力のマネジメントはそれほど容易なことではない、ということも指摘されます。特に、大きなイノベーションでは、参加する利害関係者が増え、一種のエコシステムが形成されるため、それぞれの関係者がイノベーションの推進によって利益を享受できないと(少なくとも、反対意見を封じることができないと)イノベーション全体がうまく機能しない、という難しさがあるのは事実でしょう。

では、そうした難しさを克服するにはどうしたらよいのでしょうか。残念ながら、協力の手法や、エコシステムをうまく作る、あるいは、既存のエコシステムをうまく改善する具体的な方法は、まだ確立されていないようです。そこで今回は、最近のHBR誌の論文から、エコシステム全体の同意をうまくとり、エコシステムで発生する問題を回避したイノベーションを計画する方法を議論したIhrigMacMillan著の論文「Howto Get Ecosystem Buy-In」の内容のポイントをご紹介したいと思います。

著者は次のように述べています。「緊密につながりあうエコシステムでは、顧客や自身の会社にのみ焦点を絞ることはできない。他のステークホルダーたちも受け入れ可能な価値提案をする必要があり、うまくいくイノベーションを特定するプロセスは非常に複雑になる。・・・この複雑さをマネージできる方法を理解した企業は、イノベーションを見つけ、選択するうえでの強力な競争優位を手にしたことになる」。著者は、慢性病患者への投薬方法に関するイノベーションを進めようとしている製薬企業を例に、複数のステークホルダーからなるエコシステムでのイノベーション検討のプロセスを解説しています。このプロセスは、通常、関係する全組織から集められた組織の主要な機能を代表する25人程度のメンバーにより、6つのステップからなるワークショップで行われる、とのことですので、以下ではそのステップに沿って、この手法のポイントをまとめたいと思います。

1、カギとなるステークホルダーとその最も差し迫ったニーズを特定する
・「最初は、各ユニットのエコシステムにおける最も重要なプレイヤーを特定する質問から始める。通常は4つか5つリストアップされる。・・・すべてのステークホルダーが等しく重要というわけではないが、エコシステム内の関係に最も大きな影響を及ぼすのは誰かを決める。常にというわけではないが、通常は最終顧客ということになる。」
・製薬企業の例では、患者、健康管理提供者、保険支払い者、薬局チェーンなどの取引ルートが挙げられた。
・「つづいて、各ステークホルダーにおける最も差し迫ったニーズを特定する。」

2、ステークホルダーの消費チェーン(Consumption Chains)を描く
・「ステークホルダーが彼らの最も差し迫ったニーズに対してどのような体験をし、どうやりくり(管理)しているかを理解するために、Ian MacMillanRita McGrathが提示した消費チェーン(Consumption Chains)を作るようメンバーに求める。それによりそのニーズを満足させるプロセスにおけるキーステップが同定できる。」
・患者の例では、症状の自覚、診断、治療、治療の継続、となる。
・「消費チェーンを作るにあたっては、ステークホルダーの観点を取り入れることが重要である;患者がニーズを満足させるためにどんな経験をするかは、会社が経験することとは違う。我々の見るところ、経営層はニーズをその会社の組織とプロセスの視点からしか見ないことが多い。」
・「最後に、検討チームは今の消費チェーンを変えることで機会を見つけられないかを検討すべきである。どれかのステップをなくしたり、新技術を使ったステップを追加したり、ということだ。こうした変更は、エコシステム内の関係を構築し直すので、しばしは破壊的イノベーションの源となる:あるステークホルダーは重要でなくなるかもしれないし、新しいステークホルダーが現れるかもしれない。」

3、現在の価値提供の特徴をカテゴリーに分け、価値提供プロファイル(Offer Profiles)を築く
・「このステップでは、現在の企業からの価値提供の特徴についてステークホルダーがどのように感じるかを評価し、それぞれの特徴を次の3つにカテゴリー付けする。
議論の余地のない(ほど重要な)要因(non-negotiables):価値提案が最低限でも満たすべき特徴である。
差別化要因(Differentiators):競争相手の価値提供よりもよいと認められる特徴。
不満要因(Dissatisfiers):ステークホルダーが満足できない特徴。ただし、それを補償するような差別化要因があれば、しばらくなら耐えられる。

・例えば、患者の消費チェーンの治療段階についていえば、議論の余地のない要因は今より症状が悪くならないことであり、差別化要因としては副作用がないことや飲みやすい薬であることであり、不満要因としては治療コスト、のようになる。
・これらをステークホルダーごとに、各消費チェーンのステップで、どんな3つの要因があるかを表にまとめる。

4、価値提供プロファイルを用いて、成長機会プロファイル(Growth Opportunity Profiles)をデザインする
・「つづいて、価値提供プロファイルをどうしたら、我々が成長機会プロファイル(GOPs)と呼ぶものにできるかを見る。消費チェーンのそれぞれに付け加えられる差別化要因を各ステークホルダーに少なくとも一つ探す。不満を取り除くことで競争相手との差別化がうまくできるようになることも選択肢だ。」
・「ステークホルダーのGOPsは、どんな改善が最も効果的になりうるか、どんなイノベーティブな成長機会を追求すべきかを明らかにする基盤となる。」

5、ステークホルダー間の緊張(StakeholderTensions)をマッピングする
・「このステップは多くのステークホルダーがいるエコシステムでのイノベーションへの挑戦の核心となる。」
・「与えられたニーズを満足させるやり方を改善する差別化要因を見つけたら、それが他のステークホルダーにどう影響するか――特に主要な議論の余地のない要因と衝突しないか――を見積もらなければならない。」「チームは各ステークホルダーにとってどの差別化要因の提案が最も重要かを見る。・・・そしてステップ3の結果に戻り、各ステークホルダーにとって、どの議論の余地のない要因が最も重要かを見る。」
・例えば、差別化要因として、処方薬の自動補充を提案する場合、患者にとっては薬の補充をしなくてよくなる点で症状の悪化という議論の余地のない要因に沿ったものとなる。医療機関側では治療すべき症状悪化が抑えられる点で、尊敬されかつ利益の上がる業務をするという議論の余地のない要因に沿うものとなる。しかし保険支払い者にとっては請求金額が増えることで、コスト増を避けるという議論の余地のない要因に反するものとなる。薬局にとっては薬の売上増となり利益拡大という議論の余地のない要因に沿うものになる。
・「この2組の知見を比較することで、チームは、あるステークホルダーへのイノベーションの提案が他のステークホルダーの抵抗を受ける可能性を識別することができる。」

6、最もよい機会を選ぶ
・「緊張関係を特定できたら、どれをどう克服できるかを決めなければならない。」
・「ステークホルダーは懸念を軽くする方法を過小評価しているかもしれない。例えば、保険会社は短期的コスト増によって生まれる長期的な利益を軽視しているかもしれない。・・・こうしたトレードオフを指摘することで緊張を軽くすることができるかもしれない。」
・「今や、あなたは可能なイノベーションのどれがあなたのエコシステムの中で最も価値を創造できるかを特定できる状態になった。あなたのステークホルダーの主要なニーズに最もインパクトを与えるイノベーティブな成長機会を特定した;あなたはどこでステークホルダーの興味が改善や追加の提案と衝突するかがわかっている;そしてどの衝突が最も管理できるかを決定したのだ。」
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さまざまなステークホルダーの協力関係を構築したり、改善したりすることは、それをエコシステムと呼ぶかは別として、容易なことではありません。だからこそ、それがうまく行った場合には大きな競争優位を築く可能性があるといえるでしょう。では、協力の何が難しいのでしょうか。結局のところ、本論文に述べられているようなことをはじめ、ステークホルダーの意図に注意を払わなければならない、というところが本質なのではないかと思います。

本論文で述べられている手法の第一歩は、様々なステークホルダーがいて、それぞれ異なったニーズを持ち、異なった考えのもと、異なった役割を担っていることを認識することでしょう。なかでも難しいのが異なる事情に基づいた異なる考え方の理解ではないでしょうか。協力をうまく進めるには、協力相手の立場に立って考えてみることが必要だとよく言われますが、実は、相手の考え方の背後にある「事情」を知ってこそ、そうした意図が想定、理解できるようになるのではないかと思います。

本論文では、そうした事情を理解するための、消費チェーン、価値提供プロファイル(議論の余地のない要因、差別化要因、不満要因)、成長機会プロファイル、緊張関係の解明、などの手法が述べられていて、実務にも役立つのではないかと思います。例えば、エコシステムの変更によって不利益を被るステークホルダーがいるなら、そのステークホルダーの意図を理解し、何らかの対策を打つ必要があるでしょう。人間の意図というものはなかなかつかまえにくいものですが、背景となる事情がつかめれば、意図の予測の精度はかなり上がり、効果的な対策が立てやすくなるのではないかと思います。

もちろん、本論文の手法が本当に有効なのか、使いやすいものなのかについてはさらなる評価が必要でしょう。しかし、イノベーションにおいて様々な協力関係の構築と維持が必要とされている現在、とりうる具体的手法のひとつの手がかりとなりうるのではないかと思います。このような手法の今後の発展に期待したいと思います。


文献1:Martin Ihrig, Ian MacMillan, “How to Get EcosystemBuy-In”, Harvard Business Review, March-April, 2017, p.102.
https://hbr.org/2017/03/how-to-get-ecosystem-buy-in

研究マネジメント・トピックス目次(2017.3.20版)

このブログの「研究マネジメント・トピックス」というカテゴリで書いた研究マネジメントに関する話題についての記事の目次です。ここでは表題とリンクをリストにし、要約入りの目次は「その1」「その2」に分割して別ページにしています。要約入り目次はこちら:その1その2
本ブログ記事目次・参考文献リスト・索引の最新版はこちら


その

研究・イノベーション総論についてのトピックス
「イノベーションの神話」(Scott Berkun著)のまとめと感想2011.2.20)、参考リンク
Thinkers50 -経営思想家ベスト50(2011年)
2011.11.27)、参考リンク
Thinkers50 -経営思想家ベスト50(2013年)2013.11.17)、参考リンクは上に同じ
Thinkers50 -経営思想家ベスト50(2015年)
2015.11.29)、参考リンクは上に同じ
「イノベーションとは何か」(池田信夫著)より
2012.7.22)、参考リンク
「知識創造経営のプリンシプル」(野中郁次郎、紺野登著)より2012.12.24)、参考リンク
「ビジョナリーカンパニー4」(コリンズ、ハンセン著)より
2013.1.20)、参考リンク
「世界の経営学者はいま何を考えているのか」(入山章栄著)より2013.10.20)、参考リンク
経営学者はイノベーションをどうとらえているか(入山章栄著「世界標準の経営理論(DHBR誌連載第14-17回」より)
2016.6.19)、参考リンク
「技術を武器にする経営」(伊丹敬之、宮永博史著)より
2015.1.18)、参考リンク
「教科書を超えた技術経営」(伊丹敬之編著)より
2016.9.11)、参考リンク
「先生、イノベーションって何ですか?」(伊丹敬之著)より
2016.4.3)、参考リンク
「資本家のジレンマ」(クリステンセン、ビーバー著)より
2015.2.15)、参考リンク
Thinkers50「イノベーション」より
2015.6.7)、参考リンク
イノベーションの様々な側面(芝浦工業大学MOT編「戦略的技術経営入門2 いまこそイノベーション」より)
2016.10.23)、参考リンク
「イノベーション・マネジメント」(野城智也著)より
2017.1.22)、参考リンク
ビッグバン・イノベーションとは(ダウンズ、ヌーネス著「ビッグバン・イノベーション」より)
2017.2.26)、参考リンク

研究・イノベーションの方針、着想、スタート段階についてのトピックス
破壊的イノベーションの現在(ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー2013年6月号より)2013.8.4)、参考リンク
破壊的イノベーションとは何か?(「What Is Disruptive Innovation?」(Christensen他著HBR2015Dec.)より2016.1.31)、参考リンクは上にまとめました
顧客の片づけるべき用事を知る(「Know Your Customers’ “Job to BeDone”」、Christensen, Hall,Dillon, Duncan著HBR2016,Septemberより)
2016.8.28)、参考リンク
破壊的イノベーションに対抗するには(「The Other Disruption」(Gans著HBR2016,Mar.)より)
2016.4.17)、参考リンク
「日本のイノベーションのジレンマ」(玉田俊平太著)より
2016.1.11)、考リンク
「『イノベーションのジレンマ』の処方箋」(ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー2016年9月号特集)より
2016.12.4)、参考リンク
リバース・イノベーション(DHBR2010年論文より)
2010.10.17)、参考リンク
「リバース・イノベーション」(ゴビンダラジャン、トリンブル著)より
2012.11.25)、参考リンクは上記と同じ
「[実践]リバース・イノベーション」(ウィンター、ゴビンダラジャン著、DHBR2015年12月号)に学ぶ2015.12.27)、参考リンクは上記と同じ
オープン・イノベーションは使えるか?2011.1.10)、参考リンク
エスノグラフィーとイノベーション
2010.12.19)、参考リンク
「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」
2010.11.28)、参考リンク
「ホワイトスペース戦略」-ビジネスモデルイノベーションの方法
2012.1.9)、参考リンク
イノベーションをビジネスへ(マリンズ、コミサー著「プランB」より)
2012.6.17)、参考リンク
複雑系経営(?)の効果
2012.5.6)、参考リンク
ビジネスモデル・ジェネレーション(オスターワルダー、ピニュール著)より
2013.3.17)、参考リンク
戦略策定の科学的アプローチ
2013.6.30)、参考リ
「P&G式『勝つために戦う』戦略」(ラフリー、マーティン著)より
2014.3.2)、参考リンク(すぐ上記事と同じ)
ジュガードイノベーション(ラジュ、プラブ、アフージャ著「イノベーションは新興国に学べ!」より)
2014.5.11)、参考リンク
リ・インベンションとは(「リ・インベンション」三品和広+三品ゼミ著より)
2014.7.13)、参考リンク
「行動観察×ビッグデータ」(ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー2014年8月号特集)より
2014.9.21)、参考リンク
「イノベーション戦略の論理」(原田勉著)より
2015.3.15)、参考リンク
「ザ・ファーストマイル」(アンソニー著)より
2015.4.12)、参考リンク
「バリュー・プロポジション・デザイン」(オスターワルダー、ピニュール他著)より
2015.7.26)、参考リンク
イノベーションのスタート段階とアイデア(ウルフェン著「スタート・イノベーション!」より)
2015.12.13)、参考リンク


その2
研究・イノベーションの進め方に関するトピックス
「流れを経営する」を読む2012.3.25)、参考リンク
「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想
2011.3.21)、参考リンク
全員経営とイノベーション(野中郁次郎、勝見明著「全員経営」より)
2016.5.15)、参考リンク
アジャイル、スクラム、研究開発
2012.5.27)、参考リンク
アジャイルを採用する(「Embracing Agile」(Rigby, Sutherland, Takeuchi著HBR2016,May)より)
2016.6.5)、参考リンクは上の記事のリンクにまとめました
「技術経営の常識のウソ」感想
2011.4.17)、参考リンク
祝ノーベル賞:『発見の条件』by根岸英一教授
2010.10.11)、参考リンク
P&Gのすごさ-ニュー・グロース・ファクトリー
2011.11.20参考リンク
知的な失敗2012.2.26)、参考リンク
「エスケープ・ベロシティ」(ジェフリー・ムーア著)感想
2012.8.19)、参考リンク
「製品開発をめぐる6つの誤解」(トムク、ライナーセンの論文より)
2012.10.14)、参考リンク
「イノベーション5つの原則」(カールソン、ウィルモット著)より2012.11.4参考リンク
「イノベーションを実行する」(ゴビンダラジャン、トリンブル著)より2013.9.8)、参考リンク
「はじめる戦略」(ゴビンダラジャン、トリンブル著)に学ぶイノベーションの進め方
2014.12.21)、参考リンク
計画された日和見主義(「Planned Opportunism、Govindarajan著HBR2016,Mayより)
2016.7.18)、参考リンク
「ワイドレンズ」(アドナー著)にみる協働の方法
2014.1.19)、参考リンク
技術革新のタイミング(「Right Tech, Wrong Time」、Adner、Kapoor著HBR2016,Novemberより)
2017.1.3)、参考リンク
「社会技術論」(堀井秀之著)より
2013.2.17)、参考リンク
「技術経営の実践的研究」(丹羽清編)より
2013.4.29)、参考リンク
「ビジネスモデルイノベーション」(野中郁次郎、徳岡晃一郎編著)より
2013.5.26)、参考リンク
スタートアップ企業と既存企業におけるイノベーションの方法(ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー2013年8月号特集「起業に学ぶ」より
)(2013.12.15)、参考リンク
「リーン・スタートアップ」(リース著)より
2014.4.6)、参考リンク
模倣の意義(シェンカー著「コピーキャット」より)
2014.6.8)、参考リンク
「DARPAの全貌(DHBR2014年7月号より)」に学ぶ革新的なイノベーションの進め方
2014.8.17)、参考リンク
小さなイノベーション(DHBR誌2015年6月号特集より)
2015.8.23)、参考リンク
イノベーションの方法(ファー、ダイアー著、「成功するイノベーションは何が違うのか?」より)
2015.9.23)、参考リンク
多組織によるイノベーションのマネジメント(「ManagingMultiparty Innovation」、Furr、O’Keeffe、Dyer著HBR2016,Novemberより)
2016.11.20)、参考リンク
「イノベーションは日々の仕事のなかに」(ミラー、ウェデルスボルグ著)より
2015.10.18)、参考リンク
ビジネスモデル改善のポイント(ジロトラ、ネテッシン著「ビジネスモデル・イノベーションに天才はいらない」DHBR誌2015年7月号より)
2015.11.15)、参考リンク
「101デザインメソッド」(クーマー著)より
2016.2.21)、参考リンク
世の中を変えるビジネスモデルとは(「The Transformative Business Model」、Kavadias, Ladas, Loch著HBR2016, Octoberより)
2016.10.2)、参考リンク

研究・イノベーションの環境(仕組み、組織、人)に関わるトピックス
働きがいのある会社とは(Fortune誌「最も働きがいのある米国企業2011」No.1、SASの考え方)2011.1.30)、参考リンク
イノベーションに必要な人材-「イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材」
2010.11.7)、参考リンク
ナットアイランド症候群:自律的な組織を失敗に導く組織病
2010.9.26)、参考リンク
コア・リジディティ
2010.9.5)、参考リンク
リーダーがつまずく原因
2010.7.19)、参考リンク
イノベーターのDNA
2011.5.15)、参考リンク
イノベーションのDNA
2012.4.15)、参考リンクは上記と同じ
技術者が問題社員になるとき2011.7.24)、参考リンク
モチベーション再考
2011.8.28)、参考リンク
ポジティブ心理学の可能性
2011.9.25)、参考リンク
事業創造人材とは
2011.10.16)、参考リンク
フロネシス(賢慮)と研究開発
2012.1.29)、参考リンク
橋渡し役の重要性
2012.9.17参考リンク
イノベーションに関わる人々(「イノベーターはどこにいる?」豊田義博著より)2014.11.3)、参考リンク
「シリアル・イノベーター」(グリフィン、プライス、ボジャック著)を活かす
2014.1130)、参考リンク
創造力に対する自信(トム&デイヴィッド・ケリー著「クリエイティブマインドセット」より)
2015.5.10)、参考リンク
「世界で最もイノベーティブな組織の作り方」(山口周著)より
2015.6.28)、参考リンク
批判の力(「The Innovative Power of Criticism」(Verganti著HBR2016,Jan.-Feb.)より)
2016.3.6)、参考リンク
デザイン思考の真価を考える(DHBR誌2016年4月号特集「デザイン思考の進化」より)
2016.8.7)、参考リンク
高い目標のパラドックス(「The Stretch Goal Paradox」、Sitkin、Miller、See著HBR2017, Jan.-Feb.より)
2017.2.12)、参考リンク

「リスク」(フィッシュホフ、カドバニー著)より

研究開発では多くの場合、不確実な対象を扱います。何かの研究アイデアを思いついたとしても、それがうまくいくという保証はないわけで、挑戦にはリスクがあることになります。では、その研究は行うべきなのか、行うとしたらどんなことに注意して、どのように進めるべきかという判断はどのようにすればよいのでしょうか。

今回は、そのような不確実性、リスクがある中での意思決定の問題についてまとめた、フィッシュホフ、カドバニー著「リスク 不確実性の中での意思決定」[文献1]に基づいて、その中から研究開発においても役立ちそうな考え方をご紹介したいと思います。

第1章、リスクについての意思決定
・「リスクに直面して私たちがどう対応するかは、どのような選択肢(options)があるか・・・、起こりうる結果(outcomes)をどう評価するか・・・、さらに、それぞれの選択肢を選んだ場合に、ある結果が生じると考える信念(beliefs)がどの程度であるか、によって決まってくる。[p.8]」
・「意思決定理論では、選択行為を三つの相補う視点からとらえる。一つ目は論理的、あるいは規範的分析・・・二つめは記述的研究・・・三つ目は処方的介入[p.8-9]」。「規範的分析は必要な知識や不確実性を体系づけることができる。記述的研究は、意思決定者の直感的な認識を規範的な分析結果と対比させることができる。処方的な介入はより良い決定を行うようサポートすることができる。[p.31-32]」「意思決定理論は、混沌としたリスクの世界を整理し、秩序を持ち込もうとする。・・・決して包括的な理論ではなく、そもそも一般的な意味での“理論”ですらない。・・・たとえ意思決定理論を習得しても、良い決定を生み出す万能薬を手にしたことにはならない。むしろ、意思決定理論は、実践的な論理的判断を助け、自分が直面する決定について理解していること(あるいは、理解しうること)を踏まえて、可能な最良の決定に近づくための補助道具なのである。[p.7]」
・「あるひとつのリスクに関する意思決定であっても、そのすべての側面について専門家だという人などどこにもいない。ましてや、すべてのリスクのすべての側面についての専門家など存在しえない。技術的専門家のリスクの知識はその人の専門領域に限定されたものでしかない。また、私たちは自分のことはわかっているつもりでも、その知識には個人の信念や欲望、その他の制約要因のフィルターがかかっているのである。[p.32-33]」

2章、リスクを定義する
・「リスクは、私たちが価値をおく結果(outcomes)を脅かすものである。リスクを定義するということは、価値ある結果にかかわる選択をうまく行えるよう、そもそも何が価値ある結果なのかを明確にすることを意味している。[p.35]」「価値が異なれば、“リスク”の定義も異なってくる。そのため、リスクを定義することは価値に焦点をあてた思考の実践といえる。この実践はどのような結果が本当に重要なのかを熟慮することで、そして、過去の決定を検討してそこにある人々の価値を明らかにすることで、進めることができる。[p.64]」
・「死亡リスクの定義にもいくつかあり、それらの間には微妙な違いがあるが、少なくとも死という明快な結果で表現されている点は共通している。同様に、各種疾病や事故や金融リスクも、共通する明快な結果で表現される。しかしながら、いくつかの価値のある結果は構成が複雑で、単純で直接的な測定ではとらえきれない。そういったリスクは、最も重要な結果を反映する複数の“指標”で定義するしかない。[p.53]」
・「どのように定義されようが、“リスク”は、あるかないかという二分法ではなく、『測定不能なほど小さい』から『ありうる中で最大』までの幅をもつ概念である。けれども、意思決定者はしばしばリスクを、行動を起こす基準を上回っているかそうでないかという二分法で判断するよう求められる。[p.58]」
・「選択したリスクは必ずしも心理的に受け入れられたリスクとはいえない。仮にそのリスクが受容されるとしても、それはベネフィットしだいということである。逆に『このリスクに対してこのベネフィットは受容できる』という言い方もできよう。・・・リスクやベネフィットの定義が人によって異なるのだから、ある人にとって受容できるリスクが別の人には受容できなくても不思議ではない。[p.63-64]」

第3章、リスクを分析する
・「リスクが定義され、意思決定者にとって最も価値ある結果は何なのかが示されると、いよいよリスク分析者の出番となる。そして、リスクの大きさがどれぐらいで、その原因はどこにあるのかを調べる作業がはじまる。リスク分析は複雑で、幅広い科学と証拠となる事実群から構成されている。しかし、基本的な論理は明快である。リスクの程度について科学的な知識を用い、すでにわかっている状況からまだわからない状況に当てはめて考えてみる、というものだ。[p.65]」
・「リスク分析の各局面において判断が必要となる。たとえば、・・・リスク要因を抽出するとき・・・、ばく露状況を検討するとき・・・、観察の正確さを評価するとき・・・、基礎研究の知見を現場へ適用するとき・・・、仮定を単純化して使うとき・・・、といった各局面で判断が必要になる。判断というものは、不完全で不確実なデータを一般知識によって解釈する作業であり、この点は専門家であっても同じなのである。したがって、リスク分析の結果を利用する意思決定者は、分析の背後にある判断がどこまで信頼できるものか知っておく必要がある。そのためには、専門家の判断を事実に照らして評価するほかはなく、これによって、専門家がどれだけの知識をもち、どれくらい適切に自身の知識の限界を認識できているか、を評価できる。[p.87]」
・「心理学者のフィリップ・テトロックは長年にわたって専門家にさまざまな政治的できごとの生起確率を推定させてきた。実際に起こったことに照らし合わせて見出された結論は、専門家は一貫して自信過剰だということである。[p.91]」「リスク分析には幅広い考え方が必要なのに、自分の専門領域に比重をおきすぎると、専門家はいっそう自信過剰になるかもしれない。どんなコミュニティ内にも・・・人による見解の違いはあるが、その一方で、コミュニティ内には暗黙の、たいていは検証されることのない、世界のありように関する前提が共有されているものである。たとえば、工学的なリスク分析では人間行動が無視されやすい。それは、人間行動は数量化するのが困難であり、さらに、人間行動を扱う社会科学は信頼できず、重要な証拠を提供できない、と決めつけてのことである。そういった分析は往々にして心理学的リスク要因、組織論的リスク要因を見過ごしてしまう。しかし、そのような要因は、・・・じつはきわめて重要なのである。[p.93]」

第4章、リスクについての意思決定を実行する
・「直面する各選択肢が単独の次元、たとえば、金銭、休暇、湿原保全というような特定の価値次元において、確実に定まった量の価値をもたらすなら、選択はきわめて容易である。[p.98]」「しかし、私たちは人生における選択状況のすべてにおいて、とりわけ、新奇で、リスクが痛みをもたらすような選択においては、自分が何を望んでいるのかはっきりわからないことがある。その結果、人は選好をその場その場で“構成”するよう迫られる。自分の生活において一般方針を決めている“基盤”価値に基づいて、いつもとは違う特定の状況で、自分が何を望んでいるのか推論することになるのである。[p.108]」
・「選好の非一貫性は重要な問題であり、・・・心理学者はそれを“文脈効果”とよび、期待される結果が同じであるのにもかかわらず決定の文脈を変えることで人の選択が変化してしまうことを明らかにしてきた。[p.110]」「文脈効果や矛盾した選好を説明しうる最も優れた理論は、心理学者ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが提唱したプロスペクト理論である。・・・プロスペクト理論によると、人は利得や損失を参照点と比較して評価する。参照点は現在の状態であったり、将来の想定であったり、他社の状態であったりする。そして、参照点を変えることによって、結果が同じであっても、それを利得とみなすか損失とみなすかが変わり、それによって選好も変化するのである。[p.111-113]」「利得よりも損失を強烈に感じるという心理的特性は"損失回避“を導く。その一つの現れが”現状維持バイアス“であり、このため人は状況を有利なほうに変えることに抵抗することがある。[p.113]」
・「健全な選択を行うには世界についての不確実な事実と、自身の不確実な価値について理解している必要がある。・・・効用理論は現実生活における選択という側面を見過ごしており、現実の決定を説明するには不十分で、たんなる願望の対象になっていたりする。・・・複雑な決定に対しては、それなりによい決定を導く単純化ヒューリスティックに頼らざるをえないのである。[p.129-130]」

第5章、リスク認知
・「一般人は専門家のような知識はもたないし、またその必要もない。現実の問題に対して有効な決定を下すのに十分な知識があればそれでよいのである。専門家と同様に、どのリスクから対処するかを判断するため、リスクの大きさがわかればよいし、また、そのリスクに対して何ができるのか(できないのか)を理解するため、リスクの発生原因がわかればよい。しかし、そのような知識がない場合、一般の人びとは専門家の主張を鵜呑みにしたり、あるいは専門家間の見解の不一致のため・・・混乱の中におき去りにされてしまうのである。[p.131-132]」
・「緊急事態においては当局自身が動揺し、パニックにならないようにと警告を発することが多い。しかしながら、実際にはパニックはめったに起きない。ナイトクラブの火事やスタジアムでの一斉避難のように、視界がさえぎられたり、避難路が限られたりしたときだけ例外的に起こりうる。人は心の中でパニックになっても、行動面ではそうはならないのがふつうで、むしろ英雄的な行為をとることすらある。[p.136]」
・「どれだけリスクについて知っていようと、健全な意思決定を行うには、『自分が何をどれだけ知っているか』を知っている必要がある。それがわからない自信過剰の人は気づかないままリスキーな選択をし、事故の兆候を見落としてしまう。逆に、自信不足の人は無駄に警戒して、行動すべきときに情報を集めて考え込んだりしてしまう。判断の根拠の質に無頓着であることは自信過剰になる原因の一つである。[p.153-154]」
・「全般的に見て、人びとはさまざまなリスクの相対的な大きさは理解しているが、絶対的なリスクの水準を判断するのはかなり苦手である。・・・誤ったリスク認知は人が愚かだからというよいも、むしろ、適切なリスクコミュニケーションがあれば得られたはずの事実を知らないためそうなったと考えられる。[p.164]」

第6章、リスクコミュニケーション
・「リスクについてのコミュニケーション・・・がうまくいった場合、私たちの生活は改善し、自身の生活に関してよりしっかりした決定を行えるようになり、公衆主導の政策決定に十分な態勢で参加できるようになる。[p.166]」
・「不十分なリスクコミュニケーションは、公衆の知る権利と参加する権利を否認し、不適切な意思決定を強いることになる。・・・これまでの成果から、よくデザインされたコミュニケーションの有用性は、手放しで称賛できるほどではないがある程度うまくいっていると評価できるだろう。・・・これには必然性がある。リスクコミュニケーションは社会がリスクや危険に対処しようとする、広い範囲にわたる構造の一部なのである。[p.198]」

第7章、リスク・文化・社会
・「リスク分析は、危険を理解し、その危険に対処する意思決定とそれを伝える科学的な道具を用い、リスクについて実践的に理解する規範体系を提供している。これらの道具は今日では、科学技術とグローバルな共有財に依存する私たちの生活の本質的な部分となっている。リスク分析は、個人や社会がいかにうまくリスクに対処できるか評価するための基盤を与えてくれる。人びとや社会はリスクを理解しているか? 対立している価値を調整できるか? 必要な情報は行き渡っているか? 人びとの見解や希望は届けられているか? 感情は適切に反映されているか? 他者や公共への依存に気づいているか? こういった質問に回答するうちに、まずい意思決定やお粗末な分析はその正体をさらすことになる。往々にしてリスク分析者は、託宣者のように、自分の知識を過大視し、価値ある結果を無視し、リスクやベネフィットの定義の中に組み込まれている価値を明示することに失敗する(あるいは気づくことに失敗する)。したがって、分析の価値は、どれだけそういった問題点を自覚しているかで決まってくる。[p.221]」
・「リスクの定義は、世界が実際にどうなっていて、本当はどうあるべきかという規範を反映している。それを知ることで、リスク分析は人びとが危険に対処し、善き生を生きる手助けとなるだろう。[p.222]」
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研究開発においては不確実性を減らすことがまず求められます。しかし、最終的には、価値を生むような方向に不確実性を減らしていかなければなりません。そして、その価値も、顧客が求める価値でなくてはならず、その価値の大きさにおいて、競合を凌駕する必要があるでしょう。と同時に新しい技術や製品がリスクを生まないようにする、あるいは、リスク以上のベネフィットを提供できるようにすることも重要になるでしょう。リスクを考慮するということは、成功確率の問題だけではなく、価値の問題も考慮するということであり、この視点は研究開発においても重視すべきでしょう。

価値を脅かすものをリスクと考えると、価値を得ようとすることはリスクとは逆方向になりますが、広く未来を予測するということに関しては同じ要素が多くあるのではないでしょうか。人間の認知の不確実さ、自信過剰の問題などの背景には、人間の思考の特性が大きく関わっていますので、これらの作用は思考と判断の全般に影響するでしょう。例えば、専門家の自信過剰傾向は、リスクの議論以外の様々な場面において注意しなければならないことだと思います。顧客にせよ、研究者自身にせよ、あるいは経営者などのステークホルダーにせよ、人間の特性を知り、それに応じた対応をすることは、様々な状況における未来予測の精度を上げることにつながるのではないでしょうか。本書で述べられているようなリスクの視点は、研究開発の実践においても重要な意味をもつように思います。


文献1:Baruch Fischhoff, John Kadvany、バルーク・フィッシュホフ、ジョン・カドバニー著、中谷内一也訳、「リスク 不確実性の中での意思決定」、丸善出版、2015.
原著表題:”Risk: A Very Short Introduction”

参考リンク

研究開発実践のマネジメント第13回-ニーズの不確実性に関わるテーマ設定において考慮すべきこと:研究開発マネジメントの実践と基礎知識2.1.2.3)(「ノート」全面改訂)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第3回第4回第5回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)
どこに不確実性があるかの見極め第8回第9回
2.1.1
、課題実現の不確実性に関わる研究テーマの設定)第10回第11回
2.1.2
、ニーズの不確実性に関わるテーマの設定、1)ニーズの不確実性に関わる研究テーマの特徴とポイント、2)真のニーズを知ることの難しさと、真のニーズをとらえるための考え方、ニーズの不確実性への対応第12回

3)
ニーズの不確実性に関わる研究テーマ設定においてさらに考慮すべきこと
前回では、顧客の真のニーズを知ることの難しさと、真のニーズの捉える考え方の例として「片づけるべき用事」について述べました。しかし、実務家にとっては、どうしたらそうした片付けるべき用事が見つけられるのか、という点は重要です。こうした方法論は、どれかが決定版というわけにはなかなかいきませんので、今回はまず、「片づけるべき用事」(より一般化して顧客の真のニーズ)を見つけるための提案をいくつかご紹介したいと思います(Christensenの提案は第12回でご紹介しました。)。

ニーズ(片づけるべき用事)をみつけ、理解する方法
Anthonyらは、次のような提案をしています[文献1、p.126-129]。「以下の5つの質問に答えることで『用事』に関連した市場機会を見つけることが容易になるだろう。」
1、顧客はどのような基本的な問題を解決しようとしているのか:「以下のような『用事』の記述を埋めていく必要がある。[顧客][状況]において[問題]を解決したがっている。」
2、顧客はどのような「目的」に基づいてソリューションを評価するか:「『用事』そのものが、顧客が解決する問題そのものに対応しているのに対して、通常、『目的』は顧客が製品やサービスをどのように使うかに関係している。・・・機能的な『目的』だけではなく、感情的および社会的な『目的』についても考えることが重要だ。」
3、どのような障害がソリューションを制限しているか:「『目的』の逆の要素として、ソリューションを適用不可能にする『障害』がある。・・・『障害』は消費が行われる時と状況を限定する。ゆえに、『障害』を明らかにすることで、イノベーションの努力を市場規模の拡大に集中させることができるようになる。」
4、顧客はどのソリューションを検討するか:「検討すべき候補には製品、サービス、あるいは代償行動がある。代償行動とは、既存のソリューションが適切に『用事』を片づけてくれないために、顧客が行なう回避策である。」
5、イノベーションが生み出すソリューションにどのような機会が存在するか:「顧客が要求するものと利用可能なソリューションとのギャップを分析することである。もし、適切に片づけられていない『用事』を見つけることができたならば、イノベーションの機会を見つけたことになる。」
FurrDyerは、次のように述べています。「すべての用事には機能的、社会的、感情的という3つの側面があり、これらの要素の重要性は用事ごとに異なっている。・・・このような要素を理解することで、これまでは考えつかなかったかもしれないが、より成果につながるようなソリューションを考えることができるだろう[文献2、p.120-121]」。さらに、「どの用事が解決する価値があるか・・・の判断には、『収益につながる用事』を探すとよい。収益につながる用事とは、(1)お金を持っていて、(2)用事を解決するためにはお金を払う顧客の多くが抱えている重要なニーズや課題のことである。・・・どのような用事にも最大で3種類の顧客が存在する。その3種類とは、経済顧客(用事の解決にお金を払う顧客)、技術顧客(ソリューションを導入する顧客)、最終顧客(ソリューションを利用する顧客)である。・・・複数の顧客の片づけるべき用事を解決する創造的な方法を考える必要があることを忘れてはならない。・・・覚えておくべき・・・点は、蚊に刺されるような小さな課題ではなく、サメにかみつかれるような大きな課題に関する用事を探すということだ。・・・大きな課題について考える場合には、市場規模ではなく、顧客の感情やエンゲージメント(関連性)の程度により注意を向けている。・・・マネジャーがはまってしまう大きな罠の一つは、新規のプロジェクトの規模がとても小さいために、大企業の成長ニーズを満たすことができないという理由でプロジェクトをつぶしてしまうことだ。・・・多くの場合、強い感情は魅力的な市場につながっていく。小さな課題に見えるかもしれないものが、解決する価値のある顧客にとっての深刻な課題かもしれないのだ[文献2、p.122123]」。そして、収益につながる用事を見つけるツールとして、ペイン・ストーミング(課題に関する仮説-カスタマー・ジャーニー・マップ-最も困っている根本原因を分析-顧客にとって最も重要な根本原因を選ぶ-根本原因の背後にある前提を特定し、顧客と共に実験する)、エスノグラフィー、アドバイス・インタビュー(顧客にインタビューする際にアドバイスを求める)[文献2、p.126-137]、を提案しています。

ニーズのテスト
・研究テーマを決める前に確かなニーズがわかればいうことはないのですが、最近では、事前に計画するアプローチではなく、ニーズに関する仮説と検証の繰り返しから情報を得ようとする考え方もあります。例えば、FurrDyerは、解決に値する課題を見つけられたかどうかを確認するためのテストとして、飛び込みテスト(売り込み電話やメールに顧客が時間を割いてくれるか)、スモークテスト(ウェブ上の「詳しくはこちら」などの行動喚起に反応した顧客を調査するなど)をあげています[文献2、p.140-144]。
・また、試行からの学習を重視するリーン・スタートアップの考え方を提唱しているRiesは、「価値仮説(value hypothesis)とは顧客が使うようになったとき、製品やサービスが本当に価値を提供できるか否かを判断するもの[文献3、p.87]」で、製品やサービスの継続使用、リピートなどで判断でき、「成長仮説(growthhypothesis)とは、新しい顧客が製品やサービスをどうとらえるかを判断するもの[文献3、p.87]」で、顧客が製品を広めているかなどで判断できるとしています。
・なお、近年ではIT技術の発達によりこうしたニーズのテストがしやすくなり、精度も高まっているという認識が広がっています。クラウドファンディングによる資金集めは、出資のメカニズムを通じて消費者のニーズを調査しているとも考えられます。今後、IT技術を活用してニーズを知る方法もさらに増えていくでしょうし、ニーズに関する仮説を検証する方法も進歩していくのではないかと思われます。

ニーズについてさらに知っておくべきこと
ここまでは、顧客の真のニーズは何か、という点を中心に議論しました。しかし、ニーズに関しては他にも知っておくべきことがあります。中でも特に重要なのは、誰のニーズか、ニーズの市場規模、いつニーズが生まれるのか、ではないでしょうか。
イノベーション普及メカニズムからニーズについて考える
・製品やサービスが「売れる」ということは、そのニーズがあったことにほかなりませんが、顧客に採用された、という観点で見ることも可能です。イノベーションが世の中にどのように普及していくかについてまとめたRogersは、「イノベーションに対する個人の意思決定は瞬時に生じる行為ではない」[文献3、p.84]と述べ、さらに、あるアイデアの採用時期とその期間の採用者数が正規分布することに基づいて、平均採用時期よりも2σ以上早期に採用したグループを「イノベータ」、1~2σ早期のグループを「初期採用者」、平均より早く1σまでのグループを「初期多数派」、平均より遅く1σまでのグループを「後期多数派」、平均より1σ以上遅いグループを「ラガード」として、採用者カテゴリーを区分しています[文献3、p.213-235](詳細なまとめは、ノート改訂版第13回をご参照ください)。こうした傾向が発生する理由については、イノベーションの情報が知れ渡っていくのにある程度の時間が必要なこと、イノベーションの情報に触れた個人が採用を決断するまでの時間が個人によって異なることを考慮すると理解が可能だと思いますが、そのイノベーションにニーズが存在する、ということと、それがある時に顧客に採用される、ということは必ずしも同じではないことになります。
・研究開発を始めるかどうか、だけの判断であれば、大雑把にニーズがありそうかなさそうかを考えればよいですが、研究を実用化する際には、どのタイミングで、どのような顧客に採用され、最終的には市場規模はどれくらいになりそうかなどの点を考慮する必要があるでしょう。場合によっては、採用者カテゴリーをはじめとする顧客の特性によって製品を変えていく判断も必要になるかもしれません。研究テーマ選定の際にニーズの有無を考慮するのは当然として、研究開発を進めていくにしたがい、単なるニーズの有無だけでない、より具体的なニーズの中身についての考慮が必要になると考えられます。ニーズの検討は研究課題を選ぶ段階だけでなく、折に触れて、誰のニーズか、全体の市場規模、採用が広がる時期などを見直し、それに応じた対応を取っていかなければならないものと考えます。なお、Rogersは、「革新性という連続体のうちで、5つの採用者カテゴリー相互間に明確な断絶が起こることはない。それにもかかわらず、『イノベータ、初期採用者』対『初期多数派、後期多数派、ラガード』の間には不連続が存在すると主張する研究者がいる[ムーア、1991]。これまでの研究には、採用者カテゴリー間に『キャズム(深い溝)』が存在するという主張を裏づける知見はない[文献3、p.231]」と述べています。イノベーションの停滞自体はしばしば起こることだと思いますが、それがキャズムの類型に当てはまっていたとしてもそうでなくても、停滞の原因を探りニーズの本質をより深く理解する努力が必要でしょう。

顧客ニーズを考慮したもうひとつの考え方――ユーザー・イノベーション
・野城智也は、ユーザー・イノベーションについて次のように述べています。「Von Hippelは、ユーザー・イノベーションを、製造者がイニシアチブをとるイノベーション(manufacturer innovation)と対比的に扱い、次のように説明している。何らかの新しいモノ・コトの開発者が、それを使用することによって開発者自身が便益を得る場合はユーザー・イノベーションである。・・・では、どのような条件の変化が、『イノベーションの民主化』を推進してきたのであろうか?・・・①ユーザーに固着した情報の重要性が増してきていること、②ニーズの個別化が進行していること、は『イノベーションの民主化』を進める要因となっている。加えて、③ICTの普及により、ユーザーの能動的・組織的関与への障害が低くなりつつあること、④ユーザーが開発、試作、生産に関与する技術的可能性(例:3次元プリンタ)が拡がっていること、などの技術的環境も整ってきていることも相まって、ユーザーの関与は拡大し深化している[文献4、p.156-157]」。ユーザーが自身のニーズをよくわかっていて、開発に関与したほうがよい製品ができる場合ももちろんありうるでしょうが、この考え方をあらゆる場面に適用しようとすることは、ややニーズを重視しすぎているように思われます。ひとつの戦略としては重要だと思いますが、やはり、本稿第8回で述べたように、技術、ニーズ、市場の不確実性に満遍なく目を配る必要があるのではないかと思います。

ニーズの不確実性が低い(=売れることが予想できる)研究は一般に社内での賛同も得やすく、研究テーマとして設定しやすいと思います。しかし、その分、競合他社が同じ発想をしている可能性も高いかもしれません。ニーズの不確実性が低いということは、その研究が現状のマイナーチェンジにしか過ぎないことを示しているのかもしれません。ニーズの考慮はもちろん重要ですが、それだけに依存していてよいのか、自らの研究戦略を見直してみる必要があるかもしれません。


文献1:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V.,Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献2:Nathan Furr, Jeff Dyer, 2014、ネイサン・ファー、ジェフリー・ダイアー著、新井宏征訳、「成功するイノベーションは何が違うのか?」、翔泳社、2015.ブログ紹介記事
文献3:Rogers, Everett M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献4:野城智也、「イノベーション・マネジメント プロセス・組織の構造化から考える」、東京大学出版会、2016..ブログ紹介記事

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