研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2017年09月

個人と組織の分化と研究開発(太田肇著「なぜ日本企業は勝てなくなったのか」より)

日本経済や日本企業の業績がひところに比べ振るわなくなっていることが最近よく指摘されます。特に、日本企業によるイノベーションが停滞しているという指摘は、技術者にとっても重く受け止める必要があるでしょう。そうした低迷の原因については様々な議論がありますが、何はともあれ時代が変わったならその変化に対応しなければならないことだけは確かなことではないかと思います。

今回は、日本企業低迷の原因として「分化」に焦点を当てた、太田肇著「なぜ日本企業は勝てなくなったのか」[文献1]の内容と、その議論の研究開発への示唆について考えてみたいと思います。まずは、同書の構成に沿って内容をまとめます。

第1章、「未分化」が引き起こしていること
著者はまず、不祥事やブラックな職場、女性活躍、働き方改革などの問題について実効があがっていない理由として、「組織と働き方の根本にある問題に手をつけない」ためであるとし、「その問題とは、個人が組織や集団から『分化』されていないこと、すなわち『未分化』な状態がいろいろな問題と直接・間接に関わっているのである[p.13]」と指摘しています。
・著者は、「『分化』・・・の定義を・・・『個人が組織や集団、あるいは他人から物理的、制度的、もしくは認識的に分けられること』としておく。[p.14]」「『未分化』とは逆に個人が組織や集団のなかに溶け込み、埋没してしまっている状態を意味する。[p.5]」としています。
・その上で、「ただ、『分化』ばかりを一方的に進めると個人は孤立してしまうし、組織やチームも機能しなくなる。それを防ぐには組織(あるいはチーム)と個人を統合する必要がある。つまり『分化』は『統合』とセットで考えなければならない[p.15]」とも述べています。以下、分化と統合に関する本書の指摘の中から重要と感じた点を引用しておきたいと思います。
・「わが国の企業や役所などの組織的な特長を一言でいえば、『共同体』としての性格にある。・・・とりあえず共同体を『共通利害と濃密な人間関係で結びついた内向きの組織・集団』と定義しておこう。共同体型組織では、成員には個人的な利害や打算を超えた忠誠心や貢献が求められる。・・・また仕事の形や人事評価も社員を『内向き』にし、上司に依存する体質を強める。集団での仕事が多く、個人の職務と権限も明確に決まっていないので、個人の成果や貢献度は正確に捕捉しにくい。そのため人事評価には上司の主観や裁量が入りやすい。・・・見逃せないのは、他方で権限の階層、命令と服従の関係、ルールによる統制といった公式組織としての枠組みが厳然として存在することだ。このように日本の組織は、非公式な共同体としての側面と、公式な組織としての側面の両面を併せ持っているのである。・・・このような二重構造のもとでは・・・上司は背後にある、部下を評価する権限や命令権などをちらつかせながら、正当な範囲を超える忠誠と貢献を求めることができる。とりわけ幹部候補や上昇志向の強い者は、出世競争を勝ち抜くために『無際限・無定量』の忠誠と貢献を続けなければならない。それが場合によっては不正に手を染める結果を招くのである。[p.19-20]」
・「さらに不祥事を引き起こす誘因となるのが、権限のあいまいさ、ならびに『空気』によって実質的な意思決定がなされる『集団無責任体制』である。欧米企業では一人ひとりの権限や責任、仕事内容などが明確に決められ、仕事はトップダウンで進められる。それに対し日本企業では個人の権限や責任、仕事内容は明確に定められていないことがほとんどである。大事な意思決定も、非公式な話し合いやその場の空気、あうんの呼吸で実質的に決められるケースが多い。[p.21]」
・「一方で企業にしても役所にしても、不祥事発生の原因を探るなかで、組織がバラバラだった、一体感を欠いていたことが明らかにされている。・・・仲間同士の関係が濃密になると外部との関係が希薄になる。・・・さらに仲間同士の団結を強めるため、意図的にウチとソトとを隔てる『壁』を築くこともある。それが『たこつぼ』化である。当然ながら、そうなると会社としての一体感は生まれず、『バラバラ』になる。[p.24-26]」
・未分化が引き起こしていることとして著者が挙げている例には次のものがあります。ワークライフバランス(仕事と私生活の調和)を妨げる長時間労働、休みにくい環境、会議や打ち合わせ、調整に時間を取られること、残業することがプラスに評価されること[p.35-37]、パワハラ・セクハラ、イジメ、女性のハンディ、残業が減らないこと、フレックスタイムや在宅勤務が進まないこと、昇進をためらう気持ち、統計的差別(例えば、統計的に女性が結婚や出産で退職するケースが多いとして、特定の個人もそうであると差別するようなこと)[p.52]、総合職と一般職といった類型で格差を設ける差別[p.54]、正社員と非正社員の差別(共同体メンバーとしての資格有無に基づく差別)、既得権益を守ろうとする労働組合[p.56-57]。

第2章、日本企業の深層に残っているもの
・「日本人は勤勉で会社への帰属意識も、仕事に対する意欲も高いと信じられてきた。またチームワークのよさも強みで、『個人だと欧米人には勝てないが、チームなら負けない』という自負があった。・・・ところが近年、・・・従来の定説と真逆の評価がしばしば聞かれるようになった。また、これまでの定評を覆すようなデータも発表されている。[p.60]」「調査結果から見えてくるのは、『勤勉だが熱意に欠ける』労働者像である。よくいえば安定的だが、悪くいえば受け身で消極的、すなわち自発的・積極的な意欲に欠けるわけである。[p.65]」
・「第2回産業競争力会議資料によると、イノベーションに関する国際競争力は近年徐々に低下し、2012年には25位にまで後退している。・・・同様に企業の収益率もわが国は欧米に比べて低く、しかも2000年以降、その格差が拡大している。[p.65-66]」
・「IT革命とともに経済のソフト化やグローバル化も一気に進んだ1990年代の半ば以降、わが国の労働生産性や国際競争力は世界のなかでの順位が急落し、その状態が今日まで続いている。その人的要因の一つとして、ポスト工業社会に入って人間に求められる能力や資質、モチベーションの質が大きく変化したことが挙げられる。工業社会で強みを発揮した日本人の黙々と働く勤勉さや一体感、そしてある種の帰属意識やチームワークが、ポスト工業社会では通用しにくくなっているのである。では、いまの時代に求められている能力、意欲の発揮を妨げている要因は何か? それが、組織や集団からの個人の『未分化』である。そして、『未分化』の本質は、日本企業(行政機関なども含む)に特有な組織構造にあると考えられる。・・・『未分化』の象徴としての共同体型組織は、第1章で述べたような日本企業が抱える他の問題点、課題とも深く関わっている。[p.70-71]」
・共同体組織の限界として著者が挙げているのが、共同体の同調圧力が突出を抑えること[p.76]、「一定以上のモチベーションを維持できる反面、突出したモチベーションを引き出しにくい[p.80]」こと、未分化な組織から人材が流出し人材獲得のネックになること[p.82-84]、雑用が創造的な仕事を駆逐すること[p.85]、物理的にも大部屋の環境は創造的な環境に不向きであること[p.85-86]、「ワイガヤ」やブレーンストーミングも過大評価は禁物」であること[p.86]、権限委譲が進まないこと[p.87]、画一的な平等主義が改革を阻むこと[p.89]、です。
・成果主義が失敗した原因:「成果主義すなわち個人の成果を問うためには、・・・成果をあげる条件が十分に備わっていることが大前提になる。それには・・・個人の『分化』が必要不可欠である。にもかかわらず、成果についての責任を問う一方で、成果をあげるために必要な『分化』を正しく行わなかった。それが成果主義失敗の最大要因だといってもよい。[p.93-94]」

第3章、「分化」するとどう変わるか?
・「いまは『天井』を突き破るような意欲と能力が求められる時代に入っていることは、皆さん重々ご承知のことと思う。そこで個人を組織や集団から分化することが必要になるのである。最もオーソドックスな方法は、仕事の分担を明確にし、裁量権を与えるとともに名前を明示して仕事をさせることである。[p.99]」
・「分化」のメリットとして著者は、「やる気の天井」がとれること[p.98]、仕事を効率化する方向にもモチベーションが働くこと[p.104]、異質なチームワークでイノベーションを生むこと(「これまで日本人が得意としてきたのは、同じような知識や技術、価値観を備えた人たちによる『同質なチームワーク』である。『自分を殺して』とか『一丸となって』という表現は象徴的だ。ところが、それは情報化、グローバル化、ソフト化によって急速に有利さを失った。それどころか『同質なチームワーク』へのこだわりが、個人のもっている潜在的な能力や、新しいチームワークの発揮をかえって妨げているケースが少なくない。いま求められているのは多様な専門分野からなるメンバーが、一人ひとりの比較優位な能力と個性を発揮してチームの目標達成に貢献する『異質なチームワーク』である。・・・このようなチームは個人が組織や集団から分化してはじめて結成できる。[p.105-106]」)、分化すれば組織や集団のなかの『ゼロサム』構造が崩れること[p.107]、「集団無責任型」不祥事がなくなること[p.109]、女性の活躍、ワークライフバランス、ダイバーシティの推進といった目標の実現[p.111]、自分に合ったオーダーメードのキャリアが形成できること[p.113-114]、を挙げています。
・「仕事の分担を明確にしたり、裁量権を与えたりする『弱い分化』の主体は企業である。分化できるかどうかは最終的に企業の判断にかかっているといってよい。一方、独立・開業という『強い分化』の主体は個人である。個人が生きがいや自由度など、さまざまな要因を含めた損得勘定によって独立・開業を決断するかどうかである。したがって、起業の成功率を上げると同時に、その決断を促すためにも独立・開業を支援する政策が必要だ。[p.126-127]」
・「分化」するとつながりが増えるというパラドックス:「『自律』は重要な欲求であり、生まれもった本能のようなものである。・・・外から無理にくっつけようとしたら自分を守るために距離を置こうとするのである。・・・裏を返せば、組織や集団から個人を分化すれば反発や警戒感が薄れて、自らつながろうとする。[p.133-134]」「個人を閉鎖的な集団から分化して人間関係のしがらみから解放すると、外部に積極的な人間関係を築けるようになる。[p.136]」「一人ひとりの仕事が分化されていないと、人数が増えるほど自分の影響力は小さくなる(つまり努力しがいがない)し、バレないので手抜きが起きやすい。・・・分化していると自分の目的を達成するためにも他人との協力が必要になる。[p.136-137]」「個人の分担がはっきりしている場合には、支援すると相手は助かるので感謝してくれる。したがって支援しようという気持ちになる。[p.138]」、報酬や強制により内発的モチベーションが損なわれる(アンダーマイニング効果)があるので、「個人を組織・集団から分化し、精神的にも開放することが、他人のために役立ちたい、助けたいという前向きな気持ちをはぐくみ、自発的な支援や助け合いを促進すると考えられる。[p.141]」
・「社会学者のE・デュルケームは、社会的な連帯には二種類あるという・・・。一つは類似した者同士が結びつく『機械的連帯』であり、・・・日本社会の共同体型組織はその典型である。もう一つは異なる人々の分業によって成り立つ『有機的連帯』である。彼はダーウィンの進化論を援用しながら、有機体の間の競争はそれが類似しているほど激しくなると指摘し、人間も逆に異質であれば共存できることを・・・説明する。[p.142]」
・日本の教育で組体操や給食当番などで行われているのは、「運命共同体的な受け身の連帯であり、相手の立場や気持ちを思いやり、自ら手をさしのべる態度を育てるものではない。欧米などの教育方針はこれと対照的で、自由な環境のなかで助け合う気持ちと習慣を育てようとする。[p.144]」
・「仕事や活動には時間と精力を投入するほど成果があがるものと、そうでないものとがある・・・。前者には全力(最適基準)を投入すればよい。一方、後者は一定の水準(満足基準)を満たすことを目標にしたほうがむしろうまくいくのである。[p.153]」

第4章、「分化」と「統合」をどう両立させるか?
・「たいていの経営者は分化か統合かという二律背反の思想にとらわれているといってよい。・・・そこで、思いきって発想を転換する必要がある。働く人の『行動』と『機能』を切り離して考えるのである。統合が必要なのは『機能』の面であって、人間の『行動』は統合する必要がない。[p.160]」「同じ公務員でも、わが国では行動で管理されるのに対し、アメリカでは機能(役割)で管理されている[p.161]」。「働き過ぎを防ぐために『午後10時以降の残業を禁止』しても、『ノー残業デー』を設けても、それは『行動』を規制しているだけに過ぎない。つまり、いくら器を変えても中身を(分化した働き方に)変えないかぎり、本質的な働き方の変革にはならないのである。[p.162]」「わが国の共同体型組織では、行動と機能を一体化させるところに特徴があった。組織と個人の関係はもとより、集団内つまり同僚とも一体となって行動することを重んじた。モノづくりにしても、事務の仕事にしても従来の集団作業においては、そのように文字どおり一丸となることが大切だったからである。しかし、時代は変わったのである。技術革新を中心にした仕事内容、仕事環境の著しい変化にともなって、・・・そのメリットをデメリットが上回るようになったわけである。行動と機能を切り離せば、個人の自由を尊重しながら仲間同士の協力や連帯ができるようになる。・・・大切なのは『機能』なのである。[p.163]」
・「かつて私は組織と個人の統合に『直接統合』と『間接統合』の2種類があることを説明し、両者の間で企業の業績や社員の満足度に差があるかどうかを実証的に研究したことがある。ここでいう『直接統合』とは、個人が組織に参加すると同時に組織と一体化し、組織の目標を一丸となって追求するスタイルを意味する。それに対して『間接統合』では、個人が組織に参加してもなお自分の仕事上の目的を追求する。・・・すなわち『直接統合』は個人が組織から未分化なまま統合されている状態を、『間接統合』は分化されながらも統合されている状態を意味する。・・・その結果・・・行動と機能を切り離し、社員に対して行動の自由は尊重しながら必要な役割を果たし貢献するように求めた方が、社員の満足度や組織・社会に対する貢献度が高くなり、企業の業績も高くなることが裏づけられた[p.167-169]」。
・「『分化』は多くの人々に自由とチャンスを与え、日本企業や日本社会が抱えるさまざまな課題を解決する決め手になると考えられる。しかし同時にそれは既得権を奪い、既存の序列を崩壊させるだけに、一部の人たちや当面の利益にこだわる人たちからの強い抵抗に遭うことは容易に想像がつく。また分化は一時的にせよ安定や心地よさを奪い、摩擦を生じさせることがある。そして、たいていの人は社会や他人の利益より自分の利益を、また長期的な利益より短期的な利益を優先する。とりわけわが国では、・・・『つながり』や『絆』といった結合への志向が強いので、組織や集団の内側から分化していくことは容易でない。そこで必要なのが外側から分化を仕掛けること、すなわち『外圧』を利用する戦略である。[p.175-176]」「もう一つは、切り離してから関係をつくるという戦略である。[p.180]」「副業(兼業)の容認についても、同じような考え方ができる。[p.182]」「最後に、より実践しやすい方法を紹介しておこう。まず物理的な分化から入るのである。[p.183]」(オフィスの分断など)

第5章、「分化」の過去と未来
・「工業社会の発展は社会的にも大きな変化をもたらし、マルクスがいうように共同体を崩壊させ、生産手段をもつ資本家と、それをもたない労働者という階級を生んだ。社会が上下に分化したわけである。・・・そこで生まれたのがピラミッド型、階層型の組織である。階層型組織はタテ方向に細かく分化され、上下間では権限の序列、命令と服従の関係が明確に定められていて、仕事はルールに基づいて進められる。[p.188]」「ところが企業を取り巻く環境が変わるにつれて、タテ方向に分化した一元的序列型のシステムは非効率になる。・・・従来の階層型組織は決められた業務を確実にこなすのには適しているものの、意思決定に時間がかかり、変化への適応力に欠ける。めまぐるしく変化する市場、多様化する消費者のニーズに迅速かつ柔軟に対処するには、市場や顧客にいちばん近いところで仕事をする人が直接判断し、行動しなければならないのである。・・・そこで組織の階層をへらしてよりフラット、つまり平たくするとともに、現場に近いところへ権限を委譲することが必要になる。[p.191]」「つぎにやってきたのは情報化、グローバル化、ソフト化に代表される『ポスト工業社会』である。・・・ソフト時代の特徴は、スケールメリットの低下と序列の消滅である。・・・均質性を重んじる小品種大量生産の時代とは対照的に、新しいアイデアを創出し、新製品を開発するためには多様な知識、情報、視点、価値観が重要だ。したがって・・・個人属性だけでなく、考え方や社会的背景なども異なる個性的な人材を採用し、個性を発揮させる必要がある。・・・ポスト工業化は『タテ方向の分化』を『ヨコ方向の分化』へと転換するともいえるだろう。[p.195-202]」
・「仕事のための制約や束縛から解放されれば、一人ひとりがいっそう自分の価値観に沿った生き方ができるようになる。ほんとうの意味での『自分らしさ』をますます追求するようになるだろう。[p.209]」
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日本企業が勝てなくなった理由が、個人が組織から未分化であるためであると単純に考えてよいのかどうか、分化を進めていけばすでに分化が進んでいる諸外国とのグローバルな競争に勝てるようになるのかははっきりとはわかりませんが、日本企業の問題点のひとつに未分化の問題があるだろうことは間違いないように思います。特に、イノベーションを担当する者にとっては真剣に考えておくべきことでしょう。

研究開発にとっての分化の意味を考えると、著者のいう「分化」とは、ざっくりといえば組織に依存しないで個性を発揮すること、ということになるように思います。研究活動においては、個性を活かすことや、多様性を確保することが重要であることは広く認識されていますのでこの点は理解しやすいと思います。しかし最近では「協力」することも研究にとって重要であるという意見が多くあります。この「協力」と「分化」は矛盾なく実行可能なのか。そこで問題になるのが本書でも指摘されている「分化」と「統合」の両立、ということだと思います。おそらく、この両立をうまく達成できるかどうかが競争優位を築くためのカギになるのではないでしょうか。

一口に「協力」と言っても、様々なやり方があります。単なる業務分担で、その分担内容を誰かがコントロールする、というやり方では、それぞれの担当者は言われたことしかやらないかもしれません。日本特有の共同体型組織こそ、各担当者の積極的な協力を引き出すのに適しているという考え方もあるように思いますが、そうであるなら日本企業が現在のような苦境にあることは説明しにくいかもしれません。ということは、単に分業をすればよいということではないのだと思います。また、分化していない大部屋のような環境こそ、異なる考え方がめぐり合うチャンスを増やし、イノベーションにとって好ましい環境であるという考え方もあります。

このような各論については色々な可能性があるでしょうが、これからの時代はゼネラリストよりも専門家が必要とされる可能性が高いだろうということ、協力とはいっても受け身の協力ではなく、積極的な協力関係を作ることが重要になってくるだろうことは言えると思います。専門家の育成には最初は未分化の段階から分化を促していくアプローチがよいようにも思いますし、積極的な協力関係を作るためには機械的分業ではなく、目的と自律的なモチベーションを共有するような「統合」の形が望ましいのかもしれません。具体的な分化と統合のしかた、それを促す環境の作り方など、個別の方法論については、著者の指摘をひとつの選択肢ととらえて、それぞれが必要とされる状況に応じてうまく使う事が実務者には求められているのだと思います。日本企業低迷の現状から問題点を学び、将来の実践に活かしていくことこそが必要なのでしょう。


文献1:太田肇、「なぜ日本企業は勝てなくなったのか 個を活かす『分化』の組織論」、新潮社、2017.

 

研究開発実践のマネジメント第20回-研究者の適性と最適配置:研究開発マネジメントの実践と基礎知識2.2.2(「ノート」全面改訂)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)
どこに不確実性があるかの見極め第8回第17回
2.2
、研究開発を行う人のマネジメント
2.2.1
、研究者の活性化 
第18第19回

2.2.2
、研究者の適性と最適配置
研究グループを第一線で率いるマネジャーやリーダーにとっては、人的資源はそれほど自由になるものではありません。基本的には与えられた資源の中でよりよい成果をあげることが求められます。そうした制約の中では、第18第19回で述べた研究者の活性化が最も重要だと思いますが、どういう仕事を誰に任せるか、すなわち研究者の業務適性を考慮してその人に合った仕事を担当してもらうことによって成果をあげやすくすることも重要でしょう。このような研究者の適性に応じた最適な人員配置は、チームを編成する場合にも考慮すべきことと考えられますので、今回はこの問題について考察したいと思います。

1)
研究者の適性に応じた最適配置のポイント
一口に「研究」といっても、そこには様々な業務があります。適性を考慮した人員配置をしたいなら、ある人が様々な業務のどれに「適性」があるのかないのかをまず知らなければなりません。本稿の第10回では、研究に関わる様々な業務を、2つの因子すなわち、①未知のことか既知のことか、②頭を使うか体を使うかで区別するとわかりやすく整理できるのではないか、ということ提案しました。そこで、その区別に基づく業務適性の判断について考えてみたいと思います。

前2シリーズの本ブログ研究開発マネジメントノートで私が提案したのは、個人の選好、すなわちその個人の仕事の好き嫌いに基づいて適性を判断する、という方法です。もちろん、性格診断テストなどをして個人の選好やパーソナリティを分析してもよいのですが、現実にはそういう情報が得られるケースはほとんどないでしょう。そのかわりに、日頃の仕事の進め方を観察したり、今の趣味や子供の頃の趣味(その選好が今も継続していれば)を聞いたりすることから選好を推定し、それを適性の判断に活用する方法が考えられる、というのが私の提案です。

具体的には、次の図のような選好パターンの類型化が可能だと思っています。図の縦軸、横軸は第10回で述べた図の縦軸(上記の②)、横軸(上記の①)と同じであり、研究者が行う具体的活動としては、右上の象限は新企画立案、アイデア開発、理論化など、右下の象限は発明、発見、仮説検証、改良など、左上の象限は、コンサルタント、理論解析、成果まとめ、技術指導など、左下の象限は、技術サービス、依頼試験、試作、技術導入など、となります。そして、それぞれの象限の選好の結果として現れてくるのがそれぞれ「アイデアマン」、「実験マニア、探検家」、「勉強家」、「モデルマニア」というイメージになるのではないか、と考えています。そして、この区分により個人の選好が推定できれば、その区分の属する業務を担当してもらう、というのが、適性を考慮した人員配置になるのではないか、というのが私の提案です。

研究者類型

もちろん、適材適所の配置を考える際には、上記の類型にあえて従わない判断も必要な場合もあるでしょう。例えば、新しい経験を積ませることで成長を促す場合、経験から学ぶことを身につけさせたい場合などは、選好と異なる業務を担当させる必要があるかもしれません。しかし、そうした場合にも、なぜその業務を担当させるのかをその人に納得させるために、選好と業務分担の判断についてきちんとコメントしておくことは重要ではないでしょうか。こうしたことが、自分の仕事の意味についての理解を深め、成長機会を感じることによりエンパワーメントにつながり、活性化にもつながるのではないかと考えます。

2)
研究者には何が必要か
なお、上記の類型化とタイプ分けは、私の経験に基づいて実用的観点から考えてみたものであり、絶対的なものではないことはあらためて強調しておきたいと思います。加えて、こうしたタイプ分けの結果を明示してしまうことには、その人に対して先入観をいだいたり、反対する人を排除するために使われたりする危険があることも指摘されていますので[文献1、p.115]、実践の際にはそうした注意も必要です。

多様性の大切さ
さらに、個人の性格などを類型化する場合には、それが多様性を阻害してしまわないよう、注意が必要です。研究において多様性を確保することの重要性については多くの指摘があります。例えば、野中郁次郎氏は組織的知識創造を促進する要件として、組織の意図、自律性、ゆらぎと創造的なカオス、冗長性(当面必要としない仕事上の情報を重複共有すること)、最小有効多様性(複雑多様な環境に対応するためには、組織は同程度の多様性を内部に持っている必要があることを指す)を挙げています[文献2、p.118-123] [文献3、p.77]。また、Leonardは異なる意見や状況の間に発生する創造的摩擦の重要性を指摘しています[文献1、p.93]。さらに、Belbinの<アポロ計画>のチームに関する研究では、高い能力を持った同質の人材からなるチームは、平均的な能力の異質な人材からなるチームよりも、一貫して低い成果しか出せなかった、との調査結果[文献4、p.395による]もあり、複雑系の研究者であるPageも、「認識的多様性が集団の出来を向上させるという結論に達せざるを得ない[文献5、p.412]」と述べています。適材適所の人員配置は、多様性を認めて活用する方針のもとに進められるべきであり、特定の傾向を持つ人は特定の業務に配置されるべきだ、というような固定的な考えに陥らないようにする点にも注意が必要でしょう。

新規性と実行への注目
1)
で挙げた2つの因子すなわち、横軸の「新しいかどうか」、縦軸の「頭を使うか手を使うか」は、それぞれ、「新規性」と「実行」への注目、と読み替えることもできます。この2因子に注目する研究の方法論は、すでにいくつかの提案がありますので、以下にその例をご紹介しておきたいと思います。
IDEOTom Kelley, David Kelleyは、「基本的に、創造力に対する自信とは、『自分には周囲の世界を変える力がある』という信念を指している。・・・自分の創造力を信じることこそ、イノベーションの『核心』をなすものなのだ。[文献6、p.17-18]」「新しいアイデアを思いつく能力と、アイデアを実行に移す勇気――このふたつの組み合わせこそが、創造力に対する自信の特徴と言えるのだ。[文献6、p.22]」と述べています。つまり、上図の右側(新しいこと)と下側(実行すること)が創造性の基盤をなす、と考えることができると思います。その上で、「デザイン思考では、直観的に物事をとらえ、パターンを認識し、機能的なだけでなく感情的にも意義のあるアイデアを組み立てる、人間の天性の能力をもちいる。・・・もちろん、感覚、直感、インスピレーションだけに基づいて、キャリアを築いたり組織を運営したりしなさいと言うつもりはない。ただ、論理や分析に頼り過ぎるのは、同じくらい危険なこともある。容易には分析できない問題や、確かな基準やデータが十分にない問題を抱えている場合、デザイン思考の共感やプロトタイピングを使うことで、前に進む足がかりになるかもしれない。画期的なイノベーションや創造の飛躍が必要な場合は、問題を深く掘り下げ、新しい洞察をみつけるのにデザイン思考の方法論が役立つだろう。[文献6、p.46]」として、新たなアイデアを見出しプロトタイプなどの試行プロセスを用いるデザイン思考の利点を主張しています。
Grantはオリジナリティについて考察し、「ガレンソンがさまざまな創作者を研究したところ、イノベーションには根本的に異なる2つのスタイルがあることがわかった。『概念的イノベーション』と『実験的イノベーション』だ。概念的イノベーターは、大胆なアイデアを思い描いてそれを実行に移すというタイプだ。実験的イノベーターは、試行錯誤を繰り返して問題解決を行ないながら学び、進化を遂げていく。・・・あらかじめ計画するのではなく、進めていくなかで解決策を見いだしていくというのが実験的イノベーターだ。・・・概念的イノベーターの真の敵は、考え方が定着してしまうことである』・・・反対に、実験的なイノベーションは、必要な知識とスキルの蓄積に何年も何十年もかかるが、オリジナリティの源泉として、より長続きする。・・・年齢を重ねてもオリジナリティを維持し、専門知識を蓄積していきたいのであれば、実験的アプローチをとるのがかしこいやり方だろう。[文献7、p.181-184]」として、やはり実行を重視しています。

適性をどうとらえるか
本稿で述べている「適性を考慮した人員配置」は、研究に必要な能力や考え方を画一的なもの(例えばいわゆる頭の良さとか知識の多さなど)を基準に、その画一的な基準に合う人にさまざまな研究業務を任せるアプローチとはやや異なったアプローチです。ではなぜ、本稿では適性を考慮した人員配置が好ましいと考えているかというと、ひとつには、第10回で述べたように、一口に研究といっても実際には様々な業務があることが挙げられます。つまり、様々な側面を持つ「研究」という仕事の全てをカバーできるような適性を特定できないだろう、という予測が根底にあります。言い換えれば、ある程度どんな人でもその適性に合った「研究業務」というものが存在するのではないか、そして、自分の適性に合った研究業務の分野で、企業活動に貢献する研究活動ができるのではないか、ということです。もうひとつには、様々な研究について画一的に評価できるような適性とは何かが明確にはなっていないことです。研究マネジメントに関する様々な考え方に接するにつけ、それぞれが研究活動を特定の側面から捉えて議論している傾向を感じます。そうした限定的な捉え方において、研究者のある特性が研究に適しているとかいないとかを考えても、違う場面においては違う適性があるのではないか、という疑問を(少なくとも現時点では)拭うことができません。であれば、研究活動はそれを個々の活動に分け、それぞれの活動について必要とされる能力や適性を考えるべきではないか、と考えています。

もちろん、基礎的な個人的能力(知識や、学習能力、思考力、創造力など)は高いにこしたことはないでしょう。しかし、個人的能力が高ければ研究が成功するというものでもないと思います。必要なことは、よい成果が得られる方向に努力を継続することができるか、ということではないでしょうか。この「努力の継続」というところに、「適性と最適配置」が大きく影響するのではないかと思っています。例えば、楠木建氏は次のように述べています。「好き嫌いドライブの決定的な優位はネガティブな状況にやたらに強いということにある。・・・そのことが好きであれば、すぐに成果や報酬に結びつかなくても苦にならない。ここに『努力の娯楽化』の本質がある。[文献8、p.iv-ix]」適性のある仕事であれば、それが「好き」である可能性も高いでしょうし、その結果として、モチベーションや努力の質も高くなるのではないか、というのが私が適性と最適配置を重視している理由、適性を「好き嫌い」で判断しようとしている理由です。

ただ、今回紹介したKelleyGrantの考え方をみると、上述の「成果が得られる方向」とは、新規なこと、実行することである可能性が高いようです(図の右下の方向)。そうであれば、そういう方向への努力が好きな(適性のある)人は研究者に向いているとは言えるかもしれません(例えば、好奇心が旺盛で行動の結果から新しい方向を掴める人)。しかし、すべての人が右下を目指す必要なないと思います。研究所の業務として左上のような活動が必要とされるなら、そういう人がいることで、右下を目指せる人も増える、ということではないでしょうか。そう考えると、研究部隊には互いの個性(多様性)を認めながら協力して図の右下方向への意識を高めることが必要であり、そういう方向を尊重できる人が、広い意味での研究適性のある人なのではないか、と思います。


文献1:Leonard-Barton, D., 1995、阿部孝太郎、田畑暁生訳、「知識の源泉」、ダイヤモンド社、2001.
文献2:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献3:三崎秀央、「研究開発従事者のマネジメント」、中央経済社、2004.
文献4:Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.
文献5:Scott E. Page, 2007、スコット・ペイジ著、水谷淳訳、「『多様な意見』はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき」、日経BP社、2009本ブログ紹介記事
文献6:Tom Kelley, David Kelley, 2013、トム・ケリー、デイヴィッド・ケリー著、千葉敏生訳、「クリエイティブマインドセット 創造力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法」、日経BP社、2014. 本ブログ紹介記事
文献7:Adam Grant, 2016、アダム・グラント著、楠木建監訳、「ORIGINALS 誰もが『人と違うこと』ができる時代」、三笠書房、2016. 本ブログ紹介記事
文献8:楠木建、「『好き嫌い』と才能」、東洋経済新報社、2016.本ブログ紹介記事


実験の意義(「The Surprising Power of Online Experiments」、Kohavi, Thomke著HBR2017, September-Octoberより)

本ブログでも以前に「試行錯誤」つまり、実験から学ぶアプローチの意義について考えてみたことがありますが(「試行錯誤のプロ」)、最近はネット環境を利用したオンライン実験の有用性が注目されているようです。今回は、最近のHBR誌の論文から、オンライン実験の価値とその進め方を議論したKohavi,Thomke著「The Surprising Power of Online Experiments」[文献1]のポイントをご紹介して、「実験」の意義について考えてみたいと思います。

著者らはまず、オンライン実験がいかに利益に貢献するかについて、MicrosoftBingでの実績を紹介しています。もちろんこうした実験はMicrosoftに限られるものではなく、著者は、「今日ではMicrosoftや、AmazonBooking.comFacebookGoogleのような先端企業では、それぞれ数百万のユーザーが関与する1万件/年以上の管理されたオンライン実験(controlled experiments)が行われている。スタートアップや、デジタルを基盤としない企業、例えばWalmartHertz、シンガポール航空などでも小規模だが定常的にこうした実験が行われている。これらの企業では、『何でも実験(experiment with everything)』アプローチが驚くほど大きな報酬をもたらすことに気づいている。・・・我々は35年以上にわたり、様々な業界で実験の研究と実行を行い、企業にアドバイスを行ってきた。ここでは、実験の設計と実行、欠陥をなくすこと、結果の解釈、おこりがちな問題への対処のやり方に関して学んだ内容を述べる。ここでは管理された実験の最も簡単な形式であるA/Bテストを中心に述べるが、我々の知見はより複雑な実験デザインにも適用可能である。」と述べています。以下、そのポイントをまとめたいと思います。

A/B
テストの価値の評価(Appreciate the Value of A/B Test
・「A/Bテストでは、2種類の体験内容を設定する:『A』は比較対照群で、通常は現在のシステムであり『チャンピオン』と考えられるもの、そして『B』は処理群で、何かを改善しようとして変更を加えたもの『チャレンジャー』である。」
・「1日あたりのアクティブユーザーが数千を越える企業はこのテストを行える。多くの顧客サンプルにアクセスし、ユーザーがウェブサイトやアプリケーションと行ったやりとりについての膨大なデータを集め、同時に実験を行う能力は、無視できるほどの実験当たりコストで多くのアイデアを素早く正確に評価できるという、かつてないチャンスを企業に与える。これにより企業は機敏な反復、速やかな失敗、方針変更が可能になる。」
・「こうした利点を認識し、いくつかの先進的技術系企業は、多くの製品チームが使える実験のインフラを構築、管理、改善する専任のグループを設けている。」
小さな変更でも大きな影響を与えうる
・「人々は、投資が大きいほど大きな影響が出ると思いがちだ。しかし、小さな正しい変化が成功に関係するオンラインの世界ではそのようなことはめったにない。ビジネスは大きな破壊的アイデアを賛美するが、現実にはほとんどの進歩は数多くの小さな改善を実行することで達成される。」
実験は投資決定のガイドとなる
・「オンラインテストは、可能性のある改善にマネジャーがいくら投資するのが最適かを明らかにできる。」また、サーチ結果の関連性と応答時間のようなトレードオフも明らかにできる。

大規模な能力の構築(Builda Large-Scale Capability
・「提案されたアイデアのほとんどすべてを科学的にテストするには、インフラストラクチャーが必要だ:装置(クリックやマウスの動きやイベントタイムを記録する)、データパイプライン、そしてデータサイエンティストだ。サードパーティーのツールやサービスは実験の試行を容易にしてくれるが、スケールアップしたいなら、その能力をプロセスと一体に統合しなければならない。それにより、実験のコストが下がり、信頼性は向上する。一方、インフラがないとテストのための周辺コストが高くなり、上級マネジャーが実験を厭がってしまう。・・・MicrosoftAnalysis & Experimentationチームは80人以上のメンバーで数百もの様々な製品のオンライン管理実験を行っている。」
・「企業の実験部隊は3つの形態をとりうる:集中モデル(Centralized modelではデータサイエンティストチームは全社を担当する。この利点は、長期のプロジェクトに集中でき、よい実験ツールと先進的な統計アルゴリズムを構築できるところである。欠点の一つは、グループを使うビジネスユニットの優先順位が異なり、資源とコストの割り当てで衝突が起こり得ることである。他にもデータサイエンティストがビジネスのアウトサイダーになってしまい、ユニットの目標や分野の知識との調和が損なわれ、関連する洞察の点と点を結ぶのが難しくなることがある。さらには、上級経営者に投資を承認してもらう影響力が弱くなる可能性があり、また、ビジネスユニットのマネジャーに実験結果を信用してもらいにくくなることがある。分散モデル(Decentralized modelは、データサイエンティストを異なるビジネスユニットに分散させるアプローチである。このモデルの利点は、データサイエンティストがそれぞれのビジネス分野のエキスパートになれることであり、欠点は専門家としての明確なキャリアパスがなくなること、同僚からのフィードバックや成長のためのメンタリングが得にくい可能性があることである。さらに個々のユニットでの実験では、必要なツール構築を正当化するための限界となる大きさに達しない可能性があることである。研究拠点モデル(Center-of-excellencemodelでは、データサイエンティストは中央とビジネスユニットの両方に配置される(Microsoftではこの方法をとっている)。Center-of-excellenceでは主に、管理された実験の設計、実行、分析に注力する。この方法により、全社的実験プラットフォームや関連ツールの構築のための資源と時間を節約でき、講習、実験室、会合などを設定することで、ベストな実験方法を広めることもできる。欠点は研究拠点と製品チームが何を持っているか、様々なユニットでの実験が増えた時に誰がデータサイエンティストの増員コストを払うか、得られた結果が信用できない場合に、誰がチェックし注意を発するための投資に責任を持つかが不明確なところである。」

成功の定義を宣言する(Addressthe Definition of Success
・「各ビジネスグループは、それぞれの戦略目標に沿った実験に適した評価指標(通常は複合したもの)を定義しなければならない。これは簡単なように聞こえるかもしれないが、どの短期的指標が長期的な結果の予測に最もよいかを決めるのは難しい。・・・これを正しく、overall evaluation criterion (OEC)を見つけるには内部での広い議論と熟慮が必要である。」
・「もうひとつ重要なのは、OECの要素をブレークダウンして追跡することだ。というのは、あるアイデアがなぜ成功するかについての洞察を与えてくれることが多いからだ。・・・異なる指標に注目することが必須なのは、それにより実験が他の分野に予期せぬ影響を与えているかどうかがを見つける助けになるからだ。」

質の悪いデータに注意する(Bewareof Low-Quality Data
・「数字を得ることは簡単だが、信用できる数字を得ることは難しい!。実験システムが正しいことを確認し、自動チェックや安全策を設けるために時間と資源を使う必要がある。一つの方法は、厳しいA/Aテストだ。これは、それ自身に対して、95%以上の期間、システムが正しく統計的な違いを検出しないことを確認するものだ。」
・「最も優れたデータサイエンティストは懐疑論者であり、Twymanの法則(面白い、あるいは異なるように見える数字は、たいがいは間違いだ)に従うことを我々は学んでいる。驚くような結果は再現でき、それが正しく、人々の疑いを打ち消すことを確認しなければならない。」
まとめ
・「信用できる結果を得たいなら、質の高いデータを使わなければならない。外れ値は除外する必要があるかもしれないし、データ収集のエラーは特定されるべきだ、といったようなことだ。特にオンラインではこのことは重要だ。インターネットbotも考慮しなければならない。・・・このデータは結果を歪めたり『ノイズ』を入れてしまったりし、統計的な有意性を検出することを困難にしてしまう。他にも、外れ値が優位になることも問題となる。例えば、Amazonでは、大量発注する個人がA/Bテストを歪めていることを発見したが、それは図書館からの発注だった。」
・「あるセグメントが他に比べて大きな、あるいは小さな影響を与える場合にも注意しなければならない。」例えば、ブラウザのバグで、特定の結果をクリックできなくなっていることがあった。
・「対照群、処理群の人々を別の実験に再度使う場合にもバイアスが発生する可能性がある。このやり方は、『キャリーオーバー効果』を導くとされ、ある実験をした人の経験が将来の行動を変えてしまうものだ。この現象を避けるには、実験ごとにユーザーを『シャッフル』すべきただ。」

因果関係を決めてかからない(AvoidAssumptions About Causality
・「ビッグデータの誇大宣伝のせいで、経営者の中には、因果関係は重要でないと間違って信じている人がいる。彼らの頭の中では、必要なのは相関関係を確立することであって、因果関係は推論できるということになっている。これは間違いだ!。」
・「観察だけから因果関係を導けないことは明らかだ。これは医薬の世界ではよく知られたことで、アメリカFDAは医薬の安全性と効果を証明するためにランダム化臨床試験を義務化している。」
・「もしあることが他の原因となっていることを決定できたとして、その理由がわからないとしたらどうすべきか。因果関係のメカニズムを理解する試みをすべきだろうか?。端的に言えばyesだ。」
・「1747年、Dr. James Lindが・・・柑橘類が壊血病の予防に効果があると発見したが、誰も理由はわからなかった。Lindは果物の酸が治療薬だと間違って信じ、より腐りにくい治療薬を開発しようとして、柑橘果汁を加熱して濃縮し、ビタミンCを破壊してしまった。・・・もし、Lindがレモン果汁を加熱するかしないかの管理された実験をしていれば、治療法はもっと早く確立され、多くの命を救っただろう。」
・「『what』についての知識を活用するのに、常に『why』や『how』を知らなければならないわけではないことは指摘すべきだろう。特に、ユーザーの行動のようにモチベーションが決めにくい場合にはこれは正しい。」
・「オンラインの世界はしばしば危険がいっぱいの暴風雨にたとえられるが、管理された実験は舵取りの役に立つ。答えが明らかでないとか意見が分かれているとかアイデアの価値が不確かだという場合に、実験は正しい方向を示してくれる。」
・「もし、実験の価値を本当に理解したいなら、予測した結果と実際の結果の違いに目を向けよう。もし、あることが起こるだろうと予想して、それが起きたとしても多くは学べない。もし起こるだろうと予測したことが起きない時、重要な何かを学んだことになる。もしちょっとしたことしか起きないだろうと思っているのに結果が大きな驚きを与え、ブレークスルーにつながるなら、非常に価値の高いことを学んだことになる。」
・「ソフトウェアの能力を、科学的に厳密に管理された実験と組み合わせることにより、あなたの企業は学習する実験室を創り上げたことになる。コスト削減、新たな売上、ユーザー経験の改善など、得られる報酬は莫大だ。競争優位を獲得したいなら、実験の能力を築き、オンラインテスト実行の科学をマスターすべきだ。」
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本論文に述べられたオンライン実験の方法論は、モノを対象とした実験と基本的な考え方は同じです。従って、実験の設計のしかたやデータの解釈のしかたには両者あい通ずるものがあり、技術者の皆さんにはこの論文の内容は納得しやすいと思います。しかし、本書で指摘されているような注意点をしっかり認識できているかどうか、というと必ずしもそうではないかもしれません。特に、モノを対象とする実験の場合、データの数を自由に増やせない場合もありますので、そうした場合にはデータの統計的な扱いについては認識が不十分なケースもあると思います。本書の指摘は、オンライン実験に限らずあらゆる技術者にとって有用だと思います。

もう一点、重要だと感じるのは、実験的手法の重要性がマネジメントの世界に認識されつつあると思われる点です。実験を行うのは、何かわからないことがあるからそれを調べるため、であるわけですが、一方で、何かわからないことがあると認めること自体、自分の技術の未熟さ、勉強の不足、応用能力の不足を示すものとして、否定的に捉える考え方が未だにあると思います。そうではなく、実験から学ぶことが重要なのであり、うまく学べるような実験を設計することこそが研究者にとって重要で、学んだ結果を参考にして方針を柔軟に変更していくことが求められているのだ、という考え方が広まりつつあるのではないでしょうか。確かに、従来の実験ではコスト面からも気軽に実験を行なえない場合もありましたが、オンライン実験は、実験コストの問題をあまり気にせずに実験することができるため、実験に対する抵抗感が下がっているように思います。

実験の進め方として、仮説を立案しその仮説を検証する、というアプローチが説明されることがあります。この時、仮説がyesnoかを検証する、と考えるのではなく、実験によって5W1H的な情報が得られるような検証を行う、というアプローチがこれからは重視されるようになると言えるかもしれません。オンライン実験の普及が、マネジメントにおける「実験」の捉え方に変化をもたらし、様々な実験からより多くのことが学べるようになることを期待したいと思います。


文献1:Ron Kohavi, Stefan Thomke, “The Surprising Power ofOnline Experiments”, Harvard Business Review, September-October, 2017, p.74.
https://hbr.org/2017/09/the-surprising-power-of-online-experiments

「理性の起源」(網谷祐一著)より

人間の判断の危うさについては、本ブログでも何度も取り上げてきました(例えば、ファストスローなど)。しかし、人間はいつも判断を誤っているわけではありません。例えば、人間の思考が科学技術の進歩をもたらしたこともまた事実でしょう。要は、「人間はいつも正しい判断、合理的な判断ができるわけではない」ということをわきまえておくことが重要なのだと思いますが、では、人間の判断はどこまで信頼できるものなのでしょうか。それを知るためには、「人間はこういう判断をする傾向がある」という事例を知るだけでなく、「なぜそういう判断をするようにできているのか」を知ることもひとつの手がかりになると思います。

判断の問題に限らず、なぜ人間は今のような特性を持っているのかを考える上では、なぜ人間は今のような形に進化してきたのかを問うことは重要でしょう。今回取り上げる、網谷祐一著「理性の起源 賢すぎる、愚かすぎる、それが人間だ」[文献1]では、いわゆる理性の進化の問題が議論されています。人間の判断や思考について考える上で参考になる内容も多いと感じましたので、以下にその中から興味深く感じた点をまとめておきたいと思います。

序章、理性はなぜ進化論の問題になるのか
・「この本は理性の進化論的起源、つまり『理性がどこからきたのか』という問いに答えようとする本だ。[p.7]」
・「なぜ理性が人間の矛盾を表しているのか。それは、人間が賢すぎる(理性的)と同時に愚かすぎる(非理性的)からだ。例えば、いまの社会が科学技術に支えられていることは否定できない。・・・こうした成果は人間の高度な理性の産物であり、人間に理性が備わっていなければ成し遂げられなかったようなものだ。その意味で、人間は非常に賢く、理性的だと言える。だが、同時に人間は非常に愚かで非理性的だ。・・・『つい・うっかり』」もあるし「それなりに理性的な人が集まった集団が、ときに非理性的としか呼べない行動を起こしてしまう。[p.8-9]」
・「きわめて大雑把に言うと『理性的』ということばは『ある人が信じていること』と『ある人の行動』を形容するときに使われてきた。前者の場合でも『理性的』ということばにはいろいろな意味があるが、ここではずせないのは『ある人が信じていることが論理的に矛盾しておらず相互に首尾一貫している』ということだ。・・・理性的であることには、ある事柄と別の事柄の間の論理的関係を認識する能力が含まれる。もう少し一般化すると論理的思考力と呼ばれるものだ。・・・一方『理性的』ということばは、信じていることだけでなく行動についても使われる。・・・経済学のことばでは、・・・自分の幸福の度合い(効用)を最大化していないという意味で『合理的(理性的)ではない』と呼ばれる。・・・この本ではこうした『理性』の用法の両方(つまり『論理的思考力』と『効用最大化』)について議論する[p.10-13]」。

第1章、進化と理性の二つの問題
・自然選択が生じる3つの条件:「1、集団の中で固体のもっている性質(形質)に違いがあること、2、その形質の違いによって固体の間に適応度の差が生じること、3、固体の形質が何らかの仕方で子孫に伝えられること[p.24]」
・「適応度とは『生存率×繁殖率』ということになる。[p.25]」
・理性が進化したと考えてよい二つの理由:「筋道の通った論理的な考え方をすることはすぐれた洞察力に結び付き、敵との戦いや狩猟で有利になるだろう[p.39]」。「理性の生理的基盤になる脳は、代謝的に見ると極めてコストの高い器官である[p.39]」のでそれが役に立たないなら、人類は大きな脳をもつことはなかったと考えられる。
・理性が進化したと考えるときに残る2つの問題:(1)どうしてわれわれはこれほど非理性的なのか(例えば、カーネマンやトヴェルスキーが指摘するように、人間は基本的な論理的・確率的法則を利用できていないことなど)、(2)どうしてわれわれはこれほど賢い(=過剰に賢い)のか(例えば、相対性理論は生き残りや繁殖に役に立つとは思えないことなど)。[p.43-38

第2章、そもそも人間は理性的なのか
・「1970年代からカーネマンとトヴェルスキーといった心理学者は、多くの実験を通して、人間の被験者の多くが推論をするときに論理的・確率的な法則に従っていないように見えることを明らかにした。[p.51]」「こうした『理性実験』・・・の多くは『冷静になって考えると<正解>の方が正しいことはだいたい納得できるように思えるのだが、つい<間違い>の方向に考えが行ってしまう』という特徴をもっている。[p.63-64]」(例えば、信じやすい結論をもった推論の方を妥当だと思ってしまうように)。「この・・・ような実験結果は、通俗的な行動経済学の本ではストレートに人間の非合理性を示すものと考えられることが多い(が、話はそう簡単ではない)・・・行動経済学の本では、えてして心理学実験の成果がたんに『ヒトが意外と非理性的(非合理的)である』ことを確認するためだけに使われることがある[p.73]」。例えば、実験デザインの不備や、ヒューリスティックを用いていること自体が理性的だという考え方も可能[p.65

第3章、理性は本当に進化で有利なのか
・理性をモデル化することによって、「どういうときに環境の変化に応じて自分の信念を変化させること(学習)が適応度的に有利になるか[p.102]」の示唆が得られる。理性は自然選択で進化するとは限らないとしても、「『自然選択は理性的な認知システムを生み出すこともある』[p.91]」

第4章、どのようなかたりの理性が進化したか
・「ギゲレンツァは『ヒューリスティックスを使っていることが人間が理性的であるということなのだ』と主張する。ではヒューリスティックスとはなんだろうか。一言で言うと、これは複雑な問題を比較的単純な少数の手がかりからそこそこ満足のいく仕方で解決するために使う簡便法だ。[p.110]」「ヒトは決断のためにあまり情報を必要としないような単純な意思決定規則を用いているという証拠があるし、そうした単純な規則の使用は、ヒトや他の動物がおかれてきたような進化的な(あるいは現代の)状況において適応的である(あった)と考える理由もある。しかし、それだけではわれわれの理性の進化的起源の説明としては十分ではない。特に新しい環境へ入っていく場合や環境自体が変動した場合、単純なヒューリスティックスだけでそれに対処するには不十分だろう。また、ヒトとその祖先が小さな集団の中で暮らしていたことを考えると、集団内の他の個体とのやりとり・駆け引きが問題になる場合、ヒューリスティックスだけを使用するのは、他の個体からの搾取を招きかねないという点で、適応的ではなかったと考える理由がある。[p.132-133]」
・「二重過程説とは、一言で言うとヒトの心には二つの種類の情報処理システムが併存しているという考え方だ。[p.133]」「二重過程説を論じる文献ではこれらをもっと無機的に『システム1』『システム2』と呼ぶこともある。それぞれ『直観的理性』『熟慮的理性』に当たる[p.136]」。「おおざっぱに言って直観的理性の方は、注意やコントロールといった認知的リソースをそれほど使わない。これは問題を見たときに『最初に(デフォルトで)』使われるプロセスであり、このプロセスの働きは意識には感じられずアウトプットが『自然に』出てくるように感じられる。また・・・こうしたプロセスは他の動物と共有されている『進化的に古い』プロセスであると考えられている。・・・熟慮的理性はこれと対照的な性質をもっている。このプロセスを使う際には対象に意識的に注意を集中させることが必要になる。また、このプロセスは直観的理性から出されたアウトプットを修正する役割を果たしていることが多い。・・・心理学者はこうした(少なくとも発達したかたちの)熟慮的理性を人間に特有のものと考えている。・・・つまりギゲレンツァは二重過程説でいう『直観的』プロセスしか説明していないということだ。[p.136-138]」
・「スタノヴィッチはIQテストで測られる知能をもっていても、いつも理性的に振る舞えるとは限らないことを指摘する。ではこうした人には何が欠けているのだろうか。スタノヴィッチが取り上げる要因の一つは、『オープンマインドである』とか『立場を決めるときに(自分の先入見をいったん棚に上げて)証拠を集めてじkっくり考えてから』といった特定の心構え(thinking dispositions)である。このような心構えによって、われわれは問題に直面したときに『腰を落ち着けて』熟慮的プロセスをフルに使って問題に取り組むことになる。しかしそうした習慣をもたない人は、せっかく高い認知能力をもっていても易きに流れてバイアスにとらわれてしまうことになる。・・・このことから、スタノヴィッチはIQテストで測られる能力とそれを制御する能力を区別して、前者を『知能』、後者を『理性』と呼ぶ。[p.152]」
・「ではその熟慮的理性はどのように進化したのだろうか。・・・二重過程説論者が熟慮的理性の基盤として挙げるものの一つが、仮定的思考(あるいは『認知的デカップリング』)と呼ばれるものだ。これは、現在起こっている事柄とは別の状況を思い浮かべて、それについて、またそれに基づいて考えることである。・・・まずわれわれは世界に直面して、それについての一次表象をつくる(『表象』というのは・・・ここでは『世界についての心の中の描写』のことを指している)。・・・しかしわれわれは・・・想像を働かせる場合がある。・・・そうしたときにわれわれが思い浮かべているのは、・・・一次表象から生まれた、いわば『二次表象』である。ここで一つ重要なのは、こうした二つの表象を混同しないことである。・・・『二次表象』は頭の中で一次表象と区分されて別の領域で厳しく管理される必要がある。この『切り離し』が『デカップリング』と呼ばれる。このデカップルされた二次表象を対象にして働くのが仮説的思考である。・・・このことは思った以上に難しく、認知的リソースを消費することがわかっている。われわれは普通一つの事柄に注意をフォーカスしており、それから注意をそらして新しい状況にフォーカスするには新たなリソースが必要になるからである。・・・複数の事柄について考えるには注意を適切に各事柄に配分し、一つの事柄に集中しすぎず、さらに不適切な反応がでてきたときにそれを抑制する必要がある。[p.154-157]」
・「仮定的思考と脳の中のメカニズムとの関わりも指摘されている。それはワーキングメモリと呼ばれるメカニズムだ。ワーキングメモリとは、ある作業をしているときに、情報を処理しつつそれを一時的に保持し、さらに作業に関連した情報への注意を管理するメカニズムである。・・・熟慮的理性を働かせている時には、・・・ワーキングメモリのリソースを大量に消費することは想像に難くない。・・・逆に直観的な思考をしている場合では、情報処理プロセスの結果のみが意識にアウトプットされることが多く・・・この場合はワーキングメモリを消費しない。[p.159-160]」
・「二重過程説の展開とはある程度独立した形で、仮定的思考ときわめてよく似たものが人間認知の独自性を形作る一つの鍵として提起されている。これは論者によって、心的リハーサルや心的時間旅行と呼ばれているが、その意味するところは互いに似通っている・・・これらの考え方のポイントは二つある。一つは、現実世界の近くから切り離されたモデルを頭の中に作り出すことである。もう一つはそうしたモデルをいわば『舞台』にして様々な対象を頭の中で操作し物事をシミュレートすることで、『次にわたしはどういう行動をしたらよいか』という意思決定に役立てるところである。これを見ればわかるように、心的リハーサルでは、後者のシミュレーションの側面が前の仮定的思考よりも強調されている。[p.161]」「心的リハーサルの基礎にあるのが、外界がどのようになっているかのモデル(つまり先に『表象』と呼んだもの)を心の中にもつ能力である。これは単に現在知覚しているものにとどまらず、いま見えていない対象も含めた世界についてのモデルである。・・・このような『いま・ここ』の知覚に縛られない表象は幅広い種類の動物がもっていることがわかっている。・・・また心的リハーサルが可能にするようなプランニングの能力(将来生じる状況に対して準備をする能力)についても、かなりの動物がもっていることを示唆する証拠がある。[p.172-174]」
・「熟慮的理性および心的リハーサルに関連する能力のあり方について、ヒトと他の類人猿には無視できない違いもある。・・・その一つは規範性であり、もう一つは言語が記号とそれが指し示す対象の間の心理的距離を増大させることである。[p.176]」「心的リハーサルの進化において無視できない重要性を示しているのが、・・・ごっこ遊びである。・・・注目すべきことは、ヒトの子どもはごっこ遊びを『~すべし』という規範の面からも理解していることである。[p.1766-177]」「プランニング能力には大きな適応的利益があるが、それを実行に移すには将来の大きな利益のために<いま・ここ>にある利得を求めるこころを抑制することが必要になる場合がある。したがって、抑制の能力を欠く動物のプランニング能力には限界があることは否めない。[p.179]」「アラビア数字のようなシンボリックな記号を使えるようになり、記号とそれが指し示す対象との心理的距離が増大したことが、心的リハーサルにおいて衝動的行動を抑制する能力の展開に寄与したかもしれない。[p.181]」

第5章、科学を生み出した理性
・「哲学者のピーター・カラザース・・・は主に二つの主張をしている。一つは科学を可能にするような認知能力において、われわれ現代人といわゆる狩猟採集民は変わらないという主張である。これの証拠としてカラザースは、狩猟採集民が狩猟で獲物の足跡を辿るときに(トラッキング)、現代の科学と同じ推論方法を使っていることを示す。この上で彼は、科学的推論方法を三つのステージに分けて、そのそれぞれにどういう進化的基盤がありうるか議論し、そうした能力が科学の到来以前にすでにわれわれに備わっていた可能性を主張する。[p.197-198]」

おわりに
・「本書のメッセージの一つは、人間らしい認知能力の背後には仮定的思考あるいは心的リハーサルがあるということである。心的リハーサル・・・は平たく言えば『創造力』と呼ばれるものに対応する。[p.214]」
・「言うまでもなく言語は人間の独自性を形作るものであり、その進化については大量の文献が書かれてきた。しかし本書は一部の箇所を除いてこれについて特に論じることをしなかった。わたしがこれに言及しなかったのは、(わたしの非力という問題を除けば)本書で取り上げた『理性実験』の解釈では言語能力の有無はそれほど大きな論点になってこなかったことが大きい。[p.217]」
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本書によれば、二重過程説は、進化の観点からも妥当な考え方と言えそうです。システム1(本書では「直観的理性」)が生み出す様々なバイアスは、単に人間の思考や判断の危うさ、非合理性を表すだけでなく、人間の理性と深く結びついたものと考えるべきなのでしょう。そう考えると、直観的思考の危うさを避けようとするだけでなく、直観的思考やヒューリスティックスを積極的に活用する考え方も出てくるかもしれません。なるべく速く、なるべく正確な判断をするにはどうしたらよいか、多少の誤りが許容されるならヒューリスティックスもよいかもしれませんし、正確に判断したいなら熟慮的理性の活用をどうスピードアップできるのか、などの展開もあるのではないでしょうか。理性の本質を理解することは、実務家にとっても重要なことなのではないかと思います。


文献1:網谷祐一、「理性の起源 賢すぎる、愚かすぎる、それが人間だ」、河出書房新社、2017.

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