研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2018年09月

デザイン思考はどうイノベーションに役立つのか(「Why Design Thinking Works」、Liedtka著HBR2018, September-Octoberより)

デザイン思考は今やイノベーションの進め方の有力な手法のひとつとして認識されていると言ってよいでしょう。もちろん、デザイン思考だけですべての課題を解決できるわけではないとしても、研究開発に携わる者としては選択肢のひとつとしてその手法を知り、状況に応じて活用するスキルを持っておくことは必要ではないでしょうか。では、なぜ、デザイン思考は有効なのでしょうか。今回ご紹介するLiedtka著の論文「Why Design Thinking Works」[文献1]で、著者は、「デザイン思考は、創造性の発揮をしばしば妨害してきた人間のもつバイアス(例えば、現状への固執)や特定の行動規範への執着(ここではいままでこんな風にやってきた)を克服する」と述べています。以下そのポイントを見てみましょう。

イノベーションへの挑戦
・「イノベーションプロセスを成功させるには次の3つのことをもたらす必要がある:優れたソリューション、低リスク低コストでの変化、従業員の同意だ。長年にわたり、ビジネス界の人々は、これを達成するための様々な有用な戦術を開発してきた。しかし、それを適用しようとすると、組織はしばしば新たな障害やトレードオフに直面してしまう。」
優れたソリューションSuperiorsolutions
・「問題の定義をわかりやすく慣れ親しんだやり方で行えば、わかりきった変わりばえのしない解決策が導かれる場合が多いのは当たり前だ。より興味深い質問をすることは、チームがより独創的なアイデアを発見する手助けとなる。この時のリスクは、聞くべき問いを明らかにするために時間をかけることに行動志向のマネジャーが耐えられないかもしれないのに、漫然と問題探しにとらわれてしまうチームがありうることだ。」
・「ユーザー主導の評価基準を組み込むと、ソリューションがぐっと良いものになることは広く認められている。市場調査は、企業がこうした基準を理解する助けとなるが、まだ存在していないものを求めていることを顧客が自覚するのが難しいことが難点だ。」
・「さらに、多様な意見をプロセスに取り込むことも、ソリューションを改善することが知られている。しかし、対立する視点を持つ人々間の会話が争いを招く場合には管理が難しい。」
リスクとコストの低減Lowerrisks and costs
・「イノベーションでは不確実性は避けることができない。従って、イノベーターたちはオプションのポートフォリオを構築する。そのトレードオフは、多すぎるアイデアによって焦点がぼかされ資源が拡散してしまうことだ。このような緊張関係をマネージするためには、イノベーターは悪いアイデアを進んで手放さなければならない。・・・ただ、人々はしばしば、インクリメンタルなものよりも創造的(で異論がありリスクの多い)アイデアを捨てる方が簡単だと思ってしまう。」
従業員の同意Employeebuy-in
・「イノベーションは、企業の従業員の後押しがなければ成功しない。彼らのサポートを得る最も確実な方法は、彼らをアイデア出しの段階に巻き込むことだ。この場合の危険性は、異なる見解を持った多くの人を巻き込むことで、混乱を招き一貫性がなくなってしまうことだ。」

「こうしたすべてのトレードオフをマネージするためには、人間が持つ非生産的なバイアスのみならず、行動上の障害にも対応する社会技術が必要だ。・・・デザイン思考はその要求に応えてくれる。」

構造の利点TheBeauty of Structure
・「組織化されたプロセスは、人々を軌道に乗せ、問題の探索に時間をかけすぎたり我慢できずにスキップして進む傾向を抑える。さらに自信を植え付けていく。ほとんどの人は失敗の恐れに動かされてしまうので、機会を掴むことよりも失敗を避けることに注力してしまう。ある選択に失敗のリスクがあるなら行動することよりも行動しない傾向がある。しかし、行動しないでできるイノベーションはない――従って、心理的な安全は不可欠だ。デザイン思考の小道具や高度に構成されたツールは安心感を提供し、イノベーター候補者がより自信を持って顧客ニーズを見つけ、アイデアを生み、テストすることを助けられる。」
・「ほとんどの組織で使用されているデザイン思考には7つの活動がある。」

顧客の発見CustomerDiscovery
・「デザイン思考の最もよく知られた手法の多くは、『片づけるべきジョブ』とされるものに関連している。エスノグラフィーや社会学の分野からの適用に基づくこの方法は、データを集めて分析するのではなく意味のあるカスタマージャーニーを与えるものを調べることに集中する。この調査には3つの活動がある。」
Immersion
・「イノベーターが顧客の経験と共に過ごすことで隠れたニーズを特定する。」
・「イノベーターが自身の専門と経験に囚われてしまう」という問題に対応し、「ユーザーの経験に没入してイノベーターのマインドセットを、デザインされるべきもののより良い理解に向ける。」
Sense making
・「ユーザー体験への没入(Immersion)は、より深い洞察のための材料を与えてくれる。しかし、大量に収集した定量的データを理解し(making sense)パターンを見つけるのは骨の折れるチャレンジだ。」
・「没入によって得られた知識を理解する最も効果的な方法のひとつは、デザイン思考でギャラリーウォーク(GalleryWalk)を呼ばれるエクササイズだ。コア・イノベーション・チームは、発見プロセスで集められた最も重要なデータを選び、大きなポスターに書き出す。このポスターにはインタビューされた個人の写真とともに彼らの観点が引用されて示される。ポスターを部屋の周りに掲示し、主要なステークホルダーを集めて、このギャラリーを見てもらい、新しいデザインにとって不可欠と考えるデータを付箋に書き出してもらう。つづいてステークホルダーにはチームになってもらい、付箋に書かれた観察を共有し、まとめ、テーマにしたがってグループが見出した洞察としてクラスターにまとめる。このプロセスでは、ギャラリーを見る人にとって、インタビューされた人が生き生きと現実感を持って感じられるようになるので、イノベーターが自分のバイアスに過度に影響されてしまって見たいものだけを見るという危険が克服される。」
・「イノベーターが多量の雑多な定量的データに圧倒されてしまう」という問題に対応し、「データを理解し、テーマ、パターンへの組織化を行い、イノベーターに新たな洞察と可能性を示す。」
Alignment
・「発見のプロセスの最終段階は、ワークショップとセミナーでの議論において、『もし、何かが可能であるなら、デザインはどんなことをうまくこなすだろう?』というような形の問いかけがなされる。現状の制約ではなく、可能性に焦点を当てることで、多様性のあるチームがより協力的にデザインの基準について議論したり、理想的なイノベーションが持つべき特徴を定めたりすることを助ける。質問の精神は現状への不満足を深め、イノベーションプロセスにおいてコンセンサスを得やすくする。」
・イノベーターが「チームメンバーの見解の違いによって分裂してしまう」という問題に対応し、「洞察をデザイン基準として方向付け(Alignment)して、イノベーションチームをユーザーにとって真に重要な方向に収束させる。」

アイデアの生成IdeaGeneration
・「顧客のニーズを理解したら、イノベーターは特定した基準に合うソリューションを特定し選り分ける。」
Emergence
・「この段階の最初のステップでは、可能性のあるソリューション、誰が参加するか、どんなチャレンジを与えるか、どう会話を構成するかについての話し合いを設定する。デザイン基準を使って個々のブレーンストーミングをした後、参加者が集まって、違いが発生した時に単に交渉して妥協するのではなく、アイデアを共有して創造的に発展させる。」
・イノベーターが「異なるが精通した多すぎるアイデアに直面する」という問題に対応し、「焦点を絞った問いかけを通じてアイデアを創発することを促し、チームメンバーを限られた、しかし多様な新たな可能性のあるソリューションに導く。」
Articulation
・「次のステップ、Articulationでは、イノベーターは暗黙の前提を浮かび上がらせ質問する。」「デザイン思考では議論を、アイデアが実現可能な世界では何が真実でなければならないかについての質問として捉える。」
・イノベーターが「何がうまくいって何がうまくいかないかということについての既存のバイアスにとらわれる」という問題に対応して、「それぞれのアイデアが成功するのに必要な条件を明確にし、意味のある実験のデザインを可能にする前提を作るか壊すかを明確にするようにチームを導く。」

経験をテストするTheTesting Experience
・「企業はしばしば、プロトタイピングをすでに大幅に開発が進んだ製品やサービスのファインチューニングのプロセスとして捉えることがある。しかし、デザイン思考では、プロトタイピングは完成からほど遠い製品について行われる。それは進行中の仕事についてのユーザーとの反復的な経験だ。ということはその過程で、完全な再設計も含めたかなり大幅な変更が起こり得るということだ。」
Pre-experience
・「神経科学の研究は、何か新しいものを『事前に経験する(pre-experience)』と、――別の言い方をすれば、信じられないほどいきいきと想像すると――新製品の価値をより正確に評価できるようになることを示している。だから、デザイン思考では、簡単で低コストの、提案しているユーザー体験の特徴の基本をとらえた作りもの(artifacts)を作ることを求めている。これは、文字どおりのプロトタイプではない――リーンスタートアップで顧客とテストする『必要最小限の製品(minimum viable products)』よりもずっと大雑把なものだ。」
・イノベーターが「新しいアイデアについての理解を共有できない、あるいは時にはユーザーからよいフィードバックを得ることができない」という問題に対応して、「非常にラフなプロトタイプによってユーザーに事前に経験してもらい、正確なフィードバックやソリューションの候補が本当に価値があるという理解をイノベーターが低コストで得ることを助ける。」
Learning in action
・「実世界での実験は、新しいアイデアを評価しそれを実際にうまく機能するのに必要な変更を明らかにするための基本的な方法だ。しかし、こうしたテストには、もうひとつの、あまり明白ではない価値がある:それは従業員と顧客がごく普通に抱く変化への恐れを軽減する役にたつことだ。」
・イノベーターが「変化と新たな未来をとりまくあいまいさを恐れる」という問題に対応して、「スタッフとユーザーを巻き込んだ実験で行動から学ぶようにすることで、コミットメントと、新しい製品や戦略に対する確信を共有する。」

結論
・「コストとリスクを下げ、従業員の同意を得ながら優れたソリューションに至る過程で直面するチャレンジに対応しつつ、デザイン思考プロセスは創造性を妨げる人間のバイアスに対抗する。さまざまな見方や感情に動機づけられる人間の集合体として組織を捉えると、デザイン思考は、約束、対話、学習を重視する。顧客や他のステークホルダーを問題の定義と、ソリューションの開発に巻き込むことで、デザイン思考は、変化に対する幅広いコミットメントを獲得する。そして、イノベーションプロセスを構造化することで、デザイン思考はイノベーターが協力し、各段階での基本的な成果は何なのかについて同意することを助ける。職場における政治的な作用を克服するのではなく、イノベーターと、各段階での主要なステークホルダーや実行部隊の経験を形作ることで、それを達成するのだ。」
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デザイン思考の有用性は今や広く支持されていると思います。もちろん、デザイン思考が向いている課題とそうでない課題があるのは事実でしょう。また、デザイン思考にも様々なバリエーションがあるようです。ただ、なぜ、デザイン思考が有効な(場合がある)のかを考えてみると、著者の指摘するように、近年のイノベーションの難しさを解決できるようなスキル群を含んだ手法であるから、ということは言えるのかもしれません。

著者が指摘する、イノベーションに必要な条件とは、優れたソリューション、低リスク低コストでの変化、従業員の同意、であり、より具体的な問題点として、専門と経験に囚われてしまうこと、多量の雑多な定量的データに圧倒されてしまうこと、チームメンバーの見解の違いによる分裂、多すぎるアイデア、既存のバイアスにとらわれること、アイデアの理解を共有できないこと、変化とあいまいさを恐れることが挙げられています。この指摘も、これらが解決、回避できればイノベーションを成功に導けるというほど簡単なものでもないでしょうし、これ以外にも問題点はあると思います。ただ、これらの問題の解決にデザイン思考の手法の一部が使えるなら、デザイン思考をひとつのパッケージのように考えるのではなく、イノベーション上の障害に応じてデザイン思考の一部を使っていくという考え方も可能なのではないかと思いました。デザイン思考、というフィルターを通して、イノベーションの本質の理解が深まる、というようなこともあるのかもしれません。


文献1:Jeanne Liedtka, “Why Design Thinking Works”,Harvard Business Review, September-October, 2018, p.72.
https://hbr.org/2018/09/why-design-thinking-works

知識はネットで検索で十分なのか(パウンドストーン著「クラウド時代の思考術」より)

情報を生むことは、研究開発の重要な役割のひとつだと思います。一方、インターネット上には膨大な情報が蓄えられ、そこから情報を検索してくることも格段に容易になりました。さらにAIは情報利用の様々な可能性を広げつつあるように思います。このような時代に研究者はどのように情報に向き合い、どのような情報を知識として身につけ、どのようにIT技術に頼り、知識や情報を活用していくべきなのでしょうか。

こうしたことを考えるには、まずは変わりつつある(あるいは本質は変わっていない?)知識の意味を考えてみることが有効かもしれません。そこで、今回は知識を持つことの意味を考えさせてくれる、パウンドストーン著「クラウド時代の思考術 Googleが教えてくれないただひとつのこと」[文献1]をご紹介したいと思います。著者は様々なデータや事例を挙げて、どのような知識を身につけることに意義があるのか、知識を持たないことがいかに危険なことなのかを述べています。具体的な多くの事例やデータは本書をご参照いただくとして、以下では基本的な考え方を中心に著者の考え方をまとめてみたいと思います。

I
、ダニング=クルーガー効果
・ダニング=クルーガー効果:「ダニングとクルーガーが、はじめて研究の結果を発表したのは1999年だった。論文のタイトルは『未熟さと無知――自分の無能力を認識できないことが、思い上がった自己評価を導く』。[p.18]」「知識や技能がもっとも欠けている者の特徴は、自分の知識や技能の欠損をまったく理解できないことだ。その結果生じる、根拠のない過剰な自信――これが『ダニング=クルーガー効果』として知られることになる。自分自身の無知に気がつかない。知識に欠落があるために、自分の知識を正確に測ることができない。不完全な知識はやがて、ゆがんだ心の世界地図を作り上げる。そして、このような誤解が公私の場で、われわれの選択や行動や判断に大きな影響を及ぼす。[p.395訳者あとがき]」
・「自分の知識とその部分の大まかな図を、読み取ることができるだけの最小限の知識が必要・・・そのときにはじめて、自分の無知に気がつかないという、ダニング=クルーガー効果の宿命から逃れることができる。そしてはじめて、知識のギャップを埋めるために、グーグルを使うことができるのだ。[p.25]」
・「情報に乏しい者たちは、必然的に、よく理解をすることができない。彼らはたださまざまなことを知っているだけだ。・・・何が重要かという基準を、自分勝手で恣意的なもので判断しているために、大事なことはよく知らない。[p.39]」
・「今日のメディア界は、多くの指南を与えてくれるわけではない。それがわれわれに促すのは、個人的で、自分の世界に浸り切った、情報のフィルターを作り上げることだ。・・・大きなリスクは、インターネットが、われわれの知識を乏しいものにしていたり、あるいは誤った知識をさえ与えているということではない。それはインターネットがわれわれを『メタ・イグノラント』(超無知)にしていることだった――つまり、われわれが知らないことに、自分でほとんど気がついていないということなのだ。[p.39]」
・「あらゆることをすべて記憶することは不可能だ。脳は記憶する際、意識の介入なしにたえず選択(トリアージ)をしていなければならない。そして脳は、ただちに検索することのできる情報で、われわれの心を満たしておく必要のないことを、はっきりと認識している・・・アーカイブで保存できると思った事実は、非常にしばしば忘れ去られてしまう。この現象には名前がついていて――グーグル効果――、それは、オンラインで見つけることのできる情報は、自動的に忘却されることを表している。[p.41]」
・「情報源記憶とは、事実が学習された時と場所を思い出すことだ。・・・ハーバード大学で行われたある実験では、われわれがどれほど多く、この情報源記憶に依存しているかが示されていた。・・・それで明らかになったことは、・・・事実そのものよりも、むしろ瑣末な事実を保管するフォルダーを記憶しがちになるということだ。[p.42-43]」「ウェグナーはグーグル効果を、分散された記憶という一般現象と結び付けている。・・・ずっと以前には、われわれは記憶や情報や専門知識を、現実のソーシャル・ネットワーク(付き合いの輪)の中で共有していた。・・・われわれはすべてのことを知らなくても、人々を知ることによって、この世界で何とか生きている。[p.46]」
・「インターネットは、著作権の侵害を後押しするが、その上それは、われわれを誘って根も葉もない知的傲慢さへと導く。・・・別のテストでは、被験者の半分がウェブで調べることを許された。・・・テストのあと全員がアンケートに答えて、自分の記憶や知識や知力を自己評価した。・・・目を見張るのは、すべてをウェブで調べた者たちの自己評価が高かったことだ。・・・この実験で明らかになるのは、われわれがインターネットを集合記憶として『所有』しているということだ。[p.49]」
・「事実の質問に対して、正しく答えを出すことができればできるほど、その人は国境フェンスの建造を支持する度合いが低くなる傾向にあった。[p.67]」「地理学を知らないと、われわれの心の地図(心象地図)をゆがめてしまうし、ときには裏づけのない個人の意見を形成してしまうことがある。同じように他のことでも、無知はわれわれの世界観をいびつにする。[p.69]」

II
、知識のプレミアム
・「いわゆるトリビアな質問に答える能力は、高所得や他の成功した人生の指標と関わりがある。[p.54]」
・「知識の豊富な人々はたくさんのお金を稼ぐ。それは教育や年齢が一定に保たれたときでさえそうなのである。[p.162]」「一般的知識は所得と堅固なつながりがあるようだが、幸福とはなさそうだ。[p.169]」
・「科学知識と所得の間に、有意な相関関係がまったくない[p.190]」
・「私はスペリングや文法と年齢や所得、それに教育との間にさえ、相関関係を見つけることができなかった。・・・誤字の少ない人は所得が多いという傾向は確かなようだ。・・・筋の通った結論はこんなことになる。つまり、明らかなエラーを避けることはもちろん重要だ。が、そこには微妙な使用法の機微を知る利点は、わずかしかないということだ。[p.206-207]」「私が発見して驚いたのは、正しい発音が所得と相関していることだ。・・・スペリングがさほど重要視されないのに、なぜ発音はこれほどまでに重要視されるのだろうか? 私の推論は以下の通り。正しい発音は教育を受けた人を知る手段なのだ。・・・ここで重要なのは、あなたが何を知るかではなく、誰を知るかということだから。[p.212]」
・「私は宗教的知識と自己報告の幸せの間にある、相関関係を見つけることはできなかった。また宗教と所得、あるいは既婚や未婚などの交際状況との相関関係も、そこには存在しなかった。[p.230]」
・「文化リテラシーは、教育レベルを推しはかるためのすぐれた予測因子だ。が、しかし、驚くべきことに、文化的知識と所得の間にはほとんど相関関係はない。・・・もちろんここでは、お金が唯一の基準でも最善の基準でもない。文学、芸術、映画上の大作を経験することの価値は、それを鑑賞できる心の持ち主にとっては言うまでもない。変わりつつあることは、誰も同じ偉大な作品を経験しなければいけないという考え方。もはやカノン(規範)は消滅しつつあり、文化の運命の予測は立ちがたい。洗練された教養は昔に比べて、よりいっそう多様なものとなっている。教養のない者にとっては、クラウド・コンピューティングからコピーした、表面的なリテラシーだけでも、何とかこの世の中を生きていくことはできるのである――今は、ことさら知ったかぶりをするのをやめにする時期だ。[p.248-249]」
・「トリビアな質問にほとんど正解をした人々は、自分をすこぶる健康だと報告している。・・・インターネットははたして、健康情報の収集に役立つのだろうか? 答えはよい情報と悪い情報をえり分ける、ユーザーの識別能力に多くを負っている。[p.263]」「知識の幅広いスペクトラムは、たしかに現実の問題に直結するかもしれない。[p.264]」
・「私はスポーツの知識が所得と相互に関係があることを見つけた。[p.267]」「一般的な知識は所得と強い相関関係を持っていたが、科学や言葉のスペリングといった特殊な分野の知識では、このような関係は見られなかったし、見えてもほんの弱々しいものだった。[p.267-268]」「仮説として考えられるのは、われわれの文化にスポーツが深く浸透していて、私の出した(簡単な)質問が、特殊な知識というより、むしろ一般的な知識をテストするものになってしまったということだ。[p.269]」
・「パーソナル・ファイナンス(個人ファイナンス)の知識も、ひょっとして、所得と相関関係があるかもしれないと思うだろう。実際それは正しい。[p.275]」「金銭上のリテラシーは幸福とも相関している。[p.275-276]」「調査の中には、お金と幸福の相関関係を説明するのは、経済的な安定――お金を稼ぐことや、費やすことよりむしろ――だと暗に伝えるものもある。・・・出費を控え、お金を将来のために取っておくことのできる人々はまた、賢明な判断を下すのに必要となる自制心を持っている可能性が高い。[p.281
・「私の調査で明らかになった、所得と金銭上のリテラシーとのつながりは理解できる。が、私が共有した他の結果の中には、一見好みに任せたような、不可解なものがあるかもしれない。所得と一般的知識テストにおける得点との間に、私は強い相関関係を見つけた。また、所得と特殊分野の知識との間にも相関があった。特殊分野の中にはスポーツや正しい発音などがあった。この本のはじめで述べたふたつの話題もまた、所得の推測因子だった。それは地図のテストと選出された代議員の名前を挙げることだ。しかし、科学、歴史、有名人、スペリングなどの結果は曖昧なものだった。所得と文法、俗語、セックスあるいは宗教などとのつながりについても、そのすべてで徴候を見つけることができなかった。[p.291]」「刺激的な発見は、専門的ではない事実的な知識が、所得を予測するという点では、教育レベルを越えて、それ以上に影響を及ぼすということだ。[p.292]」「生涯にわたって学習していこうという態度は、おそらく重要な因子となるだろう。[p.293]」「『注意を払うこと』という言葉は、収入との相関関係を述べる格好の表現だ。それは一般的知識(難しすぎず、かと言ってやさしすぎない)を試す各種の問題によって、もっとも確実に推し測ることができる。一般知識の質問で低い得点しか取れなかった者は、おそらく、外界に対してあまり多くの注意を向けていないのだろう。それに対して、高い得点を獲得した者は、外の世界から多くのものを吸収していたにちがいない。[p.293]」「『想像力は知識より重要だ』とアルベルト・アインシュタインは1931年に書いていた。しかし、後者が前者を補強していることもまた真実だ。われわれが想像力と呼ぶものは、しばしば、二つの事実を結び付けて考えることを、不可欠なものとして含む・・・。[p.304]」「『無関係』と思われる知識が、アナロジーやインスピレーション、それに問題解決の源になりうることは確かだ。[p.304]「広い知識と所得との相関関係について、ひとつ考えられる説明は、学習が認識能力を改善するということだ。この能力はほとんどどんな仕事――一生従事する職業も含めて――にも役に立つ。学習はすぐれた脳の機能を生み出し、より高い所得をもたらす。・・・われわれの脳に必要なのは、学習のプロセスが最高に機能していることだ。事実はどこででも検索できるということが、それを変えることはまずありえない。[p.305]」

III
、文化を知らない世界
・「われわれはダニング=クルーガー効果の世界に住んでいる。大衆が自己の無知さ加減を知らないことは、日常よく見かけることで、これは厳然とした事実だ。したがってそのことは、デザイナーやマーケター、それにコミュニケーターたちは、十分に考慮に入れておく必要がある。[p.309]」「要するに、答えを知らないことをまず知っていなければ、あなたは質問することさえしないということだ。[p.330]」
・「インターネットはうさんくさい記事を、簡単に調査することを可能にする。が、本人が疑いを持たないかぎり、それをチェックすることはできない。そこで必要とされるのは、若干の懐疑主義と、文脈的知識、それにリサーチの技術だ。このような技量をほとんど持ち合わせていない人々にかぎって、自分は記事の真偽を見分けるのが、かなり得意だと信じこんでいる。[p.233]」「私の発見が提言しているのは次のことだ。つまり物知りになりたい人は、ニュースのカスタマイズをやりすぎないこと。[p.346]」「一般的に言うと、新しく、高度にカスタマイズできるメディアの視聴者は、それがなかなかしづらいメディアの視聴者に比べて、獲得した点数は低い。[p.349]」
・「科学的なリテラシーがもっとも低い人々は、政治的なイデオロギーに関わりなく、気候変動については基本的に意見を同じにしている。このグループのおよそ30パーセントは、人類の活動が地球を温暖化させていると言う。知識が増えるにつれて、人々の意見が枝分かれしていく。リベラル派は科学について知れば知るほど、ますます人類が気候変動を引き起こしている、と発言する可能性が高くなる。保守派は科学について知れば知るほど、人類が引き起こした気候変動という考え方を、ますます取らなくなりそうだ。・・・科学に精通した人々はその知識を、これまで自分が信じたいと思ってきたことを、自分自身に対して正当化するために使う。[p.366]」
・「審議方式の世論調査は、大きなフォーカス・グループによって行われる世論調査で、それはタウンミーティングの大きさに近く、事実を学ぶ短期集中コースも兼ねている。ミーティングの終わりには、グループはふたたび、はじめの世論調査で質問された同じ問題に挑戦して、答えを出した。[p.373]」「審議方式の世論調査は参加者に、本物の意見を形作ることを許す。事実に身をさらすことは、この方式の重要な部分だ。が、それは異なった意見を持つ他の人々と、情報を交換することでもある。議論や論争は、もっとも明晰な新聞の論説を読むより、さらに効果的に意見を磨くことになる。[p.374]」「このミーティングでは、他人の意見に耳を傾けることで、自分の見解が再考を余儀なくされて、洗練の度を加えられるかもしれない――ときには変更を迫られることもある。[p.375]」
・ギリシアの詩人アルキロコス・・・の言葉として、次のようなものが入っている。『狐はたくさんのことを知っている。が、ハリネズミは一つの大きなことを知っている』[p.381]」「キツネのように幅広い一般知識の習得を第一とする哲学は、現在、きびしい逆風に直面している。メディアの時代精神は、むしろ、ハリネズミのような事実への関係の仕方を支持しているようだ。われわれに与えられているのはディジタル・ツールで、それは興味の深いプールへ真っ直ぐに飛び込むことを、そしてその一方で、他のすべてを排除することを可能にしてくれる。そこには『他のすべて』はつねに『クラウド』にあり、必要に応じて利用できるという保証があった。この魅惑的な宣伝文句の中で次の点が見失われている。つまり、情報をきちんと持っていることは、立証されていない疑似事実について情報を得ているのと同じくらい、文脈について多くの情報を得ているということだ。それは、個々のものの評価を可能にしてくれ、われわれが知らないことに、きわめて重要な洞察を与えてくれる全体への展望だ。広い知識を身につける生涯教育は、ただ単に富や健康を達成する手段ではない(しかし教育は、それを受けることで、たくさんのものを手にすることができる)。学習行為は、われわれの直感と創造力を形作る。周知の事実は、個人や文化やイデオロギーを結びつける共有の評価基準だ。それは親しい間柄の軽いおしゃべり、意見、夢などのベースとなる。それはまたわれわれを、より賢明な市民にしてくれ、謙遜という今では過小評価されている贈り物を提供してくれる――というのも、ゆたかな知識を持つ者だけが、どれほど自分は知らないのか、その無知さ加減を正しく理解できるからだ。あなたがグーグルで検索できないものは、ただ一つ、あなたがつねに探していなければならないものだ。[p.390-391]」
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インターネットやクラウド上の知識を検索して活用することは、研究開発を効率的に進める上で役に立つこともあり、積極的に活用している技術者も多いと思います。しかし、科学者や技術者は、クラウド上の知識の供給者でもあります。従って、既存の知識だけに頼っていてはその責務を果たせないことは明白でしょう。おそらく多くの技術者の皆さんは、検索に頼りつつも、ある程度の知識を自らの頭に入れておかなければならないことは感覚的にも理解されているのではないかと思います。これは暗黙知に関連する観点からも支持されることとは思いますが、ネット上の知識の安直な利用の誘惑があることも事実です。まずはそれに頼りすぎないことが基本的に重要だという点を再認識する必要があるでしょう。

加えて興味深く感じたのは次のような示唆です。
・我々自身にもダニング=クルーガー効果が及ぶこと(わかったつもりになっていないか、どこまでわかっているかを見失っていないか)
・技術者の専門知識に基づく判断が一般の方に理解してもらいにくい可能性がある(単に、知識の不足だけでなく、知識の不足が問題であること自体を気づいてもらえない可能性がある)
・学習する姿勢を維持することの重要性
・トリビア的知識も含めて広く考えることの重要性

AI
は、将来的には暗黙知の領域や、判断、知識の組み合わせの領域にまで広がっていくかもしれません。知っておくべき「常識」も変わっていくでしょう。しかし、知識やダニング=クルーガー効果などの人間の思考パターンを理解する必要性は変わらないのではないでしょうか。ネットやAIとつきあうことで図らずも明らかになってきた人間の思考の性質は、これからもその理解を深めていかなければならないのだと思います。


文献1:William Poundstone, 2016、ウィリアム・パウンドストーン著、森夏樹訳、「クラウド時代の思考術 Googleが教えてくれないただひとつのこと」、青土社、2017.
原著表題:Head in the Cloud: Why Knowing Things StillMatters When Facts Are So Easy to Look Up

研究開発実践のマネジメント第33回-プロジェクトの方向転換と中止:研究開発マネジメントの実践と基礎知識2.4.3(「ノート」全面改訂)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)
第8回第17回
2.2
、研究開発を行う人のマネジメント第18第24回
2.3
、研究組織とそのマネジメント第25回第29回
2.4
、研究プロジェクトの運営
2.4.1
、研究プロジェクトの進め方
第30回第31回
2.4.2
、コラボレーションのマネジメント第32回

2.4.3
、研究プロジェクトの方向転換と中止
研究開発が不確実なことへの挑戦である以上、すべてのことが最初の想定どおりに進むことはまずあり得ません。従って、方向転換は研究プロジェクトの運営にとって必須のことと言えるでしょう。例えば、実験の結果が思わしくない場合に別のやり方を試してみたり、最初の想定からちょっと条件を変えてみることも「変更」といえば変更です。しかし、その変更が大きくなるほど、変更を受け入れるのが難しくなります。その結果、Anthonyが指摘するように、「完全に死んでいない身体で、少ない可能性を求めてあちこち歩き回っている・・・ゾンビプロジェクト[文献1、p.194]」のような状態に至ることもあります。こうした認識を背景に、最近では方向転換することをプロジェクトの進め方に積極的に組み込む考え方も増えてきているようです(第30回第31回で一部ご紹介しました)。

そこで、今回は、「必要だけれど、決断が難しい」方向転換や中止のやり方を考えてみたいと思います。なお、本稿では、「方向転換」と「中止」を異なったプロセスとは考えないことにします。その理由は、「方向転換」であっても、ある方向を「中止」して別の方向を探索する以上両者は密接に関連していると思われること、それに加えて「中止」という行為が必要以上の心理的な抵抗を生み出し、それが「方向転換」の障害にもなっているとすれば、心理的にも両者は関連していると思われるためです。

1)
プロジェクトの方向転換と中止のポイント
方向転換や中止を阻む本質的な原因の一つは人間の思考バイアスを含む心理的抵抗ではないかと思います。そこで、なるべく心理的な抵抗が少なくなるようなやり方として以下の方法を提案したいと思います。
・「止める」ことは成功のために必要であるという共通認識を組織内に築く。
・「止める」のではなく、より可能性の高いプロジェクトに「移る」ようにする。
・完全に「止める」のではなく、資源投入を減らす。
・データに基づいて判断する。
・方向転換や中止のルールと基準、見直しスケジュールをあらかじめ決めておく。
・データが混乱している場合には、確実なところまで退却してストーリーを立て直す。
・実施担当者の納得感を得られるようにする。
・失敗を許容する文化、失敗から学ぶ文化を築く。

2)
プロジェクトの方向転換と中止に関する様々な考え方
認識すべき真実
「あらゆるアイデアは、それを生み出した当人にとっては至宝である。しかし現実には、大部分のアイデアは残念ながらただのゴミだ。だからこそ組織はアイデアをふるいに掛け、投資対象になるものと、ゴミ箱行きになるものを選別しなければならない。[文献2、p.31]」
・「どのようなアイデアであっても、それは部分的に正しく、部分的に間違っているという現実を忘れてはならない。失敗とその結果としての軌道修正は、イノベーションプロセスの中核をなす部分なのだ。[文献1、p.196]」

方向転換や中止が難しい理由と撤退の必要性
・「やめることをためらわせる力は、少なくとも3つある。1つめが、やめるのは失敗を認めることだと・・・散々聞かされてきたということ。2つめは『サンクコスト』(埋没費用)の考え方だ。・・・何かに投資すればするほど、いまさらやめるのはもったいないという心理がはたらきやすくなる。これをサンクコストの誤謬という。・・・3つめの力は目に見えるコストにとらわれて、『機会費用』(逸失利益)のことにまで頭が回らないという性向だ。機会費用というのは、・・・同じ資源をほかに費やす機会を放棄しているという考え方だ。[文献3、p.246-247]」
・「軍隊はずいぶん以前から、退却を正当でしかも責任感のある戦略上の選択肢であると認識してきた。だが、ビジネス界はそうではない。」「退却を検討する系統だったプロセスを準備していない企業は、愚かにも戦略上取りうる貴重な選択肢を排除してしまっているのだ。」[文献4]

・「自身のキャリアと将来の展望が『自分の』事業の存続にかかっているマネジャーが、みずから手を挙げて事業の撤退を進言するなどと期待するのは、現実的ではない。実のところ、効率を上げたり顧客ロイヤルティ―を深めたりといった、優位性の活用フェーズで役立つスキルを使えば、本来なら撤退候補となるべき事実をさしあたり魅力的に装うことができる。さらに多くの企業で、事業や事業部門への疑問を呼び起こしかねない情報は、決定に異議が出ないようにするため、集められることもなければ提示されることもない。[文献5、p.66-67
・「多くの企業では、新規事業の開始/撤退について何らかの定量的な基準を設けています。・・・しかし、このような杓子定規な基準をもとに機械的に事業の開始/撤退の意思決定を行っていると、いずれは芽吹いたかもしれないイノベーションを摘んでしまうことになる恐れがあります。・・・こういったルールはスジの悪い事業からの撤退を先延ばしにして、ズルズルと組織の体力を奪ってしまうことを防ぐためには絶対に必要なものです。[文献6、p.282-283]」

方向転換の方法
Riesによるリーン・スタートアップの考え方では、方向転換はピボットと呼ばれ、「ピボットは変化と同義にように使われたりするが、これはまちがいだ。ピボットとは変化の一種で、製品やビジネスモデル、成長のエンジンについて根本的な仮説を新しく設定し、それを検証するための行動を指す[文献7、p.231]」とされています。そして、次のように述べています。「ピボットを決めるには、目をしっかりと開き、客観的に物事をとらえる必要がある。・・・製品実験の効果が下がっていく、製品開発の生産性を上げなければならないと感じるなど、・・・このような症状に気づいたらピボットを考えなければならない。[文献7、p.219]」、「ピボットの決断は感情的になりがちだが、体系的に行わなければならない。対策としてはピボットの検討会議をあらかじめスケジュールに組み込むのがいいだろう。[文献7、p.220]」「方向転換するからといって、それまでにやってきたことをすべて捨て、一からやり直す必要はない。ピボットとは、それまでに作ったものや学んだことをその目的を変えて再利用し、もっと優れた方向をみつけることだ。[文献7、p.226]」、「ピボットを決意したアントレプレナーに話を聞くと、ほとんどの場合、もっと早くに決断すればよかったと言われる。こうなってしまう理由は3つある。まず、第1に虚栄の評価基準から偽の認識を引きだし、自分だけの現実に生きられるからだ。・・・第2に仮説があいまいだと完全な失敗というものもなくなるが、そうして失敗がなくなればピボットに必要な根本的見直しをする気にならないからだ。・・・第3の理由は・・・失敗を認めると士気ががっくりと下がる可能性がある。・・・だから、MPVやスプリットテスト、仮説の検証手法などに抵抗してしまう。皮肉なのは、この恐れがあるとリスクが大きくなる点だ。・・・アントレプレナーは自らの恐れから顔を背けず、恥ずかしい形になる場合も多いが失敗する気概を持たなければならない。[文献7、p.215-217]」
FurrDyerは次のように述べています。「成果を上げたイノベータを研究した結果わかったことは、不確実な状況下で実施するビジネスのほとんどの時間は間違っているのだと『覚悟しておく』べきだということだ。・・・自分が間違っていることを素早く学び損ねることが失敗なのだ。自分が間違っていることに気づいた時には変更をする必要がある。その変更がピボットである。[文献8、p.231]」「実際に変更する際には、すべてを投げだすのではなく、その過程で学習したことを利用して、片足は地に着けつづけるのだ。ピボットを行う際は、アイデアの一つの側面を変更する。・・・変更をするといっても、『ピボット』という言葉は、ソリューションを最適化したり、流通経路を精緻なものにしたりといった小さな変更を意味しているわけではない。そのような変更はイテレーションと呼んでいる。[文献8、p.232]」「ピボットを行うことは、強力かつ自由な考え方だ。不確実性に直面している時に正しい推測をできる人はいない。ピボットを行うプロセスは、不確実性のもとで必ず起きる間違いを調整するために変化を起こし続けることなのだ。[文献8、p.234]」「調査の結果、すべてのケースではないが、変更することに大きなメリットがあることがわかった。・・・同時に、ピボットを行うことには危険だということもわかっている。例えば『過剰なピボット(オーバーピボット)』を行ってしまい、結果として価値のある機会についての重要なヒントに気づくことができない場合がある。また、『過小なピボット(アンダーピボット)』を行い、重要なヒントを探すために、一つのアイデアにこだわりすぎてしまう場合もある。[文献8、p.234-235]」「不確実な状況下で学習するという前提で考えると、3つのテスト手法がある。それは仮説的、帰納的、演繹的なものの3つである。『仮説的』学習というのは、推論をするプロセスで、通常、直観に基づいたものである。例えば、顧客が求めている製品やサービスについての仮説を作るために、顧客にとって必要かどうかと実験するのではなく、実際に製品を作ってしまうような方法である。次の『帰納的』学習というのは、理論を構築するプロセスで、通常、推論に基づいて構築するのだが、その際にエスノグラフィーやインタビューなどの定性的な手法を活用する。・・・最後の『演繹的』学習は、理論を実験するプロセスで、通常、定量的な手法を使い、理論が正しいかどうかを証明する。[文献8、p.238]」「調査では、あまり成果を上げられていないマネジャーはアイデアの検証に一つの手法しか使っていない傾向があり、なかでもアンケート調査のような定量的なツールしか使っていなかった。[文献8、p.239]」「不確実性が高い課題を解決する初期段階では、範囲を狭める前に幅広く眼を向ける必要がある。[文献8、p.240-241]」「ピボットサイクルは延々と続けるべきなのだろうか。・・・答えは『ピボットによる急成長』地点を探すことだ。ピボットによる急成長は、変更を行ったあと、顧客の関心の軌跡に大きな変化が見られた場合に起きる。・・・ピボットを行っても、それぞれの変更に対してわずかな改善しか見られなかったり、かえって悪い結果になってしまう場合、現在の手法によって実現できることの限界に達しているのかもしれない。・・・12~18ヵ月の間に6~7回の大きなピボットを行ってもピボットによる急成長が実現できない場合、現在考えている課題やソリューションをあきらめ、まったく新しいものを探すタイミングかもしれない。[文献8、p.243-244]」「比喩として景色について考えてみると、平地や谷は機会がない状態を、丘は小さな機会がある状態を、そして山は大きな機会がある状態を表している。研究者たちの長年の調査によれば、多くの企業が小さな丘にはまってしまい、近くのより大きな機会の山を見損ねてしまっている。[文献8、p.250]」「時には視線を上げ、自分のそばに見逃してしまっているような機会の山がないかどうか確認しなければならない。[文献8、p.253]」
Mullins Komisarは、当初計画であるプランAから、その経験を生かしたプランBを作る方法として「ダッシュボード」を提案しています。すなわち、「ビジネスは、仮説の検証が重要。多様な側面を持つビジネスで、何が検証されたかをフォローするためには、ダッシュボード(各種指標の一覧表)を作って絶えず定量的な検証をすること。[文献9、p.122]」「それが有望なプランBへと至るために必要な軌道修正を示唆してくれる[文献9、p.88]」と述べています。

プロジェクト中止の方法
Anthonyは可能性のないプロジェクトを中止するための方法について次のように述べています。「プロジェクトを中止するときには、マグレイスによって示された、プロジェクトを効果的に撤収する方法を実行するとよい。プロジェクトを中止する理由をはっきりと述べ、中止によって影響を受ける人たちのために救済策を立案し、中止を皆が受け止められるようなイベント――通夜(思い出を語りながら楽しく飲み明かす儀式)、お遊び、追悼式など――を催すことだ。ここで特筆すべきは、ゾンビプロジェクトの中止は厄災から会社を守ったことを意味し、これはシャンパンをあけて祝ってもよいくらいの出来事なのだ。イノベーションを、ただ単に創造するだけの行為と考えている人が多いが、創造するために破壊しなければならないものもある。ゾンビプロジェクトを中止し、そこから教訓を学び、その教訓を最大限に生かすことは、イノベーションを成功させるために欠かせないプロセスだ。[文献1、p.198-199]」
LevittDubnerは、有望でない(止めてしまうべき、修正の必要な)プロジェクトを明らかにする方法として、「予測市場」と「死前検証」を紹介しています。予測市場とは、「社内のいろんなプロジェクトの先行きについて、社員が匿名でちょっとした賭けができるしくみ[文献3、p.253-254]」であり、死前検証とは、「心理学者のゲイリー・クラインが考案した」もので、「死前検証は、まだ手の施しようがあるうちに、うまくいかなくなりそうな要因をつきとめようとする。プロジェクトの関係者を全員集めて、『プロジェクトが実行に移されたが、目も当てられない大失敗に終わった』と想像してもらう。それから一人ひとりに失敗した原因を具体的に書き出してもらうのだ。死前検証なら、誰も自分からは言いたがらなかったプロジェクトの欠陥や疑問点を洗い出せることを、クラインは実証した。[文献3、p.256-257]」というものです。
・また、MillerWedell-Wedellsborgは、プロジェクトに終止符を打つためのヒントとして、「終了させるプロジェクトではなく、継続させるプロジェクトへの投票権を与えるといい。たとえ結果は同じでも、人はプロジェクトを終わらせるよりも、救う方が重荷を感じずにすむ[文献2、p.156]」と提案しています。

不確実なことに挑戦するなら失敗は避けて通れませんし、失敗してしまったらその損害をできるだけ少なくし、失敗の経験を次に生かすようにすべきことは当然のことだと思います。ただ、このような考え方にあまり馴染みのない方々がおられるのも事実でしょうし、そもそもどんな人にとっても失敗は受け入れにくいものなのではないでしょうか。失敗をうまく処理してそこからうまく学ぶ手法を工夫し、失敗への抵抗感を少しでも減らしてイノベーションへの挑戦を活発化させる、そんなマネジメントも考えていく必要があるように思います。


文献1:Scott D. Anthony, 2014、スコット・D・アンソニー著、川又政治訳、津嶋辰郎、津田真吾、山田竜也監修、「ザ・ファーストマイル」、翔泳社、2014.ブログ記事へ
文献2:Paddy Miller, Thomas Wedell-Wedellsborg, 2013、パディ・ミラー、トーマス・ウェデル=ウェデルスボルグ著、平林祥訳、「イノベーションは日々の仕事のなかに 価値ある変化のしかけ方」、英治出版、2014. ブログ記事へ
文献3:Steven D. Levitt, Stephen J. Dubner, 2014、スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー著、櫻井祐子訳、「0ベース思考 どんな難問もシンプルに解決できる」、ダイヤモンド社、2015. ブログ記事へ
文献4:Ron Adner, Daniel C. Snow、ロン・アドナー、ダニエル・C・スノー著、高橋由香理訳、「陳腐化した技術を延命させる戦略 『前向きな退却』を選ぶ」、Diamond Harvard Business Review, June 2013, p.124. ブログ記事へ
文献5:Rita Gunther McGrath2013、リタ・マグレイス著、鬼澤忍訳、「競争優位の終焉 市場の変化に合わせて、戦略を動かし続ける」、日本経済新聞出版社、2013. ブログ記事へ
文献6:山口周、「世界で最もイノベーティブな組織の作り方」、光文社、2013. ブログ記事へ
文献7:Eric Ries, 2011、エリック・リース著、井口耕二訳、「リーン・スタートアップムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす」、日経BP社、2012. ブログ記事へ
文献8:Nathan Furr, Jeff Dyer, 2014、ネイサン・ファー、ジェフリー・ダイアー著、新井宏征訳、「成功するイノベーションは何が違うのか?」、翔泳社、2015. ブログ記事へ
文献9:John Mullins, Randy Komisar, 2009、ジョン・マリンズ、ランディ・コミサー著、山形浩生訳、「プランB 破壊的イノベーションの戦略」、文芸春秋、2011ブログ記事へ

「イノベーション・マネジメント入門(第2版)」(一橋大学イノベーション研究センター編)より

本ブログでは、どうやったら研究開発やイノベーションを上手く進められるかについて、実践の観点から様々に考えていますが、考える基盤として、そもそもイノベーションとはどのようなものなのか、どのように捉えられているのかを知っておくことは有意義なことだと思います。

こうした理解の参考となるような、いわゆる教科書は様々なものが出版されていますが、今回は、2017年に全面的改訂版が出された「イノベーション・マネジメント入門(第2版)」(一橋大学イノベーション研究センター編)[文献1]の中から、実践に役立ちそうだと感じた点をメモしておきたいと思います。本書では、実践的手法についてはあまり触れられていませんが、経営学や経済学の視点からどのようなことが注目されているのかを感じることができる気がします。広範なトピックスが取り上げられていることもあり、本稿ではそのごく一部のご紹介のみ、ということになりますので、ご興味のある方はぜひ本書をご参照ください。

第1章、イノベーション・マネジメントとは(青島矢一)
「イノベーションの定義や特質、その重要性」や「イノベーション・マネジメントが扱う内容」[p.17]が述べられています。
・「イノベーションとは、一般に『何か新しいものを取り入れる、既存のものを変える』という意味をもっている。[p.1]」「シュンペーターは、イノベーションを、『新規の、もしくは、既存の知識、資源、設備などの新しい結合』と定義している[p.2]」。「本書でわれわれは、・・・シュンペーターの古典的な定義を踏襲しつつ、イノベーションを『社会に価値をもたらす革新』と定義することとする。[p.3]」
・「そもそもイノベーションにはどのような意義や価値があるのか。・・・第1に、イノベーションは経済成長を牽引する重要な役割をもっている。・・・第2に・・・われわれの生活の質を根本的に変える力がある。・・・第3に、イノベーションは企業の浮沈を大きく左右する。[p.5-8]」
・「『イノベーション・マネジメント』とは『イノベーションの実現に向けて、効果的かつ効率的に、資源(ヒト、モノ、カネ、情報)を動員、駆動、結合する主体的な工夫』のことを指している。[p.10]」
・イノベーションの4つの特質:1、知識の営み-「イノベーションの最も大きな特質は、それが知識という無形の財を創造する活動の結果だという点である。[p.10]」(「知識は、他者による同時使用を排除できない・・・契約による取引にのりにくい・・・累積性という性質をもつ[p.10-11]」)。2、不確実性-「その実現過程に常に高い不確実性がともなうこと[p.11](「事前に綿密に計画され、周到に準備できるようなものではない[p.11]」「不確実性がもたらす第1の問題は、イノベーションの創出に挑戦しようとする動機の欠如である。[p.12]、3、社会性-「社会の制度、歴史、文化といった要因がイノベーションの創出を理解するうえで重要[p.14]」、4、システム性-「さまざまな種類の技術、知識、仕組みが組み合わさって全体として機能しなければ、イノベーションは実現しない。[p.15]」

I部、イノベーションの全体像
第2章、イノベーションの歴史(米倉誠一郎、清水洋)
「イノベーションが生まれ、それが社会経済に変革をもたらしてきた歴史を振り返る[p.17-18]」。
・「イノベーションはある時代や場所で連鎖して起こり、群生する[p.44]」「イノベーションを生み出すためには、技術を磨けばよいというわけではない・・・組織的・制度的な環境が重要な役割を担っている。・・・経営資源の内部化を行うことによって企業は大きく成長し、経営資源の多重利用による多角化の余地が生まれてきた。その一方で、企業の既存の能力を破壊するようなイノベーションを生み出すために、経営資源の外部化の動きが1990年代から見られてきた。[p.44-45]」

第3章、イノベーションと企業の栄枯盛衰(軽部大)
「イノベーションが企業の盛衰にどのような影響を及ぼしうるのか[p.18]」
・「企業規模や市場の集中度(独占の程度)とイノベーションの関係については、これまでのところ決定的な結論は出ていない。・・・イノベーションのタイプや企業の具体的な行動、そして前提となる社会経済制度によって左右されることが、次第に明らかにされている。[p.53]」
・先行者の優位:①一定期間の利益の独占、②標準規格への関与、③特許取得、④経験曲線効果(他社に先駆けた学習)、⑤資源の先買い(専有)、⑥買い手の切り替え費用、⑦ネットワーク外部性(規模の拡大による便益拡大)[p.53-54
・後発者の優位:①先発者が築いたブランド資産や技術資産へのただ乗り、②先発者を観察することによる不確実性抑制、③先発者とは異なる改良の余地[p.54
・「革新の主体がどの程度経済的価値を自分のものにできるかどうかの程度は、一般的に『専有可能性(appropriability)』と呼ばれ、他者も利用可能となる現象は『スピルオーバー(spillover)』と呼ばれている。[p.55]」
・利益確保の程度を左右する要因:①リードタイム(時間的先行性の程度)、②法的保護(特許など)、③技術の模倣のしやすさ、④補完的資産の重要性とその保有状況[p.56
・「一般的に漸進的で連続的な変化をイノベーションがもたらすのであれば、既存企業に有利となり、急進的で非連続的変化をもたらす場合には、新興企業に有利となる傾向が見られる。[p.64]」「ヘンダーソンとクラーク・・・は、部品レベルで起きる変化をモジュラー型イノベーション、つなぎ方のレベルで起きる変化をアーキテクチュラル型イノベーションと呼んでいる。しばしば既存企業が一見すると連続的に見えるイノベーションの対応に苦労するのは、個々の部品や要素技術レベルでは大きな変化が見られないものの、部品や要素技術のまとめ方が変化する場合なのである。[p.69]」
・既存企業が変化に対応できない理由:個人の意思決定バイアス、集団の力学(組織的慣性)[p.72-77

第4章、産業とイノベーション(長岡貞男)
「産業レベルの諸要因がイノベーションの創出にどのような影響を与えるのか[p.18]」
・「需要の条件(市場の大きさと技術進歩への消費者の評価)、科学技術の進歩などがもたらす研究開発への技術機会、サプライヤーや企業内の製造・販売の効率性が、産業の研究開発に大きな影響を与える。[p.92]」

第5章、イノベーションの測定(北野泰樹)
「イノベーションの成果を把握する方法[p.18]」
・代表的測定方法:生産性分析、消費者の便益に与える影響を測るための需要関数推定、特許、査読付学術誌、企業への聞き取り(OECDオスロマニュアル)
・「イノベーションを定量的に評価するうえで、完全な測定方法、そして指標は存在しない[p.141]」。

II部、イノベーション創出プロセス
第6章、イノベーションとアントレプレナーシップ(清水洋、野間幹晴)
「イノベーションを駆動し、牽引するうえで不可欠なアントレプレナーシップの特質と重要性[p.18]」
・「ここでは、アントレプレナーシップを『企業家が現在管理している経営資源にとらわれることなくビジネス機会を追求する程度』と定義する。[p.144]」(新しい企業を興す「起業家」だけではない)
・アントレプレナーシップに影響する要因:ビジネス機会の生成と認識(個人の心理的特性、ネットワークでの位置、学習や経験)、ビジネス機会の追求(リスク・マネーの供給、労働市場の流動性(人材確保、スピンアウト))、ビジネス機会の収束(競争の状態)[p.146-154
・アントレプレナーシップの分析はこれからの課題が大きい。

第7章、イノベーションを実現する資源動員と知識創造(青島矢一、清水洋)
「革新活動へ継続的に資源を動員する『資源動員』と、動員された資源を結合して新たな知識を創造する『知識創造』[p.18]」の議論
・「営利企業は、通常、社会に経済価値を創出して自社に利潤をもたらすような企て(事業)にヒト・モノ・カネなどの経営資源を『合理的な基準』に沿って配分して、配分された経営資源は、設定されたゴールを実現するために『効率的』に活用される。しかし、企業に非連続的な成長をもたらすイノベーションを実現するためには、そうした定常状態の活動から逸脱した企業行動が要求される。この逸脱行動には、高い不確実性下で革新活動へ継続的に資源を動員する『資源動員』と、動員された資源を結合して新たな知識を創造する『知識創造』という、相互に不可分の2つの側面がある。[p.165]」
・「イノベーションへの資源動員を実現するには大きく3つのルートがある・・・1つ目は、より多くの潜在的支持者を獲得すること、2つ目は、イノベーションの理由に働きかけて支持者の出現確率を上げること、3つ目は、資源動員に影響力をもつ支持者に働きかけることである。[p.174]」「通常の経済合理性の基準からは認められないような革新的な企ての『正当性を創造する』ことが、イノベーション活動を前進させるために必要となる[p.175]」。
・「イノベーションの実現に向けた知識創造プロセスには、新規のアイデアを創出する『アイデア創出プロセス』と、そのアイデアをもとに技術、製品、サービスなどを生み出す『アイデア実現プロセス』がある。[p.176]」
・「個人のクリエイティビティに影響を与えるものとして、古くから研究が蓄積されてきたのは、個人の知性とパーソナリティ、そしてモチベーションであった。[p.177]」「ある程度の水準までは知性はクリエイティビティを押し上げるが、ある閾値を越えると知性の高さの効果は小さくなることがうかがえる。[p.177]」「外向性の程度が高い人は、多様な経験をしている、あるいは新しいつながりを構築しやすいため、クリエイティビティの程度が高くなるのではないかと考えられている。また、開放性(openness to experience)や神経症的傾向(neuroticism)も、クリエイティビティと正の相関が見られてきた。これらには認知的抑制(cognitive inhibition)を抑える効果があるために、さまざまなものとのつながりを生み出しやすく、クリエイティビティとの間に相関が見られると考えられている。[p.178]」「内発的な動機づけとクリエイティビティの間には、正の相関関係がある。・・・例えば、報酬に大きく動機づけられている場合は、与えられた課題に対して解決策を探るときには最も効果的・効率的だと思われるアプローチが見つかった場合には、さらなる探索は行わない。・・・その一方で、課題に取り組むこと自体に内的に動機づけられている場合は、人はさまざまな新しいアプローチを試すだろう。・・・これによってクリエイティビティが高まるのである。[p.179]」
・「野中・竹内(1996)は、組織における知識創造を、『個人の信念が社会的な真実として正当化されるプロセス』として把握している。すなわち、個人が『暗黙に』保有する、新規のアイデアや因果メカニズムに対する仮説、つまり『信念』が、組織におけるやりとりを介して真実と認められていくプロセスとして、知識創造を理解する。・・・このような、組織における知識創造活動を、暗黙知と形式知の変換過程として概念的に記述したものがSECIモデルである。[p.180]」「SECIモデルでは、・・・暗黙知の形式化が知識創造の中核をなしている。・・・野中他(2010)は、組織的知識創造活動を促進する要因として、①ビジョン、②駆動目標、③場、④対話、⑤実践、⑥知識資産、⑦環境が重要となることを提唱している。[p.181]」「集団レベルでのイノベーションを促進する要因は、インプット要因とプロセス要因に大きく分けて考えるとわかりやすい。インプット要因とは、イノベーションを担う集団にもち込まれた、所与の構造的要因である。[p.181]」「さまざまなインプット要因の中で、イノベーションを促進する要因として明らかになっているのは、メンバーに与えられた目標の相互依存性である・・・。参加メンバーに与えられた目標の相互依存関係は、お互いのコミュニケーションや共同活動を促進するだけでなく、他のメンバーに対する支援的活動も誘発する。・・・参加メンバーの仕事関連の多様性も、集団のイノベーション成果にポジティブな影響があることが示されている。・・・プロセス要因については、より多くの要因がイノベーションに好意的な影響を与えることが明らかにされている。野中らが提唱した『ビジョン』や『駆動目標』は、特にイノベーションへの影響の大きさが実証された要因である。・・・また高い成果目標を設定し、それを共有し、成果の評価とフィードバックを適時に行うような『タスク指向』の高い集団ほど、イノベーションを実現する能力が高いことも示されている。[p.182]」「これらに加えて集団によるイノベーションを促進する要因として明らかにされてきたのが、『コミュニケーション』『集団結束力』『イノベーションに対する支援』である。・・・結束力の高さは、現状を打破する革新的な行動を安心して進めることができるような環境を提供する。・・・リーダーや管理者が、イノベーションを承認し、失敗を許容し、革新的な行為や新しいアイデアを尊重するような集団であるほど、イノベーションが促される傾向にある。[p.183]」

第8章、新製品開発のマネジメント(青島矢一)
「顧客に高い価値をもたらす製品コンセプトを作成し、具体的な製品を効率的に設計、開発する上での要諦[p.18-19]」
・「新市場の開拓をどうやってやればよいのかということに関する出来合いの処方箋はないのだが、これまでの研究から、考えるべき方向性のいくつかを示すことはできる。ひとつ目は、問題を抱える顧客と問題を抱えていない顧客を区別することであり、2つ目は、顧客の抱えるボトルネックを発見する方法であり、そして3つ目は、顧客ニーズの飽和点と要求性能の転換点を把握することである。[p.191]」
・「機能を実現する新製品開発のプロセスでは、『設計品質』と『設計効率』を高めることが目標となる。そのために考えるべきことが、『製品アーキテクテャ』『情報転写プロセス』『情報技術の活用』『開発組織構造』である。[p.197]」「製品アーキテクテャを規定する主たる次元は、モジュラー化/統合化の次元である。[p.197-198]」「情報転写プロセスの効率化という観点からすると、製品開発プロセスは大きく2つの次元でとらえることができる。・・・第1の次元は、『開発ステージの重複の程度』である。[p.203]」「2つ目の次元は、情報転写活動のタイミングである。なるべく開発の前段階で計画的に行うのか、それとも開発の後段階にまでわたって柔軟に行うのかといった次元である。・・・入念な事前計画なのか、継続的な経験ベースの反復なのかという上記の問題は、製品開発プロセスに課されるタスクの不確実性の程度に依存している可能性がある。・・・変化の激しい市場での製品開発では反復的なアプローチが有効であり、・・・技術的に市場的にも相対的に成熟した製品の開発では、特に事前の入念な計画が重要になるのかもしれない。[p.205-207]」「製品開発の組織構造を考えるにあたっては、技術進化のポテンシャルや市場要因、情報技術のレベルを把握したうえで、開発に含まれるさまざまな活動のどこに重要な相互関係が存在するのかを十分に理解することが鍵となる。付加価値を生み出す重要な相互作用が存在する部分はなるべく統合的に扱うように、そして相互作用の必要性が薄い場合には専門化のメリットを生かせるように分割する。このようにして組織割りの軸足を見つけるのが、開発組織構造デザインの基礎である。[p.217]」

第9章、イノベーションと企業戦略(軽部大)
「戦略とは何かというごく基本的な問題から出発し、戦略的に変化を認識し、それに対処するための意思決定を整理する。[p19]」
・「イノベーションの実現に必要な活動は、新しい価値自体を創造する活動(価値創造)と創りだした価値を自分のものにして利益化する活動(価値獲得)の2つの活動から成り立っている。[p.220]」「競争優位性とは、企業から見て目指すべき目標であるが、これは顧客から見ると『かけがえのなさ』と言い換えることができる。[p.222]」「『戦略とは、特定の意図した目標を達成するために用意される計画・方法・一連の行動』と定義できる。・・・戦略を策定するには、現状と未来の状況とのギャップを認識し自社と自社を取り巻く状況を的確に『診断すること』が不可欠である。[p.227]」「また、戦略とは、戦略策定のみならず策定した計画を実行する過程(プロセス)を含んでいる。戦略の実行には明確な優先順位の下で絞り込んだ長期的な努力投入(コミットメント)を可能とする『行動』が必要となる。・・・戦略の策定とは目標を設定することではなく、願望を表現することでもないことに注意を払う必要がある。・・・むしろそれらの目標に至る道筋こそが戦略である。[p.228]」
・「戦略論では、すでに保有する能力や資源を活用することを『レバレッジ戦略』と呼び、新たに能力や資源を獲得することを『ストレッチ戦略』と呼ぶ・・・。新たな中核能力の構築を目指そうとする活動は、まさにストレッチ戦略のひとつである。[p.235]」「能力構築を促す技術戦略とは、組織学習を促す戦略でもある。それには次のような点を考慮する必要がある。①健全な危機感・・・②厳しい環境と顧客・・・③小さく試し、失敗から学ぶ・・・④自社のドメイン(活動領域)の絞り込み・・・⑤周縁から学ぶ[p.236-237]」

第10章、イノベーションと企業間システム(青島矢一、清水洋)
「企業間システムのマネジメントと、イノベーションと企業間システムが相互に影響しあう関係について、オープン・イノベーションの流れも踏まえつつ議論する[p.19]」
・「ある企業活動を企業組織の内部で行うことを『統合化』と呼ぶ。・・・メリットとしては、次のような点が考えられるだろう。取引費用の節約・・・情報のコントロール・・・情報の蓄積・・・相互依存性・補完性・・・未利用資源の活用[p.254-256]」「かたや・・・費用、デメリットもいろいろある。・・・投下資源、リスクの増大・・・規模の経済、範囲の経済を使えない無駄・・・情報の硬直性・・・内部管理の問題[p.256-257]」
・「オープン・イノベーションとは、大きくとらえれば、外部の経営資源と自社の経営資源とを戦略的に組み合わせることでイノベーションを起こすことである。[p.273]」「オープン・イノベーションは、次の2点に大きな特徴がある。第1は、基盤技術の開発などではなく、事業化のためのコラボレーションである点である・・・。基盤技術の共同開発であれば、利害の一致が比較的達成されやすい・・・。しかしながらオープン・イノベーションの特徴のひとつは、『競争領域』でのコラボレーションである。・・・この領域でのコラボレーションのマネジメントは簡単ではない。ターゲットとする市場が具体的になるほど、利害の一致を達成するのは難しい。・・・2つ目の特徴は、その探索の範囲にある・・・。オープン・イノベーションでは、これまでの自社の探索範囲を超えるような新規性の高い探索が求められているという点が特徴的である。・・・しかし、これは簡単ではない。その探索のための専門部署の設置や、プラットフォームの構築、あるいは探索を専門的に行うエージェントの利用など、さまざまな形態で探索が行われている。[p.275-276]」

III部、イノベーションと経済政策
第11章、イノベーションと政策・制度(江藤学)
「国家が民間のイノベーションプロセスに介入する必要性を整理[p.19]」
・「政策や制度とイノベーションは表裏一体の関係で、政策・制度がイノベーションを促進し、イノベーションが新しい政策・制度を生み出してきた。特に日本は、欧米諸国へのキャッチアップ政策の中で特定の産業ごとにイノベーションを生み出すことを目指す日本独特の『産業政策』が実施されてきたといってもよいだろう。[p.302]」

第12章、科学技術イノベーション政策(赤池伸一、江藤学)
「科学技術イノベーション政策の構成要素・・・政策ツール・・・主要各国の科学技術政策[p.19]」を議論。
・イノベーション支援のための主要な政策ツール:自主研究(国自らが行う研究)、委託研究、補助金、税制、調達。[p.311-315

第13章、イノベーション創出のための知的財産制度(岡田吉美)
「知的財産制度の概要・・・意義・・・政策的対応[p.19]」
・「知的財産権を一言で説明するならば、『他人の情報の不当な利用を排除し、情報の財産的価値を守る権利である』ということができる・・・。特許権の保護対象は『発明』という技術情報であり、当該発明に関する技術を組み込んだ製品の生産・販売などの商業活動に関する排他的権利である。ここでいう発明とは・・・『○○という技術手段を用いれば、□□の技術効果を奏することができる』という『技術的構成と技術効果の因果関係を認識した技術的アイデア』であって、技術情報の一種である。[p.335]」

第14章、イノベーション創出のための知的財産権マネジメント(岡田吉美)
「知的財産制度が企業におけるイノベーションの創出やその波及に与える影響を整理[p.19]」
・「発明がされたあとにとりうる選択肢として、特許出願をして権利化を図る、出願せず営業秘密としての保護を図る、技術の公開を積極的に行うことの3つがある。[p.384]」「2割以上の研究成果がノウハウ・営業秘密として秘匿されている[p.385]」。

第15章、イノベーションと規制・制度(江藤学)
標準化と技術規制の影響と活用[p.20
・「技術規制の体系は、国によって大きく異なる。大きく分類すれば、事前規制を重視するか、事後規制を重視するかの違いということができるだろう。事前規制とは、新しい技術の使用などにあたって、その使用方法を詳細に規定し、危険な方法での使用や間違った用途での使用が起こらないようにしようとするものだ。日本は、この事前規制を重視する法体系となっている。これに対し事後規制とは、新しい技術の開発者、販売者、利用者など、その技術の利用に関わる利害関係者の責任を明らかにし、もし自己や問題が起こった場合に、その責任をきちんと追求できるルールを定めるものだ。アメリカなどが、この事後規制を重視した規制体系となっている。[p.396-397]」
・「標準化にはコストダウンや市場の拡大といった大きなメリットがあるのと同時に、競争相手を増やす結果としてシェアを失うなどの大きなデメリットもあわせもっている[p.413]」

第16章、イノベーションと経済成長(楡井誠)
「イノベーションのマクロ経済的な帰結について考察するとともに、国民の経済厚生のためのイノベーション政策の公共経済学的な基礎づけを与える。[p.20]」
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イノベーションには様々な側面があります。本書ではイノベーションについての広範なまとめではありますが、それでもそのすべての側面はカバーされているとは言えないでしょう。さらにイノベーションについてはまだまだ分かっていないことが多そうです。つまり、現状ではイノベーションの進め方というのは、確立されたプロセスなどではなく、また、特定の原理に基づいて論理的に導けるものでもない、ということでしょう。ただ、考える材料はずいぶんと増えてきているように思います。本書にまとめられたような知見や示唆を活用して、自らの知恵でよりよいイノベーションの仕組みを考え、検証していくことが実務者には求められているように思います。


文献1:一橋大学イノベーション研究センター編、「イノベーション・マネジメント入門 第2版」、日本経済新聞出版社、2017.

「ヤフーの1on1」(本間浩輔著)より

部下の育成はマネジャーの重要な仕事のひとつです。では、どうしたら育成がうまくいくのでしょうか。研究者や技術者は専門知識を身につける必要がありますが、知識を教えるだけでよいのでしょうか。これからの時代は、得られた知識を活用するだけでなく、創造力を発揮して未知の領域に挑戦することがますます求められるようになるでしょう。そんな状況にも対応できる人材、上司を越えるような人材をうまく育てるにはどうしたらよいのでしょうか。

そのカギは「学習」にあるかもしれません。上司にとっての「育成」と部下にとっての「学習」は表裏一体と考えると、部下の学習をいかに促進するかが重要になってくるのではないでしょうか。今回は、育成、学習の手法として注目されている1on1(ワンオンワン)について、そのヤフーでの実践と考え方を紹介した「ヤフーの1on1」(本間浩輔著)[文献1]の内容をご紹介したいと思います。

著者は次のように述べています。「1on1とは簡単に言えば、“わざわざ定期的に”上司と部下との間で行う1対1の対話のことです。・・・ヤフーでは人材育成を効果的に行うために、1on1を行っています。上司はそこで部下の進捗を確認し、問題解決をサポートし、最終的にはその部下の目標達成と成長の支援を行います。ですから、ヤフーの1on1は、言わば、部下のために行なう面談です。上司のための報告でも、連絡でも、相談でもありません[p.1]」。以下、その詳細を見ていきたいと思います。

第1章、マンガで学ぶ1on1ミーティングの基本
・「ヤフーの1on1は、原則として週に1回、30分程度かけて行います。進捗報告や評価面談など、組織における上司と部下の面談にはいろいろなものがありますが、私たちの1on1は、部下のために行なう面談です。ですから、30分の対話が終わったときに、部下が『話してよかった』と思えば、まずは成功です。でも、これは決して簡単なことではありません。対話すること自体は難しいことではないのですが、その時間が部下のためになるものであるためには、心がけるべきこと、守るべきポイントがあります。[p.10]」
・「部下に十分に話をしてもらうことが大事である。きちんと部下と向き合って話す。部下の言葉を先取りしたり、途中で遮って自分の考えを話さない。それでは部下の学びは深まらない。1on1は部下の成長のために行なうものであり、上司が状況把握をするためのものではない。否定はつねにNGではないが、上手に否定しないと上司依存、つまり部下は上司の指示を待つようになる。それでは部下は考えなくなり、学びは深まらない。次の行動=問題への対処法について、部下より先に上司が示してはならない。[p.50]」

第2章、1on1とは何か
・「いくつかある1on1の目的のうち、何を中心に考えているかと私が問われた場合には、まずは『社員の経験学習を促進するため』であると答えます。加えて、ヤフーの人材育成の基本方針である『社員の才能と情熱を解き放つ』ための手段の一つと答えます。[p.54]」
・『7:2:1』の理論と言うものがあります。これは、人の成長を決める要素の比率と言われていて、7割は『仕事経験から学ぶ』割合、2割は『他者から学ぶ』割合、そして残り1割は『研修や書籍から学ぶ』ことを示しています。[p.55]」
・「経験学習を促進するためには、経験をすることだけでなく、経験を学習に変換するアクション(振り返り)が必要で、それが1on1です。・・・具体的には、1on1の場で、社員が経験を振り返って学びに換え、その学びを試す場を見つけて、実際に試して、学びが活かせたかどうかをチェックする、言わば学びのPDCAサイクルが必要であると考えています。この考えを補足する理論として、ヤフーはデービッド・コルブの経験学習サイクルを採用しています。コルブの経験学習モデルとは、・・・人が経験から学ぶときは、『具体的経験→内省(振り返る)→教訓を引き出す(持論化、概念化)→新しい状況への適用(持論・教訓を生かす)』というサイクルをたどるというものです。[p.55-57]」
・「私たちは、才能と情熱を解き放つためには、①いろいろな仕事を経験して、②上司や職場の仲間から観察してもらい、③経験を振り返りながら自分の職業観について考えることが大切だと思っています。[p.59]」
・1on1の効果:コミュニケーションをとるきっかけになる、相談や評価をタイムリーに受けることができる(部下の視点)、部下の情報を得ることができる(上司の視点)[p.63-70
・「『1on1は部下のために行う』を理解して、『今日は何を話そうか』という問いを、1on1の初めに聞くことを習慣化すると、『何を話そうか』と尋ねられることを部下は認識するようになるので、あらかじめ話すテーマを探しておくようになります。つまり、当日その場で、ではなく、前もって経験学習でいう内省が始まる、ということです。[p.73]」「『もう少し詳しく話をしてください』という質問は、上司が詳しく聞きたいと思って言っているのではありません。部下が内省を深めるために、あえて投げかけた質問です。[p.74]」「的を外しているかもしれない質問を投げかける・・・ことによって、部下は・・・一歩踏み込んだ言葉に置き換えることができ・・・ます。[p.75-76]」

第3章、1on1における働きかけ
・「上司と部下との信頼関係が1on1のベースであり、まずは信頼関係を構築することから始める必要があります。[p.107]」
・「ヤフーの1on1のスクリプトを見ると、コーチングやカウンセリングに似ていることに気づきます。しかし、コーチングやカウンセリングと1on1には大きな違いがあります。それは、コーチングやカウンセリングが業務上の関係を持たない、プロフェッショナルとクライアントとの間で行われるのに対して、1on1が上司と部下の関係で行われるという違いです。[p.107]」「一般的にコーチングやカウンセリングでは、個人的な悩みなど周囲には知られたくない話題が飛び出すことがあります。・・・また、日常とは切り離された関係を用意することで、ある種の安心を意図的につくり出しています。職場の同僚や知人、家族などに対して、コーチングやカウンセリングを行うことは望ましくないとされている理由がそこにあります。一方で、上司と部下との間で1on1を行うことは、前述のようなデメリットもありますが、職場で自分のことを見てくれている上司だからこその助言やフィードバックを得ることもできます。[p.108]」
・「アクティブリスニング(active listening)は、一般的には『傾聴』と訳されることが多いでしょう。・・・しかしヤフーでは傾聴と日本語では言わず、あえてアクティブリスニングと言うことがあります。なぜなら、日本語の『傾聴』の傾という漢字は、真剣に黙って聞くというイメージが強く、アクティブに聞くというイメージとはやや異なるからです。[p.109]」「ヤフーではアクティブリスニングとあえて英語(カタカナ)で表記し、『アクティブに聞く』ということだから、ただ黙って相手の話を聞くのではなく、うなずいたり、相槌を打ったり、相手が発したキーワードを繰り返したりすることが大切であると言っています。[p.110]」
・「レコグニションとは、文字どおり解釈するなら、『相手が存在することを認める』という意味です。1on1でレコグニションと言えば、目の前にいる部下の存在を認め、部下のありのままを受けとめる、そしてそれを相手がわかるように伝えることを指します。・・・1on1は部下のために行うものであり、上司は部下の成長を支援することがその役割になります。そのため、上司は部下の言動を100%信じて、部下の気持ちに寄り添う必要があります。[p.112]」「カウンセリングでは、『無条件の肯定的な配慮』といって、クライアント(1on1では部下)の考えや感情のすべてを受け入れていくことが大切であるとされていますが、1on1においても、同じことが言えます。ここで留意したいのは、本項で述べる共感や肯定的な配慮は、賛成や同意とは異なるということです。・・・レコグニションは、1on1を円滑に進めていくための態度であり、信頼関係を構築するための手段であることを強く意識してください。[p.114]」
・「上司と部下との新たな関係が構築されたら、次のステップでは、上司は部下の学びを深めるための支援をしていくことになります。・・・アクティブリスニングができていれば、上司と部下との間に信頼関係が生まれ、部下が話をしながら、自然と学びを深化していくこともあります。しかし、ときとして上司が、コーチング、ティーチング、フィードバックなど、アクティブリスニングと比べて、より積極的な働きかけをすることによって、部下の学びがより深くなったり、学びに至る時間が短く済むことがあります。[p.115]」
・「書籍や団体、研究者によってコーチング(coaching)にはさまざまな定義がありますが、1on1を進めるうえで、ヤフーでは『コーチングとは、部下が経験から学び、次の行動をうながすための質問を主としたコミュニケーション手法』としています。[p.115-116]」
・「上司が投げかけた質問に部下がすぐに答えられないときは、・・・答え=言語化を急がしてはいけません。コーチングやカウンセリングでは『沈黙を大切にする』という言い方をしますが、基本的には同じことです。[p.117]」
・「問題点が明らかになったら、次は『ではどうする?』『どうやって進める?』『いつやる?』などと、質問を具体的な行動に移行させます。・・・1on1は部下の『行動の質』を向上させ成果を上げるために行うものであり、・・・次の行動に関する質問はとても大切です。[p.117-118]」「ヤフーの1on1では、上司が部下に代わって『これが問題だ』『それはこうやって解決すべきだ』などと明確な答えを示さないことがほとんどです。なぜなら、明確な答えを示すことが部下の成長の機会を奪い、部下が自ら考えて、改善し、次の行動へ結びつけることを阻害することになるからです。上司としては・・・早急に答えを示したくなる誘惑にかられるかもしれません。しかし、それをやってしまうと、部下は自ら考える能力を育めなくなってしまいます。・・・上司が問いだけでなく答えも出し続ければ、部下が考えなくなり、指示待ちになるのは当たり前です。コーチングで上司が行うことは、部下に答えを示すことではなく、部下が自力で答えを見つけるためのサポートです。[p.117-118]」
・「ティーチング(teaching)とは文字通り、知識や技術を知っている人から知らない人に教える行為を指します。・・・上司は『コーチング』と『ティーチング』のどちらが有効であるかを選択します。・・・例えば社内ルールのように、上司が答えを持っていて、かつ部下にとっては単に知っていればよいことについては、ティーチングの方が早いということになります。[p.119]」
・「読者のみなさんにとってなじみのあるフィードバックといてば、目標管理制度(MBO)において、期末に部下の申告をもとに上司が評価を行い、その結果が上司から部下に戻され、説明される機会のことを指すのかもしれません。・・・一方で、ヤフーの1on1に限定すると、目標管理制度のフィードバックとは異なる部分にフィードバックが使われています。その一つは、上司が部下に期待する仕事の水準と、部下がもたらした成果との差を示すもの。もう一つは、いっしょに働く周囲にとって、対象者(部下)がどのように見えているかを返すものです。[p.121-122]」「東京大学の中原淳准教授は、・・・『フィードバックとは、耳の痛いことを部下にしっかりと伝え、彼らの成長を立て直すこと』と端的に説明されていますが、ヤフーにおいてフィードバックというと、その定義に加えて『相手が気づかないこと』を伝えることがイメージされます。[p.123]」「非言語コミュニケーションから、人の心理を探るという方法は一般的なのではないかと思います。ヤフーの1on1では、上司が部下の心理を探るのではなく、部下の気づきを引き出すために、部下の表情やしぐさを上司が鏡のように返すことがあります。これが、フィードバックのもう一つの側面です。[p.123-124]」「具体的なフィードバックによって、改善ポイントも明確になる。上司・部下間での目標水準をすり合わせることもできる。[p.148]」
・「『経験学習を促進する』ためのもっとも直接的な質問が『(今回のできごとから)何を学んだの?』です。・・・コーチング、ティーチング、フィードバックと、この質問を併用することによって、学びの深化を効果的に行うことができます。[p.125]」
・「学びの確認と同じくらい重要な質問に『この学びを次にどこで生かす?』があります。経験学習のPDCAの最後のA(アクション)を決めるプロセスです。・・・行動の宣言は上司と部下との約束になります。[p.127]」「私は、部下との1on1において部下と約束した行動計画が守られなくても、そのことを非難しません。その代わりに、『なぜ行動計画はできなかったんだろう?』と聞きます。・・・私が恐れるのは、部下が容易に到達できるコミットメントをすることであり、そのことによって部下の経験学習が不十分なものになることです。社会人は怒られたり、脅かされることによって学ぶことは多くはありません。むしろ、ポジティブに自分の成長のために、自分からストレッチした、つまり少し背伸びした目標を設定して、挑戦していく、それがヤフーの人材開発のあるべき姿であると思っています。[p.128]」

第4章、1on1導入ガイド
・1on1を組織全体に浸透させるための仕組み:「『なぜ1on1をするのか?』『ヤフーは1on1をすることによってどう変わりたいのか?』というような、人事サイドの思いと要望を伝え手いった[p.155]」。「留意したことは、ほかの人事制度との補完関係を説明することと、人事が伝えたいことを伝えるのでなく、社員の疑問に答えること[p.156]」「1on1のよさはやってみないとわからないので、一度でいいから経験してもらう。[p.157]」「ヤフーでは・・・経営陣全員が1on1の重要性を理解し、率先垂範してくれたことが効果的でした。[p.157]」「1on1をせざるをえない仕組みをつくることも大切[p.158]」。「自分が活躍するのではなく、『部下が活躍する舞台をつくるのが上司の仕事』であり、それができない社員は管理職からは外れてもらうというメッセージを示しました。・・・部下のマネジメントが向かない人は、無理に管理職にならず、プレーヤーとして才能と情熱を解き放つ仕事ができればよいと私たちは考えています。[p.158]」「社員が1on1を経験したら、今度は1on1を継続するための施策を実施する必要があります。・・・そのために行ったのは1on1を上手くするための研修です。[p.159]」「ヤフーではシャドーコーチングというトレーニング方法も取り入れています。・・・一人が上司役、もう一人が部下役を務め、上司役と部下役それぞれの後ろにシャドーがつきます。シャドーは上司役、部下役それぞれの聞き方、話し方を観察する役割です。残りの一人は、この対話全体のオブザーバーを努めます。・・・これら5つの役割を順に交代しながらセッションを繰り返す[p.160]」。「効果を各自が把握できるように取り入れたのが1on1チェックというアセスメントの仕組みです。これは、部下の側に、自分が受けた1on1を点数化してもらい、それを上司にアセスメント結果として返します。[p.160-162]」「社内コーチの要請も同時に行ってきました。[p.163]」

第5章、ヤフーが人財開発企業を目指す理由
・「多くの会社において、人事制度は『仕事はお金を稼ぐ手段であり、苦役である』という前提でつくられているのではないかと思います。その結果、評価制度も『会社の利益に貢献した社員に、多く報いる』という論理で設計されているのではないでしょうか。その論理は、『会社への貢献度を正確に測ることができる』という前提に基づいています。しかし、完璧な評価制度はありません。そのため社員としては、本質的に会社の利益に貢献するよりも、評価制度上の評価ポイントを効率的に稼ぐことを意識せざるをえないというのが現実でしょう。[p.199]」
・「組織と個人との関わり方は、長い期間にわたって揺れ続けてきたように感じられます。バブル崩壊の後、リストラに代表されるような、人がコストとのみ見なされるような経営手法が定着し、年功序列、終身雇用という日本的経営慣行が崩れつつあります。・・・一方でインターネットの普及によって、情報環境が一変しました。・・・ITの世界は、・・・成果と努力が相関しない世界と言われています。一人の天才が多額の利益を得るという構造は、モーレツ社員と揶揄された過去の日本のビジネス構造とは大きく異なります。[p.202]」
・「組織と働く個人の関係性を見直し、お互いがパートナーとして適切な関係を保ち、その結果として、社員の利益と会社の利益が、最大化するような仕組みをつくることを理想と考えました。その考えをカタチにしたのが『人財開発企業』というスローガンです。[p.203]」「『人材』ではなく『人財』という言葉を当てて、会社が社員を大切に考えている。社員は財(たから)であると表明しています。次に、『開発』ですが、本当は『発達支援』という言葉を私は使いたかった。[p.204]」
・「目標管理制度(MBO)に代表される人事評価制度は、1990年以降、日本企業のスタンダードであったと思います。しかしMBOによって、強く動機づけられた社員の話を不思議と聞きません。・・・これまでの人事評価の仕組みは、・・・誰かに必要とされ、自らの才能を伸ばしているという感覚や実感を軽視していたと思います。[p.208-209]」
・「組織が与えた仕事をするのではなく、自らが才能と情熱を解き放つ仕事を選ぶ方が、会社にとっても本人にとっても合理的である。会社の言う通りにやっていれば雇用も賃金も保証する、という時代ではない。企業は社員に『キャリア自律』をうながす必要に迫られている。[p.230]」

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本書で紹介されている1on1という手法は、著者も「確かに時間を食うし、まどろっこしい[p.219]」と認めているものですが、それを補ってあまりある効果が期待できるように思います。特に、決められたことだけをやればすむ仕事ではなく、創造性の発揮が求められる仕事においては、指揮命令とは異なる上下関係が必要で、さらに、個性や個人の考え方に応じてその能力や創造性を引き出すことも必要なのではないでしょうか。特に創造性を発揮すべき研究部隊にとっては、1on1は非常に魅力的に思われます。

もちろん、研究開発においては、知識の蓄積は極めて重要ですので、キャリアの最初のうちは本書に言う「ティーチング」の必要性は高いとは思います。しかし、身につけた知識を応用して新しいことに挑戦する段階ではティーチング以外の手法も必要になるのではないでしょうか。例えば、ティーチングや情報共有は全体のミーティングで行い、個別の育成は1on1を活用するなど、本書の手法を基本とした工夫の余地もあるように思います。研究部隊に適した1on1の仕組みも考えられれば、この手法の有効性はさらに高まるような気がしますがどうでしょうか。


文献1:本間浩輔、「ヤフーの1on1(ワンオンワン)――部下を成長させるコミュニケーションの技法」、ダイヤモンド社、2017.

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