研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2019年01月

自然実験の意義(ダイアモンド、ロビンソン著、「歴史は実験できるのか」より)

研究開発に実験はつきものです。技術者にとっては、思ったアイデアが期待どおりにうまくいくかを確かめるために実験を行うことが多いわけですが、これは広い意味では自らが抱いている仮説を検証するための行為ということになりますので、真理追究のための学問的な研究で行われていることと本質は同じです。また、仮説検証だけではなく、何らかの洞察を得るために実験する場合、つまり、何が起こるかわからないので試してみるということもあるでしょう。そんな実験を行う場合、通常は、欲しい情報が得られるような実験系を組むことになります。よくあるやり方は、注目する因子以外の外乱をなくすような条件を設定し、注目していることがどういう結果をもたらすかが明らかになるような実験を計画します。このような実験は世の中の現象や真理を理解するための強力な方法ではありますが、現実には、効果的な実験系を組むことができない場合も多いということが一つの問題と言えるでしょう。

では、実験が難しい課題についてはどういう手段があるのでしょうか。今回は、やはり実験の難しい世界である歴史の研究において用いられる「自然実験」の意義について、ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン著「歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。著者は次のように述べています。「研究室の制御された環境で反復される実験においては、変化する要素を実験者が直接コントロールする。こうした形の実験はしばしば科学的方法の典型とみなされ、物理学や分子生物学の実験を行なう際には、事実上これが唯一の方法として採用されている。原因と結果の連鎖を解き明かすうえで、このアプローチが比類なく強力であることは間違いない。その事実に惑わされた実験科学者が、操作的実験の不可能な科学分野を見下してしまうほどだ。しかし、ここに残酷な現実がある。科学として広く認められている多くの分野において、操作的実験は不可能なのだ。まず、過去に関わる科学においては例外なく不可能である。進化生物学、古生物学、易学、地史学、天文学のいずれも、過去を操ることはできない。つぎに、鳥の群、恐竜、天然痘、氷河、ほかの惑星などを対象とする研究で採用される方法は、今日では道徳心の欠如や違法性を非難される機会が多い。鳥を殺すのも、氷河を溶かすのも許される行為ではない。・・・いま紹介したような歴史関連の学問では、自然実験あるいは比較研究法と呼ばれる方法がしばしば効果を発揮している。このアプローチでは、異なったシステム同士が――できれば統計分析を交えながら量的に――比較される。この場合、システム同士は多くの点で似ているが、一部の要因に関しては違いが顕著で、その違いがおよぼす影響が研究対象となる。[p.7-8]」本書では、著者の言う自然実験を活用した歴史研究の例が紹介され、最後に比較研究法を用いて自然実験を行なう際に共通する方法論的な問題が議論されています。以下、本書の構成に沿って内容をご紹介したいと思いますが、歴史的な個々の研究の内容はごく簡単な紹介とさせていただいて(なかなか興味深い研究が多いので、ご興味のあるかたは本書をご参照ください)、ここでは、制御された実験を行なう上で、さらにはマネジメントの研究を考える上でも参考になると思われる自然実験に関する議論を中心にまとめたいと思います。

第1章、ポリネシアの島々を文化実験する(パトリック・V・カーチ)
・共通の祖先を持つポリネシア人が環境の異なる島々に住み着き、どのようなことが起きたかについて、マンガイア島、マルケサス諸島、ハワイ諸島の事例が比較され、資源制約や人口密度の影響によって異なる政治形態や文化が形成されたことが明らかにされています。

第2章、アメリカ西部はなぜ移民が増えたのか――19世紀植民地の成長の三段階(ジェイムズ・ベリッチ)
・19世紀に発達した7つのフロンティア(アメリカ、「ブリティッシュウェスト(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ)」、アルゼンチン、シベリアを比較、様々な異なる点があるものの、「すべてにおいて同じ3つのステップから成るサイクル」すなわち「まず人口が爆発的に増加すると流入してくる商品や資本の正味額が増え、つぎに深刻な『不況』で経済の成功率が一気に減少して企業が相次いで倒産・・・そのあとは地域外への製品の移出が盛んになり、遠方の大都市に主要産物を大量に供給することで新たな経済が創造される[p.14-15]」ということが見出されることが述べられています。

第3章、銀行制度はいかにして成立したか――アメリカ・ブラジル・メキシコからのエビデンス(スティーブン・ヘイバー)
・新世界の3つの国(いずれも独立国家となったとき銀行制度が存在していなかったアメリカ、ブラジル、メキシコ)でどのような銀行制度ができどう発達したかを研究し、「銀行家と官僚は連携関係を結び、規制の多い構造の銀行制度を作り上げるが、官僚には政府の財源確保、銀行家には利益確保という動機が強く働いている[p.124]」ことなどの示唆を得ています。

第4章、ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたか――島の中と島と島の間の比較(ジャレド・ダイアモンド)
・カリブ海のイスパニョーラ島を東西に分割するハイチ(西側)とドミニカ(東側)について、両国の経済力の違いをもたらした要因を分析、植民地時代の宗主国の違いが生んだ奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などの違いが影響していることを見出しています。
・太平洋の69の島々の回帰分析による解析からは、樹木の成長速度に影響する環境要因の違いにより、森林破壊の程度が異なるという結論が得られています。

第5章、奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか(ネイサン・ナン)
・1400年から1900年にかけてアフリカの様々な地域から連れ去られた奴隷についての研究から、「特に多くの奴隷が連れ去られた地域は、今日のアフリカで最も貧しい地域であること[p.183]」を明らかにし、「大きくて安定した共同体や国家の編成が奴隷貿易によって妨げられた結果、今日のアフリカ諸国の民族の多様性が高く[p.181]」なり、「民族的多様性が高いほど教育やインフラや金融の発展のレベルは低く、政治は不安定になる[p.179]」傾向を指摘しています。

第6章、イギリスのインド統治はなにを残したか――制度を比較分析する(アビジット・バナジー+ラクシュミ・アイヤー)
・イギリス植民地時代の支配制度の違いを調査した結果、地主が地税を徴収した地域では、現在に至るまで学校、電気、道路への投資が低い傾向が見出されています。

第7章、フランス革命の拡大と自然実験――アンシャンレジームから資本主義へ(ダロン・アセモグル+ダビデ・カントーニ+サイモン・ジョンソン+ジェイムズ・A・ロビンソン)
・ドイツにおいて、ナポレオン時代にフランスに占領されたことによる影響を比較検証。ナポレオン戦争の時代にフランスに占領されその後プロイセンに譲渡された地域において、フランスによる制度上の改革が維持発展させられたことにより経済が発展し、都市化が進行したと考えられるとしています。

あとがき――人類史における比較研究法(ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン)
・「あとがきでは、・・・人類史において比較研究法を用いて自然実験を行う際に共通する方法論的な問題について取り上げる。[p.20]」
・「自然実験には明らかな落とし穴が数多く含まれる。たとえば、『実験者』が測定対象として考えていなかった要因に、実験結果が影響されているリスクは否定できない。あるいは、真の説明要因が測定対象の要因ではなく、相関関係がある別の要因である可能性も考えられる。これらの難題は自然実験にとって現実問題だが、自然実験だけが例外というわけではない。研究室で操作的実験を行う際にも、比較を伴わないナラティブな記述を作成する際にも同様の困難はつきまとう。[p.8-9
・「自然実験の分類というと、攪乱(perturbation)と初期条件のどちらが異なるかに基づいた分類を思い浮かべる人もいるだろう。・・・自然実験のなかには、攪乱のバリエーションの結果として異なった結果が生じるタイプがある。この場合、初期条件の違い・・・は結果にとってそれほど重要ではない。・・・もうひとつのタイプの自然実験では、攪乱はどのケースでも変わらないが、主に初期条件の違いによって異なる結果が導き出される。[p.254-255]」
・「攪乱の影響を受けている社会や場所と、そうでない社会や場所を比べる比較研究においては、攪乱を加える特定の場所がいかに『選択されるか』が必然的に問題として浮上する。研究室の実験でいわゆる実験対象の試験管と対照群の試験管を比較する際には、実験者が加えるなんらかの攪乱(ひとつの化学物質を一方には加え、もう一方には加えないなど)を除けば、どちらも同じ状態である。この場合、実験対象の試験管と対照群の試験管の選択に関して、実験者はまったく無作為に決断する。・・・したがって比較史学者は常に、以下の現実的な疑問を問いかけなければならない。攪乱が加えられた場所は、研究対象の結果とは無関係な理由で選ばれたのだろうか(すなわち、結果に関して『無作為』だったのか)。[p.258-259]」
・「自然実験で異なった結果が観察される際には、それが本当に『実験者』の指摘する攪乱や初期条件のタイプの違いによって引き起こされたのか、それとも何かほかの違いによって引き起こされたのかという問題が常につきまとう。解釈をあやまるリスクは、研究室のコントロールされた環境で行われる実験でも発生する。[p.262]」
・「統計相関は原因やメカニズムの表れなのだろうか。もちろん、そうではない。原因やメカニズムを証明するためには、少なくとも3つの段階が必要で、そのすべてが方法論全般にとっての問題になっている。先ず、逆の因果関係の問題について考えなければならない。ABに相関関係がある場合、予想とは違ってABの原因ではなく、BAの原因である可能性は考えられる。この問題にアプローチするに際には、しばしば時間的関係に注目する。最も単純なケースでは、ABの前に変化したか、あるいはその逆だったのかを確認する。ちなみに、原因と結果の方向性を解明するためには、グレンジャーの因果性と呼ばれる統計的手法がよく使われる[p.263]」。「二番目に、いわゆる欠落変数バイアスを考慮しなければならない。すなわち、『実験者』によって攪乱の原因として確認された変数が、実際には関連性のある複数の要素による変化の一部であり、実験では注目されなかった何らかの変数が結果を引き起こした可能性が考えられる。[p.264]」「三番目に、ABを引き起こしたことを裏付ける確実な証拠が手に入ったとしても、ABを引き起こしたメカニズムを解明するためには、さらなる証拠が必要とされる場合が多い。[p.264]」「統計分析においても、過度にシンプルな説明と過度に複雑な説明のあいだの妥協点を探る作業は欠かせない。[p.265]」
・「社会科学の研究が直面する現実的な困難の多くは、幸せなど、曖昧で測定しにくいけれども重要な概念の『操作化』〔概念を定量的に測定可能な変数として定義すること〕に伴って発生する。測定可能であると同時に、曖昧な概念の本質をおおむね把握・反映している何らかの要素を確認しなければならない。[p.267]」
・「ケーススタディとシンセシス、あるいは記述と論理的説明の緊張関係は、学問分野ごとに異なった形で展開する。物理学や化学ではこの緊張関係が最小限にとどまり、どちらもお互いに相手を必要としていることを理論家も実験者も当然の事実として受け止めている。[p.270]」「歴史の比較そのものは、あらゆる疑問に回答を提供するわけではないが、ひとつのケーススタディだけからは不可能な洞察を得ることができる。[p.272]」
---

自然実験という呼び名を使うかどうかは別として、経営学においてもこの考え方は重要でしょう。どんな制度や手法を用いれば研究開発を成功に導けるのかを知りたければ、成功例のケーススタディだけでなく、いろいろな場合を比較して、成功に導く要因を推定することが求められるでしょう。もちろん、歴史学と同様、解析に必要な条件を決め、サンプルを抽出することは容易なことではないかもしれませんが、このような手法を用いて考え、因果関係を推定してみることは極めて重要なことなのではないかと思います。イノベーションのケーススタディでは、特定のイノベーター(例えば、スティーブ・ジョブズのような)が成功の要因であるかのように取り上げられることがありますが、それに対して本書の自然実験の事例では、個人の名前がほとんど出てこないことは非常に興味深いことだと思います。特定の個人がイノベーションを成功に導いたのが事実だとしても、その個人のどんな行動、どんな考え方が有効だったのか、というような視点で一般化するために比較を行うことは、実務家にとって有用なことなのではないでしょうか。

もう一点、自然実験は、いわゆる科学の研究においても使える場面があることもあらためて認識しておくべきだと思います。研究者の仕事は、検討対象の不確実性を減らすことだと言えると思いますが、それを言い換えると、不確実性を減らして真実に近づくための手法を使いこなせることがよい研究者の条件だとも言えるのではないでしょうか。自然実験を行う際の注意点が制御された実験にもあてはまることに注意を払うのはもちろんのこと、自然実験の手法が役立つケースがあれば、積極的に活用することも求められているのだと思います。


文献1:Jared Diamond, James A. Robinson2010、ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン著、小坂恵理訳、「歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史」、慶応義塾大学出版会、2018.
原著表題:Natural Experiments of History


「イノベーションの核心」(三藤利雄著)より

イノベーションはどのようにして起こるのか。イノベーションの進展にはどのようなパターンがあるのか。どのような場合にどんなパターンになるのか。こうしたことを知ることができれば、イノベーションをどう進めればよいかを考える際の貴重なヒントになるでしょう。イノベーションを必ず成功に導く処方箋のようなものがあるとは思いませんが、イノベーションプロセスの特定の場面や特定の条件下でこんなことが起こりやすい、というようなパターンは確かに存在すると思います。

そこで、今回はこうしたイノベーションのプロセスに関する過去の重要な知見を解説した、三藤利雄著「イノベーションの核心」[文献1]の内容をご紹介したいと思います。著者は、「イノベーションが出現した後に生起する一連の動的なプロセスのことをノベーション・ダイナミクスと定義[p.3]」し、「本書は、・・・イノベーション・ダイナミクスに関わる代表的な理論を解説するとともに、各理論のその後の展開について検証することにより、これらの理論の可能性と限界について述べることとしています。それによって、イノベーションに関わる確かな知識を得たうえで、信念をもってイノベーション活動を実践したいと考えているビジネスパーソンの手引書たらんことを目指しています。[p.1]」としたうえで、「イノベーション・ダイナミクスの代表的な理論として、本書はイノベーション普及論、ドミナント・デザイン論、そして破壊的イノベーション理論を取り上げます。いずれも、イノベーション研究分野の代表的な理論で、何十年もの間の厳しい批判に耐えてきた、強靱な理論体系です。[p.1-2]」と述べています。これらの理論については、実務家でも概要はご存じの方も多いでしょうし、その有用性も広く認識されているのではないかと思いますが、学会での議論や各理論の発展の経緯などまではなかなかフォローが難しいと思います。改めてこの理論を振り返り、再評価する意味でも有意義な議論が多くなされていると感じましたので、以下に本書の構成に沿って重要と感じた点をまとめておきたいと思います。

第1部、イノベーション普及論――製品等の採用者側からイノベーションの普及過程を分析した古典理論――
・「第1部では、イノベーションが社会システムに普及する動的過程について、ロジャーズを中心として発展してきたイノベーション普及論を参考にしながら考えてみます。[p.14]」
第1章、イノベーション普及論の体系――何故人々は優れたイノベーションを一斉に採用しないのか――
(筆者注:ロジャーズの普及論については本ブログ別記事でまとめていますので、ここではその内容と重複する本書の解説はかなり省略させていただいています。詳細は上記記事をご参照ください。)
・「ロジャーズがイノベーション普及論を世に問うたのは1962年のことです。[p.15]」「ロジャーズによると、イノベーションの普及過程は『あるコミュニケーションチャンネルを介して、時間の経過のなかで、社会システムの成員の間に、イノベーションがコミュニケートされる過程』です。[p.16]」
・「普及論では、イノベーションは『イノベーションを採用する個々人が新しいと知覚するアイデア、習慣あるいはもの』と定義されます。[p.16]」
・「普及論では、個々人は典型的には次の5つの段階を経てイノベーションを採用するものとしています。[p.21]:知識、説得、決定、導入、確認。
・「社会システムの成員の中には新しいものが現れると直ぐに飛びつく人もいれば、新しいものにはほとんど興味を示さない人もいます[p.27]」。普及論での区分:イノベーター、初期採用者、初期多数派、後期多数派、ラガード。「これはあくまでも特定のイノベーションに対応した分類です。どんなイノベーションに対しても、この人はイノベーター、あの人は後期採用者だと主張しているわけではありません。[p.28]」また、イノベーターはイノベーションの創出者のことではありません。
・普及速度に影響するイノベーションの属性:相対的優位性、両立可能性、複雑性、試行可能性、観察可能性。[p.32-33]「ロジャーズを始めとする普及論研究者が調査を行った20世紀後半と違い、今ではネットが社会の隅々まで普及していて、我々が接することのできる情報量は遙かに多くなっています。こうしたことを考慮に入れると、これら5つの指標でいいのか若干疑問のあるところです。[p.35]」
・「ロジャーズの普及論は、インフルエンザが人から人へと感染するように、イノベーションが人と人とのコミュニケーションを通じて伝わっていくことを想定しています。これは、普及曲線として時間軸に沿った釣鐘型の分布を仮定していることからもわかります。これを感染モデルと呼びます。[p.38]」他の普及モデルとしては、閾値モデル(「何人かが一定の行動を起こすと、その集団内のある人がそれに同調した行動をとる場合[p.39]」)、構造同等モデル(「自身と社会経済的そのた全般におおよそ同等の人がそのイノベーションを採用していると、その人もそのイノベーションを採用するようになる[p.40]」、割れ窓理論、弱い絆の強さ、バズマーケティングなどがある。

第2章、イノベーション普及論の展開――イノベーションの普及過程分析からマーケティング戦略への転換――
・普及論の展開として著者は、マーケティングにおけるバスモデルと、ムーアによるキャズムを取り上げています。
・「バスモデルとは、家電など耐久消費財の販売数量の時系列推移を分析するモデルで、1969年にマーケティング研究者であるバスが提案したものです。・・・イノベーターは、マスコミュニケーションつまりマスメディアチャンネルなど外部からの情報だけに頼って、イノベーションの採用ないし購入を判断する人たちのこと・・・これに対してイミテーターは、対人コミュニケーションチャンネルつまりクチコミなど知り合いからの情報に従って、イノベーションの採用ないし購入を判断する人たちのことです。[p.41-42]」
・「ICTなどのハイテクイノベーションが主要市場に浸透するためには、是非とも越えなくてはならない深い溝があるとマーケティング・コンサルタントのムーアは主張しています。・・・1990年代のことで、彼はこの深い溝のことをキャズムと名付けました。・・・ムーアはビジョナリーという採用者カテゴリーに言及しています。これはロジャーズの普及論でいうところの初期採用者を言い換えたものです。[p.43]」「ロジャーズは第5版『イノベーションの普及』(2003)のなかで、・・・ムーアの主張するキャズムが存在する実証的な根拠は何もないと、これを素っ気なく否定しています。[p.44]」「ムーアは・・・巧妙に普及論を活用していますが、重要な点で普及論を『越えて』います。それは、製品の変化や改良を明確な形で『技術採用のライフサイクルモデル』のなかに組み込んでいることです。[p.44]」「市場のボリュームゾーンを構成する実利主義者・・・に当該製品が採用されるためには、彼らから見た費用対効果比つまりコスパが十分に高く良好でなければなりません。キャズムは洞察者と実利主義者の間に横たわる深い溝のことなのです。ムーアは、実利主義者はIT関連のハイテク製品では一定程度の技術的な知識を持つ一方、価格に敏感に反応すると説明しています。彼らのニーズを満たすためには、一段の価格の低減と性能の向上が必要になります。・・・実利主義者の支持を得ることができれば、当該イノベーションに基づく新製品はキャズムを乗り越えることができます。・・・ムーアの場合、キャズムの適用をICTなどのハイテク製品に限定していることがミソです。[p.45]」「ハイテク製品は、そのライフサイクルにわたって、明確に進化を遂げ、変化します。つまり、イノベーションの変化を考慮に入れていないロジャーズの普及モデルでは想定することのできない現象だったのです。[p.45-46]」
・ロジャーズ普及論の限界:「ロジャーズの提案するイノベーション普及モデルは、シーズの発見やニーズの把握に始まり、研究開発を経て製品が開発され、その製品が市場に投入されて、社会システムに普及し、遂に日常化して社会に定着するに至ることを想定しています。このモデルは一方向的つまり直線(リニア)的な進行を前提としていますので、リニアモデルと呼ばれています。[p.52]」「しかし、実際のイノベーション普及過程はリニアモデルで説明できるほど単純ではありません。[p.53]」「第二は一連の普及過程においてイノベーションに関わる製品の変化が組み込まれていないことです。・・・リニアモデルは、研究開発と普及は別個に進行すると過程していますので、原則として普及過程が進行している間にイノベーションを具現化した製品やサービスが変化することを想定していません。[p.54]」「第三は、ロジャーズ普及論の原点はハイブリッドコーンという単一の製品に関わる技術的なイノベーションの普及過程にあることです。[p.55]」「関連要素の数が多くなると・・・要素間の関係が多岐にわたることになり・・・製品単体のイノベーションの普及と比べて、より複雑な挙動を示すことになります。[p.56]」「最近のイノベーション研究は制度論と結びついて産業政策や科学・技術・イノベーション政策を論じることがしばしばあります。イノベーション普及論はこの点でやや不十分だと思います。[p.57]」「高速大容量かつ地球規模の多様なメディアを介した個々人および諸組織間の情報ネットワークが形成されるに至っています。コミュニケーションチャンネルが限定的であった時代は、ある程度時間をかけてイノベーションが普及していましたが、現在では普及現象が爆発的に起こる可能性が高まっています。[p.58]」

第2部、ドミナント・デザイン論――製品進化の視点から組織と戦略の変化を捉えたイノベーション理論の定番――
・「この概念を最初に提唱した一人、アバーナシーは『生産性のジレンマ』(1978)の中で『市場シェアの大宗を獲得することによって、競合がそれを模倣せざるをえないほどの製品のデザイン』のことをドミナント・デザインと呼んでいます。[p.64]」
第3章、ドミナント・デザイン論の体系――何故市場に広く浸透している製品はどれも似通っているのか――
・「新製品の登場後暫くの間は、市場がどの程度の規模になるのか、どの市場セグメントの顧客をターゲットとすべきか、あるいは顧客や消費者は新製品に対してどのような機能や性能を好むのか、といったことが皆目わかりません。一方、当該製品の生産者にとっては、どのような技術が利用可能なのか、どのような技術開発が必要なのか、そもそも必要とされる技術開発能力が自社に備わっているのか、などについておよそ見当のつかない状態が続きます。一言でいえば、この時期は製品に関わる技術と市場は、ともに不確実性がきわめて高い状況下にあるのです。この間、・・・関係各社はさまざまな新製品を市場に投入してきます。・・・この段階で重視されるのは製品の機能や性能です。[p.66]」「新製品が市場に受け入れられ、時間の経過に伴って市場に浸透していきますと、消費者のニーズがはっきりしてきます。・・・技術と市場に関わる不確実性が減少してきます。そのような状況の中で、やがて当該製品分野を律するドミナント・デザインが出現し、これに従ってデザインされた製品が市場において優勢になります。ドミナント・デザインが出現すると、比較的ラジカルな製品イノベーションの発生頻度は低下する一方で、既存製品の改良を図る漸進的な製品イノベーションや、生産工程に改善を加える工程イノベーションの発生頻度が高くなります。・・・市場にドミナント・デザインが出現すると、多くの場合、規模の経済が作用するようになってきます。規模の経済が作用することにより、大量生産に長けている比較的規模の大きな企業が次第に優勢になる一方、非効率な運営に留まる企業は振い落され、ドミナント・デザインが出現するまで増加傾向にあった企業数は減少し始めます。[p.67]」「アバーナシーとアッターバックは、ある製品カテゴリーにドミナント・デザインが出現する過程のあらましを以上のように描写しています。[p.68]」
・「アバーナシー(1978)は、新製品が登場した後のイノベーションの進化プロセスを流動期、遷移期、および特殊期に区分しています。・・・製品が市場に現れた初期の段階を流動期と呼ぶ。この時期には比較的ラジカルな製品イノベーションの発生頻度が高く、工程イノベーションの発生頻度は低い。・・・ドミナント・デザインの出現に伴って、遷移期に移行する。徐々に行程イノベーションと漸進的な製品イノベーションの発生頻度が増加する反面、ラジカルな製品イノベーションの発生頻度は減少する。・・・時間の経過とともに、製品および行程イノベーションの発生頻度はともに減少に向かう。[p.69-70]」
・「脱成熟化とは、ある製品カテゴリーにおいて流動期が再び出現することであり、アバーナシーとクラーク(1985)は、脱成熟化が生まれる条件として、新技術の登場、消費者の需要変化、そして政府の政策変更の三つを挙げています。[p.78]」
・「ドミナント・デザイン論は経営学とりわけイノベーション・マネジメントや技術経営の研究者の間に広く浸透している考え方です。[p.79]」

第4章、ドミナント・デザイン論の展開――イノベーションのライフサイクル分析から企業の生き残り戦略へ――
・「多くの研究が行われてきましたが、・・・おおよそ次のように整理できます。必ずしも科学的ないし技術的に最先端のものがドミナント・デザインになるわけではない。②ドミナント・デザインは技術決定論に従うのではなく、市場のなかで利害関係者の相互作用のなかで形成される。・・・③ドミナント・デザインは最適解ではなく、大多数の利害関係者にとっての満足解である。・・・ドミナント・デザインは利害関係者間の妥協の産物として出現するとみえるのです。第二は・・・きわめて戦略的な産物だということです。[p.85]」
・「ドミナント・デザインが出現しやすい製品は、有形の、比較的構造や仕組みが複雑で、製造工程に工夫が必要な、最終消費者向けの『もの』ということになるでしょう。[p.86]」

第5章、破壊的イノベーション理論の体系――何故優れた企業が敗退することがあるのか――
(筆者注:破壊的イノベーションについての筆者見解による要約は本ブログ別記事にまとめていますので、そちらもご参照ください。)
・「破壊的イノベーション理論の本質は、イノベーション活動に基づいて開発された製品等に関わる性能向上の軌跡の勾配つまり傾きは顧客ニーズの変化を示す軌跡の勾配よりも大きいところにあります。[p.110]」
・「既存の持続的イノベーションの軌跡を外れて、非連続的にそれとは別の軌跡をたどるイノベーションのことを破壊的イノベーションと呼びます。[p.111]」
・「社会的に大きな変化をもたらすイノベーションはラジカルないし根元的イノベーションと呼ばれます。これの対極にあるのがインクレメンタルないし漸進的イノベーションで、改良的な技術に基づくイノベーションであるとともに社会への影響も少ないものを指します。[p.119]」
・「破壊的イノベーション理論の本質は、破壊的イノベーションに依拠する製品等と持続的イノベーションに依拠する製品等に、市場を分断することにあるのです。・・・その意味で、『破壊的』というのは、いかにも誤解を生みやすい訳語で、『分断的』と呼ぶべきだと主張する研究者もいます。・・・破壊的イノベーションは、根元的な技術に基づくイノベーションの場合もあれば、漸進的な技術に基づくイノベーションの場合もあります。[p.121]」
・「破壊的イノベーション理論の基本的なメカニズムは、端的には次のように説明することができます。①支配的企業は、既存の顧客ニーズを満たすことにより高収益を確保するために、持続的イノベーション活動に基づいて開発された製品等を市場に供給する。②一方、新興企業は、破壊的イノベーション活動に基づいて開発された製品等を市場に供給する。③新興企業の提供する製品等は、既存企業の製品等に比べて主流市場が重視する性能の面では劣位にあるが、安価かつ簡便である(ローエンド型破壊)か、あるいは別の性能が重視される新市場(新市場型破壊)をターゲットとして出現する。④時間が経過するにつれて、破壊的イノベーション活動に基づいて開発された製品等の性能が向上するとともに、以前よりも多くの顧客のニーズを満たすようになる。このようにして、徐々に持続的イノベーションに基づく従来製品の市場を侵食していく・・・⑤破壊的イノベーション活動に基づいて開発された製品等が、持続的イノベーション活動に基づいて開発された製品等をハイエンドのマイナーな市場に追いやり、あるいは駆逐する。その結果、破壊的イノベーションを擁する新興企業が、持続的イノベーションを擁する既存企業に代わり、次代の支配的な存在になる。[p.122-123]」

第6章、破壊的イノベーション理論の展開――手に汗握る白熱の攻防とその先にあるもの――
この章では、破壊的イノベーションに対する2004年のダニールズによる批判、2006年の「製品イノベーション管理(JPIM)」特集号紙上での論争、2014年のレポーによる批判と、それに対するクリステンセンの反論の内容が紹介されています。個人的には以下の指摘が興味深く感じました。
・「クリステンセンとその賛同者の多くは事例研究を重視する一方、批判派は命題を証明するには統計学的な計量分析が必要であり、事例研究のみでは十分でないことを示唆しています。その結果、破壊的イノベーション理論はいいとこ取りだという批判が特に主流派のマーケティングや経営学研究者の間から聞こえてきます。[p.154]」
・「わが国では、クリステンセンの提唱する破壊的イノベーション理論は実務家や専門家のみならず研究者の間でも絶対的な支持を集めているようです。しかし、少なくとも米国の研究者の間では、絶大な支持を集め、広く受容されているわけではありません。[p.155]」
・「破壊理論に関する前提条件がすべて成立するならば、クリステンセンたちが主張する破壊現象が生じるのは理にかなっています。[p.166]」「破壊理論は一見したところ複雑で、しかも逆説的な言説を内包しています。しかし、既存の理論に裏打ちされた説得力のある体系です。・・・破壊理論のどこが問題なのでしょうか。はなはだ逆説的ですが、確固たる理論と明晰な論理によって構築された総合的な理論体系であるがゆえに、どこに中核的な概念があるのかが曖昧になっているところに課題を抱えているようにみえます。[p.169]」「破壊的イノベーション理論の提唱以来20年余りが経過した今、いいとこ取りとかトートロジー(同語反復)などと批判されず、予測精度が高いと評価されるためには、課題を整理したうえで、一層の理論的かつ実証的な解明を行うことが必要です。[p.170]」

第7章、破壊的イノベーションの事例――太陽光発電技術に関わるシステムの形成過程――
・「イノベーション活動が活発に行われて、多くのイノベーションが創出されるためには、適切な制度と、企業によるイノベーション活動、そして科学・技術知識の蓄積や技術開発に関わる体制が整備されていることが不可欠です。[p.171]」
・「2000年代前半まで、日本の主要な企業は太陽光発電パネルの市場シェアにおいて世界のトップの座を確保していましたが、その後急速にシェアを落とすことになります。・・・日本の既存企業が製造した高品質の製品は、中国企業を始めとする新興企業による低品質だが低価格の製品に圧倒されることになってしまいました。・・・端的に言えば、破壊的イノベーションの出現が日本の太陽電池製造に関わる既存大手企業の市場シェアを奪うことになったのです。[p.183]」「日本企業は持続的イノベーションに固執するあまり、既存の日本国以内の顧客を重視して高性能化を追求した結果、中国等の新興企業による安価な太陽電池システムの出現を前に劣位に立たざるをえなかったのです。[p.184]」
・「端的に言えば、わが国のイノベーションに関わるシステムは、持続的イノベーションに関わる活動を促進する一方で、破壊的イノベーションの発生を阻害するものなのです。[p.194]」

終章、イノベーションが生まれやすい社会へ――人々の、人々による、人々のためのイノベーション――
・「企業へのオープン・イノベーション活動の浸透は、イノベーター層のすそ野の拡大を意味します。というのは、オープン・イノベーション活動のもとで、企業内の研究者や技術者は自らの研究活動や技術開発に専念するばかりでなく、これを企業のイノベーション活動に結びつける必要性が生じてくるからです。この結果、研究者や技術者はこれまで以上にイノベーション活動に巻き込まれるところとなり、この中から新たなイノベーターが生まれてくる可能性が高まっていると考えられます。[p.202]」「いまや、イノベーターは特別な存在ではありません。技術者はもちろんのこと、科学者、デザイナー、アーティストなど、イノベーターのすそ野はこれまでよりも格段に広がっているのです。・・・これからの時代、多様な人材の存在を許容する企業文化の構築が望まれます。[p.203]」
・「ディスラプターとは、製品やサービスに関わる市場において破壊的イノベーション活動を推進するイノベーターのことです。強いて訳語を当てるとすれば、(市場)分断者と言うことになるでしょう。ディスラプターを破壊者と言ってしまうと、間違いなく誤解のタネをまくことになります。ディスラプターは既存の市場を破壊するわけではなく、既存の製品やサービスに対抗して市場を分断するイノベーターだからです。[p.203]」「どのような社会でも、ディスラプターは一部の稀有な存在に留まるでしょう。それだからこそ、イノベーションに関わる日本のシステムを刷新するために、ディスラプターが声を上げることが必要なのです。[p.206]」「ディスラプターの要諦は何でしょうか。それは、強靱な知識があるとともに、胆力があることだと思います。[p.207]」
・「国主導による人材育成制度の導入は、見るものと見られるもの、監督するものと監督されるものの乖離という非対称な構造を温存することになりかねません。破壊的イノベーションが生まれるのに適した環境を用意することが望まれます。個々人の自由な発想と活動を前提にしない限り、持続的イノベーションはともかく、破壊的イノベーションの生まれやすい国を創ることはできないのです。[p.209]」
---

イノベーション・ダイナミクスについての理解は、特に、どんな製品やサービスの実現を目指すかを考える上で重要だと思います。本書で取り上げられた、普及論、ドミナント・デザイン、破壊的イノベーションはいずれも重要で有用な考え方だと思いますが、個人的には普及論と破壊的イノベーションの考え方が重要だと思っています。というのは、この両者には、技術者が見落としがちな、あるいは、技術者にとって意外な視点が多いと思われるからです。普及論は、開発者の観点ではなく採用者の観点からイノベーションの動きを議論しており、これは技術者にとって忘れてしまいがちな視点です。また破壊的イノベーションは、技術の向上速度と顧客ニーズの向上速度の違いと、破壊的イノベーションに対する既存企業の判断が問題になる点、これも技術者には見過ごされがちな視点です。これに対して、ドミナント・デザインで論じられている動きは、技術者にとっては他の2者よりは自然な動きに近く、想像しやすいものであるという気がします。もちろん、ドミナント・デザイン論も重要な考え方であることは認識しておくべきですが、実務家にとって意識的に注意を向ける必要があるのはやはり普及論と破壊的イノベーション論ではないかという気がします。

本書ではこれらのダイナミクスが、経営学的に正当かどうか、という議論もなされていますが、実務家にとっては、厳密に真実だと証明されることよりも、そこそこの数の事例を矛盾なく説明でき、どんな場合には確からしそうかがわかれば十分なのではないかとも思います。理論は、判断の根拠となる「真実」であることはもちろん重要だとは思いますが、行動するための作業仮説としての意味もあるのではないでしょうか。おそらく実務家の皆さんは、それぞれの理論がどの程度確からしいと思われるかを基準に、その理論をどう使うかを決めているように思います。イノベーションの理論に関する本書のような批判的な論考は、それぞれの理論をどう使うかを考える上で非常に参考になると感じましたがいかがでしょうか。


文献1:三藤利雄、「イノベーションの核心 ビジネス理論はどこまで『使える』か」、ナカニシヤ出版、2018.


「フィードバック入門」(中原淳著)より

人材育成はマネジャーの重要な仕事のひとつですが、研究開発において人材育成はどうあるべきでしょうか。もちろん、研究開発課題は様々ですので、人材育成などには力を入れず外部から必要な人材やノウハウを持ってくれば十分、という場合もあるかもしれません。しかし、継続的な技術的基盤に頼る既存事業を持つ場合や、長期的な研究開発を行う場合には、世代を越えて技術を引き継ぎ過去の蓄積の上に新たな発展を築いていかなければならないこともあるでしょう。さらに、研究開発をうまく進める企業文化の維持が必要とされる場合もあるでしょう。組織の望むような方向に人材を育成していくことは、結局多くの場合で重要なことなのではないでしょうか。

人材育成の手法として最近注目されるようになってきた方法に「フィードバック」があるようです。そこで今回は、中原淳著「フィードバック入門」[文献1]の中から、そのポイントをまとめてみたいと思います。

はじめに
・「本書は、日々の仕事に追われ、部下育成が後回しになってしまっているというマネジャーの方々に向けて、効果の高い部下育成法である『フィードバック』の技術を一から説明した本です。[p.3]」
・「『フィードバック』は、あまたある部下育成手法の中で最も重要なものにもかかわらず、日本ではあまりこれまで注目されてこなかったものだと思います。フィードバックとは端的に言ってしまえば、『耳の痛いことを部下にしっかりと伝え、彼らの成長を立て直すこと』です。[p.4]」
・「私が、なぜ今、フィードバックについて筆をとり、一冊の書籍を編まなければならないと思いたったのか。・・・ここでは5つの理由を述べさせていただきましょう。まず第一の理由は、企業の現場において、フィードバックのニーズが非常に高まっているからです。・・・最近、『部下育成が上手くいかない』『経験の浅い部下がなかなか育たない』といった声を、あちこちの企業で聞くようになりました。・・・第二の理由としては、『年上の部下』に代表される、職場の多様な人材に悩まされているマネジャーが増えているということが挙げられています。・・・外国人人材、雇用形態の多様な人々など、『職場の多様性』は広がり続けています。・・・第三の理由は、ハラスメントに対する意識が職場で過剰に高まったことが挙げられます。・・・ハラスメントに対する意識が強まり、世の中がフィードバック不足になっています。・・・第四の理由は、2000年代に広まったコーチングなどの『気づき』を重視する部下育成手法の普及によって、言うべきことをしっかり言うという文化がおざなりになってしまったことです。・・・第五の理由は、近年、外資系の企業を中心に、目標管理制度の運用を見直すところが増えてきていることです。[p.6-9
・「フィードバックに関する研究は非常に古い歴史があります。・・・それらの成果をきちんと紹介したビジネス書や一般書が日本には存在しませんでした。[p.10]」
・「人間の行動は、ひずみやバイアスがかかっています。その中で、まっすぐの方向に進んでいくには、自分に関するさまざまな情報を受けながら、すなわちフィードバックをしっかりと受容しながら、それを元に、自分を立て直していかなければなりません。いつかは自律して、自分で自分を律さなければならないにしても、・・・成長するためには、正しく進んでいるかどうかを誰かにチェックしてもらい、指摘してもらうこと、つまりフィードバックが欠かせません。[p.12-13

第1章、なぜ、あなたの部下は育ってくれないのか
・「この20年間で日本企業の職場環境は激変しました。かつては、職場で長く仕事をしていれば、とりわけ意図的に会社が人材開発を行わなくても『人が育った環境』が、急速に失われてしまったのです。[p.26]」「当時の職場には・・・『部下が育つ』諸条件が一通りそろっていたからです。その条件とは、『長期雇用』『年功序列』『タイトな職場関係』の三つです。[p.29]」「第一に『長期雇用』だと、すぐに結果が出なくても、長い目で見てもらえます。[p.31]」「第二に、『年功序列』の会社では、定年までの道筋が一定なので、・・・今、何をすべきかが明確にわかりますから、正しい方向で努力できます。第三に、『タイトな職場関係』だと、上司や先輩が部下と職場で長い時間を一緒に過ごすので、上司や先輩の仕事ぶりをじっくりと観察できます。反対に、上司や先輩社員も、若手社員のことを長時間見ていたので、特に意識しなくても、改善すべき点を的確に指摘できました。・・・当時の部課長には時間的にも精神的にも余裕があったと述べる実務家も少なくありません。[p.32]」
・「90年代から・・・いわゆる『組織のフラット化』が進められてきました。[p.33]」「階層が減れば、当然、中間管理職の数は少なくなります。その結果、一人の中間管理職が抱える部下の数が増え・・・ました。[p.34]」「一人のマネジャーが管理できる部下の数には限界があり、それを超えて過剰な人数を管理しようとするとパフォーマンスが下がってしまうという研究群があります。『スパン・オフ・コントロール(Span of control)』という古典的な研究です。この研究群の知見によれば、『同じ目標を共有する5~7人の部下を直接管理することが一人の上司の限界』とされています。[p.34]」「組織がフラット化したことで、今の中間管理職はマネジャーとしての仕事をする準備期間がないまま昇進してしまっています。『マネジャーになる』ということが突然起こるので、これを私は『突然化』と呼んでいます。[p.36-37]」
・「くわえて、企業によっては、マネジャーの『若年化』も進んでいます。[p.38]」「さらにマネジャーの変化はこれだけにとどまりません。中でも最も大きな変化は『二重化』つまり『マネジャーである中間管理職も、プレーヤーとして成果を求められるようになったこと』でしょう。[p.39]」「しかし、一般社員と同じ業務量をこなしていれば、それだけで時間はあっという間に過ぎていきます。これでは、部下とじっくり向き合って育成することができないのも無理はありません。[p.41]」
・「コーチングにはさまざまな流派があり、またさまざまな定義があります。が、コーチングを最も簡潔に要約してしまえば『他者の目的達成を支援する技術』です。それは、育成する相手に『現状』と『めざすべきゴール』のギャップを、第三者からの『問いかけ』によって意識化させ、振り返り(リフレクション/内省)を促し、『今後、何を為していくべきか』の行動指針や行動計画をともにつくっていく技術です。[p.62]」「コーチングが導入される前の『管理職による現場での部下指導』といえば・・・『ティーチング』の傾向が強かった[p.62-63]」。「部下育成には、ティーチングが必要な局面も、コーチングが必要な局面も存在するのです。それは『ケースバイケース』なのです。[p.67]」「コーチングのような『相手本位』の手法を取り入れるということ自体は、間違っていません。・・・しかし、・・・ときには、ティーチングのように、こちらの意図や意見をしっかりと伝達することも必要です。・・・一方、『一方的に情報を伝達すること』だけを行っても人は育ちません。しっかりと相手に必要な情報を伝達したあとには、彼らに問いを投げかけ、『考えさせること』が必要ですし、自分の仕事のあり方を『振り返らせること』が必要です。要するにコーチング的な要素も必要なのです。この十年の迷走を踏まえ、私たちは今一度この『二極化した思考』を改める必要があります。[p.69]」「かくして注目されているのが、これら二つを大きく包含する概念であるフィードバックです。[p.70]」
・「フィードバックに関する定義は、・・・本書では、次の二つの要素から成立するものであると考えます。・・・1,【情報通知】たとえ耳の痛いことであっても、部下のパフォーマンス等に対して情報や結果をちゃんと通知すること(現状を把握し、向き合うことの支援)、2,【立て直し】部下が自己のパフォーマンス等を認識し、自らの業務や行動を振り返り、今後の行動計画をたてる支援を行うこと(振り返りと、アクションプランづくりの支援)[p.70]」

第2章、部下育成を支える基礎理論 フィードバックの技術 基本編
・「部下育成の基礎理論・原理原則とは何でしょうか。・・・私が管理職の方々にお伝えしたいものは、二つだけです。それは『経験軸』と『ピープル軸』です。[p.76-77]」
・「『経験軸』とは、『部下を育成するためには、実際のリアルな現場での業務経験が最も重要である』という考え方です。・・・実は、30年ほど前まで、人材開発の世界では、研修や教育プログラムの研究や評価が非常に盛んでした。・・・それが20年ほど前に見直され、やはり『業務経験こそが最も大きな成長の資源である』という考え方が広まってきました。[p.77]」「どんな業務経験を与えれば、着実に成長できるのか。正解は、コンフォートゾーンとパニックゾーンの中間に位置する『ストレッチゾーン(挑戦空間)』の心理状態になるような仕事を与えることです。ストレッチゾーンとは、適度にチャレンジや背伸びをしているときの心理状態のことです。できるかできないか多少の不安はあるけれど、それよりも成長している実感や、新たな仕事を遂行できるワクワク感の方が勝っている心理状態です。[p.82]」
・「ピープル軸とは、・・・『人が業務の中で成長するのは、職場の人たちから、さまざまな関わりを得られたときである』という考え方です。[p.84]」「筆者の研究によれば、職場で人が育つためには、三つの他者からの支援が必要であることがわかりました。大きく分けて『業務支援』『内省支援』『精神支援』の三つです。・・・『業務支援』とは、相手が持っていない専門知識やスキル、情報などを教えることや助言することです。・・・『内省支援』は、客観的な意見を通知したり、俯瞰的な視点や新たな視点を提供して、本人の気づきを促す支援のあり方です。[p.85]」「『精神支援』は、励ましたり、褒めたりすることで、部下の自己効力感や自尊心を高めることです。[p.86]」
・「私たちは、部下にストレッチを含む経験を提供し、結果に関する情報通知や振り返りを促し、彼らの自律をサポートしていかなくてはなりません。フィードバックを通じて、成長に資する資源を部下に提供しなくてはならないのです。[p.92]」
・「フィードバックを実際に行うには、どんなことを意識すればいいのでしょうか。結論から示せば、【事前】・・・情報収集【フィードバック】①信頼感の確保、②事実通知:鏡のように情報を通知する、③問題行動の腹落とし:対話を通して現状と目標のギャップを意識化させる、④振り返り支援:振り返りによる真因探求、未来の行動計画づくり、⑤期待通知:自己効力感を高めて、コミットさせる→【事後】・・・フォローアップ[p.93]」
・「フィードバックは、・・・事前準備が最も大切・・・なぜなら、相手に刺さるようなフィードバックをするためには『できるだけ具体的に相手の問題行動の事実を指摘すること』が必要だからです。[p.95]」「必要になるデータとして、『SBI情報』を準備しておくのがよい・・・シチュエーション(どのような状況で、どんな状況のときに)、ビヘイビア(部下のどんな振る舞い・行動が)、インパクト(周囲やその仕事に対して、どんな影響をもたらしたのか。何がダメだったのか)、この3点を具体的に伝えることで、初めて、相手はあなたの言いたいことを理解してくれます。[p.96-97]」「成績不振やミスなどの原因は、自分ではわからないものです。それを突き止める手助けをすることは、フィードバックをするときには必須といえます。[p.98]」「SBIを具体的に伝えるためには、常日頃から、部下の行動を観察し、SBI情報を収集することが必要です。その上で欠かせないのが『1on1』(ワン・オン・ワン)、すなわち一対一で行う『上司-部下』の面談です。[p.100]」
・①信頼感の確保:「フィードバック面談のオープニングでは、まず、部下の『心理的安全』や『信頼感』を確保することが求められます。[p.106]」「まずは相手の成長を願い、相手の意志をリスペクト(尊敬)する態度から始めましょう。どんなに厳しいことを言うにしても、そうしたものがベースにならなければ、人は行動を変えません。[p.107]」
・②事実通知:「大切なことは、このセッションの『目的』を最初にストレートに述べてしまうことと、『一緒に話し合っていこう』『一緒に改善策を考えよう』と述べることです。[p.108]」「次にいよいよ収集したSBI情報を提示していきます。ここで最も重要なのは、収集した相手の問題行動を、いわば『鏡』にように相手の目の前に映しだし、客観的かつ正確に事実を通知していくことです。[p.109]」「フィードバック研究の中には、・・・効果のあるフィードバックが『ポジかネガか』で研究者のあいだに論争があります。しかし、両者の決着はまったくついていません。[p.110]」「フィードバック後に、変に褒める人がいますが、これは逆効果であることの方が多いことが実践知としても知られています。[p.111]」
③問題行動の腹落とし:「こちらが思っていることを、額面通り、そのまま受け取る人はそういません。[p.113]」「上司と部下の考えていることや思っていることが違うということを『前提』として、相互の理解が一致する段階まで、時間をかけて『対話』を行うことが求められます。[p.114]」「重要なのは、今の現状が、めざすべき目標と相当かけ離れていることを、しっかり認識してもらうことです。[p.115]」
・④振り返り支援:「次のステップとして行われるのが、・・・未来の新たな行動計画や目標をつくりだしていくことです・・・こうした上司の行動のことを『振り返り支援』といいます。・・・ポイントは、部下が自らの姿を客観的に見られるように、部下自身に自分の過去・現在の状況を『言葉にさせること』です。[p.116]」「具体的には次の3つのポイントについて話してもらうように、導いていきます。それは『(1)What?(何が起こったのか?)』『(2)So what?(それは、なぜなのか?)』『(3)Now what?(これからどうするのか?)』の3つです。[p.118]」
・⑤期待通知:「第一のポイントは、上司がしっかりと期待を伝えることです。[p.121]」「上司の指導の局面では、『やればできる』という感覚(自己効力感)をいかに高めるかが最大のポイントになります。そして上司は『もしあなたが本当に立ち上がろうとする』ならば、最大限支援をすると約束することが重要になります。第二のポイントは『再発予防(Relapse prevention)』をすることです。・・・『問題が再発することを前提』にして、その『予防策』を事前にたてさせるということです。[p.122]」
・【事後】フォローアップ:「フィードバックは一度きりで終わることは希です。・・・人を変えるためには、このように『手間暇』をかけ、かつ、『あの手この手』を尽くさなければなりません。[p.124]」

第3章、フィードバックの技術 実践編
・5つのチェックポイント:「相手としっかり向き合っているか?」「ロジカルに事実を通知できているか?」「部下の反応を見ることができているか?」「部下の立て直しをサポートできているか?」「再発予防策を立てているか?」[p.131
・フィードバックのコツ:①「フィードバック前にはかならず『脳内予行演習』[p.142]」、②「フィードバックの内容も記録する[p.144]」、③「耳の痛いことを言った後で無駄に褒めない[p.145]」、④「フィードバックは『即時』と『移行期』にこそ行う[p.147]」(「仕事における役割が変わることを人材開発の用語で『トランジション(Transition:移行期)』といいます。このトランジションがあった直後というのは精神的に不安定になる一方、外からの声を受け入れて変わりやすいときでもあります。[p.148]」)、⑤「フィードバックで沈黙されたときには時空間を変える[p.149]」、⑥「フィードバックがもたらす強烈なストレスと向き合うには?[p.150]」(万全の体調で臨む、中堅の部下を活用して担当数を減らすなど)、⑦「『嫌われるのも仕方がない』という覚悟を持とう[p.152]」、⑧「どうしてもフィードバックが難しいときもある[p.155]」(「部下が自分を変えようとしないならば、いわば『外科的手術』しか方法はありません。・・・フィードバックは、配置転換、降格、退出などの血生臭い人事施策とセットで考えるのが『鉄則』です。[p.156-157]」、

第4章、タイプ&シチュエーション別フィードバックQ&A
・「すぐに激昂してしまう『逆ギレ』タイプこちらから具体的に改善策を聞く、何を言っても黙り込む『お地蔵さん』タイプこちらも負けじと黙り込む、上から目線で返される『逆フィードバック』タイプ『もし君が上司だったら~』と仮定法で意見を求める、言い訳ばかりしてくる『とは言いますけどね』タイプどんどんしゃべらせて、矛盾をあぶり出す、『根拠なきポジティブ』タイプ/すぐに『大丈夫です!』タイプなんとかなると思う理由を具体的に聞く、別の話題にすり替える『現実逃避』タイプ根気よく話を元にもどして、何度でも同じことを述べる、上司のおまえが間違っている!『思い込み』タイプ部下の日頃の行動を元に具体的に指摘する、なんでも他人のせいにする『傍観者タイプ』『傍観者に見えるよ』とそのまま指摘する、都合よく解釈する『まるっとまるめちゃう』タイプ『私の言いたいことはそうではない』とはっきり言う、お膳立てしても挑戦しない『ノーリスク』タイプ『挑戦しなくてもいいけど、現状維持はできないよ。このままだとこうなるよ』と伝える、昔取った杵柄を振りかざす『元○○の神様』タイプ『立場上、私はこう言わざるを得ないのですが』と前置きしてから、率直に述べる、前評判と働きが違う『他では優秀』タイプ『郷に入れば郷に従え』とはっきり伝える[p.209

第5章、マネジャー自身も成長する! 自己フィードバック・トレーニング
・フィードバック力を上げる方法:「『自分のフィードバックを観察する』ことと『自分自身もフィードバックされる機会を持つ』[p.213]」
・「フィードバックを受ける機会をつくることは、・・・自分を成長させ続ける上でも非常に重要なことです。・・・あなたが自ら成長を願う仕事人でありたいと思うならば、『フィードバックを他者から与えられる存在』ではなく、『自らフィードバックを求めにいく人材』になりたいものです。[p.226]」

おわりに
・「この世には、ごくごく自然にフィードバックがなされる組織と、そうでない組織がある・・・学術研究の知見によると、フィードバックをするためには、組織が受け入れなければいけない3つのコストがある・・・。一つは、『エフォートコスト(Effort cost)』・・・耳の痛いことでもしっかり言ってくれる・・・貴重な人材を組織の中に確保するために、組織は一定のコストを支払う必要があります。第二のコストとして『フェイスコスト(Face cost)』の問題もあります。・・・フィードバックは・・・それなりの時間をかけて話し合わなければなりません。・・・実際に他者と対面するコストを積極的に払ってくれるかどうか・・・。第三のコストは。『インフファランスコスト(inference cost)』・・・時間的・精神的余裕がなければ、フィードバックを正しく受け止め、実行するのは困難です。[p.242-243]」
・「たとえば、超官僚主義的で、超多忙で、かつ隣り合って仕事をしている人に1ミリも興味・関心のないような組織では、もともとフィードバックは得られません。得られたとしても、じっくり話せるような時間はとれないでしょうし、解釈する余裕を持つこともなかなか難しいでしょう。・・・経営者や人事責任者は、・・・自らの組織を『フィードバックに満ちあふれた組織』にする責務があります。[p.244]」
---

冒頭にも述べたように、研究開発において、人材の育成は重要な課題だと思っています。であれば、ティーチング、コーチングとあわせてフィードバックもうまく活用していくことが求められるのは疑いのないところでしょう。ただ、研究開発の場合、フィードバックの基準となるべき目標自体が正しく妥当なものであるという保証がない場合がある点には注意が必要でしょう。組織の目標自体や上司の認識が間違っていることもありますし、頻繁に目標を変更しなければならない状況もあるでしょう。さらに、特定の方向に人材を育成していくという行為そのものが、個性を潰し、人材や考え方の多様性を失わせる方向に作用してしまうというリスクもあるかもしれません。

そうは言っても、うまく使えばフィードバックは人材育成の重要な手法であることは間違いのないところだと思います。さらに、フィードバックのための話し合いの場は、マネジャー自身や組織の方向性、人材育成の方向性に対するフィードバックの機会にもなりうる気がします。人材育成は人を変えていく行為だと考えられるでしょうが、これからの時代、人だけでなく、組織も変えていく必要があるかもしれません。また、変えていく方向自体、見直しが求められることもあると思います。そんなとき、フィードバックの基本である、情報通知と行動の立て直しという考え方は様々に応用が可能な手法、考え方になりうるのかもしれません。フィードバックという手法は、人間の理解の深まりに伴って発達してきたように思いますが、研究開発行為の理解の深まりに伴って、研究開発手法が試行の結果(情報通知)に基づいた戦略の修正、という方向に変わってきていることとの類似も感じます。人が関与する何かを変えるにはどうしたらよいか、ということにもつながる、広がりのある手法のようにも思いますがいかがでしょうか。


文献1:中原淳、「フィードバック入門 耳の痛いことを伝えて部下と職場を立て直す技術」、PHP研究所、2017.


研究開発実践のマネジメント第37回-研究成果を生かすために必要なイノベーション普及の考え方:研究開発マネジメントの実践と基礎知識2.5.1(「ノート」全面改訂)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)
第8回第17回
2.2
、研究開発を行う人のマネジメント第18第24回
2.3
、研究組織とそのマネジメント第25回第29回
2.4
、研究プロジェクトの運営第30回第36回

2.5
、研究成果を生かす
よい研究成果が得られたとしても、その成果を誰かに利用してもらわなければイノベーションが完成したことにはならないでしょう。もちろん、研究成果を得ることまでが研究部門の担当であり、それ以後は別の部署がその成果の活用、実用化、収益化を担当する、という体制もあり得るでしょう。しかし、そのような分業体制がうまく機能するのはある程度先の読める研究開発だけであって、不確実性の高い課題の場合は研究成果をどのように活用し、ビジネスモデルを組み上げ、顧客に使ってもらって収益を挙げるかまでを考えておかなければならない状況も増えてきているのではないでしょうか。そこで、この節では研究成果を活用するための方法を考えてみたいと思います。

2.5.1
、研究成果を使ってもらうには
学問的な研究は除き、企業における研究開発では研究の成果は、誰かに使ってもらって便益を提供することが前提となるでしょう。そして、その使用者から対価を得ることになります。しかし、研究成果が使われるようになるプロセスは単純ではないことが知られています。例えば、よい研究成果があったとしても、何もしないでそれがすぐに使われるようになるわけではありません。このような研究成果を実際に適用する際の問題については、「イノベーション普及学」と呼ばれる分野で検討され、新しい技術がどのように利用者に受け入れられるかについて、技術者にとっても示唆に富む多くの成果が得られています。その成果はRogersの著書[文献1]にまとめられていますので、その中で特に重要と思われる点について以下にまとめておきたいと思います。

1)
研究成果を使ってもらうためのポイント
Rogers
は次のように述べています。「イノベーションによる便益が火をみるより明らかであったとしても、普及と採用にあたっては、イノベーションの相対的優位性以上のものが必要なのである。[文献1、p.10-11]」では、普及を促進するためにはどういう点に注意が必要なのか。特に重要な点を挙げると以下のようになると思います。
・よい製品やサービスであれば自然に使用者に受け入れられ、採用されるようになる、ということはない。普及のための努力や仕組みが必要になるこをを想定しておく必要がある。
・使用者が新しいイノベーションを採用するプロセスや、そのプロセスに影響する因子を理解し、対応する必要がある。

2) Rogers
によるイノベーション普及学の要点
イノベーションが普及していくというプロセスは、従来のやり方を変えて新しいやりかたを導入するというプロセスであり、古くから人々が行ってきたことです。そのため、研究の蓄積も多く、研究成果もイノベーションの他の分野に比べて整理されており、その知見や示唆は今でも大きな価値を有しているように思われます。以下、Rogersによるイノベーション普及学のまとめの中から、特に重要と思われる点を整理しておきたいと思います。

イノベーションが普及する速度に影響する因子
Rogers
は、「個人によって知覚されるイノベーション特性がその普及速度を左右する」[文献1、p.49]と述べ、その特性として以下の5つを挙げています。
1、相対的優位性(そのイノベーションが既存のアイデアよりよいと知覚される度合い)
2、両立可能性(そのイノベーションが採用者の既存の価値観、過去の体験、必要性と相反しないと知覚される度合い)
3、複雑性(イノベーションを理解したり使用したりするのが困難であると知覚される度合い)
4、試行可能性(イノベーションを経験しうる度合い)
5、観察可能性(イノベーションの結果が採用者以外の人たちの目に触れる度合い)
これらのうち、複雑性は低い方が、その他の特性は高い方がイノベーションの採用速度が高くなるという調査結果があるようで、これは経験的にも妥当な結果のように思われます。えてして技術者は相対的優位性の向上にばかり着目しがちであることを考えると、それ以外の要因も考慮する必要があることにはまず注意が必要でしょう。さらに、「再発明」すなわち、イノベーションの採用と使用に際して利用者による変更が行なわれることが起きやすいほどイノベーションの採用速度は高まり、持続可能性(継続的に使用される度合い)も高まること[文献1、p.103,107]、また、予防的イノベーションすなわち将来の欲せざる出来事の発生確率を減じるためのイノベーションは、そうでないイノベーションに比べて採用速度が遅いことも指摘されています[文献1p.94]

ユーザーがイノベーションを受け入れるプロセス
Rogers
は、「イノベーションに対する個人の意思決定は瞬時に生じる行為ではない」[文献1、p.84]と述べ、その過程には次の5つの段階があるとしています。
1、知識(イノベーションの存在を知り、機能を理解する)
2、説得(そのイノベーションに対する好意的ないし非好意的態度の形成)
3、決定(イノベーションを採用するか否かの選択)
4、導入(イノベーションの使用)
5、確認(すでに行なった決定の補強)
知識段階には、個人の特性やコミュニケーション行動が影響を与えると言われていますが、特に注意すべきポイントとしては、「選択的エクスポージャー(人は関心事、ニーズ、それまでの態度に合致するアイデアに触れたがる傾向があり、自らの性向と相容れないメッセージを意識的ないし無意識的に回避する)」、「選択的知覚(人のそれまでの態度や信念などの観点からコミュニケーションメッセージを解釈する傾向)」という傾向があり、その結果、「われわれはこれまで出会ったことのないアイデアに対して、それほど容易には好意的な考えをもつことができない」とされています[文献1、p.87]。また、イノベーションに関する知識としては、ハウツー知識(イノベーションを活用するのに必要な知識)、原理的な知識(働きの根底にある原理的な知識)が重要であって、これらが不十分だと、採用拒否や中断、誤用が起こりやすいと言われています[文献1、p.89-90]
説得段階については、上述のイノベーションの知覚特性が影響を与えますが、知識段階での精神的な活動は主として認知(知ること)に関わるものであるのに対して、説得段階での思考形式は感情(感じ)に関わるもの[文献1p.92]であって、人は新しいアイデアの機能に対して確信を持てないので、他の人を通してイノベーションに対する自身の態度を強化するため、自身の考えが同僚の見解から外れていないかどうかを知りたがったり、イノベーション評価情報(科学的な評価や、同僚の評価)を求めたりするといわれます。この説得段階とそれにつづく決定段階ではイノベーションの試行が行なわれることがあり、試行可能性とその効果は重要になると考えられています。
導入、確認段階では、イノベーションの実行を通じてイノベーション採用を決定したことの強化が行なわれます。その結果が不十分であればそのイノベーションの継続的採用は難しくなりますので、もし、完成したイノベーションに期待外れの結果が出ているとすれば、それへの対応を取る必要があることになるでしょう。

採用者カテゴリー
イノベーションに対する受け入れ方が個人によって異なることはよく知られています。Rogersは採用者カテゴリーという概念で個々人の革新性に基づいて社会システムの成員の区分を行なっています[文献1、p.213-253]。ここで、革新性とは、個人(や採用単位)が他の成員よりも相対的に早く新しいアイデアを採用する度合いのことを指し、採用者カテゴリーは、あるアイデアの採用時期とその採用者数が正規分布することに基づいて、以下のように分けられています。

イノベータ:平均採用時期よりも2σ以上早期に採用したグループ。冒険的。
初期採用者:平均採用時期よりも1~2σ早期のグループ。「同僚から尊敬されていて、新しいアイデアを上手にしかも思慮深く利用する体現者的な存在[文献1、p.233]」であって、尊敬の対象となる。
初期多数派:平均より早く1σまでのグループ。慎重派。
後期多数派:平均より遅く1σまでのグループ。懐疑派。
ラガード:平均より1σ以上遅いグループ。因習派。

このように採用者カテゴリーは、採用時期に正規分布があることに基づいていますので、累積採用者数と採用時期の関係をとれば(正規分布曲線を積分した)S次型の普及曲線が得られることになります。

この採用者カテゴリーは、イノベーションが普及していく過程を理解するのに有効な概念ではありますが、いくつかの注意点があります。例えば、Rogersは「S次型曲線は成功したイノベーションの場合のみにあてはまり、イノベーションは社会システムのなかのほとんどすべての潜在的採用者に浸透する。」[文献1、p.223]と述べています。実際には「ほとんどのイノベーションは成功しない。社会システムの小数の人に採用された後、そのイノベーションは結局のところ拒絶されて採用率は横ばいになり、採用の中断が生じて、採用率も急降下するのである。[文献1、p.223-224]」ということになります。従って、類似する技術の間での栄枯盛衰を説明するには不適切な面もあると思われます。また、採用時期には、個人の革新性の他にも、個人がイノベーションの情報に接するタイミングのバラツキも含まれているとされています。さらに、イノベーションを採用する必要性が高いのに、経済的な理由で採用が遅れる場合があることも指摘されています。ただ、このような革新性の違いを想定することは、イノベーションを採用しやすい人、しにくい人の傾向を考える上で有用で、例えば種々の研究によると、「初期の採用者は後期の採用者よりも一般に一層高い社会経済的な地位を持つ・・・初期の採用者は感情移入が高く、独善的ではなく、抽象概念に対処する能力が高く、合理的であり、知性的であり、変化に対して好意的な態度をもっており、不確実性やリスクに対処する能力があり、科学に対して好意的な態度をもっており、それほど運命論者ではなく自身を有効に働かせる能力をもっており、学校教育、より高い地位、職業などに対する向上心が高い[文献1、p.252-253]」ことが知られています。

また、こうした傾向を利用して、実践的な示唆もなされています。例えば、社会の大多数への普及を目指す場合、重要視すべきは「イノベータ」ではなく「初期採用者」とされる点は興味深く思われます。これは、新しいアイデアを積極的に受け入れる「イノベータ」は、その社会の中では異質な存在と受け取られることが多く、その他の多数派とは必ずしも十分なコミュニケーションがとれていなかったり、多数派の規範となるような人物ではなかったりする傾向があるとされ、社会から尊敬され、役割モデルとなりうる「初期採用者」こそが普及において重要な役割を担うと考えられています。このことは、最初にイノベーションを適用する対象者を決める上で重要な知見でしょう。また、革新性と年齢の間には相関が認められない、という調査結果はイノベーションの普及のみならず個人の個性を理解する上でも重要な点であると考えられます。

組織へのイノベーションの普及
個人におけるイノベーションの普及に対して、組織への普及については若干異なる視点が必要なようです。Rogersは「組織においては、何人もの人々がイノベーション決定過程に関与しており、導入者と意思決定者は異なることが多い。また、組織に安定と連続性をもたらしている組織構造が、イノベーションの導入を妨げることがある」と述べています[文献1、p.102]。組織におけるイノベーション過程は、大きく2つの段階、すなわち開始段階(情報収集、概念形成から採用決定まで)と、導入段階(決定されたイノベーションが実用に供するのに関わるすべての活動)に分けられ、開始段階におけるニーズの認識と問題解決のためのイノベーションの選択については、個人におけるイノベーションの適用と類似していると考えられますが、導入決定以後の過程は若干異なり、組織におけるイノベーションでは、導入決定後、「再定義・再構築」すなわち、イノベーションの修正とイノベーションに順応するよう組織構造が変化し、「明確化」すなわち、イノベーションの意味が組織の成員にとって明らかになる段階を経て、「日常業務化」されていくとされます。日常業務化された後は、組織成員のイノベーション設計、議論、導入への参加の度合いが大きいほど、イノベーションの持続可能性は高まるといわれています。組織におけるイノベーションの採用決定段階において、組織成員の間に合意が形成される場合(集合的なイノベーション決定)と、採用の選択が強制力、地位、あるいは専門知識を有する少数の人によってなされる場合(権限に基づくイノベーション決定)では、成員の参加の度合いが異なり、集合的なイノベーション決定の方が持続可能性が高くなるといわれています。組織の特性によるこの過程の進み方の違いに関しては、複雑さ(組織成員の知識や専門能力の高さの度合い)が高いほど、情報収集、概念形成といった開始段階は早まるが、導入への合意形成が妨げられることがあり、集中化(権力や統制が比較的少数の個々人に集中している度合い)および公式化(規則や手続きに従うことを重要視する度合い)が高いほど、開始段階が遅くなるがひとたびイノベーションの採用が決定すると導入が促進される、という傾向を持つと言われています。[文献1、p.385-425]

普及を促す仕組み
イノベーション普及を図る役割を担う人は「チェンジ・エージェント」と呼ばれます。開発を行なった研究者がそうした役割を担ったり、その補助を行なったりする場合があるでしょうが、研究者やチェンジ・エージェントは採用者にとっては外部の人間であるため、コミュニケーション上の問題が発生する可能性があることには注意が必要でしょう。一般には、コミュニケーションは同類性の高い人の間で効果的になる[文献1、p.359]と言われますが、新しい技術を持っているという点で、研究者や技術者は採用者とは異類的な側面を持つため、コミュニケーションがうまくいかない可能性があります。さらに、採用者からの信頼を得られるかどうかの問題もあります。情報の受け手にとって、情報源となる人物に対して持つ信頼には2種類、すなわち能力信頼性(情報源の人物が知的で熟達していると知覚される度合い)と無難信頼性(情報源が信頼しうると知覚される度合い)があるとされますので、技術的能力が高いことだけでは信頼を得ることができない可能性にも注意が必要でしょう。理想的なチェンジ・エージェントの場合、この2つの信頼性が均衡している[文献1、p.363]とされますので、研究者が採用者にアプローチする場合にはこうした点を認識しておくことも必要でしょう。

イノベーション普及を考える意義
ここでご紹介したイノベーション普及に関する知見はRogersがまとめている内容のごく一部ですが、それだけでもイノベーションのプロセスを考える上で、大きな意義を持つものだと思います。企業の研究開発においては、普及されてこそイノベーションが完成するわけですので、実用的にもこのような知見はイノベーションプロセスにの基礎として重要なのではないでしょうか。また、この分野では、知見にデータの裏付けがあることも魅力のひとつではないかと思います。時代とともに、普及プロセスに影響する因子も変化するでしょうし、こうした知見に関連した考え方や手法も種々提案されていますので、こうした基礎を理解した上で、新たなアイデアを評価し活用していくことが求められるでしょう。


文献1:Rogers, Everett M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.


ブレークスルーアイデアに命を吹き込む(「Bring Your Breakthrough Ideas to Life」、Bouquet、Barsoux、Wade著HBR2018, November-Decemberより)

イノベーションがどのようにして起こるかの理解が進むとともに、イノベーションをうまく進めるための具体的手法についても様々な提案がなされるようになってきました。近年注目を集めているリーン・スタートアップやデザイン思考などはそうした手法の例として挙げられるでしょうが、単なる一時的な流行以上の実績と評価を得ているように思われます。しかし、この手法に従えば誰でも、どんなアイデアでもうまくいく、というものではないでしょう。不確実性の高いプロジェクトに対しては、取り組む課題や状況にあわせて様々なことに注意を払いながら進めることは必要不可欠のことのように思います。

では、具体的にはどのような点に注意を払えばよいのでしょうか。今回取り上げるBouquetBarsouxWade著の論文「Bring Your Breakthrough Ideas to Life」[文献1]では、著者らが調査してきたイノベーション、ブレークスルーアイデアの発展においてよく見られるパターンに基づく5つのフレームワークが提案され、注意点が解説されています。イノベーションを進める上で参考になる点が多いと感じましたので、特に実践家にも役立ちそうな内容を中心に以下にまとめてみたいと思います。

ブレークスルーイノベーションのとらえにくさ
・「既存のイノベーションのフレームワークについて起業家や経営者と話をすると、彼らの批判は重なり合う3つの問題に集中する。第一は、モデルが非現実的だということ:例えば、まだまだ影響力のある、ウォーターフォールやステージゲートのアプローチは過剰にリニアで、必要な活動の間で常に必要な行ったり来たりするプロセスがほとんど考慮されていない。・・・第二には、モデルが未完成であること:イノベーションにおけるデジタル技術の側面や、デザイン思考で重視される「人間中心」の原理とどう関わるかが取り込まれていない。行動と素早い繰り返し(リーン・スタートアップ手法の柱である)を重視すると、WhartonAdam Grantがいう戦略的先延ばし(strategic procrastination)すなわち熟考の時間の確保が過小評価されてしまう。第三には、モデルが誤解を生むこと:創造性の制約となりうる落とし穴やバイアスのうわべを飾って覆い隠してしまう。ユーザーに極度にフォーカスすることで、他のステークホルダーの役割や、新しい価値提案を作り展開する助けとなる工夫の必要性を極小化してしまう。経営者は、独創的なイノベーションを工夫するためにはパラダイムを壊したりマインドセットを変えたりしなければならないことがわかっているのに、価値を提供する段になると変わりばえのしない考え方に陥ってしまうことがある。」
・「我々のフレームワークは、デザイン思考、リーン・スタートアップ、ビジネスモデルキャンバスといったイノベーション戦略を補完するものだ。本当のブレークスルーの開発に不可避の複雑さをより深く、そしてその活動は予測不可能でリニアでない形で互いに関係し合っていることを認める。我々のフレームワークの要素はユニークなものではないが、全体として、機会の認識における熟考の役割の重要性と最終的に市場に提供する際に必要な組織的な再発明のレベルも含んだイノベーションプロセスの全体像と現実を捉えたものだ。」

・「以下に5つの要素を示す。」

注意(Attention):新鮮なレンズを通して見よ
・「注意(Attention)とは、対象となるコンテクストのダイナミクスと潜在的なニーズを理解するために、コンテクストに密接に焦点を当てる行為だ。問題は、しぱしば専門性が邪魔をし、無意識のうちに人々の注意を無視して過激な洞察に導いてしまうことだ。フランス語でdéformation professionnelleと呼ばれるこの傾向は、仕事や訓練に影響された歪んだレンズで真実を観察してしまうことを指す(筆者注:専門偏向という訳語があるようです)。このバイアスに対抗するには、あなたの注意がどんな見方に影響されているか、結果として何を見逃しうるかを考えてみることだ。」
・「あなたの先入観を脇に置くことで、あなたは人々が言うことや人々の行動についての鋭い観察者になることができる。この変化すなわち、あなたがどのように注意を向けるかだけでなく、今まで考慮していなかったニッチな人々も含めて誰に注意を向けるかは、思いもよらない問題点を明らかにしてくれることがある。」
・「デジタル技術は、今までよりもはるかに大規模に行動の追跡を可能にし、暗黙のニーズを検知する補完的な方法を提供してくれる。」「また、サイバースペースはユーザーコミュニティでのエキスパートユーザーを特定する役にも立つ。」「企業は、デジタル技術を活用してトレンドセッターと直接やり取りしたり、ユーザーフォーラムやブログをのぞき見してニーズの変化のヒントを得ることもできる。」「もちろん、デジタル技術は直接観察にとってかわることはできない。しかし、生み出された洞察の数と種類を拡げることができる。」

大局観(Perspective):理解を深めるために距離を置け
・「状況やニーズや課題についての洞察を集めるためにズームインしたら、あなたが見たままの事象を受け入れて問題解決に突き進むのを促すようなフレーミングと行動のバイアスと戦って大局観を得るために一歩下がる必要がある。学んだことを処理するために、距離を置こう:活動変えたり、戦略的な休憩を取るのだ。・・・この考え方は日本の「間」の思想、すなわち、成長と悟りのためにはスペースが必要だという考え方に反映されている。」
・「デジタルツールは、自動化によって時間に余裕を作り、一休みして弱いシグナルを理解するための余力を増やす「間」を作る役に立つ。

想像(Imagination):予想外の組み合わせを探せ
・「真に創造的なアイデアを生むためには、想像力を解放し、権威に挑戦し、ないものを思い描く必要がある。しかし『機能的固着(functional fixedness)』は、創造的に考えたり、慣れ親しんだものや概念の別の使い方を思いついたりすることの制約になる。この障害を克服するには、『なぜそうしないのか?(Why not?)』とか『もししたらどうなるか?(What if?)』のような抑制されていない質問をする必要がある。」「想像力を発揮させるために、組織は『もし今やっていることをやめたらどうなるか?』という質問をしてもよい。これは今の活動を放棄する意図からである必要はなく、既存の強みと新しい機会のつながりを思い描くためにだ。」
・「想像力は神秘的でわかりにくいものと見られているが、多くは予期せぬ組み合わせの問題にすぎない。最も基本的なものは、ある分野での基本的な解決法を別の分野に適用する可能性だ。」「外部の人は、内部の人よりも容易に異なる考え方を結びつける。」「研究によれば、距離が新しいアイデアを発想する助けになることが証明されている。」
・「組織は、多様な知識ベースと視点を持つ人々を一緒にすることで、このような結合を生もうとする。テクノロジーは専門家の知恵を、彼らのネットワークの外に注ぐことができるようにする。」「さらにデジタル革命は業界の境界をあいまいにし、予期せぬ組み合わせを促進する。ある分野で日常的に集められたデータは、関係ない分野の役に立ち、用いられていない資産の新しい活用の道を開く可能性がある。」

実験(Experimentation):より賢く、早くテストせよ
・「実験は、有望なアイデアを現実のニーズに対応する実行可能なソリューションに変えるプロセスだ。その大きなリスクは、一度テストを開始すると、確証バイアスとサンクコストの誤謬が、有益なフィードバックへの反応を鈍くしてしまうことだ。成功するイノベーターは、速く、安く学ぶための実験をデザインし、急激な方向転換も受け入れる。証明するためではなく改善するためにテストをするのだ。リーン・スタートアップの手法でも、そのアプローチの中心に学習を置いている。この目的は確かに重要であるものの、このモデルの主唱者はスピードも重視するため、しばしば葛藤が生じる。作って計測して学ぶ(build-measure-learn)という熱狂的なアプローチは『満足できる程度(good enough)』のプロダクト・マーケットフィットで手を打つことを組織に促してしまい、より野心的なソリューションを失わせることにつながってしまう。」「代わりに、早期にかつ頻繁に、他者が見て、触って、相互作用できるようにあなたのアイデアを外部に出そう。」「否定的な反応は肯定的な反応と同様に価値があり、多額の失敗を避ける上で重要なものだ。」「プロトタイプに過大な投資をしないようにしよう。」
・「デジタルツールはシミュレーションの大きな助けになる。」「デジタル技術の進歩は、実際に失敗とは違うトライアルにより究極のゴールに近づくための助けともなる。」

誘導(Navigation):撃ち落とされないように操縦せよ
・「アイデアを実現させるためには、それを実現あるいは破壊する可能性のある力を調整する必要がある。しかし、アイデアに対する信念と、状況について熟知していると思いこむことは、支援者を動員し、障害を避けるために必要な努力を過小評価することにつながってしまうかもしれない。組織の免疫システムを含む敵対的な環境を敏感に読み取って何回もの説得にも対応しなければならない。提供するものと同様、ビジネスモデルを形作る上でも独創的な考え方は不可欠だ。」
・「あなたが持っている熱意は、それが他者に与える脅威を見えなくしてしまうかもしれない。あなたが検知する範囲――信頼している人からのインプットのみ――で開発した製品は、疑いを持っている人との最初の接触を生き残れないかもしれない。」「組織の集団としてのDNAに評価されるようなやり方で破壊的なイノベーションを提示することも非常に重要だ。」
・「内部での同意と、ユーザーの興味を確実なものにできたとしても、あなたとあなたが奉仕したい人との間にあるエコシステムの全体を忘れてはいけない。」「うまく誘導するということは、妨害を予測することだけの問題ではない。従来になかったような協力者からのサポートをえることも重要だ。」
・「デジタル技術は、新たな協力の機会をも提供する。」

柔軟な順序(A Flexible Sequence
・「便宜上、ここでは我々のフレームワークを一種のプロセスとして提示した。しかし、実際には、この5つの要素は、順番をなすものではなくサイクルでもない。それぞれの活動が頻繁に入れ違って混ぜ合わさったものだ。こう考えると従来のイノベーションの手法ではしばしば見過ごされている2つの現実を説明できる。」

複数の入口(Multiple entry points
・「注意(Attention)は論理的にはイノベーションの出発点だが、それ以外も有効だ。想像(Imagination)はよくある入口になる。・・・ブレークスルーイノベーションを達成するには、誰も知らないことをあなたが知っている必要はない。誰も信じていないことを信じることで達成できるのだ。デザイン思考では現在のニーズやテクノロジーではなく、可能性についての信念に大きく依存した大幅なイノベーションを扱うことは難しい。人間の才能には現在手の届かないことを想像する能力がある。数年後に実現するかもしれない未熟な技術は、デザイン思考が直接焦点を当てるものではない。」「他の出発点には実験がある。単なる方針変更(pivot)ではなく再起動(reboot)することになるような発見に出会ったような時がそうだ。」

複数の経路(Multiple pathways
・「創造のプロセスをどこから始めてもよいのと同様に、必要に応じてその焦点をどの方向に切り替えて進んでもよい。既存のイノベーションモデルでは、このような自由について明確には認識していない。そのため、杓子定規な解釈によって非現実的なレシピになってしまうことがある。・・・固定的なプロセスはそれ自体でブレークスルーイノベーションの障害になってしまう。

最後の注意点
・「順序はフレキシブルだが、それぞれの要素には最低でも一回は触れる必要がある。これはそれぞれの要素が異なるバイアスを中和するためだ。一つでも無視すると、間違った問題やアイデア、解決策に焦点を当ててしまう可能性がある。5つのすべての要素に対応することで、最終的に画期的なイノベーションに到達するチャンスを最大化することができるだろう。」
---

研究開発はその分野、狙い、周囲の状況などによって様々です。研究開発を進めるための効果的な手法を考える場合には、このような研究開発の多様性にも対応できる必要があります。そう考えると、どんな研究開発にも対応できる手法というものが存在するかどうかは明らかなことではないでしょう。一方で、成功しやすいパターンや、失敗しやすいパターンというものは存在するようにも思われます。

研究開発を実践する者としては、成功しやすい手法があるならそれを積極的に用いたいところですが、研究課題に合わせた調整が必要なことは忘れてはいけないでしょう。本論文はどのような点に注意して手法を適用すればよいかが示唆されている点、実務家にとって参考になる点が多いと思います。手法の進歩とともに、その限界や注意点をまとめることも重要なことではないでしょうか。リーン・スタートアップやデザイン思考などの手法は、適用範囲も広く強力な手法であることは現在のところ疑いのないところだとしても、最終的には、自分の頭で考え、よりよい進め方を工夫していくことが重要なことは肝に銘じておくべきだと思います。


文献1:Cyril Bouquet, Jean-Louis Barsoux, Michael Wade, “Bring Your Breakthrough Ideas to Life”, Harvard Business Review, November-December, 2018, p.102.
https://hbr.org/2018/11/bring-your-breakthrough-ideas-to-life


記事検索
最新記事
プロフィール

元研究者

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ