研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2019年02月

「ゾーンマネジメント」(Moore著)より

既存企業がイノベーションをうまく進めるためには、企業内での協力の獲得が重要であるとの指摘がしばしばなされます。ということは、企業のマネジャーはイノベーションを担当する部門と、既存事業を行う部門の両方がうまく機能するようにコントロールする必要があるということになるでしょう。一方、そうしたマネジメントの方法は、どんなイノベーションを狙っているのか(例えば、持続的イノベーションなのか、破壊的イノベーションなのか等)によっても異なってくるでしょう。近年、イノベーションについての理解は深まってきているとは思いますが、結局のところは、こんな場合にはこんな方法が望ましい、というような形でしか、イノベーションをうまく進める方法はまとまらないような気もします。

今回は、企業においてイノベーションを進める上で考慮すべき機能を見直し、状況を場合分けして、それぞれに必要なイノベーションの進め方を議論した、Moore著「ゾーンマネジメント 破壊的変化の中で生き残る策と手順」[文献1]をご紹介したいと思います。著者の考え方は、企業活動を破壊的イノベーションか持続的イノベーションか、収益を求めるか能力向上を求めるかの2軸で4つのゾーンに分割してそれぞれを独立に管理すべきだとした上で、さらに破壊的イノベーションで攻める立場にいるか破壊的イノベーションから守る立場なのかという状況に分けて、それぞれの活動をどう行うべきかを議論しています。以下、著者の指摘の中から興味深く感じた点を本書の構成に沿ってまとめたいと思います。

第1章、プライオリティの危機
・「他社のビジネスに破壊的変化をもたらすためには、自社のポートフォリオに新しいビジネスラインを追加しなければならない・・・新規のビジネスラインを既存の事業ポートフォリオに追加するときに『プライオリティの危機』が生まれている・・・取り組みを始めるのはたやすいのだが、先に進むにつれて十分な経営資源がないことが明らかになってくる。そのときにどうやって経営資源を確保するか。この問題は、部分的には量の問題、つまり、どれだけの経営資源を既存の確立したビジネスに投入し続け、どれだけを新規ビジネスに投入するかということになる。そして、同時に質の問題でもある。つまり、既存のビジネスラインから追加の利益を得ることと、新規ビジネスラインから新たな利益を得ることのどちらを高く評価するかという問題でもある。さらに、社内政治と勢力争いの問題でもある。つまり、長期的に膨大な可能性をもたらす機会に期待して、短期的リターンを提供する既存ビジネスをどの程度犠牲にできるかという問題だ。[p.20-21]」
・「攻撃側に回って次の波を捕まえようとしているのか、防御側に回って次の波に捕まらないようにしているのかにかかわらず、戦略的な事業ポートフォリオマネジメントを実施する上で、何らかの支援が必要だ。破壊的変化が頻繁に起こる今日、これまでの経営戦略は有効ではない。[p.34-35]」「破壊的変化をもたらすスタートアップ企業に対して既存企業が持つ優位性は不利な点をはるかに上回る。グローバルな流通チャネル、世界的なサポートシステム、ブランド認知度、広範なエコシステム、強力な財務基盤、安定したキャッシュフローといった多くの要素が重要な資産となる。必要なのは、これらの経営資源を適切に活用するための指南書だ。・・・この指南書を『ゾーンマネジメント』と呼ぼう。その基本的な考え方は、企業のマネジメントを4つのゾーンに分割することにある。各ゾーンには独自の目標、つまり、当期の収益パフォーマンス、そのパフォーマンスを推進するための生産性向上の取り組み、将来のイノベーションの育成、そして、そのようなイノベーションの規模拡大がある。[p.35]」「先鋭的なのは、第一に、経営陣が企業運営を4つのゾーンに明示的に割り当て、各ゾーンで異なる結果を求めるべきこと、第二に、現場のリーダーが、ローカルな指南書に従って割り当てられたゾーン内で行動し、社内の別のゾーン内で異なる指南書に従って行動するリーダーたちと協業していくという点だ。[p.36]」

第2章、4つのゾーン
・「企業は破壊者として攻撃的に行動するか、被破壊者として防御的に行動することができる。・・・遅かれ早かれ攻撃に乗り出すべきだ。・・・では、スタートラインはどこにあるのか。年次戦略計画が最適な場所である。そこでは、3つの投資ホライゾン(期間)にどのように経営資源を割り当てるかがフォーカスになる。各ホライゾンは、投資の効果が得られるタイミングによって、以下のように定義される。ホライゾン1:翌会計年度の事業による投資回収。ホライゾン2:2年から3年で投資回収。マイナスのキャッシュフローの中間的期間を経た後に投資が回収可能となる。ホライゾン3:3年から5年で投資回収。主に研究開発であり、事業による回収はまだ考慮されない。このモデルの中で確実なリターンがあるのはホライゾン1だけである。それ以外のものは現時点ではみな投機的であり、将来的にはホライゾン1に転換されることが期待されている。[p.40-41]」
・「破壊的変化が起きている市場では、スタートアップ企業の業績が既存企業を上回ることが多い・・・それはなぜだろうか。スタートアップ企業には利害衝突がないからである。・・・一方、既存企業には自社の業績維持、株主の意思、さらには、既存の顧客やパートナーのエコシステムなど様々な方向からの圧力がある。これらの力の板挟みになり、既存企業の取り組みはフォーカスと優先順位付けを欠き、当然のように業績を悪化させてしまう。効果的に競合するためには、経営陣はこの束縛から自らを解き放つ必要がある。・・・具体的には、破壊的イノベーションの取り組みと持続的イノベーションの取り組みを分離し、全社を新規ビジネスとその運営にフォーカスさせ、後者を既存ビジネスの拡張と改良にフォーカスさせなければならない。同時に、『収益パフォーマンス』を求める企業活動と『支援的投資(Enabling Investment)』となる企業活動とを分離し、前者を現在の業績に、後者を将来への種蒔き効果にフォーカスさせなければならない。・・・以上で述べた2種類の分割により、企業活動の4つのゾーンが作られる。 [p.43-44]」
・別々にマネジメントすべき「4つのゾーン」[p.45p.55-58]:
パフォーマンス・ゾーン(持続的イノベーション×収益パフォーマンス、既存事業で成果を出す、ライン部門、ホライゾン1、「ここでの目標は、リスクを考慮しつつ、ほとんど不測の事態なしに収益をスムーズに生み出していくこと[p.56]」)
プロダクティビティ・ゾーン(持続的イノベーション×支援型投資、生産性を上げる、スタッフ部門、ホライゾン1、「ほとんどの時間がパフォーマンス・ゾーンの業務改善で得られる効率性の向上に割かれる。[p.56]」)
インキュベーション・ゾーン(破壊的イノベーション×支援型投資、新規事業を育む、R&D事業開発部門、ホライゾン3、このゾーンでは、いかなる時でも複数のプロジェクトが準備中となっていなければならない。[p.56]))
トランスフォーメーション・ゾーン(破壊的イノベーション×収益パフォーマンス、新規事業を拡大する、CEO直下の新部門、ホライゾン2、「このゾーンはコストを要し、リスクも高く、企業体力も消費する。このため、ほとんどの年に空白であってもよい。[p.57]」)
・犯しやすい過ち[p.59-62]:パフォーマンス・ゾーンに過剰投資する、プロダクティビティ・ゾーンで現状を維持する、インキュベーション・ゾーンをトランスフォーメーション・ゾーンと取り違える、トランスフォーメーション・ゾーンを導入しない、破壊的攻撃を受けた場合にそれを否定しようとする。

第3章、パフォーマンス・ゾーン
・「パフォーマンス・ゾーンは、確立した顧客ベースを持つビジネスラインのポートフォリオから構成され、企業の収益のほぼすべてと利益の百パーセント以上を生み出す。・・・要するに、ビジネスはメインストリートにいる。・・・そこでの合い言葉は『進路を保て!』だ。[p.66]」
・「主要な課題は実行能力だ。そのために『パフォーマンス・マトリックス』を活用できる。パフォーマンス・マトリックスは、・・・事業実行の領域を『行(ロー)』と『列(コラム)』とによって分割する。『行』は一定規模以上の『ビジネスライン』を示し、『列』は製品やサービスを販売する一定規模以上の『販売チャネル』を示す。[p.67]」「パフォーマンス・マトリックスの行と列に適合するように業務運営組織を置き、各行と各列に独自のオーナーを割り当て、計画の実行と達成に責任を持つ唯一の存在とする。[p.84]」
・「攻撃側にいる場合には、パフォーマンス・マトリックスに小規模な行を追加し、可及的速やかにその規模を拡大する。防御側にいる場合には、攻撃対象となっている行を識別し、その評価指標をリセットし、戦闘態勢に持ち込むために経営資源の優先順位も変更する。[p.85

4章、プロダクティビティ・ゾーン
・「プロダクティビティ・ゾーン・・・は、特定分野のプロフェッショナルが提供するシェアード・サービスで構成され、以下の機能を提供する。本社機能(財務、会計、法務、事業開発、IR、総務、施設、情報システム、人事、研修など)、対市場機能(マーケティング、広報、リード開発、顧客サービス、受注管理、顧客サポートなど)、対サプライチェーン機能(エンジニアリング、生産、勾配、ロジスティクス、品質管理、技術サポートなど)[p.88-89]」「これらの組織の目的は企業が可能な限り効率的に機能できるようにすることだ。[p.89]」
・「経営資源の大部分は効率性とビジネス効果の向上に向けられる。・・・前者は『システム』の担当領域であり、後者は『プログラム』の担当領域である[p.90]」。「システムとは継続的な事業運営基盤を提供するサービス群のことである。[p.90]」「年次予算編成、給与、人事考課、セキュリティ、ID管理、財務報告などがある。[p.92]」「プログラムとは特定のユーザー・グループに特定の期間に特定の結果をもたらすサービス[p.93]」。
・「既存の確立したビジネスラインが破壊者からの攻撃を受けたとき、市場リーダーたる企業は総力を結集して戦わなければならない。・・・もちろん、これには、時間も、人材も、予算も、経営陣の注力も必要になる。・・・それこそがプロダクティビティ・ゾーンの役割だ。現状の業務を最適化するために可能なあらゆることをしなければならない。レガシーの業務から経営資源を引き出し、進行中のトランスフォーメーションに再配分することが目標だ[p.103]」

第5章、インキュベーション・ゾーン
・「インキュベーション・ゾーンはホライゾン3の投資が実施される場所である。[p.116]」「インキュベーション・ゾーンのスペースは貴重であり、単なる次世代のテクノロジーとビジネスモデルの実験場ではない。そのような実験は、スカンクワークス(非公式プロジェクト)や実験室で行えばよい。[p.117]」「これとは対照的に、インキュベーション・ゾーンで扱われる案件には、次の大規模なビジネスラインの候補とみなされるだけの説得力が必要だ。[p.118]」「スタートアップ企業と競合するために、セールス、マーケティング、プロフェッショナル・サービスの専門組織が必要であり、次世代の画期的製品の設計・構築・運用に独自のサプライチェーンが必要だ。つまり、インキュベーション・ゾーンとは、単なる研究開発投資ではなく、独立した企業を運営しているようなものなのだ。[p.119]」
・「インキュベーション・ゾーン内の各組織は、個別のゼネラル・マネジャー(GM)、専任の製品開発・製品提供・セールス・マーケティングの経営資源を有する『独立事業ユニット(IOU、インディペンデント・オペレーション・ユニット)』として機能する。IOUは完全に独立して損益管理されるわけではないが、単なる研究開発プロジェクトではなく、あたかも企業内におけるスタートアップ企業のように扱われる。[p.120]」
・「インキュベーション・ゾーンで攻撃することは、ベンチャーキャピタルが投資するスタートアップ企業の運営にたとえられる。マイルストーンとして設定されるのは、企業価値を一段階向上するようなビジネスの状況変化をもたらすことだ。すなわち、テクノロジーを製品化する、最初の先駆的重要顧客を獲得する、最初のターゲット市場で支配的シェアを獲得する、といったことが重要な通過点となる。[p.123-124]」「パフォーマンス・マトリックスに加えるにはまだ一桁規模が小さいが、トランスフォーメーション・ゾーンに移行する有力候補となる。これがすべてのIOUのゴールだ。[p.126]」
・「パフォーマンス・ゾーンに対する破壊的攻撃を受け、トランスフォーメーション・ゾーンによる対応が必要になったときには、インキュベーション・ゾーンでも新たな優先順位を設定する必要がある。具体的に言えば、既存の事業モデルをできるだけ速やかに現代化し、他者からの破壊的攻撃を中立化することに最大の優先度が設定される。[p.128]」
・「地位を確立した企業はイノベーションができないという説がある。しかし、それは事実ではない。これらの企業はイノベーションを実行できるし、実際に実行してもいる。ただ、そのイノベーションの規模を拡大できないのだ。これは、2つのゾーン、つまり、インキュベーション・ゾーンと・・・トランスフォーメーション・ゾーンを適切に管理できていないことによる。・・・インキュベーション・ゾーンに特有の以下のような問題への対応策を見ていこう。[p.130]」「技術開発と市場開発を分離してしまう・・・技術開発を企業の研究室などに委ね、プロトタイプ製品を販売部門の責任者に移管し、市場に投入することがよく行われるが、これは絶対にうまくいかない。・・・企業に研究組織があるのならば、それをインキュベーション・ゾーンに技術を提供するメカニズムとして扱うべきであり、インキュベーション・ゾーンの代替として扱うべきではない。[p.131]」「IOUとパフォーマンス・マトリックス感で経営資源を共有してしまう・・・俊敏性が失われ、失敗につながる[p.131-132]」「育成中のビジネスに全社基準の義務を負わせてしまう・・・スタートアップ事業も既存の確立したビジネスと同等の基準に沿うことを求めたくなるかもしれない。しかし、これは厳しすぎる。[p.132]」「任命するリーダーのタイプを誤る・・・インキュベーション・ゾーンのIOUは起業家精神に富むゼネラル・マネジャーが統率すべきである。[p.132-133]」「不適切になったプロジェクトから撤退しない・・・予算獲得は困難であるべきであり、その維持も困難であるべきだ。弱い者を淘汰できなければ、フォーカスが失われ、経営資源が浪費され、事業ポートフォリオ全体の価値を低下させてしまう。[p.133]」「ホライゾン3への投資の予算獲得を年次の事業計画として実行してしまう・・・年次の予算計画プロセスは、ホライゾン1のビジネスライン向けのものだ。破壊的イノベーションがこれらと予算獲得を争うことがあってはならない。さらに言えば、IOUは年次のカレンダーではなく、マイルストーンに基づいて予算を設定すべきである。・・・年一度調整すべきなのはベンチャー予算全体の規模だけだ。[p.133-134]」「パフォーマンス・マトリックスがホライゾン3の取り組みを秘密裏に育成することを許可してしまう・・・そのような取り組みは現状を打破するほどの規模に拡大しない。[p.134]」

第6章、トランスフォーメーション・ゾーン
・「トランスフォーメーション・ゾーンは、企業の未来を過去の引力から解放するためのメカニズムである。このゾーンでの取り組みは、市場カテゴリーの破壊的変化によって生じる千載一遇の長期成長の波に乗ることにフォーカスする。[p.138]」「トランスフォーメーション・ゾーンは一時的な存在である。危機に対応する(あるいは他社にとっての危機を作り出す)ために生まれ、危機が解決されれば消滅する。ゆえに、長期的に存続する独立したガバナンスの主体があるわけではない。CEOのスタッフを中心に統治され、あらゆる定例会議のアジェンダで最高優先順位の案件として扱われる形態になる。[p.139]」「破壊的イノベーションの時期には、CEOは既存事業ラインの管理を他の経営陣に移管し、COOの援助の下に、あるいは、単独で自身のエネルギーを不安定な変化を乗り越えて企業を先導することにフォーカスさせなければならない。言い換えれば、持続的イノベーションには適切な管理が必要であり、破壊的イノベーションには卓越したリーダーシップが必要ということだ。[p.140]」
・「CEOの最初の仕事は規模拡大の対象となる事業を一つ選ぶことだ。・・・複数の事業をトランスフォーメーション・ゾーンに同時に置くことは致命的誤りだ。[p.140]」
・「防御におけるトランスフォーメーションは、第一に中立化、第二に最適化、第三に差別化という三つのステップから成るプログラムで進めていくべきだ。[p.153]」
・「トランスフォーメーションを完遂するためには、あらゆるリーダーと社内機能がその成功を最優先事項としなければならない。これは意思疎通と意思統一の問題だ。・・・リーダーが逆方向に漕ぎ出せば、意思統一は不要というシグナルを全員に与えることになる。破壊的変化のときには意思統一は不可欠であり、これには例外はない。[p.162]」

第7章、ゾーンマネジメントの導入
・ゾーンマネジメントを取り入れていくためのステップ:1,組織をゾーンに割り当てる、2,パフォーマンス・マトリックスを確定する、3,プロダクティビティ・ゾーンを動かす、4,インキュベーション・ゾーンを隔離する、5,トランスフォーメーション・ゾーンの状態を決定し進行方針を決定する。(「『非活動状態(現時点では破壊的変化がない)』、『攻撃状態(次の波を捕まえるために攻撃している)』、または『防衛状態(次の波に捕まらないようにするために防御している)』のいずれかを宣言する必要がある。[p.169]」

第8章、セールスフォースとマイクロソフトにおけるゾーンマネジメント
・攻撃の事例(セールスフォース)と防御の事例(マイクロソフト)紹介
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イノベーションの進め方というと、研究者にとっては課題解決とかアイデア創出につい注意が向きがちですが、本書で解説されている方法論は、アイデアを事業化していく段階に焦点が当てられていると考えられます。実際にアイデア創出と事業化段階のどちらが重要なのかは事例によって異なるでしょうが、事業化段階にもかなりの困難さがあることは、研究者として決して忘れてはならないことだと思います。

本書の手法は、著者が関わった事例に基づいたものと考えられますが、比較的理念先行で裏付けに物足りなさを感じるところがあり、本当にこれ(だけ)でよいのか、とか、他の方法はないのか、といった点には不明なところもあると思います。また、アメリカにおける状況を前提として考察しているところもあるように感じました。しかし、考え方は一貫していてわかりやすく本質を突いている部分もあるという気がします。実践的に重要な指摘も含まれていると思いますし、イノベーションの進め方を考える上で、一考の価値があるように思いますが、いかがでしょうか。


文献1:Geoffrey A. Moore, 2015、ジェフリー・ムーア著、栗原潔訳、「ゾーンマネジメント 破壊的変化の中で生き残る策と手順」、日経BP社、2017.
原著表題:Zone to Win: Organizing to Compete in an Age of Disruption


「リクルートすごい構“創”力」(杉田浩章著)より

イノベーションをうまく進める方法を知るには、実際にイノベーションや新規事業の立ち上げ、研究開発をうまく進めている企業の方法に学ぶことは重要でしょう。もちろん、イノベーションには様々な側面があり困難も様々ですので、あるやり方がすべての場面で通用するということはないでしょう。しかし、ある状況で成功している企業のノウハウを分析し、そこから成功確率を上げる手法についての示唆を得る、ということは可能なのではないかと思っています。

今回ご紹介したいのは、杉田浩章著「リクルートすごい構“創”力 アイデアを事業に仕上げる9メソッド」[文献1]です。リクルートといえば、数多くの新規事業を世に出していることで名高い企業ですが、本書ではそのノウハウをボストンコンサルティンググループの杉田氏が分析してまとめ、そのノウハウが解説されています。リクルートが立ち上げる新規事業は主にサービス関連のビジネスモデルに属するものが多いと思いますので、いわゆる製品開発、モノづくり的開発とは異なる点はあるとは思います。しかし、新規事業の進め方、特にビジネスモデルをいかに立ち上げ、それを拡大していくかの方法論はすべての企業にとって役に立つのではないかと感じました。著者は次のように述べています。「リクルートが、多くの新規事業を世に出し、継続的に収益を上げ続けているのは、一握りの『天才』たちの力によるものでもなければ、偶然の産物でもない。できるだけたくさんの、新規事業の『種』を見出し、それを高速で磨き上げながら市場に出すための仕組みや、市場に出た後も事業の衰退を許さず、継続的に成長させていく手法を、しっかりと社内に根付かせ、愚直に、しつこく実行しているからだ。・・・本当のリクルートの強さの理由を解き明かすことは、多くの悩みを抱えるほかの企業にとっても、大きな学びになり、社会的な意義も深いはずだ。これが本書を執筆しようと考えるに至った理由である。天才たちのひらめきに頼るのではなく、仕組みフレームワーク=『構え』でアイデアを事業へと創り上げていく。こうした『構“創”力』について解説したのが本書である。[p.8-9]」以下、特に重要と感じた点を中心に本書の構成に沿ってまとめてみたいと思います。

序章、なぜ、あなたの会社の新規事業はうまくいかないのか
・「多くの『新規事業が生まれない』『うまくいかない』と嘆く企業には共通点がある。どれも、意思決定のやり方が間違っていることが大きな原因だが、それによって表面化する症状は複数あり、多くの企業ではこのうちのいくつか、またはすべてが見られる。代表的な症例を見てみよう。[p.25]」
【症状1】PDSサイクルの『P』に時間をかけすぎる
【症状2】計画が変えられない
【症状3】時間をかけて計画を立てる割に、ツメが甘い(次に進む決断がうまくできない)
【症状4】当事者も、経営陣も本気でない
【症状5】うまくいかなくなったとき、撤退の決断ができない
・「リクルートの新規事業開発には、こうした症状に陥らないような工夫が巧みに組み込まれている。後述するリボンモデルで業界構造全体を捉え、それを共通認識として社内での議論ができる。PDSの『P』の段階で、どう成功させるかではなく、何を検証するかに議論を集中させ、とりあえずテストマーケティングやスモールスタートの形で市場に出して、テストマーケティングを行う。・・・新規事業を開発する手法・メソッドが確立されている。事業を生み出す『01』だけではなく、事業をスケールアップする『110』の段階にも、きちんとしたノウハウがある。・・・たとえ既存領域を脅かすことになったとしても、ボトムアップによる新規事業開発をやるとトップマネジメントがコミットメントする。ある一定の段階まで来たら、予算組みと権限を新規事業開発のトップに渡す。うまくいかない事業は、ある段階で見切られ、すぱっと撤退する。・・・アイデアを出し、チャレンジすることが称賛される文化がある。たとえある事業で失敗したとしても、それが本人の致命的なマイナス評価にはならず、何度でもチャレンジが許される。[p.33-34]」
・「リクルートの最大の強みは、・・・『リボンモデル』にある。・・・リボンモデルは、蝶ネクタイのような形をしている。左側の三角が、個人や一般の消費者(カスタマー)、右側の三角が、企業や事業者(クライアント)で、両者をつなげる結び目がリクルートだ。左右両サイドの橋では、まず個人や企業を『集め』、何らかの働きかけをすることで両者の行動を変化させて『動かし』、中央のマッチングポイントで『結びつける』ことでリクルートが収益を上げる。この結び目が大きければ大きいほど、マッチングの総量は大きくなる。・・・結び目を最大化するためには、左右両端のリボンの幅を広げる(より多くの個人、より多くの企業を集める)ことに加え、マッチングのプロセスの途中で脱落する率を下げて、中央の結び目に至る際の減衰を押さえる(コンバージョン率を最大化する)ことが必要だ。・・・リクルートの役割は、左側の個人と、右側の企業を、両端でより多く集め、より確実に動かしてたくさん結びつける『ベストマッチング』の仕組みを提供することだと定義される。[p.35-38]」
・「リクルートのビジネスは、リボンモデルの構築に沿った3つのステージで表すことができる。まず、ゼロから1を生み出す新規事業の創出である『01』。ビジネスの種の発見と言い換えることもできる。[p.41]」「次にビジネスの種を、単なるアイデアから『事業』に成長させるのが、次の『110』のステップだ。・・・この『110』の前半に当たるのが、事業の『価値』を定義し、『勝ち筋』を見つけるステージ2だ。・・・ステージ2で発見した勝ち筋やKPIを実行し、爆発的な拡大再生産につなげるのが『110』の後半に当たるステージ3だ。[p.42]」「『10』になっても、リクルートは磨き込みをやめない『しつこさ』を持っている。・・・この『10Next』のステップでは、・・・事業領域を拡大するなどして、さらなる成長を図る。[p.44]」

第1章、ステージ「01」 「不」を発見し、事業性を見極める
・「何もないところから新しいものを生み出す、『01』のステージについて解説する。・・・メソッドは、新規事業開発の起点となる『不の発見』である。・・・メソッド②は『テストマーケティング』。・・・メソッド③は、『New RING』という、アイデアを事業に育てる仕組みだ。[p.50]」
・「リボンモデルを描く第一歩となるのが、メソッド1にあたる『不の発見』だ。リクルートにおける『不』とは、『不便』『不満』『不安』など、あらゆるネガティブな概念の象徴。[p.53]」「筆者の分析によるとリクルートでは、3つの条件で『不』をふるいにかけ、ブラッシュアップしているように見える。[p.60]」「1つ目が、見過ごしがちだが誰も目をつけていなかった『不』かどうか。・・・2つ目は、その『不』は、本当に世の中が解決を求めているものなのか。既存の産業構造を変えるほどの、大きな可能性を秘めているのか。・・・3つ目が、その『不』を解消することが、収益につながるかどうか。[p.61]」
・「メソッド①で発見した『不』や、それを解消するためのアイデアが、本当に人の心を動かすものなのか。また、・・・ビジネスとしての市場性が存在するのかどうか、収益を生み出す事業性があるのかどうか・・・これらを見極めるため、限定的な規模でテストマーケティングを設計する。[p.64]」「例えば、RECRUIT VENTURESでは、2014年より、『ステージゲート方式』が取られている。『この時期までにこういう状態にならないと撤退』というゲート(関所)が段階的に設けられているのだ。ゲートを越えて次のステージ(段階)に上がると、徐々に投下される資金や人材などのリソースが増える仕組みだ。[p.67]」
・「リクルートは、アイデアをどう集めるか、集まったアイデアをどう磨き、育てるかを仕組み化し、たくさんの新規事業を世に出してきた。・・・イノベーションの仕組み作りにエネルギーを注ぎ、時代の変化に合わせて進化させてきたのだ。その代表的なものが、新規事業提案制度『New RING』だ。[p.71]」「事業会社ごとのNew RINGでは、それぞれの事業ドメインに応じた新規事業を年1回審査する。[p.72]」「新規事業を集めてブラッシュアップし、事業にまで育て上げる仕組みが、New RINGなどの形で完備されている。それがメソッド③だ。一般的に新規事業立ち上げの支援や起業支援を『インキュベーション』と呼ぶが、・・・新規事業のアイデアを卵だとすると、New RINGは孵化より前の、アイデアを集めて選別し、ブラッシュアップする段階もサポートするし、孵化した後、ひなを育てて事業を軌道に乗せるところまでも含む。[p.73]」「New RINGの最初の審査で問われるのは、おおまかに『市場規模』『ユニークかどうか』『志』の3点だ。・・・リクルートでは、数億~数十億規模では、『小さすぎる』と判断されてしまうことが多い。『ユニークかどうか』の問い方も・・・『国内で初』『世界で初』レベルを求める。さらに特徴的なのが『志』だ。・・・あるべき社会の姿に照らし合わせて、真に解決すべき『不』が存在しているのだということを、説得力を持って伝えられるか。そして、自分自身がその解消に向けて、粘り強く取り組む覚悟を持っているかが問われる。[p.75-76]」「『志』は、本人の心の中からしか生まれない。トップダウンの新規事業は、それを遂行する社員の中に志が生まれにくく、『やらされ仕事』になる。リクルートでも、成功し、成長した新規事業のほとんどは、社員から生まれたボトムアップのものばかりだ。[p.79-80]」
・「リクルートは、会社として『必ずアイデアを出せ』と強制することはないが、『新規事業のアイデアを出す人はカッコいい』という機運を盛り上げていることも大きい。[p.81]」

第2章、ステージ2「110」その1 勝ち筋を見つける
・「リクルートの新規事業開発の圧倒的な強さは、『110』の段階の前半であるステージ2で、『勝ち筋』を見つけるところにある。・・・ステージ2は、『フィジビリ』を行うことによって、事業を一気に拡大するための仕組作りを行う段階だ。ここでポイントとなるのは、3つのメソッドだ。メソッド④は、継続的に収益を上げる仕組を作る『マネタイズ設計』。・・・事業として市場で圧倒的なシェアを獲得し続けるような大きな収益を生み出すためのモデルの設計を行う。メソッド⑤は、次のステージ3で、爆発的な拡大再生産を実現するために必要な、『価値KPI』を探し出す。どの指標を上げれば事業価値を上げることにつながるのか、カギとなる行動や指標を発見するものだ。メソッド⑥の『ぐるぐる図』は、フィジビリを通して、現場で感知したさまざまな情報を素早く共有し、PDSを高速に回す手法を指す。[p.88]」
・「リクルートでは・・・成功の可能性が高い仮説のことを『勝ち筋』と呼んでいる。・・・リクルートにおける『勝ち筋』の定義は、大きく3つあり、・・・1つ目は、『そのサービスに対して誰がお金を払ってくれるのかが、明確であること』だ。[p.99-100]」「2つ目は、・・・『誰がお金を出すか』だけでなく、『誰が、どのお財布からお金を出すか』までを突き詰める。[p.101]」「不満を解消することで、どの予算をどれくらい削減でき、削減分のどれくらいをリクルートの新規サービスに振り向けようという気持ちがあるかを突き詰めるのだ。[p.102]」「3点目は、コスト優位性のあるオペレーションを継続的に行える仕組ができることだ。[p.103]」
・「マネタイズできるかどうかを検証し、見極め、勝ち筋を見つけるために行うのが『フィジビリ』だ。[p.105]」「一般的な起業で行われているフィジビリと、リクルートのフィジビリの決定的な違いは、KPIにある。[p.106]」「KPIとは重要業績評価指標と訳され、一般的には事業の進捗や効果を図るうえでカギとなる指標を指す。・・・中でも、フィジビリの最重要の目的とされるのが、KPIの中で最も事業価値に直結する(つまり、勝ち筋に直結する)『価値KPI』だ。これは勝ち筋の成否を図るための指標であり、事業の価値に直結する指標でもある。・・・価値KPIがわかれば、リボンモデルで、個人や企業・事業者を『集め』『動かし』『結ぶ』ために、リクルートのそれぞれの担当者がどんなプロセスで、どんな行動をすればよいのかがわかるのだ。[p.108]」「勝ち筋とはつまり、事業化して本格展開するための構造作りだ。[p.117]」
・「PDSを高速に回し、新規事業開発の成功確率を上げるためのフィジビリをスピーディーに実行できるのは、現場の有用な情報の収集や仮説の検証、判断などの一連のプロセスが、スムーズに行われているからにほかならない。これがスピード感を持って実行できるのは、リクルート社内で『ぐるぐる図を回す』という行動習慣が根付いているからだ。実際に『ぐるぐる図』という図が存在するわけではない。『ぐるぐる図を回す』とは、次のような行動パターンだ。ひたすら顧客の現場を観察し、ヒアリングすることで得た気づきやヒントを、上司や経営層に上げていく。そうして最前線の現場でつかんだ市場の変化の兆しを、経営者と現場が一緒になって考え、仮説を進化させる。そしてその進化させた仮説を、現場の最前線で実行し、もう一段深く見つめて結果をまとフィードバックしてさらに仮説を磨き込む。こうした、現場と経営層をつなぐ、縦の情報の行き来を、『縦ぐるぐる図を回す』と読んでいる。[p.118-119]」「ぐるぐる図は縦方向だけではなく、『横ぐるぐる』も存在する。特に新規事業の立ち上げ時期においては、異なる役割の社員が一丸となって横方向にも情報をやりとりし、洞察を重ねていく。[p.121]」
・「リクルートでは基本的に、自社で開発して大きく育てることを前提にしており、・・・0から1になったところで売却するという選択はない。[p.124]」「だからこそ、『勝ち筋』が見つかるまで、しつこくフィジビリを行うし、勝ち筋が見つかりそうな兆しがなければ、遠慮なく見切る。[p.125]」
・「KPIに必要な条件は次の3つ・・・①整合性・・・最終的な目標に向かって、きちんとロジックが通っていること。・・・安定性・・・指標が、安定的・継続的にとれること。検証しづらいものをKPIにしてはいけない・・・③単純性・・・指標が少なく(できれば1つ)、覚えやすいかどうか[p.133]」

第2章、ステージ3「110」その2 爆発的な拡大再生産
・「ステージ2で、勝ち筋やKPIが発見できれば、あとは粘り強く実行するだけだ。しかし、しつこく、ブレずに実行するのは、そう簡単なことではない。リクルートではそのための仕組みがある。・・・まずはメソッド⑦の『価値マネ』。・・・『価値KPI』を使ってPDSサイクルを回してマネジメントする手法だ。そして、価値マネを社員全員が高い精度で実践するためにあるのが、メソッド⑧の『型化とナレッジ共有』だ。・・・基本的な行動を、『型』に落とし込んで『型化』して広めたり、個人個人が持つ成功体験やノウハウなどを共有するさまざまな仕組みを持っている。メソッド⑨の『小さなS字を積み重ねる』は、いったん成長軌道に乗った事業が持続的に成長し続けられるよう、現場でつかんだ“兆し”を吸い上げる行動パターンを指す。これがあるからこそ、絶えず小さな革新を積み重ね、新たに参入してくる競合に対する競争優位性を保つことができるのだ。[p.136]」
・「リクルートが提供する価値は何かを見極め、その価値を高めるためにすべきことについて、進捗を数値の指標で表す『価値KPI』を設定し、実行する。・・・これをわざわざ、『価値マネジメント』と呼ぶところに、リクルートならではのこだわりが見受けられる。[p.146]」「多くの起業では、『この事業の何が本質的な顧客への提供価値なのか』ですら、意識合わせができていない。[p.146]」「ここがズレたままでは、事業の価値を表すKPIを定めたところで、社員に迷いが生じるので、KPIを上げるための行動を集中してやりきることはできないだろう。[p.147]」「『価値KPI』をモニタリングし、『ぐるぐる図』を回して現場の兆しを吸い上げるための、一つのツールとなっているのが『ヨミ会』だ。[p.148]」「ヨミ会は、『今週の売り上げはどうだった?』ではなく、『今週なぜ売れたのか?』『なぜ売れなかったのか?』が問われる。『なぜ』を解き明かすための会議だ。[p.150]」
・「一気にアクセルを踏むためにリクルートが行うのが、『型化』だ。KPIを上げるために効果があった個人の『ふるまい』を、成功事例を分析することで見つけ出し、誰もが真似できる『型』に落とし込んで横展開するのだ。これは勝ち筋に沿った行動とはどういうものかを、それぞれの役割にあった形でわかりやすく標準化したものと言い換えてもいい。[p.152]」「リクルートは・・・個々の成功事例を吸い上げて横展開し、組織全体の力に変えることに長けている。[p.153]」「全員が『型』を身につけたうえで、個々が自由な工夫を行うことによって、さらにパフォーマンスを上げることが狙いだ。[p.157]」
・「ビジネスの成長は、まっすぐな線を描いて伸びていくわけではない。アルファベットの『S』を斜めに倒したような『S字カーブ』を複数重ねないと、成長は続かない。[p.160]」「アクセルを踏み込んでいるのに成長スピードが上がらない、その兆しをつかむうえでも、縦ぐるぐると横ぐるぐるが威力を発揮する。現場とマネジャーや経営層、営業部門や制作、エンジニア部門などの間でぐるぐる行ったり来たりしながら情報が行き交う中で、不の予兆をいち早くつかむことができる。・・・単に集客数を増やしたり、売り上げを上げるという成果だけを追い求めていては、・・・成長減衰の予兆をつかんだりすることはできない。[p.162]」
・「現場の能力を最大限に伸ばすために何をすべきかを考え、必要なリソースを投入することが、リクルートの経営層の一番のミッションなのだ。[p.170]」

第4章、10を超えて、さらに飛躍するために
・「どれだけ成功した企業・事業にも、衰退の波はやってくる。その兆候をいち早く察知し、余裕があるうちに次のビジネスモデルを進化させられるかどうかが生き残りのカギとなる・・・市場の不をもう一度見つめ直し、自らの提供価値を再定義し、『スピードで圧倒する』『マネタイズポイントを変える』『周辺領域に拡大する』『他社のビジネスプロセスに入り込む』などの形で進化させることで、新たな成長を生み出すことができる[p.206]」

第5章、経営陣の役割 「リクルートモデル」を活かすために
・「新規事業創造はトップダウンではうまくいかない。・・・では、経営陣は何をすればいいのだろうか。ただ自由にやらせればいいというものではない、というのはご理解いただけただろう。・・・著者は、リクルートの経営陣が行っているのは『人を活かす』『若さを保つ』『器をそろえる』という3つに集約できると考えている。[p.218]」
・人を活かす:「共通の理念を徹底的にすり込み、個人を追い込むことでその潜在力を引き出さなければならない[p.238]」
・「『若さを保つ』ためには、常に内部での競争を奨励し、成功者を称え、全員がそこから学べる仕組みを埋め込んでおくことが有効[p.238]」
・「『器をそろえる』こと・・・は、事業環境を詳細に分析し、将来必要になると予想される組織的ケイパビリティをブラッシュアップし、組織的な器をそろえるということ[p.230]」
・「さらなる飛躍をするには、自らをディスラプトし、産業構造を変えることへのチャレンジに向かうことは避けられない。リクルートは、過去にもこうしたディスラプトを繰り返しながら成長してきたからこそ、これが実体験として社内に根付いている。新規事業の立ち上げでも、国内外の成長企業の買収でも、自社の既存事業との競合やカニバリ(競合、食い合い)はまったく恐れない。[p.239]」「自らで、自らのディスラプターとなり得る死神集団を生み、育てることで、成長し続けているのだ。[p.243]」

終章、新規事業を育てる企業風土
・「『リクルートはコミュニケーションに膨大なコストをかける会社です』と、リクルートホールディングス峰岸真澄社長は語っている・・・。[p.246]」「『何が自分たちの強みであり、目指すものなのか』を、手間を惜しまず常に共有しておくことが、変化の時代に迷わないための道しるべになってくれるのだ。あなたの組織は、会社は、皆が自らの意思で同じ方向を向いているだろうか。そして、そこに向かって失敗を恐れずに試行錯誤を繰り返しているだろうか。[p.247]」
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著者の分析によるリクルートの手法で私が最も興味深く感じた点は、考え方が仕組みや「型化」されて、全社に浸透しているという点です。イノベーションの手法についての論考では、既存事業との協力や共存、あるいは社内政治の重要性がしばしば課題として取り上げられますし、実際に既存事業を効率的に進めるための考え方によって、イノベーションにうまく対応できない事例も指摘されています。では、既存事業の何が問題なのでしょうか。本書の指摘を参考にすると、既存企業と新規事業の効果的な進め方には本来的に異なる部分があり、そうした異なる部分の扱いについて、組織内の考え方が統一されていないことが、問題の本質なのではないか、という気がしてきます。

リクルートの手法についての個別の指摘は、リーン・スタートアップなど、最近指摘されている考え方にも近い部分があると思いますし、状況や業態の異なる企業では、そのまま使えるとは限らないところもあると思います。しかし、新規事業の扱い方についての考え方を組織内で統一することはどのような企業においても重要なのではないでしょうか。そうした統一を実現するのはトップマネジメントの仕事だとしても、それを支える仕組みとして考え方を整理し、「型化」して組織に埋め込んでしまう、というやり方も有効なのかもしれません。それこそがイノベーティブな文化の根本を支えてくれるものなのかもしれないと思います。

文献1:杉田浩章、「リクルートすごい構“創”力 アイデアを事業に仕上げる9メソッド」、日本経済新聞出版社、2017.


イノベーティブな文化の真実(「The Hard Truth About Innovative Cultures」、Pisano著HBR2019, January-Februaryより)

イノベーションが生まれやすい環境を整えることはマネジャーの大きな務めでしょう。最近では、どういう環境がイノベーションにとって重要かについて大雑把な意見の一致が見られるようになってきたかもしれません。しかし、実際にそうした環境を構築し、うまく運営していくことはそれほどたやすいことではありません。

今回ご紹介するPisanoによるHBR誌の記事「The Hard Truth About Innovative Cultures」では、イノベーションを促すとされる文化の特徴と、そうした文化を構築し運営していく際の注意点について述べられています[文献1]。実務家にとっても参考になる指摘が多いと感じましたので、そのポイントをまとめてみたいと思います。

著者は、失敗の許容、実験意欲、心理的安全、積極的な協力、階層性のなさといった文化的な特徴をイノベーションにとって好ましいものとして挙げています。研究結果からもこれらが有効だとされているとした上で、そういう文化の下で働きたいと思わない人がいることや、そうした文化を構築し維持することの難しさを指摘しています。著者は次のように述べています。「こうした好感度の高い、世間から注目されている行動は、コインの一面にすぎない。率直に言ってあまり楽しくない、もっと厳しい行動とのバランスがある。失敗への寛容には無能力への非寛容が必要だ。意欲的な実験には、厳しい訓練や規律が必要だ。心理的安全には厳しい公正さが求められる。協力は個人の責任とのバランスがとれていなければならない。階層が少なければ強力なリーダーシップが必要になる。・・・このようなパラドックスによって生まれる緊張を注意深くマネジメントしなければ、イノベーティブな文化を作ろうとする試みは失敗に終わるだろう。」以下、それぞれの項目について述べている著者の見解のなかから興味深く感じられた点をまとめます。

1,失敗に対して寛容でありながら、無能力には非寛容であることTolerance for Failure but No Tolerance for Incompetence
・「イノベーションが不確実で未知の領域の探索を含むものであるなら、失敗の許容がイノベーティブな文化に重要であることは驚くようなことではない。」「しかし、失敗の許容に焦点を絞るために、イノベーティブな組織は無能力には非寛容になる。そうした組織は、従業員に並外れた能力を求める。できるかぎり優秀な才能の持ち主を採用する。リスクのあるアイデアを探索し結果的に失敗するのはかまわないが、二流の技術、考えの甘さ、悪い仕事の習慣、お粗末なマネジメントでの失敗は許されない。期待に応えられない人は去ってもらうか、能力に見合った役割に配置換えとなる。」「Googleは従業員に優しい文化で知られているが、世界中で最も就職するのが難しい会社のひとつだ。」
・「失敗から学習することの価値と、顕著な成果を同時に求めるという文化を創ることは、どちらの経験もない組織にとっては困難なことだ。よい始め方は、生産的な失敗と生産的でない失敗の違いをシニアリーダーが明確にすることだ。生産的な失敗は、そのコストに比べて価値の高い情報を生む。・・・失敗は、そこから学習できた場合にのみ祝うべきものだ。(『失敗を祝う』という決まり文句はそのポイントを外している。失敗ではなく学習を祝うべきなのだ。)」
・「能力重視の文化を作るには、期待されるパフォーマンスの標準を明確にする必要がある。この標準がよく理解されていない場合、困難な人事上の決定は、きまぐれに見えてしまったり、もっと悪い場合には失敗への罰であると誤解される可能性がある。」「マネジャーは、『無能力』が本人の責任ではない人を解雇、異動するのは特に気が進まないだろう。技術やビジネスモデルが変われば、ある状況で非常に有能だった人が、別の状況では無能になってしまうことがある。・・・時代遅れになってしまった人を留めておくことは思いやりのあることかもしれないが、組織にとっては危険なことだ。」
・「生産的な失敗に対する寛容さと無能力を根絶することの健全なバランスを維持することは簡単ではない。・・・バランスをとるのが難しい理由のひとつは、失敗の原因がいつも明確とは限らないためだ。」

2,実験に意欲的でありながら、高度な規律を保つことWillingness to Experiment but Highly Disciplined
・「実験を活用する企業は、不確実性や曖昧さを受け入れられる。」「しかし、実験に意欲的であることは、三流の抽象画家がキャンバスにでたらめに絵の具を投げつけるように働く、という意味ではない。・・・規律志向の文化は、注意深く、学習することの潜在的な価値に基づいて実験を選び、コストに比べてできるだけ多くの情報が得られるように厳密に設計する。」
・「意欲的な実験と高度な規律を組み合わせた文化のよい例が、マサチューセッツ州、ケンブリッジのFlagship Pioneeringという先端科学分野での新しいベンチャーを創造する会社だろう。・・・創業者でCEONoubar Afeyanは、『探索の初期段階では、それは本当か?とか、そのアイデアをサポートするデータはあるか?、といった質問はしない。あることが真実であることを証明してくれるような科学論文も探さない。そのかわり、もし本当だったらどうなるか?とか、本当なら価値があるか?、ということを自問する。』という。このプロセスにより、チームは試すことが可能なベンチャー仮説を作ることを期待されている。」
・「実験は、Flagshipの探査プロセスの中心をなしている。・・・しかし、Flagshipでの実験は、基本的なところで他の会社によく見られるやり方とは異なっている。まず、Flagshipは、最初のアイデアを検証するための実験は行わない。その代わりにチームには、アイデアの欠点が現れてくる確率を最大化するような『キラー実験』をデザインすることが期待される。第二に、多くの資源を投入すればより速くより創造的な結果が得られると誤って信じて新興のベンチャーに大規模な投資をする多くの既存企業とは異なり、Flagshipは100万ドル以下で半年以内のキラー実験を通常設計する。・・・第三にFlagshipでのデータは神聖なものだ。多くの企業においては、予想外の結果が出ることは『悪いニュース』だ。チームは、プロジェクトを延命するために、得られた結果が何かの間違いだと説明するようなデータを出す必要があると考えてしまう。Flagshipでは実験データを無視することは許されない。最後に、Flagshipのベンチャーチームのメンバーには規律を守る強いインセンティブが与えられている。損を出すプログラムにしがみつくことで経済的利益が得られるようにはなっていない。」
・「規律ある実験はバランスをとる作業だ。リーダーとして、『不合理なアイデア』を扱うことを奨励し、仮説を立てるための時間を与えるのだ。仮説を確認する、あるいは取りやめにするためのデータを性急に求めると、創造性に必要な知的活動を潰してしまう。・・・シニアリーダーは、実験から得られたデータに基づいて、例えば、自分が個人的に提唱したプロジェクトを取りやめたり、考えを変えたりする意志を示すことで、規律のモデルをつくる必要がある。」

3,心理的に安全でありながら、容赦なく率直であることPsychologically Safe but Brutally Candid
・「心理的安全とは、個人が報復を恐れることなく、問題について真実かつオープンに話すことができると感じる職場風土だ。ハーバードビジネススクールのAmy Edmondson教授による何十年もの研究で、心理的安全が、組織が破滅的な失敗を避ける一助となるだけでなく、学習とイノベーションをサポートすることを明らかにしている。」
・「人は誰でも恐れることなく自分の考えを述べる自由を愛している。そして、聞いてももらいたい。心理的安全は双方向のルートだ。もし、自分があなたのアイデアを安全に批判できるなら、組織内での地位が自分より高いか低いかによらず、あなたが私のアイデアを批判することも安全でなければならない。」「一方で、もっと礼儀正しい組織もある。そこでは、意見の違いは抑制されてしまう。」
・「イノベーションについていえば、いつでも、率直な(candid)組織は居心地のよい(nice)組織よりも優れた成果をあげる。・・・フランクであることと敬意がある(respectful)ことは矛盾しない。・・・あなたに対する痛烈な批判を受け入れることができるのは、フィードバックをくれた人の意見を尊敬しているときだけだ。」「そうは言っても、『容赦なく正直な(brutally honest)』組織は、働くうえで最も快適な環境というわけでは必ずしもない。」
・「人々が対立にしりごみしたり、率直な議論が礼儀正しい習慣を冒すものであると見られるような組織では、率直な議論の文化を築くことは難しい。シニアリーダーは自分の行動を通じてそうした雰囲気を作る必要がある。他者に対する建設的な批判を、摩擦を招かないようにしながら行えなければならない。こうした文化を促す一つの方法は、自分のアイデアに対する批判と提案を求めることだ。」

4,協力しながらも個人が責任を持つCollaboration but with Individual Accountability
・「うまく機能するイノベーションシステムでは、多様な貢献をしてくれる人からの情報、インプット、努力の集積が必要だ。」「しかし、しばしば協力と同意(consensus)は混同されてしまう。そして、コンセンサスは変革をもたらすイノベーションに関する複雑な問題を生み、迅速な意志決定の障害になる。結局、誰かが決定し、その責任をとらなければならないのだ。」
・「説明責任と協力は補完的であり、責任は協力を促進できる。」「現在J&Jchief scientific officerであるStoffelsは・・・次のように約束している『皆さんはリスクをとる;私は責任をとる』」

5、階層が少ないながらも強力なリーダーシップを持つ(Flat but Strong Leadership)
・「組織図を見れば、その企業の構造的なフラットさがよくわかるが、人々が組織での地位に関わらずどのように振る舞い交流するかという文化的なフラットさについてはほとんどわからない。文化的にフラットな組織では、人々は、広い範囲の行動が許容されており、意志決定でき、意見を述べることができる。尊敬は地位ではなく能力によってもたらされる。文化的にフラットな組織では、関連する情報源に近いところに意志決定が分散されているため、急激な状況の変化に機敏に対応できるのが一般的だ。そこでは、広い世界からの知識、専門性、視点が活用されるので、階層的な組織よりも豊かで多様なアイデアが生まれる傾向がある。」
・「しかし、階層がないということはリーダーシップがないということではない。逆説的だが、フラットな組織は階層的な組織より強いリーダーシップが必要とされる。フラットな組織では、リーダーシップが明確な戦略的優先付けと方向を示せない場合にはしばしば混乱に陥ってしまう。」
・「ここでも、フラットさと強いリーダーシップのバランスを保つために、巧みなマネジメントが求められる。」「上級リーダーにとっては、説得力のあるビジョンや戦略(全体像)を示す能力が必要であると同時に技術、運営について精通した能力が求められる。従業員にとっては、フラットな環境では、自身のリーダーシップ能力を高め、行動し、自身の決定を受け入れることが求められる。」

変革をリードするLeading the Journey
・「すべての文化的変化は難しい。組織文化とは、そのメンバーが従うべき規則を定めた社会契約のようなものだ。リーダーが組織文化を変えようとすれば、それは社会契約を壊そうとするようなものだ。だから、組織内部の多くの人が、特に、既存のルールのなかでうまくやっていた人が抵抗することは驚くことではない。」
・「イノベーティブな文化を築き、維持する旅を導くことは、次の3つの理由で特に難しい。第一は、イノベーティブな文化は、一見矛盾するような行動の組み合わせを求め、混乱を生むリスクを高めるからだ。・・・第二には、ある種のイノベーティブな行動には受け入れやすいものもあるが、組織の特定の人にとっては快くないものもある。イノベーションを何でもありの自由なものと考える人は、規律を創造性の発揮にとって不要な障害だと考えるだろう。みんなで決めたコンセンサスに快適さを感じる人は、責任が個人に移行することを歓迎しないだろう。第三に、イノベーティブな文化は相互依存的な行動のシステムであるため、少しずつ導入するやり方ができないことだ。」
・「文化を変える上でリーダーが通常できること(価値を明確に伝えること、目標となる行動モデルをつくることなど)に加えて、イノベーティブな文化を作るためのいくつかの特定のアクションがある。第一は、リーダーがイノベーティブな文化の厳しい現実に率直になることだ。この文化は快いことばかりではない。第二には、イノベーティブな文化を築くための近道がないことをリーダーは認めなければならない。あまりに多くのリーダーが、組織を小さなユニットに分割したり、自律的な『スカンクワークス』を立ち上げたりすることでイノベーティブな起業家的文化をまねることができると思っている。このアプローチはほとんど機能しない。・・・最後に、イノベーティブな文化は不安定で、均衡状態にある力の間の緊張は、簡単に崩れてしまうため、リーダーはどこかで過剰が発生してしまう兆候に警戒し、必要な時はいつでもバランスを立て直すように干渉する必要がある。リーダーは特に自分自身についてある傾向が過剰にならないように用心する必要がある。組織のデリケートなバランスの均衡をとりたいのなら、リーダーとして自分自身のバランスをとれることを示さなければならない。」
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イノベーションに適した環境、文化の特徴として、失敗活用、実験、心理的安全、協力、フラット化はよく挙げられます。それぞれがイノベーションに役立つことに異論を唱える人はあまりいないと思いますが、その実現はそれほど簡単なことではないことに同意される方も多いのではないでしょうか。本論文で述べられている、なぜ、どういうところが難しいのか、どうすればよいのかについての提言は、実務家にも役立つのではないかと思います。もちろん、イノベーティブな文化を築く上で、これ以外にも重要な要因はあるかもしれません。また、課題の克服方法として著者の提案以外の方法もあるのではないかと思います。難しさは理解した上で、それでも挑戦する価値がイノベーションにはあると思いますので、イノベーションの様々な側面の理解はますます重要になっていくのではないかと思います。


文献1:Gary P. Pisano, “The Hard Truth About Innovative Cultures”, Harvard Business Review, January-February, 2019, p.62.
https://hbr.org/2019/01/the-hard-truth-about-innovative-cultures


研究開発実践のマネジメント第38回-イノベーション普及に関連した様々な考え方:研究開発マネジメントの実践と基礎知識2.5.1.3)(「ノート」全面改訂)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)
第8回第17回
2.2
、研究開発を行う人のマネジメント第18第24回
2.3
、研究組織とそのマネジメント第25回第29回
2.4
、研究プロジェクトの運営第30回第36回
2.5
、研究成果を生かす
2.5.1
、研究成果を使ってもらうには、1)研究成果を使ってもらうためのポイント、2) Rogersによるイノベーション普及学の要点第37回

3)
イノベーション普及に関連した様々な考え方と発展
研究成果を世に出す上で、前回ご紹介したRogersのイノベーション普及論の考え方は技術やアイデアの新しさに劣らず重要で、実践的にも有用な概念と言えるでしょう。しかし、その考え方を使う際にはいくつかの注意点も指摘されています。さらに、Rogersの考え方を応用・発展したいくつものアイデアが提案されていますので、今回はそのような普及に関連する考え方をまとめてみたいと思います。

ロジャーズ普及論の限界
三藤はRogers普及論の限界について次の点を指摘しています。
・「ロジャーズの提案するイノベーション普及モデルは、シーズの発見やニーズの把握に始まり、研究開発を経て製品が開発され、その製品が市場に投入されて、社会システムに普及し、遂に日常化して社会に定着するに至ることを想定しています。このモデルは一方向的つまり直線(リニア)的な進行を前提としていますので、リニアモデルと呼ばれています。[文献1、p.52]」「しかし、実際のイノベーション普及過程はリニアモデルで説明できるほど単純ではありません。[文献1、p.53]」
・「リニアモデルは、研究開発と普及は別個に進行すると過程していますので、原則として普及過程が進行している間にイノベーションを具現化した製品やサービスが変化することを想定していません。[文献1、p.54]」
・「ロジャーズ普及論の原点はハイブリッドコーンという単一の製品に関わる技術的なイノベーションの普及過程にある[文献1、p.55]」。「関連要素の数が多くなると・・・要素間の関係が多岐にわたることになり・・・製品単体のイノベーションの普及と比べて、より複雑な挙動を示すことになります。[文献1、p.56]」
・「コミュニケーションチャンネルが限定的であった時代は、ある程度時間をかけてイノベーションが普及していましたが、現在では普及現象が爆発的に起こる可能性が高まっています。[文献1、p.58]」

つまり、Rogersの普及論の成果を確実なものとして利用するには、その前提をしっかり認識しておく必要がある、ということでしょう。ちなみに、Rogersの原著(文献1)の表題は「Diffusion of Innovation」であり、「Diffusion」が「普及」と訳されていることになります。科学の世界ではdiffusionの訳語は普通は「拡散」でしょう。一般に、分子等が拡散していく過程では物質の変化は想定されないことがほとんどだと思いますので、Rogersがそうした「拡散」に基づくモデルをイメージしていたかもしれないと考えれば、上記のような限界は技術者の皆さんには理解しやすいのではないかと思います。

ロジャーズ普及論の改良・進歩
Rogers
普及論の基本的な考え方に従って、そのモデルの一部を改良し進歩させるような研究は数多くあるようです。ここでは、一例として井上達彦氏の解説に基づいて、2005年に発表されたファーリーらの研究(Ferlie, E., Fitzgerald, L., Wood, M., Hawkins, C., 2005, Academy of Management Journal, 48(1), p.117)の内容をご紹介したいと思います。
・「ここで紹介する研究論文は『なぜ効果が認められているイノベーションが普及しないか』の研究です。[文献2、p.172]」「これまで、高度な専門性を有する組織はイノベーションの導入に積極的であると考えられてきました。・・・ファーリーたちの研究によって、専門職ネットワークがイノベーションを広めるというのは、単一の専門職集団での普及に限った話であることがわかった・・・複雑な組織というのは、複数の専門職集団を抱えているものです。それぞれ、異なった価値観や規範や信念をもって営まれているので、科学的な根拠があっても、その解釈をめぐって論争が生まれてもおかしくありません。組織や専門職集団の間には『見えない壁』があり、それが普及を阻害しているかもしれないのです。[文献2、p.194]」「専門職からなる実践共同体というのは、内部で触発し合って学習したり変革することは得意です。しかし、外からの刺激をもとに学習したり、外からの圧力によって変化するのは苦手です。タコツボ化と揶揄されるように、狭いコミュニティで自己閉塞しやすい集団(self-sealing group)なのです。ファーリーたちの研究は、専門家集団のタコツボ化しやすい特性を『社会的・認知的境界』という考え方で学術的に裏付けました。[文献2、p.195]」
専門家がイノベーションの阻害要因になりうることは、研究者として特に注意すべきことではないでしょうか。

普及論の発展(Mooreのキャズム)
普及論のアイデアを活用した考え方としては、ムーアによるキャズムが最も有名でしょう。キャズムとは、Mooreによれば「アーリー・アドプターとアーリー・マジョリティーのあいだを分かつ深く大きな溝[文献3、p.30]」とされます。(アーリー・アドプターは文献4では「初期採用者」、アーリー・マジョリティーは「初期多数派」と訳されています。)ここで、「溝」というのは、横軸に時間、縦軸に時間あたりの採用者数(採用速度)をとったRogersが想定する正規分布の中に断絶があるということを言っているようで、その解釈を真っ正直に理解すると、溝の期間においては採用速度がゼロになる、つまり採用者が増えない、ということになります(このあたり、Mooreの説明があまりきちんとしていない印象です)。こうした「溝」が発生する原因について、Mooreは、「アーリー・アドプターとアーリー・マジョリティー・・・に共通点が少ないため、アーリー・アドプターがアーリー・マジョリティーの適切な先行事例となり得ない[文献3、p.31]」とし、「アーリー・マジョリティーにとって参考になる先行事例は、他のアーリー・マジョリティーなのだが、そのアーリー・マジョリティーは、有用な先行事例をいくつか見てからでなければ製品を購入しない[文献3、p.31]ために普及の停滞が発生すると説明しています。そしてその結果、「ある顧客グループに対して、ベル・カーブ上でその左に位置する顧客グループに対するのと同じ方法で製品が提示された場合には、全く効果を発揮しない[p.25]」ことになると述べています。

このキャズムについて、Rogersは、「革新性という連続体のうちで、5つの採用者カテゴリー相互間に明確な断絶が起こることはない。それにもかかわらず、『イノベータ、初期採用者』対『初期多数派、後期多数派、ラガード』の間には不連続が存在すると主張する研究者がいる[ムーア、1991]。これまでの研究には、採用者カテゴリー間に『キャズム(深い溝)』が存在するという主張を裏づける知見はない[文献4、p.231]」と述べています。一方、Rogersの著書(文献4)の訳者でもある三藤氏は次のように考え方の違いを説明しています。「ムーアは・・・製品の変化や改良を明確な形で『技術採用のライフサイクルモデル』のなかに組み込んでいる[文献1、p.44]」。「市場のボリュームゾーンを構成する実利主義者・・・に当該製品が採用されるためには、彼らから見た費用対効果比つまりコスパが十分に高く良好でなければなりません。キャズムは洞察者と実利主義者の間に横たわる深い溝のことなのです。ムーアは、実利主義者はIT関連のハイテク製品では一定程度の技術的な知識を持つ一方、価格に敏感に反応すると説明しています。彼らのニーズを満たすためには、一段の価格の低減と性能の向上が必要になります。・・・実利主義者の支持を得ることができれば、当該イノベーションに基づく新製品はキャズムを乗り越えることができます。・・・ムーアの場合、キャズムの適用をICTなどのハイテク製品に限定していることがミソです。[p.45]」「ハイテク製品は、そのライフサイクルにわたって、明確に進化を遂げ、変化します。つまり、イノベーションの変化を考慮に入れていないロジャーズの普及モデルでは想定することのできない現象だったのです。[文献1、p.45-46]」(筆者注:ここで洞察者はアーリー・アドプターのこと、実利主義者はアーリー・マジョリティーのことを意味しています。)

結局のところ、Rogersのモデルは製品の変化を考慮しない単純化されたモデルであるのに対し、Mooreは、製品がアーリー・アドプターの特性を持った顧客に受け入れられた後に採用が進まなくなる場合には、マーケティングの方法や製品の特性を変化させていく必要がある、ということを主張していると考えられます。実務の観点から考えると、Rogersのモデルが単純すぎると判断されるケースでは、製品開発、販売戦略を変更する必要があるということになるのでしょう。例えば、FurrDyerは、次のように述べています。「ムーアは、特定の顧客グループがなぜ自社のソリューションに惹きつけられているのかを深く理解し、そのうえで自社のリソースを一つのニッチなターゲット顧客に集中しなければならないと主張している。目的は、自社のメッセージを効率的に伝え、十分な正当性を何人かの参照顧客(アーリー・マジョリティの一部)の心の中に作ることである。そうすることで、顧客は安心して製品を採用しようと思うのだ。このようなアーリー・マジョリティの参照顧客は接点となり、他の同じような考えを持つ顧客に製品を試すように説得してくれる。[文献5、p.266]」

さらに、Mooreは、イノベーションの採用過程だけでなく、イノベーションの成長、成熟、衰退というライフサイクルにまで範囲を広げて、それぞれにどのような対応をすべきかを提案しています[文献6]。また、このライフサイクルが短期化し、急速な成長と衰退が起こるケースについてビッグバンイノベーションという考え方も提案されています[文献7]。これらの議論は現段階ではキャズム以上に厳密性に欠けるように思われますので、普及論との違いをしっかりと認識した上で、仮説として使えそうなものがあれば参考にしてみる、という役立て方をするのが適当なように思われます。

情報の伝達過程の変化
情報ネットワークの変化に関しては、ChristakisFowlerは、「ロジャーズの理論によると、テクノロジーが広がるスピードは最初のうちは遅いが、やがて速くなり、すべての人に行き渡る頃にはまた遅くなるという。だが、社会的ネットワークの構造を考慮に入れた最近の研究では、そう単純ではないことがわかっている[文献8、p.201]」。「イノベーションを普及させようとする際の基本的な考え方は、情報や影響力は密接で深いつながりを通じて広がる、というものだ。・・・しかし、この考え方は人間の社会的ネットワークの重要な特徴を見逃している」。強い絆に基づく構造は、「集団外の人と接触するには都合が悪い」[文献8、p.203]と述べています。基本的な情報伝達の速度が速くなっているのは間違いないと思いますが、似たような技術の間での競争が起こりやすくなることも考えられるでしょう。どのような情報がどう伝わるか、それがイノベーションの普及速度にどう影響するか、普及のどの過程に対する影響が大きいのか、など興味がもたれます。


文献1:三藤利雄、「イノベーションの核心 ビジネス理論はどこまで『使える』か」、ナカニシヤ出版、2018.本ブログ記事へ
文献2:井上達彦、「ブラックスワンの経営学 通説をくつがえした世界最優秀ケーススタディ」、日経BP社、2014.本ブログ記事へ
文献3:Geoffrey A. Moore, 1991,1999,2002,2014、ジェフリー・ムーア著、川又政治訳、「キャズム2 新商品をブレイクさせる『超』マーケティング理論」、翔泳社、2014.
文献4:Rogers, Everett M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献5:Nathan Furr, Jeff Dyer, 2014、ネイサン・ファー、ジェフリー・ダイアー著、新井宏征訳、「成功するイノベーションは何が違うのか?」、翔泳社、2015.本ブログ記事へ
文献6:Geoffrey A. Moore, 2005、ジェフリー・ムーア著、栗原潔訳、「ライフサイクルイノベーション 成長市場+コモディティ化に効く14のイノベーション」、翔泳社、2006.
文献7:Larry Downes, Paul Nunes、ラリー・ダウンズ、ポール・F・ヌーネス著、江口泰子訳、「ビッグバン・イノベーション 爆発的成長から衰退に転じる超破壊的変化から生き延びよ」、ダイヤモンド社、2016.本ブログ記事へ
文献8:Nicholas A. Christakis, James H. Fowler, 2009, ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムズ・H・ファウラー著、鬼澤忍訳、「つながり 社会的ネットワークの驚くべき力」、講談社、2010.ブログ記事へ


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