研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

2019年03月

研究開発実践のマネジメント第40回-まとめ(不確実性に基づく研究マネジメント):研究開発マネジメントの実践と基礎知識3(「ノート」全面改訂)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第7回
2、研究開発実践のマネジメント第8回第39回

3、まとめ-不確実性に基づく研究マネジメント
前回をもって、本シリーズで書いておきたいと思った研究開発マネジメントに関する基礎知識のまとめは完了です。ただ、実践に役立つよう要点をシンプルにまとめようとしたものの、思ったよりも複雑になってしまった点で残念なところもあります。そこで、今までの内容をさらに絞り込んだ「まとめ」を今回試みることにしました。私見になってしまいますが、日々研究に携わっている第一線の研究マネジャーの方々にも、ぜひこれだけは知っていて欲しい、これを知っていれば、知らずに見よう見まねでマネジメントをするより格段に成功しやすくなるのではないか、と考える点をまとめます。ひとつの試みとしてご理解いただければ幸いです。

3.1
、不確実性に基づく研究マネジメント
私が考える研究マネジメントの根本は、研究に必然的に伴う「不確実性」を重視しなければならない、ということになります。そこで、このまとめの表題を「不確実性に基づく研究マネジメント」としました。以下、その具体的な内容を述べさせていただきます。

研究とはどのようなものか
研究の最も大切な役割は、「新しいことへの挑戦」ではないかと思います。しかし、「新しいこと」は「未知のこと」でもあり、うまくいくかどうかわかりません。この状態を「不確実性がある」と理解すれば、研究をうまく進めて成果を出す活動は、「不確実性を減らす」活動だ、と言えると思います。

なぜ不確実性は避けられないのか
単に未知だから不確実だ、という以外にも不確実性をもたらす様々な要因があります。例えば、複雑系の現象では原理的に予測が不可能な場合があります。また、目標が達成可能なものであったとしても、そこに至る手段が非現実的な場合もあるでしょう。さらに、人間の持つ不可避的な認知バイアスによって判断が歪められる場合もあります。従って、将来を正確に予測しようとするよりも謙虚になって不確実性の存在を受け入れる方がよい場合がほとんどと言えるのではないでしょうか。特に、前例のない課題や複雑な課題に対しては、不確実性を無視した進め方はほとんど運を天に任せた状態になってしまうのではないかと思います。

どんな点の不確実性が研究にとって重要か
研究が解決すべき不確実性としては、次の3つの領域に分けられると考えます。すなわち、技術的な達成可能性、②ニーズの有無、③収益を挙げる方法(ビジネスモデル)、です。この3つの不確実性がすべて適切に解決されなければ研究は成功したとは言えず、また商業的な成功も得られないのではないでしょうか。

取り組むべき課題を見つける
取り組むべき課題、すなわち「研究のアイデア」を見つけるには、上記の不確実性①~③のうち、不確実性が低いところがヒントになることが多いと考えられます。例えば、技術的にあることができそうだとわかっている場合、シーズ起点のアイデアになるでしょうし、こんなものが売れそうだというアイデアがあればニーズ起点のアイデアになるでしょう。ビジネスモデル起点のアイデアも考えられるはずです。
加えて、アイデアを「発見」するアプローチも重要です。アイデアを得るためには、「新結合」すなわちアイデアの組み合わせを考えることが有効と言われています。また、観察からの「気づき」も重要だと言われています(例えばエスノグラフィーの手法など)。セレンディピティーの活用も心がけておくべきでしょう。なお、こうしたアイデア発掘のための手法は、問題解決アイデアを探る段階でも威力を発揮します。

取り組む課題(研究課題)を選ぶ17
研究が不確実なものであることを前提とするなら、ひとつのテーマだけに賭けるのはリスクが大きくなります。従って、いくつかのオプションをあらかじめ準備することは有効な対応策といえるでしょう。あるいは、いくつかのプロジェクトを同時並行で進めることも考えられます。その場合には、それぞれの課題の不確実性と期待効果(実現可能性)を基準に、ポートフォリオとして偏りが大きくなりすぎないように注意することが効果的と考えられます。

どのような研究の進め方をすべきか30
まずは、課題のどこにどのような不確実性があるかを認識することが重要です。
そして、不確実性が高い部分から不確実性を下げていく検討をすることが効果的だと思われます。具体的な方法として近年主流になりつつあるのは、試行を行ってその結果からの学習を繰り返すアプローチで、リーン・スタートアップやデザイン思考がその例として挙げられます。
不確実性が高ければ、なるべくコストをかけずにその不確実性を下げるような試行(プロトタイプ作成も含む)を工夫して実施し、得られた結果に学んで課題に対する取り組みの方向を変更していく、というアプローチです。
大きなプロジェクトともなれば、様々なところに不確実性があり、すべての不確実性が把握できていない場合もあるでしょう。そのような場合は、不確実性を探索するためになるべく早い時期にできる限り広い範囲の試行を行い、試行を通じて不確実性のありかと程度を把握することをおすすめします。

研究の止め方
何かをしたいとすれば、今やっている何かを止める必要があるのが普通です。そうでなければ資源がいくらあっても足りません。しかし、研究をうまく終わらせることはなかなか難しいものです。難しいのであれば、止め方を制度化するような仕組みも考えておく必要があるでしょう。「止める」とは言わずに「棚上げする」とするとか、「止める」とは宣言せずに「より魅力的なプロジェクトに資源を移す」というような進め方は一考の価値があると考えます。

研究グループの能力を高める18
よい進め方をいくら追求しても、能力不足の研究グループでは成果を得ることは難しいでしょう。研究部隊の能力を高める方法として特に重要なのは、メンバーの意欲を高めること、個人(組織)の能力を上げること、協力を活用すること、の3点が挙げられると思います。
メンバーの意欲を高める方法に関しては、動機付け(モチベーション)に関する多くの研究成果があります。どのような組織にすべきか、どのようなリーダーシップが望ましいのか、どのようなインセンティブが効果的なのかをよく考える必要があるでしょう。研究者の動機付けに関して特に注意すべきだと思われる点は、Herzbergの動機づけ要因と衛生要因の区別、外発的動機付けよりも内発的動機付けを重視すべきことが挙げられると思います。また、研究者の適性を考慮することも重要でしょう。
能力を上げることについては、失敗を含む経験から学ぶことが重要だという指摘が近年増えているように思います。
協力は異なる知恵を活用することとも言えるでしょう。そのためには、目に見える属性の多様性ではなく考え方の多様性が必要とされることが多く指摘されています。さらに、協力を効果的にするためにはコミュニケーションをうまく行うことが重要です。個人の暗黙知を表出化して、他の人に伝えることがうまくできなければ、協力が成立しにくくなります。最近では組織を超えた外部との協力関係の重要性も指摘されるところですが、そうした大きな範囲での協力関係をうまく構築する手法はまだ確立していないように思われます。協力の基本には「信頼」関係の構築が必要なのではないでしょうか。

以上が、現時点で私が考えている研究マネジメントの要点です。やや省略しすぎたところもあるとは思いますが、これぐらいであれば、実践家の皆さんにも指針として心に留めていただける分量なのではないかと思います。もちろん、研究課題は多様ですので、上記の方法よりも好ましい方法がある場合もあるでしょう。また、本質の理解にとっては、こうしたシンプルなまとめよりも、様々な事例を知ることの方が好ましい場合もあるでしょう。課題の遂行にあたって様々な事例や考え方を参考にすることは非常に有意義ですので、上記の考え方だけで十分というつもりはありません。ただ、上記のようなまとめは、こういうことをあまり考えたことのない実践家の皆さんにとっては、入門的な整理にもなるのではないかと思います。実践家の皆さんがいろいろなマネジメントを試してみる上で、さらにイノベーションを成功させる上でのヒントになれば幸いです。




「思考停止する職場」(飯野謙次著)より

イノベーションをうまく進めるためには、失敗から学ぶことが重要だという指摘が最近多くなされるようになっていると思います。ただ、この時の「失敗」とは、「思ったような結果にならなかった試行」のような意味で使われていて、失敗を恐れずどんどん試行してその結果から学ぶことが求められていると考えられます。一方で、例えば人為的ミスなど、「起こしてはならない失敗」から学んで、そうした失敗を二度と起こさないようにすることも求められます。片や起こしてもよい失敗、片や避けるべき失敗、ということになるでしょうが、どちらもその失敗から学ばなければならないことは同じといえるでしょう。

では、失敗から学ぶにはどうしたらよいのでしょうか。おそらくどんな失敗にも想定外の原因があるのではないかと思います。事前に予想できない想定外のことから学ぶにはどうしたらよいのでしょうか。今回ご紹介する、飯野謙次著「思考停止する職場 同じ過ちを繰り返す原因、すべてを解決するしかけ」[文献1]では、「失敗学」の観点から、失敗の原因、そして失敗からうまく学べない原因と対策が議論されています。著者は、思考停止を避け、創造性を高めることの重要性を指摘しており、研究マネジメントにとっても示唆に富む内容と感じましたので、以下に興味深く感じた点をまとめたいと思います。

はじめに
・「組織の思考停止は、危険の可能性を知りながら、その対策を考えずに危険そのものを否定したり、不正会計や不良品をそのままにしたりすることにつながり、大きな社会問題に発展します。人の思考停止は、作業の滞りや、修正のために不必要な作業を周りが強いられたり、危険に対する創造的対策を立てられず、精神論に頼ってやがて大きな事故を招いてしまったり、最悪の場合、戦力の喪失や、告発による失職にまで発展しかねません。本書では、職場での思考停止を招かないためには、上司は何を考えなければならないか、さらに部下の潜在能力を引き出し、自分のグループの活力を2倍にも3倍にもするためのコミュニケーションについて解説します。これを『エムパワリング・コミュニケーション』といいます。英語でEmpowering Communicationです。[p.6-7]」
・「失敗に直面したときに思考停止に陥っては、同じ失敗を繰り返すだけです。このときに、創造的方法で失敗を繰り返さないよう考えるのは、失敗がくれた発展のためのチャンスだと考えます。[p.9]」

第1章、危険な職場を生むコミュニケ-ション
・「他人の意識は自分の意識とは違います。そのため、自分の意識、思っていること、望んでいること、望んでいないことは、言葉を通して相手に伝えることになります。[p.19]」「育った環境、個人的な事情により、同じ日本語の言葉であっても人によってその言葉にまつわる認識が違うものです。[p.23]」
・「硬直した組織では、よけいな摩擦を避けるためでしょう、グループの役割が隙間なくぴったり寄り添って、お城の石垣のような模様を作ります。ところが競争の激しい現代では、昨日と同じように仕事をしていたのでは、競争についていけません。[p.31]」「各グループが硬直したままの仕事分担を考えていたら、仕事の抜けができてしまいます。このときに必要なのが、各グループでも、組織活動の状況に応じて有機的に自分たちの作業範囲を変えてしまうことです。・・・このように柔軟に変化に対応できる組織では、当然ながら『重なり』をなくすことはできません。[p.32]」「このような柔軟な組織運営にこそ、コミュニケーションが必要です。誰、あるいはどのグループに余裕があるか、どこの負荷が多いか、抜けている作業はないかなど、当事者たちと話し合ったり、あるいは当事者同士が横のつながりで話し合ったりして、リアルタイムで必要に応じてそれぞれの分担を決めていくのです。コミュニケーションの少ない組織では、そのときに応じた適切な体制など作れるわけがありません。[p.33]」
・「チームをまとめて率いる人は、まずチームの『目標』を定める必要があります。目標が曖昧だったり、不明確だったりすると、チームメンバーは、ただ言われたことをこなすというルーチン的作業にはまり込み、士気も上がらなければ作業効率も悪くなります。[p.41]」「まずは簡潔な言葉で、誰にもわかりやすい目標であることが重要です。・・・あまりに抽象的な表現では目標を簡単に見失うことになります。[p.42]」「一方、・・・コミュニケーションの『報告』と『指示』は、目標ではありませんので、簡潔でポジティブな表現である必要はなく、正確で詳細であることが大切です。[p.43]」「具体性のない指示を与えられて、経験の少ない人が動き出したとき、それこそ過去の失敗を繰り返したり、安全や品質といった大きな制約条件を忘れた行動を取ったりしたら、事故や不祥事につながりかねません。・・・報告は、詳細を無視して、自分なりに結果を解釈して行われたのでは困りものです。[p.44]」
・「人間には自己防衛本能があります。[p.45]」「日々の作業を進めるなかでのちょっとしたミスは、隠したいのが私たちの本音です。・・・日ごろの上司の叱咤が厳しく、メンバーが萎縮してしまっているようなグループでは、黙っている、すなわちコミュニケーションに蓋をするという行為に走ってしまいがちです。[p48]」「コミュニケーションの阻害が始まると、グループの本当の姿を上司は見ることができなくなり、やがては業務の進行に著しい支障をきたすようになります。[p.49]」
・「ミスが起こったときは、必ず原因があります。原因の分類は、・・・私は『学習不足』『注意不足』『伝達不良』『計画不良』の4つを挙げます。その結果起こることは、知らなかったという『無知』、知っていたのに正しく行動できなかった『無視』、そして思い違いをしていたという『過信』です。[p.49]」「『無視』には、意識せずに無視してしまった『注意不足』と、知っていたけど、面倒だった、大丈夫だろうと思ったという意識しながらの『無視』の2種類があります。どちらの場合も解決は簡単ではなく、『周知徹底』『教育訓練』『管理強化』の失敗学でいう『三大無策』に頼ってしまうのが人からなる組織の傾向です。これらが無策であるのは、目指しているのが精神論的解決だからです。[p.50]」「周知徹底をすれば、そのときは効果があって、同じ失敗を繰り返さないのは当たり前です。ところが慣れとともに、いつの間にかその大切な知識が抜け落ちてしまう人間の特性に対しては、何も対策ができていません。生き物である人間は、特定の作業について、その進行に必要な知識はいつの間にか意識しなくなるものであり、特にそれを次の人に引き継ぐときには、その大切な知識の伝達が抜け落ち、作業の形式だけを伝えてしまうものなのです。これはその作業が作業者の知識に頼っているのがいけないことであり、作業そのものに変更を加えて、その知識がなくとも確実に進むものにしなければなりません。[p.53]」「教育訓練はもちろん必要ですが、いざ現場に出て、ベテランに現場は違うんだよと聞かされたら、現場の習慣に従うのが人間です。[p.56]」管理強化は「三大無策のなかで、最も避けなければならない対策です。・・・管理を強化するというのは現場で失敗が発生するのを認め、それを管理で事前に見つけるということです。[p.57]」「管理の強化をやりすぎると、その管理の手順に従うことに気を取られ、作業が形骸化してしまいます。[p.58]」「管理強化という言葉は現場を萎縮させ、不具合に気がついてもそれを隠そうとする心理が働きます。・・・根本的な問題は、人の注意力に頼らなければいまくいかない、あるいは監視や意識を高めないとやる気にならない手順そのものなのです。[p.59]」
・「人であれ、機械であれ、電子回路やセンサーであれ、壊れることがあるという前提を意識しなければなりません。[p.64]」「失敗学では、人は『見たくないものは見えない』と教えます。[p.65]」
・「数ある失敗事例に関する細かい情報を頭のなかに入れることは不可能です。重要なのは、個々の事例をよく学び、そこからその失敗のエッセンスともいうべき失敗知識、すなわちどんなとき、どんな条件で失敗が起こるか、その知恵を身につけることです。[p.74-75]」「ただし、この知恵は抽象的な概念であるため、人に伝えようと文字や絵にしても、聞き手はすぐに忘れてしまいます。具体的な体験がないために、腑に落ちないのです。失敗体験から得られる失敗知識、すなわち知恵を人に伝えるには、抽象化の過程で削ぎ落とした一見不要と思われる枝葉な情報をも、聞き手に伝えることです。[p.77]」

第2章、自分で考えて動く人が育つしかけ
・「最初の仕事は真似から始まります。このときはマニュアル通りに作業を進めることを教えてください。[p.155]」「仕事には、本書でその必要性を説く創造性を発揮しなければならない場面もありますが、大方の作業は決まった手順に従って間違いのないように進めるものです。・・・マニュアルは、私たちが何か技能を身につけるときに、懇切丁寧にその方法を解説してくれる先人の手ほどきともいえるものです。[p.90]」「マニュアル作成側が気をつけなければいけないのは、正しいマニュアルが良いマニュアルとは限らないことです。[p.94]」「わかりにくい、現場の実情からかけ離れて無視されているなど、マニュアルそのものに失敗の原因があることが多いのです。[p.95]」「環境はとてつもないスピードで変化しています。・・・マニュアルも変える必要があります。[p.100]」
・「初心者に創造的になってもらっては困ります。ただ与えられた単純作業を黙々とこなしながらも、やがては『なぜ?』、『もっとうまくできないか?』と考えるようになるのが創造性をもった人です。そしてその創造性は誰にでも備わっており、それを使うか使わないかの違いがあるだけです。[p.107]」「マニュアルに従いながらも、考えるというのは、自己流でマニュアルから逸脱することとはまったく違います。考えた末に、もっといいやり方があると確信したなら、勝手にそれを始めるのではなく、まずは相談をするよう仕向けることです。[p.110]」
・「『思考展開図』を利用すると効果的に立案、遂行、見返りができます。・・・左側が要求機能・・・それを複数の副次要求機能に分解します。・・各要求機能は1つ、もしくは複数の解要素につながります。・・・複数の解要素が集まってより上位概念の解(副次解)を構成し、すべての副次解を集めて総合解とします。[p.116-118]」
・「ある研究成果では、性格が外向きの人よりも、内向き(introverted)の人がグループリーダーとなったほうが、グループとして優秀な成績を収めるともいわれています。外向きの人は決断が早く、いったん方向を決めたら、ゴールに向かって突っ走るのに対して、内向きの人はメンバーの意見をよく聞き、熟考するからだということです。[p.124]」
・「最近『指示待ち人間』という言葉をよく耳にします。自ら考えることをしないで、言われたことだけをこなそうという人です。[p.125]」「指示待ちになってしまうと、いざというときに考えようともしません。[p.127]」「指示を待つのではなく、自分で積極的に考えて動く人になってもらうには、いきなり『自分で考えて動け』と行っても思うようになりません。・・・少しずつ、自分で考える機会を与えながら、部下を育てる気持ちをもつことです。[p.129-130]」
・「成功談や成功体験というものは、そのときに条件がそろって、そのときに行った決断や行動がうまくいったもので、意欲の高揚や人を元気にする効果はありますが、いざ別の場面に出くわしたときにはあまり役に立たないものです。条件も、市場や顧客の状態も変わってしまっているため、その通りをなぞっても同じように成功することは稀有なことです。[p.132]」
・フォールトツリー解析:「まずは、何が起これば避けたい事象が起こるか、AND(ぶら下がったノードがすべて起これば上の事象は起こる)とOR(ぶら下がったノードが1つでも起これば上の事象は起こる)ゲートを使って論理の木、ツリーを構築します。次に、ツリーの一番下、末端にある各ノードの発生確率を計算します。・・・計算結果が十分小さくない場合、ツリーのどの枝が大きな数字に結びついているかを見て、不具合確率の少ない部品に変えたり、設計を見直したりします。[p.140-141]」
・「アメリカでは20世紀終わりごろに言われ始め、今世紀も新しい開発に取り掛かるときに言われる『アンカンクス』という概念があります。英語で『Unkunks』、Unknown-Unknownsを略した言葉です。・・・『予測できない不明要因』とでも訳しましょうか。・・・ボーイング社でも、新機種の開発に取り掛かるときは、アンカンクス対応を最初から予算に入れて計画を立てます。[p.145]」

第3章、こわいのは、上司のこのひと言
・「本章では、どのような話し方が人の創造性を潰してしまうのかを解説します。[p.160]」
・「リスクがある」、「前例がない」、「成功例はあるの?」、「それ、ニーズあるの?」(「すでにあるなら、そのアイデアは『もう古い』」)、「うちの業界はね・・・」(過去のモデルにこだわるのは危機的状況)、「できない」(「その発言はあなたの創造性の欠如をも露呈」)、「つべこべいうな」(部下からの反論に対して)、「かんたんだから」(「自分の受けもつ作業を任せようとする場合、・・・『簡単だから』と部下に簡単の責任を一方的に押しつけるのはかえってマイナス」)、「こんなこともできないのか」(部下にとっては苦手なことがある)、「期待してるよ」(ハッパをかけるのはかえって逆効果になることがある、張り切って周りの同僚に迷惑をかけたり、うまく進まないときに報告をためらったりと、プレッシャーが裏目に出ることがある)、「空気を読め」(会議での無言の合意がわからないときには、説明してやる必要がある)、「ふつうはね・・・」(「一般論をかざして部下を指導しようとすると、聞いた側にとってはあなたの存在が、一般の人以外の何者でもなくなってしまいます」)、「合理化、効率化」(「新人にベテランと同じ効率を求めたり、急かせたりすると、きちんと行っていた確認作業が疎かになり、考えられないようなミスをしでかすことになりかねません」)、「コスト優先」(「コスト削減を徹底しすぎると、製品やサービスに思わぬ危険が作り込まれてしまいます」)、「ノルマ達成」(「ノルマという追い詰め方は、一時的な効果を生むことがあっても長期的に見るとマイナスです。・・・失敗学では、過度のノルマを設定するのは、経営層が自分たちの力量を見誤ったからと考えます。」)、「コンプライアンスの遵守」(「『コンプライアンスを徹底してください』と言うだけでは、『コンプライアンスとは何であるか』解明するのを部下に押しつけているだけで感心しません。チームのコンプライアンス、特に法令、道徳に関して目を光らせるのは、あなたの仕事です。」)、「周りに迷惑をかけるな」(「組織に入った以上は、迷惑と思わず、うまく作業を分担していると考えることです。」)
・「まとめると、常に新しい可能性に敏感であること、最初に方向を示したり、途中で軌道修正を入れるときは丁寧に説明すること、抽象的な励ましは控えること、曖昧な精神論や不明瞭な言葉を理由にしないこと、部下を一個の人間として尊重すること[p.194-195]」

第4章、思考が動く職場とは、どんな場所か
思考停止に陥らない仕事の進め方
・「きちんと管理しながらリスクとつきあうのが、リスクマネジメントをうまく利用した仕事です。大切なのは、冷静な第三者的観察眼で、見えにくいリスクを正直に俎上に載せて正しく評価すること、そして常にその評価を見直すことです。[p.204]」
・「作業の流れは『グラフにする』[p.204]」(例:PERTProgram Evaluation and Review Technique)図)
・「『観察』『立案』『行動』を繰り返すのが仕事ですが、このなかの『観察』を正しく行わなければ、計画した効果と実際のずれに気づかず、いつまでも成績が上向かない、ミスを繰り返してしまうということが起きます。[p.214]」
・「失敗事例に学び、知識を得、知恵を体系化することで、創造を効果的に行う基盤ができていく[p.218]」
・失敗要因と対策の4M4E:要因として、物(Machine)、環境(Media)、管理(Management)、人(Man)を評価、対策として、教育(Education)、技術(Engineering)、管理(Enforcement)、事例(知識)(Example)を評価する。「失敗学では、世界的に普及している4M4Eの対策のうち、有効なのは技術のみ、残りの3つは三大無策と大胆に切り捨てています。[p.231]」
・失敗要因のSHELL:当事者の人(L)とそれを取り囲むS(ソフト)、H(ハード)、E(環境)、L(他の人)の関係を淳に評価する。[p.231
・「認知科学の分野で開発されたバリエーション・ツリー・アナリシス(VTA: Variation Tree Analysis)は、事故の時系列に従ってイベントを並べ、それぞれの因果関係や「どこが違っていたら、回避できたか」を分析し、再発防止の提言に有効です。[p.234]」「これがなければ事故にならなかった事象」である排除ノード、「ノード間の関連を断ち切ることができ、やはり事故を防ぎ得た事柄」であるブレークも視覚的に捉えることで解決策を見つけやすい。
・失敗学で用いられる「失敗原因のまんだら図」:失敗原因の大分類として、無知、不注意、手順の不遵守、ご判断、調査・検討の不足、環境変化への対応不良、企画不良、価値観不良、組織運営不良、未知の10原因を挙げ、「『未知』だけが、10個の失敗要因のなかで許される失敗[p.240]」としている。
・「失敗をマイナスの出来事とするのではなく、プラスを生み出すチャンスととらえること、これは今までにない考え方です。ただ、プラスを生み出すのは簡単ではありません。・・・第1章で紹介した三大無策を対策としていたのではプラスを生み出すことはできません。失敗からリカバリーしてプラスを生み出すには、その失敗が起こりえない仕組みを考えなければなりません。創造です。[p.252-253]」

おわりに 「正しい」という思考停止
・「失敗学は、硬直して凝り固まった日本の社会に一石を投じ、それを揺さぶる新しい考え方なのだと思います。礼節を重んじ(体面重視)、計画した通りに物事が進まなければいけない(硬直化)日本の社会に、このままではいけないから何とか変えようとする新しい動きです。失敗学とは、失敗に学んで終わるのでは決してなく、新たな創造をなすための学問領域です。[p.259]」
・「正しくないといけないと感じるのは、形にとらわれ、ルールに従い、はみ出してはいけないと考える日本人の美徳でもありますが、競争社会では大きなハンデではないでしょうか。緊急性がなく、普通に仕事が進んでいるときはそれでいいかもしれませんが、それでは発展は望めません。思考が停止してしまっているからです。[p.261]」「あなたが部下をもつ身であれば、思考が停止してしまった人に対しては、そのさびついた思考の歯車に油を差し、少しずつ慣らし運転をしながら『考える人』になってもらうよう指導することです。・・・そのためには、人に自然にやる気を起こさせるエムパワリング・コミュニケーションの手法を会得し、実践することが近道です。[p.262]」
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失敗を避けることと、新しいものを創造することは、一見別物のようにも思われますが、その根本には創造性の発揮という同じ知的営みがあり、創造性を発揮させるには、コミュニケーションを通じてやる気を起こさせることが重要である、というのが著者の主張のポイントのひとつと言えると思います。考えてみれば、失敗への対策を立てるということは、失敗してしまうかもしれないという不確実性を潰していくことと同じ、という意味で、研究開発における不確実性の除去と相通ずるものがあるかもしれません。研究マネジメントについても「考える」ことを促すマネジメントとして整理できるかもしれないと思えた点、興味深く感じました。


文献1:飯野謙次、「思考停止する職場 同じ過ちを繰り返す原因、すべてを解決するしかけ」、大和書房、2018.


 


大胆な発想が出ないとき(「When Your Moon Shots Don’t Take Off」、Furr, Dyer, Nel著HBR2019, January-Februaryより)

イノベーションを、少しずつ改善を積み重ねていく漸進的な(incremental)ものと、世の中を大きく変える画期的なものの2種類に区別する考え方があります。この2つは、それぞれ課題の性質が異なり、うまく進める方法も異なってくるわけですが、一般的には、漸進的なイノベーションは課題も見えやすく不確実性も低めで進めやすいのに対し、画期的なものはその反対で進めにくいという特徴があると考えられます。

では大胆なイノベーションを上手く成功させるにはどうしたらよいのか。今回は、大胆なアイデアを出す段階の方法を議論した、Furr, Dyer, Nel著「When Your Moon Shots Don’t Take Off」[文献1]というHBR誌の記事をご紹介したいと思います。著者の考え方の特徴は、大胆な発想を制約する思考のバイアスの影響を避けるようにする点にあるようです。以下、記事の中から興味深く感じた点をまとめたいと思います。

大胆な発想が出にくい理由
・「イノベーションを進めるための様々な洗練されたツールが増えてきているにもかかわらず、漸進的な思考をしてしまう傾向はどんな業界の企業にとっても悩みの種だ。漸進的なイノベーションは、成長のためのポートフォリオに必要ではあるが、長期的なビジネスを維持の役には立たない。・・・なぜ、Googleが「10x thinking」と呼ぶ、ありがちな10%の向上を目指すのではなく10倍の向上を目指すという考え方をすべての企業がとれないのか?」
・「10xアイデアを制約しているのは、可能性に着目することを避け、我々の認知を歪めてしまうバイアスだ。認知科学は、こうしたバイアスと、『予想通りに不合理』な考え方の謎を解き始めている。その結果、経済学、マーケティング、戦略などの分野で、より『行動(behavioral)』的なアプローチがこれまで主流だった考え方を覆しつつある。」
・「新しい方向を考えるとき、我々はほとんど場合、研究者が『ローカルサーチ』と呼ぶ認知的な罠にはまってしまう。例えば、代表性のあるデータの代わりに手に入るデータを使ってしまう可用性バイアス(availability bias)、すでに知っていることを重視してしまう熟知バイアス(familiarity bias)、自分が信じていることを支持するような新しい情報を求めてしまう確証バイアス(confirmation bias)などがある。その結果、我々は、我々の視界の外にあるより大きな機会よりも、現状に関連する機会にばかり目を向ける結果となる。この記事の目的は、こうした罠を回避するための方法を皆さんと共有することだ。リーンスタートアップやアジャイル開発は役に立つがバイアスと戦うためのものではない点で、ここで述べる方法とは異なる。実際、ハーバードビジネススクールが行った最近の実験では、アジャイル手法は発散的な考え方(divergent thinking)を阻害することがわかってきている。」
・「我々の提案する方法は、網羅的なものではなく、創造的な組織が10xアイデアを手に入れようとする方法のいくつかを示したものだ。この記事の意図は、可能性を制限している力を企業がどう克服できるかについて光を当てるものだ。」

SF
Science Fiction

・「SFは何が可能なのかについて、我々が時空を超えて夢想する助けとなる。・・・我々がコンサルタントを務めたLowe社の事例でも、SFが既存の大企業の将来の姿を描く助けとなった。・・・やり方は顧客と技術に関するデータをSF作家集団に提示して、今から5~10年後にLowe社がどのような姿になっているかを問う、という単純なものだ。我々は彼らのアイデアを集め、彼らの見解がどこで収束し発散したかを見極め、ストーリーに仕上げ、作り上げたspeculative fictionを幹部と共有した。その結果Loweは自律ロボットを顧客サービスと在庫管理に用いた最初の小売り企業となり、最初の3Dプリントサービスを立ち上げ、工具作成用3Dプリンターを国際宇宙ステーションへの設置支援を行った。」
・「イノベーションは技術に関するものばかりではない。我々は、同じプロセスを技術に関係のない場面でも使用している。」

類推(Analogies
著者らはハイゼンベルグが不確定性原理を思いついた際にアナロジーを用いた例を紹介しています。
・「異なる分野からの類推は、時に大きな飛躍に役立つことがある。例えば、UberAirbnbの急成長は、似たような『シェアリングエコノミー』の出現の前兆となっている。」「何かをしなかったことからの類推を使うこともできる。失敗から学ぶこともできる。」

根本原理(First Principles Logic
・「first principle」アプローチでは、基礎的な原理の再検討によって現状に疑問を呈し、ゼロからデザインし直す。」
著者は、Regeneron Pharmaceuticalsによるヒト遺伝子を移植したマウスの例、Elon MuskによるSpaceXの例を挙げています。

外適応を用いた隣接領域の探索(Exploring Adjacencies Using Exaptation
・「ブレークスルーを探索する時、使用できる機会は常に何から始めるかによって決定される。これは生物学者のStuart Kauffmanが彼の理論で『隣接可能性(the adjacent possible)』と述べた考え方だ。しかし、我々には当たり前の使用法や組み合わせに目が行く傾向がある。ポイントは全く違った使用法を見つけることだ。進化生物学によれば、これは外適応と呼ばれるプロセスで起こる。ある目的のために進化した特性が全く異なることの役に立つ場合だ。」

結論
・「この4つのイノベーションアプローチのポイントは、我々の思考を揺り動かし、既知のことにこだわるという我々の自然な傾向を超え、認知バイアスを避けることだ。もちろん他の手段もある。例えばAmazonでは、想像上の新製品を市場に出したとしたときのプレスリリースを書かせる。これは数年のうちにどんな新提案があるかを思い描くことを促す。」
・「どのようなフレームワークやアプローチを使ったとしても、目標とすることはありうる可能性に焦点を当てることだ。たまたま今日起こった細かなことに行き詰まり、アイデアを受けのよいものにトーンダウンしてしまう潜在的なイノベーターが多すぎる。しかし、10x思考を達成するには、漸進主義から脱却し、失敗の恐怖をねじふせなければならない。大きな夢を描く必要があるのだ。」
・「我々は、企業が大きな発見を効率的にできるようになる新たなアプローチが必要だと信じている。そのいくつかをここに示した。イノベーションの分野でも行動的な考え方の革命(behavioral revolution)を受け入れる時だ。認知科学を真摯に受け止めることで、我々は自分たちのものの見方に対する制約をうまく壊せるようになる。なぜそれがそんなに重要なのかって?  未来はいつかそこに至ると定められた目的地ではなくて、我々が作り出すものでしかないからだ。」
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画期的なイノベーションを生み出すには、短期的な思考にとらわれてはいけないことはよく指摘されます。これは単に、ビジネスのシステムが短期志向的であるからというだけでなく、人間の認知的な限界も影響していると考えるべきだというのは、言われて見れば当たり前のように思われますが重要な視点ではないでしょうか。人間を機械のように考えるならば、単にやるべきことを指示し、うまくできるように管理することでよいのでしょうが、機械にできないことを達成しようとするなら、人間の本質の理解は今後ますます重要になっていくのではないでしょうか。イノベーションの本質についての理解の進歩と、そのイノベーションを作り出し、できたイノベーションを受け入れて活用していく人間の本質の理解の進歩にはこれからも注目していく必要があるように思います。


文献1:Nathan Furr, Jeffrey H. Dyer, Kyle Nel, “When Your Moon Shots Don’t Take Off”, Harvard Business Review, January-February, 2019, p.112.
https://hbr.org/2019/01/when-your-moon-shots-dont-take-off


「なぜヒトは学ぶのか」(安藤寿康著)より

研究者は様々なことを学ぶ必要があります。専門的知識もですし、失敗からうまく学ぶことも求められます。では、どうしたらうまく学べるのでしょうか。仮にイノベーションをうまく進めるノウハウがあるとして、どのようにしたら他者に教えられるのでしょうか。一方で、イノベーションには多様性や個性も必要だと言われます。やり方を教えてしまっては個性を阻害することにはならないのでしょうか。イノベーションの進め方を考えるためには、学習、教育、個性といったことについて理解を深めておく必要があるように思われます。

しかし、こうしたことに関する科学的な理解はかならずしも十分ではないようです。人に個性があることはわかっていてもその個性は何に由来するものなのか、使える知識や知恵を持っていること、豊かな発想ができることと学歴やテストの点数とはどう関係しているのか、どうやったら知識や知恵をうまく教えることができるのかなど、はっきりとわかっていないことは多いように思います。そこで、今回は科学的な観点から教育について議論した、安藤寿康著「なぜヒトは学ぶのか 教育を生物学的に考える」[文献1]から、興味深く感じた内容をご紹介したいと思います。

序章、教育は何のためにあるのか?
・「人間(ヒト)は、ほかの動物と違って、生きるために必要な知識を、一人だけでも、またほかの個体がやっているのを見て真似するだけでも学ぶことはできず、すでに知識を持っている人たちから、何らかの形で教わらなければ身につけられない動物として、進化的に生まれついています。このことを強く示唆する科学的な証拠が、動物学や心理学、脳科学などさまざまな領域で、同時多発的に報告されるようになりました。それらを総合して考えると、人間(ヒト)とは『教育によって生きる動物(Homo educans)』であると考えられます。これが本書で主張される最も重要な仮説です。[p.12-13]」
・「人間は生きるための知識を自分一人でため込み、自分のためだけに使うのではなく、他者と共有しながら使います。さらにヒトの利他的な性質から、他個体の生存のためにそれを使わざるを得ません。そのためにヒトという生物は教育という、かなりコストのかかる学習ストラテジーを進化の過程で獲得したのではないかと考えられます。ですから教育の本来の目的は、人格形成といった抽象的な目的や、自分だけのためなのではなく、他者のため、他者とともに生きるためにあるということになります。[p.17]」

第1部、教育の進化学
第1章、動物と「学習」

・「学習とはそれまで持たなかった運動パターンや知識を新たにし、忘れずに持ち続け、必要なときにそれを使えるようにすることです。学習というと、教科書や問題集などでお勉強することを想像するかもしれませんが、心理学ではもっとずっと広く考え、『経験による行動の持続的変化』を指します。[p.32]」
・レスポンデント条件づけ:「無条件反射でやっていたことが、新しく与えられた特定の条件との結びつき(これを『連合』といいます)を学習したもの・・・有名なパブロフの犬・・・も条件反射であり、レスポンデント条件づけによるもの[p.33-34]」。
・オペラント条件づけ:「『ある刺激』に対して起こした『自発的行動(オペラント)』に、その行動の頻度を増大させられる『報酬(強化子)』が与えられることで、この『刺激-オペラント-強化子』の3項の結びつき(随伴性)が条件づけられる・・・というタイプの学習[p.39]」
・「知識は、はじめは情報として私たちのもとに届けられますが、それをその場限りで利用するにとどめるのではなく、『学習』し自分の人生を生き抜くための素材として末永く使える形で自分のうちにとどめられたとき、それを初めて『知識』と呼びます。[p.41]」
・「レスポンデント条件づけ、・・・オペラント条件づけのような学習の仕方は、ある状況下で、いわば『自分一人で』行った行動に対して何らかの利益や報酬や罰が自然に得られることによって成立するタイプの学習です。・・・このような学習を『個体学習』といいます。[p.47]」「他者と一緒に話したり作業をするその瞬間は他者の影響を受けます。しかしそのような場面ですら、ふと自分の頭で『まてよ、それってこういうことかな』とか、『いや、これは違うんじゃないか』と、自分自身で感じたり思ったり考えたりしていることでしょう。そのときにしているのは、まさに個体学習なのです。・・・結局、本当に身になるのは、この『個体学習』による部分だけ[p.52]」
・「ヒトを含めた『社会的動物』たちが行っているのが社会学習、つまり他個体の影響を受けながら学習するという形の知識獲得の様式です。[p.57]」「人間が他人の行動を真似て何かしようとするとき、私たちはそれを『どのような意図を持ってどうやってやるか』よく見て理解して真似ます。やり方、手順、プロセスを真似るのです。しかしチンパンジーはその行動がもたらす結果を再現しようとはするのですが、やることの意図を察知し、途中のプロセスを追いかけて真似るということができていないようなのです。この違いをエミュレーション(結果模倣)とイミテーション(意図模倣)といって区別しています。[p.63]」「人間は教育による学習をする以前に、観察学習や模倣学習の王様なのです。[p.66]」
・「教育を人間だけに特別な営みとは考えず、動物にもあるかもしれないと仮定し、もしあったとしたら動物にも当てはめることのできる定義を用いてみたいと思います。それがカロとハウザーという二人の動物行動学者の挙げた『積極的教示行動』の定義です。それは次の3つの条件を満たす行動とされます。ある個体Aが経験の少ない観察者Bがいるときにのみ、その行動を修正する。②Aはコストを払う、あるいは直接の利益を被らない。③Aの行動の結果、そうしなかったときと比べてBは知識や技能をより早く、あるいはより効率的に獲得する。あるいはそうしなければまったく学習が生じない。[p.72-73]」「この定義で特に重要なのは2番目、つまり教師は自分の直接の得にならない行動をするということでしょう。[p.75]」「利他性、あるいは利他的行動は動物界、特に霊長類に広く行き渡った重要な生物学的特質であることが、近年の膨大な研究で明らかになってきているのです。[p.75-76]」
・「教育は、生物にとって想像以上にコストがかかる営みなのです。・・・そのコストのかかる教育というストラテジーを、われわれ人間は、むしろあたりまえのように使うことができます。[p.81]」「教育による学習というものは、生物学的に見るとなかなか成り立ちにくいのではないかと疑うことは、重要な視点ではないかと思います。[p.82]」

第2章、人間は教育する動物である
・「なぜヒトは身体を一気に大人の大きさにせず、10~12歳ごろまである程度抑えて再度スパートをかけるような不可思議な方略をとったのか。・・・身体の成長よりも脳の成長を優先させて栄養を回し、脳が完成するのを見届けてから、一転して最後の身体的完成にエネルギーを振り向ける、そういうストラテジーを選んだ生物がヒトなのです。[p.117]」
・「利他的な理由で他人に知識を伝達するための行動=教育をする能力が、かなり幼いときから発揮されていることを示す証拠が、近年出始めています。[p.119]」「ヒトはなぜ・・・とても小さいときから『知識』を教えようとするのでしょう。しかもただ『私が面白いと思う知識』を相手に押しつけるためではなく、相手が知らないこと、しかも一般的で規範的なルールや知識を、わざわざ教えようとするのです。これはそのような一般的な知識こそが、文化的知識の本質だからだと思われます。[p.120]」
・「見てわかるもの、つまり透明な知識は、基本的に教育学習を必要としません。それらは観察や模倣といった形式の学習と、自分自身での創意工夫、つまり個体学習で習得し洗練させることができます。しかし難しい知識、観察や模倣では到達できない知識は、それを使えるようになったヒトからの説明や指導を必要とします。教育が、行動レベルから活動レベル、制度レベルに高度な組織化をもとめられ、いわゆる学校のような教育のための特別の社会的装置が爆発的に普及したのも、特に18世紀以後の産業革命以後のことでした。[p.126]」

第2部、教育の遺伝学
第3章、個人差と遺伝の関係

・「学業成績の個人差の一番大きな要因は遺伝的な差です。これは行動遺伝学研究で繰り返し見出され、一貫した結果の得られた知見です。しかし少なくとも今日、このことはタブーとみなされ、指摘されることはほとんどありません。・・・しかし、行動遺伝学のエビデンスは、先生の教え方や本人の中で変えられる要因の違いの影響はわずか、数字にすると大きく見積もっても全体の20%程度、それに対して遺伝の影響は50%、そして残り30%は家庭環境の違いであることを示しています。[p.134-135]」「この結果はあくまでも子どもたちみんなが学校に通って曲がりなりにも教育を受けているという、いまの教育制度がきちんと働いていることを前提とした結果です。・・・遺伝の影響が大きいのだから、教育を受けなくとも勉強しなくとも、勝手に学力が身につくという意味ではまったくありません。[p.136]」
・「行動遺伝学では、『すべての行動は遺伝的である(遺伝の普遍性)』『家族が類似するのは環境が類似するからではない(共有環境の希少性)』『個人差の多くは一人ひとりに固有の環境による(非共有環境の優越性)』という三原則が唱えられています。・・・これらをまとめた形で最も重要なメッセージにすれば、『いかなる行動の個人差も、遺伝だけからでも環境だけからでもなく、遺伝と環境の両方の影響によって作られている』ということです。[p.159]」

第4章、能力と学習
・「遺伝要因は確かに人生の歩む道に一定の条件を与えます。遺伝的に万人が平等ということはなく、何をするにしても、それに対するやりやすさ・やりにくさに遺伝的個人差があります。しかも現段階では、いや将来も、その遺伝的素質が何であるかは明確には語り得ません。・・・そもそも才能というものはきわめて多様で複雑な身体的、心理的機能の独特な特質が合わさって、しかも長年にわたる学習と、学習を支える社会的条件の中でその形を徐々に現すものですから、名づけられた特定の遺伝子の有限の組み合わせだけでは予測しきれないものです。[p.201]」
・「人間の行動は確かに環境の影響を受けるけれど、それは遺伝の影響を消し去るのではなく、ただたんに遺伝の差をどの程度顕在化させるかを変えているだけだといえます。[p.205]」
・「心理学では『結果を出すためにやるべきことがわかっている』かどうかの部分を『結果期待』、その『やるべきことができる』かどうかの部分を『効力期待』と呼んで区別します。・・・結果を出すために何をすべきかわかっていない(何の勉強をしたらいいのかわからない、あるいは勉強の仕方がわからない)ために勉強をしていなかったとしたら、まずは結果期待を持つことからはじめねばなりません。・・・この部分はまさに教師の支援が威力を発揮しやすいところだともいえるでしょう。自分の力では勉強の仕方がわからないから学習が始まらないとしたら、その部分を教師が後押しして学習に取りかからせてみると、その学習行動自体に関わる遺伝要因や学習の内容への関心に関わる遺伝要因が発動して、学習を続けることができるかもしれないからです。[p.212-213]」

第3部、教育の脳科学
第5章、知識をつかさどる脳

・「『作動記憶(ワーキング・メモリ)』・・・とは、外から入ってきた情報あるいは知識という物資を加工して新たな知識を作る『作業場』に当たります。一方『長期記憶』とは、そうして外から入ってきた知識や新たに自分で作った知識を蓄えておく『貯蔵棚』あるいは『貯蔵庫』の役割に相当するところです。[p.230]」
・「流動性知能とは、いままでに経験したこともない新しい問題を解決しようとするとき使われる能力のことで、まだ固まっていない頭が柔軟に、液体のように流動的に働いているさまを表しているのに対し、結晶性知能は経験によって身につけた知識を用いて問題を解く能力のことで、結晶のように知識がきれいな構造を持って定着し安定したさまを表しています。[p.241]」
・「生まれ落ちた境遇の制約に加え、遺伝的スタイルを持ったあなたや私が、それでもその遺伝的『スタイル』を『素質』という可能性に変え、その可能性を実現しようともがく過程で社会の中に居場所をみつけて、誰かとつながりながら、自分の素質を才能へと実体化させていくときに必要なのが学習であり知識であると論じてきました。その学習はそれ自体そのヒトの遺伝的スタイルを表した個体学習が常に基底にあります。それはあらゆる動物が普遍的に持つ学習様式です。しかしヒトは社会的動物として、社会の中で出会う人々の生き様からも観察や模倣や共同して何かする中で社会学習をし、そしてヒトに特有な教育学習をつけくわえて、あなた自身になっていくのです。[p.260-261]」

おわりに
・「この世界とその中での生き方についての本当の知識へと導いてくれるのが学習です。[p.268]」「学習をするのは、基本的にその人自身です。・・・ヒトという生物は、他の生物以上に、その発生の当初から一人だけではそれができないように生まれついてしまいました。社会の中で他者と共有できる知識を生み出し、それを互いに学びあいながら生き、生かされてきました。そのために備わったのが教育という学習方略でした。知識そのものを他者に直接学習させるための独特の行動です。[p.269]」「多くの人はやってみると、どの領域にどの程度の才能があるかわかってきます。・・・成人に達して、職業人として、あるいは親として他者のために生きねばならなくなると、いやおうなく、そこで必要とされる知識を学び、その人なりにそれを使って、他者に影響を与えざるを得なくなります。そのとき自分に才能のあることにも、ないことにも直面させられます。[p.272]」「自分にできること、しなければならないことは、教育をうまく利用して、自分にしかない遺伝的スタイルを自分で探しながら、自分で学んでいくしかないことにもお気づきになられたのではないでしょうか。[p.273]」
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最初に書いた疑問に立ち返れば、学ぶこと教えることは進化によって獲得したヒトの特質としての裏付けがあり、多様性や個性については遺伝的能力という裏付けがあるということだと思います。教育学や心理学の分野において、こうした考え方はまだ研究中であって、議論の余地のあるところもあるようですが、今後こうした面での人間の本質の理解も進んでいくのではないかと思います。研究開発をうまくマネジメントする方法を考える上でも、こうした人間に関する理解は必ずや役に立つのではないかと感じますがいかがでしょうか。



文献1:安藤寿康、「なぜヒトは学ぶのか 教育を生物学的に考える」、講談社、2018.
 参考文献リンク:http://www.kts.keio.ac.jp/


研究開発実践のマネジメント第39回-得られた知的資産の活用:研究開発マネジメントの実践と基礎知識2.5.2(「ノート」全面改訂)

はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)
第8回第17回
2.2
、研究開発を行う人のマネジメント第18第24回
2.3
、研究組織とそのマネジメント第25回第29回
2.4
、研究プロジェクトの運営第30回第36回
2.5
、研究成果を生かす
2.5.1
、研究成果を使ってもらうには第37回第38回

2.5.2
、得られた知的資産の活用
よい研究成果が得られたら、それを実用化して収益を上げ、その事業を拡大していくことは当然行われると思います。しかし、それだけで満足するのはもったいないですし、競争優位の維持のために成果をさらに発展させていく必要もあるかもしれません。研究によって得られた成果は、失敗の経験も含めて知的資産と考えることができます。今回は、そうした知的資産をどう使うべきかを考えてみたいと思います。

1)
知的資産活用のポイント
学んだ成果を活かすことの意義に異論のある方はおられないと思います。しかし、うまく活かすのはそれほど簡単なことではありません。ここでは、知的成果を活かす上で注意すべきポイントをまとめておきたいと思います。

・暗黙知と形式知の違いを認識し、さらに、暗黙知の活用には困難があることを認識する。
・知的資産を拡大し、次の機会に利用するための仕組みを考える。
・特許をうまく使う。

2)
具体的な考え方
暗黙知と形式知の違いと知識活用の難しさ
野中氏、竹内氏は、「暗黙知は、特定状況に関する個人的な知識であり、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい。一方、明示的な知すなわち『形式知』は、形式的・論理的言語によって伝達できる知識である。[文献1、p.88]」としています。この考え方の元になっているPolanyiの著書では、暗黙知について「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。[文献2、p.18]」と述べられていて、さらに「私たちが言葉が意味するものを伝えたいと思うとき、相手側の知的な努力によって埋めるしかないギャップが生じてしまうものなのだ。私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっているのだ。[文献2、p.20]と述べています。

つまり、知識というものはそもそも他者に伝えるのが困難なものを含んでいる、という考え方ですが、これは言われてみれば誰しも実感としてよくわかるのではないでしょうか。これに対して、野中氏、竹内氏は、暗黙知と形式知を個人と集団において変換することで知識創造を行うという組織的知識創造モデル(SECIモデル)を提案しています(詳細は、本シリーズ第27回をご参照ください)。このSECIモデルのポイントは、組織的に知識を生み出すためには個人の暗黙知を形式知化して表出させ新たな暗黙知を作るという過程が不可欠だ、ということになると思われます。

同様に、過去の知識を将来に活かすためには、過去の暗黙知を形式知化して将来に伝える必要があると考えられます。しかし、組織的知識創造では「場」(知識の相互作用が起こる空間)の共有が可能なのに対して、過去から未来への知識の伝達では「場」を作りようがなく、大きな困難が予想されます。一方で、「技術革新の大きな特徴は、往々にしてそれが累積的であることである。すなわち、ある時点での研究開発は、それ以前の研究開発の成果を活用して行われる。[文献3、p.231]」ことを長岡氏は指摘しています。そうした必要性があるにもかかわらず、過去の暗黙知を将来に伝えるための有効な手法は確立できていないようですので、競争優位を継続するためにも様々な試みが必要なのではないかと思います。

知的資産を活用する仕組み
このような暗黙知、形式知などの知的資産を活用する方法として、ナレッジマネジメントと呼ばれる考え方が提案されてきました。しかし、丹羽氏は、現在は「行き詰まり」[文献4、p.327]の状況にあると指摘しています。ナレッジマネジメントと言っても実体はIT化による業務効率化の提案にとどまるなど、実用面での有効な方策の提示には至っていない点が課題のようです [文献4、p.317,328]。野中氏らは、その原因として、「知識を情報と同列視し、ナレッジ・マネジメントとは、単に情報を効率的に蓄積・伝達・使用することであるとの誤解に基づいてIT投資を進めたものの、結局期待した成果をあげることができなかった企業も多かった。知識の本質的な性質を理解しないままでは、その共有や活用を進めても効果をあげることはできない[文献5、p.4]」と指摘しています。

例えば、知識の有効活用を狙って、知識やノウハウをデータベース化することが試みられることがありますが、単に知識を蓄積し検索できるようにすればうまくいくというものではないでしょう。Dixonは、データベースへの知識の蓄積がうまくいかない理由について、「自分と関係なく,連絡することもなさそうな人たちがアクセスするデータベースに入力することで得られる個人的な利益はほとんどない」、「情報を共有するのは、そうすることによって個人的な利益を得るからだ。その個人的な利益とは、他人に自分の専門知を認めてもらうとかほほ笑みが返ってくるぐらいだったかもしれないが」と述べています[文献6、p.12]IT技術を使うにしても、なぜ人間は自分の持つ知識を他人に伝えたくなることがあるのかを理解した上での仕組み作りが必要ではないでしょうか。また、知識を組み合わせて新しいアイデアを創造する過程にも工夫が必要でしょう。ただし、今後ビッグデータの活用などのIT技術の進歩は、知識創造のあり方に影響を与えるかもしれません。学習すること、データを集めること、データベースの作成や検索は従来に比べて格段に容易になっています。知識創造の本質に暗黙知があることをよく理解した上で、創造のヒントをくれるような形で人間を支援してくれるようなナレッジマネジメントならありうるのではないか、という気もします。

特許の活用
知的資産の活用を考える場合、特許などの知的財産権の制度を知っておく必要があります。特許制度とは、新たな知識を公開する代償として一定期間の独占権を発明者に与えることによって技術開発に対するインセンティブとし、一方で、知識の流通を図る、という制度だと言うことができると思いますが、これは研究開発を促進するマネジメントのひとつの手法だという見方もできるでしょう。ただし、特許には、「知識の利用が制限されることによる経済コストも上昇する[文献3、p.232]」というデメリットがあることも知られています。特許制度の得失を理解した上で、創造的に利用する必要があるといえるでしょう。

例えば、岡田氏は、「発明がされたあとにとりうる選択肢として、特許出願をして権利化を図る、出願せず営業秘密としての保護を図る、技術の公開を積極的に行うことの3つがある。[文献7、p.384]」と指摘しています。また、特許活用マネジメントとして、「特許権の独占的自己実施や単にライセンス料獲得目的のライセンス許諾は、比較的単純な特許権の使い方である。・・・戦略的な使い方のひとつは、大きな市場の形成である。[文献7、p.380]」とし、積極的ライセンスでパイを拡大し、差別化技術で分け前の拡大を図る活用方法を述べています。また、「特許を独占権として活用するのではなく、他者の特許を開放するための交換材料として利用[文献7、p.381]」する可能性にも言及しています。

すなわち、特許制度の活用に関しては以下の点に注意が必要と考えられます。
・技術を公開しなければならないこと:真似されたり改良されたりする危険性がある
・技術を独占しようとすると技術の普及の障害となりうること
・有期の権利(出願後20年)であること:権利保護のタイミングと実用化のタイミングが合わないことがある
・それぞれの国ごとに特許を取得する必要があること
・コスト構造の異なる国では、実施者からライセンス料をとっても競争力確保にならない場合があること
・技術のすべてを特許で押さえることは困難な場合が多く、回避技術が開発されたり、改良技術が他者に特許化されてしまう可能性があること
・特許の本来の目的である「発明を奨励し、産業の発達に寄与させる」という趣旨に反し、他社の業務の妨害や、訴訟や回避技術の検討などによる労力の浪費につながる可能性があること
したがって、丹羽氏は、「結局のところ、技術的なアイデア(発明)が付加価値の源泉であって、特許はそれを保護する1つの方策である」と述べ、「技術的なアイデア(発明)を競争上いかに有利に展開するかには、多くの方策がある」と述べています。具体的には、特許取得による独占、ライセンス収入、クロスライセンス以外に以下のような方策を挙げています[文献4、p.52]
・自社技術の延長上に業界の標準規格を定める
・技術を無償公開しデファクトスタンダードにする
・自社のビジネスモデルが対象としているバリューチェーンの価値を高める
・技術を秘密にしておく
特許取得の効果は、業種や業界によって異なりますので画一的な議論はできませんが、特許はイノベーションによって競争優位を維持する上でのひとつの手段と認識しておくべきでしょう。

特許や論文ではない、いわゆるノウハウも重要な知的資産です。例えば、ビジネスを進める上での知識や経験、様々なステークホルダー(顧客、パートナー、規制当局なども含む)についての情報やそれらとの関係自体(これをエコシステムと呼ぶ人もいます)もノウハウに含めてよいでしょう。こうしたノウハウには他者には容易に模倣できないものがあり、特に、文書化されずに個人の頭の中に存在する暗黙知を含むノウハウは他者に伝えることが困難なため、こうした知識資産を構築し、模倣されないようにすることも重要となるでしょう。

知識資産の拡大
上述のような知識資産の活用方法の検討とともに、知識資産自体の拡大も考えるべきことと思われます。例えば、従来、あまり顧みられることのなかった失敗に関する知識[例えば文献4、p.210](これには、「失敗学」という分野も提案されています[文献8])や、すでに却下された古いアイデア[例えば文献9、p.195]、知識のある人との人脈[文献10、p.117]、少数意見や反対意見[文献10、p.173]の有効活用の可能性も考えるべきでしょう。知識の組み合わせが知識創造の源泉になりうるという指摘は数多くあります。活用できる知識が多いほど、組み合わせの可能性は増えるはずです。個人の能力の限界を、他者との協力(機械との協力も含めてもいいかもしれません)によって補い、組み合わせの可能性を増やすことは意味のあることと考えられます。数多くの組み合わせから絞り込んでいく過程のスキルも重要になってくるでしょうが、暗黙知を含む多量の知識、情報をどううまくマネジメントできるかは、これからの時代、競争優位の確立にとってますます重要になっていくのではないでしょうか。


文献1:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、野中郁次郎著、竹内弘高著、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献2:Micheal Polanyi1966、マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳、「暗黙知の次元」、筑摩書房、2003.
文献3:長岡貞男、一橋大学イノベーション研究センター編著、「知識とイノベーション」、東洋経済新報社、2001.
文献4:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.
文献5:野中郁次郎、遠山亮子、平田透、「流れを経営する――持続的イノベーション企業の動態理論」、東洋経済新報社、2010.
文献6:Dixon, N.M., 2000、梅本勝博、遠藤温、末永聡訳、「ナレッジ・マナジメント5つの方法」、生産性出版、2003.
文献7:岡田吉美、一橋大学イノベーション研究センター編、「イノベーション・マネジメント入門 第2版」、日本経済新聞出版社、2017.
文献8:畑村洋太郎、「失敗学のすすめ」、講談社、2000.
文献9:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献10:Leonard, D., Swap, W., 2005、池村千秋訳、「『経験知』を伝える技術」、ランダムハウス講談社、2005.


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