はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)
第8回第17回
2.2
、研究開発を行う人のマネジメント第18第24回
2.3
、研究組織とそのマネジメント第25回第29回
2.4
、研究プロジェクトの運営第30回第36回

2.5
、研究成果を生かす
よい研究成果が得られたとしても、その成果を誰かに利用してもらわなければイノベーションが完成したことにはならないでしょう。もちろん、研究成果を得ることまでが研究部門の担当であり、それ以後は別の部署がその成果の活用、実用化、収益化を担当する、という体制もあり得るでしょう。しかし、そのような分業体制がうまく機能するのはある程度先の読める研究開発だけであって、不確実性の高い課題の場合は研究成果をどのように活用し、ビジネスモデルを組み上げ、顧客に使ってもらって収益を挙げるかまでを考えておかなければならない状況も増えてきているのではないでしょうか。そこで、この節では研究成果を活用するための方法を考えてみたいと思います。

2.5.1
、研究成果を使ってもらうには
学問的な研究は除き、企業における研究開発では研究の成果は、誰かに使ってもらって便益を提供することが前提となるでしょう。そして、その使用者から対価を得ることになります。しかし、研究成果が使われるようになるプロセスは単純ではないことが知られています。例えば、よい研究成果があったとしても、何もしないでそれがすぐに使われるようになるわけではありません。このような研究成果を実際に適用する際の問題については、「イノベーション普及学」と呼ばれる分野で検討され、新しい技術がどのように利用者に受け入れられるかについて、技術者にとっても示唆に富む多くの成果が得られています。その成果はRogersの著書[文献1]にまとめられていますので、その中で特に重要と思われる点について以下にまとめておきたいと思います。

1)
研究成果を使ってもらうためのポイント
Rogers
は次のように述べています。「イノベーションによる便益が火をみるより明らかであったとしても、普及と採用にあたっては、イノベーションの相対的優位性以上のものが必要なのである。[文献1、p.10-11]」では、普及を促進するためにはどういう点に注意が必要なのか。特に重要な点を挙げると以下のようになると思います。
・よい製品やサービスであれば自然に使用者に受け入れられ、採用されるようになる、ということはない。普及のための努力や仕組みが必要になるこをを想定しておく必要がある。
・使用者が新しいイノベーションを採用するプロセスや、そのプロセスに影響する因子を理解し、対応する必要がある。

2) Rogers
によるイノベーション普及学の要点
イノベーションが普及していくというプロセスは、従来のやり方を変えて新しいやりかたを導入するというプロセスであり、古くから人々が行ってきたことです。そのため、研究の蓄積も多く、研究成果もイノベーションの他の分野に比べて整理されており、その知見や示唆は今でも大きな価値を有しているように思われます。以下、Rogersによるイノベーション普及学のまとめの中から、特に重要と思われる点を整理しておきたいと思います。

イノベーションが普及する速度に影響する因子
Rogers
は、「個人によって知覚されるイノベーション特性がその普及速度を左右する」[文献1、p.49]と述べ、その特性として以下の5つを挙げています。
1、相対的優位性(そのイノベーションが既存のアイデアよりよいと知覚される度合い)
2、両立可能性(そのイノベーションが採用者の既存の価値観、過去の体験、必要性と相反しないと知覚される度合い)
3、複雑性(イノベーションを理解したり使用したりするのが困難であると知覚される度合い)
4、試行可能性(イノベーションを経験しうる度合い)
5、観察可能性(イノベーションの結果が採用者以外の人たちの目に触れる度合い)
これらのうち、複雑性は低い方が、その他の特性は高い方がイノベーションの採用速度が高くなるという調査結果があるようで、これは経験的にも妥当な結果のように思われます。えてして技術者は相対的優位性の向上にばかり着目しがちであることを考えると、それ以外の要因も考慮する必要があることにはまず注意が必要でしょう。さらに、「再発明」すなわち、イノベーションの採用と使用に際して利用者による変更が行なわれることが起きやすいほどイノベーションの採用速度は高まり、持続可能性(継続的に使用される度合い)も高まること[文献1、p.103,107]、また、予防的イノベーションすなわち将来の欲せざる出来事の発生確率を減じるためのイノベーションは、そうでないイノベーションに比べて採用速度が遅いことも指摘されています[文献1p.94]

ユーザーがイノベーションを受け入れるプロセス
Rogers
は、「イノベーションに対する個人の意思決定は瞬時に生じる行為ではない」[文献1、p.84]と述べ、その過程には次の5つの段階があるとしています。
1、知識(イノベーションの存在を知り、機能を理解する)
2、説得(そのイノベーションに対する好意的ないし非好意的態度の形成)
3、決定(イノベーションを採用するか否かの選択)
4、導入(イノベーションの使用)
5、確認(すでに行なった決定の補強)
知識段階には、個人の特性やコミュニケーション行動が影響を与えると言われていますが、特に注意すべきポイントとしては、「選択的エクスポージャー(人は関心事、ニーズ、それまでの態度に合致するアイデアに触れたがる傾向があり、自らの性向と相容れないメッセージを意識的ないし無意識的に回避する)」、「選択的知覚(人のそれまでの態度や信念などの観点からコミュニケーションメッセージを解釈する傾向)」という傾向があり、その結果、「われわれはこれまで出会ったことのないアイデアに対して、それほど容易には好意的な考えをもつことができない」とされています[文献1、p.87]。また、イノベーションに関する知識としては、ハウツー知識(イノベーションを活用するのに必要な知識)、原理的な知識(働きの根底にある原理的な知識)が重要であって、これらが不十分だと、採用拒否や中断、誤用が起こりやすいと言われています[文献1、p.89-90]
説得段階については、上述のイノベーションの知覚特性が影響を与えますが、知識段階での精神的な活動は主として認知(知ること)に関わるものであるのに対して、説得段階での思考形式は感情(感じ)に関わるもの[文献1p.92]であって、人は新しいアイデアの機能に対して確信を持てないので、他の人を通してイノベーションに対する自身の態度を強化するため、自身の考えが同僚の見解から外れていないかどうかを知りたがったり、イノベーション評価情報(科学的な評価や、同僚の評価)を求めたりするといわれます。この説得段階とそれにつづく決定段階ではイノベーションの試行が行なわれることがあり、試行可能性とその効果は重要になると考えられています。
導入、確認段階では、イノベーションの実行を通じてイノベーション採用を決定したことの強化が行なわれます。その結果が不十分であればそのイノベーションの継続的採用は難しくなりますので、もし、完成したイノベーションに期待外れの結果が出ているとすれば、それへの対応を取る必要があることになるでしょう。

採用者カテゴリー
イノベーションに対する受け入れ方が個人によって異なることはよく知られています。Rogersは採用者カテゴリーという概念で個々人の革新性に基づいて社会システムの成員の区分を行なっています[文献1、p.213-253]。ここで、革新性とは、個人(や採用単位)が他の成員よりも相対的に早く新しいアイデアを採用する度合いのことを指し、採用者カテゴリーは、あるアイデアの採用時期とその採用者数が正規分布することに基づいて、以下のように分けられています。

イノベータ:平均採用時期よりも2σ以上早期に採用したグループ。冒険的。
初期採用者:平均採用時期よりも1~2σ早期のグループ。「同僚から尊敬されていて、新しいアイデアを上手にしかも思慮深く利用する体現者的な存在[文献1、p.233]」であって、尊敬の対象となる。
初期多数派:平均より早く1σまでのグループ。慎重派。
後期多数派:平均より遅く1σまでのグループ。懐疑派。
ラガード:平均より1σ以上遅いグループ。因習派。

このように採用者カテゴリーは、採用時期に正規分布があることに基づいていますので、累積採用者数と採用時期の関係をとれば(正規分布曲線を積分した)S次型の普及曲線が得られることになります。

この採用者カテゴリーは、イノベーションが普及していく過程を理解するのに有効な概念ではありますが、いくつかの注意点があります。例えば、Rogersは「S次型曲線は成功したイノベーションの場合のみにあてはまり、イノベーションは社会システムのなかのほとんどすべての潜在的採用者に浸透する。」[文献1、p.223]と述べています。実際には「ほとんどのイノベーションは成功しない。社会システムの小数の人に採用された後、そのイノベーションは結局のところ拒絶されて採用率は横ばいになり、採用の中断が生じて、採用率も急降下するのである。[文献1、p.223-224]」ということになります。従って、類似する技術の間での栄枯盛衰を説明するには不適切な面もあると思われます。また、採用時期には、個人の革新性の他にも、個人がイノベーションの情報に接するタイミングのバラツキも含まれているとされています。さらに、イノベーションを採用する必要性が高いのに、経済的な理由で採用が遅れる場合があることも指摘されています。ただ、このような革新性の違いを想定することは、イノベーションを採用しやすい人、しにくい人の傾向を考える上で有用で、例えば種々の研究によると、「初期の採用者は後期の採用者よりも一般に一層高い社会経済的な地位を持つ・・・初期の採用者は感情移入が高く、独善的ではなく、抽象概念に対処する能力が高く、合理的であり、知性的であり、変化に対して好意的な態度をもっており、不確実性やリスクに対処する能力があり、科学に対して好意的な態度をもっており、それほど運命論者ではなく自身を有効に働かせる能力をもっており、学校教育、より高い地位、職業などに対する向上心が高い[文献1、p.252-253]」ことが知られています。

また、こうした傾向を利用して、実践的な示唆もなされています。例えば、社会の大多数への普及を目指す場合、重要視すべきは「イノベータ」ではなく「初期採用者」とされる点は興味深く思われます。これは、新しいアイデアを積極的に受け入れる「イノベータ」は、その社会の中では異質な存在と受け取られることが多く、その他の多数派とは必ずしも十分なコミュニケーションがとれていなかったり、多数派の規範となるような人物ではなかったりする傾向があるとされ、社会から尊敬され、役割モデルとなりうる「初期採用者」こそが普及において重要な役割を担うと考えられています。このことは、最初にイノベーションを適用する対象者を決める上で重要な知見でしょう。また、革新性と年齢の間には相関が認められない、という調査結果はイノベーションの普及のみならず個人の個性を理解する上でも重要な点であると考えられます。

組織へのイノベーションの普及
個人におけるイノベーションの普及に対して、組織への普及については若干異なる視点が必要なようです。Rogersは「組織においては、何人もの人々がイノベーション決定過程に関与しており、導入者と意思決定者は異なることが多い。また、組織に安定と連続性をもたらしている組織構造が、イノベーションの導入を妨げることがある」と述べています[文献1、p.102]。組織におけるイノベーション過程は、大きく2つの段階、すなわち開始段階(情報収集、概念形成から採用決定まで)と、導入段階(決定されたイノベーションが実用に供するのに関わるすべての活動)に分けられ、開始段階におけるニーズの認識と問題解決のためのイノベーションの選択については、個人におけるイノベーションの適用と類似していると考えられますが、導入決定以後の過程は若干異なり、組織におけるイノベーションでは、導入決定後、「再定義・再構築」すなわち、イノベーションの修正とイノベーションに順応するよう組織構造が変化し、「明確化」すなわち、イノベーションの意味が組織の成員にとって明らかになる段階を経て、「日常業務化」されていくとされます。日常業務化された後は、組織成員のイノベーション設計、議論、導入への参加の度合いが大きいほど、イノベーションの持続可能性は高まるといわれています。組織におけるイノベーションの採用決定段階において、組織成員の間に合意が形成される場合(集合的なイノベーション決定)と、採用の選択が強制力、地位、あるいは専門知識を有する少数の人によってなされる場合(権限に基づくイノベーション決定)では、成員の参加の度合いが異なり、集合的なイノベーション決定の方が持続可能性が高くなるといわれています。組織の特性によるこの過程の進み方の違いに関しては、複雑さ(組織成員の知識や専門能力の高さの度合い)が高いほど、情報収集、概念形成といった開始段階は早まるが、導入への合意形成が妨げられることがあり、集中化(権力や統制が比較的少数の個々人に集中している度合い)および公式化(規則や手続きに従うことを重要視する度合い)が高いほど、開始段階が遅くなるがひとたびイノベーションの採用が決定すると導入が促進される、という傾向を持つと言われています。[文献1、p.385-425]

普及を促す仕組み
イノベーション普及を図る役割を担う人は「チェンジ・エージェント」と呼ばれます。開発を行なった研究者がそうした役割を担ったり、その補助を行なったりする場合があるでしょうが、研究者やチェンジ・エージェントは採用者にとっては外部の人間であるため、コミュニケーション上の問題が発生する可能性があることには注意が必要でしょう。一般には、コミュニケーションは同類性の高い人の間で効果的になる[文献1、p.359]と言われますが、新しい技術を持っているという点で、研究者や技術者は採用者とは異類的な側面を持つため、コミュニケーションがうまくいかない可能性があります。さらに、採用者からの信頼を得られるかどうかの問題もあります。情報の受け手にとって、情報源となる人物に対して持つ信頼には2種類、すなわち能力信頼性(情報源の人物が知的で熟達していると知覚される度合い)と無難信頼性(情報源が信頼しうると知覚される度合い)があるとされますので、技術的能力が高いことだけでは信頼を得ることができない可能性にも注意が必要でしょう。理想的なチェンジ・エージェントの場合、この2つの信頼性が均衡している[文献1、p.363]とされますので、研究者が採用者にアプローチする場合にはこうした点を認識しておくことも必要でしょう。

イノベーション普及を考える意義
ここでご紹介したイノベーション普及に関する知見はRogersがまとめている内容のごく一部ですが、それだけでもイノベーションのプロセスを考える上で、大きな意義を持つものだと思います。企業の研究開発においては、普及されてこそイノベーションが完成するわけですので、実用的にもこのような知見はイノベーションプロセスにの基礎として重要なのではないでしょうか。また、この分野では、知見にデータの裏付けがあることも魅力のひとつではないかと思います。時代とともに、普及プロセスに影響する因子も変化するでしょうし、こうした知見に関連した考え方や手法も種々提案されていますので、こうした基礎を理解した上で、新たなアイデアを評価し活用していくことが求められるでしょう。


文献1:Rogers, Everett M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.