はじめに第1回
1、研究開発とはどのようなものか:研究開発マネジメント実践の観点から認識しておくべきこと第2回第7回
2、研究開発実践のマネジメント
2.1
、取り組む課題を決める(研究テーマの設定)
第8回第17回
2.2
、研究開発を行う人のマネジメント第18第24回
2.3
、研究組織とそのマネジメント第25回第29回
2.4
、研究プロジェクトの運営第30回第36回
2.5
、研究成果を生かす
2.5.1
、研究成果を使ってもらうには第37回第38回

2.5.2
、得られた知的資産の活用
よい研究成果が得られたら、それを実用化して収益を上げ、その事業を拡大していくことは当然行われると思います。しかし、それだけで満足するのはもったいないですし、競争優位の維持のために成果をさらに発展させていく必要もあるかもしれません。研究によって得られた成果は、失敗の経験も含めて知的資産と考えることができます。今回は、そうした知的資産をどう使うべきかを考えてみたいと思います。

1)
知的資産活用のポイント
学んだ成果を活かすことの意義に異論のある方はおられないと思います。しかし、うまく活かすのはそれほど簡単なことではありません。ここでは、知的成果を活かす上で注意すべきポイントをまとめておきたいと思います。

・暗黙知と形式知の違いを認識し、さらに、暗黙知の活用には困難があることを認識する。
・知的資産を拡大し、次の機会に利用するための仕組みを考える。
・特許をうまく使う。

2)
具体的な考え方
暗黙知と形式知の違いと知識活用の難しさ
野中氏、竹内氏は、「暗黙知は、特定状況に関する個人的な知識であり、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい。一方、明示的な知すなわち『形式知』は、形式的・論理的言語によって伝達できる知識である。[文献1、p.88]」としています。この考え方の元になっているPolanyiの著書では、暗黙知について「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる。[文献2、p.18]」と述べられていて、さらに「私たちが言葉が意味するものを伝えたいと思うとき、相手側の知的な努力によって埋めるしかないギャップが生じてしまうものなのだ。私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す。そしてそれがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっているのだ。[文献2、p.20]と述べています。

つまり、知識というものはそもそも他者に伝えるのが困難なものを含んでいる、という考え方ですが、これは言われてみれば誰しも実感としてよくわかるのではないでしょうか。これに対して、野中氏、竹内氏は、暗黙知と形式知を個人と集団において変換することで知識創造を行うという組織的知識創造モデル(SECIモデル)を提案しています(詳細は、本シリーズ第27回をご参照ください)。このSECIモデルのポイントは、組織的に知識を生み出すためには個人の暗黙知を形式知化して表出させ新たな暗黙知を作るという過程が不可欠だ、ということになると思われます。

同様に、過去の知識を将来に活かすためには、過去の暗黙知を形式知化して将来に伝える必要があると考えられます。しかし、組織的知識創造では「場」(知識の相互作用が起こる空間)の共有が可能なのに対して、過去から未来への知識の伝達では「場」を作りようがなく、大きな困難が予想されます。一方で、「技術革新の大きな特徴は、往々にしてそれが累積的であることである。すなわち、ある時点での研究開発は、それ以前の研究開発の成果を活用して行われる。[文献3、p.231]」ことを長岡氏は指摘しています。そうした必要性があるにもかかわらず、過去の暗黙知を将来に伝えるための有効な手法は確立できていないようですので、競争優位を継続するためにも様々な試みが必要なのではないかと思います。

知的資産を活用する仕組み
このような暗黙知、形式知などの知的資産を活用する方法として、ナレッジマネジメントと呼ばれる考え方が提案されてきました。しかし、丹羽氏は、現在は「行き詰まり」[文献4、p.327]の状況にあると指摘しています。ナレッジマネジメントと言っても実体はIT化による業務効率化の提案にとどまるなど、実用面での有効な方策の提示には至っていない点が課題のようです [文献4、p.317,328]。野中氏らは、その原因として、「知識を情報と同列視し、ナレッジ・マネジメントとは、単に情報を効率的に蓄積・伝達・使用することであるとの誤解に基づいてIT投資を進めたものの、結局期待した成果をあげることができなかった企業も多かった。知識の本質的な性質を理解しないままでは、その共有や活用を進めても効果をあげることはできない[文献5、p.4]」と指摘しています。

例えば、知識の有効活用を狙って、知識やノウハウをデータベース化することが試みられることがありますが、単に知識を蓄積し検索できるようにすればうまくいくというものではないでしょう。Dixonは、データベースへの知識の蓄積がうまくいかない理由について、「自分と関係なく,連絡することもなさそうな人たちがアクセスするデータベースに入力することで得られる個人的な利益はほとんどない」、「情報を共有するのは、そうすることによって個人的な利益を得るからだ。その個人的な利益とは、他人に自分の専門知を認めてもらうとかほほ笑みが返ってくるぐらいだったかもしれないが」と述べています[文献6、p.12]IT技術を使うにしても、なぜ人間は自分の持つ知識を他人に伝えたくなることがあるのかを理解した上での仕組み作りが必要ではないでしょうか。また、知識を組み合わせて新しいアイデアを創造する過程にも工夫が必要でしょう。ただし、今後ビッグデータの活用などのIT技術の進歩は、知識創造のあり方に影響を与えるかもしれません。学習すること、データを集めること、データベースの作成や検索は従来に比べて格段に容易になっています。知識創造の本質に暗黙知があることをよく理解した上で、創造のヒントをくれるような形で人間を支援してくれるようなナレッジマネジメントならありうるのではないか、という気もします。

特許の活用
知的資産の活用を考える場合、特許などの知的財産権の制度を知っておく必要があります。特許制度とは、新たな知識を公開する代償として一定期間の独占権を発明者に与えることによって技術開発に対するインセンティブとし、一方で、知識の流通を図る、という制度だと言うことができると思いますが、これは研究開発を促進するマネジメントのひとつの手法だという見方もできるでしょう。ただし、特許には、「知識の利用が制限されることによる経済コストも上昇する[文献3、p.232]」というデメリットがあることも知られています。特許制度の得失を理解した上で、創造的に利用する必要があるといえるでしょう。

例えば、岡田氏は、「発明がされたあとにとりうる選択肢として、特許出願をして権利化を図る、出願せず営業秘密としての保護を図る、技術の公開を積極的に行うことの3つがある。[文献7、p.384]」と指摘しています。また、特許活用マネジメントとして、「特許権の独占的自己実施や単にライセンス料獲得目的のライセンス許諾は、比較的単純な特許権の使い方である。・・・戦略的な使い方のひとつは、大きな市場の形成である。[文献7、p.380]」とし、積極的ライセンスでパイを拡大し、差別化技術で分け前の拡大を図る活用方法を述べています。また、「特許を独占権として活用するのではなく、他者の特許を開放するための交換材料として利用[文献7、p.381]」する可能性にも言及しています。

すなわち、特許制度の活用に関しては以下の点に注意が必要と考えられます。
・技術を公開しなければならないこと:真似されたり改良されたりする危険性がある
・技術を独占しようとすると技術の普及の障害となりうること
・有期の権利(出願後20年)であること:権利保護のタイミングと実用化のタイミングが合わないことがある
・それぞれの国ごとに特許を取得する必要があること
・コスト構造の異なる国では、実施者からライセンス料をとっても競争力確保にならない場合があること
・技術のすべてを特許で押さえることは困難な場合が多く、回避技術が開発されたり、改良技術が他者に特許化されてしまう可能性があること
・特許の本来の目的である「発明を奨励し、産業の発達に寄与させる」という趣旨に反し、他社の業務の妨害や、訴訟や回避技術の検討などによる労力の浪費につながる可能性があること
したがって、丹羽氏は、「結局のところ、技術的なアイデア(発明)が付加価値の源泉であって、特許はそれを保護する1つの方策である」と述べ、「技術的なアイデア(発明)を競争上いかに有利に展開するかには、多くの方策がある」と述べています。具体的には、特許取得による独占、ライセンス収入、クロスライセンス以外に以下のような方策を挙げています[文献4、p.52]
・自社技術の延長上に業界の標準規格を定める
・技術を無償公開しデファクトスタンダードにする
・自社のビジネスモデルが対象としているバリューチェーンの価値を高める
・技術を秘密にしておく
特許取得の効果は、業種や業界によって異なりますので画一的な議論はできませんが、特許はイノベーションによって競争優位を維持する上でのひとつの手段と認識しておくべきでしょう。

特許や論文ではない、いわゆるノウハウも重要な知的資産です。例えば、ビジネスを進める上での知識や経験、様々なステークホルダー(顧客、パートナー、規制当局なども含む)についての情報やそれらとの関係自体(これをエコシステムと呼ぶ人もいます)もノウハウに含めてよいでしょう。こうしたノウハウには他者には容易に模倣できないものがあり、特に、文書化されずに個人の頭の中に存在する暗黙知を含むノウハウは他者に伝えることが困難なため、こうした知識資産を構築し、模倣されないようにすることも重要となるでしょう。

知識資産の拡大
上述のような知識資産の活用方法の検討とともに、知識資産自体の拡大も考えるべきことと思われます。例えば、従来、あまり顧みられることのなかった失敗に関する知識[例えば文献4、p.210](これには、「失敗学」という分野も提案されています[文献8])や、すでに却下された古いアイデア[例えば文献9、p.195]、知識のある人との人脈[文献10、p.117]、少数意見や反対意見[文献10、p.173]の有効活用の可能性も考えるべきでしょう。知識の組み合わせが知識創造の源泉になりうるという指摘は数多くあります。活用できる知識が多いほど、組み合わせの可能性は増えるはずです。個人の能力の限界を、他者との協力(機械との協力も含めてもいいかもしれません)によって補い、組み合わせの可能性を増やすことは意味のあることと考えられます。数多くの組み合わせから絞り込んでいく過程のスキルも重要になってくるでしょうが、暗黙知を含む多量の知識、情報をどううまくマネジメントできるかは、これからの時代、競争優位の確立にとってますます重要になっていくのではないでしょうか。


文献1:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、野中郁次郎著、竹内弘高著、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献2:Micheal Polanyi1966、マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳、「暗黙知の次元」、筑摩書房、2003.
文献3:長岡貞男、一橋大学イノベーション研究センター編著、「知識とイノベーション」、東洋経済新報社、2001.
文献4:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.
文献5:野中郁次郎、遠山亮子、平田透、「流れを経営する――持続的イノベーション企業の動態理論」、東洋経済新報社、2010.
文献6:Dixon, N.M., 2000、梅本勝博、遠藤温、末永聡訳、「ナレッジ・マナジメント5つの方法」、生産性出版、2003.
文献7:岡田吉美、一橋大学イノベーション研究センター編、「イノベーション・マネジメント入門 第2版」、日本経済新聞出版社、2017.
文献8:畑村洋太郎、「失敗学のすすめ」、講談社、2000.
文献9:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献10:Leonard, D., Swap, W., 2005、池村千秋訳、「『経験知』を伝える技術」、ランダムハウス講談社、2005.