研究者は様々なことを学ぶ必要があります。専門的知識もですし、失敗からうまく学ぶことも求められます。では、どうしたらうまく学べるのでしょうか。仮にイノベーションをうまく進めるノウハウがあるとして、どのようにしたら他者に教えられるのでしょうか。一方で、イノベーションには多様性や個性も必要だと言われます。やり方を教えてしまっては個性を阻害することにはならないのでしょうか。イノベーションの進め方を考えるためには、学習、教育、個性といったことについて理解を深めておく必要があるように思われます。

しかし、こうしたことに関する科学的な理解はかならずしも十分ではないようです。人に個性があることはわかっていてもその個性は何に由来するものなのか、使える知識や知恵を持っていること、豊かな発想ができることと学歴やテストの点数とはどう関係しているのか、どうやったら知識や知恵をうまく教えることができるのかなど、はっきりとわかっていないことは多いように思います。そこで、今回は科学的な観点から教育について議論した、安藤寿康著「なぜヒトは学ぶのか 教育を生物学的に考える」[文献1]から、興味深く感じた内容をご紹介したいと思います。

序章、教育は何のためにあるのか?
・「人間(ヒト)は、ほかの動物と違って、生きるために必要な知識を、一人だけでも、またほかの個体がやっているのを見て真似するだけでも学ぶことはできず、すでに知識を持っている人たちから、何らかの形で教わらなければ身につけられない動物として、進化的に生まれついています。このことを強く示唆する科学的な証拠が、動物学や心理学、脳科学などさまざまな領域で、同時多発的に報告されるようになりました。それらを総合して考えると、人間(ヒト)とは『教育によって生きる動物(Homo educans)』であると考えられます。これが本書で主張される最も重要な仮説です。[p.12-13]」
・「人間は生きるための知識を自分一人でため込み、自分のためだけに使うのではなく、他者と共有しながら使います。さらにヒトの利他的な性質から、他個体の生存のためにそれを使わざるを得ません。そのためにヒトという生物は教育という、かなりコストのかかる学習ストラテジーを進化の過程で獲得したのではないかと考えられます。ですから教育の本来の目的は、人格形成といった抽象的な目的や、自分だけのためなのではなく、他者のため、他者とともに生きるためにあるということになります。[p.17]」

第1部、教育の進化学
第1章、動物と「学習」

・「学習とはそれまで持たなかった運動パターンや知識を新たにし、忘れずに持ち続け、必要なときにそれを使えるようにすることです。学習というと、教科書や問題集などでお勉強することを想像するかもしれませんが、心理学ではもっとずっと広く考え、『経験による行動の持続的変化』を指します。[p.32]」
・レスポンデント条件づけ:「無条件反射でやっていたことが、新しく与えられた特定の条件との結びつき(これを『連合』といいます)を学習したもの・・・有名なパブロフの犬・・・も条件反射であり、レスポンデント条件づけによるもの[p.33-34]」。
・オペラント条件づけ:「『ある刺激』に対して起こした『自発的行動(オペラント)』に、その行動の頻度を増大させられる『報酬(強化子)』が与えられることで、この『刺激-オペラント-強化子』の3項の結びつき(随伴性)が条件づけられる・・・というタイプの学習[p.39]」
・「知識は、はじめは情報として私たちのもとに届けられますが、それをその場限りで利用するにとどめるのではなく、『学習』し自分の人生を生き抜くための素材として末永く使える形で自分のうちにとどめられたとき、それを初めて『知識』と呼びます。[p.41]」
・「レスポンデント条件づけ、・・・オペラント条件づけのような学習の仕方は、ある状況下で、いわば『自分一人で』行った行動に対して何らかの利益や報酬や罰が自然に得られることによって成立するタイプの学習です。・・・このような学習を『個体学習』といいます。[p.47]」「他者と一緒に話したり作業をするその瞬間は他者の影響を受けます。しかしそのような場面ですら、ふと自分の頭で『まてよ、それってこういうことかな』とか、『いや、これは違うんじゃないか』と、自分自身で感じたり思ったり考えたりしていることでしょう。そのときにしているのは、まさに個体学習なのです。・・・結局、本当に身になるのは、この『個体学習』による部分だけ[p.52]」
・「ヒトを含めた『社会的動物』たちが行っているのが社会学習、つまり他個体の影響を受けながら学習するという形の知識獲得の様式です。[p.57]」「人間が他人の行動を真似て何かしようとするとき、私たちはそれを『どのような意図を持ってどうやってやるか』よく見て理解して真似ます。やり方、手順、プロセスを真似るのです。しかしチンパンジーはその行動がもたらす結果を再現しようとはするのですが、やることの意図を察知し、途中のプロセスを追いかけて真似るということができていないようなのです。この違いをエミュレーション(結果模倣)とイミテーション(意図模倣)といって区別しています。[p.63]」「人間は教育による学習をする以前に、観察学習や模倣学習の王様なのです。[p.66]」
・「教育を人間だけに特別な営みとは考えず、動物にもあるかもしれないと仮定し、もしあったとしたら動物にも当てはめることのできる定義を用いてみたいと思います。それがカロとハウザーという二人の動物行動学者の挙げた『積極的教示行動』の定義です。それは次の3つの条件を満たす行動とされます。ある個体Aが経験の少ない観察者Bがいるときにのみ、その行動を修正する。②Aはコストを払う、あるいは直接の利益を被らない。③Aの行動の結果、そうしなかったときと比べてBは知識や技能をより早く、あるいはより効率的に獲得する。あるいはそうしなければまったく学習が生じない。[p.72-73]」「この定義で特に重要なのは2番目、つまり教師は自分の直接の得にならない行動をするということでしょう。[p.75]」「利他性、あるいは利他的行動は動物界、特に霊長類に広く行き渡った重要な生物学的特質であることが、近年の膨大な研究で明らかになってきているのです。[p.75-76]」
・「教育は、生物にとって想像以上にコストがかかる営みなのです。・・・そのコストのかかる教育というストラテジーを、われわれ人間は、むしろあたりまえのように使うことができます。[p.81]」「教育による学習というものは、生物学的に見るとなかなか成り立ちにくいのではないかと疑うことは、重要な視点ではないかと思います。[p.82]」

第2章、人間は教育する動物である
・「なぜヒトは身体を一気に大人の大きさにせず、10~12歳ごろまである程度抑えて再度スパートをかけるような不可思議な方略をとったのか。・・・身体の成長よりも脳の成長を優先させて栄養を回し、脳が完成するのを見届けてから、一転して最後の身体的完成にエネルギーを振り向ける、そういうストラテジーを選んだ生物がヒトなのです。[p.117]」
・「利他的な理由で他人に知識を伝達するための行動=教育をする能力が、かなり幼いときから発揮されていることを示す証拠が、近年出始めています。[p.119]」「ヒトはなぜ・・・とても小さいときから『知識』を教えようとするのでしょう。しかもただ『私が面白いと思う知識』を相手に押しつけるためではなく、相手が知らないこと、しかも一般的で規範的なルールや知識を、わざわざ教えようとするのです。これはそのような一般的な知識こそが、文化的知識の本質だからだと思われます。[p.120]」
・「見てわかるもの、つまり透明な知識は、基本的に教育学習を必要としません。それらは観察や模倣といった形式の学習と、自分自身での創意工夫、つまり個体学習で習得し洗練させることができます。しかし難しい知識、観察や模倣では到達できない知識は、それを使えるようになったヒトからの説明や指導を必要とします。教育が、行動レベルから活動レベル、制度レベルに高度な組織化をもとめられ、いわゆる学校のような教育のための特別の社会的装置が爆発的に普及したのも、特に18世紀以後の産業革命以後のことでした。[p.126]」

第2部、教育の遺伝学
第3章、個人差と遺伝の関係

・「学業成績の個人差の一番大きな要因は遺伝的な差です。これは行動遺伝学研究で繰り返し見出され、一貫した結果の得られた知見です。しかし少なくとも今日、このことはタブーとみなされ、指摘されることはほとんどありません。・・・しかし、行動遺伝学のエビデンスは、先生の教え方や本人の中で変えられる要因の違いの影響はわずか、数字にすると大きく見積もっても全体の20%程度、それに対して遺伝の影響は50%、そして残り30%は家庭環境の違いであることを示しています。[p.134-135]」「この結果はあくまでも子どもたちみんなが学校に通って曲がりなりにも教育を受けているという、いまの教育制度がきちんと働いていることを前提とした結果です。・・・遺伝の影響が大きいのだから、教育を受けなくとも勉強しなくとも、勝手に学力が身につくという意味ではまったくありません。[p.136]」
・「行動遺伝学では、『すべての行動は遺伝的である(遺伝の普遍性)』『家族が類似するのは環境が類似するからではない(共有環境の希少性)』『個人差の多くは一人ひとりに固有の環境による(非共有環境の優越性)』という三原則が唱えられています。・・・これらをまとめた形で最も重要なメッセージにすれば、『いかなる行動の個人差も、遺伝だけからでも環境だけからでもなく、遺伝と環境の両方の影響によって作られている』ということです。[p.159]」

第4章、能力と学習
・「遺伝要因は確かに人生の歩む道に一定の条件を与えます。遺伝的に万人が平等ということはなく、何をするにしても、それに対するやりやすさ・やりにくさに遺伝的個人差があります。しかも現段階では、いや将来も、その遺伝的素質が何であるかは明確には語り得ません。・・・そもそも才能というものはきわめて多様で複雑な身体的、心理的機能の独特な特質が合わさって、しかも長年にわたる学習と、学習を支える社会的条件の中でその形を徐々に現すものですから、名づけられた特定の遺伝子の有限の組み合わせだけでは予測しきれないものです。[p.201]」
・「人間の行動は確かに環境の影響を受けるけれど、それは遺伝の影響を消し去るのではなく、ただたんに遺伝の差をどの程度顕在化させるかを変えているだけだといえます。[p.205]」
・「心理学では『結果を出すためにやるべきことがわかっている』かどうかの部分を『結果期待』、その『やるべきことができる』かどうかの部分を『効力期待』と呼んで区別します。・・・結果を出すために何をすべきかわかっていない(何の勉強をしたらいいのかわからない、あるいは勉強の仕方がわからない)ために勉強をしていなかったとしたら、まずは結果期待を持つことからはじめねばなりません。・・・この部分はまさに教師の支援が威力を発揮しやすいところだともいえるでしょう。自分の力では勉強の仕方がわからないから学習が始まらないとしたら、その部分を教師が後押しして学習に取りかからせてみると、その学習行動自体に関わる遺伝要因や学習の内容への関心に関わる遺伝要因が発動して、学習を続けることができるかもしれないからです。[p.212-213]」

第3部、教育の脳科学
第5章、知識をつかさどる脳

・「『作動記憶(ワーキング・メモリ)』・・・とは、外から入ってきた情報あるいは知識という物資を加工して新たな知識を作る『作業場』に当たります。一方『長期記憶』とは、そうして外から入ってきた知識や新たに自分で作った知識を蓄えておく『貯蔵棚』あるいは『貯蔵庫』の役割に相当するところです。[p.230]」
・「流動性知能とは、いままでに経験したこともない新しい問題を解決しようとするとき使われる能力のことで、まだ固まっていない頭が柔軟に、液体のように流動的に働いているさまを表しているのに対し、結晶性知能は経験によって身につけた知識を用いて問題を解く能力のことで、結晶のように知識がきれいな構造を持って定着し安定したさまを表しています。[p.241]」
・「生まれ落ちた境遇の制約に加え、遺伝的スタイルを持ったあなたや私が、それでもその遺伝的『スタイル』を『素質』という可能性に変え、その可能性を実現しようともがく過程で社会の中に居場所をみつけて、誰かとつながりながら、自分の素質を才能へと実体化させていくときに必要なのが学習であり知識であると論じてきました。その学習はそれ自体そのヒトの遺伝的スタイルを表した個体学習が常に基底にあります。それはあらゆる動物が普遍的に持つ学習様式です。しかしヒトは社会的動物として、社会の中で出会う人々の生き様からも観察や模倣や共同して何かする中で社会学習をし、そしてヒトに特有な教育学習をつけくわえて、あなた自身になっていくのです。[p.260-261]」

おわりに
・「この世界とその中での生き方についての本当の知識へと導いてくれるのが学習です。[p.268]」「学習をするのは、基本的にその人自身です。・・・ヒトという生物は、他の生物以上に、その発生の当初から一人だけではそれができないように生まれついてしまいました。社会の中で他者と共有できる知識を生み出し、それを互いに学びあいながら生き、生かされてきました。そのために備わったのが教育という学習方略でした。知識そのものを他者に直接学習させるための独特の行動です。[p.269]」「多くの人はやってみると、どの領域にどの程度の才能があるかわかってきます。・・・成人に達して、職業人として、あるいは親として他者のために生きねばならなくなると、いやおうなく、そこで必要とされる知識を学び、その人なりにそれを使って、他者に影響を与えざるを得なくなります。そのとき自分に才能のあることにも、ないことにも直面させられます。[p.272]」「自分にできること、しなければならないことは、教育をうまく利用して、自分にしかない遺伝的スタイルを自分で探しながら、自分で学んでいくしかないことにもお気づきになられたのではないでしょうか。[p.273]」
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最初に書いた疑問に立ち返れば、学ぶこと教えることは進化によって獲得したヒトの特質としての裏付けがあり、多様性や個性については遺伝的能力という裏付けがあるということだと思います。教育学や心理学の分野において、こうした考え方はまだ研究中であって、議論の余地のあるところもあるようですが、今後こうした面での人間の本質の理解も進んでいくのではないかと思います。研究開発をうまくマネジメントする方法を考える上でも、こうした人間に関する理解は必ずや役に立つのではないかと感じますがいかがでしょうか。



文献1:安藤寿康、「なぜヒトは学ぶのか 教育を生物学的に考える」、講談社、2018.
 参考文献リンク:http://www.kts.keio.ac.jp/