研究開発・イノベーションには様々な人の意思が関与します。少なくとも、開発された製品やサービスを顧客が採用する気になってくれなければ始まりませんし、さらに競争相手がどう出るかも重要・・・という具合に、様々なステークホルダーの意思を考えて進めなければなりません。このような人の意思とその相互作用を考える上でゲーム理論は有効な考え方だと思いますが、実務家にとってはまだ簡単に使えるレベルには至っていない感じがします。

そこで、今回は、松島斉著「ゲーム理論はアート」[文献1]に基づいて、まずはどんな可能性がありそうかを考えてみたいと思います。著者は次のように述べています。「我々は、芸術家がすばらしい作品のアイデアを思いつくように、社会のしくみを思いつかなければならないのだ。・・・そして、このような行為の実践は、『ゲーム理論』という名の数学を使うことによって、理想的になされることを解き明かしたい。ゲーム理論は、問題の背後に潜む社会のしくみを、簡潔で首尾一貫した『数学』に見立てる。この数学を、社会のしくみをとらえるための『仮説的モデル』として、具体的な調査や問題解決のための基本方針に据えるのだ。[p.iii]」以下、本書の中から興味深く感じた点をまとめたいと思います。

第1部、アートとしてのゲーム理論
第1章、ゲーム理論はアートである

・「ゲーム理論とは、狭義の意味においては、社会を、チェスやサッカーといったゲームの仲間に見立てて、独自のアプローチで分析する数学のことだ。[p.21]」
・「ゲーム理論の創造性は、具体的な問題解決の手助けこそすれども、それだけでは最終的な問題解決に至らない・・・例えば、ゲーム理論の創造性は、コンピュータサイエンス、人工知能、倫理学、心理学といった、別の分野のテクノロジーや知性と結びつくことによって、はじめてその有用性の真価を発揮できることがある。[p.26]」「仮説的モデルの形成という、いささか中途半端にも思える仕方で役に立つ、こんなゲーム理論は、しかしながら、そのことが仇となって、以下のように、『悪い官僚主義』に利用される可能性がある。要注意である。仮説的モデルは、研究者が具体的な問題に踏み込んだ際には、もっと検証可能なスタイルにブラッシュアップされなければならない。この工程を経て、モデルは、仮説形成の段階から、正しいモデルかどうかの真偽を問う『実証的段階』に進むことになる。このような研究のステップを軽視した場合、ゲーム理論は悪い官僚主義に利用される恐れがでてくる。官僚主義的悪用とは、問題解決の答えが先に決まっていて、後から、その答えの裏書きができるような、真偽は定かでないがもっともらしく聞こえるような仮説的モデルを、御用学者に見繕ってもらうことである。[p.26-27]」
・「ゲーム理論は、経済学に必要となる理論的、数理的基礎を構築するため、数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンによって、1944年に創始された。[p.28]」
・「経済学では、概して、経済主体の『選好(preference)』が『外生的』に与えられていることが前提とされる。つまり、各経済主体がどの商品を他のどの商品より好むかといった判断基準(これを経済学やゲーム理論では『選好』と呼んでいる)は、あらかじめ個人ごとに生得的に与えられていて、社会的関係の在り方が変わっても不変に保たれる、と仮定されるのである。しかし、実際の経済主体の選好には、社会的関係の在り方に影響されて、『内生的に』 決まる側面がある。[p.32]」「経済主体は、自身の立場のみならず、他者の立場にも立って、他者がどのように考え、どのように行動を決定するかを、シミュレーションしようとする。こうすることで、自分にとって最適な行動は何かを、よりよく導くことができる。なぜならば、自分にとって最適な行動は、他者がどのように行動するかに依存するからである。[p.34]」「『他者の立場に立って考える』ことによって、経済主体の心の中に、『同胞感情(同感、sympathy)』が芽生える[p.35]」。「社会科学の使命は、『社会の隠された病理』を解明することにある。・・・社会に隠されているかもしれない潜在的な病理にかかわる、さまざまな話題に向き合うためには、犠牲を払ってでも、ゲーム理論において内生的選好を追求するべきである。従順にふるまう、同調する、といった感情の作用は、内生的選好の重要なケースとして、とりわけ真摯に分析されるべきである。[p.36]」

第2章、キュレーションのすすめ
キュレーション1:PK戦からテロ対策へ
・「ゲーム理論は、人々の行動を正確に予測するための学問ではない。むしろ、ゲーム理論は、人々の行動を正確に予測することは難しく、正しい予測ができると吹聴するのはまやかしにすぎないことを、論理的にあばく学問だといっても差し支えない。・・・ゲーム理論の有用性は、予測がどの程度可能かについての目安を、正確に示すことにある。その目安として、ランダムな、確率的な予測の仕方が、とりわけ重要になる。[p.46-47]」
・「PK戦では、2人のプレイヤーの利害は正反対である。そのため、ゲーム理論は、PK戦のことを、利害の和が常にゼロになるゲーム、つまり『ゼロサム・ゲーム』と呼ぶ。また、相手に裏をかかれることを考慮した上で、被害を最小限にとどめる行動様式のことを、ゲーム理論は、『マックスミニ戦略』と呼ぶ。PK戦において半々の確率でランダムに左右いずれかを決めるやり方は、このマックスミニ戦略に該当する。仮説的なテロ対策のゲームで最善策とされたランダムで機械的な戦略もまた、マックスミニ戦略である。[p.52]」
キュレーション2:経済の秩序と繁栄とインセンティブ
・「長期的に関係をもつ状況をモデル化した『繰り返しゲーム』においては、良好な協調関係が、全員の利己的動機と矛盾することなく継続されることが、ゲーム理論によって証明されている。[p.68]」「お互いの行動パターンを正しく予測した上で、全員が自己実現的にこの予測通りの行動パターンをとるインセンティブをもつ状況のことを、ゲーム理論は『ナッシュ均衡』と呼んでいる。繰り返しゲームにおいては、・・・協調的関係がナッシュ均衡になるのである。・・・繰り返しゲームは、同じゲームを考えながらも、さまざまな関係がナッシュ均衡になる。ナッシュ均衡によって説明できる関係性がたくさんある、という性質をもつのである。しかし、その中でどの関係が実際に起こるのかについては、ゲーム理論だけでは、うまく答えられないのだ。ナッシュ均衡がたくさん存在するという性質は、ゲーム理論の黎明期からよく知られている性質である。・・・ゲーム理論かは、それを『フォーク(folk)定理』と呼んでいる。今日では、フォーク定理は、きちんと証明されていて、繰り返しゲームにおけるナッシュ均衡の範囲を特定する、重要な数学的命題になっている。[p.69]」
・「私は、このキュレーションにおいて、・・・何らかの『歴史的経路(historical path)』が、協調関係を誘発していることをほのめかしてきた。・・・どのような経路を実際にたどったかを実証するために、真摯な歴史研究が、ゲーム理論の形式論理とは厳密に区別されて、ゲーム理論の形式論理を補完する重要な役割をなすのである。[p.70]」
キュレーション3:社会理論へのステップ
・「予測の内容によって、なんらかの感情が生まれ、それゆえに個人が内生的選好をもつようになることを明示的に扱うゲーム理論のアプローチがある。それは、『心理ゲーム(psychological game)』と呼ばれている。[p.79]」

第3章、ワンコインで貧困を救う
・アビリーンのパラドクス:「集団で合意したはずの決定は、実は、場の空気を読んで遠慮がちな態度をとる『事なかれ主義』によってもたらされた悲劇であり、みんなに不利益をもたらしてしまうことがある[p.87]」
・「集団的決定の失敗の核心は、同じゲームをプレイしているのに、良い均衡と悪い均衡がどちらも存在する点にある。どのナッシュ均衡が実際にプレイされるのか・・・先験的にはわからないことに、事の本質がある。[p.89]」
・「ルールを少しだけ変更することで、いらないナッシュ均衡をすべて排除でき、しかも望ましいナッシュ均衡だけを残すような、うまい工夫はないだろうか。これが、ゲーム理論家の目指すべき、ここでの目的になる。[p.90]」「最終的な解決策として提案されるのが、『アブルー・松島メカニズム』と称されるメカニズムデザインである。[p.91]」「アイデアの基本は、『最初の嘘つき(のみ)が罰せられるとする』ということである。[p.113]」「現実に役立てるためには、アブルー・松島メカニズムを単に機械的に当てはめてはいけない。・・・アブルー・松島メカニズムには、・・いつでも容易に実行可能とは言えないような、『人工的』にデザインされたしくみが使われている。このことは、さまざまな局面で、現実的な利用可能性を制限してしまうだろう。[p.111-112]」

第4章、全体主義をデザインする
・「全体主義とは、個々人が、自立的に判断する自由や意思を失って、政策当局や権威者といった『地位の高い』人の意図に、無思慮に従っている社会を意味する。[p.116]」
・「本章は、全体主義のしくみを明らかにするため、集団的決定を、従順や同調といった内生的選好を組み入れて、『心理ゲーム』として検討していく。・・・心理ゲームと全体主義との関係がわかってくれば、ナチスによる大量虐殺のような大問題に限らず、もっと日常的なハラスメントなどについても、その背景に秘密裏に『全体主義もどき』が成立していて、邪悪な意図が実行されていることを、暴くことができるようになる。[p.121]」
・「本章のプロセスでは、自分が最初に嘘をつく人だと予測される場合には、自分が最初に嘘をつく人だと予測されない場合よりも、より心理的負担がかかるという心理的性向を利用するのである。[p.130]」「同調感情のために、最初の嘘つきになることを嫌う。このことが、ドミノ倒しのように作用して、誰も嘘をつかないという状況を生み出すのである。[p.133]」「ここに、全体主義を日常的に利用することができるトリックが宿る。[p.138]」

第2部、日本のくらしをあばく
第5章、イノベーションと文系

・「イノベーションは、『コロンブスの卵』のような発明発見ではかたづけられない。もっと『文系』の発送にみちあふれていると思っている。[p.145]」

第6章、オークションと日本の成熟度
・「せり上げは、各参加者に、どのくらい欲しているかについて、正直に表明させることができる。・・・本当に一番欲している人に品物を割り当てることができる。[p.163]」「オークションのような透明性の高い決め方のルールを、困難でも、成果が見えにくくても、積極的、具体的に取り入れる姿勢を政府はもつべきだ。[p.165]」

第7章、タブーの向こう岸
・「世間体を気にして、人と違うことはしない、偉い人にはさからわない。・・・しかしこれらは、タブーを守るための世界共通手段でもある。だから、・・・もっと注意しないといけない。なぜなら、こんな性向の人物は、悪玉権威者のいいなりになる典型だからだ。[0.170]」
・「日本人にとってお金の話はタブーそのもの。[p.177]」「社会にはさまざまな選択肢がある。どれが社会にとって必要か。比較検討すれば見定めることができる。・・・このような比較検討のための価値尺度として、お金は大いに役立つ。しかし、日本人は、お金のこの機能を、とりわけ社会に対して、ちっともあたりまえに使いこなせていない。・・・だから、このままでは、日本人は、矛盾にみちた言動や行動に終始しかねない。[p.178]」

第8章、幸福の哲学
・「私は、一市民として、そして経済学者として、いや社会科学者として、幸福の実現とは、自立的であり続けたいとするエンドレス・ファイトだと定義したい。[p.189]」

第3部、「制度の経済学」を問いただす
第9章、「情報の非対称性」の暗い四方山話
・「各経済主体は、各々の私的情報(自分だけが入手する情報のこと・・・)をもっている。私的情報・・・は、『私的価値(private values)』のケースと・・・『相互依存価値(interdependent values)』のケースに大別される。・・・相互依存価値のケースでは、・・・もはや、品質についてあらかじめコンセンサスはない。そのため、勝者の呪いに代表されるような、やっかいな問題が出てくる。[p.197-198]」

第10章、早いもの勝ちから遅刻厳禁へ
・「現行の証券取引のルールでは、連続時間取引が、隙あらば、トレーダーをおかしな行動にかりたてる『早い者勝ちレース』をつくり出すしくみになっている。ならば、『高頻度バッチオークション』のような、根本原因そのものを取り除くような抜本的改革について、今後現場において本格的に討議されることが望まれる。[p.230]」「本当に学ぶべきことは、『メカニズムデザイン(制度設計)する』ということの、もっと『本質』的な意味についてだ。[p.230]」

第11章、繰り返しゲームと感情
・「長期的に協調関係が維持されるためには、相手の選択が観察できることが必要不可欠である。この前提をみたす状況のことを『完全モニタリング』という。[p.243]」モニタリングの「精度が低いと、概して協調はしにくい。だから、少しでも相手のいい情報が入れば、やさしくしてあげたくなる。逆に、精度が高いと協調しやすいので、いいシグナルがくるのはあたりまえに思えている。だから今度は逆に、悪いシグナルにやけに敏感になる。[p.255]」

第12章、マーケットデザインとニッポン
・「日本の現場には、経済学やゲーム理論が必要とされる問題が山積している。[p.263]」「ウーバーのビジネスモデルには、メカニズムデザインのエッセンスがぎっしり詰まっている。・・・ウーバーのプラットフォーム・ビジネスは、十分な『厚み』をキープでき、安全運転を守る『暗黙の協調』のインセンティブを、ドライバーからうまく引き出している、ガバナンスにずいぶん成功しているように、私には思える。[p.272-273]」「ゲーム理論によるマーケットデザインは、今後、『厚い、そして熱い、市場を創る』作法をもっと模索する学問になろう。情報システムによるガバナンス効果を、マーケットデザインによっていかに創発するかが、これからの日本のビジネスの成功の1つの重要なカギを握ることになる。[p.273-274]」
---

ゲーム理論を使った社会システムの創造の可能性は今後ますます増えていくでしょう。イノベーションに関していえば、特にビジネスモデルの創造に直接的な寄与が期待できるのではないでしょうか。また、イノベーションの興し方自体にもゲーム理論的な発想が求められるようになるかもしれません。どんな社会システムならイノベーションのインセンティブになるのか。本書でも特許制度の問題点は議論されていますが、現行の制度にもかなり改善の余地があるように感じました。ゲーム理論を制度設計に用いる手法やツールは、まだ実務家が使いやすいものにはなっていないと思いますが、適用事例が増えてくれば、こんな場合には、こんな制度が良い(とか悪い)とかのような形で実践に役立つようなノウハウも蓄積されていくかもしれません。ゲーム理論を活用するにはそれなりの専門的スキルも必要でしょうが、ゲーム理論的発想を参考にして考えることは、現時点でもできるかもしれません。イノベーションの成功確率を上げるために、そうした考え方も試してみる価値があるように思いましたが、いかがでしょうか。


文献1:松島斉、「ゲーム理論はアート 社会のしくみを思いつくための繊細な哲学」、日本評論社、2018.