研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

科学の話題

AIを活用する組織をつくる(「Building the AI-Powered Organization」, Fountaine, McCarthy, Saleh著HBR2019, July-Augustより)

これからの時代のイノベーションを考える上で、AIの活用は無視できない要素のひとつと言えるでしょう。その検討に研究部隊が関わることも多いと思いますが、AIの活用、適用のしかたによって得られる成果は大きく異なるのではないかと思います。このような状況は、何もAI技術に限ったことではなく技術全般について言えることではありますが、AIの場合は、その影響の範囲が意思決定や働き方、サービス、マーケティングといった、従来一般に「事務系」と言われてきた仕事にも大きく広がっていることもあって、マネジメントの分野でも大きな注目を集めているように思います。

今回は、そうしたAI活用のマネジメントについて議論したHBR誌記事Fountaine, McCarthy, Saleh著「Building the AI-Powered Organization」[文献1]を取り上げたいと思います。この記事では、AIをうまく活用できる組織はどのようなもので、そうした組織をどう作っていけばよいのかが主に議論されており、その指摘には、技術の活用全般についても役立つ点が多いのではないかと感じました。以下、興味深く感じた点を中心に内容をご紹介したいと思います。

著者はまず、「AIが大きな可能性を持っているにもかかわらず、多くの組織で取り組みが不足している。」と指摘しています。その結果、「著者らの調査と、何百ものクライアントとの仕事において、AIへの取り組みが大きな文化的、組織的障害に直面していることを見てきた。」と述べています。以下、そうした障害とその克服のためにはどうすればよいのかについての著者の主張を見ていきたいと思います。

変革するMaking the Shift
・「リーダーが犯す最大の過ちの1つは、すぐに利益が得られるプラグアンドプレイ技術のようにAIを捉えてしまうことだ。」とし、さらに「リーダーは、AIに必要とされるものを狭く考えすぎてしまうことがある。最先端の技術と才能が確かに必要ではあるが、同様に、企業文化、構造、働き方を連携させることが、幅広いAIの適用をサポートするのには必要だ。」と述べています。そして、「AIをスケールアップするには、次の3つの変化が必要」としています。
細分化された仕事から分野を越えた協働へFrom siloed work to interdisciplinary collaboration
・「AIは、異なるスキルと視点を持つ機能横断型のチームによって開発される場合に、最も大きなインパクトを与える。ビジネスやオペレーションを担当する人々と分析の専門家が手を携えることで、単に狭い範囲の業務の課題だけでなく、幅広い組織の優先事項の解決に向けた取り組みが確実なものとなる。」
経験に基づくリーダー主導の意思決定から、データに基づく最前線での意思決定へFrom experience-based, leader-driven decision making to data-driven decision making at the front line
・「AIが広く適用されている場合、従業員は職階の上下を問わず自身の判断や直感を、アルゴリズムによる提案によって強化することで、人単独、機械単独で得られるものよりもよい答えを導くことができる。しかし、このような仕事の方法は、すべての階層の人々がアルゴリズムによる助言を信じ、意思決定における権限を与えられていると感じている必要がある――ということは、伝統的なトップダウンアプローチを放棄することを意味している。もし、従業員が行動を起こす際に上司に相談しなければならないとすれば、AIの使用を妨げてしまうことになる。」
固定的でリスク回避的なものから、機敏で、実験的、融通のきくものへFrom rigid and risk-averse to agile, experimental, and adaptable
・「組織は、実適用の前に、アイデアを十分に検討しなければならないとか、周辺機能も完備していなければならないといった考え方を捨てなければならない。AIアプリケーションが最初からすべての必要な機能を持っていることはほとんどない。試行から学習するという考え方により、発見の源として失敗を捉えることを促し、失敗の可能性を減らすのだ。」

成功の仕組みをつくるSetting Up for Success
・「従業員を巻き込み、うまくいくAIをスムーズに立ち上げるために、リーダーは早い段階からいくつかの注意を払わなければならない」

理由を説明するExplaining why
・「リーダーはすべての人を共通の目標の周りに集めるようなビジョンを準備しなければならない。なぜAIがビジネスに必要なのか、どうすれば新しいAI志向の文化に適応できるのかを労働者は理解しなければならない。とりわけ、AIが彼らの役割を減らしたりなくしたりするのではなく、強化するものであることをあらためて確認する必要がある。」
変化に対する個別の障害を予測するAnticipating unique barriers to change
・「障害の中には、労働者が時代遅れになってしまうというような組織内部で共通する恐れもある。しかし組織には、抵抗の原因となる個別特有の文化もある。例えば、・・・機械より顧客のことがよくわかっているというようなマネジャーのプライドや、・・・自分が管理する人の数がステータスの象徴になっている人がAIのもたらす権限委譲に反対する場合などだ。」「また、分野に細分化されたプロセスがAIの広範な採用の障害となることがある。例えば、予算を分野や部署に割り当てる組織では、アジャイルな組織横断的チームの形成に苦労することがある。」
技術と同じぐらいの(それ以上でないとしても)予算を統合と適用のために確保するBudgeting as much for integration and adoption as for technology (if not more)
・「著者らの調査によれば、拡大がうまくいった企業の約90%が、分析のための予算の半分以上を、ワークフローの修正、コミュニケーション、トレーニングといった、適用を促す活動に費やしていた。」
実行可能性、時間的投資、価値のバランスをとるBalancing feasibility, time investment, and value
・「AIによる不正検出など、人の介入を必要としない自動化プロセスは、数ヵ月で効果を得ることもできるが、AI支援カスタマーサービスのような人が含まれるプロジェクトではもっと長い時間がかかってしまいやすい。」

拡大のための組織をつくるOrganizing for Scale
・「AIと分析の機能を組織のどこに置くべきかについては議論がある。多くの場合、AIと分析の大部分を中央の『ハブ』に強化するか・・・ほとんどをビジネスユニット(『スポーク』)に分散して埋め込むか、・・・両方に分散させるハイブリッド(『ハブアンドスポーク』)にするかだ。」
ハブ
・「いくつかの責任はハブが持つことが好ましく、最高分析責任者や最高データ責任者によって率いられる。データの管理、採用とトレーニング戦略、サードパーティのプロバイダやAIサービス、ソフトウェアなどが対象となる。AIタレントの育成、AI専門家がベストプラクティスを共有するコミュニティづくり、組織全体でのAI開発のプロセス作成なども含む。」「ハブはAIのシステムと標準にも責任を持つべきだ。」
スポーク
・「いくつかの責任はAIシステムを使う人々に最も近いスポークが負うべきだ。エンドユーザーのトレーニング、ワークフローの再設計、インセンティブプログラム、パフォーマンス管理や影響の追跡などの業務だ。」
グレーの領域
・「AIに移行するための多くの仕事の責任はグレーの領域に分類される。AIプロジェクトの方向づけ、解決すべき問題の分析、アルゴリズム構築、ツールのデザイン、エンドユーザーとのテスト、変化の管理、支援のためのITインフラ構築などはハブとスポークのどちらでも可能だ。・・・組織のどちらが責任を持つかを決めるのは次の3つの要因による。」
AI
能力の成熟度The maturity of AI capabilities
・「企業がAI化の初期段階にある場合、分析のエグゼクティブ、データサイエンティスト、データエンジニア、ユーザーインターフェースデザイナー、分析結果を図示して解釈するビジュアリゼーションスペシャリストはハブに配置して、必要に応じてスポークに配置するようにする。」
ビジネスモデルの複雑さBusiness model complexity
・「ビジネス機能やライン、AIがサポートすべき地域の数が多くなるほど、AI専門家(データサイエンティストやデザイナー)の共同体を築く必要が増える。複雑なビジネスを行う企業はこの共同体をハブに設け、必要に応じて、ビジネスユニット、機能分野、地域に割り当てる。」
必要な技術的イノベーションのペースとレベルThe pace and level of technical innovation required
・「迅速なイノベーションが必要な場合、グレーの領域の機能と能力構築をハブに設置し、業界と技術変化をよりよくモニターし、競争を避けるために素早くAI資源を配置する。」
管理と実行Oversight and execution
・「AIの普及と分析の責任は組織ごとに異なるが、AIをスケールアップする組織には2つの共通点がある。」
ビジネス、IT、分析リーダーの連携の管理Governing coalition of business, IT, and analytics leaders
・「AIの完全な統合には時間がかかる。その管理のためのタスクフォースを作れば、どのように役割と責任が分割されていても、3つの機能の協力と、説明責任の分担が確実になる。」
任務に基づく実行チームAssignment-based execution teams
・「AIをスケールアップできる組織は、スポークに分野横断的なチームを設置している割合が2倍になっている。このようなチームは、多様な観点を集め、新たなAIを構築し、配置し、モニターする際に第一線のスタッフからのインプットを求める。」

すべての人を教育するEducating Everyone
・「AIの適用を確実にするためには、企業はトップ以下すべての人を教育する必要がある。この目的のため、いくつかの組織ではAIアカデミーを立ち上げている。」「アカデミーは様々だが、ほとんどは4種類の指導を行う。」
リーダーシップ
・「ほとんどのアカデミーは、上級エグゼクティブと事業部のリーダーが、AIの機能とAIのもたらす機会の特定と優先順位づけについての深い理解ができるよう努力している。」
分析Analytics
・「データサイエンティスト、エンジニア、設計者、データ分析や管理AIソリューションを行う他の従業員、のハード、ソフトスキルを定常的に磨くことを狙う。」
翻訳者Translator
・「翻訳者はビジネススタッフから派遣されることが多く、例えば、分析的アプローチをビジネスの問題やAIケースに適用する方法について基礎的な技術トレーニングを受ける必要がある。」
エンドユーザー
・「現場の労働者は、新しいAIツールについての一般的な紹介と、使い方のOJTとコーチングのみが必要。」

変化を強化するReinforcing the Change
・「ほとんどのAI変革は18~36ヶ月かかり、5年以上かかるものもある。その間、勢いを失わないように、リーダーは次の4つのことを行う必要がある。」
有言実行Walk the talk
・「ロールモデルは不可欠だ。まず最初にリーダーはアカデミーのトレーニングに参加してAIへのコミットメントを示すことができる。そして新しい働き方を積極的に奨励する必要がある。」「最も効果的なロールモデルは謙虚であることだ。」
責任をもつMake business accountable
・「分析は単にビジネス上の問題を解決するための手段なので、プロジェクトをリードし、その成功について責任を持つのはビジネスユニットだ。」「すべてのステークホルダーのプロジェクトに関するパフォーマンスの数値指標をまとめるスコアカードは、分析とビジネスチームの目標を一致させるよい方法だ。」
適用状況を追跡し促すTrack and facilitate adoption
・「AIを使って出した決断と、使わない決断の結果を比較すると、従業員にその使用を促すことができる。」
変化に対するインセンティブを与えるProvide incentives for change
・「承認は、長期にわたり従業員を鼓舞する。」「企業は、従業員へのインセンティブがAIの使用と本当に一致しているかをチェックする必要がある。」

AI
プログラムが失敗する原因
1,先進的分析を明確に理解していない。先進的分析と従来の分析がどう違うかを理解せずに、データサイエンティストやエンジニアなどのキープレーヤーを集めてしまう。
2,実行可能性、ビジネス上の価値、時間的展望を評価せず、最初の年の短期的利益と、長期的利益のバランスを考えずに始めてしまう。
3,わずかな事例以上の戦略を持たず、AIが業界にもたらす機会と脅威についての全体像を考慮せずにその場限りの方法でAIに挑む。
4,強力なAIプログラムが必要とするスキルセットとタスクの複雑さを理解していないため、カギとなる役割を明確に定義していない。
5,有望な使い方を明らかにし、ビジネスニーズと技術の専門家のコミュニケーションをとり、ユーザーの賛同を得ることによって、ビジネスと分析部門の橋渡しをする「通訳者」や専門家が欠けている。
6,分析とビジネスを切り離し、柔軟性なしに分析を集中化したりうまく調整されていないサイロに閉じ込めることによって、分析とビジネスの専門家が密に連携して働けなくしてしまう。
7、データの整理統合とクリーンアップを最も価値のあるケースに合わせるかわりに、全社的にデータのクリーニングに時間とお金を浪費してしまう。
8,ビジネスケースを特定せずにフル装備の分析プラットフォームを作り、必要かどうかもわからないデータレイクや不要な過去のシステムとの統合をしてしまう。
9、それぞれの活動に取り組むための明確な指標によるパフォーマンス管理の枠組みを持たずに、収益への定量的なインパクトを無視してしまう。
10、データ収集や使用、アルゴリズムのバイアス、その他のリスク、社会的法的結果について、可能性のある脆弱性を放置して、倫理的、社会的、規制上の影響を軽視してしまう。

結論
・「AI活用を大規模に進めることは好循環をもたらす。」「AIツールが組織全体に広がるにつれ、現場に最も近い人が、かつては上層部が行っていた決断を行うことがますます可能になり、組織の階層をフラット化する。その結果、協力とより大きな思考を促進する。」
・「AIの活用を組織全体で進めることに秀でた企業は、人と機械が協働することで人や機械単独の場合より優れた成果をあげるという大きな利点を持つことに気づくだろう。」
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AI
活用の大きな可能性については、様々なところで言われています。しかし、それが今までの仕事のやり方、意思決定のしかたの変革を迫り、そのためそれがAI導入の妨げになりうることは注意が必要でしょう。そうした点のしっかりとしたマネジメントができなければ有効なAIの導入は難しいのかもしれません。

実はこうした導入の難しさはAIに限らず、技術開発の様々な場面で経験することがあります。AIの場合、その活用の効果が人間の意思決定の場面で強く現れてくる点が特徴的であり、そのため、技術の適用や普及における課題がより浮き彫りになっているところがあると思います。そう考えると著者の指摘は、技術で何かを変えようとするあらゆる技術者にとって、貴重な考える材料を提供してくれているのではないでしょうか。AIに限らず、新技術を有効に活用できるかどうかは企業にとって重要です。AI技術がどう世の中を変えるかとともに、どうやって世の中に受け入れられていくのかにも注目していくべきなのかもしれません。


文献1: Tim Fountaine, Brian McCarthy, Tamim Saleh, “”, Harvard Business Review, July-August, 2019, p.62.
https://hbr.org/2019/07/building-the-ai-powered-organization


「科学立国の危機」(豊田長康著)より

世界における日本企業のプレゼンスが過去に比べて低下しているという意見をよく耳にしますが実際はどうなのでしょうか。日本のモノづくり技術はまだまだ優位であるという意見もありますし、逆に、日本の科学技術そのものが停滞(低下)しているという意見もあるようです。本ブログでも2011年に簡単なデータに基づいて「論文から見た各国の科学力比較」をしてみたことがありますが、そこでは日本の論文数シェアの減少とともに、被引用シェアが低下しているのが気になる、というようなことを指摘させていただきました。

その後はどうなのか、こうした変化の原因は何で、社会にどんな影響があるのかなど、興味深い点も多いと思いますので、今回はより多くのデータに基づいて日本の研究力を分析した、豊田長康著「科学立国の危機 失速する日本の研究力」[文献1]の内容をご紹介したいと思います。著者は、「日本の論文数が、世界諸国に比べ極端に低迷している特異な状況にある[p.14]」と分析し、「日本の研究力が惨憺たる状況に至った原因は何なのかをデータに基づいて明らかにし、そして、日本が再び学術の分野で競争力を取り戻すためには、どうすればいいのかを提案することが本書の目的です。[p.15]」としています。以下、興味深く感じた点を中心に内容をまとめさせていただきたいと思います。

序章、失速する日本の科学研究力
・論文数:「主な国々の学術論文数(人口百万人あたり)の移り変わり」を見ると、「多くの国では右上がりで論文数が増えています。しかし、日本は2000年を過ぎた頃から停滞~減少し、他の国に大きく差をつけられてしまいました。韓国にも2倍近く引き離されています。[p.14]」
・「著者が特に分析してきたのは、論文数の減少です。その理由の一つは、論文数が『大学の研究教育力』を鋭敏に反映する指標であるからです。[p.17]」

第1章、学術論文数は経済成長の原動力
・人口あたり論文数と人口あたりGDPにはよい相関がある。[p.25]「論文数が多い国ほど労働生産性も高い・・・日本は先進国の中では低い[p.26]」
・「政府支出研究費が多かった国ほど、その後のGDPが大きく上がりやす[p.33]」い。「つまり、先行研究での『イノベ→GDP』という因果関係を支持する結果です。[p.33]」「大学の研究費、論文数、企業研究費、特許件数など、研究やイノベーションに関連する指標は、すべて、その後のGDPとの相関がしばらく維持されるか右上がりのカーブとなります。[p.38-39]」
・「政府が大学の研究費の交付を増やした国では、それに数年遅れて論文数も増えている。[p.44]」
・「大企業研究費は中小企業研究費や政府支出大学研究費よりも多額(特に日本では大企業研究費が圧倒的に多く、政府支出大学研究費の約10倍以上)であるにもかかわらず、その国全体のGDPに与える効果は、金額に期待されるほど大きくなく、イノベーションの『広がり』を反映する政府支出大学研究費や中小企業研究費の方が大きい[p.94]」。「日本は、ヨーロッパ先進国に比較して大企業研究費や特許出願数は一流ですが、イノベーションの『量』とともに『広がり』を反映する中小企業研究費、政府支出大学研究費、および論文数は三流です。今後、日本が重点的に強化するべきイノベーション・システムは、『集中』ではなく『広がり』であり、大学と中小企業であると考えます。[p.95]」

第2章、日本の科学研究力が危ない――ノーベル賞ゼロ時代の危機
・「2015年・・・タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)社の世界大学ランキングが発表され、上位200位に入った日本の大学が東大と京大の2校だけになったことが、関係者に大きな衝撃を与えました。[p.98]」「世界の大学を格付けするランキングはいくつかありますが、最も有名かつ影響力を持っているのがTHE社の世界大学ランキングです。[p.99]」「THE世界大学ランキングでは、教育、研究、論文被引用数、産業界からの収入、国際性の5分野に分類される13の基準で評価されます。[p.101]」「中でも『論文被引用数』の指標は単独で30%の重みがあり、ランキングに最も大きな影響を与えます。[p.102]」「被引用数の点数の低さが、日本の大学のランキングの大きなマイナス要因となっています。[p.108]」
・「調整した1論文あたりの被引用数をウェブ・オブ・サイエンスのデータベースでは、category normalized citation impact (CNCI)・・・と呼んでいます。[p.122]」
・「世界大学ランキングで500位からぼろぼろとこぼれ落ちる日本の大学ですが、その理由の一つは、世界と戦える中堅の大学が少なすぎることにあります。[p.137]」「日本の大学の格差の傾斜は、世界の先進国中でダントツに激しいのです。[p.138]」
・日本は論文数では5位[p.140]だが、「人口1人あたり論文数で日本は低迷[p.140]」(38位[p.143])。被引用インパクトでは78位[p.150]。「どの論文数のデータを分析しても、とても科学技術創造立国とは言えません。まさに惨憺たる状況なのです。[p.154]」

第3章、論文数はカネ次第――なぜ日本の論文数は減っているのか
・「OECDでは以前から研究時間を考慮した研究者の数をデータとして載せてきました。それが『フルタイム相当研究者数(Full-time equivalent: FTE)と呼ばれる指標です。[p.178]』
・「多くの国で大学の研究従事者数(FTE)が増えているのに対して、日本は減少~停滞して他国との差が大きくなり、そのために論文数が減少~停滞して、研究国際競争力が低下した、と考えられます。[p.184-186]」
・「OECD諸国における研究従事者数、研究費および研究資金源の検討から、多くの先進国において論文数が増えたメカニズムは、『政府からの大学研究資金研究人件費研究従事者数(FTE論文数』であることがわかりました。そして、日本は政府が支出する大学研究資金が先進国で最低であり、しかも、諸外国が増やしたのに対して日本は増やさなかったので、その結果、研究人件費も増えず、FTE研究従事者数も増えず、諸外国との差が開いてしまったと結論されます。[p.220-221]」「研究費以外においても、日本人のおカネの使い方は、モノに重点が置かれ、ヒトが軽視されてきた面があると思います。[p.221-223]」
・「学士課程修了者数とGDPの間には、統計学的に信頼のおける相関は認められませんでしたが、博士課程修了者数とGDPの間には、・・・統計学的に信頼のおける相関が認められました。・・・博士課程修了者数は論文数とも相関し、・・・論文数もGDPと相関します。・・・博士課程修了者数とGDPとの相関は、論文数を介した相関である可能性が高いのです。[p.226-228]」

第4章、政府の科学研究政策はどうあるべきか
・「日本の研究力の低下の原因として、1,研究従事者数(FTE)が先進国で最低クラスであり、かつ、この十数年間停滞していること。2,大学への公的研究資金が先進国で最低クラスであり、かつ、この十数年間停滞していること。3,博士課程学生数が先進国で最低クラスであり、かつ、この十数年間停滞していること。などをあげました。・・・それには、日本政府の大学に対する財政政策が大きく関係しています。[p.238]」
・「国公立大学と公的研究機関の論文数が2004~05年を境にして停滞~減少し、一方私立大学では停滞~増加を示しており、公的研究機関と私立大学とで論文数の動きが違います。・・・この頃に起こった国立大学をめぐる大きな出来事は2004年の法人化です。[p.245]」
・「法人化前後からの国立大学への財政政策の潮流は、『バラマキ』である基盤的な運営費交付金の削減、②競争力ある大学への『選択と集中』の2つであったと考えられます。[p.256]」
・「運営費交付金が削減された場合、国立大学、特に中小規模大学では人件費を運営費交付金に大きく依存していることから、人件費つまりヒトを減らさざるをえません。実際多くの中小規模国立大学で、計画的に教員数を削減することがなされました。[p.274]」
GEのウェルチが提唱した、「世界でナンバー1かナンバー2を確保できる得意分野の事業(コア事業)のみを残し、それ以外の事業(ノンコア事業)はたとえ黒字がでて出ていても売却・廃止するという・・・『コア事業集中型』の『選択と集中』は一世を風靡した経営用語でしたが、シャープが液晶事業への『選択と集中』で経営破綻した失敗事例などから、最近ではすっかり色あせてしまった感じを受けます。[p.298]」「イノベーションにおいても、多様な研究の種を蒔いておいて、将来有望と思われる芽が出てきた時に、目利きをして集中的に研究開発資金を投入すること・・・を、本書では『プロモーション型』の『選択と集中』と呼ぶことにします。[p.299-300]」「『選択と集中(メリハリ)』は、やれば必ず成功するというものではなくも両刃の剣であり、陥りやすいたくさんの罠が隠されています。[p.303]」例えば、「収穫逓減が生じている事業に資源を集中投下すると、投入した金額のわりに成果が上がらないことになります。[p.305]」「生産性が高い事業を縮小・廃止すると、損失は非常に大きくなります。[p.306]」「有望な芽が出てきた時に、その芽を選択して事業化のために集中投資すること、つまり『プロモーション型』の『選択と集中』は理にかなっています。しかし、大学を『選択と集中』することは、多様性の確保という大学の非常に重要な役割を縮小することになり、イノベーションの創出にはマイナスになります。[p.318]」また、プロモーション型も「目利きを誤れば、大きな損失につながります。[p.320]」

第5章、すべては研究従事者数(FTE)に帰着する
・「世界大学ランキングではCNCIは非常に重要な指標ですが、GDPについては、CNCIも通常の論文数も明確な差はありません。ただし、ここでの論文数は、あくまでも、ウェブ・オブ・サイエンスという文献データベースに収録された論文数であり、これは、一定の質を保っていると評価がなされた学術誌に掲載された論文を意味し、論文ならどのような質の論文でもいいというわけではありません。つまり、良い研究環境の中で世界に認められる完成度の高い論文を産生していれば、その中からヒット論文も生まれてくるし、GDPにも貢献するということであろうと考えます。[p.358]」
・「産学連携をさかんにするためには、まず研究従事者数を増やして研究の規模を大きくし、人的・時間的研究環境を良くすることが最も基本的な要件であると考えます。研究資金を確保できる企業ならば、研究体制が整い、質の高い研究を生むことのできる大学に対しては、おのずから対価を支払って、共同研究を申し込むはずです。教育やその他の業務に忙しくて十分な研究時間をとれない研究者には、企業も研究費を出す気になれませんね。国は財政難から、大学や研究所の研究従事者数を減らしつつ、国費に頼らずにもっと企業からたくさんお金をもらえ、という姿勢ですが、それは現実的には困難です。[p.367]」

第6章、科学技術立国再生の設計図――イノベーション・エコシステムの展開
・「相対貧困率とGDPは逆相関をします。イスラエル、米国、日本は先進国の中で、最も貧困率の高い国になっています。2014年のOECDの報告では、収入格差が経済成長を阻害することが示されており、適切な格差の是正は経済成長を阻害することはないとされています。・・・このようなOECDの報告から、『富』そのものにおいても、その『量』だけではなく『広がり』がGDPの成長にとって重要であることが示唆されます。そして、このような『広がり』をコントロールできるのは『公』しかありませんね。大学は『イノベーション』と『富』について、その『研究教育力』によって『量』と『広がり』の両方に貢献できる『公』のシステム(私学も含めて)であると考えます。[p.423-424]」
・「近年のドイツは、学術論文数を増やし、論文の質を高め、また、産学連携も目覚ましいものがあります。[p.436]」「ドイツは研究力を高めるために、政府資金でもって研究従事者を増やし、それとバランス良く研究活動費、研究施設費、研究設備費を増やしました。・・・研究においては『ヒト』が資本であることをよく理解しています。[p.443]」
・「評価制度の導入にあたっては、まず、どのような事柄についての生産性向上を目指しているのか、被評価者にどのような行動変容が期待され、その結果、その生産性向上がどの程度高まることが期待されるのか、明確にする必要があります。生産性の向上は、・・・必ず収穫逓減が起こります。評価を厳しくしたからといって、それに比例して生産性が高まるわけではないのです。評価制度によって生産性が高まる余地(限界成長余地)を常に考える必要があります。なまけている人には、評価によって生産性が高まる余地がありますが、すでに寝食を惜しんで働いている人の生産性向上余地は、ほとんどありません。評価に多大の労力とおカネを費やして、ほんのわずかしか生産性が向上しないという、きわめて非生産的な評価制度が自己目的化して、延々と続けられるということになりかねません。[p.462-463]」

終章、研究力は地域再生の切り札となる
・「欧米やアジア先進国と研究競争力で戦うためには、日本の公的研究機関の研究資金と研究従事者数を1.5~2倍に増やして、人的・資金的研究環境を格段に良くすることが基盤であることを、さまざまなデータ分析からお示ししました。そして、教育資金と研究資金は分けて考えるべきであり、18歳人口の減少により大学の教育の規模は縮小せざるを得ないかもしれませんが、研究は、海外諸国との競争力を維持できるかどうかで規模を決めるべきであると考えます。・・・公的研究資金や研究従事者数が海外先進国に比べて遜色ないというような間違った情報ではなく、1.5~2倍の開きがあるという実態をご理解いただいた上で、国民に決めていただきたいと思います。[p.512]」
・「データに基づいた政策立案により、日本の人口や富に見合った、人口が減少した時は減少した人口に見合った『ヒト』への投資を増やしつつ、イノベーションの『広がり』を推進するイノベーション・エコシステムを日本全国津々浦々で展開し、地域で進行しつつある人口減少社会を成長社会に化けさせることが、いま日本が取り組まねばならない喫緊の課題であると考えます。[p.528-529]」
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過去の日本は確かに科学技術先進国だったといえるかもしれませんが、著者の分析を見ると、その地位から転げ落ちそうになっているのではないか、という気がします。企業経営においても過去の栄光を維持できないケースは多々あります。どうしたら衰退を防げるのか。まずはデータに基づいて現状を正しく認識し、過去の施策に間違いがあればそれを修正していくことが第一歩なのではないかと思います。

その上でよりよい対策をとるべきでしょう。例えば、選択と集中に関しては、それによって独占的な地位を築けるかどうかがビジネスにおいては重要な観点でしょう。では、大学での研究において独占が重要なのでしょうか。今の成果主義の在り方も然り。企業におけるマネジメントの知見には大学でも生かせることが多いでしょうし、逆に本書に述べられた公的研究機関における知見も企業に生かせるのではないかと思います。

1990年代以降の日本の停滞については様々な見方があると思いますし、論文数がどういうメカニズムでGDPの増大に寄与しているかなど、より深く知りたいと感じたところもありますが、本書の分析は貴重な視点を与えてくれているような気がします。企業の観点からすると、「日本の」という視点にこだわる必要はない、という考え方もあるかもしれませんが、どんなにグローバル化が進んだとしても研究のマネジメントをうまく行うことの重要性は変わらないと思います。過去の日本の発展には教育の充実が大きな寄与をしていたかもしれませんが、これからの成熟の時代にあっては、教育+研究が発展に不可欠ということなのかもしれません。


文献1:豊田長康、「科学立国の危機 失速する日本の研究力」、東洋経済新報社、2019.


「ゲーム理論はアート」(松島斉著より)

研究開発・イノベーションには様々な人の意思が関与します。少なくとも、開発された製品やサービスを顧客が採用する気になってくれなければ始まりませんし、さらに競争相手がどう出るかも重要・・・という具合に、様々なステークホルダーの意思を考えて進めなければなりません。このような人の意思とその相互作用を考える上でゲーム理論は有効な考え方だと思いますが、実務家にとってはまだ簡単に使えるレベルには至っていない感じがします。

そこで、今回は、松島斉著「ゲーム理論はアート」[文献1]に基づいて、まずはどんな可能性がありそうかを考えてみたいと思います。著者は次のように述べています。「我々は、芸術家がすばらしい作品のアイデアを思いつくように、社会のしくみを思いつかなければならないのだ。・・・そして、このような行為の実践は、『ゲーム理論』という名の数学を使うことによって、理想的になされることを解き明かしたい。ゲーム理論は、問題の背後に潜む社会のしくみを、簡潔で首尾一貫した『数学』に見立てる。この数学を、社会のしくみをとらえるための『仮説的モデル』として、具体的な調査や問題解決のための基本方針に据えるのだ。[p.iii]」以下、本書の中から興味深く感じた点をまとめたいと思います。

第1部、アートとしてのゲーム理論
第1章、ゲーム理論はアートである

・「ゲーム理論とは、狭義の意味においては、社会を、チェスやサッカーといったゲームの仲間に見立てて、独自のアプローチで分析する数学のことだ。[p.21]」
・「ゲーム理論の創造性は、具体的な問題解決の手助けこそすれども、それだけでは最終的な問題解決に至らない・・・例えば、ゲーム理論の創造性は、コンピュータサイエンス、人工知能、倫理学、心理学といった、別の分野のテクノロジーや知性と結びつくことによって、はじめてその有用性の真価を発揮できることがある。[p.26]」「仮説的モデルの形成という、いささか中途半端にも思える仕方で役に立つ、こんなゲーム理論は、しかしながら、そのことが仇となって、以下のように、『悪い官僚主義』に利用される可能性がある。要注意である。仮説的モデルは、研究者が具体的な問題に踏み込んだ際には、もっと検証可能なスタイルにブラッシュアップされなければならない。この工程を経て、モデルは、仮説形成の段階から、正しいモデルかどうかの真偽を問う『実証的段階』に進むことになる。このような研究のステップを軽視した場合、ゲーム理論は悪い官僚主義に利用される恐れがでてくる。官僚主義的悪用とは、問題解決の答えが先に決まっていて、後から、その答えの裏書きができるような、真偽は定かでないがもっともらしく聞こえるような仮説的モデルを、御用学者に見繕ってもらうことである。[p.26-27]」
・「ゲーム理論は、経済学に必要となる理論的、数理的基礎を構築するため、数学者ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンによって、1944年に創始された。[p.28]」
・「経済学では、概して、経済主体の『選好(preference)』が『外生的』に与えられていることが前提とされる。つまり、各経済主体がどの商品を他のどの商品より好むかといった判断基準(これを経済学やゲーム理論では『選好』と呼んでいる)は、あらかじめ個人ごとに生得的に与えられていて、社会的関係の在り方が変わっても不変に保たれる、と仮定されるのである。しかし、実際の経済主体の選好には、社会的関係の在り方に影響されて、『内生的に』 決まる側面がある。[p.32]」「経済主体は、自身の立場のみならず、他者の立場にも立って、他者がどのように考え、どのように行動を決定するかを、シミュレーションしようとする。こうすることで、自分にとって最適な行動は何かを、よりよく導くことができる。なぜならば、自分にとって最適な行動は、他者がどのように行動するかに依存するからである。[p.34]」「『他者の立場に立って考える』ことによって、経済主体の心の中に、『同胞感情(同感、sympathy)』が芽生える[p.35]」。「社会科学の使命は、『社会の隠された病理』を解明することにある。・・・社会に隠されているかもしれない潜在的な病理にかかわる、さまざまな話題に向き合うためには、犠牲を払ってでも、ゲーム理論において内生的選好を追求するべきである。従順にふるまう、同調する、といった感情の作用は、内生的選好の重要なケースとして、とりわけ真摯に分析されるべきである。[p.36]」

第2章、キュレーションのすすめ
キュレーション1:PK戦からテロ対策へ
・「ゲーム理論は、人々の行動を正確に予測するための学問ではない。むしろ、ゲーム理論は、人々の行動を正確に予測することは難しく、正しい予測ができると吹聴するのはまやかしにすぎないことを、論理的にあばく学問だといっても差し支えない。・・・ゲーム理論の有用性は、予測がどの程度可能かについての目安を、正確に示すことにある。その目安として、ランダムな、確率的な予測の仕方が、とりわけ重要になる。[p.46-47]」
・「PK戦では、2人のプレイヤーの利害は正反対である。そのため、ゲーム理論は、PK戦のことを、利害の和が常にゼロになるゲーム、つまり『ゼロサム・ゲーム』と呼ぶ。また、相手に裏をかかれることを考慮した上で、被害を最小限にとどめる行動様式のことを、ゲーム理論は、『マックスミニ戦略』と呼ぶ。PK戦において半々の確率でランダムに左右いずれかを決めるやり方は、このマックスミニ戦略に該当する。仮説的なテロ対策のゲームで最善策とされたランダムで機械的な戦略もまた、マックスミニ戦略である。[p.52]」
キュレーション2:経済の秩序と繁栄とインセンティブ
・「長期的に関係をもつ状況をモデル化した『繰り返しゲーム』においては、良好な協調関係が、全員の利己的動機と矛盾することなく継続されることが、ゲーム理論によって証明されている。[p.68]」「お互いの行動パターンを正しく予測した上で、全員が自己実現的にこの予測通りの行動パターンをとるインセンティブをもつ状況のことを、ゲーム理論は『ナッシュ均衡』と呼んでいる。繰り返しゲームにおいては、・・・協調的関係がナッシュ均衡になるのである。・・・繰り返しゲームは、同じゲームを考えながらも、さまざまな関係がナッシュ均衡になる。ナッシュ均衡によって説明できる関係性がたくさんある、という性質をもつのである。しかし、その中でどの関係が実際に起こるのかについては、ゲーム理論だけでは、うまく答えられないのだ。ナッシュ均衡がたくさん存在するという性質は、ゲーム理論の黎明期からよく知られている性質である。・・・ゲーム理論かは、それを『フォーク(folk)定理』と呼んでいる。今日では、フォーク定理は、きちんと証明されていて、繰り返しゲームにおけるナッシュ均衡の範囲を特定する、重要な数学的命題になっている。[p.69]」
・「私は、このキュレーションにおいて、・・・何らかの『歴史的経路(historical path)』が、協調関係を誘発していることをほのめかしてきた。・・・どのような経路を実際にたどったかを実証するために、真摯な歴史研究が、ゲーム理論の形式論理とは厳密に区別されて、ゲーム理論の形式論理を補完する重要な役割をなすのである。[p.70]」
キュレーション3:社会理論へのステップ
・「予測の内容によって、なんらかの感情が生まれ、それゆえに個人が内生的選好をもつようになることを明示的に扱うゲーム理論のアプローチがある。それは、『心理ゲーム(psychological game)』と呼ばれている。[p.79]」

第3章、ワンコインで貧困を救う
・アビリーンのパラドクス:「集団で合意したはずの決定は、実は、場の空気を読んで遠慮がちな態度をとる『事なかれ主義』によってもたらされた悲劇であり、みんなに不利益をもたらしてしまうことがある[p.87]」
・「集団的決定の失敗の核心は、同じゲームをプレイしているのに、良い均衡と悪い均衡がどちらも存在する点にある。どのナッシュ均衡が実際にプレイされるのか・・・先験的にはわからないことに、事の本質がある。[p.89]」
・「ルールを少しだけ変更することで、いらないナッシュ均衡をすべて排除でき、しかも望ましいナッシュ均衡だけを残すような、うまい工夫はないだろうか。これが、ゲーム理論家の目指すべき、ここでの目的になる。[p.90]」「最終的な解決策として提案されるのが、『アブルー・松島メカニズム』と称されるメカニズムデザインである。[p.91]」「アイデアの基本は、『最初の嘘つき(のみ)が罰せられるとする』ということである。[p.113]」「現実に役立てるためには、アブルー・松島メカニズムを単に機械的に当てはめてはいけない。・・・アブルー・松島メカニズムには、・・いつでも容易に実行可能とは言えないような、『人工的』にデザインされたしくみが使われている。このことは、さまざまな局面で、現実的な利用可能性を制限してしまうだろう。[p.111-112]」

第4章、全体主義をデザインする
・「全体主義とは、個々人が、自立的に判断する自由や意思を失って、政策当局や権威者といった『地位の高い』人の意図に、無思慮に従っている社会を意味する。[p.116]」
・「本章は、全体主義のしくみを明らかにするため、集団的決定を、従順や同調といった内生的選好を組み入れて、『心理ゲーム』として検討していく。・・・心理ゲームと全体主義との関係がわかってくれば、ナチスによる大量虐殺のような大問題に限らず、もっと日常的なハラスメントなどについても、その背景に秘密裏に『全体主義もどき』が成立していて、邪悪な意図が実行されていることを、暴くことができるようになる。[p.121]」
・「本章のプロセスでは、自分が最初に嘘をつく人だと予測される場合には、自分が最初に嘘をつく人だと予測されない場合よりも、より心理的負担がかかるという心理的性向を利用するのである。[p.130]」「同調感情のために、最初の嘘つきになることを嫌う。このことが、ドミノ倒しのように作用して、誰も嘘をつかないという状況を生み出すのである。[p.133]」「ここに、全体主義を日常的に利用することができるトリックが宿る。[p.138]」

第2部、日本のくらしをあばく
第5章、イノベーションと文系

・「イノベーションは、『コロンブスの卵』のような発明発見ではかたづけられない。もっと『文系』の発送にみちあふれていると思っている。[p.145]」

第6章、オークションと日本の成熟度
・「せり上げは、各参加者に、どのくらい欲しているかについて、正直に表明させることができる。・・・本当に一番欲している人に品物を割り当てることができる。[p.163]」「オークションのような透明性の高い決め方のルールを、困難でも、成果が見えにくくても、積極的、具体的に取り入れる姿勢を政府はもつべきだ。[p.165]」

第7章、タブーの向こう岸
・「世間体を気にして、人と違うことはしない、偉い人にはさからわない。・・・しかしこれらは、タブーを守るための世界共通手段でもある。だから、・・・もっと注意しないといけない。なぜなら、こんな性向の人物は、悪玉権威者のいいなりになる典型だからだ。[0.170]」
・「日本人にとってお金の話はタブーそのもの。[p.177]」「社会にはさまざまな選択肢がある。どれが社会にとって必要か。比較検討すれば見定めることができる。・・・このような比較検討のための価値尺度として、お金は大いに役立つ。しかし、日本人は、お金のこの機能を、とりわけ社会に対して、ちっともあたりまえに使いこなせていない。・・・だから、このままでは、日本人は、矛盾にみちた言動や行動に終始しかねない。[p.178]」

第8章、幸福の哲学
・「私は、一市民として、そして経済学者として、いや社会科学者として、幸福の実現とは、自立的であり続けたいとするエンドレス・ファイトだと定義したい。[p.189]」

第3部、「制度の経済学」を問いただす
第9章、「情報の非対称性」の暗い四方山話
・「各経済主体は、各々の私的情報(自分だけが入手する情報のこと・・・)をもっている。私的情報・・・は、『私的価値(private values)』のケースと・・・『相互依存価値(interdependent values)』のケースに大別される。・・・相互依存価値のケースでは、・・・もはや、品質についてあらかじめコンセンサスはない。そのため、勝者の呪いに代表されるような、やっかいな問題が出てくる。[p.197-198]」

第10章、早いもの勝ちから遅刻厳禁へ
・「現行の証券取引のルールでは、連続時間取引が、隙あらば、トレーダーをおかしな行動にかりたてる『早い者勝ちレース』をつくり出すしくみになっている。ならば、『高頻度バッチオークション』のような、根本原因そのものを取り除くような抜本的改革について、今後現場において本格的に討議されることが望まれる。[p.230]」「本当に学ぶべきことは、『メカニズムデザイン(制度設計)する』ということの、もっと『本質』的な意味についてだ。[p.230]」

第11章、繰り返しゲームと感情
・「長期的に協調関係が維持されるためには、相手の選択が観察できることが必要不可欠である。この前提をみたす状況のことを『完全モニタリング』という。[p.243]」モニタリングの「精度が低いと、概して協調はしにくい。だから、少しでも相手のいい情報が入れば、やさしくしてあげたくなる。逆に、精度が高いと協調しやすいので、いいシグナルがくるのはあたりまえに思えている。だから今度は逆に、悪いシグナルにやけに敏感になる。[p.255]」

第12章、マーケットデザインとニッポン
・「日本の現場には、経済学やゲーム理論が必要とされる問題が山積している。[p.263]」「ウーバーのビジネスモデルには、メカニズムデザインのエッセンスがぎっしり詰まっている。・・・ウーバーのプラットフォーム・ビジネスは、十分な『厚み』をキープでき、安全運転を守る『暗黙の協調』のインセンティブを、ドライバーからうまく引き出している、ガバナンスにずいぶん成功しているように、私には思える。[p.272-273]」「ゲーム理論によるマーケットデザインは、今後、『厚い、そして熱い、市場を創る』作法をもっと模索する学問になろう。情報システムによるガバナンス効果を、マーケットデザインによっていかに創発するかが、これからの日本のビジネスの成功の1つの重要なカギを握ることになる。[p.273-274]」
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ゲーム理論を使った社会システムの創造の可能性は今後ますます増えていくでしょう。イノベーションに関していえば、特にビジネスモデルの創造に直接的な寄与が期待できるのではないでしょうか。また、イノベーションの興し方自体にもゲーム理論的な発想が求められるようになるかもしれません。どんな社会システムならイノベーションのインセンティブになるのか。本書でも特許制度の問題点は議論されていますが、現行の制度にもかなり改善の余地があるように感じました。ゲーム理論を制度設計に用いる手法やツールは、まだ実務家が使いやすいものにはなっていないと思いますが、適用事例が増えてくれば、こんな場合には、こんな制度が良い(とか悪い)とかのような形で実践に役立つようなノウハウも蓄積されていくかもしれません。ゲーム理論を活用するにはそれなりの専門的スキルも必要でしょうが、ゲーム理論的発想を参考にして考えることは、現時点でもできるかもしれません。イノベーションの成功確率を上げるために、そうした考え方も試してみる価値があるように思いましたが、いかがでしょうか。


文献1:松島斉、「ゲーム理論はアート 社会のしくみを思いつくための繊細な哲学」、日本評論社、2018.


「人工知能時代に生き残る会社は、ここが違う!」(サリヴァン、ズタヴァーン著)より

ビッグデータやAIの活用が、人々の活動に大きな影響を与えつつあることは最早間違いのないことのように思います。未知のことに挑戦し、将来をよりよくしていくことが研究者の責務の一つであるとすれば、こうした技術の流れを無視することはできないでしょう。しかし、AIの活用にはどんな課題があり、どのように使いこなしていくべきかという問題についてはまだ手探りのところも多いような気がします。

今回は、サリヴァン、ズタヴァーン著「人工知能時代に生き残る会社は、ここが違う! リーダーの発想と情熱がデータをチャンスに変える」[文献1]から、AI活用の問題を考える上で参考になりそうな内容のポイントをまとめてみたいと思います。著者は、アメリカのコンサルティング会社、ブーズ・アレン・ハミルトンでデータサイエンス関連の業務に携わっている方で、単なるAIへの期待ではなく、機械と人間がどう協力していくべきかという視点も含めて議論がなされており、安直な未来予測とは異なり企業の実務家にも役立つ指摘がなされていると感じました。以下、興味深い点をまとめたいと思います。

はじめに:マセマティカル・コーポレーションの巨大なる知性(ビッグマインド)
・「マシンインテリジェンス(機械知能。MI)を利用すれば、これまで覆い隠されていて不明瞭だったいくつもの規則性、変則性、あるいは関連性が見えてくる。だが、この能力は技術だけに由来するものではない。それは新たなかたちのリーダーシップの結果でもある。こういうリーダーシップこそが、我々が長いあいだとらわれてきた考え、とりわけ、『最善の決断は常に直感と経験に基づいている』という頑なな信念による制約を打ち破り、暗闇を照らす。・・・数百もの組織を調べた結果、未来で成功する組織モデルの構築に必要な要素を抽出することができた。私たちはそうした新たな組織を『マセマティカル・コーポレーション(MI活用組織)』と名付けた。[p.9]」
・「決して、人間がリーダーシップの役割をいずれマシンに明け渡すという意味ではない。むしろ、その逆である。マシンがそのレベルに到達するまでの道のりは、まだまだ遠い。マセマティカル・コーポレーションは、人間だけが持つ資質をより高いレベルで活用するために、新しく刺激的な方法を提供する組織だ。つまり、デジタル世界のマシンによる人間の思考とよく似た作業によって、我々が実世界で役立てたい高度な人間の創意工夫を生み出すということである。とはいえ、この絶妙な組み合わせによる便益を実現できるのは、各マシンの作業結果を組み合わせて、可能性を引き出す方法を身につけたリーダーだけだ。そのために必要なのは、自身の成長と組織の改革である。両者なしには、マセマティカル・コーポレーションを成功させることはできない。[p.19]」

第1章:秘められた世界-埋もれている細かさを攻略する
・「マシンインテリジェンスという新たな時代で利益を生むために必要なものは何だろうか?・・・従来、人間の思考は、理解を助ける道具として手に入る技術の水準に縛られてきた。・・・データサイエンスというツールに人間の見識、創造性、革新的な思考を組み合わせれば、我々は現実を深く細かく具現化してまったく別の視点を手に入れ、新たな問いを立てることができる。[p.38]」
・「これからのコンピュータは協力し合う仲間として、我々が働いて暮らしている複雑なシステムの新事実を発見するための道筋を示してくれるだろう。[p.54]」「世界が変化してデジタルデータエコシステム(デジタルデータを共有しながら発展する社会)が生まれているなか、我々には複雑さを活用して人間の能力の新段階を目指すという選択肢が与えられるだろう。だが、それはあくまでマシンと連携した場合のみだ。[p.69]」

第2章:類いまれな連携-マシンと人の知性を融合させる
・「人間の認知能力」として「心理学者エドウィン・フライシュマンが挙げた21の能力を本書の目的に沿って再編し、それぞれが5つの項目からなる2つのグループに分けた。[p.78]」マシンが得意とする能力は、「言語の理解と言語による表現」「詳細や規則性の把握」「数値演算処理」「記憶」「情報の記録と整理」。人間の頭脳が勝っている能力は、「想像」「創造」「演繹的推論」「帰納的推論」「問題解決手法の構築」[p.79]」
・「技術者たちは人間のように考えて行動するマシンの開発に力を注いでいるが、マシンが本物の人間を模倣できるようになるのは、はるか先のことだ。とりわけ、我々の日々の原動力となる熱い思いは、とうてい真似できない。[p.115]」「高い理想をかなえようと必死で努力する。負けつづけても根性で困難を跳ね返す。実現不可能に思える発想を信じる。マシンはそんな数字では表せない衝動や憧れの気持ちを、人間から奪い取ることはできない。・・・熱い思いは世界をよりよい方向へ一変させる。我々はこの思いによって、貴重な何かを達成できるのだ。[p.116]」

第3章:不可能を可能にする問いかけ-制約があるという思い込み
・「本章では、もはや意味のない6つの制約を、我々が自身に課していることを示していく。・・・マセマティカル・コーポレーションの時代には、人は6つのガラスの箱を叩き割って飛び出し、自由の身になることによって、答えを出すのは不可能と思われていた問いを新たなかたちで立て直して、答えを見つけられる。[p.121]」
・「我々が自分の目の前につくる第一の壁は、世の中を枠にはめてしまうことだ。[p.121]」「第二の壁は、発見への取り組み方である。我々はおおむね、演繹的推論を使おうとする。つまり、真実を基に仮説を立て、それが正しいかどうかデータを検証して確認する。・・・一方、仕事の現場で帰納的推論を使うことはあまりない。・・・だが、マシンインテリジェンスを活用すれば帰納的推論を使う機会が増え、人間の知からだけでは見つけられなかった見識を手に入れられるだろう。[p.128]」「手持ちのデータを利用するのが最も有利だと思い込むという第三の制約を打ち破れば、何かを発見しようとする作業の重要性は、急速に上昇する。[p.133]」「限られた視野しか持たない人間に委ねてしまう[p.139]」「根拠よりも直感を優先させることは、リーダーがマシンインテリジェンスから最大の恩恵を受けることに対する、もうひとつの制約となっている。[p.144]」「多くのリーダーにとっての最大の心理的制約は、ひとつの問題解決法に固執してしまうことかもしれない。・・・一度で答えを出そうとするやり方はたいてい、あまりに狭量で近視眼的だ。[p.151-152]」

第4章、不可能を可能にする技術-最新の技術を使いこなす
・「問題は、組織は複雑なシステムに関する重要なデータを入手するために何ができるか、いや、何をやらなければならないかということだ。[p.164]」「現代の社会は・・・ありとあらゆる種類のデータを収集するデジタル機器が急増している。・・・多くのリアルタイムシステムから、新しい種類のデータが登場している。爆発的に増えるデータ量と、組織の垣根を越えて外部のデータがかつてないほど手に入りやすくなったことを組み合わせれば、発見、予測、最適化のとうてい放っておけないチャンスをつかめるだろう。[p.168]」「データレイクでは・・・データを説明する『メタタグ』というラベルがつけられている。・・・データレイクの第一の大きな利点は、検索や分析に役立つラベルであるメタタグを、各要素にいくつでもつけられるということだ。[p.170]」「一般的には、あらゆるデータを保存しておくためには、保管料が余計にかかってしまう。だが、この形式を利用すれば、思いがけない見識を手に入れる可能性を残しておける。[p.172]」「次は分析に向けたデータの準備だ。・・・各種のアルゴリズムを用いて、データの整理や訂正をする(データクリーニング)作業である。・・・データクリーニングにおけるさらなる注意点は、データの信頼性だ。・・・データを扱うときの基準となる『ごみを入れれば、ごみしか出てこない』の原則は、依然として的を射ている。[p.173]」「関係性を見つけるためのアルゴリズムの種類は、多岐にわたっている。最も簡単な例を次に紹介する。クラスタリング・・・回帰・・・分類・・・配列[p.179-180]」「事例によっては、マシンは人間にブラックボックス化された論理、つまり経緯の説明なしに結果だけを受け入れるよう迫ってくる。しかし、人間の思考回路は、結論に到達するために使われた論理を理解せずに、結果を受け入れるようにはできていない。[p.183]」「機械学習は、人間にとって従来の筋道をたどることができない例である。[p.184]」「通常データ準備と分析ツールの威力は、可視化というもうひとつのソフトウェア要素と組み合わせて初めて明らかになる。[p.192]」「最も気をつけなければならない落とし穴は、技術を先に導入してしまうことだ。組織は使い道を検討する以前に、データ準備、管理、分析、可視化用のツールに魅了されてしまうことがある。ツールを購入しさえすれば、宝を掘り当てられるだろうと思い込んでしまうのだ。だが実際には、探索を先導するうえで今なお欠かせないのは、リーダーの人間としての能力と理解力だ。手に入る技術の種類は増えたが、技術の特化も進んでいる。技術の導入でお粗末な選択をすれば、将来の組織に何の価値もないインフラがいとも簡単につくり出されてしまうことになる。[p.198]」

第5章:不可能を可能にする戦略-新たな「大きなもの」を生み出す
・「不可能を可能にする戦略を考えるにあたり、次の4つの問いかけを行ってみてほしい。(1)自身のマセマティカル・コーポレーションを、どんなエコシステムのなかで運営するのか?(2)解決不可能とされているどの問題を解決できれば、あらゆるものを一変させられるだろうか?(3)どういった『不可能を可能にする』解決策が考えられるか?(4)解決策を検証して、失敗から学ぶための最も優れた方法は何だろうか?実際の取り組みは、一直線に進むわけではない。4つのステップを経て、その後試作(プロトタイプ)と検証をひと通り行ったら、再び検証実験を繰り返すことになる。[p.206-207]」「多くの問いを立てるためのエネルギーや意欲はどこから湧いてくるのだろうか?・・・好奇心。それが鍵となる要因Xの答えだ。・・・好奇心を人間の創意工夫、マシンの学習、推測、検証を行う能力と組み合わせれば、誰もが賛同する、不可能を可能にする戦略を見つけて実行する力を身につけることができる。[p.236]」

第6章:力を広める-実現のとき
・「リーダーがマセマティカル・コーポレーションの構想を実現するための有効な手立てをいくつか紹介しよう。・・・『構想を広める』『組織文化の改革を引き起こす』『才能を開発する』の三つは、他のどんな手立てよりも効果が高いことがわかっている。[p.244]」「マセマティカル・コーポレーションが成功するためには、リーダーは組織のどの階級においても、次の3つの目標を達成しなければならない。第一の目標は、『間違う権利』を守るという意識を浸透させること。第二の目標は、・・・多種多様なチームを組んで仕事を進めること。三つめは、成功例を語って、マシンインテリジェンスの影響力を広めることである。[p.251]」「不可能を可能にする戦略の遂行における第三の大きな課題は、優秀な人材を発掘することだ。[p.268]」「最も重要な特徴は・・・失敗を乗り越えられる柔軟性と、古いアイデアを捨てて新しい手法を試そうとする意欲だ。[p.270]」

第7章:善か悪か。議論は突然涌き起こる-不可能を可能にする戦略と倫理
・「倫理的な意思決定の試金石として利用できる、二つの主要な学派の倫理的推論がある。すなわち、行動に基づく推論では、行動が正しいか間違っているかの判断の基準は行動自体にあり、他の要因とは切り離して考える・・・。帰結に基づいた推論では、行動が間違っているかどうかは将来の結果にかかっている。功利主義と呼ばれる、最大多数の最大幸福をもたらす判断は倫理的と考えられている。[p.290]」
・「倫理的な問題の対処にどの倫理的推論を使うかを事前に決めておくために、次の4つについて考えることを強く勧める。データの取り扱いにおける透明性、プライバシーの保護、データの所有権、データの機密保護[p.291-292]」

第8章:不可能を可能にする解決策-社会の最大の問いに答える
・「伝統を打ち破る変化を起こすためには、次の4つの点で変わらなければならない。世界規模の問題を、自分のものとして捉える。保有している大量のデータの価値をより多くの精鋭に見つけてもらうため、データを公開する。組織の使命が世界規模の使命にどう関わっているかを理解する。企業の価値観や目的と方向性が一致する、優先度の高い慈善目的を追求する方法を考える。[p.330-331]」
・「マシンインテリジェンスの未来力を手に入れるために必要な基本的な変化は、過去のリーダーのやり方を前に進めても起こらない。新しく生まれたマセマティカル・コーポレーションのリーダーとしての手法を身につけ、使いこなすことで変化が訪れるのだ。これが、あと何年かのちに、不可能を可能にする方法である。[p.361]」

おわりに:-直感に逆らう
・「本書によって、マセマティカル・コーポレーションを率いるためのリーダーの能力を、より迅速に身につけてもらえたら幸いだ。・・・新しい原則のなかでも、私たちがとくに気に入っている、絶対に忘れてはならないポイントがいくつかある。・・・ここで改めていくつか紹介しよう。複雑さは重荷ではなく恩恵である・・・マシンは直感より信頼できる・・・マシンモデルはメンタルモデルより優れている・・・解決策に理屈はいらない・・・与えることで価値を創造する・・・経験なしで飛躍する・・・完璧なスタートはそうでないものに勝てない[p.365-368]」
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AI
やデータサイエンスの効能が喧伝されるとともに、それですべての問題が解決できるかのような錯覚にとらわれてしまう場合もあるように思います。しかし、実際は、著者が指摘しているように、機械と人間が互いの能力のよいところを組み合わせてデータを使うようにしない限り、大きな成果は得られないのではないでしょうか。それには当然、マネジメント上の困難もあるはずです。データサイエンスは現在も発展途中の技術だと思いますので、これからも姿を変え、著者の指摘の妥当性も変わっていくかもしれませんが、著者の考え方は実務家にとっても示唆に富んだもののように思いますがいかがでしょうか。


文献1:Josh Sullivan, Angela Zutavern, 2017、ジョシュ・サリヴァン、アンジェラ・ズタヴァーン著、尼丁智津子訳、「人工知能時代に生き残る会社は、ここが違う! リーダーの発想と情熱がデータをチャンスに変える」、集英社、2018.
原著表題:The Mathematical Corporation: Where Machine Intelligence [+] Human Ingenuity Achieve the Impossible


「なぜヒトは学ぶのか」(安藤寿康著)より

研究者は様々なことを学ぶ必要があります。専門的知識もですし、失敗からうまく学ぶことも求められます。では、どうしたらうまく学べるのでしょうか。仮にイノベーションをうまく進めるノウハウがあるとして、どのようにしたら他者に教えられるのでしょうか。一方で、イノベーションには多様性や個性も必要だと言われます。やり方を教えてしまっては個性を阻害することにはならないのでしょうか。イノベーションの進め方を考えるためには、学習、教育、個性といったことについて理解を深めておく必要があるように思われます。

しかし、こうしたことに関する科学的な理解はかならずしも十分ではないようです。人に個性があることはわかっていてもその個性は何に由来するものなのか、使える知識や知恵を持っていること、豊かな発想ができることと学歴やテストの点数とはどう関係しているのか、どうやったら知識や知恵をうまく教えることができるのかなど、はっきりとわかっていないことは多いように思います。そこで、今回は科学的な観点から教育について議論した、安藤寿康著「なぜヒトは学ぶのか 教育を生物学的に考える」[文献1]から、興味深く感じた内容をご紹介したいと思います。

序章、教育は何のためにあるのか?
・「人間(ヒト)は、ほかの動物と違って、生きるために必要な知識を、一人だけでも、またほかの個体がやっているのを見て真似するだけでも学ぶことはできず、すでに知識を持っている人たちから、何らかの形で教わらなければ身につけられない動物として、進化的に生まれついています。このことを強く示唆する科学的な証拠が、動物学や心理学、脳科学などさまざまな領域で、同時多発的に報告されるようになりました。それらを総合して考えると、人間(ヒト)とは『教育によって生きる動物(Homo educans)』であると考えられます。これが本書で主張される最も重要な仮説です。[p.12-13]」
・「人間は生きるための知識を自分一人でため込み、自分のためだけに使うのではなく、他者と共有しながら使います。さらにヒトの利他的な性質から、他個体の生存のためにそれを使わざるを得ません。そのためにヒトという生物は教育という、かなりコストのかかる学習ストラテジーを進化の過程で獲得したのではないかと考えられます。ですから教育の本来の目的は、人格形成といった抽象的な目的や、自分だけのためなのではなく、他者のため、他者とともに生きるためにあるということになります。[p.17]」

第1部、教育の進化学
第1章、動物と「学習」

・「学習とはそれまで持たなかった運動パターンや知識を新たにし、忘れずに持ち続け、必要なときにそれを使えるようにすることです。学習というと、教科書や問題集などでお勉強することを想像するかもしれませんが、心理学ではもっとずっと広く考え、『経験による行動の持続的変化』を指します。[p.32]」
・レスポンデント条件づけ:「無条件反射でやっていたことが、新しく与えられた特定の条件との結びつき(これを『連合』といいます)を学習したもの・・・有名なパブロフの犬・・・も条件反射であり、レスポンデント条件づけによるもの[p.33-34]」。
・オペラント条件づけ:「『ある刺激』に対して起こした『自発的行動(オペラント)』に、その行動の頻度を増大させられる『報酬(強化子)』が与えられることで、この『刺激-オペラント-強化子』の3項の結びつき(随伴性)が条件づけられる・・・というタイプの学習[p.39]」
・「知識は、はじめは情報として私たちのもとに届けられますが、それをその場限りで利用するにとどめるのではなく、『学習』し自分の人生を生き抜くための素材として末永く使える形で自分のうちにとどめられたとき、それを初めて『知識』と呼びます。[p.41]」
・「レスポンデント条件づけ、・・・オペラント条件づけのような学習の仕方は、ある状況下で、いわば『自分一人で』行った行動に対して何らかの利益や報酬や罰が自然に得られることによって成立するタイプの学習です。・・・このような学習を『個体学習』といいます。[p.47]」「他者と一緒に話したり作業をするその瞬間は他者の影響を受けます。しかしそのような場面ですら、ふと自分の頭で『まてよ、それってこういうことかな』とか、『いや、これは違うんじゃないか』と、自分自身で感じたり思ったり考えたりしていることでしょう。そのときにしているのは、まさに個体学習なのです。・・・結局、本当に身になるのは、この『個体学習』による部分だけ[p.52]」
・「ヒトを含めた『社会的動物』たちが行っているのが社会学習、つまり他個体の影響を受けながら学習するという形の知識獲得の様式です。[p.57]」「人間が他人の行動を真似て何かしようとするとき、私たちはそれを『どのような意図を持ってどうやってやるか』よく見て理解して真似ます。やり方、手順、プロセスを真似るのです。しかしチンパンジーはその行動がもたらす結果を再現しようとはするのですが、やることの意図を察知し、途中のプロセスを追いかけて真似るということができていないようなのです。この違いをエミュレーション(結果模倣)とイミテーション(意図模倣)といって区別しています。[p.63]」「人間は教育による学習をする以前に、観察学習や模倣学習の王様なのです。[p.66]」
・「教育を人間だけに特別な営みとは考えず、動物にもあるかもしれないと仮定し、もしあったとしたら動物にも当てはめることのできる定義を用いてみたいと思います。それがカロとハウザーという二人の動物行動学者の挙げた『積極的教示行動』の定義です。それは次の3つの条件を満たす行動とされます。ある個体Aが経験の少ない観察者Bがいるときにのみ、その行動を修正する。②Aはコストを払う、あるいは直接の利益を被らない。③Aの行動の結果、そうしなかったときと比べてBは知識や技能をより早く、あるいはより効率的に獲得する。あるいはそうしなければまったく学習が生じない。[p.72-73]」「この定義で特に重要なのは2番目、つまり教師は自分の直接の得にならない行動をするということでしょう。[p.75]」「利他性、あるいは利他的行動は動物界、特に霊長類に広く行き渡った重要な生物学的特質であることが、近年の膨大な研究で明らかになってきているのです。[p.75-76]」
・「教育は、生物にとって想像以上にコストがかかる営みなのです。・・・そのコストのかかる教育というストラテジーを、われわれ人間は、むしろあたりまえのように使うことができます。[p.81]」「教育による学習というものは、生物学的に見るとなかなか成り立ちにくいのではないかと疑うことは、重要な視点ではないかと思います。[p.82]」

第2章、人間は教育する動物である
・「なぜヒトは身体を一気に大人の大きさにせず、10~12歳ごろまである程度抑えて再度スパートをかけるような不可思議な方略をとったのか。・・・身体の成長よりも脳の成長を優先させて栄養を回し、脳が完成するのを見届けてから、一転して最後の身体的完成にエネルギーを振り向ける、そういうストラテジーを選んだ生物がヒトなのです。[p.117]」
・「利他的な理由で他人に知識を伝達するための行動=教育をする能力が、かなり幼いときから発揮されていることを示す証拠が、近年出始めています。[p.119]」「ヒトはなぜ・・・とても小さいときから『知識』を教えようとするのでしょう。しかもただ『私が面白いと思う知識』を相手に押しつけるためではなく、相手が知らないこと、しかも一般的で規範的なルールや知識を、わざわざ教えようとするのです。これはそのような一般的な知識こそが、文化的知識の本質だからだと思われます。[p.120]」
・「見てわかるもの、つまり透明な知識は、基本的に教育学習を必要としません。それらは観察や模倣といった形式の学習と、自分自身での創意工夫、つまり個体学習で習得し洗練させることができます。しかし難しい知識、観察や模倣では到達できない知識は、それを使えるようになったヒトからの説明や指導を必要とします。教育が、行動レベルから活動レベル、制度レベルに高度な組織化をもとめられ、いわゆる学校のような教育のための特別の社会的装置が爆発的に普及したのも、特に18世紀以後の産業革命以後のことでした。[p.126]」

第2部、教育の遺伝学
第3章、個人差と遺伝の関係

・「学業成績の個人差の一番大きな要因は遺伝的な差です。これは行動遺伝学研究で繰り返し見出され、一貫した結果の得られた知見です。しかし少なくとも今日、このことはタブーとみなされ、指摘されることはほとんどありません。・・・しかし、行動遺伝学のエビデンスは、先生の教え方や本人の中で変えられる要因の違いの影響はわずか、数字にすると大きく見積もっても全体の20%程度、それに対して遺伝の影響は50%、そして残り30%は家庭環境の違いであることを示しています。[p.134-135]」「この結果はあくまでも子どもたちみんなが学校に通って曲がりなりにも教育を受けているという、いまの教育制度がきちんと働いていることを前提とした結果です。・・・遺伝の影響が大きいのだから、教育を受けなくとも勉強しなくとも、勝手に学力が身につくという意味ではまったくありません。[p.136]」
・「行動遺伝学では、『すべての行動は遺伝的である(遺伝の普遍性)』『家族が類似するのは環境が類似するからではない(共有環境の希少性)』『個人差の多くは一人ひとりに固有の環境による(非共有環境の優越性)』という三原則が唱えられています。・・・これらをまとめた形で最も重要なメッセージにすれば、『いかなる行動の個人差も、遺伝だけからでも環境だけからでもなく、遺伝と環境の両方の影響によって作られている』ということです。[p.159]」

第4章、能力と学習
・「遺伝要因は確かに人生の歩む道に一定の条件を与えます。遺伝的に万人が平等ということはなく、何をするにしても、それに対するやりやすさ・やりにくさに遺伝的個人差があります。しかも現段階では、いや将来も、その遺伝的素質が何であるかは明確には語り得ません。・・・そもそも才能というものはきわめて多様で複雑な身体的、心理的機能の独特な特質が合わさって、しかも長年にわたる学習と、学習を支える社会的条件の中でその形を徐々に現すものですから、名づけられた特定の遺伝子の有限の組み合わせだけでは予測しきれないものです。[p.201]」
・「人間の行動は確かに環境の影響を受けるけれど、それは遺伝の影響を消し去るのではなく、ただたんに遺伝の差をどの程度顕在化させるかを変えているだけだといえます。[p.205]」
・「心理学では『結果を出すためにやるべきことがわかっている』かどうかの部分を『結果期待』、その『やるべきことができる』かどうかの部分を『効力期待』と呼んで区別します。・・・結果を出すために何をすべきかわかっていない(何の勉強をしたらいいのかわからない、あるいは勉強の仕方がわからない)ために勉強をしていなかったとしたら、まずは結果期待を持つことからはじめねばなりません。・・・この部分はまさに教師の支援が威力を発揮しやすいところだともいえるでしょう。自分の力では勉強の仕方がわからないから学習が始まらないとしたら、その部分を教師が後押しして学習に取りかからせてみると、その学習行動自体に関わる遺伝要因や学習の内容への関心に関わる遺伝要因が発動して、学習を続けることができるかもしれないからです。[p.212-213]」

第3部、教育の脳科学
第5章、知識をつかさどる脳

・「『作動記憶(ワーキング・メモリ)』・・・とは、外から入ってきた情報あるいは知識という物資を加工して新たな知識を作る『作業場』に当たります。一方『長期記憶』とは、そうして外から入ってきた知識や新たに自分で作った知識を蓄えておく『貯蔵棚』あるいは『貯蔵庫』の役割に相当するところです。[p.230]」
・「流動性知能とは、いままでに経験したこともない新しい問題を解決しようとするとき使われる能力のことで、まだ固まっていない頭が柔軟に、液体のように流動的に働いているさまを表しているのに対し、結晶性知能は経験によって身につけた知識を用いて問題を解く能力のことで、結晶のように知識がきれいな構造を持って定着し安定したさまを表しています。[p.241]」
・「生まれ落ちた境遇の制約に加え、遺伝的スタイルを持ったあなたや私が、それでもその遺伝的『スタイル』を『素質』という可能性に変え、その可能性を実現しようともがく過程で社会の中に居場所をみつけて、誰かとつながりながら、自分の素質を才能へと実体化させていくときに必要なのが学習であり知識であると論じてきました。その学習はそれ自体そのヒトの遺伝的スタイルを表した個体学習が常に基底にあります。それはあらゆる動物が普遍的に持つ学習様式です。しかしヒトは社会的動物として、社会の中で出会う人々の生き様からも観察や模倣や共同して何かする中で社会学習をし、そしてヒトに特有な教育学習をつけくわえて、あなた自身になっていくのです。[p.260-261]」

おわりに
・「この世界とその中での生き方についての本当の知識へと導いてくれるのが学習です。[p.268]」「学習をするのは、基本的にその人自身です。・・・ヒトという生物は、他の生物以上に、その発生の当初から一人だけではそれができないように生まれついてしまいました。社会の中で他者と共有できる知識を生み出し、それを互いに学びあいながら生き、生かされてきました。そのために備わったのが教育という学習方略でした。知識そのものを他者に直接学習させるための独特の行動です。[p.269]」「多くの人はやってみると、どの領域にどの程度の才能があるかわかってきます。・・・成人に達して、職業人として、あるいは親として他者のために生きねばならなくなると、いやおうなく、そこで必要とされる知識を学び、その人なりにそれを使って、他者に影響を与えざるを得なくなります。そのとき自分に才能のあることにも、ないことにも直面させられます。[p.272]」「自分にできること、しなければならないことは、教育をうまく利用して、自分にしかない遺伝的スタイルを自分で探しながら、自分で学んでいくしかないことにもお気づきになられたのではないでしょうか。[p.273]」
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最初に書いた疑問に立ち返れば、学ぶこと教えることは進化によって獲得したヒトの特質としての裏付けがあり、多様性や個性については遺伝的能力という裏付けがあるということだと思います。教育学や心理学の分野において、こうした考え方はまだ研究中であって、議論の余地のあるところもあるようですが、今後こうした面での人間の本質の理解も進んでいくのではないかと思います。研究開発をうまくマネジメントする方法を考える上でも、こうした人間に関する理解は必ずや役に立つのではないかと感じますがいかがでしょうか。



文献1:安藤寿康、「なぜヒトは学ぶのか 教育を生物学的に考える」、講談社、2018.
 参考文献リンク:http://www.kts.keio.ac.jp/


自然実験の意義(ダイアモンド、ロビンソン著、「歴史は実験できるのか」より)

研究開発に実験はつきものです。技術者にとっては、思ったアイデアが期待どおりにうまくいくかを確かめるために実験を行うことが多いわけですが、これは広い意味では自らが抱いている仮説を検証するための行為ということになりますので、真理追究のための学問的な研究で行われていることと本質は同じです。また、仮説検証だけではなく、何らかの洞察を得るために実験する場合、つまり、何が起こるかわからないので試してみるということもあるでしょう。そんな実験を行う場合、通常は、欲しい情報が得られるような実験系を組むことになります。よくあるやり方は、注目する因子以外の外乱をなくすような条件を設定し、注目していることがどういう結果をもたらすかが明らかになるような実験を計画します。このような実験は世の中の現象や真理を理解するための強力な方法ではありますが、現実には、効果的な実験系を組むことができない場合も多いということが一つの問題と言えるでしょう。

では、実験が難しい課題についてはどういう手段があるのでしょうか。今回は、やはり実験の難しい世界である歴史の研究において用いられる「自然実験」の意義について、ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン著「歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。著者は次のように述べています。「研究室の制御された環境で反復される実験においては、変化する要素を実験者が直接コントロールする。こうした形の実験はしばしば科学的方法の典型とみなされ、物理学や分子生物学の実験を行なう際には、事実上これが唯一の方法として採用されている。原因と結果の連鎖を解き明かすうえで、このアプローチが比類なく強力であることは間違いない。その事実に惑わされた実験科学者が、操作的実験の不可能な科学分野を見下してしまうほどだ。しかし、ここに残酷な現実がある。科学として広く認められている多くの分野において、操作的実験は不可能なのだ。まず、過去に関わる科学においては例外なく不可能である。進化生物学、古生物学、易学、地史学、天文学のいずれも、過去を操ることはできない。つぎに、鳥の群、恐竜、天然痘、氷河、ほかの惑星などを対象とする研究で採用される方法は、今日では道徳心の欠如や違法性を非難される機会が多い。鳥を殺すのも、氷河を溶かすのも許される行為ではない。・・・いま紹介したような歴史関連の学問では、自然実験あるいは比較研究法と呼ばれる方法がしばしば効果を発揮している。このアプローチでは、異なったシステム同士が――できれば統計分析を交えながら量的に――比較される。この場合、システム同士は多くの点で似ているが、一部の要因に関しては違いが顕著で、その違いがおよぼす影響が研究対象となる。[p.7-8]」本書では、著者の言う自然実験を活用した歴史研究の例が紹介され、最後に比較研究法を用いて自然実験を行なう際に共通する方法論的な問題が議論されています。以下、本書の構成に沿って内容をご紹介したいと思いますが、歴史的な個々の研究の内容はごく簡単な紹介とさせていただいて(なかなか興味深い研究が多いので、ご興味のあるかたは本書をご参照ください)、ここでは、制御された実験を行なう上で、さらにはマネジメントの研究を考える上でも参考になると思われる自然実験に関する議論を中心にまとめたいと思います。

第1章、ポリネシアの島々を文化実験する(パトリック・V・カーチ)
・共通の祖先を持つポリネシア人が環境の異なる島々に住み着き、どのようなことが起きたかについて、マンガイア島、マルケサス諸島、ハワイ諸島の事例が比較され、資源制約や人口密度の影響によって異なる政治形態や文化が形成されたことが明らかにされています。

第2章、アメリカ西部はなぜ移民が増えたのか――19世紀植民地の成長の三段階(ジェイムズ・ベリッチ)
・19世紀に発達した7つのフロンティア(アメリカ、「ブリティッシュウェスト(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ)」、アルゼンチン、シベリアを比較、様々な異なる点があるものの、「すべてにおいて同じ3つのステップから成るサイクル」すなわち「まず人口が爆発的に増加すると流入してくる商品や資本の正味額が増え、つぎに深刻な『不況』で経済の成功率が一気に減少して企業が相次いで倒産・・・そのあとは地域外への製品の移出が盛んになり、遠方の大都市に主要産物を大量に供給することで新たな経済が創造される[p.14-15]」ということが見出されることが述べられています。

第3章、銀行制度はいかにして成立したか――アメリカ・ブラジル・メキシコからのエビデンス(スティーブン・ヘイバー)
・新世界の3つの国(いずれも独立国家となったとき銀行制度が存在していなかったアメリカ、ブラジル、メキシコ)でどのような銀行制度ができどう発達したかを研究し、「銀行家と官僚は連携関係を結び、規制の多い構造の銀行制度を作り上げるが、官僚には政府の財源確保、銀行家には利益確保という動機が強く働いている[p.124]」ことなどの示唆を得ています。

第4章、ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたか――島の中と島と島の間の比較(ジャレド・ダイアモンド)
・カリブ海のイスパニョーラ島を東西に分割するハイチ(西側)とドミニカ(東側)について、両国の経済力の違いをもたらした要因を分析、植民地時代の宗主国の違いが生んだ奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などの違いが影響していることを見出しています。
・太平洋の69の島々の回帰分析による解析からは、樹木の成長速度に影響する環境要因の違いにより、森林破壊の程度が異なるという結論が得られています。

第5章、奴隷貿易はアフリカにどのような影響を与えたか(ネイサン・ナン)
・1400年から1900年にかけてアフリカの様々な地域から連れ去られた奴隷についての研究から、「特に多くの奴隷が連れ去られた地域は、今日のアフリカで最も貧しい地域であること[p.183]」を明らかにし、「大きくて安定した共同体や国家の編成が奴隷貿易によって妨げられた結果、今日のアフリカ諸国の民族の多様性が高く[p.181]」なり、「民族的多様性が高いほど教育やインフラや金融の発展のレベルは低く、政治は不安定になる[p.179]」傾向を指摘しています。

第6章、イギリスのインド統治はなにを残したか――制度を比較分析する(アビジット・バナジー+ラクシュミ・アイヤー)
・イギリス植民地時代の支配制度の違いを調査した結果、地主が地税を徴収した地域では、現在に至るまで学校、電気、道路への投資が低い傾向が見出されています。

第7章、フランス革命の拡大と自然実験――アンシャンレジームから資本主義へ(ダロン・アセモグル+ダビデ・カントーニ+サイモン・ジョンソン+ジェイムズ・A・ロビンソン)
・ドイツにおいて、ナポレオン時代にフランスに占領されたことによる影響を比較検証。ナポレオン戦争の時代にフランスに占領されその後プロイセンに譲渡された地域において、フランスによる制度上の改革が維持発展させられたことにより経済が発展し、都市化が進行したと考えられるとしています。

あとがき――人類史における比較研究法(ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン)
・「あとがきでは、・・・人類史において比較研究法を用いて自然実験を行う際に共通する方法論的な問題について取り上げる。[p.20]」
・「自然実験には明らかな落とし穴が数多く含まれる。たとえば、『実験者』が測定対象として考えていなかった要因に、実験結果が影響されているリスクは否定できない。あるいは、真の説明要因が測定対象の要因ではなく、相関関係がある別の要因である可能性も考えられる。これらの難題は自然実験にとって現実問題だが、自然実験だけが例外というわけではない。研究室で操作的実験を行う際にも、比較を伴わないナラティブな記述を作成する際にも同様の困難はつきまとう。[p.8-9
・「自然実験の分類というと、攪乱(perturbation)と初期条件のどちらが異なるかに基づいた分類を思い浮かべる人もいるだろう。・・・自然実験のなかには、攪乱のバリエーションの結果として異なった結果が生じるタイプがある。この場合、初期条件の違い・・・は結果にとってそれほど重要ではない。・・・もうひとつのタイプの自然実験では、攪乱はどのケースでも変わらないが、主に初期条件の違いによって異なる結果が導き出される。[p.254-255]」
・「攪乱の影響を受けている社会や場所と、そうでない社会や場所を比べる比較研究においては、攪乱を加える特定の場所がいかに『選択されるか』が必然的に問題として浮上する。研究室の実験でいわゆる実験対象の試験管と対照群の試験管を比較する際には、実験者が加えるなんらかの攪乱(ひとつの化学物質を一方には加え、もう一方には加えないなど)を除けば、どちらも同じ状態である。この場合、実験対象の試験管と対照群の試験管の選択に関して、実験者はまったく無作為に決断する。・・・したがって比較史学者は常に、以下の現実的な疑問を問いかけなければならない。攪乱が加えられた場所は、研究対象の結果とは無関係な理由で選ばれたのだろうか(すなわち、結果に関して『無作為』だったのか)。[p.258-259]」
・「自然実験で異なった結果が観察される際には、それが本当に『実験者』の指摘する攪乱や初期条件のタイプの違いによって引き起こされたのか、それとも何かほかの違いによって引き起こされたのかという問題が常につきまとう。解釈をあやまるリスクは、研究室のコントロールされた環境で行われる実験でも発生する。[p.262]」
・「統計相関は原因やメカニズムの表れなのだろうか。もちろん、そうではない。原因やメカニズムを証明するためには、少なくとも3つの段階が必要で、そのすべてが方法論全般にとっての問題になっている。先ず、逆の因果関係の問題について考えなければならない。ABに相関関係がある場合、予想とは違ってABの原因ではなく、BAの原因である可能性は考えられる。この問題にアプローチするに際には、しばしば時間的関係に注目する。最も単純なケースでは、ABの前に変化したか、あるいはその逆だったのかを確認する。ちなみに、原因と結果の方向性を解明するためには、グレンジャーの因果性と呼ばれる統計的手法がよく使われる[p.263]」。「二番目に、いわゆる欠落変数バイアスを考慮しなければならない。すなわち、『実験者』によって攪乱の原因として確認された変数が、実際には関連性のある複数の要素による変化の一部であり、実験では注目されなかった何らかの変数が結果を引き起こした可能性が考えられる。[p.264]」「三番目に、ABを引き起こしたことを裏付ける確実な証拠が手に入ったとしても、ABを引き起こしたメカニズムを解明するためには、さらなる証拠が必要とされる場合が多い。[p.264]」「統計分析においても、過度にシンプルな説明と過度に複雑な説明のあいだの妥協点を探る作業は欠かせない。[p.265]」
・「社会科学の研究が直面する現実的な困難の多くは、幸せなど、曖昧で測定しにくいけれども重要な概念の『操作化』〔概念を定量的に測定可能な変数として定義すること〕に伴って発生する。測定可能であると同時に、曖昧な概念の本質をおおむね把握・反映している何らかの要素を確認しなければならない。[p.267]」
・「ケーススタディとシンセシス、あるいは記述と論理的説明の緊張関係は、学問分野ごとに異なった形で展開する。物理学や化学ではこの緊張関係が最小限にとどまり、どちらもお互いに相手を必要としていることを理論家も実験者も当然の事実として受け止めている。[p.270]」「歴史の比較そのものは、あらゆる疑問に回答を提供するわけではないが、ひとつのケーススタディだけからは不可能な洞察を得ることができる。[p.272]」
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自然実験という呼び名を使うかどうかは別として、経営学においてもこの考え方は重要でしょう。どんな制度や手法を用いれば研究開発を成功に導けるのかを知りたければ、成功例のケーススタディだけでなく、いろいろな場合を比較して、成功に導く要因を推定することが求められるでしょう。もちろん、歴史学と同様、解析に必要な条件を決め、サンプルを抽出することは容易なことではないかもしれませんが、このような手法を用いて考え、因果関係を推定してみることは極めて重要なことなのではないかと思います。イノベーションのケーススタディでは、特定のイノベーター(例えば、スティーブ・ジョブズのような)が成功の要因であるかのように取り上げられることがありますが、それに対して本書の自然実験の事例では、個人の名前がほとんど出てこないことは非常に興味深いことだと思います。特定の個人がイノベーションを成功に導いたのが事実だとしても、その個人のどんな行動、どんな考え方が有効だったのか、というような視点で一般化するために比較を行うことは、実務家にとって有用なことなのではないでしょうか。

もう一点、自然実験は、いわゆる科学の研究においても使える場面があることもあらためて認識しておくべきだと思います。研究者の仕事は、検討対象の不確実性を減らすことだと言えると思いますが、それを言い換えると、不確実性を減らして真実に近づくための手法を使いこなせることがよい研究者の条件だとも言えるのではないでしょうか。自然実験を行う際の注意点が制御された実験にもあてはまることに注意を払うのはもちろんのこと、自然実験の手法が役立つケースがあれば、積極的に活用することも求められているのだと思います。


文献1:Jared Diamond, James A. Robinson2010、ジャレド・ダイアモンド、ジェイムズ・A・ロビンソン著、小坂恵理訳、「歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史」、慶応義塾大学出版会、2018.
原著表題:Natural Experiments of History


「知ってるつもり」(スローマン、ファーンバック著)より

イノベーションにおいては、個人あるいは自組織の知識を外部の知識と組み合わせて新たな知識を創造することの重要性がよく指摘されます。さらに、個人や組織の暗黙知と形式知の相互変換が知識の創造には重要である、という指摘もあります。では、個人の知識とはそもそもどのようなものなのでしょうか。

今回ご紹介するスローマン、ファーンバック著「知ってるつもり」[文献1]では、個人の知識とはコンピュータのメモリに保存されているような性質のものではないこと、さらには、ただ知ってるつもりになっているだけのことだったり、個人の属する共同体(やその構成員)の知識に依存している側面も持つものである、などの最近の認知科学の成果が解説されています。近年の認知科学、心理学、脳科学の進歩は、人間の精神的活動について多くの示唆に富んだ見方を提供してくれており、人間の本質に関する従来の考え方が見直しを迫られることも多くなっているように思います。もちろん、人間の全てが理解できた、という状況ではありませんが、理解が急速に進みつつある分野の知見として注目に値すると思います。以下、本書の構成に沿って、興味深く感じた点をまとめてみたいと思います。

序章、個人の無知と知識のコミュニティ
・「認知科学によって得られた知見の多くは、一人ひとりの人間のできないこと、すなわち人間の限界を明らかにしてきた。・・・おそらくなにより重要なのは、個人の知識は驚くほど浅く、この真に複雑な世界の表面をかすったぐらいであるにもかかわらず、たいていは自分がどれほどわかっていないかを認識していない、ということだ。その結果、私たちは往々にして自信過剰で、ほとんど知らないことについて自分の意見が正しいと確信している。[p.12]」
・「人間の知性は、大量の情報を保持するように設計されたデスクトップ・コンピュータとは違う。知性は、新たな状況下での意思決定に最も役立つ情報だけを抽出するように進化した、柔軟な問題解決装置である。その結果、私たちは頭のなかに、世界についての詳細な情報をごくわずかしか保持しない。[p.13]」
・「言いたいのは、人間は無知である、ということではない。人間は自分が思っているより無知である、ということだ。私たちはみな多かれ少なかれ、『知識の錯覚』、実際にはわずかな理解しか持ち合わせていないのに物事の仕組みを理解しているという錯覚を抱く。[p.16]」
・「私たちの知性は、個別のモノや状況について詳細な情報を得るようにはできていない。新たなモノや状況に対応できるように、経験から学び、一般化するようにできている。新たな状況で行動するためには、個別具体的な詳細情報ではなく、世界がどのような仕組みで動くのか、そのおおもとにある規則性だけを理解しておけばいい。[p.21]」
・「なんでもできる人というのは存在しない。だから人は協力するのだ。技術や知識を簡単に共有できるのは、社会集団で暮らすことの大きなメリットだ。[p.23]」

第1章、「知っている」のウソ
・「説明深度の錯覚」を検証する手法:「被験者に何かを説明してもらい、その結果自らの理解度に対する評価がどう変化するかを示す[p.31]」。
・「説明できる知識は、自分が思っていたほど持ち合わせていなかった・・・これこそが『説明深度の錯覚』の本質である。何かを説明しようとするまで、被験者は自分の理解度はそれなりの水準だと思っていた。だが説明した後には、そうは思わない。[p.33-34]」「私たちは自分の知識を過大評価する。つまり自分で思っているより無知なのだ。[p.35]」
・「なぜ、これほど無知な私たちは、世界の複雑さに圧倒されてしまわないのか。・・・それは私たちが『嘘』を生きているからだ。物事の仕組みに対する自らの知識を過大評価し、本当は知らないくせに物事の仕組みを理解していると思い込んで生活することで、世界の複雑さを無視しているのである。[p.46-47]」

第2章、なぜ思考するのか
・「知的であるというのは要するに、五感から入ってくる膨大なデータから本質的で抽象的な情報を抽出する能力があるということだ。高度な大きい脳を持つ動物は、単に周囲の光、音、においに反応するのではなく、知覚した世界の本質的かつ抽象的属性に反応する。[p.58]」
・「脳は、有効な行動をとる能力を支えるために進化した。思考する動物は、短期的にも長期的にも自らを利するような行動をとる可能性が高く、ライバルよりも生き延びる可能性が高い。・・・脳が大きく複雑になるにつれて、環境からのより本質的で抽象的な手がかりにうまく対応できるようになり、新たな状況にますますうまく適応できるようになる。これは知識の錯覚を理解するうえで、きわめて重要な点だ。往々にして、有効な行動をとるうえで詳細情報を保持している必要はない。たいてい全体像さえわかっていれば事足りる。[p.60]」

第3章、どう思考するのか
・「人間は地球上でもっとも因果的思考に長けた生き物である。[p.64]」「思考の目的は特定の状況下で最も有効な行動を選択することだ。そのためにはさまざまな状況に共通する、本質的な特性を理解する必要がある。人間が他の動物を違うのは、こうした本質的な、不変の特性を理解する能力を持っていることだ。[p.65]」「因果的推論は、因果的メカニズムに関する知識を使って、変化を理解しようとする試みである。さまざまなメカニズムを通じて、原因がどのような結果に終わるかを推測することで、未来に何が起こるかを予想するのに役立つ。[p.66]」
・「(パブロフの理論とは異なり)人間は連想的思考のみに頼るわけではなく、また論理的推論だけに頼るわけでもない。私たちは因果分析に基づいて推論するのだ。世界がどんな仕組みで動いているかを論理的に考え、推論するのである。原因がどのように特定の結果をもたらすのか、どのようなことが特定の結果を生み出す妨げとなるのか、原因が想定どおりの影響をもたらすためにはどのような条件が整っていなければならないかを考える。私たちは『命題的』論理、すなわち特定の見解が正しいか否かを判断するための論理で思考するのではない。『因果的』論理、すなわち特定の事象がどのように起こるかという知識に基づく因果関係の論理でモノを考え、結論を導き出す。[p.68]」
・「認知的推論には前向きと後ろ向きの二通りがある。前向き推論とは、原因がどのような結果をもたらすかを考えることだ。・・・一方、後ろ向き推論とは、結果から原因を推論することだ。・・・前向き推論(原因から結果)のほうが、後ろ向き推論(結果から原因)よりも簡単だ。・・・結果から原因にさかのぼる後ろ向き推論は難しい。ただ、それこそ人間の特徴でもある。[p.71]」「皮肉なことに、私たちは診断推論より予測推論のほうが得意であるがために、予測推論をするときには診断推論では犯さないような過ちを犯す。[p.72]」
・「因果情報を交換する方法として最も一般的なのは物語だ。[p.76]」「人間は出来事の因果を理解するために、自然と物語を作る。[p.77]」

第4章、なぜ間違った考えを抱くのか
・「因果的推論は人間の思考において基盤的役割を果たすのかもしれないが、だからといって私たちの因果的推論が完璧なわけではない。[p.84]」
・「私たちは絶えず何らかの因果的推論をしているが、そのすべてが同じというわけではない。瞬時のものもある。・・・一方、じっくり考え、分析するのが必要な因果的推論もある。[p.89-90]」「この二つのタイプの思考は、以前から哲学、心理学、認知科学の研究においてはっきりと区別されてきた。ダニエル・カーネマンは・・・両者の違いを明確に述べているが、この発想は数千年前から存在する。・・・本書では『直観』と『熟慮』と呼ぼう。[p.90]」
・「直観は単純化された大雑把な、そして必要十分な分析結果を生む。それは何かをそれなりにわかっているという錯覚を抱く原因となる。しかしよく考えると、物事が実際にはどれだけ複雑であるかがわかり、それによって自分の知識がどれほど限られているかがはっきりする。・・・熟慮型の人は詳細な情報を求める。物事を説明するのが好きなので、おそらく誰かに頼まれなくてもいちいち説明するのだろう。そういう人は、説明深度の錯覚に陥ることはないはずだ。[p.98]」「直観は個人的なものだ。それぞれの頭の中にある。一方熟慮には、個人として知っていることだけでなく、ぼんやりとしか知らないことや表面的にしか知らないこと、すなわち他の人々の頭の中になる事実も使われる。・・・そういう意味では、熟慮は知識コミュニティの力を借りていると言える。[p.99]」

第5章、体と世界を使って考える
・「研究からわかるのは、人間(そして昆虫)は・・・モデルを構築し、膨大な計算をしてから行動するわけではないということだ。そうではなく、世界についての事実・・・を活用して、行動を単純化するのである。・・・知識はすべて私たちの頭の中にあるわけではないことがわかる。ごく単純な行動をするときも、私たちは世界を外部記憶として使う。[p.116-117]」「人間は感情的反応を、ある種の記憶として使うこともある。[p.119]」「学ぶべき主な教訓は、知性を脳の中でひたすら抽象的計算に従事する情報処理装置と見るべきではない、ということだ。[p.121

第6章、他者を使って考える
・「知性は、個人がたった一人で問題の解決に取り組むという環境のなかで進化してきたのではない。集団的協業という背景の下で進化してきたのであり、私たちの思考は他者のそれと相互にかかわりながら、相互依存的に進化してきたのだ。[p.126]」
・「人間は他者が何をしようとしているかを推論できるだけではない。他の機械や動物の認知システムにはない能力がある。他者と関心を共有することだ。人間同士が相互作用するときには、単に同じ事象を経験するだけではない。互いが同じ事象を経験していることを認識している。[p.129]」「コミュニティの中で知識は単に分散しているだけではない。共有されているのだ。このように知識が共有されると、『志向性』を共有することができる。つまり、ともに共通の目標を追求することができるようになる。[p.130]」
・「知識のコミュニティにおいては、知識を自分が持っているか否かより、知識にアクセスできるか否かのほうが重要なのだ。[p.140]」
・「知識の呪縛とは、私たちは自分の頭の中にあることは、他の人の頭の中にもあるはずだと考えがちなことを指す。一方、知識の錯覚は、他の人の頭の中にあることを、自分の頭の中にあると思い込むことを指す。[p.144]」
・「人は集団意識の中で、他者や環境に蓄積された知識に依存しながら生きているので、個人の頭の中にある知識の大部分はきわめて表層的である。・・・それでも生きていけるのは、知識のさまざまな部分の責任をコミュニティ全体に割り振るような認知的分業が存在するからである。[p.144]」

第7章、テクノロジーを使って考える
・「クラウドソーシングが最もうまく機能するのは、誰よりも専門知識を持った人々にコミュニティに参加するのに十分なインセンティブがある場合だ。[p.163]」
・「テクノロジーを、人間を脅かすような永遠に成長しつづける力を持った脅威と見るのは誤りだ。予見できる未来において、テクノロジーが人間に成功をもたらした決定的要素、すなわち志向性を共有する能力を獲得することはないだろう。それゆえにテクノロジーが知識のコミュニティで人間の対等のパートナーとなることもない。今後も補助的なツールでありつづける。むしろ今、テクノロジーは新しい重要な役割を獲得しつつある。クラウドソーシングと協業を支え、人間のコミュニティをさらに大きくすることだ。[p.167]」

第8章、科学について考える
・「科学技術に不信感と懸念を抱く人は常に存在し、過去100年にわたる驚異的な科学の進歩にもかかわらず、反科学主義は依然として根強い。・・・科学技術に対する合理的な懐疑心はおそらく社会にとって健全なものだが、反科学主義は行き過ぎると危険になりうる。[p.170]」
・「人の信念を変えるのは難しい。なぜならそれは価値観やアイデンティティと絡みあっており、コミュニティと共有されているからだ。しかも私たちの頭の中にある因果モデルは限定的で、誤っていることも多い。誤った信念を覆すのがこれほど難しい理由はここにある。コミュニティの科学に対する認識が誤っていることもあり、その背景に誤った認識を裏づけるような因果モデルが存在することもある。そして知識の錯覚は、私たちが自分の理解を頻繁に、あるいはじっくりと検証しないことを示している。こうして反科学的思考が生まれる。[p.185]」「人々にとって、頭の中にある因果モデルと矛盾するような新たな情報は受け入れがたく、否定されやすい。[p.186]」

第9章、政治について考える
・「具体的に何が、人々の政策に対する態度を形成するのだろう。政策の影響をじっくり考えることはそれほど重要ではなく、むしろ自分の属しているコミュニティが重要であることはすでにみたとおりだ。ただし、人々の立場を決定づける要因はもう一つあることを理解しておくことが重要だ。私たちの抱く価値観のなかには絶対に譲れないものがあり、それはどれだけ議論をしても変わらない。[p.199]」

第10章、賢さの定義が変わる
・「科学の進歩は天才の登場だけでなく、特定の発見の条件が整ったときに起こるようだ。進歩に必要な背景理論がそろい、適切なデータが収集されること。そして何より重要なのは、進歩に必要な議論がすでに起きていることだ。科学者のコミュニティが英知を結集し、正しい問い、まさに答えが生み出されようとしている問いに意識を集中している状況である。[p.217]」「私たちは物事を単純化しようとする。その一つが英雄信仰、すなわち重要な個人とそれを支える知識のコミュニティとを混同することだ。・・・コミュニティを構成する複雑に入り組んだ人間関係や事象を説明する代わりに、偉大な個人のライフストーリーを語ればいい。政治、娯楽、科学の世界で同じ手法が使われる。真実を個人の物語で代用するのだ。[p.218]」
・「知識はコミュニティのなかにあるという気づきは、知能に対するまったく別のとらえ方をもたらす。知能を個人的属性と見るのではなく、個人がどれだけコミュニティに貢献するかだと考えるのだ。[p.223-224]」

第11章、賢い人を育てる
・「認知的分業のなかで自分にできる貢献をし、知識のコミュニティに参画することが私たちの役割ならば、教育の目的は子供たちに一人でモノを考えるための知識と能力を付与することであるという誤った認識は排除すべきだ。[p.237]」「本物の教育には、自分には知らないことが(たくさん)あると知ることも含まれている。[p.238]」「全員に何もかも教え込もうとするのは不毛だ。そうではなく個人の強みを考慮し、それぞれが最も得意とする役割において才能を開花させられるようにすべきだ。また他者とうまく協力するための能力、たとえば共感や傾聴の能力に重きを置く必要がある。コミュニケーションやアイデアの交換を促すためには、事実を見るだけではなく批判的に思考する能力を身につけさせることも欠かせない。[p.250]」

第12章、賢い判断をする
・「リバタリアン・パターナリズムは、行動科学によって・・・私たちの意思決定を改善できると考える。行動科学を活用することで、後から悔むような意思決定をする理由を特定し、意思決定のプロセスを変化させることで、将来はもっと良い意思決定ができるようになるかもしれない。このような変化を促す行為を『ナッジ(軽く突くこと)』と呼ぶ。[p.268]」「ナッジという手法から学ぶべき重要な教訓は、個人を変えるより、環境を変えるほうが簡単で効果的であるということだ。・・・この教訓は、知識のコミュニティの一員である私たちの意思決定を考えるうえで役に立つ。まずたいていの人は説明嫌いであるという事実、意思決定に必要な詳細な情報を理解する気も能力もないことが多いという事実を認める必要がある。しかし理解していなくてもなるべく優れた判断ができるように、環境を整えることはできる。[p.270]」

結び、無知と錯覚を評価する
・「人類の成し遂げた偉業の多くは、自らの理解度に対する誤った信念によって可能になった。そういう意味では、錯覚は人間の文明の進歩に必要だったかもしれない。[p.284
---

多くの人が知恵を出し合い協力することによって、相乗効果が発揮される可能性はよく指摘されます。しかし、実際には、そもそも知恵というものは協力が発生するコミュニティに基づいたものである、という著者の指摘は興味深く感じました。だとするとなぜこうした協力がうまくいかない場合があるのでしょうか。本書の考え方を参考にすると、おそらくそれは、知識がコミュニティに依存していることに気づかず、自分の知識を過信して、頼るべきコミュニティの知識をないがしろにしてしまうためなのかもしれません。そう考えると、もし協力を進めたいなら、自分の無知を謙虚に受け入れ外部に目を向けること、そしてよりよいコミュニティを作っていくことが重要、ということになるのではないでしょうか。イノベーションの源泉として協力関係を考えるなら、協力して知識を創造していくという行為の本質についての理解は今後ますます重要になっていくように思います。


文献1:Steven Sloman, Philip Fernbach, 2017、スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック著、土方奈美訳、「知ってるつもり 無知の科学」、早川書房、2018.
原著表題:The Knowledge Illusion: Why We Never Think Alone

科学の話題・目次(2018.11.18版)

「科学の話題」というカテゴリーでは、社会や企業活動、研究開発と関係のありそうな科学の話題について書いています。本ブログ記事目次・参考文献リスト・索引の最新版はこちら

科学研究の動向
「GEグローバル・イノベーション・バロメーター」世界調査2012より2012.2.5)、参考リンク
「GEグローバル・イノベーション・バロメーター」世界調査2011より
2011.2.6)、参考リンクは上と同じ
論文から見た各国の科学力比較
2011.1.16)、参考リンク

科学と社会
科学と倫理(今道友信著「エコエティカ」より)2013.1.27)、参考リンク
「もうダマされないための『科学』講義」-科学でダマし、ダマされる状況について考える
2012.1.22)、参考リンク
科学技術と社会の関わり、これからのイノベーション
2011.7.18)、参考リンク
技術で仕事はどう変わる?
2011.8.21)、参考リンク
「機械との競争」(ブリニョルフソン、マカフィー著)感想
2013.11.24)、参考リンク
「ザ・セカンド・マシンエイジ」(ブリニョルフソン、マカフィー著)より
2016.4.10)、参考リンク
「データサイエンティストが創る未来」(ロー著)より
2017.7.30)、参考リンク
シンギュラリティが意味するもの(ガナシア著「そろそろ、人工知能の真実を話そう」より)
2017.10.9)、参考リンク
「人工知能の哲学」(松田雄馬著)より
2017.11.26
AI活用の実際(「Artificial Intelligence for the Real World」、Davenport, Ronanki著HBR2018, January-Februaryより)
2018.2.25
AIの活かし方(「Collaborative Intelligence: Humans and AIAre Joining Forces」、Wilson,Daugherty著HBR2018, July-Augustより)
2018.7.16

理系と文系、とイノベーション
2011.5.1)、参考リンク
「科学嫌いが日本を滅ぼす」(竹内薫著)感想
2012.10.21)、参考リンク
「エコ企業」雑感 (ニューズウィーク日本版、2011.2.9号、エコ企業100より)
2011.2.27)、参考リンク
「不完全な時代――科学と感情の間で」感想
2012.3.4)、参考リンク
「科学との正しい付き合い方」感想 (科学者とそれ以外の人との付き合い方?について)
2010.11.21)、参考リンク
科学的な考え方をシンプルに理解する(小飼弾著「『中卒』でもわかる科学入門」感想)
2014.5.18)、参考リンク
動的平衡
2010.10.31)、参考リンク
「知の逆転」にみる科学の課題
2014.7.21)、参考リンク
科学とエンジニアリング(「エンジニアリングの真髄」(ペトロスキー著)より
2014.10.5)、参考リンク
「<科学ブーム>の構造」(五島綾子著)から学ぶこと
2014.12.7)、参考リンク
誤解を生む原因は何か(垂水雄二著「科学はなぜ誤解されるのか」より)
2015.4.19)、参考リンク
「人と『機械』をつなぐデザイン」(佐倉統編)より
2015.6.14)、参考リンク
「オートメーション・バカ」(ニコラス・カー著)より(2015.9.6)
参考リンク
「技術大国幻想の終わり」(畑村洋太郎著)より
2015.9.27)、参考リンク
「マッキンゼーが予測する未来」(ドッブス、マニーカ、ウーツェル著)より
2018.4.8
「科学の困ったウラ事情」(有田正規著)より
2016.11.6)、参考リンク
こらからの専門家(サスカインド著「プロフェッショナルの未来」より)
2018.7.1

研究開発事例
2010年のベスト50発明(「Time」2010.11.22号)2010.12.5)、参考リンク
1年後のTime誌「2010年のベスト50発明」
2011.12.25)、参考リンクは上と同じ
3年後のTime誌「2010年のベスト50発明」
2013.12.23)、参考リンクは上と同じ
6年後のTime誌「2010年のベスト50発明」
2016.12.25)、参考リンクは上と同じ
「偉大なる失敗」(リヴィオ著)より(2015.7.12)
参考リンク

研究マネジメント事例
祝ノーベル賞:『発見の条件』by根岸英一教授2010.10.11)、参考リンク
iPS細胞研究に見る研究の進め方雑感
2011.12.11)、参考リンク
MITメディアラボの研究マネジメント考
2012.12.31)、参考リンク
「9プリンシプルズ」(伊藤穣一、ジェフ・ハウ著)より
2018.2.18

研究開発の方法
シチズンサイエンス考2012.7.1)、参考リンク
ロボットに研究ができるなら
2011.4.3)、参考リンク
ビッグデータ考
2013.5.6)、参考リンク
「オープンサイエンス革命」(ニールセン著)より
2013.10.27)、参考リンク
これからのモノづくり(アンダーソン著「MAKERS」より)
2014.3.9)、参考リンク
イノベーションを生む環境(ジョンソン著「イノベーションのアイデアを生み出す七つの法則」より)
2016.2.28)、参考リンク
未来予測の方法(ウェブ著「シグナル」より)
2018.8.13
知識はネットで検索で十分なのか(パウンドストーン著「クラウド時代の思考術」より)
2018.9.24


科学哲学関連
「理性の限界」「知性の限界」2011.9.19)、参考リンク
「感性の限界」(高橋昌一郎著)より
2012.11.11)、参考リンクは上と同じ
科学哲学の使い方(「理系人に役立つ科学哲学」感想)
2011.10.10)、参考リンク
「なぜ科学を語ってすれ違うのか」に学ぶ
2011.11.6)、参考リンク
「テクノロジーとイノベーション」感想
2012.4.1)、参考リンク
「科学を語るとはどういうことか」(須藤靖、伊勢田哲治著)感想
2014.4.13)、参考リンク
クリティカルシンキングの活用(伊勢田哲治+戸田山和久+調麻佐志+村上祐子編「科学技術をよく考える」より)
2015.5.17)、参考リンク

判断、予測、行動経済学、複雑系周辺
いかに判断、予測するか(ダンカン・ワッツ著「偶然の科学」より)2012.7.29)、参考リンク
科学的判断の受け入れ(「代替医療のトリック」感想)
2012.9.23)、参考リンク
多様性の意義(スコット・ペイジ著「『多様な意見』はなぜ正しいのか」より)
2013.2.24)、参考リンク
複雑系の可能性(ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」より)
2012.6.10)、参考リンク
ネットワークの力(クリスタキス、ファウラー著「つながり」より)
2013.3.31)、参考リンク
「ファスト&スロー」(カーネマン著)より
2013.7.7)、参考リンク
「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」(ダン・アリエリー著)より
2013.8.11)、参考リン
「集合知とは何か」(西垣通著)より
2013.9.23)、参考リンク
ベキ乗則の可能性(バラバシ著「バースト」より)
2014.2.2)、参考リンク
「意思決定理論入門」(ギルボア著)より
2014.6.15)、参考リンク
よりよい意思決定プロセス(「決定力!」チップ&ダン・ハース著より)
2016.5.22)、参考リンク
「意思決定の心理学」(阿部修士著)より
2018.5.13
データから言えること(ソーバー著「科学と証拠」より)
2014.8.24)、参考リンク
ありえなさを理解する(ハンド著「『偶然』の統計学」より)
2017.4.23)、参考リンク
「誤解学」(西成活裕著)感想
2014.11.9)、参考リンク
「無意識のわな」(日経サイエンス2014年5月号特集)とマネジメント
2014.12.28)、参考リンク
「バグる脳」(ブオノマーノ著)-思考、判断のバイアスと誤りを理解する
2015.1.25)、参考リンク
無意識の作用(ムロディナウ著「しらずしらず」より)
2015.3.22)、参考リンク
「教養としての認知科学」(鈴木宏明著)より(2016.8.14)
参考リンク
「理性の起源」(網谷祐一著)より
2017.9.3)、参考リンク
「影響力の正体」(チャルディーニ著より)
2015.11.23)、参考リンク
「実践ポジティブ心理学」(前野隆司著)より
2018.1.3
「好き嫌い」(ヴァンダービルト著)より
2018.10.28
失敗に学ぶ(サイド著「失敗の科学」より)
2017.6.11)、参考リンク
データを使う前に(ファング著「ナンバーセンス」より)
2015.12.20)、参考リンク
「0ベース思考」(レヴィット、ダブナー著)より
2016.1.24)、参考リンク
心配と研究開発(島崎敢著「心配学」より)
2017.1.29)、参考リンク
不確実性と成功(ヨハンソン著「成功は“ランダム”にやってくる!」より)
2016.7.10)、参考リンク
不確実性とリスクの扱い方(サンスティーン著「恐怖の法則」より)
2016.9.25)、参考リンク
「リスク」(フィッシュホフ、カドバニー著)より
2017.3.12)、参考リンク
関連記事
意思決定の罠(モーブッサン著「まさか!?」より)
2012.10.28)、
参考リンク
複雑系経営(?)の効果2012.5.6)、参考リンク

ヒトの行動、社会、進化
「ヒトは環境を壊す動物である」感想2010.12.26)、参考リンク
「利他学」(小田亮著)より
2012.12.2)、参考リンク
進化心理学からの示唆(「友達の数は何人?」ロビン・ダンバー著)より
2012.8.26)、参考リンク
「働かないアリに意義がある」感想
2012.4.22)、参考リンク
利他性と協力
2012.5.13)、参考リンク
天才の創造性の源泉とその活用
2013.6.2)、参考リンク
協力とフリーライダーと罰(大槻久著「協力と罰の生物学」より)
2015.2.22)、参考リンク
「競争の科学」(ブロンソン、メリーマン著)より
2015.8.9)、参考リンク
脳科学の使い方(ミチオ・カク著「フューチャー・オブ・マインド」より)
2015.10.25)、参考リンク

「好き嫌い」(ヴァンダービルト著)より

好き嫌いは人の行動に影響します。ビジネスの世界でも、顧客の好き嫌いは製品やサービスの売れ行きや評価に直接影響しますし、仕事に対する好き嫌いはその仕事のパフォーマンスにも影響するでしょう。また、意思決定の場面でも、論理的な判断に加えて好き嫌いが判断に影響を及ぼすこともあるでしょう。では、好き嫌いとはどういうものか、どういうメカニズムで好き嫌いが生まれるかはわかっているのでしょうか。

今回は、こうした問題を議論したトム・ヴァンダービルト著、「好き嫌い 行動科学最大の謎」[文献1]の中から興味深く感じた点をご紹介したいと思います。結論を言ってしまえば、好き嫌いについてはまだまだよくわからないところが多く統一的な理解は難しい、ということになってしまうと思いますが、本書でとりあげられている好き嫌いの様々な側面についての事例や知見はこの難題を考える上でのヒントになりうるように思います。詳細な事例や議論は本書をご参照いただくとして、ここでは特に興味深く感じた点をメモしておきたいと思います。

第1章、何を召し上がりますか 食べものの好みについて考える
・「人間は雑食性だ。・・・雑食動物で、なおかつ新しいものぎらいという二面性には進化上の利点がある。新規なものを食べないおかげで悪いものを摂取せずにすみ、雑食であるおかげでよいものを幅広く取り入れるようになった。[p.32]
・「本当のところをいうと、私たちは好きなものよりも好きでないものにより敏感らしい。[p.33]
・「私たちは生まれて数日でもう好ききらいを表わしはじめ、味のない水よりも甘い水を選び、(いくらかでも)苦い食べものに顔をしかめる。これはまだ生きるための反応であり、食べるのは生きるためだ。本当にえり好みをするようになるのは二歳ぐらいから[p.33]
・「遺伝的性質は食べものの風味の好ききらいに驚くほど影響しない[p.35]
・「私たちは選ぶのが好きなのだ。手元にメニューがあって、そこから選べるというだけで、メニューに載っているすべてが好ましく感じられることが研究からわかっている。[p.43]
・「好みとは、つまり期待と記憶のことなのだ。何かをたのしみにしているときでも、それを前回たのしんだときの記憶をふり返っている。[p.44]」「期待は好みの基本原理といってよい。きっと気に入ると思っていれば、本当に好きになる可能性が高いのだ。[p.55-56]
・「『感覚特異性満腹』という現象は、簡単にいうとある食べものを十分に摂取すると体がシグナルを送ってそれを知らせるということだ。ただ『満腹になってきた』のではなく、その食べものについて満腹になってきたという合図である。・・・『感覚特異性満腹』は進化において有利なメカニズムであり、さまざまな栄養素を接収するたすけになると科学者は推測している。[p.50-51]
・「期待が好みを後押しする。・・・おもしろい映画だったと事前に感想を聞かされていると、その映画を実際に見るときに二つのことが起こりうる。一つは『同化』だ。感想を聞いて期待が高まったことで、感想を聞かなかった場合よりもその映画が好きになるケースである。もう一方の『対比』では、さほど期待していなかった場合よりも余計にがっかりする。食べものについては、私たちは同化しやすい。[p.57]
・「私たちの舌には味蕾が分布し、その味蕾が基本の味覚を分類している。甘味、酸味、苦味、塩味、それに正式な分類とまではいかないが、うま味(そしておそらく脂味も)である。もっと細かい区別・・・は『後鼻腔経路で』くりから鼻を抜けてにおいとして知覚される。[p.71]
・「アメリカ人が甘くない紅茶を好きになれるかどうかを調べたい紅茶会社の後援でペルチャットが行なった研究では、被験者はブドウ糖を加えていない紅茶をしだいに好きになっていった。なぜだろうか。理由は単純で、繰り返し飲んだからなのである。1968年に心理学者のロバート・B・ザイアンスは、非常に重要な論文のなかでこの現象に『単純接触』効果と名付け、『ある刺激に繰り返しさらされるだけで、刺激に対する態度に変化が生じるに充分である』と述べている。ザイアンスは食べものについて論じたのではないが、現在では、接触は食べものの嗜好における基本概念になっている。[p.75]
・「私たちは脳内の複雑にからみあった一連の活動を通じて、『風味事象』――食べるものすべての触覚、味覚、嗅覚が一体になった『知識のゲシュタルト』――を学習するのだとスモールは言う。『この食べもので吐き気をもよおさなかったか。この食べもので活力が得られたか。風味にかかわる事象全体から好みを学習するのです』。[p.79]

第2章、誤りは私たちの星評価にあるのではなく、私たち自身にある ネットワーク時代における好み
・「ネットフリックスは、好きだと視聴者がいったもの・・・から、視聴者が実際に見たものに注目の先を変えた[p.91]」。「ストリーミング配信では視聴者からの明確なフィードバックはないかもしれないが、行動がフィードバックのかわりになる。[p.90]」(ネットフリックスの)「イエリンがいうには、人は『自分ってこうなんだと思いたいんです。こういう自分というのを思い描いて、自分で自分にうそをつくことさえありますよ――どういう種類の作品を好きだというか、ある作品に星をいくつつけるか、本当は何を見るか』。[p.92]
・「星評価システムそのものが、かなりバイアスがかかりやすい。人は評価尺度の両端を避ける。これは『縮小バイアス』という。その結果、星一つおよび五つよりも二つや四つの評価がはるかに多くなる。[p.94-95]
・「インターネットによって専門家の権威と批評の正当性が必要とされなくなったといってよいかどうか、そこは簡単な話ではない。[p.109]」「大衆が批評の対象を批評家の圧政から解放したという見方は、卑小な権威意識をもちはじめているらしいレビュアーが多いせいで揺らいでいる。イェルプやトリップアドバイザーのレビューを読むと、とくに星一つのレビューに多いが、恨みがましさが容易に感じとれる。[p.112]」「ネットレビューの信用問題で最も由々しいのがレビューの捏造だ。[p.113]」「そもそもの問題は、大半の人がレビューを書かないことだ。[p.115]」「購入してよかった、またはよくなかったと強く思うと、客はレビューを書く気になることが多い。そのために評価は『バイモーダル』になりやすい――評価がすべての星数にほぼ均等に分布するのではなく、よいと悪いの二極に集まるのである。これは『J型分布』、またはもっとおもしろく『自慢か愚痴か現象』と呼ばれている。[p.116]
・「批評家とネット上の『口コミ』の相違点を調べるために行われた、あるウェブサイトの映画レビューの『内容分析』によると、批評家はふつうの映画ファンにくらべてプロットや演出や演技について多く語っていた・・・。一方、素人批評家は自分にとって映画はどうだったかを多く語り・・・、また彼らのレビューの半数近くが批評家の批評についてどう考えるかを述べていた・・・。[p.129]」「要するに、批評家はある作品のどこを好むべきか(または好むべきでないか)を語り、素人は自分がその作品を好んだ理由を語るのである。[p.130]

第3章、好みは予想できるのか あなたのプレイリストがあなたについて語ること(そしてあなたがあなたのプレイリストについて語ること)
・「個人主義の時代にあって、私たちの多くは、自分はわが道を行く複雑な人間であって、あなたはこれこれこういう人です、などとあっさり見抜かれるはずはないと思っている。[p.143]」「しかし、『趣味は説明がつかないと、みんな思い込んでいるだけなんです』というのがリューの見解だ。・・・『当然ですが、趣味は説明がつきます。これだという特徴を探せばいいんですよ』[p.144]」(リュー氏はレコメンデーション企業ハンチのチーフ・データサイエンティスト)
・「私たちは好きな音楽の音がどうとか曲がどうとかいいたがるが、本当に好きなのはその音楽が意味するものなのだ。そしてこんなことも――それをなんと呼ぶべきかを知っていることで、私たちはそれを好きになるのである。[p.152]」「曲を好きになる最も基本的な要素は、以前に聞いたことがあるかどうかである。食べものと同じで、接触が鍵をにぎる。耳にすればするほど好きになるのだ・・・。[p.165]
・「接触には危険がひそんでいる。接触すればするほど、だんだん好きでなくなっていくこともあるのだ――きらいだったものはとくにそうなりやすい。このことについての明確な回答はないが、心理学者のダニエル・バーラインの提唱した有力な説は、音楽などの好き嫌いは『複雑度』を因子として逆U字型のグラフになるというものである。単純すぎるもの、逆に複雑すぎるものは好まれにくい。・・・ところが気に入ったはずのその曲も、聞くたびに複雑でなくなっていく。[p.168-169]」「最初の数回はたのしいが、すぐにその甘ったるさにうんざりしてしまう。[p.170]

第4章、なぜこれが好きだとわかるのか 芸術の陶酔と不安
・「私たちが自分で意識している以上に『トップダウン処理』の世界に生きていること・・・私たちは見るとあらかじめ予期しているもの、見たいものを見るのであり、『ボトムアップ処理』がなされること、つまりそれそのものに気づくことはめったにない。[p.185]」「ノースイースタン大学感情科学学際研究所の所長であるリサ・フェルドマン・バレットが説明してくれたところによれば、脳はおもにボトムアップ器官だと長く考えられてきた。・・・脳のニューロンは外部刺激・・・で活性化されるまで休止状態にある。刺激を受けとると、脳はおそらくその刺激に個人的関連があるかどうかを判断し(これと似たものを前に見たことがあるか)、それから適切な感情反応ないし情動反応を選択する(これについてどう感じるか)。・・・バレットは『実際にはそうではない』という。『ボトムアップのプロセスがないというのではありませんが』と前置きしたうえで、最も考えられるのは、脳は『過去の経験にもとづく世界の生成モデル』なのだと主張する。・・・私たちがあるものについてどう感じたかという記憶は、実際の経験の記憶よりもじつは強力なのだ。『脳は前後関係にもとづいて、その状況でどんな刺激が待ち受けているかを予測するのです』[p.185-186]
・「あるものを何として見るかによって、それへの感情が変わる・・・。上等なチーズのにおいだといわれるか、汚い靴下のにおいだと教えられるかで、そのにおいの好き嫌いが決まるように、私たちがあるものを美しいと思い、好きになるかどうかの判断は、それがどこに位置づけられるかに影響される。美術史家のケンダル・ウォルトンがいうように、キュビズムの絵画や中国音楽に初めてふれる人(中国人でない人)は、『かたちもなくでたらめで、心をかき乱す』作品だと思うかもしれない。それはその作品をキュビズムあるいは中国音楽というカテゴリーに属するものとして見ていないからだという。芸術の新しい様式、それどころか文化のあらゆる新しいトレンドに生命を吹き込むのは、それを分類すること、それについて考える手がかりをもつことなのだ。そしてここには原因と結果のループがある。カテゴリーを知るとそれを好きになりやすくなるが、私たちは好きなものをカテゴリーに分類したがることが研究からわかっている。[p.235-236]

第5章、なぜ(そしてどのように)好みは変わるのか
・「未来の自分の好みを予想できない理由の一つは、・・・まさにその好みを変えさせる要素の一つにある。新奇性だ。・・・私たちは一方では目新しさを切望する。・・・ところがその一方で、私たちがなじみ深さにとても弱いことはこれまで見てきたとおりだ。[p.252]」「では、目新しさとなじみ深さのどちらをとるのか。多くのことがそうであるように、答えは中間あたり、新しいものと知っているもののU字型の最適曲線のなかほどにある。・・・私たちは新しいものが好きだが、ただしそれはどこかに古いものを思わせるところがあるなら、という条件つきなのだ。趣味がどれくらい変わるかを予想するのが難しいのは、このもって生まれた抵抗感の先が見越せないからである。・・・新しいものをどんなに不快に感じても、それは束の間にすぎないのに、私たちはそのことを忘れてしまうのだ。[p.253]
・「趣味という機関を動かしているのは、まず目新しさとなじみ深さ、飢えと満足のあいだを行ったりきたりするエネルギーだ。外的な刺激と内的な知覚が心のなかで不可思議に差し引きされて、私たちは食べものや音楽やオレンジ色に飽きる。だが、もう一つ、この機関を作動させているものがある。他人と同じであろうとしたり違っていようとしたりする私たちの微妙な心の動きである。[p.257]」「集団は趣味をほかの集団に『伝播』させるが、趣味そのものが集団を形成させもする。・・・趣味の選択を後押しするのは、一つにはこうした社会的な駆け引き、すなわち学習と回避なのである。しかし、これで全部ではない。趣味はただのまちがいや偶然で変わることがある。[p.270]

第6章、猫と土とビール 専門家はよいものをどうやって判断するのか
・「最も重要なスキルは、情報の抽出だ・・・それが経験にもとづく識別力以上に判断の鍵をにぎる。[p.318]」「人は多くを知れば知るほどますます分類しようとし、分類できるものが増えれば増えるほど、さらに多くを知る。審査のエキスパートがあなたや私と違うのは、世界の――少なくともそのなかの自分が携わる部分の――見方、組み立て方である。[p.319]

おわりに、テイスティングノート 好きになることとは
・「私たちは自分が何を好きなのか、自分のしていることのどこが好きなのかをわかっていないことがよくあるようだ。好みにはさまざまな無意識のバイアスがつきまとい、そのときの状況や社会からの影響であっけなく揺れ動く。今日好きなものを明日も好きでいる可能性は多いがけないほど低く、以前に好きだったものを何が好きにさせたのかを憶えている可能性はさらに低い。[p.356]
・好きになることへの実践的ガイド:「人は好きかきらいかをその理由を知るより先に判断する」「好きときらいはトップダウン処理の先入主になって、対象をありのままに経験するのを妨げかねない」「私たちは、自分の好きなものがまちがいなく自分の好みのものだと思いたがるが、じつはいつの間にか状況や環境に左右されたり・・・期待で鈍らされたりする」「何かを好きだと思うとき、それ自体を好きというよりも、好きな理由を話しやすいから好きだと思っているだけで、本当はもっと好きなものがほかにあるのかもしれない」「人は分類できるものを好む」「安直な好みはあてにならない・・・初めはなかなか好きになれそうにないもの・・・は、末永く快楽で報いてくれる」「見ているものを好きになるかもしれないが、好きなものを見ているということもある」「好みは学習するものである・・・生まれついての好みというものはほとんどない」「私たちは好きになりそうなものが好き、憶えているものが好きだ」「キーワードは目新しさと馴染み深さ、同調と差異化、単純さと複雑さ」「好きでないものは無視されやすいが、じつは強力である」「何が好きかよりも、なぜ好きかを考えるほうがおもしろい」[p.357-361]
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マネジメントの世界では、いわゆる趣味よりも、「どんな行動が好きか」ということが重要なように思います。その好き嫌いのメカニズムについてはまだよくわかっていないことが多いように思いますが、本書に述べられた食べものや芸術の好き嫌いにも通じるところはあるのではないか、と思います。おそらく、何かの行動が脳内の報酬系に影響することが基本にあるのではないかと思いますが、本書で指摘されているような経験や学習、バイアスといった要素も関係しているのでしょう。個人的には、人のモチベーションに関係する要因としての好き嫌いの役割は無視できないと思っていますので、さらにこの分野の理解が深まり、その知見を活用できるようになることを期待したいと思います。


文献1:Tom Vanderbilt, 2016、トム・ヴァンダービルト著、桃井緑美子訳、「好き嫌い 行動科学最大の謎」、早川書房、2018.
原著表題:You May Also Like: Taste in an Age of EndlessChoice

 

知識はネットで検索で十分なのか(パウンドストーン著「クラウド時代の思考術」より)

情報を生むことは、研究開発の重要な役割のひとつだと思います。一方、インターネット上には膨大な情報が蓄えられ、そこから情報を検索してくることも格段に容易になりました。さらにAIは情報利用の様々な可能性を広げつつあるように思います。このような時代に研究者はどのように情報に向き合い、どのような情報を知識として身につけ、どのようにIT技術に頼り、知識や情報を活用していくべきなのでしょうか。

こうしたことを考えるには、まずは変わりつつある(あるいは本質は変わっていない?)知識の意味を考えてみることが有効かもしれません。そこで、今回は知識を持つことの意味を考えさせてくれる、パウンドストーン著「クラウド時代の思考術 Googleが教えてくれないただひとつのこと」[文献1]をご紹介したいと思います。著者は様々なデータや事例を挙げて、どのような知識を身につけることに意義があるのか、知識を持たないことがいかに危険なことなのかを述べています。具体的な多くの事例やデータは本書をご参照いただくとして、以下では基本的な考え方を中心に著者の考え方をまとめてみたいと思います。

I
、ダニング=クルーガー効果
・ダニング=クルーガー効果:「ダニングとクルーガーが、はじめて研究の結果を発表したのは1999年だった。論文のタイトルは『未熟さと無知――自分の無能力を認識できないことが、思い上がった自己評価を導く』。[p.18]」「知識や技能がもっとも欠けている者の特徴は、自分の知識や技能の欠損をまったく理解できないことだ。その結果生じる、根拠のない過剰な自信――これが『ダニング=クルーガー効果』として知られることになる。自分自身の無知に気がつかない。知識に欠落があるために、自分の知識を正確に測ることができない。不完全な知識はやがて、ゆがんだ心の世界地図を作り上げる。そして、このような誤解が公私の場で、われわれの選択や行動や判断に大きな影響を及ぼす。[p.395訳者あとがき]」
・「自分の知識とその部分の大まかな図を、読み取ることができるだけの最小限の知識が必要・・・そのときにはじめて、自分の無知に気がつかないという、ダニング=クルーガー効果の宿命から逃れることができる。そしてはじめて、知識のギャップを埋めるために、グーグルを使うことができるのだ。[p.25]」
・「情報に乏しい者たちは、必然的に、よく理解をすることができない。彼らはたださまざまなことを知っているだけだ。・・・何が重要かという基準を、自分勝手で恣意的なもので判断しているために、大事なことはよく知らない。[p.39]」
・「今日のメディア界は、多くの指南を与えてくれるわけではない。それがわれわれに促すのは、個人的で、自分の世界に浸り切った、情報のフィルターを作り上げることだ。・・・大きなリスクは、インターネットが、われわれの知識を乏しいものにしていたり、あるいは誤った知識をさえ与えているということではない。それはインターネットがわれわれを『メタ・イグノラント』(超無知)にしていることだった――つまり、われわれが知らないことに、自分でほとんど気がついていないということなのだ。[p.39]」
・「あらゆることをすべて記憶することは不可能だ。脳は記憶する際、意識の介入なしにたえず選択(トリアージ)をしていなければならない。そして脳は、ただちに検索することのできる情報で、われわれの心を満たしておく必要のないことを、はっきりと認識している・・・アーカイブで保存できると思った事実は、非常にしばしば忘れ去られてしまう。この現象には名前がついていて――グーグル効果――、それは、オンラインで見つけることのできる情報は、自動的に忘却されることを表している。[p.41]」
・「情報源記憶とは、事実が学習された時と場所を思い出すことだ。・・・ハーバード大学で行われたある実験では、われわれがどれほど多く、この情報源記憶に依存しているかが示されていた。・・・それで明らかになったことは、・・・事実そのものよりも、むしろ瑣末な事実を保管するフォルダーを記憶しがちになるということだ。[p.42-43]」「ウェグナーはグーグル効果を、分散された記憶という一般現象と結び付けている。・・・ずっと以前には、われわれは記憶や情報や専門知識を、現実のソーシャル・ネットワーク(付き合いの輪)の中で共有していた。・・・われわれはすべてのことを知らなくても、人々を知ることによって、この世界で何とか生きている。[p.46]」
・「インターネットは、著作権の侵害を後押しするが、その上それは、われわれを誘って根も葉もない知的傲慢さへと導く。・・・別のテストでは、被験者の半分がウェブで調べることを許された。・・・テストのあと全員がアンケートに答えて、自分の記憶や知識や知力を自己評価した。・・・目を見張るのは、すべてをウェブで調べた者たちの自己評価が高かったことだ。・・・この実験で明らかになるのは、われわれがインターネットを集合記憶として『所有』しているということだ。[p.49]」
・「事実の質問に対して、正しく答えを出すことができればできるほど、その人は国境フェンスの建造を支持する度合いが低くなる傾向にあった。[p.67]」「地理学を知らないと、われわれの心の地図(心象地図)をゆがめてしまうし、ときには裏づけのない個人の意見を形成してしまうことがある。同じように他のことでも、無知はわれわれの世界観をいびつにする。[p.69]」

II
、知識のプレミアム
・「いわゆるトリビアな質問に答える能力は、高所得や他の成功した人生の指標と関わりがある。[p.54]」
・「知識の豊富な人々はたくさんのお金を稼ぐ。それは教育や年齢が一定に保たれたときでさえそうなのである。[p.162]」「一般的知識は所得と堅固なつながりがあるようだが、幸福とはなさそうだ。[p.169]」
・「科学知識と所得の間に、有意な相関関係がまったくない[p.190]」
・「私はスペリングや文法と年齢や所得、それに教育との間にさえ、相関関係を見つけることができなかった。・・・誤字の少ない人は所得が多いという傾向は確かなようだ。・・・筋の通った結論はこんなことになる。つまり、明らかなエラーを避けることはもちろん重要だ。が、そこには微妙な使用法の機微を知る利点は、わずかしかないということだ。[p.206-207]」「私が発見して驚いたのは、正しい発音が所得と相関していることだ。・・・スペリングがさほど重要視されないのに、なぜ発音はこれほどまでに重要視されるのだろうか? 私の推論は以下の通り。正しい発音は教育を受けた人を知る手段なのだ。・・・ここで重要なのは、あなたが何を知るかではなく、誰を知るかということだから。[p.212]」
・「私は宗教的知識と自己報告の幸せの間にある、相関関係を見つけることはできなかった。また宗教と所得、あるいは既婚や未婚などの交際状況との相関関係も、そこには存在しなかった。[p.230]」
・「文化リテラシーは、教育レベルを推しはかるためのすぐれた予測因子だ。が、しかし、驚くべきことに、文化的知識と所得の間にはほとんど相関関係はない。・・・もちろんここでは、お金が唯一の基準でも最善の基準でもない。文学、芸術、映画上の大作を経験することの価値は、それを鑑賞できる心の持ち主にとっては言うまでもない。変わりつつあることは、誰も同じ偉大な作品を経験しなければいけないという考え方。もはやカノン(規範)は消滅しつつあり、文化の運命の予測は立ちがたい。洗練された教養は昔に比べて、よりいっそう多様なものとなっている。教養のない者にとっては、クラウド・コンピューティングからコピーした、表面的なリテラシーだけでも、何とかこの世の中を生きていくことはできるのである――今は、ことさら知ったかぶりをするのをやめにする時期だ。[p.248-249]」
・「トリビアな質問にほとんど正解をした人々は、自分をすこぶる健康だと報告している。・・・インターネットははたして、健康情報の収集に役立つのだろうか? 答えはよい情報と悪い情報をえり分ける、ユーザーの識別能力に多くを負っている。[p.263]」「知識の幅広いスペクトラムは、たしかに現実の問題に直結するかもしれない。[p.264]」
・「私はスポーツの知識が所得と相互に関係があることを見つけた。[p.267]」「一般的な知識は所得と強い相関関係を持っていたが、科学や言葉のスペリングといった特殊な分野の知識では、このような関係は見られなかったし、見えてもほんの弱々しいものだった。[p.267-268]」「仮説として考えられるのは、われわれの文化にスポーツが深く浸透していて、私の出した(簡単な)質問が、特殊な知識というより、むしろ一般的な知識をテストするものになってしまったということだ。[p.269]」
・「パーソナル・ファイナンス(個人ファイナンス)の知識も、ひょっとして、所得と相関関係があるかもしれないと思うだろう。実際それは正しい。[p.275]」「金銭上のリテラシーは幸福とも相関している。[p.275-276]」「調査の中には、お金と幸福の相関関係を説明するのは、経済的な安定――お金を稼ぐことや、費やすことよりむしろ――だと暗に伝えるものもある。・・・出費を控え、お金を将来のために取っておくことのできる人々はまた、賢明な判断を下すのに必要となる自制心を持っている可能性が高い。[p.281
・「私の調査で明らかになった、所得と金銭上のリテラシーとのつながりは理解できる。が、私が共有した他の結果の中には、一見好みに任せたような、不可解なものがあるかもしれない。所得と一般的知識テストにおける得点との間に、私は強い相関関係を見つけた。また、所得と特殊分野の知識との間にも相関があった。特殊分野の中にはスポーツや正しい発音などがあった。この本のはじめで述べたふたつの話題もまた、所得の推測因子だった。それは地図のテストと選出された代議員の名前を挙げることだ。しかし、科学、歴史、有名人、スペリングなどの結果は曖昧なものだった。所得と文法、俗語、セックスあるいは宗教などとのつながりについても、そのすべてで徴候を見つけることができなかった。[p.291]」「刺激的な発見は、専門的ではない事実的な知識が、所得を予測するという点では、教育レベルを越えて、それ以上に影響を及ぼすということだ。[p.292]」「生涯にわたって学習していこうという態度は、おそらく重要な因子となるだろう。[p.293]」「『注意を払うこと』という言葉は、収入との相関関係を述べる格好の表現だ。それは一般的知識(難しすぎず、かと言ってやさしすぎない)を試す各種の問題によって、もっとも確実に推し測ることができる。一般知識の質問で低い得点しか取れなかった者は、おそらく、外界に対してあまり多くの注意を向けていないのだろう。それに対して、高い得点を獲得した者は、外の世界から多くのものを吸収していたにちがいない。[p.293]」「『想像力は知識より重要だ』とアルベルト・アインシュタインは1931年に書いていた。しかし、後者が前者を補強していることもまた真実だ。われわれが想像力と呼ぶものは、しばしば、二つの事実を結び付けて考えることを、不可欠なものとして含む・・・。[p.304]」「『無関係』と思われる知識が、アナロジーやインスピレーション、それに問題解決の源になりうることは確かだ。[p.304]「広い知識と所得との相関関係について、ひとつ考えられる説明は、学習が認識能力を改善するということだ。この能力はほとんどどんな仕事――一生従事する職業も含めて――にも役に立つ。学習はすぐれた脳の機能を生み出し、より高い所得をもたらす。・・・われわれの脳に必要なのは、学習のプロセスが最高に機能していることだ。事実はどこででも検索できるということが、それを変えることはまずありえない。[p.305]」

III
、文化を知らない世界
・「われわれはダニング=クルーガー効果の世界に住んでいる。大衆が自己の無知さ加減を知らないことは、日常よく見かけることで、これは厳然とした事実だ。したがってそのことは、デザイナーやマーケター、それにコミュニケーターたちは、十分に考慮に入れておく必要がある。[p.309]」「要するに、答えを知らないことをまず知っていなければ、あなたは質問することさえしないということだ。[p.330]」
・「インターネットはうさんくさい記事を、簡単に調査することを可能にする。が、本人が疑いを持たないかぎり、それをチェックすることはできない。そこで必要とされるのは、若干の懐疑主義と、文脈的知識、それにリサーチの技術だ。このような技量をほとんど持ち合わせていない人々にかぎって、自分は記事の真偽を見分けるのが、かなり得意だと信じこんでいる。[p.233]」「私の発見が提言しているのは次のことだ。つまり物知りになりたい人は、ニュースのカスタマイズをやりすぎないこと。[p.346]」「一般的に言うと、新しく、高度にカスタマイズできるメディアの視聴者は、それがなかなかしづらいメディアの視聴者に比べて、獲得した点数は低い。[p.349]」
・「科学的なリテラシーがもっとも低い人々は、政治的なイデオロギーに関わりなく、気候変動については基本的に意見を同じにしている。このグループのおよそ30パーセントは、人類の活動が地球を温暖化させていると言う。知識が増えるにつれて、人々の意見が枝分かれしていく。リベラル派は科学について知れば知るほど、ますます人類が気候変動を引き起こしている、と発言する可能性が高くなる。保守派は科学について知れば知るほど、人類が引き起こした気候変動という考え方を、ますます取らなくなりそうだ。・・・科学に精通した人々はその知識を、これまで自分が信じたいと思ってきたことを、自分自身に対して正当化するために使う。[p.366]」
・「審議方式の世論調査は、大きなフォーカス・グループによって行われる世論調査で、それはタウンミーティングの大きさに近く、事実を学ぶ短期集中コースも兼ねている。ミーティングの終わりには、グループはふたたび、はじめの世論調査で質問された同じ問題に挑戦して、答えを出した。[p.373]」「審議方式の世論調査は参加者に、本物の意見を形作ることを許す。事実に身をさらすことは、この方式の重要な部分だ。が、それは異なった意見を持つ他の人々と、情報を交換することでもある。議論や論争は、もっとも明晰な新聞の論説を読むより、さらに効果的に意見を磨くことになる。[p.374]」「このミーティングでは、他人の意見に耳を傾けることで、自分の見解が再考を余儀なくされて、洗練の度を加えられるかもしれない――ときには変更を迫られることもある。[p.375]」
・ギリシアの詩人アルキロコス・・・の言葉として、次のようなものが入っている。『狐はたくさんのことを知っている。が、ハリネズミは一つの大きなことを知っている』[p.381]」「キツネのように幅広い一般知識の習得を第一とする哲学は、現在、きびしい逆風に直面している。メディアの時代精神は、むしろ、ハリネズミのような事実への関係の仕方を支持しているようだ。われわれに与えられているのはディジタル・ツールで、それは興味の深いプールへ真っ直ぐに飛び込むことを、そしてその一方で、他のすべてを排除することを可能にしてくれる。そこには『他のすべて』はつねに『クラウド』にあり、必要に応じて利用できるという保証があった。この魅惑的な宣伝文句の中で次の点が見失われている。つまり、情報をきちんと持っていることは、立証されていない疑似事実について情報を得ているのと同じくらい、文脈について多くの情報を得ているということだ。それは、個々のものの評価を可能にしてくれ、われわれが知らないことに、きわめて重要な洞察を与えてくれる全体への展望だ。広い知識を身につける生涯教育は、ただ単に富や健康を達成する手段ではない(しかし教育は、それを受けることで、たくさんのものを手にすることができる)。学習行為は、われわれの直感と創造力を形作る。周知の事実は、個人や文化やイデオロギーを結びつける共有の評価基準だ。それは親しい間柄の軽いおしゃべり、意見、夢などのベースとなる。それはまたわれわれを、より賢明な市民にしてくれ、謙遜という今では過小評価されている贈り物を提供してくれる――というのも、ゆたかな知識を持つ者だけが、どれほど自分は知らないのか、その無知さ加減を正しく理解できるからだ。あなたがグーグルで検索できないものは、ただ一つ、あなたがつねに探していなければならないものだ。[p.390-391]」
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インターネットやクラウド上の知識を検索して活用することは、研究開発を効率的に進める上で役に立つこともあり、積極的に活用している技術者も多いと思います。しかし、科学者や技術者は、クラウド上の知識の供給者でもあります。従って、既存の知識だけに頼っていてはその責務を果たせないことは明白でしょう。おそらく多くの技術者の皆さんは、検索に頼りつつも、ある程度の知識を自らの頭に入れておかなければならないことは感覚的にも理解されているのではないかと思います。これは暗黙知に関連する観点からも支持されることとは思いますが、ネット上の知識の安直な利用の誘惑があることも事実です。まずはそれに頼りすぎないことが基本的に重要だという点を再認識する必要があるでしょう。

加えて興味深く感じたのは次のような示唆です。
・我々自身にもダニング=クルーガー効果が及ぶこと(わかったつもりになっていないか、どこまでわかっているかを見失っていないか)
・技術者の専門知識に基づく判断が一般の方に理解してもらいにくい可能性がある(単に、知識の不足だけでなく、知識の不足が問題であること自体を気づいてもらえない可能性がある)
・学習する姿勢を維持することの重要性
・トリビア的知識も含めて広く考えることの重要性

AI
は、将来的には暗黙知の領域や、判断、知識の組み合わせの領域にまで広がっていくかもしれません。知っておくべき「常識」も変わっていくでしょう。しかし、知識やダニング=クルーガー効果などの人間の思考パターンを理解する必要性は変わらないのではないでしょうか。ネットやAIとつきあうことで図らずも明らかになってきた人間の思考の性質は、これからもその理解を深めていかなければならないのだと思います。


文献1:William Poundstone, 2016、ウィリアム・パウンドストーン著、森夏樹訳、「クラウド時代の思考術 Googleが教えてくれないただひとつのこと」、青土社、2017.
原著表題:Head in the Cloud: Why Knowing Things StillMatters When Facts Are So Easy to Look Up

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