研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

イノベーション普及

ノート13改訂版:研究成果の活用

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点→ノート1~6
2、研究の進め方についての検討課題→ノート7~12

3、研究成果の活用・発展
3.1
、研究成果の活用

ほとんどの研究開発において、研究開発部隊が得た研究成果はいずれ研究部隊の手を離れ、別の担当者によってその技術が実施されたり、製品化されて商品が消費者の手に渡ったりして、便益、利益を生むことになります。しかし、この過程は単純なものではなく、技術的に優れた製品が必ずしも売れるとは限らない、とか、すぐれた技術の適用がなかなか広がらない、ちょっと使われてもすぐに捨てられてしまう、ということがしばしば起こります。このような不幸な事態について、マーケティングの失敗として片付けてしまうこともできるとは思いますが、折角の開発成果ですから、できることならうまく売ってほしい、一旦適用された技術ならばなるべく長く有効に使ってほしいというのが技術者の本音でしょう。もし、売り方や適用のしかたにも技術者が関与する余地があるならば、そこまで考えた研究を行なうことも可能かもしれません。

こうした研究成果の適用の問題については、「イノベーション普及学」と呼ばれる分野で検討され、新しい技術がどのように利用者に受け入れられるかについて、技術者にとっても示唆に富む多くの成果が得られています。この分野の研究はRogersの著書[文献1]にまとめられていますので、その中で特に重要と思われる点についてまとめておきたいと思います。


Rogersによるイノベーション普及の要点
まず、研究開発に携わるものにとって、耳の痛い指摘から始めましょう。Rogersは「優れたイノベーションはそれ自身が売りものである。したがって、明らかに利便性の高い新しいアイデアは潜在的な採用者に広く認知されて、そのイノベーションは速やかに普及すると技術者の多くは信じている。しかし、このようなことはほとんどない。少なくとも、イノベーションを創造して、他の人に普及させようとする発明家や技術者の目からみると、多くのイノベーションの普及速度は失望するほど遅い」、「イノベーションによる便益が火をみるより明らかであったとしても、普及と採用にあたっては、イノベーションの相対的優位性以上のものが必要なのである。」[文献1、p.10-11]と述べています。

では、普及と採用を促すためには、どのような要素が必要なのでしょうか。Rogersは、「個人によって知覚されるイノベーション特性がその普及速度を左右する」[文献1、p.49]と述べており、5つの特性を挙げています。すなわち、1、相対的優位性(そのイノベーションが既存のアイデアよりよいと知覚される度合い)、2、両立可能性(そのイノベーションが採用者の既存の価値観、過去の体験、必要性と相反しないと知覚される度合い)、3、複雑性(イノベーションを理解したり使用したりするのが困難であると知覚される度合い)、4、試行可能性(イノベーションを経験しうる度合い)、5、観察可能性(イノベーションの結果が採用者以外の人たちの目に触れる度合い)、です。これらのうち、複雑性は低い方が、その他の特性は高い方がイノベーションの採用速度が高くなるという調査結果があるようですが、そのこと自体は当然の結果のように思われます。しかし、えてして技術者は相対的優位性の向上にばかり着目しがちであることを考えると、それ以外の要因も考慮する必要があることには注意が必要でしょう。さらに、「再発明」すなわち、イノベーションの採用と使用に際して利用者による変更が行なわれることが起きやすいほどイノベーションの採用速度は高まり、持続可能性(継続的に使用される度合い)も高まること[文献1、p.103,107]、また、予防的イノベーションすなわち将来の欲せざる出来事の発生確率を減じるためのイノベーションは、そうでないイノベーションに比べて採用速度が遅いことも指摘されており[文献1p.94]、以上のようなイノベーション自身がもつ特性を認識し、普及されやすいような形に仕上げることも必要なのかもしれません。

ユーザーがどのようにイノベーションを受け入れていくかのプロセスからも、イノベーションの採用、普及に関する重要な情報が得られます。Rogersは、「イノベーションに対する個人の意思決定は瞬時に生じる行為ではない」[文献1、p.84]と述べ、その過程には次の5つの段階があるとしています。1、知識(イノベーションの存在を知り、機能を理解する)、2、説得(そのイノベーションに対する好意的ないし非好意的態度の形成)、3、決定(イノベーションを採用するか否かの選択)、4、導入(イノベーションの使用)、5、確認(すでに行なった決定の補強)、です。すなわち、このそれぞれの過程をスムーズに進めることができれば普及に役立つということになるのでしょう。知識段階には、個人の特性やコミュニケーション行動が影響を与えると言われていますが、特に注意すべきポイントとしては、「選択的エクスポージャー(人は関心事、ニーズ、それまでの態度に合致するアイデアに触れたがる傾向があり、自らの性向と相容れないメッセージを意識的ないし無意識的に回避する)」、「選択的知覚(人のそれまでの態度や信念などの観点からコミュニケーションメッセージを解釈する傾向)」という傾向で、その結果、「われわれはこれまで出会ったことのないアイデアに対して、それほど容易には好意的な考えをもつことができない」とされています[文献1、p.87]。また、イノベーションに関する知識としては、ハウツー知識(イノベーションを活用するのに必要な知識)、原理的な知識(働きの根底にある原理的な知識)が重要であって、これらが不十分だと、採用拒否や中断、誤用が起こりやすいと言われています[文献1、p.89-90]。説得段階については、上述のイノベーションの知覚特性が影響を与えますが、知識段階での精神的な活動は主として認知(知ること)に関わるものであるのに対して、説得段階での思考形式は感情(感じ)に関わるもの[文献1p.92]であって、人は新しいアイデアの機能に対して確信を持てないので、他の人を通してイノベーションに対する自身の態度を強化するため、自身の考えが同僚の見解から外れていないかどうかを知りたがったり、イノベーション評価情報(科学的な評価や、同僚の評価)を求めたりするといわれます。この説得段階とそれにつづく決定段階ではイノベーションの試行が行なわれることがあり、試行可能性とその効果は重要になるでしょう。導入、確認段階では、イノベーションの実行を通じてイノベーション採用を決定したことの強化が行なわれます。その結果が不十分であればそのイノベーションの継続的採用は難しくなりますので、もし、完成したイノベーションに期待外れの結果が出ているとすれば、それへの対応を取る必要があることになるでしょう。

こうしたイノベーションに対する受け入れ方が個人によって異なることはよく知られています。Rogersは採用者カテゴリーという概念で個々人の革新性に基づいて社会システムの成員の区分を行なっています[文献1、p.213-]。ここで、革新性とは、個人(や採用単位)が他の成員よりも相対的に早く新しいアイデアを採用する度合いのことを指し、採用者カテゴリーは、あるアイデアの採用時期とその採用者数が正規分布することに基づいて、平均採用時期よりも2σ以上早期に採用したグループを「イノベータ」、1~2σ早期のグループを「初期採用者」、平均より早く1σまでのグループを「初期多数派」、平均より遅く1σまでのグループを「後期多数派」、平均より1σ以上遅いグループを「ラガード」と区分されています。イノベーションの採用時期に関してこのような分布があること自体は経験的にも理解しやすいですが、イノベーションが普及する上での役割については、若干注意が必要なようです。特に社会の大多数への普及を目指す場合、重要視すべきは「イノベータ」ではなく「初期採用者」とされる点です。これは、新しいアイデアを積極的に受け入れる「イノベータ」は、その社会の中では異質な存在と受け取られることが多く、その他の多数派とは必ずしも十分なコミュニケーションがとれていなかったり、多数派の規範となるような人物ではなかったりする傾向があるからのようで、社会から尊敬され、役割モデルとなりうる「初期採用者」こそが普及において重要な役割を担うと考えられています。このことは、イノベーションを適用するためにまず対象とする層を決める上で重要な知見でしょう。また、革新性と年齢の間には相関が認められない、という調査結果はイノベーションの普及のみならず個人の個性を理解する上でも重要な点であると考えられます。

以上の個人におけるイノベーションの普及に対して、組織への普及については若干異なる視点が必要なようです。Rogersは「組織においては、何人もの人々がイノベーション決定過程に関与しており、導入者と意思決定者は異なることが多い。また、組織に安定と連続性をもたらしている組織構造が、イノベーションの導入を妨げることがある」と述べています[文献1、p.102]。組織におけるイノベーション過程は、大きく2つの段階、すなわち開始段階(情報収集、概念形成から採用決定まで)と、導入段階(決定されたイノベーションが実用に供するのに関わるすべての活動)に分けられ、開始段階におけるニーズの認識と問題解決のためのイノベーションの選択については、個人におけるイノベーションの適用と類似していると考えられますが、導入決定以後の過程は若干異なり、組織におけるイノベーションでは、導入決定後、「再定義・再構築」すなわち、イノベーションの修正とイノベーションに順応するよう組織構造が変化し、「明確化」すなわち、イノベーションの意味が組織の成員にとって明らかになる段階を経て、「日常業務化」されていくとされます。日常業務化された後は、組織成員のイノベーション設計、議論、導入への参加の度合いが大きいほど、イノベーションの持続可能性は高まるといわれています。組織におけるイノベーションの採用決定段階において、組織成員の間に合意が形成される場合(集合的なイノベーション決定)と、採用の選択が強制力、地位、あるいは専門知識を有する少数の人によってなされる場合(権限に基づくイノベーション決定)では、成員の参加の度合いが異なり、集合的なイノベーション決定の方が持続可能性が高くなるといわれています。組織の特性によるこの過程の進み方の違いに関しては、複雑さ(組織成員の知識や専門能力の高さの度合い)が高いほど、情報収集、概念形成といった開始段階は早まるが、導入への合意形成が妨げられることがあり、集中化(権力や統制が比較的少数の個々人に集中している度合い)および公式化(規則や手続きに従うことを重要視する度合い)が高いほど、開始段階が遅くなるがひとたびイノベーションの採用が決定すると導入が促進される、という傾向を持つと言われています。[文献1、p.385-425]

以上のようなイノベーションの普及は社内のどの部署が担当すべきなのでしょうか。実際のところ、そうした業務の分担が明確になっている場合は少ないように思いますが、研究者が関与できる余地は大きいのではないかと思われます。実際に普及の担当者ともなりうるでしょうし、普及しやすいように製品や技術の作り上げる、という過程を通じて関与することもあるでしょう。イノベーションの受け入れに伴って発生する不確実性を取り除き、イノベーション普及を図る役割を担う人は「チェンジ・エージェント」と呼ばれますが、開発を行なった研究者もそうした役割を担ったり、その補助を行なったりする必要があると思われます。しかし、研究者やチェンジ・エージェントは採用者にとっては外部の人間であるため、コミュニケーション上の問題が発生する可能性があることには注意が必要でしょう。一般には、コミュニケーションは同類性の高い人の間で効果的になる[文献1、p.359]わけですが、新しい技術を持っているという点で、研究者や技術者は採用者とは異類的な側面を持つため、コミュニケーションがうまくいかない可能性があります。さらに、採用者からの信頼を得られるかどうかの問題もあります。情報の受け手にとって、情報源となる人物に対して持つ信頼には2種類、すなわち能力信頼性(情報源の人物が知的で熟達していると知覚される度合い)と無難信頼性(情報源が信頼しうると知覚される度合い)があるとされますので、技術的能力が高いことだけでは信頼を得ることができない可能性にも注意が必要でしょう。理想的なチェンジ・エージェントの場合、この2つの信頼性が均衡している[文献1、p.363]とされますので、研究者が採用者にアプローチする場合にはこうした点を認識しておくことも必要でしょう。

考察:イノベーション普及プロセスの変化
以上のRogersによりまとめられたイノベーション普及に関する知見は、新しい技術に接した人が、その内容に納得してその技術を受け入れる、という普及の素過程についての重要な原理を含むものと考えられます。しかし、最近の新たな知見や、環境の変化を考慮すると、若干追加すべき点もあるように思われます。なかでも重要と思われる点は、人間の感情的な側面と、情報ネットワークの進歩でしょう。

感情的側面については、Rogersも上述の説得段階における影響を述べていますが、そのアプローチは理性的な要素が強いように思われます。それに対して、近年の行動経済学の成果からは、人間の行動はそれほど理性的、合理的ではないことが認識されるようになってきており、普及のプロセスについても人間の感情に対する考慮が必要なように思われます。例えば、Heathらは、「変化に失敗するのは、たいてい理解不足が原因ではない」「変化すべき理由を非のうちどころがないくらい合理的に説明しても、人々は行動を変えない。」[文献2、p.155]とし、「変化は『分析し、考えて、変化する』の順序ではなく『見て、感じて、変化する』の順序で起こる(コッター、コーエン)。」、「なんらかの感情を芽生えさせる証拠を突きつけられたとき、変化が起こる。感情のレベルであなたを揺さぶる何かだ。」[文献2、p.147]として、理性に訴えかけ、感情を揺さぶり、環境(道筋)を整えるという3つの条件が変化には必要と述べています。

情報ネットワークの進歩に関しては、ChristakisFowlerは、「ロジャーズの理論によると、テクノロジーが広がるスピードは最初のうちは遅いが、やがて速くなり、すべての人に行き渡る頃にはまた遅くなるという。だが、社会的ネットワークの構造を考慮に入れた最近の研究では、そう単純ではないことがわかっている[文献3、p.201]」。「イノベーションを普及させようとする際の基本的な考え方は、情報や影響力は密接で深いつながりを通じて広がる、というものだ。・・・しかし、この考え方は人間の社会的ネットワークの重要な特徴を見逃している」。強い絆に基づく構造は、「集団外の人と接触するには都合が悪い」[文献3、p.203]と述べています。また、様々な技術情報が得やすくなることで技術理解が早まると同時に、似たような技術の間での競争も起こりやすくなる点にも注意が必要でしょう。

もちろん、こうした見直しの可能性があるとしてもRogersの考え方が重要であることに変わりはないと思います。Rogersが明らかにした普及の素過程に関する知見は実際示唆に富むものですし、それを理解した上で、時代の変化に対応することが必要ということだと思います。折角開発した技術ならば、なるべく速やかにその技術が使われるように願うのは技術者として普通の感情でしょうが、実際には普及には様々な障害があること、競争相手のいる開発を行なっている場合には、技術ではなく普及させ方の巧拙で勝敗が決まってしまう可能性があることなど、技術的な価値だけではそのイノベーションがすぐに用いられるようになるわけではないことはよく認識しておくべきでしょう。技術者としても普及プロセスまで考慮し、できれば制御したような開発が求められているのかもしれません。


文献1:Rogers, Everett M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献2:Chip Heath, Dan Heath, 2010、チップ・ハース、ダン・ハース著、千葉敏生訳、「スイッチ! 『変われない』を変える方法」、早川書房、2010.
文献3:Nicholas A. Christakis, James H. Fowler, 2009, ニコラス・A・クリスタキス、ジェイムズ・H・ファウラー著、鬼澤忍訳、「つながり 社会的ネットワークの驚くべき力」、講談社、2010.


参考リンク

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「もうダマされないための『科学』講義」-科学でダマし、ダマされる状況について考える

菊池誠、松永和紀、伊勢田哲治、平川秀幸著、飯田泰之+SYNODOS編、「もうダマされないための『科学』講義」[文献1]を読んでみました。3.11震災が社会に与えた影響のひとつとして、「科学」と「科学を扱う人々」への信頼が損なわれたことが挙げられることが多いと思います。しかし、それ以前に、我々(科学に携わる人もそれ以外の人も含めて)が科学をどう捉えていたのか、科学的という名のもとに科学に誤ったイメージをもっていたのではないか、ということも見直すべきではないかと思います。特に、科学技術を「商売」のタネにしている人々(企業も含めて)の中には、故意に、あるいは意図せずに科学をタネに「ダマす」ことを行なっている場合もあることは否定できません。今一度、科学に対する信頼の問題を考えなおす必要があるのではないでしょうか。

本書では、5人の著者による以下の4つの章+付録で、科学と社会の関係をめぐる話題が取り上げられています。

第1章:科学と科学ではないもの(菊池誠)

第2章:科学の拡大と科学哲学の使い道(伊勢田哲治)

第3章:報道はどのように科学をゆがめるのか(松永和紀)

第4章:3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題-日本版「信頼の危機」とその応答(平川秀幸)

付録:放射性物質をめぐるあやしい情報と不安につけこむ人たち(片瀬久美子)

以下、それぞれの章の内容から気付いた点をまとめたいと思います。

第1章では、「ニセ科学が批判される理由は、単にそれが間違っているからではない。ニセ科学を選択すること自体が、さまざまな社会的損失を招くためだ」という荻上チキ氏のコメント[文献1p.16]につづいて、「科学らしさ」を装う「ニセ科学」の問題が取り上げられています。著者は科学と非科学の間にはグレーゾーンがあることを認めた上で、その区別について「はっきりとした線が引けないのだから、否定もできないはずだ」という「強い相対主義」には否定的です。以下、ニセ科学、科学的考え方についての、ケーススタディに基づいた著者の指摘、見解を示します(要約していますので正確な表現は原著をご参照ください)。

・科学的な間違いはニセ科学ではない。間違いを否定すると科学が進歩しない。

・メカニズムがわからなくとも再現性のある科学的事実はニセ科学とは呼ばない。

・とっくに否定された学説を科学的根拠として使うのは問題。

・ニセ科学は、否定的な証拠がどれほど出てきてもその説を撤回しない。

・希望をかなえてしまう説が科学的根拠と解釈されてしまい、科学の使い方を歪める場合がある。

・ニセ科学は単純明快で世界をわかりやすく説明することがある(ゼロリスク思考など)。

・個人的な体験は、その個人には「事実」なので否定できないが、他人と共有できるものが客観的事実であって、科学は客観的事実を扱うもの。

・科学的な説明では、他の知識との整合性が重要。

・「頭で理解する」と「気持ちで納得する」は異なる。「理屈と気持ちのあいだに折り合いがつけられればよい」のだが、それは難しいことで、「理屈がわかれば、不安は感じないはずだ」と考えるのは間違い。

・科学に対する興味を惹くことを狙って科学を魔法のように伝えることはニセ科学を科学に見せることに加担しているかもしれない。

第2章では、科学と科学ではないものの区別(境界設定問題)について述べられます。境界設定問題についてはポパーの反証可能性の議論が有名ですが、近年の科学の領域拡大を考えるとこの基準のみで考えることには無理があるようです。特に、ギボンズとザイマンによって提案された「モード1科学」「モード2科学」という領域の区分によれば、世界の解明を目的とする(従来型の)科学である「モード1」から、より超領域的であり、問題解決を主な目的とする「モード2」に領域が拡大することによって、従来のモード1科学における価値観が通用しなくなっているといいます。従来の価値観とは、CUDOSと呼ばれていて、共有主義(Communalism、発見を共有する)、普遍主義(Universalism、研究内容で判断し、えこひいきしない)、利害の超越(Disinterestedness、自らの利害関係を他人の研究の評価に持ちこまない)、組織的懐疑主義(Organized Skepticism、他人の結果には懐疑的な気持ちで吟味する)のことで、この価値観がモード2科学には通用しないということです。モード2科学とは、具体的には、工学や社会科学も含まれ、問題解決を目的とするということですから、まさに企業の研究が行なっていることとも重なり、それが従来の科学の価値観とは相容れない場合があることは我々も思い当たります。これに加えて、モード2科学では順応的管理(前もって計画を立てることができないので、実際にモニタリングしながら計画を変えていく)も重要になってくるためいよいよ従来の科学の価値観が用いにくくなるということです。そこで、著者の提案する科学の定義は次のようになります[文献1p.97]

所与の制約条件の下で、もっとも信頼できる手法を用いて情報を生産するような集団的知的営み

(a)その探求の目的に由来する制約

(b)その研究対象について現在利用可能な研究手法に由来する制約

ここで重要なのが「信頼性」であって、信頼性を確保するために有効な手段があるのにそうした手段を取り入れないのは疑似科学的と言える、というように「態度」に注目した点が特徴になっています。この定義はモード1にもモード2にも適用可能なものですが、科学に携わる者の中でもこの区別がはっきりとしていない場合があるように思いました。モード2科学というのは、ローカルな知と呼ばれる、実際の経験の中で見出されてきた知(必ずしも科学的な検証を経ていないもの)も含まれる場合があります。一般の人々が接する科学は多くの場合、様々な分野が複合したものであり、特定の問題解決のためのもの、つまりモード2科学であることを考えると、その内容だけでは疑似科学との区別がつきにくくなっていることは十分に考えられると思います。

第3章では、報道によってゆがめられる科学の姿が示されます。科学に関連したニュースがマスメディアで取り上げられる際の問題点として著者は以下の点を指摘しています。

・科学を伝えることの難しさ:報道には専門的知識が必要。さらに、科学の不確実性に対する根本的な無理解が社会にあるため、問題が起こると誰かの糾弾に走ったり、科学不信に陥る。これは高校までの教育によって、明確な答えがあるのが科学、というイメージが植え付けられていて、不確実性を持つ科学を学ぶ機会がないことも一因と考えられる。

・警鐘、極端には商品価値がある:多少証拠があやふやであっても、危険性のあるものについて警鐘を鳴らすことは市民が歓迎しているため、マスメディアはこうしたニュースを流す。さらに、警鐘を鳴らす行為は、記者やキャスターの正義感を満足させる。しかし、こうしたニュースのその後について、危険性がないと後で分かったような場合でもそのニュースは流されない。これはその後のニュースには商品価値がないためである。こうして最初の報道の誤った記憶が残ってしまう。

つまり、情報の取り上げ方に偏りがあるため、マスメディアの報道自体にバイアスがかかっていて信頼できない場合があり、その結果、科学自体、科学政策、企業への信頼が損なわれることがあるわけです。科学にダマされない、というよりも、科学報道にダマされないことが大切、ということでしょう。

第4章では、科学技術コミュニケーションの課題が述べられます。3.11震災を契機に、科学技術コミュニケーションの問題が指摘されているのは事実でしょう。特に、今までのような、一般市民の科学技術に対する理解を高めるようなコミュニケーションの方向ではいけないのではないか、という認識の変化は重要かもしれません。欠如モデルと呼ばれる「科学技術に対して不安や抵抗感を感じるのは、科学の正しい理解が欠けているから」という考え方は「政府や企業の言うこと、彼らと結びついた科学者の言うことは信用できない」という不信感の前では説得力がない、というのは真実だと思います。さらに、3.11以降は、「トランスサイエンス的問題」への対応も特徴とされています。これは、「科学で答えが出せない問題、あるいは出そうとしてはならない問題」のことです。このような信頼の危機を乗り越えるために、著者は次の提案をしています。

・トランスサイエンス・コミュニケーションの促進

・知識ソースの多元性の確保

・政治的意思決定との接続

・社会的対話の醸成

付録では、放射性物質をめぐるあやしい情報について、事例をもとに、「デマはどのようにして生まれるのか、デマのパターン」「不安に付け込む人たち(煽りジャーナリズム、あやしい商売)」が紹介されます。

企業の立場からニセ科学、疑似科学の問題を考えると、モード2科学で何らかの問題解決を行なっている場合にはニセ科学、疑似科学の影響が入り込んでくる可能性が確かにあると思います。積極的にニセ科学を乱用して消費者をダマすことは論外としても、問題解決を優先するモード2科学にはグレーゾーンの技術が侵入してくることはあるでしょうし、開発スピードを優先するあまり科学的検証が遅れる場合もあるでしょう。重要なことは、まず、科学でダマしたりダマされたりしないように、極力「科学的」な態度で対象を扱うことであり、少なくとも「科学にみせかける」ようなことは慎むべきでしょう。そうは言っても、マイナスイオンブームのようなことが起きた時にそれに逆らうことはかなり難しいかもしれませんが...

より本質的なのは科学や、科学の使い方に対する信用を企業としてどう確保するべきか、ということだと思います。企業として科学に関する情報をうまく社会に発信できているかについては十分に注意する必要があるでしょうし、その前提として、社内のサイエンスコミュニケーションの基盤を整備する必要がある場合もあるように思います。技術に基盤をおく会社であっても、社内のすべての人がバイアスのない科学的な思考をできるとは限りません。社内で科学的な態度が重視されていないとすれば、社内でもダマし、ダマされている場合もあるかもしれません。

社会全体における科学の信頼回復のためには、やはりサイエンスコミュニケーションは重要だと思います。本書第4章の提案をはじめ、様々な考え方があると思いますが、技術マネジメントの観点からは次のような指摘ができるように思われます。

・ゲートキーパーの役割:ゲートキーパーの役割の一つに、外部の情報をグループ内に伝えることがあります。具体的には、情報収集、グループ内部に理解されるような言語への翻訳、グループ内への情報伝達、という役割を担う必要があるとされています[文献2p.69]。社会におけるサイエンスコミュニケーションについても、科学者側と一般人側をつなぐようなゲートキーパーを置くことはできないでしょうか。マスメディアがその役割を担えるのであれば望ましいのではないかと思います。

・イノベーション普及においては、科学的情報のコミュニケーションを担う役割としてチェンジエージェントが重視されます。Rogersによれば、チェンジエージェントの成功は、1、チェンジエージェントのクライアントとの接触努力の度合い、2、チェンジエージェント主導よりはクライアント主導、3、クライアントのニーズと両立している度合い、4、クライアントへの感情移入、5、クライアントとの同類性、6、クライアントの目から見た信頼性、7、チェンジエージェントがオピニオンリーダーとともに活動する度合い、8、クライアントがイノベーションを評価する能力の増加、によってコミュニケーションの成功が高まるといいます[文献3p.382]。一般に、コミュニケーションにおいては、情報源の人物が能力信頼性(情報源の人物が知的で熟達していると知覚される度合い)と、無難信頼性(情報源の人物が信頼しうると知覚される度合い)の両方をバランスよく持つことが重要とされますが、チェンジエージェントのクライアントとの異類性ギャップを補うために、能力信頼性には劣るが無難信頼性に独自の優位性をもつ補助者を活用することも有効とされます。このようなイノベーション普及学におけるチェンジエージェントとクライアントの関係を、科学情報の発信者と受け手に読みかえると、そのままサイエンスコミュニケーションの活性化に関するヒントになるのではないでしょうか。現状では、国民に信頼されている人物を探すこと自体が困難なのかもしれませんが、流す情報を信頼してもらいたければ、まず信頼されている人物を通じてその情報を伝えてもらう、ということはごく自然なことのように思われます。これは双方向の議論の場合にも有効でしょう。

本書編者の飯田泰之氏によれば「人は”自分が信じたいと思うこと”を信じる」[文献1p.11]といいます。科学が信用を失った現在の状況は、科学的情報の遮断によって下手をするとダマされやすい人々をつくり出してしまうかもしれないと思います。多くの人々が、「自分が信じたいと思うこと」を自分で考えることができるような教育、情報の提供、コミュニケーションの努力が必要なのではないでしょうか。科学に携わるものとして決して上から目線ではなく、個人の考え方を大切にしながら科学的な事実を納得してもらう努力をしていかなければならないのだと思います。


文献1:菊池誠、松永和紀、伊勢田哲治、平川秀幸著、飯田泰之+SYNODOS編、「もうダマされないための『科学』講義」、光文社、2011.

文献2:三崎秀央、「研究開発従事者のマネジメント」、中央経済社、2004.

文献3Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.

参考リンク<2012.2.18追加>



 

「イノベーションの神話」(Scott Berkun著)のまとめと感想

イノベーションの神話」(Scott Berkun著、村上雅章訳)[文献1]の感想を書いておきたいと思います。この本ではイノベーションにまつわる10の神話が取り上げられ、その正体が暴かれ神秘性が取り除かれていきますが、その目的は「イノベーションがどのように生み出されるかを明確にすることで、あなたの住んでいる世界への理解を深め、あなた自身がイノベーションを起こそうとする際の過ちを避ける」[文献1p.xvi]ことであると著者は記しています。

 

その内容に加えて、私にとって興味深かったのは、この本に関するネット上での評判が大きく分かれている点でした。絶賛するものもあれば、当たり前のことしか書かれていないという評価もあり、今回はなぜこのような違いが現れるのかも含めて本書の内容について考えてみたいと思います。まずは、内容を簡単に(研究マネジメントに役立ちそうなところはやや詳しく)まとめます。本書では、多くの事例に基づいて説明がなされていますので、ご興味のある方はぜひ本書をご参照ください。

 

1章 ひらめきの神話The myth of epiphany

「素晴らしいアイデアというものは、真のイノベーションというプロセスのごく一部」「(ひらめきは)コントロールすることなどできない」「素晴らしいアイデアを見つけ出すには努力が必要ですが、そのアイデアをうまく利用して世の中を良くするためにはさらに大きな努力が必要」[文献115-17]としています。要するにひらめきやアイデアだけでイノベーションが実現できるわけではない、ということです。

 

2章 神話:私たちはイノベーションの歴史を理解しているWe understand the history of innovation

イノベーションが起きて技術や世の中が変化していくのは、そうなる必然があったと考えるのは誤りと言っています。「ドミナントデザイン(支配的なデザイン)というものは、必ずしもあらかじめ決定されていたから出現するというわけではなく、ある特定のタイミングにおける技術とマーケットとの間の相互作用の結果として出現する(アッターバック)」「私たちにとって最善の策だったということにもならない」「イノベーションを追求し、勝利を得たものは、その当時において最もポジティブな関心を引くことができたというだけのこと」[文献133-34]

 

3章 神話:イノベーションを生み出す方法が存在するThere is a method for innovation

イノベーションを生み出すシナリオのようなものが存在するわけではないことが述べられています。「新しいことを行なう際にリスクをゼロにする方法などない」ので、「投資が報われる保証はない」[文献1p.42]わけです。しかし、過去の多くの成功と失敗の経験を見れば以下のようないくつかのヒントは得られるとも述べています。

イノベーションの種になりうるもの1)特定の進路に向かって努力する、2)進路を変えながら努力する、3)好奇心、4)富と財産(金銭的欲求が原動力になる)、5)必要性、6)組み合わせ

イノベーションのためには次のような難関を克服する必要がある1)アイデアの発見、2)解決策の探究(アイデアの実現)、3)スポンサーと資金の調達、4)大量生産、5)潜在顧客へのアプローチ、6)競争相手の打倒、7)タイミング、8)足下を明るくしておくこと(成功までの資源を確保するということ)

イノベーション成功に至る道を見つけるためには1)自らを知る(私たちは、自分たちが思っているほど論理的ではない)、2)集中的に、しかし一歩下がって確認する(よりよい道を見つけられるように前提を見直す意志も持つ)、3)規模を大きくしていく(最初から大きすぎる目標を狙わない)、4)幸運と先駆者の功績を認める[文献1p.44-57]

 

4章 神話:人は新しいアイデアを好むPeople love new ideas

「たいていの場合、人々はあなたのアイデアに対して、あなたほどには興味を抱かない」「革新的なアイデアは、それがもたらすメリットのせいで却下されることなど滅多になく、人々がそれをどう感じるのかということによって却下される」[文献1p.66-70]。さらにイノベーションの採用に関して、ロジャーズによるイノベーション普及速度を決定する5因子について解説しています(これについてはノート13で詳しく述べましたのでそちらをご参照ください)。

 

5章 神話:たった一人の発案者The lone inventor

「偉大なるイノベーション、そしてビジネスは、複数のクリエイターが一つの目的に向かって力を合わせることによって生み出されている」[文献1p.88]。発案者を一人にしておいた方がわかりやすいため、このような誤解が生まれるとしています。

 

6章 神話:優れたアイデアは見つけづらいGood ideas are hard to find

多くの場合、アイデアが必要とされる時に時間をかけて探さない(つまり探し方が悪い)ことがアイデアが見つからない理由だとしています。「アイデアというものは育まれることで成長していくものであり、製造されるものではない」「口に出されたそばから否定されることがなければ、必ず見つけやすくなるはず」「優れたアイデアを得る最善の方法は、多くのアイデアを得ることだ(ライナス・ポーリング)」[文献1p.97-99]

 

7章 神話:上司はイノベーションについてあなたより詳しいYour boss knows more about innovation than you

「訓練や経験というものは、すでにあるものを守る上で有効となりますが、イノベーションに対する逆風になる」「(決定権を持つからといって)権威者が優れた決断を下せるだけの知識や経験を持ち合わせていることにはならない」[文献1p.110-111]

マネジャーが乗り越えるべき5つの難関1)アイデアの寿命(マネジャーは生まれたばかりのアイデアを育むために時間と予算を投資し、メンバーに精神的な余裕を与え、アイデアの展開や仕上げ、新たなアイデアへの再生をサポートする必要がある)、2)環境(才能ある人々が最高の仕事を行える場所を作り出す)、3)保護(援護射撃する、攻撃からイノベーションを守る盾になる、無理強いにならないように後押しする)、4)実行(アイデアを世の中にもたらすには多くの作業が必要でありその作業こそが難関、理想と現実のバランスをとる)、5)説得(成功と失敗を分けるものはほとんどの場合粘り強さである、関係者の説得はイノベーションのあらゆる局面を活性化する)[文献1p.115-123]

 

8章 神話:最も優れたアイデアが勝ち残るThe best ideas win

「イノベーションは、専門家の観点からみた優秀さと、さまざまな副次的なファクターが絡み合って生み出される採用の容易さというものの間にあるスイートスポットで生み出される」[文献1p.143]

副次的なファクター1)文化(既存の価値観との整合性)、2)ドミナントデザイン(ドミナントデザインが浸透すると他の方法へ移行するコストが上がる)、3)遺産と伝統(人はある信条に馴染んでしまうと、その信条が優れているかのように思いがち)、4)政治:誰が利益を得るのか?、5)経済(導入コストとメリットのバランス)、6)良いもの:この主観的な概念(イノベーターは大衆が必要としていないものを生み出してしまうこともある)、7)短期的思考と長期的思考(アイデアの良さはその影響が及ぶ期間をどのくらい先まで考慮するかで変わる)[文献1p.132-135]

 

9章 神話:解決策こそが重要であるProblems and solutions

「問題は解決することよりも発見することの方が重要」[文献1p.146]。解決すべき問題、解決可能な問題の適切な選択も重要。「セレンディピティーは花形であるものの、チャンスに遭遇した時に何を行うのかが重要なのであって、チャンスとの遭遇自体が重要なわけではない」[文献1p.156]

 

10章 神話:イノベーションは常に良いものをもたらすInnovation is always good

「イノベーションの意味と影響を見極めるということは、イノベーション自体を生み出すという作業よりもずっと複雑」「すべてのイノベーションには良い面と悪い面の双方が存在している」「最善のイノベーション哲学は、変化と伝統の双方を受け入れ、絶対的な判断が存在するという落とし穴に落ちないようにすること」[文献1p.161-171]

 

以上が否定されてしまった「神話」ということになります。はっきり言って、ある程度の経験を持つ研究者であれば、著者がこの10の神話を否定していることについて異論のある人はほとんどいないでしょう。従って、「当たり前のことしか書かれていない」という感想を持たれる方がいるのも非常によくわかります。しかし、言われてそうだと同意することと、これらのことを「重要なこと」として認識していることは異なりますし、個人によって重要だと思うポイントも違うでしょうから、このような形にまとめることやまとまったものを読むことの意義は大きいのではないでしょうか。また、上に挙げたような指摘は、イノベーションマネジメントを考える際の枠組みとしても利用可能でしょう。

 

しかし、この神話を真実だと思っている人がいるもの確かではないでしょうか。本書の中でも触れられていますが、こうした神話を肯定してしまえば物事がわかりやすくなる、という面もあるでしょうし、必ずしも厳密に書かれていない科学読み物や偉人伝ではこうした神話の普及を助長するような書き方をしているものもあると思います。そうした知識がベースになっている方(例えば、研究開発の実務経験の少ない若手の研究者や技術者、いわゆる事務系の仕事をされている方々も該当するかもしれません)にとっては本書の指摘は新鮮に感じられるだろうと思いますし、そうした人にとってこそ、神話の秘密を暴いてみせることは必要なのだと思います。

 

まさにこの点こそ、著者が本書を書こうとした理由ではないでしょうか。この本の評判がよいということはすなわち、この神話を信じている人が多いということの裏付けかもしれません。研究開発を行なう上ではいろいろな方との協働が必要になります。もし、研究開発やイノベーションについて、現実とは異なる考え方がはびこっているとしたら、それは意志疎通、相互理解の妨げになるでしょう。イノベーションをうまく進めるために協働している仲間のなかに、イノベーションの実態に対する誤解を持っている人がいるかもしれないこと、こんな風に誤解されている可能性があることは、研究者も十分に認識しておいて損にはならないと思います。

 

私の経験で恐縮ですが、人事部門の人と雑談していた時に、「『実験』という言葉は何か、遊んでいるような語感があるね」と言われて驚いたことがあります。研究者にとっては「本当の実験というものは、未知の変数が少なくとも一つあり、実験によってその変数がどう変動するのかということを観察するために行うもの」[文献1p.41]なわけで、しかも企業の研究者は必要があって実験をしているのが当然なのですが、そうは思われていない可能性もあるわけです。知らない人にとっては、実験というのは夏休みの自由研究の延長であったり、高校の化学の先生が教室で、あるいはでんじろう先生がテレビで見せてくれるようなスペクタクルであって、ことによると昭和のコメディーで白衣を着た科学者風の人が薬品を混ぜて爆発させて煤だらけの顔になる、といったようなイメージなのかもしれないと思いました。そんな細かなことまで考えると、イノベーションの実態とイメージ(神話)の乖離は本書の内容以上に大きいものなのかもしれません。本書の内容が研究者にとっては当たり前のようなことであっても、この神話を信じている方が多い限り、この本の存在意義は大きいということでもあるでしょう。研究開発の成功物語はもちろん重要ではありますが、イノベーションの本質と実態を明らかにし、誤解を解くことも、それを知っているものの努めかもしれません。

 

 

文献1Scott Berkun2007、村上雅章訳、「イノベーションの神話」、オライリー・ジャパン、2007.

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1-Scott-Berkun/dp/4873113458

 

(参考)

・この本の原著はScott Berkun、「The Myths of Innovation」、O’Reilly2007.です。なお、2010年にペーパーバック化された時に、以下の4章が追加されています(ネットで目次を見ただけなので内容まで確認できていなくて申し訳ないですが、適当に訳してみました)。

 11章 Epilogue: Beyond hype and history(エピローグ:でっちあげと歴史を超えて)

 12章 Creative thinking hacks(創造的思考のための小技)

 13章 How to pitch an idea(アイデアの伝え方)

 14章 How to stay motivated(モチベーションを維持する方法)

・著者は元Microsoftの技術者で、現在は執筆、講演などの活動をされている方だそうです。

著者webページはこちら↓。ブログやエッセイなど盛りだくさんです。

http://www.scottberkun.com/

 

参考リンク<2011.8.14追加>
著者ビデオ、講演メモなど。
 

 

 

ノート13:研究成果の活用

今回は、研究開発が一応の成果をあげた後、研究開発により得られた成果をどのように活用するか、商品であれば消費者の手に渡り売上となり、技術であればそれが実際に用いられ効果を挙げるようになるプロセスについて考えてみたいと思います。

 

研究開発成果の活用

ほとんどの研究成果の場合、その成果は開発者の手を離れ、別の実施者によって活用されて便益、利益を生むことになります。しかし、この過程は単純なものではなく、技術的に優れた製品が必ずしも売れるとは限らない、とか、すぐれた技術の適用がなかなか広がらない、ちょっと使われてもすぐに捨てられてしまうということがしばしば起こります。このような不幸な事態について、マーケティングの失敗として片付けてしまうこともできるとは思いますが、折角の開発成果ですから、できることならうまく売ってほしい、一旦適用された技術ならばなるべく長く有効に使ってほしいというのが技術者の本音でしょうし、売り方や適用のしかたにも技術者が関与する余地があるならば、そこまで考えた研究を行なうようにすることも可能なのではないかと思われます。

 

このような成果の適用の問題については、「イノベーション普及学」と呼ばれる分野で検討され、新しい技術がどのように利用者に受け入れられるかについて、技術者にとっても示唆に富む多くの成果が得られているようです。この分野の研究はRogersの著書[文献1]にまとめられているので、その中で特に重要と思われる点についてまとめてみたいと思います。

 

まず、研究開発に携わるものにとって、耳の痛い指摘から始めましょう。Rogersは「優れたイノベーションはそれ自身が売りものである。したがって、明らかに利便性の高い新しいアイデアは潜在的な採用者に広く認知されて、そのイノベーションは速やかに普及すると技術者の多くは信じている。しかし、このようなことはほとんどない。少なくとも、イノベーションを創造して、他の人に普及させようとする発明家や技術者の目からみると、多くのイノベーションの普及速度は失望するほど遅い」、「イノベーションによる便益が火をみるより明らかであったとしても、普及と採用にあたっては、イノベーションの相対的優位性以上のものが必要なのである。」[文献1p.10-11]と述べています。

 

では、普及と採用を促すためには、イノベーションにはどのような要素が必要なのでしょうか。Rogersは、「個人によって知覚されるイノベーション特性がその普及速度を左右する」[文献1p.49]と述べており、5つの特性を挙げています。すなわち、1、相対的優位性(そのイノベーションが既存のアイデアよりよいと知覚される度合い)、2、両立可能性(そのイノベーションが採用者の既存の価値観、過去の体験、必要性と相反しないと知覚される度合い)、3、複雑性(イノベーションを理解したり使用したりするのが困難であると知覚される度合い)、4、試行可能性(イノベーションを経験しうる度合い)、5、観察可能性(イノベーションの結果が採用者以外の人たちの目に触れる度合い)、です。これらのうち、複雑性は低い方が、その他の特性は高い方がイノベーションの採用速度が高くなるという調査結果があるようですが、そのこと自体は当然の結果のように思われます。しかし、えてして技術者は相対的優位性の向上にばかり着目しがちであることを考えると、それ以外の要因も考慮する必要があることには注意が必要でしょう。さらに、「再発明」すなわち、イノベーションの採用と使用に際して利用者による変更が行なわれることが起きやすいほどイノベーションの採用速度は高まり、持続可能性(継続的に使用される度合い)も高まること[文献1p.103,107]、また、予防的イノベーションすなわち将来の欲せざる出来事の発生確率を減じるためのイノベーションは、採用速度がそうでないイノベーションに比べて遅いことも指摘されており[文献1p.94]、以上のようなイノベーション自身がもつ特性を認識し、普及されやすいような形に仕上げることも必要なのかもしれません。

 

ユーザーがどのようにイノベーションを受け入れていくかのプロセスからも、イノベーションの採用、普及に関する重要な情報が得られます。Rogersは、「イノベーションに対する個人の意思決定は瞬時に生じる行為ではない」[文献1p.84]と述べ、その過程には次の5つの段階があるとしています。1、知識(イノベーションの存在を知り、機能を理解する)、2、説得(そのイノベーションに対する好意的ないし非好意的態度の形成)、3、決定(イノベーションを採用するか否かの選択)、4、導入(イノベーションの使用)、5、確認(すでに行なった決定の補強)、です。すなわち、このそれぞれの過程をスムーズに進めることができれば普及に役立つということになるのでしょう。知識段階には、個人の特性やコミュニケーション行動が影響を与えると言われていますが、特に注意すべきポイントとしては、「選択的エクスポージャー(人は関心事、ニーズ、それまでの態度に合致するアイデアに触れたがる傾向があり、自らの性向と相容れないメッセージを意識的ないし無意識的に回避する)」、「選択的知覚(人のそれまでの態度や信念などの観点からコミュニケーションメッセージを解釈する傾向)」という傾向で、その結果、「われわれはこれまで出会ったことのないアイデアに対して、それほど容易には好意的な考えをもつことができない」とされています[文献1p.87]。また、イノベーションに関する知識としては、ハウツー知識(イノベーションを活用するのに必要な知識)、原理的な知識(働きの根底にある原理的な知識)が重要であって、これらが不十分だと、採用拒否や中断、誤用が起こりやすいと言われています[文献1p.89-90]。説得段階については、上述のイノベーションの知覚特性が影響を与えますが、知識段階での精神的な活動は主として認知(知ること)に関わるものであるのに対して、説得段階での思考形式は感情(感じ)に関わるもの[文献1p.92]であって、人は新しいアイデアの機能に対して確信を持てないので、他の人を通してイノベーションに対する自身の態度を強化するため、自身の考えが同僚の見解から外れていないかどうかを知りたがったり、イノベーション評価情報(科学的な評価や、同僚の評価)を求めたりするといわれます。この説得段階とそれにつづく決定段階ではイノベーションの試行が行なわれることがあり、試行可能性とその効果は重要になるでしょう。導入、確認段階では、イノベーションの実行を通じてイノベーション採用を決定したことの強化が行なわれます。その結果が不十分であればそのイノベーションの継続的採用は難しくなりますので、もし、完成したイノベーションに期待外れの結果が出ているとすれば、それへの対応を取る必要があることになるでしょう。

 

このようなイノベーションに対する受け入れ方は個人によって異なることはよく知られています。Rogersは採用者カテゴリーという概念で個々人の革新性に基づいて社会システムの成員の区分を行なっています[文献1p.213-]。ここで、革新性とは、個人(や採用単位)が他の成員よりも相対的に早く新しいアイデアを採用する度合い、のことを指し、採用者カテゴリーは、あるアイデアの採用時期とその採用者数が正規分布することに基づいて、平均採用時期よりも2σ以上早期に採用したグループを「イノベータ」、1~2σ早期のグループを「初期採用者」、平均より早く1σまでのグループを「初期多数派」、平均より遅く1σまでのグループを「後期多数派」、平均より1σ以上遅いグループを「ラガード」と区分されています。イノベーションの採用時期に関してこのような分布があること自体は経験的にも理解しやすいですが、イノベーションが普及する上での役割については、若干注意が必要なようです。特に社会の大多数への普及を目指す場合、重要視すべきは「イノベータ」ではなく「初期採用者」と考えられると思われる点です。これは、新しいアイデアを積極的に受け入れる「イノベータ」は、その社会の中では異質な存在と受け取られることが多く、その他の多数派とは必ずしも十分なコミュニケーションがとれていなかったり、多数派の規範となるような人物ではなかったりする傾向があるからのようで、普及において重要なのは社会から尊敬され、役割モデルとなりうる「初期採用者」とのことです。このことは、イノベーションを適用するためにまず対象とする層を決める上で重要な知見と思われます。また、革新性と年齢の間には相関が認められない、という調査結果はイノベーションの普及のみならず個人の個性を理解する上でも重要な点であると考えられます。

 

以上の個人におけるイノベーションの普及に対し、組織への普及については若干別の視点が必要なようです。Rogersは「組織においては、何人もの人々がイノベーション決定過程に関与しており、導入者と意思決定者は異なることが多い。また、組織に安定と連続性をもたらしている組織構造が、イノベーションの導入を妨げることがある」と述べています[文献1p.102]。組織におけるイノベーション過程は、大きく2つの段階、すなわち開始段階(情報収集、概念形成から採用決定まで)と、導入段階(決定されたイノベーションが実用に供するのに関わるすべての活動)に分けられ、開始段階におけるニーズの認識と問題解決のためのイノベーションの選択については、個人におけるイノベーションの適用と類似していると考えられますが、導入決定以後の過程は若干異なり、組織におけるイノベーションでは、導入決定後、「再定義・再構築」すなわち、イノベーションの修正とイノベーションに順応するよう組織構造が変化し、「明確化」すなわち、イノベーションの意味が組織の成員にとって明らかになる段階を経て、「日常業務化」されていくとされます。日常業務化された後は、組織成員のイノベーション設計、議論、導入への参加の度合いが大きいほど、イノベーションの持続可能性は高まるといわれています。組織におけるイノベーションの採用決定段階において、組織成員の間に合意が形成される場合(集合的なイノベーション決定)と、採用の選択が強制力、地位、あるいは専門知識を有する少数の人によってなされる場合(権限に基づくイノベーション決定)では、成員の参加の度合いが異なり、集合的なイノベーション決定の方が持続可能性が高くなるといわれています。組織の特性によるこの過程の進み方の違いに関しては、複雑さ(組織成員の知識や専門能力の高さの度合い)が高いほど、情報収集、概念形成といった開始段階は早まるが、導入への合意形成が妨げられることがあり、集中化(権力や統制が比較的少数の個々人に集中している度合い)および公式化(規則や手続きに従うことを重要視する度合い)が高いほど、開始段階が遅くなるがひとたびイノベーションの採用が決定すると導入が促進される、という傾向を持つと言われています。[文献1p.385-425]

 

以上のようなイノベーションの普及は社内のどの部署が担当すべきなのでしょうか。実際のところ、そうした業務の分担が明確になっている場合は少ないように思いますが、研究者が関与できる余地は大きいのではないかと思われます。実際に普及の担当者ともなりうるでしょうし、普及しやすいように製品や技術の作り上げる、という過程を通じて関与することもあるでしょう。イノベーションの受け入れに伴って発生する不確実性を取り除き、イノベーション普及を図る役割を担う人は「チェンジ・エージェント」と呼ばれますが、開発を行なった研究者もそうした役割を担ったり、その補助を行なったりする必要があると思われます。しかし、研究者やチェンジ・エージェントは採用者にとっては外部の人間であるため、コミュニケーション上の問題が発生する可能性があることには注意が必要でしょう。一般には、コミュニケーションは同類性の高い人の間で効果的になる[文献1p.359]わけですが、新しい技術を持っているという点で、研究者や技術者は採用者とは異類的な側面を持つため、コミュニケーションがうまくいかない可能性があります。さらに、採用者からの信頼を得られるかどうかの問題もあります。情報の受け手にとって、情報源となる人物に対して持つ信頼には2種類、すなわち能力信頼性(情報源の人物が知的で熟達していると知覚される度合い)と無難信頼性(情報源が信頼しうると知覚される度合い)があるとされますので、技術的能力が高いことだけでは信頼を得ることができない可能性にも注意が必要でしょう。理想的なチェンジ・エージェントの場合、この2つの信頼性が均衡している[文献1p.363]とされますので、研究者が採用者にアプローチする場合にはこうした点を認識しておくことも必要でしょう。

 

以上のようなイノベーションの普及に関する多くの知見は、技術的な価値だけではその技術がすぐに用いられるようになるわけではないことを示唆しているようです。折角開発した技術ならば、なるべく速やかにその技術が使われるように願うのは技術者として普通の感情と思われますし、競争相手のいる開発を行なっている場合には、技術ではなく普及させ方の巧拙で勝敗が決まってしまう可能性があることを考えると、技術者としても普及プロセスまでを考慮し、できれば制御したような開発が求められているのではないかと思われます。

 

 

文献1Rogers, E.M., 2003、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.


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