研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

エスノグラフィー

「行動観察×ビッグデータ」(ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー2014年8月号特集)より

イノベーションを成功させるためには、人の行動や意思について深く知ることが役立つという認識は近年広まりつつあるといえるでしょう。行動観察やエスノグラフィー、ビッグデータの活用などの手法が提案され、さらには問題解決の手法としてのデザイン思考なども注目されています。ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー2014年8月号特集「行動観察×ビッグデータ」[文献1]には、こうした考え方に関する論文が掲載されていますので、今回はそのなかから重要と思われる点をまとめたいと思います。

「ビッグデータvs.行動観察データ:どちらが顧客インサイトを得られるのか 価値提供システムで考える6つの使い分け」、安宅和人、p.26
・ビッグデータの特徴(3V):量(volume)が膨大、多様性(variety)が高い、スピード(velocity)が速い。
・ビッグデータと行動観察の違い:行動観察では、サンプル数は限られていても、ユーザーのニーズにまつわる情報、利用文脈、ユーザーの意識、ユーザーの属性が入手できる。ビッグデータは全数を解析することで、頻度の少ないテール部分の情報も得られる。ビッグデータはリアルタイムの情報が得られる。このような違いがあるため、この2つの手法で得られるデータを同列で扱うこと、これらは代替可能な互換データであるとする議論には意味がない。
・ビッグデータと行動観察の使い分け:市場構造とニーズの見極めには行動観察がかなり優位。ポジショニングやサービス・スペックの設計には、行動観察(ユーザビリティ・テスト)で大筋の方向やオプションの広がりを固め、ビッグデータで微調整することを繰り返すのが王道。顧客ごとへのマーケティングにはビッグデータは不可欠(ただし顧客の属性推定が難しいことには注意が必要)。ニーズ発生場面での打ち手の提供は、ビッグデータでは容易だが行動観察では不可能。取り組みの効果検証の場合、意識の変容を知るには行動観察、利用行動の変容を知るにはビックデータが適している。長期的なトレンドの大局観を得るには行動観察、見えてきたパターンの延長による近未来予測はビッグデータが適している。
・注意点:「データ・ドリブンなアプローチは、ビッグデータであろうと行動観察であろうと、どちらも現実の後追いであり、突発的な変化、不連続な変化、見えていないパターンには対応できない」。「単なるデータの素朴な解析では、イノベーションの知恵、すなわちインサイトを得られることはほとんどない」。「元のデータが歪んでいては、意味合い以前に解析する価値がなくなってしまう。ビッグデータであろうと、行動観察データであろうと、サンプルの質はきわめて重要だ。」

「エスノグラフィーが顧客の真の姿を描き出す デジタル・データで説明できない顧客の行動原理」、クリスチャン・マズビャーグ、ミケル・B・ラスムッセン著、倉田幸信訳、p.40、(原題”An Anthropologist Walks into a Bar...”, Christian Madsbjerg, Mikkel B. Rasmussen, HBR March 2014
・「いまや、多くの企業がビッグデータとアナリティクスのおかげて強力になった顧客調査に頼るようになっている。たしかにこの手法を使えば、自社市場の一部の側面については驚くほど詳細に見えてくる。しかしその像は完璧にはほど遠く、誤解の元になることも多いのだ。・・・定量データをどれほど積み上げても、その顧客が『なぜ』クリックしたのか、『なぜ』購入したのかは明らかにできない。」、「大半のマーケターは、自分たちの組織文化と経営陣の偏見、そして(最近は特に)大量だが不完全なデータの洪水を基にした、顧客の行動に関する推論にしがみついている。」
・「顧客の行動とは、外からは見えないその人の精神世界と、その人を取り巻く社会・文化・物質世界との間に生まれる複雑な相互作用である。従来型のビジネス・ツールではとらえ切れなかったインサイトを求めて、そこを深堀りするのだ。我々が『センス・メイキング』(意味付け)と呼ぶ、この非線形プロセスによって、顧客の行動を解き明かす動機――それもとらえにくく、顧客本人さえ意識していないことの多い動機を明らかにできる。また、この非線形プロセスは、製品開発や組織文化、さらには企業戦略さえも変えてしまうようなインサイトをもたらす可能性を秘めている。・・・『センス・メイキング』や人文科学のツールがその実力を最大限に発揮して企業の役に立つのは、その企業がよく知らない社会や文化のなかで、前例のない問題、すなわち『大いなる未知』に取り組む場合である。」
・「センス・メイキング」の5段階のプロセス:
1)問題をとらえなおす:「問題を人の体験として見る」。「企業が自分たちの視点で自社の市場、製品、および顧客を見ることを止め、それらを顧客の視点から見ることが要求される。」
2)データを集める:「『センス・メイキング』のプロセスで実践するデータ収集は、それまでの前提に一石を投じるという明確な意図を持って行うため、従来の分析・調査手法とは根本的にやり方が異なる。仮説に基づく調査をしたり、大人数、もしくは周到にシナリオを練ったフォーカス・グループへの調査を行う代わりに、研究者は調査対象の日々の暮らしに参加するのである。この調査は仮説を持たずに行うことが決定的に重要だ。大量の情報を集め、情報の種類や量には制限を設けない。そして、何を見つけることになるのか、いっさいの予断を持たずに行う。このように先入観を持たないデータ収集方法によってのみ、顧客の本当の体験を察知することができるのである。」
3)パターンを探す:「分析がなければデータの集合体は何も語らない、ただの記録にすぎない。」「ただ見るだけでは、内部の層に埋もれている真相を見抜くことはできない。観察によってパターンが浮かびあがることで、その真相が見えてくるのである。」
4)カギとなるインサイトを生み出す:例えば今までの信念を疑うなどによりインサイトを生み出す。
5)事業にインパクトをもたらす:「最終ステップで必要となるのは企業幹部にとってお馴染みのこと、すなわちイノベーション戦略の構築である。」
・「『センス・メイキング』は、従来のツールでは得られない答えを明らかにし、企業幹部が自社ビジネスの本当の姿を創造的に考えることを可能にする」

「行動観察をイノベーションへつなげる5つのステップ 常識を乗り越え、みずから変化を生み出す法」、松波晴人、p.56
・「変化の激しいビジネス環境において、これまでと同じ枠組みのなかでの最適化はすでになされてきており、・・・そのようななか必要とされているのが、従来のフレーム(枠組み)を再定義し、ビジネスのゲームを変えるイノベーションである。・・・これまでの物事のとらえ方を変えて、・・・新たな仮説を生むことを、リフレームと呼ぶ。行動観察では、まず“場”に足を運び、“場”において起こっている事実をていねいに集める。・・・リフレームは、これらの“場”にある事実の背景にある『なぜ』を理解できた時に生まれる。行動観察は、新たな仮説を見出すことで、変化に適応するとともに、みずから変化を生み出す方法論でもある。では新しい仮説とは何か。それは、『お客様が気づいておらず』『自社もまた気づいていない』インサイト(洞察)やソリューションのことである。」
・行動観察の5つのステップ:
ステップ0:一般人。「『日常生活における一般的な行動観察』と『スペシャリストによる行動観察』とでは、多くの違いがある。」「この時に用いられるのは、『みずからの勘と経験による思考』で・・・妥当性が保証されない。」このような「しろうと理論は整合性が低いが、その理論を考えた本人はその理論に合致する証拠だけを集めるので、いったん形成されるとなかなか放棄されない」(ファーンハムによる)。
ステップ1:気づき。「まず重要なのは、観察者がみずから“場”に足を運ぶこと」。「自分のしろうと理論をいったん横に置いて観察することが重要」。このステップでは、「深いインサイトを踏まえているわけではないので、得られるソリューションは『ジャスト・アイデア』のレベルに留まることが多い。」
ステップ2:知見に基づく解釈。「アカデミックな知見に基づいて解釈を試みる。」「知見に基づいていればソリューションの妥当性は向上する。」この段階では「ソリューションは従来の価値のフレームのなかでカイゼンを行う、という範囲に留まる。」

ステップ3:リフレームされたインサイト。「得られたさまざまな事実を総合的に解釈することで、これまでと異なるリフレームされたインサイトを得ようとする。リフレームとは『それまで常識とされてきた枠組みを、新しい視点・発想で前向きにつくり直す』という意味」。「イノベーションを起こすためには、リフレームされたインサイトか、リフレームされたソリューション、もしくはその両方が必要である。」「インサイトもソリューションも妥当性が高くなければ実際には機能せず、価値を生むことができない。」「インサイトが事実やアカデミックな知見に照らし合わせて、『あの事実も、この事実も説明できる』となった場合、妥当性が得られたと考えることができる。」
ステップ4:ソリューション提案。「リフレームされたインサイトに基づいてソリューションを考える。」「このプロセスにおいて、再びリフレームが起こる場合がある。」
ステップ5:ソリューション実現。ソリューションの受け手にとっては、「目の前に提示されたものが『イノベーション』なのか『役に立たない奇妙なアイデア』なのか判断ができない」、「どれだけ意外な結果を提示しても、『それは前から分かっていることだろう』という反応がおこるという課題もある。「その分野で長い経験を持つ人々は、新しい価値を理解することが困難であるとともに、それまでの自分の考え方のフレームをひっくり返されることを好まないから」。
・「行動観察から得られた答えは妥当性の高い推論であり、100%の正解は存在しない・・・。つまり『本当に大丈夫かどうか』は、やり方次第で変わってくるし、アクションを取らないとわからない」。
・「行動観察をビジネスに応用するために、今後は、『行動観察を実施する人材の育成方法の確立』が必要になってくる。行動観察を通じて新たな価値を生み出せる人材になるためには、『正解のないところに答えを創っていく』ことができなければならない。」

「IDEO、スタンフォード大学d-schoolでにわかに注目される デザイン思考でマーケティングは変わるか 」、宮澤正憲、p.72
・「デザイン思考という概念は、現状では明らかな誤認も含め多様に解釈されており、まだ統一した理解になっていないことがうかがえる。」
・「ゼロベースでモノを考え、枠を超えて新たな概念を提示するのは、通常の枠内思考に慣れた人だと、そこからすぐに抜け出すことは容易ではない。そこで注目されたのが、ゼロから新しいことを生み出すことを得意とするデザイナーの思考だ。」「このデザイナーの基本的な思考プロセスをある程度形式知化して、非デザイナーも扱えるようにしたものが、デザイン思考なのである。」「しかし、デザイン思考の成り立ちには、本来的には形式知化にふさわしくない概念を、理解促進のために形式知化したという根本的な矛盾を内包している。」
・デザイン思考の一般的なプロセス:スタンフォード大学d.schoolIDEO、イリノイ工科大学、慶応大SDMなどがデザイン思考のプロセスを提示しているが、オブザベーション(観察)、シンセシス(統合)、プロトタイピング(試作)という流れは概ね共通。

1)インプット(オブザベーション):「人間をつぶさに観察し、対象に入り込み、新たな発見を得たり、言語化できない無意識をあぶり出したりすることを目的とする。代表的な手法は行動観察、特にエスノグラフィーが主流となっている。」
2)コンセプト(シンセシス):1)で出てきたさまざまな分析やインサイトをつなぎ合わせ、新たな概念やストーリーを再構成する」。「複数の多様な視点を大切にするため、一人での作業というよりは、チームによる共創型ワークショップ形式で行われるのが一般的」。
3)アウトプット(プロトタイピング):「頭だけで考えずたえず手を動かし、視覚化し、形にしてみることが大切」。「試行錯誤を繰り返しつつ、うまくいかなければコンセプト・アイデアに戻り修正をしていく。プロトタイピングの目的は・・・アイデアを磨き、新しいアイデアを生み出すことにある」。
・重要なポイント:人間中心思考(単なる顧客視点ではない)、チームによる共創(多様性が新たな発見やアイデアを生むという考え方)、非線形プロセス(すべてのプロセスは、行ったり来たりできる柔軟性を持つことが求められる、予定調和でなく想定外の反復プロセスを踏むことが重要)、思考の振れ幅(収束と発散、分析と統合、左脳と右脳、抽象と具象、言語と非言語など、思考を自由に振らせながらクリエイティブな発想を高めていく)。
・「詳細なプロセスはあるべき論を追究しすぎると、本来デザイン思考が抜け出そうとしていた、元の固定化した概念に戻ってしまう懸念がある。・・・多くの人が、順序立てたステップを踏みすぎることの危険性をたびたび指摘している。」

「マーケターはオンライン・レビューを武器にせよ 消費者を動かす3つの要素」、イタマール・シモンソン、エマニュエル・ローゼン著、編集部訳、p.86、(原題”What Marketers Misunderstand About Online Reviews”, Itamar Simonson, Emanuel Rosen, HBR January-February 2014
・顧客の購買決定に影響する3つの要素:
過去の思考、信条、経験(Prior preferences, beliefs, and experiences:P)
マーケターからの情報(Information from marketers:M)
他の人々や情報サービスからのインプット(Input from other people and from information services:O)
・近年、オンラインレビューなどのOの重要性が増している。「企業としては、消費者が製品購入について意思決定する際、どの程度Oに依存しているかを問わなければならない。」
感想:上記の3つの要素が購買決定にどのように影響するかのモデルは様々に考えられると思いますが、どの要素が顧客の購買意思決定に影響を考えるかのヒントとして使いやすい考え方だと思われます。
―――

行動観察やエスノグラフィーの可能性については、以前にもとりあげましたが、要は、一つの手法としてその手法が有効に使える分野に活用していくべきものと思われます。ビッグデータやデザイン思考も含めて、こうした手法がどういう場合に有効で、その活用にあたってはどのようなことに注意すべきか、という点がかなり明らかになってきたようで、実務家にも使いやすくなってきているのではないかと思います。

本特集では、行動観察とビッグデータの比較がひとつのポイントですが、大雑把には、ビッグデータはある程度限られた項目について多くのサンプルからの情報が得られるのに対し、行動観察では少数のサンプルについて深いデータが得られることが特徴なのではないかと思います。その意味では、どちらも「多量の」データである、とも言えるわけで、こうした多量のデータからインサイトをどのように得るかが、解析者の腕の見せ所になるのでしょう。本特集では行動観察の具体的な進め方が解説されていますが、私見を追加させていただくなら、観察者が観察対象と同じ時に同じ場所にいる、ということも重要なことなのではないかと思います。観察者は対象を観察しながら、多少なりともインサイトに思いを巡らす、そういう時間が確保されていることも行動観察からよいインサイトが得られる一つの要素なのではないか、という気がしました。

考えてみれば、日ごろの研究開発でも、現場における観察は重要です。もちろん、通常の技術者はモノを対象としてその挙動を観察していますが、そこからどんなインサイト(技術的な本質)を得るかは、その技術者の能力に依存します。ある人は、小さな気づきから大きなセレンディピティに至りますが、同じチャンスに遭遇しながら、気づきが得られなかったり、インサイトの構築に至らなかったりして、セレンディピティに手が届かない場合もあります。よりよいインサイトを得るためには、先入観にこだわらずにデータを見て発想を広げる思考と、単なる思い付きでないインサイトに至れるだけの専門性が求められるのではないでしょうか。モノを扱う場合にも、本特集に述べられたよいインサイトを得るための方法は役に立つように思われます。データを取る、扱う専門家と、科学や人間の心理や行動に関する専門家の両方の要素が必要なのだとすれば、イノベーションに関わる多くの人がそうしたデータとインサイトの重要性を認識するとともに、必要に応じて様々な分野の専門家が協力することも考えてもよいのではないか、と思いました。


文献1:「行動観察×ビッグデータ」(各論文の表題、著者は上記記事をご参照ください)、Diamond Harvard Business Review, August 2014, p.24-92.

参考リンク<2015.2.8追加>




ノート改訂版・補遺:これだけは知っておきたい研究マネジメント知識

2013年3月に始めた「ノート:研究マネジャー基礎知識」の改訂も、全14回分の改訂を終えました。「ノート」の記事は、研究マネジメントに関する基本的な知識をまとめたいという意図で書いてきましたが、実践の際に常に意識すべき内容としては全14回の内容では多すぎるのではないか、とも感じます。そこで、今回は、研究マネジメントの実践において特に重要だと思うこと、知っておいて折に触れてチェックすべきこと、知らないと大きな判断ミスを冒す可能性があると思われることを選んでまとめることにしました。もちろん、選んだ内容には個人的な見解が入っていますので、ひとつの意見として見ていただければ幸いです。ご参考までに関連する本ブログの記事へのリンクを入れていますので、詳しい内容はリンク先をご参照願います。

研究は不確実なもの
結果が予測できれば研究は不要です。つまり研究しなければならないのは結果がわからないからであって、わからないことに挑んでいるわけですから成功するかどうかは不確実です。思ったとおりに、あるいは計画のとおりに研究が進むとは限りません。予想外の障害が現れた時には、想定したシナリオにこだわって単に努力を積み重ねるのではなく、異なる発想が必要になるかもしれないことも考えてみる価値があるでしょう。一方、思っていた以上にうまくいくことや、当初の狙いとは違っていても面白い結果に行きあたるかもしれません(セレンディピティ)。そうしたチャンスも見逃さないようにしたいものです。

人間の思考・予測には限界がある
物事の原因や未来に起こるだろうことについてよく考えることは重要です。しかし、よく考えたからといって真実がわかる、あるいは未来予測ができるとは限りません。人間の無意識の思考特性によって判断を誤ることもありますし、知識や認識の不足に気づかないこともあります。また、原理的に予測ができない対象もあり得ます(例えば複雑系の現象にはそういう例があることが知られています)。不確実性とともに思考の限界も認識しておく必要があるでしょう。

競争相手の存在
よいアイデアを思いつくと、それは自分たちしか知らないことだと思ってしまうことがあります。しかし、たいていの場合、どこかで誰かが似たようなことを考えているものです。少なくともそういう競争相手がいる可能性があることは忘れてはいけないと思います。研究を進めるにあたっても、自分たちの望むシナリオだけでなく、競争相手がどう考え、どう動くかも考慮すべきでしょう。

しかし、成功しやすいイノベーションはあるらしい
研究やイノベーションは不確実であるとはいっても、成功しやすいイノベーションのパターンはあるようです。なかでも大きな成功をもたらしやすいという意味で重要なのはChristensenの「破壊的イノベーション」の考え方ではないかと思われます。(もちろん、破壊的イノベーションだけが成功するということではありません)

アイデアや技術だけでは不十分
優れたアイデア(研究テーマ、課題)や、優れた技術だけではイノベーションの成功は保証されないのが普通です。どう実行するか、どう収益をあげるしくみ(ビジネスモデル)を構築するか、どう関係者を取り込み、社内外の協力関係(エコシステム)を構築するか、どうやって顧客に受け入れてもらうのか(普及)なども成功のための重要な要因になります。

ニーズは簡単にはわからない
研究テーマを考える際や、アイデアの源として、どんなニーズがあるかを知ることは重要です。しかし、真のニーズを知ることはそれほど容易ではありません。顧客(消費者)の要求と真のニーズは必ずしも一致しないことは認識しておくべきでしょう。真のニーズを知るためには、行動観察(エスノグラフィー)や、Christensenによる「片づけるべき用事」の考え方は重要と思われます。

形式知と暗黙知
は違う
知識には、形式知(形式的・論理的言語によって伝達できる知識)と暗黙知(特定状況における個人的な知識で、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい知識)があると言われています。新たな知識は、異なる知識の出会いから生まれることが多いとされていますが、形式知だけでなく暗黙知の重要性も忘れてはならないと思います。

研究者(イノベーションを推進する人)のやる気を引き出すには
人(特に研究者)はお金や地位だけでは動かない(場合が多い)と言われます。Herzbergは高次な欲求を刺激するものを動機付け要因(motivators)、低次な欲求を刺激するものを衛生要因(hygienic factors)とし、衛生要因を改善しても不満がなくなるだけで動機付けることはできないとしています(お金は衛生要因)。Maslowの欲求階層理論では、人間の欲求は低次なものから、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現欲求の5段階の階層をなし、人間は低次欲求がある程度満たされると、より高次の欲求によって動機付けられるようになり、その際、低次の欲求は人を動機付ける欲求としては機能しない、とされます。また、Deciは、給与や人間関係など人を動機付ける要因が個人の外部にある場合の「外発的動機づけ」よりも、自らの有能さの確認や自己決定などに関わる「内発的動機づけ」が重要と述べています。

研究組織の望ましい特性
研究組織の望ましい特性としては、自律性、目的・感情・価値観の共有、多様性、閉鎖的になりすぎずメンバーが目標達成に積極的に関わること、他の組織との協働、があげられることが多いようです。どんな研究組織の構造であっても、こうした特性を持つように運営することが必要でしょう。

研究リーダーの役割
研究リーダーには、多様性の確保、コミュニケーションの活性化、組織外部との連携調整、部下の育成指導、ロールモデルという役割が求められるようです。働きがいのある会社ランキング常連のSASCEOJim Goodnightによれば「マネジャーは社員の『部下』となり、それぞれが高いモチベーションで働き、能力を発揮するよう努める」ことが望ましいとされているようですが、それもひとつの考え方かもしれません。

研究の進め方はそれぞれ
一口に研究、イノベーションとはいっても、内容は様々です。技術分野も違えば、企業におけるイノベーションの意味も、顧客にとっての意味も様々ですし、イノベーションの段階(例えば、技術的検討段階、製品化段階、市場投入、改善など)も様々でしょう。当然その進め方も異なるはずで、結局、どんな場合にも適用可能な成功の処方箋のようなハウツーは存在しないのではないか、と思われます。従って、本稿に述べたような注意点を常に考慮しつつ、状況に応じたマネジメントを工夫していくことがマネジャーには求められているのでしょう。ただ、最も重要なマネジメント上のポイントは何か、と問われたら、私は、イノベーションに携わる人の「意欲の管理」だと答えたいと思っています。

以上が、現在私が考えている「これだけは知っておきたい研究マネジメント知識」です。何らかのヒントになれば幸いです。


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ノート6改訂版:研究部門が実施したいと考えるテーマ

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点
1.1
研究活動における基本的な注意点
→ノート1~3
1.2
、研究テーマの設定
①企業収益に結び付くテーマ(事業的に成功が期待されるテーマ)→ノート4
②研究部門に求められるテーマ(企業が研究部門に求める活動と、それに付随する研究テーマ)→ノート5

③研究部門が実施したいと考えるテーマ(研究部門が主体的に提案するテーマ)
研究部門が行なう業務や研究テーマには、研究部門が主体的に考え、実行するものもあります。これは実質的には、企業組織において研究を担当する部門が、与えられた業務分担の範囲で、ある程度自主的に実施すべき内容を考え、実行するテーマということになります。②で説明した「研究部門に求められるテーマ」では、他部署の要求に応えることである程度研究の意義が認められやすいわけですが、「研究部門が実施したいと考えるテーマ」では、研究の内容やその意義自体も自らが判断しなければならない点が大きな違いです。何をアイデアの源として、どう研究テーマの形にしていくかを考えることから始めなければならないわけで、ここでは研究部隊で行なうテーマの発案を中心に、その時にどういう点に注意すべきかを考えたいと思います。

研究部門が発案するテーマは、一般に「ボトムアップ」のテーマと呼ばれることが多いと思います。これに対し、②で説明したテーマや課題は「トップダウン」、ということになります。トップダウン、ボトムアップのどちらが望ましいかという議論に関しては、不確定要素や不確実性の存在のため研究開発の計画は完全にトップダウンだけでは決められないことに特別の注意が必要[文献1、p.177]との指摘があります。また、形式知(形式的・論理的言語によって伝達できる知識)と暗黙知[文献5](特定状況における個人的な知識で、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい知識)[文献6、p.88]の相互作用が組織的知識創造にとっと重要であるとの立場から、トップダウンモデルは形式知を扱うのに向いているが組織の第一線での暗黙知の成長を無視しており、ボトムアップモデルは暗黙知の処理が得意であるが暗黙知を組織全体に広めて共有することを難しくしており[文献6、p.187]、組織的知識創造のための最良の環境として「ミドル・アップダウン・マネジメント」が提案されています[文献6、p.238]。いずれにせよ、「ボトムアップ」テーマの重要性は広く認識されているものの、研究部門が持つ知的資源や能力をうまく活かすことが課題、ということになるようです。

研究テーマのアイデアの源に関しては、
「サイエンス・プッシュ」「テクノロジー・プッシュ」vs.「マーケット・プル」「デマンド・プル」
「シーズ志向」vs「ニーズ志向」
という区分がなされることがあります。

イノベーションがどのような過程で発生するかについて、過去(1950年代)においては、基礎的研究がイノベーションを生むという「サイエンス・プッシュ」の考え方が重要視されていたようです。これに対し、近年では科学技術と市場の間の双方向コミュニケーションの重要性が認識されて、上記のような「サイエンス・プッシュ」と「マーケット・プル」の2つの逆向きの流れを組み合わせる「カップリングモデル」を考慮すべきだと言われています[文献1p.119-121]。さらに、Tiddらは、テクノロジー・プッシュ型か、さもなくばニーズ・プル(必要は発明の母)型かのどちらかといったアプローチの限界は明らかであり、現実には、イノベーションとは何かと何かを結びつけ調和させていくプロセスであって、相互作用こそが最も重要な要素である[文献2p.54]と指摘しています。また、Rogersは「知覚されたニーズがイノベーション過程を始動させたり、イノベーションの知識がそれに対するニーズを創出したりする」[文献3p.410]と述べており、同様の見解は他にもみられます[文献4p.149]

このように、イノベーションにとってはいわゆるシーズとニーズの双方が必要ということは広く認識されていることのようですが、にもかかわらずシーズ志向の研究というものは企業内では評判が悪いように思われます。この原因としては、シーズ志向の研究は、古典的な企業経営の手法すなわち、企業内外の環境分析に基づいて戦略的に目標を設定し、それを効率的に実行するという考え方になじみにくいことがまずあげられるでしょう。それに加え、開発(あるいは導入)された技術と、製品や実機に使えるような技術との間のギャップ(レディネス・ギャップ)を誰がどのように埋めるかがはっきりしないために「研究所で生み出された技術は、市場よりもサイエンスに近いものとして評判が悪い」[文献7p.232]と判断されてしまうこともあると思われます。

これに対し、ニーズ志向の考え方は、その研究がうまくいけば収益が上がるはずだ、という期待から、テーマ設定において重視される場合があります。しかし、真のニーズを理解することはそう容易ではない、として、ニーズ志向の考え方に否定的な見解を持つ人もいるようです。例えば、顧客にヒヤリングして得たニーズは、実現できた方がよいという程度の顧客の希望であることも多く、また、何らかのイノベーションが実現した後になって初めて、顧客がそうしたニーズがあったことに気づく場合もあると言われます。破壊的イノベーションの理論では、真のニーズとは、「片づけるべき用事」[例えば文献4、p.119]に基づくものとされ、その真のニーズを見出す方法として行動観察などのエスノグラフィー的な手法が着目されています。ニーズというと、顧客や、顧客と接する他部署から与えられるものと考えがちですが、好ましくは、研究部隊がニーズの把握段階から関与すべきものなのかもしれません。結局のところ、ニーズ志向、シーズ志向という考え方については、二者択一ではなく、両者を重視したテーマ設定が求められるようになってきているということのようです。

ただ、シーズを創造し、磨くことは多くの場合研究部門に求められる、研究部門ならではの業務です。特に技術的シーズに関しては、専門的な知識や訓練が必要とされることが多いため、研究部門以外の部署では取り扱いが困難な場合もあるでしょう。従って、シーズに基づく研究テーマが求められる場合には、研究部門がその検討を行なうことが最も合理的ということになります。研究部門にとっても、技術シーズは身近に存在するため、シーズを発展させるプロセスに技術者が関与する余地が大きく、成果も得やすいというメリットもあって、取り組みやすいものです。さらに、シーズ技術がそれ自身で(ニーズがなくても)成長し、さらに新たなシーズを生み出す可能性がある点も重要でしょう。

シーズ技術のもつこのような特性は、セレンディピティーにも繋がるものと考えられます。セレンディピティーとは、偶然に幸運な予想外の発見をする能力を指し、Robertsは、以下の2種類に分類しています。[文献1、p.198] [文献8、p.ix]
・擬セレンディピティー(pseudoserendipity):追い求めていたことを、偶然に発見できること
・真のセレンディピティー(true serendipity):思ってもみなかったことを、偶然に発見できること
このうち、真のセレンディピティーは「予想外」の結果に基づくものであるため、オリジナルなものとなることが多く、差異化のためには特に重要と考えられます(擬セレンディピティーであっても発見に偶然を必要とするものは同様です)。セレンディピティーに恵まれれば、それは競合他社が容易に達成できる成果ではなく、技術的に優位に立つための重要な足がかりになるはずです。ただ、真のセレンディピティーは、目的志向を強く意識した研究においては目的外の結果や単なる異常値として見逃されてしまうこともありうるので、注意が必要です。

このように、いわゆるシーズ志向のテーマは、ニーズとの組み合わせでイノベーションを達成するための重要な要素となると考えられますが、シーズとしては、現有の技術を単に深めるだけではなく、外部の技術、埋もれた技術、失敗の結果に終わった技術なども加える必要があるでしょう。そして、真のニーズを理解した上で、シーズとニーズをうまく組み合わせて、より可能性の高い研究テーマを、研究部門が実施したいと考えるテーマとして実施していく努力をすべきなのだと考えます。

考察:実践的な研究テーマの分類について
このノートでは、基礎研究、応用研究といった研究の分類についての議論は行なっていません(「」参照)。それは、こうした研究の分類は実践的にあまり役に立たないように思われるためですが、ノート4~6において、3つの側面から研究テーマの性格の違いについて議論しました。研究というものは、その内容や位置づけなどが異なっていれば、その効果的な進め方や注意点は当然違って然るべきと考えられますが、もし、テーマをうまく分類することによって、そうした好ましい進め方に関する理解が深まるならば、そうした分類には意味があるのではないかと考えています。

ノート4~6で試みた3つの視点によるテーマの分類は、それぞれが排他的なものではなく、同時に2種類の特徴を持つテーマや時間の経過とともにその分類が変わっていくテーマも想定しているものです。ただ、この分類は、誰がその研究テーマを主体的に判断するかが異なっていること、それによって、研究部門の役割と注意点が変わってくることが、特徴としてあげられると思います。具体的には以下に示すとおりです。
①企業収益に結び付くテーマ(事業的に成功が期待されるテーマ):判断主体は経営層。最終的に経営に寄与することを目指すため、全社的なテーマとなる可能性があり、研究部門の役割は、全社的なテーマ推進の中で分担する役割をこなすことになる。経営層への専門的助言も役割のひとつ。
②研究部門に求められるテーマ(企業が研究部門に求める活動と、それに付随する研究テーマ):判断主体は研究部門以外の部署。研究部門の役割は、まず外部からの期待に応えること。その上で、よりよいものを生み出せれば望ましい。
③研究部門が実施したいと考えるテーマ(研究部門が主体的に提案するテーマ):判断主体は研究部門。研究部門の役割は、イノベーションの種を生み、育てること。シーズであろうとニーズであろうと、あらゆる情報を集めて組み合わせて種を生む研究部門の能力が問われる。

もちろん、こうした視点は、現状では私のアイデアにすぎませんが、企業における研究部門の役割を考えると、このように分類することは、それぞれのテーマの効果的な遂行方法を考える手がかりになるのではないかと思っています。


文献1:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.
文献2:Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.
文献3:Rogers, E.M., 2003、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献4:Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.
文献5:Polanyi, M., 1966、高橋勇夫訳「暗黙知の次元」、筑摩書房、2003.
文献6:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献7:Leonard-Barton, D., 1995、阿部孝太郎、田畑暁生訳、「知識の源泉」、ダイヤモンド社、2001.
文献8:Roberts R.M., 1989、安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.

参考リンク

ノート目次へのリンク


P&Gのすごさ-ニュー・グロース・ファクトリー

ブラウン、アンソニーによる論文「P&Gニュー・グロース・ファクトリー イノベーションの成功率を高めるシステム」[文献1]について考えてみたいと思います。この論文の原題は「How P&G Tripled Its Innovation Success Rate(いかにしてPGはイノベーション成功率を3倍にしたか)」で、著者のブラウン氏はP&GCTO、アンソニー氏はイノサイト社(破壊的イノベーションの考え方を提唱したクリステンセン氏が設立したコンサルティング会社)のマネージングディレクターです。

表題のニュー・グロース・ファクトリーとは、P&Gが採用している、体系的にイノベーションに取り組む枠組みのことで、そこでは様々なサポート体制により、創造性とスピード、信頼性を兼ね備えた「工場」のようにイノベーションが次々と生み出されるといいます。P&Gというと、オープン・イノベーションを活用したコネクト・アンド・デベロップ戦略が有名ですが[文献2]2004年から検討が始められたニュー・グロース・ファクトリーには破壊的イノベーション理論が取り入れられて成果をあげ、P&Gのイノベーション活動のうち、売上げと利益目標を満たしている割合が2000年の15%から、現在は50%まで高まったといいます。(破壊的イノベーションについては、拙稿ノート4ノート9をご参照ください。)

以下、ニュー・グロース・ファクトリーとはどのようなものか、どのように形作られていったのかを具体的に見ていきましょう。2004-2005年の段階では、次のような活動が始められました。

・破壊的成長を促すマインドセットと行動を教育

・破壊的プロジェクトに取り組むチームを支援するために、新成長事業の指南役グループの結成(指南役には失敗した経験の持ち主が選ばれた)

・新しい成長を促す組織構造を開発(成長に特化した小規模のグループを組織)

・プロセス・マニュアル作成

・デモンストレーションプロジェクトの実施

この時点では、破壊的イノベーションの基本的な考え方に沿った活動が開始されたと言っていいでしょう。

そして、2008年ごろには、ニュー・グロース・ファクトリーに次のような改善が行なわれます。

・転換的持続的(transformational-sustaining)イノベーションの推進:既存ラインの強化を目的としたイノベーションと、新製品やビジネスモデル開発を切り離すのではなく、その中間のカテゴリーとして既存の製品カテゴリーに新しい重要な便益をもたらす転換的持続的イノベーションをいっそう重視するようにした。この種のイノベーションは不確実性が高いが、ニュー・グロース・ファクトリーは不確実性を管理することを特に意図して設計されている。

・組織的サポートの強化:コア事業から切り離された新事業創出グループを立ち上げ、複数事業にまたがるアイデアを開発するとともに、新しい事業機会も追求。また、「ラーニング・ワークス」と呼ばれる消費者調査を行なう専門チームを設立した。

・戦略立案とレビュー体制の刷新:全社戦略、事業戦略、イノベーション戦略をはっきりと関連づけ。

著者は、これらの経験から、以下の6つの教訓が得られるとしています。

1、ニュー・グロース・ファクトリーをコア事業と緊密に連携させる:新しい成長を促す取り組みは、健全なコア事業の存在があって成り立つ。コア事業はケイパビリティの宝庫。コア事業でのプロジェクト進捗をフォローするような管理ツールは新しい成長への取り組みを管理するうえでも役立つ。ニュー・グロース・ファクトリーにおける迅速な学習のアプローチは、既存の製品ラインを強化する知見をもたらすことが多い。(破壊的イノベーションの理論でもコア事業の重要性は強調されていますが、コア事業の枠組みの中では新規事業は育ちにくいため、コア事業の能力を引き出しつつ、コア事業に邪魔されない適度な距離感が求められていると考えられます。)

2、意志決定にポートフォリオ思考を使う:P&Gのイノベーションポートフォリオは次の4種類。1)持続的イノベーション、2)コマーシャル・イノベーション(創造的なマーケティング、パッケージ、プロモーションによって既存の製品やサービスを成長させる)、3)転換的持続的イノベーション、4)破壊的イノベーション。

3、小さく始めて慎重に大きくする:(これも破壊的イノベーションの理論で強調されている考え方です。)

4、新規事業を評価するための新しいツールをつくる:例えば、「取り扱い学習実験(TLE: transaction learning experiments)」という仕組みがあり、少量生産と少量販売により商品の可能性を調査することが行なわれている。

5、適材適所で人材を確保する:破壊的イノベーションと転換的持続的イノベーションへの取り組みは片手間にできるものではないため、担当者は新規事業に専任するようにした。また、チームは経験豊富なメンバーを含む少人数で編成。さらに2007年には「ディスラプティブ・イノベーション・カレッジ」を開設、イノベーションの基本用語から実践方法に至るまでの講座を用意し、トレーニングを行なっている。

6、積極的に社内外との交流を促す:非競合会社との人材共有(グーグルとの交流)、外部のイノベーターの関与をいっそう高める(コネクト・アンド・デベロップの拡大-その貢献度を3倍にすることが2010年の目標)、外部からの有能な人材の迎え入れといった交流の強化が取られている。

以上が、ニュー・グロース・ファクトリーについての概要です。現在も形をかえつつ発展的に運用されているようですので、確立されたノウハウとはいえないと思いますが、そのように柔軟な進め方がとられていること自体が、不確実性の高い新規分野に対応するために必要なことなのではないでしょうか。P&Gといえば、コネクト・アンド・デベロップ戦略が有名で、成果も喧伝されていますが、これらの経緯をみると、コネクト・アンド・デベロップ戦略に安住するわけではなく、破壊的イノベーションの考え方を取り入れ、改良を加えて転換的持続的イノベーションという考え方を生み出し、さらにエスノグラフィーの考え方も取り入れ(前出の「ラーニング・ワークス」が担当しているのではないかと思われます)、これらを統合して管理可能なシステムをつくりあげようとしているようです。かといって、コネクト・アンド・デベロップ戦略は捨てられてしまったわけではなく、さらなる発展も考えられているようで、様々な考え方を生かしていることがうかがえます。コネクト・アンド・デベロップ戦略の基本となるオープン・イノベーションの考え方については、それをどううまく進めるかが課題と思われる、と以前に述べましたが、まさに、P&Gでは、オープン・イノベーションをニュー・グロース・ファクトリーに組み込むことでその潜在力を効果的にひきだすことに成功していると言えるのかもしれません。本論文の著者のひとり、Anthonyは、破壊的イノベーションを基盤とするコンサルティング会社の人ですので、本論文は破壊的イノベーションの記載が多くなっているとは思いますが、要するに、P&Gは、ある理論や思想にとらわれることなく、役に立ちそうなことはなんでも取り入れて、それらの考え方を統合改良して効果的な方法を創造しているといえるのではないでしょうか。本稿に述べられた個々の戦略がすばらしいというよりも、このようなP&Gの考え方が「すごい」と感じます。

著者は論文の最後に、「我々の経験上、個人の創造性は予測もコントロールも不可能だが、集団の創造性は管理可能である。」「ニュー・グロース・ファクトリーのプロセスには、持続可能な売上成長源を生み出す可能性がある。」と述べています。現在までのところ成果は順調のようですが、これが継続できるとしたら、理想的なイノベーションの進め方についてひとつの大きな示唆が得られるように思います。今後どう発展するのか、何か課題にぶつかることがあるのか、それをどのように克服していくのか、など、P&Gのイノベーションの動向には注目していく必要がありそうです。



文献1:ブルース・ブラウン、スコット・D・アンソニー、(Brown, B., Anthony, S.D.)、佐藤咲子訳、「P&Gニュー・グロース・ファクトリー イノベーションの成功率を高めるシステム」、Diamond Harvard Business ReviewOct 2011, p.10.

文献2P&G webページより、「コネクト+デベロップ」

https://www.pgconnectdevelop.jp/<2013.7.21現在つながりません>

参考リンク


 

エスノグラフィーとイノベーション

i.schoolについて取り上げた時に、「エスノグラフィー」という言葉が登場しました。最近の「日経ビジネス」誌2010.12.6号にエスノグラフィーの記事がありましたので、エスノグラフィーについてまとめてみたいと思います。

 

日経ビジネス誌記事[文献1]の簡単な紹介

エスノグラフィーとは、文化人類学や社会学の調査手法で、集団の内部に入り込み長期間の観察やインタビューを行なうことで、豊富な定性情報を取得するフィールドワーク手法、ということですが、この手法を企業におけるマーケティングや既存業務の見直しに活用する事例が増えるにつれ、注目が高まっているようです。この手法が得意とするところは、消費者や働く人が自分自身でも気付いていないような潜在的な意識や思考の理由などを探しだす点ですが、時間とコストがかかることが欠点と言われていました。しかし、近年ITを活用した調査ツールの発達により、エスノグラフィー調査が容易になってきたことから、活用を図る企業が増えているようです。記事では活用の事例として、大阪ガス(行動観察研究所)、富士通(フィールド・イノベーション)の事例が詳しく述べられていますが、その他にも、国内ではがんこフードサービス、北海道日本ハムファイターズ、花王、博報堂、アキレス、富士ゼロックス、海外ではインテル、ノキア、サムスンなどで活用が進められているそうです。大阪ガスや富士通では社内の調査にとどまらず、ホテルや病院などからの依頼も受けており、今後応用範囲が広がると期待されている、とのことです。

 

エスノグラフィーと市場調査、マーケットリサーチ

エスノグラフィーのビジネスへの活用は市場調査に関連した分野から始まったようです。特に従来の市場調査、マーケティングに関する以下のような問題点に対する反省が出発点とされています[文献2、文献3]

【従来の市場調査やマーケティング活動についての6つの誤り】(ジェラルド・ザルトマン著『心脳マーケティング』(2005)からの抜粋[文献2、文献3から引用しました]

1. 生活者の思考プロセスは筋の通った合理的なものである

2. 生活者は自らの思考プロセスと行動を容易に説明することができる

3. 生活者の心・脳・体、そしてそれを取り巻く文化や社会は、個々に独立した事象として調査することが可能である

4. 生活者の記憶には彼らの経験が正確に表れる

5. 生活者は言葉で考える

6. 企業から生活者にメッセージを送りさえすれば、マーケターの思うままに、これらのメッセージを解釈してくれる

 

こうした背景から、市場調査の世界ではすでにエスノグラフィーは重要な手法であると認識されているようで[文献4]、その特徴は、「あえて事前に仮説を立てずに、定性調査を重ねて豊富な情報から仮説を見つけ出すのが特徴。従来型の消費者調査が仮説検証型とすれば、エスノグラフィは仮説発見型といえる。データベースやアンケート、グループインタビューなどに比べて、より深く消費者の本音やこだわりに迫ることができるという」[文献5]ということです。そして、そこから「インサイト」すなわち、1)データでは見えてこない真実、2)心の奥深くに存在する自覚のない感情やニーズ、3)ビジネスを成長させる可能性を秘めるもの(P&G Japan桐山社長による定義)[文献6]が得られるとしています。これに対し、従来の調査に比べ調査手法に問題があり定量性に欠けると批判されることもあるようで[文献6]、さらに、「行動観察の結果から『大きな発見』があることはマレと考えた方がよい。」[文献7]という意見もあるようです。結局のところ、エスノグラフィーから得られた結果をどのように利用するかに応じて考えるべきなのでしょう。

 

エスノグラフィーの発展とイノベーションへの適用

こうしたエスノグラフィー手法を市場調査以外の分野にも展開させようというのが最近の傾向のようで、エスノグラフィー活用の国際会議も開催されています[文献8]。おそらくその背景には、人間の行動についての洞察が新たな恩恵をもたらすのではないかという期待があるのでしょう。顧客調査以外の分野では、業務における行動を観察して改善しようとする方向が着目されているようです。こうした分野では従来IEIndustrial Engineering)手法により、作業時間を計測したり、物の配置や人の動線に注目した分析が行なわれたりしていましたが、エスノグラフィーは、人の意識やモチベーションを分析するという新たな視点を追加することになります[文献9,10]。この分野でも市場調査同様、従来手法の行き詰まり、批判があったのかもしれません。

 

こうした流れに従えば、エスノグラフィーがイノベーションやビジネス全般に取り入れられること(「ビジネス・エスノグラフィー」とも呼ばれるようです)は自然の成り行きと言えるでしょう[文献11、文献12]i.schoolでも取り上げられているのが「人間中心のイノベーション」という考え方ですが、単に顧客の声を聞く、あるいは市場調査で売れるものを探る、といった視点だけでなく、潜在的な真のニーズを探りそれを出発点にイノベーションを行なおうとするアプローチと考えられます。すでにIDEOKellyはイノベーションにおける「人類学者」の重要性を指摘していますし[文献13]、潜在的な真のニーズを把握することの重要性は、Christensenも「片づけるべき用事」という概念で提示しています。Christensenらによれば、「顧客の思考プロセスには、まず何かを片づけなくてはという認識が生じ、次に彼らはその用事をできるだけ効果的に、手軽に、そして安くこなせる物または人を雇おうとする。」[文献14p.92]「顧客は製品を『買う』のではなく、自分の『用事』を片づけるために、その製品を『雇う』ということだ。ゆえに、新たな成長の機会を探すためには、まず、現時点で利用可能なソリューションではうまく片づけられない『用事』を探すことが必要になる」[文献15p.120]とし、従来の市場調査のあり方に疑問を呈し、どんな用事を片づけようとして製品を雇うかについて観察やインタビューから明らかにすることが有効であった事例を挙げています。エスノグラフィーの手法が顧客ニーズに基づくイノベーションの出発点を設定する上で有効に機能しうる、というのは間違いのないところではないでしょうか。

 

ただ、有効だろうとは言っても、イノベーション実現のためには課題もあると思います。第一には、エスノグラフィーが最も効果的だと考えられるのが、人間の関与が重要な役割を持つ種類のイノベーションであって、かつ真実のニーズ、真実の問題点が明確になっていない場合であろう、という点です。もちろん、人間の行動に着目しようとする視点は今までとは異なるもので、大きな可能性があるとは思いますが、プロセスや物の扱いが主要な役割を持つイノベーションには適用が難しいと思われますので、エスノグラフィー適用の範囲がどの程度広がりうるのかは未知数と考えられます。また、課題の第二としては、新たなニーズや問題点が明らかになったとして、そのニーズを満たし、問題点を解決する方法については別に考えておかないといけない点が挙げられると思います。問題点の解決に専門的な技術を必要とする場合、そうした技術を保有する人との連携が必要になるでしょう。これは、いわゆる「ニーズとシーズのマッチング」の問題と考えられるとも思いますが、そうした方策を用意する必要があるということです。また、単に真実を明らかにするためではなく、問題解決を前提とした調査を行なおうとする場合には、どうしても手持ちのシーズに調査結果が影響されるのではないか、すなわち、手持ちのシーズ技術によって解決できるような問題点に目が向いてしまいがちなのではないか、という点も懸念されます。第三は、イノベーションによる競争優位の獲得という観点からの課題です。エスノグラフィーを導入することによって導入しないケースに比べた競争優位を獲得できるとしても、エスノグラフィーが標準的な手法になった場合には、それだけで競争優位は獲得できず、ニーズや問題点の把握の巧拙、あるいは解決手段の独自性などが必要になるだろう、という問題点です。そして、最後の点として、調査によって抽出されたニーズや課題をイノベーションの材料とし、それをいろいろな部署との協働で形にしていく段階で、協働のためのモチベーションをつくりあげられるか、という点です。一般に研究者は、できることしかやろうとしない、と言われます(ノート7でまとめたモチベーション理論から言えば、努力が成果に結び付く期待が小さければモチベーションがあがらないとされますので当然の行動だと考えられますが)。上述のニーズとシーズのマッチングとも関連しますが、調査と解決を分担しようとするような場合、調査担当者から解決すべき課題を投げかけられただけでは、解決を任された人々は積極的に課題に取り組めるだろうか、という問題があると思います。おそらく、調査担当者が解決のプロセスにも深くかかわっていく必要があるのではないでしょうか。ただ、エスノグラフィーの場合、調査対象に深く入り込むことが必要とされるため、調査対象が問題解決にあたるような状況の場合には、ありきたりのアンケート調査などよりは成果にむすびつきやすいのではないかとも思われます。

 

上記のような問題点が感じられるものの、イノベーションの入り口に近い段階における解決すべき課題の設定においてはエスノグラフィーは効果的な手法となりうるのではないか、と思われます。上記の問題点に注意をすれば、入口段階がネックになっているイノベーションの成功の確率を高めることのできる手法として期待してよいのではないでしょうか。コストや時間がかかる欠点があると言われていますので、そうした点に耐えることのできる企業でなければその恩恵に浴することはできないかもしれませんが、どのような成功事例を生むことができるのか、注目していく価値は大きいと思います。

 

 

文献1:上木貴博、「エスノグラフィー 人類学に学ぶ現場主義」、日経ビジネス、2010.12.6号、p.78.

文献2:橋本紀子、「『エスノグラフィ』という手法」、RANDOM誌、vol.53p.1(2007).<2013.1.12現在リンク切れ>

http://www.rad.co.jp/random/53/11_ethno.html

文献3TWAKさんのブログ記事、「かんかく雑記:エスノグラフィー&行動観察調査 現状まとめ」<2013.1.12現在リンク切れ>

http://tanoshiikankaku.com/Entry/29/

文献4Shigeru Kishikawaさんのブログ記事、「オンライン・エスノグラフィ調査」

http://www.minnanomr.com/2010/02/blog-post_15.html

文献5:上木貴博、「花王 消費者調査にエスノグラフィー手法を導入」、ITpro

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/JIREI/20090209/324475/

文献6Shigeru Kishikawaさんのブログ記事、「こんな「調査部」ならいらない?」

http://www.minnanomr.com/2010/12/blog-post.html

文献7:石井栄造さんのブログ記事、「今、脚光を浴びる行動観察」

http://auraebisu.blog53.fc2.com/blog-entry-180.html

文献8http://www.epiconference.com/epic2010/about

文献9:石垣一司、指田直樹、矢島彩子、「業務把握インタビュー手法」、FUJITSU誌、vol.58No.3p.188、(2007.

http://img.jp.fujitsu.com/downloads/jp/jmag/vol58-3/paper04.pdf

文献10:岸本孝治、寺沢真紀、平田貞代、「ビジネス・エスノグラフィと組織モニターによるワークスタイル変革」、FUJITSU誌、vol.60No.6p.591、(2009.

http://img.jp.fujitsu.com/downloads/jp/jmag/vol60-6/paper09.pdf

文献11:読売ADリポート「オッホ」20101011月号 特集・イノベーションのためのエスノグラフィー

http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/20101005/201010toku1.html

文献12:田村大、「人間中心イノベーションとは~ビジネス・エスノグラフィが探求すること~」、慶應MCC通信【てらこや】、Vol.94 [2010/12/14]

http://www.keiomcc.net/terakoya/2010/12/report94.html

文献13Tom Kelly, Jonathan Littman2005、トム・ケリー、ジョナサン・リットマン著、鈴木主税訳、「イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材」、早川書房、2006.

文献14Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー著、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.

文献15Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.


参考リンク<2011.8.14追加>
 

 

 

 

 

 

「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」

イノベーティブな人材を育てる場として設立された「東大i.school」で、どんな活動が行なわれているかが書かれた本「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」[文献1]について考えてみたいと思います。先日の記事(イノベーションに必要な人材)で紹介したIDEOが指導している、ということで興味を持ちました。

 

まず、簡単に背景をご紹介します。東大i.schoolとは、東大の全学組織である「知の構造化センター」が実施する教育プログラムで[文献1p.143]、校舎があるわけでも学部や大学院があるわけでもなく、年に数回開かれる、数十時間の「ワークショップ」と「シンポジウム」だけがすべて[文献1、p.8]とのことです。この本では、その初年度(2009年度)に行なわれたワークショップの内容が紹介されています。

 

i.schoolのエグゼクティブ・ディレクターである堀井秀之教授によれば、知の構造化センターは、膨大な知識に対して知の構造化技術(情報や知識の間の関係性を抽出し、可視化する技術)を適用することにより、知的発見やイノベーション、問題解決、意思決定、人材育成に役立てるための方法論を構築することを目的として2007年から活動を行なっているそうです。i.schoolでは、そこで開発されたツールをワークショップで利用することにより、イノベーションを生み出す力をより強力なものにすることを目指し、将来的には、i.schoolの活動自体を研究対象として、認知科学、知能工学、脳科学、組織学習論など、様々な視点からの研究材料を提供し、イノベーション・サイエンスと呼べるような研究領域を生み出すことも期待する、とされています[文献1p.142-146]ので、単なる教育目的だけのためのプログラムではない、ということになります。

 

i.schoolの具体的な目標は、「言われてみて初めて『確かにそれこそ解決するべき課題だ』と気付くような『目的』と、『こんな上手い方法があったのか』と人々をうならせるような『手段』を見つけ出す力を養うこと」[文献1p.132]、とのことです。つまり、i.schoolでは、新しいイノベーションの「目的」と、その目的を達成するための新しい「手段」を見つけるためにはどうしたらよいか、という方法の試行を行ないつつ、学生には新しいアイデアを生む達成感と成功体験を提供して、社会に出てからイノベーティブな成果を上げてほしい、ということ目指していることになるのでしょう。ただし、ここで目指しているものは「人間中心のイノベーション」が前提とのことですので、イノベーションのうち、「物」をどう扱うかや、自然科学における「発見」を目指すようなことは直接の検討対象とはしていないようです。つまり、「シーズ志向」よりは「ニーズ志向」の立場にたったアプローチが追究される場だと理解できます。

 

以上の立場に立って行なわれる「ワークショップ」では、イノベーションをつくるために具体的にどのようなことが取り上げられるのでしょうか。i.schoolのコアにある「イノベーションを導く道筋」は「あつめる」「ひきだす」「つくってみる」とされていますので、それぞれの段階でどのような手法が用いられているかを見ることにしたいと思います。

 

あつめる[文献1p.19-63]

イノベーションの最初のステップを「あつめる」という言葉でまとめています。次の6つの方法が提示されていますが、「ふつうでない情報を得るために、ふつうではない収集の仕方をしよう」というのが共通のスタンスとされています。

・観察する:IDEOの考え方では「人類学者」の仕事に相当します。なるべく極端な対象を選び、解釈は入れないようにすべき、とのことです。

・インタビューする:簡単な質問から始めて掘り下げていく、やってみせて、描いてみせてもらう、「もし~なら」という仮定の質問に答えてもらう、などがコツ。

・ケーススタディのための資料あつめ:書籍や雑誌、ウェブサイトなどからの情報を集める。できるだけ一次情報にあたり、出典を記録すべき。

・未来を洞察する材料を準備する:現在の情報から演繹的に未来像を描く(「未来イシュー」と呼ぶ)。

・未来の「兆し」をあつめる:みんなが納得できるような未来予測ではなく、未来に影響を与えそうな小さな事件や出来事を集める。これを「スキャニング・マテリアル」と呼ぶ。そしてその兆しを分類して帰納的に「社会変化仮説」をつくる。

・思いつくものを持ち寄る:「観察する」代わりに、各人の「視点」「印象」「イメージ」を持ち寄る。それを上位概念化して評価軸をつくる。

 

ひきだす[文献1p.64-98]

このステップでは、得られた情報を吟味し、思考を深め、アイデアを「つくってみる」ステップに引き渡すことを行ないます。「インテグレーティブ・シンキング」と呼ばれる考え方すなわち、(1)要素を抽出する、(2)要素どうしの関係性を分析する、(3)検討する、(4)決定する、の4ステップからなる考え方が基本です。具体的な方法としては以下の6点が述べられています。

・ダウンロード(経験共有)する:情報をチーム内で共有する。情報、経験を共有し、関連するものをまとめて上位概念化する。

・コレスポンデンス分析:統計学(多変量解析)の技法を用いて、ある現象なり概念なりを評価点に基づき2次元に整理し、グルーピングする。

・ブレインストーミング:ダウンロードにつづくプロセス。IDEOはダウンロードとブレインストーミングをつなぐプロセスとしてHMWHow Might We?-「どうすれば私たちは…することができるだろうか」)を重視している。チーム内で共有された情報、特に上位概念に対して、別の場面への適用を想定した疑問文をつくり、それに答えていくことで新たなアイデアを着想する。

・シンセシス(統合):ダウンロードによる問題群とブレインストーミングによるアイデア群を結びつけイノベーション創造の機会を可視化する。

・インパクト・ダイナミクス(強制発想):「あつめる」段階で得られた「未来イシュー」と「社会変化仮説」を強制的に組み合わせ、どのような事態が起こるかを想像する。

・ケーススタディ(事例研究):事例を分析して、類似した要素をまとめることにより、世の中にどういう手段が存在しているかを頭の中に入れ、目的に対してどのような手段が有効なのか予測する素地をつくる。

 

つくってみる[文献1p.99-114]

IDEOの考え方では、つくってみることによってアイデアのどこがまずいのか、どこがうまくいかないのかを早期に看破することができるといいます。つくったものにより、概念の共有がしやすくなることに加えて、「考えてはつくり、つくっては考える」というサイクルがもたらす効果も重要と考えられます。具体的につくってみるものは次のようなものです。

・絵にする:アイデアを図式化するためではなく、アイデアを「表現」するために絵にする。

・身近な材料でつくる:模型をつくる。

・ステークホルダーの関係性を図示する:デザインするものがサービスの場合に重要。

・シナリオをつくる:明確なユーザー像を設定し、自分たちのプロダクトやサービスがどのように利用されるかを検証する。

・寸劇(スキット)を演じる:実際にどう使われるか試してみる。

・事業計画書を書く:技術的実現性、経済的実現性を検討する。

 

そしてこのような活動を行なうにあたり、i.schoolでは作業に適した物理的空間の確保、アイスブレイク、多様なチームメンバーが重要とされ、環境づくりにも配慮がなされます[文献1p.115-129]

 

以上、本書の内容になるべく沿って、私なりに理解したポイントをまとめてみました。なお、手法の詳細については本書ではさらに詳しく説明されています(本書に関するブログ記事[文献2,3]も参考になると思います)。イノベーションを生み出すための方法として興味深いものもあれば、効果が疑問に思われるものもあるように思いますが、全体の方向性としては間違っていないのではないでしょうか。本書では新しいアイデアを生み出す思考法としてアブダクション(結果から原因を推定する、データから法則や理論を導くような推論)が重要視されていますが、本書で紹介された手法はいずれもアブダクションにある程度は有効な方法と言えるように思います。ただし、i.schoolはこうしたツールの有効性を判断し、改善していくことも目的のひとつとしていますので、細かな手法の評価は現段階ではあまり意味のあることではないでしょう。実際、2010年度のワークショップでは、ややアプローチが変わっているようで[文献4]、3つのステップが<Understanding><Creating><Realizing>と表現され、<Understanding>では、エスノグラフィー、フォーサイト、<Creating>ではシナリオ・ライティング、プロトタイピング、チーム・ビルディング、<Realizing>ではストラテジック・プランニング、エグゼキューション(製造・事業運営)、コミュニケーションという手法(活動)が使われる(実施される)ようです。

 

以上の状況を考えると、この本をイノベーションのハウツー本として読むことは適当でないのだろうと思います(もちろん、ハウツーとして役立つ点もありますので、有効だと思えれば使ってみればよいのですが)。ただ、手法の細かい評価はさておくとしても物足りない点もありました。特に、この本で述べられた手法は、何を開発しようとするのか、世の中のどんな問題点を革新しようとするのかを見つけ出す方法としてはあまり有効なアプローチでよいとは思えません(ある「目的」を達成するための「手段」についてのアイデアを得るためには有効な方法が多く示されていると思うのですが)。未来予測の手法に基づいて、これからの時代に必要となるイノベーションを考えよう、というこの本の意気込みは買いますし、それでうまくいく場合もあるかもしれませんが、イノベーションにはこの本でとりあげた以外のアプローチ、例えばシーズ志向、予測不可能な新市場創造型の破壊的イノベーション(ノート4)、真のセレンディピティー(ノート6)に基づくイノベーション、人間中心でないイノベーションなどもあるはずです。もちろん、ある種類のイノベーションにだけでも適用できる手法があれば有益には違いありませんが、未来予測までを狙うのは現実的でないように思われますので、今後の発展を待ちたいと思います。

 

i.school全体の活動について最も画期的だと思われる点は、このような教育プログラムを実施していることではないでしょうか。特に企業の立場から見ると、学生にこのような体験をさせることは非常に有意義だと思います。この本で述べられた手法はイノベーションのアイデア段階に着目していると考えられますが、アイデア段階の検討というのは、イノベーション実現のプロセスのなかでは「最も面白い」部分ということができると思います。これに対して、イノベーションを現実に適用するためには、泥臭い地道な仕事もこなす必要があります(というより、泥臭い仕事の方が分量は多いでしょう)。おそらく、学生さんが就職して組織の一員としてイノベーションに関わる際には泥臭い仕事を担当させられる可能性が高いでしょう。そうすると、そういう仕事をやっている間はなかなかイノベーションの面白さに触れる機会は少ないと思います。その結果、自らの創造的な能力を認識しないまま日々の仕事に流されてしまうこともあるように思います。ですから、アイデアを出して追求することの楽しさ、そういうことができる自分やチームの能力を認識する機会を就職する前に持つことは重要だと思うのです。「できる」ことがわかっており、「やり方」も知っていれば「やってみよう」という気にもなるのではないでしょうか。そういう機会を提供しているi.schoolのコンセプトは非常に得難いもので、そういう経験を持っていれば泥臭い仕事に対しても自由な発想でアイデアを出していくことが可能になるように思われます。また、大学に入るまでは「習う」ことが主体だった学問や技術との関わり方を、「創造する」という方向に転換するきっかけにもなるのではないかと思います。

 

もう一点興味深いのが、この試みが経営学やMOTの立場から行なわれているのではない点です。イノベーションに役立つ人材を育てるMOT教育という観点からみると、i.schoolのプログラムは欠陥だらけ、ということになるかもしれませんが、個別の専門を持った人材にMOTの考え方に触れる機会を提供する、という意味での意義は大きいと思います。イノベーションに役立つ人材とはどのような経験をし教育を受けた人材なのか、社会はどのような人材を求めているのか、という点についての検討も含め、「知の構造化」だけにとらわれないi.schoolの今後の発展を期待したいと思います。以上、私にとってこの本は個別の手法の解説よりも、イノベーション科学や新たな人材育成の可能性が感じられた点が印象的でした。

 

 

文献1:東京大学i.school編、「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」、早川書房、2010.

東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた
文献2:舘野泰一さんのブログ記事、「[書評]イノベーションの技法がちりばめられた教育プログラム!-東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」

http://www.tate-lab.net/mt/2010/06/todai-shiki.html

文献3:竹内慎也さんのブログ記事、「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」

http://ameblo.jp/1-class/entry-10552862934.html

文献4:東大i.schoolウェブサイトより「i.school3つのステップ」

http://ischool.t.u-tokyo.ac.jp/programs/outline

 

(参考)

・東京大学知の構造化センター

http://www.cks.u-tokyo.ac.jp/index.html

 
参考リンク<2011.8.14追加>

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