研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

バイアス

「0ベース思考」(レヴィット、ダブナー著)より

これからの時代、従来の考え方にとらわれない新しい発想が重要だ、という意見はよく耳にします。特に研究開発こそそれが必要と言われることが多いのですが、実は研究者には新しい発想が求められる一方、ある分野の専門家として従来の知識や理論を蓄積、体系化して、その成果を問題解決に使う(つまり、従来の考え方に従って考える)ことも求められます。そんなこともあって、従来の考え方にとらわれないで考えるということはそれほど容易なことではありません。

しかし、いくら難しくても、従来の考え方では解決できない問題に対しては、従来とは異なる何かが必要なことは間違いないでしょう。そうであれば、どうしたらそういう新しい考え方ができるかを知っておくことは非常に重要なことなのではないでしょうか。スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー著「0ベース思考」[文献1]では、そうした従来とは異なる考え方を可能にするためのヒントが書かれていますので、今回はその内容をまとめてみたいと思います。なお、著書の原題は「Think Like a Freak」となっています。本書の訳者あとがきによれば、「『フリーク』とは世間の習慣や常識にとらわれない人を指す言葉[p.274]」とのことで、「0ベース思考」という邦題は、「先入観にとらわれず、問題の原点に立ち戻り、核心を鋭くとらえる、つまりゼロベースで考えることで解決できる問題はたくさんある[p.275]」という訳者による本書のまとめに基づいたものだと思います。

第1章、何でもゼロベースで考えるWhat Does It Mean o Think Like a Freak?
・「最近の風潮として、問題を解決する方法には『正しい』方法と『まちがった』方法があるという思い込みをもつ人が増えている。こういう考え方でいると、言い争いがどうしても増えるし、残念なことに、解決できるはずの問題も解決できなくなってしまう。・・・正しい方法とまちがった方法、かしこい方法とおろかな方法、青信号の方法と赤信号の方法があるなんて思い込みを、ぼくたちはこの本を書くことで葬りたい。現代社会ではもう少し建設的に、創造的に、合理的に考えることが必要だ。ちがう角度から、ちがう筋肉を使って、ちがう前提で考える。やみくもな楽観も、ひねくれた不信ももたずにすなおな心で考える。つまり、コホン、フリークみたいに考えるってことだ。[p.19]」
・根底にある考え方[p.19-21]:「インセンティブを正しく理解すること、読み解くことが、問題を理解して解決法を考えるためのカギになる。」「混乱と矛盾に凝り固まった問題を解きほぐす道具として、データほどパワフルなものはない。とくに感情や激論を呼び起こす問題には覿面だ。」「一般通念はたいていまちがっている」「相関関係と因果関係は別物だ」
・「脳を鍛え直して、大小問わずいろいろな問題を普通とはちがう方法で考えることができれば、ものすごく得るものが大きいと、ぼくたちは固く信じている。[p.31]」

第2章、世界でいちばん言いづらいことばThe Three Hardest Words in the English Language
・「昔から英語でいちばん言いづらい3つの言葉は『アイ・ラブ・ユー』だと言われてきた。でもそうじゃないと、心から叫びたい!『アイ・ドント・ノー』と言うほうが、ほとんどの人にとってはずっと難しいのだ。・・・自分が何を知らないかを認めないかぎり、必要なことを学べるはずがないのだから。[p.33]」
・「テトロックは、予測がとくに外れがちな人はどういう人かを聞かれると、ずばりひと言で答えた。『独断的』、つまり何かが本当かどうかを知らないのに、何が何でも本当だと思い込むような人だ。名の知れた識者を追跡したテトロックなどの研究によれば、識者らは予測が大外れに終わったときでさえ、『圧倒的に自信過剰』(テトロックの言葉)なことが多かったという。まちがったくせに高飛車とくれば、もう救いようがない。将来のことは意外にわからないものだとすなおに認めればいいのに。[p.40]」
・「知ったかぶりがこんなに悪影響をおよぼすなら、なぜみんなやめないんだろう?そんなのわかりきっている。少なくとも個人にとっては、『知りません』と白状したときのダメージのほうが、知ったかぶりをしてまちがいが判明したときのダメージより大きいからだ。・・・知ったかぶりをしたいというインセンティブは、とても強いのだ。[p.45]」
・「人が知ったかぶりをする理由は、もう一つ考えられる。・・・道徳の羅針盤(コンパス)だ。人は世の中を渡っていくうちに、誰もが自分なりの道徳的指針をもつようになる・・・だが問題を解決しようとするとき、真っ先にやったほうがいいのは、道徳のコンパスをしまいこむことだ。・・・問題が道徳的に正しいか誤っているかにとらわれると、本質が見えなくなることが多い。道徳のコンパスのせいで(本当はそうじゃないときでも)答えがすべてわかっていて、(本当はそうじゃないことが多いのに)善と悪がはっきり線引きされていると思い込んでしまう。そして最悪なことに、その問題について知るべきことは全部知っていると思い込んで、それ以上学ぼうとしなくなるのだ。[p.47-48]」
・「何かを学ぶためのカギは、フィードバックにある。ある行動の結果を参考にして、次の行動を修正するプロセスを経なければ、何も学べない。・・・でも問題が複雑になればなるほど、有益なフィードバックを得るのは難しくなる。・・・ときには進んで外へ飛び出し、実験をしてフィードバックを得ることも必要だ。・・・多くの人が実験を渋るのは、・・・誰かが『わかりません』と言わなくてはいけないからだ。[p.52-58]」

第3章、あなたが解決したい問題は何?What’s Your Problem
・「自分がすべての『答え』を知っているわけじゃないと認めるのにこれだけ勇気がいるんだから、正しい『問い』すら知らないと認めるのがどれだけ難しいかは、推して知るべしだ。でも見当違いな問いを立てたら見当違いな答えしか得られないのは、ほぼ確実だ。[p.71]」
・「どんな問題を解決しようとするときでも、たまたま目についた気になる部分だけにとりくんでいないかどうか、気をつけよう。[p.74]」
・問題の捉えなおしと、限界に対する思い込みを無視することが効果的。[p.86-90

第4章、真実はいつもルーツにあるLike a Bad Dye Job, the Truth is in the Roots
・「フリークみたいに考えるってことは、問題の根本原因をつきとめ、それをとり除けるよう、力のかぎりを尽くすってことだ。[p.92]」
・「根本原因に向き合っていれば、ありもしない幻影じゃなく、現実の問題と格闘しているっていう安心感だけは、少なくとももっていられる。[p.97]」

第5章、子どものように考えるThink Like a Child
・「アイデアをひねり出したり質問をしたりするとき、8歳児みたいな考え方をするのは、とても実り多いことがある。・・・子どもはあくなき好奇心をもっていて、それほどかたよった見方をしない。知っていることがとても少ないから、ものごとのありのままを隠してしまう先入観をもたない。問題を解決しようとするとき、これが大きな強みになるのだ。[p.118]」
・「フリークみないに考えるとは、大きくではなく、小さく考えることだ。・・・小さな問いは、小さいだけあって、目を向けたり調べたりする人が少ないか、まったくいないことがある。誰も手をつけていないまっさらの分野には、学習のタネがたくさん転がっている。大きな問題はたいてい、こんがらがった小さな問題がぎっしりつまったものだから、大きな問題の小さなかけらにとりくんだほうが、問題を一気に解決しようとしてあてもなく格闘するよりも大きく前進できる。何かを変えようとするのはつねに難しいが、大きな問題より小さな問題について変化を促すほうがずっと簡単だ。大きく考えるのはそもそも正確さを欠く行為だし、あてずっぽうってこともある。小さく考えるのはその分メリットも小さいが、少なくともたしかな証拠をよりどころにしていられる。[p.120-122]」

第6章、赤ちゃんにお菓子を与えるようにLike Giving Candy to a Baby
・「フリークが信条とする教えを一つあげるなら、『人はインセンティブに反応する』だ。・・・ある特定の状況に関わる全当事者のインセンティブを理解することが、問題解決の基本だ。[p.143]」
・「人間は・・・何かを口では言いながら、全然別の行動をとることも多い。・・・みんなによく思われるようなことを口では言いながら、こっそりと自分の本当にやりたいことをやるものだ。経済学ではそれぞれ『表明選好』と『顕示選好』という名前がついていて、2つのあいだには深い溝がぽっかり口を開けていることが多い。[p.149]」
・「重要なのは、模範的な人間の理想的な行動より、生身の人間が現実にどう行動するかを考えることだ。・・・じつのところ道徳的インセンティブは、一般に考えられているほど効果が高くないのだ。・・・人間は微妙な陰影のある本音と建前のインセンティブをもっている複雑な生き物で、状況に行動が大きく左右される・・・人がインセンティブに反応するときには心理状態がカギを握ることを知っていれば、いろいろと工夫して本当に有効なインセンティブを設計できる――自分の利益のため、なんだったらみんなの利益のために。[p.153-156]」
・「相手とやりとりをするとき、そのやりとりは次のどれかの枠組みにあてはまる。・・・『金銭的枠組み』・・・『敵対的枠組み』・・・『友好的枠組み』・・・『協調的枠組み』・・・たいていの人は、とくに境界を意識することなく、いろいろな種類の枠組みに気軽に出入りしている。またどの枠組みにいるかによって行動が変わったり、インセンティブのはたらき方がちがったりすることを、自然に理解している。・・・枠組みをごっちゃにするとトラブルになりかねない。でも誰かとの関係を、ある枠組みから別の枠組みに、ちょっとした後押しで移すことで、とても有意義な成果が得られることがある。[p.166-168]」
・「報奨が逆効果を呼ぶのは、残念ながらそう珍しい話じゃない。・・・利口な善意の人たちがつくったインセンティブでさえ、・・・逆効果を生むことがあるのはなぜだろう?少なくとも3つの理由が考えられる。どんなに利口な個人や政府も、インセンティブ制度の裏をかこうとする人たちに束になってこられるとかなわない。自分と似た考え方をする人についてなら、どうすれば行動を変えられるかをイメージしやすいが、行動を変えたい相手というものは得てして自分のような考え方をしないものだから、期待したような反応が得られない。相手の行動がいまこうだから、この先もそれが続くと思い込みがちだ。でもインセンティブというものの性質上、ルールが変われば行動も変わるし、・・・期待しているような方向に変わるとはかぎらない。それともう一点、人は『操られてる感』を覚えると反発したくなるという、あたりまえのことも指摘しておきたい。[p.176-178]」
・「適切なインセンティブのしくみを設計するのはラクじゃないけれど、これさえ守ればまちがったことにはならない、という簡単なルールを挙げておく。1、相手が関心があると言っていることを鵜呑みにせず、本当に関心をもっていることをつきとめよう。2、相手にとっては価値があるけれど、自分には安く提供できるような面で、インセンティブを提供しよう。3、相手の反応に注意を払おう。びっくりしたり、がっかりしたような反応が返ってきたら、それを参考にして別のことを試してみよう。4、相手との関係を、敵対的枠組みから協調的枠組みにシフトさせるようなインセンティブをできるかぎり考えよう。何かが『正しい』から相手がそれをしてくれるだなんで、ゆめゆめ思っちゃいけない。どんなことをしてでもシステムを悪用しようとする人が、必ず現れる。考えもしなかった方法で出し抜かれることもある。そんなときはカッとして相手の強欲を呪ったりせず、創意工夫に拍手を送ろう。[p.179-180]」

第7章、ソロモン王とデイビッド・リー・ロスの共通点は何か?What Do King Solomon and David Lee Roth Have in Common?
・「デイビッド・リー・ロスもソロモン王も、ゲーム理論を有意義に実践していた・・・ゲーム理論ってのは狭い意味で言うと、相手の次の動きを予測して、相手を打ち負かそうとする策略をいう。その昔、ゲーム理論が世界を制覇すると経済学者が信じていた時代があった。ゲーム理論は重要なものごとの結果に影響を与えたり、予測したりするのに役立つと期待されていた。でも、ああ残念、それほどは役に立たないし、おもしろくもないことがわかった。でも・・・ゲーム理論もシンプルに使えば驚くほどの効果を挙げられるのだ。・・・嘘をついている人やずるをしている人は、正直な人とはちがうインセンティブに反応することが多い。[p.188-189]」
・「『自分から正体をばらすよう促す仕掛け』は何かと役に立つし、ときにはべらぼうな利益が得られることもある。[p.203]」

第8章、聞く耳をもたない人を説得するには?How to Persuade People Who Don’t Want to be Persuaded
・「ナッジというのは、・・・何かの目標がどんなに大切かを懇々と諭すより、さり気ない後押しや新しい初期設定によって、相手をひじでそっとつつく〔=ナッジ〕ように誘導したほうがずっと効果が高いという考え方だ。・・・聞く耳をまったくもたない人を何としてでも説得したいとき、こういった考え方をどう役立てればいいだろう?第一歩として、相手の考えは事実や論理よりも、イデオロギーや群集心理に根ざしている場合が多いことを頭に叩き込んでおこう。これを面と向かって言っても、相手に否定されるだけだ。何しろ相手は、自分が気づいてもいないバイアスをもとに行動しているんだから。[p.223-224]」
・相手の意見を変えるための議論の組み立て[p.225-237]:1、主役は自分じゃなくて相手(「動かぬ事実や隙のない論理でどんなに主張を固めたって、相手の心に響かなきゃ何にもならない」)、2、自分の主張が完璧だというふりをしない(「万能の解決策なんてほぼ絶対に存在しない。自説の欠陥を隠そうとするのは、それ以外の部分も疑ってくださいと言っているようなものだ。・・・自分の主張を真剣に受けとめてほしいなら、マイナス面があることを認めたほうがいい。」)、3、相手の主張のよい点を認める(「反論には必ずといっていいほど利用価値がある・・・そこから何かしら学んで、自分の主張を強めるのに使うことができる。・・・それに、相手はないがしろにされたと感じたが最後、話なんか聞いてくれなくなる。」、4、罵詈雑言は胸にしまっておく(「相手を罵倒するのは最悪のまちがい・・・ほとんどの人は、批判をすんなり受け入れられない。」)、5、物語を語る(「聞く耳をもたない人をどうしても説得したいなら、物語を語るのがいちばんだ。・・・物語は、断片をつないで全体像を見せるものだ。・・・物語を語るべきいちばんの理由は、興味を引きやすいから、人に何かを教えるのにうってつけだという点にある。」)

第9章、やめるThe Upside of Quitting
・「やめることは正しくやればメリットがたくさんあるから、ぜひ試してみてほしい。[p.245]」
・「やめることをためらわせる力は、少なくとも3つある。1つめが、やめるのは失敗を認めることだと・・・散々聞かされてきたということ。2つめは『サンクコスト』(埋没費用)の考え方だ。・・・何かに投資すればするほど、いまさらやめるのはもったいないという心理がはたらきやすくなる。これをサンクコストの誤謬という。・・・3つめの力は目に見えるコストにとらわれて、『機会費用』(逸失利益)のことにまで頭が回らないという性向だ。機会費用というのは、・・・同じ資源をほかに費やす機会を放棄しているという考え方だ。[p.246-247]」
・「死前検証は、まだ手の施しようがあるうちに、うまくいかなくなりそうな要因をつきとめようとする。プロジェクトの関係者を全員集めて、『プロジェクトが実行に移されたが、目も当てられない大失敗に終わった』と想像してもらう。それから一人ひとりに失敗した原因を具体的に書き出してもらうのだ。死前検証なら、誰も自分からは言いたがらなかったプロジェクトの欠陥や疑問点を洗い出せることを、クラインは実証した。[p.256-257]」
・「やめることは、フリークのように考える方法の核心にある。『やめる』って言葉がおっかないなら、『捨て去る』と言いかえてもいい。自分を押しとどめている一般通念を捨て去る。自分を引き止めている人為的なバリアを捨て去る。自分が知らないということを恐れる気持ちを捨て去る。[p.271]」
―――

本書の示唆の特に重要な点は、ゼロベースでフリークのように、常識や先入観、バイアスにとらわれない考え方をすすめると同時に、そのような考え方、使い方の例を示しているところだと思います。特に以下の3つの場面で重要になるのではないでしょうか。

・現象、データの意味するところを解釈しようとする場合

・問題の核心、根本原因を推定する場合

・問題解決のための方法を発想する場合


研究開発という仕事では、先入観を持たずに現象を解釈することや、常識にとらわれないアイデアの発想が求められます。したがって、研究者であれば本書で指摘されたような考え方はある程度教育もされるし、理解しているかもしれません。しかし、それがきちんとできているかというと、自らの思考の問題点に気づいていないことも多いのではないかと思います。特に、自然現象を対象とした場合なら自由な発想ができていたとしても、人が相手の場合には状況が異なることもありそうです。今や、技術だけではイノベーションを成功させることが困難になりつつあることを考えると、人が関わる問題についても本書に述べられたような考え方ができるようになることは非常に重要なことなのではないかと思います。


文献1:Steven D. Levitt, Stephen J. Dubner, 2014、スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー著、櫻井祐子訳、「0ベース思考 どんな難問もシンプルに解決できる」、ダイヤモンド社、2015.
原著表題:Think Like a Freak: The Authors of Freakonomics Offer to Retrain Your Brain


クリティカルシンキングの活用(伊勢田哲治+戸田山和久+調麻佐志+村上祐子編「科学技術をよく考える」より)

イノベーションには科学技術が重要、というのは事実かもしれませんが、技術的に優れているだけではイノベーションがうまくいくとは限らないことは多くの方の認めるところだと思います。新たなイノベーションをどうやって顧客や社内外の利害関係者に受け容れてもらうか、経済面も含めてイノベーションを継続的に提供していく仕組みをどう作るか、イノベーションが社会に与える影響はどのようなものかなど、科学技術と社会とのかかわりの問題について考えておくことが求められるようになりつつあると思います。

クリティカルシンキング(CT)と科学技術社会論(STS)は、そうした問題を扱う上で役に立つスキルと考え方を提供してくれるように思います。今回は、伊勢田哲治+戸田山和久+調麻佐志+村上祐子編「科学技術をよく考える クリティカルシンキング練習帳」[文献1]から、役に立ちそうな知識やスキルをまとめたいと思います。本書は、10のテーマ(遺伝子組換え作物、脳神経科学の実用化、喫煙を認めるか否か、乳がん検診を推進するべきか、血液型性格判断、地球温暖化への対応、宇宙科学・探査への公的な投資、地震の予知、動物実験の是非、原爆投下の是非を論じることの正当性)について、対立する2つの意見が紹介され、その議論を材料にクリティカルシンキングの知識やスキルが解説される、という構成になっていますが、本稿ではその議論の部分は省略させていただいて、紹介されている知識やスキルのうち実用面で役に立ちそうに感じたものを以下に抜き出してまとめてみます。

クリティカルシンキング(CT)とは

・「CTというのは、他人の主張を鵜呑みにすることなく、吟味評価するための方法論である。・・・CTの教科書ではしばしば、『CTの3要素』というものが挙げられる。それは知識、スキル、態度である。[p.iii]」
・知識:「吟味の対象となっている話題についての具体的な知識が必要なのはもちろんだが、もう少し一般的なレベルで、私たちはどういう時に間違いを犯しやすいかという知識、科学というものがどういう仕組みで運営されているかという知識など[p.iii]」。スキル:「吟味の具体的な手続き」。態度:「相手の言っていることをよく確かめようと思いつかなければ、そうした知識やスキルは発動されない」[p.iii-iv]。

スキル
・議論の流れ:1、議論の特定、2、言葉の意味の確定、3、前提の検討、4、推論の検討[p.iv-v
・議論を特定する:「議論とは、何らかの根拠に基づいて結論を導き出すという構造を持つような発言を指す。・・・議論の構造がわからない限り、議論を批判的に吟味することはできない[p.14]」。議論の構造を図で示した論証図が使える。
・暗黙の前提の明示化:「議論において明示的に述べられた根拠からは結論が演繹的に導かれないと、または根拠と結論の間に何らかのギャップがあると感じた場合に、そこに隠された前提があると見なして、それを明示化する作業のこと・・・。この作業をもってして、ようやく『議論の特定』は完成する[p.71]」。事実についての暗黙の前提(この世界がどうなっているかという事実に関する)と、価値についての暗黙の前提(何が善くて何が悪いのかというような価値に関する)がある。[p.72-73
・妥当(valid)な推論:「仮に前提が全て正しいとするなら、結論も必ず正しいものとして出てくる推論・・・。妥当な演繹的推論は、絶対確実ではあるものの、前提に含まれる情報以上のことを述べない。[p.41]」
・成功した議論(推論):「妥当な議論であり、かつ[諸]前提が(実際に)正しい議論のこと[p.42]」
・対立点を整理する:「なぜ違う結論が出ているのかをはっきりさせなければ、対立を解消する手がかりも得られない。[p.98]」。対立の主なバターン:1、言葉づかいの違いによる対立、2、事実についての対立、3、価値や規範についての対立(議論が難しくなる)、4、問題の見方についての対立(解消するのが非常に難しい)[p.99-100
・言葉の定義:報告的定義(標準的な用法の定義)、規定的定義(特定の意味の定義、専門用語など)、解明的定義(意味の本質の解明となる定義)[p.130
・標本調査(サンプリング)の注意:十分な数があるか、母集団が定義されているか、回収率が高いか、確率標本であるか(無作為抽出であるか)[p.134
・通約不可能性(incommensurability):「二つのグループがまったく違う世界観で物事を見るために基本的な出来事でさえも違って見え、そのために話が通じなくなるというような、意思疎通の困難な状態を表現するために広く用いられている[p.151]」。決定的と思われる証拠が通じない、相手の議論の重要性、根拠が理解できないなどの徴候を見逃さないようにすべき。互いの議論の構造を明確化し、気づいていない前提が潜んでいないかをチェックし、その前提がなければ議論はどうなるかを考えてみることも大切。[p.153
・意志決定:限定的合理性(サイモン)とは、「自分の目に付く範囲内で、十分満足できる選択肢が見つかったならば、最善の結果を探してそれ以上の探索をしたりはしないのが合理的だ、という考え方[p.156]」。「期待効用最大化は、個人の意思決定のモデルとしてはいいかもしれないが、それを社会に拡張してもいいかどうかはいろいろと議論がある。[p.156]」
・フレーミング:「さまざまな物理的・社会的プロセスから、特定の現象や側面を注目すべきものとして選び出すことによって問題を設定し、知識を組織化すること」。「自分のフレーミングから理解できないような意見の対立が生じたら、まず相手のフレーミングが自分のものと異なるのではないかと疑ってみることが必要・・・議論の前提を明確にすることで、両者の意見のすり合わせを行っていくための土台を築くことができる[p.178-180]」
・確証バイアスと利用可能性バイアス:仮説や主張が正しいかを検証する方法として、仮説に一致した証拠を集めて、その仮説が正しいことを証明する方法があり、確証と呼ぶ。「人が仮説や主張を証明するときには、反証よりも確証が好まれるという論証の偏りが生じることがある。この偏りを確証バイアスと呼ぶ。[p.209]」、「すぐに利用可能である情報がどれだけあるかをもとにして、そのものの頻度を直観的に判断してしまうことを、利用可能性ヒューリスティック(バイアス)と呼ぶ。[p.211]」
・「ある二つの物事の間には確かな関係があるという仮説を検証する際、四分割表を利用する方法がある[p.213]」。四分割表とは、原因の有無、結果が期待どおりとなったかどうかで4通りの場合を調査すること。
・二重基準:「一見同じ基準を用いているように見えながら、二つの異なる基準を使い分けている」状態。「二重基準の使用を探知するのに有効な技法として、『普遍化可能性テスト』がある。普遍化可能性とは、『Xについての判断は、Xと同じ普遍的性質を持つ他の全てのものについても当てはめることができる』という性質」[p.242
・自然さからの議論:「『自然なことはしてもよい』『不自然なことはしてはならない』といった一般論は、例外が多すぎてとうてい成立しないと言わざるをえない。[p.246]」
・実践三段論法:「実践三段論法の形式は、・・・通常の三段論法の形式と同じであり、そこに規範にかかわる言葉『べきである』という言葉が付加されたもの[p.270]」、「実践三段論法は大前提と結論が規範命題になっている。[p.271]」

知識
・予防原則(precautionary principle):「社会的に大きな影響を与えうるような技術については、危険性について十分な証拠がまだなくとも、予防的な措置を取ることが許される、という考え方[p.21]」。予防原則を使う際の6つの原則:比例性(リスクの大きさと犠牲の大きさの比較で)、無差別性(似たような状況を違うように扱ったり、同じような状況を違うように扱ったりしない)、一貫性(科学的根拠のある同等の領域で取られている対策と同様の対策を行なう)、費用と効果の吟味、見直しの実施(新しい科学的事実の下での見直し)、科学的証拠の生成の責任の明確化(誰が立証責任を負うか)。[p.23
・健全な科学(sound science):「不確実性のある場合でも、きちんとした科学的証拠もなしに規制などの措置をとるのはおかしい、という考え方[p.22]」
・因果関係の推定:「因果関係の推定の際に、時間的・生物学的に先行している要素を予測因子(predictor)、後行しているものを転帰(outcome)と呼ぶ。」(分野によって微妙に用語法が違う)
「予測因子と転帰が因果関係にあると推論するためには、本当は無関係であるのに見かけは関連しているように見えている可能性と、両者は関連しているが因果関係とは言えないような可能性が除外される必要がある。前者の可能性は、偶然誤差や系統誤差(バイアス)によって引き起こされる。後者の可能性は、転帰と関連する第三の因子によって引き起こされるもので、そのような因子を『交絡因子(confounding factor)』と呼ぶ。[p.48
・自由主義:「成人であれば、他者に危害を与えない限りは、どのような思想を持とうとも、どこに行こうとも、どのような職業に就こうとも、どのような行為をしようとも自由であるという考え方[p.77]」。
・パターナリズム(paternalism):「当人の利益のために、当人の意志にかかわらず、当人の行動に干渉すること[p.77]」。
・統計的仮説検定の問題点:「仮説検定では、『めったに起こらないグループ』とそうでないグループの間の『運命の分かれ目』をどこに引くのかが大きな意味を持つ。だが、『その線をどこに引くべきか』について、統計学は何も教えてくれない。・・・このような判断は、多かれ少なかれ恣意的であり、どれが『正しく』どれが『誤り』なのかは一意的に判定できない。[p.80]」
・「リスクコミュニケーションを適切に実行するためには、個人や集団がリスクおよびコミュニケーションをどのように認知・理解するかについての知識が重要である。たとえば、正常性バイアスとして知られる認知的特性により、リスクがその実質よりも過小評価される傾向があることが知られている。[p.108]」
・社会的CT:「自分とは異なる他者の存在を意識し、人間の多様性を認めながら、偏ることなく他者を理解しようとし、文脈や状況によっては譲歩することができ、そして、異なる他者や多様な価値観に対する寛容さを持つことを重視した概念[p.140]」。「日本においては、論理性を重視したCTよりも、文脈や対人的な配慮を強調した社会的CTの方が望ましいと考えられる。[p.141]」
・「科学研究活動では通常、新しい原理・法則の発見、新しく観察された現象の合理的説明のための分析に重点が置かれる。これに対して、健康・安全・環境政策の科学的合理性の確保を目的とする科学研究が存在し、レギュラトリー・サイエンスと呼ばれ・・・科学知識生産のあり方としてリサーチ・サイエンスとは大きく異なる特徴を持っている。[p.161]」
・「『科学的事実の確立』はけっこう時間がかかる上に、どの時点で確立したのかとはっきり言うことの難しい連続的なプロセスであることが多い。・・・古い説があって、発見があって、新しい説に代わる、というような一直線のシンプルな話にはならない。[p.219-221]」
・「科学において、必ずしも予断を持ってはならないということではない。しかし、それらは玉石混淆であるため、丹念に検証することが大切である。[p.226]」
・「功利主義は、・・・できるだけ多くの人ができるだけ満足する行為や方針を決定することが正しいと考える(期待効用最大化)。[p.278]」、「功利主義は・・・幸福が全体の幸福量に還元されてしまい、『私の』幸福が保証されるかどうかは不明確である。・・・マクシミン規則(ロールズ)は、最も恵まれない人々ができるだけ幸福になる行為や方針を選択、評価する。[p.278]」

・思いやりの原理(principle of charity):「相手の発言や行動を解釈する際には、できるだけ筋が通ったものになるように解釈せよ、という原理[p.25]」
・推論のタイプ:演繹的推論、類推(analogy、ある種の対象Aについて成り立つことを別な対象Bについても成り立つと推論すること、外挿(extrapolation)とも呼ばれる)、帰納(induction、いくつかの個別事例から一般法則を推論すること)、仮説形成(abduction、ある観察された事実を説明する仮説を立てること)[p.55]。「仮説がとれだけ良いかは、他の背景知識との整合性などの基準によって評価される。通常、仮説形成はいくつかの可能な仮説を比較して最善のものを選ぶというプロセスを含むため、『最善の説明への推論』とも呼ばれる。・・・類推や帰納、仮説形成は『演繹的』という意味での『正しい』あるいは『妥当な』推論ではなく、従って誤謬とみなされることもある。・・・しかし多くの場合、私たちがこれらの推論を用いるのは、結論の正しさを論証するためではなく、有用な行動の指針となる仮説を得るためである。・・・私たちは観察された事実から類推や帰納、仮説形成によって、何らかの仮説を立てる。そしてその仮説と既に持っている信念から演繹的に予測を導き出す。その予測がさらなる観察事実と合致していれば、私たちはその仮説をより確かなものと見なす。逆に予測に合致しない事実が観察されれば、私たちはその仮説(あるいは信念のどれか)を誤りとして棄却する。こうして私たちはより良い信念体系を構築していくのである。[p.56-57]」
・協調原理(グライス):「人は会話の際にお互いに協力的な態度をとる、という前提に基づいてお互いの発言を解釈する、という会話の原理」。「一つの例として、『相手の関心と無関係なことを会話にもちこまない』というのがある。[p.111]」
FBI効果:フリーサイズ効果(どの人にも当てはまるような性格表現を使って、多くの人に当たっていると感じさせる、バーナム効果とも)、ラベリング効果(ある事物・事象にラベル(名称や特徴づけ)を与えた場合に、人はそれらの事物・事象について、そのラベルに基づいた認識・判断をしやすくなる)、インプリンティング効果(一度信じてしまうと、そのような信念に合った情報に注目するようになり、信念はますます強固になる)[p.125-126]」
・藁人形論法(Strawman argument):「相手が本当に言っていることではなく、相手の言っていることを単純化したり極端にしたりして、やっつけやすくする」論法。代表的な詭弁。[p.143
・論点ずらしの誤謬:「もともとの論点と関係のない論点を持ちだして話を混乱させてしまうこと」[p.163
・対人話法:「議論の中身ではなく、議論をしている人の持つ特徴に言及することで、反論をしようというもの[p.228]」。
・誤った二分法:「ABか、可能性は二つしかない。しかしAはありえない。従ってBだ」のように「単純ではない問題を単純化して論じるタイプの詭弁である。[p.282]」
―――

イノベーションを立ち上げるには、まず自分のアイデアに基づいて「うまくいくに違いない」という信念をつくり上げ、そのアイデアを関係者に納得してもらって具体化することが求められることが多いと思います。CTのスキルは、その過程で自分自身の判断や推論のミスを防ぎ、他者の異なる意見との調整を図る際に重要な役割を担いうるものだと思います。特に、CTの考え方を活用すれば、議論による意見の対立を超えて議論から新たな情報やアイデアを入手する可能性も開けるように思いますので、実践的にも活用の意義は大きいと感じましたが、いかがでしょうか。


文献1:伊勢田哲治+戸田山和久+調麻佐志+村上祐子編「科学技術をよく考える クリティカルシンキング練習帳」、名古屋大学出版会、2013.

参考リンク




「バグる脳」(ブオノマーノ著)-思考、判断のバイアスと誤りを理解する

人間の判断に伴うバイアスと、バイアスが原因の判断ミスについては本ブログでも何度も取り上げてきました(例えば、「ファスト&スロー(カーネマン)」、「意思決定理論入門(ギルボア)」、「まさか!(モーブッサン)」、ヒューリスティクス、「無意識のわな」など)。どんな場合にどんなミスを犯しやすいかの事例はそれぞれ非常に面白いですし、そうした事例を知ることは、判断ミスを防止する上で重要でしょう。しかし、数多くの事例を覚えておいて、具体的な判断の場面で自在に適用することはそれほど簡単なことではない、とも思います。

もし、そうした判断ミスをもたらす本質的な原因がわかれば、多くの事例も記憶にとどめやすくなって、注意すべきポイントも絞り込めるのではないか、と思っていたところ、バイアスの問題について脳科学の立場から解説した本(「バグる脳」(ブオノマーノ著)[文献1])を見つけましたので、今回はその内容をまとめてみたいと思います。

はじめに:脳は今日もバグってる
・「人間の脳にはもともと向いている課題とそうでない課題があるのだ。あいにく、それを見分けるのも脳は苦手なので、自分の人生が脳のバグにどれほど支配されているかについて、私たちはたいてい、おめでたいほど無知でいる。[p.10]」
・「デジタルコンピューターと脳では、得意とする種類の計算がまったく違う。計算に関する脳の長所のうちでも際立っているのは(そして、現在のコンピューター・テクノロジーの持つ周知の弱点は)、パターン認識だ。[p.14]」
・「あなたの脳は、約900億のニューロンが100兆のシナプスでつながっているウェブで、素子と接続の数では・・・ワールドワイドウェブを凌ぐ。情報素子としては、ニューロンは外向的で、接続を構築したり、何千というほかのニューロンと同時にコミュニケーションをしたりするのがうまい。だから、パターン認識のように、部分の関係から全体を理解する必要がある計算課題にはうってつけだ。・・・これとは対照的に、数値計算は、コンピューター・チップ上の何百万というトランジスターに任せるのが理想的だ。トランジスターのそれぞれは、事実上絶対に誤りがなく、独立したスイッチのような特性を持っているからだ。ニューロンはノイズの多い素子なので、スイッチとしてはお粗末[p.19]」。
・「今日私たちが暮らしている世界は、初期のホモ・サピエンスが見慣れた世界とはまったくの別物だ。・・・それなのに私たちは、本質的に昔と同じ神経系のオペレーティング・システムを相変わらず使っている。現在、人間はもともと棲息するようにプログラムされていない時代と場所に暮らしているのに、脳の構築の仕方について私たちのDNAに書き込まれた命令一式は、10万年前と変わらない。[p.26]」

第1章、ニューロンがもつれるThe Memory Web
・人間の記憶と認知が持つ根本的な特徴:1)知識は互いに結びついた形で貯蔵されている、2)ある概念について考えると、それがどういうわけか、関連したほかの概念にも「拡がり」、そうした概念が思いだしやすくなる[p.29]。「この無意識で自動的な現象は、『プライミング』として知られている。[p.30]」
・「人間の脳は、まわりの世界についての事実知識を互いに結びつけて貯蔵する[p.33]」。「私たちが頭に浮かべうるものや概念は事実上無限にあり、それを脳がどうやってコード化しているか、正確なところはわからないものの、『シマウマ』といった概念はすべて、それぞれ一群のニューロンの活動によってコード化されているのは明らかだ。だから『シマウマ』ノードは漠然としたニューロンの集まりと考えるのが最善だろう。そして・・・どのニューロンも多くの違うノードに所属できる。[p.36]」
・「長期記憶がシナプスの可塑性に依存していると言っても、今ではもう大丈夫だろう。シナプス可塑性とは、新しいシナプスを形成したり、すでに存在しているシナプスを強めたり(あるいは弱めたり)できる性質のことだ。・・・シナプス可塑性を利用して脳は情報を書きとめるという現在の考え方は、意味記憶の連合アーキテクチャーとぴったり合致する。新しい結びつき(ノード間の新しいリンク)を学習するのは、とても弱いシナプスの強化か新しいシナプスの形成に相当すると言える。[p.39]」
・「ニューロンXとニューロンYの間のシナプスの強さは、この2つのニューロンがほぼ同時に活性化すると強まることを、今や私たちは知っている。この単純な概念は・・・『ヘップの法則』と呼ばれる。この法則は、『いっしょに発火するニューロンはつながる』というわかりやすい言葉で表わされるようになった。[p.42]」
・「アフリカや白と黒という考えを呼び起こせば、シマウマを思い浮かべるように仕向けられるのは、さまざまな概念の結びついたネットワークとして知識が貯蔵されているからだけではなく、記憶の検索が伝染性のプロセスだからでもある。『アフリカ』ノードが活性化すると、私たちはまったく意識していないのに、それとリンクしているほかのノードも活性化し、シマウマを思い浮かべる可能性が高まる。・・・プライミングが脳のハードウェアに埋め込まれていることは明らかだ。私たちが好むと好まざるとにかかわらず、ある単語を耳にすると脳は次に来そうな単語を無意識のうちに予測しようとする。・・・おそらくプライミングは、単語が現れるコンテクストをすばやく考慮して言語につきものの不明瞭さを解消する私たちの能力に貢献しているのだろう[p.45-46]。」

第2章、記憶のアップデートについていけないMemory Upgrade Needed
・「私たちは記憶の連合アーキテクチャーのせいで、リストに実際に乗っている単語に密接に関連した単語がリストに載っていると錯覚するといった、特定のミスを犯しやすい。・・・脳の中では、読み出しと書き込みの作業は互いに独立していない。記憶を検索する行為が記憶の中身を変えうる。[p.62]」
・「自分の経験の記憶は事実の忠実な再現ではなく、時間と空間の異なるさまざまな点にまたがる出来事のモザイクに基づいた、部分的で流動的な再建物だ。脳の貯蔵の仕組みは柔軟なので、私たちの記憶は時間の中で途切れなくアップデートされている。・・・事実をまぜこぜにしたり消し去ったり、出来事がいつ起こったかを取り違えたり、何もないところから偽りの記憶を創り上げたりさえするという私たちの性向も、記憶の流動性で説明がつく。こうした特徴やバグは、部分的には、(コンピューターとは違って)脳で行なわれる記憶と検索の作業が互いに独立した過程ではなく、密接に絡み合っているという事実に帰することができる。[p.85]」

第3章、場合によってはクラッシュするBrain Crashes
・「脳は計算上の必要に応じて、皮質という資源を動的に割り当てることができる[p.96]」。「適応能力と再編能力は、皮質のとりわけ強力な機能だ。皮質に可塑性があるため、練習すれば物事がうまくできるように・・・なる。・・・だが皮質の可塑性は、軽度あるいは重度の障害に応じて起こる脳のバグのうち、いくつかの原因でもある。幻肢痛は脳自体の欠陥であり、手や足の喪失に適応しようとする脳の不具合によって引き起こされる。脳の驚くべき再編能力が不適応を起こすこともあるのだ。[p.101]」
・「性能に劇的な影響を及ぼさずに相当量の変化と損傷に耐えうるシステムは『グレースフル・デグラデーション』を示しているという」、「皮質のニューロンが数十個消失したとしても、・・・それとわかる影響は出ないだろう。これは一つには、ニューロンとシナプスが驚くほどノイズの多い、信頼できない計算装置だからだ。・・・個々のニューロンとシナプスが信頼性に欠けるのは、脳がグレースフル・デグラデーションを示す理由の一つとも考えられる。[p.104-105]」

第4章、時間感覚が歪むTemporal Distortions
・「時間的隔たりのある出来事の間の関係を理解するのは楽ではない。[p.117]」
・「即座に満足感を得たがる傾向を『時間割引』と呼ぶ[p.117]」。「脳には即時の報酬によってかなり活性化する部分がある。早いうちに進化を遂げた『大脳辺縁系』という情動処理にかかわる部分は、その一例だ。・・・私たちの脳は即座に満足感を得たがるように作られているので、長期的な幸福に悪影響が及ぶことがある。[p.120]」
・「進化につきものの非体系的な設計過程を経た結果、私たちはそれぞれ特定の時間的尺度を専門とする生物的時間計測装置の寄せ集めを持つにいたった。・・・だが、時間を知るために脳が使う戦略は、多くの脳のバグにもつながる。そうしたバグのなかには、主観による時間の伸び縮み、感覚刺激の実際の順番をひっくり返す錯覚、原因と結果の間の妥当な時間のずれについての先入観から生まれる心理的盲点、行動の短期的影響と長期的影響を正しく天秤にかけることの難しさなどが含まれる[p.136]」。

第5章、必要以上に恐れるFear Factor
・「動物が捕食者や有毒な動物や敵など、命を脅かす危険に対して確実に先回りして反応できるように進化が与えたのが恐れだ」。しかし、「私たちの環境は初期の人間が生きてきた環境とはまったく異なるので、祖先にとっての危険について学習するように遺伝的にできている私たちは、厄介な状況に陥る可能性がある。たとえば、私たちの世界ではさほど危険でないものに対して、恐怖心を抱くときがそうだ[p.141]」
・「情動の処理に貢献する、進化的に古い脳構造の一つである扁桃体は、恐れを表したり学習したりするのに欠かせない。[p.146]」
・「私たちが何を恐れるかは、進化によって編み出された3つ組の戦略に由来する。その3つとは、生まれつきの恐れ(先天的なもの)、学習した恐れ(後天的なもの)、そして、この両方を兼ね備えた、あらかじめ特定のものへの恐れを学習しやすくなっているという遺伝的性質だ。この3通りの戦略から少なくとも2つ、恐れにかかわる脳のバグが生じている。1つ目は、私たちが恐れるようプログラムされている対象は、現状には不適応と言えるぐらいどうしようもなく時代遅れだということ。2つ目は、私たちは観察によって、自分の害になりそうもないさまざまなものへの恐れを、知らず知らずのうちに学習していくということだ。[p.157]」

第6章、無意識に不合理な判断をするUnreasonable Reasoning
・「プライミングとフレーミングとアンカリングはすべて互いに関連した心理現象で、同一の神経メカニズム、つまり、結びついている概念や感情や行動を表すニューロン群の間で活動が拡がる仕組みが原因かもしれない。[p.192]」
・「私たちの生活を形作る判断には、とても相補的な2つの神経システムの産物という面がある。一方の自動システムはすばやく無意識に働き、脳の連合アーキテクチャーに大きく依存している。・・・もう一方の熟慮システムは意識的なもので、努力が必要で、長年の教育や訓練の恩恵を積み上げたときに最善の状態になる。[p.194]」

第7章、広告にすっかりだまされるThe Advertising Bug
・「神経系のオペレーティング・システムがマーケティングにこれほど左右されやすい原因を何か一つに絞ることはできない。だが、模倣によって学習する性向と、脳の連合アーキテクチャーの2つが大きな原因であることは確実だろう。[p.223]」

第8章、超自然的なものを信じるThe Supernatural Bug
・「歴史を振り返っても現状を見ても、信仰には理性も基本的な本能も一様に退ける力があるのを多くのデータが裏づけていることを考えると、超自然信仰はどうやらほかの知的能力のたんなる副産物ではなさそうだ。むしろ、それは私たちの神経系のオペレーティング・システムにプログラムされているのかもしれない。そして、そこで特権的な地位を占めているからこそ、私たちはそれを脳のバグとして認識しにくいのだ。[p.251-252]」

第9章、脳をデバッグするということDebugging
・「脳のバグを認識してその埋め合わせをすることを自らに教え込むために、私たちは神経科学や心理学の知識を使わなければならない。その過程は、自分にとって最も重要な器官の長所と短所を子供たちに教えることによって間違いなく加速できるだろう。誰もが脳の欠点を抱えていることや、私たちの住む世界がますます複雑で生態学的に不自然になってきていることを考えると、脳のバグを受け入れることは、私たち自身の生活と遠くや近くの仲間の生活を発展させ続けるためには避けて通れないステップとなるだろう。[p.270]」
―――

脳科学の知見による人間の思考や行動のパターンの理解は、まだ確立された理論とまではいかないまでも、かなりわかってきたというのが現状のようです。記憶と思考の仕組みがどうなっているのか、どれがどう変わっていくのか、なぜ、人はそのような仕組みを持っているのか(進化)、という観点から考えると、様々な興味深いバイアスや心のバグの原因が統一的に理解でき、対処方法もわかるようになるのではないか、という印象を持ちました。人をマネジメントするうえでも、脳の特性の優れたところを活用しながら、バグによる不都合を回避することは、これからの時代、ますます重要になるのではないかと思います。今後の展開に期待して注目していきたいと思います。


文献1:Dean Buonomano, 2011、ディーン・ブオノマーノ著、柴田浩之訳、「バグる脳 脳はけっこう頭が悪い」、河出書房新社、2012.
原著表題:Brain Bugs: How the Brain’s Flaws Shape Our Lives

参考リンク<2015.4.5追加>



ノート改訂版・補遺2:研究マネジメントの実践に役立つ知識

ノート改訂版・補遺1では、研究マネジメントにおいて特に重要だと思うこと、知っておいて折に触れてチェックすべきこと、知らないと大きな判断ミスを冒す可能性があると思われることをまとめました。ただ、補遺1では内容をかなり絞りましたので、今回は「補遺2」として、実践に役立つ具体的知識をまとめたいと思います。前回同様、内容の選定と記載は個人的な見解に基づいていますので、ひとつの意見として見ていただければ幸いです。詳細は、本ブログ記事へのリンク先をご参照下さい。

研究の不確実性にどう対応すればよいか
・不確実性に対処するには、計画主導ではなく創発的戦略をとることが好ましいとされています。「創発的戦略」をうまく進める方法としてAnthonyらは次の3つのステップからなる方法を提唱しています。(本ブログ:ノート12
1、重要な不確実性の領域を識別する:最初の戦略は間違っている。正確な予測の数字は無意味。
2、効率的な実験を行なう:投資を控えて多くを学ぶ。スピードを上げることは重要ではない。
3、実験の結果に基づいた調整と方向転換を行なう:計画に固執しない。評価指標にとらわれすぎない。
・言い換えれば、当初想定が外れるかもしれない前提で準備すること、試行錯誤をうまく行い多くを学んで成功確率を上げることを狙う、ということと考えます。

人間の思考・予測の限界に注意するには
・まずは、以下の点で人間の思考には限界や誤りの可能性があることを認識すべきと考えます。(本ブログ:意思決定の罠
1、無意識の思考特性に依存する誤り(プライミング、係留と調整のヒューリスティックなど)
2、現象や事実に対する知識や認識不足、認識の誤り(平均への回帰の軽視、ハロー効果、状況の軽視、相関関係と因果関係の混同など)
3、対象自体の予測不可能性(複雑系の現象、創発、発散現象やその原因と発生タイミングの予測、確率的な現象など)
・人間の思考の誤りを理解するための二重過程理論(Kahnemanによるシステム1(速い思考)とシステム2(遅い思考)についての説明):「システム1」は自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。・・・「システム2」は、複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。考えたり行動したりすることの大半は、システム1から発している。だがものごとがややこしくなってくると、システム2が主導権を握る。システム2に困難な要求を強いる活動は、セルフコントロールを必要とする。そしてセルフコントロールを発揮すれば、消耗し不快になる。→こうした傾向により、システム2で対応できない(できなくなった)課題に対してシステム1で対応しようとする時、認識や判断の誤りが発生しやすくなるのだと考えられます(本ブログ:ファスト&スロー、判断の誤りやバイアスの事例については、意思決定理論入門も参照ください)。

競争相手の動きを読むには
Porterの5つの力の枠組みは競争戦略立案に有効とされていますが、最近ではこの枠組みによる検討だけでは持続的競争優位を確立することは難しいという意見が多いようです(本ブログ:持続的競争優位をもたらす戦略とは世界の経営学者はいま何を考えているのか)。しかし、1、サプライヤーとの関係、2、買い手との関係、3、新規参入者、4、代替製品、5、既存企業間の競争状況からなる5つの力の枠組みは、自社および競争相手の置かれた状況を考察するためのチェックポイントとして、いまだ有効なように思います(本ブログ:ノート3)。競争相手の立場に立って状況を整理し、競争相手が保有する資源(技術力も含む)も考え合わせれば、ある程度競争相手の動きは読めると思います。

どんなイノベーションに取り組むべきか
・「補遺1」では、大きな成功をもたらしやすい重要なイノベーションとしてChristensenの「破壊的イノベーション」をあげました。しかしChristensenらも、すでに事業を行っている企業では持続的イノベーションも重要であり、イノベーション資源の少なくとも80%を持続的な改良に配分することを推奨しています。重要なことは、破壊的イノベーションのメカニズムを考慮して、企業の環境や取り組むイノベーションにとって適正な進め方を行うことでしょう。なかでも次の点が重要と考えられます。(本ブログ:ノート4
技術進歩は消費者のニーズを越えて進みやすいため、既存企業はオーバースペック製品を生みやすい。
消費者は本当のニーズを知らないことがある。

既存企業にとっては、参入してきたばかりの後発企業と競争する必要性が感じられにくい(不均等の意欲)。
既存企業には、生まれたばかりの破壊的技術を重要視しにくい社内のバイアスがある。
破壊的イノベーションには、ローエンド型破壊と新市場型破壊がある。
DARPA(アメリカ国防総省国防高等研究計画局)で重視されている研究評価の基準は以下のとおり(これはハイルマイヤー(Heilmeier)の基準と呼ばれ、研究マネジャーがしっかり回答することが求められる質問とのことです)。
1、何を達成しようとしているのか?専門用語を一切利用せずに当該プロジェクトの目的を説明せよ
2、今日どのような方法で実践されているのか、また現在の実践の限界は何か?
3、当該アプローチの何が新しいのか、どうしてそれが成功すると思うのか?
4、誰のためになるか?
5、成功した場合、どういった変化を期待できるのか?
6、リスクとリターンは何か?
7、どの位のコストがかかるか?
8、どれほどの期間が必要か?
9、成功に向けた進展を確認するための中間及び最終の評価方法は何か?

アイデア創造や技術開発以外に取り組むべきこと
・ビジネスモデルの構築:ビジネスモデルを考えるための枠組みとして使いやすそうな方法に「Canvas」があります。Canvasでは、顧客セグメント、価値提案、チャネル、顧客との関係、収益の流れ、リソース、主要活動、パートナー、コスト構造の9要素を図にまとめて関係が視覚化できます(本ブログ:ビジネスモデル・ジェネレーション)。
・関係者との協働、調整:少数の関係者のみでイノベーションを完成することは困難になりつつあるようです。利害関係を見極めて調整し、協働するための手法は未確立だと思いますが、エコシステムを構築するという観点は重要だと考えます(本ブログ:ワイドレンズ)。
・イノベーションを使ってもらう:よいイノベーションであっても、利用者はすぐにはそれを採用しません。「イノベーション普及学」という分野では、この受け入れのプロセスに関わる様々な因子が検討されており、その知見は実践面でも重要な基礎になる考え方だと思います。Rogersは、普及速度に影響するイノベーションの特性として次の5つをあげています(本ブログ:ノート13)。
1、相対的優位性(そのイノベーションが既存のアイデアよりよいと知覚される度合い)
2、両立可能性(そのイノベーションが採用者の既存の価値観、過去の体験、必要性と相反しないと知覚される度合い)
3、複雑性(イノベーションを理解したり使用したりするのが困難であると知覚される度合い)
4、試行可能性(イノベーションを経験しうる度合い)
5、観察可能性(イノベーションの結果が採用者以外の人たちの目に触れる度合い)
・イノベーションの方法論の中で、イノベーションプロセスの比較的広い範囲が考慮されているものとして、次のものが重要と思われます。ラフリーとマーティンによる戦略(本ブログ:P&G式勝つために戦う戦略)、ゴビンダラジャンとトリンブルによる社内既存部署との協働を重視した進め方(本ブログ:イノベーションを実行する)、SRIのカールソンとウィルモットによる進め方(本ブログ:イノベーション5つの原則)、ジョンソンによる破壊的イノベーションを念頭においた進め方(本ブログ:ホワイトスペース戦略)。ただし、あらゆる場合に有効な考え方というものは未確立なようですので、状況に応じてこうした考え方を参考にすべきと考えます。

イノベーションプロセスの比較的狭い範囲における進め方の提案と得失
・オープンイノベーション:協働の進め方としてすでに成功事例が報告されていますが、自社と他社(組織)のアイデアを融合させる、という理想部分が過大評価され、アイデアや技術の移転、仕事の線引きと競争力の問題、インターフェース設計の問題、収益の分配の問題などの課題もあるとされています(本ブログ:技術経営の常識のウソオープン・イノベーションは使えるか)。
・ステージゲート法:プロジェクトの中止がしやすい、研究者にとってやるべきことが明確になり収益意識が高まる、研究テーマとプロセスの見える化により研究部門と事業部門のつながりが強化される、製品化目前になってプロジェクトを中止するようなケースが減る、ということがメリットとされていますが、テーマを『育てる』という側面よりも、想定通りに育たなかったテーマを『切る』という側面に比重がおかれていることには注意が必要と思われます。(本ブログ:技術経営の常識のウソ
・プロジェクトマネジメント:有限期間内に特定の目的の成果物を生み出すために時限的に人が集まって進める活動をきちんと行なうための手法や思想であって、担当者の業務経験を狭くする、コミュニケーションを阻害する、仕事の継続性が失われることで仕事からの学習を阻害する、技術を蓄積しようとするモチベーションを阻害する、組織全体としても技術蓄積を大切なものとして考える意識を希薄化する点が問題とされています。(本ブログ:技術経営の常識のウソ
・このような手法は、得失を理解した上で、状況に応じて使い分けることが必要でしょう。

形式知と暗黙知の違いを考慮した知識創造の進め方
・野中氏らが提唱した組織的知識創造のプロセス(SECIプロセス)をシンプルにまとめると以下のようになるでしょう。この4つの知識変換プロセスを繰り返すことによって組織的知識創造が進むとされています。(本ブログ:創造性を引き出すしくみ、より詳しくは、流れを経営するを読む
1、共同化:個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する
2、表出化:暗黙知から形式知を創造する
3、連結化:個別の形式知から体系的な形式知を創造する
4、内面化:形式知から暗黙知を創造する
ポイントは、暗黙知をどう組織内で相互作用させて新たな知を創造するか、それを個人の知識の充実にどう活かすか、という点だと思います。そのためには、知識の交流を活発化させるための「場」(環境)をうまく作ることが重要になると思われます。

研究者(イノベーションを推進する人)のやる気を引き出すには
・補遺1では、やる気に関わる重要な因子として、Herzbergによる動機付け要因と衛生要因、Maslowの欲求階層理論、Deciによる外発的動機づけと内発的動機づけの考え方を指摘しましたが、この他にも動機づけ、やる気に関わる因子は様々に議論されています。やる気を引き出す具体的な施策を検討する際には、以下の金井氏による整理が参考になると思います。(本ブログ:ノート7モチベーション再考
1、緊張感・危機感・欠乏・心配・不安がやる気を起こす(ズレ・緊張系)
2、夢・希望・目標を持つことで、やる気が起こる(希望・元気印系)
3、その人それぞれの考えで、やる気が起こる(持論(自論)系)
4、コミューナルな関係性、共感がやる気を起こす(関係系)
・上記にも関連する点がありますが、エンパワーメントの観点からは次の要素が重要だと思われます。(本ブログ:モチベーションは管理できる?
有能感(自分の能力を信じ、やればできるという意味での自信のある心理的状態)
自律性(自分自身の行動を自分自身で決定できる状況にある場合に増大する感情)
心理的無力感(がんばろうと努力しているにも拘らずうまく結果が出せなかったり、成果を出したのに周りから評価されなかったりした場合に増大する感情)
成長機会(仕事をこなすことで自分を高めていける、能力を発揮できるような環境かどうか)
権限委譲(自分自身の仕事に関する意志決定が職場の状況としてできるか)
支援(協力してくれる上司やその他の人たちがいる場合に増大する)
状況的無力感(自分にとって不利な職場かどうか、苦手な仕事や、周りから好ましい反応がなかった場合に増大する)

研究リーダーはどうすべきか
・補遺1では、リーダーの役割として、多様性の確保、コミュニケーションの活性化、組織外部との連携調整、部下の育成指導、ロールモデルをあげました。
・グーグルが社内の調査によって明らかにした、評価の高いマネジャーに共通する行動の特性は次のとおり。(本ブログ:データが語るよいマネジャーとは
1、優れたコーチである
2、チームを力づけ、こと細かく管理しない
3、チーム・メンバーの仕事上の成功と私的な幸福に関心を示し、心を配る
4、建設的で、結果を重視する
5、コミュニケーション能力が高く、人から情報を得るし、また情報を人に伝える
6、キャリア開発を支援する
7、チームのために明確なビジョンと戦略を持つ
8、チームに的確な助言をするために、主要な専門的スキルを持ち合わせている

これらは、理想のマネジメントを行うための処方箋と言えるようなものではないと思いますが、実践の際の貴重なヒントを与えてくれる考え方としてひとつの手がかりになるのではないかと思います。


ノート目次へのリンク



「意思決定理論入門」(ギルボア著)より

誰しも正しい意思決定を行いたいという気持ちはあるでしょう。しかし、正しい意思決定とは何なのでしょうか。本ブログでも、人間は様々な状況で、誤った判断や無意識的判断、非合理的判断をすることを紹介してきました(「ファスト&スロー」(カーネマン著)より意思決定の罠(モーブッサン著「まさか!?」より)、など)。もちろん、誤った判断が「正しい判断ではない」ということは言えるでしょうが、誤りがなければ正しい判断なのか、非合理的かもしれないが誤っているとは言えない場合や、誤っているかどうかがはっきりしない場合にはどうすればよいのかなど、正しい意思決定をするために考えておくべきことは多いように思います。

ギルボア著「意思決定理論入門」[文献1]では、判断におけるバイアスやヒューリスティクスの問題も考慮した上で、意思決定において考慮すべきポイントが述べられています。以下、その中から重要と思われる点をまとめておきたいと思います。

第1章、基礎概念
・「何が『より良い選択』なのか?・・・その答えは自明ではない。わたしは、意思決定の結果がどうであったかは、分析の最終段階においては、意思決定者自身の判断によって決められるべきであるという見方を採用している[p.1]」。「本書の主要な目的は、読者であるあなた自身がより良い意思決定をできるよう手助けすることである[p.8]」
・記述的理論:「現実を記述することを目指す理論のこと[p.3]」。「その原理はそれに対応する現実と照らし合わせて検証される。・・・良い記述的理論とは、あなたの周囲の人々がどのように行動しているかをあなたに告げるもの[p.4]」。
・規範的理論:「意思決定者に忠告を与える理論、つまり、意思決定者がどのように意思決定すべきかという指図を与える理論のこと[p.3]」。「その原理は現実に適合する必要はない。・・・良い規範的理論とは、あなたが採用したくなるような理論であり、あなた自身の目で見て良い意思決定を可能にするような理論[p.4]」。

第2章、判断と選択におけるバイアス
・フレーミング効果:「問題文の設定や表現方法が意思決定に与える効果のこと[p.15]」。(例えば死亡率で表現するか、生存率で表現するか、など)。「われわれ消費者に商品を売ろうという仕事に従事している人々はたいてい、どの表現方法が別のものよりも客を引きつけるかについて良いセンスを持っている[p.20]」。形式的なモデルによってフレーミング効果は消すことができる[p.21]。
・賦存効果:「自分が持っているものに持っていないものよりも高い価値をつける傾向だと定義できる。・・・現状維持バイアスと呼ばれる一般原則から導かれる効果と見ることができる。[p.23]」保有しているものについて情報を持っていること、頻繁な選択の変更を防止できること、習慣形成など、現状維持が合理的と考えられる場合もある[p.25-26]。
・サンクコスト(埋没費用):「支払った金額は、回収することができないサンクコストである。多くの合理的な指南によれば、サンクコストは無視すべきである[p.29]」。しかし、サンクコストへのこだわりが正当化されるケースとして、現状維持バイアスが意味をもつ場合、他人を困惑させる可能性、自分の選択を後で後悔する可能性、未完のプロジェクトをだめにしてしまう可能性がある場合などが挙げられる[p.30-31]。サンクコストを無視したい場合には、問題を決定木としてモデル化することが有効。[p.31
・代表性ヒューリスティック:代表的、典型的な表現に影響される。「矛盾のない長い証言は短い証言よりもより信用をもたらす[p.37-38]。
・利用可能性ヒューリスティック:事例の思いだしやすさに影響される。
・係留効果(アンカリング効果):「関係がないかほとんど関係がない情報が持つ影響力・・・、十分なデータがない場合には、人の評価は、関連性が乏しいような情報に影響を受けるかもしれない[p.47]」。「係留のヒューリスティックとは、『アンカー』として機能するある推定値を基準としてそこから推定値を修正していくこと[p.47]」。ただし、「誰かによってもたらされる評価値は、情報量としては乏しいが、評価値であることには変わりはない。[p.48]」
・メンタル・アカウンティング(心の会計):「お金が代替可能なものであっても、・・・あなたのお金は支出の種類ごとに配分される[p.51-53]」。
・動学的非整合性:「あなたが将来の行動についてある選択をし、やがてそれを実行する時が来ると、あなたはそれを実行しようとはしない[p.55]」。

・「人間の心というのは、長い期間にわたって進化してきた、むしろ洗練された推論の道具なのであり、また、恐らくはその目的にとってそれほど悪い道具ではない・・・実質上ほとんどすべての思考様式にとって、良い推論を見いだすことができ、またそれが最適であるようなさまざまな環境を見いだすことができる[p.61]」。

第3章、統計データを理解する
・条件付き確率:「ある側面に関する条件付き確率から別の側面に関する条件付き確率を導き出すのは一般的に難しい[p.67]」。「一般に、2つの事象の条件付き確率が同一になることはない。それでも人々は2つの条件付き確率を同一視してしまう傾向がある[p.74]」。(基礎比率の無視)
・ギャンブラーの錯誤:独立の事象に対して過去の事例から過剰に学んでしまう、大数の法則を誤って適用する、条件付き確率と条件なし確率を混同するなどの誤りをする。[p.77-83
・悪い(偏った)サンプルに要注意
・平均への回帰:「何かをその極端な過去の結果(良いものにせよ、悪いものにせよ)に従って選ぶなら、将来的にはその結果は平均的なものに戻ってくることを期待すべき」[p.86-87]。
・相関関係と因果関係:「単なる相関関係から因果関係を見いだす助けとなる洗練された統計的手法が存在するが、それには限界がある。特に、株式市場の暴落や戦争などといった一回限りの出来事の原因を特定化することは非常に難しい。・・・相関関係は因果関係を意味しないということを覚えておくとよい。[p.90]」
・統計的有意性:帰無仮説が棄却できないことは、それが真であることの証明にはならない。[p.91
・ベイジアン統計学と古典統計学:「古典統計学とベイジアン統計学は非常に異なった種類の問題に用いられるべき統計手法であるということが大事なのである。もしあなたが何かを立証したい、つまり、『客観的に(統計的に)証明された』ものとして受け入られる結論を主張できるようになりたいなら、用いるべき手法は古典統計学である。もしあなたが自分にとって最善の選択となるような判断や決定を行いたいのなら、誰かを説得することなどに顧慮する必要はないので、選ぶべき手法はベイジアン統計学になるだろう。[p.100]」

第4章、リスク下の意思決定(「リスク、すなわち既知の確率を伴う状況における意思決定」)
・「確率変数の期待値とは対照的に、期待効用はより多くの意味を持つ。・・・フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの定理は、あなたはある効用関数の期待値を最大化するかのように振る舞うという非常に緩やかな想定をしている[p.124]」
・プロスペクト理論の「1つの特徴は、人々は提示された確率に対して非線形的に反応すると主張している点である[p.133]」。もう一つの要素は、「人々は富の絶対的な水準ではなくその変化に反応すると考えている点[p.134-135]」。

第5章、不確実性下の意思決定
・「われわれの人生における多くの重要な意思決定は、同じような仕方で繰り返されるような事象には依存しておらず、i.i.d(「identically and independently distributed、同一で独立の分布[p.77]」)の事象であるという仮定は成り立たない[p.149]」。
・「パスカルは既に確率論という道具を用いて、客観的な確率が存在しない不確実性の状況についての直観と論理を分離していた。その考えは、たとえ事象に割り振る確率が客観的に、あるいは科学的に推定されないとしても、不確実性を数量化することによって課される規則そのものが有用であるかもしれないというものだった。科学的・客観的査定を引きだすための情報がほとんど十分に手に入らないので、あなたが手にする確率は主観的なものに限られる。しかし、確率論という道具を主観的確率に用いれば、あなたの信念は内的には整合的なものであることが保証される。人があなたの査定を実際のデータと比較すると、あなたの査定は正しくないかもしれないが、少なくともあなた自身は自分の信念の間で矛盾するような愚かな結果にはならないはずである。[p.150]」
・「解くべき問題に対して正しいモデルを用いることがとてつもなく重要である。・・・不適切なモデルによって分析を始めると、間違った問題に対する数学的に正しい解を得ることになってしまう。・・・モデル形成において暗黙的になされている隠れた仮定に気をつけるべきである。・・・あなたが情報を知る仕方は、それ自体で、またそれ自身について、参考になる情報をもたらすかもしれない。時には、あなたが何かについて知っている、あるいは知らないという事実そのものが、何か新しいことを伝えてくれるものである。[p.173-174]」
・第3章では「因果関係を確証することは困難であり、しばしばそのために十分なデータが手に入らないことが確認された。しかし、意思決定問題の分析においては、たとえ小さな主観的確率を割り当てるだけに終わるとしても、潜在的な因果関係に注意しておくことが要求されるのである。[p.178]」
・確実性原理(sure thing principle):「エルズバーグがその実験で発見した現象とは、多くの人々が不確実性回避的であるということである。つまり、他の事情が一定であるならば、人々は既知の確率を未知の確率より好む、あるいはリスクを不確実性より好むということである。リスク回避性の場合と同様に、不確実性回避性は損失が出る局面よりも利益が出る局面においてはるかに良く見られ、また、恐らく・・・損失回避性の場合と同じ効果によって、人々は損失が出る局面では不確実性愛好になるかもしれないという証拠がある。[p.180]」
―――

結局のところ、著者が「あなたにとって何が良い決定であるか決めるのはあなた自身であるという見方を強調してきた[p.201]」と述べているとおり、「正しい」意思決定のための決まった方法などはない、ということなのでしょう。しかし、意思決定にあたって明らかに間違った判断や、望んでいない判断、首尾一貫せず自分自身が混乱してしまうような判断をしないために、さらに納得感の高い意思決定を可能にするために意思決定理論は活用可能だということは言えるように思います。

研究を行う上では、意思決定の考え方は以下の2つのケースで特に重要になると考えられます。
1、情報に基づいてどのような行動をとるべきかを決定する(一般の意思決定と同じ)。

2、データに基づいて、より真実に近い情報を明らかにする。
上記1については、研究に限らず重要なことですので、特に議論は不要でしょう。2は、自分の行動を決める際の選択、意思決定とは異なりますが、未来予測のための根拠となる理論を打ち立てたり、データを集め、解釈することにより、ある事象が起こる確率の推定精度を向上させるために、意思決定論の考え方は特に重要だと思います。集めたデータがバイアスによって歪められていないか、ヒューリスティックによって誤った結論が導かれていないか、統計的に誤ったデータ解釈をしていないか、等の点には常に注意が必要ですし、精度の高い結論を得るためにはどのようにデータをとるべきかという研究計画立案の問題を考える場合にも、本書に述べられた注意点は活かせると思います。

結局のところ、研究活動とは、不確実性の高い現象を検討対象として意思決定を繰り返し、その不確実性をリスク(成功確率を評価できるもの)に転換し、さらにそのリスク(失敗確率)をできるだけ下げていくプロセスと考えられます。その検討対象の中に人間の行動が含まれているならば、意思決定に関わる記述的知識も必要でしょう。また、場合によってはヒューリスティックを積極的に活用して、判断のスピードを上げることも求められるかもしれません。意思決定の方法を学ぶだけではなく、意思決定のメカニズムや原理もよく理解した上で、創造的に意思決定理論を活用していくことが研究者には求められているような気がします。


文献1:Itzhak Gilboa, 2011、イツァーク・ギルボア著、川越敏司+佐々木俊一郎訳、「意思決定理論入門」、NTT出版、2013.
原著表題:Making Better Decisions: Decision Theory in Practice

参考リンク<2014.9.28追加>



経営判断の頼りなさと経営学(ヴァーミューレン著「ヤバい経営学」より)

誰でも、自ら進んで誤った判断をしたい人はいないと思います。経営者も会社の成功のため、正しい判断をしようとしているはずだと思いたいところですが、本当にそうでしょうか。ヴァーミューレン著「ヤバい経営学」[文献1]では、「ビジネスで何が起きているかを明らかにする。経営者の正体を探り、ビジネスの世界に見られる誘惑、さまざまな仕組みによる影響、また、ときに無意味な仲間意識や、企業の戦略というものを細かく見ていく[p.4]」ことをつうじて、経営における様々な判断、行動がいかに頼りないものかが示されています。邦訳の書名からは世間受けを狙った本という印象を持たれてしまうかもしれませんが、そんなことはなく、原著の表題(Business Exposed: The Naked Truth about What Really Goes on in the World of Business)が示すとおり、知っておいて損はない様々な話題、特に「ビジネスにおけるおかしな点」が取り上げられていて興味深く感じました。

本書の特徴は、「説明することはすべて、厳格な研究と立証できるだけの事実にきちんと基づいている[p.5]」ということでしょう。実際、企業での実務で感じていた日頃の疑問が解消されたと思えるような話題もありました。以下では、特に興味深く思われた点を、私なりの分類で整理したいと思います。

経営者の意思決定には何が影響するか
・「競合他社もやっているから」、集団慣性(不思議な習慣)[p.9-12
・「多数の無知」:「自分たちが間違った方向に向かって進んでいることに気づいても、誰もそれを口に出さなければ、行き詰るまでみんなでその現状を維持してしまう[p.17]」。
・「最適弁別性理論」(「少し変わったことをしようとする[p.18-19]」
・成功の罠:「大きな変化が起きると、成功して油断していた企業は、新たな状況にうまく対応できない[p.44]」。
・視野狭窄(トンネルビジョン):「頭を支配しているエゴが、視覚をねじ曲げることで起きる[p.47]」。
・立場固定:状況がよくなくてもプロジェクトをやめられない[p.51]。
・集団思考:メンタルモデルに沿わない考え方を無視し、集団で非合理的な意思決定をしてしまう。[p.54
・「激しさや野心といった性質は、部族の長になるのに役立つものであっても、将来的に安定した組織を築くためには有益であるわけではない」「トップになる可能性の高い人の性格とは、部族をトラブルに巻き込むものでもある」[p.77]
・「買収経験豊富で自信過剰な経営者は、ほとんどの場合、自分の掘った穴に落ちてしまう[p.105]」。
・「会社が異なったり、時期が異なったりすれば、異なったリーダーが必要[p.120]」。
・利益の相反:コンサルティング会社などで企業内部で機密が漏れないようにする「チャイニーズウォール」は十分とはいえない[p.128-131]。「アナリストは利益の相反という問題を抱えている[p.131]」。
・「わたしたちは自分に似た人が好きだ。そして、自分に似た人こそ、他の人より優秀だと考える[p.151]」。
・「経営者がストックオプションを大量に持っているときは、経営者はリスクを積極的に取るようになる。」「ストックオプションを多く抱える経営者は、大勝よりも大敗することのほうが多い。」[p.158-159
・予言の自己実現:「人間は何がうまくいって、何がうまくいかないかについて先入観念を持っている。よって結果的に、その思い込みが正しいと信じ込んで無意識に頑張る。[p.178]」

情報解釈の誤り
・「選択バイアス」:「何らかの理由で選ばれた部分的な結果ばかりを見て、間違った結論を導く[p.21]」。
・「数字ばかりに目を向けていると、重要だが数値化できない視点が抜け落ちてしまう[p.24]」。
・フレーミング効果:「少し書き方が異なるだけで、同じ選択肢から選ぶ答えが変わってくる[p.61]」「問題が『チャンス』になるのか『脅威』になるのかは、結局は捉え方次第[p.63]」。
・「ビジネスやリスクを伴う場面では、『最優秀者』には注意をしよう。一番トップに来ている人は、ラッキーなだけのおバカさんであることが多いからだ。[p.112-113]」
・「対応バイアス」:「うまくいっていると、自分の手柄にする。うまくいかないと、他人のせいにする。」「競合他社の業績になると、このバイアスはさかさまになる。経営者は、競合他社の好業績を外部環境のせいにし、競合他社の不振はその会社の経営者の問題のせいにする。[p.113-114]」
・「私たちや投資家、アナリストなどは、企業が発表している内容について気にする反面、企業が実際に何をしているかについては、あまり気にしていない[p.176]」。
・「『関係があることと、因果関係があることは異なる』・・・成功企業がコアビジネスに集中し、強固な企業文化を持っているからといって、成功の原因だということにはならない。・・・そういう成功企業の特徴をただ真似ることは、逆に会社を成功から遠ざけてしまう可能性がある[p.182-183]」。

戦略に関する問題
・「大成功に導く戦略、または非常に革新的な戦略というものは、合理的なプロセス、もしくは経営トップの独断から生まれることはない[p.40]」。
・「対脅威萎縮効果」:苦しい会社はコアビジネスに集中し、自分たちが考える強みを、今まで以上に強化しようとする。それと同時に、コアビジネス以外のビジネスは切り離して、コストを切り詰め、嵐をなんとかやり過ごそうとする[p.64]
・「時間圧縮の不経済」:「組織が努力や成長を短期間に詰め込むのは、それを長い期間にわたって行うよりも非効率である(ディリックス、クール)[p.83]」。
・「ほとんどの買収は失敗する[p.102]」。
・経営合理化:「普通の会社は人員削減の恩恵を受けることはできない。もちろん、経営不振の企業は何か手を打たなければいけない。しかし、ただ人数を減らすだけでは、どうにもならない」「なぜ人員削減策がうまく機能しないのか。最初に言えるのは、・・・残った社員のモチベーションを下げるからだ。」[p.187
・流行りの経営手法(目標管理、ゼロベース予算、トレーニンググループ(Tグループ)、Y理論、Z理論、多角化、マトリックス組織、社員参加型経営、歩き回る経営、多能工化、QCサークル、BPR(ビジネスプロセス・リエンジニアリング)TQM(総合的品質管理)、チーム経営、シックスシグマ、ISO9000といったもの):「流行りの経営手法を導入した会社は、導入していない会社と比べて業績が良いわけではない」[p.190]。「経営手法は、組織の機能を改善させるためにある。しかし、実際はただ効果がないだけではなく、予想もしなかったマイナスの結果を生むこともある。この予想もしなかったマイナス結果は、表面化するまで時間がかかる。そのため、企業はこの長期的には全く効果がない手法を導入してしまう[p.193]」。
・「長期的な戦略に固執して、ただ着実に実行しようとすると、目の前に突然現れる障害物に素早く反応できない。[p.224]」
・「成功した会社は、長期的にはトラブルに巻き込まれることが多い。その理由は、視野が狭くなり、同じことをやり続けるようになるからだ。・・・定期的な組織再編は、このような硬直化を防ぐことができる[p.257]」。
・「多くの企業は間違った金銭ベースの理論に基づいて、間違ったやり方を実践している。それは、結果的に企業が望む結果を達成するどころか、むしろ阻害してしまっている。[p.277]」

・メジャーリーグチームの調査では、給与格差が大きいほどチームの成績は低迷する。[p.279-280

イノベーション・研究開発について
・活用が探索を追い出す:「組織は自分たちの得意なこと、成功し儲かっていることにますます集中しようとする。しかしこんなやり方は、今は儲からなくても、長期的には重要になる(もしくは、すでに重要な)ものを犠牲にしている[p.56]」。
・「会社が古く、そして金持ちになればなるほど、イノベーションが起きなくなる」「古い企業でも多くのイノベーションを生み出しているが、そのイノベーションはあまり重要ではなかったり、今までの研究の焼き直しだったりすることが多い」[p.59]。
・「うまくいっていないときは、イノベーションを起こすチャンスなのだ。嵐をやり過ごせるという、はかない希望にすがって、避けることができない未来をただ待ってはいけない。嵐で本当に死ぬかもしれない。そうではなく、手段があるうちに嵐から抜け出さなくてはいけないのだ。[p.68]
・「業績の悪化に直面しているときには、・・・オープンになることだ。新しいアイディアやイノベーションが起こるように、ボトムアップで試行錯誤してみるのだ[p.70]」。
・「企業がISO9000を導入すると、既存分野の発明が急激に増えていた。その反面、新しい革新的なイノベーションが犠牲になっていた。[p.194]」
・「社内文書データベースは、どんなに頑張ってもあまり役には立たない。・・・本当に重要なノウハウは、紙に書くことができないことが多い・・・そのノウハウとは、組織や競争力の源泉にもなっている、複雑な構造の一部だ。こういうものは、表現したり紙に印刷したりできない、大きな暗黙知の部分を持っている。つまり、このノウハウを得るには、直接やりとりしないといけないのだ[p.214-215]」。
・「研究開発に投資することには、2つのメリットがある。一つ目は新しいものの発明だ。二つ目は他社が発明したものを理解し、吸収し、適用する能力の獲得だ。[p.218]」
・中国の医薬品業界のイノベーションを調査した結果では、イノベーションは成長ももたらさず、存続率を長くする効果もない[p.226-228]。
・「イノベーションを生み出す革新的な組織であり続けることは簡単ではない・・・。業績が悪化するまでイノベーションに投資するのをやめたとしよう。業績が悪くなり、問題から抜け出すためにイノベーションを起こそうとしても、手遅れだ。意味のあるイノベーションを起こすには時間がかかる。[p.231]」
・「利益を出すのは良いことだ。多ければ多いほうがよい。しかし、イノベーションがあり続ければ長期的に安定できるし、イノベーションは従業員や顧客をエキサイティングにするだろう[p.233-234]。」
・「多くの会社が、自社だけで革新的になるのは難しいと気づいた。本当のイノベーションを起こすためには、当然さまざまな能力と知識、洞察力が必要だ。しかし一つの組織が、そのような多様性を持つ例は少ない。何か根本的に新しいものを見つけようとするならば、会社の外に目を向けたほうがよいだろう。・・・これは『イノベーションネットワーク』と呼ばれる。他社の知識にアクセスし、自分たちのリソースに加える。そして、自社だけではできなかったことをやろうとする。[p.259]」
――

本書に述べられた様々なトピックスから浮かび上がってくることは、我々が経営に関して持っている認識がいかに当てにならないか、ということではないかと思います。経営者は会社のためを思って様々な判断をしているだろうと思っている認識も危ういものですし、様々な経営手法や考え方も実態は怪しいものである、ということでしょう。経営者や企業経営に影響力のあるコンサルタント、アナリストの判断の危うさには、個人の判断の危うさが影響しているでしょうし、組織としての判断に個人の判断の要素が入り込んでくるという問題も考えられると思います。経営手法については、特定の課題の解決を目指した手法の適用限界という問題、長期的な影響という問題があることは十分に考慮する必要があるでしょう。

では、なぜこうしたことが今まで広く受け入れられてきたのでしょうか。恐らくは、その真偽を明らかにすることができていなかったためなのでしょう。調査と統計的解析に基づく近年の経営学研究によって、経営の実態と経営に関する様々な考え方の有効性が明らかになってきたとすれば、喜ぶべき進歩なのではないでしょうか。もちろん、それぞれの研究結果の適用限界には注意が必要ですし、すべての問題が統計的な手法で解析できるわけではないでしょうが、ある考え方の効果が検証できるようになり、使える考え方と単なる思い込みに過ぎない考え方が区別できるようになってきたとすれば、実務家にとっては非常に役に立ちます。そこまでいかなくても、実務上なんとなく不審に感じていたことの実態がわかったり、何がよくて、何がまずいのかに関して、注意すべき点や解決のヒントが得られたりするだけでも有用です(本書の話題のいくつかは実務的にも重要な示唆を含んでいると感じました)。最終的には問題点の解決策を提示しなければならないとしても、まずは問題点を正しく認識することが出発点になるでしょう。本書のようなアプローチはその意味からも重要だと言えるのではないでしょうか。

経営学が真に使える学問になるためにはまだまだ発展が必要でしょう。著者は「昔のヤブ医者は『血を出すこと』によってすべての病気を治せると言った[p.4]」ことを例えに出していますが、経営学で「当たり前」とされていることはまだヤブ医者のレベルなのかもしれません。人の意思を扱う経営学の研究は医学の研究よりも難しいとは思いますが、経営行動の本質に少しでも近づくことで、よりよい経営方法、イノベーションの進め方が明らかになるのではないか、と思いますし、いずれの日にか、こうした知見が体系化されることにも期待したいものです。


文献1:Freek Vermeulen, 2010、フリーク・ヴァーミューレン著、本木隆一郎、山形佳史訳、「ヤバい経営学 世界にビジネスで行われている不都合な真実」、東洋経済新報社、2013.

参考リンク<2014.2.23追加>




「ファスト&スロー」(カーネマン著)より

今回は、心理学者であり、ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンによる「ファスト&スロー」[文献1]についてとりあげたいと思います。本ブログでも、ヒューリスティクスやバイアス、意思決定感性限界の問題について触れてきましたが、行動経済学の創始者の一人とされ、心理学者としてこうした問題を研究してきたカーネマンによって述べられる内容は、この分野の基礎となりうるものだと思います。以下、各章の内容を簡単にまとめてみたいと思います。

第1部、2つのシステム:判断と選択を2つのシステムで説明する二重過程理論に基づくアプローチが取り上げられます。

第1章、登場するキャラクター――システム1(速い思考)とシステム2(遅い思考):「『システム1』は自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。・・・『システム2』は、複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。」「考えたり行動したりすることの大半は、システム1から発している。だがものごとがややこしくなってくると、システム2が主導権を握る。・・・システム1とシステム2の分担はきわめて効率的にできている。すなわち、努力を最小化し成果を最適化するようになっている」。思い違いという錯覚を『認知的錯覚(cognitive illusion)』と呼ぶ。

第2章、注意と努力――衝動的で直観的なシステム1:「システム2にしかできない重要な仕事は・・・努力や自制を要する仕事で、このようなタスクの実行中には、システム1の直感や衝動は押しのけられる。」

第3章、怠け者のコントローラー――論理思考能力を備えたシステム2:「システム2が忙殺されているときには、システム1が行動に大きな影響力を持つ」。「システム2に困難な要求を強いる活動は、セルフコントロールを必要とする。そしてセルフコントロールを発揮すれば、消耗し不快になる。」「システム2は論理思考能力を備えていて注意深い。しかし、少なくとも一部の人のシステム2は怠け者である」。システム1、システム2の名称を最初に提案したのは、スタノビッチとウェスト(最近ではタイプ1、タイプ2という表現)。

第4章、連想マシン――私たちを誘惑するプライム(先行刺激):システム1は状況をできるだけ筋道の通るものにしようと試み、因果関係に仕立てる。プライミング効果(priming effect)により、「自分では意識してもいなかった出来事がプライムとなって、行動や感情に影響を与える。」

第5章、認知容易性――慣れ親しんだものが好き:繰り返された経験、見やすい表示、プライムのあったアイデア、機嫌がいい状態などは認知容易性(cognitive ease)をもたらし、親しみ、信頼、快感、楽だという感じを引き起こす。慣れ親しんだものは好きになる、これが単純接触効果(mere exposure effect)。

第6章、基準、驚き、因果関係――システム1のすばらしさと限界:システム1は周囲の状況を連想によって関連づけ、世界を表すモデルを構築し、その予想に反することに驚く。システム1は手持ちの断片的な知識を結びつけて、つじつまの合う因果関係をこしらえる。

第7章、結論に飛びつくマシン――自分が見たものがすべて:「システム1はだまされやすく、信じたがるバイアスを備えている。」「自分の信念を肯定する証拠を意図的に探すことを確証方略と呼び、システム2はじつはこのやり方で仮説を検証する」(確証バイアスconfirmation bias)。「ある人のすべてを、自分の目で確かめてもいないことまで含めて好ましく思う(または全部を嫌いになる)傾向は、ハロー効果(Halo effect)として知られる。」システム1の形成する世界のモデルは現実以上に一貫性がある。「限られた手元情報に基づいて結論に飛びつく傾向は、・・・自分の見たものがすべて(what you see is all there is, WYSIATI)だと決めてかかり、見えないものは存在しないとばかり、探そうともしないことに由来する。」「情報の質にも量にもひどく無頓着」

第8章、判断はこう下される――サムの頭のよさを身長に換算したら?:「システム1は、とりたてて目的もなく、自分の頭の中と外で起きていることを常時モニターし、状況のさまざまな面を絶えず評価している。こうした日常モニタリングは、難しい問題の置き換えに威力を発揮し、直感的判断で重要な役割を果たす。これが、ヒューリスティックスとバイアスの基本である。」システム1は平均はうまく扱えるが、合計は苦手。含まれているものの数を無視しがち。システム1には、他に、次元の異なる価値を変換して比較する能力(レベル合わせ、intensity matching)、「状況のある面だけを評価しようとしても、そこに照準を合わせることができず、日常モニタリングも含めた他の情報処理が自動的に始まってしまう(メンタル・ショットガン、(mental shotgun)」傾向がある。

第9章、より簡単な質問に応える――ターゲット質問とヒューリスティック質問:「もともと答えるべき質問を『ターゲット質問』、代わりに答える簡単な質問を『ヒューリスティック質問』と呼ぶ」。「ヒューリスティックスの専門的な定義は、『困難な質問に対して、適切ではあるが往々にして不完全な答えをみつけるための単純な手続き』」。「スロビックは、好き嫌いによって判断が決まってしまう『感情ヒューリスティック(affect heuristic)』の存在を提唱している。」

第2部、ヒューリスティックスとバイアス

第10章、少数の法則――統計に関する直感を疑え:「少数の法則とは、大数の法則は小さな数にも当てはまるとする法則」(これは研究者に対する皮肉)。「小さい標本に対する過剰な信頼は、より一般的な錯覚の一例にすぎない。その錯覚とは、私たちはメッセージの内容に注意を奪われ、その信頼性を示す情報にはあまり注意しないことである。その結果、自分を取り巻く世界を、データが裏付ける以上に単純で一貫性のあるものとして捉えてしまう。」「連想マシンには、原因を探すという性質がある。」

第11章、アンカー――数字による暗示:「ある未知の数値を見積もる前に何らかの特定の数値を示されると、・・・見積もりはその特定の数値の近くにとどまったまま、どうしても離れることができない。」この現象が、アンカリング効果(anchoring effect)(または係留効果)。

第12章、利用可能性ヒューリスティック――手近な例には要注意:事例が頭に思い浮かぶたやすさ、予想していたほどたやすく思いだせるかどうかで頻度を判断するのが、利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)。

第13章、利用可能性、感情、リスク――専門家と一般市民の意見が対立したとき:感情ヒューリスティックは置き換えの一種であり、難しい質問(それについて自分はどう考えるか?)の代わりに、やさしい質問(自分はそれを好きか?)に答えている。「政策立案者は、市民を現実の危険から守るだけでなく、不安からも守るべく努力しなければならない。」

第14章、トム・Wの専攻――「代表性」と「基準率」:代表性(representativeness)とはステレオタイプとの類似性。基準率(base rate)とは、もともとの存在比率。「確率(可能性)を見積もるのは難しいが、類似性を判断するのはたやすい。」「ステレオタイプには一面の真実があり、それが代表性の判断を支配している。」「だが、ステレオタイプが誤解に基づいていて、代表性ヒューリスティックが判断を誤らせることもよくある。とりわけ基準率が代表性とはちがうことを示唆しているときに、基準率情報を無視するのは、誤判断につながりやすい。」

第15章、リンダ――「もっともらしさ」による錯誤:2つの事象が重なって起きることと単一の事象を直接比較したうえで、前者の確率が高いと判断する錯誤が『連言錯誤(conjunction fallacy)』。「つじつまの合うストーリーの大半は、必ずしも最も起こりやすいわけではないが、もっともらしくは見える。そしてよく注意していないと、一貫性、もっともらしさ、起こりやすさ(確率)の概念は簡単に混同してしまう。」

第16章、原因と統計――驚くべき事実と驚くべき事例:基準率には2種類ある。「一つは『統計的基準率』で、これは母集団に関する事実である。しかしこの数字は、個々の予測では無視されがちである。もう一つは『因果的基準率』で、こちらは個々の予測を変える効果がある。」因果的基準率とは因果関係を確率的に表現したようなもの。驚くべき個別の事例は強烈なインパクトを与える。

第17章、平均への回帰――誉めても叱っても結果は同じ:ランダムな値の変動に基づく平均への回帰(regression to the mean)は理解されにくい。「回帰が検出されると、ただちに理由づけが始まる。だがこれは誤りだ。平均回帰を説明することはできても、原因は存在しない。」「システム2がこれを理解困難と感じるのは、のべつ因果関係で解釈したがるシステム1の習性のせい」

第18章、直感的予測の修正――バイアスを取り除くには:「根拠薄弱な情報に基づいて極端に偏った予測やごく稀な事象を予測するのは、どちらもシステム1のなせる技である。・・・システム1は、手元情報がら作り出せるストーリーの筋が通っているときほど自信を持つので、ごく当然のように自信過剰な判断を下す。・・・直感は極端に偏った予測を立てやすいものだと肝に銘じ、直感的予測を過信しないよう気をつける」べき。

第3部、自信過剰

第19章、わかったつもり――後知恵とハロー効果:「人間の脳の一般的な限界として、過去における自分の理解の状態や過去に持っていた自分の意見を正確に再構築できない」。その結果、「必然的に、過去の事象に対して感じた驚きを後になって過小評価することになる。」これが後知恵バイアス(hindsight bias)。「企業の成功あるいは失敗の物語が読者の心を捉えて離さないのは、脳が欲しているものを与えてくれるからだ。・・・こうした物語は『わかったような気になる』錯覚を誘発し、あっという間に価値のなくなる教訓を読者に垂れる。」

第20章、妥当性の錯覚――自信は当てにならない:「自分たちの予測が当てずっぽうより少しましであることを知っていた。それでもなお、自分たちの評価は妥当だと感じていた。」これが妥当性の錯覚(illusion of validity)。「強い主観的な自信がいくらあっても、それは予測精度を保証するものではない」。「とはいえ、近い将来に関する限り、評論家の知見には価値がある。」

第21章、直感対アルゴリズム――専門家の判断は統計より劣る:予測困難な問題に関して、専門家の予測が単純なアルゴリズムに負けてしまうのは、いろいろな要因を複雑に組み合わせて予測を立てようとすること、複雑な情報をまとめて判断しようとすると一貫性が欠けてしまうことのため。

第22章、エキスパートの直感は信用できるか――直感とスキル:直感がスキルとして習得できる可能性が高いのは、「十分に予見可能な規則性を備えた環境であること、長期間にわたる訓練を通じてそうした規則性を学ぶ機会があること」。

第23章、外部情報に基づくアプローチ――なぜ予想ははずれるのか:「ベストケース・シナリオに非現実的なほど近い、類似のケースに関する統計データを参照すれば改善の余地がある」、ような計画や予測が「計画の錯誤」と呼ばれる。

第24章、資本主義の原動力――楽観的な起業家:楽観的な自信過剰が楽観バイアス。意思決定にあたっては、よい面も悪い面もあるが、「ものごとを実行する段になったら、楽観主義はプラスの効果の方が大きいだろう。」「学術研究も失敗率が高く、楽観主義が成功に必須の分野ではないかと私はつねづね考えている。」

第4部、選択

第25章、ベルヌーイの誤り――効用は「参照点」からの変化に左右される:「富の効用によって幸福の度合いが決まる」という「ベルヌーイの理論はまちがっている。」「感じるしあわせは、当初の富の状態に対する変化によって決まるのである。この当初の状態を参照点(reference point)と呼ぶ。

第26章、プロスペクト理論――「参照点」と「損失回避」という2つのツール:プロスペクト理論の3つの認知的特徴は、1)評価が参照点に対して行われること、2)感応度低減性(diminishing sensitivity)、3)損失回避性(loss aversion)。合理的経済人であるエコンに対し、ふつうの人であるヒューマンを想定している。

第27章、保有効果――使用目的の財と交換目的の財:持っているだけで価値が高まるような場合を「保有効果(endowment effect)」と呼ぶ。自分が使用する目的で保有する財と、交換する目的での財との違いが影響する。

第28章、悪い出来事――利益を得るより損失を避けたい:「損失回避は現状の変更を最小限にとどめようとする強い保守的な傾向であり、組織にも個人にも見受けられる。近所付き合いや結婚生活や職場で安定した状態が維持されるのは、こうした保守的な傾向が寄与しているといえよう。」

第29章、四分割パターン――私たちがリスクを追うとき:選好の四分割パターンは、1)高い確率で大きな利得を手にできる見込みを前にすると、人々はリスク回避的になる(確実な利得を選ぶ)。2)低い確率で大きな利得が得られる場合、リスク追求する(宝くじなど)、3)低い確率で大きな損失がある場合、リスク回避的になり平安を買う(保険など)、4)高い確率で大きな損失がある場合、リスク追求的になりなんとか損を防ごうとする。

第30章、めったにない出来事――「分母の無視」による過大な評価:「稀な事象の確率がよく過大評価されるのは、記憶の確証バイアスが働くから」。頭の中で現実のものとして思い描くと確率が過大評価され、それでない場合は一転して無視される(稀な事象を経験していないから)。

第31章、リスクポリシー――リスクを伴う決定を合理的に扱う:「私たちは『見たものがすべて』と考えやすく、頭を使うことを面倒くさがる傾向がある。・・・私たちは、自分の選好をつねに首尾一貫したものにしたいとも思っていないし、そのための知的資源も持ち合わせていない。私たちの選好は、合理的経済主体モデルで想定されているような美しい整合性にはほど遠い」。リスクポリシーを決め、広いフレーミングをすることはバイアスを打ち消す効果がある。

第32章、メンタル・アカウンティング――日々の生活を切り盛りする「心理会計」:投資家が銘柄ごとに勘定を設定し、その勘定を最後は黒字で締めたいと考えていることは、気質効果(disposition effect)と呼ばれる。「他にもっとよい投資先があるにもかかわらず、損を出している勘定に追加資金を投じる決断は、『サンクコストの錯誤(sunk-cost fallacy)』として知られる。後悔を避ける気持ち、あらゆるリスクの増加を認めないトレードオフのタブー視も意思決定に影響する。

第33章、選好の逆転――単独評価と並列評価の不一致:「単独評価の場合には、システム1の感情反応が強く反映されるため、一貫性を欠きやすい。」

第34章、フレームと客観的事実――エコンのように合理的にはなれない:問題の提示の仕方が考えや選好に不合理な影響をおよぼす現象がフレーミング効果。こうした場合には選好は問題のフレームの好き嫌いと解釈できる。「大事なのは、こうした認知的錯覚の存在を示す証拠は否定できないこと」。

第5部、二つの自己

第35章、二つの自己――「経験する自己」と「記憶する自己」:経験する自己(experiencing self)は今の状態を評価する。記憶する自己(remembering self)はそのうちの代表的な瞬間だけで代表させる(ピークと終了時(ピーク・エンド)を評価、持続時間は無視)。

第36章、人生は物語――エンディングがすべてを決める:人生におけるしあわせの評価もピーク・エンドに左右され、持続時間は無視される。

第37章、「経験する自己」の幸福感――しあわせはお金で買えますか?:「所得が多いほど生活満足度は高まる」が、「閾値を超えると所得に伴う幸福感の増え方は、平均してなんとゼロになる。」「人々の生活評価と実際の生活での経験は、関連性はあるとしても、やはり別物」。

第38章、人生について考える――幸福の感じ方:「私たちは、幸福の概念を複合的に捉える必要性を認め、二つの自己それぞれの幸福を考えるべきだろう。」そのとき注意が向けられていた生活の一要素が、総合評価において不相応に大きな位置を占めることを「焦点錯覚(focusing illusion)」と呼ぶ。

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以上が本書に述べられた概念のまとめです。できる限り短くまとめたかったので、多少無理しているところがありますが、ご容赦ください。ちなみに著者は、結論の章で、次のように述べています。「私たちは、自分自身の判断や意思決定をどうしたら向上させられるだろうか。・・・一言で言えば、よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めない。・・・システム1に起因するエラーを防ぐ方法は、原理的には簡単である。認知的な地雷原に自分が入り込んでいる徴候を見落とさず、思考をスローダウンさせ、システム2の応援を求めればよい。・・・だが残念ながら、最も必要なときに限って、こうした賢明な手段はめったに講じられないものである。・・・それに引き換え、他人が地雷原に迷い込もうとしているときにそれを指摘するのは、自分の場合よりはるかに簡単である。・・・ことエラーの防止に関する限り、組織のほうが個人よりすぐれている。組織は本来的に思考のペースが遅く、また規律をもって手続きに従うことを強制できるからだ。・・・一部なりとも明確な用語の定義を決めて共通の文化を浸透させ、地雷原に近づいたらお互いに警告を発することができるのも、組織の強みである。・・・建設的に批判するスキルには、的確な語彙が欠かせない・・・オフィスでの井戸端会議が質的に向上し語彙が的確になれば、よりよい意思決定に直結するだろう[下p.272-274]」。人間の認知、意思決定に存在する問題点を認識することがまず必要なことは言うまでもありませんが、問題への対処法として組織的な協力が示唆されている点が特に意義深いと感じました。人間の思考と行動を理解する上で、これからの基本的概念になりうるものだと思うのですが、いかがでしょうか。


文献1:Daniel Kahneman, 2011、ダニエル・カーネマン著、村井章子訳、「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 上、下」、早川書房、2012.

原著表題:Thinking, Fast and Slow

原著webページ:http://us.macmillan.com/thinkingfastandslow/DanielKahneman


 

 

いかに判断、予測するか(ダンカン・ワッツ著「偶然の科学」より)

判断すること、予測することは、研究開発のあらゆる場面で求められます。研究開発部隊に求められるのは技術的な判断であることが多いでしょうが、研究開発をビジネスとして成功させるためには、経営や人間の行動に関する分野での判断や予測も求められ、その結果が研究の成功を左右する場合もあるはずです。

ダンカン・ワッツ著「偶然の科学」[文献1]では、社会科学の分野で下される判断や推論、予測について述べられています。人間が関与する判断は、科学的な判断に比べて困難なこと、我々が常識的に行なう判断が誤っている場合が多いこと、正しい判断が難しいのは、判断する人間の問題とともに、その事象にもっともらしい原因を求めること自体が不可能な場合があることなどが、事例とともに解説されていて、なかなか有意義な指摘が多いと思いました。この「偶然の科学」という題は、成功や失敗の原因として偶然の要素が大きく、特定の原因を想定すること自体が間違っている場合がある(例えばアップルの成功やソニーのベータやMDでの失敗など)という著者の考え方に基づいたものと思われますが、実際に述べられた内容はもっと広く、どうして人間は偶然と判断すべきことを必然と考えてしまうのか、そのような判断の問題点と、それにどう対処したらよいのかも含まれています。ちなみに原著の表題は、「Everything Is Obvious* *Once You Know the Answer: How Common Sense Fails Us」ですから、「すべては明白――答えを知ってしまえば:いかに常識が役に立たないか」という感じでしょうか。以下にその要点をまとめてみます。

実社会を常識によって解釈する場合の問題点

本書の第一部では、実社会を常識によって解釈する場合の推論の問題点について述べられています。

・個人の行動についての問題:「人の行動を考えるとき、自分の知っているインセンティブや動機や信念といった要因に注目する。」しかし、「これは氷山のほんの一角しかとらえていない。」[p.31]。「われわれの行動にきわめて現実的、具体的な影響を与えるにもかかわらず、もっぱらわれわれの意識しないところで働く関係要因は実に数多くある。心理学者はこうした効果をたいへん多く確認しているので――事前刺激、フレーミング、アンカリング、可用性、動機づけられた推論、損失回避など――それらのすべてがどう組み合わさっているのかはとらえがたい[p.48]」。すなわち、個人の行動の原因を推定すること自体が困難であり、与えられた条件から行動の結果を予測することも困難、ということになります。

・集団の行動についての問題:「人は互いに感化する生き物」、「個々の要素に分解するだけでは理解できなくなるという意味で、『創発的』な集団行動を生む。」[文献1、p.32]。これはミクロ-マクロ問題(ミクロの分析からマクロの状態を推定することができない)に通じる。「社会的影響を人間の意思決定にもちこむと、不均衡性だけでなく予測不可能性も増す」「個人が他人の行動から影響を受けるとき、似たような集団であってもやがて大きく異なる行動をとりうる。」「ある集団内の個人を知り尽くしていても――つまり好き嫌い、経験、傾向、信念、希望、夢を知り尽くしていても――集団の行動をたいして予測することはできない[p.87-90]」。つまり、集団の行動には本来的に予測できないランダムな性格を持つということでしょう。さらに、少数の重要な人物や有力者が変化をもたらすという考え方について「重要な条件はひと握りの影響力の強い個人とはまったく関係がない。むしろ、必要数の影響されやすい人々が存在し、この人々がほかの影響されやすい人に影響を与えるかどうかにかかっている[p.109]」ことがネットワークの研究から実証されており、インフルエンサーやスーパースプレッダーのような存在は確認できていないとのことです。その結果、きちんとした因果関係の説明ができず、「Xが成功したのは、XがXという特質を持っていたからだ[p.69]」というような循環論法に陥りがちであるといいます。

・歴史から学んでいないこと:「事が起こったあとになって『はじめからわかっていたのに』と思う傾向(あと知恵バイアス)[p.125]」がある。「説明しようとする出来事は興味を引かれるものに限られる。」[p.33]「われわれは実際に起こった事柄を必然としてとらえる傾向がある(遅い決定論)[p.125]。これは、「起こらなかった事柄に対してわれわれがしかるべき注意を払わない[p.126]」というサンプリングバイアスに通じる。「遅い決定論とサンプリングバイアスはともに、『前後即因果の誤謬』(連続して起こることから因果関係を推論してしまう)と呼ばれる欠点をもたらす。[p.132]」

このように、人間は社会のできごとについて因果関係を求めようとするものの、その因果関係の根拠は確実なものではなく、上記のような誤りに満ちているわけで、その結果、例えば、偶然でしかないことに必然を感じてしまうことが人間の問題点だというわけです。もちろん、日々の用事に取り組む際に常識を用いることは問題を引き起こさないかもしれませんが、「こうした誤りが重要な影響を及ぼすようになるのは、政府の政策や企業の戦略やマーケティングキャンペーンの土台となる計画を、常識に基づいて立てるときである。」[p.175-176]ということになってしまいます。ではどうすればよいのか。著者は常識の問題点をクリアする「反常識」の利用を提案し、第2部でその内容を解説しています。

反常識の活用

まず、著者は、何が予測できるのかについて次のように述べています。「いくらか単純化して言うと、複雑な社会システムで起こる出来事には、なんらかの安定した過去のパターンに一致するものと、そうでないものの二種類があり、信頼性のある予測を立てられるのは前者だけである。しかし、過去の動きについてのじゅうぶんなデータを集められれば、確率の予測はそれなりにできるし、それは多くの目的に役立てられる。」[p.179-180]「複雑なシステムでは、何が起こるかを正確に予測することには厳しい限界がある。だがその半面、できることの限界近くまではわりあい簡単な方法でたどり着けるように思える。」[p.188]

そして、「計画という思想全体を考え直し、(多様な)未来の予想にさほど重きを置かず、現在への対応にもっと重きを置く[p.205]」方法が効果的とし、これを測定-対応アプローチと呼んでいます。ミンツバーグは「従来の戦略計画では、計画者はどうしても未来の予測を立てなければならず、誤りを犯しやすくなるという問題を熟考し、計画者は長期的な戦略動向を予測することよりも、現場の変化に対応することを優先すべきだとすすめた」[p.207](創発的戦略)、とのことですが、基本的な考え方は同じでしょう。ただし、著者によれば、「『予測とコントロール』から『測定と対応』への変化は、テクノロジーにかかわるのではなく心理にもかかわっている。未来を予測する自分たちの能力はあてにならないと認めてはじめて、われわれは未来を見出す方法を受け入れられる。」[p.216]ということですので、まずは自らの能力の限界を受け入れる必要があるのでしょう。さらに、著者は測定だけでなく実験することの重要性も指摘し[p.217]、「常識にあまり頼らず、測定可能なものにもっと頼らなければならないと覚えておくことならできる[p.234]」とし、ZARAの戦略、すなわち売れる衣料品を予測するのではなく、実際に何が売れたかを測定した結果に基づいて、柔軟かつ迅速に生産する方法を例として挙げています。

さらに、著者は、複雑なシステムで発生する、因果関係の明確でない、偶然に支配されるような現象の扱い方について、政治哲学者ロールズの主張「公正な社会とはこうした偶然の不利な効果が最小化される社会[p.261]」を紹介し、偶然の結果に基づく過大な報酬や、処罰の問題にも触れています。これらの問題も、単なる常識に基づく判断ではなく、因果関係をきちんと理解すること(因果関係の有無も含めて)によって社会全体の考え方が変わる可能性もあると思います。著者は社会科学にこのようは役割を果たさせるために、科学的なアプローチの重要性を指摘し、ネット技術が社会科学における仮説検証の能力を高めることにつながるのではないかと予測しているようです。実験による検証という、技術系では当然の手法がネットの活用により社会科学でも可能になるとすれば、社会やマネジメントに対する我々の理解も大きく進歩するのではないでしょうか。

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技術者としては、仮説をきちんと検証すること、正しい推論を行なうことは基本です。しかし、技術者とて人間ですから、人間の持つ心理バイアスの影響も受けてしまいます。また、複雑系においては、効果的な推論が行なえない場合があることもよく指摘されます。本書の指摘を通じて、判断や推論、予測に関する注意点を再認識させられたことは重要でした。ただ、本書で偶然とされた事象については、必然と考えることはできないとしても、100%偶然と考えてよいのかどうかには疑問があります。また、発生した事象からは、仮説やアイデアを得ることもできると思います。著者もそうした可能性は否定していないと思いますので、それを理解した上でこの考え方を利用すればよいのでしょう。研究開発にとっては、測定-対応戦略は非常に理解しやすく、経験的にも有効で効果的なアプローチだと思いますが、そのようなアプローチを嫌うマネジャーがいることも事実です。本書で述べられたことが、ネットという新たな環境で立証され、多くの人の認識になることを期待したいと思います。



文献1:Duncan J. Watts, 2011、ダンカン・ワッツ著、青木創訳、「偶然の科学」、早川書房、2012.

原著HPhttp://everythingisobvious.com/


参考リンク<2012.9.2追加>



 


 

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