研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

ヒューリスティクス

「意思決定理論入門」(ギルボア著)より

誰しも正しい意思決定を行いたいという気持ちはあるでしょう。しかし、正しい意思決定とは何なのでしょうか。本ブログでも、人間は様々な状況で、誤った判断や無意識的判断、非合理的判断をすることを紹介してきました(「ファスト&スロー」(カーネマン著)より意思決定の罠(モーブッサン著「まさか!?」より)、など)。もちろん、誤った判断が「正しい判断ではない」ということは言えるでしょうが、誤りがなければ正しい判断なのか、非合理的かもしれないが誤っているとは言えない場合や、誤っているかどうかがはっきりしない場合にはどうすればよいのかなど、正しい意思決定をするために考えておくべきことは多いように思います。

ギルボア著「意思決定理論入門」[文献1]では、判断におけるバイアスやヒューリスティクスの問題も考慮した上で、意思決定において考慮すべきポイントが述べられています。以下、その中から重要と思われる点をまとめておきたいと思います。

第1章、基礎概念
・「何が『より良い選択』なのか?・・・その答えは自明ではない。わたしは、意思決定の結果がどうであったかは、分析の最終段階においては、意思決定者自身の判断によって決められるべきであるという見方を採用している[p.1]」。「本書の主要な目的は、読者であるあなた自身がより良い意思決定をできるよう手助けすることである[p.8]」
・記述的理論:「現実を記述することを目指す理論のこと[p.3]」。「その原理はそれに対応する現実と照らし合わせて検証される。・・・良い記述的理論とは、あなたの周囲の人々がどのように行動しているかをあなたに告げるもの[p.4]」。
・規範的理論:「意思決定者に忠告を与える理論、つまり、意思決定者がどのように意思決定すべきかという指図を与える理論のこと[p.3]」。「その原理は現実に適合する必要はない。・・・良い規範的理論とは、あなたが採用したくなるような理論であり、あなた自身の目で見て良い意思決定を可能にするような理論[p.4]」。

第2章、判断と選択におけるバイアス
・フレーミング効果:「問題文の設定や表現方法が意思決定に与える効果のこと[p.15]」。(例えば死亡率で表現するか、生存率で表現するか、など)。「われわれ消費者に商品を売ろうという仕事に従事している人々はたいてい、どの表現方法が別のものよりも客を引きつけるかについて良いセンスを持っている[p.20]」。形式的なモデルによってフレーミング効果は消すことができる[p.21]。
・賦存効果:「自分が持っているものに持っていないものよりも高い価値をつける傾向だと定義できる。・・・現状維持バイアスと呼ばれる一般原則から導かれる効果と見ることができる。[p.23]」保有しているものについて情報を持っていること、頻繁な選択の変更を防止できること、習慣形成など、現状維持が合理的と考えられる場合もある[p.25-26]。
・サンクコスト(埋没費用):「支払った金額は、回収することができないサンクコストである。多くの合理的な指南によれば、サンクコストは無視すべきである[p.29]」。しかし、サンクコストへのこだわりが正当化されるケースとして、現状維持バイアスが意味をもつ場合、他人を困惑させる可能性、自分の選択を後で後悔する可能性、未完のプロジェクトをだめにしてしまう可能性がある場合などが挙げられる[p.30-31]。サンクコストを無視したい場合には、問題を決定木としてモデル化することが有効。[p.31
・代表性ヒューリスティック:代表的、典型的な表現に影響される。「矛盾のない長い証言は短い証言よりもより信用をもたらす[p.37-38]。
・利用可能性ヒューリスティック:事例の思いだしやすさに影響される。
・係留効果(アンカリング効果):「関係がないかほとんど関係がない情報が持つ影響力・・・、十分なデータがない場合には、人の評価は、関連性が乏しいような情報に影響を受けるかもしれない[p.47]」。「係留のヒューリスティックとは、『アンカー』として機能するある推定値を基準としてそこから推定値を修正していくこと[p.47]」。ただし、「誰かによってもたらされる評価値は、情報量としては乏しいが、評価値であることには変わりはない。[p.48]」
・メンタル・アカウンティング(心の会計):「お金が代替可能なものであっても、・・・あなたのお金は支出の種類ごとに配分される[p.51-53]」。
・動学的非整合性:「あなたが将来の行動についてある選択をし、やがてそれを実行する時が来ると、あなたはそれを実行しようとはしない[p.55]」。

・「人間の心というのは、長い期間にわたって進化してきた、むしろ洗練された推論の道具なのであり、また、恐らくはその目的にとってそれほど悪い道具ではない・・・実質上ほとんどすべての思考様式にとって、良い推論を見いだすことができ、またそれが最適であるようなさまざまな環境を見いだすことができる[p.61]」。

第3章、統計データを理解する
・条件付き確率:「ある側面に関する条件付き確率から別の側面に関する条件付き確率を導き出すのは一般的に難しい[p.67]」。「一般に、2つの事象の条件付き確率が同一になることはない。それでも人々は2つの条件付き確率を同一視してしまう傾向がある[p.74]」。(基礎比率の無視)
・ギャンブラーの錯誤:独立の事象に対して過去の事例から過剰に学んでしまう、大数の法則を誤って適用する、条件付き確率と条件なし確率を混同するなどの誤りをする。[p.77-83
・悪い(偏った)サンプルに要注意
・平均への回帰:「何かをその極端な過去の結果(良いものにせよ、悪いものにせよ)に従って選ぶなら、将来的にはその結果は平均的なものに戻ってくることを期待すべき」[p.86-87]。
・相関関係と因果関係:「単なる相関関係から因果関係を見いだす助けとなる洗練された統計的手法が存在するが、それには限界がある。特に、株式市場の暴落や戦争などといった一回限りの出来事の原因を特定化することは非常に難しい。・・・相関関係は因果関係を意味しないということを覚えておくとよい。[p.90]」
・統計的有意性:帰無仮説が棄却できないことは、それが真であることの証明にはならない。[p.91
・ベイジアン統計学と古典統計学:「古典統計学とベイジアン統計学は非常に異なった種類の問題に用いられるべき統計手法であるということが大事なのである。もしあなたが何かを立証したい、つまり、『客観的に(統計的に)証明された』ものとして受け入られる結論を主張できるようになりたいなら、用いるべき手法は古典統計学である。もしあなたが自分にとって最善の選択となるような判断や決定を行いたいのなら、誰かを説得することなどに顧慮する必要はないので、選ぶべき手法はベイジアン統計学になるだろう。[p.100]」

第4章、リスク下の意思決定(「リスク、すなわち既知の確率を伴う状況における意思決定」)
・「確率変数の期待値とは対照的に、期待効用はより多くの意味を持つ。・・・フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの定理は、あなたはある効用関数の期待値を最大化するかのように振る舞うという非常に緩やかな想定をしている[p.124]」
・プロスペクト理論の「1つの特徴は、人々は提示された確率に対して非線形的に反応すると主張している点である[p.133]」。もう一つの要素は、「人々は富の絶対的な水準ではなくその変化に反応すると考えている点[p.134-135]」。

第5章、不確実性下の意思決定
・「われわれの人生における多くの重要な意思決定は、同じような仕方で繰り返されるような事象には依存しておらず、i.i.d(「identically and independently distributed、同一で独立の分布[p.77]」)の事象であるという仮定は成り立たない[p.149]」。
・「パスカルは既に確率論という道具を用いて、客観的な確率が存在しない不確実性の状況についての直観と論理を分離していた。その考えは、たとえ事象に割り振る確率が客観的に、あるいは科学的に推定されないとしても、不確実性を数量化することによって課される規則そのものが有用であるかもしれないというものだった。科学的・客観的査定を引きだすための情報がほとんど十分に手に入らないので、あなたが手にする確率は主観的なものに限られる。しかし、確率論という道具を主観的確率に用いれば、あなたの信念は内的には整合的なものであることが保証される。人があなたの査定を実際のデータと比較すると、あなたの査定は正しくないかもしれないが、少なくともあなた自身は自分の信念の間で矛盾するような愚かな結果にはならないはずである。[p.150]」
・「解くべき問題に対して正しいモデルを用いることがとてつもなく重要である。・・・不適切なモデルによって分析を始めると、間違った問題に対する数学的に正しい解を得ることになってしまう。・・・モデル形成において暗黙的になされている隠れた仮定に気をつけるべきである。・・・あなたが情報を知る仕方は、それ自体で、またそれ自身について、参考になる情報をもたらすかもしれない。時には、あなたが何かについて知っている、あるいは知らないという事実そのものが、何か新しいことを伝えてくれるものである。[p.173-174]」
・第3章では「因果関係を確証することは困難であり、しばしばそのために十分なデータが手に入らないことが確認された。しかし、意思決定問題の分析においては、たとえ小さな主観的確率を割り当てるだけに終わるとしても、潜在的な因果関係に注意しておくことが要求されるのである。[p.178]」
・確実性原理(sure thing principle):「エルズバーグがその実験で発見した現象とは、多くの人々が不確実性回避的であるということである。つまり、他の事情が一定であるならば、人々は既知の確率を未知の確率より好む、あるいはリスクを不確実性より好むということである。リスク回避性の場合と同様に、不確実性回避性は損失が出る局面よりも利益が出る局面においてはるかに良く見られ、また、恐らく・・・損失回避性の場合と同じ効果によって、人々は損失が出る局面では不確実性愛好になるかもしれないという証拠がある。[p.180]」
―――

結局のところ、著者が「あなたにとって何が良い決定であるか決めるのはあなた自身であるという見方を強調してきた[p.201]」と述べているとおり、「正しい」意思決定のための決まった方法などはない、ということなのでしょう。しかし、意思決定にあたって明らかに間違った判断や、望んでいない判断、首尾一貫せず自分自身が混乱してしまうような判断をしないために、さらに納得感の高い意思決定を可能にするために意思決定理論は活用可能だということは言えるように思います。

研究を行う上では、意思決定の考え方は以下の2つのケースで特に重要になると考えられます。
1、情報に基づいてどのような行動をとるべきかを決定する(一般の意思決定と同じ)。

2、データに基づいて、より真実に近い情報を明らかにする。
上記1については、研究に限らず重要なことですので、特に議論は不要でしょう。2は、自分の行動を決める際の選択、意思決定とは異なりますが、未来予測のための根拠となる理論を打ち立てたり、データを集め、解釈することにより、ある事象が起こる確率の推定精度を向上させるために、意思決定論の考え方は特に重要だと思います。集めたデータがバイアスによって歪められていないか、ヒューリスティックによって誤った結論が導かれていないか、統計的に誤ったデータ解釈をしていないか、等の点には常に注意が必要ですし、精度の高い結論を得るためにはどのようにデータをとるべきかという研究計画立案の問題を考える場合にも、本書に述べられた注意点は活かせると思います。

結局のところ、研究活動とは、不確実性の高い現象を検討対象として意思決定を繰り返し、その不確実性をリスク(成功確率を評価できるもの)に転換し、さらにそのリスク(失敗確率)をできるだけ下げていくプロセスと考えられます。その検討対象の中に人間の行動が含まれているならば、意思決定に関わる記述的知識も必要でしょう。また、場合によってはヒューリスティックを積極的に活用して、判断のスピードを上げることも求められるかもしれません。意思決定の方法を学ぶだけではなく、意思決定のメカニズムや原理もよく理解した上で、創造的に意思決定理論を活用していくことが研究者には求められているような気がします。


文献1:Itzhak Gilboa, 2011、イツァーク・ギルボア著、川越敏司+佐々木俊一郎訳、「意思決定理論入門」、NTT出版、2013.
原著表題:Making Better Decisions: Decision Theory in Practice

参考リンク<2014.9.28追加>



「ファスト&スロー」(カーネマン著)より

今回は、心理学者であり、ノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンによる「ファスト&スロー」[文献1]についてとりあげたいと思います。本ブログでも、ヒューリスティクスやバイアス、意思決定感性限界の問題について触れてきましたが、行動経済学の創始者の一人とされ、心理学者としてこうした問題を研究してきたカーネマンによって述べられる内容は、この分野の基礎となりうるものだと思います。以下、各章の内容を簡単にまとめてみたいと思います。

第1部、2つのシステム:判断と選択を2つのシステムで説明する二重過程理論に基づくアプローチが取り上げられます。

第1章、登場するキャラクター――システム1(速い思考)とシステム2(遅い思考):「『システム1』は自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。・・・『システム2』は、複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。」「考えたり行動したりすることの大半は、システム1から発している。だがものごとがややこしくなってくると、システム2が主導権を握る。・・・システム1とシステム2の分担はきわめて効率的にできている。すなわち、努力を最小化し成果を最適化するようになっている」。思い違いという錯覚を『認知的錯覚(cognitive illusion)』と呼ぶ。

第2章、注意と努力――衝動的で直観的なシステム1:「システム2にしかできない重要な仕事は・・・努力や自制を要する仕事で、このようなタスクの実行中には、システム1の直感や衝動は押しのけられる。」

第3章、怠け者のコントローラー――論理思考能力を備えたシステム2:「システム2が忙殺されているときには、システム1が行動に大きな影響力を持つ」。「システム2に困難な要求を強いる活動は、セルフコントロールを必要とする。そしてセルフコントロールを発揮すれば、消耗し不快になる。」「システム2は論理思考能力を備えていて注意深い。しかし、少なくとも一部の人のシステム2は怠け者である」。システム1、システム2の名称を最初に提案したのは、スタノビッチとウェスト(最近ではタイプ1、タイプ2という表現)。

第4章、連想マシン――私たちを誘惑するプライム(先行刺激):システム1は状況をできるだけ筋道の通るものにしようと試み、因果関係に仕立てる。プライミング効果(priming effect)により、「自分では意識してもいなかった出来事がプライムとなって、行動や感情に影響を与える。」

第5章、認知容易性――慣れ親しんだものが好き:繰り返された経験、見やすい表示、プライムのあったアイデア、機嫌がいい状態などは認知容易性(cognitive ease)をもたらし、親しみ、信頼、快感、楽だという感じを引き起こす。慣れ親しんだものは好きになる、これが単純接触効果(mere exposure effect)。

第6章、基準、驚き、因果関係――システム1のすばらしさと限界:システム1は周囲の状況を連想によって関連づけ、世界を表すモデルを構築し、その予想に反することに驚く。システム1は手持ちの断片的な知識を結びつけて、つじつまの合う因果関係をこしらえる。

第7章、結論に飛びつくマシン――自分が見たものがすべて:「システム1はだまされやすく、信じたがるバイアスを備えている。」「自分の信念を肯定する証拠を意図的に探すことを確証方略と呼び、システム2はじつはこのやり方で仮説を検証する」(確証バイアスconfirmation bias)。「ある人のすべてを、自分の目で確かめてもいないことまで含めて好ましく思う(または全部を嫌いになる)傾向は、ハロー効果(Halo effect)として知られる。」システム1の形成する世界のモデルは現実以上に一貫性がある。「限られた手元情報に基づいて結論に飛びつく傾向は、・・・自分の見たものがすべて(what you see is all there is, WYSIATI)だと決めてかかり、見えないものは存在しないとばかり、探そうともしないことに由来する。」「情報の質にも量にもひどく無頓着」

第8章、判断はこう下される――サムの頭のよさを身長に換算したら?:「システム1は、とりたてて目的もなく、自分の頭の中と外で起きていることを常時モニターし、状況のさまざまな面を絶えず評価している。こうした日常モニタリングは、難しい問題の置き換えに威力を発揮し、直感的判断で重要な役割を果たす。これが、ヒューリスティックスとバイアスの基本である。」システム1は平均はうまく扱えるが、合計は苦手。含まれているものの数を無視しがち。システム1には、他に、次元の異なる価値を変換して比較する能力(レベル合わせ、intensity matching)、「状況のある面だけを評価しようとしても、そこに照準を合わせることができず、日常モニタリングも含めた他の情報処理が自動的に始まってしまう(メンタル・ショットガン、(mental shotgun)」傾向がある。

第9章、より簡単な質問に応える――ターゲット質問とヒューリスティック質問:「もともと答えるべき質問を『ターゲット質問』、代わりに答える簡単な質問を『ヒューリスティック質問』と呼ぶ」。「ヒューリスティックスの専門的な定義は、『困難な質問に対して、適切ではあるが往々にして不完全な答えをみつけるための単純な手続き』」。「スロビックは、好き嫌いによって判断が決まってしまう『感情ヒューリスティック(affect heuristic)』の存在を提唱している。」

第2部、ヒューリスティックスとバイアス

第10章、少数の法則――統計に関する直感を疑え:「少数の法則とは、大数の法則は小さな数にも当てはまるとする法則」(これは研究者に対する皮肉)。「小さい標本に対する過剰な信頼は、より一般的な錯覚の一例にすぎない。その錯覚とは、私たちはメッセージの内容に注意を奪われ、その信頼性を示す情報にはあまり注意しないことである。その結果、自分を取り巻く世界を、データが裏付ける以上に単純で一貫性のあるものとして捉えてしまう。」「連想マシンには、原因を探すという性質がある。」

第11章、アンカー――数字による暗示:「ある未知の数値を見積もる前に何らかの特定の数値を示されると、・・・見積もりはその特定の数値の近くにとどまったまま、どうしても離れることができない。」この現象が、アンカリング効果(anchoring effect)(または係留効果)。

第12章、利用可能性ヒューリスティック――手近な例には要注意:事例が頭に思い浮かぶたやすさ、予想していたほどたやすく思いだせるかどうかで頻度を判断するのが、利用可能性ヒューリスティック(availability heuristic)。

第13章、利用可能性、感情、リスク――専門家と一般市民の意見が対立したとき:感情ヒューリスティックは置き換えの一種であり、難しい質問(それについて自分はどう考えるか?)の代わりに、やさしい質問(自分はそれを好きか?)に答えている。「政策立案者は、市民を現実の危険から守るだけでなく、不安からも守るべく努力しなければならない。」

第14章、トム・Wの専攻――「代表性」と「基準率」:代表性(representativeness)とはステレオタイプとの類似性。基準率(base rate)とは、もともとの存在比率。「確率(可能性)を見積もるのは難しいが、類似性を判断するのはたやすい。」「ステレオタイプには一面の真実があり、それが代表性の判断を支配している。」「だが、ステレオタイプが誤解に基づいていて、代表性ヒューリスティックが判断を誤らせることもよくある。とりわけ基準率が代表性とはちがうことを示唆しているときに、基準率情報を無視するのは、誤判断につながりやすい。」

第15章、リンダ――「もっともらしさ」による錯誤:2つの事象が重なって起きることと単一の事象を直接比較したうえで、前者の確率が高いと判断する錯誤が『連言錯誤(conjunction fallacy)』。「つじつまの合うストーリーの大半は、必ずしも最も起こりやすいわけではないが、もっともらしくは見える。そしてよく注意していないと、一貫性、もっともらしさ、起こりやすさ(確率)の概念は簡単に混同してしまう。」

第16章、原因と統計――驚くべき事実と驚くべき事例:基準率には2種類ある。「一つは『統計的基準率』で、これは母集団に関する事実である。しかしこの数字は、個々の予測では無視されがちである。もう一つは『因果的基準率』で、こちらは個々の予測を変える効果がある。」因果的基準率とは因果関係を確率的に表現したようなもの。驚くべき個別の事例は強烈なインパクトを与える。

第17章、平均への回帰――誉めても叱っても結果は同じ:ランダムな値の変動に基づく平均への回帰(regression to the mean)は理解されにくい。「回帰が検出されると、ただちに理由づけが始まる。だがこれは誤りだ。平均回帰を説明することはできても、原因は存在しない。」「システム2がこれを理解困難と感じるのは、のべつ因果関係で解釈したがるシステム1の習性のせい」

第18章、直感的予測の修正――バイアスを取り除くには:「根拠薄弱な情報に基づいて極端に偏った予測やごく稀な事象を予測するのは、どちらもシステム1のなせる技である。・・・システム1は、手元情報がら作り出せるストーリーの筋が通っているときほど自信を持つので、ごく当然のように自信過剰な判断を下す。・・・直感は極端に偏った予測を立てやすいものだと肝に銘じ、直感的予測を過信しないよう気をつける」べき。

第3部、自信過剰

第19章、わかったつもり――後知恵とハロー効果:「人間の脳の一般的な限界として、過去における自分の理解の状態や過去に持っていた自分の意見を正確に再構築できない」。その結果、「必然的に、過去の事象に対して感じた驚きを後になって過小評価することになる。」これが後知恵バイアス(hindsight bias)。「企業の成功あるいは失敗の物語が読者の心を捉えて離さないのは、脳が欲しているものを与えてくれるからだ。・・・こうした物語は『わかったような気になる』錯覚を誘発し、あっという間に価値のなくなる教訓を読者に垂れる。」

第20章、妥当性の錯覚――自信は当てにならない:「自分たちの予測が当てずっぽうより少しましであることを知っていた。それでもなお、自分たちの評価は妥当だと感じていた。」これが妥当性の錯覚(illusion of validity)。「強い主観的な自信がいくらあっても、それは予測精度を保証するものではない」。「とはいえ、近い将来に関する限り、評論家の知見には価値がある。」

第21章、直感対アルゴリズム――専門家の判断は統計より劣る:予測困難な問題に関して、専門家の予測が単純なアルゴリズムに負けてしまうのは、いろいろな要因を複雑に組み合わせて予測を立てようとすること、複雑な情報をまとめて判断しようとすると一貫性が欠けてしまうことのため。

第22章、エキスパートの直感は信用できるか――直感とスキル:直感がスキルとして習得できる可能性が高いのは、「十分に予見可能な規則性を備えた環境であること、長期間にわたる訓練を通じてそうした規則性を学ぶ機会があること」。

第23章、外部情報に基づくアプローチ――なぜ予想ははずれるのか:「ベストケース・シナリオに非現実的なほど近い、類似のケースに関する統計データを参照すれば改善の余地がある」、ような計画や予測が「計画の錯誤」と呼ばれる。

第24章、資本主義の原動力――楽観的な起業家:楽観的な自信過剰が楽観バイアス。意思決定にあたっては、よい面も悪い面もあるが、「ものごとを実行する段になったら、楽観主義はプラスの効果の方が大きいだろう。」「学術研究も失敗率が高く、楽観主義が成功に必須の分野ではないかと私はつねづね考えている。」

第4部、選択

第25章、ベルヌーイの誤り――効用は「参照点」からの変化に左右される:「富の効用によって幸福の度合いが決まる」という「ベルヌーイの理論はまちがっている。」「感じるしあわせは、当初の富の状態に対する変化によって決まるのである。この当初の状態を参照点(reference point)と呼ぶ。

第26章、プロスペクト理論――「参照点」と「損失回避」という2つのツール:プロスペクト理論の3つの認知的特徴は、1)評価が参照点に対して行われること、2)感応度低減性(diminishing sensitivity)、3)損失回避性(loss aversion)。合理的経済人であるエコンに対し、ふつうの人であるヒューマンを想定している。

第27章、保有効果――使用目的の財と交換目的の財:持っているだけで価値が高まるような場合を「保有効果(endowment effect)」と呼ぶ。自分が使用する目的で保有する財と、交換する目的での財との違いが影響する。

第28章、悪い出来事――利益を得るより損失を避けたい:「損失回避は現状の変更を最小限にとどめようとする強い保守的な傾向であり、組織にも個人にも見受けられる。近所付き合いや結婚生活や職場で安定した状態が維持されるのは、こうした保守的な傾向が寄与しているといえよう。」

第29章、四分割パターン――私たちがリスクを追うとき:選好の四分割パターンは、1)高い確率で大きな利得を手にできる見込みを前にすると、人々はリスク回避的になる(確実な利得を選ぶ)。2)低い確率で大きな利得が得られる場合、リスク追求する(宝くじなど)、3)低い確率で大きな損失がある場合、リスク回避的になり平安を買う(保険など)、4)高い確率で大きな損失がある場合、リスク追求的になりなんとか損を防ごうとする。

第30章、めったにない出来事――「分母の無視」による過大な評価:「稀な事象の確率がよく過大評価されるのは、記憶の確証バイアスが働くから」。頭の中で現実のものとして思い描くと確率が過大評価され、それでない場合は一転して無視される(稀な事象を経験していないから)。

第31章、リスクポリシー――リスクを伴う決定を合理的に扱う:「私たちは『見たものがすべて』と考えやすく、頭を使うことを面倒くさがる傾向がある。・・・私たちは、自分の選好をつねに首尾一貫したものにしたいとも思っていないし、そのための知的資源も持ち合わせていない。私たちの選好は、合理的経済主体モデルで想定されているような美しい整合性にはほど遠い」。リスクポリシーを決め、広いフレーミングをすることはバイアスを打ち消す効果がある。

第32章、メンタル・アカウンティング――日々の生活を切り盛りする「心理会計」:投資家が銘柄ごとに勘定を設定し、その勘定を最後は黒字で締めたいと考えていることは、気質効果(disposition effect)と呼ばれる。「他にもっとよい投資先があるにもかかわらず、損を出している勘定に追加資金を投じる決断は、『サンクコストの錯誤(sunk-cost fallacy)』として知られる。後悔を避ける気持ち、あらゆるリスクの増加を認めないトレードオフのタブー視も意思決定に影響する。

第33章、選好の逆転――単独評価と並列評価の不一致:「単独評価の場合には、システム1の感情反応が強く反映されるため、一貫性を欠きやすい。」

第34章、フレームと客観的事実――エコンのように合理的にはなれない:問題の提示の仕方が考えや選好に不合理な影響をおよぼす現象がフレーミング効果。こうした場合には選好は問題のフレームの好き嫌いと解釈できる。「大事なのは、こうした認知的錯覚の存在を示す証拠は否定できないこと」。

第5部、二つの自己

第35章、二つの自己――「経験する自己」と「記憶する自己」:経験する自己(experiencing self)は今の状態を評価する。記憶する自己(remembering self)はそのうちの代表的な瞬間だけで代表させる(ピークと終了時(ピーク・エンド)を評価、持続時間は無視)。

第36章、人生は物語――エンディングがすべてを決める:人生におけるしあわせの評価もピーク・エンドに左右され、持続時間は無視される。

第37章、「経験する自己」の幸福感――しあわせはお金で買えますか?:「所得が多いほど生活満足度は高まる」が、「閾値を超えると所得に伴う幸福感の増え方は、平均してなんとゼロになる。」「人々の生活評価と実際の生活での経験は、関連性はあるとしても、やはり別物」。

第38章、人生について考える――幸福の感じ方:「私たちは、幸福の概念を複合的に捉える必要性を認め、二つの自己それぞれの幸福を考えるべきだろう。」そのとき注意が向けられていた生活の一要素が、総合評価において不相応に大きな位置を占めることを「焦点錯覚(focusing illusion)」と呼ぶ。

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以上が本書に述べられた概念のまとめです。できる限り短くまとめたかったので、多少無理しているところがありますが、ご容赦ください。ちなみに著者は、結論の章で、次のように述べています。「私たちは、自分自身の判断や意思決定をどうしたら向上させられるだろうか。・・・一言で言えば、よほど努力をしない限り、ほとんど成果は望めない。・・・システム1に起因するエラーを防ぐ方法は、原理的には簡単である。認知的な地雷原に自分が入り込んでいる徴候を見落とさず、思考をスローダウンさせ、システム2の応援を求めればよい。・・・だが残念ながら、最も必要なときに限って、こうした賢明な手段はめったに講じられないものである。・・・それに引き換え、他人が地雷原に迷い込もうとしているときにそれを指摘するのは、自分の場合よりはるかに簡単である。・・・ことエラーの防止に関する限り、組織のほうが個人よりすぐれている。組織は本来的に思考のペースが遅く、また規律をもって手続きに従うことを強制できるからだ。・・・一部なりとも明確な用語の定義を決めて共通の文化を浸透させ、地雷原に近づいたらお互いに警告を発することができるのも、組織の強みである。・・・建設的に批判するスキルには、的確な語彙が欠かせない・・・オフィスでの井戸端会議が質的に向上し語彙が的確になれば、よりよい意思決定に直結するだろう[下p.272-274]」。人間の認知、意思決定に存在する問題点を認識することがまず必要なことは言うまでもありませんが、問題への対処法として組織的な協力が示唆されている点が特に意義深いと感じました。人間の思考と行動を理解する上で、これからの基本的概念になりうるものだと思うのですが、いかがでしょうか。


文献1:Daniel Kahneman, 2011、ダニエル・カーネマン著、村井章子訳、「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 上、下」、早川書房、2012.

原著表題:Thinking, Fast and Slow

原著webページ:http://us.macmillan.com/thinkingfastandslow/DanielKahneman


 

 

多様性の意義(スコット・ペイジ著「『多様な意見』はなぜ正しいのか」より)

研究開発をはじめ創造的活動には、「多様性」が必要、とよく言われます。三人寄れば文殊の知恵ということわざを引くまでもなく、知識の組み合わせが問題解決に役立つこと、発想の源になりうることは多くの方が認めるところでしょう。加えて最近では、群衆の予測が専門家よりも正確である、ということからも多様性が注目されているようです。

しかし一方で、現実の企業経営や組織運営においては「均一性」の方が重要視される場合や、「選択と集中」という考え方により多様性が軽視される場合もあるように思います。そこで、今回は、スコット・ペイジ著「『多様な意見』はなぜ正しいのか」[文献1]に基づいて、多様性の意義や役割、多様性をどう使えばよいのかなどについて考えてみたいと思います。

著者は、「多様性はより良い結果をもたらす」という「多様性予想」について、「この予想が例外なく成り立つのでないことは明らかだ。」といい、「多様性を定義して、それが恩恵をもたらすと思われる課題を特定しなければならない。」として、「いつ、そしてなぜ多様性が恩恵をもたらすかを理解することが、本書の目的である」[p.26]としています。多様性について真剣に考えるなら、まさにこの点を知っておく必要があるでしょう。以下、特に上記の点について、本書の構成に沿って内容をまとめてみたいと思います。

パート1:ツールボックスを分析する

著者は「“多様性”という言葉を認識的な多様性という意味で使う[p.29]」とし、まず、第1~4章で述べられる4つの枠組みで多様性を分析して、これらをひとまとめにした「ツールボックス」の多様性がどのように恩恵を生むのかを説明しています。

第1章:多様な観点Perspective、世界を表現する方法[p.46])

観点とは、「状況や問題を表現する方法」[p.29]であって、「多様な観点を持つというのは、ありうる事柄の集合をそれぞれ異なる形で捉えている、あるいは心に描いている」という意味[p.29]。観点によって知識が体系づけられ、「正しい観点は、難しい問題を単純にしてくれる[p.78]」(当然、問題を難しくしてしまう観点もありうる)。

第2章:ヒューリスティックHeuristics、向上させるための手法やツール[p.46])

ヒューリスティック(発見的方法[p.30])とは、「問題の解を見つけるために使う思考ツール[p.82]」。「一つの観点が与えられたとして、ヒューリスティックは、新たな解をどこで探せばいいのか、どんな行動を取ればいいのかを教えてくれる[p.82]。例えば、トポロジカル・ヒューリスティック(観点の構造に基づいて近くの解を探索する)、グラジエント・ヒューリスティック(価値関数の傾きが最大の方向へ移動する)、エラー許容ヒューリスティック(ランダムにトライする、初めのうちはあまり大きくないエラーを受け入れて探索する)、ポピュレーション・ヒューリスティック(別の解の一部を流用する、進化のメカニズムのように複数の解を同時に探索してよいものを残す)などがある[p.91-104]。

第3章:解釈Interpretation、カテゴリーを作る方法[p.46])

「“解釈”は、人々が出来事や結果や状況を分類するときに使う、それぞれ異なるカテゴリーに重点を置いている[p.30]」。「一つの観点からいくつかの次元を無視したり(投影解釈)、観点を塊に分割(塊解釈:似たような物事、状況、問題、出来事のカテゴリーを作る)したりすることで我々は解釈を作る[p.118,126]」。「世界を同じ形で見ていても、その分け方が異なっていることがある。それがたくさんの多様性を生み出す。」「こうした多様な解釈のおかげでわれわれは、それぞれ異なる推論を導き、それぞれ異なる予測を立てることができる」[p.126-127]。

第4章:予測モデルPrediction Methods、相関と因果関係に関する推論[p.46])

「予測モデルはその解釈のもと、ある場面で起こると考えられる事柄を描き出す[p.129]」。「予測モデルとは、一つの解釈と、それによって作られる集合やカテゴリー一つ一つに対する予測を合わせたもの」。「予測モデルは思考で、ヒューリスティックは行動」[p.132

第5章:物差しとツールボックス

「観点、解釈、ヒューリスティック、予測モデルを組み合わせれば、”認識的なツールボックス”ができる[p.31]。「ツールボックスの枠組みは、知能を捉える上でIQのスコアに代わる解釈となる[p.170]。」

パート2:多様性の恩恵

第6章:多様性と問題解決

多様性が一様性に勝る定理:「集団に含まれるソルバーが多様、すなわちローカル・オプティマムに何らかの違いがあれば、平均すると多様なソルバーの集団が一様なソルバーの集団より良い出来を示す[p.204]」。「最初のソルバーがグローバル・オプティマムを見つけられなくても、他のソルバーがその解を向上させるかもしれない。向上させることが可能だというこの特徴が、多様性が一様性に勝る理由[p.201]」。「一様な集団はたった一人の人を含んでいるのと変わらない[p.200]」

多様性が能力に勝る定理:以下の「条件1から4が満たされれば、ランダムに選ばれたソルバーの集団は個人で最高のソルバーからなる集団より良い出来を示す。[p.206-211

条件1、問題が難しい:どのソルバーも個人で必ずグローバル・オプティマム(全体の最適解)を見つけられることはない。

条件2、微積分条件:すべてのソルバーのローカル・オプティマム(局所最適解)をリストに書き出すことができる。すなわち、すべてのソルバーが賢い。(微積分を知っている人ならピークを見つけることができる、という意味)

条件3、多様性条件:グローバル・オプティマム以外のすべての解が、最低一人のソルバーにとってローカル・オプティマムでない。(ローカル・オプティマムから向上法を見つけられるソルバーがいる、という意味。人々が多様でなければならない、ということ。)

条件4、大勢のソルバー候補からかなりの大きさの集団を選ぶ:ソルバーの母集団は大きくなければならず、一緒に取り組むソルバーの集団にはある程度の人数のソルバーが含まれていなければならない。

「この定理は・・・論理的な真実[p.211]。「問題解決においては多様性が個人の能力と同じく、あるいはそれ以上に重要」、「多様性の恩恵は個人の中にも当てはまる」、「ツールは多様でなければならないが、多様すぎて互いに組み合わせられないようではいけない」、「最もふさわしいのは、多様性が多様であること、すなわち多様な人もいれば専門化した人もいて、それでも全員が数多くのツールを持っていること」、「多様な観点とヒューリスティックは、楽しさの原動力にもなる」[p.224-225

第7章:情報寄せ集めモデル(集団による予測)

情報寄せ集めモデルでは、「人々は答えをある程度の確率で知っているか、答えの一部分を知っているか、あるいは答えのおおざっぱなシグナルを受け取ると仮定する。[p.233]」。しかし「予測モデルを寄せ集めるのは、情報を寄せ集めるのとは違う[p.33]」。

第8章:多様性と予測

多様性予測定理:予測モデルの集団において、集団的誤差=平均個人誤差-予測多様性[p.265]。

「個人の能力(右辺第1項)と集団の多様性(第2項)は、集団の予測能力に等しく寄与する。[p.266]」

群衆が平均を負かす則:多様な予測モデルの集まりがあるとして、その集団的予測は個人的予測の平均より正確である[p.267

「群衆が賢いためには、そのメンバー一人ひとりが賢いか、あるいは集団として多様でなければならない。[p.295]」。確実に群衆が専門家より高度な予測ができるのは「群衆が考慮して専門家が無視した属性や変数の一つが予想外の値を取った場合[p.295]。(それ以外の場合にも起こりうる)

パート3:多様な価値

第9章:多様な好み

「好みの多様性はツールボックスの多様性とは違う。[p.34]」「基本的好み(結果に関する好み)が多様だからといって、必ずしも手段的好み(行動や方針に関する好み)も多様とは限らない[p.300]」。好みの多様性が問題になるのは、基本的な好み。手段的好みは役に立つ[p.301

第10章:好みの寄せ集め

「多様な好みは、うんざりするほど多くの問題を生み出す。・・・”集団的な好みは存在しないかもしれない”、”強制的でない投票プロセスではどんな選択にも行き着きうる”、”人々は選択プロセスを操作しようとする動機を持つかもしれない”、”共通の資源(公共財)の供給が少なくなるかもしれない”」[p.320

第11章:ツールボックスと好みの相互作用

「多様な観点には影の面があって、考えうる選択肢を数多く発見させてしまう」。「考え得る選択肢が多いと合意する確率は低くなる」。一方、「多様な好みを持つ人々の集団は、意見を一つにした人々の集団よりも問題解決に優れていることが多い。意見の違いはつばぜり合いを生むだけでなく、ときに争いを好むものの効果的なチームを作る」[p.35

パート4:多様性は恩恵をもたらすか?

「本書が示す中心的な主張は3つある。(1)多様な観点とツールは、人々の集団により多くのすぐれた解を見つけさせ、全体的な生産性に寄与する。(2)多様な予測モデルは、人々の群衆に価値を正確に予測させる。(3)多様な基本的好みは、選択のプロセスをくじかせる。」「これら3つの主張を裏付ける大量の証拠がある。」[p.36

第12章:認識的な多様性の原因

何が認識的な多様性をもたらすか。「多様な訓練、経験、アイデンティティーによって、我々は違う風に考えるようになる。そして異なる認識的ツールを持つようになる。[p.383]」

第13章:経験的証拠

「多様性の正味の恩恵=多様なツールの恩恵の合計-多様性のコスト」[p.401]。

「アイデンティティーの多様なグループやチームは、グループのダイナミクスに伴う問題を起こして出来を損なうことも多い。・・・コミュニケーションの問題や基本的好みの多様性の持つ負の面が現れ、それが操作や偽りをもたらしうる場合、グループは生産的でなくなる[p.401]。」「多様なグループの方が出来のばらつきが大きい[p.401」]、「アイデンティティーの多様性が恩恵を生むのは、それが認識的な多様性と相関しているか、認識的な多様性を引き起こす場合だけ[p.403]」「多様なグループが良い出来を示すには、自分のアイデンティティーが認められていて、自分の寄与も受け入れられていると人々が感じなければならない[p.404]」、「人類の歴史を通じた経済成長、現在の国家や都市の生産性、小さなグループの出来、いずれを見ても認識的多様性が集団の出来を向上させるという結論に達せざるを得ない[p.412]」、「多様性の恩恵は確かに存在する。それは大きくはない。大きいと期待すべきではない。しかしそれは現実のもので、時とともに高めていけば、我々ははるかに幸せになれるだろう。」[p.413

パート5:積極的になる

第14章:実り多いロジック

「多様な観点と多様なヒューリスティックは、一つ一つ連続的に組み合わされて適用される。・・・1+1が2より大きくなることも多い。・・・多様性は超加算的[p.418]」。「(基本的好みの多様性が)問題を引き起こすのは選択においてだけである。グループが問題解決や予測をおこなっているときは、それが実際に恩恵をもたらすかもしれない[p.430]」。「多様性を追求する際には、多様性と能力のバランスを取ることを忘れてはいけない。・・・能力は多様性と同じく重要だ[p.444]」。

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このように見てくると、どんな多様性が、どんな状況で、どのように重要なのかはがわかってくるように思います。例えば、研究開発については、問題が難しく、微積分条件が満足されている場合が多いでしょうから、問題解決のメカニズムから考えて、単独で解決に至るよりも多様なソルバーがいる方が好ましいと言えるでしょう。ただし、多様なグループでは出来のばらつきが大きいということは、マネジメントのやり方が重要、ということになるのではないかと思います。例えば、本書の指摘に基づけば、ツールの多様さを重視すること、独自性とメンバーの寄与を尊重し、コミュニケーションを大切にすることが必要と言えるのではないでしょうか。また、選択と集中については、目標を絞ることで本質的な好みは均一にし、手段的な多様性(ツールの多様性)を維持すべきなのだろうと思います。さらに、オープンイノベーションの進め方についても(本書でもイノセンティブ社の例が挙げられていますが)、どのようなパートナーとどのように協力するかについての示唆が得られるように思います。単なる下請けではなく、多様性をもたらすパートナーとしての関係をつくるべき、と言えるのではないでしょうか。

今後、研究開発が取り組むべき課題はますます複雑化し、一人の天才によって成し遂げられるような課題ではなくなるでしょう。好むと好まざるとにかかわらず、多様な環境が求められるようになっていくのではないでしょうか。多様性が効果を発揮するメカニズムをよく理解することで、複雑な課題に対する効果的なマネジメントが可能になるのではないかと思います。

 


文献1:Scott E. Page, 2007、スコット・ペイジ著、水谷淳訳、「『多様な意見』はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき」、日経BP社、2009

原著表題:”The Difference, How the Power of Diversity Creates Better Groups, Firms, Schools, and Societies

参考リンク

 


「感性の限界」(高橋昌一郎著)より

高橋昌一郎著、「感性の限界」[文献1]の感想です。以前に本ブログで同じ著者の「理性の限界」「知性の限界」について書かせていただきましたが、本書はその続編(姉妹編?)です。本書では前2作よりも「人間」についての話題が多く取り上げられていること、前2作の観念的(哲学的、思索的)な話題から少し変わって、最近の成果も含むより実験科学的な話題が多く議論されていることが特徴だと思います。前2作同様、科学と人の関わりを考える上で興味深い話題がわかりやすく述べられており、非常に参考になりました。

著者は、「なぜ人間は『空気』に支配されやすいのだろうか?」「なぜ理性的であるはずの人間が(中略)『愚かな』集団行動を取るのだろうか?」「人間は、『論理』や『情報』とは別のアプローチによって、結論を導いているという可能性が出てくる。理性や知性とは別の感性によるアプローチとは、いったい何なのだろうか?」などを本書の主題の一例として挙げています[p.249-253]。要するに、私たち人間の思考や行動の本質、メカニズムはどうなっているのか、そこから何が言えるのか、といったことが取り上げられているわけですが、その中から私が特に興味深く感じた点を以下にまとめておきたいと思います。

第1章、行為の限界

1、愛とは何か:外界からの刺激を受けて体内で起こる物理的変化(ホルモン濃度変化など)が「心」と深く関わっている可能性がある。

2、カーネマンの行動経済学:プロスペクト理論(不確実な状況における人間の意思決定が、『効用』ではなく、『効用の変化』に基づき、損失を回避する傾向が強い)[p.58]。認知バイアスの中で重要なのがアンカリング(「何らかの数値に繋ぎ止められたうえで、意思決定をくだす状況」[p.61]。人間には、得をするフレーム(表現のしかた)ではリスクを避け、損をするフレームではリスクを冒そうとする傾向がある(フレーミング効果)[p.100]。

3、二重過程理論と不合理性:二重過程理論(スタノヴィッチによる)とは、ヒトの脳内には、2つの異なるシステムが並行して存在し、それぞれが独自のメカニズムで働くという考え方。ひとつは自律的システム(ヒューリスティック処理システム)、もうひとつは分析的システム(系統的システム)[p.82-85]。分析的システムは、言語や規制に基づく処理を行い、意識的に刺激を系統立てて制御。自律的システムは、ヒューリスティックなモジュール型のシステムで、刺激を自動的かつ迅速に処理し、意識的に制御できない反応を引き起こす[p.90]。(情報科学におけるヒューリスティック処理システムは、精度は低くなるけれども短時間で結果を予測できるシステム。人間でいえば、一種の「発見」、あるいは「直観」的処理のようなもの[p.83]。)

4、人間行為の限界と可能性:矛盾した認知を同時に抱えたような状況である「認知的不協和」も二重過程理論で説明可能。専門家でさえ認知バイアスから抜けきれない。人間が完全に合理的な判断をくだすことは不可能。[p.103

第2章、意思の限界

1、自由の限界:ヒトの行動は与えられた環境によって完全に決定される(環境決定論)という考え方がある(ワトソン)[p.118]。

2、ドーキンスの生存機械論:例えば、ミルグラムの服従実験などで明らかになった権威に盲目的に服従する行動様式は、脳に遺伝的に組み込まれている可能性がある[p.134]。ドーキンスは人間を、「利己的遺伝子を運ぶ生存機械」と定式化しているが、「自律的システム」は、進化の過程で人間に組み込まれた遺伝的傾向を示しているといえる[p.132-133]。服従実験の結果も二重過程理論で説明可能。「『自律的システム』は遺伝子の利益を優先し、『分析的システム』は個体の利益を優先していると解釈できる[p.137]。

3、進化と不自由性:脳内の「自律的システム」は無意識的に利己的遺伝子の利益に沿って判断を下しているが、「分析的システム」はそうではなく、どうすれば自身の利益を最大にできるかを合理的に考えることができる[p.156]。分析的システムの力によって自律的システムに叛逆することが「自由意志」とも考えられる(デネット)[p.156]。

4、人間意志の限界と可能性:もしあらゆることが決定されているという意味での「決定論」が正しければ「自由意志」は錯覚にすぎない。「決定論的世界観」と「非決定論的世界観」についてのイメージを、複雑性に応じて理解すること、すなわち、複雑性が極端に低い(量子論的現象)場合と、複雑性が高い(複雑系の現象)の場合には不確定性が高く、その中間では不確定性が低くなるように捉えることが可能ではないか[p.170]。

第3章、存在の限界

1、死とは何か:ヒトは生物学的には遺伝子の乗り物としての「ジーン・マシン」、社会学的にはミームの乗り物としての「ミーム・マシン」と考えることができる(ブラックモア)[p.184]。ミームとは、「コミュニケーションをする複雑な脳によって用意される環境だけで繁栄する」複製子であり、「脳から脳へ伝達される最小単位」の情報(ドーキンス)[p.180]。

2、カミュの形而上学的反抗:「利己的遺伝子」が無目的に繁殖を続けているように、世界には生々しい『実存』が優先してあるのみ」。「それなのに人間は、何らかの『本質』を懸命に探し求めている。そのことを『不条理』と呼ぶ」[p.202]。カミュによれば、不条理に対処する3つの方法は、『自殺』『盲信』『反抗』。「世界が『不条理』であることをそのまま認めて、あらゆる真実を包括するような科学的、合理的あるいは宗教的な『本質』も存在しないことを理解し、さらに人生に意味がないことを受け入れ、そのうえで『反抗』するという方法が『形而上学的反抗』[p.205-206]。

3、意識と不条理性:「カミュのように現実から目をそむけるような態度の方が、許しがたい『美徳の暴力』(サルトル)」[p.215]。科学技術が意識的あるいは無意識的に悪用される脅威がある(テロやバイオエラーなど[p.217-221])。

4、人間存在の限界と可能性:テロリストは「小集団の論理」に無抵抗に従う特徴がある[p.224]。「『意識』的なレベルでは、愛国心や信仰こそが自分の行動の動機だと認識していますが、実際には自分が小集団で特別な存在だと認められたい、小集団に自分を捧げたいという『無意識』的な衝動に突き動かされています。」「この衝動も脳内の『自律的システム』から生じるもの」[p.225-226]。「意識」も「脳の作り上げた幻想」である可能性もある[p.226](無意識が勝手に行なった行動について、あたかも『意識』の命令で行動したかのように、後付けのイメージ処理がなされる[p.229])。科学者も人間。科学技術者が未来を不安に満ちたものにしたのは、彼らが自分の仕事だと思ったことをただこなしていった結果(ズッカーマン)[p.239]。「『科学』を視野に入れない『哲学』も、『哲学』を視野に入れない『科学』も、もはや成立しない」[p.245]。「『愛』と『自由』と『死』のような抽象概念が、行動経済学、進化生物学や認知科学、あるいは神経生理学や実存哲学の視点から考えていくと、すべて一種の『幻想』かもしれないことが見えて」くる[p.246]。

以上が本書全3章の私なりのまとめですが、最後に著者は以下のように述べています[p.252-254]。「未知の現象に対する『恐れ』や無意識的『認識』の相違によって、議論の出発点から結論まで、大きく影響を受ける可能性がある」。「『充分に進歩した科学技術は、魔法と見分けがつかない』というアーサー・クラークの有名な言葉がある。それに付け加えたいのは、現代の科学者は『科学』を行っているが、一般大衆は『科学』ではなく『魔法』を期待している」。「残念ながら、現実の世界は『限界』に満ちている。」(本書を含めた3作の内容は)「壮観なネガティブの山のように映るが、逆に言うと、どれほど果敢に限界に挑戦し続けていることか、信じられないほどポジティブな人間の姿が見えてくる。」

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イノベーションを考える上で、科学の問題、科学を利用してイノベーションを作り上げる人とそのマネジメントの問題、イノベーションの成果を受け取り使う人の問題は重要です。本ブログでは、著者による前2作で科学哲学に触れて以来、興味の赴くまま、科学的な考え方や科学と社会の関わりの問題を取り上げ、さらに、協力の問題から進化心理学へ、意志決定の問題から行動経済学や複雑系へ、という方向に関心が広がってきたのですが、本書はそうした展開をまとめてくれるような内容で非常に参考になりました。なかでも、二重過程理論は、人間の思考や行動を考える上で柱となる考え方なのではないかと思います。科学者ですら自律的システムに影響されることは十分に認識しなければなりませんし、科学者自身、気付かぬうちにありもしない「魔法」に期待していることもあるかもしれません(思考停止苦しい時の技術開発頼み、といった現象も根は同じかもしれません)。

著者はこの3作で取り上げた9つの「不○○性」を「壮観なネガティブの山」と言われていますが、あることが「存在しない、あるいはできない(かもしれない)」と認識していることは実用的にも非常に重要なことです。できないという知見に意義を感じられないとすれば、そのこと自体、自律的なシステムに影響されすぎているということではないでしょうか。良くも悪くも科学の影響が大きくなっている現代において、なるべく判断の誤りを減らすために、また、できる範囲で着実に前進していくために、限界を知ることは意味のあることだと思います。加えて、限界を知ろうと努力することで開けてくる新たな世界というものもあるような気がします。前進することが単純によいことなのかどうかは分かりませんが、第2章に述べられた、「利己的遺伝子のプログラムに叛逆し、自らの道を歩もうと」[p.155-156]努力することが我々の役割なのかもしれません。



文献1:高橋昌一郎、「感性の限界」、講談社、2012.

参考リンク



 


 

意思決定の罠(モーブッサン著「まさか!?」より)

人は誰しも「正しい判断、正しい意思決定」をしたい、と思っているでしょう。しかしそれが容易ではないことも確かです。研究開発における意思決定については以前にも書きましたが(イノベーションとあいまいな意思決定(判断の根拠は何か?、ヒューリスティクスの活用?))、今回は、意思決定において起こりやすい「間違い」に焦点を当てて考えてみたいと思います。

マイケル・モーブッサン著「まさか!? 自信がある人ほど陥る意思決定の8つの罠」[文献1]には、つい見過ごしてしまいがちな意思決定の危うさの例が述べられています。原題は「Think twice, harnessing the power of counterintuition」なので、「考えなおせ。直観に反する力を利用する」というところでしょうか。以下、本書の構成に沿って、意思決定上陥りやすい問題点について考えてみたいと思います(各章の要約はp.17-18による)。

第1章、自分だけはうまくいく?:人は他人の経験に目を向けず、個々の問題をそれぞれ独自の事象として考える傾向がある。

・「客観的な視点よりも、主観的な視点を優先させてしまう」[p.26]。これは、「自分は優秀であるとする幻想」、自分の未来は他人よりも明るいと考える「楽観主義の幻想」、本当はコントロールできないことをコントロールできるように考える「コントロールの幻想」による[p.27-29]。さらに、「自分の状況は特殊であると考える傾向、自分の考えに固執する傾向がある」[p.43]といいます。

第2章、他の選択肢が見えなくなる:代替案を用意しておくべき時に、私たちの心は選択肢を減らそうとする。

・係留(アンカリング)と調整のヒューリスティック(カーネマンによる)とは、「人が直感的に意思決定する際に、無意識に示唆された参照点を出発点とし、それに調整を加えて何らかの推定に至るプロセス」であり、「アンカリングは意思決定に影響する、印象に残っている特定の特徴や情報の断片」のこと[p.75]。

・「人は起こり得る可能性のある事柄を十分には考慮しない」、「トンネルビジョン(視野が狭くなること)になってしまう」[p.48]。「私たちは、可能性を考えるにあたってあらゆる知識を活用」し、「それぞれを自分の思考モデルに当てはめる」。「自分が導き出した一連の仮説から推論し、相互に矛盾しない選択肢だけを考慮の対象とする」。「思考モデルとは、外の世界の現実を自分の内側に描写したもので」、「細部よりもその情報がすばやく自分に到達することを重視した、不完全な描写」であって、「いったん思考モデルが形成されてしまえば、厄介な意思決定のプロセスはもう使わなくなる。」(ジョンソン-レアードによる)[p.48-59

・「アンカーに基づいて考えはじめ」、「いったん自分が妥当だと思う回答や許容範囲内の回答にたどり着いた時点で、調整をやめてしまう。」[p.51

・典型的ヒューリスティックとは、「外見の特徴など典型的と思われるものを基準に意思決定する」こと[p.75]。例えば、見かけで判断するなど。

・利用可能性ヒューリスティックとは、「思い浮かべやすい、想起しやすいものを基準に意思決定する」こと[p.75]。例えば、直近の経験や記憶に影響されるなど。

・「私たちは、無意識に物事にパターンを見出そうとする。」「ありもしないパターンを無理に見つけだそうとしてしまう」[p.56-57]。

・「認知的不協和とは、内に対しても外に対しても矛盾しない状態でありたいという人間の持って生まれた性質から来ている。」「この不快感を軽減させようと、自身の行動を正当化する。」[p.57-58

・「確証バイアスとは、個人が自分の都合のよいように、それに反する考え方や不利な証拠を除外する時に起こる。」「一貫性があると、人は問題を考えることを止めることができ、(中略)自分の行動を変えなくて済む」[p.61]。

・「一つのことに注意を払うということは、他の事柄に注意を払えないことであり、無分別な行動を引き起こす理由となる。」[p.63

・「ストレス反応があると短期的に得になることを追求できるが、長期的に何がいいのかを考えられない」(サポルスキーによる)[p.66]。

・「インセンティブによって、他の選択肢や可能性を考えられなくなってしまう」[p.67]。

第3章、専門家の意見は鵜呑みにするな:専門家は非常に狭い分野についてよく知っていて、自分たちの主張や予測を正当化するのが得意だが、現在ではコンピュータや集団の知恵により問題を効率的に解決できるようになっている。

・「ある程度法則に基づいて結果が限られた範囲に分布する」ような場合には「コンピュータのデータを使えばよい。」「確率によって、結果は幅広く取り得るものなら(中略)専門家よりも集合知の方が優位」。「専門家の機能が十分に果たされる領域は、法則に基づいていて、取り得る結果が広い範囲にわたるような問題」[p.83-85]。要するに専門家が常によい予測ができるとは限らないということでしょう。

・集合知により、群衆が当たる予測をするためには、多様性、情報の集約、インセンティブによる必要な人の参加が重要。「多様性があると、集団の間違いを減少させる。」[p.93

第4章、あなたも周りの状況に影響されている:私たちの意思決定は周囲の状況に大きく影響されている。

・「人間は周囲の答えに影響されてしまう」。周りに屈してしまう人の特徴は、判断力の屈折(自分が間違っていて、周りが正しいと決め込んでしまう)、行動の屈折(多数に迎合するために、自らの知識を抑え込んでしまう)、知覚の屈折(多数の意見によって、自分の視点が覆されてしまっていることに気がついていない)。(アッシュによる)[p.107-108

・プライミング効果とは、「論理的な意味においてまったく無関係に見えるようなものでも、私たちの知覚を通して入ってくる情報は関連づけられ、意思決定に影響する」こと(例えば、ドイツ音楽がかかっている売り場ではドイツワインの売り上げが上がるなど)。「プライミングが機能するためには、プライミング対象と、そこにいる人の目的がつながっていなければならない」[p.115-117

・「自分は最良の選択肢を自分で選んでいると思っているが、実際は選択肢がどう設定されるかに大きく影響されている。実際はほとんどの人が単に選択肢をデフォルトのままにしている」[p.118

・「多くの決断において、私たちが思う以上に感情が重要な役割を演じている(ザイアンスによる)[p.120]。「ある結果が強く感情的な意味を持たない時、人は確率に重きを置きすぎる傾向がある」「対照的に、結果が鮮烈である場合は、確率に対してはほとんど注意は払われず、結果に対してのみ注目が集まる。」[p.121

・「人は多くの場合、ある人の行動はその人の性質がもたらしたものだと考えてしまい、状況の影響力を考慮しない」(「根本的な帰属の誤り」)[p.123]。

・「規則に従うということで自分の行動を正当化する」「人は長い期間特定の配役を演じるように言われると、配役から抜け出せないような役者となってしまうリスクがある。」[p.124

・惰性、あるいは変化への抵抗によって、人は古い問題に対して新しい視点でみようとしなくなる。[p.125

第5章、“木を見て森を見ず”に陥らない:ミクロの行動を集めることで、マクロの行動を理解しようとすると失敗する。

・「複雑適応系では、部分を研究することでは全体を理解することなどできない」「本当はそこに因果関係がないにもかかわらず、因果関係を知りたいと思う気持ちだけで物事を見ると、因果関係を説明できないシステムを目の前にした時、とんでもないことが起こる。」[p.139]「複雑で高度にインタラクティブなシステムを前にして、人間の判断のプロセスや、直感そのものに頼ると意思決定を誤ってしまう(フォレスターによる)」[p.150

第6章、正解は、時と場合による:状況を把握せずに、システムの特徴(属性)をもとに因果関係を予測することには要注意。

・「人はよく一つの状況から得た教訓や経験を、異なる状況にも当てはめようとする。しかし、ある状況にあてはまる判断は、たいていの場合別の状況ではまったく当てはまらない」[p.158]。「『成功の鍵』や『勝利の方程式』などの言葉を目にしても鵜呑みにせず、それが果たして本質を突いているかどうか、まず検討すべき」[p.161

・相関関係と因果関係の違い:XYを引き起こすという主張をするためには、次の3条件が必要。Yの前にXが起こること、XYはそれぞれ2つ以上の側面がありXYは関数の関係でなければならない、XYの両方を引き起こす要因Zがあってはいけない[p.169]。

・「多面的な状況では『最善』のやり方がない」[p.174

・「私たちの大半は、一つの成功したやり方をその次の状況に適用することによって、また成功すると思いたい。」「しかし、多くの場合ではそうはいかない。なぜならば、状況を考慮せずに属性や性質だけで意思決定してしまうから。」「多くの場合の正解は『状況による』なのだ。」[p.176

第7章、突然、襲ってくる大規模な変化の危険性:相転移(フェーズの変化)が起こる時には因果関係を見出すことが難しいので、最終的な結果を予測することはほぼ不可能。

・突然襲ってくる大規模な変化としては、システムの変化を促進する正のフィードバック[p.180]による発散現象や、相転移[p.182]などのような現象が挙げられる。これらにはクリティカルポイントがあるが、その予測は非常に難しい[p.200]。

第8章、運と実力を見極める:運と実力の役割、「平均回帰」を考慮する必要がある。

・平均回帰性とは、「平均を逸脱する結果の後には、平均により近い結果がでる、というもの」[p.206]。「結果には、不変の実力による部分と、一次的な運による部分がある。ある期間での極端な結果は非常に幸運、もしくは不運であった結果であり、時間とともに運の影響が強くなくなってくることで、結果も極端ではなくなる傾向を見せる」[p.214

・ハロー効果とは「一般的な印象に基づいて特定のことを結論づけてしまうような人間の傾向のこと」[p.216]。

・「人は小さなサンプル・サイズから根拠のない結論を推測する傾向がある(カーネマン、トベルスキーによる)」[p.222

上記のような事例のそれぞれについて、著者は各章の終りに対策を述べていますが、全体のまとめとして、次の点をアドバイスしています[p.231-242]。ただし、「すべての意思決定に対して本書で述べた思考のプロセスを当てはめる必要はない。」「たいていの場合は何をしたらよいのかは明らかであることが多い。本書の価値は、その意思決定の影響が大きい場合や、自分にとって自然な意思決定プロセスが、最適とは言えない選択につながる時に発揮される。」とのことです。

・注意力を高める:意思決定の過ちはたくさんの人に共通に起こる。

・他人の立場に身を置いて考える

・運と実力の役割を理解すること

・フィードバックを得ること

・チェックリストを作成する

・決断する前にはよく検討しよう

・どんなに気をつけても、予測できないことがあることを知る

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本書に述べられた意思決定における罠を考えてみると、次のような要素があるのではないかと思います。

1、無意識の思考特性に依存するもの(プライミング、係留と調整のヒューリスティックなど)

2、現象や事実に対する知識や認識不足、認識の誤り(平均への回帰の軽視、ハロー効果、状況の軽視、相関関係と因果関係の混同など)

3、対象自体の予測不可能性(複雑系の現象、創発、発散現象やその原因と発生タイミングの予測、確率的な現象など)

中にはこれらが複合しているものもあると思いますが、それぞれの要素については対応の心構えが違うように思います。1、に対しては、人間がそういう思考をしやすいことを認識し、そうした兆候が見られたら考えを修正していくことが重要でしょう。2、については、論理的な思考方法を学ぶことで、正しい判断に近づく可能性があります。3、については人が予測できない課題があることを認識し、そうした場面に遭遇した時の悪影響を極力軽減するような準備が必要、ということではないでしょうか。ただし、このような点に注意し、様々な可能性を考えておくことには労力がかかりますので、これをどこまで実践するかは、その努力と意思決定の誤りによるリスクのバランスを考慮しなければなりません。研究開発のように不確実な課題に挑む場合には、十分な検討を行なうことができずに先に進まなければならない場合もありますし、時間的制約のためにあいまいな意思決定をしなければならないこともあると思います。なるべく正しい判断ができるよう心がけることはもちろん重要ですが、正しいという保証のない意思決定をする時こそ、そこにどんな罠がひそんでいるかを知っておくことは重要と考えます。


文献1:Mauboussin, Michael J, 2009、マイケル・J・モーブッサン著、関谷英里子訳、「まさか!? 自信がある人ほど陥る意思決定の8つの罠」、ダイヤモンド社、2010.


本ブログ関連記事

複雑系経営(?)の効果2012.5.6

複雑系の可能性(ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」より)2012.6.10

いかに判断、予測するか(ダンカン・ワッツ著「偶然の科学」より)(2012.7.29

参考リンク


 

 

 

科学哲学の使い方(「理系人に役立つ科学哲学」感想)

森田邦久著、「理系人に役立つ科学哲学」[文献1]の感想です。以前に、科学哲学が予想以上に「使えそう」と書きましたが(「理性の限界」「知性の限界」-高橋昌一郎氏の著書の感想)、今回はその続きとして、上記の本のまとめを試みようと思います。

この本は、書名に「理系人に役立つ」と銘打たれているとおり、理系的なバックグラウンドのある人を対象読者としていることがひとつの特徴でしょう。確かに私のような、理系で、科学哲学に興味を持ち始めた人にはちょうどよい入門書といえると思います。それに加えて、「役立つ」ことを目指して書かれている点も特徴のように感じました。これは、知的興味だけでなく役に立つかどうかも重要な判断基準とする理系人の考え方を考慮した上でのことかもしれませんが、「哲学」は「役に立たないもの」という従来一般のイメージを覆すことも著者の意図にはあるような気もします。そこで、以下では、本書で解説された科学哲学全般にわたる内容の中から、科学を扱っている人に「役立つ」と感じた点を中心にまとめてみたいと思います。

本書は以下の12章からなっています。

I部:科学の基礎を哲学する

1章:科学と推論-科学で使う推論は問題だらけ?

・推論として「演繹」「枚挙的帰納法」「アブダクション」「アナロジー」「仮説演繹法」が紹介されているが、これらのうちで論理的に妥当な推論は「演繹」のみ。ただし、演繹的推論では知識が増えることはない。

・枚挙的帰納法とは、「いくつかのすでに観測された事例からまだ観測されていない事例や普遍的法則を導く推論」であるが、その推論は、「自然界で起こる現象には規則性がある(自然の一様性原理)」ことを前提にしている。

・アブダクション(最善の説明への推論)とは、「手持ちの法則(規則)と組み合わせればうまく観察事実が導き出せるような説明項を推論する」「いくつかの可能な説明のなかからもっともよいと思われる説明を選んでいる推論」。ここで「最善の説明」かどうかの基準のひとつとして、「科学においていくつも競合する理論的説明があるとき、もっとも単純で適用範囲が広いものが選ばれる傾向」が挙げられる。

・アナロジーは「ある対象の性質を、それと似た対象の性質から推論する」こと。

・仮説演繹法では、「まず、観察事例から、帰納的推論によって仮説を立てる。その後、そこから演繹的に、いままでまだ観察されていない事象を『予測』し、検証する」。このうち、観察結果から仮説を導く過程を「発見の文脈」とよび、その仮説から予測を導き観察によって検証する過程を「正当化の文脈」とよぶ。

2章:科学の条件-科学と非科学はどう分けられるのか?

・検証可能性基準とは、「意味のある命題(科学的な命題)は経験によって正しいことが証明できる可能性がなければならない」というもの。

・確証可能性基準とは、「意味のある命題(科学的な命題)は経験によって確からしさが増す可能性がなければならない」というもの(カルナップによる)。

・反証可能性基準とは、「科学的な命題は経験によってまちがっていることが証明される可能性がなければならない」というもの(ポパーによる)。このとき、まちがっている可能性が高い(反証可能性が高い)ほど情報としての価値が高い。反証された命題は捨て去られるか、修正されなければならないが、修正される場合、反証可能性が増大しないような修正は「アド・ホックな修正」としてしりぞけられる。

3章:科学と反証-科学理論は反証できない?

・全体論とは、「われわれの知識や信念の全体は相互につながりあった一つの構造体である」というもの(クワインによる)

・観察の理論負荷性とは、「なにを観察するか、また、観察された結果をどう解釈するかは、なんらかの理論に依存している」というもの(ハンソンによる)。ここから、「新しい発見は、適切な予期によってこそ可能である」とも言える。

4章:科学の発展-どんな科学理論が生き残るのか?

・パラダイムとは、「ある特定の理論だけではなく、明文化できないような研究活動上の指針や模範的な研究なども含めたもの」(クーンによる。クーンは後に「専門母体」と呼んだ)。このパラダイム間を比較するための共通の尺度の不在を「共約不可能性」といい、パラダイム間の優劣を決定する客観的基準はない、とされる。しかし、後に、「正確さ」「無矛盾性」「視野の広さ」「単純性」「豊饒性」という選択基準を認めた(ただし、異なるパラダイムのどちらが「真理」に近いか、ということは決定できない)。

・研究プログラムとは、「『堅い核』とよばれる命題を中心として構成される命題群であり、この堅い核は、補助仮説のつくる『防御帯』によって、どのようなことがあっても反証から保護される」というもの(ラカトシュによる)。そして、新しい予測を成功させることができるものは「前進的プログラム」、そのような性質のない疑似科学的なものは「退行的プログラム」とよばれる。どのプログラムを選ぶべきかは、『どちらのプログラムがより真であるか』ではなく、『どちらのプログラムにより発展性があるか』の観点で比較決定される。

・研究伝統とは、「やるべきこと」や「してはならないこと」のひとそろいの存在論的形而上学的命令(ラウダンによる)。ここには理論そのものは含まれない。競合する研究伝統があるとき、どちらを選択するべきかは、「どちらがより高い問題解決能力をもっているか」で合理的に決めることができる。

5章:科学と実在-原子って本当にあるの?

・科学理論には直接的に観察できない対象が多くあらわれる。この時、理論的対象が存在するとする立場を「科学的実在論」、存在しないとする立場を「科学的反実在論」という。

・奇跡論法とは、あるものが実在していないとすれば、実在しているとして説明可能な多くのことがあることが奇跡的である、だからあるものは実在する、と考える実在論の立場。

・介入実在論とは、「『それそのものを操作して予想どおりの結果を出せる』ような対象は実在しているとしてよい」、とするもの(ハッキングによる)。

II部:科学で使われる概念を見直す

6章:説明とはなにか-説明を説明するのは難しい?

DN理論:「科学的説明とは、ある特定の事実から、少なくとも一つの一般的法則を用いて『説明されるべき現象を記述した文』(これを『被説明項』という)を演繹的に導出すること」。(ヘンペルとオッペンハイムによる)

・説明の因果説:「説明とは推論ではなく説明されるべき現象の原因を示すもの」(サモンによる)

・説明の統合説:「ある原理や法則に、説明されるべき現象や法則が統合される。」「統合とは推論パターンを減らすこと。」(キッチャーによる)

・説明の用語論:「説明とは“なぜ疑問”への答えであり、答えるべき“なぜ疑問”の発せられた文脈が重視される」(フラーセンによる)

・一つの現象を説明するしかたは一とおりではない。説明を考えることは、その現象について新しい光を当てることになる。

7章:原因とはなにか-本当の原因はなに?

・因果の規則説:「原因が結果と時間的・空間的に連続、結果は原因のすぐ後に起こる、結果と似たタイプのできごとは、規則的に原因に似たタイプのできごとに引き続いて起こる」(ヒュームによる)。ここでは根拠となるのはこれまでの経験しかなく、原因と結果とのあいだに必然的な結びつきを認めない。

・反事実条件文による因果の分析:「できごとcができごとeの原因であるとは、できごとcとeが実際に生じ、かつ、できごとcが生じなかったならばできごとeは生じなかったであろうとき、そのときのみである」

・マーク伝達理論:「因果過程においては、なんらかの変化がくわえられたとき、それ以上の介入がなければその変化の跡、すなわちマークが伝達される」(サモンによる)

・保存量伝達理論:「因果関係とは保存量を伝達する過程である。二つの過程の交差は、それらのあいだで保存量の交換があるときに因果的相互作用といえる。」(ダウによる)

・介入理論:「二つの変数XとYがあるとき、ある特定の状況下で、ある介入IによってXを変化させたとき、つねにYがなんらかの変化をこうむるならば、XはYの原因だとする」(ウッドワードによる)

8章:法則とはなにか-法則はなぜ法則なのか?

・法則についての規則説:法則は必然的なものではないとする立場。「どのような時間・空間でも成り立つ規則」(普遍性がある)、「投射可能な(いままでの経験が未来にも通用すると推論できる)述語を用いる」(予測に使える)、「論理学の体系のように演繹体系をつくってみて、ある命題が公理もしくは定理になるのなら、その命題は法則とよべる」(法則の網の目説-法則どうしの論理的関連を重視する)

・法則に必然性があるとする立場では、介入によって変化しないものが法則であると考えることもできる。

・ある特定の条件を満たしたモデル(法則定立機構-法則が成り立つ前提をとしてのモデル)を考えたときに、そのモデルがもつ能力が法則であるとする考え方もある(カートライトによる)。

9章:確率とはなにか-確率は主観的なものか客観的なものか

・確率の応用により、理論の確証度の測定や科学と疑似科学の線引きに利用できるかもしれない。

10章:理論とはなにか-科学理論はウソをつく?

・理論は、現象と直接的に対応づけられるようなものではなく、世界を抽象化・理想化した「モデル」である。

III部:現代科学がかかえる哲学的問題を知る

11章:量子力学の哲学-ミクロの世界は非常識?

・波動関数の解釈、観測問題、不確定性関係の解釈など

12章:生物学の哲学-進化論は科学か?

・進化論、道徳、生命の哲学など

以上、科学を取り扱う際の様々な考え方が紹介されていますが、確実に正しいといえるのは演繹による推論だけであって、他はあくまでひとつの考え方にしかすぎません。また、すべてを統合するような考え方も「ない」ということのようです。さらに重要と思われるのは、正しいとされる演繹では知識が増えないということでしょう。研究を行なう場合でも、科学的な議論をする場合でも演繹以外の考え方を使うことは多いわけですが、多かれ少なかれ危うさを孕んだ議論のみが知識を増やす可能性を持つということです。従って、未知のことへの挑戦を行なうならば、正しいかどうかが危うい推論は必須、ということになります。

このように、確かなことがはっきりしないというのが結論では、科学哲学は「役に立たない」と感じられるかもしれません。しかし、これだけの考え方を並べてみると、自分の扱っている現象を理解、整理し、さらに異なる角度から見直すためにどのような考え方の選択肢があるのか、ということがわかるのではないかと思います。科学的な思考としてどのような方法をとるのが「正しい」か、ということは言えなくても、少なくとも、間違っている可能性の高い考え方を見分ける基準になるのではないでしょうか。さらに、これらの考え方のいくつかに当てはまるような考え方は、より確実な考え方に近い、とも言えるような気もします。このように、判断基準となりうる多くの考え方(しかも、ある程度の支持を得ている考え方)に触れられる点こそが、科学哲学の「役に立つ」ところ、といえるのではないかと思います。


例えば、科学的かもしれないあるアイデアを思いついたときに、そのアイデアがどのような危うさをもっているか、そのアイデアの確からしさや説得力を高めるには、どのようなサポート情報を集めればよいか、などについてのヒントが科学哲学の成果から得られるのではないかと思います。工場で不良品が発生したような場合、その原因をいい加減なものに求めていないか(例えば、天気のせいにするなど)、妙な先入観にとらわれていないか(観察結果自体やそこからの発想が、単なる経験や理論の盲信から生まれてはいないか)をチェックすることができるでしょう。さらに広げれば、例えば、超自然的な能力はあるのか、霊魂は実在するのか、マーフィーの法則は法則といえるのか、などについても考える拠りどころを与えてくれるような気がします。そんな荒唐無稽なところまで考える必要はないかもしれませんが、いい加減な理論や説明が「ビジネス」として成立している場合もありますし、もう少し科学に近い感じがするものは実際に多くのビジネスの手段として使われている場合もあるように思います。そうした考えを利用するのかどうかは、科学者、技術者の倫理の問題にも関係してくるはずです。

以前のブログでは、推論を行なう際の危うさと、そうした危うい推論を行なうメリットについての私なりの考え方を「ヒューリスティクス」という概念を利用してひとまとめにしてしまいました。しかし、その背景には科学哲学における多くの知恵の蓄積があったわけです。科学哲学に基づいて考えてみると、ヒューリスティクスとして取り上げた簡便な意思決定には、哲学的にそれなりの根拠のある考え方と、単に思考の節約を目的としたり心理的バイアスに影響されたりする考え方とがあり、それらは区別すべきだったようにも思われます。科学哲学はそのような考え方の線引きにも役立つかもしれません。科学哲学に触れたからといって、技術者の仕事は自らの考えの拠りどころをデータに求め、未来を予測することだという私の個人的な考え方の基本は変わるわけではありませんでしたが、その際の指針を与えてくれるものとして、やはり科学哲学は役に立つと思います。理系人だけではなく、一般の人にとっても役立つはず、と思うのですがいかがでしょうか(一般の人にとっては、科学に対する考え方の大きな見直しを迫ることになるかもしれませんが...)。



文献1:森田邦久、「理系人に役立つ科学哲学」、化学同人、2010.

参考リンク



 


 

思考停止をもたらすもの

研究者の仕事において「考えること」は非常に重要です。しかし、うまく「考える」ことはそれほど容易なことではありません。最近、「思考停止」について書かれた記事[文献1、文献2]を目にしましたので、それをヒントに、どんな場合に思考が停止し、うまく考えられなくなるのかを考えてみたいと思います。

まず、簡単に記事の内容をまとめます。沼上氏の記事は、九州電力のやらせメール問題を題材に、なぜ優秀なはずの社員たちが思考停止状態に陥っているかのようなずさんな計画・実行をしてしまったのかが論じられています。沼上氏の記事は一般論としての分析ですが、このような思考停止が起こる原因として、組織が大きくなることでトップと現場との距離感が大きくなり、トップが安易に口にした無理難題や思いつきに従うにつれ、部下はそれが仕事だと思うようになってしまって論理的思考を停止し、トップの指示を無反省に実行しようとする傾向を指摘しています[文献1]。

また、河合氏は、もっともらしく、皆が納得しやすく、不安を打ち消してくれるような「思考停止ワード」を持ちだすことによって、思考停止が起きやすくなると述べています。何か問題があるときに、その原因としてもっともらしい説明(「思考停止ワード」)を挙げ、それでなんとなく納得してしまって、本来検討すべき問題の本質を見逃し、おざなりな解決策で問題に対処した気になってしまう、ということが例として挙げられています[文献2]。

考えるべき時に考えられなくなってしまう、こうした思考停止はもちろん好ましいことではないでしょう。しかし、「思考する」には時間もかかり、労力もかかりますので、思考を停止してしまえば、それに必要な時間と労力を別のこと、たとえば「行動」に使うことができるようになり、限られた資源を有効に使う可能性が生まれます。つまり、思考停止は仕事の効率向上というメリットをもたらすために、ついそれを受け入れてしまう、という側面があるように思います。

すなわち、方針が明確で行動が求められる場合には思考停止にはメリットがあり、方針が不明確だったり誤りの可能性がある場合には思考停止は危険である、と言えるでしょう。そうすると本当に問題なのは、思考が必要な場面で思考停止が起こってしまうこと、ということになります。おそらく、最近は思考が必要な場面が増えてきたにもかかわらず、過去に思考停止が有効だった時代の習慣や、思考停止によって楽ができるという気持ちによって思考停止を容認してしまうことが問題の根源ではないでしょうか。

そもそも人間はあらゆることについて熟考を重ねた上で行動に移すことは不可能です。時間的な制約もありますし、考えても答えが出ない問題もあるでしょう。ということは、どんな問題についても、あるところで思考を止めて行動に移しているはずです(ここでは、考えるのみで行動に移す必要のない問題は除きます)。つまり、ヒューリスティクス(簡便な意思決定)を用いていることになります。そこで問題になるのが思考停止(ないしは省略)の次の2つのパターンです。
・まだ考える余地はあると思うが、行動するためにやむなく思考を停止、省略する。

・面倒だから、考えても無駄だから、余裕がないから、思考を停止、省略して行動だけ行なう。

これを言いかえると、前者は、思考をすることと行動をすることを比較考慮した上での思考停止であるのに対し、後者は思考を最初からあきらめていると言えるでしょう。どちらも簡便な意思決定には違いないのですが、後者はいわば故意に思考を放棄しているわけですから、より危うい根拠にもとづく意思決定であるわけで、より大きな問題をもたらす可能性が高いと考えられます。

では、具体的にどのようなマネジメントが後者の思考停止をもたらす可能性があるのでしょうか。思考停止には危うい側面があるにもかかわらず、人がそれを意外に簡単に容認してしまうのは、過去に思考停止によってもたらされたメリットの記憶があるためでしょう。つまり過去に受けたマネジメントの記憶が、思考停止容認の基礎になっていると考えられます。以下に、上記の引用例も含めていくつかのケースを考えてみます。

・幹部のご無体な命令

・ご無体な命令への無批判な服従

・問題の本質をごまかす思考停止ワード

・過重な業務負荷(効率優先)

・過度の行動重視

・権威への盲従

・集団や個人への忠誠、同調の重視

・決断のスピード重視

・問題の単純化

・マニュアル、標準化重視

・多様性に対する不寛容

・考える習慣の欠如、軽視

・意欲低下、あきらめ、無力感

上記の例を見ると、全体的に従業員を一種の「機械」として扱う人間観に基づいたものが多いと言えるでしょう。確かにそれが有効に作用する場合はありますし、こうしたマネジメントに基づく思考停止は本人にとっても楽な場合もあるでしょう。ですからこうしたマネジメントを受けた経験が思考停止につながった可能性は十分にあると思います。

さらに、上記の例で興味深いのは「選択肢を狭くする」ことが強く関わっているように思われる点です。実質的に選択の余地をなくしてしまえば考える必要はなくなり、それが習慣化すれば、考えなくなってしまっても不思議ではないと思われます。確かに、戦略立案や行動を決定するためには選択肢の絞り込みは重要です。しかし、絞り込みを行なうことが至上命題となってしまってその過程で無理な選択を行なったり、不合理なバイアスがかかったり、一旦決めたことを見直す機会が失われてしまうとすれば、その選択自体の非合理性だけでなく、選択の余地を与えないことで思考停止が起こるという問題も発生してしまうと思われます。「選択と集中」という流行り言葉の裏にはこのような危険が隠されているのかもしれません。

思考停止の原因に絞り込みが関係していると捉えるならば、これは部下の問題だけではなく、経営層の問題でもあることになります。経営の効率、決断のスピードを上げるために、無理な単純化をしていないでしょうか。わかりやすい資料を作るために、重要なことを切り捨てていないでしょうか。おそらくこうした過度の絞り込みは経営層をも思考停止状態にしてしまうと思います。もちろん、物事を単純に捉えようとすることは重要ですし、経営に対する効果も大きいでしょう。しかし、目指すべきなのは、「本質を捉えた単純化」であって、無理な単純化ではないはずです。単純化や絞り込みの裏側には、思考停止の危険があることは常に注意すべきでしょう。

とは言っても、一面では思考停止を促すようなしっかりしたマニュアルを持ちながら、思考停止に陥らないよう、社員をうまくコントロールしている組織もあるようです。例えば、震災時の東京ディズニーランド(TDL)の臨機応変の対応などはまさに思考停止とは正反対の対応と言えるでしょう[文献3]。私見ですが、マニュアルがあってもそれが思考停止の原因にならないようにするためには、自分で考えたことを行動に移してもよいという裁量権を社員に与える(その裏付けとしてTDLでは「行動規準」が定められているそうですが)ことが重要なように思います。つまりは、マニュアルによって効率化と品質維持を図るとともに、マニュアルを超える裁量権を与えることで考えることを奨励し、考える意欲を持たせる仕組みがある、と言ってもよいように思います。

また、業務の負荷が大きく、行動重視の環境であっても多くの改善を生み出している職場の例も多いと思います。確かに考えるためにはある程度の余裕は必要ですが、余裕があれば考えるようになる、というものではありません。仕事中であっても、仕事以外のことを考えてしまう場合もありますし、仕事のことであっても不満ばかり考えて仕事にプラスになることは考えられない、という場合もあります。つまり、仕事のことを前向きに考えることができなければそれは思考停止と同じと言えるでしょう。

ということは、思考停止の問題の本質は、「考える習慣の欠如、軽視」と「意欲低下、あきらめ、無力感」ということになるのではないでしょうか。効率重視、行動優先、過度の絞り込みなど、考えることを阻害する要因を繰り返すことで考える意欲が失われてしまった時、致命的な思考停止が発生してしまうように思います。

おそらく、高度成長期であれば、考えることより行動することの方が重要だったと言えるでしょう。これからの時代ももちろんそういう分野はあると思います。しかし、イノベーションの方法も含めて、従来と同じやり方が通用しなくなっている分野も増えているのではないでしょうか。そうした分野では「考えること」はもっと大切にされなければならないと思います。思考停止をうまく防ぎ、考える意欲を維持するマネジメントが求められているはずです。

 

文献1:沼上幹、「やらせメール ご無体な命令が思考を止める」、朝日新聞、2011.7.15.

文献2:河合薫、「部下も、上司も、み~んな“思考停止症候群”?!」、日経ビジネスONLINE2011.2.24.

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110222/218549/?P=1

文献3:武田斉紀、「3.11もブレなかった東京ディズニーランドの優先順位」、日経ビジネスONLINE2011.5.16.

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110512/219929/

 

理系と文系、とイノベーション

最近、「理系」や「理系と文系」が話題になることが多いように思います。若者の理科系離れや日本の将来(技術立国、グローバル化云々)、さらに至近では震災の対応といったことなど、科学や技術とそれを扱う「理系」と呼ばれる人が注目される機会が増えていることの現れかもしれません。

私も「理系」と呼ばれる人々の中に入っているわけですが、私にとって興味深いのが、「理系はいかにダメか、理系のダメなところは何か」という取り上げ方が増えているように思われる点です。もちろん、自虐的な取り上げ方も含めて本気でダメだとは言っていないのかもしれませんが、理系の人自身が気付いていない見方はそれ自体面白いですし、なによりダメなところの指摘こそ指摘される側にとって役に立つことでもあるわけで(その指摘が的を射たものであることが前提ですが)、面と向かって非難されるのでない限り興味の持てる話題であることは確かです。



そんななかで、特に面白いと感じたのが以下の本です。

・よしたに、「理系の人々」、中経出版、2008.(続編「理系の人々2」もあります)

・竹内薫、「理系バカと文系バカ」、PHP研究所、2009.



「理系の人々」はマンガですが、理系の人の思考、行動のおかしな点(もちろん、理系でない人の基準で)の指摘がなかなか鋭いです。科学者を茶化したマンガは外国には結構あるのに、日本では少なくて残念に思っていましたが、外国のものとはタイプが少し違うものの本質を衝いている題材も多くて、楽しめます。



「理系バカと文系バカ」は、「理系の人々」でとりあげられているようなことも含めて、理系の思考、行動の問題点がより系統的にとりあげられています。著書では「文系」の問題点についてもとりあげられていますが、ここでは「理系」の問題点(=理系バカ)としてとりあげられている10のポイントを見てみましょう[文献1p.68-69]

1、できれば他人と深く関わらないで生きてゆきたい(コミュニケーションが苦手)

2、新型、最新テクノロジーの商品を買うために徹夜してでも並ぶ(メカが好き)

3、相手が関心のないことを延々と話す-女性との会話も下手(サービス精神が少ない)

4、独善的で、いつのまにか相手を怒らせている(人間の感情を度外視して真実を求めてしまう傾向、討議下手、自分の中に絶対基準がありその基準に合わないものに過剰反応する)

5、「もっとわかりやすく説明して」と、よく言われる(正確な説明と丁寧な説明を混同する、比喩を使わない)

6、分からないことは、何でもネットで検索してしまえ(調べる工程やデータ集め自体が快感)

7、感動するポイントが人とズレている(技術や理論に感動する)

8、文系より理系の方が人間として「上」だと信じている(理系であるだけの理由で根拠のない優越感を持つ、いわゆる専門バカ)

9、UFOや心霊現象について語ることは犯罪に近いと思う(科学者が認めないことは犯罪だと思う)

10、意外とオカルトにハマりやすい(科学で分からないことも多いことを把握していない理系が、科学で説明できないことに出会うとショックを受けて騙されてしまうことがある)



もちろんすべての理系の人が上記の傾向を持つわけではないでしょう(私自身、当てはまることとそうでないことがあります)。文系の人より、上記の傾向を持った人の割合が多い、ぐらいのことだとは思います。しかし、ここで指摘されたような、理系の人にありがちな嗜好、信条、考え方、行動パターンというものは確かに存在すると思いますし、このような傾向の背景には、それらを生んだ原因も確かに存在すると思います。例えば、理系と文系では、失敗の概念が異なる(理系にとって失敗は当然のことであり、失敗の反省にはそれを将来の糧として生かすことも含まれる)[文献1p.106]、仕事に関する時間感覚が異なる(理系の場合時間感覚は研究対象の性質に影響される)[文献1p.111]、理系は実験設備に金がかかる(これが日本で理系と文系を分かつようになった本当の理由だそうです)[文献1p.130]、取り扱う法則が異なる(文系は人間の法則、理系は宇宙の法則)[文献1p.176]、発想の柔軟さ(筆者によれば理系の方が柔軟な発想が必要)[文献1p.184]、数字の裏側を読む(筆者によれば理系の方が数字の裏側を読めるという)[文献1p.195]、などがこの本で指摘されています。



このような指摘は、例えば、丹羽氏も「理系と文系の人たちの考え方の違いの基本は、学生時代に訓練された学問の思考方法の違いが原因と思われる(理系はあるものを構成する下位の要素との間の因果関係を追究、文系はあるものがどういう意味、役割・手段を担っているかを洞察する)」と指摘しています[文献2p.235]。また、伊丹氏は「多くの技術者にとって人間の力学などは『面倒くさいもの』である。」「そんな不確定な話がいやだから技術者になった人が多い。」「技術の現場だと、仕事に没頭することで複雑な人間関係に揉まれることを避けることができる。」「人間の力学を深く考えようとすると、しばしば技術者として受けてきたトレーニングが邪魔をする」と指摘しています。その結果、「政治力学を避けられる仕組み(例えばステージゲート法など)を考えたくなる人がでてくる」「しかし政治力学を避けるのは、問題から逃げることと同じになりかねない」[文献3p.13-14]、と述べています。



要するに、こうした理系、文系の行動や考え方の違いは、本人の嗜好や能力に加えて、教育や経験、取り扱う対象の性質などが影響して生まれたものと考えられるということでしょう。言い換えれば、理系だから、あるいは文系だから、というステレオタイプ的な見方ではなく、どんな嗜好を持ち、どんな教育を受け、どんな経験をしたかでその人の思考や行動が影響を受けるということが本質なのでしょう。さらに言えば、個人の行動や考え方は、その個人の選好(つまりは好き嫌い、趣味)とヒューリスティクス(判断や意志決定にあたってその根拠を論理的、厳密に検討せず、確実とは限らない根拠にもとづいて判断、意志決定を行なう)によって決まる要素が大きいと言えるのではないでしょうか。論理的な判断を重視する理系の人であっても、なにがしかのヒューリスティクスは利用しているはずですし、心理バイアスは誰でも持っているはずです。選好には生まれつきのものもあるかもしれませんが、知識や経験、教育がヒューリスティクスの部分に影響して、考え方や行動が決まることがあるのではないでしょうか。実際、技術者の世界にも様々な考え方をする人がいます。理系学科の出身であっても必ずしも論理的な思考をする人ばかりではなく、自らの狭い経験のみにこだわって独善的なところだけ理系らしさを顕にする人もおり、出身の学科や専門だけでタイプ分けできるものでないことは多くの理系の人々が感じていることでしょう。



では、こうした考え方や行動パターンの違いはイノベーションを進める上でどのように関わってくるのでしょうか。まず、確認しておきたいのが、イノベーションはもはや技術の世界だけのものではない、という点です。よい技術さえできればそれが広く使われ、企業の収益にも結び付く、という考え方が通用しにくくなっているというのは、最近では一般的な考え方だと思われます。原因は競争の激化であったり、技術の進歩自体であったりと様々に考えられるとしても、文系の人々も様々な形でイノベーションに関わらざるを得ないというのが一般的な認識でしょう。すなわち、イノベーションの実現のためには、理系文系を問わず考え方の異なる多くの人の協力を得ることが必要になってきていると言えるのではないでしょうか。どうしたらそんな様々な人々との協力関係を築くことができるのかは現代のイノベーションにとって重要な課題であり、おそらくその答えは、様々な人の考え方や行動を知り、それに応じた対応をしなければならないということだと思います。理系・文系というステレオタイプ的な見方はそうした考え方や行動の一つのパターンと言えるかもしれませんが、より重要なことはそれをヒントに他者に対する理解を深め、意志疎通を密にし、協働する関係をつくりあげることのように思います。



そのために具体的にどうするべきか、について竹内氏は文系学科も理系学科も満遍なく学ぶ「文理融合型」を勧めています[文献1、p.208]。しかし、専門性も深め、同時に他の分野の知識も身につける余裕のある人はどのくらいいるのでしょう。そこでまずは次のことを心がけるべきではないかと思います。

・自分と異なる考え方、判断基準を持つ人がいることを認識する。

・つまり、自分の意見を自分の方法で説明したのでは相手に伝わらない可能性があることを自覚する。

・自分の意見を相手に理解してもらいたいなら、相手の考え方、判断基準の背景を推測してみる(理系的、文系的と割り切れるかもしれません)。特に、相手の考え方を支配しているヒューリスティクスの中身を考えてみる(要するに、相手が何を疑い、何を疑わないかを想定してみる)。

・その推定をもとにして相手に受け入れられるような説得の方法を探ってみる。(その結果、自分の考え方を変えるか、変えないかは目的と想定される結果に応じて判断せざるを得ませんが。)



さらに、文理両道とは言わないまでもそれに少しでも近づくためには、以下のことが必要ではないかと思います。

・自分と異なる意見の存在を楽しむ、自分にない発想を大切にする



人が何を正しいと思うかは究極、各自の判断に基づいているでしょう。相手の考えを正しくない、と主張するだけでは、相手を言い負かすことはできても相手の納得と協力は得られないのではないでしょうか。理系、文系という区別をするかどうかはさておいて、考え方の異なる人々との協働を成功させるためにはどうしたらよいのか、「文系・理系」ブームがヒントを与えてくれているように思います。



文献1:竹内薫、「理系バカと文系バカ」、PHP研究所、2009.

文献2:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.

文献3:伊丹敬之、東京理科大学MOT研究会編著、「技術経営の常識のウソ」、日本経済新聞社出版社、2010.


(参考)

リクナビNextTech総研webページ:「理系の人々」最新作が時々掲載されています。

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s01100.jsp

よしたにオフィシャルブログ「大宇宙ひとりぼっち」

http://ameblo.jp/yoshitani

竹内薫Official Site

http://www.kaoru.to/

あらたにすwebページ「著者に聞く<『理系バカと文系バカ』 竹内薫さん>」<2013.3.10現在つながりません>

http://allatanys.jp/S001/ex40130.html

小飼弾氏ブログ、404 Blog Not Found、「理系バカよりなのには訳がある -書評- 理系バカと文系バカ」:理系と文系についての多くのコメントへのリンクがあり、参考になります。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51205044.html

参考リンク


 

 

 

 

イノベーションとあいまいな意思決定(判断の根拠は何か?、ヒューリスティクスの活用?)

他のビジネスプロセスと同様に、イノベーションにおいても意志決定は重要です。しかし、研究開発が本来的に持つ不確実性のため、その意志決定は、量的に不十分で、しかも正確とは限らない情報に基づいて行なわなければなりません。加えて、企業における研究開発では開発スピードを優先するため、純粋科学の研究のように正しいことを確認して確実な事実を積み重ねていくアプローチが採られないこともあります。そこで今回は、イノベーションにおける意志決定の特徴と注意すべき点、活用方法などについて考えてみたいと思います。

 

企業でのイノベーションにおける意志決定の特徴は、「限られた情報に基づく、素早い判断」+「素早い見直し」が必要とされていることではないでしょうか。つまり、十分な情報に基づいて、十分に吟味した上で判断することよりも、とにかくプロジェクトを前に進める判断を行ない、進めながら同時に確認や見直しも行なう、という判断が求められるのではないかと思います。

 

このような状況における判断については、ヒューリスティクスという考え方があります。ヒューリスティクスとは、「論理的に厳密な手続きに頼らず、確実ではないが効率よく問題を解決しようとする考え方」[文献1p.149]とのことです(実際には、いろいろな定義がある幅の広い概念のようですが、最大公約数的に「簡便な問題解決法」という説明が最も理解しやすいように思いました。様々な定義や例については記事末尾[参考文献]をご参照いただければと思います。)。この考え方は特に心理学や行動経済学の分野で、人間の意志決定に影響する要因として重視されているようで、心理学の分野では、簡便な意思決定による正確な判断からのずれ(心理バイアス)が問題にされることが多く、また、行動経済学の分野では、簡便な意思決定を行なうことによって経済合理性に従わなくなる人間の行動が検討の対象にされているようです。いずれも、簡便な意思決定を行なおうとする人間の考え方をしかたのないものと認めつつ、簡便な方法をとることによる誤りの可能性などの問題点が多く注目されているように思います。

 

しかし、研究を進めていく過程では結構あいまいな考え方をしているものです。これはひとえに、熟考できるだけの材料がない状況でも判断を効率的に行ない、少しでも早く物事を進めたいという意欲の表れと考えることができるでしょう。つまり、イノベーションにおけるヒューリスティクスは、発想を次の段階に発展させるために積極的に簡便な意思決定を使っている、とも言えるのではないかと思います。企業における研究の場合、最終目標は真理の探究ではなく、イノベーションを世の中に送り出すことですので、こうした考え方を認めざるを得ないのではないでしょうか。もちろん、ヒューリスティクス自体が持つ誤りの可能性については十分に注意しなければなりませんが、私はイノベーションにおける簡便な意思決定は、後でその考えの正当性が確認されることを前提として、有用なもの、不可欠なものとして肯定的に考えてもよいのではないかと思っています。

 

具体的にどんな判断がなされ、どんな点に注意すべきなのでしょうか。研究開発における簡便な意思決定の例として、ある情報(データ)に遭遇した時に、それを「正しい」と認識する過程を考えてみたいと思います。この過程は次のようなプロセスからなると考えられるでしょう。すなわち、

第一段階:情報を認識し解釈する

第二段階:その情報が正しいことを納得しようとする

です。ヒューリスティクスの議論では主にこの第一段階が注目されているようですが、私は第二段階も重要であると思います。研究開発のような場合、最初は得られる情報が少ないため第一段階の情報認識と解釈が十分には行なえず、必然的に第二段階の推論にも頼って判断しようとすることになるでしょう。

 

つまり、情報が少ない状況では、

・得られた情報をとりあえず信じる

・情報が得られた前提条件を十分に吟味できずに汎用化、拡大解釈する

ということが起こりやすい、あるいはそうせざるを得ないことになってしまうと思われます。このような状態で、ある情報を「正しい」と認識して問題がない場合もありうるとは思いますが、研究開発の場面においては、この段階だけの簡便な判断で結論を出すのは大胆すぎるでしょう。従って、そのような場合には、第二段階でその解釈の正当性が高いことを確認しようとするのが普通であると思います。つまり、「データは少ないが、データ以外の傍証があるのであれば、『正しい』と考えてもよいだろう」と思えるわけです。しかし、第一段階での情報が少なければ、第二段階での考えをサポートする情報も少ないはずですので、第二段階でも「簡便な判断」が使われることになるのではないでしょうか。

 

では、第一段階の推論をサポートしようとする第二段階での簡便な判断にはどのようなものが考えられるでしょうか。

 

まずは、間接的な証拠(第一段階の推論をサポートする別の情報)に着目する場合が考えられるでしょう。例えば、以下のような場合に第一段階の推論がサポートされると思うのではないでしょうか。

・偶然ではおこりそうもないこと(こんな結果が得られるのは偶然ではあり得ないと思う)

・再現性がよい(同じことを何度やってもいつもそうなる)

・反例がない(いろいろやってみても解釈に合わない例が出てこない)

・結果から推理したことが当たる(第一段階の判断が正しいとすれば、別のことをしたらこうなるはずだ、と推理し、それを試した結果が期待どおりとなる)

・第一段階での判断が正しいとすると多くの現象の辻褄が合うと思える

いずれも、きちんと考えれば第一段階での推論を証明するものにはなり得ないはずですし、ヒューリスティクスの議論でよく取り上げられる認知バイアスによって判断が歪められる可能性を持った考え方なのですが、このような間接的な結果であっても、第一段階での推論が正しいという根拠のひとつとして感じてしまうことがあります。

 

さらに、より不確かな方法として、自分の考え(先入観や予想)を根拠として第一段階の判断が正しいと思うことがあります。例えば、

・自分がうすうす思っていた仮説に一致する(やっぱりそうか)

・自分がそうなってほしいと期待していたことに一致する(自分の予定や計画どおりに結果が出る)

・自分の過去の記憶(経験)に一致する(そういえばそうだ)

・自分が正しいと思っていることから、自分が正しいと思っている論理に従って導けることに一致する

・第一段階の判断が誤っている、という論理を組み立てることができない(他にどんな説明が可能だというのか?)

このような、すでにもっている知識や態度、信念、仮説を保護・維持しようとする傾向は、「認知的保守性の原理」「認知的一貫性の原理」と呼ばれ[文献1p.183]、複数の認知が矛盾する状態(不協和)を避けようとする心理的作用が反映されていると考えられます。つまり、このような考え方を用いると心理的に楽になるために、ついそうしがちである、ということです。なお、自分の考えの中には、過去に誰かから聞いて、そのように聞いたことを忘れてしまって、さも自分が考えたように思いこんでいる場合(「スリーパー効果」というらしいです)も含まれるでしょう。

 

同様に、他人の意見を根拠として正しいと認識する場合もあり得ます。例えば、

・自分が偉いと思っている人(信頼している人)の意見に合っている(権威への服従、その人と同じ意見を持つことがうれしい)

・多数の人が言っている意見と同じである(同調の心理)

・世間で正しいとされていることから、正しいとされている論理に従って導ける結果に一致する

 

これよりもさらに不確かな方法としては、あるいは、自分自身でも間違っているかもしれないと思いつつも正しいことにしてしまう、あるいは、疑う心を故意に封じてしまう、ということも起こり得るでしょう。

・事前の予定や計画に沿ったデータである(それに反していると面倒なことになる)

・他人の意見との衝突を避けるため、他人の主張に従ってもよいと思ってしまう

・他人の意見に従っておくと、利益が得られるのでそれでよいことにしてしまう

・自説に固執すると、不利益が予想されたり、面倒なことになる可能性があるので、自説を曲げてしまう

・第一段階の判断が正しいとすると自分の評価が上がる、自己満足感が増す

・間違っていても大きな損失にならないと思う

・第一段階の情報は都合のよい解釈が可能で、違っていても後で言い訳ができる

このような判断は、判断した時点では間違っている可能性があることを覚えているものですが、時間がたつと、妥協的な判断をしたことや間違っている可能性を忘れてしまう場合もあるそうです。

 

このように、不十分な情報しかない状態での判断については、上記のような第二段階での追加的考察によって、自らの考えを正当化しようとするのではないかと考えられます。しかし、ここで見た第二段階の推論も簡便な判断であると言えるでしょう。より正しい判断を行なうためにはさらなる検証が必要であること、簡便な判断は間違っている可能性があることを認識して、その判断を改めることに躊躇しないことを心掛けなければならないと思います。

 

だたし、上記の点にさえ注意すれば、このような簡便な判断を有効に使うことによって、研究をとりあえず先に進めることができます。簡便な判断を用いることを避けようとすると「失敗や挑戦を恐れる」ということにつながり、恐らく未知なものへの挑戦やイノベーションの達成には逆効果となる可能性もあるのではないでしょうか。このような理由から私は簡便な判断であっても、十分な注意を払ったうえで有効に活用すべきであると考えています。

 

さらに、このような判断のパターンを認識することは、他者を説得する場合にも有効だと思われます。そもそも、簡便な方法で考える傾向があるのは、あることに対し熟慮する気持ち (motivation) がなかったり、情報処理する能力的余裕なかったりする場合に(あるいは年長者にありがちな傾向として)多くみられるということです[文献2]ので、例えば研究内容を十分に吟味する時間のない(年長の)経営層や、新しい成果にまだ興味を持っていない潜在的顧客は簡便な判断を行なう可能性があると思います。例えば、研究成果を経営層や他部署に納得させる場合、開発した製品を買ってもらうよう顧客を説得する場合など、データの解釈の正当性を主張するだけでなく、情報の受け手のその情報に対する正当化の手助けをしてやることによってその情報に対する信頼感を形成できるのではないかと考えられます。

 

もちろん、認知バイアスを悪用して他者の判断を誘導するようなことは厳に慎まなければなりませんし、誤った判断を正当化する情報を提供するようなことも行なうべきではないでしょう。しかし、簡便な判断を活用した大胆な仮説の構築や、判断の効率化については、そうした判断のメカニズムをきちんと認識しておけばイノベーションにとって有用な手法になりうるのではないかと思います。

 

(注)今回の話題については、心理学、行動経済学、リスク評価、科学哲学、計算機科学などの分野で様々に研究されているようです。この記事を書くにあたり、そうした成果を少し調べてみましたが、短時間ではとてもまとめきれるものではないと思いました。勉強不足、理解不十分の点も多いと思いますが、まずはとりあえずの考えをまとめたものとご理解いただければ幸いです。機会があればもう少し詳しいまとめを試みたいと思います。

 

 

文献1:菊池聡、「超常現象をなぜ信じるのか」、講談社、1998.

文献2:「消費者心理学とマーケティング -消費者心理学・消費者行動論の研究より-」ブログ記事より、「心理学のお勉強(社会心理学)No9:バイアスのかかった判断(Judgement heuristicsNo1

http://ameblo.jp/consumer-psychology/entry-10016073404.html#main

 

参考文献(上記「文献2」以外で見つけた参考になるweb上の資料です)

なお、英文表記の最後にsがあったりなかったり、日本語でもヒューリスティク、ヒューリスティックスなどの表記の揺れがあるようです。

・ウィキペディア:「ヒューリスティクス」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%B9

・原子力技術リスクC3研究ホームページ、「リスク認知とは」より、「ヒューリスティックスから生じる認知のバイアス」

http://tokaic3.fc2web.com/rc/rc2142.html
<2011.8.14追記:残念ながら現在このサイトにはつながりません>
同上サイトより、谷口武俊、「私たちが物事を判断するときに陥りやすい罠とは?」2004.5.25

http://tokaic3.fc2web.com/body/lesson/text02.pdf
<2011.8.14追記:残念ながら現在このサイトにはつながりません>

sapporokoyaさんブログ記事より、「心理学とヒューリスティックと科学コミュニケーション」2008.04.15

http://dole.moe-nifty.com/etc/2008/04/post_8746.html

Q-BPM.orgBPM -Business Process Management-に関する百科事典サイト)記事より、「心理バイアス」

http://ja.q-bpm.org/mediawiki/index.php/%E5%BF%83%E7%90%86%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

・友野典男、「行動経済学—経済は『感情』で動いている」、ITmediaエグゼクティブ誌 2007929日号、早稲田大学IT戦略研究所webページより

http://www.waseda.jp/prj-riim/ITS-56.pdf

・大阪大学 社会経済研究所 附属行動経済学研究センターwebページより講義資料、多田洋介、「行動経済学のイントロダクションと応用可能性について」2004.8.25

http://www.iser.osaka-u.ac.jp/rcbe/event/tada.pdf

・「社会人の経済学お勉強ノート」webページより、「行動経済学入門/多田洋介,2003

http://jwiz.net/es/?no=t018&type=pdf&u=1184139561

・高尾義明さんwebページより、「意思決定とバイアス」

http://homepage1.nifty.com/~ytakao/MDMS05-03.pdf

・瀬戸口毅さんブログ記事より、「ヒューリスティクスとは/依田高典」

http://agarusagar.way-nifty.com/we_see/2010/12/index.html

(依田高典「行動経済学」岩波新書、が取り上げられています)

Web担当者Forumwebページより「選択肢は多い方が良い? アンカリング? 代表性バイアス? - 行動経済学の“選択アーキテクチャ”(中編)」

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2009/08/20/6326

同上、「利益vs損失? プライミング効果? 測定作用? - 行動経済学の“選択アーキテクチャ”(後編)」

http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2009/08/21/6327

(リチャード・セイラー、キャス・サンスティーン著、「実践行動経済学 健康、富、幸福への聡明な選択」日経BP社、が取り上げられています)

・小林英二さんブログ記事より、「論理的な話が通じないワケ。行動経済学から学ぶ20のバイアス」

http://d.hatena.ne.jp/favre21/20090626

(柏木吉基「人は勘定より感情で決める 直感のワナを味方に変える行動経済学7つのフレームワーク」技術評論社、が取り上げられています)


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