研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

ビジネスモデル

破壊的イノベーションとは何か?(「What Is Disruptive Innovation?」(Christensen他著HBR2015Dec.)より

破壊的イノベーションという言葉が様々に使われ、混乱を招いているのではないかということについては別稿(「日本のイノベーションのジレンマ」(玉田俊平太著)より)でも述べました。この点について、この概念の提唱者であるChristensen氏がどう考えているのかを知りたいと思っていたところ、最近「What Is Disruptive Innovation?」[文献1]という論文(ChristensenRaynorMcDonald氏の共著)がHBR誌に発表されました。この論文で著者らは、破壊的イノベーションの概念を正しく理解することの重要性を述べるとともにあらためて著者の考えを提示し、さらに発表後約20年を経たこの概念がどう発展、検証されているかについても述べています。実務家にとっても非常に参考になる内容だと感じましたので、今回はその中の重要と思われるポイントをまとめておきたいと思います。(なお、本稿には、原文に比較的沿って訳した部分(「 」で表示)と、かなり省略したり意訳したりしている部分があります。全体の構成は原文に沿っていますが、本記事は筆者の理解をまとめたものとご解釈いただければ幸いです。)

破壊的イノベーションの概念を正しく理解することの意味
・「破壊的イノベーション理論の中心的概念の誤解は広く見られ、基本的な考え方はしばしば誤って用いられている。」
・「多くの人はこの言葉を自分に都合のよいようにいい加減に使っている。多くの研究者、ライター、コンサルタントも、状況を問わずある業界が大きく変化し、従来成功してきた既存企業がつまずいてしまうことを説明するために『破壊的イノベーション』を使っている。これは広すぎる使い方である。」
・「異なるタイプのイノベーションには異なる戦略が必要であり、破壊的イノベーションを、業界の競争環境を変えてしまうブレークスルーと混同することは問題である。言い換えれば、成功した破壊者や破壊を斥けるのに成功した事例から学べることは変化する市場の中の全ての企業に適用可能なものではない。」

破壊的イノベーションの要点
・「『破壊(Disruption)』というのは、少ない資源しかもたない小さな会社が、確立された既存企業にうまく挑戦するプロセスである。既存企業はその最も要求の高い(多くは最も利益の出る)顧客のために製品やサービスを改良していくと、いくつかのセグメントのニーズを越えてしまい、その他のニーズを無視するようになる。新規参入者はそうした見過ごされたセグメントを対象に、よりサステイナブルな機能やしばしば低価格で足がかりを作る。要求の高いセグメントを追っている既存企業は激しくは抵抗しない。参入者は初期のアドバンテージを維持したまま上位の市場に移動し、既存企業の主要顧客の要求に応える。主要顧客が参入者が提供するものを大量に採用するようになった時、破壊が起こる。」

Uber
は破壊的イノベーションか?
・「2009年に創業したUberは、モバイルアプリケーションを活用して大きな成長を遂げている。Uberは明らかにタクシー業界を変えつつあるが、これはタクシー業界を破壊しているのだろうか?。理論に従えば答えは『ノー』だ。」その理由は以下の2つ。
破壊的イノベーションは、ローエンドか、新市場を足がかりに生まれる
・「破壊的イノベーションは、既存企業が見過ごす2種類の市場からスタートすることで起こる。ローエンドは、既存企業が要求も収益性も高い顧客に対して、製品やサービスの品質を上げ、要求の低い顧客にあまり注意を払わないために生まれる。既存企業の提供する価値は、しばしは要求の低い顧客の要求を越えてしまい、破壊者は『十分によい(good enough)製品で破壊を始める。

・「新市場では、破壊者は今までに存在しない市場を創造する。非消費者を顧客に変える方法を見出す。」例えば、パーソナルコピー機は、1970年代、Xeroxが見過ごしていた個人顧客向けに製品を提供することで、個人や小企業向けの新市場を創造した。
・「Uberはどちらでもない。タクシー業界の品質が過剰だったわけでもないし、非消費者をターゲットにしたわけでもない。」破壊者はローエンドか非消費者へのアピールでスタートし、メインストリームへ移動していくが、Uberはまずメインストリームで地位を築き、続いて見過ごされたセグメントにアピールしている。
破壊的イノベーションは、その品質がメインストリーム顧客の基準に達するまでは、メインストリーム顧客に採用されない
・「破壊の理論では、破壊的イノベーションと持続的イノベーションを区別する。後者は、既存企業の顧客の立場からみてよい製品をよりよくする。」「進歩は段階的なこともあれば、大きなブレークスルーのこともあるが、最も収益性の高い顧客により多くの製品を売ることを可能にするものだ。」「破壊的イノベーションはほとんどの既存顧客にとって、劣ったものとみなされる。通常、顧客は安いからといって新しいものを採用するわけではなく、その品質が満足できる水準に達するまで待っている。それが起こって初めて、彼らは新しい製品の安い価格を受け入れる。」
・「Uberの戦略のほとんどの要素は、持続的イノベーションのように思われる。Uberのサービスは既存のタクシーより劣っていることはまずない。」「さらに、通常、既存企業が持続的イノベーションの脅威に直面したときと同様、多くのタクシー会社は対抗しようとしている。」

正しい理解の必要性
・「理論を正しく適用することは、その利益を享受するために不可欠だ。」例えば、あなたのビジネスの周辺に小さな競合企業が食いこんできたとしよう。それが破壊的軌道に乗っているのでない限り、無視してよい。しかし破壊的であれば致命的な脅威となりうる。

破壊的イノベーションについて見過ごされたり誤解されたりする4つの点
1、破壊はプロセスである

・「『破壊的イノベーション』は、特定の時点での製品やサービスについて言う場合に誤解を受けやすい。」「最初のミニコンピュータが破壊的なのは、登場したときにローエンドだったからではなく、後にメインフレームを凌駕するようになったからでもない。破壊的だったのは、周辺からメインストリームへという過程をたどったことだ。」
・「周辺からメインストリームに至る過程には時間を要するので、既存企業は既得権を守ることもできるが、しばしば破壊者を見逃してしまう。」

2、破壊者はしばしば既存企業とは大きく異なるビジネスモデルをつくりあげる
・「アップルのiPhoneは、最初はスマートフォン市場における持続的イノベーションだった。」その後のiPhoneの成長は、スマートフォンの破壊ではなく、インターネットのアクセスポイントとしてのラップトップの破壊として説明できる。これは単なる製品の改良ではなく、新しいビジネスモデルの導入である。iPhoneはインターネットアクセスにおける新市場を創造した。

3、成功する破壊者もそうでない破壊者もいる
・「成功したかどうかで破壊的かどうかを判断するのはよくある誤りである。すべての破壊的過程が成功するわけではないし、すべての成功した参入者が破壊的過程に従ったわけではない。」
・破壊の理論は、足がかりの市場でどうしたら勝てるかについて、可能性の予測と、資源豊富な既存企業との正面衝突を避ける方法以外のことはほとんど何も言っていない。

4、「破壊するか破壊されるか」という考え方は誤解を招く
・「破壊が起こっているなら、既存企業はそれに対応しなければならない。しかし、利益をあげているビジネスをやめてしまうような過剰反応をすべきではない。既存企業は持続的イノベーションに投資しつつ、破壊から生まれる新たな成長機会に焦点をあてた新たな部門をつくることができる。時には、この2つの大きく異なる運営をおこなうことになるだろう。破壊的ビジネスが成長すればコア事業から顧客を奪うかもしれない。しかし、リーダーは、その問題が現実のものとなるまでは、その問題を解決しようとすべきではない。」

破壊的イノベーションの視点が明らかにすること
・「ある技術や製品が本来的に破壊的か持続的かであることは稀である。また新技術が開発された時、破壊の理論はマネジャーがどうするべきかを指示してはくれない。そうではなく、持続的な道か破壊的な道かを選ぶヒントを与えてくれる。」

破壊の概念の進化

・破壊的イノベーションの理論は、持続的イノベーションの環境では既存企業が新規参入企業より好成績を収め、破壊的イノベーションの環境では好成績をあげられないという単純な相関関係だった。その背景には、既存企業が既存顧客に目を向け、破壊的イノベーションに投資しにくいことがある。当初、破壊的イノベーションは最下層の段階から起こると考えていたが、その後、ローエンドと新市場の区別に気づいた。破壊的イノベーションのこの2種類の足がかりを仮定することで、この理論はより強力で実際的なものとなった。
・一方、高等教育においては破壊はあまり進んでいない。その原因は既存企業も新規参入者も同じゲームプランに従っているためのようだ。現在の疑問は、新規参入者が既存企業の高コスト体質から離れて上位市場に移ることを可能にするような新技術やビジネスモデルが存在するのかどうか、ということだ。どうやらその答えはイエスのようだ。
・破壊的技術の向上速度を決めるのは、それを可能にする技術改善の速度だ。破壊の速度を支配する原因を理解することは、結果を予測するのには役立つが、破壊の速度は違っても、どう破壊をマネジメントすべきかは変わらない。

もっと学ばなければならない
・「破壊的イノベーションの理論を拡張し、精緻なものとするためにはまだ研究すべきことは多い。例えば、破壊的脅威への一般的、効果的な対応は不明確なままだ。今のところ、上級幹部の保護のもと、破壊的モデルを追求する独立した部門を設けるべきだと考えているが、これはうまくいく場合もいかない場合もある。既存企業が同時に参入者となることによる困難に対処する方法はまだ見つかっていない。」
・「破壊的理論は、イノベーションやビジネスの成功の全てを説明するものではないし、将来もできないだろう。」「しかし、破壊の理論は、どんな新しいビジネスが成功するかをより正確に予測してくれる。」破壊の理論の進化によって、企業のイノベーションを成功させるのに何が役立つかをよりよく理解できるようになるだろう。
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破壊的イノベーションの概念を正しく理解することの重要性は著者の指摘するとおりだと思います。誤解しやすい点もたしかにあると思いますが、何よりその有効性は、提唱依頼20年の検証を経てもその概念が生き残っており、発展しつつあることで証明されているように思います。従来の経営理論や経営思想の中には単なる流行に過ぎなかったり、時代の変化に耐えられず消えてしまったものも多いと思いますが、破壊的イノベーションの考え方は、より信頼性の高い理論であるような気がします。

本論文を読んで、破壊的イノベーションのメカニズムにおいて特に重要なのは以下の2点だと感じました。
・既存企業が破壊者を見過ごしたり、対応を怠ってしまうこと
・技術の進歩の速度は、顧客の要求が高まる速度を超えてしまいがちなこと
既存企業が破壊者を見過ごしてしまうことは、競争を考える上で重要なことだと思いますし、技術進歩の速度についての傾向は、競争優位を得るために忘れてはならないことのように思います。また、この論文では破壊的イノベーションにおける技術の役割が指摘されていることも興味深く感じました。「イノベーションのジレンマ」とそれに続く一連の著作では、破壊的イノベーションにおける技術の役割はあまり強調されておらず、ビジネスモデルの方が重視されているような印象でしたが、その後の研究によって技術の役割が見直されてきているのか、あるいは、時代が変化しているのか、興味のある点です。破壊的イノベーションについてその本質がより明らかになり、その理論が実務家にとってより使いやすくなることをこれからも期待したいと思います。


文献1:Clayton M. Christensen, Michael E. Raynor, Rory McDonald, “What Is Disruptive Innovation?”, Harvard Business Review, December 2015, p.44.
https://hbr.org/2015/12/what-is-disruptive-innovation

参考リンク



ビジネスモデル改善のポイント(ジロトラ、ネテッシン著「ビジネスモデル・イノベーションに天才はいらない」DHBR誌2015年7月号より)

イノベーションでは、技術的な革新だけでなく、ビジネスモデルをどうするかも重要だという認識の高まりとともに、新たなビジネスモデルを構築する方法論の提案も増えてきています。しかし、新たなビジネスモデルの創造だけでなく、既存のビジネスモデルを見直して改善していくこともイノベーションへのアプローチの一つとなりうるかもしれません。

ジロトラ、ネテッシン著の論文、「ビジネスモデル・イノベーションに天才はいらない」[文献1]では、既存のビジネスモデルをどう改善したらよいか、という観点からのビジネスモデル・イノベーションの方法論が議論されています。もちろん、イノベーションを一から構築する場合においても役に立つ点があると思いますので、今回はその要点をまとめたいと思います。

ビジネスモデル・イノベーションの意義
・著者は、「我々は、ビジネスモデル・イノベーションとは『何を提供するか』『いつ決めるか』『誰が決めるか』『それはなぜか』を変える意思決定だと見なしている。これらの変革に成功した企業は、売上、費用、リスクのバランスを改善することができるのである。」と述べています。ここで、「変える」としているところ(「創造する」ではなく)が本論文のポイントのように思いますので、以下、上記4つの点をどのような視点で変えていけばよいのかについての著者らの主張を以下にまとめたいと思います。

どのような製品・サービスを組み合わせて提供すべきかWhat Mix of Products or Services Should You Offer?

・「リスクを低減する方法の一つは、製品・サービスの組み合わせ方を変えることだ。」
1、範囲を絞るFocus narrowly
・商品やサービスなどを絞り込むことで優位に立てる可能性がある。
・「範囲を絞るやり方が最も効果的なのは、明確に差別化されたニーズを持つ、異なる市場セグメントにアピールする時だ。」「範囲を絞ったビジネスの主な欠点は、単一の製品やサービス、または顧客セグメントに依存しなければならず、そこからは見えてこない重要な顧客ニーズを取りこぼしかねない点だ。」
2、製品の共通性を探すSearch for commonalities across products
・製品間での部品の共通化や、セグメントへの対応に必要な能力の共通化によりビジネスモデルの改善の可能性がある。
・「ただし、幅広いモデルや車種を対象に部品を設計しなければならない場合、共通化を実行するためには多大なコストがかかる。さらにこの戦略では、部品を共通化する全製品が同時に需要増、あるいは需要減になってはいけない。」
3、リスクヘッジしたポートフォリオを築くCreate a hedged portfolio
・「この方法が使えるのは主に、需要の変動がマイナスの相関を持つケースである。」

重要な意思決定をいつ下すべきかWhen Should You Make Your Key Decisions?
・「信頼に足る情報が不十分なのに、意思決定を下さなければならない局面は多い。我々は、状況に応じて意思決定のタイミングを変えるとビジネスモデルを改善できるような3つの戦略を見出した。」
1、意思決定を先延ばしにするPostpone the decision
・例えば、重要動向を見ながら価格決定する、収益性の予想によって対応を使い分けるなど。
2、意思決定の順番を変えるChange the order of your decisions
・例えば、インフラ投資をしてから契約を取るか、契約の後にそれに合わせる投資をするか。ソリューションの開発に投資するのではなく、外部に開発をさせて完成したソリューションを買い取るとか。「オープン・イノベーションの草分けであるイノセンティブやイピオス(Hypios)など多くの企業は、『パフォーマンスが先、投資は後』に順番を変えれば、R&Dに伴うリスクの大部分を他に転嫁できると気づき始めている。」
3、重要な意思決定を分割するSplit up the key decisions
・「かつては、リスクのあるベンチャー事業を立ち上げるには、ビジネスモデルの細部を網羅した事業計画書を作成し、計画をその通りに遂行する必要があった。あらゆる重要な意思決定が、一度に前もって下されていたのだ。リーン・スタートアップの手法では、重要な意思決定を分割する。まずは、どこに機会がありそうかという仮説を、かなり大まかに、限られた範囲でよいから立てる。その後、情報収集や『方向転換(ピボット)』の段階を重ねながらビジネスモデルを修正し、最終的に有効なモデルへと到達する。創業者は概して、事業が進行するにつれて仮説を大胆に変えるのだ。・・・事実上、ベンチャー設計の意思決定を小分けにしたわけだ。」

最良の意思決定者は誰かWho Are the Best Decision Makers?
・「決定を下す者を変えるだけで、企業はバリューチェーン内の意思決定を飛躍的に改善できる。」
1、事情に通じた意思決定者を任命するAppoint a better-informed decision maker
・「従業員への権限委譲とは、根本的に、最も事情に通じた個人または組織に決定権を与えることである。」「最適の事情通が社内にいるとは限らない。」
・「よりよい情報を用いた意思決定のメリットは明白だが、従業員やサプライヤー、顧客に権限を委譲し、広範なデータを収集するのは費用がかかるうえに、困難もつきまとう。」
2、意思決定のリスクを最適任者に負わせるPass the decision risk to the party that can best manage the consequences
・例えばアマゾンが売れ筋の本しか在庫を持たず、売れ筋以外は協業関係にある卸業者や出版に在庫管理させたような方法。
・「優位な情報を持つ意思決定者が明らかにいない場合、意思決定のリスクを最適任者に負わせるのは魅力的な戦略になりえる。」
・「この戦略を機能させるには、意思決定を代わりに担う者と自社のインセンティブが一致しなければならない。」
3、最も得るものが大きい意思決定者を選ぶSelect the decision maker with the most to gain
・例えば、製品やサービス導入に伴って顧客に発生するリスクを、製品やサービスの供給者が肩代わりするなど。
・「ただし難点もある。リスクを追加負担しても安全なのは、その技術の信頼性が高い時に限られるのだ。」

重要な意思決定者はなぜその決定を下すのかWhy Do Key Decision Makers Choose as They Do?
・「意思決定者の意欲をうまくコントロールすれば実行できるビジネスモデル・イノベーションは多い。」
1、収益源を変更するChange the revenue stream
・例えば、製品のメンテナンスが製品供給者の収益源になっている状況では、製品供給者は製品の信頼性を上げてメンテナンスを減らす動機は持たない。顧客にとってメンテナンスコストが問題なら、供給者にとっての収益源を変える必要がある。
・「収益源を変更して意思決定関係者の利害を一致させる方法は、パフォーマンスを十分かつ明確に定義できる場合だと成功しやすい。反対に、たとえば先端技術や材料を駆使した新型機は未知の要因が多すぎるため、合理的なパフォーマンス基準や適切な指標の設定が困難である。」
2、短期と長期のメリットを組み合わせるSynchronize the time horizons
・「従来の調達活動では、競争入札という『儀式』を通じて、低価格とほどほどの質を確保していた。・・・ところが、海外調達が増えると、このモデルに不具合が生じる。国外の業者が品質管理を怠り、材料の信頼性を軽んじたのだ。そればかりか、強制労働、製品の横流しや偽造といった問題も露見した。ほとんどの調達取引は一度限りなので、悪徳業者が制裁されることは稀だった。」
・例えば、調達者と業者の間を仲介し、仲介者と業者の長期的な関係を維持することをインセンティブにするビジネスモデルを構築している企業がある(利豊)。
3、インセンティブを統合するIntegrate the incentives
・「信頼の置ける仲介業がいない場合は、独立した各エージェントに対して、事前に取り決めた結果を最大化させるように契約や管理システム(有名なバランス・スコアカードなど)を作成・開発すればよい」
・例えば、患者の治療に携わる関係者すべてが、患者の治療結果をもとにパフォーマンス測定することに合意する医療制度改革など。
・「時にこうした契約は複雑になるので、単にオペレーションを統合するほうがが簡単な場合もある。・・・完全な統合の実現は一大事業のため、多くの組織がコア・コンピテンシーの範囲外にある活動に直接手を出したがらないのも無理はない。したがって、これは他のアプローチでは満足できない時だけに使う、最終手段と見なされる傾向にある。」
―――

ビジネスモデルの改善を考える際のポイントとしては、もちろん上記の項目に限られるものではないでしょう。しかし、上記の項目は、考える際の手がかり、有効なチェックポイントとして使えるように思います。既存のビジネスモデルを改善しようと考える時、あるいは、新たなビジネスモデルを構築しようとする時、まず上記の視点で考えてみることが有効なように思います。

著者の指摘の基本を挙げるとしたら、「暗黙の前提の見直し」、ということになるのではないでしょうか。「何を提供するか」に関しては、製品やサービスを独立した単体のものとして見るのではなく、プロダクトミックスとして見ることが重要のように思われますし、「いつ決めるか」に関しては、プロジェクトの初めに方針と計画を定めてその後にそれを実行していく、というやり方には見直すべき点があると指摘していると思います。また、「誰が決めるか」については、意思決定者を行う人を特定するという前提、「それはなぜか」に関しては、特定のインセンティブや従来の仕組みに依存しているという前提を見直す必要がある、ということのように思います。こうした暗黙の前提は隠れた問題の温床になってしまうこともありますし、暗黙の前提を見直すことで単なる品質や効率の改善以上の成果が期待できることも多いので、技術開発においても重要な検討課題ですが、ビジネスモデルやビジネス上の意思決定プロセスにおいても同様のアプローチが求められている、ということなのでしょう。イノベーションを進める上で、著者の指摘をそのまま適用することが難しい場合でも、暗黙の前提を見直すことは、折に触れて心がけるべきことのように思います。


文献1:Karan Girotra, Serguei Netessine、カラン・ジロトラ、セルゲイ・ネテッシン著、編集部訳、「ビジネスモデル・イノベーションに天才はいらない 4つの意思決定で体系的に変革を起こす」、Diamond Harvard Business Review, 2015 July, p.12.
原著:”Four Paths to Business Model Innovation”, Harvard Business Review, July-August 2014.

参考リンク



イノベーションの方法(ファー、ダイアー著、「成功するイノベーションは何が違うのか?」より)

研究開発やイノベーションの方法は、取り組む課題に応じて変える必要がある、ということは多くの方が指摘していますし、私の経験からもそう思います。しかし、どういう場合にどのようにすべきか、ということはあまり明確になっていないというのが実情でしょう。

ただ、最近では、イノベーションの具体的手法について、かなり多くのことがわかってきていると思います。今回は、そうした具体的手法のなかから、ネイサン・ファー、ジェフリー・ダイアー著「成功するイノベーションは何が違うのか?」[文献1]に書かれた考え方をまとめておきたいと思います。なお、原著の表題は「The Innovator’s Method: Bringing the Lean Start-up into Your Organization」であり、Christensen氏の推薦の言葉「本書はイノベーションのプロセスを初めから終わりまで詳しく解説した初めての本だ[p.iii]」からもわかるように、最近の考え方も入れて、著者らが考えるベストの手法が解説されていて、実務家にとってもかなり役立つ内容になっているのではないかと思います。

序章、はじめに
・「本書で伝えたいことは、あらゆる分野で、不確実性の高い野心的なアイデアを検証するための新しい手法や視点が登場してきているということだ。リーンスタートアップであれ、デザイン思考であれ、アジャイルソフトウェア開発であれ、このような新しい手法は、マネジャーが新しいアイデアを生み出し、洗練させ、市場に投入して成功させるための今までの方法を根底からくつがえすものだ。・・・本書では既存企業のマネジャーが新しい取り組みを採用しやすくするために、『イノベーション実現メソッド』と呼ぶイノベーションを管理するための新しい方法論を提唱する。[p.2]」
・「一言で言えば、『イノベーション実現メソッド』とは、成果を上げているイノベータが、イノベーションの不確実性をうまく扱う際に使っているプロセスである。本当は顧客が欲しくないような製品を開発し、市場に投入することでリソースを無駄にしてしまう前に、独創的なインサイトをテストし、検証するプロセスである。[p.9]」
・「本書で紹介する類書にはない重要な考え方は、不確実性に対処するためには、新しいマネジメント手法が必要になるというものである。伝統的なマネジメント手法は、比較的確実な状況における課題にはうまく機能していたが、不確実な状況での課題に対しては機能しなかった。[p.21]」

第1章、イノベーション実現メソッドThe Innovator’s Method
・「企業が顧客を創造する能力に影響を与える不確実性には2つの種類がある。需要の不確実性(顧客はそれを買うのか?)と技術の不確実性(理想的なソリューションを提案できるのか)である。[p.25]」
・「抱えている課題の不確実性率が低い場合、おそらくこれまで使われていたマネジメント手法を適用することができるだろう。一方、不確実性率が高い場合、イノベーション実現メソッドが指針となるだろう。[p.34]」
・イノベーション実現メソッドの4つのステップ[p.40-41

ステップ1、インサイト――サプライズを味わう:「解決する価値のある課題についてのインサイトを幅広く探す」
ステップ2、課題――片づけるべき用事の発見:「ソリューションから考えるのではなく、・・・片づけるべき用事を探すことから始める」
ステップ3、ソリューション――最小限の素晴らしい製品のプロトタイピング:「完全版の製品を開発する代わりに、・・・プロトタイピングを繰り返し行い、・・・最終的には最小限の素晴らしい製品を開発する」
ステップ4、ビジネスモデル――「ソリューションの核心をおさえると、ビジネスモデルの他の要素を検証する準備が整ったことになる」
「各ステップは挑戦の要となる仮説を実験するため、『仮説、実験、学習』のループを繰り返し行なう」
・「実際は、これらのステップはお互いに重複したり、時には少し違った順序で起きることもある。[p.57]」

第2章、不確実な時代のリーダーシップLeadership in the Age of Uncertainty
・「テイラーの科学的管理法の原則・・・つまり課業の専門化、作業の標準化、説明責任、分業などは、・・・これまで大きな効果を上げてきたが、問題が一つある。この原則は、イノベーションのマネジメントのためには完全に間違っているのだ。顧客を維持するためのタスクを効率的に実行する場合には優れた原則なのだが、顧客を『創造する』・・・ための作業の指針としては、うまく機能しない。[p.60-61]」
・リーダーの主な4つの役割:
1、トップの実験者となる:「最も重要なことは、リーダーがトップの意思決定者ではなく、トップの実験者にならなければならないということ[p.66]」。「トップの実験者は、次の3つに注力している。挑戦の要となる仮説をチームでまとめる、仮説実験を通して素早く検証する、データ(多くの場合、顧客から収集したもの)を使って意思決定を行なう[p.69]」
2、大きな課題を設定する:「リーダーはメンバーが機会を探すように駆り立てなければならない[p.72]」
3、イノベーション実現メソッドについて幅広く、深い専門知識を構築する:「不確実な状況をマネジメントするには、これまでとは別の手法が必要だと理解してもらう何らかのトレーニングを全員が受ける必要があると考えている。[p.76-77]」
4、障壁を取り除き、実験を支援する:「イノベーションのための時間を割く」。顧客と専門家、そしてツールを与える。組織の障壁を取り除く。[p.82-86

第3章、インサイト――サプライズを味わう(Insight: Savor Surprises
・「イノベーションは、解決する価値がある課題についてのインサイトを生み出すことから始まる。・・・調査の結果、インサイトを生み出すきっかけとなるものは『サプライズ』だということがわかった。[p.95]」
・「前著『イノベーションのDNA』では、優れたイノベータがサプライズを見つけ、新たなインサイトを生み出す方法を解説した。同書では、『関連づけ思考』を引き起こす4つの行動を紹介している。関連づけ思考とは、一見無関係の情報やアイデアを結び付け、それらを新しい方法でまとめる能力である。・・・関連づけ思考とは、質問力や観察力、ネットワーク力、そして実験力を駆使して収集した情報を統合し、意味づけをしようとする脳の働きによって起きるものなのだ。・・・質問をすることは、新しい連想やインサイトを促進する原動力となる。・・・観察力は新しい視点を生み出す。・・・ネットワーキングを行って単に情報を入手するのではなく、多様な人とやり取りをし、新しいアイデアを手に入れる。・・・インサイトは絶えず実験を行うことによって得ることができる。[p.96-99]」
・インサイトを選ぶ:「不確実性の高い状況下で、見込みがあるアイデアを選ぶのは極めて難しいことなのだ。それよりも実験を行って、追求すべき優れたアイデアを検証するほうがよいのだ。[p.114]」
・「究極的には、アイデアを突き詰めていくための時間と機会を与えることが、会社として提供できる最も重要なことである。[p.116

第4章、課題――片づけるべき用事の発見(Problem – Discover the Job-o-Be-Done
・「『課題』には顧客の苦悩と願望の両方の意味がある・・・片づけるべき用事とは、顧客が製品を購入する理由となるニーズのことである。[p.43]」「すべての用事には機能的、社会的、感情的という3つの側面があり、これらの要素の重要性は用事ごとに異なっている。[p.120]」
・「どの用事が解決する価値があるか・・・の判断には、『収益につながる用事』を探すとよい。収益につながる用事とは、(1)お金を持っていて、(2)用事を解決するためにはお金を払う顧客の多くが抱えている重要なニーズや課題のことである。・・・どのような用事にも最大で3種類の顧客が存在する。その3種類とは、経済顧客(用事の解決にお金を払う顧客)、技術顧客(ソリューションを導入する顧客)、最終顧客(ソリューションを利用する顧客)である。[p.122]」
・収益につながる用事を見つける3種類のツール:ペイン・ストーミング(課題に関する仮説-カスタマー・ジャーニー・マップ-最も困っている根本原因を分析-顧客にとって最も重要な根本原因を選ぶ-根本原因の背後にある前提を特定し、顧客と共に実験する)、エスノグラフィー、アドバイス・インタビュー(顧客にインタビューする際にアドバイスを求める)[p.126-137]」
・解決に値する課題を見つけられたかどうかを確認するための2つのテスト:飛び込みテスト(売り込み電話やメールに顧客が時間を割いてくれるか)、スモークテスト(ウェブ上の「詳しくはこちら」などの行動喚起に反応した顧客を調査するなど)[p.140-144

第5章、ソリューション――最小限の素晴らしい製品のプロトタイピング(Solution: Prototype the Minimum “Awesome” Product
・ソリューション・ストーミング:「顧客に対して実験をしてソリューションを一つに絞り込む前に、幅広くソリューションを調査」。ヒントは類似性(自分の業界に近いか遠いか)、要素(部分か全体か)、観察可能性(過去の事例から学べるか)。[p.156-160
・4種類のプロトタイプ:理論上のプロトタイプ(「自分の考えをきちんと整ったイメージとして表現することで、ソリューションの使用ではなく、全体像を示すことができる」)、バーチャルプロトタイプ(ソリューションを持っているふりをする、「本物に見えるようなもの」)、実用最小限のプロトタイプ(「最小限の機能を組み合わせた製品で、顧客が抱える『核となる』課題を解決するものの、単独で動作する最小限の機能を持つ製品」「エリック・リースが『リーン・スタートアップ』で使っていた『製品』という言葉ではなく『プロトタイプ』という言葉を使う」)、最小限の素晴らしい製品(「顧客があらがうことができず、強い関心を抱くような素晴らしいもの」)。[p.162-179]」
・プロトタイプが「正しい」ものかどうかを確認する3つのテスト:ワオ・テスト(顧客が熱狂しているような様子が見られるか、どの程度わくわくするかを回答してもらう)、NPSテスト(ネット・プロモーター・スコア、製品やサービスを同僚や友人に勧めるかを尋ねる)、支払いテスト(「実際に料金を徴収するかどうかは別として、自社のソリューションに対して顧客がお金を払ってくれるようにお願い」してフィードバックを得る)[p.182-187

第6章、ビジネスモデル――市場投入戦略の検証(Business Model – Validate the Go-to-Market Strategy
・「ビジネスモデル」という用語は、顧客に価値を届ける、そして顧客から価値を得るための企業の全体的な戦略を意味している。[p.196]」
・ビジネスモデル・スナップショット:ビジネスモデルキャンバスの部分集合として6つの要素を抽出。価値提案(提供するソリューション)、価格戦略(ソリューションの価格をどうするか)、顧客との関係(顧客獲得の方法)、チャネル(顧客がソリューションを手にいれる方法)、主要活動(コスト構造)、リソース。[p.196-198
・顧客影響ピラミッド:顧客への影響は、自社に近く、コントロールしやすいものから、ターゲット顧客に近く顧客への影響が大きいものまである。自社に近いものから、1、パートナー、2、広告、プロモーション、ソーシャルメディア、3、インフルエンサー(参照顧客、専門家、同僚、出版物、メディア)、4、直接の推薦や口込み、となる。[p.213-217
・コスト構造:「固定費は前払い資金が必要になり、量に左右されやすい。不確実な状況下では、このような投資は危険なのだ。[p.220-221]」
・「破壊的イノベーションを既存のビジネスモデルに持ち込もうとする場合は、ほぼ間違いなく、既存のビジネスモデルを破壊しなければならない。新しい事業部を設立したり、既存の事業部から分離させたり、ビジネスモデル自体を検討するための個別の事業部を作ることまでしながら、新しいビジネスモデルを実践していくための機会を作ることを恐れてはならない。[p.223]」

第7章、ピボットのマスターMaster the Pivot
・「成果を上げたイノベータを研究した結果わかったことは、不確実な状況下で実施するビジネスのほとんどの時間は間違っているのだと『覚悟しておく』べきだということだ。・・・自分が間違っていることを素早く学び損ねることが失敗なのだ。[p.231]」
・「自分が間違っていることに気づいた時には変更をする必要がある。その変更がピボットである。[p.231]」
・「実際に変更する際には、すべてを投げだすのではなく、その過程で学習したことを利用して、片足は地に着けつづけるのだ。ピボットを行う際は、アイデアの一つの側面を変更する。・・・変更をするといっても、『ピボット』という言葉は、ソリューションを最適化したり、流通経路を精緻なものにしたりといった小さな変更を意味しているわけではない。そのような変更はイテレーションと呼んでいる。[p.232]」
・ピボットのタイミング:仮説検証結果に基づく(そのためには仮説が明確であることが必要)。見直しのタイミングをあらかじめ設定しておくこともよい。[p.237-239
・「不確実な状況下で学習するという前提で考えると、3つのテスト手法がある。それは仮説的、帰納的、演繹的なものの3つである。『仮説的』学習というのは、推論をするプロセスで、通常、直観に基づいたものである。例えば、顧客が求めている製品やサービスについての仮説を作るために、顧客にとって必要かどうかと実験するのではなく、実際に製品を作ってしまうような方法である。次の『帰納的』学習というのは、理論を構築するプロセスで、通常、推論に基づいて構築するのだが、その際にエスノグラフィーやインタビューなどの定性的な手法を活用する。・・・最後の『演繹的』学習は、理論を実験するプロセスで、通常、定量的な手法を使い、理論が正しいかどうかを証明する。[p.238]」「調査では、あまり成果を上げられていないマネジャーはアイデアの検証に一つの手法しか使っていない傾向があり、なかでもアンケート調査のような定量的なツールしか使っていなかった。[p.239]」
・「不確実性が高い課題を解決する初期段階では、範囲を狭める前に幅広く眼を向ける必要がある。[p.240-241]」
・「ピボットサイクルは延々と続けるべきなのだろうか。・・・答えは『ピボットによる急成長』地点を探すことだ。ピボットによる急成長は、変更を行ったあと、顧客の関心の軌跡に大きな変化が見られた場合に起きる。・・・ピボットを行っても、それぞれの変更に対してわずかな改善しか見られなかったり、かえって悪い結果になってしまう場合、現在の手法によって実現できることの限界に達しているのかもしれない。・・・12~18ヵ月の間に6~7回の大きなピボットを行ってもピボットによる急成長が実現できない場合、現在考えている課題やソリューションをあきらめ、まったく新しいものを探すタイミングかもしれない。[p.243-244]」
・「ピボットによる急成長を実現したあとは、その成長を最大化することに注力すべきである。[p.247]」
・「比喩として景色について考えてみると、平地や谷は機会がない状態を、丘は小さな機会がある状態を、そして山は大きな機会がある状態を表している。研究者たちの長年の調査によれば、多くの企業が小さな丘にはまってしまい、近くのより大きな機会の山を見損ねてしまっている。[p.250]」「時には視線を上げ、自分のそばに見逃してしまっているような機会の山がないかどうか確認しなければならない。[p.253]」

第8章、拡大Scale It
・「イノベーション実現メソッドを適用することに熟練している場合、拡大フェーズに移行する際に大きな困難に直面するかもしれない。・・・拡大フェーズになると・・・優れたイノベータは成果を上げられないマネジャーを生み出してしまう可能性がある。[p.255]」
・「プロジェクトに潜んでいる不確実性を素早く解消するためにイノベーション実現メソッドを適用すると、仮説が事実になり、未知のものが既知のものになり、不確実なものが確実なものになる。・・・イノベーションを起こすことから実行することに移行する際に、そのプロジェクトは、起業家的なマネジメントでも伝統的なマネジメントだけでも十分ではない、移行フェーズを通過することになる。この期間は、成熟した成長するビジネスに移行するため、二つのマネジメント慣習を効果的に融合する方法を学ぶ時期である。[p.257]」「インサイトや課題、ソリューション、ビジネスモデルを特定するために使うプロセスは、ビジネスを拡大する際には役に立たないということだ。伝統的なマネジメントの原則を取り入れる必要がある。[p.281]」
・拡大するタイミング:「一般に同じ種類の課題が繰り返し発生する場合、転換点に達していることになる。・・・転換点に達し、拡大するタイミングであることを示す別の二つの指標がある。それがソリューションの標準化とチームの成長である。[p.260-262]」
・「スタートアップが拡大していく際、最初の成長のあとに停滞を経験する場合が多く、創業チームはこの状況に困惑する。・・・ロジャーズ・・・が『イノベータ』や『アーリー・アダプター』と呼んでいるグループは、リスク許容度が高く、最先端に居続けるために新しいものを試すことをいとわないので、いかなるイノベーションでも最初に採用する。結果、このような顧客は可能性のあるイノベーションの欠点を気にとめず、利点を探そうとする。一方、『アーリー・マジョリティ』や『レイト・マジョリティ』と呼ばれるグループは異なる好みを持っている。・・・この違いについては、後にジェフリー・ムーアによって、企業が直面する『キャズムを超える』際の大きな課題として取り上げられた。アーリー・マジョリティやレイト・マジョリティは実用最小限の製品は求めていない。彼らが求めているのは『ホールプロダクト』である。ホールプロダクトとは、すべての機能が搭載され、機能的で、不具合がまったくないソリューションである。[p.264]」

第9章、イノベーション実現メソッドを機能させるMaking the Innovator’s Method Work for You
・「トップマネジメントチームがイノベーション実現メソッドの考え方を支援しなかったり、知らないような場合、どのようにすべきなのだろうか。イノベーション実現メソッドを自分自身や自分のチーム、あるいは組織で機能させるには、どのようにすればよいのだろうか。答えはイノベーション実現メソッドを自分の環境に合わせて編集することだ。[p.283]」「状況に合わせて手を加えたとしても、基本的な原則に照らして忠実に行う部分は残しておかなければならない。基本的な原則とは、課題を特定し、それを解決するために必要な仮説を特定し、コストをかけずに実験を行い、仮説を検証し、できる限り時間をかけずに学習をするということだ。[p.311-312]」

まとめ、不確実性を機会に変えるTurn Uncertainty into Opportunity
・「不確実性の高い状況下では、消えずに残る唯一の優位性は不確実性をマネジメントする能力である。・・・この不確実な時代において、学習速度は新しい競争優位である。[p.321-325]」
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どういう場合にどのようなイノベーションの進め方をとるべきか。著者の主張のポイントは、不確実性の程度に応じて方法を変えるべきだとしている点だと思います。そして、様々に提案されている手法の中から、特に不確実性の高いイノベーションにおいて有効な方法を選び出してまとめているところが本書の特徴といえるでしょう。もちろん、本書の方法が唯一というものでもないでしょうし、これからよりよい方法が提案され、イノベーション手法はさらに発展していくでしょう。しかし、基本的な方向性は本書で十分に示されているように思います。特に実務家にとっては、現時点での最も使いやすい指針と言えるように思いますがいかがでしょうか。


文献1:Nathan Furr, Jeff Dyer, 2014、ネイサン・ファー、ジェフリー・ダイアー著、新井宏征訳、「成功するイノベーションは何が違うのか?」、翔泳社、2015.
原著表題:The Innovator’s Method: Bringing the Lean Start-up into Your Organization

参考リンク




ノート改訂版・補遺2:研究マネジメントの実践に役立つ知識

ノート改訂版・補遺1では、研究マネジメントにおいて特に重要だと思うこと、知っておいて折に触れてチェックすべきこと、知らないと大きな判断ミスを冒す可能性があると思われることをまとめました。ただ、補遺1では内容をかなり絞りましたので、今回は「補遺2」として、実践に役立つ具体的知識をまとめたいと思います。前回同様、内容の選定と記載は個人的な見解に基づいていますので、ひとつの意見として見ていただければ幸いです。詳細は、本ブログ記事へのリンク先をご参照下さい。

研究の不確実性にどう対応すればよいか
・不確実性に対処するには、計画主導ではなく創発的戦略をとることが好ましいとされています。「創発的戦略」をうまく進める方法としてAnthonyらは次の3つのステップからなる方法を提唱しています。(本ブログ:ノート12
1、重要な不確実性の領域を識別する:最初の戦略は間違っている。正確な予測の数字は無意味。
2、効率的な実験を行なう:投資を控えて多くを学ぶ。スピードを上げることは重要ではない。
3、実験の結果に基づいた調整と方向転換を行なう:計画に固執しない。評価指標にとらわれすぎない。
・言い換えれば、当初想定が外れるかもしれない前提で準備すること、試行錯誤をうまく行い多くを学んで成功確率を上げることを狙う、ということと考えます。

人間の思考・予測の限界に注意するには
・まずは、以下の点で人間の思考には限界や誤りの可能性があることを認識すべきと考えます。(本ブログ:意思決定の罠
1、無意識の思考特性に依存する誤り(プライミング、係留と調整のヒューリスティックなど)
2、現象や事実に対する知識や認識不足、認識の誤り(平均への回帰の軽視、ハロー効果、状況の軽視、相関関係と因果関係の混同など)
3、対象自体の予測不可能性(複雑系の現象、創発、発散現象やその原因と発生タイミングの予測、確率的な現象など)
・人間の思考の誤りを理解するための二重過程理論(Kahnemanによるシステム1(速い思考)とシステム2(遅い思考)についての説明):「システム1」は自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。・・・「システム2」は、複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。考えたり行動したりすることの大半は、システム1から発している。だがものごとがややこしくなってくると、システム2が主導権を握る。システム2に困難な要求を強いる活動は、セルフコントロールを必要とする。そしてセルフコントロールを発揮すれば、消耗し不快になる。→こうした傾向により、システム2で対応できない(できなくなった)課題に対してシステム1で対応しようとする時、認識や判断の誤りが発生しやすくなるのだと考えられます(本ブログ:ファスト&スロー、判断の誤りやバイアスの事例については、意思決定理論入門も参照ください)。

競争相手の動きを読むには
Porterの5つの力の枠組みは競争戦略立案に有効とされていますが、最近ではこの枠組みによる検討だけでは持続的競争優位を確立することは難しいという意見が多いようです(本ブログ:持続的競争優位をもたらす戦略とは世界の経営学者はいま何を考えているのか)。しかし、1、サプライヤーとの関係、2、買い手との関係、3、新規参入者、4、代替製品、5、既存企業間の競争状況からなる5つの力の枠組みは、自社および競争相手の置かれた状況を考察するためのチェックポイントとして、いまだ有効なように思います(本ブログ:ノート3)。競争相手の立場に立って状況を整理し、競争相手が保有する資源(技術力も含む)も考え合わせれば、ある程度競争相手の動きは読めると思います。

どんなイノベーションに取り組むべきか
・「補遺1」では、大きな成功をもたらしやすい重要なイノベーションとしてChristensenの「破壊的イノベーション」をあげました。しかしChristensenらも、すでに事業を行っている企業では持続的イノベーションも重要であり、イノベーション資源の少なくとも80%を持続的な改良に配分することを推奨しています。重要なことは、破壊的イノベーションのメカニズムを考慮して、企業の環境や取り組むイノベーションにとって適正な進め方を行うことでしょう。なかでも次の点が重要と考えられます。(本ブログ:ノート4
技術進歩は消費者のニーズを越えて進みやすいため、既存企業はオーバースペック製品を生みやすい。
消費者は本当のニーズを知らないことがある。

既存企業にとっては、参入してきたばかりの後発企業と競争する必要性が感じられにくい(不均等の意欲)。
既存企業には、生まれたばかりの破壊的技術を重要視しにくい社内のバイアスがある。
破壊的イノベーションには、ローエンド型破壊と新市場型破壊がある。
DARPA(アメリカ国防総省国防高等研究計画局)で重視されている研究評価の基準は以下のとおり(これはハイルマイヤー(Heilmeier)の基準と呼ばれ、研究マネジャーがしっかり回答することが求められる質問とのことです)。
1、何を達成しようとしているのか?専門用語を一切利用せずに当該プロジェクトの目的を説明せよ
2、今日どのような方法で実践されているのか、また現在の実践の限界は何か?
3、当該アプローチの何が新しいのか、どうしてそれが成功すると思うのか?
4、誰のためになるか?
5、成功した場合、どういった変化を期待できるのか?
6、リスクとリターンは何か?
7、どの位のコストがかかるか?
8、どれほどの期間が必要か?
9、成功に向けた進展を確認するための中間及び最終の評価方法は何か?

アイデア創造や技術開発以外に取り組むべきこと
・ビジネスモデルの構築:ビジネスモデルを考えるための枠組みとして使いやすそうな方法に「Canvas」があります。Canvasでは、顧客セグメント、価値提案、チャネル、顧客との関係、収益の流れ、リソース、主要活動、パートナー、コスト構造の9要素を図にまとめて関係が視覚化できます(本ブログ:ビジネスモデル・ジェネレーション)。
・関係者との協働、調整:少数の関係者のみでイノベーションを完成することは困難になりつつあるようです。利害関係を見極めて調整し、協働するための手法は未確立だと思いますが、エコシステムを構築するという観点は重要だと考えます(本ブログ:ワイドレンズ)。
・イノベーションを使ってもらう:よいイノベーションであっても、利用者はすぐにはそれを採用しません。「イノベーション普及学」という分野では、この受け入れのプロセスに関わる様々な因子が検討されており、その知見は実践面でも重要な基礎になる考え方だと思います。Rogersは、普及速度に影響するイノベーションの特性として次の5つをあげています(本ブログ:ノート13)。
1、相対的優位性(そのイノベーションが既存のアイデアよりよいと知覚される度合い)
2、両立可能性(そのイノベーションが採用者の既存の価値観、過去の体験、必要性と相反しないと知覚される度合い)
3、複雑性(イノベーションを理解したり使用したりするのが困難であると知覚される度合い)
4、試行可能性(イノベーションを経験しうる度合い)
5、観察可能性(イノベーションの結果が採用者以外の人たちの目に触れる度合い)
・イノベーションの方法論の中で、イノベーションプロセスの比較的広い範囲が考慮されているものとして、次のものが重要と思われます。ラフリーとマーティンによる戦略(本ブログ:P&G式勝つために戦う戦略)、ゴビンダラジャンとトリンブルによる社内既存部署との協働を重視した進め方(本ブログ:イノベーションを実行する)、SRIのカールソンとウィルモットによる進め方(本ブログ:イノベーション5つの原則)、ジョンソンによる破壊的イノベーションを念頭においた進め方(本ブログ:ホワイトスペース戦略)。ただし、あらゆる場合に有効な考え方というものは未確立なようですので、状況に応じてこうした考え方を参考にすべきと考えます。

イノベーションプロセスの比較的狭い範囲における進め方の提案と得失
・オープンイノベーション:協働の進め方としてすでに成功事例が報告されていますが、自社と他社(組織)のアイデアを融合させる、という理想部分が過大評価され、アイデアや技術の移転、仕事の線引きと競争力の問題、インターフェース設計の問題、収益の分配の問題などの課題もあるとされています(本ブログ:技術経営の常識のウソオープン・イノベーションは使えるか)。
・ステージゲート法:プロジェクトの中止がしやすい、研究者にとってやるべきことが明確になり収益意識が高まる、研究テーマとプロセスの見える化により研究部門と事業部門のつながりが強化される、製品化目前になってプロジェクトを中止するようなケースが減る、ということがメリットとされていますが、テーマを『育てる』という側面よりも、想定通りに育たなかったテーマを『切る』という側面に比重がおかれていることには注意が必要と思われます。(本ブログ:技術経営の常識のウソ
・プロジェクトマネジメント:有限期間内に特定の目的の成果物を生み出すために時限的に人が集まって進める活動をきちんと行なうための手法や思想であって、担当者の業務経験を狭くする、コミュニケーションを阻害する、仕事の継続性が失われることで仕事からの学習を阻害する、技術を蓄積しようとするモチベーションを阻害する、組織全体としても技術蓄積を大切なものとして考える意識を希薄化する点が問題とされています。(本ブログ:技術経営の常識のウソ
・このような手法は、得失を理解した上で、状況に応じて使い分けることが必要でしょう。

形式知と暗黙知の違いを考慮した知識創造の進め方
・野中氏らが提唱した組織的知識創造のプロセス(SECIプロセス)をシンプルにまとめると以下のようになるでしょう。この4つの知識変換プロセスを繰り返すことによって組織的知識創造が進むとされています。(本ブログ:創造性を引き出すしくみ、より詳しくは、流れを経営するを読む
1、共同化:個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する
2、表出化:暗黙知から形式知を創造する
3、連結化:個別の形式知から体系的な形式知を創造する
4、内面化:形式知から暗黙知を創造する
ポイントは、暗黙知をどう組織内で相互作用させて新たな知を創造するか、それを個人の知識の充実にどう活かすか、という点だと思います。そのためには、知識の交流を活発化させるための「場」(環境)をうまく作ることが重要になると思われます。

研究者(イノベーションを推進する人)のやる気を引き出すには
・補遺1では、やる気に関わる重要な因子として、Herzbergによる動機付け要因と衛生要因、Maslowの欲求階層理論、Deciによる外発的動機づけと内発的動機づけの考え方を指摘しましたが、この他にも動機づけ、やる気に関わる因子は様々に議論されています。やる気を引き出す具体的な施策を検討する際には、以下の金井氏による整理が参考になると思います。(本ブログ:ノート7モチベーション再考
1、緊張感・危機感・欠乏・心配・不安がやる気を起こす(ズレ・緊張系)
2、夢・希望・目標を持つことで、やる気が起こる(希望・元気印系)
3、その人それぞれの考えで、やる気が起こる(持論(自論)系)
4、コミューナルな関係性、共感がやる気を起こす(関係系)
・上記にも関連する点がありますが、エンパワーメントの観点からは次の要素が重要だと思われます。(本ブログ:モチベーションは管理できる?
有能感(自分の能力を信じ、やればできるという意味での自信のある心理的状態)
自律性(自分自身の行動を自分自身で決定できる状況にある場合に増大する感情)
心理的無力感(がんばろうと努力しているにも拘らずうまく結果が出せなかったり、成果を出したのに周りから評価されなかったりした場合に増大する感情)
成長機会(仕事をこなすことで自分を高めていける、能力を発揮できるような環境かどうか)
権限委譲(自分自身の仕事に関する意志決定が職場の状況としてできるか)
支援(協力してくれる上司やその他の人たちがいる場合に増大する)
状況的無力感(自分にとって不利な職場かどうか、苦手な仕事や、周りから好ましい反応がなかった場合に増大する)

研究リーダーはどうすべきか
・補遺1では、リーダーの役割として、多様性の確保、コミュニケーションの活性化、組織外部との連携調整、部下の育成指導、ロールモデルをあげました。
・グーグルが社内の調査によって明らかにした、評価の高いマネジャーに共通する行動の特性は次のとおり。(本ブログ:データが語るよいマネジャーとは
1、優れたコーチである
2、チームを力づけ、こと細かく管理しない
3、チーム・メンバーの仕事上の成功と私的な幸福に関心を示し、心を配る
4、建設的で、結果を重視する
5、コミュニケーション能力が高く、人から情報を得るし、また情報を人に伝える
6、キャリア開発を支援する
7、チームのために明確なビジョンと戦略を持つ
8、チームに的確な助言をするために、主要な専門的スキルを持ち合わせている

これらは、理想のマネジメントを行うための処方箋と言えるようなものではないと思いますが、実践の際の貴重なヒントを与えてくれる考え方としてひとつの手がかりになるのではないかと思います。


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ノート改訂版・補遺:これだけは知っておきたい研究マネジメント知識

2013年3月に始めた「ノート:研究マネジャー基礎知識」の改訂も、全14回分の改訂を終えました。「ノート」の記事は、研究マネジメントに関する基本的な知識をまとめたいという意図で書いてきましたが、実践の際に常に意識すべき内容としては全14回の内容では多すぎるのではないか、とも感じます。そこで、今回は、研究マネジメントの実践において特に重要だと思うこと、知っておいて折に触れてチェックすべきこと、知らないと大きな判断ミスを冒す可能性があると思われることを選んでまとめることにしました。もちろん、選んだ内容には個人的な見解が入っていますので、ひとつの意見として見ていただければ幸いです。ご参考までに関連する本ブログの記事へのリンクを入れていますので、詳しい内容はリンク先をご参照願います。

研究は不確実なもの
結果が予測できれば研究は不要です。つまり研究しなければならないのは結果がわからないからであって、わからないことに挑んでいるわけですから成功するかどうかは不確実です。思ったとおりに、あるいは計画のとおりに研究が進むとは限りません。予想外の障害が現れた時には、想定したシナリオにこだわって単に努力を積み重ねるのではなく、異なる発想が必要になるかもしれないことも考えてみる価値があるでしょう。一方、思っていた以上にうまくいくことや、当初の狙いとは違っていても面白い結果に行きあたるかもしれません(セレンディピティ)。そうしたチャンスも見逃さないようにしたいものです。

人間の思考・予測には限界がある
物事の原因や未来に起こるだろうことについてよく考えることは重要です。しかし、よく考えたからといって真実がわかる、あるいは未来予測ができるとは限りません。人間の無意識の思考特性によって判断を誤ることもありますし、知識や認識の不足に気づかないこともあります。また、原理的に予測ができない対象もあり得ます(例えば複雑系の現象にはそういう例があることが知られています)。不確実性とともに思考の限界も認識しておく必要があるでしょう。

競争相手の存在
よいアイデアを思いつくと、それは自分たちしか知らないことだと思ってしまうことがあります。しかし、たいていの場合、どこかで誰かが似たようなことを考えているものです。少なくともそういう競争相手がいる可能性があることは忘れてはいけないと思います。研究を進めるにあたっても、自分たちの望むシナリオだけでなく、競争相手がどう考え、どう動くかも考慮すべきでしょう。

しかし、成功しやすいイノベーションはあるらしい
研究やイノベーションは不確実であるとはいっても、成功しやすいイノベーションのパターンはあるようです。なかでも大きな成功をもたらしやすいという意味で重要なのはChristensenの「破壊的イノベーション」の考え方ではないかと思われます。(もちろん、破壊的イノベーションだけが成功するということではありません)

アイデアや技術だけでは不十分
優れたアイデア(研究テーマ、課題)や、優れた技術だけではイノベーションの成功は保証されないのが普通です。どう実行するか、どう収益をあげるしくみ(ビジネスモデル)を構築するか、どう関係者を取り込み、社内外の協力関係(エコシステム)を構築するか、どうやって顧客に受け入れてもらうのか(普及)なども成功のための重要な要因になります。

ニーズは簡単にはわからない
研究テーマを考える際や、アイデアの源として、どんなニーズがあるかを知ることは重要です。しかし、真のニーズを知ることはそれほど容易ではありません。顧客(消費者)の要求と真のニーズは必ずしも一致しないことは認識しておくべきでしょう。真のニーズを知るためには、行動観察(エスノグラフィー)や、Christensenによる「片づけるべき用事」の考え方は重要と思われます。

形式知と暗黙知
は違う
知識には、形式知(形式的・論理的言語によって伝達できる知識)と暗黙知(特定状況における個人的な知識で、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい知識)があると言われています。新たな知識は、異なる知識の出会いから生まれることが多いとされていますが、形式知だけでなく暗黙知の重要性も忘れてはならないと思います。

研究者(イノベーションを推進する人)のやる気を引き出すには
人(特に研究者)はお金や地位だけでは動かない(場合が多い)と言われます。Herzbergは高次な欲求を刺激するものを動機付け要因(motivators)、低次な欲求を刺激するものを衛生要因(hygienic factors)とし、衛生要因を改善しても不満がなくなるだけで動機付けることはできないとしています(お金は衛生要因)。Maslowの欲求階層理論では、人間の欲求は低次なものから、生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現欲求の5段階の階層をなし、人間は低次欲求がある程度満たされると、より高次の欲求によって動機付けられるようになり、その際、低次の欲求は人を動機付ける欲求としては機能しない、とされます。また、Deciは、給与や人間関係など人を動機付ける要因が個人の外部にある場合の「外発的動機づけ」よりも、自らの有能さの確認や自己決定などに関わる「内発的動機づけ」が重要と述べています。

研究組織の望ましい特性
研究組織の望ましい特性としては、自律性、目的・感情・価値観の共有、多様性、閉鎖的になりすぎずメンバーが目標達成に積極的に関わること、他の組織との協働、があげられることが多いようです。どんな研究組織の構造であっても、こうした特性を持つように運営することが必要でしょう。

研究リーダーの役割
研究リーダーには、多様性の確保、コミュニケーションの活性化、組織外部との連携調整、部下の育成指導、ロールモデルという役割が求められるようです。働きがいのある会社ランキング常連のSASCEOJim Goodnightによれば「マネジャーは社員の『部下』となり、それぞれが高いモチベーションで働き、能力を発揮するよう努める」ことが望ましいとされているようですが、それもひとつの考え方かもしれません。

研究の進め方はそれぞれ
一口に研究、イノベーションとはいっても、内容は様々です。技術分野も違えば、企業におけるイノベーションの意味も、顧客にとっての意味も様々ですし、イノベーションの段階(例えば、技術的検討段階、製品化段階、市場投入、改善など)も様々でしょう。当然その進め方も異なるはずで、結局、どんな場合にも適用可能な成功の処方箋のようなハウツーは存在しないのではないか、と思われます。従って、本稿に述べたような注意点を常に考慮しつつ、状況に応じたマネジメントを工夫していくことがマネジャーには求められているのでしょう。ただ、最も重要なマネジメント上のポイントは何か、と問われたら、私は、イノベーションに携わる人の「意欲の管理」だと答えたいと思っています。

以上が、現在私が考えている「これだけは知っておきたい研究マネジメント知識」です。何らかのヒントになれば幸いです。


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「ビジネスモデルイノベーション」(野中郁次郎、徳岡晃一郎編著)より

イノベーション実現のためには、ビジネスモデルを考慮する必要があることについては、本ブログでも何回か取り上げました(2012.1.92013.3.17)。ただ、ビジネスモデルについては、新しい事業の仕組みづくりや儲けのからくり構築、といった観点から議論される場合が多いようにも思います。今回は、野中郁次郎、徳岡晃一郎編著「ビジネスモデルイノベーション」[文献1]に基づいて、やや広い観点からビジネスモデルについて考えてみたいと思います。

編著者らは、「暗黙知をベースにして創造される高質な知を単にモノづくりに終わらせることなく、新たなやり方で価値に変える経営モデルに衣替えしないといけない。すなわち、それが本書の主題であるビジネスモデル・イノベーション(BMI)だ。・・・共通善をベースにしたビジョンをもとに、組織的知識創造の枠組みを築き、既存の産業の固定観念や企業内のしがらみを取り払ったうえで、世界の再創造のためのビジネスモデルに作り替える組織能力を構築しなくてはならないのである。それが知識ベースのビジネスモデルの変革であり、われわれが提唱する『事業創生モデル』である。[p.4]」としています。そして、「事業創生モデルをさまざまな角度から明確にするべく、編集する形でまとめた[p.5]」ものが本書、とのことです。以下、各章の内容の興味深い点をまとめてみたいと思います。

序章:賢慮の戦略論への転換(野中郁次郎)

・「2008年のリーマンショック以降、ビジネスを貫く戦略観は急速に変わりつつある。大きな変化は2つある。第一は、共通善への思いだ。・・・第二は主観を排除した論理思考偏重の破綻だ。[p.17-18]」

・「これまで二律背反してきた収益性と社会性に関するわれわれの暗黙の了解を覆し、両者の二律創生を共通感覚として組み込んだ新しい次元の競争で、われわれは世界の発展、未来の創造をめざすべきなのだ。その中核にあって高次元のバランスを図るのが賢慮である。・・・賢慮の戦略を具現化することはすなわち、本質的に真善美を追求する『知』を『価値』に変えるダイナミックプロセスを実践することであり、そのビジネスモデルがわれわれの提唱する知識創造理論を組み込んだ『事業創生モデル』(Business Creating Model)なのである。[p.20]」

第1章:事業創生モデルの提言――知を価値に変える(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

・ビジネスモデルを革新していくために新たに重要となる知的姿勢は、1)未来探索(未来を探り当てていく仮説思考や漸進的・実験的な態度が重要になる)、2)試行錯誤、3)共創(多くの関係者とのコラボレーションで進める)。[p.35-37

・実践知プロセスとは、1)自分なりの将来の仮説の下での自分のビジョンを創出する、2)そのビジョンをめざして、当面の目標を仮説的に設定する、3)その実現へと現場主義の強みを活かしてまず行動する、4)実践から学び、次なる目標をより正しい方向で設定する、5)ビジョンやビッグピクチャーを意識し、そこに意識的に近づくための漸進的なアブダクティブな知的意図を忘れない、6)このような作法を通じて毎日の業務を振り返り、こなしていくことで、本質が見え目の前に徐々に未来が像を結び始める、7)より鮮明になってきたビジョンに目がけ、次の実行目標は、よりクリアな方向感を持って設定することが可能になる、8)ビジョンと実践の往還運動から導かれる高い志と透徹したリアリズムのプロセスによって、仮説検証を行ない、より高質な目標設定につなげていく。[p.38-39

・事業創生モデルのフレームワーク(オスターワルダーらのモデルを知識創造の視点で発展させたもの):4層構造からなる。第1層は存在次元(ビジョン)、第2層は事業次元(共通善に根差した『価値命題』、知を創造する『場』、賢慮を生み出す『実践知リーダー』)、第3層は収益次元(コスト構造、市場価値、利潤)、第4層は社会次元(より成熟した社会の創造への貢献)。[p.45-54

・「ムーンショットという言葉がある。月に向かって打つような大胆なプランのことをいう。世の中を変えるような夢を持ち、それを達成する大きなビジョンを描き、ビジネスプランに落とし込んで実験しながら、夢に近づいていくのが事業創生モデルなのである[p.58]」

・事業創生モデルを起動させる3つのカギ:1)価値命題の刷新、2)関係性の刷新、3)実践知プロセスの高速回転。[p.59

第2章:ビジネスモデル・イノベーション競争――ビジネスモデルの多様な展開事例(根来達之・浜屋敏)

・オスターワルダー=ピニュールの「ビジネスモデル・キャンバス」が利用可能。核心は価値命題。[p.88

第3章:日産のグローバル・ビジネスモデル・イノベーション――対談、カルロス・ゴーン×野中郁次郎

・BMIを成功させるための土台は「ビジョン」(個々人が働き方を決めるための大きなピクチャー)[p.128

・「共通善のための行いは、必ずリターンを生む・・・重要なことは『将来の共通善』を探究すること」[p.134

・日産の危機管理:1)アセス(状況評価)、2)プラン(何をすべきか)、3)エンパワー(権限委譲)、4)トップの覚悟とコミットメント、5)ラーン(学ぶこと)[p.143-146

第4章:政府レベルのビジネスモデル・イノベーション――知識創造国家をめざすシンガポール政府の挑戦(大屋智浩)

・「シンガポールでは2000年頃から急速に知識創造型経済への転換を進めており、持続的な世界のイノベーションセンターの一角となるべく政策を打ち出している。」「ビジネスモデル・イノベーション(BMI)をまさに国家レベルで進めている」「土地も天然資源も限られたシンガポールにとって、自らを常に世界中から魅力あるイノベーション創出の『場』として、プロデュースし、内外の人材・企業から『場』として利用されていくことが、シンガポールの発展にとって不可欠である。」「シンガポール政府は、まさにそのプロデューサーとしての役割を発揮している。」[p.149-151

・シンガポールではITコンテンツ開発、水資源開発、バイオメディカル・サイエンスを成長の柱と位置づけ、集中的な投資を進めている。[p.154

・知の交流拠点を作ること、次世代育成、海外からの人材引き抜き、などをはじめとして、「研究者の嗜好に合致するような政策が総合的に展開され」「さまざまな政策が連携して、知識創造型経済を創り出すために相乗効果が出るように運営がなされている[p.162]。

・行政の仕組みとしても、柔軟な予算編成、上下の情報の流れをスムーズにする、省庁間の摩擦や組織の壁をなくす、優秀な官僚を育て集める、プラグマティズム(実用主義)、メリトクラシー(能力主義)、インテグリティー(反腐敗、高潔)という風土を定着させるなどの環境が整えられている。[p.163-178

第5章:社会インフラ事業モデルの構造と戦略展開――ナレッジエンジニアリングの視点(旭岡叡峻)

・「情報ネットワーク技術の進展、ソフトやサービス技術の進化、また各種機能材、センサー、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーなどの新技術のブレークスルーによって、数年前からそれらの新しい技術を応用した社会インフラ整備事業(メガソーラー開発、環境循環都市)、未来産業の集積を意図した未来都市開発事業(研究都市、デザイン都市)、先進国のスマートシティ開発、持続可能な社会づくりのための都市システムの再構築など、新たな『社会インフラ事業』が展開され始めている。[p.183]」

・「社会インフラ事業の経営には、社会課題を解決するための的確な判断とめざすべき社会条件を形成する合意形成プロセスが不可欠であり、さまざまな試行錯誤と実践を通じて生まれる実践知の方法論が重視されなければならない。[p.212]」

第6章:ビジネスモデルとデザイン思考――ビジネスモデル・イノベーションの実践知(紺野登)

・「ビジネスモデル・イノベーション(BMI)の本質は、顧客や現場の視点で関連する要素をいったん破壊し、新たな関係性を生み出す『知識のデザイン』である。[p.215]」

・「顧客の現場観察や社会トレンドなどから顧客価値を洞察し、それに沿ってできるだけ数多くのプロトタイプを創り出し(プロトタイピング)、試行錯誤を通じて事業を具現化する。その後も、変化の余地を残しながら、試行錯誤を続けていかなければならない。これがデザインアプローチ、デザイン思考(design thinking)の基本である。論理分析的に最初に計画を立てるアプローチやPDCAとは異なる視点である。[p.229]」

・「具体的には、まず顧客の現場から顧客価値を感知する(エスノグラフィーデザイン)、事業を取り巻く変化要因を(非決定論的に)認識する(シナリオ・ベースド・デザイン)、次に、顧客価値を提供するための資産・能力の関係性を生み出す(ビジネスモデル、パタンランゲージによるデザイン)といったツールを用いながらデザインアプローチをとるのが望ましい。[p.229-130]」

第7章:ビジネスモデル・イノベーションを阻む「しがらみ」からの脱却――ハードルを越える実践アプローチ(木村雄治)

・「しがらみとは、利益を生まずに負債化した関係性と定義できる。[p.255]」これは、BMIが失敗する大きな原因のひとつとして明らかになった。「企業経営において問題となる『しがらみ』に共通して言えることは、1)その関係性自体が不採算である一方で、2)その関係性がなければ現状の事業が成立しなくなるリスクがあり(または、そう思われており)、さらに3)永く過去から継続してしまっていて、半ば社内常識化している、という特徴である。[p.256]」

・しがらみにとらわれている理由は、「その企業が『自らの創造する価値を見失っているから』であろう。[p.259]」

・「つまり、企業が自らの本来的な価値よりも、諸々の関係性に依存するようになることで、徐々にしがらみにとらわれ、さらに自らの経済的価値を棄損してしまうというネガティブスパイラルに陥っていくのである。しがらみに陥らないためには、自社の企業ビジョンと価値命題を明確にして、さらに強い信念でそれを推進する勇気を持つことである。[p.261]」

第8章:事業創生モデルを推進するイノベーターシップ――知を価値に変える新たなリーダーシップ(徳岡晃一郎)

・「ビジネスモデルを創造していくリーダーには、金儲け以上のことが求められる。それは共通善を視野に実践知のプロセスを執拗に回し、困難を乗り越え、社員やパートナーを奮い立たせ、顧客、社会、世界を明るくしていく能力だ。そのようなリーダーたちの持つ最も重要な資質が実践知(practical wisdom)である。[p.279]」「その能力には6つの要素があるとされる。1)『善い』目的をつくる能力、2)場をタイムリーにつくる能力、3)ありのままの現実を直観する能力、4)直観の本質を概念に変換する能力、5)概念を実現する能力、6)実践知を組織化する能力。[p.280-281]」

・「事業創生モデルを引っ張り、社会を変えるために知を創造し価値に転換していくコアになる活動を野中郁次郎教授と筆者は『イノベーターシップ(innovatorship)』と名付けている。[p.287]」その条件は、「一見矛盾する共通善を希求する高い志とビジネス嗅覚の二律共存、同時追求」、それを支える原動力は、「強烈な原体験と自分でもできそうだという達成イメージからくる自信」であり、「自らのコンセプトを明確にし、発信力を鍛え、影響力を行使していくスキルが重要」、「集団としてのやり抜く実行力を醸成するイノベーターシップの源泉は、人の気持ちを察する人間理解と感謝の念に根差した人間力である。場の形成の根幹には信頼関係が必要だからだ。」[p.287-294

・「成果主義を象徴する仕組みとしてのMBOを超えて、事業創生モデルの時代の人事制度のあり方としてまとめたのがMBB(Management by Belief、思いのマネジメント)[p.303]」

終章:賢慮のビジネスモデル・イノベーションへ向けて――統合型事業創生モデル(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

・「事業創生モデルにはさらなる発展段階がある。それは、世界の諸課題へと視線を跳ばし、より良く共通善を達成していくために、個別ビジネスモデルを統合し、世界を巻き込むダイナミズムの中核になることだ。われわれ人類が乗り越えなければならない地球規模の課題へ挑戦するための知の結集である。それを『統合型事業創生モデル』(iBCM: integrated Business Creating Model)として提示してみたい。

・「今の日本の企業は、事業モデルの再創造が決定的に不足しているが、それはひとえに事業創生モデルを担う人材の不足にある。そういう人材を学校教育の段階から育ててこないばかりでなく、組織人になってからはモノのように酷使し、知の創造の主体とはとてもいえない扱いをしてきたつけが回ってきたものだ。知を創造する探究心や好奇心にあふれる姿勢、豊かな暗黙知を蓄える原体験や知的経験、そこからスパイラルアップする問題意識の深さなど、知の創造にとって不可欠なすべての要素において貧困な社員を作り上げてしまった。知的貧困化の悪循環に入り込んでしまっているのだ。スリム化でますます人材が減り、かつ雇用が流動化する中で、ストレッチターゲットに対しての意味づけ能力を欠いた管理職が成果主義のツールを振り回し、社員に対して目標を垂れ流している。知を創造するために不可欠なシャドーワークや部門間の連携の余地を、単年度利益をひねり出すための効率化により、絞り込んでしまい、仕事から面白みを削ぎ、知を創造する体力と気力を奪ってきてしまった。[p.344-345]」

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以上が私なりのまとめですが、本書は、副題にあるとおり、「戦略論」が主題であることには少し注意が必要だと思います。本書では、どうしたら儲かる(うまくいく)ビジネスモデルが作れるか、というようなハウツーはあまり述べられていませんし、例えば「共通善」についてもそれを重視すれば競合に勝てるとも言っていません(共通善の有効性の証明がなされているわけでもなく、例えばシンガポールの事例では共通善の位置づけは不明です)。従って、本書では多様なビジネスモデルの特性が示され、著者らの考える「あるべき姿」が提示されていると考えるべきでしょう。

しかも本書の指摘は、かなりトップレベルのマネジメント層を念頭に置いたものであるように思います。そのため、第一線の研究マネジャーにとっては、具体性に欠け、納得しにくく物足りない点もあるように思います。しかし、これからのイノベーションにおいて個別の技術ではなくビジネスモデルを考慮しなければならないこと、ビジネスモデルの考え方にはある程度のハウツーや知見が蓄積されつつあること、短絡的な成果主義よりは共通善や賢慮といった概念がこれからより重要になってくるだろうこと、などの著者らの洞察は時代の流れとしてすべての技術者やマネジャーがよく認識しておくべきことのように思いますがいかがでしょうか。


文献1:野中郁次郎、徳岡晃一郎編著、「ビジネスモデルイノベーション 知を価値に転換する賢慮の戦略論」、東洋経済新報社、2012.

参考リンク<2013.7.21追加>


 

 

ノート改訂版:はじめに

このブログを始めて3年が経ちました。ブログを始めた理由については最初の記事で書いたとおり、メーカーの研究所に勤務する私が研究チームを率いていくうえで、チームと研究プロセスのマネジメントをどのように行えばよいのかに興味を持ち、まずは研究マネジメントに関する基本的な知識をまとめてみようと思ったのがそもそものきっかけです。その後、仕事が変わり、直接研究マネジメントを行なう立場ではなくなりましたが、マネジメントに関する知識をまとめて発表することで、それを後輩に役立ててもらえるかもしれないという思いと、さらに、自分でも研究マネジメントについてより深く知りたいという気持ちもあって、このブログをつづけてきました。

3年の間に多少知識が増えたこともあって、マネジメントについての考え方も少し変わってきたように思います。そこで、この機に今までノートとして発表してきた、研究マネジメントの基礎知識に関する記事の改訂を行なうことにしました。書いた内容を見直し、新たに得られた重要な知識を古い記事に追加することが改訂の主目的ですが、従来の知識や理論のまとめに加えて、私なりの考察も書いてみたいと思います。企業において実際に使う立場から研究マネジメントに関する知識のまとめを試みるという本ブログの基本的な立場は変えませんので、考察も場合によっては偏った、不十分なものになってしまうかもしれませんが、ひとつの考え方としてお受け取りいただければありがたいです。

なお、前回書いた全14回の構成および各記事のテーマは変えません。他の話題の合間に月1回程度の頻度でノート改訂版記事を書いていきたいと思います。

ノート(研究マネージャー基礎知識)改訂版の全体構成

研究開発活動の流れに沿って、以下の3つの部分に分けます。

I、研究テーマ(どんな研究に取り組むか)を決めるには何に注意してどのように行なうべきか

II、具体的な研究の進め方はどうあるべきか:研究に携わる人をどう扱い、どのような組織で、どのように運営管理すればよいのか

III、研究成果をどう活用し、発展させ、事業につなげるか

なお、ノート記事では、科学と技術の違いや、基礎研究と応用研究の違い、科学的発見から応用研究を経て実機化に至るプロセスの議論は省略します。研究マネジメントを体系的に考えるなら、これらの議論は必要かもしれませんが、現代の企業において研究を実践する立場から見ると単なる分類や形式的なプロセスの知識はあまり役に立たないように思います。実践的な立場をはっきりさせる意味もあって、使えない(ように思われる)議論にはあえて触れないことにしました。

技術マネジメントについては、丹羽氏によれば、

・「技術戦略を効果的に構築しようと…(中略)…いろいろな領域で多大な努力が傾けられている。しかし、概してそれらはまだ手探りの試行錯誤の状態にある。」[文献1p.iii]

・「技術経営分野の個別の領域での議論や著作はあるものの、全体が見通せる体系を提示した書籍は見当たらない」[文献1、p.iv]

とのことであり、近著でも、

・「高度技術社会に入り技術経営学が新しい経営学として必要とされているのにもかかわらず、技術経営学はその確立が途上であり、また、そのためもあって企業での応用展開も十分に進んでいない」[文献2、p.6

と述べられています。であれば、形式にとらわれる必要もないだろう、というのが私の思いでもあります。従って、本ブログの記事でも、例えば、基礎研究と応用研究の違い、技術(者)と研究(者)との違いなどの細かい点にはあまりこだわらずに大雑把な意味で使うことにしたいと思います。

しかし、研究開発とイノベーションの違いについては区別しておきたいと思います。イノベーションとは、研究開発などによって得られる技術的、科学的成果や様々なアイデアを社会に適用して新たな変化をもたらすもの、というのが私の考えですが、現代においては、研究開発とイノベーションは異なる意味を持っていると思います。例えば、いわゆる漸進的なイノベーションにおいては、研究開発の成果が比較的容易に社会に変化をもたらすことが多いですが、破壊的イノベーションやラディカルイノベーションでは、研究開発の成果がただちに社会の変化に結び付くとは限らず、技術以外の要因が深く関わってくることが多いのではないでしょうか。極端な場合には、新たな技術を必要としないイノベーションもあり得るでしょう。従って、技術はイノベーションの一構成要素と認識すべきであり、いわゆる研究開発もイノベーションにおいて行われる行為のひとつと考えたほうがよいのではないかと思います。

次回以降、各トピックスについて以前のノート記事の改訂をしていきたいと思いますが、その前に、ノート全体の総括の意味も含めて、最初の「考察」として研究マネジメントにおいて最も重視すべきことについて考えておきたいと思います。

考察:研究マネジメントにおいて最も重視すべきことは?

研究マネジメントにおいて最も重視すべきことは何でしょうか。現時点では、私は

・研究開発やイノベーションに携わる人が継続的に意欲を持ち続けられること

がその答えなのではないかと考えています。

ここで、研究開発やイノベーションに携わる人とは、技術的な開発を行なう研究者はもとより、研究開発成果を活用して(あるいは、用いなくてもよいですが)社会に影響を与えるイノベーションを創出することや、イノベーションのビジネスモデルを支えるすべての人を意味します。例えば経営層や、開発品を生産する工場の技術者や管理者、製品を販売する人々なども含みます。イノベーションを推進していくべき人々の意欲が高まりその意欲が維持できれば、彼らのより多くの能力の発揮が期待できます。それによってイノベーション成功の確率が高まるのではないかと思うのです。

なぜこのように考えるか、の理由には、現代のイノベーションにおける次のような背景があります。

・単純な思いつきでは成功しにくくなり、長期にわたる関係者の努力が必要とされること。

・専門分野が深く、狭くなっていること、複数の要素を組み合わせて新しいものを生む傾向が強まっていること、技術やアイデアをビジネスモデルの形に総合しないと社会の変化をもたらし得ないことのため、イノベーション実現には多くの人の協力と協働が必要とされること。

・時代の変化が速く、激しくなっているため、当初の計画を実行するだけでは不十分な場合が多く、計画変更ができる体制でなければならないこと。

つまりは、単に既定の方針を遂行する以上に、個人や組織に対する要求が高まっていると言えるでしょう。こうした背景のため、多くの関係者の高度でかつ継続的な能力の発揮が望まれ、そのためには意欲の維持が必要である、と考えることもできます。

具体的に、そうした意欲維持のためには、例えば、

・関係者の意思(価値観)統一、目標共有によって、誤解や不信に基づく意欲低下を防ぐこと

・意欲をもって挑戦できる課題を設定すること

・継続的に能力を発揮できる環境、協力的な環境を整備して意欲低下を防ぐこと

などが重要な課題となるでしょう。もちろん場合によっては、短期的な収益目標やインセンティブによって意欲を高めることは可能かもしれませんが、意欲が長期的に維持されること、さらに、多くの人に有効な方法でなければおそらく複雑で高度な課題には対応できないのではないかと思われます。

研究開発をどのように進め、イノベーションにつなげていけばよいかの具体的な方法については、各論の部で考えていきたいと思いますが、あらゆる課題に適用可能な定式化されたハウツーのようなものは確立されていないと考えるべきでしょう。イノベーションの課題が時代とともに変化することを考えれば、ひょっとすると決定版のような方法はそもそもあり得ないのかもしれません。であれば、理想の研究マネジメントの方法を追い求めるよりも、様々な方法について、その方法により関係者の意欲が高まるかどうかを判断基準として好悪を判断し、状況に応じてマネジメントをおこなっていくことの方が現実的なのではないでしょうか。例えば、収益をあげることを目的とするなら、イノベーションに関わる人々の収益に対する意欲を高め、能力を発揮できる環境を作ることができればよいわけです。もしある方策が、収益に結び付かなかったとすれば、その活動への意欲が低下し、その結果その活動は淘汰され、収益が上がる方向に進むのではないでしょうか。同様に成功の見込みが薄く、意義も小さなテーマではそれに対する多くの意欲は期待できないでしょう。意欲を管理することでこうしたテーマの淘汰も行なえると思います。すなわち、意欲の維持を基本に運営管理することで、進むべき方向は自ずと明らかとなり、結果も自ずとついてくるように思います。そもそも意欲を高めることは、個人および集団の高度な能力の発揮につながることが期待できます。さらに意欲の発揮度を基準に様々な施策の有効性を評価すれば臨機応変な施策の取捨選択が可能になるのではないでしょうか。このような理由から、複雑かつ不確実性の高い研究のマネジメントにおいて、最も重視すべきは「意欲の管理」なのではないか、というのが現在の私の仮説です。



文献1:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.

文献2:丹羽清(編)、「技術経営の実践的研究」、東京大学出版会、2013.

ノート目次へのリンク







 


 


 

ビジネスモデル・ジェネレーション(オスターワルダー、ピニュール著)より

イノベーションの実現のためには技術だけでなく(場合によっては特異な技術がなくても)、収益を生み出すビジネスモデルが必要という認識はかなり広まってきたように思います。では、どうしたらよいビジネスモデルを生みだせるのでしょうか。今回はオスターワルダー、ピニュール著、「ビジネスモデル・ジェネレーション」[文献1]に基づいてその方法をまとめたいと思います。

本書によれば、「ビジネルモデルイノベーションとは、企業、顧客、そして社会のために、価値を生み出すこと」[p.5]とされ、著者らは「ビジネスモデルのイノベーションについてビジョナリー、イノベーター、挑戦者のために、実用的なガイドを作ろうと考えた」[p.5]としています。そのため本書は、テクニック紹介や事例が中心の内容となっていますが、本書に示された方法は、様々なビジネスモデルの事例分析にも裏付けられた応用範囲の広い方法のように思われました。以下、本書の構成にそって内容の要点をまとめます。

1、Canvasキャンバス:ビジネスモデルを記述、分析、デザインするツール

以下の9つの構築ブロックからなり、それぞれの要素を図にまとめて関係を視覚化することが推奨されています。

・顧客セグメント(Customer Segments: CS):誰のために価値を創造するのか、最も重要な顧客は誰かを決める。

・価値提案(Value Propositions: VP):どんな価値を提供するか、どんな問題解決を手助けするか、どんなニーズを満たすか、どんな製品とサービスを提供するか。

・チャネル(Channels: CH):顧客とどのようにコミュニケーションし、価値を届けるか。製品やサービスの、認知、評価、購入、提供、アフターサービスの方法も含めて考える。

・顧客との関係(Customer Relationships: CR):顧客はどんな関係を期待しているか。顧客とのどんな関係(獲得、維持、販売拡大)を期待するか。

・収益の流れ(Revenue Streams: R$):顧客はどんな価値にお金を払うか。どのように払うか。一見客による取引収益か、既存顧客の継続支払いか。価格メカニズムは。

・リソース(Key Resources: KR):価値を提案するのに必要なリソースは何か。

・主要活動(Key Activities: KA):価値提案に必要な主要活動は何か。

・パートナー(Key Partners: KP):主要なパートナー、サプライヤー。役割分担。

・コスト構造(Cost Structures: C$):運営にかかるすべてのコスト。コスト主導か価値主導か。

2、Patternsパターン:重要な5つのビジネスモデルパターンを取り上げて分析。パターンはこれに限られず、他のコンセプトに基づく新しいパターンも当然生まれてくると予想。

・アンバンドルビジネスモデル(Un-Bundling Business Models):3つの異なるビジネスタイプ(製品イノベーション、カスタマーリレーションシップマネジメント、インフラ管理)は異なる要素で動くため、対立やトレードオフが発生する。それをバラバラにするビジネスモデル。

・ロングテール(The Long Tail):他品種少量販売モデル。低い在庫コストとしっかりとしたプラットフォームが必要。

・マルチサイドプラットフォーム(Multi-Sided Platforms):複数の顧客グループをつなぎあわせる。他の顧客グループが同時に存在する場合にのみ価値が生まれる。例えば広告に基づくフリービジネスモデルなど。

・ビジネスモデルとしてのフリー戦略(FREE as a Business Model):少なくともひとつの顧客セグメントは無料オファーの恩恵を継続的に受けられる。広告に基づくフリー、フリーミアム(高度なサービスが有料、有料ユーザーが無料ユーザーを支える)、オープンソース(Linux活用など)、保険モデル、エサと釣り針(低価格や無料の導入提案による関連商品やサービスの継続購入)など。

・オープンビジネスモデル(Open Business Model):パートナーとの組織的コラボレーションにより価値を創造。P&Gのコネクトアンドディベロップメント、グラクソ・スミスクラインのパテントプール、コネクターとしてのInnoCentiveなど。

3、Designデザイン:ビジネスモデルをデザインするのに役立つテクニックを紹介。

・顧客インサイト:顧客の深い理解が必要。顧客の分類、環境や行動、関心、願望を理解するのに役立つ「共感マップ」(顧客が見るもの、聞くもの、感じること、行動、顧客の得るもの、痛みを分析)が有効。

・アイデア創造:ビジネスモデルのオプションを作る。一般的アプローチは、1)多様なメンバーによるチームづくり、2)顧客や技術、既存モデルの調査分析においてプロジェクトに熱中する、3)ビジネスモデルのアイデア出し(ブレインストーミングなど)、4)基準に基づくアイデアの絞り込み、5)プロトタイピング。

・ビジュアルシンキング:ビジネスモデルは様々な構築ブロックの相互関係によって成り立つため、図解しないと理解が難しい。ポストイットや絵を活用。

・プロトタイピング:ビジネスモデルを単に表現するものとしてだけではなく、ビジネスモデルの別の方向を探るのに役立つ思考ツールとして重要。ラフなアイデアを検討し、短時間のうちに破棄し、さまざまな可能性を試してみることがデザイン精神の特徴。

・ストーリーテリング:人はなじみのないモデルには抵抗を示すのが普通なので、具体的にわかりやすくビジネスモデルを説明するストーリーテリングによって、見慣れないものへの不信感を一時留保させる。アイデアを刺激したり、変化を正当化する効果もある。

・シナリオ:異なる顧客設定によるシナリオや、未来の競争環境を説明するシナリオを活用する。

4、Strategy戦略:ビジネスモデルのレンズを通じた戦略の再解釈。ビジネスモデルに対して建設的な質問を投げかけ、ビジネスモデルが機能する環境なのかを戦略的に調査する。以下の4つの戦略領域を検討。

・ビジネスモデル環境:1)市場における圧力(市場分析)、2)産業における圧力(競争分析)、3)重要なトレンド(未来予測)、4)マクロ経済の圧力を検討。

・ビジネスモデル評価:大局的な観点からのビジネスモデル評価と、SWOT分析による各構築ブロックの評価(それぞれの構築ブロック(Canvasの9つのブロック)についての、強み、弱み、機会、脅威の評価)を行なう。

・ブルーオーシャン戦略におけるビジネスモデル:1)どの要素を取り除くか、2)どの要素を減らすか、3)どの要素を増やすか、4)どの要素を付け加えるか、の視点で検討する。

・複数のビジネスモデル運営:特に既存のビジネスモデルを持つ企業において、新しいモデルをどう実行するかが問題になる。統合するか、分離するかは、1)衝突の深刻さ、2)戦略的類似性、3)リスクに基づいて考慮すべき。

5、Processプロセス:汎用的なビジネスモデルデザインのプロセスを提示。ビジネスモデルイノベーションの目的は、1)未解決のニーズを満たす、2)新技術、製品、サービスを導入する、3)市場を改善、変革する、4)新しい市場を作り出す。既存企業に特有の動機は、1)既存ビジネスモデルの危機、2)環境変化に対応した調整、改善、防御、3)新技術、製品、サービス導入、4)未来に備えたビジネスモデルの模索、テスト。デザインのプロセスは次の5つのフェーズからなる。

・リソースの結集:目的を決め、初期アイデアのテスト、計画立案、チーム結成を行なう。初期アイデアの過剰評価、既得権益との調整に注意。トップマネジメントの関与が望ましい。

・理解:環境調査、顧客の研究、専門家へのインタビュー、先行例の調査、アイデアと選択肢の収集を行なう。調査しすぎによる「分析への麻痺」に注意(進捗報告を怠らないように)。

・デザイン:ブレインストーミング、プロトタイプ、テストによりビジネスモデルの選択肢を考え、評価し、最善のものを選択する。大胆なアイデアを排除、抑圧しないように、アイデアに簡単に惚れこまないように、短期的な視野にならないよう注意。

・実行する:プロトタイプを実際に実行する。不確実性の管理、スポンサーの支援、新しいビジネスモデルに適した組織構造、コミュニケーション(社内キャンペーンなどが有効)に注意。

・管理する:ビジネスモデルを市場の反応に合わせて調整する。既存モデルの再考は継続的な活動となる。ビジネスモデルの寿命が急速に短くなっている現在の傾向、ビジネスモデルの連携、ポートフォリオ管理、環境変化、初心に帰ることを忘れないように注意。

なお、著者は、ビジネスモデルに合わせた報酬体系や、起業家メカニズム(裁量権の増大と、積極的で信頼のおける、前例にとらわれない人の活用)も指摘しています。

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おそらく本書の意義の第一は、上記のような考え方の枠組みを提示したことだと思います。もちろん、この方法が新たなビジネスモデルの創造のための唯一絶対のアプローチとは言えませんが、ビジネスモデルを考える際に考慮すべきポイントをまとめている点は実務家にとって非常に役立つのではないでしょうか。例えば本ブログでとりあげたジョンソンのビジネスモデルの考え方とも重なる部分があり、比較的偏りのない考え方がまとめられているように思います。さらに、現時点での重要なビジネスの考え方も考慮されていますし、最近話題の新しいビジネスモデルの分析が事例として取り上げられている点も考えるヒントとなるでしょう。まずは、議論や検討の出発点として本書の方法を取り入れてみる意義は大きいのではないでしょうか。

本書の9つの構築ブロックのうち、研究開発に特に関係が深いのは、価値提案(VP)とコスト構造(C$)でしょう。技術者としてはとかくイノベーションの技術的側面ばかりに注目しがちですが、本来は他の構築ブロックとの関係も意識して研究を進めるべきであるはずです。本書の方法によるビジネスモデルの整理により、業務の位置づけと連携のポイントがはっきりするのではないでしょうか。ビジネスモデルの要素間の相互関係を認識しやすくするツールとして、研究者にとってもCanvasは有用なように思います。さらに、このようなビジネスモデルの整理は、社内外の様々な部署やトップマネジメントとの意思疎通の際のプラットフォームとしても重要でしょう。ビジネスモデルというものを、単なる業務の進め方としてではなく、イノベーションの源としてとらえ、よりよいビジネスモデルを生み出せるようになることが今後実務家に求められていくことのように思います。実務家がこれをうまく使えるかどうかが、ビジネスモデルイノベーションの成功のカギなのかもしれません。


文献1:Alexander Osterwalder, Yves Pigneur、アレックス・オスターワルダー、イヴ・ピニュール著、小山龍介訳、「ビジネスモデル・ジェネレーション ビジネスモデル設計書 ビジョナリー、イノベーターと挑戦者のためのハンドブック」、翔泳社、2012.

本書webページ:http://www.shoeisha.co.jp/biz/bmg/

原著表題”Business Model Generation, A Handbook for Visionaries, Game Changers, and Challenters”

(参考)

ビジネスモデルジェネレーションwebページ(Canvasのシートがあります)

http://www.businessmodelgeneration.com/

小山龍介氏(訳者)による解説

http://www.shoeisha.co.jp/biz/bmg/detail/37

参考リンク<2013.7.21追加>



 

 

 

「知識創造経営のプリンシプル」(野中郁次郎、紺野登著)より

野中氏らによる「知識創造」の考え方については、本ブログでも何回か取り上げてきましたが、非常に重要な示唆が多いと感じられる半面、難解な概念が多く、活用が難しいという印象も持っていました。そんな中、新たに発表された「知識創造経営のプリンシプル」(野中郁次郎、紺野登著)[文献1]は、「知識創造経営のための『ワーキングガイド』」として「実践的に理解するために、関連する諸々の断片的な概念をある程度まとめておきたい、そして体系的に総括・綜合しておきたい」、「21世紀の社会経済という文脈に、知識創造経営を再度置き直してみる」という2点を狙いとして書かれた本ということであり[p.v-vi]、期待を持って読みました。本稿では、その内容について、知識創造理論を使う立場からのまとめを試み、私なりの理解を述べさせていただきたいと思います。なお、本書の広範な内容のすべてをご紹介できていない点はご容赦ください。

知識創造経営の位置づけと意義

まず、著者らは、「知識社会化した資本主義社会において経済的価値を生むにはどうするか」[p.1]というドラッカーの問いから始め、近年の社会の変化を考察した上で、「21世紀の新たな社会経済状況の中で従来の戦略論や組織論には行き詰まり感がある。これに対する、知識社会経済における経営の考え方が知識創造経営であるといえる。[序章、p.26]」、「世界が新たな資本主義に向けて暗中模索を始めている。こうした中で、求められるのはいわば『人間中心の精神・価値観』に基づいた経済や経営のあり方である。それは賢慮(共通善実践のための智慧)に基づく資本主義(prudence-based capitalism、プルーデントキャピタリズム:より一般的にはワイズキャピタリズム)ではないかと考えている。それは人間中心の、実践的賢さを重視する経営だ。[p.vi-vii]」、「知識創造経営は、脱工業社会あるいは知識社会の経済に対応した、①個の知識と能力、②個と個の交わる『場』を『基本単位』とする経営モデルである」[p.44]と述べています。さらに、イノベーションとの関係について、「経済価値の多くは、ノウハウ、特許、著作権、ブランド、さらには背後にある開発力やイノベーション(新たな知識創造)力によって生み出される。我々はこれらの知を『知識資産』と呼ぶ。知識創造経営は知識資産によって価値を生み出す経営である。[p.64]」、「イノベーションとはこれまでになかった関係性によって知識資産を生み出し、組み合わせ、事業価値に変換することである。知識資産の価値を高めるために企業が行うべきことは、高質な知識創造プロセスの構築である。[p.67]」と述べていて、知識が生まれる現象への理解だけでなく、知識創造に基づく経営手法の構築も視野に入れた議論が展開されています。

実践のための基本則(プリンシプル)

その上で、著者らは、実践において大事になると思われる要素として10項目を挙げ、さらにその共通項を以下の3つにまとめています。[p.viii-ix

・共同体あるいはエコシステムにおける企業や顧客、パートナーなどの関係性を基盤とすること

・その起点としての「場」、すなわち間身体性あるいは相互主観性

・目的を追究して意味や価値を形成していこうとする意識に基づく生命論的な人間力

これだとややわかりにくいと思うのですが、要するに、周囲との関係を考慮すること、人が集まることで互いの知識を体感し深く理解すること、人間にとって重要な目的を意識すべき、ということと個人的には理解しました。おそらく上記の点を大切にすることで、知識の出会いによる知識創造の可能性を高め、周囲を動かし、実践につなげやすくできる、ということではないでしょうか。以下、10のプリンシプルのそれぞれをまとめます。

1、場(あるいは間身体性)に基づく経営

「場は『共有された動的な文脈あるいは意味空間』と定義される[p.27]」ということですが、「知識創造経営の起点となるのは、場における認識、経験、知識の獲得である。場は我々の経験の起点であり、身体性(embodiment)に基づくものである。[p.47]」という表現の方がわかりやすいかもしれません。間身体性の意味はややわかりにくいですが、「たとえば、相手をコントロールしようとしたり、命令に従わせようとしたりしても、人や組織は動かない。共通の考えを持ったり、経験をしたり、一体感を感じることで初めて内発的に人は動き始める。こういったときの根底にあるのが、相互主観性(間主観性ともいう)である。[p.29]」であって、「メルロー=ポンティは、相互主観性の本質は身体感覚に基づいて相互に浸透することで生まれる関係性、つまり間身体性(inter-corporeality)だと解釈した。[p.29]」、さらに、「身体的な認知活動とは、すなわち個々人が社会的に、他者との交わりを通じて暗黙知を獲得するプロセスである[p.48]」という説明からなんとなく理解できるように思います。著者は、実際にどの程度の他者との交わりが必要なのか(例えば、バーチャルな交流でよいのか)についてははっきりと述べていないように思いますが、ミラーニューロン(「他者の行動を見て、まるでわが事のように感じる共感能力(empathy)を司っているとされる[p.49]」)の重要性を指摘していることを考えると、直接会って交流することを重視しているように思われます。

2、実践的方法論に基づく経営

著者らは、知識創造経営の方法論として、「論理分析的アプローチとは異なる、実践主義的な思考の重要性を指摘したい[p.51]」と述べています。「いわゆる『複雑な問題解決』に対しては、分析と意思決定科学だけでなく、洞察や判断など、直観や人間知の動員が求められる。[p.52]」、「専門家が分析すれば問題が解ける、という時代は終わりつつある。(中略)今求められるのは、現場視点を持ったクリエイティブで発見的な分析だ[p.51-52]」、と述べ、ミンツバーグの「創発戦略」、デザイン思考における(ラピッド)プロトタイピング、アジャイルスクラムなどの実践的思考の例を挙げています[p.53]。「仮説的に知の創造と適用をインタラクティブにかつ段階的に進めていくやり方[p.54]」ともいえるでしょう。

3、知識創造理論に基づく組織プロセス

「市場は単に企業の外的環境として捉えられるのではない。(中略)企業は市場という生態系の一部として存在するという考えがますます重視されるのが知識社会経済、そして知識創造経営である。[p.70]」「組織的知識創造とは、組織が個人・集団・組織全体の各レベルで、企業の環境から知りうる以上の知識を、新たに創造(生産)すること[p.77]」。「知識創造のプロセスは暗黙知と形式知の相互変換[p.77]」。暗黙知と形式知の相互作用は、共同化(暗黙知から新たに暗黙知を得る)、表出化(暗黙知から形式知を得る)、結合化(形式知から形式知を得る)、内面化(形式知から暗黙知を得る)という4つのプロセス(SECIプロセス)で表わすことができる[p.77]。さらに、「直接経験を通じて環境における現場での現実に共感し(=共同化)、気づきの本質をコンセプトに凝縮し(=表出化)、コンセプトを関係づけて体系化し(=連結化)、技術、商品、ソフト、サービス、経験に価値化し、知を血肉化する(=内面化)、さらに、組織・市場・環境の新たな知を触発し、再び共同化につなげる[p.79]」、という具体例を示しているのはわかりやすいと思います。


4、戦略の物語的アプローチ

「伝統的に行われてきた戦略策定では、客観的な事業環境分析に基づいて課題を抽出し、指針を提示・指示する。しかし、(中略)現実の組織の現場では、行動すべき人々の気持ちがこれに参加しないので動かない。戦略と実践の間には大きな隔たりがある。[p.96]」、「人間は社会で協力関係を維持するとともに、他者との利害を調整しなければならない。(中略)共有される目的が共通善[p.99]」、と述べ、「知識創造経営の従来の経営との大きな違いは、(中略)共通善の追求といった目的を問う点である。[p.102]」としています。そして、「戦略やその計画を文書で配布しても、それは形式知にしかすぎない。戦略が組織を前進させる『知力』となるには、暗黙知つまり身体のレベルで共有理解されなければならない。そのために、暗黙知を大きく失わずに知を伝達できる形態としての物語に注目する。[p.107]」ということです。

5、実践的三段論法による実践的戦略思考

戦略の実践において有効な思考が実践知とされます。「意志決定ツリーに基づいて、相対的な数値の大きさや確率で方向を決める、という単純な比較が難しい、社会的価値判断や経営者や企業としての独自の価値判断が求められる複雑な問題に対処するのが実践知である。それは共通善に向けた価値基準を持って、個別のそのつどの文脈の只中で、なすべき実践(プラクティス)のための最善の判断ができる智慧であるといえる。[p.123]」。そうした実践知(フロネシス)の方法論として、実践的三段論法があり、「実践的三段論法では、目的があり、そのための手段があったときに、実行をすべきか、という判断を行なうという我々の日常的思考を表わしている。(中略)このように、実践的三段論法は必ず実行・実践を伴う。[p.129]」、「我々はすべては仮説であるという態度を持たなければならない。法則、理論などもすべて仮説であり、『知識は半分しか真でない』。(中略)我々はこうした仮説を用いながら、実践的な推論と判断をしていくのである。[p.131]」、と述べられています。

6、リーダーシップにおける賢慮のサイクル

「賢慮とは、個別具体の場において、その状況の本質を把握しつつ、同時に全体の善のために最良の行為を選び実践できるためのリーダーの智慧[p.148]」。それは6つの実践の行動サイクルすなわち、1)「善い」目的を作る、2)場をタイムリーに作る、3)ありのままの現実を直観する、4)直観の本質を概念に変換する、5)概念を実現する、6)実践知を組織化する、で示すことができ、「トップや特定のエリートに実践知が埋もれているままではいけない。彼らの実践知を、実践の中で伝承・育成し、組織的に自律分散型フロネシスを練磨することが必要だ。それを『集賢知』と呼ぶ。[p.149-161]」、とされます。

7、非ヒエラルキーの組織、ワークプレイスのデザイン

「知識創造経営においては、ヒエラルキー(階層的組織構造=一極集中あるいは官僚制、ビューロクラシー)に基づかない自己創出的組織と、それに適応した『ソーシャルリーダーシップ』(社会的関係性を創出するリーダーシップ)からなるオートノミー(自律的組織構造=自律的で分散的)の形態が望ましいと考えられる。なぜなら、我々は組織の成員を、指示命令に従って情報処理業務を行うホワイトカラーのモデルではなく、個が自律的に場を形成して知識創造するナレッジワーカーのモデルを通じてみるからである。[p.178]」、「基本となるのは、特定の業務のためや顧客価値を生む深い知識資産を、サイロ化を避けつつ、柔軟に活用できるようにする構造の創出にある。[p.195]」、「今後の組織設計においては、『場』における実践(プラクティス)についての理解とコンセプトがカギを握る。それは現場がどのような実践を行うかのモデル、仕事の仕方(ワークウェイ)などに基づくものである。[p.198]」、ということです。

8、顧客価値と知識資産の関係性としてのビジネスモデル

「ビジネスモデルとは、顧客にとっての価値を提供し、利益の流れを生み出すための内外の資産や能力の関係性を表わすロジック[p.214]」。「モノではなく、知の流れで経済的価値が生まれる[p.214]」。「コトが価値を持つ時代になると、ただモノを売っていただけでは利益が生まれなくなる。[p.222]」、「ビジネスモデル・イノベーションの課題は、知(知識資産)を利潤の流れに変換することである。顧客価値の実現のためには、さまざまな資源(知識資産)とパートナーとの関係性など、ユニークな関係性の創出が求められる。それは分析的作業からは出てこない。[p.218]」、「試行錯誤、反復的修正、プロトタイピングによるフィードバックが不可欠である。我々は論理分析的にビジネスモデルを構築しようとせずに、現場での具体的洞察や創造性の発揮を通じてビジネスモデルをデザインしなければならない。[p.219]

9、市場知と技術を融合する方法論としての知識デザイン

「技術は重要だが、科学的技術知に市場・顧客の知、組織の知を組み合わせなければイノベーションにはならない。[p.239]」、「イノベーションとは、革新的な技術あるいは革新的な方法による技術の活用と、提供者のシステム、ユーザーの利用や消費の形態(行為や行動)の革新を通じて、顧客の問題の解決や新たな創造的な社会的関係性を創出することである。イノベーションの実現のためには、顧客の現場からの洞察や顧客との協調・協働が基礎となるだろう。そこで、デザインアプローチの重要性が最近指摘されている[p.243]」、「デザイン思考が志向するのは、『コモディティ+付加価値』(モノの価値)とは異なる、『人間的価値』(本質的コトの価値)の追求である。[p.245]」、「デザインは、『エンジニアリング』に象徴される論理的・分析的・効率的な理性的思考とは異なる、直観的・統合的・創造的な身体的・感覚的思考を代表している。デザインは人間の視覚的な能力と形態創造の能力(形にする力)を背景に持った『知的な方法論』である。[p.249]」、「知識デザインの基本的な作用は、従来からあった社会や技術の関係性をいったん脱構築し、顧客あるいは人間の視点から再構成して、価値や便益をもたらすことである。知識デザインはイノベーションのための『新結合』を支え、深めるものだ[p.249]」、「知識のデザインとは、現場から顧客の状況を把握し、仮説を設定してコンセプトに綜合し、プロトタイピングと実践を繰り返しながら顧客の問題を解決する行為[p.254]」。

10、人間中心の市場空間としての都市

「人々のアイデアや知識の交わる『場』がグローバル経済の要となる。それはすなわち『都市』である。[p.291]」、「今後は、国家を1つのユニットと捉える呪縛から解き放たれ、地域コミュニティや、国家を超えたコミュニティにおいて、共通善の実現のために共同体の境界の内外の構成員が、内発的な動機づけの下、『知』を結集してイノベーションを起こすという発想が未来を拓くだろう[p.321]」。「岩井克人氏は、(中略)経営者や従業員の知こそ最も獲得しがたい資産であり、それらを育てる企業文化などの重要性を示唆している[p.322]」。

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以上が私なりのまとめです。知識創造理論については、従来発表されてきた概念の本質的な部分のみが抽出され、体系的に整理されているように思いますので、かなり理解しやすくなっているのではないでしょうか。本書では、知識創造理論についての考え方の他にも、従来の経営理論や哲学、最新の考え方や試みについても評価が加えられており、そうした点も大いに参考になりますので、知識を実践的に用いるためのワークブックとしての価値は非常に高いと思います。

私にとって従来、知識創造理論が使いにくく思われていた理由は次の2点でした。

・知識創造理論は非常に正しそうに思われるけれども、本当に有効な理論だという証拠はあるのか。

・知識創造理論では、知識創造が行われるプロセスやいかに知識創造を行うかについては述べられているが、何に取り組めばよいのか(具体的に言えば、何を研究テーマとすればよいのか)がはっきりしない。

もちろん私もこのような問題について明確な回答を得ることは不可能だと思っていますので、回答が示されないこと自体には何の不満もありませんでした(かえって、こんな複雑な問題に明示的な回答がある方が胡散臭い)。しかし、上記の疑問に対して何らかのヒントはないものか、という願いを持っていたことも事実です。これに対して本書では、現在の社会経済状況に対して今までの経営理論が効果的に機能していないこと、それに比較して知識創造理論には可能性があることが述べられ、理論の有効性を受け入れやすくなったと思います。また、何に取り組むべきか、という課題に対しては、「共通善」を基礎にすべきという基準が示された点が意義深いと思います。もちろん、共通善という考え方からただちに明日の研究テーマを導くことははっきり言って不可能ですが、例えば研究テーマを分析的に考えだすのではなく、例えば組織的知識創造プロセス(SECIモデルなど)を使って研究テーマを発想し、それを共通善という篩にかけて有望なテーマを選び出す、という創発プロセス(当然、研究テーマが知識創造プロセスの過程で変わってしまってもかまわない)を利用したテーマ設定の方法も可能ではないか、と思い至った点、有意義だったと思います。本書によって、知識創造理論は間違いなく使いやすくなったと思いますがいかがでしょうか。



文献1:野中郁次郎、紺野登、「知識創造経営のプリンシプル 賢慮資本主義の実践論」、東洋経済新報社、2012.



本ブログ参考記事

「流れを経営する」を読む2012.3.25

フロネシス(賢慮)と研究開発2012.1.29

「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想2011.3.21

創造性を引き出すしくみ2010.10.24

参考リンク<2013.1.14追加>



 


 


 

「イノベーションとは何か」(池田信夫著)より

どうやったらイノベーションの成功確率を上げることができるのか。この問題は当ブログにおける重要なテーマのひとつです。イノベーションを成功に導く万能の処方箋などない、ということは残念ながらどうやら確からしいことのようですが、成功の確率を上げることならば可能ではないでしょうか。池田信夫著、「イノベーションとは何か」[文献1]では、イノベーショをどう捉えるべきかとともに、どう進めるべきかが議論されていますので、今回はその内容について考えてみます。

著者は「イノベーションは経営学では非常に多く言及されながら、理論は無に等しく、経済学では対象外にされたエアポケットのような状態にある。しかし、イノベーションが成長にとってもっとも重要だとすれば、その法則を理論的に分析することは経営者だけではなく政策担当者にとっても必要だろう」[文献1、p.2]と述べ、最近のイノベーション事例を中心に、イノベーションの本質やその進め方について議論を行なっています。中にはかなり大胆な説も含まれているように思いますが、仮説とわかった上でいろいろな考え方に触れることは実務上も決してマイナスにはならないと思いますので、以下に要点をまとめてみたいと思います。

著者は、本書の柱となる仮説として、以下の10項目を挙げています[文献1、p.3](著者ブログ[文献2]とは若干異なっています。)。(以下の引用ページは文献1)

1、技術革新はイノベーションの必要条件ではない

「重要なのは技術ではなくビジネスモデルである。」、「新しい事業を起こそうとする場合、まず何を売ればもうかるかというアイディアがあり、その上で収益を上げる方法を考え、技術はそれに適したものを選ぶ(あるいは開発する)。イノベーションの本質は技術ではなく、このビジネスモデルにある。」ちなみに、イノベーションを技術革新と訳したのは誤訳であって、innovateという英語は単に「新しくする」という意味でしかない、とのことです。[p.15-17

2、イノベーションは新しいフレーミングである

「顧客の要望を聞くマーケティングで成功した商品はほとんどない。[p.14]」、「重要なのは仮説を立て、市場の見方(フレーミング)を変えること[p.3]」、「必要なのは、既存の組織の中で『発想を転換する』ことではなく、まったく別のフレーミングをする変人が、最後まで自分の思い込みを実行できる環境をつくること[p.34]」、ただし「何がよいフレームかを決める論理はない[p.69]」。

3、どうすればイノベーションに成功するかはわからないが、失敗には法則性がある

「大企業が役員の合意でイノベーションを生み出すことはできない[p.3]」、「日本企業は、内部のコンセンサスには非常に時間をかけ、いったん合意すると一糸乱れず団結して行動するため、内部で合意しやすい持続的イノベーションには強いが、反対の多い破壊的イノベーションは苦手[p.70]」、「コンセンサスで決めると、リスクを避けて無難な製品ができることが多い[p.108]」、「大事なのは、大企業を呪縛しているコンセンサスを断ち切り、個が自立すること[p.215]」、「特許のノルマでイノベーションが生まれることもない。[p.3]」

4、プラットフォーム競争で勝つのは安くてよい商品とは限らない

「フレームは言語と同じく、多数派であるがゆえに多数派になるという同語反復的な性格をもつから、すぐれた技術が標準的なプラットフォームになるとは限らない[p.69]」、「ビジネスが成功するかどうかも、商品のよしあしではなく、多くの顧客の共感を得るかどうかで決まる。製造業においては、その手段はよいものを安くつくることだけだったが、サービス業では要素技術がすぐれていることは決定的な要因とはならない[p.70]」、「プラットフォーム競争で勝つために必要なのは、従来の製造業のようにいい商品を安くつくることではなく、決定的な多数派になること[p.70]」、「技術競争は「標準化」ではなく進化的な生存競争だから、すぐれた規格が競争に勝つとは限らない。むしろ新しい「突然変異」を拡大する多数派工作が重要[p.3]」、「新しい規格の性能がいいことをいくら宣伝しても、シェアに差がある限り既存の規格をくつがえすことは絶対的に難しい。このように局所最適に閉じ込められている状態を脱却して大域的最適化を実現する手法として、突然変異がある。少数派であっても強い支持者をもつ突然変異が生き残る確率が十分高ければ、すぐれた技術が長期的均衡になる。重要なのはイノベーションを起こすだけではなく、それを持続させて多数派になるまで頑張るコミットメントの強さ。製造業では突然変異を減らす品質管理が大事だが、情報産業ではイノベーションが大事なので、なるべくシステムを撹乱してノイズや突然変異を増やし、淘汰圧を弱める工夫が必要」[p.72-3

5、「ものづくり」にこだわる限り、イノベーションは生まれない

「イノベーションの意味も、製造業とソフトウェアではまったく違う。ソフトウェアのイノベーションのコストは低いが、多くの人々に共有されないと意味がないので、プラットフォーム競争が重要。製造業とソフトウェア産業は、まったく違う産業といってもよく、前者で高い効率性を発揮した日本の企業が後者で惨敗したのは不思議ではない。[p.102]」「ソフトウェア企業はハリウッドのスタジオや日本の芸能プロダクションのような専門家集団になる。その中心はエンジニアやプロデューサーのようなクリエイターで、ホワイトカラーはスターをサポートする芸能マネジャーのような存在[p.104]」

6、イノベーションにはオーナー企業が有利である

「事業部制のような複合型組織は、規模の経済の大きい製造業では有効だが、ソフトウェアを中心とする情報産業ではオーナー企業が有利である。[p.3]」、「これは最先端のビジネスでは、品質の高さよりデザインの独創性や統一性が重要になっているから[p.115]」、「重要なのは古典的意味での所有権ではなく、コンセプト」、「情報の非対称性を情報共有で解決することによってモラル・ハザードを防ぎ、モチベーションを高めることができる。[p.115-7]」

7、知的財産権の強化はイノベーションを阻害する

「特許や著作権がイノベーションに与える影響は、中立かマイナスという実証研究が多い。いま以上の権利強化は法務コストを増加させ、イノベーションを窒息させる[p.4]」、「『知的財産権』は累積的なイノベーションを阻害して新しい企業の参入を困難にする[p.183]」、「競争的な市場ほどイノベーションを刺激する[p.183]」

8、銀行の融資によってイノベーションは生まれない

「ハイリスクの事業を行なうには、株式などのエクイティによって資金調達する必要がある。銀行の融資や個人保証は危険である[p.4]」。「銀行による融資は、リスクの大きなベンチャーには向いていない。研究開発はすぐに成果が出ないので、キャッシュフローだけを見て融資すると、将来性のあるベンチャーが開発を終えないうちに会社を閉鎖する結果になる。このような場合には、目先の利益が出なくても長期的に投資できるエクイティ(株式や転換社債など自己資本になる資金)によるファイナンスが向いている。[p.140]」

9、政府がイノベーションを生み出すことはできないが、阻害する効果は大きい

「政府はターゲティング政策からは手を引き、インフラ輸出などの重商主義的な政策もやめるべきだ[p.4]」、「日本経済の長期的な成長力(潜在成長率)を引き上げるためには、企業の国際競争力や収益性を高める必要があるが、それを特定産業を保護するターゲティング政策によって実現することはできない。政府が補助金で『育成』しても、企業が自力で競争できる力をつけない限り、成長を長期的に維持することはできない。[p.199]」、「政府が大企業に補助金を出して技術開発を行なうメリットがあるのは、高度成長期の製造業のように市場や技術のフレームが長期にわたって安定していて設備投資にともなう規模だけが問題であるような場合に限られる[p.206]」、「情報産業では供給側の設備の規模よりも需要やイノベーションの不確実性が問題になる[p.206]」、「こういう場合には、あらかじめ特定の目標を設定して大規模な投資を行なうよりも、多くの『実験』に分散投資し、事後的に見直して失敗したプロジェクトから撤退するオプションを広げることが重要[p.206]」

10、過剰なコンセンサスを断ち切ることが重要だ

「イノベーションを高めるには、組織のガバナンスを改める必要がある。特に日本的コンセンサスを脱却し、突然変異を生み出すために、資本市場を利用して組織を再編することが役に立つ。[p.4]」、「大事なのは、大企業を呪縛しているコンセンサスを断ち切り、個が自立すること[p.215]」、「日本で企業やイノベーションが起こりにくい最大の原因は、資金ではない。ボトルネックは、資金ではなく人材である。[p.217]」、「変人が労働市場で生き延びる確率を高める必要がある[p.218]」、「どこの国でも、人々の中には安定を求める面と自由を求める面があり、特に若者の自由を求めるエネルギーを大事にする必要がある[p.221]」

以上、著者の主張を、引用を中心にまとめてみました。基本的な考え方は、イノベーションの方向性は衆議で決められるものではなく、予測しにくい不確実なものであり、特異的な人によって牽引されるものであって、技術の優秀さよりもビジネスモデルが重要、ということだと思います。もちろん、著者が考察している事例はその多くが、IT分野のものですので、あらゆる分野のイノベーションに適用できるものとは限らない点には注意が必要ですが、これからのイノベーションにおけるIT、ソフト技術、サービス業の重要性を考えると、著者の指摘を軽視するわけにはいかないでしょう。個人的には完全に同意できる意見ばかりではありませんでしたが(理解不足の点はさておいて、分野や状況が変われば評価が異なることはあって当然だと考えます)、興味深い指摘は多いと感じました。

おそらく、著者も確立された定説を講義しているつもりはなく、現状考えられうるなるべくベストな仮説に近づこうとしている面もあるのでしょう。そういう立場であっても、イノベーションの全体像につい取り上げ、現在におけるイノベーションの意味も含めて論じ、仮説を提示したことは十分に価値のあることだと思います。技術の世界でも、未知の領域に踏み込んでいく場合には、多少のリスクは覚悟の上で大胆な仮説を提示しなければならないこともありますので、著者の意見も仮説として一旦受け入れてみることは技術者としてそれほど違和感のあることではありません。何より、技術者の実感として、研究開発、イノベーションの進め方について、過去の方法が効果を挙げにくくなっていると感じることがあります。本書の内容を所与のものとして受け入れるのではなく、本書の内容から何を読み取るかを考え、今後にどう生かしていくかを考えることが、イノベーションとは何かを理解し、イノベーションを成功させるために必要なことなのではないかと感じました。



文献1:池田信夫、「イノベーションとは何か」、東洋経済新報社、2011.

文献2:池田信夫blog part2、「イノベーションとは何か」、2011.9.22

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51743471.html


参考リンク<2013.1.14追加>



 


 

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