研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

フィードバック

脳科学の使い方(ミチオ・カク著「フューチャー・オブ・マインド」より)

人がどのように状況をとらえて意思決定するのか、どのような場合に意欲をもって課題に取り組むことができるのか、といった問題はマネジメント上の重要課題でしょう。その課題に対しては、従来から様々な対応方法が提案されていますが、その多くは、ある状況やインプットのもとで、どういうアウトプットが得られやすいか、という視点からの検討に基づくもので、その作用メカニズムは必ずしもはっきりしているとは限らないように思います。

これに対して、近年の脳科学の進歩は、意思決定やアウトプットが得られる過程についての研究を可能にし、どういうメカニズムで脳が動き、どのようにアウトプットを出すのかが明らかになりつつあるように感じます。とはいっても、ある程度の基本的な知識がないと、断片的な情報に振り回されることにもなりかねない気がしますので、まずは、全体観を正しく理解することが必要でしょう。そこで今回は、最近の脳科学の進歩とそこから得られている知見について、ミチオ・カク著、「フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する」[文献1]に基づいて基本的なポイントをまとめてみたいと思います。なお、本書では、最新の脳科学のトピックスや未来技術についても多くのページを割いて解説されていますが、本稿ではその部分は大幅に割愛させていただいていますので、ご興味のある方はぜひ本書をご覧ください。

I部、心と意識
第1章、心を解き明かす

・「MRIは次のような仕組みで働く。患者を寝かせて、磁場を生み出す二個の巨大なコイルを収めた円筒のなかに入れる。スイッチを入れて磁場ができると、患者の体内の原子核が・・・磁場の方向に沿って並ぶのだ。それから電波の弱いパルスを発生させると、体内の原子核の一部がひっくり返る。その原子核がやがて元の状態に戻るときに、二次パルスが出るので、これをMRI装置で分析する。このわずかな『エコー』を分析することで、対象となる原子の位置と性質が明らかになる。[p.35]」
・「MRIは初めて登場した当時、脳とそのさまざまな部位について静的な構造を明らかにすることができた。ところが1990年代の半ば、『機能的』MRI(fMRI)という新しいタイプのMRIが発明された。これは脳内の血中酸素を検出できるものだった。・・・MRIではニューロン内部の電気の流れを直接検出できないが、ニューロンにエネルギーを供給するために酸素が必要なので、酸素に富んだ血液を目印としてニューロン内の電気エネルギーの流れが間接的にたどれ、脳のさまざまな部位同士がどのように相互作用しているのかがわかる。・・・MRIの大きな強みは、脳の細かい部分を零コンマ数ミリメートルのサイズまで突き止められる卓越した能力だ。・・・しかしMRIには欠点も2,3ある。・・・時間分解能はそれほど高くない。脳内の血液のルートをたどるのに、ほぼ1秒かかる。・・・だからMRIでは、思考パターンの込み入った細部を見逃してしまう可能性がある。[p.35-38]」
・「脳波計は、・・・脳から自然に出る微弱な電磁波のシグナルを分析する。・・・脳波計の主な欠点は、空間分解能が非常に低いこと[p.39-40]」
・「PET(ポジトロン放出断層撮影装置)・・・は、ブドウ糖――細胞の燃料となる糖分子――の存在を突き止めることで、脳内のエネルギーの流れを推定する。・・・PETスキャンを始める際には、・・・放射性を示す糖をわずかに含む特殊な溶液を被験者に注射」、放出される陽電子(ポジトロン)をセンサーで検出。「MRIほど画像の分解能が高くない。それでも、身体のエネルギー消費の間接的な指標でしかない血流を観測するのでなく、エネルギー消費そのものを観測するおかげで、もっと神経の活動と密接にかかわる結果が得られる。[p.40-41]」
・「脳磁計(MEG)・・・は、脳内で変化する電場が生み出す磁場を受動的に測定する。・・・時間分解能がきわめて高く、1000分の1秒にもなる。しかし空間分解能は1立方センチメートル程度だ。[p.41-42]」
・「経頭蓋磁気刺激装置(TMS)・・・は大きな磁気パルスを発生させ、それが脳内で電気パルスを生み出す。この電気パルスが十分に大きいと、今度は脳の特定領域の活動を止めたり鈍らせたりする。・・・TMSでは、人に危害を及ぼさず、自在に脳の一部の活動を止めたり鈍らせたりすることができる。・・・TMSの欠点となりそうなものは、磁場が脳内にあまり深くは届かないという事実だ。[p.41-43]」
・「私が(まだ不完全だが)使えると思った脳についての比喩は、大企業だ。・・・CEOは、前頭前皮質にあたる。CEOは、自分の注意を引くほど重要な情報しか知る必要がない。そうでないと、本質的でない情報の洪水で身動きがとれなくなってしまう。・・・感情(不安、怒り、恐怖など)は、進化によって生み出された、低次のレベルで即時に発される警戒信号として、危険や深刻になりかねない状況を指揮中枢に警告するものと言える。・・・脳には、判断を下すただひとつの・・・CPU・・・があるのではない。むしろ、指揮中枢にあるさまざまなサブ中枢が、CEOの注意を引こうと絶えず競い合っている。そのため、思考にスムーズで安定した連続性はなく、さまざまなフィードバックループの不協和音がしのぎを削っているのだ。あらゆる判断を連続的に下す一個のまとまった総体として存在する『私』という概念は、われわれ自身が意識下の心で生み出す錯覚なのである。・・・脳はおよそ20ワット・・・しかエネルギーを消費しないが、きっと・・・それより発熱すると、組織にダメージを与えてしまう。だから脳は、頻繁に近道を利用してエネルギーを節約している。[p.49-52]」

第2章、物理学者から見た「意識」
・「私は神経科学や生物学においてこれまでなされている意識の記述から断片を拾い、次のように意識を定義してみた。
意識とは、目標(配偶者や食物や住みかを見つけるなど)をなし遂げるために、種々の(温度、空間、時間、それに他者との関係にかんする)パラメータで多数のフィードバックループを用いて、世界のモデルを構築するプロセスのことである。
私はこれを『意識の時空理論』と呼んでいる。[p.63]」
・「ほかの動物と違ってわれわれは、・・・未来について、『もし~だったら?』と頻繁に自問する。・・・人間の意識は、世界のモデルを構築してから、過去を評価して未来をシミュレートすることによって、時間的なシミュレーションをおこなう、特殊な形の意識だ。そのためには、多くのフィードバックループについて折り合いをつけて評価し、目標をなし遂げるべく判断を下す必要がある。[p.67]」
・「脳はいったいどうやって未来をシミュレートするのだろうか? 重要なのは、出来事のあいだに因果関係を構築することによって、未来をシミュレートするということだ[p.70]」
・「ジョークを聞くとき、人はどうしても未来をシミュレートして自分で話を完成させることになる・・・。われわれは物理的・社会的な世界についてよくわかっているので、話のエンディングを予想することができるのだ。そのため、オチがまったく予想外の結末になると、大笑いする。[p.72]」
・「最近の脳スキャンでは、脳がどのように未来をシミュレートしているかについて、解決のヒントが少し与えられている。そうしたシミュレーションは、主に脳のCEOである背外側前頭前皮質で、過去の記憶を使ってなされている。未来のシミュレーションで望ましい満足な結果になれば、脳の快楽中枢(側坐核と視床下部にある)が光る。一方、問題のある結果になれば、眼窩前頭皮質が活動してわれわれに危険を知らせる。すると、脳のなかで、(望ましい結果にも望ましくない結果にもなりうる)未来にかかわる異なる部位のあいだで闘争が起きる。最後には背外側前頭前皮質がそれを調停して最終的な判断を下す[p.81]」。

II部、心が物を支配する
第3章、テレパシー

・脳内の活動パターンや信号から考えていることを推定できるようになるだろう。

第4章、念力
・読み取った意図を動力源につなげば物を動かせる。

第5章、記憶や思考のオーダーメード
・「感覚情報(視覚、触角、味覚など)はまず脳幹を通って視床に達する。視床は中継局の役目を果たし、そこからシグナルは各種感覚の脳葉へと導かれ、分析される。処理された情報は前頭前皮質へ届き、そこでわれわれの意識に入り、数秒から数分までの幅を持つ短期記憶なるものを形成する。この記憶をもっと長く保存するには、情報をさらに海馬に通す必要がある。そこで記憶をさまざまなカテゴリーに分解するのだ。・・・海馬は分解した記憶のかけらをさまざまな皮質へ再び導く。[p.147-148]」
・「ウェイクフォレスト大学と南カリフォルニア大学の研究チームは、2011年・・・マウスが形成した記憶を記録し、コンピュータにデジタル形式で保存することに成功した[p.150]」


第6章、天才の脳と知能強化
・「人生の成功ときわめて強い相関を持ち、何十年も持続する特質は、満足を先延ばしにする能力と言えるようなのだ。・・・脳スキャンからわかるのは、前頭葉と頭頂葉とのつながりが数学的・抽象的思考にとって重要であるように見える一方、前頭葉と辺縁系(感情の意識的なコントロールにかかわり、快楽中枢もある)とのつながりは人生の成功に欠かせないのではないかということだ。[p.191]」

III部、意識の変容

III部(第7章~第15章、補足)では、より広い範囲の「意識」の問題、例えば、夢、ドラッグの影響、精神疾患、心の操作、人口知能、ロボットの意識、脳のリバースエンジニアリング、オバマ大統領が公表したBRAIN(革新的神経テクノロジーの推進による脳研究)プロジェクト、EUのヒューマン・ブレイン・プロジェクト、幽体離脱、身体から離れた心(脳データ)の移動(宇宙への移動)、エイリアンの意識、脳と量子論、自由意志の問題などが議論されています。
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脳科学の進歩が人間の考え方や行動についての理解を深めることは間違いのないところだと思います。理解が深まれば、それを根拠に、よりよい活動を行うためのマネジメントが可能になるでしょうし、脳の活動自体をよい方向にもっていくことも可能になるでしょう。今後どんな知見が現れ、どんな活用法やマネジメント法が工夫されていくのかが楽しみです。少なくとも、今の方法が変わっていくことだけは確かなことだと思いますので、研究の成果に期待するとともに、従来の考え方を変える覚悟も持っておきたいものです。

著者は、人間の意識の特徴は未来をシミュレートする点にあると述べています。「意識」という概念の捉え方はこれ以外にもありうると思いますが、人類がここまで繁栄してきた理由が、未来をシミュレートする能力にあるという考えは納得しやすいものだと感じました。未来をより正確にシミュレートすることが進化の過程で有利に働くということでしょう。翻って企業活動について考えてみると、未来のシミュレーションの精度を上げるにはどうしたらよいでしょうか。脳のアナロジーから、情報収集強化、技術蓄積、因果関係をより正確につかむことが重要といえるのではないでしょうか。こうしたことが得意なのが研究開発部隊であるとすれば、研究部隊の存在意義はこういうところにあるとも言えるような気がしますが、いかがでしょうか。


文献1:Michio Kaku, 2014、ミチオ・カク著、斉藤隆央訳、「フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する」、NHK出版、2015.
原著表題:The Future of the Mind: The Scientific Quest to Understand, Enhance, and Empower the Mind



「イノベーションは日々の仕事のなかに」(ミラー、ウェデルスボルグ著)より

イノベーションを実行するのは誰なのか。アイデア出しからイノベーションの完成までトップが深く関与する場合ももちろんあるでしょうが、最先端の現場から出てくるアイデアを現場主導で育てていくイノベーションも重要であるという指摘は多いと思います。最先端の現場から次々と新しいアイデアが出てきて、それがイノベーションの形に実を結ぶ、そんな組織はどうやったら作れるのか、その組織を導くにはどうしたらよいのでしょうか。

パディ・ミラー、トーマス・ウェデル=ウェデルスボルグ著「イノベーションは日々の仕事のなかに」[文献1]では、そうした視点でのイノベーションの進め方が議論されています。著者らは、「本書は、最高経営責任者(CEO)や最高イノベーション責任者(CIO)、研究開発(R&D)部門や社内ベンチャーチームといったイノベーション専門部隊ではなく、組織の最前線で日々闘いつづけるリーダー、限られた時間と予算と既存の人材で業務を遂行するリーダーに向けて書かれている。リーダーの支援によって、財務やマーケティング、セールス、オペレーションに従事する一般社員が、日々の仕事のなかでイノベーションを起こせるようになること。これが本書のねらいだ。[p.9]」と述べていますが、その指摘はそうした組織だけでなく、研究開発を担当する者にとっても役に立つ点が多いと感じましたので、以下に本書の議論の中から重要だと感じたことをまとめておきたいと思います

序章、日々の仕事のなかでイノベーションを起こすには
・「リーダーの仕事は、イノベーションを起こすことではない。リーダーの仕事。それは、イノベーションの設計者(アーキテクト)となること。そして部下のために、日常業務の一環として革新的な行動を実践できる職場環境を整えることだ。本書はこの考え方に基づいている。[p.11]」
・「心理学者クルト・レヴィンは、行動科学の研究初期に社会科学で最も有名な方程式を発明した。人の行動=個人の特性×環境。・・・しかしリーダーシップに関する多くの文献では、この方程式において作用するのは『個人の特性』だけだとされている。・・・多くのチェンジメーカーは人々の『考え方』を変えることに重点を置きがちだ。・・・本書ではこのようなアプローチを『物の見方を変える手法』と呼んでいる。・・・だが・・・、物の見方を変えるだけでは行動は変わらない。革新的な行動が部下に欠けているようなら、リーダーは振り返ってみる必要がある。変えるべきは彼らの物の見方なのか、それともシステムなのか、と。[p.15-16
・「マネジャーは部下の優れたアイデアの実現を助ける際、彼らにさまざまな行動の変化を促す必要がある。しかしどの行動も等しく重要なわけではない。そこで私たちは、真に重要な行動を特定し、それらを『日常のイノベーションのための5つの行動+1』と名づけた。[p.22]」それは、1、ビジネスに直結するアイデアにフォーカス、2、独自のアイデアを探すために、外の世界とつながる、3、当初のアイデアを見直し、必要に応じてひねる、4、最も優れたアイデアを選ぶ、それ以外は捨てる、5、社内政治をかいくぐり、ひそかに進める、+1、あきらめない[p.23

第1章、フォーカス[真に重要なことに焦点を絞るには?]
・「私たちは、イノベーションは自由に何でもできる人の専売特許だと考えがちだ。しかし日常業務においてはそうとは限らない。むしろ組織内で何でも自由にできる人は、業務とは無関係なアイデアに手当たり次第に焦点を当て、結果的にいくつもの小さなサイドプロジェクトを抱えることになり、成果を出せずに終わるものだ。[p.22]」
・「米国の心理学者JP・ギルフォードが1950年の講演で非公式発表した創造性に関する研究以後、創造プロセスの研究成果は何度となく、『オリジナリティあふれる優れたアイデアは、完璧な自由を与えるよりも、ある種の制約を設けたほうが生まれやすい』ことを明らかにしてきた。[p.53]」
・「もしも上司から、具体的な説明もないままに『イノベーションを起こせ』と命じられたら? いつもの道筋を離れて未踏の領域へと足を踏み入れた途端、彼らは幾通りもの選択肢に直面することになる。・・・選択のプロセスには3つの落とし穴が待ち構えている。1つめは意思決定に関する著書のなかでバリー・シュワルツが『選択肢の矛盾』と名づけた、選択肢が多いために判断が鈍るという落とし穴だ。・・・2つめは、方向性の欠如のために人々がてんでばらばらのゴールを目指してしまい、成功を勝ち取れないという落とし穴。3つめの落とし穴は、上司の指示どおりに行動した部下が大胆なイノベーションを追求するも、それは会社にとって何の価値ももたらさない領域だった、という落とし穴だ。[p.57-58]」
・「自由は絶対悪なわけではない。完璧な自由を部下に与えることで、真に個性的なアイデアをまったく思いがけない角度から見つけるチャンスが増す場合もある。しかし自由を得た部下が会社に(適切なタイミングで)価値をもたらさないアイデアに無駄なエネルギーを注いでしまう可能性も劇的に増す(・・・大部分のアイデアはただのゴミだ)。われわれの経験から言って、これらのメリットとデメリットを相殺するのは難しい。イノベーションにおいては、たいてい短期間で成果を上げることが求められるからだ。従って完璧な自由を与えるのは、R&Dなどのハイリスク・ハイリターンなプロジェクトも可能な現場により適したアプローチだと言える。[p.61]」
・焦点を絞り込む3つのアプローチ:1、目標を明らかにする(何を達成しなければならないのか)、制約を明らかにする(「制約があれば、どうやってそこに向かえばいいのかがわかる」)、3、追求領域を見直す(どの領域に目を向けるべきか、「会社にとって新しい領域や未開拓の分野に目を向ける」)[p.61-71

第2章、外の世界とつながる[影響力のあるアイデアを生み出すには?]
・「2つめの重要行動は、未知の世界と『つながる』ことだ。・・・アイデアの多くは一から新たに発明されたものではなく、カリフォルニア大学のアンドリュー・ハーガドンが『再結合イノベーション』と呼ぶものの一例にすぎない。つまり、既存の知識を新たな方法で結合させたのがアイデアだ。イノベーションはパズルのようなもので、そのピースは世界中に散らばっている。これらのイノベーションの基本要素に部下が触れられるよう、リーダーは彼らが外部の情報源とつながるのをサポートしなければならないのである。企業にとっては既存の顧客もそうした知識の宝庫だが、情報源は顧客だけではない。他部門の同僚とつながることでも、業務とは無関係な分野の誰かとつながることでも、新しいアイデアを見つけることができる。[p.26-27]」
・顧客とのつながり:「顧客からオリジナリティあふれるアイデアが出てくることはまずない。・・・市場ですぐに注目されるアイデアを生み出す最善の方法は、満たされないニーズや問題を特定することなのである。・・・企業は顧客と直接、個人的かつ継続的なつながりを持つ必要がある。満たされないニーズは、メールなどの『消極的な』チャネルで問い合わせてもまず特定できない。・・・フォーカスグループよりも『観察』のほうが適していると言える。[p.83-90
・同僚とのつながり:「『インサイト創出の場』を構築したいリーダーにとって、社員同士をつなげるのは初めの一歩として最適だ。・・・スタッフ間のつながりを促したいなら、たとえばパーティションなど、職場の物理的な環境から見直すといいだろう[p.92]」。他にもチームや会議に部外者を招くなど。
・関連性のない新たな世界とのつながり:ソーシャルメディアなど

第3章、アイデアをひねる[アイデアに磨きをかけるには?]
・「生まれたてのアイデアは完全ではない。それどころか欠点だらけだ。従って優れたイノベーションほど、生まれたての状態から最終的に実践されるまでの間に微調整が繰り返されていることが多い。試行と分析を迅速に行って、『ひねり』を加えてあるのだ。[p.29]」
・問題を見直す:「優れたイノベーターは、解決策の発見者ではない。『問題の発見者』なのだ。彼らにとって、解決策は二次的なものにすぎない。答えは問題のなかに潜んでいて、問題を100%理解できれば、たいては答えも見えてくるのである。[p.106]」
・解決策を試す:「リーダーの役割は、アイデアがすっかり熟す前に試行し、共有するよう部下に促すこと[p.121]」。ラピッド・プロトタイピング、定期的なフィードバックが有効。「イノベーションを目指す時、人はしばしば自己満足の落とし穴に陥るものだ。この穴が深くなると、イノベーションは常に楽しく追求しなくてはいけない、辛い体験であってはならないと思い込んでしまう。そうしてゲーム感覚の楽しさばかりを追い求め、批判や意見の対立は創造性を損なうものとして退けるようになる。・・・批判的な意見など避けるに越したことはないと思うかもしれないが、それは間違いだ。過酷なイノベーション・プロセスは多くの見返りをもたらすが、ゲーム感覚でいれば見返りなど得られない。・・・批判はイノベーション・プロセスを頓挫させるものではなく、アイデアをひねるのを助けるツールの1つだ。[p.125]」「未完成のアイデアを常に共有し、気軽にフィードバックを行えるようなルーチンを構築する。・・・アイデアの発案者は、必ずしもフィードバックを取り入れる必要はない。参考にするだけでいいのである。[p.131]」

第4章、アイデアを選ぶ[本当に価値あるアイデアを選別するには?]
・「あらゆるアイデアは、それを生み出した当人にとっては至宝である。しかし現実には、大部分のアイデアは残念ながらただのゴミだ。だからこそ組織はアイデアをふるいに掛け、投資対象になるものと、ゴミ箱行きになるものを選別しなければならない。けれども実は、アイデアを選別するプロセスそのものにも落とし穴が待ち構えている。・・・組織が新しいアイデアを評価する時、単独の評価チームだけに判断を委ねると認知バイアスや構造的バイアスの影響を受けやすくなり、誤った判断を下しがちになるのである。だから組織は、アイデアの選別環境を最適化し、堅固なサポートシステムを構築して、『ゲートキーバー』たる評価チームがより良い判断を下せるよう支援しなければならない。[p.31-32]」
・「ゲートキーピング」というプロセスは、イノベーション・チーム内で行うアイデアの評価プロセスとは異なるので注意してほしい。[p.135]」
・破壊的なアイデアには別ルートを用意する、ゲートキーパーにアイデアを体験させる、「定期的にレビュープロセスを見直して、それが正しく機能しているかどうかを評価[p.155]」することなどが重要。[p.136-158

第5章、ひそかに進める(ステルスストーミング)[社内政治をかいくぐるには?]
・「組織で働く人にとって社内政治はつきものだ。・・・イノベーションの設計者には、イノベーションを追求しやすい社内政治環境を整え、部下のために道を切り開くことも求められる。[p.34-35]」
・「多くの人は、社内政治を嫌っているはずだ。創造的な人ならとりわけそうだろう。優れたアイデアであればそれにふさわしい価値を認めてもらえるはずだと安心しきって、組織内の政治を無視したり、拒絶したりするイノベーターも中にはいる。このやり方は望ましくない。イノベーションは、優れたアイデアであると同時に政治にも配慮してこそ成功できるからだ。・・・残念ながら、社内政治をかいくぐるためのさまざまな手法を一語で言い表せる言葉はない。さんざん考えた挙句、われわれは独自にこのような言葉を作ることにした――『ステルスストーミング』である。ブレーンストーミングにヒントを得た言葉だが、ブレーンストーミングよりもさりげなく、秘密裏にイノベーションを追求するアプローチである。[p.159-160]」
・ステルスストーミングの5つのアプローチ:1、影の実力者とつながる、2、アイデアの「ストーリーづくり」をサポートする、3、早い段階でアイデアの価値を証明させる、4、より多くのリソースを獲得できるようサポートする、5、パーソナルブランド管理(企業風土にあわせて創造性を売りにするかどうかなど)をサポートする。
・大多数の人と同じことをしようとする「社会的証明」の原理を使う、プロジェクトにひそかに着手し改良を進めることで注目を集めるタイミングを遅らせる、外部から資金調達するなどの方法も使える。[p.168-170

第6章、あきらめない[イノベーション追求のモチベーションを高めるには?]
・「イノベーションというパズルの最後の1ピースは、『モチベーション』である。部下のモチベーションを上げ、彼らの好奇心や社内の報賞制度を利用して、逆境に遭ってもあきらめずにイノベーションを追求することを促さなければならない。なぜなら、創造性は選択するものだからだ。イノベーションの設計者はイノベーション追求の手法を絶えず改良して、部下が5つの行動を『あきらめずに継続』できるよう努めなければならないのである。[p.38
・内因性モチベーションの活用:専門分野、関心領域でのイノベーションを促す。さらに、明確な目的や自主性の尊重、仲間の存在によって、あきらめない追求が可能になる。「自主性とは、革新的なアイデアを追求する際にいま以上の自由を部下に与え、彼らのモチベーションを高めることを意味する。ただし調査が示しているように、ゴールに関する自主性は必ずしも与える必要はない。他者によって定められたゴールであっても、それが合理的なゴールであれば、人はそれを達成するための努力をいとわない。大切なのは、ゴールを達成するための『方法』を部下に決めさせること。そして、彼らがアイデアを実現するまでのプロセスをこと細かに管理しないことである。[p.187]」
・外因性の報酬を軽んじない:「創造性やイノベーションの追求における外因性モチベーションの役割は激しい論争の的となっている。[p.193]」「こう結論づけることができないだろうか。イノベーターはプロセスの初期段階では外因性の報賞をほとんど重視しないかもしれないが、プロセスが進み、何かを実践したり、管理したりといった仕事が主体になってくるにつれ、報賞を重視するようになる。[p.195]」「外因性モチベーションには、大部分の人が賛同する1つの側面がある。初期のマネジメントの研究者であるフレデリック・ハーツバーグが提唱した、『動機づけの衛生要因』という側面だ。雇用の安定、給与、手当といった衛生要因は、それ自体が積極的に動機を与えることはないものの、一定のレベルを下回ると不満を引き起こしたり、同僚と比較した時の甚だしい不公平感をもたらしたりする。[p.197-198]」
・「マネジャーは、許容できる失敗と許容できない失敗を明確に定義し、両者の区別の仕方を部下に明示しなければならない[p.199]」。「失敗に対する処罰がさほど厳しいものでさえなければ、イノベーションを起こそうとする部下に多少のリスクを負わせるのは妥当だと言える。従って部下にイノベーション追求の選択肢を与える時には、それがいつものやり方に比べてハイリスクで、ハイリターンなキャリアパスであることを明示するのが望ましい。リスクとリターンのバランスが適切なら、少なくとも一部の部下はイノベーションの追求を選択してくれるはずだ。[p.200]」

日常のイノベーションを追求するべき4つの個人的な理由
・「イノベーションは組織の成長の主要因である」というのは組織にとっての教訓。「真の質問は『なぜ組織にとってイノベーションは重要なのか』ではなく、『なぜ彼ら(部下)にとってイノベーションは重要なのか』[p.222]」ということ。
・「日常のイノベーションを追求するべき個人的な理由は、少なくとも4つある。[p.222-225
1、イノベーションは、目標を達成し、さらには超えるのを助ける。
2、イノベーションは、仕事に対する満足度を高める。
3、イノベーションを主導する能力は、人事考課において重要性を増しつつある。
4、イノベーションは、世界をより良い場所にする。
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本書に述べられたれに5つの行動+1は、「未来のイノベーターが最も道を誤りやすいのはどこか?[p.42]」に基づいて選び出された、とのことです。本書の議論の対象は、イノベーション専門部隊ではない組織で日常的に行なわれるイノベーションとされていますが、私はこの議論は、研究部隊におけるイノベーションでも有効なように感じました。研究部隊でも第一線と同じような業務を行う場合はありますし、なにより、どちらのイノベーションでも同じようなところで失敗する可能性がありますので、本書の指摘はイノベーション全般について興味深い示唆を与えてくれると思います。実務的にも、現実に則した指摘が多く(社内政治の克服などは他ではあまり議論されていないと思います)、とかく技術にばかり目が向きがちな研究者にとっても有益だと感じました。

加えて印象的なのが、個人にとってのイノベーションに取り組むことの意義を述べている点です。私は、ハイリスクなイノベーションに取り組む(取り組ませる)ためには、個人としての意義を重視する必要があるのではないか、と感じるところがあったのですが、その点からも本書の視点は大変興味深く感じました。どんな業務でも日常的にイノベーションが生み出せるようなマネジメントができたら理想だな、と思います。


文献1:Paddy Miller, Thomas Wedell-Wedellsborg, 2013、パディ・ミラー、トーマス・ウェデル=ウェデルスボルグ著、平林祥訳、「イノベーションは日々の仕事のなかに 価値ある変化のしかけ方」、英治出版、2014.
原著表題:Innovation as Usual: How to Help Your People Bring Great Ideas to Life

参考リンク



データが語るよいマネジャーとは(ガービン著「グーグルは組織をデータで変える」DHBR2014年5月号より)

よいマネジャーとはどのようなマネジャーなのでしょうか。技術組織とそれ以外の組織でマネジャーの役割は異なるのでしょうか。もちろん、技術者でもそうでなくても人間をマネジメントする上での基本は同じだと思いますが、技術者の中には、そもそも管理されることを嫌い、マネジメントの必要性をあまり感じていない人もいるように思います。

今回は、ガービン著「グーグルは組織をデータで変える」という論文[文献1]に基づいて、この問題に関するグーグルのアプローチと、その示唆について考えてみたいと思います。グーグルといえば、技術重視の考え方で有名で、「エンジニアのために、エンジニアによって設立された企業」と言われ、「同社は、一般社員が決断を下し、イノベーションを起こす可能性を残している。こうした自由とともに、役職や社内的権限よりも、技術的な専門性や巧みな問題解決、優れたアイデアを尊重する風潮がある」とされています。そこでは、「全社中がマネジャーの価値に疑問を抱いていた」ということですが、組織が大きくなるに従い、「マネジャーの貢献は大きい」と認識するようになります。本論文では、その結果直面した難問、すなわち、マネジメントの意義に「疑問を感じている人を信奉者に変え、他の社員のマネジメントに時間を費やすよう説得するにはどうすればよいのか」という課題にどう対応したかがまとめられています。

特徴的なのは、「総体的に序列に対する関心が薄いため、同社で変革を起こそうと思えば、説得力のある論理と豊富な裏付けデータを提示しなければならない。社員がトップダウンの指令を鵜呑みにすることなど、めったにないのである」という認識に基づいて、データに基づいて、マネジャーの価値を実証し、具体的にマネジャーとしての優れた行動を特定し、それを文書で説明し、組織に定着させたことでしょう。原著のタイトルは「How Google Sold Its Engineers on Management」(訳すなら、どうやってグーグルはエンジニアにマネジメントの役割を納得させたか、でしょうか)です。以下、具体的な内容をまとめます。

マネジャーの資質は何に影響するか
・高評価を得たマネジャーは他のマネジャーより部下の離職率が低かった。
・社員の定着率はその社員の職位や成果、在職年数、昇進の有無よりも、マネジャーの資質により強く相関していた。
・マネジャーの資質と社員の幸福度の間に強い相関関係がある。
・評価の高い上司の下で働く社員は一貫して、イノベーションやワークライフ・バランス、キャリア開発など複数の分野でより高い満足度を示していた。

・「この研究を踏まえて、・・・間違いなくマネジャーは重要であるとの結論を下した。」

評価の高いマネジャーに共通する8つの行動
・グーグルにおける社内調査(社員アンケート、マネジャーの質についてのコメント、業績評価など)から導かれた、評価の高いマネジャーに共通する8つの行動は以下のとおり。
1、優れたコーチである
2、チームを力づけ、こと細かく管理しない
3、チーム・メンバーの仕事上の成功と私的な幸福に関心を示し、心を配る
4、建設的で、結果を重視する
5、コミュニケーション能力が高く、人から情報を得るし、また情報を人に伝える
6、キャリア開発を支援する
7、チームのために明確なビジョンと戦略を持つ
8、チームに的確な助言をするために、主要な専門的スキルを持ち合わせている

組織への定着
・8つの行動に結び付いた項目について、上司であるマネジャーを(5段階評価で)社員に評価してもらう調査を行った。
・調査は機密厳守を強く訴え、あくまで本人の能力向上のためにしか利用しないこと、業績評価指標ではないことを強調した。
・調査結果は、報告書の形でマネジャーに届けられる。報告書では、改善に向けて各マネジャーが取り得る行動を提案、研修プログラムも準備した。
・人事部門の姿勢:「私たちは、グーグルで働く人たちの性質を変えようとしているわけではありません。そんなことは不遜であり危険です。そうではなく、『より優れたマネジャーと思われるための、ちょっとしたヒントをいくつか差し上げましょう』と言っているのです。」
・「社員がグーグルでの日々をどうとらえるかに与えた影響は大きかった。とりわけ大きく変わったのは、共同作業への貢献や業績評価の透明性をどう評価するか、そして所属部署のイノベーションとリスク・テイクへの取り組み方に対する評価である。」
・「グーグルのように、ほぼ全員が『Aクラス』の人材で構成される企業の場合、マネジャーは一筋縄ではいかない難しい役割を要求される。日常業務の監督のみならず、部下の個人的ニーズ、成長、キャリア・プランを支援しなければならない。換言すれば、的を射た確実なフィードバックを提供し、より高いレベルの実績へと部下を導かなければならない。しかも、優秀な知識労働者は自主性を最も重要視するため、口をはさむ時は思慮深く、かつさりげなく行う必要がある。」

限界と課題
・評価疲れ:社員の自由意志に基づく調査であるため、回答率が悪くなるかもしれない。
・8つの行動に秀でるマネジャーが効果を上げ続けられるか。
・上級幹部になってからも「8つの行動」が役立つか。リーダーシップ・スキルの方がより重要かもしれない。
・「調査スコアは職場環境に対する社員の満足度と意見を測定するものだが、そうしたとらえどころのない要素が売上げや生産性、利益率といった利益指標にどのような影響を与えているかを正確に知ることはできない(このような因果関係を証明することは、グーグルの有能な統計専門家ですら難しい)。」
・「たとえ『8つの行動』が組織の利益に貢献していたとしても、それがグーグルにもたらす競争優位は長続きしないおそれがある。・・・たとえば同様のデータ主導型ハイテク企業などは、このやり方を真似できるのである。」
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本論文で述べられた「8つの行動」の内容自体はそれほど意外なものではありません。しかし、先にも述べたとおり、それがデータに基づいているということの意義は大きいと思います。特に以下の2点が重要でしょう。
1)マネジャーに求められる数多くの行動指針の中から、データに基づいて、実際に部下の技術者が望んでいる内容が抽出されていること:すなわち、単なる経験に基づいた指針ではなく、また、マネジメントの権威や成功者が自らの思想に基づいて提案していることでもなく、さらに、トップマネジメント層がミドルマネジャーを評価する項目でもなく、マネジメントされる立場の社員の考えが抽出されたている点です。もちろん、グーグルで得られたデータが他社にも当てはまるかどうかはわかりませんし、著者も述べているとおり、このマネジメントが組織の利益に貢献するかどうかについては議論の余地があります(一般に、マネジメントが悪くても、それをある程度カバーするメカニズムが組織に備わっていることが多いので、そもそもマネジメントと業績の相関を調べること自体が難しい課題ですが)。しかし、仮に8つの行動をとれないマネジャーがいるとしたら、そのマネジャーは技術者にとっての衛生要因を阻害して、仕事に対する社員の意欲を失わせる原因になるだろうことは予想できます。この8つの行動は、優秀なマネジャーになるための十分条件ではないかもしれませんが、社員(特に根拠がないと何事も納得しない技術者)にマネジメントの重要性を納得させることの意義は大きいのではないでしょうか。社員が望んでもおらず、効果もはっきりしないマネジメントを社員におしつけてしまう愚を避けるために、マネジメントされる立場の社員が本当は何を望んでいるのかを知っておくことは意味のないことではないでしょう(もちろん、現場が望むことをただ鵜呑みにすることがよいとは限らないことは言うまでもありません)。理屈だけに頼って顧客がほしがらない製品を作ってしまうことの問題点はよく指摘されますが、マネジメントにおいても同じことが言えるのかもしれません。
2)マネジャーに対して、理想的な行動がどの程度できているかを指標化してフィードバックするシステムが作られていること:人間、何が重要かを理解し、やっているつもりになっていても、それが実際にうまくできているとは限りません。データによる定量的評価は、理想と現実の差を認識し、改善に繋げるうえで非常に役立つものです(もちろん、データが現実や理想を正しく表現できているか、一面的なものになっていないか、などの点には注意が必要ですが)。マネジメントのようにデータ化しにくいものを定量的に扱うことは容易なことではありませんが、データを安易な業績評価に用いないということも含めて、本論文のアプローチはひとつの試みとして示唆に富んでいると思います。

今後、マネジメントの分野でこうしたアプローチがどの程度普及するかはわかりませんが、著者が論文の最後で述べている、「きちんとしたデータ収集と徹底した分析という科学的ツールを駆使することで、マネジメントという言わば一種の伝統工芸に、深い知見を見いだすのだ。」という考え方には、一考の価値があると考えます。



文献1:David A. Garvin、デイビッド・A・ガービン著、高橋由香理訳、「グーグルは組織をデータで変える コミュニケーション軽視の風土を改善する」、Diamond Harvard Business Review, May 2014, p.45.
原著表題:”How Google Sold Its Engineers on Management”, Harvard Business Review, Dec. 2013.


幸福感と成果

「幸福優位(happiness advantage)」という概念があるそうです[文献1]。これは、「ポジティブ思考を養ってきた人は、困難に直面した時こそ、通常以上の結果を出す」のであって、「成功すると幸福になれる」ということではない、ということを意味し、その結果、「幸福感が高まると成功確率が高まる」のだといいます。そうだとすると、研究の成功確率を上げるためには幸福感を高めることが有効かもしれません。そこで、今回は幸福感の役割について考えてみたいと思います。

一般にポジティブな感情がよい結果を生むことは、ポジティブ心理学でも指摘されています(拙稿「ポジティブ心理学の可能性」)。さらに、幸福感と成果に正の相関があるとするデータも多いようで、幸福感が高いと欠勤や離職率が低くなることも認められているようです[文献1、2]。そうであれば、幸福感はマネジメントのツールとして使えるはず、と期待したいところですが、一方では、成功のためには精神的負荷やハングリー精神が重要だという考え方もあり、幸福感と成果の間に因果関係があるのか、本当に幸福感がよい成果を生む原因になっているのかについては多少慎重に考えるべきだと思われます。加えて、実際にこのアイデアを使ってみようとしても、「幸福感」という言葉だけでは曖昧すぎてどうやって効果を引き出したらよいのかも明らかではありません。つまり、現状では、幸福感はその効果への期待とは裏腹に、効果が確立された実用的概念とは言いにくく、使うためには工夫が必要と言わざるを得ないと思います。以下、私見も含めた内容になってしまいますが、幸福感を利用しようとする際の気になる点についてまとめてみたいと思います。

成果をもたらす幸福感

具体的にどのような幸福感が成果をもたらすのでしょうか。まずは、ポジティブ思考[文献1]が挙げられるでしょう。加えて、ソーシャル・サポート(身近な人間関係における相互支援)、特に、サポートを提供することが重要といいます[文献1]。また、生き生きとして熱意をみなぎらせ(活力)、知識や技能の習得を進めている(学習)ことが成功を支えている、という指摘もあります[文献2]。一方、「人間の心は一日のほぼ半分はさまよっており、これが気分を落ち込ませる要因になっている」「心が定まらない時には、集中している時よりも、はるかに幸福度は低くなる」「業務中に心がさまよえば、幸福度が低くなるだけでなく、生産性も低下する」という研究結果も発表されています[文献3]。もちろん上記の例だけで幸福感を十分に表わせるとは言えませんが、成果に寄与する幸福感の一面をとらえているとは言えると思います。

仕事への熱意を引き出す環境

スプレイツァーらは、上記の「活力」と「学習」のポイントに関連して、仕事への熱意を引き出す環境づくりの方法として、以下の4つが有効であると述べています。[文献2]

1、判断の裁量を与える:これにより「『仕事を任されている』と感じ、業務のやり方について積極的に発言するようになり、学習の機会も増える。」

2、情報を共有する:「情報を広く共有する仕組みの下では信頼感が醸成され、社員たちは優れた判断を下したり、自信を持って主体性を発揮したりするための必須知識を手にできる。」

3、ぞんざいな扱いを極力なくす:「職場でぞんざいな扱いを受けた人の半数は仕事に傾ける努力を意識的にセープしたとの研究結果がある。」「働き手をぞんざいに扱うと、順調な仕事ぶりを妨げることになる。そのような扱いを受けた人は、往々にして自分が受けたのと同じような仕打ちを他人にするようになる。同僚の足を引っ張るのだ。」

4、成果についてフィードバックを行う:「フィードバックは学習の機会をもたらし、働き手の熱意を引き出す。」「フィードバックを受けるとモヤモヤが消えるため、社員たちは自分と組織の目標に向けて脇目も振らず邁進する。」

なお、これらは「4つすべてがそろってこそ、全体として相乗効果を発揮する。」とのことです。

上記の4つの要因は、特に目新しいものではなく当たり前のことのように思えます。それぞれ、その要因が満たされていない場合にどうなるかを考えてみれば、その有効性は納得できるでしょう。重要なことは、それぞれが有効に作用する理由を幸福感という概念で統一的に理解できるかもしれない、さらに上記の方法が心のさまよいを減らし、幸福感を醸成しているとして理解できるかもしれない、ということのように思います。ソーシャル・サポートを与えることも、自分が他者のためになっていると自覚することで、自分の行為や考え方に対する迷いを断ち切る効果があるでしょう。また、「適度に挑戦しがいがある時、すなわち困難ではあるが、手が届かなくもない目標を達成しようとしている時に、人は最も幸福であることかわかっている」[文献3]ということも、挑戦に意義(挑戦しがい)を見出し、挑戦する手段の見通し(手が届かなくもない)が得られていることが迷いを低減しているとも考えられます。さらに、ストレスには成長を後押しするというプラスの面もあるという指摘[文献1]も、ストレスに立ち向かわなければならないと覚悟することで迷いを断ち切る効果があるのかもしれません。また、幸福感を得るトレーニングや、ストレスを減らす方法として、具体的な状況を書き出すことが勧められるのも同じ効果に基づくものかもしれません。つまり、成果達成に役立つ幸福感というのは、「迷いのない心の状態」なのではないか、とも思えます。

研究開発と幸福感

研究開発は不確実性が大きいため、本来的に成果達成への不安が大きいものです。従って、その不安に輪をかけて幸福感を損なうようなことは、業務への集中を妨げ、アウトプットの質や量、スピードの低下につながると考えられます。上記の4つの方法はそのような幸福感が損なわれる状況を防ぐ意味で研究開発の場面でも重要と言ってよいでしょうが、このようなポイントは、自律性、冗長性、情報共有、コミュニケーション重視など、従来から言われている考え方と大きな違いはないと思われます。一方、ソーシャル・サポートを与えることによる幸福感の獲得という観点は、従来あまり強調されていないのではないでしょうか。研究開発課題自体の社内的、社会的意義を認識し、他者や社会に貢献しているという自覚を持つことや、自らが保有する能力を用いて、他部署の業務に貢献することが幸福感をもたらし、それが成果につながるなら、他者との協働をもっと積極的に促すべきなのかもしれません。加えて、研究活動には、本来的に未知への挑戦、自らの好奇心を満たす、という本来的に「楽しい」側面があります。幸福感を損なうようなことをしないだけでなく、そうした楽しさを強調すること、困難な課題の中にもそうした楽しみを見出すように心掛けること(不確実性を楽しめる人材を育成、活用することも含めて)も重要だと思います。なお、「ポジティブな経験の頻度は、ポジティブな経験の強さよりも、幸福度の予測材料としてはるかに優れている」そうです[文献3]。つまり少数の大成功よりも、数多くの(小さな)成功の方が重要なのかもしれません。研究開発は課題によっては、一発の大きな成果を狙うものもあるでしょうが、そういう場合でも、そうした成果への期待だけで幸福感を維持しようとするのではなく、その過程で多くの小さな幸福感を得られるようにすることが重要なのではないでしょうか。研究は、それが成功して幸福が得られる場合ばかりではありませんので、研究活動の過程から得られる幸福感をもっと重視しなければならない、ということだと思います。仕事に幸福感を与えるというと、ともすると甘やかしていると思われがちですが、マネジメントさえうまく行なえば、結局はそれが研究成果につながることになるのかもしれません。


幸福感が成果に与える影響については、まだ研究途上でしょう。今回も最近のDiamond Harvard Business Reviewにたまたま掲載された3編の論文を題材にしたものにすぎませんので、考察の偏りや不足の点はあると思います。本稿では、幸福感が成果にプラスの作用を及ぼすという考え方が正しいという前提で、その応用を中心に考えてみましたが、幸福感の作用とそのマネジメントについては今後も注目していく価値がありそうです。


文献1:Shawn Achor、ショーン・エイカー著、二ノ方俊治訳、「PQ ポジティブ思考の知能指数 幸せな気持ちになると、何事もうまくいく」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 5月号、p.58.

原題”Positive Intelligence”, Harvard Business Review, Jan.-Feb., 2012.

文献2:Gretchen Spreitzer, Christine Porath、グレッチェン・スプレイツァー、クリティーン・ポラス著、有賀裕子訳、「社員のパフォーマンスを高める 幸福のマネジメント」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 5月号、p.46.

原題”Creating Sustainable Performance”, Harvard Business Review, Jan.-Feb., 2012.

文献3:Daniel Gilbert、ダニエル・ギルバード、聞き手:ガーディナー・モース、スコフィールド素子訳、「些細な出来事の積み重ねが幸福感を左右する 幸福の心理学」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 5月号、p.34.

原題”The science behind the smile”, Harvard Business Review, Jan.-Feb., 2012.

参考リンク


 

 

試行錯誤のプロ

研究開発は未知のことへの挑戦です。従って、思ったとおりにことが運ぶとは限りません。そんな時、試行錯誤が必要になることがあります。

試行錯誤とは、一般には、試みてみて、その結果に応じて対応を変化させ、最終的に目的達成を目指すプロセスであると理解されていると思います。研究の世界では、試行錯誤というと、行き当たりばったりとか、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、というようなあまり好意的でない印象を持たれることもありますが、実用的には成果を挙げる場合が多いことも事実でしょう。特に、最近ではロールプレイングゲームなどで試行錯誤に慣れ親しんだ世代が増えてきていることもあってか、手法として抵抗感が少なくなってきているようにも感じます。もちろん、正解があるかどうかもわからない研究の問題解決に試行錯誤を使うことと、ゲームのように設計者が決めた正解を試行錯誤を通じて見出していくこととは意味が異なりますが、今回は研究開発における試行錯誤について考えてみたいと思います。

試行錯誤の意義

試行錯誤というと、間違ってもいいからとにかく試行してみて対応する、という印象を持たれることが多いように思います。しかし、試行そのものは研究の本質です(試行しなくてもうまくいくとわかっていることは研究の対象にはなりません)。そして、その結果、うまくいくこともあればいかないこともある、というのも研究の本質でしょう。とすると、

1、試行を計画する

2、試行する

3、結果を得てフィードバックする

というステップは、最初に「間違ってもいいから、」と思っていてもいなくても同じことになるのではないでしょうか。事前に入念な計画をたてて試行しても失敗することもあるわけで、どう試行するかは、与えられた課題と試行の容易さ、効果に応じて決められるべきものでしょう。とすると、試行の計画自体が合理的であれば、周到な計画だろうと試行錯誤アプローチだろうと上記1~3の実態に違いはなく、試行錯誤(試行とフィードバックを組み合わせるアプローチ)こそが研究活動の実態であると言ってもよいように思います。以下、試行(錯誤)に関わる各段階について考えてみたいと思います。

1、試行計画段階:試行による問題解決に適した課題と条件の決定、注意

研究の本質に試行が深く関わっているとしても、試行主体の問題解決に適した課題とそうでない課題があるでしょう。基本的には、理論や経験による予測がしにくい課題は、試行で解決することが合理的ということになるでしょうが、無限に広い範囲の条件で試行を行なうことは困難ですから、試行の計画の段階で、なるべく条件を絞り込むことが必要になります。具体的には、ある条件を一定にコントロールしたり、ある条件は無視したり、あるいは現実の状態をモデル化して重要と思われる項目についてだけ試行することなどが必要で、こうしたことができる場合に試行が有効と言えると思います。もちろん、事前の予測が困難な場合には、計画自体も試行の結果を見ながら決定することも有効でしょう。ただし、特に人の意思が関わる問題については、試行することが状況に変化をもたらし、目標自体やあるべき解決策が変わってしまうこともあり得ますので、注意が必要です。

2、試行の段階

試行段階では、求める結果が確実に得られるような実験を設計する必要があります。試行によって得られるデータ自体がお粗末では、そこから導かれる結果も使えないものになってしまいますので、どんな方法でどんなデータをとるか、実験のテクニックも重要です。実験室での実験、現場試験、シミュレーション、データ採取方法などを、得られるデータの信頼性も考慮して決める必要があり、研究部隊の実力が試されることになると思われます。

3、結果とフィードバック

まず、試行した結果から何を学びとるか、ということが重要です。具体的には以下の点に注意する必要があるでしょう。

・試行の結果を正しく評価する:得られた結果には間違いがないのか、いつもそうなるのかも含めて、期待どおりの(あるいは予想外の)結果が得られたかどうかをまず判断する必要があります。場合によっては、統計的、確率論的な議論が必要になるでしょう。

・試行したことと結果の因果関係を検討する:確率的な事象、複雑系の関与する事象の場合、試行結果が何回か同じになっても、その次もまた同じ結果になる保証はありません。因果関係を検討し、そのメカニズム、すなわち、なぜそうなるのかが推定できれば、試行したことが結果を生んだことについてのサポートになります。

・結果を参考に次の試行条件を決める。仮説を修正する、新たな仮説を提案する。

・目的外の結果も重視する:試行錯誤は目的とする課題の解決のために行なうものであったとしても、試行の結果、それ以外の答えや、発展のヒントが得られることがあります。思ってもみなかった発見(真のセレンディピティ)が得られる場合もありますし、試行の結果から導かれる仮説を利用すると、当初考えていなかったアイデアに気付く場合があります。これらも試行から学べることといってよいでしょう。

試行錯誤を行ないやすい研究環境

このように、試行錯誤、試行することは研究開発において重要な役割を担いますが、試行錯誤を行ないやすい研究環境というものもあるでしょう。試行錯誤を促進するためには、次のポイントが重要と考えます。

・試行を問題解決のアプローチのひとつとして評価し、価値を認めること:理論的検討も重要ですが、試行の価値を認め、選択肢として考慮し、試行が効率的な場合には、積極的に試行することを促す。

・失敗を容認すること:試行に伴う失敗は責めない。

・試行しやすい環境をつくる:試行のための精神的障害を小さくする。

・試行のアイデアをいくつか用意する:ひとつ失敗しても次の手がある状態にする。

・過去の成功体験に縛られないようにする:試行の方法は、過去に成功した方法ばかりではない。

また、試行の結果から多くを学ぶためには次の点が重要でしょう。

・結果を記録し、将来の試行に生かす:目的とする結果の実現だけを目指す場合、うまくいかない結果は捨てられてしまいやすいものです。再度の失敗を避けるためにも、また、新たなアイデアを得るためにも記録は有意義です。

・計画の管理に余裕をもたせる(計画変更や逸脱を許容する):余裕がないと、目的外の結果が捨てられてしまいがちです。

試行に基づくアプローチは、コスト負担が大きくなる場合もあり、必ずしも容易な方法ではありません。しかし、試行を行ない、そこから有意義な結論やアイデアを引き出すことには研究部隊の力が反映されます。具体的には、試行をうまく計画して効果的に行ない、目的達成の役に立つデータをうまくとり、その結果を正しく評価しうまく活用することが求められる時、それが試行錯誤のプロとしての研究部隊の出番なのではないでしょうか。


 

複雑系の可能性(ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」より)

世の中で起こる複雑な現象をうまく取り扱うためには、まずは現象の複雑性を受け入れ、複雑性を前提とした判断を行なうことが重要だと思われます(拙稿「複雑系経営(?)の効果」)。しかし、複雑な現象の原因やその挙動が十分に理解できれば、複雑性を積極的に利用することも可能かもしれません。本稿では、ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」[文献1]に基づいて、複雑系の特徴、本質、予測と制御などの問題について考えてみたいと思います。

本書は複雑性に関する一般向けの解説書ですが、著者は複雑系に関する現役の研究者であり、書かれている内容には現在進行形の研究成果も含まれています。そのため、結論がはっきりしないように感じられるところもありますが、反面、今後の発展への期待が強調されているところが特徴ともいえるでしょう。まずは、本書の要点を簡単にまとめてみたいと思います。

複雑性とは何か、複雑性の条件

著者によれば、「残念ながら複雑性は簡単に定義できるようなものではない」、「科学者たちのあいだですら、複雑性をどう定義するかに特段の決まりがあるわけではない」とのことです[文献1、p.18]。その代わり、複雑性の研究者たちの多くが認める以下の8つの条件を挙げ、複雑系と見なせるためにはこのすべて、ないしは大半を満たしていなければならないと述べています[文献1、p.33]。

1、その系に、相互作用をしている多数の要素が含まれている。

2、系の構成要素が記憶、すなわち「フィードバック」の影響を受けている。

3、系を構成する要素が過去の結果にもとづいて戦略を変更できる。

4、一般には、その系が周囲の影響を受ける「開いた」系である。

5、「生きている」ように見える系である(著しい進化、複雑な進化をすることも多い)。

6、創発現象が見られる。その創発現象は概して予想外のもので、極端なものになる場合がある。

7、創発現象が、全体を制御する中心的な存在なして生じる。系それ自体で複雑な進化をする。

8、秩序ある挙動と無秩序は挙動の複雑な組み合わせを示す。

つまり、複雑系とはわけのわからない系ではないということでしょう。偶然が支配するランダムな系とも異なり、予想外ではあるが何らかの秩序が制御なしに創発されることがある系(上記5~7)であって、そうした現象を生む前提にはある特徴(上記1~4)がある、というわけです。しかし、結果の予測は困難である場合が多く、少なくとも、ものごとを細かく分解して理解するような還元主義的アプローチが役に立たない、という面もあります。著者も、「複雑系科学の焦点は、何かをばらばらにしてその構成要素を明らかにすることではなく、比較的単純な要素の集団からどのような新奇な現象が生じるかにあてられている」「要素の集団の挙動を理解するのには、構成要素についての完璧な知識は必要ない」[文献1、p.39]と述べており、従来の科学や、合理的な考え方とのアプローチの違いは重要なポイントであると思います。

複雑な現象から生まれる秩序と、そのような秩序を生む条件の例

本書では、複雑でありながら秩序が生まれる以下の例が解説されています。

・秩序ポケット[文献1、第2章]:複雑系がなんの制約も受けずに、秩序ある状態(秩序ポケット)と無秩序な状態の間を行き来できる(例えば、交通渋滞、株の暴落など)。これにはフィードバックが影響する。また、外的条件のせいで構成要素の配置に偏りが生じる(フラストレーション)こともある。

・カオスとフラクタル[文献1、第3章]:一定の規則のもとに整理、理解できる複雑な現象が存在する(カオスやフラクタル)。(注:というのは、私なりの著者の意図の理解です。複雑性を予測、制御する可能性という視点から、カオスやフラクタルを定性的に解説している、という印象を受けました。)

・群衆の行動を予測する[文献1、第4章]:意思決定を行なう要素からなる集団が何らかの限られた資源をめぐって競争を繰り広げるとき、人間の集団はランダムな行動から離れて両極端の判断をする2つの集団に分かれる。また、多数の構成要素間の競争がある場合には、複雑系の挙動が予測可能になる場合(予測可能ポケット)があり、調整タイミングさえ考慮すれば、構成要素の一部を調整するだけで全体の制御が可能になるという。

・ネットワーク[文献1、第5章]:構成要素間の局所的な相互作用を考慮することで、ネットワークの影響を考慮できる。ネットワークは他の場所からもたらされる情報によるフィードバックのひとつともなり、系全体の挙動に影響する。

複雑性が関係する様々な問題についての予測の例

本書の第6章以降で挙げられている複雑系の例のうち、以下のものが興味深いと思いました。

・異なる株式市場でも値動きのランダムさの度合いは同程度。

・市場の暴落の際には無秩序状態から秩序が出現する傾向が見られる

・交通渋滞緩和のための道路ネットワークの考え方(組織内情報ネットワークにも応用できる)

・理想のパートナー選び、どんな要因が影響するか

・戦争やテロの類似性(犠牲者数と戦争頻度に相関がある)

・感染症の伝搬ネットワーク

以上、著者が主張したいことは、複雑系だからといって予測はお手上げというわけではなく、複雑系の特徴として無秩序状態から現れてくる秩序にはパターンがあり、少なくともその一部は予測、制御可能な場合があるということだと思われます。もちろん、複雑系を形成するための要因や、秩序ポケットの発生メカニズム、秩序のパターン、予測および制御の方法などは現在も研究中のようですので、ただちに実用の役に立つようなものではないかもしれません。しかし、まずは、自らの扱っている系が、複雑系の特徴を満たしているなら(最初に挙げた8つの条件の1~4、さらに、限られた資源をめぐる競争がある場合)、予測や制御の方法を考えてみる価値がある、ということではないでしょうか。

複雑性というと、とかくよくわからないものと考えてしまいがちで、マネジメントの場合には「不確実性」と関連づけられることが多いように思います。しかし、そういう理解は不正確なのかもしれません。複雑性においては「相互作用している多数の要素」と「フィードバック」が重要な役割を担うとされていますが、マネジメントにおける不確実性の根源はこうした要因とは関係の薄いものも存在します(例えば、単純な科学的知識の不足など)。本書の議論でも、不確実なできごとをすべて複雑系の考え方で予測できる、とは言っていないわけで、複雑系への理解が深まるに従い、不確実と複雑の区別をきちんとすることが求められるようになるような気がします。

一方、研究開発を行なう観点からは、次の点を検討する価値があると感じました。

・複雑性を示す要因を解析し、無秩序状態をうまく扱えるようにするか、あるいは秩序ポケットをうまく予測し制御できるようにする。特に複雑な系の理解のためには、系をうまくモデル化し、定量的に表現することが重要なように思われます。ただし、実際の系の中には、複雑性を持たない因子もあるかもしれませんので、その評価をきちんと行なうことによって、複雑系の特徴をより明確にできる可能性もあるでしょう。また、複雑系として理解できる現象であっても、その裏付けとして何らかの理論化が可能かどうかも考えてみる価値があると思います。

・複雑系からの脱却、複雑性の軽減を図る可能性を検討する。例えば、複雑性に影響を与える因子として、限られた資源をめぐる競争がよく登場しますが、この競争状態は研究開発によって取り除くことが可能かもしれません。技術やビジネスモデルによって競争を回避することができれば、複雑性の低減によって成功の確率を高めることができるように思います。

著者は「複雑性科学はあらゆる科学の根底をなす科学」[文献1、p.314]と言っています。確かに、多くの現象に複雑性が関係してくる可能性はあるでしょう。また、いろいろな分野の現象が、複雑性の観点からは似たような現象として関連づけられることも指摘されているようです(例えば、ネットワークにおける渋滞、菌類のネットワーク、癌への血管新生など)。科学技術の分野でも従来の要素還元的アプローチの限界が指摘され、ビジネスの世界でも複雑性の高い人間の行動が重視され、不確実な現象の効率的な取り扱いが要求される状況では、複雑系の本質と可能性を正しく理解し、マネジメントに反映させていく努力が必要なのではないかと思います。


文献1:Neil Johnson, 2007、ニール・ジョンソン著、阪本芳久訳、「複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する」、インターシフト、2011.

原著表題は「Simply Complexity, A Clear Guide to Complexity Theory」です。

参考リンク<2012.9.2追加> 


 

 

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