研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

人間中心

「オートメーション・バカ」(ニコラス・カー著)より

技術の発達が人の仕事を奪う、という議論が最近よく話題になります(例えば、本ブログでも「コンピュータが仕事を奪う(新井紀子著)」、「機械との競(ブリニョルフソン、マカフィー著)」をとりあげました)。人の仕事を楽にすることは技術開発の大きな目的のひとつですので、機械が人の仕事を代替し、それによって人が仕事を失うことは、当然起こりうることでしょう。しかし、長期的に見れば技術の発展は新しい仕事を生み出すのだから、一時的な失業増加はそれほど大きな問題ではない、という意見もあります。

もちろん、こうした未来予測で確定的な答えを得ることは困難ですが、未来を考える上で、技術の発展が人間にどのような影響を及ぼすかを知ることは重要でしょう。ニコラス・カー著「オートメーション・バカ」[文献1]では、この問題が議論されており、著者は、「本書はオートメーションについての本である。かつてわれわが自分でしていたことをやらせるために、コンピュータやソフトウェアを使うことについての本である。オートメーションのテクノロジーや経済学、ロボットやサイボーグやガジェットの未来のことも話には入ってくるが、そうしたことについての本ではない。オートメーションが人間にもたらす影響についての本なのである。・・・オートメーションは必ず、隠された深い影響を与えるものだ。・・・すべてがよい方向に働くわけではない。[p.10]」と述べています。単なる雇用の問題を超えて示唆に富んだ多くの事実、考え方が述べられていると思いましたので、今回はその中から興味深く感じた点をまとめたいと思います。

オートメーションの意味するもの
・「コンピュータの能力を測るに際し、経済学者や心理学者は長年、知に関する二つの基本的分類に依拠してきた。暗黙知と形式知である。暗黙知はしばしば手続き的知識とも呼ばれ、考えることなしにわれわれが行なうすべての事柄を指している。・・・コンピュータは形式知に基づくスキルは複製できるけれど、暗黙知から来るスキルとなると得意ではないものだとわれわれは思いこんでいる。」しかし、「グーグルカーは、人間とコンピュータとの境界線をリセットする。・・・思っているほどわれわれは特別な存在ではないのだ。暗黙知と形式知の区分は、心理学の領域ではいまなお重要であるけれど、オートメーションについての議論においては、妥当性の多くを失っている。・・・コンピュータの超人的速度が意味することは、われわれが暗黙知をもって行なう複雑なタスクの多くを、彼らは形式知を使って遂行できるだろうということだ。・・・コンピュータ独特のこの力は、場合によっては、われわれが暗黙知によるスキルだと考えているものを、われわれ自身よりも上手く遂行することを可能とする。[p.19-22]」
・「どんな活動が自分を満足させ、どんな活動が不満をもたらすかを、われわれはまるでわかっていない・・・心理学者はこれに『欲求ミス(ミスウォンティング)』という詩的な名前をつけている。好まないものを欲し、欲していないものを好む傾向がわれわれにはある。・・・・仕事には、『人が関与し、集中してわれを忘れるよう催促する』ゴールと難題が、『ビルトイン』されている・・・。だが、われわれをあざむく精神は、われわれにそのようには思わせない。機会さえあればわれわれは、労働の過酷さから自身を解放しようとする。[p.27-29]」
・「オートメーションは悪いものだということではない。オートメーションと、その先駆者である機械化は、何世紀にもわたって前進してきたのであり、その結果われわれの状況は、全般的に大きく改善されてきた。オートメーションは賢く使えば、われわれを骨の折れる労働から解放し、もっとやりがいと充足感のある試みへと駆り立ててくれる。問題は、オートメーションについて合理的に考えたり、その意味を理解したりするのが難しいということだ。[p.30]」

オートメーションと雇用
・「世界的に製造業の雇用者数はここ数年減少しつづけている。・・・その一方、製造業全体の生産量は急増している。経済成長が新たな製造業の職を創出するより速く、機械が工場労働者に取って代わりつつあるのだ。・・・資本家にとってみれば労働は問題であり、この問題を解決してくれるのが進歩なのだ。テクノロジーが雇用を消し去るのではという恐怖は、非合理的なものであるどころか、『きわめて長期的には』実現する運命にあるのだと、高名な経済史家ロバート・スキデルスキーは主張する。[p.47-48]」

高度専門職へのオートメーション拡大と人への影響
・オートパイロット:エアバスA320のモニターに覆われた操縦室は、パイロットからは「グラスコクピット」と呼ばれた[p.70]。「『オートメーションが高度になるにつれ、パイロットの役割は、オートメーションの監視者または監督者へとシフトしている』。・・・コンピュータ・オートメーションに過度に依存すると、パイロットの専門技術が浸食され、反応が鈍り、注意力が減じる可能性があり、・・・『乗務員のスキル棄却』を招きうる・・・。[p.73-75]」「精神運動的スキルがさびついたため、操縦に戻ることを要求される、まれな、しかし重大な機会において、パイロットが身動きを取れなくなるケースが出てきたのだ。[p.79]」「グラスコクピットは、ガラスの檻(グラス・ケイジ)にもなりうる。[p.86]」(注:Glass Cageは原著表題)
・医師による電子医療記録の利用でもスキル棄却などの様々な問題が指摘されている[p.124-149]。また、トレーダー、弁護士、経営者、システム技術者などのエリート専門職の仕事へのコンピュータの侵入も進んでいる[p.150-153]。GPSの利用によりナヴィゲーション・スキルが失われてきているという(ナヴィゲーションに関わる脳内の細胞は、出来事や経験の記憶の形成にも関わっているらしい)[p.164-179]。コンピュータで作業するデザイナーでは、初期段階のデザインに固執する傾向(早期固定)などの問題が指摘されている[p.179-191]。

オートメーションと人
・「われわれのほとんどは・・・オートメーションをよいものだと考えている。・・・行動や思考のあり方を変えるものではないと思っている。だがそれは誤謬だ。オートメーションの研究者が『代替神話』と呼ぶものの表われである。労働節約の装置は、ある仕事のなかから、切り離し可能な限られた部分だけを代替するのではない。それに参加する人々の役割、姿勢、スキルを含めた、仕事全体の性格を変えるのだ。[p.90]」
・「コンピュータの助けを借りてタスクに取り組む者は、『オートメーション過信』と『オートメーション・バイアス』という、2つの認知的不調に陥りがちである。・・・オートメーション過信は、コンピュータがわれわれを偽りの安心感へと誘いこむことで生じる。機械は不具合なく動くだろう、難題にもすべて対処してくれるだろうと信じこむと、われわれの注意力はさまよいはじめる。[p.91]」「オートメーション・バイアスは、・・・モニターに流れる情報に過度の重みを置いた場合に忍び寄る。その情報が間違っているとき、あるいはミスリーディングであるときも、それを信じこんでしまうのだ。[p.93]」
・「1970年代以来、認知心理学者は、生成効果と呼ばれる現象を記録している。・・・書かれたものを読んでいるだけのときよりも、積極的に心に呼びだしているとき――生成しているとき――のほうが、単語をはるかによく記憶するというものだ。・・・ソフトウェアによって仕事への没入度が下がっているとき、およびとりわけ、観察者やモニターといった受動的役割へと押しやられているとき、われわれは、生成効果の支えである深層認知処理活動を止めている。その結果、ノウハウへとつながる類の、現実世界の豊かな知識を獲得する能力が阻まれる。〔p.97-100〕」
・ヤーキーズ・ドッドソンの法則:「刺激のレヴェルが非常に低いとき、人は注意も向かず意欲も起こらず不活発なままで、パフォーマンスもほぼゼロのままである。刺激の程度が上昇すると、それにつれてパフォーマンスも向上し、・・・やがて頂点に達する。すると、刺激が強まりつづけているにもかかわらずパフォーマンスは低下しはじめ・・・る。刺激が最高度に達したとき、人はストレスのせいで実質上麻痺してしまっており、パフォーマンスは再びゼロになる。・・・学習とパフォーマンスの質が最も上がるのはヤーキーズ・ドッドソン曲線の頂点にあるとき、すなわち、難題に直面してはいるけれども圧倒されていないときである。[p.118-119]」
・「最初の人工知能戦略は惨敗に終わった。われわれの脳内で動作しているものが何であれ、それをコンピュータ内部で動作する計算に還元することはできなかったのである。今日のコンピュータ科学者たちは、人工知能に対して非常に異なるアプローチを取っている。・・・目標はもはや、人間の思考の過程を複製することではなく・・・思考の結果を複製することとなっている。・・・精神が生み出す特定のもの・・・に注目し、精神を持たないコンピュータが、同じ結果に到達するようプログラムしている。[p.155]」
・「もしわれわれが不注意であれば、知的労働のオートメーション化は・・・文化そのものの土台のひとつを浸食してしまうだろう――つまり、世界を理解したいというわれわれの欲望を、である。予測アルゴリズムは、相関関係の発見に神のごとく長けているかもしれないが、特色や現象の裏にある原因にはまったく無関心だ。しかし、因果を見出すこと――物事がなぜ、どうやってそのように動いているのかを、細心に解きほぐしていくこと――こそが、人間の理解の範囲を押し広げ、究極的に、知に対するわれわれの探究に意味をもたらすのである。[p.160-161]」
・「われわれは知的労働を、あたかも肉体労働とは違うもの・・・として語りがちであるが・・・どんな労働も知的労働なのだ。・・・現代の心理学と神経科学において、最も興味深く、最も教えてくれるところの多い研究分野のひとつに、『身体化された認知』と呼ばれるものがある。・・・脳と身体は同じ物質からできているだけでなく、その働きもまた、われわれが思っているよりもはるかに緊密にからみ合っているのだ。[p.192-194]」

人間のためのオートメーション
・「機械はその製造者同様、誤る可能性を持っている。[p.199]」「オートメーション・テクノロジーが複雑化」するにつれ、「システムは、科学者が言うところの『カスケード故障』を起こしやすくなる。ある一部分の小さな不調が、広範ににわたるカタストロフィックな故障の連鎖を引き起こす現象のことだ。[p.200-201]」
・「最終的に人間は単なるモニター、スクリーンを受動的に監視するだけの存在になる。しかしその仕事は、精神がふらふらさまようことで悪名高いわれわれ人間が、とりわけ不得意としているものだ。[p.203]」
・「人間の心身に対してコンピュータなどの機械が与える影響についての懸念は、最大限の効率と速度、正確性を達成しようとする――または単純に、できるかぎり多くの利益を上げようとする――欲望によって、いつも打ち負かされてきた。・・・テクノロジーの進歩は『利益を求める動機と結びついており、したがって、人間をほとんど考慮しない』〔p.205〕」
・「ヒューマンファクターの専門家たちはずっと前から、テクノロジー第一主義のアプローチから離れ、『人間中心的オートメーション』を取るようデザイナーたちにうながしている。人間中心のデザイン・・・の目的は、コンピュータの速度と正確さを利用するだけでなく、労働者が・・・関与的で、能動的で、注意力を持っていられるよう、役割と責任を分担させることである。・・・人間中心的アプローチの最も興味深い応用例のひとつが、『アダプティヴ・オートメーション』である。・・・アダプティヴ・オートメーションは、コンピュータの分析能力を人間的用途に回すことで、オペレータのパフォーマンスをヤーキーズ・ドッドソン曲線のピークに保ち、認知的負荷の過剰も過少も防ぐことができる。[p.211-213]
・「テクノロジー中心的オートメーションの悪影響について、エンジニアとプログラマーだけが責任を負わされるべきではない。・・・彼らは・・・雇い主やクライアントの要求に応えているのである。・・・結局のところ、彼らがオートメーションに投資する主たる理由は、労働コストを下げ、オペレーションを合理化することなのだから。[p.225]

オートメーションの将来とわれわれの対応
・「複雑な人間の活動をオートメーション化するには、道徳的選択をオートメーション化することが不可欠[p.239]」
・「いかなる大企業も、このまま上手くやっていきたいのなら、オートメーション化し、それからさらにオートメーション化する以外、ほぼ選択の余地はない。[p.253]」
・「ロボット自動車やロボット兵士のプログラミングが提起した倫理的難題――ソフトウェアを制御するのは誰か? 何が最適であるかを決めるのは誰か? 誰の意図や利害がコードに反映されるのか?――は、生活をオートメーション化するアプリケーションの開発にも同様に関連してくる。プログラムがわれわれへの影響力を増せば・・・遠隔操作のような様相が呈されることになる。[p.261-262]」「社会を幸福にしようとするコンピュータ企業の重要な貢献は歓迎されるべきであるが、それらの企業の利害を、われわれ自身の利害と混同してはならない[p.266]」「計り知れないテクノロジーが目に見えないテクノロジーになったとき、われわれは不安を抱くのが賢明だろう。そのとき、テクノロジーの前提や意図は、われわれの欲望や行動に浸透してしまっている。ソフトウェアに助けられているのか、制御されているのか、もはやわからない。[p.268]」
・「道具によって新たな能力の開発が可能となるたびに、世界はいままでと違うもっと興味深い場所、さらに多くの機会のある場となる。自然の可能性に、文化の可能性がつけ加わる。[p.277-278]」しかし、「すべてのツールがそれほど親和的なわけではない。・・・デジタル・オートメーション・テクノロジーは、われわれを世界に招き入れ、知覚と可能性の幅を広げる新たな能力の開発をうながすのではなく、むしろ逆の影響を及ぼすことも多い。[p.179-180]」
・「オートメーションが引き起こす、または悪化させる社会的・経済的問題は、ソフトウェアをさらに投入すれば解決するというものではない。・・・未来の社会の幸福を確かなものにするには、オートメーションに制限をかけねばなるまい。進歩観を改め、テクノロジーの前進にではなく、社会と個人の繁栄に重きを置かねばなるまい。これまでは考えることすらできないと、少なくともビジネス界においては見なされてきた考えをも、受け入れねばならないかもしれない――機械よりも人間を優先することを、である。[p.291]」
・「われわれはラッダイトを、後進性を象徴するカリカチュアにしてしまった。新しいツールを拒んで古いツールを好む者は、ノスタルジアからそうしている、つまり合理性ではなく感傷から選択を行なっているのだとわれわれは思いこんでいる。だが真に感傷的な誤謬とは、新しいものは古い者よりも、われわれの目的や意図につねにかなうものだとする考えだ。それは、うぶでだまされやすい子どもの考えである。あるツールがほかのツールよりすぐれたものである理由は、新しさとは何ら関係がない。重要なのは、それがいかにわれわれを拡張または縮小するか、自然や文化やわれわれ相互についての経験をいかに形成するかなのだ。[p.295]」
・「オートメーションは目的を手段から切り離す。欲しいものがたやすく手に入るようにしてくれるが、知の労働からわれわれを遠ざける。・・・生産の手段ではなく経験の道具としてツールを取り戻すことで、われわれは自由を享受できるだろう。その自由とは、親和的なテクノロジーが世界をいっそう完全に開いてくれるとき、われわれに与えてくれる自由である。[p.296-297]」
―――

人の作業を機械に行なわせることは、省力化による人件費削減、能力向上、効率化、品質や利便性向上、人為的ミスの削減や労働環境の向上など、様々なメリットを生むものとして、研究開発における重要な検討項目のひとつになっています。そこから生まれる経済的利益は、企業の成長の源として期待され、また、研究開発への投資を正当化する論理の裏付けとなることも多いでしょう。しかし、省力化による雇用減少、雇用構造の変化が社会的な問題となることが指摘され始めています。加えて本書で指摘されているようにオートメーション化自体が人間の能力や社会に悪影響を与えるとすれば、こうした影響をも考慮することは技術者にとっての義務であると言えるでしょう。

本書の示唆の中で、技術開発の視点から特に重要と感じたのは以下の点です。

・人間の特性についての理解が求められていること:特にコンピュータと関わりの深い人間の脳の活動に対する理解を深める必要があるように思います。科学的根拠に基づく、人間の精神活動の捉え直しがマネジメントを考える上で必要とされているように思います。
・結果を求めることはよいことなのか:結果を出すだけならもはやコンピュータの能力は人間の能力を上回りつつあるようです。しかし、因果関係(相関関係ではなく)を発想する能力は人のほうが上回るとすれば、そして、結果をコンピュータに求めることが人の能力の発達を阻害するのであれば、結果を求めることはほどほどにしておくべきなのではないかとも思います。このことは機械が関与しない効率化にも言えるのかもしれません。人間が深く考えなくてすむような作業のマニュアル化、効率化は能力の発達を阻害する可能性があるでしょう。その結果として、新しい発想が出にくくなっているとすれば、効率化を求めるプロセス自体が、人をうまく使いこなすことを阻害しているともいえるような気がします。

とはいえ、経済的なメリットを追求する企業においては無論のこと、近年では公的研究機関でも同じような発想が求められていることを考えると、オートメーション化を批判的に捉えることはそれほどたやすいことではないように思われます。本書の著者も、オートメーション化が抱える問題の将来については悲観的なように感じました。もちろん簡単なことではないでしょうが、効率化から利益を生む発想ではなく、人間に新しい世界を与えるような技術開発、新たな因果関係を見出しそれを発展させる技術開発を目指すべきなのかもしれません。そのために、人間の特性をよく理解し、それに基づいた仕事のやり方を実践していくことが、これからのマネジメントに求められることなのではないかと思います。


文献1:Nicholas Carr, 2014、ニコラス・G・カー著、篠儀直子訳、「オートメーション・バカ 先端技術がわたしたちにしていること」、青土社、2015.
原著表題:The Glass Cage: Automation and Us

参考リンク



創造力に対する自信(トム&デイヴィッド・ケリー著「クリエイティブマインドセット」より)

イノベーションにはどのような創造性が求められるのでしょうか。創造性を引き出すにはどうすればよいのでしょうか。創造性の発揮の問題や「デザイン思考」について、近年注目を集めることが多い会社にIDEOがあります。今回は、そのIDEOを創設し率いてきたトム・ケリー、デイヴィッド・ケリー著、「クリエイティブマインドセット 創造力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法」[文献1]に述べられている、創造性についての考え方をまとめてみたいと思います。ちなみに、原著の表題は、「Creative Confidence: Unleashing The Creative Potential Within Us All」(「直訳すると『創造力に対する自信:誰もが内に秘める潜在的な創造力を解き放つ』」[p.357、訳者あとがき]です。本書では、創造力を高め発揮するためのスキルも紹介されていますが、主題は、Creative Confidenceすなわち「創造力に対する自信」といえるでしょう。以下、本書の構成に沿って、興味深く感じた点をご紹介します。

序章、人間はみんなクリエイティブだ!
・「『クリエイティブである』というのは・・・一生変わらない性質だと思っているかもしれない。クリエイティブな遺伝子を持って生まれたか、そうでないかのどちらかなのだ、と。私たち兄弟は、・・・このような誤解を『創造性のウソ』と考えるようになった。このウソを信じている人は、あまりにも多い。だがそれは大きな間違いだ。[p.16]」
・「基本的に、創造力に対する自信とは、『自分には周囲の世界を変える力がある』という信念を指している。・・・自分の創造力を信じることこそ、イノベーションの『核心』をなすものなのだ。[p.17-18]」
・「私たちは、ちょっとした練習や励ましだけで、人々の創造力、好奇心、勇気がいとも簡単に目覚めることに驚いた。・・・私たちの経験からいえば、誰もがクリエイティブ系だ。一定期間、私たちの方法論に従ってもらえれば、誰でも最終的には驚くような成果を挙げられる。画期的なアイデアや提案を思いついたり、仲間とクリエイティブに協力し、本当に画期的なモノを生み出したりできるのだ。そして、自分自身、思っていたよりもずっとクリエイティブだったことに気づき、びっくりする。この最初の成功によって、自己イメージが変わり、もっと何かをやってみたくなるのだ。私たちが気づいたのは、創造性を一から生み出す必要はない、という点だ。人々がすでに持っているもの――世界にふたつとないアイデアを創造したり発展させたりする能力――を再発見する手助けをするだけでいいのだ。しかし、アイデアを実行に移す勇気を奮い起さないかぎり、創造性の真の価値は発揮されない。つまり、新しいアイデアを思いつく能力と、アイデアを実行に移す勇気――このふたつの組み合わせこそが、創造力に対する自信の特徴と言えるのだ。[p.21-22]」
・「デザイン思考とは、イノベーションを日常的に行なうための方法論のひとつだ。[p.20]」

第1章、デザイン思考で生まれ変わる
・イノベーションの3つの要因:1、技術的要因(技術的な実現性、「画期的な技術だけでは十分とはいえない」。2、経済的実現性(ビジネス要因、「技術は機能するだけでなく、経済的に実現可能な方法で生産・販売できなければならない」。3、人的要因(人間のニーズを深く理解すること)。「技術、ビジネス、人間という3つの要因の交わる点を見つけることが重要」[p.37-39
・「人的要因は必ずしも残りのふたつより重要というわけではない。しかし、技術的要因は世界じゅうの科学や工学のカリキュラムで詳しく教えられているし、ビジネス的要因は世界じゅうの企業が全力を注いでいる。とすれば、人的要因にこそ、イノベーションの最大のチャンスが潜んでいるかもしれない。だからこそ、私たちは常に人的要因を出発点にするのだ。・・・人間中心の考え方は、イノベーション・プロセスの基本だ。人々に深く共感することで、観察を強力なインスピレーション源にすることができる。[p.39]」
・「私たちが思うに、成功するイノベーションは、技術的要因とビジネス的要因のバランスを取るとともに、人間中心のデザインによる調査の要素を何かしら取り入れている。顧客の真のニーズや欲求を考慮しながら、技術的実現性、経済的実現性、人間にとっての有用性の交わる点を模索することこそ、IDEOやdスクールで『デザイン思考』と呼ばれている方法論の一部であり、創造性やイノベーションを生み出す私たちのプロセスなのだ。[p.40]」
・デザイン主導のイノベーションアプローチの概要:1、着想(inspiration、人間中心のイノベーションを促すうえで、何よりも頼りになるのは共感だ。生身の人間のニーズ、欲求、動機を理解すれば、斬新なアイデアを思いつくきっかけになる)。2、統合(synthesis、統合の段階では、スイート・スポットを探る。調査で明らかになった内容を、実行可能なフレームワークや原則へと変換する。問題の枠組みをとらえ直し(リフレーミング)、どこに力を注ぐかを決めるのだ)。3、アイデア創造と実験(ideation, experimentation、無数のアイデアを出し、多岐にわたる選択肢を次々と検討していく。中でも特に有望なアイデアは、迅速な試作(ラピッド・プロトタイピング)を繰り返し行なう段階へと進める。この段階では、アイデアをすばやくラフな形で表現する。この経験による学習のループは、既存のコンセプトを発展させ、新しいコンセプトを生み出すのに役立つ。エンド・ユーザーなどのフィードバックに基づき、適応、改良、方向転換を繰り返しながら、人間を第一に考える魅力的で有効な解決策を練り上げていく)。4、実現(implementation、デザインに磨きをかけ、市場に出るまでのロード・マップを準備する。どの業界でも学習してフィードバックを得るために新しい製品、サービス、事業をリリースする企業がますます増えつつある。市場の中でしばやく改良を繰り返し、商品やサービスに一層磨きをかけていく)。[p.41-45
・「デザイン思考では、直観的に物事をとらえ、パターンを認識し、機能的なだけでなく感情的にも意義のあるアイデアを組み立てる、人間の天性の能力をもちいる。・・・もちろん、感覚、直感、インスピレーションだけに基づいて、キャリアを築いたり組織を運営したりしなさいと言うつもりはない。ただ、論理や分析に頼り過ぎるのは、同じくらい危険なこともある。容易には分析できない問題や、確かな基準やデータが十分にない問題を抱えている場合、デザイン思考の共感やプロトタイピングを使うことで、前に進む足がかりになるかもしれない。画期的なイノベーションや創造の飛躍が必要な場合は、問題を深く掘り下げ、新しい洞察をみつけるのにデザイン思考の方法論が役立つだろう。[p.46]」
・「しなやかマインドセットの持ち主は、人間の真の潜在能力は未知(しかも不可知)であり、何年も努力、苦労、練習を積めば、予測も付かないようなことを成し遂げられると信じているという。・・・こちこちマインドセットの持ち主は、意識的または無意識のうちに、人間の生まれ持つ知能と才能の量は決まっていると心から信じている。創造力に対する自信を獲得するための旅に招待されると、こちこちマインドセットの持ち主は、自分の能力の限界がほかの人にバレるのを恐れて、安全な場所にとどまろうとするのだ。[p.53-54]」「まずはしなやかマインドセットを身に付けよう。自分には未知の潜在能力がある、今まで達成できなかったこともきっと達成できると、心から信じるのだ。[p.58]」

第2章、恐怖を克服する
・「失敗に対する恐怖は、あらゆるスキルを学んだり、リスクを冒したり、新しい課題に挑戦したりする妨げになる。創造力に対する自信を手に入れるには、失敗に対する恐怖を克服する必要がある。[p.73]」
・「失敗に対する最初の恐怖を克服し、創造力に対する自信を手に入れたとしても、引き続き自己の向上に励むことは必要だ。筋肉と同じで、創造力は鍛えれば鍛えるほど成長し、強くなっていく。そして、創造力を使いつづけることで、好調な状態をキープできるのだ。・・・ここで重要になってくるのが、経験と直感だ。[p.78-79]」
・「自分や周囲の人々にときどき間違いを犯す余裕を与えれば、もっといいアイデアをもっと早く思いつけるようになる。[p.80]」
・「失敗から教訓を学ぶには、失敗に責任を持つ必要がある。何がまずかったのか、次はどこをもっとうまくやるべきなのかを突き止めなければならない。・・・間違いを認めることは、前に進むためにも大事だ。そうすることで初めて、隠蔽、正当化、罪悪感という心の落とし穴を避けられる。[p.82]」
・「創造性を手に入れるには、人と比べるのをやめるのがひとつの方法」、「私たちは、・・・人は不安を抱えているとベストの力を発揮できないことに気づいた。同僚や上司に尊敬されていないと感じると、自己アピールで自分を良く見せようとするのだ。仕事に集中して自分の作るモノに満足する代わりに、他人にどう思われているかばかり気にするようになる。[p.91]」、「自分をさらけ出す能力、周囲の人々を信頼する能力こそ、創造的思考や建設的な行動を妨げている数々のハードルを乗り越えるきっかけになる[p.92]」。
・「創造性を発揮するのに、何千人にひとりの才能や技術など必要ない。大事なのは、自分が持っている才能と技術で何かができると信じることだ。[p.100]」

第3章、創造性の火花を散らせ!
・「クリエイティブな力は、繰り返し育てていかなければならないものだ。[p.111]」
・クリエイティブな力を伸ばすために日頃から心がけたい方法:1、クリエイティブになると決意する。2、旅行者のように考える(新しい視点で見てみる)。3、リラックスした注意を払う(ひらめきは、精神がリラックスしているときに訪れやすい)。4、エンド・ユーザーに共感する。5、現場に行って観察する(「共感とは、自分の先入観を疑い、自分が正しいと思うことをいったん脇にのけ、本当に正しいことを学ぶこと」)。6、「なぜ」で始まる質問をする。7、問題の枠組みをとらえ直す(例えば、明白な解決策から離れる、焦点や視点を変える、真の問題を突き止める、抵抗や心理的な否定を避ける方法を探す、逆を考える)。8、心を許せる仲間のネットワークを築く(他者のアイデアを土台にするには謙虚さが必要)。[p.111-153

第4章、計画するより行動しよう
・「多くの場合、クリエイティブになるための第一歩とは、傍観者でいるのをやめて、アイデアを行動に移すことなのだ。ほんの少しの創造力に対する自信があれば、世界じゅうで前向きな行動を起こせる。[p.169]」
・「すぐに“最高”の成果を出すのは難しい。だからこそ、すばやく改良を続けていくべきなのだ。・・・すばらしいものを作りたければ、まず作りはじめなければならない。創造プロセスの初期の段階では、完璧主義が邪魔になることもある。[p.176]」
・「プロジェクトで目標に向かって前進するベストの方法は・・・私たちの経験からいえば、プロトタイプ、つまり早い段階で実際に動くモデルを作ることだ。・・・プロトタイプを作る理由は、ずばり実験できることにある。[p.185]」

第5章、義務なんか忘れてしまえ
・「人生を単なる義務から真の情熱へと変えたいなら、まずは現状が唯一の選択肢ではないと認めることだ。生き方や働き方は変えられる。[p.236-237]」

第6章、みんなでクリエイティブになる
・「私たちひとりひとりが持つ潜在的な創造力を解き放てば、世界に良い影響を与えられるのは確かだが、テーマによっては、集団の力が必要なこともある。・・・チームで日常的にイノベーションを起こしたいなら、クリエイティブな文化を根付かせなければならない。[p.242]」
・企業が創造力に対する自信を獲得していく5段階:第1段階「純粋な否定」(「経営幹部や従業員が『われわれはクリエイティブではない』と口を揃える」)、第2段階「内心の拒絶」(「経営幹部のひとりが新しいイノベーションの方法論を熱心に勧め、応援する。ほかのマネジャーたちは口々に賛成するが、本気では実践しようとはしない。・・・『内心の拒絶』の段階を乗りこえるには、現場の従業員が創造力に対する自信の原則を自ら体験しなければならない。」)、第3段階「信頼」(「権力や影響力を持つ立場の人物が消費者を第一に考えるデザイン思考の価値を認め、プロジェクトを実現するための資源やサポートを与える」)、第4段階「自信の探究」(「組織が本格的にイノベーションに取り組み、企業目標を実現するためにクリエイティブな資源を活かす最善の方法を模索する」)、第5段階「総合的な認識と統合」(「チームは目の前の課題にクリエイティブなツールを日常的に活かすようになる。一言でいえば、組織レベルの創造力に対する自信だ」)。[p.248-251
・「多様な考えの持ち主を集めるという方法は、複雑で多次元的な課題に直面しているときに特に役立つ。[p.259]」、「どんな組織でも、分野の枠を超えたグループを築くことで、企業構造や企業階層の壁を乗り越え、新しいアイデアの画期的な融合を生み出すことができる。[p.261]」
・イノベーション・チームを育てる原則:1、お互いの強みを知る。2、多様性を活かす(異なる見方同士に生まれる緊張関係こそ、多様なチームを創造性の宝庫にする)。3、プライベートをさらけ出す(私生活を仕事と切り離すと、創造的思考に支障が出る)。4、「仕事上の関係」の「関係」の部分を重視する。5、チームの体験を構築する(どのように助け合うか、どのような原則に従うか、何を達成したいか)。6、楽しむ!(一緒に時間を過ごし、お互いをよく知ることを優先する)。[p.262-264
・「賢くクリエイティブなチームを築き、非凡な成果を成し遂げてもらいたいなら、平凡で冴えないスペースで働かせてはいけない。[p.269]」
・「考え方や行動を変えるには、まず言葉遣いを変えるのが有効[p.173]」。
・「消耗型リーダーとは、厳しい管理体制を敷き、チームの創造力を十分に活かしきれないリーダー。一方、増幅型リーダーとは、やりがいのある目標を定め、従業員に自分もできると思っていなかったような劇的な成果を生み出させるリーダー[p.277]」。増幅型リーダーになるコツ:有能な人材を引き寄せる“磁石”になる。やりがいのある挑戦や課題を見つけ、人々の思考を精一杯に働かせる。さまざまな意見を表明し、検討できるような活発な討論を奨励する。成果に対する当事者意識をチーム・メンバーに持たせ、彼らの成功に投資する。[p.278-279
・「創造力を秘めた人材であふれるこの世界では、名案を導き出すのはトップの人々だけだと決めつけるのは危険だ。・・・21世紀のもっとも革新的な企業は、従来の指揮統制型の組織から、コラボレーションやチームワークを重視する参加型のアプローチへと、変わってきた。こういう会社は、社内の全頭脳を結集させ、どこからでも最良のアイデアや洞察を集める。第一線で業務を行なう人々の声に積極的に耳を傾ける。アイデアが組織の上へと浸透していくよう、チーム・メンバー全員に対してイノベーション精神を植えつけるのだ。[p.287]」
・「組織の創造力に対する自信を育むには、まずイノベーション文化を築くことだ。分野の枠を超えたチームの力を活かし、他者のアイデアを土台にするようみんなに促し、組織全員の能力を増幅させるリーダーになろう。[p.288]」

第7章、チャレンジ
・「内に秘めた創造力を解き放つのは、ほかの色々な物事と何ら変わらない。そう、練習すればするほど上達していくのだ。[p.290]」
・練習に役立つツール:意識的に思考の幅を広げ、クリエイティブに考える(マインドマップ)、創造力のアウトプットを増やす(名案がひらめいたらその場で記録する)、アイデア創造セッションをジャンプ・スタート、人間の行動を観察して学ぶ(共感マップ)、建設的なフィードバックを促し、受け入れる、グループの雰囲気を盛り上げる、上下関係をなくして、アイデアの流れを活発化する、顧客、従業員、エンド・ユーザーに共感する(カスタマー・ジャーニー・マップ)、取り組む問題を定義する(夢と不満セッション)、グループにイノベーション思考を理解してもらう、ためのツールを紹介。[p.292-332

第8章、その先へ
・「自分自身の創造力に対する自信を手に入れるには、いちどに一歩ずつ、行動するのがいちばんだ。つまり小さな成功を積み重ねていくことが大切なのだ。[p.335]」
・「いったん創造力に対する自信を受け入れれば、努力、練習、継続的な学習を通じて、あなたも人生やキャリアを作り直すことができるのだ。[p.349]」
―――

本書のポイントは、デザイン思考の考え方の紹介と、すべての人が持つという創造力を開花させ、「創造力に対する自信(クリエイティブ・コンフィデンス)」を身に付け、活用しようと述べている点でしょう。デザイン思考、特に人間中心のアプローチは、純粋に技術的な開発課題にはあまり向いていない手法かもしれませんが、どんな課題に取り組むにせよ、第1章で述べられている、技術、ビジネス、人間の要素の交わる点を探す、という考え方は重要だと思いますし、その中の人間の要素を検討する際にデザイン思考は特に有効であることは認識しておくべきだと思います。

もう一点の、創造力に対する自信を身に付け、活用する、という点については、研究マネジメントの観点からも重要だと思います。多様性を活かし、試行から学び、協働する、という近年のイノベーションの進め方においては、多くの人々の創造力を活かすことは従来にも増して重要になってくると思われます。本書のアプローチは、研究組織運営のあり方を考える上でも非常に参考になると感じました。


文献1:Tom Kelley, David Kelley, 2013、トム・ケリー、デイヴィッド・ケリー著、千葉敏生訳、「クリエイティブマインドセット 創造力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法」、日経BP社、2014.
原著表題:Creative Confidence: Unleashing The Creative Potential Within Us All

参考リンク



「GEグローバル・イノベーション・バロメーター」世界調査2011より

2011126日に「GEグローバル・イノベーション・バロメーター」という調査結果が発表されました[文献12]。この調査は、イノベーションを推進する要素と妨げる要素を明らかにすること、および、イノベーションにまつわる課題がどのように認識されているのかを分析することを目的にGEStrategyOne社に委託して行なったもので、その結果は1/26-30に開催されたダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)でも報告されたようです。

 

調査は、20101210日から2011114日にかけて、世界12カ国の総勢1000人の経営幹部(オーストラリア100人、ブラジル100人、中国100人、ドイツ100人、インド100人、イスラエル100人、日本50人、韓国50人、サウジアラビア50人、UAE50人、スウェーデン100人、米国100人)に対し、電話による聞き取り調査で行なわれています。

 

結果の詳細はGEのサイト[文献1-3]をご参照いただきたいと思いますが、この調査により明らかになったイノベーションに対する経営幹部の認識は以下の3点にまとめられています[文献1の記述を少し変えています]

・イノベーションの新たなフロンティアは、創造性(Creativity)、地域性(Localization)、連携(Integration)によって開拓されていく

・最も重要なイノベーションはヒューマンニーズへの取り組みになるだろう

・最も技術革新力のある(Innovativeな)国は、アメリカ、ドイツ、日本(この順で)

また、以下のことも指摘されています。

・回答者の95%が、国家経済の競争力強化にはイノベーションが最も重要であると認識

・回答者の88%が、国内で雇用を創出する最良の方法はイノベーションであると認識

 

以上の結果自体は、特に驚くような内容ではないでしょう。「地域性」というのは「リバース・イノベーション」、「連携」というのは「オープン・イノベーション」、「ヒューマンニーズ」というのは「人間中心のイノベーション」という、それぞれ今流行りのイノベーションの考え方に関連していると考えられますので、単にそうした流行に沿った考え方をする人が多いことが確認されただけ、と見ることもできるように思います。

 

しかし、公開されている多くのデータの中には、興味深いものもあります。特に、技術革新力が高いとされる国の順位と、イノベーション楽天主義(Innovation Optimism) のパラドックスとされた調査結果が面白いと思いました[文献4]。次のような内容です。

 

技術革新力の順位:

これはイノベーションの分野で世界をリードする国(leading innovation champions)を3つ挙げてもらう方法で調査されています。結果は次のとおりです。

1位:アメリカ(67%)、2位:ドイツ(44%)、3位:日本(43%)、4位:中国(35%)、5位:韓国(15%)、6位:インド(12%)、7位:スウェーデン(8%)、8位:イギリス(7%)、9位:イスラエル(6%)、10位:フランス(4%)などとなっています。上述のように調査対象の国と対象者の人数に偏りがありますので、その影響も受けた結果であることは考慮しなければなりませんが、上位3位までの評価は順当ではないかと思います。中国の評価が思ったより高い、という印象ですがいかがでしょうか。なお、「技術革新力」という訳はGE日本の発表に従っていますが、設問の「leading innovation champions」とは少し意味合いが違うかもしれません。

 

イノベーション楽天主義(Innovation Optimism):

これは、各国の回答者に対し、イノベーションが自国の市民生活の改善に寄与すると思うかを尋ねたものですが、調査対象12ヶ国で、そう思うとする回答の割合は以下の通りです。

1位:サウジアラビア(88%)、2位:UAE86%)、3位:フラジル(82%)、4位:インド(79%)、5位:アメリカ(77%)、6位:イスラエル(77%)、7位:オーストラリア(75%)、8位:スウェーデン(73%)、9位:ドイツ(72%)、10位:中国(68%)、11位:韓国(64%)、12位:日本(58%)

大雑把に、市民生活の改善の余地が大きいと考えられる国が上位に来ていることは理解しやすいですが、技術革新力が高いと外国から評価されている日本が最下位、ということは、日本の経営者たちは自分たちの技術が日本の生活改善に役立たない、と考えていることになります。

 

GE日本の分析では、イノベーションの効果に楽天的でない国にはイノベーションを妨げる障害があることを指摘しています[文献1]。また、GE日本のサイトでは、こうした評価について日本のデータも提供していますが[文献5]、このデータでは、イノベーションの国内環境について、世界平均と比較して日本では否定的な回答が多いことがはっきりと示されています。例えば以下のような結果があります。

・イノベーションに対する国の支援が効率的に行われていない:日本86%、世界平均54

・イノベーションを推進する企業の支援について、国や公的機関は適切な予算分配をしていない:日本80%、世界平均48

・イノベーションが日常生活に価値をもたらすと、国民が認めていない:日本74%、世界平均31

・社会全体がイノベーションの(技術革新を起こす)過程の一部としてリスクの存在を受け入れていない:日本74%、世界平均40

・社会全体がイノベーションに好意的でない;イノベーションに対する「欲」が若者世代に存在しない:日本62%、世界平均21

・産官学の連携がイノベーション支援に効果的だとは思えない:日本72%、世界平均24

(正確には以上の回答結果はすべて、肯定的な問い(例えば、「イノベーションに対する国の支援が効率的に行われている」)に対する否定的な回答「そう思わない」「どちらかと言えばそう思わない」の合計です)

 

つまり、技術的には十分に優れているのに、環境が悪いためにそれがうまく活用できていない、と経営者が考えている、というようなアンケート結果になっています。確かに、イノベーションの環境が整わないことでイノベーションに期待できないという要素もあるかもしれません。しかし、今以上に何の生活改善を望めばよいのか、とか、持てる技術をどう使えばよいのかわからない、技術はあってもそれを活用して売り上げを伸ばすことは困難、といったような無力感のようなものもあるのではないでしょうか。さらに、環境上の問題以上にChristensenがイノベーションのジレンマとして指摘したような技術進歩が本来的に持つ問題もあるのではないかと思います。Christensenは、技術の進歩が消費者のニーズを上回ってしまう場合があることを指摘していますが(ノート4)、そのような状況では現状以上の技術進歩は現在の延長線上での市民生活の向上には役立ちにくくなってしまうわけで、日本ではそのような状況が顕在化しているのかもしれません。それでもおそらく、アメリカやドイツにはまだ漠然とした技術への期待や夢のようなものが残っているのに対し、日本では自らのやり方に自信を失った結果、技術を活用しようという意欲を失い過度に悲観的になっているような気もします。

 

今回の調査結果についてGECMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)兼シニア・バイス・プレジデント、ベス・コムストック氏は、「今までイノベーションは経済的な利益を生みだすものと思われていましたが、今回の調査では、それが、人々の暮らしを改善するものでもあるというように、優先順位が世界的に変化してきていることが明らかになりました」と述べています[文献1]。さらに、「今回の調査から、イノベーションにまつわるルールが変化しつつあること、また、企業が競争力を保ち、成長を継続して、経済に貢献するためには、その変化に合わせて戦略を進化させなければならないことが明らかになりました。」とも述べています[文献1]。本当にそうだとすれば、日本の経営者はイノベーションによって利益を出すという古いやり方にばかりにとらわれているために、さらに、イノベーションを企業の利益増大以外の目的に使うようなシステムや知恵が整っていないがために、技術があっても使い道を考えだすことができず、そうした考え方がイノベーションの将来を悲観的に捉える原因になっているのかもしれないと思います。

 

もちろん、この調査結果の解釈にはGEの意志が入っていると考えるべきであって、世界の真の姿を探ろうとする、あるいは真実を証明するための調査ではないと思います。しかし、少なくともGEはこのように考えてイノベーションを進めていこうとしている、ということは明確なのではないでしょうか。GEの意図の通りになるかどうかはわかりませんが、ひとつの仮説、意志表示として非常に興味深いと思います。

 

 

文献1GE日本のWebサイト、プレスリリースより、「日本の技術革新力、米独に次いで世界3位、『GEグローバル・イノベーション・バロメーター』世界調査」、2011.1.28

http://www.genewscenter.com/content/detailEmail.aspx?ReleaseID=11850&NewsAreaID=2&changeCurrentLocale=5

文献2GEWebサイト、Press Releasesより、「“GE Global Innovation Barometer” Identifies New Expectations and Parameters for Innovation in the 21st Century」、2011.1.26

http://www.genewscenter.com/Press-Releases/-GE-Global-Innovation-Barometer-Identifies-New-Expectations-and-Parameters-for-Innovation-in-the-21st-Century-2e34.aspx

(文献1の日本語プレスリリースには、文献2を元に作成された、と書かれていますが、単なる訳ではなく内容が少し異なります。上記サイト中には、関連情報、データへのリンクもあります。)

文献3GE ReportsWebサイトより、「GE Global Innovation Barometer: Partners & Localization Are Key

http://www.gereports.com/ge-global-innovation-barometer-partners-localization-are-key/

文献4GE ReportsWebサイトより、「WEF Survey: The Innovation Optimism Paradox

http://www.gereports.com/wef-survey-the-innovation-optimism-paradox/

文献5GE日本のWebサイトより、「GEグローバル・イノベーション・バロメーター世界調査、日本のデータ」

http://www.genewscenter.com/ImageLibrary/DownloadMedia.ashx?MediaDetailsID=3629


参考リンク
<2012.2.5表題修正:「2011」を追加しました>

 

エスノグラフィーとイノベーション

i.schoolについて取り上げた時に、「エスノグラフィー」という言葉が登場しました。最近の「日経ビジネス」誌2010.12.6号にエスノグラフィーの記事がありましたので、エスノグラフィーについてまとめてみたいと思います。

 

日経ビジネス誌記事[文献1]の簡単な紹介

エスノグラフィーとは、文化人類学や社会学の調査手法で、集団の内部に入り込み長期間の観察やインタビューを行なうことで、豊富な定性情報を取得するフィールドワーク手法、ということですが、この手法を企業におけるマーケティングや既存業務の見直しに活用する事例が増えるにつれ、注目が高まっているようです。この手法が得意とするところは、消費者や働く人が自分自身でも気付いていないような潜在的な意識や思考の理由などを探しだす点ですが、時間とコストがかかることが欠点と言われていました。しかし、近年ITを活用した調査ツールの発達により、エスノグラフィー調査が容易になってきたことから、活用を図る企業が増えているようです。記事では活用の事例として、大阪ガス(行動観察研究所)、富士通(フィールド・イノベーション)の事例が詳しく述べられていますが、その他にも、国内ではがんこフードサービス、北海道日本ハムファイターズ、花王、博報堂、アキレス、富士ゼロックス、海外ではインテル、ノキア、サムスンなどで活用が進められているそうです。大阪ガスや富士通では社内の調査にとどまらず、ホテルや病院などからの依頼も受けており、今後応用範囲が広がると期待されている、とのことです。

 

エスノグラフィーと市場調査、マーケットリサーチ

エスノグラフィーのビジネスへの活用は市場調査に関連した分野から始まったようです。特に従来の市場調査、マーケティングに関する以下のような問題点に対する反省が出発点とされています[文献2、文献3]

【従来の市場調査やマーケティング活動についての6つの誤り】(ジェラルド・ザルトマン著『心脳マーケティング』(2005)からの抜粋[文献2、文献3から引用しました]

1. 生活者の思考プロセスは筋の通った合理的なものである

2. 生活者は自らの思考プロセスと行動を容易に説明することができる

3. 生活者の心・脳・体、そしてそれを取り巻く文化や社会は、個々に独立した事象として調査することが可能である

4. 生活者の記憶には彼らの経験が正確に表れる

5. 生活者は言葉で考える

6. 企業から生活者にメッセージを送りさえすれば、マーケターの思うままに、これらのメッセージを解釈してくれる

 

こうした背景から、市場調査の世界ではすでにエスノグラフィーは重要な手法であると認識されているようで[文献4]、その特徴は、「あえて事前に仮説を立てずに、定性調査を重ねて豊富な情報から仮説を見つけ出すのが特徴。従来型の消費者調査が仮説検証型とすれば、エスノグラフィは仮説発見型といえる。データベースやアンケート、グループインタビューなどに比べて、より深く消費者の本音やこだわりに迫ることができるという」[文献5]ということです。そして、そこから「インサイト」すなわち、1)データでは見えてこない真実、2)心の奥深くに存在する自覚のない感情やニーズ、3)ビジネスを成長させる可能性を秘めるもの(P&G Japan桐山社長による定義)[文献6]が得られるとしています。これに対し、従来の調査に比べ調査手法に問題があり定量性に欠けると批判されることもあるようで[文献6]、さらに、「行動観察の結果から『大きな発見』があることはマレと考えた方がよい。」[文献7]という意見もあるようです。結局のところ、エスノグラフィーから得られた結果をどのように利用するかに応じて考えるべきなのでしょう。

 

エスノグラフィーの発展とイノベーションへの適用

こうしたエスノグラフィー手法を市場調査以外の分野にも展開させようというのが最近の傾向のようで、エスノグラフィー活用の国際会議も開催されています[文献8]。おそらくその背景には、人間の行動についての洞察が新たな恩恵をもたらすのではないかという期待があるのでしょう。顧客調査以外の分野では、業務における行動を観察して改善しようとする方向が着目されているようです。こうした分野では従来IEIndustrial Engineering)手法により、作業時間を計測したり、物の配置や人の動線に注目した分析が行なわれたりしていましたが、エスノグラフィーは、人の意識やモチベーションを分析するという新たな視点を追加することになります[文献9,10]。この分野でも市場調査同様、従来手法の行き詰まり、批判があったのかもしれません。

 

こうした流れに従えば、エスノグラフィーがイノベーションやビジネス全般に取り入れられること(「ビジネス・エスノグラフィー」とも呼ばれるようです)は自然の成り行きと言えるでしょう[文献11、文献12]i.schoolでも取り上げられているのが「人間中心のイノベーション」という考え方ですが、単に顧客の声を聞く、あるいは市場調査で売れるものを探る、といった視点だけでなく、潜在的な真のニーズを探りそれを出発点にイノベーションを行なおうとするアプローチと考えられます。すでにIDEOKellyはイノベーションにおける「人類学者」の重要性を指摘していますし[文献13]、潜在的な真のニーズを把握することの重要性は、Christensenも「片づけるべき用事」という概念で提示しています。Christensenらによれば、「顧客の思考プロセスには、まず何かを片づけなくてはという認識が生じ、次に彼らはその用事をできるだけ効果的に、手軽に、そして安くこなせる物または人を雇おうとする。」[文献14p.92]「顧客は製品を『買う』のではなく、自分の『用事』を片づけるために、その製品を『雇う』ということだ。ゆえに、新たな成長の機会を探すためには、まず、現時点で利用可能なソリューションではうまく片づけられない『用事』を探すことが必要になる」[文献15p.120]とし、従来の市場調査のあり方に疑問を呈し、どんな用事を片づけようとして製品を雇うかについて観察やインタビューから明らかにすることが有効であった事例を挙げています。エスノグラフィーの手法が顧客ニーズに基づくイノベーションの出発点を設定する上で有効に機能しうる、というのは間違いのないところではないでしょうか。

 

ただ、有効だろうとは言っても、イノベーション実現のためには課題もあると思います。第一には、エスノグラフィーが最も効果的だと考えられるのが、人間の関与が重要な役割を持つ種類のイノベーションであって、かつ真実のニーズ、真実の問題点が明確になっていない場合であろう、という点です。もちろん、人間の行動に着目しようとする視点は今までとは異なるもので、大きな可能性があるとは思いますが、プロセスや物の扱いが主要な役割を持つイノベーションには適用が難しいと思われますので、エスノグラフィー適用の範囲がどの程度広がりうるのかは未知数と考えられます。また、課題の第二としては、新たなニーズや問題点が明らかになったとして、そのニーズを満たし、問題点を解決する方法については別に考えておかないといけない点が挙げられると思います。問題点の解決に専門的な技術を必要とする場合、そうした技術を保有する人との連携が必要になるでしょう。これは、いわゆる「ニーズとシーズのマッチング」の問題と考えられるとも思いますが、そうした方策を用意する必要があるということです。また、単に真実を明らかにするためではなく、問題解決を前提とした調査を行なおうとする場合には、どうしても手持ちのシーズに調査結果が影響されるのではないか、すなわち、手持ちのシーズ技術によって解決できるような問題点に目が向いてしまいがちなのではないか、という点も懸念されます。第三は、イノベーションによる競争優位の獲得という観点からの課題です。エスノグラフィーを導入することによって導入しないケースに比べた競争優位を獲得できるとしても、エスノグラフィーが標準的な手法になった場合には、それだけで競争優位は獲得できず、ニーズや問題点の把握の巧拙、あるいは解決手段の独自性などが必要になるだろう、という問題点です。そして、最後の点として、調査によって抽出されたニーズや課題をイノベーションの材料とし、それをいろいろな部署との協働で形にしていく段階で、協働のためのモチベーションをつくりあげられるか、という点です。一般に研究者は、できることしかやろうとしない、と言われます(ノート7でまとめたモチベーション理論から言えば、努力が成果に結び付く期待が小さければモチベーションがあがらないとされますので当然の行動だと考えられますが)。上述のニーズとシーズのマッチングとも関連しますが、調査と解決を分担しようとするような場合、調査担当者から解決すべき課題を投げかけられただけでは、解決を任された人々は積極的に課題に取り組めるだろうか、という問題があると思います。おそらく、調査担当者が解決のプロセスにも深くかかわっていく必要があるのではないでしょうか。ただ、エスノグラフィーの場合、調査対象に深く入り込むことが必要とされるため、調査対象が問題解決にあたるような状況の場合には、ありきたりのアンケート調査などよりは成果にむすびつきやすいのではないかとも思われます。

 

上記のような問題点が感じられるものの、イノベーションの入り口に近い段階における解決すべき課題の設定においてはエスノグラフィーは効果的な手法となりうるのではないか、と思われます。上記の問題点に注意をすれば、入口段階がネックになっているイノベーションの成功の確率を高めることのできる手法として期待してよいのではないでしょうか。コストや時間がかかる欠点があると言われていますので、そうした点に耐えることのできる企業でなければその恩恵に浴することはできないかもしれませんが、どのような成功事例を生むことができるのか、注目していく価値は大きいと思います。

 

 

文献1:上木貴博、「エスノグラフィー 人類学に学ぶ現場主義」、日経ビジネス、2010.12.6号、p.78.

文献2:橋本紀子、「『エスノグラフィ』という手法」、RANDOM誌、vol.53p.1(2007).<2013.1.12現在リンク切れ>

http://www.rad.co.jp/random/53/11_ethno.html

文献3TWAKさんのブログ記事、「かんかく雑記:エスノグラフィー&行動観察調査 現状まとめ」<2013.1.12現在リンク切れ>

http://tanoshiikankaku.com/Entry/29/

文献4Shigeru Kishikawaさんのブログ記事、「オンライン・エスノグラフィ調査」

http://www.minnanomr.com/2010/02/blog-post_15.html

文献5:上木貴博、「花王 消費者調査にエスノグラフィー手法を導入」、ITpro

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/JIREI/20090209/324475/

文献6Shigeru Kishikawaさんのブログ記事、「こんな「調査部」ならいらない?」

http://www.minnanomr.com/2010/12/blog-post.html

文献7:石井栄造さんのブログ記事、「今、脚光を浴びる行動観察」

http://auraebisu.blog53.fc2.com/blog-entry-180.html

文献8http://www.epiconference.com/epic2010/about

文献9:石垣一司、指田直樹、矢島彩子、「業務把握インタビュー手法」、FUJITSU誌、vol.58No.3p.188、(2007.

http://img.jp.fujitsu.com/downloads/jp/jmag/vol58-3/paper04.pdf

文献10:岸本孝治、寺沢真紀、平田貞代、「ビジネス・エスノグラフィと組織モニターによるワークスタイル変革」、FUJITSU誌、vol.60No.6p.591、(2009.

http://img.jp.fujitsu.com/downloads/jp/jmag/vol60-6/paper09.pdf

文献11:読売ADリポート「オッホ」20101011月号 特集・イノベーションのためのエスノグラフィー

http://adv.yomiuri.co.jp/ojo/tokusyu/20101005/201010toku1.html

文献12:田村大、「人間中心イノベーションとは~ビジネス・エスノグラフィが探求すること~」、慶應MCC通信【てらこや】、Vol.94 [2010/12/14]

http://www.keiomcc.net/terakoya/2010/12/report94.html

文献13Tom Kelly, Jonathan Littman2005、トム・ケリー、ジョナサン・リットマン著、鈴木主税訳、「イノベーションの達人! 発想する会社をつくる10の人材」、早川書房、2006.

文献14Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、クレイトン・クリステンセン、マイケル・レイナー著、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.

文献15Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、スコット・アンソニー、マーク・ジョンソン、ジョセフ・シンフィールド、エリザベス・アルトマン著、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.


参考リンク<2011.8.14追加>
 

 

 

 

 

 

「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」

イノベーティブな人材を育てる場として設立された「東大i.school」で、どんな活動が行なわれているかが書かれた本「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」[文献1]について考えてみたいと思います。先日の記事(イノベーションに必要な人材)で紹介したIDEOが指導している、ということで興味を持ちました。

 

まず、簡単に背景をご紹介します。東大i.schoolとは、東大の全学組織である「知の構造化センター」が実施する教育プログラムで[文献1p.143]、校舎があるわけでも学部や大学院があるわけでもなく、年に数回開かれる、数十時間の「ワークショップ」と「シンポジウム」だけがすべて[文献1、p.8]とのことです。この本では、その初年度(2009年度)に行なわれたワークショップの内容が紹介されています。

 

i.schoolのエグゼクティブ・ディレクターである堀井秀之教授によれば、知の構造化センターは、膨大な知識に対して知の構造化技術(情報や知識の間の関係性を抽出し、可視化する技術)を適用することにより、知的発見やイノベーション、問題解決、意思決定、人材育成に役立てるための方法論を構築することを目的として2007年から活動を行なっているそうです。i.schoolでは、そこで開発されたツールをワークショップで利用することにより、イノベーションを生み出す力をより強力なものにすることを目指し、将来的には、i.schoolの活動自体を研究対象として、認知科学、知能工学、脳科学、組織学習論など、様々な視点からの研究材料を提供し、イノベーション・サイエンスと呼べるような研究領域を生み出すことも期待する、とされています[文献1p.142-146]ので、単なる教育目的だけのためのプログラムではない、ということになります。

 

i.schoolの具体的な目標は、「言われてみて初めて『確かにそれこそ解決するべき課題だ』と気付くような『目的』と、『こんな上手い方法があったのか』と人々をうならせるような『手段』を見つけ出す力を養うこと」[文献1p.132]、とのことです。つまり、i.schoolでは、新しいイノベーションの「目的」と、その目的を達成するための新しい「手段」を見つけるためにはどうしたらよいか、という方法の試行を行ないつつ、学生には新しいアイデアを生む達成感と成功体験を提供して、社会に出てからイノベーティブな成果を上げてほしい、ということ目指していることになるのでしょう。ただし、ここで目指しているものは「人間中心のイノベーション」が前提とのことですので、イノベーションのうち、「物」をどう扱うかや、自然科学における「発見」を目指すようなことは直接の検討対象とはしていないようです。つまり、「シーズ志向」よりは「ニーズ志向」の立場にたったアプローチが追究される場だと理解できます。

 

以上の立場に立って行なわれる「ワークショップ」では、イノベーションをつくるために具体的にどのようなことが取り上げられるのでしょうか。i.schoolのコアにある「イノベーションを導く道筋」は「あつめる」「ひきだす」「つくってみる」とされていますので、それぞれの段階でどのような手法が用いられているかを見ることにしたいと思います。

 

あつめる[文献1p.19-63]

イノベーションの最初のステップを「あつめる」という言葉でまとめています。次の6つの方法が提示されていますが、「ふつうでない情報を得るために、ふつうではない収集の仕方をしよう」というのが共通のスタンスとされています。

・観察する:IDEOの考え方では「人類学者」の仕事に相当します。なるべく極端な対象を選び、解釈は入れないようにすべき、とのことです。

・インタビューする:簡単な質問から始めて掘り下げていく、やってみせて、描いてみせてもらう、「もし~なら」という仮定の質問に答えてもらう、などがコツ。

・ケーススタディのための資料あつめ:書籍や雑誌、ウェブサイトなどからの情報を集める。できるだけ一次情報にあたり、出典を記録すべき。

・未来を洞察する材料を準備する:現在の情報から演繹的に未来像を描く(「未来イシュー」と呼ぶ)。

・未来の「兆し」をあつめる:みんなが納得できるような未来予測ではなく、未来に影響を与えそうな小さな事件や出来事を集める。これを「スキャニング・マテリアル」と呼ぶ。そしてその兆しを分類して帰納的に「社会変化仮説」をつくる。

・思いつくものを持ち寄る:「観察する」代わりに、各人の「視点」「印象」「イメージ」を持ち寄る。それを上位概念化して評価軸をつくる。

 

ひきだす[文献1p.64-98]

このステップでは、得られた情報を吟味し、思考を深め、アイデアを「つくってみる」ステップに引き渡すことを行ないます。「インテグレーティブ・シンキング」と呼ばれる考え方すなわち、(1)要素を抽出する、(2)要素どうしの関係性を分析する、(3)検討する、(4)決定する、の4ステップからなる考え方が基本です。具体的な方法としては以下の6点が述べられています。

・ダウンロード(経験共有)する:情報をチーム内で共有する。情報、経験を共有し、関連するものをまとめて上位概念化する。

・コレスポンデンス分析:統計学(多変量解析)の技法を用いて、ある現象なり概念なりを評価点に基づき2次元に整理し、グルーピングする。

・ブレインストーミング:ダウンロードにつづくプロセス。IDEOはダウンロードとブレインストーミングをつなぐプロセスとしてHMWHow Might We?-「どうすれば私たちは…することができるだろうか」)を重視している。チーム内で共有された情報、特に上位概念に対して、別の場面への適用を想定した疑問文をつくり、それに答えていくことで新たなアイデアを着想する。

・シンセシス(統合):ダウンロードによる問題群とブレインストーミングによるアイデア群を結びつけイノベーション創造の機会を可視化する。

・インパクト・ダイナミクス(強制発想):「あつめる」段階で得られた「未来イシュー」と「社会変化仮説」を強制的に組み合わせ、どのような事態が起こるかを想像する。

・ケーススタディ(事例研究):事例を分析して、類似した要素をまとめることにより、世の中にどういう手段が存在しているかを頭の中に入れ、目的に対してどのような手段が有効なのか予測する素地をつくる。

 

つくってみる[文献1p.99-114]

IDEOの考え方では、つくってみることによってアイデアのどこがまずいのか、どこがうまくいかないのかを早期に看破することができるといいます。つくったものにより、概念の共有がしやすくなることに加えて、「考えてはつくり、つくっては考える」というサイクルがもたらす効果も重要と考えられます。具体的につくってみるものは次のようなものです。

・絵にする:アイデアを図式化するためではなく、アイデアを「表現」するために絵にする。

・身近な材料でつくる:模型をつくる。

・ステークホルダーの関係性を図示する:デザインするものがサービスの場合に重要。

・シナリオをつくる:明確なユーザー像を設定し、自分たちのプロダクトやサービスがどのように利用されるかを検証する。

・寸劇(スキット)を演じる:実際にどう使われるか試してみる。

・事業計画書を書く:技術的実現性、経済的実現性を検討する。

 

そしてこのような活動を行なうにあたり、i.schoolでは作業に適した物理的空間の確保、アイスブレイク、多様なチームメンバーが重要とされ、環境づくりにも配慮がなされます[文献1p.115-129]

 

以上、本書の内容になるべく沿って、私なりに理解したポイントをまとめてみました。なお、手法の詳細については本書ではさらに詳しく説明されています(本書に関するブログ記事[文献2,3]も参考になると思います)。イノベーションを生み出すための方法として興味深いものもあれば、効果が疑問に思われるものもあるように思いますが、全体の方向性としては間違っていないのではないでしょうか。本書では新しいアイデアを生み出す思考法としてアブダクション(結果から原因を推定する、データから法則や理論を導くような推論)が重要視されていますが、本書で紹介された手法はいずれもアブダクションにある程度は有効な方法と言えるように思います。ただし、i.schoolはこうしたツールの有効性を判断し、改善していくことも目的のひとつとしていますので、細かな手法の評価は現段階ではあまり意味のあることではないでしょう。実際、2010年度のワークショップでは、ややアプローチが変わっているようで[文献4]、3つのステップが<Understanding><Creating><Realizing>と表現され、<Understanding>では、エスノグラフィー、フォーサイト、<Creating>ではシナリオ・ライティング、プロトタイピング、チーム・ビルディング、<Realizing>ではストラテジック・プランニング、エグゼキューション(製造・事業運営)、コミュニケーションという手法(活動)が使われる(実施される)ようです。

 

以上の状況を考えると、この本をイノベーションのハウツー本として読むことは適当でないのだろうと思います(もちろん、ハウツーとして役立つ点もありますので、有効だと思えれば使ってみればよいのですが)。ただ、手法の細かい評価はさておくとしても物足りない点もありました。特に、この本で述べられた手法は、何を開発しようとするのか、世の中のどんな問題点を革新しようとするのかを見つけ出す方法としてはあまり有効なアプローチでよいとは思えません(ある「目的」を達成するための「手段」についてのアイデアを得るためには有効な方法が多く示されていると思うのですが)。未来予測の手法に基づいて、これからの時代に必要となるイノベーションを考えよう、というこの本の意気込みは買いますし、それでうまくいく場合もあるかもしれませんが、イノベーションにはこの本でとりあげた以外のアプローチ、例えばシーズ志向、予測不可能な新市場創造型の破壊的イノベーション(ノート4)、真のセレンディピティー(ノート6)に基づくイノベーション、人間中心でないイノベーションなどもあるはずです。もちろん、ある種類のイノベーションにだけでも適用できる手法があれば有益には違いありませんが、未来予測までを狙うのは現実的でないように思われますので、今後の発展を待ちたいと思います。

 

i.school全体の活動について最も画期的だと思われる点は、このような教育プログラムを実施していることではないでしょうか。特に企業の立場から見ると、学生にこのような体験をさせることは非常に有意義だと思います。この本で述べられた手法はイノベーションのアイデア段階に着目していると考えられますが、アイデア段階の検討というのは、イノベーション実現のプロセスのなかでは「最も面白い」部分ということができると思います。これに対して、イノベーションを現実に適用するためには、泥臭い地道な仕事もこなす必要があります(というより、泥臭い仕事の方が分量は多いでしょう)。おそらく、学生さんが就職して組織の一員としてイノベーションに関わる際には泥臭い仕事を担当させられる可能性が高いでしょう。そうすると、そういう仕事をやっている間はなかなかイノベーションの面白さに触れる機会は少ないと思います。その結果、自らの創造的な能力を認識しないまま日々の仕事に流されてしまうこともあるように思います。ですから、アイデアを出して追求することの楽しさ、そういうことができる自分やチームの能力を認識する機会を就職する前に持つことは重要だと思うのです。「できる」ことがわかっており、「やり方」も知っていれば「やってみよう」という気にもなるのではないでしょうか。そういう機会を提供しているi.schoolのコンセプトは非常に得難いもので、そういう経験を持っていれば泥臭い仕事に対しても自由な発想でアイデアを出していくことが可能になるように思われます。また、大学に入るまでは「習う」ことが主体だった学問や技術との関わり方を、「創造する」という方向に転換するきっかけにもなるのではないかと思います。

 

もう一点興味深いのが、この試みが経営学やMOTの立場から行なわれているのではない点です。イノベーションに役立つ人材を育てるMOT教育という観点からみると、i.schoolのプログラムは欠陥だらけ、ということになるかもしれませんが、個別の専門を持った人材にMOTの考え方に触れる機会を提供する、という意味での意義は大きいと思います。イノベーションに役立つ人材とはどのような経験をし教育を受けた人材なのか、社会はどのような人材を求めているのか、という点についての検討も含め、「知の構造化」だけにとらわれないi.schoolの今後の発展を期待したいと思います。以上、私にとってこの本は個別の手法の解説よりも、イノベーション科学や新たな人材育成の可能性が感じられた点が印象的でした。

 

 

文献1:東京大学i.school編、「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」、早川書房、2010.

東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた
文献2:舘野泰一さんのブログ記事、「[書評]イノベーションの技法がちりばめられた教育プログラム!-東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」

http://www.tate-lab.net/mt/2010/06/todai-shiki.html

文献3:竹内慎也さんのブログ記事、「東大式 世界を変えるイノベーションのつくりかた」

http://ameblo.jp/1-class/entry-10552862934.html

文献4:東大i.schoolウェブサイトより「i.school3つのステップ」

http://ischool.t.u-tokyo.ac.jp/programs/outline

 

(参考)

・東京大学知の構造化センター

http://www.cks.u-tokyo.ac.jp/index.html

 
参考リンク<2011.8.14追加>

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