研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

信頼

ノート10改訂版:研究組織の望ましい特性と運営

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点→ノート1~6
2、研究の進め方についての検討課題
2.1
、研究を行なう人の問題
→ノート7~8
2.2
、研究組織の問題
①研究組織の構造→ノート9

②研究組織の望ましい特性と運営
ノート
では、研究組織の構造について、人や組織同士がどうつながっているかの観点から主に考えてみましたが、研究活動にとって望ましい組織形態というものを特定することはなかなか難しいようです。その理由はおそらく研究活動の特性によるものなのでしょう。もし研究組織の構成員が、業務を分担する部品のような存在であれば、その活動を管理できるような構造を考えればよいのでしょうが、事前に業務の内容や分担がはっきりとは決められず、臨機応変の対応や当初の計画にない創発的な対応が求められる研究活動は、計画的な分業や管理に向いているとは言えないように思います。すなわち、組織構造の形態的な面を検討するだけでは不十分で、組織にどのような人を集め、その組織をどのように運営して望ましい特性を発揮するようにするかも考慮しなければならないと言えるでしょう。

では、研究組織にはどのような機能・特性が求められるのでしょうか。ノート5で検討した研究部門に求められる活動のなかでも、最も重要なものは創造性の発揮、すなわち、答えが未知の課題に取り組み、課題解決の方法を創造することでしょう。加えて、単に成果を得るだけでなく、その成果が上位の組織(会社や社会)の方向性に合っていることや、研究成果の実現のために他の組織と協働することも求められるはずです。以下、このような要求に応えられる組織のあり方を考えてみたいと思います。

創造性を発揮できる組織
例えば野中郁次郎氏は「場」というコンセプトを提示しています。その考え方は次のようなものです。
対話と実践という人間の相互作用により、知識を継続的に創造していくためには、そうした相互作用が起こるための心理的・物理的・仮想的空間が必要であり、そうした空間を「場」と呼ぶ。そこでは、参加者の間で自他の感性、感覚、感情が共有される相互主観が生成し、個人は自己の思惑や利害などの自己中心的な考えから開放され、全人的に互いに向き合い受け容れあう。場は動的文脈であり、常に動いている。「よい場」の条件は、1)独自の意図、目的、方向性、使命などを持った自己組織化(=自律性が必要)された場所でなければならない、2)参加するメンバーの間に目的や文脈、感情や価値観を共有しているという感覚が生成されている必要がある、3)異質な知を持つ参加者が必要、4)浸透性のある境界が必要。文脈共有には一定の境界設定が必要だが、必要に応じて境界を開いて新しい文脈を取り入れ、あるいは必要に応じて境界を閉じて中の文脈を守る、というのが「浸透性のある境界」の考え方、5)参加者のコミットメントが必要。場において生成する「コト」に「自分のこととして」かかわることによって知識は形成される。こうしたコミットメントを得るためには、信頼、愛、安心感、共有された見方や積極的な共感などが必要。知識創造には内因的モチベーションが必要(外因的要因には暗黙知の表出化を推奨する効果は期待できない)。内因的モチベーションが有効に機能するには、仕事において創造性を要求されること、内容が広範囲で複雑で幅広い知識が必要とされること、暗黙知の移転と創造が不可欠であることのいずれかが含まれなければならない[文献1、p.59-79]。
もちろん、創造的な組織の特徴はこれに限られるものではなく、例えば、Tiddらは、イノベーティブな組織に関する先行研究に基づき、組織構造以外に、ビジョンの共有、リーダーシップ、イノベーションへの意欲、鍵となる個人、効果的なチームワーク、個人の能力向上の継続と拡充、豊富なコミュニケーション、イノベーションへの幅広い参画、顧客指向、創造性ある社風、学習する組織、といった要素が重要と認識されていると述べています[文献2、p.371]。いずれにしても、組織構造のみならず、こうした特性を考慮することも重要、ということでしょう。ここでは、野中氏の挙げた要素をもう少し深く考えてみることにします。

自律性
野中氏は「組織のメンバーには、事情が許すかぎり、個人のレベルで自由な行動を認めるようにすべきである。」と言い、そうすることによって、組織は思いがけない機会を取り込むチャンスを増やし、個人が新しい知識を創造するために自分を動機づけることが容易になる、と述べています[文献3、p.112]。このような自律性の重要性についての主張は、研究開発の成功例において、その組織が自律(自立)的であった例が多いと感じられることからも信頼に足るものと思われますが、トップダウンの組織では部下の自律性を許容することと、部下にトップダウンの命令を実行させることは相容れない可能性があるでしょう。このような状態で自律的であるためには、トップと部下の間での信頼を築くことが必須のように思います。例えば、ホンダでは、「自立(自律)、平等、信頼」が「人間尊重の哲学」として重視されている[文献4]そうです。また、KimMauborgneは「公正なプロセス」の重要性を指摘しています。公正なプロセスの要素は、関与、説明、明快な期待内容、という3つの要素で構成され、このプロセスをとることによって、自分の意見が重んじられているという信頼と関与が生まれ、自発的な協力が発生することによって、期待を超える水準の献身が期待できるということですが[文献5、p.226]、これは同時に自律性の高い組織の特徴とも言えるのではないでしょうか。このような考え方を明示することによって、自律と放縦の区別が可能になり、周囲からの信頼を得やすくなるのではないかと思われます。

目的・感情・価値観の共有
組織にとって、基本理念、ビジョンを持つことの有効性は、CollinsPorrasの指摘する通りと考えられますが[文献6]、特に研究活動においては守るべき基本理念、ビジョンを持つことによって、目的・感情・価値観の共有が実現され、これによって、メンバー相互の意思疎通が効果的になり、また、細かな管理をしなくても行動の方向性が統一されやすくなることが創造性の発揮によい影響を及ぼすと考えられます。不確実、予想外のことを取り扱う研究活動においては定型的な対応が困難な場合が多いので、守るべき基本理念がないと一貫した組織的な対応がとりにくくなったり、モチベーションが低下したりする場合もあるのではないでしょうか。さらに、Collinsは組織飛躍のためには、単純明快な概念(針鼠の概念)すなわち、世界一になれる部分、情熱をもって取り組めるもの、経済的原動力になるものの重なる部分を理解し、この概念を確立することが必要と述べていますが[文献7、p.130]、この考え方は研究開発活動の具体的な進め方を考える上で重要な示唆を与えるものと思われます。

多様性
野中氏らは、組織的知識創造を促進する要件として、組織の意図、自律性、ゆらぎと創造的なカオス、冗長性(当面必要としない仕事上の情報を重複共有すること)、最小有効多様性(複雑多様な環境に対応するためには、組織は同程度の多様性を内部に持っている必要があることを指す)を挙げています[文献3、p.118-123] [文献8、p.77]。また最近では、多様性によって問題解決や予測がうまく行えるようになりうることが、複雑系の研究者によって指摘されています[文献9]。ただし、「多様性を追求する際には、多様性と能力のバランスを取ることを忘れてはいけない。・・・能力は多様性と同じく重要だ[文献9、p.444]」、という指摘はよくわきまえておく必要があるでしょう。多くの研究組織は類似する技術分野の人から構成され、先輩から後輩への技術伝承が専門性の育成に重要とされることも多いため、発想の画一化による創造性の低下が懸念されるとはいっても、例えば、多様性を確保する目的で人事ローテーションを行なって個人に様々な経験をさせることは専門性育成の阻害につながる可能性もあります。専門性の充実と多様性の確保のバランスをとるためには、おそらく個人に様々な経験を積ませることよりも、様々な人材をひとつの組織に集めることで組織としての多様性を確保する方が効果的と思われます(もちろん、度が過ぎなければ個人にとって専門性の異なる経験は非常に重要ですが)。

浸透性のある境界、参加者のコミットメント
これらは、組織が閉鎖的になりすぎてはいけないこと、メンバーが目標達成に積極的に関わる組織にすべきであることを示唆していると思いますが、いずれもコミュニケーションに深く関係していると思います。組織に多様なメンバーを集めることができたとして、多様性を有効に活用するためには、コミュニケーションを活性化する必要がありますし、コミュニケーション不足でメンバーに適切な情報が与えられなければ業務への積極的な関与も期待できないでしょう。コミュニケーションのための仕組み(例えば頻繁なミーティングなど)と、異なる意見を受け入れる組織風土がなければ多様性の維持活用は不可能と思われます。組織内でのコミュニケーションに加え、組織外部とのコミュニケーションも重要です。ただし、基礎研究的な性格を持つプロジェクトについては外部とのコミュニケーションと研究成果の間に正の相関があるが、開発研究や技術サービスを行なう組織では負の関係があることを示す研究もあるようです[文献8、p.70]。野中氏も指摘するように、実際には必要に応じて境界を開けたり閉めたりするコントロールが必要とされるのでしょう。また、外部との結び付きの強さに関しては、Rogersはグラノベッターにより提唱された「弱い絆」の重要性を指摘しています[文献10、p.303]。これは重要な新しい情報は親密な関係の人よりも、それほど親しくない関係の人からもたらされるというもので、親しくない人との接触機会は少なくても、得られる情報は親密な人からの情報に比べて新しいことが多いことに基づいていると理解できます。誰とコミュニケーションすべきかについての重要な示唆を与えてくれる考え方だと思います。

組織の方向性・協働
組織の活動やアウトプットを、より上位の組織(会社全体)の方向性に合わせること、他の組織と協働することのためには、他の組織との間での目的・感情・価値観の共有、異なる意見を受け入れる組織風土、信頼関係、コミュニケーションなどが重要になるでしょう。イノベーションを担当するチームと社内既存組織とが協働してイノベーションをうまく進めるために、どのようなチームを作り、どのようにマネジメントを行うべきかについてはGovindarajanらによる提案[文献11]がありますが、基本的な考え方は上記のものと同様であるように思われます。

考察:なぜこういう考え方が必要とされるのか
以上、組織の特性と運営について、特に重要と思われる指摘をまとめてみました。研究グループのリーダーにとっては組織の形態は与えられているもので変更はできないことがほとんどでしょうから、その環境において最大の成果を挙げるために、組織の特性を理解し効果的に運営を行なう努力は重要であると考えられます。しかし、現実には、このような考え方は企業内部では一般的ではないかもしれません。研究開発や知識創造に関わりの少ない部署では、別のマネジメント思想があり得ますし、コミュニケーションや社内連携をしなくても仕事ができる部署はそうした必要性を認識していないかもしれません。また、多様性や冗長性は、ムダを排する効率優先の思想とは相容れない可能性もあります。

しかし、以下のような社会の変化を考慮すると、イノベーションの達成のためには、本稿に述べたような組織の運営を行なうことで、メンバーおよび組織の能力の発揮を狙うことは必要なことなのではないでしょうか。
・個々の技術が専門化して、個人の理解には限界があること
・技術が複雑化し、様々な要因がからみあって、未来の予測が困難になっていること
・技術の交流が活発化し、一旦確立した競争優位の維持が難しくなっていること
・技術的優位だけでは成功を得にくくなり、ビジネスモデルのイノベーションが求められること

要するに、これからの時代、イノベーションは天才的な一個人の活躍や、個人および研究部隊の努力だけでは実現しにくくなり、組織内外での協力、協働が不可欠になってきているのではないかと思います。しかし、個人や組織の高度な専門性がなければ、協力だけでは大きなイノベーションは期待できないでしょう。高度な専門性を確保しつつ、ここに述べたような点に注意して好ましい組織運営を行うことは、組織の構造によらず、イノベーション実現のために必要なことなのではないでしょうか。


文献1:野中郁次郎、遠山亮子、平田透、「流れを経営する――持続的イノベーション企業の動態理論」、東洋経済新報社、2010.
文献2:Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、ジョー・ティッド、ジョン・ベサント、キース・バビット著、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.
文献3:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、野中郁次郎、竹内弘高著、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献4:小林三郎、「ホンダイノベーション魂 第16回 自律、信頼、平等」、日経ものづくり、2011年7月号、p.103
文献5:Kim, W.C., Mauborgne, R., 2005W・チャン・キム、レネ・モボルニュ著有賀裕子訳、「ブルー・オーシャン戦略」、ランダムハウス講談社、2005.
文献6:Collins, J.C., Porras, J.I., 1994、ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー」、日経BP出版センター、1995.
文献7:Collins, J., 2001、ジェームズ・C・コリンズ著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」、日経BP社、2001.
文献8:三崎秀央、「研究開発従事者のマネジメント」、中央経済社、2004.
文献9:Scott E. Page, 2007、スコット・ペイジ著、水谷淳訳、「『多様な意見』はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき」、日経BP社、2009
文献10:Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献11:Vijay Govindarajan, Chris Trimble, 2010、ビジャイ・ゴビンダラジャン、クリス・トリンブル著、吉田利子訳、「イノベーションを実行する 挑戦的アイデアを実現するマネジメント」、NTT出版、2012.


参考リンク

ノート目次へのリンク



フューチャーセンターとは

近年の社会問題など、複雑な問題の解決やイノベーション実現の方法としてフューチャーセンターが注目されているようです。今回は、フューチャーセンターとは何か、その考え方からどんな示唆が得られるかについて、野村恭彦著「フューチャーセンターをつくろう」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。ちなみに、著者は、「本書は、フューチャーセンターの思想と、『場の主宰者としてのあり方』を理解し、その具体化のための『対話とイノベーションの方法論』を体得・実践していただくことを目的に書きました[p.14]」としていますので、マネジメントに役立ちそうな実践的方法論も併せてまとめてみます。

フューチャーセンターとは

・「フューチャーセンターという名前を最初に使ったのは、スウェーデンのレイフ・エドビンソン教授[p.18]」。エドビンソン教授は、「未来の知的資本を生み出す場」として「フューチャーセンター」を考え、今では、欧州を中心に40以上のフューチャーセンターが立ち上がっている[p.21]とのことです。ただ、世界各地のフューチャーセンターが主にパブリックセクターで広まったのに対し、日本では、企業を中心に拡がっている点、注目されているのだそうです[p.25]。

・より具体的には、「組織を超えて、多様なステークホルダーが集まり、未来志向で対話し、関係性をつくる。そこから創発されたアイデアに従い、協調的アクションを起こしていく。そのための「つねに開かれた場」が、フューチャーセンター[p.157]」。

・「フューチャーセンターは、『対話のための専用空間』でもあり、『人と人とのつながり』でもあり、『企業や社会の変革装置』でもあります。フューチャーセンターで行われる活動は、私たちが『人として』社会や市場経済と向き合い、協力し合って変化を起こしていくための、本質的な対話と協調です[p.11]」

・「知的資本経営では、『現在の収益は過去の知的資本が生み出したもの』と考えます。当然、長期的な成長を行うためには、『未来の知的資本を生み出す活動』が必要になります[p.19]」。「知的資本は、人的資本・構造的資本・関係性資本の三つからなるといわれています。未来の人的資本は、『人の成長』であり、未来の構造的資本は、『ビジネスモデルなどのアイデアの創出』、そして未来の関係性資本は、『新しい人と人とのつながり』を生み出すことになります。[p.22]」

・「フューチャーセンターは、未来の不確実性に立ち向かうための装置にほかならない[p.22]」

・企業がフューチャーセンターに取り組む理由

レベル1:企業の中に対話の文化を育みたい

レベル2:組織横断でスピーディに問題解決できるようにしたい

レベル3:社外ステークホルダーとともにイノベーションを起こしたい

「興味深いことに、どのレベルの問題意識から入っても、結局同じようにレベル1から順にレベル3まで辿っていくことになります。[p.34]」

・「イノベーションを起こすのは、容易ではありません。新たな価値の発見のみならず、それを提供できるように、社内変革も同時に実行しなければなりません。社会的価値の理想像を掲げ続けることで、社内の意識が変わります。これこそ、イノベーションをねらったプロジェクトを成功に導くための必要条件なのです。[p.49]」「フューチャーセンターは、『創造的(クリエイティブ)』な発想でセクターの壁を超え、『対話(ダイアログ)』によってセクター間の新たなつながりを生み出します。そのつながりのなかで、企業と社会起業家が手を取り合って、一緒に社会と市場を変革し、新たな産業を生み出していくのです。[p.51]」

フューチャーセンターでどうやってイノベーションを達成するか

・フューチャーセンターの6つの原則[p.60-66]

1)思いを持った人にとっての大切な問いから、すべてが始まる:情熱のない問いは、何の変化も起こさない。社会的な共通善が必要。問いの質を高めるためには、つねに社会全体のことを考えて行動する。

2)新たな可能性を描くために、多様な人たちの知恵が一つの場に集まる

3)集まった人たちの関係性を大切にすることで、効果的に自発性を引き出す:できるだけ少ない人数に分かれて「傾聴」することで確実に関係性が深まる。参加者全員が相互に話を聴くことで、全員のポジティブなパワーを引き出すことができる。

4)そこでの共通経験やアクティブな学習により、新たなよりよい実践が創発される:時には「実際にやってみること」が、思いもよらないグッド・アイデアを生み出してくれる。

5)あらゆるものをプロトタイピング(試作)する:仮説の段階でそのコンセプトの完成度を高めるよりも、とにかく目に見えるかたちに表現してみる。絵でも、コラージュでも、システム図でも、物語でも、何でもかまわない。

6)質の高い対話が、これからの方向性やステップ、効果的なアクションを明らかにする:アクションプランは「やらねばならないこと」であることが多く、往々にして、「なぜそれをやらねばならないのか」が共有されていない。質の高い対話が生みだすものは「一緒にやりたいこと」。お互いの状況を深く理解していれば、効果的なアクションをとることも難しくない。

フューチャーセンターの構成

・「フューチャーセンターには、ファシリテーター、方法論、空間、ホスピタリティの4つの要素が必要です。[p.160]」「ファシリテーターとしてのスキルを磨くには、通常の会議のファシリテーション、個人や組織の想いを引き出すコーチングなどの手法が役立ちます。[p.160-161]」、「フューチャーセンターを実現するうえでの切り札であり、またフューチャーセンターのユニークさでもあるのが、空間とホスピタリティです。創造的な空間、参加者をあたたかく迎える演出は、『いつもと違う対話とアクション』へと人を向かわせるパワーを持っています。[p.162]」

・フューチャーセンターの方法論[p.78-79]:

1)対話:相互理解・信頼の関係性を構築する、異質から気づきを得る、内省や志向を深める。たとえば、ワールドカフェ、OST、AI、フィッシュボウルなど。

2)未来思考:複数の未来シナリオを想定する、未来からバックキャストする。たとえば、未来スキャニング、シナリオプランニング、フューチャーサーチなど。

3)デザイン思考:体験から学ぶ、作りながら学ぶ、形にしてみることで改善し続ける。たとえば、ユーザー観察、ブレインストーミング、経験プロトタイピングなど。

・フューチャーセンター・ディレクター:「フューチャーセンター・ディレクターは、フューチャーセンターのミッション、扱う問題の領域を決めます[p.67]」。「フューチャーセンター・ディレクターは、強い『想い』を持っていなければなりませんし、また他人の『想い』を引き出し、『パワフルな問い』を立てられる人でなければなりません。・・・必要な特性をあげるならば、情熱、好奇心、共感力、それらを統合した人間的魅力でしょう[p.68]」。「あらゆるフューチャーセンター・ディレクターが、ファシリテーター、方法論、空間とホスピタリティのすべてに目を配り、調和された場づくりを指揮します[p.163]」

フューチャーセンター・セッションの実行

・フューチャーセンター・セッションとは、論理的分析だけでは解決できない複雑に絡み合った問題に対して、『対話』と『未来思考』と『デザイン思考』の力でブレークスルーする場[p.80]」

・フューチャーセンター・セッション設計の5ステップ[p.82]:

1)視野を広げてテーマを設定:従来の常識から離れる、過去、未来にスケールを広げて課題設定する。社会的なテーマに広げて課題設定する。

2)多様性を確保して人集め:ステークホルダー(専門家、生活者)に注目、専門性の違う人を選ぶ、横断的(企業、部門、チーム横断)に人を選ぶ。

3)非日常を演出:日常を持ちこまない、非日常の経験を演出する(目を見開かせる、思いがけないこと、くつろげる雰囲気、面白み・遊び)。

4)主体性を引き出す運営:テーマへの深い共感を得る、参加者が相互に認め合う雰囲気をつくる、一つの答えを出すことにこだわらない。

5)参加者全員の深い気づき:実行への期待を高める、議事録で感情を含めた物語を伝える、過去の対話に立ち戻れる仕掛けを用意する。

・「自らの視野と経験の拡大により、まったく異なる立場から発想できるようになります。異なる立場の人と共感し、異なる立場の人の行動を変えることで、イノベーションが生み出されます。[p.159]」

ファシリテーターに求められる能力

・「フューチャーセンター・セッションの成功のカギを握るのはファシリテーター[p.88]」

・求められる7つの仕掛け[p.90-92]:1)セッションに招待するゲストに「なぜあなたに来てほしいか」を事前に伝える、2)この人の情熱はすごい、この人の考え方に触れたいと思えるような、あこがれの人を招く、3)どんな参加者に対しても深い愛と傾聴で対応する、4)板書によるリ―タシップ、5)付箋を使って参加者の主体性を引き出す、6)セッション終盤に内容を整理して示す、7)セッション終了後、結果を整理してフィードバックし、参加者の貢献とセッションで得られた洞察の大きさを讃える。

・テンションのコントロール:「テンションはネガティブになると『緊張感』となり、ポジティブになると『張り』になります。」『緊張感』を下げ、『張り』を高めることに注意。[p.92-95]

フューチャーセンター設計ガイドライン

・設計ガイドラインは、フューチャーセンターの6原則に対応した、原則実現のためのノウハウやアイデアの方向性。[p.104-114]

1)信頼感:「テーマを提起する人が、この問題を語るにふさわしい人だと参加者の誰もが思えれば、セッションに対する信頼感は高まります。・・・もう一つの要素は、ファシリテーターの示す情熱です。ファシリテーター自身が『この場に集まった人たちには、この問題を解決する力がある』と信じ、そして『必ず創発を起こす』という強い意図を持っていることが、場に大きな影響を与えます。ファシリテーターの示す『場への信頼』が、参加者にとてつもなく大きな信頼感を与える」

2)多様性:「『多様であることをパワーに変えていく力』が必要」、「空間もファシリテーションも、『インクルーシブ(除外されてきた人々を包含する)』にデザインされている必要」がある。「『違いから学ぶ』ことを体感することも大事」、「階層を感じさせないこと、さらには階層間での学び合いを積極的に促すことが必要」

3)関係性:「関係性を大切にしていることを表現するためには、『お迎えの仕方』が大切」「問題解決より先に、人間関係を大切に」

4)全体性(共通体験、アクティブな学習):「そこに来た人たちが、お互いの間に壁を感じることなく、全体で一つの場をつくれるようデザインされるべき」、「少人数での対話の機会をつくることによって、逆に全体性が感じられる」

5)可視性(プロトタイピング):「一つの正しい答えを論理的に導くのではなく、たくさんの仮説を形にしていきます。」「現れたアイデア一つひとつをしっかりとつかみ取ることが大切」

6)安心感(質の高い会話):「自己との対話をしっかりと行うためには、安心な場が必要」、「他人が自分を攻めたり、揚げ足をとったりしない場なのだという安心感をしっかりと確認することに、大きな価値がある」

高質な「対話の場」(よい場)の条件[p.117-131]

・美しい場所、意味のある場所、外部に開かれている、おもてなし(ホスピタリティ)で参加者の期待感を高める、参加者全員を『唯一の特徴を持った人』として『主役』になってもらい、適切な『出番』を持ってもらう。

フューチャーセンターによる変革

・アクションにつながる要因[p.140-141]:1)課題提起者が本気であること、2)実行力を持った参加者がいること、3)ファシリテーターが強い意志を持って関わること

・日本企業のイノベーションプロセスの提案[p.144-145]:「未来シナリオは、日本企業に合ったやりかたです。なぜなら、シナリオプランニングは複数のシナリオを提示して、それらに備えるかたちでアクションを決める方法論なので、意思決定者にとっては、説明責任が果たせて安全だからです。」「つまり、日本企業のイノベーション・プロセスは、次のように考えればよいのです。まずデザイン思考のプロセスで洞察を得て、そこからたくさんのアイデアを出していきます。続いてそのアイデアをベースに、未来思考で複数のシナリオを作成して、全員のコンセンサスを得る。そしてさらに、対話の方法論によって意思決定者、協力者、顧客などを巻き込み、一緒にコンセプトをつくり上げていきます。合議制の日本型組織でも、これら3つの方法論を組み合わせれば、イノベーション・プロセスを回していくことができるでしょう。」

・「ビジョンや戦略で人を動かすのは難しいことですが、新しい人とのつながりは、一瞬にして人の行動を変えるのです。[p.156]」

―――

以上が、私が重要だと感じた点ですが、本書では必ずしも体系的にまとまった形で書かれているわけではないように思われました。おそらく、著者が「ぜひ一回、実際にご自分で開催してみてください。あるいは、他の人が主催するフューチャーセンター・セッションに参加してみてください[p.86]」と言っているように、体験してみることが必要なのかもしれません。また、フューチャーセンター活動はその歴史も浅いため、上記の方法で本当にうまくいくのかどうかが実績で証明されているわけでもなく、どんな場合に効果があるのかが明確になっているわけでもありません。しかし、現在の経営に行き詰まりを感じているのであれば、フューチャーセンターの不確実性を懸念して何もしないことよりも、可能性に賭けてみるという発想も必要ではないでしょうか。本書の考え方は確立された絶対的なものとしてではなく、一つのアプローチとしてまず使ってみることが重要なのだろうと思います。

加えて、マネジメント面での有意義な示唆も含んでいるように思います。特に、フューチャーセンターの考え方と、野中郁次郎氏らによる知識創造理論の関係が興味深く感じられました。フューチャーセンターには、「場」の創造、賢慮型リーダーシップ、共通善、組織的な知識創造、多様性の重視など、野中氏の理論でも重視される概念が活用されています。野中氏の理論は、使う立場からするとわかりにくい面がありますが、それに対して、本書に述べられたフューチャーセンターの考え方は、知識創造理論の一面を具体的に実践しやすい形に再創造しているとも考えられるように思います。

また、他者との協働によりイノベーションを達成する手法は、オープンイノベーションとも関連すると言えるでしょう。ただし、単に仕事の一部を他者に担当してもらう、というような相互補完的なオープンイノベーションでは、フューチャーセンターのような深いレベルでの協働はできないように思われます。オープンイノベーションの真価を発揮させるためには、単なる分業ではなく、フューチャーセンターの特徴である対話や信頼、主体性などを重視した協働を行う必要があるのかもしれません。

なお、本書では、フューチャーセンターの役割として、社会的な問題の解決が主眼となっているように思われます。企業にとっても、そうした社会的問題の解決に貢献することは意義深いことではありますが、企業の第一線の研究者、研究マネジャーにとっては、やや縁遠いようにも思われます。ただし、フューチャーセンターで用いられる手法は、企業内における研究マネジメントでも活用可能ですので、対話、多様性、信頼、主体的行動の促進、デザイン思考など、フューチャーセンターの考え方を支える基本思想の有効活用を心がけることは重要でしょう。

今後、フューチャーセンターの活動が活発になってくれば、様々な問題点も顕在化してくるかもしれません。実際には、本書に示されたフューチャーセンターの姿もひとつのプロトタイプとして考え、様々な場面でその方法論を進化、発展させていくことが必要になるのだと思います。しかしその過程では、当初想定していなかったようなフューチャーセンターの優れた点が創発してこないとも限りません。イノベーションに関わる一つの重要な動きとして今後も注目していきたいと思います。



文献1:野村恭彦、「フューチャーセンターをつくろう 対話をイノベーションにつなげる仕組み」、プレジデント社、2012.

(参考)野村恭彦、「フューチャーセンターをつくる!」、PRESIDENT Online2011.12.29-2012.4.19、全17回:本書のかなりの部分の内容が読めます。

http://president.jp/subcategory/%E3%83%95%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%EF%BC%81


参考リンク<2013.8.18追加> 





 


 

「科学嫌いが日本を滅ぼす」(竹内薫著)感想

現在、日本に充満している閉塞感を打破するために日本企業はどう行動すればよいのか。特に、科学者や技術者にとっては、科学技術をどう成果に繋げていけばよいのか、解決すべき問題は何なのかを考え、行動することは大きな課題といえるのではないでしょうか。竹内薫著、「科学嫌いが日本を滅ぼす」[文献1]では、こうした問題点を認識し科学と社会との関係を考える上でのヒントになる話題が取り上げられていますので、私なりの視点でのまとめと感想を述べさせていただきたいと思います。

まず、著者が「科学嫌いが日本を滅ぼす」と考えている理由を見てみましょう。「科学技術への関心の低さ、そして、もの作りの基本である物理学の履修率低下(現在の高校生の物理学の履修率は3割以下だそうです)(中略)その先に必然的に待ち受けているのは、日本の国力の低下であろう。誰もが科学技術にそっぽを向いている状況では、当然のことながら、エンジニアとして活動する人の母集団が小さくなる。本来、日本のもの作りを支えるはずだった優秀な人材の多くが、金融やサービス業などに流れてしまい、もの作りがダメになる。それが世界的な趨勢であれば、しかたないかもしれないが、欧米諸国では、科学技術の凋落は見られないし、お隣の韓国や中国にいたっては、国をあげて製造業をもり立てている状況だ。日本だけが競争から退場しつつあるのだ[p.12]」。「一般の人々は科学に(あまり)興味を示さず、また、科学者の多くも啓蒙活動を小馬鹿にしていて、健全なコミュニケーションが失われている。科学関連予算は減り続け、モノ作りの力は弱まっている。社会全体として、いざという時にも、科学的かつ合理的な判断よりも扇情的な発言ばかりがちやほやされる。」「自分の中で、『日本の科学はこのままでいいのか?』という強い疑念が生じてきた」[p.215]と述べています。

本書の表題が「科学嫌いが日本を滅ぼす」、となっているのはこうした背景からのようです。ただ、実際にはこの主張が系統的に議論されているわけではなく、本書副題の「『ネイチャー』『サイエンス』に何を学ぶか」についての具体的なエピソードが以下の構成に従ってとりあげられています。

I部:ネイチャーvsサイエンス:世界をリードしている(とされる)両科学誌の歴史とエピソード

II部:科学誌の事件簿:二重らせんスキャンダル、ES細胞スキャンダル、PCR法の開発者マリス博士のエピソード、遺骨鑑定問題、疑似科学

III部:日本の科学を考える:はやぶさ、英語、ノーベル賞とイグ・ノーベル賞、原発事故

特別鼎談:中川貴雄氏×中垣俊之氏×竹内薫氏

著者は、「『ネイチャー』と『サイエンス』という2大科学誌を分析することにより、日本の科学の「あるべき姿」を描き出そう、と考えた」[p.12]といわれています。そこで以下では、本書のエピソードから私なりに受け取った、科学のあるべき姿をまとめてみたいと思います。

科学界と科学者の実態

・「この2誌に論文が掲載されるかどうかが、科学界における立身出世の分かれ目になってしまった観もある」「権威ある科学雑誌に自らの業績を喧伝することが予算獲得において死活的に重要」[p.37](実際には、科学の分野によってどの雑誌が評価されるかは異なりますが、「ネイチャー」と「サイエンス」が比較的評価の高い雑誌であることには異論がありませんし、評価の高い雑誌への論文掲載が科学者の評価につながることは事実といってよいでしょう。)

・ただし、両誌に限らず掲載論文の質を高めるために採用されているピアレビューにも問題はあり、「科学者も人の子なのだ。やっかみもあれば意地もある。」「科学誌に残る大発見の論文の多くは、現代科学の根幹であるピアレビューを経ていない。」(多くかどうかは議論のあるところだと思いますが。)、「科学を進展させるためにピアレビューは進化した。だが、しょせんは人間がつくった制度である。過信は禁物だし、例外を認めることも忘れてはならない。」[p.38-39]とのことです。

・ネイチャーは商業誌、サイエンスは会員誌[p.48]。この違いは掲載内容にも影響する。

・賞の選考(成果の評価について):「科学者は自らの文化圏に影響されず、客観的かつ論理的に思考すると思われがちだが、そんなことはない」[p.163-164

・純粋な営みと思われている科学の世界にも、スパイ合戦、業績の横取りがある[p.89](ワトソン、クリック、ウィルキンスらによる二重らせんスキャンダル)

・「学校の勉強は、科学系の科目に限らず、本来は楽しく知識を身につけることに意味があったはずだ。でも、それは『理想論』にすぎない。」「人は誰しも競争を強いられるプレッシャーの大きな状況で、不正行為へと駆り立てられる場合がある」[p.91](黄禹錫(ファンウソク)元教授による研究論文ねつ造事件)。

・著者の実例:依頼されて書いた解説記事が著者の知らないうちに疑似科学系の本に掲載され、科学者のキャリアを失う[p.125]。

・寛容の精神:「最初から決めつけるのではなく、虚心坦懐に論文を読み、新たな可能性があるのなら、周囲の反対を押し切ってでも掲載に踏み切る」[p.128]。

科学に対する政治の対応

・横田めぐみさん遺骨鑑定問題:「横田めぐみさんの遺骨が偽物」との日本政府発表に対して、ネイチャー誌がDNA鑑定結果に疑問を提示、「問題は科学にあるのではなく、(日本)政府がそもそも科学の問題をいじくり回している点にある」と論評。著者の見解は、「『遺骨』が横田めぐみさんのものであることはDNA鑑定で証明できなかった、というのが現時点での『科学的真実』であることは明白だ。『遺骨』は横田めぐみさん以外の別人のものであることがDNA鑑定で証明された、という日本政府の公式見解は著しく科学的妥当性を欠く。」[p.108-116

・「日本の科学界は、お役所と同じで、縦割りの弊害が目に余る。学際分野も冷遇されている。日本の科学を横断するボトムアップの組織が必要なのだ。科学技術立国・日本における、科学の人気のなさ、科学振興のお粗末さは、大いなるパラドックスといわねばなるまい。」[p.76

・「はやぶさ」予算の2009年事業仕分けでの大幅縮小:「短期的な視野しかもたずに、世界から見れば『宝物』の科学技術を平気でドブに捨てるのが、日本政府の過去の政策パターン」、「この恐るべき政策パターンは、明治時代に欧米から『百科の学』として科学を『輸入』してしまったことに起因するように思われる。自ら生んだ文化でないから、自信が持てず、長期的な視野で育て上げる甲斐性がない」、「技術の継承ができなければ、宝物は失われ、技術者もノウハウも他国に奪われる運命となる。」[p.132-134

・「日本の強みは、常に、安くて品質のいい製品を作ることだった。結局のところ、それが日本の科学技術の本質であり、武器なのだ。この原点を思いだせば、まだまだ日本は世界と伍して戦うことができる。」「日本のお家芸を政府が潰してはならない。今こそ、短絡的な科学技術の仕分けを見直し、科学者・技術者のやる気を喚起し、明るい日本の未来を創造してもらいたいものだ。」[p.144

科学に対する人々のとらえかた

・『生高物低』『化高地低』:「生物や化学ばかりに人気が集中し、物理や地学を履修する生徒がどんどん減っている現象。」[p.56

・「アメリカの平均的な科学リテラシーは高くないかもしれないが、一般の人々は科学が好きだし、信頼し、尊敬している。日本との決定的な差である。」[p.140

・「もしかしたら、今の日本で科学に人気がない理由は、あまりにも周囲の評価を気にしすぎて、科学の原点である、素朴な疑問の追究やワクワクドキドキ感をどこかに置き忘れてしまったからかもしれない。」[p.169

・原発事故への対応:「今回の原発事故による『恐怖』の大半は、『何が起こっているか分からない』という不安から来るものだ。マスコミの役割は、正確な情報を伝えパニックを防ぐことなのに、不正確な情報とデマをばらまいた『マスコミ』が少なくなかった。」[p.175]。「現実的に考えれば、想定というのは、必ず、どこかで線を引かざるを得ないものなのだ。」「その線を引く作業を一部の専門家に丸投げするのではなく、正しい科学的知見をもとに、社会全体で議論して決めていくべきだと思うのだ。」[p.181]、「この40年、原子力が『タブー』であり続けた」「まともな議論は阻害されてきた」[p.183

・「新聞やニュースを見ていると、科学が社会に対して何をしてきたかとか、何をしてくれるのかとか、そういった論調ばかり。問いの立て方からして、どうも科学が社会の『外』にある感じ」[p.206、鼎談参加の中垣氏の意見]。

・「今一番怖いのは、科学技術による失敗を恐れて、日本人が新しいことに挑戦するのをやめてしまうことです。」「日本の科学技術が、国内だけでなく世界全体の進歩に貢献するということが、世界で尊敬される国であるためにはとても大切」[p.216、鼎談参加の中川氏の意見]

---

著者の考え方には当然異論もあるでしょう。頭から科学の必要性を信じない人もいるでしょうし、震災による原発事故を契機に科学技術の受け入れに批判的になっている人も増えていると思います。もちろん、科学技術自体が持つ危うさを再認識し、科学技術マネジメントの失敗については反省する必要はありますが、こうした科学批判の根底にあるのは科学および科学者への信頼感の喪失ではないでしょうか。EU主席科学顧問のアン・グローバー氏は、「欧州では科学者の信頼度が高い。(中略)日本で科学者が信頼されていないと聞き、とても残念です。日本の市民にお勧めしたいのは、科学者を観察し、何を言うか聞き、徹底的に問いただすことです。なぜそう主張するのかを聞けば、科学者は説明するでしょうし、説明すべきです。逆にお聞きしたい。科学者が信用できないなら、いったい誰を信用するのですか?」、と述べています。加えて、科学者が信頼を取り戻す方法として、間違いを認めること、正直さ、透明性の重要性も指摘しています[文献2]。

科学がどういう力によって動いているのか、科学における真実とはどういうものなのか、科学界に参加している科学者はどのように考え、行動するのか、科学者という職業はどのようなものなのか、科学や科学者を利用する人たちはどのように考え、行動するのか。こうしたことは、科学的知識とは別に、科学という営みに関わる問題だと思います。科学の本質を知ることとは、科学を単なる勉強の知識としてとらえるだけでなく、本書にかかれた科学の裏話、科学にまつわる周囲の状況をも知ることなのではないでしょうか。科学を知るというと、今まではどうしても科学的知識の方にばかり注意が行ってしまい、知っている人が知らない人を啓蒙するという進め方や、教える立場と教わる立場があることなどが科学に対する抵抗感を作っていたように思います。もし、このような形で教わった知識に欠陥があることがわかったとすると、今までの信頼が裏切られたように感じてしまうのは無理のないところでしょう。しかし、実際には、科学というのはもっと不確かなものであり、科学者も完璧な人間ではなく、科学的成果も極めて人間臭い営みから生み出される(当然、無謬ではあり得ないし、不正なども存在しうる)ものです。それを正直に明らかにすることが科学と科学者の信頼を回復するために必要なことなのではないでしょうか。本書で紹介されたようなエピソードは、実は、こうした科学の実態の理解を深める上で、役に立つものなのではないかと思います。

こうした科学の真の姿を明らかにすることは、ひょっとすると日本人の科学観を根底から見直すことになるのかもしれません。ですが、残念ながら、日本の科学ジャーナリズムはこうした科学と社会との橋渡しをするには、まだ力不足なのだろうと思います。であれば、その役割を担うのは、科学者自身、技術者自身ということになるでしょう。企業の研究者として、自らの成果を社会に売り込むためにはもちろんのことですが、科学者、技術者が社会との関係をうまく作り上げていくことは今後ますます求められるようになるのだと思います。



文献1:竹内薫著、「科学嫌いが日本を滅ぼす 『ネイチャー』『サイエンス』に何を学ぶか」、新潮社、2011.

文献2:高橋真理子、「科学者は信頼できるか、アン・グローバーさんインタビュー」、朝日新聞、2012.8.2

参考リンク



 


 

橋渡し役の重要性

イノベーションを成功に導くためには、様々な役割を担う人が必要です。今回は、ワッシュバーン、ハンセイカー著の論文「新興国市場発のアイデアを橋渡しする 破壊的イノベーターの条件」[文献1]に基づいて、「橋渡し役」の意義について考えてみたいと思います。

この論文で取り上げられている「橋渡し役(Bridger)」とは、「新興国市場でイノベーションを見出し、アイデアを試し、それを本国へ持ち帰って世界的な製品・サービスにつなげる」ことができるマネジャーのことで、著者らは、新興国における多国籍企業のマネジャーを調査した結果に基づいて、その特徴をまとめています。まずはそのポイントを以下にご紹介しましょう。なお、論文の原題は「Finding Great Ideas in Emerging Markets」ですので、破壊的イノベーターに限った議論ではありません。どちらかというとリバースイノベーションをうまく進めるマネジャーについて述べられていると言ってよいでしょう(もちろん、破壊的イノベーションとリバースイノベーションは関係がありますが)。

すぐれた橋渡し役の特徴

1、信頼関係の維持:「地域の重要人物や、本社で自分のアイデアを支持してくれる経営幹部と関係を築く必要がある。」「ある研究によれば、人は親切で、有能で、誠実であると見なされた時、すなわち他者や組織の利益を最優先に考え、仕事をやり遂げる能力があり、合意した原則を必ず守ると思われた時に、信頼を築くことができる。」

2、新興国市場に対する理解:「成功する橋渡し役の多くは、海外でさまざまな任務についた経験がある。あるいは、新興国市場の重要性やグローバル・ビジネスに注力する教育機関で学んだことがある。途上国で生まれるアイデアに価値を見出そうとするなら、そうした準備や経験は欠かせない。」まずは、「新興国市場にイノベーションの潜在力があると考える」ことが必要と考えられます。

3、社歴の長さ:橋渡し役は「会社の競争優位性、歴史、ビジネスモデルに関する深い知識に大きく依存している。その知識ゆえ、彼らは有望なイノベーションを見極めるのに長けている。」

4、アイデアの売り込み:「橋渡し役はまたコミュニケーション能力にも優れ、自分のアイデアの正当性を他人に納得させるのが特にうまい。」

橋渡し役が果たすべき役割

このような特徴を持った橋渡し役がどうやって成果を挙げるのかについて、著者は以下の点を指摘しています。

1、アイデアを見出す:「『見たいものを見る』から『見るべきものを見る』へ」。「優れた橋渡し役は、顧客、サプライヤー、競争相手を意識的に観察し、これらの人たちの行動の基礎となる諸条件を理解しようとする。」

2、翻訳者を育てる:「現地国の環境を良く理解し、橋渡し役が注目しているものを説明できる人材の育成」。橋渡し役の同僚や部下のみならず、部外者(現地国の競争相手の戦略を把握しやすい)も翻訳者として活用できる。

3、実験する:「優秀な橋渡し役は、観察した結果をふるいにかけて価値が高いものを選り分け、みずからの力で、または翻訳者の助けを借りて、実験を行なう」

上記のポイントに加えて、「橋渡し役は自分たちのアイデアが会社の中枢に届くよう、多角的なアプローチを取る必要がある。本社の言葉で話し、実験に基づく証拠を提出し、アイデアを売り込み、他のエグゼクティブを支援者として味方につけなければならない。」という指摘がなされています。このとき支援者となるエグゼクティブは、「アイデアがこき下ろされるのを防ぎ、他の人にその価値を説得するために必要な会話を促し」、さらに「破壊的イノベーションに向けた組織体制を新たにつくらせる」など、「単なる助言や援助以上のことをする」べきであるとし、さらに、「橋渡し役にアイデアを製品化する責任を持たせる」ことも成功のカギだとしています。

橋渡し役の本質は?

以上が、新興国市場発のイノベーションを念頭においた著者の考え方ですが、上記の橋渡し役の役割は、新興国のみならず、様々な状況のイノベーションにおいても意味のあることではないでしょうか。橋渡し役の役割を言い換えると、現場と協力して情報収集し、アイデアを発見し、アイデアの有効性を認め、実験で確認し、社内に説明して支援・協力してもらう、ということになり、これらは他の様々な状況のイノベーションでも必要なことだと思われます。情報収集においては、信頼関係構築が有効でしょうし、情報ソースの確保(著者が翻訳者と言っている人の役割の一つ)も有意義なはずです。また、アイデアの発見においては新市場の理解が有効に作用するでしょう。自社にとってのアイデアの意味を判断し、それを会社にとって有意義で実現可能な形に仕上げていくには、社内事情を良く知らなければできないでしょうし、そのアイデアが社内で生き残り社内の資源を獲得するには、社内への説明と支援者の獲得がカギになるでしょう。つまり、本論文で述べられた「橋渡し役」の存在意義とその果たすべき役割は、イノベーション全般に一般化可能、すなわち、新興国に限らず市場の情報を集め、それに基づいてイノベーションを行なおうとする場合に有効となると考えることができると思います。

さらに、橋渡し役の意義は、上記の例のようなニーズ情報に基づいたイノベーションだけでなく、シーズ情報に基づくイノベーションにまで拡張できるのではないでしょうか。例えば、シーズ情報を保有している大学や研究機関、さらに社内の研究部隊からアイデアを得てイノベーションを進める場合にも橋渡し役は有効に機能すると考えられます。社内の研究部隊に関して言えば、本来そこが保有している情報は社内に知られているべきなのでしょうが、実態としてはあらゆる情報が社内に報告、周知されているわけではありません。報告されない知識は、研究員の頭の中に暗黙知の形で保有されることになるわけですが、それを知的資源として活用するには、何らかの表出化プロセスが必要になるでしょう。それを担うのが橋渡し役、という考え方もできると思います。橋渡し役と研究者との信頼関係が重要であることは上記の指摘と同じでしょうし、研究者が保有している生の情報の性質(その精度や、確実性まで含めて)を知っておくことは、「市場の理解」に通じるものだと思われます。その後の社内支援の獲得については、シーズ主導の研究でもニーズ主導の研究と同様に重要であることは言うまでもないと思います。

もちろん、従来でもこうした橋渡し役の意義は認識されていたかもしれません。多くの場合、橋渡し役の役割は暗黙のうちに研究員または研究マネジャーに求められていたのではないかと思います。しかし、橋渡し役がすべき仕事の内容と、橋渡し役の特性、その仕事への適性を考えてみると、その役割を第一線の研究員に期待することは必ずしも効率的とはいえないように思います。では、研究マネジャーの業務として橋渡し役の役割が認知されているのかというと、そうでもないでしょう(そもそも、研究マネジャーの仕事、あるべき姿というものが曖昧なことが多いのですが)。橋渡し役の機能を重視するなら、研究マネジャーに対しその業務を公式に認知してその遂行を求める、あるいは、研究マネジャーとは別にそうした役割を専門に担う担当者を置くことが必要なのではないでしょうか。研究開発、イノベーションを研究部隊だけに任せっきりにしてそれがうまく進むのかどうかを考えると、研究に付随して求められる橋渡し役の役割を明確化し、その役割に適した人材を選び、職務として与え、有効に活用する環境を整え、組織としてイノベーションを成功に導く方法と体制を整備することが今後ますます必要になってくるのではないかと考えます。


文献1:Nathan T. Washburn, B. Tom Hunsaker、ネイサン・T・ワッシュバーン、B・トム・ハンセイカー著、編集部訳、「新興国市場発のアイデアを橋渡しする 破壊的イノベーターの条件」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 5月号、p.116.

原題”Finding Great Ideas in Emerging Markets”, Harvard Business Review, Sep., 2011.

参考リンク<2013.1.14追加>


 

 

研究者の主体性

研究開発において、研究者が主体的に課題に取り組むことの重要性はよく指摘されます。自らの意思で、意欲をもって、自分に適したやり方で課題に取り組めば、よい成果が得られやすくなるだろうことは想像に難くありません。もちろん、それだけで成功が保障されるものではありませんが、野中氏による組織的知識創造の理論でも自律の重要性は指摘されており(ノート10)、研究マネジメントの観点からも重要な概念と言っていいでしょう。

しかし、いまだにトップダウンの命令による研究マネジメントもよく行なわれているようです。例えば、次のようなエピソードが紹介されています[文献1]。本田技研が異業種のA社との間で、互いに7~8人の若手研究者を相手会社の研究所に派遣する交流プログラムを行なったところ、A社から本田技研に来た技術者は「指示が曖昧で何をやったらいいのか分からない」という不満を述べ、本田技研からA社に行った技術者は「『あれをやれ』『これをやれ』と、やたらと指示が細かくて仕事にならない」という不満を持ったといいます。

本田技研では自らの信念に基づく主体的な行動が求められるのに対し、A社はトップダウンの指示に基づく仕事の進め方が一般的なのでしょう。もちろん、こうしたマネジメントのスタイルは、その会社の業務内容や環境に応じて変わることは当然ですので、トップダウンのマネジメントが直ちに好ましくないとは言えません。例えば強いリーダーシップのもとに明確な作業を効率的に処理する場合などには有効でしょう。しかし、上司が逐一細かな作業まで的確に指示できないような場合や、不確実性の高い業務を行なう場合、すなわち研究開発のような場面では、個人の主体性に基づいて研究者の能力をフルに発揮することが望ましい場合が多いのではないかと思います。

まずは、トップダウンのマネジメントにより、研究員の主体的行動が損なわれる具体的な原因と、そのようなマネジメントを行なってしまう背景を考えてみましょう。次のようなケースがありうると思います。

・上司が細かな指示をする:部下の主体的行動の機会を奪う。

 (背景)部下の行動を制約することで部下の行動が予測でき、上司は安心できる。

  部下も言われたことをやりさえすればよいという点で悩みが少ない。

  意外な結果に直面した場合のフラストレーションを上司のせいにできる。

・部下の思考停止:考える習慣が減退し、主体的な行動への意欲が薄れる

 (背景)もともと主体的な思考、行動の習慣が薄い人がいる。

  上司の細かな指示が、思考停止を招き、指示待ちの部下を作ってしまう。

主体的な行動を阻害するこのような要因の根底には、新しいことに対する心理的抵抗があるように思います。もちろん、その程度には個人差がありますが、新しいことを行なう場合には多少なりとも不安感を持ちやすいことは否めないでしょう。従って、自然に任せていたのでは主体的な行動を避けようとする傾向になりやすいことは理解できます。しかし、その傾向の違いを個人の性格だけで説明しようとすることには問題があると考えます。上述のエピソードにおいて、本田技研の技術者は一様に主体的な行動を好み、A社の技術者はその逆であったとすれば、その行動のパターンは、社風や育成方針、環境によって作られた可能性があると考えられるからです。新しいことに対する心理的抵抗の大きな人であっても、マネジメントによってその行動を主体的なものに変えることは可能であると考えるべきではないでしょうか。

自立性(自律性)を支えるホンダの哲学(人間尊重の哲学)は次のようなものだそうです[文献1].

・自立(自律):自立とは、既成概念にとらわれずに自由に発想し、自らの信念にもとづき主体性をもって行動し、その結果について責任を持つことです。

・平等:平等とは、お互いに個人の違いを認め合い尊重することです。また、意欲のある人には個人の属性(国籍、性別、学歴など)にかかわりなく、等しく機会が与えられることでもあります。(技術の前では役職に関係なく平等)

・信頼:信頼とは、一人ひとりがお互いを認め合い、足らざるところを補い合い、誠意を尽くして自らの役割を果たすことから生まれます。ホンダは、ともに働く一人ひとりが常にお互いを信頼しあえる関係でありたいと考えます。

上記の平等と信頼はいずれも自立を支えるものであるように思います。例えば、平等は、上司からの指示だからといってそれに盲目的に服従する必要がないことに、信頼は、上司が部下を信頼し、細かな指示や管理を必要としないことに、あるいは部下はいちいち上司の許しを得なくても行動を起こせることにつながるでしょう。このような哲学に加えて、失敗を容認すること、チャレンジを促す風土、行動に対する心理的抵抗を軽減すること(例えば、挑戦の習慣化や、挑戦の楽しさを自覚させることなどによって)を加えれば、主体的な思考や行動を促すことができるようになるのではないでしょうか。

おそらく上記のA社はトップダウンのマネジメントによって今までに成功を収めてきたのだろうと思います。しかし、過去の成功体験に基づくマネジメントが指示待ちの技術者をつくり出してしまっているとすれば、これからの時代、あまりに損失が大きいのではないでしょうか。確かに主体的に行動することは「楽」なことではないかもしれません。しかし、その見返りに「楽しさ」も得られる可能性があるはずです。それに加えて、研究成果にもプラスに作用するのであれば、主体的であることは行動規範としてもっと重要視すべきなのではないでしょうか。


文献1:小林三郎、「ホンダイノベーション魂 第16回 自律、信頼、平等」、日経ものづくり、2011年7月号、p.103

同じ記事がこちらにあります:http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK14027_U2A610C1000000/



 

参考リンク<2012.8.5追加>
 

 

働きがいのある会社とは(Fortune誌「最も働きがいのある米国企業2011」No.1、SASの考え方)

Fortune201127日号に「最も働きがいのある企業100The 100 Best Companies to Work For)」リストが発表されました[文献1]。この調査は米国企業を対象に行なわれたものですが、昨年につづき第1位はSASとなりました。ちなみに、第2位がBoston Consulting Group、第3位がWegmans Food Markets、第4Google、となっています。今回は働きがいNo.1とされるSASの考え方の特徴と評価される理由を考えてみたいと思います。

 

この調査を行なったのは、Great Place to Work(R) Instituteで、対象企業は、アメリカにおいて1000人以上の従業員を有する設立後7年以上の企業で調査にエントリーした311社となっています。思ったより対象企業数が少ないですが、この調査にエントリーしている企業は少なくとも従業員を重要な経営資源と考えてその働きがいに注目していると言えるでしょうから、その中での1位というのは、やはり意義深いことであると言えるでしょう。

 

まずは、何をもって「働きがいがある」と評価されているかについて見てみましょう。日本でこの調査を行なっている機関のWebページ[文献2]に基づいて調査内容をまとめてみます。働きがいのある会社とは、「従業員が勤務する会社や経営者・管理者を信頼し、自分の仕事に誇りを持ち、一緒に働いている人たちと連帯感が持てる場所」と定義されています。調査は、従業員および会社(人事担当者)へのアンケートにより行なわれ、従業員へのアンケート結果で評点の2/3、残りの1/3は、会社へのアンケート結果に対して人事の専門家が評点をつけて、働きがいが定量化されるようです。

 

評価される要素は次の5つです。

・信用:率直で円滑なコミュニケーション、目標達成のためのリソースが調整されていること、一貫性を持ったビジョンの遂行

・尊敬:従業員の専門性を高める支援、従業員への敬意と感謝、重要な意思決定の検討への従業員の参画、従業員個々の生活や家庭の尊重

・公正:公正な報酬、採用、昇進・昇格、会社に対して意見や不満が言える制度

・誇り:自分の仕事と役割への誇り、会社やグループが推進する仕事への誇り、商品やサービス、社会から受ける評価への誇り

・連帯感:自分らしくいられる環境、好意的で人を歓迎する雰囲気、家族やチームといった連帯感

このうち、信用、尊敬、公正によって構成される「信頼」が組織としてのパフォーマンスを高める上で不可欠とされています。

 

会社へのアンケートでは、会社方針、人事施策、制度などについて、「採用する、歓迎する」「触発する」「語りかける」「傾聴する」「感謝する」「育てる」「思いやる」「祝う」「分かち合う」という9つのポイントから評価されます。さらに、具体的な取り組みが、「バラエティ(多種多様なプログラムと実行のための手段)」「オリジナリティ(プログラムは創造的/ユニークか、他者の単純な真似ではなく自社なりの解釈が加えられているか)」「包括性(プログラムやポリシーは全員を対象とし、利用可能か、あらゆる地位の社員が作成と実行に関わっているか)」「人間味(プログラムやポリシーには配慮、思いやり、尊敬の感情があるか、個々人の違いに配慮しうるか)」「統合性(共通のテーマ、コンセプト、哲学に基づくプログラム、企業のビジョン、ミッション、バリューと結びついたプログラム)」の5つの観点から評価されるます。

 

以上の調査の内容は一見するとややアメリカ的な考え方が強いと感じられるものの、このようなことができていれば仕事が進めやすいだろうことは間違いないと思います。守島はこの調査に関連した記事の中で、「働きがい」について、人材を前へ前へと押し出す力としての「働きがい」と、それを阻害する要因を取り除くことによる「働きやすさ」を分けて考え、その両方を追求することが従業員価値(従業員にとっての企業の価値)を高め、従業員から高いレベルの努力を引き出すことにつながるとし、さらに、現在の価値だけではなく未来への期待も含めた従業員価値を考えることが重要、と述べています[文献3]

 

さて、SASはどうなのでしょうか。SASは企業向けソフト開発の大手で、2009年の売上は約23億ドル、アメリカにおける従業員数は5629人、という会社ですが、SASのマネジメント方針にはCEOであるJim Goodnightの考え方が大きく影響しているとされています。彼は、クリエイティビティについて、「だれもが持っている能力」とし、「問題は、それを引き出す配慮がどの程度なされているかである」と述べています。そして「挑戦を奨励するには、失敗に寛容であることも不可欠」「社員の煩雑さを取り除く配慮も効果的」として、「マネジャーが社員の創造性を発揮するよう支援する必要がある」「マネジャーは社員の『部下』となり、それぞれが高いモチベーションで働き、能力を発揮するよう努める」「だれもが豊かな創造性を持っており、それを刺激し、引き出す社風や制度を整えれば、能力を開花させることができる」「それはマネジメントの責務である」と述べています[文献4]

 

具体的には、企業キャンパス内に充実した医療施設、レクリエーション施設、保育所といった福利厚生施設を設け、原則自由な勤務時間を採用し、社員全員には個室を与え、社内に芸術品を飾るようなことまでしています。これは、SASが「ソフトウェアを開発する知識集約企業」であって、「このような製品は、社員のマインドから生まれる」ために「創造的な仕事を後押しする職場環境をつくろうとしている」ことによるようですが、「社員一人ひとりを『会社に貢献する人物』として常に尊重して扱ってきた」「会社が社員を信じれば、社員もまた会社に忠実になる。信頼とは本来双方向的なものだ。」という彼の信念にもよっていると思われます。もちろん、きちんと仕事をしない社員に対しては態度を改めるような指導はされるようですが、6ヶ月以上ひとつのポジションに就いた後は他のポジションに応募してよいという社内転職制度や他の仕事を学ぶ社内訓練コースを設けて離職率を低く抑えつつ、人材の流動性を高めて職場の活気が失われないようにする努力もしているようです。株式公開もせず、ストックオプション制度も使っていないですが、「社員の満足を考え、働きやすい環境を整備していれば、優秀な人材は集まってくる」とのことです [以上、文献5] 。他にも、頻繁な人事異動により挑戦しがいのある仕事を社内でみつけ、成長する機会を与える、複線型のキャリア(管理職にならなくても社員に報いる制度)、仕事に専念することを妨げる障害を取り除く、『素敵な場所で働いている』と社員に思ってもらう、ワークライフバランス重視(『職場以外での生活を大切にすることは良いことだ』という認識)などの施策も採用され、その結果社員の離職により発生するコストが削減できていると言います[文献6]

 

このような考え方は、社員を管理する、という立場とは相容れないものかもしれません。しかし、働きがいを動機づけ要因と衛生要因に分けて考えること、内発的動機づけを活発化させること、達成感を重要視すること(達成動機理論)などの考え方に基づけば至極当然のやり方のように思います(ノート7でレビューしました)。その具体的な方法の例を示しているものと考えられるのではないでしょうか。

 

SASの哲学をまとめると、

1)社員、顧客、サプライヤーと密接で長続きする関係を築く、

2)多額の研究開発費を投じる、

3)創造性と成長を促進する環境を提供することによって、ワールドクラスの人材をひきつけ、定着させる

となり、この哲学は長期的な成功をもたらしてきたと言われています[文献6]。これは、SASが必要とする仕事の種類と質から必然的に導かれる考え方であるともいえるでしょうが、Goodnightの「社員のモチベーションを高め、それをサポートする環境を整えれば、社員は創造的でイノベーティブな仕事や生産性の高い仕事をしてくれる」という信念[文献6]に基づいた、社員の尊重と社員への信頼に根ざすものでもあるのでしょう。

 

もちろん、こうした考え方が他の企業にも有効かどうかは、行なうべき仕事の内容や企業の置かれた環境によっても変わるでしょう。しかし、Goodnightも述べているように、知識集約的、創造的な仕事に対するモチベーションを向上させる方法としては特に有効なのではないでしょうか。従業員からの高いレベルの努力を引き出すことが必要とされる研究(特に創造的な段階の研究)や、トップダウンの命令を単に実行するだけではよい成果が得られるとは限らない不確実性の大きい研究開発を行なう場合には、この考え方はほぼそのまま適用できるように思われます。さらに、SASの考え方は、Collinsが「ビジョナリー・カンパニー②」で指摘している「最初に人を選ぶ」という原則、すなわち「適切な人材なら厳しく管理する必要はないし、やる気を引き出す必要もない」[文献7p.66-67]という考え方とも一致するのではないでしょうか。SASのやり方は、働きがいのある会社であることとそれを支える哲学を社会的に認知させることで適切な人材を集め、その離職を防ぐ上でも効果を挙げているのではないかと考えられます。離職を防ぐということは、研究者、技術者が蓄積した暗黙知の流出を防ぎ、効果的に活用する上でも重要でしょう。従来のマネジメントの考え方から見ると、「社員を信頼する」ということは容易なことではないかもしれませんが、そうしたチャレンジこそが、創造的な仕事のマネジメントに求められているように思います。

 

 

文献1Fortune誌、Vol. 163, No. 1, Feb. 07, 2011”The 100 Best Companies to Work For”

リストは、http://money.cnn.com/magazines/fortune/bestcompanies/2011/full_list/

文献2Great Place to Work(R) Institute Japanwebページ

http://www.hatarakigai.info/index.html

なお、以下の本にも調査方法についての説明があります(著者はGreat Place to Work(R) Institute Japan代表)。

和田彰、「日本でいちばん働きがいのある会社」、p.27-33、中経出版、2010.

文献3:守島基博、「なぜ日本の会社は『働きがい』がないのか」、プレジデント2009.10.5号、PRESIDENT online

http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2009/20091005/12261/12270/

文献4James Goodnight(ジェームス・グッドナイト)、「クリエイティビティを引き出す」、Diamond Harvard Business ReviewSep., 2006, p.3.

文献5:「ジム・グッドナイト(インタビュー)」、週刊ダイヤモンド、2010515日号

全文がこちらにあります→http://diamond.jp/articles/-/8099

文献6:「“最も働きがいのある”米国企業の「内実」アリサ・ブライト元 米SASインスティチュート人事部ディレクターに聞く」、日経ビジネスオンライン、2008.7.20

http://business.nikkeibp.co.jp/article/pba/20080718/165747/?P=1

文献7Collins, J., 2001、ジェームズ・C・コリンズ著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」、日経BP社、2001.

 

(参考)

SAS2010年のこの調査でNo.1になった時にCNNで取り上げられたビデオがこちら。SASの様子と考え方を知ることができます。

http://www.youtube.com/watch?v=EjTZF19jBs8

CNN - SAS Named #1 in Best Companies to Work For

 

日本企業対象にもこの調査は行なわれていて、2010年度ランキングで上位の企業の事例の紹介が以下の本(上記文献2の本と同じです)にまとめられています。

和田彰、「日本でいちばん働きがいのある会社」、中経出版、2010.

また、上記調査のNo.1となった会社、ワークスアプリケーションズについての記事が以下にあります。SASのやり方とは表面的には異なる点も多いと思いますが、哲学は似ているように感じました。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100224/213009/?P=1

(「『働きがいのある会社』1位に輝いたワークスの経営、“興奮のフィールド”を与え続ける~牧野正幸CEO」、日経ビジネス2010.3.1、(日経ビジネスオンライン))

 

参考リンク<2011.8.14追加>
2011年版日本のランキングなど


<2012.1.27:タイトルに「2011」を追加しました(2012年はSASは3位でしたので)> 

記事検索
最新記事
プロフィール

元研究者

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ