研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

共通善

目的工学とは

「目的工学」という考え方が提唱されています。その背景には、企業経営や社会において「目的」という概念をもっと重視すべきだという考え方があるようです。この考え方はイノベーションにも深く関わるようですので、今回は、紺野登著、「利益や売り上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか」[文献1]に基づいて、本書で説明される目的工学(Purpose Engineering)の考え方について考察してみたいと思います。

著者は、「はじめに――『目的工学研究所設立趣意書』に代えて」において、「21世紀は『目的(パーパス)の時代』になる。[p.1]」と予言しています。そして、「目的工学研究所の信じるところ」として、よい目的は、知識社会、知識経済を動かす触媒である、共通善に向けて進化・深化する、失望や諦めを希望に変えることができる。目的工学は、そのための方法論である、目的群と手段の調整、試行錯誤によって最大の効果を生み出す、現状打破や改革を起こす手段である、究極の目的である『幸福』に貢献することを目的とする、と述べています。[p.7-8

本書では、第1章~第7章で、「目的」の重要性と関連する要素が事例に基づいて考察され、最後の第8章が目的工学の具体的な実践の方法を述べた総括編となっています。以下、その要点をまとめます。

第1章、利益や売り上げは「ビジネスの目的」ではありません

・「目的と目標は別物。・・・目標は目的ではなく、むしろ目的を実現するための手段であり、マイルストーン[p.25-26]」。「目的は大目的と小目的の2階建てになっています・・・小目的は、一般的に大目的を実現するうえでクリアすべきものであり、多くの場合、複数存在します[p.39]」。「売上げや利益、株主価値といった財務業績にかまけている企業より、顧客やコミュニティを第一に考えて行動している企業のほうが持続可能性が高いと報告する研究は少なくありません[p.39]」。
・「人間には、だれにでも『だれかの役に立ちたい』『社会に貢献したい』という欲求が存在する[p.33]」。
・「われわれ目的工学研究所の結論はこうです。よい目的が、よい会社、よい組織、よい事業、よりリーダー、よい人間関係をつくる。その結果、よりよい未来が生まれてくる[p.43]」。

第2章、イノベーションは「よい目的」から生まれてくる
・「共通善としての目的を追求することで、利益も生みだされる・・・顧客にとっての社会的価値を実現すること以上の高みを目指すものであり、資本主義の次なるあり方を示唆しています[p.53]」。
・「現実世界の戦略は、不測の事態、事業環境の変化、社内外の事情など、さまざまな出来事が錯綜するなか、試行錯誤を通じて、再発見・再検討・再創造(これを『創発』といいます)されるもの・・・このミンツバーグの考え方は、戦略プランニングに対して『戦略クラフティング』と呼ばれています。実は、よい目的づくりも、よい戦略同様、クラフティングを通じて練り上げられていきます。[p.59-60]」
・最近の途上国でのイノベーションでは、共通善に基づき、クラフティングのアプローチによって実現された例がある。
・「失われた10年、いや20年は、何も政治家や政府の無策だけが原因ではありません。企業本来の目的をないがしろにして、計画と統制によって人々を利潤の極大化に駆り立てたことも、あらためて冷静に省みるべき原因です。その第一歩が『企業の目的』『ビジネスの目的』を問い直すことなのです[p.87]」。

第3章、コラボレーション、コラボレーション、コラボレーション
・「マイケル・シュレーグ氏によれば、人間同士のコミュニケーションから生まれてくる創造性こそ、コラボレーションに期待されていることにほかならないそうです。これこそ、分業とコラボレーションの決定的な違いです[p.90]」。「現在のように、既存の秩序が緩み、新たな秩序とせめぎ合う転換期においては、・・・常識やアンシャン・レジームにとらわれない視点や発想が新たな道を拓きます。その際、重要になるのが、組織の枠や業種を超えてさまざまな人たちが集まる、学際的な異分野コラボレーションです。集合知やオープン・イノベーションが注目されていますが、つまるところ、一人の天才的ひらめきよりも、大人数で知恵や意見を持ち寄ったほうが、よりユニークで、よりインパクトの大きいアイデアやイノベーションを、より短い時間に生み出せるという認識です[p.91]」。
・「コラボレーションには、創造性やイノベーションが期待されているわけですが、その前提条件となるのが、さまざまな『目的群を調整する』ことです。すなわち、それぞれ中身や方向性の異なる目的の持ち主たちを、より上位の目的によって包み込み、大目的へと向かわせるのです[p.99]」。

第4章、「コトづくり」をデザインする
・最近は、「ある目的を実現するために、あるべきコトを構想し、これをビジネスモデルに具体化し、ここにふさわしいモノ(手段)・・・を探したり、時にはすでにある資産を再活用すること」が求められている。「既存の資産や外部の知を、新しい視点やビジネスモデルで組み替えていくこと。これもイノベーションと言えるのです。[p.130-131]」
・「異分野コラボレーションを実現し、イノベーションの確率を高めるには、・・・『デザイン思考』が欠かせません。・・・頭のなかで処理される思考プロセスにとどまらず、さまざまな人や場所、モノとの相互作用など、身体的で実践的なプロセスを通じて、ダイナミックに知を形成するというものです。[p.144]」

第5章、さまざまな人材をつなげる組織
・「真のコラボレーションを実現し、それによって、これまでとは一味違うアイデアやユニークなイノベーションを生み出すには、各人が拠って立つ専門領域やシステム、コミュニティにおいて、自分と他者を分かつ『境界線』を越えて行動したり、新たな関係性を見出したりする必要があります。このような行動や行為を後押しする仕掛け、言い換えれば、相互作用やイノベーションを創発させる媒介のことを、『バウンダリー・オブジェクト』と言います。・・・場所(環境や空間)を変えることは、必然的に境界線を越えることになるわけですから、バウンダリー・オブジェクトの一種といえます。」[p.164-165
・「日本では、長らくイノベーションとはまれに起きるような技術革新だととらえられてきました。しかし近年それは従来とは異なる新たなアイデアややり方であり、ビジネスモデルを含んだ、持続的な価値の創出として理解され始めています[p.174]」。

第6章、「アポロ計画」に目的工学を学ぶ
・「売上げや利益などの数値目標が、職種や価値観が異なる人たちを一つに束ねる求心力になりえないことは、だれもがうすうす気づいているはずです。そして、実際そうです。そのためには、こうした経済的利益を超えた、高次元の目的が必要になります。[p.203]」

・「大目的がいかに社会的あるいは利他的なものであっても、メンバーや関係者の小目的はたいていバラバラです。そして、このように異なる目的群の調整が成功のカギを握っている以上、こうしたオーケストレーションのスキルと能力が不可欠です。ところが、ひとたび走り始めると、肝心の目的は脇に置かれ、予算やスケジュールの管理や経済的成功にかまけてしまうという例が少なくありません[p.205-206]」。

第7章、目的第一のマネジメント
・「トリニトロンと新幹線、そしてアポロ計画――。これらのプロジェクトをなぜ再評価するのか、その理由は、現在のように、何が正解かがはっきりせず、ブレークスルーを起こさない限り、先に進めない状況において、どのようにチームをまとめ上げ、どのようにプロジェクトを成功に導くのか、そのためのヒントが多数隠されていることです。・・・『部分の総和以上の力』を生み出す・・・マネジメントやリーダーシップの手本なのです。そして、人々の力を最大限引き出し、組織力として発揮させるには、それぞれの目的をオーケストレーションすることが欠かせません。[p.227]」

第8章、目的工学はこうして実践する[総括編]
・目的工学の2つの側面:1)目的に基づく経営、2)目的のマネジメント[p.232-238
・目的工学の基本哲学:アリストテレスの目的論。世界が運動し変化する4つの原因は、1)質科因(素材となるもの)、2)形相因(あり方を定めるもの、たとえば基本的デザインやビジネスモデル)、3)作用因(現実に作用するもの、たとえば技術やツール)、4)目的因(存在理由、たとえば究極の顧客価値や目的)。

・目的の種類とレベル:大目的(最終的には共通善の追求につながる)、駆動目標(中目的)(プロジェクトを駆動させる具体的な概念やスローガン、ミッション)、小目的(参加者の思いが結びつけられる技術上の目的、個人的な目的など)、タスク目標(個別具体的な達成目標)[p.242-248
・目的群の調整:大目的(共通善に向けて調整、小目的を調整する不動の軸になる、末端のだれかの発見から生まれることもある、リソースを限定しないことが重要)、駆動目標(中目標)(人々を奮い立たせる深みとメッセージ性が求められる)、小目的(個々人の思いや背景に根差した目的、より大きな目標に引き上げる)、タスク目標(技術に目的を与えるのは人間なので、技術を一人歩きさせてはいけない)[p.248-255
・実践的三段論法:実践的推論とは、目的と目的を実現する手段に基づいて、この行為を行なうべきであると考えて、目的と手段の関係を追求していく。手段を出発点として目的を選択する方法もある。[p.255-263
・プロジェクトマネジメント:①利他的あるいは社会的な問題意識で、究極的には共通善を目指したビジョンや大目的につながる主観に基づいてプロジェクトを立ち上げる、②自由度の高い(自律的な)チームの結成、③大目的を掲げるプロジェクト・オーナー、手段(技術)を担うプロジェクト・マネジャー、駆動目標や小目的を調整する現場のプロジェクト・リーダー、進捗を評価しその結果をフィードバックするアセッサーが必要、④当事者間で物語(ナラティブ)を共有する、⑤調整のための「場」を意識する(様々なレベルの目的を調整する場を活用する、⑥デザイン思考(大目的を追求しながら、みんなが達成できる駆動目標(中目標)を決め、それを軸にして場をつくり、リソースを集め、状況に応じて柔軟にプロジェクトを運営していく)[p.263-271
・仮説→総合→分析のプロセスを繰り返しながらデザイン思考でプロジェクトをクラフティングする。最初に計画を決定して実行するPDCAとは異なる。プロジェクト・オーナーによるおおまかな方向づけ→プロジェクト・マネジャーやリーダーによる全体の調整→アセッサーによる進捗の評価というプロセスと言い換えられる。[p.271
・よい目的のつくりかた:これまでになかった状態を創造する、卓越した理想状態にする、美徳に関する目的を考える[p.282]。
・場のつくりかた:場とは、「共有された動的な文脈、あるいは意味空間」。経験共有、対話、体系構築、実践と身体知化が行なわれる。フューチャーセンター(企業、政府や自治体などが、未来に関わる戦略や政策の実践を目的に据え、当事者やステークホルダーが議論や対話を通じて、新しいアイデアや解決策を発見・共有し、相互協力の下に実践する場)に期待できる。[p.283-291
・オープンな関係性づくり:個人と社会、企業と社会などのよりオープンな関係性、必要な能力や有形・無形の資産、さまざまなパートナーが有機的に結び付いたビジネス生態系(エコシステム)をデザインする。[p.292
・成果の評価:目的と手段の関係は状況に応じて変化するというダイナミックな前提に基づき、プロジェクトの要所要所でフィードバックを行い、改善や向上、メンバーの成長を促すツールとして形成的評価(進行中に行う評価)を活用する。[p.296
・リーダーに求められる能力:世のなかや関係者の多様な小目的群を調整し、大目的に根差しながら中目的に向けて実践するための知力――。とりわけ不確実で複雑な環境にわれわれが置かれた時、仮説を立て、社会と関わりながら行動を起こしていく、最初の実践的ステップに挑戦する意志力――。世界と真摯に向き合う態度が不可欠であり、トライアル・アンド・エラーの行動力が重要になる。[p.302
―――

このような目的工学の考え方は、企業戦略が壁に突き当たり、新しいイノベーションが求められている日本の状況では極めて魅力的な考え方のように思われます。特に、事業環境の不確実性が高まっていること、個人の価値観が多様化するなか、コラボレーションが求められていることが背景のポイントなのでしょう。不確実性に対しては、ポーターの競争戦略論のような計画重視の取り組みではなく、ミンツバーグのような試行錯誤を許容した戦略クラフティングが必要であり、コラボレーション実現のためには、共通善に基づくよい目的(個々人の多様な目的を調整できる)が必要である、ということと理解しました。

ただ、そうした考え方がどこまで正しく、どこまで期待してよいのかは、本書からははっきりわかりませんでした。特に技術者は、ある考え方に接した時に、「本当にそうか?」「なぜそうなるのか?」と考える人が多いと思います。成功事例の分析から、本書でいう目的工学的な傾向が導かれ、それがアリストテレスやドラッカーの哲学に合致するものだったとしても、それが「都合のよいところだけをつなぎ合わせたものではないのか?」「成功した後からそれが良かったとわかるような後知恵的な考え方ではないのか?」といった疑問を感じてしまいます。例えば、よい目的に基づいて始めたプロジェクトなのに失敗に終わった例はないのか、よい目的に基づいていないのに成功した例はないのか、目的自体よりも目的の実現方法の巧拙の方が重要なのではないか、といった疑問がすぐに思い浮かぶでしょう。ソビエトの共産主義や、日本の大東亜共栄圏の発想も、その時代においてはよい目的であったのではないか(そうでなければ、あれだけ多くの人を動かす力はなかったと思います)、新幹線がよい目的を持ったプロジェクトだったとしても、移動時間を短縮する意味では同じような意義があったコンコルドはどこが悪かったと考えるべきなのか、興味がある点です。

現実問題として、企業には利益や売り上げを第一に考える人はまだ多くいます。また、試行錯誤を嫌う計画重視の人々もいます。アリストテレスやドラッカーよりも自らの経験や、英雄伝が好きな人もいますし、人間は経済合理性のみに従って行動すると信じている人もいます。こうした懐疑的な人々をいかに動かせるか、それが現在の目的工学の課題のひとつのように思います。本書の目的工学の考え方でも行動のための作業仮説の意義は大きいと思いますが、さらなる発展のためには多くの人に受け入れられるようにすることも必要ではないかと思います。

肝心の大目的の設定のしかたについても、共通善や社会的意義の重要性はわかりますが、実際には、「できそうだ」という見込みを発案者が感じることも必要だと思います。本書に述べられた実践方法の各論はなかなか示唆に富むものではありますが、まだ体系的な方法にはなっていないように思います。今後、真に有効な手法を確立していく必要もあるでしょう。もちろんこれは、著者が「今回の出版は、試論として目的工学の可能性を世に問うものです[p.308]」と述べていることに対して、過剰な要求だとは思いますが、これからの社会や企業経営を変える可能性が感じられる目的工学への期待を込めて、より説得力を持った思想に仕上げ、効果的な手法をクラフティングしていっていただければと思います。実務家としても目的工学の発展に寄与できるかもしれないことは考えておいてよいかもしれません。

文献1:紺野登+目的工学研究所著、「利益や売り上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか ドラッカー、松下幸之助、稲森和夫からサンデル、ユヌスまでが説く成功法則」、ダイヤモンド社、2013.

参考リンク<2014.2.23追加>



「ビジネスモデルイノベーション」(野中郁次郎、徳岡晃一郎編著)より

イノベーション実現のためには、ビジネスモデルを考慮する必要があることについては、本ブログでも何回か取り上げました(2012.1.92013.3.17)。ただ、ビジネスモデルについては、新しい事業の仕組みづくりや儲けのからくり構築、といった観点から議論される場合が多いようにも思います。今回は、野中郁次郎、徳岡晃一郎編著「ビジネスモデルイノベーション」[文献1]に基づいて、やや広い観点からビジネスモデルについて考えてみたいと思います。

編著者らは、「暗黙知をベースにして創造される高質な知を単にモノづくりに終わらせることなく、新たなやり方で価値に変える経営モデルに衣替えしないといけない。すなわち、それが本書の主題であるビジネスモデル・イノベーション(BMI)だ。・・・共通善をベースにしたビジョンをもとに、組織的知識創造の枠組みを築き、既存の産業の固定観念や企業内のしがらみを取り払ったうえで、世界の再創造のためのビジネスモデルに作り替える組織能力を構築しなくてはならないのである。それが知識ベースのビジネスモデルの変革であり、われわれが提唱する『事業創生モデル』である。[p.4]」としています。そして、「事業創生モデルをさまざまな角度から明確にするべく、編集する形でまとめた[p.5]」ものが本書、とのことです。以下、各章の内容の興味深い点をまとめてみたいと思います。

序章:賢慮の戦略論への転換(野中郁次郎)

・「2008年のリーマンショック以降、ビジネスを貫く戦略観は急速に変わりつつある。大きな変化は2つある。第一は、共通善への思いだ。・・・第二は主観を排除した論理思考偏重の破綻だ。[p.17-18]」

・「これまで二律背反してきた収益性と社会性に関するわれわれの暗黙の了解を覆し、両者の二律創生を共通感覚として組み込んだ新しい次元の競争で、われわれは世界の発展、未来の創造をめざすべきなのだ。その中核にあって高次元のバランスを図るのが賢慮である。・・・賢慮の戦略を具現化することはすなわち、本質的に真善美を追求する『知』を『価値』に変えるダイナミックプロセスを実践することであり、そのビジネスモデルがわれわれの提唱する知識創造理論を組み込んだ『事業創生モデル』(Business Creating Model)なのである。[p.20]」

第1章:事業創生モデルの提言――知を価値に変える(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

・ビジネスモデルを革新していくために新たに重要となる知的姿勢は、1)未来探索(未来を探り当てていく仮説思考や漸進的・実験的な態度が重要になる)、2)試行錯誤、3)共創(多くの関係者とのコラボレーションで進める)。[p.35-37

・実践知プロセスとは、1)自分なりの将来の仮説の下での自分のビジョンを創出する、2)そのビジョンをめざして、当面の目標を仮説的に設定する、3)その実現へと現場主義の強みを活かしてまず行動する、4)実践から学び、次なる目標をより正しい方向で設定する、5)ビジョンやビッグピクチャーを意識し、そこに意識的に近づくための漸進的なアブダクティブな知的意図を忘れない、6)このような作法を通じて毎日の業務を振り返り、こなしていくことで、本質が見え目の前に徐々に未来が像を結び始める、7)より鮮明になってきたビジョンに目がけ、次の実行目標は、よりクリアな方向感を持って設定することが可能になる、8)ビジョンと実践の往還運動から導かれる高い志と透徹したリアリズムのプロセスによって、仮説検証を行ない、より高質な目標設定につなげていく。[p.38-39

・事業創生モデルのフレームワーク(オスターワルダーらのモデルを知識創造の視点で発展させたもの):4層構造からなる。第1層は存在次元(ビジョン)、第2層は事業次元(共通善に根差した『価値命題』、知を創造する『場』、賢慮を生み出す『実践知リーダー』)、第3層は収益次元(コスト構造、市場価値、利潤)、第4層は社会次元(より成熟した社会の創造への貢献)。[p.45-54

・「ムーンショットという言葉がある。月に向かって打つような大胆なプランのことをいう。世の中を変えるような夢を持ち、それを達成する大きなビジョンを描き、ビジネスプランに落とし込んで実験しながら、夢に近づいていくのが事業創生モデルなのである[p.58]」

・事業創生モデルを起動させる3つのカギ:1)価値命題の刷新、2)関係性の刷新、3)実践知プロセスの高速回転。[p.59

第2章:ビジネスモデル・イノベーション競争――ビジネスモデルの多様な展開事例(根来達之・浜屋敏)

・オスターワルダー=ピニュールの「ビジネスモデル・キャンバス」が利用可能。核心は価値命題。[p.88

第3章:日産のグローバル・ビジネスモデル・イノベーション――対談、カルロス・ゴーン×野中郁次郎

・BMIを成功させるための土台は「ビジョン」(個々人が働き方を決めるための大きなピクチャー)[p.128

・「共通善のための行いは、必ずリターンを生む・・・重要なことは『将来の共通善』を探究すること」[p.134

・日産の危機管理:1)アセス(状況評価)、2)プラン(何をすべきか)、3)エンパワー(権限委譲)、4)トップの覚悟とコミットメント、5)ラーン(学ぶこと)[p.143-146

第4章:政府レベルのビジネスモデル・イノベーション――知識創造国家をめざすシンガポール政府の挑戦(大屋智浩)

・「シンガポールでは2000年頃から急速に知識創造型経済への転換を進めており、持続的な世界のイノベーションセンターの一角となるべく政策を打ち出している。」「ビジネスモデル・イノベーション(BMI)をまさに国家レベルで進めている」「土地も天然資源も限られたシンガポールにとって、自らを常に世界中から魅力あるイノベーション創出の『場』として、プロデュースし、内外の人材・企業から『場』として利用されていくことが、シンガポールの発展にとって不可欠である。」「シンガポール政府は、まさにそのプロデューサーとしての役割を発揮している。」[p.149-151

・シンガポールではITコンテンツ開発、水資源開発、バイオメディカル・サイエンスを成長の柱と位置づけ、集中的な投資を進めている。[p.154

・知の交流拠点を作ること、次世代育成、海外からの人材引き抜き、などをはじめとして、「研究者の嗜好に合致するような政策が総合的に展開され」「さまざまな政策が連携して、知識創造型経済を創り出すために相乗効果が出るように運営がなされている[p.162]。

・行政の仕組みとしても、柔軟な予算編成、上下の情報の流れをスムーズにする、省庁間の摩擦や組織の壁をなくす、優秀な官僚を育て集める、プラグマティズム(実用主義)、メリトクラシー(能力主義)、インテグリティー(反腐敗、高潔)という風土を定着させるなどの環境が整えられている。[p.163-178

第5章:社会インフラ事業モデルの構造と戦略展開――ナレッジエンジニアリングの視点(旭岡叡峻)

・「情報ネットワーク技術の進展、ソフトやサービス技術の進化、また各種機能材、センサー、ナノテクノロジー、バイオテクノロジーなどの新技術のブレークスルーによって、数年前からそれらの新しい技術を応用した社会インフラ整備事業(メガソーラー開発、環境循環都市)、未来産業の集積を意図した未来都市開発事業(研究都市、デザイン都市)、先進国のスマートシティ開発、持続可能な社会づくりのための都市システムの再構築など、新たな『社会インフラ事業』が展開され始めている。[p.183]」

・「社会インフラ事業の経営には、社会課題を解決するための的確な判断とめざすべき社会条件を形成する合意形成プロセスが不可欠であり、さまざまな試行錯誤と実践を通じて生まれる実践知の方法論が重視されなければならない。[p.212]」

第6章:ビジネスモデルとデザイン思考――ビジネスモデル・イノベーションの実践知(紺野登)

・「ビジネスモデル・イノベーション(BMI)の本質は、顧客や現場の視点で関連する要素をいったん破壊し、新たな関係性を生み出す『知識のデザイン』である。[p.215]」

・「顧客の現場観察や社会トレンドなどから顧客価値を洞察し、それに沿ってできるだけ数多くのプロトタイプを創り出し(プロトタイピング)、試行錯誤を通じて事業を具現化する。その後も、変化の余地を残しながら、試行錯誤を続けていかなければならない。これがデザインアプローチ、デザイン思考(design thinking)の基本である。論理分析的に最初に計画を立てるアプローチやPDCAとは異なる視点である。[p.229]」

・「具体的には、まず顧客の現場から顧客価値を感知する(エスノグラフィーデザイン)、事業を取り巻く変化要因を(非決定論的に)認識する(シナリオ・ベースド・デザイン)、次に、顧客価値を提供するための資産・能力の関係性を生み出す(ビジネスモデル、パタンランゲージによるデザイン)といったツールを用いながらデザインアプローチをとるのが望ましい。[p.229-130]」

第7章:ビジネスモデル・イノベーションを阻む「しがらみ」からの脱却――ハードルを越える実践アプローチ(木村雄治)

・「しがらみとは、利益を生まずに負債化した関係性と定義できる。[p.255]」これは、BMIが失敗する大きな原因のひとつとして明らかになった。「企業経営において問題となる『しがらみ』に共通して言えることは、1)その関係性自体が不採算である一方で、2)その関係性がなければ現状の事業が成立しなくなるリスクがあり(または、そう思われており)、さらに3)永く過去から継続してしまっていて、半ば社内常識化している、という特徴である。[p.256]」

・しがらみにとらわれている理由は、「その企業が『自らの創造する価値を見失っているから』であろう。[p.259]」

・「つまり、企業が自らの本来的な価値よりも、諸々の関係性に依存するようになることで、徐々にしがらみにとらわれ、さらに自らの経済的価値を棄損してしまうというネガティブスパイラルに陥っていくのである。しがらみに陥らないためには、自社の企業ビジョンと価値命題を明確にして、さらに強い信念でそれを推進する勇気を持つことである。[p.261]」

第8章:事業創生モデルを推進するイノベーターシップ――知を価値に変える新たなリーダーシップ(徳岡晃一郎)

・「ビジネスモデルを創造していくリーダーには、金儲け以上のことが求められる。それは共通善を視野に実践知のプロセスを執拗に回し、困難を乗り越え、社員やパートナーを奮い立たせ、顧客、社会、世界を明るくしていく能力だ。そのようなリーダーたちの持つ最も重要な資質が実践知(practical wisdom)である。[p.279]」「その能力には6つの要素があるとされる。1)『善い』目的をつくる能力、2)場をタイムリーにつくる能力、3)ありのままの現実を直観する能力、4)直観の本質を概念に変換する能力、5)概念を実現する能力、6)実践知を組織化する能力。[p.280-281]」

・「事業創生モデルを引っ張り、社会を変えるために知を創造し価値に転換していくコアになる活動を野中郁次郎教授と筆者は『イノベーターシップ(innovatorship)』と名付けている。[p.287]」その条件は、「一見矛盾する共通善を希求する高い志とビジネス嗅覚の二律共存、同時追求」、それを支える原動力は、「強烈な原体験と自分でもできそうだという達成イメージからくる自信」であり、「自らのコンセプトを明確にし、発信力を鍛え、影響力を行使していくスキルが重要」、「集団としてのやり抜く実行力を醸成するイノベーターシップの源泉は、人の気持ちを察する人間理解と感謝の念に根差した人間力である。場の形成の根幹には信頼関係が必要だからだ。」[p.287-294

・「成果主義を象徴する仕組みとしてのMBOを超えて、事業創生モデルの時代の人事制度のあり方としてまとめたのがMBB(Management by Belief、思いのマネジメント)[p.303]」

終章:賢慮のビジネスモデル・イノベーションへ向けて――統合型事業創生モデル(野中郁次郎・徳岡晃一郎)

・「事業創生モデルにはさらなる発展段階がある。それは、世界の諸課題へと視線を跳ばし、より良く共通善を達成していくために、個別ビジネスモデルを統合し、世界を巻き込むダイナミズムの中核になることだ。われわれ人類が乗り越えなければならない地球規模の課題へ挑戦するための知の結集である。それを『統合型事業創生モデル』(iBCM: integrated Business Creating Model)として提示してみたい。

・「今の日本の企業は、事業モデルの再創造が決定的に不足しているが、それはひとえに事業創生モデルを担う人材の不足にある。そういう人材を学校教育の段階から育ててこないばかりでなく、組織人になってからはモノのように酷使し、知の創造の主体とはとてもいえない扱いをしてきたつけが回ってきたものだ。知を創造する探究心や好奇心にあふれる姿勢、豊かな暗黙知を蓄える原体験や知的経験、そこからスパイラルアップする問題意識の深さなど、知の創造にとって不可欠なすべての要素において貧困な社員を作り上げてしまった。知的貧困化の悪循環に入り込んでしまっているのだ。スリム化でますます人材が減り、かつ雇用が流動化する中で、ストレッチターゲットに対しての意味づけ能力を欠いた管理職が成果主義のツールを振り回し、社員に対して目標を垂れ流している。知を創造するために不可欠なシャドーワークや部門間の連携の余地を、単年度利益をひねり出すための効率化により、絞り込んでしまい、仕事から面白みを削ぎ、知を創造する体力と気力を奪ってきてしまった。[p.344-345]」

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以上が私なりのまとめですが、本書は、副題にあるとおり、「戦略論」が主題であることには少し注意が必要だと思います。本書では、どうしたら儲かる(うまくいく)ビジネスモデルが作れるか、というようなハウツーはあまり述べられていませんし、例えば「共通善」についてもそれを重視すれば競合に勝てるとも言っていません(共通善の有効性の証明がなされているわけでもなく、例えばシンガポールの事例では共通善の位置づけは不明です)。従って、本書では多様なビジネスモデルの特性が示され、著者らの考える「あるべき姿」が提示されていると考えるべきでしょう。

しかも本書の指摘は、かなりトップレベルのマネジメント層を念頭に置いたものであるように思います。そのため、第一線の研究マネジャーにとっては、具体性に欠け、納得しにくく物足りない点もあるように思います。しかし、これからのイノベーションにおいて個別の技術ではなくビジネスモデルを考慮しなければならないこと、ビジネスモデルの考え方にはある程度のハウツーや知見が蓄積されつつあること、短絡的な成果主義よりは共通善や賢慮といった概念がこれからより重要になってくるだろうこと、などの著者らの洞察は時代の流れとしてすべての技術者やマネジャーがよく認識しておくべきことのように思いますがいかがでしょうか。


文献1:野中郁次郎、徳岡晃一郎編著、「ビジネスモデルイノベーション 知を価値に転換する賢慮の戦略論」、東洋経済新報社、2012.

参考リンク<2013.7.21追加>


 

 

「知識創造経営のプリンシプル」(野中郁次郎、紺野登著)より

野中氏らによる「知識創造」の考え方については、本ブログでも何回か取り上げてきましたが、非常に重要な示唆が多いと感じられる半面、難解な概念が多く、活用が難しいという印象も持っていました。そんな中、新たに発表された「知識創造経営のプリンシプル」(野中郁次郎、紺野登著)[文献1]は、「知識創造経営のための『ワーキングガイド』」として「実践的に理解するために、関連する諸々の断片的な概念をある程度まとめておきたい、そして体系的に総括・綜合しておきたい」、「21世紀の社会経済という文脈に、知識創造経営を再度置き直してみる」という2点を狙いとして書かれた本ということであり[p.v-vi]、期待を持って読みました。本稿では、その内容について、知識創造理論を使う立場からのまとめを試み、私なりの理解を述べさせていただきたいと思います。なお、本書の広範な内容のすべてをご紹介できていない点はご容赦ください。

知識創造経営の位置づけと意義

まず、著者らは、「知識社会化した資本主義社会において経済的価値を生むにはどうするか」[p.1]というドラッカーの問いから始め、近年の社会の変化を考察した上で、「21世紀の新たな社会経済状況の中で従来の戦略論や組織論には行き詰まり感がある。これに対する、知識社会経済における経営の考え方が知識創造経営であるといえる。[序章、p.26]」、「世界が新たな資本主義に向けて暗中模索を始めている。こうした中で、求められるのはいわば『人間中心の精神・価値観』に基づいた経済や経営のあり方である。それは賢慮(共通善実践のための智慧)に基づく資本主義(prudence-based capitalism、プルーデントキャピタリズム:より一般的にはワイズキャピタリズム)ではないかと考えている。それは人間中心の、実践的賢さを重視する経営だ。[p.vi-vii]」、「知識創造経営は、脱工業社会あるいは知識社会の経済に対応した、①個の知識と能力、②個と個の交わる『場』を『基本単位』とする経営モデルである」[p.44]と述べています。さらに、イノベーションとの関係について、「経済価値の多くは、ノウハウ、特許、著作権、ブランド、さらには背後にある開発力やイノベーション(新たな知識創造)力によって生み出される。我々はこれらの知を『知識資産』と呼ぶ。知識創造経営は知識資産によって価値を生み出す経営である。[p.64]」、「イノベーションとはこれまでになかった関係性によって知識資産を生み出し、組み合わせ、事業価値に変換することである。知識資産の価値を高めるために企業が行うべきことは、高質な知識創造プロセスの構築である。[p.67]」と述べていて、知識が生まれる現象への理解だけでなく、知識創造に基づく経営手法の構築も視野に入れた議論が展開されています。

実践のための基本則(プリンシプル)

その上で、著者らは、実践において大事になると思われる要素として10項目を挙げ、さらにその共通項を以下の3つにまとめています。[p.viii-ix

・共同体あるいはエコシステムにおける企業や顧客、パートナーなどの関係性を基盤とすること

・その起点としての「場」、すなわち間身体性あるいは相互主観性

・目的を追究して意味や価値を形成していこうとする意識に基づく生命論的な人間力

これだとややわかりにくいと思うのですが、要するに、周囲との関係を考慮すること、人が集まることで互いの知識を体感し深く理解すること、人間にとって重要な目的を意識すべき、ということと個人的には理解しました。おそらく上記の点を大切にすることで、知識の出会いによる知識創造の可能性を高め、周囲を動かし、実践につなげやすくできる、ということではないでしょうか。以下、10のプリンシプルのそれぞれをまとめます。

1、場(あるいは間身体性)に基づく経営

「場は『共有された動的な文脈あるいは意味空間』と定義される[p.27]」ということですが、「知識創造経営の起点となるのは、場における認識、経験、知識の獲得である。場は我々の経験の起点であり、身体性(embodiment)に基づくものである。[p.47]」という表現の方がわかりやすいかもしれません。間身体性の意味はややわかりにくいですが、「たとえば、相手をコントロールしようとしたり、命令に従わせようとしたりしても、人や組織は動かない。共通の考えを持ったり、経験をしたり、一体感を感じることで初めて内発的に人は動き始める。こういったときの根底にあるのが、相互主観性(間主観性ともいう)である。[p.29]」であって、「メルロー=ポンティは、相互主観性の本質は身体感覚に基づいて相互に浸透することで生まれる関係性、つまり間身体性(inter-corporeality)だと解釈した。[p.29]」、さらに、「身体的な認知活動とは、すなわち個々人が社会的に、他者との交わりを通じて暗黙知を獲得するプロセスである[p.48]」という説明からなんとなく理解できるように思います。著者は、実際にどの程度の他者との交わりが必要なのか(例えば、バーチャルな交流でよいのか)についてははっきりと述べていないように思いますが、ミラーニューロン(「他者の行動を見て、まるでわが事のように感じる共感能力(empathy)を司っているとされる[p.49]」)の重要性を指摘していることを考えると、直接会って交流することを重視しているように思われます。

2、実践的方法論に基づく経営

著者らは、知識創造経営の方法論として、「論理分析的アプローチとは異なる、実践主義的な思考の重要性を指摘したい[p.51]」と述べています。「いわゆる『複雑な問題解決』に対しては、分析と意思決定科学だけでなく、洞察や判断など、直観や人間知の動員が求められる。[p.52]」、「専門家が分析すれば問題が解ける、という時代は終わりつつある。(中略)今求められるのは、現場視点を持ったクリエイティブで発見的な分析だ[p.51-52]」、と述べ、ミンツバーグの「創発戦略」、デザイン思考における(ラピッド)プロトタイピング、アジャイルスクラムなどの実践的思考の例を挙げています[p.53]。「仮説的に知の創造と適用をインタラクティブにかつ段階的に進めていくやり方[p.54]」ともいえるでしょう。

3、知識創造理論に基づく組織プロセス

「市場は単に企業の外的環境として捉えられるのではない。(中略)企業は市場という生態系の一部として存在するという考えがますます重視されるのが知識社会経済、そして知識創造経営である。[p.70]」「組織的知識創造とは、組織が個人・集団・組織全体の各レベルで、企業の環境から知りうる以上の知識を、新たに創造(生産)すること[p.77]」。「知識創造のプロセスは暗黙知と形式知の相互変換[p.77]」。暗黙知と形式知の相互作用は、共同化(暗黙知から新たに暗黙知を得る)、表出化(暗黙知から形式知を得る)、結合化(形式知から形式知を得る)、内面化(形式知から暗黙知を得る)という4つのプロセス(SECIプロセス)で表わすことができる[p.77]。さらに、「直接経験を通じて環境における現場での現実に共感し(=共同化)、気づきの本質をコンセプトに凝縮し(=表出化)、コンセプトを関係づけて体系化し(=連結化)、技術、商品、ソフト、サービス、経験に価値化し、知を血肉化する(=内面化)、さらに、組織・市場・環境の新たな知を触発し、再び共同化につなげる[p.79]」、という具体例を示しているのはわかりやすいと思います。


4、戦略の物語的アプローチ

「伝統的に行われてきた戦略策定では、客観的な事業環境分析に基づいて課題を抽出し、指針を提示・指示する。しかし、(中略)現実の組織の現場では、行動すべき人々の気持ちがこれに参加しないので動かない。戦略と実践の間には大きな隔たりがある。[p.96]」、「人間は社会で協力関係を維持するとともに、他者との利害を調整しなければならない。(中略)共有される目的が共通善[p.99]」、と述べ、「知識創造経営の従来の経営との大きな違いは、(中略)共通善の追求といった目的を問う点である。[p.102]」としています。そして、「戦略やその計画を文書で配布しても、それは形式知にしかすぎない。戦略が組織を前進させる『知力』となるには、暗黙知つまり身体のレベルで共有理解されなければならない。そのために、暗黙知を大きく失わずに知を伝達できる形態としての物語に注目する。[p.107]」ということです。

5、実践的三段論法による実践的戦略思考

戦略の実践において有効な思考が実践知とされます。「意志決定ツリーに基づいて、相対的な数値の大きさや確率で方向を決める、という単純な比較が難しい、社会的価値判断や経営者や企業としての独自の価値判断が求められる複雑な問題に対処するのが実践知である。それは共通善に向けた価値基準を持って、個別のそのつどの文脈の只中で、なすべき実践(プラクティス)のための最善の判断ができる智慧であるといえる。[p.123]」。そうした実践知(フロネシス)の方法論として、実践的三段論法があり、「実践的三段論法では、目的があり、そのための手段があったときに、実行をすべきか、という判断を行なうという我々の日常的思考を表わしている。(中略)このように、実践的三段論法は必ず実行・実践を伴う。[p.129]」、「我々はすべては仮説であるという態度を持たなければならない。法則、理論などもすべて仮説であり、『知識は半分しか真でない』。(中略)我々はこうした仮説を用いながら、実践的な推論と判断をしていくのである。[p.131]」、と述べられています。

6、リーダーシップにおける賢慮のサイクル

「賢慮とは、個別具体の場において、その状況の本質を把握しつつ、同時に全体の善のために最良の行為を選び実践できるためのリーダーの智慧[p.148]」。それは6つの実践の行動サイクルすなわち、1)「善い」目的を作る、2)場をタイムリーに作る、3)ありのままの現実を直観する、4)直観の本質を概念に変換する、5)概念を実現する、6)実践知を組織化する、で示すことができ、「トップや特定のエリートに実践知が埋もれているままではいけない。彼らの実践知を、実践の中で伝承・育成し、組織的に自律分散型フロネシスを練磨することが必要だ。それを『集賢知』と呼ぶ。[p.149-161]」、とされます。

7、非ヒエラルキーの組織、ワークプレイスのデザイン

「知識創造経営においては、ヒエラルキー(階層的組織構造=一極集中あるいは官僚制、ビューロクラシー)に基づかない自己創出的組織と、それに適応した『ソーシャルリーダーシップ』(社会的関係性を創出するリーダーシップ)からなるオートノミー(自律的組織構造=自律的で分散的)の形態が望ましいと考えられる。なぜなら、我々は組織の成員を、指示命令に従って情報処理業務を行うホワイトカラーのモデルではなく、個が自律的に場を形成して知識創造するナレッジワーカーのモデルを通じてみるからである。[p.178]」、「基本となるのは、特定の業務のためや顧客価値を生む深い知識資産を、サイロ化を避けつつ、柔軟に活用できるようにする構造の創出にある。[p.195]」、「今後の組織設計においては、『場』における実践(プラクティス)についての理解とコンセプトがカギを握る。それは現場がどのような実践を行うかのモデル、仕事の仕方(ワークウェイ)などに基づくものである。[p.198]」、ということです。

8、顧客価値と知識資産の関係性としてのビジネスモデル

「ビジネスモデルとは、顧客にとっての価値を提供し、利益の流れを生み出すための内外の資産や能力の関係性を表わすロジック[p.214]」。「モノではなく、知の流れで経済的価値が生まれる[p.214]」。「コトが価値を持つ時代になると、ただモノを売っていただけでは利益が生まれなくなる。[p.222]」、「ビジネスモデル・イノベーションの課題は、知(知識資産)を利潤の流れに変換することである。顧客価値の実現のためには、さまざまな資源(知識資産)とパートナーとの関係性など、ユニークな関係性の創出が求められる。それは分析的作業からは出てこない。[p.218]」、「試行錯誤、反復的修正、プロトタイピングによるフィードバックが不可欠である。我々は論理分析的にビジネスモデルを構築しようとせずに、現場での具体的洞察や創造性の発揮を通じてビジネスモデルをデザインしなければならない。[p.219]

9、市場知と技術を融合する方法論としての知識デザイン

「技術は重要だが、科学的技術知に市場・顧客の知、組織の知を組み合わせなければイノベーションにはならない。[p.239]」、「イノベーションとは、革新的な技術あるいは革新的な方法による技術の活用と、提供者のシステム、ユーザーの利用や消費の形態(行為や行動)の革新を通じて、顧客の問題の解決や新たな創造的な社会的関係性を創出することである。イノベーションの実現のためには、顧客の現場からの洞察や顧客との協調・協働が基礎となるだろう。そこで、デザインアプローチの重要性が最近指摘されている[p.243]」、「デザイン思考が志向するのは、『コモディティ+付加価値』(モノの価値)とは異なる、『人間的価値』(本質的コトの価値)の追求である。[p.245]」、「デザインは、『エンジニアリング』に象徴される論理的・分析的・効率的な理性的思考とは異なる、直観的・統合的・創造的な身体的・感覚的思考を代表している。デザインは人間の視覚的な能力と形態創造の能力(形にする力)を背景に持った『知的な方法論』である。[p.249]」、「知識デザインの基本的な作用は、従来からあった社会や技術の関係性をいったん脱構築し、顧客あるいは人間の視点から再構成して、価値や便益をもたらすことである。知識デザインはイノベーションのための『新結合』を支え、深めるものだ[p.249]」、「知識のデザインとは、現場から顧客の状況を把握し、仮説を設定してコンセプトに綜合し、プロトタイピングと実践を繰り返しながら顧客の問題を解決する行為[p.254]」。

10、人間中心の市場空間としての都市

「人々のアイデアや知識の交わる『場』がグローバル経済の要となる。それはすなわち『都市』である。[p.291]」、「今後は、国家を1つのユニットと捉える呪縛から解き放たれ、地域コミュニティや、国家を超えたコミュニティにおいて、共通善の実現のために共同体の境界の内外の構成員が、内発的な動機づけの下、『知』を結集してイノベーションを起こすという発想が未来を拓くだろう[p.321]」。「岩井克人氏は、(中略)経営者や従業員の知こそ最も獲得しがたい資産であり、それらを育てる企業文化などの重要性を示唆している[p.322]」。

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以上が私なりのまとめです。知識創造理論については、従来発表されてきた概念の本質的な部分のみが抽出され、体系的に整理されているように思いますので、かなり理解しやすくなっているのではないでしょうか。本書では、知識創造理論についての考え方の他にも、従来の経営理論や哲学、最新の考え方や試みについても評価が加えられており、そうした点も大いに参考になりますので、知識を実践的に用いるためのワークブックとしての価値は非常に高いと思います。

私にとって従来、知識創造理論が使いにくく思われていた理由は次の2点でした。

・知識創造理論は非常に正しそうに思われるけれども、本当に有効な理論だという証拠はあるのか。

・知識創造理論では、知識創造が行われるプロセスやいかに知識創造を行うかについては述べられているが、何に取り組めばよいのか(具体的に言えば、何を研究テーマとすればよいのか)がはっきりしない。

もちろん私もこのような問題について明確な回答を得ることは不可能だと思っていますので、回答が示されないこと自体には何の不満もありませんでした(かえって、こんな複雑な問題に明示的な回答がある方が胡散臭い)。しかし、上記の疑問に対して何らかのヒントはないものか、という願いを持っていたことも事実です。これに対して本書では、現在の社会経済状況に対して今までの経営理論が効果的に機能していないこと、それに比較して知識創造理論には可能性があることが述べられ、理論の有効性を受け入れやすくなったと思います。また、何に取り組むべきか、という課題に対しては、「共通善」を基礎にすべきという基準が示された点が意義深いと思います。もちろん、共通善という考え方からただちに明日の研究テーマを導くことははっきり言って不可能ですが、例えば研究テーマを分析的に考えだすのではなく、例えば組織的知識創造プロセス(SECIモデルなど)を使って研究テーマを発想し、それを共通善という篩にかけて有望なテーマを選び出す、という創発プロセス(当然、研究テーマが知識創造プロセスの過程で変わってしまってもかまわない)を利用したテーマ設定の方法も可能ではないか、と思い至った点、有意義だったと思います。本書によって、知識創造理論は間違いなく使いやすくなったと思いますがいかがでしょうか。



文献1:野中郁次郎、紺野登、「知識創造経営のプリンシプル 賢慮資本主義の実践論」、東洋経済新報社、2012.



本ブログ参考記事

「流れを経営する」を読む2012.3.25

フロネシス(賢慮)と研究開発2012.1.29

「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想2011.3.21

創造性を引き出すしくみ2010.10.24

参考リンク<2013.1.14追加>



 


 


 

フロネシス(賢慮)と研究開発

暗黙知、形式知の変換による知識創造理論を提唱した野中郁次郎氏、竹内弘高氏が最近取り上げているフロネシス(賢慮)という考え方について、両著者による論文「賢慮のリーダー」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。

この論文において著者らが目標としているのは、「企業が社会と衝突するのではなく、共生するために、どうすればリーダーが体系的な決定を下せるようになるのか」を探ることです。そして、その研究の結果、「形式知と暗黙知の概念を使うだけでは十分に説明できない」、「CEOは『実践知』という、忘れ去られることが多い第三の知識も利用しなければならない」という結論に至ったとしています。ここで、実践知とは、「経験から得られる暗黙知で、価値観や道徳についての思慮分別を持つことにより、現実の具体的な文脈や状況において最善の判断を下し、行動することを可能にする」もの、言い換えれば「実践知は、倫理的に健全な判断を可能にする経験的知識」であって、その実践知の起源が、アリストテレスが分類した三つの知識の一つ、フロネシス(賢慮とも訳される)という概念にある、と述べています。

つまり、知識を用いて何かを成し遂げようとする場合でもまずは正しく判断することが重要で、実践知はそれを可能にするものということでしょう。そして、こうした能力は特にリーダーに求められているというのが著者らの主張と考えられます。ということは、実践知とは、知識というより、能力や信念、思考や行動のパターンといったものに近く、しかし、学んだり育成したりすることができるという意味では知識とも言える、ということになると思います。著者らは、この実践知においては「共通善」が重要な役割を担うとしており、「未来の創造とは、企業の境界を超える、共通善の追求でなければならない」、「意思決定が自社だけでなく社会にも有益かどうか」、「企業は、経済価値と共に社会価値を創出しなければ、長く生き残れない」、「いかなる企業も、顧客に価値を提供し、ライバルが創造できない未来を創造し、共通善を維持することができなければ、長く生き残れないだろう」と述べています。つまり、知識創造を含めた企業活動の全体を統括するのが共通善に支えられた実践知である、と言っているように思います。

著者らは、その実践知を持つ賢慮のリーダーには次の6つの能力が必要であるとしています。

1、善を判断できる:著者らは「賢慮のリーダーは、何が善かという道徳的認識力を発揮し、どんな状況にあってもそれに基づいて行動する」「経営者は、利益や競争優位性のためではなく、共通善のために判断を下さなければならない」とし、基盤となる価値観を持つことが必要としています。そして、善いことの判断力を養う方法として次の4つを挙げています。すなわち、1)経験(特に逆境や失敗の経験)、2)日常の経験から得られた原則を書き留め、共有する、3)卓越性の追求、4)判断力は一般教養に精通することで養うことができる、です。

2、本質を把握できる:「賢慮のリーダーは判断を下す前に、状況の背後にある物事を素早く察知し、将来の展望や結果に対するビジョンを生き生きと示し、そのビジョンを実現するのに必要な行動を決定する。実践知によって、本質を見極め、人々、物事、出来事の性質や意義を直観的に理解する」とされます。そのためには、「細部への目配りと粘り強さが必要」で「細部から普遍的な真実を把握することも重要」「主観的な直観と客観的な知識との間のたえざる相互作用が必要」であり、問題の本質を把握する能力を養うため次の3つの行為を習慣化しなければならないとしています。それは、1)問題や状況の根本が何なのかを徹底的に問う、2)「木」と「森」を同時に見る、3)仮説を立てて検証する、です。

3、場をつくる:「賢慮のリーダーは、経営幹部や社員が互いに学び合う機会をたえず創出する」「フォーマルおよびインフォーマルな場(共有された文脈)をたえず創出する」。

4、本質を伝える:「賢慮のリーダーは、だれにでもわかる方法でコミュニケーションできなければならない」「ストーリーやメタファー(隠喩)など、比喩的な表現を使う必要がある」「それによって、ベースとなる文脈や体験の異なる人々同士でも、物事を直観的に把握できるようになる」。当然ですが、「レトリック(言語表現の技術)も大切」とのことです。

5、政治力を行使する:「賢慮のリーダーは人々を結束させ、行動に駆り立てなければならない」「人材を動員するためには、経営幹部は状況に応じたすべての手段を-マキャベリ的な権謀術数さえも-利用しなければならない」。さらに、「人間はもともと論理的であると同時に感情的でもある」などの「人間性のあらゆる矛盾を理解し、状況に応じてそれらを統合しようとする」「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を十分に発揮できる能力(フィッツジェラルド)」という点も指摘しています。

6、実践知を育む:「実践知は組織内にできる限り分散させなければならないし、あらゆる層の社員が訓練によって使えるようにならなければならない」「自立分散型リーダーシップの育成は、賢慮のリーダーの最大の責務の一つ」。ソフトウェア開発で採用されているスクラムアプローチも構造的な選択肢の一つであり、また、手本となる人物から実践知を学ぶこと、メンターによる指導、徒弟制も有効であるとしています。

このようなリーダー像をまとめて、著者らは、「CEOは理想主義的な実用主義者(アイデアリスティック・プラグマティスト)にならなければならない」と述べています。「理想主義者でなければ、新しい未来は作れない」が、それと同時に、「現実を直視し、状況の本質をつかみ、それがもっと大きな文脈とどう関わるのかを思い巡らして、共通善を実現するために何をしなければならないかをその時その場ですぐに判断する」ことが求められる、としています。

リーダーに要求されるこのような能力の内容については、特に目新しいものではない、という意見もあるでしょう。しかし、最近の経営環境の変化を受けて、これからの時代のリーダーに必要な能力として、上記の点をことさら強調している点は重要であると思います。著者らは、こうした能力を持つ経営幹部の事例を挙げているのみですが、企業経営の困難度が増している現在において、こうした能力の欠如が原因で経営が失敗したと思われる例を探すことはそれほど難しくないように思います。例えば、次のような問いを考えてみると、上記の能力のどれが欠けても企業の永続には問題があるだろうことは容易に理解できるのではないでしょうか(それぞれ上記1~6に対応しています)。

1、不祥事を起こしたり社会の信頼を失ったりした企業に「共通善」の認識があったか

2、本質を軽視して目先の利益や指標にとらわれて失敗していないか

3、知識創造の基盤となる相互交流の制度(場)を整備、維持しているか

4、経営層の考え方が社員に浸透しているか

5、相反する目標を認識した上で、社員の行動を束ねられているか

6、知識、能力の育成はできているか

研究開発のリーダーについても同様のことが言えると思います。上記の考え方を研究の場面に適用すると以下のような示唆が得られるでしょう。

1、共通善に反する研究は、仮に研究自体がうまくいったとしても社会との関わりにおいて問題を起こす可能性がある。

2、本質(たとえば、Christensenの指摘する「片づけるべき用事」、エスノグラフィーでとらえようとする真のニーズなど)を考慮した研究が重要。本質を忘れた改良はオーバースペック製品や、使われない製品を生む。

3、知識創造の場を整備し維持する必要がある。

4、企業戦略の方向を理解して研究の方向を決定できているか。

5、社内の協力体制はできているか。矛盾するような目標に対して安易に妥協していないか。

6、技術やノウハウ、技術的優位性、よき伝統の継承はできているか。

こうしてみると、当たり前の指摘とはいいながら、重要なチェックポイントを示しているように思います。特に、科学技術への信頼が失われ、研究の不確実性が高まるなかで、新興国からの技術的な追い上げを受けている研究環境にあっては、研究開発にこそこうしたフロネシスにもとづく実践知が求められていると言えるのではないでしょうか。確かに著者らの主張は技術者の感覚からすれば実証性が不足していてそのまま受け入れにくいと思われるところもあり、観念的な概念はわかりにくい点もあるのは事実ですが、貴重なヒントを与えてくれていることは確かだと思います。

著者らは、「『断絶』が繰り返される時代にあって、組織を賢く統率する能力は消え失せたに等しい」「多くの経営者が、新しい技術、人口動態の変化、消費動向などに対応できるように自社を素早く改革するのは難しいと感じている」「人々は産業界に価値観や道徳が明らかに欠けていることに腹を立てている。ビジネス・スクールや企業、CEOの経営者育成法にはどこか誤りがある」という問題意識に基づいているようですが、これはそのまま科学の世界、研究開発の世界にも言えることなのではないでしょうか。何を読み取るかは我々次第なのでしょう。


文献1:野中郁次郎、竹内弘高、「『実践知』を身につけよ 賢慮のリーダー」、Diamond Harvard Business Review20119月号、p.10.

参考リンク<2012.7.8追加>

 

「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想

本書では様々なイノベーションの事例を取り上げ、野中教授の知識創造理論をベースにその成功の要因が解説されています。さらに、それぞれの事例におけるリーダーの考え方と行動について詳しく述べられている点は、イノベーションにおけるリーダーシップについての示唆も多く含んでいると言えるでしょう。取り上げられた事例はいずれも従来の考え方や方法の革新が成し遂げられたもので、イノベーションによって世の中を変えることができる人間の能力とその成果を再認識できたことは、(特に震災の記憶が生々しいこの時期、)力づけられる気がしました。

 

取り上げられているのは、以下の9事例です。

ケース1、旭川市旭山動物園:動物の行動展示によって人気を得た有名な事例。

ケース2、京都市立堀川高校:自ら学ぶ教育を実現して大学受験と生きる力の教育を達成。

ケース3、JR東日本エキュート:これも有名ですが、駅構内のあり方を改革したエキナカの創造。

ケース4、トヨタiQ:「カイゼン」を超えた発想による小型車の開発。

ケース5、アサザプロジェクト:霞ヶ浦の自然を再生させるプロジェクト。

ケース6、社会福祉法人むそう:知的障害者の能力を地域再生に生かす福祉ビジネス。

ケース7、再春館製薬所:大部屋経営を通じて「監視」から「共創」を達成。

ケース8、いろどり:料理に添えるつまものをビジネスとして創造。

ケース9、銀座みつばちプロジェクト:都心で養蜂し、都市のあり方を変えた事例。

 

いずれも研究開発や技術が主役ではありません。しかし、技術があっても、それを成果に結び付けるための多くの技術以外の努力が必要であるというのは多くの方の認識が一致するところでしょう。技術的イノベーションを考える上でもこのような事例から学べることは多いのではないでしょうか。

 

野中教授はこの事例から、イノベーションを生むための方法、リーダーの行動として、次のような概念を示しています。

・「理論的三段論法」ではなく「実践的三段論法」(ケース1、2)

・「モノ的発想」から「コト的発想」への転換(ケース3、4)

・「考えて動く」ではなく「動きながら考え抜く」(ケース5、6)

・「名詞」ベースではなく「動詞ベース」で発想する(ケース7)

・「見えない文脈」を見抜く(ケース8)

・偶然を必然化する(ケース9)

そして、まとめとして

・リーダーにとって大切なのは「場のマネジメント」

・知を創発する場の条件は「チームの自己組織化」、「身体性の共有」による「相互主観性」

・リーダーとチームを支えるのは「共通善」

・経営は「サイエンス」ではなく「アート」

と述べています。

 

とまとめてみたものの、はっきり言ってこれらの概念は私には非常にわかりにくいものでした。もちろん、事例の解説を読めばなんとなくわかったような気にはなるのですが、例えばその概念を自分で使おうと思った時、あるいは、野中教授の知識創造理論を知らない人に伝えてその人を動かすことに使えるかというと、非常に心もとない感じがしてしまいます。

 

恐らくその原因のひとつは、「概念」の種類が多すぎることのような気がします。特に技術系の人は、新しい理論や概念に触れると、それが本当に正しいのか、どんな場合にでも正しいのか、なぜ正しいのか、何を根拠に正しいと言えるのか、などのことを考える習慣がついている人が多いので、一度に多くの概念に触れると混乱をもたらすことになるように思います。さらに、多くの概念があると、実際の場面においてどの考え方を使えばよいのかがはっきりせず、「使いにくい」という印象になってしまい、使いにくい概念をわざわざ受け入れる必要はない、と思ってしまうこともあると思います。

 

しかし、事例に基づいてよく考えてみれば、これらの概念には重要な示唆が多く含まれていると言えると思います。そこで、野中教授の概念を使う立場から私なりにわかりやすく言い換えてみようと思います。

・「実践的三段論法」とは、「目指すべき目的がある」「目的を実現するにはこんな手段がある」「ならば、実現に向けて行動を起こすべきである」と結論を導き出し、行動を起こすこと[文献1p.32]。さらにこのプロセスには「仮説→検証→修正」の反復が含まれており、経験から仮説を立てる段階ではアブダクションが活用されます[文献1p.73-74]。このように考えれば理解しやすいと思います。

・「モノ的発想」から「コト的発想」への転換については、まず「モノ」と「コト」の理解が必要でしょう。モノはsubstance、コトはevent[文献1p.82]、「モノはそこに人間がかかわろうとかかわるまいと存在するのに対し、コトはそこにかかわる人間との関係性のなかで成立し、人間の経験として生成される」 [文献1p.99]、だそうです。「モノ的発想」から「コト的発想」へということは、物を提供してそれをどう使うかは物の受け取り手に任せるということではなく、その物が受け取り手にどのような経験を与えるか、ということまで考える、ということではないかと思います。単なる物ではなく、その作用や、人がどんな作用を求めているかの着目しようとする人間中心のイノベーションなどと近い考え方だと思います。

・「考えて動く」ではなく「動きながら考え抜く」というのは比較的理解しやすいですが、最初に考えを立ててそれを実行し、改善点があればフィードバックする、という方法ではなく、動いて得られた経験を直ちに発想につなげる、という意味で従来よりもダイナミックなアプローチ重視している、ということと考えられます。

・「名詞」ベースではなく「動詞」ベース、というのは固定的な考え方(名詞ベース)ではなく、何かになる(become)とか変化するとかの流動的な考え方を重視すべき、ということであると思われます。「モノ」から「コト」へという考え方と本質的な違いはないように思います。

・「見えない文脈」を見抜く、については「一見、関係ないモノがジグソーパズルのように結び付くと、これまでなかった新しいコトが生まれ、変革がもたらされる」[文献1p.222]とのことですので、違うものを結びつける力だと言ってよいでしょう。そのきっかけにセレンディピティーが存在する場合もあり、イノベーションの原動力になりうることは経験的にも明らかだと思いますが、そのきっかけには「強い好奇心」と「強い目的意識」があるとされています[文献1p.239]

・偶然を必然化、については偶然により生まれたチャンスを大切にする、という意味ではないかと思います。偶然というのは誰にでも訪れるものではありませんので、偶然の力を活用すると他者との差別化が容易に行なえます。これは「真のセレンディピティー」(ノート6で取り上げました)に近い考え方のように思われます。

・場のマネジマントとは、組織や環境や人や知識を別個にマネジメントするのではなく、新たなイノベーションが起こるようそれらを総合的にマネジメントすること、という風に受け取りました。野中教授は「場は、人々が目的を共有し、価値観や感情を共鳴させ、互いに知を共振させ、信頼、愛、安心感などの社会関係資本を共有し合う時空間」[文献1p.51]としていますが、こうした場を作るためには総合的なマネジメントが必要なのだと思います。

・自己組織化とは、リーダーが引っ張るとか、管理者がこまかい調整を行なう、という方法ではなく、組織が自主的に全体として最適な行動をとれるように動き、個を超えた大きな主観(相互主観性)を確立するということのようです。そのためには「身体性の共有」つまり、「相手と身体的に時空間を共有し、触れ合うことによって、相手の視点に立ち、相手の経験を自分のなかで持つことができるようになる」[文献1p.287]ことが必要ということのようです。

・「共通善」とは「『世のため人のため』『よきことをする』という根源的な思い」[文献1p.5]ということです。このような思いが人を動かす大きな力を持つことについては疑う余地はないでしょう。

 

野中教授の考え方をこのように言い換えてしまうこと自体、私の理解不十分の可能性に加えて、野中教授の暗黙知を不十分な形の形式知として表出化してしまうという危険がありますので、適切なことではないかもしれません。また、野中教授が様々な概念を提示されていることも、暗黙知を単純な形で形式知化させないためなのかもしれないとも思います。しかし、このようなわかりやすい言い換えを行なわなければ野中教授の概念はそれを使う立場から眺めている私にとってはただのモノにしかすぎず、こうした考察によって初めてコトになりうるのではないか、とも思います。そんなわけで、あえてトライしてみました。野中教授の理論は受け取る側の知識が多いほど、深い内容を受け取れるようにも思いますので、さらにどのような解釈ができるかは私自身の今後の課題とも言えるかもしれません。

 

なお、本書には上述の概念の他にも多くの有用な示唆や興味深い概念が語られています(ここでは限られた点しか取り上げられず申し訳ありません。詳しくはぜひ本書をご参照下さい。)。しかし、それらの概念を単なる羅列ではなく、重要性を正しく判断して系統的に整理することは少なくとも私には困難だったので上記の点に絞らせていただきました。本書で述べられているように経営がサイエンスではなくアートである、という考え方に立てば、そうした概念の整理は必要ではないのかもしれませんが、アートであったとしてもその質を高めていくことは有益なことでしょう。本書では経営をサイエンスと位置付けるアメリカ流の考え方はあまり評価されていないようですが、私はアメリカ流の考え方であっても役に立つものもあると思っています(アメリカ流とひとまとめにしてしまう必要もないようにも思いますが)。本書で示された概念も含めてあらゆる考え方を総合していくことが経営の質の向上に役立つのではないかと思いますがいかがでしょうか。

 

 

文献1:野中郁次郎、勝見明著、「イノベーションの知恵」、日経BP社、2010.

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%9F%A5%E6%81%B5-%E9%87%8E%E4%B8%AD-%E9%83%81%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4822248291/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1300717571&sr=1-1


参考リンク<2011.8.14追加>
 

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