研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

創発

いかに判断、予測するか(ダンカン・ワッツ著「偶然の科学」より)

判断すること、予測することは、研究開発のあらゆる場面で求められます。研究開発部隊に求められるのは技術的な判断であることが多いでしょうが、研究開発をビジネスとして成功させるためには、経営や人間の行動に関する分野での判断や予測も求められ、その結果が研究の成功を左右する場合もあるはずです。

ダンカン・ワッツ著「偶然の科学」[文献1]では、社会科学の分野で下される判断や推論、予測について述べられています。人間が関与する判断は、科学的な判断に比べて困難なこと、我々が常識的に行なう判断が誤っている場合が多いこと、正しい判断が難しいのは、判断する人間の問題とともに、その事象にもっともらしい原因を求めること自体が不可能な場合があることなどが、事例とともに解説されていて、なかなか有意義な指摘が多いと思いました。この「偶然の科学」という題は、成功や失敗の原因として偶然の要素が大きく、特定の原因を想定すること自体が間違っている場合がある(例えばアップルの成功やソニーのベータやMDでの失敗など)という著者の考え方に基づいたものと思われますが、実際に述べられた内容はもっと広く、どうして人間は偶然と判断すべきことを必然と考えてしまうのか、そのような判断の問題点と、それにどう対処したらよいのかも含まれています。ちなみに原著の表題は、「Everything Is Obvious* *Once You Know the Answer: How Common Sense Fails Us」ですから、「すべては明白――答えを知ってしまえば:いかに常識が役に立たないか」という感じでしょうか。以下にその要点をまとめてみます。

実社会を常識によって解釈する場合の問題点

本書の第一部では、実社会を常識によって解釈する場合の推論の問題点について述べられています。

・個人の行動についての問題:「人の行動を考えるとき、自分の知っているインセンティブや動機や信念といった要因に注目する。」しかし、「これは氷山のほんの一角しかとらえていない。」[p.31]。「われわれの行動にきわめて現実的、具体的な影響を与えるにもかかわらず、もっぱらわれわれの意識しないところで働く関係要因は実に数多くある。心理学者はこうした効果をたいへん多く確認しているので――事前刺激、フレーミング、アンカリング、可用性、動機づけられた推論、損失回避など――それらのすべてがどう組み合わさっているのかはとらえがたい[p.48]」。すなわち、個人の行動の原因を推定すること自体が困難であり、与えられた条件から行動の結果を予測することも困難、ということになります。

・集団の行動についての問題:「人は互いに感化する生き物」、「個々の要素に分解するだけでは理解できなくなるという意味で、『創発的』な集団行動を生む。」[文献1、p.32]。これはミクロ-マクロ問題(ミクロの分析からマクロの状態を推定することができない)に通じる。「社会的影響を人間の意思決定にもちこむと、不均衡性だけでなく予測不可能性も増す」「個人が他人の行動から影響を受けるとき、似たような集団であってもやがて大きく異なる行動をとりうる。」「ある集団内の個人を知り尽くしていても――つまり好き嫌い、経験、傾向、信念、希望、夢を知り尽くしていても――集団の行動をたいして予測することはできない[p.87-90]」。つまり、集団の行動には本来的に予測できないランダムな性格を持つということでしょう。さらに、少数の重要な人物や有力者が変化をもたらすという考え方について「重要な条件はひと握りの影響力の強い個人とはまったく関係がない。むしろ、必要数の影響されやすい人々が存在し、この人々がほかの影響されやすい人に影響を与えるかどうかにかかっている[p.109]」ことがネットワークの研究から実証されており、インフルエンサーやスーパースプレッダーのような存在は確認できていないとのことです。その結果、きちんとした因果関係の説明ができず、「Xが成功したのは、XがXという特質を持っていたからだ[p.69]」というような循環論法に陥りがちであるといいます。

・歴史から学んでいないこと:「事が起こったあとになって『はじめからわかっていたのに』と思う傾向(あと知恵バイアス)[p.125]」がある。「説明しようとする出来事は興味を引かれるものに限られる。」[p.33]「われわれは実際に起こった事柄を必然としてとらえる傾向がある(遅い決定論)[p.125]。これは、「起こらなかった事柄に対してわれわれがしかるべき注意を払わない[p.126]」というサンプリングバイアスに通じる。「遅い決定論とサンプリングバイアスはともに、『前後即因果の誤謬』(連続して起こることから因果関係を推論してしまう)と呼ばれる欠点をもたらす。[p.132]」

このように、人間は社会のできごとについて因果関係を求めようとするものの、その因果関係の根拠は確実なものではなく、上記のような誤りに満ちているわけで、その結果、例えば、偶然でしかないことに必然を感じてしまうことが人間の問題点だというわけです。もちろん、日々の用事に取り組む際に常識を用いることは問題を引き起こさないかもしれませんが、「こうした誤りが重要な影響を及ぼすようになるのは、政府の政策や企業の戦略やマーケティングキャンペーンの土台となる計画を、常識に基づいて立てるときである。」[p.175-176]ということになってしまいます。ではどうすればよいのか。著者は常識の問題点をクリアする「反常識」の利用を提案し、第2部でその内容を解説しています。

反常識の活用

まず、著者は、何が予測できるのかについて次のように述べています。「いくらか単純化して言うと、複雑な社会システムで起こる出来事には、なんらかの安定した過去のパターンに一致するものと、そうでないものの二種類があり、信頼性のある予測を立てられるのは前者だけである。しかし、過去の動きについてのじゅうぶんなデータを集められれば、確率の予測はそれなりにできるし、それは多くの目的に役立てられる。」[p.179-180]「複雑なシステムでは、何が起こるかを正確に予測することには厳しい限界がある。だがその半面、できることの限界近くまではわりあい簡単な方法でたどり着けるように思える。」[p.188]

そして、「計画という思想全体を考え直し、(多様な)未来の予想にさほど重きを置かず、現在への対応にもっと重きを置く[p.205]」方法が効果的とし、これを測定-対応アプローチと呼んでいます。ミンツバーグは「従来の戦略計画では、計画者はどうしても未来の予測を立てなければならず、誤りを犯しやすくなるという問題を熟考し、計画者は長期的な戦略動向を予測することよりも、現場の変化に対応することを優先すべきだとすすめた」[p.207](創発的戦略)、とのことですが、基本的な考え方は同じでしょう。ただし、著者によれば、「『予測とコントロール』から『測定と対応』への変化は、テクノロジーにかかわるのではなく心理にもかかわっている。未来を予測する自分たちの能力はあてにならないと認めてはじめて、われわれは未来を見出す方法を受け入れられる。」[p.216]ということですので、まずは自らの能力の限界を受け入れる必要があるのでしょう。さらに、著者は測定だけでなく実験することの重要性も指摘し[p.217]、「常識にあまり頼らず、測定可能なものにもっと頼らなければならないと覚えておくことならできる[p.234]」とし、ZARAの戦略、すなわち売れる衣料品を予測するのではなく、実際に何が売れたかを測定した結果に基づいて、柔軟かつ迅速に生産する方法を例として挙げています。

さらに、著者は、複雑なシステムで発生する、因果関係の明確でない、偶然に支配されるような現象の扱い方について、政治哲学者ロールズの主張「公正な社会とはこうした偶然の不利な効果が最小化される社会[p.261]」を紹介し、偶然の結果に基づく過大な報酬や、処罰の問題にも触れています。これらの問題も、単なる常識に基づく判断ではなく、因果関係をきちんと理解すること(因果関係の有無も含めて)によって社会全体の考え方が変わる可能性もあると思います。著者は社会科学にこのようは役割を果たさせるために、科学的なアプローチの重要性を指摘し、ネット技術が社会科学における仮説検証の能力を高めることにつながるのではないかと予測しているようです。実験による検証という、技術系では当然の手法がネットの活用により社会科学でも可能になるとすれば、社会やマネジメントに対する我々の理解も大きく進歩するのではないでしょうか。

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技術者としては、仮説をきちんと検証すること、正しい推論を行なうことは基本です。しかし、技術者とて人間ですから、人間の持つ心理バイアスの影響も受けてしまいます。また、複雑系においては、効果的な推論が行なえない場合があることもよく指摘されます。本書の指摘を通じて、判断や推論、予測に関する注意点を再認識させられたことは重要でした。ただ、本書で偶然とされた事象については、必然と考えることはできないとしても、100%偶然と考えてよいのかどうかには疑問があります。また、発生した事象からは、仮説やアイデアを得ることもできると思います。著者もそうした可能性は否定していないと思いますので、それを理解した上でこの考え方を利用すればよいのでしょう。研究開発にとっては、測定-対応戦略は非常に理解しやすく、経験的にも有効で効果的なアプローチだと思いますが、そのようなアプローチを嫌うマネジャーがいることも事実です。本書で述べられたことが、ネットという新たな環境で立証され、多くの人の認識になることを期待したいと思います。



文献1:Duncan J. Watts, 2011、ダンカン・ワッツ著、青木創訳、「偶然の科学」、早川書房、2012.

原著HPhttp://everythingisobvious.com/


参考リンク<2012.9.2追加>



 


 

複雑系の可能性(ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」より)

世の中で起こる複雑な現象をうまく取り扱うためには、まずは現象の複雑性を受け入れ、複雑性を前提とした判断を行なうことが重要だと思われます(拙稿「複雑系経営(?)の効果」)。しかし、複雑な現象の原因やその挙動が十分に理解できれば、複雑性を積極的に利用することも可能かもしれません。本稿では、ニール・ジョンソン著「複雑で単純な世界」[文献1]に基づいて、複雑系の特徴、本質、予測と制御などの問題について考えてみたいと思います。

本書は複雑性に関する一般向けの解説書ですが、著者は複雑系に関する現役の研究者であり、書かれている内容には現在進行形の研究成果も含まれています。そのため、結論がはっきりしないように感じられるところもありますが、反面、今後の発展への期待が強調されているところが特徴ともいえるでしょう。まずは、本書の要点を簡単にまとめてみたいと思います。

複雑性とは何か、複雑性の条件

著者によれば、「残念ながら複雑性は簡単に定義できるようなものではない」、「科学者たちのあいだですら、複雑性をどう定義するかに特段の決まりがあるわけではない」とのことです[文献1、p.18]。その代わり、複雑性の研究者たちの多くが認める以下の8つの条件を挙げ、複雑系と見なせるためにはこのすべて、ないしは大半を満たしていなければならないと述べています[文献1、p.33]。

1、その系に、相互作用をしている多数の要素が含まれている。

2、系の構成要素が記憶、すなわち「フィードバック」の影響を受けている。

3、系を構成する要素が過去の結果にもとづいて戦略を変更できる。

4、一般には、その系が周囲の影響を受ける「開いた」系である。

5、「生きている」ように見える系である(著しい進化、複雑な進化をすることも多い)。

6、創発現象が見られる。その創発現象は概して予想外のもので、極端なものになる場合がある。

7、創発現象が、全体を制御する中心的な存在なして生じる。系それ自体で複雑な進化をする。

8、秩序ある挙動と無秩序は挙動の複雑な組み合わせを示す。

つまり、複雑系とはわけのわからない系ではないということでしょう。偶然が支配するランダムな系とも異なり、予想外ではあるが何らかの秩序が制御なしに創発されることがある系(上記5~7)であって、そうした現象を生む前提にはある特徴(上記1~4)がある、というわけです。しかし、結果の予測は困難である場合が多く、少なくとも、ものごとを細かく分解して理解するような還元主義的アプローチが役に立たない、という面もあります。著者も、「複雑系科学の焦点は、何かをばらばらにしてその構成要素を明らかにすることではなく、比較的単純な要素の集団からどのような新奇な現象が生じるかにあてられている」「要素の集団の挙動を理解するのには、構成要素についての完璧な知識は必要ない」[文献1、p.39]と述べており、従来の科学や、合理的な考え方とのアプローチの違いは重要なポイントであると思います。

複雑な現象から生まれる秩序と、そのような秩序を生む条件の例

本書では、複雑でありながら秩序が生まれる以下の例が解説されています。

・秩序ポケット[文献1、第2章]:複雑系がなんの制約も受けずに、秩序ある状態(秩序ポケット)と無秩序な状態の間を行き来できる(例えば、交通渋滞、株の暴落など)。これにはフィードバックが影響する。また、外的条件のせいで構成要素の配置に偏りが生じる(フラストレーション)こともある。

・カオスとフラクタル[文献1、第3章]:一定の規則のもとに整理、理解できる複雑な現象が存在する(カオスやフラクタル)。(注:というのは、私なりの著者の意図の理解です。複雑性を予測、制御する可能性という視点から、カオスやフラクタルを定性的に解説している、という印象を受けました。)

・群衆の行動を予測する[文献1、第4章]:意思決定を行なう要素からなる集団が何らかの限られた資源をめぐって競争を繰り広げるとき、人間の集団はランダムな行動から離れて両極端の判断をする2つの集団に分かれる。また、多数の構成要素間の競争がある場合には、複雑系の挙動が予測可能になる場合(予測可能ポケット)があり、調整タイミングさえ考慮すれば、構成要素の一部を調整するだけで全体の制御が可能になるという。

・ネットワーク[文献1、第5章]:構成要素間の局所的な相互作用を考慮することで、ネットワークの影響を考慮できる。ネットワークは他の場所からもたらされる情報によるフィードバックのひとつともなり、系全体の挙動に影響する。

複雑性が関係する様々な問題についての予測の例

本書の第6章以降で挙げられている複雑系の例のうち、以下のものが興味深いと思いました。

・異なる株式市場でも値動きのランダムさの度合いは同程度。

・市場の暴落の際には無秩序状態から秩序が出現する傾向が見られる

・交通渋滞緩和のための道路ネットワークの考え方(組織内情報ネットワークにも応用できる)

・理想のパートナー選び、どんな要因が影響するか

・戦争やテロの類似性(犠牲者数と戦争頻度に相関がある)

・感染症の伝搬ネットワーク

以上、著者が主張したいことは、複雑系だからといって予測はお手上げというわけではなく、複雑系の特徴として無秩序状態から現れてくる秩序にはパターンがあり、少なくともその一部は予測、制御可能な場合があるということだと思われます。もちろん、複雑系を形成するための要因や、秩序ポケットの発生メカニズム、秩序のパターン、予測および制御の方法などは現在も研究中のようですので、ただちに実用の役に立つようなものではないかもしれません。しかし、まずは、自らの扱っている系が、複雑系の特徴を満たしているなら(最初に挙げた8つの条件の1~4、さらに、限られた資源をめぐる競争がある場合)、予測や制御の方法を考えてみる価値がある、ということではないでしょうか。

複雑性というと、とかくよくわからないものと考えてしまいがちで、マネジメントの場合には「不確実性」と関連づけられることが多いように思います。しかし、そういう理解は不正確なのかもしれません。複雑性においては「相互作用している多数の要素」と「フィードバック」が重要な役割を担うとされていますが、マネジメントにおける不確実性の根源はこうした要因とは関係の薄いものも存在します(例えば、単純な科学的知識の不足など)。本書の議論でも、不確実なできごとをすべて複雑系の考え方で予測できる、とは言っていないわけで、複雑系への理解が深まるに従い、不確実と複雑の区別をきちんとすることが求められるようになるような気がします。

一方、研究開発を行なう観点からは、次の点を検討する価値があると感じました。

・複雑性を示す要因を解析し、無秩序状態をうまく扱えるようにするか、あるいは秩序ポケットをうまく予測し制御できるようにする。特に複雑な系の理解のためには、系をうまくモデル化し、定量的に表現することが重要なように思われます。ただし、実際の系の中には、複雑性を持たない因子もあるかもしれませんので、その評価をきちんと行なうことによって、複雑系の特徴をより明確にできる可能性もあるでしょう。また、複雑系として理解できる現象であっても、その裏付けとして何らかの理論化が可能かどうかも考えてみる価値があると思います。

・複雑系からの脱却、複雑性の軽減を図る可能性を検討する。例えば、複雑性に影響を与える因子として、限られた資源をめぐる競争がよく登場しますが、この競争状態は研究開発によって取り除くことが可能かもしれません。技術やビジネスモデルによって競争を回避することができれば、複雑性の低減によって成功の確率を高めることができるように思います。

著者は「複雑性科学はあらゆる科学の根底をなす科学」[文献1、p.314]と言っています。確かに、多くの現象に複雑性が関係してくる可能性はあるでしょう。また、いろいろな分野の現象が、複雑性の観点からは似たような現象として関連づけられることも指摘されているようです(例えば、ネットワークにおける渋滞、菌類のネットワーク、癌への血管新生など)。科学技術の分野でも従来の要素還元的アプローチの限界が指摘され、ビジネスの世界でも複雑性の高い人間の行動が重視され、不確実な現象の効率的な取り扱いが要求される状況では、複雑系の本質と可能性を正しく理解し、マネジメントに反映させていく努力が必要なのではないかと思います。


文献1:Neil Johnson, 2007、ニール・ジョンソン著、阪本芳久訳、「複雑で単純な世界 不確実なできごとを複雑系で予測する」、インターシフト、2011.

原著表題は「Simply Complexity, A Clear Guide to Complexity Theory」です。

参考リンク<2012.9.2追加> 


 

 

複雑系経営(?)の効果

「複雑系」という概念自体はそれほど目新しいものではありませんが、マネジメントの分野でも時々「複雑系」の考え方が議論されることがあるようです。残念ながら「複雑系経営(マネジメント)」といえるほどの確立された分野が構築されるまでには至っていないようですが、「複雑系」は、科学分野だけでなく社会問題を扱う上でも重要な考え方だといえるのではないでしょうか。今回は、複雑系経営を取り上げたサルガト、マグレイスによる記事[文献1]の内容をまとめておきたいと思います。

「複雑系」とは、ウィキペディアによれば、「相互に関連する複数の要因が合わさって全体としてなんらかの性質(あるいはそういった性質から導かれる振る舞い)を見せる系であって、しかしその全体としての挙動は個々の要因や部分からは明らかでないようなものをいう」とのことで、「これらは狭い範囲かつ短期の予測は経験的要素から不可能ではないが、その予測の裏付けをより基本的な法則に還元して理解する(還元主義)のは困難である。系の持つ複雑性には非組織的複雑性と組織的複雑性の二つの種類がある。これらの区別は本質的に、要因の多さに起因するものを「組織化されていない」(disorganized) といい、対象とする系が(場合によってはきわめて限定的な要因しか持たないかもしれないが)創発性を示すことを「組織化された」(organized) と言っているものである。」とのことです[文献2]。ちなみに、「創発」とは、「部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。」[文献3]とされています。

マネジメントが上記のような「複雑系」の性格を持つものであることは、言われてみれば当たり前のような気もするのですが、実際にはそうした認識を忘れやすいことも事実ではないでしょうか。文献1では、「複雑系」の観点から見たマネジメント上の注意点として以下のような内容が述べられています(原著題名は「Learning To Live with Complexity」なので実践的な面がより強調されているように思います)。

著者は、「現在の企業経営は、30年前のそれとは根本的に異なっている。その最大の違いは、対応すべき複雑性のレベルにある。」としており、IT革命に起因し「かつては個々に独立していたシステムがいまや相互に関連・依存して」いると述べています。そして、まずは「複雑(Complex)であること」と「入り組んで(Complicated)いること」の違いを認識すべきであると指摘しています。すなわち、入り組んだシステムでは動いている部分が多くてもシステムの振る舞いは正確に予測できるのに対し、複雑系は、1)多元性(相互作用を起こす可能性がある要素の数)、2)相互依存性(要素がどれくらい関連しているか)、3)多様性(要素の種類がどれくらい幅があるか)が高いため、最初の状態が同じでも、システム内の各要素の相互作用に応じて結果が異なる可能性があるため、両者は同じようには理解できないといいます。

こうした複雑系のシステムにおいてよく直面する問題として、著者らは、次の点を挙げています。

1、予期せぬ結果を生む。そうなりそうな状況は以下のとおり。

・だれにもそのような意図がないにもかかわらず、事象間で相互作用が起こる。

・単一の事象ではなく、個々の要素が結びついたことで予期せぬ出来事が招かれる。(要素の一部に気付くことができても組み合わせや全体に及ぼす影響が予測できない)

・なぜそうしたかの理由が時代遅れになっているにもかかわらず、当時の方針や手順がそのまま存続している。

2、状況把握の難しさ

・一人の意思決定者が複雑系全体を把握するのは、不可能ではないにしても、大変難しい。

・他人の行動や自分自身の行動の影響を理解するにも、我々には認知限界というものがある。(大半のビジネスリーダーが、研究が示す以上の情報を入手して理解できると考えている。また、何か一つに集中すると、それ以外が見えなくなることもわかっている。)

・めったに起こらない珍事は、繰り返し起こる頻度が少ないため、システムにどのような影響が及ぶのかを学習できない。

そして、複雑性に対応する方法として次の点を指摘しています。

1、予測手法の改善

・特定の予測ツールを捨てる:現象の観察結果は他の現象の影響を被ることはないという考え方は問題。また、多くの分析ツールで用いられている、平均値や中央値から全体を推定できるという仮説も問題。

・システムの振る舞いをシミュレーションする:その複雑系に関する知見や各構成要素の相互作用について教えてくれるモデルを探す。

・データを過去、現在、将来に分けて、過去の知識に頼り過ぎた予測をしないようにする。

2、リスク・マネジメントを改善する

・正確な予測の必要性を制限あるいは排除する。ユーザーに決定権を与えて推測の必要性を少なくする方法もある。

・分離と冗長性を用いる。システムのどこかに不具合が生じた場合に、その構成要素を切り離す(分離)、他の要素が代替し合うように設計する(冗長性)。

・物語やホワット・イフ分析を利用する。あまりなさそうだが無視できない可能性や予期せぬ因果関係をデータの制約を受けない物語で考え、ホワット・イフ分析で反事実的な条件を問う。

・多面的検討を試みる。さまざまな方法を使い、さまざまな前提条件を設定し、さまざまなデータを集め、あるいは一つのデータをさまざまな角度から眺めて、問題に取り組む。

3、賢いトレードオフをつくる

・リアルオプションの手法を用いる。後に追加投資する権利を与えたうえで、比較的小規模な投資を行う。

・思考の多様性を確保する。変化や偏りに対応できる多種多様な人材を社内に確保しておく。

以上が概要です。はっきり申し上げて、簡単に使えて効果を挙げるような手法が提示されているわけではなく、複雑性への対応の困難さがより明らかになってしまうような内容かもしれません。しかし、現代の経営課題そのものの複雑性が高まっているとするならば、まずは複雑性のもたらす影響を認識した上で、それへの対応を試みることが必要だと考えます。少なくとも、複雑性の影響を軽視した従来の方法に固執することによる失敗は避けなければならないのではないでしょうか。とするなら、結局は、複雑系の現象は基本的に予測できないものであると認識し、その前提で行動し、結果にもとづいて行動を修正していくアプローチが好ましいことになるのでしょう。その中で、少しでも確度の高い予測モデルを作るために、また、問題点を早期に発見して対応するために、上記の対応方法が生きてくるように思われます。未来を見通す計画を立てて実行することよりも、仮説に基づいて実行し、俊敏に行動を変えていくやり方が研究マネジメントの多くの場面で有効なのではないかということは、今までもたびたび述べてきましたが、「複雑系」の観点からも同じ対応が求められている、ということになるのだと思います。

ただ、上記のような複雑系への対応そのものは研究開発を行なっている人にとってはそれほど違和感がないようにも思います。研究開発が本来的に持っている「不確実性」の原因が複雑系であることはよくあることですので、上記の注意点、手法は、研究の実務やマネジメントにそのまま適用可能であると言ってもよいでしょう。注意すべきなのは、複雑系に属する課題を、安易な還元主義で処理しようとしないこと、還元主義の立場で効果があるマネジメント手法を複雑系に安易に適用しようとしないことだと思われます。ひょっとすると、研究活動が経営層に理解してもらえない原因にも、こうした「複雑性」に関する認識の違いがあるのかもしれません。

さらに研究開発活動に対する重要な示唆として、「複雑系」の概念により、研究開発が抱える「不確実性」についての理解が深まる点が挙げられるのではないでしょうか。研究開発は本質的に不確実なもの、として理解されることが多いですが、その「不確実性」の原因のひとつが「複雑系」であると認識することによって、不確実性のコントロールがしやすくなる可能性があると思います。さらに、環境変化を単に「世の中の流れ、変化」による所与のものと考えるのではなく、「世の中の複雑性の高まりによる変化」ととらえることによって、時代の変化の本質をよりよく捉えることができるようになるのではないでしょうか。「複雑系」については、その知見から直ちに実践に結び付く手法を導くことは現状では難しそうですが、研究開発マネジメントにおける一つの重要な要因として認識し、その発展に注目しておく価値は高いのではないかと思います。


文献1:Gökçe Sargut, Rita Gunther McGrath、ギョクセ・サルガト、リタ・ギュンター・マグレイス著、編集部訳、「ビジネスリーダーの新しい経営学 [入門]複雑系のマネジメント」、Diamond Harvard Business Review, 2012, 1月号、p.118.

原著:Harvard Business Review, Sep., 2011.

文献2:ウィキペディア「複雑系」(2012.5.6確認)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E9%9B%91%E7%B3%BB

文献3:ウィキペディア「創発」(2012.5.6確認)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA



 


参考リンク<2012.7.8追加> 

 

キュレーションと研究開発(勝見明著「キュレーションの力」感想)

キュレーションとは、「美術館や博物館で企画や展示を担当する専門職のキュレーター(curator)に由来」[文献1、p.1]する新しい言葉で、ビジネスの新しい発想法として注目されている概念だそうです。今回は、勝見明著、「石ころをダイヤに変える『キュレーション』の力」に基づいて、研究開発におけるキュレーションの意義について考えてみたいと思います。

著者の勝見明氏はジャーナリストですが、知識創造理論で著名な野中郁次郎氏と共に様々なイノベーション事例を取材して本にまとめる仕事をされています(本ブログでも「イノベーションの知恵」についての感想を書かせていただきました)。従って本書でも、イノベーションの視点からの「キュレーション」が取り上げられており、興味深く読むことができました。

著者は、「すべての創造的活動はキュレーションに集約される」として、次のようなキュレーションのプロセスを提示しています[文献1、p.44]。

1、既存の意味の問い直し(再定義のプロセス)

2、要素の選択・絞り込み・結び付け(新しい編集のプロセス)

3、新しい意味、文脈、価値の生成(創発のプロセス)

ここで、「創発」(emergence)は「異質なもの同士が出あい、相互作用により、その総和より質的に上回る新たな付加価値が生み出されること」とされています。

確かに上記のプロセスは博物館におけるキュレーターの役割に近いと言えるでしょう。本書ではiPadやユニクロ、Wiiなど様々な事例により、最近話題のイノベーションでは上記のプロセスが有効に機能しているケースが多いことが示されます。特に、多くの情報をうまく整理し、組み合わせて新しいものを生み出すイノベーションにおいては上記の考え方は有効ではないでしょうか。多くの情報が溢れている現在、そこから重要な情報を選択するためには目利きである必要があります。また、情報が入手しやすくなった半面、情報の組み合わせも複雑になり、ここにも目利きの才や発想の転換が要求されるでしょう。加えて、技術の進歩による過剰品質の問題はChristensenが破壊的イノベーションの考え方で指摘したとおりです。従って、イノベーションの方向として、単に技術を深めていくだけではなく、機能を上手く選ぶ(削る)ことも重要になってきています。さらに、ユーザーによる使い方の発明や、思いがけない発見による創発についてもイノベーションの重要な成功要因として指摘されるところですので、それが「キュレーション」のプロセスとしてまとめられるというのは興味深い考え方であると思われます。著者は、「今、求められるのはキュレーター的な思考と行動であり、目利きと新しい編集により、新しい意味や文脈、価値を創発し、新しい物語を紡ぎ出し、商品やサービスの新しいカテゴリーを生み出すキュレーション(創造的編集力)です」[文献1、p.48]と述べていますが、そうかもしれないと思える点は多々あります。

ただ、それぞれのプロセスの内容自体はそれほど目新しいものではないという気もします。イノベーションが「新結合」によってもたらされることはSchumpeterにより指摘されていますし、再定義、編集、創発といった概念自体は、様々なイノベーションのケーススタディーで述べられていることと大きくは違わないでしょう。イノベーションの本質がキュレーション、というのではなくて、時代がキュレーションによるイノベーションを求めているということではないか、と感じました。

総論としては上記のような感想を持ったのですが、各論については興味深い視点が多く述べられていると思います。まずは知識創造理論との関連です。著者は、キュレーションという概念は、知識創造理論における「知のエコシステム」(知を取り込み、あるいは放出していく中で、知と知がジグソーパズルのように結び付き、新たな知が生まれていく循環)と結びつけられるとしています。さらに、知と知が結び付く「場」が必要なこと[文献1、p.41]、「モノはそのままでは単なるモノですが、キュレーションを媒介すると新しいコトに転化する[文献1、p.65](コトとは、「モノと個々のユーザーとの関係性の中で生まれる文脈、物語、体験」[文献1、p.200])」、SECIモデルとの対比[文献1、p.81]などの共通点が述べられます。ちなみに、SECIモデルとの対比では、1の再定義のプロセスが共同化(個人の暗黙知→組織の暗黙知)と表出化(暗黙知→形式知)に相当し、2と3の編集と創発のプロセスが連結化(形式知の組み合わせによる新たな形式知化)、そして、製品の受け手が製品をとおして暗黙知を形成するプロセスが内面化(形式知をつくりだす経験→個人が暗黙知を吸収する)に対応するとしています。

さらに具体的に、視点の転換による再定義、機能の切り出し(選択、絞り込み)、機能の排除、場をつくること(知識の結合のための場だけでなく、受け手も価値の創造に関わる場)、物事を固定的(ビーイング)ではなく流動的(ビカミング)に捉えること、などが指摘されます。そして、意識の転換の課題、つまりこうすればよいという指針のようなものとして、次の点を指摘しています[文献1、p.194]。
・既存の概念を再定義し、固定観念にとらわれずに自由に発想し、ものの見方を変える。

・論理的に正しいかどうかより、「善いこと」をしたいと思う自分の感性を信じる。

・ユーザーが製品やサービスと向き合ったとき、コト的な意味をアフォードされ、自分なりの意味を見いだせるよう、開発のコンセプトを徹底して磨き抜く。(アフォードとは、モノ自体がそれをどうやって取り扱えばいいのかメッセージを使い手に対して発している[文献1、p.85]こと)

・売り手自身が常にビカミングし、絶えずビカミングする買い手との間で新しいコトをつくり続ける。

・事業やビジネスを一つのプラットフォームとして想定し、その上で売り手と買い手がともに価値を生み出せる仕組みを考える。

発想の点からは、次のように述べられています。[文献1、6章]

・一つのプラットフォームを想定し、その上に多様な知をキュレーションしていく発想法。

・モノ的発想からコト的発想へ(リアル:誰が見ても変わらない客観的現実から、アクチュアル:かかわる人間によって意味が変わる主観的現実へ)

・川モデル(顧客は川の向こう側にいて、そこに狙いを定める)から井戸モデル(自分の井戸を掘り下げていくと顧客の井戸につながる地下水脈に当たる)へ

・陰陽両面思考:ものごとには必ず両面の意味があるので、誰もが一方の面ばかりに目を奪われているとき、もう一方に目を向ける

・誰が(主語)に目を向けるより何故(述語)に目を向ける

・「競争の時代(分析的な競争戦略は誰もが同じ結論にたどりつく)」から「エコシステムの時代」へ

別稿でも書きましたが、野中氏の知識創造理論は概念が多様で、実務には使いにくいと感じることがあります。上記の指摘も単独で読むとわかりにくいものもありますが、「キュレーション」というキーワードで概念を総合することができるならば、そのわかりにくさが軽減されるのではないかと思いました。

さらに興味深いと思われたのが、イノベーションは必ずしも目的指向でなくともよい、という点です。創発によって、最初の目的や期待とは異なったイノベーションが生まれることはセレンディピティーや、Christensenによる新市場型破壊として指摘されていることですが、キュレーションではそうした創発を積極的に生もうとしているように思われます。ちょうど、美術館で絵を鑑賞する人がどう感じるかはその人次第であって、感じた結果がその人にとって意味のあるものであればそれでよい、というような考え方でしょう。それをさらに発展させると、製品の使い方が買い手に任されている製品や、使い手自身が使い方をキュレートして作っていく、つまり、製品としては特定の目的を持たず、使い手がキュレートする場を提供するような製品もありうるように思われます。本書でもたびたび例にひかれるiPadなどは、製品自体がキュレートされたものであると同時に、使い手にも場を与える、という位置づけのイノベーションとも考えられます。

このようにキュレーションという概念には魅力的な要素が含まれていると思うのですが、本書の事例を読むと、キュレーションという考え方で整理できるとしてもキュレーションでなければ説明できない、というものでもないように思えます。また、取り上げられた事例が必ずしもビジネスとしての成功につながる保証もありません。キュレーションという考え方はイノベーションのひとつの見方、切り口を提示したものとして興味深いのですが、それが万能であると考えるのは時期尚早でしょう。

ただ、研究開発の実務においては、キュレーションの考え方を受け入れてみると面白いのではないかと思えるところもあります。例えば、研究者はつい特定の分野を深く掘り下げることをしがちで、新しい価値の生成を促すような情報の選択・絞り込み・結び付け(編集)は、第一線研究者の通常の業務を超える場合があると思います。そんな時、ジョブズのような天才の出現を待つのか、キュレーションをシステムとして持つことで研究者とキュレーターを分業してしまうべきなのかは考えてみる価値はあるのではないでしょうか。画家が絵を描き、美術館の学芸員が展示を企画して観客に新たな意味を提示するように、研究にも情報を選択して集め新たな価値を提案する、あるいは新たな価値を生む場を作るキュレーターが求められているのかもしれません。そうした専門職こそ「企画」担当者の重要な役割のひとつになっていくのかもしれない、という気もしました。



文献1勝見明、「石ころをダイヤに変える『キュレーション』の力」、潮出版社、2011.

参考リンク<2011.8.5追加>



 


 

報連相と研究開発

仕事を進める上で、「報連相」すなわち「報告・連絡・相談」が大切である、ということはよく言われます。報告・連絡・相談をセットにして強調するのは日本独自の考え方のようですが、この3つは仕事を進める上でどんな組織においても必要な行動といってよいと思われます。研究開発を行なう際にも、当然報連相は必要なのですが、研究において報連相がどうあるべきか、といった実務的なことは研究マネジメントの世界ではあまり話題にならないように思われます。そこで、今回は、研究開発という仕事の特性をふまえた上で、報連相はどうあるべきかを考えてみたいと思います。

一般的には報連相をうまく行なうことで以下のような効果が期待できると考えられます。

・第一線の情報がマネジャーに伝わりやすくなる。

・問題点に対する素早い対応、戦略変更が可能になる。

・チームワークが機能しやすくなる。総合力の発揮が促進される。

・相談を通じてタイムリーな指導、教育が可能になる。

・情報の共有化が進む→異なる見解の融合によって新たなアイデアが生まれる。

・報連相するためにデータをまとめたり、考えたりする機会となる。

・組織内の信頼関係が強化される。

しかし、やり方を誤ると次のような問題が発生することも指摘されます。

・報告(資料作成)に時間をとられ生産性が低下する。

・権限委譲が進まない。

・問題を報告した後、問題解決の責任の所在が不明確。

・報告に対して対応策が指示されると、報告者が自主的に起きたことの原因を探ったり、問題解決策を考えたりしなくなる。指示待ち思考になってしまう。

・報告内容にとらわれて観察にバイアスがかかる。

・報告を求めすぎると信頼関係が損なわれる。モチベーション低下を招く。

・報告を受ける上司がオーバーフローすると機能しなくなる。

・必ずしも能力に問題があるわけではないのに、報告を嫌う人がいる。

つまり、報連相はすればよいというものではなく、状況に応じてうまく行なうことが必要、ということになるはずです。大雑把に言って、報連相が有効に機能するのは、第一線のデータを中央に集めてそこで判断や指示を行なう場合、プロジェクトのように目標や工程がはっきりしていてそれを実行するような場合、急ぎの対応が必要な場合、各々が分担した業務間の調整が必要な場合、報連相を通じて上司が部下を教育する場合、情報共有を進めたい場合など、ということになるでしょう。こうした場合に、上記の効果と問題点のバランスを考慮して、問題が発生しないようなやり方をしなければいけないわけです。

研究開発の場合はどうでしょうか。納期の決まった開発プロジェクトなどの場合には、多少のリスクを負っても報連相を強化することが必要でしょう。しかし、未知への挑戦、急を要さない長期的なテーマ、探索的なテーマ、基礎研究に近いテーマなどを行なう場合には頻繁な報連相は不要と言えるのではないでしょうか。また、企業における研究開発の場合、部下の能力は様々です。特定の分野に限れば若くても研究マネジャーより詳しい研究員もいるでしょうし、専門職制度を設けている場合にはマネジャー以上の能力を持った第一線研究者がいる場合もあるでしょう。こうした専門家に対しては、過度の報連相の要求は信頼を損ないモチベーション低下につながりかねません。かといって、権限委譲して報告を受ける機会を減らせば、その業務に無関心と受け取られてモチベーションが下がることもあり、得失のバランスをうまく取ることが難しい場合があると思われます。これに対して、仕事を通じた教育を行なう場合には報連相は必須と言っていいでしょう。専門性の育成には時間がかかります(10年ルール-ノート5参照)ので、報連相が指導のための重要な機会であることに疑う余地はないと思われます。(この点、大学での研究では「指導」という要素が強いですから報連相は極めて重要なのではないかと考えられます。)

つまり、基本的には報連相は悪いことではないとしても、上述のような場合には、やり方の工夫が必要になるということでしょう。例えば、情報共有を活性化したいならば、部下から上司への直接報告ではなく、ミーティングなどでグループ全員に報告してもらうようなやり方がよいかもしれません。教育的要素を考慮するなら、メンターや教育係を決めて、マネジャーよりも先にまずそこに報告させることも有効でしょう。報告の頻度も、低すぎれば関心が低いと思われてしまいますし、報告間隔が空けばマネジャー側が以前の細かな経緯を忘れてしまったりします。逆に、頻度が高すぎれば部下の負荷が増え、マネジャー側も消化不良を起こす危険があります。さらには、マネジャーの対応にも配慮が必要でしょう。報告を受けても、それに対する反応が悪ければ報告する意欲は失われるでしょうし、報告を受ける側の反応によって報告内容が偏ってしまう恐れもあります(例えば、失敗やミスの報告に対して厳しく問い詰めれば、悪い事実の報告は上がってこなくなるでしょう)。報告を受け方にしても、報告されるのを待つのではなく、情報が必要ならば積極的に担当者に聞くようにしてもよいはずです。

結局のところ、研究開発における報連相は、業務の内容、報告者やマネジャーの状況、報連相に何を期待するかを考慮しないといけないということになります。プロジェクト進捗管理や分担業務間の調整が必要な場合などでは報連相が明らかに重要と考えられますので、そうではない状況での報連相の進め方、注意点などについて、以下に私の考えをまとめておきたいと思います。

創発のための報連相のあり方(私案)

・報連相の役割は、「情報共有」「創発」「教育」が特に重要。

・報告はマネジャーに個別に行なうよりも、グループ全体で内容を共有することが重要(とは言っても10人以上のグループでは難しいかも)。

 →組織的知識創造(共同化、表出化、連結化、内面化を通じた暗黙知と形式知の変換による知識創造-SECIモデル-「創造性を引き出すしくみ」参照)の機会となる。

 →議論を通じた教育の場となる。

 →研究者間の協力と競争のきっかけとなる。

・単なる進捗報告よりも、予想外の結果、問題のある結果の報告を強く求めるべき。

 →研究の方向の修正、異なる知識や考え方の結合による新たな発想、創発の源となる。

 →グループ全体で「考える」ことが促される。マネジャーによる解決策の提示は慎重に行なうべき。

 →マネジャーは、問題のある結果の報告が隠されがちになることを認識し、共に考える姿勢をとり、叱責は慎む。

・報告(ミーティング)頻度は、13週間に1回程度。それ以上では負荷が多いし、それ以下だと経緯を忘れてしまう。もし、それ以上の頻度で情報が必要であればマネジャーが個別にヒヤリングすればよい。

・報告(ミーティング)では、考える時間、議論する時間も十分確保するようにすべき。

といったところがポイントではないかと思います。もちろん、取り組む研究課題、状況によって効果的な方法は変わってくるはずですので、上記の方法はあくまで一例にしかすぎません。しかし、よい事実も悪い事実も含めて、極力一次情報に近いデータを集めて多面的に考えるようにすることは、新たな発見のための力になるはずです。報連相は業務の効率化、問題点の早期発見の観点から推奨されることが多いように思いますが、研究開発の場面では少し工夫が必要だと思っています。

 

ノート2:研究の不確実性をどう考えるか

ノート1にひきつづき、研究活動において基本的に留意すべき事項について考えます。

 

2)研究の不確実性:すべての研究が克服しなければならない課題

研究を行なう場合に認識しておくべき基本的事項の2点目として、研究の不確実性について考えてみたいと思います。

 

そもそも、人間が何かの目的を達成しようとして行動する場合、ほとんどの場合、そこには未来予測が入ることになるでしょう。その予測の裏付けとなるのは、単なる勘のこともあるでしょうし、過去の経験や、他人からの指導、多くの経験を体系化したり原理から導かれたりした理論のこともあるでしょうが、いずれも何らかの根拠に基づいて行為の結果を予測し、その予測に基づいて行動しているはずです。

 

このような行動とその結果の問題を扱うのに、意思決定理論では、次のような分類がなされるそうです。[文献1p.17(文献2p.255]

・確定性:ある行動について必ずある一定の結果が生じることが分かっている場合

・不確定性:ある行動について起こりうる結果が1つでない場合で、さらに2つのケースに分かれる。

 ①リスク:起こりうる結果の確率が分かっている場合。

 ②不確実性:起こりうる結果の確率が分からない場合。

 

企業活動について考えてみると、例えば工場での定常的な製品生産などは通常上記の確定性の場合に該当するでしょう。また、事故などの非定常な場合を想定したとしても、その確率はある程度予測できるので上記のリスクの場合に該当すると考えられます。この場合、過去の実績や情報、理論の蓄積が十分にあるから予測できると言えるでしょう。これに対し、「イノベーションとは、従来とは違う新しく価値ある事業やサービスを起こすこと」(前回記事(2010.3.22「ノート1」)、Druckerによる)ですから、過去の情報や理論が十分であるとは限りません。従って、イノベーションを目指す研究開発活動は上記の「不確実性」の分野で扱うべき課題となるでしょう。

 

ここで、上記の不確実性について考えてみると、その中には2種類の不確実要因が含まれていることがわかります。すなわち、1)期待している内容、目標についての不確実性、2)目標達成のために採用した手段に伴う不確実性、の2点です。

 

例で考えてみましょう。「4、5、6と並んだ数字の後には何かくると期待されるか?」という問いに対して、最も素直には「7」と予想できるのではないかと思います。しかし、この「4、5、6」が、普通のサイコロを振ってたまたま出た目の順番であった場合、「7」はありえません。サイコロなら「7」が出ないことに疑問の余地はありませんが、サイコロの仕組みや構造を知らない場合、すなわち起こりうる結果の確率がわからない(上述の「不確実性」に該当)場合には「7」を期待してしまうかもしれません。「7」を出したいなら、サイコロの振る回数を増やしたり、振り方や重さを変えたりする手段ではダメで、例えば普通のサイコロではなく12面体のサイコロを持ってくるというような手段が必要となります。あるいは、普通の6面体サイコロしか手段として使えない状況であれば、「7」を期待してはいけないわけで、目標を変更する必要があることになります。

 

おそらく、意思決定においては、期待通りの結果が得られるかどうかを知ることができればよいので1)と2)をひとくくりにした確率を議論すれば問題はないのでしょう。しかし、イノベーションのように、起こりうる結果の確率がわからない「不確実」な課題に取り組む場合には、目標設定に基づく問題と、手段や方法に基づく問題に分けて考えた方がよいのではないかと思われます。例えば、研究開発を進めていて期待通りの成果が得られない場合、やり方が悪い(ということは、やり方を変えればうまくいく可能性がある)のか、そもそも目標が悪い(どういうやり方を用いても不可能(原理的に成功確率がゼロだったり、与えられた資源の中での成功確率がゼロ))のかを理解できれば、それぞれの問題に応じた対応が可能になるのではないでしょうか。

 

往々にして、ある目標の実現を目指した研究開発においては、手段や方法の検討に主眼がおかれがちです。手段や方法の検討というのは、サイコロを何回も振ってみることに似て、目に見える努力が要求され、努力をしているのだという報告もできます。また、お金や人といった資源を投入することによって試行の回数やパターンを増やすことができます。しかし、そもそもの目標の設定が誤っていると、こうした努力は実を結びません。科学は多くの夢の実現に寄与してきましたが、錬金術、永久機関、タイムマシンなど、実現できないことが証明された夢もまた存在します。自分たちが狙っているイノベーションの目標が、このような不可能な目標になっている可能性があることも常に認識しておくことが必要と思われます。

 

もう一つ、目標設定の問題と手段や方法の問題を分けることによってわかりやすくなることがあります。それは、研究によって予想外の結果が得られた場合です。予想外ということは、期待通りの結果を得ようとする立場から見ると失敗になってしまうわけですが、セレンディピティーと呼ばれる能力(偶然に幸運な予想外の発見をする能力[文献2p.198])によってなされた発見が科学技術における大きな進歩をもたらした例は数多くあるので[文献3] [文献4]、予想外の結果も有用なものとして取り扱う必要があると考えられます。このような予想外の結果を生かしたいなら、当初の目標設定を見直さなければなりません。そうすればある目標のためには失敗であっても、別の目標にとっては成功であるとして扱うことができるようになるでしょう。このような目標見直しの余地を持っておくことも、単に成功確率を知り、その確率を高めようと努力することに劣らず重要なことと考えられます。

 

上記のような不確実な状況に対応するマネジメント方法として、Christensenらは「将来を予見することが難しく、何が正しい戦略かはっきりしないような状況では創発的プロセス主導で戦略を策定することが望ましい」[文献5p.260]と述べています。創発的戦略については別の機会にまとめたいと思いますが、どんな方法にせよ不確実性をうまく取り扱う必要はあるでしょう。

 

一瞬先は闇、ではないですが、そもそも100%の確率で未来を予測することは不可能なはずです。行動そのものが何らかの未来予測に基づく以上、企業活動においても期待通りの成果が得られる確率は0100%まで、いろいろな場合が存在することになります。もちろん、一見単純そうに見える事務作業や工場の操業などはほとんど100%に近い確率で予測が当たるでしょう。これに対して、研究開発は、予測に適用できる理論や情報が限られているため、予測が当たる確率が低くなります。しかし、どちらの場合も程度の差こそあれ予測が100%当たることはありえません。そんな不確実なことは行なうべきではない、という考え方もあるとは思いますが、そういう不確実な場合こそ技術の重要性は増すのではないでしょうか。Rogersは「技術とは、こうあって欲しいと思う成果の達成に関わる因果関係に不確実性が内在するとき、これを減じる手段的な活動のための綿密な計画のことである」と述べています[文献6p.17]。要するに、イノベーションという新しいことへの挑戦には不確実性が存在するため、成功の確率は事前には予測できず、場合によっては全くうまくいかなかったり当初の狙いからは外れているが別の意味で有益な結果が得られたりする場合があるということになるでしょう。こうした点に関する注意をおろそかにすると、成果が得られない目標に向かって延々と無駄な努力を重ねる、という事態にもなりかねません。研究開発、イノベーションを考える上でこのような不確実性に伴う特性はしっかりと認識しておくべきものと思われます。

 

文献1:宮川公男、「意思決定の経済学」丸善、1968.

文献2:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.

文献3Roberts R.M., 1989、安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.

文献4Shapiro, G., 1986、新関暢一訳、「創造的発見と偶然」、東京化学同人、1993.

文献5Christensen, C.M, Raynor, M.E, 2003、桜井祐子訳、「イノベーションへの解」、翔泳社、2003.

文献6Rogers, E.M., 2003、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.

 

参考リンク 

改訂版ノート2(2013.5.19)へのリンク

 

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