研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

報酬

「世界で最もイノベーティブな組織の作り方」(山口周著)より

イノベーションを実現するには、天才的な個人と、集団の協力のどちらがより重要なのか。そのどちらであっても、個人の能力をひきだし、その努力をまとめあげる組織の能力が優れていなければ大きなイノベーションの達成は難しいでしょう。では、どのような組織が望ましいのでしょうか。

この問いに対する答えはそう簡単に求まるものではないと思いますが、山口周著、「世界で最もイノベーティブな組織の作り方」[文献1]では、「『イノベーションを継続的に起こすことに成功している企業/組織』に共通して見られる特徴」と「それらの特徴がどのようにしてイノベーションの実現に寄与しているのか、それらの特徴をどのようにして獲得できるのか」[p.34]が述べられています。「本書は、その論考の基礎を、ヘイグループがフォーチュン社と共同で行っている『世界で最も称賛される企業=World’s Most Admired Companies』・・・に関する調査において、『最もイノベーティブな企業』として最上位にランキングされた企業への組織開発プロジェクトによって得られた定性的観察に置いています[p.34]」とのことで、それに加えて、著者のコンサルタントとしての経験や考察が織り込まれているのが特徴でしょう。特定の経営理論や特定の分野での研究事例から導かれる方法論とは異なり、実務家にとっても参考になる論考が多いと感じましたので、今回はその内容から興味深く感じた点をまとめてみたいと思います。

第1章、日本人はイノベーティブか?
・「日本企業でイノベーションの促進を阻害するボトルネックファクターは何なのか?それは『組織』です。歴史的に見て多くの領域において個人として発揮されている創造性が、最近の企業組織においてまったく発揮されていないという事実――。それは、組織が個人の創造性をうまく引き出せていないということを示唆しています。・・・事例を並べて考えてみるとわかるのは、日本人は『個人』になれば世界トップレベルの創造性を発揮するものの、『組織』になるとからっきしダメになるということなのです。[p.30-31]」
・「多くの企業が掲げる『どのようにして創造性を高めるか?』や『クリエイティブ思考をどう鍛えるか?』という論点は、そもそも問題設定のピントがずれているということになります。・・・様々な事例は、われわれ日本人が真に向き合うべきなのは『人材の創造性を阻害している組織要因は何なのか』『どのようにすれば個人の創造性を組織の創造性につなげられるのか?』という問題であることを示しているように思います。[p.32-33]」
・「エイブラハム・マズローは、その著書の中で、創造性は誰にでも備わっているものであり、問われるべきは『人間は、どのようにして創造的になれるのか?』ではなく『人間の創造性の発露を損なっているのは何か?』であると指摘しています。[p.33]」

第2章、イノベーションは「新参者」から生まれる
・「『最もイノベーティブな企業』に共通して見られる特徴のひとつに『多様性の重視』が挙げられます。・・・カギは『多様性がもたらす創造性への影響』にあります。[p.36]」
・「『これまでに誰も考えたことがない新しい要素の組み合わせがイノベーションの源泉だ』ということです。そして、この『新しい要素の組み合わせ』を実現するために、多様性が非常に重要な要件になってくる、ということです。[p.47]」
・「多様性が創造性に昇華されるには、組織内に『思考の多様性』や『感性の多様性』が生まれ、それが結果的に『意見の多様性』につながり、組織内に建設的な認知的不協和が発生する必要があります。つまり最終的に重要なのは『意見の多様性』であって『属性の多様性』ではない、ということです。・・・重要なのは、人と異なる考え方/感じ方をどれだけ組織成員ができるか、そして考えたこと/感じたことをどれだけオープンに話せるかという問題です。これは属性の問題というよりも『多様な意見を認める』という組織風土の問題であり、さらには『多様な意見を促す』という組織運営に関するリーダーシップの問題だと捉える必要があります。[p.51-53]」
・「イノベーションの芽となるアイデアを生み出す人と、そのアイデアに資源を注ぎ込んで育てるという意思決定権限を持つ権力者との間には、組織内で大きな距離が存在している・・・。イノベーティブとされる企業であればあるほど、上下間での情報流通が活発に行なわれているという結果が出ています。[p.54]」
・「『目上の人に対して反論したり意見具申したりする』行動に対する心理的抵抗の度合いをオランダの心理学者ヘールト・ホフステードは権力格差指標=PDI(Power Distance Index)と定義しました。・・・権力格差の大きい国では、人々の間に不平等があることはむしろ望ましいと考えられていて、権力弱者が支配者に依存する傾向が強まり、中央集権化が進みます。・・・端的にホフステードは『権力格差指標の小さいアメリカで開発された目標管理制度のような仕組みは、部下と上司が対等な立場で交渉の場を持てることを前提にして開発された技法であり、そのような場を上司も部下も居心地の悪いものと感じてしまう権力格差指標の大きな文化圏ではほとんど機能しないだろう』と指摘しています」。先進7カ国のなかでは権力格差指標の「日本のスコアは相対的に上位に位置しています。」[p.69-72
・「日本など権力格差指標の高い文化圏では、権力と対峙する形でのリーダーシップが生まれにくい」ことが示唆される。「われわれ日本人は、『権威』と『リーダーシップ』を一体のものとして認識してしまうという奇妙な性癖を持っています。しかし、リーダーシップは本来、権威によって生まれるものではありません。それは責任意識によって生まれるものです。[p.79-80]」
・「科学史家トーマス・クーンが指摘しているように、イノベーションは『年齢が非常に若い』か『その分野に入って日が浅いか』のどちらかの人材によって牽引されることがわかっています。・・・しかし、権力格差の大きい日本において『若造』と『新参者』は、最も声を圧殺されがちな人々と言えます。・・・つまり『日本人は、目上の人に対して意見したり反論したりするのに抵抗を感じやすい』という事実と、『多くのイノベーションは組織内の若手や新参者によって主導されてきた』という事実は、日本人が組織的なイノベーションにはそもそも向いていないということを示唆しています。・・・ここに、個人としては最高度に発揮される日本人の創造性が、組織になると必ずしも発揮されなくなってしまう大きな要因のひとつがあるのです。[p.82]」
・「1950年代という時期は、権威に対して媚びへつらう傾向が強い日本人の特性が例外的に希薄になった時期だったと言えるかもしれません。・・・『上が薄い人口構成』と『既存権威の失墜という社会状勢』が、高度経済成長期におけるイノベーションの加速要因になったということは十分に考えられることです。[p.84]」
・「重要になるのは、『指示・表明のリーダーシップ』ではなく、『聞き耳のリーダーシップ』ということになります。・・・リーダーは自分のアイデアをとりあえず伏せつつ、積極的に部下に対して本音の意見を表明させることが必要になります。これが聞き耳のリーダーシップです。[p.99]」「ヘイグループは、・・・『聞き耳のリーダーシップ』を発揮している程度は、組織成員のモチベーションやコミットメントと強い相関があることを把握しています。[p.97]」
・「教育心理学の世界では、・・・報酬、特に『予告された報酬』は、人間の創造的な問題解決能力を著しく毀損することがわかっています。・・・デシの研究からは、報酬を約束された被験者のパフォーマンスは低下し、予想しうる精神面での損失を最小限に抑えようとしたり、あるいは出来高払いの発想で行動するようになることがわかっています。[p.102-103]」「では一方の『ムチ』はどうなのでしょうか?結論からいえば、こちらも心理学の知見からはどうも分が悪いようです。・・・何かにチャレンジするというのは不確実な行為ですから、これとバランスを取るためには『確実な何か』が必要になる。ここで問題になってくるのが『セキュアスペース』という概念です。[p.108]」「つまり、人が創造性を発揮してリスクを冒すためには、『アメ』も『ムチ』も有効ではなく、そのような挑戦が許される風土が必要だということ。さらにそのような風土の中で、人があえてリスクを冒すのは『アメ』が欲しいからではなく、『ムチ』が怖いからでもなく、ただ単に『自分がそうしたいから』ということです。[p.109]」
・マクレランドの3つの社会性動機:1、達成動機(設定した水準や目標を達成したい)、2、親和動機(他者と親密で友好な関係を築き、これを維持したい)、3、パワー動機(自分の行為や存在によって組織や社会に影響を与えたい)[p.123
・「ヘイグループの研究からは、大型のイノベーションに向けて組織を動かす人材は、達成動機よりもむしろ高いパワー動機を持っている傾向が明らかになっています。しかし、こういった人たちは必ずしも『課題優先型のエリート』ではありません。むしろ、言われたことをやるよりも自分の興味や関心にドライブされて仕事をやっているため、上司や経営幹部からは『扱いづらい』という評価を受けていることも多い。・・・動機のプロファイルによって、活躍できる仕事の種類(課題優先型か好奇心駆動型かなど)は変わる・・・。社内で高い評価を継続的に受けてきた・・・『課題優先型のエリート』は、過去の歴史を見る限り、イノベーションの実現という文脈においては『好奇心駆動型のアントレプレナー』に敗れ去るケースが多い。であれば、われわれはイノベーションの実現を、それを自らやりたがる人に任せるべきだ、ということになります。・・・イノベーションの実現という文脈において『適材適所』は重要な論点として浮上してくる、ということです。[p.128]」

第3章、イノベーションの「目利き」
・「イノベーションがもたらす可能性の評価は非常に難しい。であればこそ、多様な視点で多数の人たちが評価することが必要で、そのためには『組織のネットワーク密度』が重要な論点になってくる・・・しかし、ことイノベーションに関連して組織ネットワークを考察する際、ネットワークが外部に対してどれだけ開いているかも重要な論点となってきます。なぜなら、過去の多くの事例において、イノベーションの核となるアイデアは組織の外部からもたらされているからです。[p.141]」
・「最適な構造のあり方は情報処理コストと通信コストのどちらが相対的に高いかによって決定されます。通信コストがプロセッシングのコストより相対的に高い場合、イノベーションのアイデアを生み育てるプロセッシングは一カ所で行ない、ネットワークを流通する情報の量をなるべく少なくして、そこで浮いたお金をプロセッシング(アイデアを出せる才能)に回すほうが全体の生産性は高まるでしょう。一方、プロセッシングのコストが通信コストよりも相対的に高い場合、つまりアイデアを生み出せる才能が希少で、通信コストが劇的に下がった現在の社会のような状況では、プロセッシングは分散処理で行い、分散処理された情報を世界中から集めるというシステムのほうが合理的です。・・・せっかく密度の高いネットワークを組織内に作ったとしても、そこを流通する情報の量が少なくては宝の持ち腐れになってしまいます。組織内における情報流通の質と量を高めようと考えた場合、組織内の『密度』と同時に、組織の外に向かった『広さ』にも目を配ることが必要です。[p.145-146]」
・「本当の意味で『頑張る』『創意工夫をこらす』ということは目の前の業務に粉骨砕身することではなく、むしろ戦略的に『遊び』を取り込むことでイノベーションの芽を育てることにあるはずです。[p.159]」
・「イノベーションという文脈でプロセスを議題に出すと、P&Gで実行されている、いわゆるステージゲート法(段階的に消費者テストにかけて、ある程度の成功確率が担保された段階で開発・販売にゴーサインを出すやり方)のような厳格な管理型プロセスを思い起こす方も多いでしょう。たしかに、こういった仕組みを導入することで商品開発には一定の規律が導入されることになり、結果的に野放図でギャンブル性の高い新商品開発・発売を抑止することが可能になります。しかし一方で、こういった管理型プロセスの導入によって可能になるのはせいぜい漸進型イノベーションであって、世の中の風景を一変させるラジカルなイノベーションを生み出すことは難しいと考えておいたほうがいいでしょう。・・・消費者は、往々にして大きな便益をもたらすイノベーションのアイデアを提示されても、その価値をすぐに理解することができないのです。[p.167-168]」
・「組織内で論理や客観的事実に基づいた合理的なコンセンサスが形成されるのを待っていたら、イノベーションがもたらす果実は『鳥に啄まれた残りかす』にしかならないということです。[p.176]」
・「組織が行う意思決定のクオリティは、必ずしもリーダーやその構成員の思考力やリテラシーに左右されない。むしろ、その組織がどういうメンバーで構成され、どういう前提でもって議論を行い、どのようなプロセスで議論を進めるか――要するに『決め方』によって左右される[p.202]」。
・「杓子定規にルールをあてはめてアルゴリズミックに撤退/継続の意思決定をしていたのではイノベーションの芽を摘んでしまう可能性がある一方で、撤退基準を明確化しなければ組織も構成員も結果的には傷つくことになるリスクが高まる。・・・リーダーは『ルールでは判断できない、論理だけでは整理できない例外事項について意思決定する』ために存在しているのです。[p.214-215]」
・「そもそも専門家の判断能力は過大評価されており、高度に複雑な問題に対する解は、しばしば情報劣位にある『不特定多数』のそれに劣る・・・。環境変化によって知的資産が急速に陳腐化しつつある中、上級管理職や経営管理者に組織の重要な意思決定を今後も任せるというのは、筆者にはどうにも非合理に思えてなりません。[p.233]」

第4章、イノベーションを起こせるリーダー、起こせないリーダー
・「多くのリーダーシップに関する論考が不毛な『青年の主張』になりがちなのは、それらの主張が、文脈=コンテキストからリーダーシップを分離し、どのような文脈でも通用する『普遍的な原理』としてそれを捉えているからです。リーダーシップというのは文脈=コンテキストに照らし合わせてみないと有効性の議論ができない大変相対的な概念で、・・・別の言い方をすれば、リーダーシップとは、『リーダーとフォロワーの関係性』あるいは『リーダーをとりまく周囲の環境との関係性』の中で成立する概念であって、『リーダーの属性』として独立する概念ではないということです。[p.236-237]」
・「コンテキストによって求められるリーダーシップのあり様は異なる、ということは、リーダーシップには複数の側面があり、それらの組み合わせをいわばポートフォリオのようにコンテキストによって使い分けられるのが最も有能なリーダーだということになります。・・・ヘイグループは『有能なリーダー=結果を残す人々』に共通して見られる行動特性を整理し、6つのリーダーシップスタイルが存在することを明らかにしています。[p.239
・6つのリーダーシップスタイル:指示命令(言ったとおりにやれ=即座の服従)、ビジョン(「なぜ」をわからせる=長期視点の提供)、関係重視(まず人、次に仕事=調和の形成)、民主(メンバーの参画=情報の吸い上げ)、率先垂範(先頭に立つ=模範の提示)、育成(長期的な育成=能力の拡大)[p.240
・「ヘイグループの調査によると、『フォーチュン500』の中でも『最もイノベーティブ』であると考えられる企業において発揮されているリーダーシップスタイルは、『ビジョン型』が63%と最も高く、『率先垂範型』が42%と最も低くなっています。[p.242]」
・「ビジョンに求められる最も重要なポイント――それは『共感できる』ということです。・・・歴史上、多くの人を巻きこんで牽引することに成功した営みには、ビジョンに関する3つの構成要素が存在しています。それはすなわち『Where』『Why』『How』という3つの要素です。『Where』とはつまり、『ここではないどこか』を明示的に見せるということ・・・。次の要件が、共感できる『Why』です。・・・『ここではないどこか』に移動するには、その移動を合理化し納得できる理由が必要です。・・・3つ目の要件が、『どのようにしてそれを実現するのか』を示す基本方針=『How』です。[p.248-261]」

第5章、イノベーティブな組織の作り方
・人材採用/育成/配置:多様性を重視した採用、若手に対しては自分の意見をもつこと、シニアに対しては人に意見を求めること、バックグラウンドの多様性を高める配置換え、コンピテンシーの違いに応じた業務配分[p.268-278
・評価/報酬システム:目標管理は弊害大、フレキシブルな評価、仕事そのものを報酬にする[p.279-282
・意思決定プロセス:撤退についての定量的基準を設けた上で、直観に基づいて判断、過度なコンセンサス重視からの脱却、集合知の活用、余計なアドバイスの排除[p.282-287
・価値観:多様性を尊重する風土[p.288-289
・リーダーシップ:聞き耳のリーダーシップ、サーバント・リーダーシップ、ビジョンの提示[p.289-292
―――

イノベーションと組織の問題に関しては、1995年刊行の野中郁次郎氏らの著書「知識創造企業」で述べられた「組織的知識創造」の概念が有名です。同書では、組織的知識創造に優れた日本企業によるイノベーション事例が多く取り上げられていますが、その後、日本企業のイノベーション能力が低下しているとすればそれはなぜなのでしょうか。山口氏が本書で指摘している「組織」およびイノベーションを取り巻く状況がこの20年で変わってしまったことがその原因なのかもしれません。

イノベーションにとって組織とそのマネジメントが重要であることは、私も全くその通りだと思います(だからこそ、このブログを続けているわけですが)。しかし、イノベーションを生むための方法論は確立されているとは言えません。イノベーションを生むには具体的にどうすればよいのか、組織のあり方に着目した著者の考え方は我々実務家にとっても大変に参考になるものだと思います。もちろん、細かな点では異論のある指摘もありますが(例えば、専門家が役にたたないという指摘は、単に専門家の「使い方」を間違えているだけのように思います・・・特にこの点は一技術者としてちょっと強調しておきたいと思いました)、そもそもイノベーションというものは千差万別ですので、その方法論もある程度異なっていて当然でしょう。読み手は、著者の指摘の根幹部分を重く受け止めた上で、各論部分は考える材料として受け止め、それぞれの状況に応じてそれぞれが活用していけばよいのだと思います。本書の指摘をはじめ、イノベーションの方法論については、実務に使えそうな考え方が多く発表されるようになってきました。そうなると、真に問われるのは、「どういうイノベーションをやりたいのか」という覚悟なのではないか、という気がしますが、いかがでしょうか。


文献1:山口周、「世界で最もイノベーティブな組織の作り方」、光文社、2013.

参考リンク



協力とフリーライダーと罰(大槻久著「協力と罰の生物学」より)

研究開発に限らず、組織の行動において協力は不可欠です。しかし、いつもうまく協力ができるとは限りません。協力の何が難しいのか、どうしたら協力をうまく引き出せるのか、協力は命令すればできるものなのかなど、協力のマネジメントは組織運営にとって重要なはずですが、その方法論は明確にはなっていないように思います。

本ブログでも協力の問題は何回か取り上げましたが(「不機嫌な職場」「利他学」「働かないアリに意義がある」利他性と協力)、今回は大槻久著、「協力と罰の生物学」[文献1]を取り上げます。この本では、協力行動自体の議論に加えて、進化の観点から見た協力行動、協力的環境で発生するフリーライダーと罰の問題が議論されている点が特徴的だと思いますので、以下、その中の興味深い点をまとめたいと思います。

自然界にあふれる協力のすがた
・「協力とは、ある個体が他の個体に対して利益を与えることをいいます。[p.3]」
・協力の種類:共生(異種の生物が協力し合う)、利他行動(自分の子の数を犠牲にして行う協力)、相利行動(協力行為が自分の利益にもなる)[p.21-22
・「生物の世界では、他者に利益を与える『協力』が、さまざまなところで行われている。[p.21]」

なぜ「ずるいやつら」ははびこらないのか
・フリーライダー(free-rider):「自らは協力をせず、協力の利益を搾取する個体のこと[p.41]」。「フリーライダーは周囲に協力をさせておきながら、自分は協力をせずに、その分のエネルギーや時間を繁殖に振り向けるので、協力する個体はその繁殖スピードに追いつけず、最終的に協力というシステムが破壊される原因となります。[p.29]」
・「にもかかわらず、自然界ではさまざまなところにフリーライダーが存在する。[p.41]」

協力の進化を説明せよ!
・「協力の進化はシンプルな自然淘汰説だけでは説明が困難です。なぜなら、協力的なシステムには、常にフリーライダーがつけ入る隙が存在するからです。[p.44]」
・群淘汰説(ウィン=エドワーズ):「有利な群れこそが生き残るはず[p.45]」。しかし、「いくら群れの利益になったとしても、自分の利益にはならない行動は進化できず、協力の進化を説明するためには、群淘汰ではない別の理論が必要(ウィリアムズ)[p.45-46]」。
・血縁淘汰理論(ハミルトン):「血縁者の間ならば協力行動が進化できる[p.47]」。協力は、「血縁関係を通して少しでも多く自分の遺伝子を残そうとする試みである、と説明することができる。[p.48]」
・直接互恵性理論(トリヴァーズ):「協力をした側は繁殖・生存上のコスト(負担)を負ってしまうものの、後で相手から協力をし返してもらえばそのコストを埋め合わせることができて、協力行動が進化する[p.49]」。この理論の示唆は、1)血縁と関係としない、2)「直接互恵性で進化する協力行動というのは、助ける側にとってはそれほどの負担にはならないものの、助けられた側にとっては大きな利益となるようなものでなければならない」、3)「フリーライダーに対する警戒心の進化を予測した」。「ヒトは自然淘汰を通して、裏切りを鋭く検知する能力を身につけたはずだと予測します」[p.49-50]。
・「協力の進化モデルとして最も有名な『囚人のジレンマゲーム』[p.50]」は、「裏切り、すなわちフリーライダーになる魅力と、互いが協力してもたらされるよい結果が決して両立しないことを教えてくれます。そして、個々が自らの利益を最大化しようとすると、協力が達成できないことを教えてくれる[p.53]」。囚人のジレンマのゲームで最も効果的なのは、「しっぺ返し戦略」(協力されたら協力し返すが、裏切られたら裏切り返す)。しっぺ返し戦略では、「相手がフリーライダーとみたら、断固として協力をやめるのです。・・・トリヴァーズの理論とともに、アクセルロッドとハミルトンの研究は、『もちつもたれつ』の達成のためにはいかにフリーライダーを検知し、協力を拒絶することが大切かを示しています。[p.55]」
・間接互恵性理論(アレキサンダー):「自分の評判などを通じて過去にした手助けが間接的に第三者から返ってくるメカニズム」。「アレキサンダーは、ヒトのもつ道徳性をこの間接互恵性として理解しようとしました。つまり、見知らぬ人を助けるのは、第三者からのお返しが期待できるからだ、という説明です[p.56]」。ただし、「間接互恵性の理論は、個々の行動の動機について説明するものではありませんし、その善悪判断をするものでもありません。あくまで、ヒトの祖先の環境(たとえば石器時代)においては、他者を手助けすると見返りが得られることが多かったはずだ、だから他者を助ける行動が自然淘汰で有利だったはずだ、という論理を述べているにすぎない[p.58]」。

自然界には罰がいっぱい
・「互恵性の理論から我々が学べることは、フリーライダーに対してはそれを検知するメカニズムが必要であること、そして、そのようなフリーライダーには協力しないなどの報復が必要であることの2点です。[p.60]」
・利己的な遺伝子:「生物の進化においては、個体だけでなく遺伝子までもが、自分のコピーを次世代に残すための巧みな方策をとっていることがわかります。まるで遺伝子が利己的に振る舞っているようにも見えるので、これを称して『利己的な遺伝子』とよびます。[p.64]」
・「フリーライダーによる協力の利益のただ乗りを防ぐ方法として、罰がある」。「生物の世界での罰は、相手を殺したり、追っ払ったり、仲間はずれにしたり、とさまざまな形をとる。」[p.75
・懲罰(punishment)と制裁(sanction):「懲罰というのは、・・・協力的に振る舞わなかった相手を懲らしめることで、次回から協力を引き出そうとする行動を指します。行ってみれば『反省』を期待したやり方です」。「自然界ではよく『相手を殺す』という懲らしめ方がとられます。これは制裁に対応します。」「フリーライダーを殺して、付き合いを強制的に終了させ、自らの協力が搾取されるのを止めるという働きがあります。」[p.75-76

ヒトはけっこう罰が好き?
・「単なる論理学の問題を、社会の文脈を与えることで『裏切り者検知』の問題へと置き換え」ると、正解率が上がる。「この実験結果は、ヒトが裏切り者検知の問題が得意であることを示している」(コスミデスによる実験)。[p.85
・「間接互恵性の理論は、『ヒトが協力的に振る舞うのは、自分の行動が他人に観察されている時である』と予測します」。写真の視線でも同じ反応をしてしまう(ベイトソンによる実験)[p.86-87]。
・「『協力しないと罰を受ける』という強い恐れがある場合、協力的に振る舞う」ので協力率は上昇する。[p.92
・「罰のコストを払わない人は、『二次のフリーライダー』とよばれます。[p.93]」
・他者に罰を与えることの利益:「罰を受けた個体が、その後協力的になる」ことに加え、「自分の厳格さに関する評判を広められる」利益がある[p.94]。
・ヒトは、「他者からの罰を警戒し、協力率を上げてしまう傾向」と「罰を与えてもその人自身にとって何の利益にもならないことをわかっているにもかかわらず、他者を罰してしまう傾向」(利他的罰)を持っている[p.96]」。
・「感情は、もともとは状況に対して即座に反応するための適応と考えられます。・・・理性的に判断した場合には損であっても、感情という回路が我々に利他的罰をとらせるのかもしれません[p.98]」。「罰を与えたときには、快感を引き起こす神経回路が活性化していた・・・。・・・ある行動に『快』の情動が伴っているということは、その行動をとることが進化の過程において有利であった有力な証拠です」。[p.104
・「罰の度合いには社会間で差がある[p.99]」。協力的な人への罰(非社会的罰)もある[p.100]。「集団主義的な社会では、他者との協調や団結が重視されます。集団主義的社会においては、『協力しすぎる人』は『協力しない人』と同じように、集団の和を乱す存在と考えられる可能性があります。実際、・・・集団主義社会のほうで、より強い非社会的罰が生じていました。[p.101]」
・「罰の代わりに報酬を用いても、協力は達成できた」。「報酬あるいは、罰のいずれかの機会があると、人はより協力的に振る舞うようになる」、「そして、報酬と罰が同時にある場合には、実際の報酬の回数が多いほど協力率は上昇するのですが、実際に罰が何回行われたかということは協力率の上昇には貢献しないのです。つまり、人は報酬という正の動機と罰という負の動機が混在するときには、正の動機に対してのみ反応し、負の動機には反応しないのです。この結果は、罰がいつも万能であるとは限らないことを示しています。[p.106-107]」
・「『報酬を与える人』は評価されるのだけれど、『罰を与える人』は特に評価はされないらしい」[p.107]。
・制度化された罰:習慣や道徳などの暗黙のルールに基づく個人レベルの罰の他に、「多くの社会には、罰の制度が法という形で存在しています」。コストがかかるにもかかわらず人が罰を制度化してきた理由としては、罰の効率の上昇と、二次のフリーライダーの排除効率が優れていることが考えられる。[p.109-111

ヒトと罰、その未来
・相手との関係を断ち切ってしまうような罰は、「自分の協力相手を選べる場合によく起こります」。相手の改心を狙って与える罰は、「相手に学習能力があるときに起こりやすいものです。また、パートナーを変えることがそれほど簡単でない場合にも、起こりやすいと言えます」。[p.113
・「罰は協力を促進するという点では効果的ですが、罰にかかるエネルギーや時間などは相当なものです。・・・罰は、もともと個体間の協力を促し、それによってそれぞれの個体が、独立に生きていくよりも高い効率を得ることが目的なので、罰自体がとても非効率ならば、そうやって得られた協力の価値というものは半減してしまうのです。[p.114]」
・「フリーライダーの出現はなかなか避けられず、むしろよくあることなのではないかと私は思っています。ですから、次善の策として、フリーライダーの出現に備えて罰をもっておくことは、協力というシステムを保つためのよい対策であると考えられます。しかし、この罰がしょっちゅう行使されているようでは、罰の非効率性が、協力することの利益に勝ってしまいます。・・・罰という制度を誰から見ても納得のいく公平なものとして設計し、その抑止効果をうまく利用して協力を達成することが、罰の優れた使い方なのではないかと思います。[p.115]」
―――

協力に限らず、人の行動を予測し、他者に自分の望みの行動をしてもらうためには、人がどのように考え、感じ、行動するかの傾向を知っておくことは重要でしょう。その時、単に経験から学ぶだけでなく、人はなぜある傾向を持つのかという視点で考えることも必要ではないかと思います。進化の観点は、このような「なぜ」についてのヒントを与えてくれるアプローチとして実践的にも役に立つのではないでしょうか。

本書の指摘の重要な点のひとつは、協力行動があるところにはフリーライダーの出現は避けられず、フリーライダーによる悪影響を抑止しようと思えば罰は不可欠であり、人は協力維持のために罰を用いることを進化の過程で身につけている、というところではないでしょうか。もちろん、人間には理性がありますので、進化によって身につけた本能だけに基づいて行動を決めるわけではありませんが、本能の影響を完全に排除できないことは本ブログでもたびたび取り上げてきました(例えば、「ファスト&スロー」など)。そう考えると、理性だけに頼ったマネジメントではなく、ヒトの本能を考慮したマネジメントも求められているのだと思います。

具体的に企業活動における協力の姿を考えてみると、人々が力を合わせて何かを実行するという協力の他に、ある人が別の人に指示や依頼をして労働の提供を受けるということも協力と考えていいのではないかと思います。例えば給料と労働の交換のような契約に基づくものであっても、「ある個体が他の個体に対して利益を与えること」という本書の協力の定義は満たしていることになるでしょう。つまり、企業内での人の活動の大部分は何らかの形で「協力」と関わっているといえるのではないかと思います。

協力におけるフリーライダーの発生が不可避だとして、では、企業におけるフリーライダーはどんな人なのでしょうか。協力しない(必要な仕事の分担をこなさない)人はもちろんフリーライダーですが、協力関係を壊す人(にもかかわらず報酬を得る人)、企業内に構築されている協力システムを使って不当に多くの利益を得ている利己的な人もフリーライダーと言ってよいのではないでしょうか。おそらくどんな企業にもそうしたフリーライダーはいるでしょう。そして、企業が好調なうちは、フリーライダーはその数を増やしていくはずです。しかし、フリーライダーが増えるに従い、仲間の中にフリーライダーを罰したいという感情が蓄積します。そしてある時、実際に協力関係が壊れて収益性に悪影響を及ぼすようになるかもしれません。そうして企業が寿命を迎える・・・。そんな場合もあるように思えてきます。

もちろん、企業の不調をすべてフリーライダーのせいにするわけにはいきませんが、マネジメントにおいてフリーライダーに注意を払う必要があることは間違いないでしょう。本書を参考にすると、フリーライダーと罰の問題に関して、以下のようなマネジメント上の注意点が挙げられると思います。
・フリーライダーはどこにでもいるはずです。従業員に注意を向けることももちろん必要でしょうが、マネジャーにもフリーライダーはいるかもしれません。直接互恵関係が成り立ちにくい過剰な協力を求めるマネジャーはいないでしょうか。高位のマネジャーや経営層の高待遇については、それにメリットがあるとする考え方もありますが、フリーライダーではないといい切れるでしょうか。過剰な利益を得ることに対する罰の制度は機能しているでしょうか。もしそれが機能していないとすると、協力している人のフリーライダーを罰したいという感情が、罰のコストを増やしてしまうことにもなりかねないでしょう。
・フリーライダーを罰するシステムはうまく設計されているでしょうか。その罰は、反省を促すことを意図したものか、関係を断ち切ることを意図したものか、どちらでしょうか。頻繁な罰は協力率の向上には寄与しない可能性があります。罰と報酬の関係は適正でしょうか。
・成果の評価システムは、利己的なフリーライダーを高く評価するような偏ったものになっていないでしょうか。個々の利益を最大化すると協力は達成できない可能性があることは認識されているでしょうか。
・本能的に罰に積極的な人、罰の力によって他者を自らに協力させようとする人もいるかもしれません。罰を加える人は周囲から評価されない傾向を認識しているでしょうか。
・組織に非社会的罰は存在しているでしょうか。組織の和を重視することで発生する非社会的罰は、かえって協力を抑制しているかもしれません。

このように考えると、フリーライダーと罰をめぐる問題は、科学の話題にとどまらず、生物としての人間のマネジメントの問題に深く関わっているように思われ、非常に興味深く感じます。


文献1:大槻久、「協力と罰の生物学」、岩波書店、2014.

参考リンク<2015.4.5追加>



シチズンサイエンス考

シチズンサイエンスとは、アマチュアまたは非職業的な科学者によって、その一部または全部が行なわれる科学研究のこととされています(wikipedia[文献1])。具体的には、データの系統的収集や分析、技術開発、自然現象のテスト、これらの活動の普及などが行なわれていて、近年のインターネット環境の発展とともにこうした活動は活発化しているとのことです。今回は、シチズンサイエンスについて考えてみたいと思います。

シチズンサイエンスの形態[文献1](文献1の「Citizen scientist」=「市民科学者」としています)

・プロの研究者が解析するためのデータ集めに市民科学者が協力する。

・プロの研究者が集めたデータを市民科学者が解析する。

・市民科学者が研究センターにおける支援をしたり探検に同行したりする。

・市民科学者同士がコンペで成果を競い合う。

・市民科学者が装置を作ってデータを取ったり、大きなプロジェクトの一部を担ったりする。

・市民科学者が、プロの研究者が訪れないような分野を探検する。

こうした市民科学者の活動は古くからありました(そもそも職業科学者が生まれる20世紀より前の科学研究の担い手は市民科学者であったと考えることもできます)。ただ、近年のネット環境の発展と普及が、科学研究への市民科学者の新たな参加方法を編み出していることも指摘されています。例えば、個人所有のコンピュータの余剰能力を活用してデータ解析を手伝うRosetta@home(タンパク質の折りたたみ構造を解析する)や、SETI@home(地球外生命体からの信号を探索する)など、分散コンピューティングやボランティアコンピューティングと呼ばれる活動があります。また、Stardust@homeNASAの探査機が彗星の尾から採取を試みた粒子を発見する)やGalaxy Zoo(銀河の写真を見てその形態を分類する)、oldweather(第一次世界大戦中の英海軍船舶の航海日誌から当時の天気を抽出する)など、参加者の判断や技能が問われるようなプロジェクトもあります。[文献2、文献3]

このようなシチズンサイエンスの活動は、今までのやり方では作業にかかる負荷が大きくて実施できなかった研究対象について、その制約を緩和できる手法として重要な意義を持つと言えるでしょう。特に、比較的単純ではあるが処理に手間のかかるデータ採取、解析が必要な研究においては、今後適用例が増えていくのではないでしょうか。

研究マネジメント面の意義

シチズンサイエンスを研究やビジネスのマネジメントの観点から見ると、いくつかのビジネス手法との共通点があることがわかります。外部との協働で研究を進めることはオープンイノベーションにほかなりませんし、作業の一部をネット経由で外注することはクラウドソーシングとして知られた手法です。実際に、アマゾンのmturkなどは、単純な作業を安価に外注することが可能な仕組みを提供しており、パターン認識など、機械では困難だが人間にとっては単純な作業でデータを作ったり集めたりすることが効率的にできることが知られています[例えば文献4、p.110]。


しかし、シチズンサイエンスの場合、参加者は金銭的報酬を求めているわけではなく、参加者の作業への動機づけは金銭的報酬以外のインセンティブによってなされている点がひとつの特徴になっていると思います。参加者は、自分の保有している資源(人間としての能力、コンピュータなど)を社会に有用な目的のために役立てたいという気持ちはもちろんのこと、自分の楽しみ(ひまつぶし、ゲーム感覚の遊び、発見の喜び、最先端の科学やきれいな銀河の写真、昔の航海日誌などに触れる楽しみなど)によっても動機づけられています。例えば、遊びの要素として、こなした作業の量や、成果の質に応じてプロジェクト内でのステータスが上がったり、成績優秀者として順位づけられて称賛されたりする仕組みが作られているものもあります。また、プロジェクト内で同じ興味を持つ人同士や専門の研究者との交流ができるフォーラムが設けられているものもあり、ネット環境の利用による非物質的な魅力が参加者のモチベーションを高める一要素になっていると思います。

このような「遊び」の要素の導入は、プロジェクト運営上のテクニックという面もあるかもしれませんが、実は研究の本質にもつながるものだと思います。未知のことを知る、同じ興味(専門)を持つ人同士で議論や交流をする、成果を挙げたことが社会から評価される、などのことは通常の研究活動においても行なわれていることであって、それが研究者のモチベーションの維持に貢献している側面は無視できません。シチズンサイエンスでもそうした体験をネット上で提供していると考えられます。専門的な知識を要する研究活動は市民には困難であっても、研究の手伝いをすることで充実感や達成感を得られる仕組みが構築できている点は、研究活動における金銭的報酬以外のインセンティブの重要性を示す例として示唆に富んでいると思われます。

さらにシチズンサイエンスにおける協力の仕組みは、オープンイノベーションの進め方についての示唆も与えてくれています。オープンイノベーションの場合、協働する研究者(組織)の間での作業の分担と成果の配分を調整する必要がある点が運営上の課題であるという意見があります。これに対し、シチズンサイエンスでは、市民科学者が行なう作業の範囲を限定的に設定し、その作業に与えられる報酬(成果配分)も金銭的なものではなく「楽しみ」とすることで、協力者も納得した上で意欲的に作業に取り組んでもらえるようになっており、上記のオープンイノベーションの課題をうまく解決していると言えるのではないでしょうか。ビジネスにおいては金銭的報酬抜きの協力関係を構築することは難しいかもしれませんが、少なくともモチベーションが金銭的報酬によるものだけではないことはオープンイノベーションを考える上でも認識しておくべきことであると思われます。

科学と社会の関わりにおける意義

シチズンサイエンスは、科学コミュニケーション、STS(科学技術社会論)の面でも以下のような示唆を含んでいると思います。

・シチズンサイエンスは、市民にとって科学を身近なものとして感じるきっかけになる。

・その活動を通じて、市民が科学者の活動に触れることができる。

・その活動において、市民がデータの扱い方、データの重要性を体験、実感できる。

つまり、科学者との共同作業を通じて、科学者の考え方、仕事の実態に触れるきっかけになるのではないか、ということです。市民を科学と対峙する存在としてとらえるのではなく、お互いに理解し、協働していくきっかけとしての意義がシチズンサイエンスにはあるのではないでしょうか。科学者が市民を啓蒙するのではなく、科学者が市民を重要なパートナーとして見ること、市民の側からも楽しみとしての協働を通じて科学的な考え方に触れることは、科学コミュニケーションの促進に役立つのではないかと考えます。楽しみながら交流することを特徴とし、その作業には遊びに近い要素が含まれているものであっても、そのデータを使う研究は遊びではありません。このようなシチズンサイエンスを進めることは、市民が本物の研究を身近に体験し、学ぶよい機会となり、社会と科学の垣根を低くすることにつながるのではないかと思います。

技術者の立場からみてもシチズンサイエンスが取り上げているテーマにはなかなか興味深いものがあります。加えて、シチズンサイエンスには、単なる研究補助や市民の趣味以上の意義もあるように思いますがいかがでしょうか。


文献1:Wikipedia, “Citizen science”, 2012.7.1アクセス

http://en.wikipedia.org/wiki/Citizen_science

文献2:Eric Hand, “People power”, Nature, vol.466, No.7307, 2010.8.5, p.685.

http://www.nature.com/news/2010/100804/pdf/466685a.pdf

文献3:Kalee Thompson(K.トンプソン)、編集部訳、「ネットでシチズン・サイエンス」、日経サイエンス、2012年5月号、p.98.

文献4:新井紀子、「コンピュータが仕事を奪う」、日本経済新聞出版社、2010.

参考リンク


 

 

研究者と金銭的報奨

仕事で何らかの成果を挙げることができた場合、その成果が正当に評価され、見返りに何らかの報奨が与えられるべきだ、というのは多くの人が認めるところでしょう。成果に対して報奨が貰えて困る人はいないでしょうし、もし報奨を受け取りたくないならば返すなり、仲間で使ってしまうなりなんとかできます。

 

このような報奨を制度化して、「もし○○○の成果が得られれば、□□□の報奨を与える」ということが約束されれば、それがインセンティブとなってモチベーションが上がるだろう、ということは一般的には言えると思います。「成果主義」というのは大雑把にはこうした原理に基づくものでしょうから誤りではないはずなのですが、最近は成果主義に否定的な意見もよく耳にしますし、少なくとも単純な「成果主義」のやりかたでは利点よりも欠点の方が多いように私も思います。おそらく、難しい点は成果を正しく評価すること(負の成果、すなわち失敗も含めて)、および評価された成果に対してどの程度の報奨(負の報奨、すなわち罰も含めて)を与えれば組織全体として効果が最も大きくなるかを予測して報奨を決めるところではないでしょうか。そのシステムがうまくできていないと、「成果を挙げたのに評価してもらえない」「評価はされてもそれに見合った報奨がもらえない」「たいした成果でもないのに高い評価、報奨を受けている人がいる」などの不満が出てきたり、成果が出やすく評価されやすい課題を選んで実行しようとし、本当に必要な仕事、チャレンジングな仕事が敬遠されたり、ということが起きてしまうのだと思います。

 

特に、研究開発の場面では、こうした難しさは一層顕著になると思われます。成果を評価して、それに基づいた報奨として翌年の給与を決めようとしても、取り組む課題の不確実性のために研究の中途段階での成果判断が正しいという保証はありませんし、そもそも成果が出るまでに時間を要する課題もあるのでなかなか好ましい報奨システムをつくりあげることはできないのではないでしょうか。加えて、研究者は金銭的報奨のような外発的動機づけよりも、自己決定や自らの有能さの確認といった内発的動機づけの方を重要視する、という意見がありますし(「ノート7」参照)、外的報奨が内発的動機づけを低下させる(「研究の管理と評価再考」参照)、課題が簡単すぎてもモチベーションが上がらないとする達成動機理論(「ノート7」参照)、といったややこしい指摘もあります。

 

こうした問題に対処するため、自分が納得した目標を設定し、目標に対する達成度で成果を評価しようとする考え方もありますが、この方法でも非常に頻繁に目標の見直しを行なわない限り不確実性に対応することは不可能でしょう。また、目標の設定に恣意性があるので挑戦的な目標設定が行われにくくなる可能性もあると思われ、こうした方法も研究開発分野を対象とした評価、管理システムとしては問題があると考えます。

 

では、金銭的な報奨が不要なのか、というとそれもまた違うでしょう。おそらく、研究者にとって、金銭的報奨はHerzbergの言う「衛生要因」すなわち、それを改善しても不満がなくなるだけで、動機づけにはならない要因(「ノート7」参照)としての作用が強いのではないかと思います。つまり、研究者に不満を与えることのないような金銭的報奨授与システムは必要であるが、モチベーションを上げる効果は期待してはいけない、ということになるのではないでしょうか。

 

そうすると、必要とされる報奨システムとはどのようなものになるのでしょうか。以下は私案になりますが、成果の程度によってどのような報奨が与えられるべきかについて考えてみました。

 

まず、報奨は成果にどの程度依存したものとすべきでしょうか。これについてはDavilaによる興味深い調査結果がありますのでご紹介しておきます[文献1p.286]Davilaは医療機器メーカーの製品開発部門のマネージャーを対象に給与に占める変動給(業績給)の割合と得られた業績の印象との関係を調べ、変動給の割合が多すぎても少なすぎても業績は低下し、変動給の割合には最適値があるとしています(彼の調査では、15%程度が最適になっていますが、この値は業界やプロジェクトの種類、人のタイプなどによって変わるので、この値そのものは重要でないと述べています)。特に変動給の割合が大きすぎる場合に業績の低下が大きく、彼は「適度なインセンティブはプラスに働くが、過剰になると業績の低下を招く」と結論づけています。

 

業績給の割合が高いということは、収入が業績に影響される度合いが大きい、ということになりますので、インセンティブの大きさとほぼ同じと考えられると思います。このようにインセンティブが大きい場合には、おそらく業績が挙がっている場合には問題はないのでしょうが、業績が低かった場合には給与が減ってしまうことになるためモチベーションを下げる可能性があると考えられます。おそらく不確実性の高い研究への意欲も低下してしまうでしょう。しかし逆に、研究が成功した場合の報奨はもっと高くあるべきとの考えも無視できないと思われます。近年話題になることが多い、発明の成果に対して高額の報奨金を求める裁判などもそうした考え方の現れと見ることができるでしょう。そうすると、研究が大きな成果を挙げた場合には報奨は大きく、しかし、リスクをとりやすくするために成果が挙がらなかった場合の報奨減額の程度は小さくするというシステムがよいのではないかと思われます。

 

もちろん、このような制度としたところで、成果の評価方法に関する問題は残ります。そこで、いっそ、成果の細かな評価はあきらめてしまえばよいのではないでしょうか。つまり、小さな成果についてはその細かな優劣を評価することはやめにして、非常に大きな成果の場合のみ大きな評価をすることにするわけです。一般に非常に大きな成果というものは、誰が見ても異論が少ないものだと思いますので、こうした成果に対して大きな報奨が与えられることには異論が出にくいのではないでしょうか。

 

ただし、大きな成果に対する大きな報奨は非常に目立ちますので、社内の他部署にも納得してもらえるような評価体系とするために、研究者の平均的な報酬は他部署と合わせるべきであると思います。大きな成果に対する大きな報奨に加えて、成果があがらない場合に報酬の減額が少なくなるとすると、平均的な成果に対する報酬は、全社員平均よりは少なくなることになります。一般に研究員には自律的な環境が与えられることが多いですし、例えば成果の社外発表や学会での交流によって、社会的な活躍の機会や社会的評価を受けるチャンスが与えられていることを考慮すると、これは給与外の報酬とも考えられますので、給与面での多少の減額は研究者も納得できるのではないかと思います。また、大きな成果を挙げた研究に対する報奨は、特許実施補償などの名目で行なうことも考えられるでしょう(ただし、特許に基づく報奨は、開発成功から特許の権利化、収益化までに時間がかかるため、タイムリーな報奨が行なえないという欠点がありますし、特許にならないが重要な研究というものが存在することもあります)。

 

このような評価体系をイメージにまとめると以下の図のようになります。

 

 報奨イメージ500

 

もちろん、このような評価体系は研究開発の対象、不確実性の程度、目指す目標、業種などによっても変わってきますので、このようなシステムが最善であると言うつもりはありません。また、こういうイメージを決めたところで、成果の評価の難しさが軽減されるわけではなく、モチベーションの向上につなげるためには他のマネジメント手法との組み合わせなどのいろいろな手段をとる必要があると思われます。ただ、研究の成果を単純な評価にあてはめて、その評価結果に比例するような単純な報酬の決め方では、おそらく研究者のモチベーション向上にはつながらないように思いますので、このような案もあるのではないかと考えてみました。研究者の評価とインセンティブを考えるヒントにでもなれば幸いです。

 

 

文献1Davila, T., Epstein, M.J., Shelton, R., 2006、トニー・ダビラ、マーク・J・エプスタイン、ロバート・シェルトン著、スカイライトコンサルティング訳、「イノベーションマネジメント」、英治出版、2007.


参考リンク<2012.8.5追加>
 

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