研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

ノート10改訂版:研究組織の望ましい特性と運営

1、研究開発テーマ設定とテーマ設定における注意点→ノート1~6
2、研究の進め方についての検討課題
2.1
、研究を行なう人の問題
→ノート7~8
2.2
、研究組織の問題
①研究組織の構造→ノート9

②研究組織の望ましい特性と運営
ノート
では、研究組織の構造について、人や組織同士がどうつながっているかの観点から主に考えてみましたが、研究活動にとって望ましい組織形態というものを特定することはなかなか難しいようです。その理由はおそらく研究活動の特性によるものなのでしょう。もし研究組織の構成員が、業務を分担する部品のような存在であれば、その活動を管理できるような構造を考えればよいのでしょうが、事前に業務の内容や分担がはっきりとは決められず、臨機応変の対応や当初の計画にない創発的な対応が求められる研究活動は、計画的な分業や管理に向いているとは言えないように思います。すなわち、組織構造の形態的な面を検討するだけでは不十分で、組織にどのような人を集め、その組織をどのように運営して望ましい特性を発揮するようにするかも考慮しなければならないと言えるでしょう。

では、研究組織にはどのような機能・特性が求められるのでしょうか。ノート5で検討した研究部門に求められる活動のなかでも、最も重要なものは創造性の発揮、すなわち、答えが未知の課題に取り組み、課題解決の方法を創造することでしょう。加えて、単に成果を得るだけでなく、その成果が上位の組織(会社や社会)の方向性に合っていることや、研究成果の実現のために他の組織と協働することも求められるはずです。以下、このような要求に応えられる組織のあり方を考えてみたいと思います。

創造性を発揮できる組織
例えば野中郁次郎氏は「場」というコンセプトを提示しています。その考え方は次のようなものです。
対話と実践という人間の相互作用により、知識を継続的に創造していくためには、そうした相互作用が起こるための心理的・物理的・仮想的空間が必要であり、そうした空間を「場」と呼ぶ。そこでは、参加者の間で自他の感性、感覚、感情が共有される相互主観が生成し、個人は自己の思惑や利害などの自己中心的な考えから開放され、全人的に互いに向き合い受け容れあう。場は動的文脈であり、常に動いている。「よい場」の条件は、1)独自の意図、目的、方向性、使命などを持った自己組織化(=自律性が必要)された場所でなければならない、2)参加するメンバーの間に目的や文脈、感情や価値観を共有しているという感覚が生成されている必要がある、3)異質な知を持つ参加者が必要、4)浸透性のある境界が必要。文脈共有には一定の境界設定が必要だが、必要に応じて境界を開いて新しい文脈を取り入れ、あるいは必要に応じて境界を閉じて中の文脈を守る、というのが「浸透性のある境界」の考え方、5)参加者のコミットメントが必要。場において生成する「コト」に「自分のこととして」かかわることによって知識は形成される。こうしたコミットメントを得るためには、信頼、愛、安心感、共有された見方や積極的な共感などが必要。知識創造には内因的モチベーションが必要(外因的要因には暗黙知の表出化を推奨する効果は期待できない)。内因的モチベーションが有効に機能するには、仕事において創造性を要求されること、内容が広範囲で複雑で幅広い知識が必要とされること、暗黙知の移転と創造が不可欠であることのいずれかが含まれなければならない[文献1、p.59-79]。
もちろん、創造的な組織の特徴はこれに限られるものではなく、例えば、Tiddらは、イノベーティブな組織に関する先行研究に基づき、組織構造以外に、ビジョンの共有、リーダーシップ、イノベーションへの意欲、鍵となる個人、効果的なチームワーク、個人の能力向上の継続と拡充、豊富なコミュニケーション、イノベーションへの幅広い参画、顧客指向、創造性ある社風、学習する組織、といった要素が重要と認識されていると述べています[文献2、p.371]。いずれにしても、組織構造のみならず、こうした特性を考慮することも重要、ということでしょう。ここでは、野中氏の挙げた要素をもう少し深く考えてみることにします。

自律性
野中氏は「組織のメンバーには、事情が許すかぎり、個人のレベルで自由な行動を認めるようにすべきである。」と言い、そうすることによって、組織は思いがけない機会を取り込むチャンスを増やし、個人が新しい知識を創造するために自分を動機づけることが容易になる、と述べています[文献3、p.112]。このような自律性の重要性についての主張は、研究開発の成功例において、その組織が自律(自立)的であった例が多いと感じられることからも信頼に足るものと思われますが、トップダウンの組織では部下の自律性を許容することと、部下にトップダウンの命令を実行させることは相容れない可能性があるでしょう。このような状態で自律的であるためには、トップと部下の間での信頼を築くことが必須のように思います。例えば、ホンダでは、「自立(自律)、平等、信頼」が「人間尊重の哲学」として重視されている[文献4]そうです。また、KimMauborgneは「公正なプロセス」の重要性を指摘しています。公正なプロセスの要素は、関与、説明、明快な期待内容、という3つの要素で構成され、このプロセスをとることによって、自分の意見が重んじられているという信頼と関与が生まれ、自発的な協力が発生することによって、期待を超える水準の献身が期待できるということですが[文献5、p.226]、これは同時に自律性の高い組織の特徴とも言えるのではないでしょうか。このような考え方を明示することによって、自律と放縦の区別が可能になり、周囲からの信頼を得やすくなるのではないかと思われます。

目的・感情・価値観の共有
組織にとって、基本理念、ビジョンを持つことの有効性は、CollinsPorrasの指摘する通りと考えられますが[文献6]、特に研究活動においては守るべき基本理念、ビジョンを持つことによって、目的・感情・価値観の共有が実現され、これによって、メンバー相互の意思疎通が効果的になり、また、細かな管理をしなくても行動の方向性が統一されやすくなることが創造性の発揮によい影響を及ぼすと考えられます。不確実、予想外のことを取り扱う研究活動においては定型的な対応が困難な場合が多いので、守るべき基本理念がないと一貫した組織的な対応がとりにくくなったり、モチベーションが低下したりする場合もあるのではないでしょうか。さらに、Collinsは組織飛躍のためには、単純明快な概念(針鼠の概念)すなわち、世界一になれる部分、情熱をもって取り組めるもの、経済的原動力になるものの重なる部分を理解し、この概念を確立することが必要と述べていますが[文献7、p.130]、この考え方は研究開発活動の具体的な進め方を考える上で重要な示唆を与えるものと思われます。

多様性
野中氏らは、組織的知識創造を促進する要件として、組織の意図、自律性、ゆらぎと創造的なカオス、冗長性(当面必要としない仕事上の情報を重複共有すること)、最小有効多様性(複雑多様な環境に対応するためには、組織は同程度の多様性を内部に持っている必要があることを指す)を挙げています[文献3、p.118-123] [文献8、p.77]。また最近では、多様性によって問題解決や予測がうまく行えるようになりうることが、複雑系の研究者によって指摘されています[文献9]。ただし、「多様性を追求する際には、多様性と能力のバランスを取ることを忘れてはいけない。・・・能力は多様性と同じく重要だ[文献9、p.444]」、という指摘はよくわきまえておく必要があるでしょう。多くの研究組織は類似する技術分野の人から構成され、先輩から後輩への技術伝承が専門性の育成に重要とされることも多いため、発想の画一化による創造性の低下が懸念されるとはいっても、例えば、多様性を確保する目的で人事ローテーションを行なって個人に様々な経験をさせることは専門性育成の阻害につながる可能性もあります。専門性の充実と多様性の確保のバランスをとるためには、おそらく個人に様々な経験を積ませることよりも、様々な人材をひとつの組織に集めることで組織としての多様性を確保する方が効果的と思われます(もちろん、度が過ぎなければ個人にとって専門性の異なる経験は非常に重要ですが)。

浸透性のある境界、参加者のコミットメント
これらは、組織が閉鎖的になりすぎてはいけないこと、メンバーが目標達成に積極的に関わる組織にすべきであることを示唆していると思いますが、いずれもコミュニケーションに深く関係していると思います。組織に多様なメンバーを集めることができたとして、多様性を有効に活用するためには、コミュニケーションを活性化する必要がありますし、コミュニケーション不足でメンバーに適切な情報が与えられなければ業務への積極的な関与も期待できないでしょう。コミュニケーションのための仕組み(例えば頻繁なミーティングなど)と、異なる意見を受け入れる組織風土がなければ多様性の維持活用は不可能と思われます。組織内でのコミュニケーションに加え、組織外部とのコミュニケーションも重要です。ただし、基礎研究的な性格を持つプロジェクトについては外部とのコミュニケーションと研究成果の間に正の相関があるが、開発研究や技術サービスを行なう組織では負の関係があることを示す研究もあるようです[文献8、p.70]。野中氏も指摘するように、実際には必要に応じて境界を開けたり閉めたりするコントロールが必要とされるのでしょう。また、外部との結び付きの強さに関しては、Rogersはグラノベッターにより提唱された「弱い絆」の重要性を指摘しています[文献10、p.303]。これは重要な新しい情報は親密な関係の人よりも、それほど親しくない関係の人からもたらされるというもので、親しくない人との接触機会は少なくても、得られる情報は親密な人からの情報に比べて新しいことが多いことに基づいていると理解できます。誰とコミュニケーションすべきかについての重要な示唆を与えてくれる考え方だと思います。

組織の方向性・協働
組織の活動やアウトプットを、より上位の組織(会社全体)の方向性に合わせること、他の組織と協働することのためには、他の組織との間での目的・感情・価値観の共有、異なる意見を受け入れる組織風土、信頼関係、コミュニケーションなどが重要になるでしょう。イノベーションを担当するチームと社内既存組織とが協働してイノベーションをうまく進めるために、どのようなチームを作り、どのようにマネジメントを行うべきかについてはGovindarajanらによる提案[文献11]がありますが、基本的な考え方は上記のものと同様であるように思われます。

考察:なぜこういう考え方が必要とされるのか
以上、組織の特性と運営について、特に重要と思われる指摘をまとめてみました。研究グループのリーダーにとっては組織の形態は与えられているもので変更はできないことがほとんどでしょうから、その環境において最大の成果を挙げるために、組織の特性を理解し効果的に運営を行なう努力は重要であると考えられます。しかし、現実には、このような考え方は企業内部では一般的ではないかもしれません。研究開発や知識創造に関わりの少ない部署では、別のマネジメント思想があり得ますし、コミュニケーションや社内連携をしなくても仕事ができる部署はそうした必要性を認識していないかもしれません。また、多様性や冗長性は、ムダを排する効率優先の思想とは相容れない可能性もあります。

しかし、以下のような社会の変化を考慮すると、イノベーションの達成のためには、本稿に述べたような組織の運営を行なうことで、メンバーおよび組織の能力の発揮を狙うことは必要なことなのではないでしょうか。
・個々の技術が専門化して、個人の理解には限界があること
・技術が複雑化し、様々な要因がからみあって、未来の予測が困難になっていること
・技術の交流が活発化し、一旦確立した競争優位の維持が難しくなっていること
・技術的優位だけでは成功を得にくくなり、ビジネスモデルのイノベーションが求められること

要するに、これからの時代、イノベーションは天才的な一個人の活躍や、個人および研究部隊の努力だけでは実現しにくくなり、組織内外での協力、協働が不可欠になってきているのではないかと思います。しかし、個人や組織の高度な専門性がなければ、協力だけでは大きなイノベーションは期待できないでしょう。高度な専門性を確保しつつ、ここに述べたような点に注意して好ましい組織運営を行うことは、組織の構造によらず、イノベーション実現のために必要なことなのではないでしょうか。


文献1:野中郁次郎、遠山亮子、平田透、「流れを経営する――持続的イノベーション企業の動態理論」、東洋経済新報社、2010.
文献2:Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、ジョー・ティッド、ジョン・ベサント、キース・バビット著、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.
文献3:Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、野中郁次郎、竹内弘高著、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.
文献4:小林三郎、「ホンダイノベーション魂 第16回 自律、信頼、平等」、日経ものづくり、2011年7月号、p.103
文献5:Kim, W.C., Mauborgne, R., 2005W・チャン・キム、レネ・モボルニュ著有賀裕子訳、「ブルー・オーシャン戦略」、ランダムハウス講談社、2005.
文献6:Collins, J.C., Porras, J.I., 1994、ジェームズ・C・コリンズ、ジェリー・I・ポラス著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー」、日経BP出版センター、1995.
文献7:Collins, J., 2001、ジェームズ・C・コリンズ著、山岡洋一訳、「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」、日経BP社、2001.
文献8:三崎秀央、「研究開発従事者のマネジメント」、中央経済社、2004.
文献9:Scott E. Page, 2007、スコット・ペイジ著、水谷淳訳、「『多様な意見』はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき」、日経BP社、2009
文献10:Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.
文献11:Vijay Govindarajan, Chris Trimble, 2010、ビジャイ・ゴビンダラジャン、クリス・トリンブル著、吉田利子訳、「イノベーションを実行する 挑戦的アイデアを実現するマネジメント」、NTT出版、2012.


参考リンク

ノート目次へのリンク



目的工学とは

「目的工学」という考え方が提唱されています。その背景には、企業経営や社会において「目的」という概念をもっと重視すべきだという考え方があるようです。この考え方はイノベーションにも深く関わるようですので、今回は、紺野登著、「利益や売り上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか」[文献1]に基づいて、本書で説明される目的工学(Purpose Engineering)の考え方について考察してみたいと思います。

著者は、「はじめに――『目的工学研究所設立趣意書』に代えて」において、「21世紀は『目的(パーパス)の時代』になる。[p.1]」と予言しています。そして、「目的工学研究所の信じるところ」として、よい目的は、知識社会、知識経済を動かす触媒である、共通善に向けて進化・深化する、失望や諦めを希望に変えることができる。目的工学は、そのための方法論である、目的群と手段の調整、試行錯誤によって最大の効果を生み出す、現状打破や改革を起こす手段である、究極の目的である『幸福』に貢献することを目的とする、と述べています。[p.7-8

本書では、第1章~第7章で、「目的」の重要性と関連する要素が事例に基づいて考察され、最後の第8章が目的工学の具体的な実践の方法を述べた総括編となっています。以下、その要点をまとめます。

第1章、利益や売り上げは「ビジネスの目的」ではありません

・「目的と目標は別物。・・・目標は目的ではなく、むしろ目的を実現するための手段であり、マイルストーン[p.25-26]」。「目的は大目的と小目的の2階建てになっています・・・小目的は、一般的に大目的を実現するうえでクリアすべきものであり、多くの場合、複数存在します[p.39]」。「売上げや利益、株主価値といった財務業績にかまけている企業より、顧客やコミュニティを第一に考えて行動している企業のほうが持続可能性が高いと報告する研究は少なくありません[p.39]」。
・「人間には、だれにでも『だれかの役に立ちたい』『社会に貢献したい』という欲求が存在する[p.33]」。
・「われわれ目的工学研究所の結論はこうです。よい目的が、よい会社、よい組織、よい事業、よりリーダー、よい人間関係をつくる。その結果、よりよい未来が生まれてくる[p.43]」。

第2章、イノベーションは「よい目的」から生まれてくる
・「共通善としての目的を追求することで、利益も生みだされる・・・顧客にとっての社会的価値を実現すること以上の高みを目指すものであり、資本主義の次なるあり方を示唆しています[p.53]」。
・「現実世界の戦略は、不測の事態、事業環境の変化、社内外の事情など、さまざまな出来事が錯綜するなか、試行錯誤を通じて、再発見・再検討・再創造(これを『創発』といいます)されるもの・・・このミンツバーグの考え方は、戦略プランニングに対して『戦略クラフティング』と呼ばれています。実は、よい目的づくりも、よい戦略同様、クラフティングを通じて練り上げられていきます。[p.59-60]」
・最近の途上国でのイノベーションでは、共通善に基づき、クラフティングのアプローチによって実現された例がある。
・「失われた10年、いや20年は、何も政治家や政府の無策だけが原因ではありません。企業本来の目的をないがしろにして、計画と統制によって人々を利潤の極大化に駆り立てたことも、あらためて冷静に省みるべき原因です。その第一歩が『企業の目的』『ビジネスの目的』を問い直すことなのです[p.87]」。

第3章、コラボレーション、コラボレーション、コラボレーション
・「マイケル・シュレーグ氏によれば、人間同士のコミュニケーションから生まれてくる創造性こそ、コラボレーションに期待されていることにほかならないそうです。これこそ、分業とコラボレーションの決定的な違いです[p.90]」。「現在のように、既存の秩序が緩み、新たな秩序とせめぎ合う転換期においては、・・・常識やアンシャン・レジームにとらわれない視点や発想が新たな道を拓きます。その際、重要になるのが、組織の枠や業種を超えてさまざまな人たちが集まる、学際的な異分野コラボレーションです。集合知やオープン・イノベーションが注目されていますが、つまるところ、一人の天才的ひらめきよりも、大人数で知恵や意見を持ち寄ったほうが、よりユニークで、よりインパクトの大きいアイデアやイノベーションを、より短い時間に生み出せるという認識です[p.91]」。
・「コラボレーションには、創造性やイノベーションが期待されているわけですが、その前提条件となるのが、さまざまな『目的群を調整する』ことです。すなわち、それぞれ中身や方向性の異なる目的の持ち主たちを、より上位の目的によって包み込み、大目的へと向かわせるのです[p.99]」。

第4章、「コトづくり」をデザインする
・最近は、「ある目的を実現するために、あるべきコトを構想し、これをビジネスモデルに具体化し、ここにふさわしいモノ(手段)・・・を探したり、時にはすでにある資産を再活用すること」が求められている。「既存の資産や外部の知を、新しい視点やビジネスモデルで組み替えていくこと。これもイノベーションと言えるのです。[p.130-131]」
・「異分野コラボレーションを実現し、イノベーションの確率を高めるには、・・・『デザイン思考』が欠かせません。・・・頭のなかで処理される思考プロセスにとどまらず、さまざまな人や場所、モノとの相互作用など、身体的で実践的なプロセスを通じて、ダイナミックに知を形成するというものです。[p.144]」

第5章、さまざまな人材をつなげる組織
・「真のコラボレーションを実現し、それによって、これまでとは一味違うアイデアやユニークなイノベーションを生み出すには、各人が拠って立つ専門領域やシステム、コミュニティにおいて、自分と他者を分かつ『境界線』を越えて行動したり、新たな関係性を見出したりする必要があります。このような行動や行為を後押しする仕掛け、言い換えれば、相互作用やイノベーションを創発させる媒介のことを、『バウンダリー・オブジェクト』と言います。・・・場所(環境や空間)を変えることは、必然的に境界線を越えることになるわけですから、バウンダリー・オブジェクトの一種といえます。」[p.164-165
・「日本では、長らくイノベーションとはまれに起きるような技術革新だととらえられてきました。しかし近年それは従来とは異なる新たなアイデアややり方であり、ビジネスモデルを含んだ、持続的な価値の創出として理解され始めています[p.174]」。

第6章、「アポロ計画」に目的工学を学ぶ
・「売上げや利益などの数値目標が、職種や価値観が異なる人たちを一つに束ねる求心力になりえないことは、だれもがうすうす気づいているはずです。そして、実際そうです。そのためには、こうした経済的利益を超えた、高次元の目的が必要になります。[p.203]」

・「大目的がいかに社会的あるいは利他的なものであっても、メンバーや関係者の小目的はたいていバラバラです。そして、このように異なる目的群の調整が成功のカギを握っている以上、こうしたオーケストレーションのスキルと能力が不可欠です。ところが、ひとたび走り始めると、肝心の目的は脇に置かれ、予算やスケジュールの管理や経済的成功にかまけてしまうという例が少なくありません[p.205-206]」。

第7章、目的第一のマネジメント
・「トリニトロンと新幹線、そしてアポロ計画――。これらのプロジェクトをなぜ再評価するのか、その理由は、現在のように、何が正解かがはっきりせず、ブレークスルーを起こさない限り、先に進めない状況において、どのようにチームをまとめ上げ、どのようにプロジェクトを成功に導くのか、そのためのヒントが多数隠されていることです。・・・『部分の総和以上の力』を生み出す・・・マネジメントやリーダーシップの手本なのです。そして、人々の力を最大限引き出し、組織力として発揮させるには、それぞれの目的をオーケストレーションすることが欠かせません。[p.227]」

第8章、目的工学はこうして実践する[総括編]
・目的工学の2つの側面:1)目的に基づく経営、2)目的のマネジメント[p.232-238
・目的工学の基本哲学:アリストテレスの目的論。世界が運動し変化する4つの原因は、1)質科因(素材となるもの)、2)形相因(あり方を定めるもの、たとえば基本的デザインやビジネスモデル)、3)作用因(現実に作用するもの、たとえば技術やツール)、4)目的因(存在理由、たとえば究極の顧客価値や目的)。

・目的の種類とレベル:大目的(最終的には共通善の追求につながる)、駆動目標(中目的)(プロジェクトを駆動させる具体的な概念やスローガン、ミッション)、小目的(参加者の思いが結びつけられる技術上の目的、個人的な目的など)、タスク目標(個別具体的な達成目標)[p.242-248
・目的群の調整:大目的(共通善に向けて調整、小目的を調整する不動の軸になる、末端のだれかの発見から生まれることもある、リソースを限定しないことが重要)、駆動目標(中目標)(人々を奮い立たせる深みとメッセージ性が求められる)、小目的(個々人の思いや背景に根差した目的、より大きな目標に引き上げる)、タスク目標(技術に目的を与えるのは人間なので、技術を一人歩きさせてはいけない)[p.248-255
・実践的三段論法:実践的推論とは、目的と目的を実現する手段に基づいて、この行為を行なうべきであると考えて、目的と手段の関係を追求していく。手段を出発点として目的を選択する方法もある。[p.255-263
・プロジェクトマネジメント:①利他的あるいは社会的な問題意識で、究極的には共通善を目指したビジョンや大目的につながる主観に基づいてプロジェクトを立ち上げる、②自由度の高い(自律的な)チームの結成、③大目的を掲げるプロジェクト・オーナー、手段(技術)を担うプロジェクト・マネジャー、駆動目標や小目的を調整する現場のプロジェクト・リーダー、進捗を評価しその結果をフィードバックするアセッサーが必要、④当事者間で物語(ナラティブ)を共有する、⑤調整のための「場」を意識する(様々なレベルの目的を調整する場を活用する、⑥デザイン思考(大目的を追求しながら、みんなが達成できる駆動目標(中目標)を決め、それを軸にして場をつくり、リソースを集め、状況に応じて柔軟にプロジェクトを運営していく)[p.263-271
・仮説→総合→分析のプロセスを繰り返しながらデザイン思考でプロジェクトをクラフティングする。最初に計画を決定して実行するPDCAとは異なる。プロジェクト・オーナーによるおおまかな方向づけ→プロジェクト・マネジャーやリーダーによる全体の調整→アセッサーによる進捗の評価というプロセスと言い換えられる。[p.271
・よい目的のつくりかた:これまでになかった状態を創造する、卓越した理想状態にする、美徳に関する目的を考える[p.282]。
・場のつくりかた:場とは、「共有された動的な文脈、あるいは意味空間」。経験共有、対話、体系構築、実践と身体知化が行なわれる。フューチャーセンター(企業、政府や自治体などが、未来に関わる戦略や政策の実践を目的に据え、当事者やステークホルダーが議論や対話を通じて、新しいアイデアや解決策を発見・共有し、相互協力の下に実践する場)に期待できる。[p.283-291
・オープンな関係性づくり:個人と社会、企業と社会などのよりオープンな関係性、必要な能力や有形・無形の資産、さまざまなパートナーが有機的に結び付いたビジネス生態系(エコシステム)をデザインする。[p.292
・成果の評価:目的と手段の関係は状況に応じて変化するというダイナミックな前提に基づき、プロジェクトの要所要所でフィードバックを行い、改善や向上、メンバーの成長を促すツールとして形成的評価(進行中に行う評価)を活用する。[p.296
・リーダーに求められる能力:世のなかや関係者の多様な小目的群を調整し、大目的に根差しながら中目的に向けて実践するための知力――。とりわけ不確実で複雑な環境にわれわれが置かれた時、仮説を立て、社会と関わりながら行動を起こしていく、最初の実践的ステップに挑戦する意志力――。世界と真摯に向き合う態度が不可欠であり、トライアル・アンド・エラーの行動力が重要になる。[p.302
―――

このような目的工学の考え方は、企業戦略が壁に突き当たり、新しいイノベーションが求められている日本の状況では極めて魅力的な考え方のように思われます。特に、事業環境の不確実性が高まっていること、個人の価値観が多様化するなか、コラボレーションが求められていることが背景のポイントなのでしょう。不確実性に対しては、ポーターの競争戦略論のような計画重視の取り組みではなく、ミンツバーグのような試行錯誤を許容した戦略クラフティングが必要であり、コラボレーション実現のためには、共通善に基づくよい目的(個々人の多様な目的を調整できる)が必要である、ということと理解しました。

ただ、そうした考え方がどこまで正しく、どこまで期待してよいのかは、本書からははっきりわかりませんでした。特に技術者は、ある考え方に接した時に、「本当にそうか?」「なぜそうなるのか?」と考える人が多いと思います。成功事例の分析から、本書でいう目的工学的な傾向が導かれ、それがアリストテレスやドラッカーの哲学に合致するものだったとしても、それが「都合のよいところだけをつなぎ合わせたものではないのか?」「成功した後からそれが良かったとわかるような後知恵的な考え方ではないのか?」といった疑問を感じてしまいます。例えば、よい目的に基づいて始めたプロジェクトなのに失敗に終わった例はないのか、よい目的に基づいていないのに成功した例はないのか、目的自体よりも目的の実現方法の巧拙の方が重要なのではないか、といった疑問がすぐに思い浮かぶでしょう。ソビエトの共産主義や、日本の大東亜共栄圏の発想も、その時代においてはよい目的であったのではないか(そうでなければ、あれだけ多くの人を動かす力はなかったと思います)、新幹線がよい目的を持ったプロジェクトだったとしても、移動時間を短縮する意味では同じような意義があったコンコルドはどこが悪かったと考えるべきなのか、興味がある点です。

現実問題として、企業には利益や売り上げを第一に考える人はまだ多くいます。また、試行錯誤を嫌う計画重視の人々もいます。アリストテレスやドラッカーよりも自らの経験や、英雄伝が好きな人もいますし、人間は経済合理性のみに従って行動すると信じている人もいます。こうした懐疑的な人々をいかに動かせるか、それが現在の目的工学の課題のひとつのように思います。本書の目的工学の考え方でも行動のための作業仮説の意義は大きいと思いますが、さらなる発展のためには多くの人に受け入れられるようにすることも必要ではないかと思います。

肝心の大目的の設定のしかたについても、共通善や社会的意義の重要性はわかりますが、実際には、「できそうだ」という見込みを発案者が感じることも必要だと思います。本書に述べられた実践方法の各論はなかなか示唆に富むものではありますが、まだ体系的な方法にはなっていないように思います。今後、真に有効な手法を確立していく必要もあるでしょう。もちろんこれは、著者が「今回の出版は、試論として目的工学の可能性を世に問うものです[p.308]」と述べていることに対して、過剰な要求だとは思いますが、これからの社会や企業経営を変える可能性が感じられる目的工学への期待を込めて、より説得力を持った思想に仕上げ、効果的な手法をクラフティングしていっていただければと思います。実務家としても目的工学の発展に寄与できるかもしれないことは考えておいてよいかもしれません。

文献1:紺野登+目的工学研究所著、「利益や売り上げばかり考える人は、なぜ失敗してしまうのか ドラッカー、松下幸之助、稲森和夫からサンデル、ユヌスまでが説く成功法則」、ダイヤモンド社、2013.

参考リンク<2014.2.23追加>



フューチャーセンターとは

近年の社会問題など、複雑な問題の解決やイノベーション実現の方法としてフューチャーセンターが注目されているようです。今回は、フューチャーセンターとは何か、その考え方からどんな示唆が得られるかについて、野村恭彦著「フューチャーセンターをつくろう」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。ちなみに、著者は、「本書は、フューチャーセンターの思想と、『場の主宰者としてのあり方』を理解し、その具体化のための『対話とイノベーションの方法論』を体得・実践していただくことを目的に書きました[p.14]」としていますので、マネジメントに役立ちそうな実践的方法論も併せてまとめてみます。

フューチャーセンターとは

・「フューチャーセンターという名前を最初に使ったのは、スウェーデンのレイフ・エドビンソン教授[p.18]」。エドビンソン教授は、「未来の知的資本を生み出す場」として「フューチャーセンター」を考え、今では、欧州を中心に40以上のフューチャーセンターが立ち上がっている[p.21]とのことです。ただ、世界各地のフューチャーセンターが主にパブリックセクターで広まったのに対し、日本では、企業を中心に拡がっている点、注目されているのだそうです[p.25]。

・より具体的には、「組織を超えて、多様なステークホルダーが集まり、未来志向で対話し、関係性をつくる。そこから創発されたアイデアに従い、協調的アクションを起こしていく。そのための「つねに開かれた場」が、フューチャーセンター[p.157]」。

・「フューチャーセンターは、『対話のための専用空間』でもあり、『人と人とのつながり』でもあり、『企業や社会の変革装置』でもあります。フューチャーセンターで行われる活動は、私たちが『人として』社会や市場経済と向き合い、協力し合って変化を起こしていくための、本質的な対話と協調です[p.11]」

・「知的資本経営では、『現在の収益は過去の知的資本が生み出したもの』と考えます。当然、長期的な成長を行うためには、『未来の知的資本を生み出す活動』が必要になります[p.19]」。「知的資本は、人的資本・構造的資本・関係性資本の三つからなるといわれています。未来の人的資本は、『人の成長』であり、未来の構造的資本は、『ビジネスモデルなどのアイデアの創出』、そして未来の関係性資本は、『新しい人と人とのつながり』を生み出すことになります。[p.22]」

・「フューチャーセンターは、未来の不確実性に立ち向かうための装置にほかならない[p.22]」

・企業がフューチャーセンターに取り組む理由

レベル1:企業の中に対話の文化を育みたい

レベル2:組織横断でスピーディに問題解決できるようにしたい

レベル3:社外ステークホルダーとともにイノベーションを起こしたい

「興味深いことに、どのレベルの問題意識から入っても、結局同じようにレベル1から順にレベル3まで辿っていくことになります。[p.34]」

・「イノベーションを起こすのは、容易ではありません。新たな価値の発見のみならず、それを提供できるように、社内変革も同時に実行しなければなりません。社会的価値の理想像を掲げ続けることで、社内の意識が変わります。これこそ、イノベーションをねらったプロジェクトを成功に導くための必要条件なのです。[p.49]」「フューチャーセンターは、『創造的(クリエイティブ)』な発想でセクターの壁を超え、『対話(ダイアログ)』によってセクター間の新たなつながりを生み出します。そのつながりのなかで、企業と社会起業家が手を取り合って、一緒に社会と市場を変革し、新たな産業を生み出していくのです。[p.51]」

フューチャーセンターでどうやってイノベーションを達成するか

・フューチャーセンターの6つの原則[p.60-66]

1)思いを持った人にとっての大切な問いから、すべてが始まる:情熱のない問いは、何の変化も起こさない。社会的な共通善が必要。問いの質を高めるためには、つねに社会全体のことを考えて行動する。

2)新たな可能性を描くために、多様な人たちの知恵が一つの場に集まる

3)集まった人たちの関係性を大切にすることで、効果的に自発性を引き出す:できるだけ少ない人数に分かれて「傾聴」することで確実に関係性が深まる。参加者全員が相互に話を聴くことで、全員のポジティブなパワーを引き出すことができる。

4)そこでの共通経験やアクティブな学習により、新たなよりよい実践が創発される:時には「実際にやってみること」が、思いもよらないグッド・アイデアを生み出してくれる。

5)あらゆるものをプロトタイピング(試作)する:仮説の段階でそのコンセプトの完成度を高めるよりも、とにかく目に見えるかたちに表現してみる。絵でも、コラージュでも、システム図でも、物語でも、何でもかまわない。

6)質の高い対話が、これからの方向性やステップ、効果的なアクションを明らかにする:アクションプランは「やらねばならないこと」であることが多く、往々にして、「なぜそれをやらねばならないのか」が共有されていない。質の高い対話が生みだすものは「一緒にやりたいこと」。お互いの状況を深く理解していれば、効果的なアクションをとることも難しくない。

フューチャーセンターの構成

・「フューチャーセンターには、ファシリテーター、方法論、空間、ホスピタリティの4つの要素が必要です。[p.160]」「ファシリテーターとしてのスキルを磨くには、通常の会議のファシリテーション、個人や組織の想いを引き出すコーチングなどの手法が役立ちます。[p.160-161]」、「フューチャーセンターを実現するうえでの切り札であり、またフューチャーセンターのユニークさでもあるのが、空間とホスピタリティです。創造的な空間、参加者をあたたかく迎える演出は、『いつもと違う対話とアクション』へと人を向かわせるパワーを持っています。[p.162]」

・フューチャーセンターの方法論[p.78-79]:

1)対話:相互理解・信頼の関係性を構築する、異質から気づきを得る、内省や志向を深める。たとえば、ワールドカフェ、OST、AI、フィッシュボウルなど。

2)未来思考:複数の未来シナリオを想定する、未来からバックキャストする。たとえば、未来スキャニング、シナリオプランニング、フューチャーサーチなど。

3)デザイン思考:体験から学ぶ、作りながら学ぶ、形にしてみることで改善し続ける。たとえば、ユーザー観察、ブレインストーミング、経験プロトタイピングなど。

・フューチャーセンター・ディレクター:「フューチャーセンター・ディレクターは、フューチャーセンターのミッション、扱う問題の領域を決めます[p.67]」。「フューチャーセンター・ディレクターは、強い『想い』を持っていなければなりませんし、また他人の『想い』を引き出し、『パワフルな問い』を立てられる人でなければなりません。・・・必要な特性をあげるならば、情熱、好奇心、共感力、それらを統合した人間的魅力でしょう[p.68]」。「あらゆるフューチャーセンター・ディレクターが、ファシリテーター、方法論、空間とホスピタリティのすべてに目を配り、調和された場づくりを指揮します[p.163]」

フューチャーセンター・セッションの実行

・フューチャーセンター・セッションとは、論理的分析だけでは解決できない複雑に絡み合った問題に対して、『対話』と『未来思考』と『デザイン思考』の力でブレークスルーする場[p.80]」

・フューチャーセンター・セッション設計の5ステップ[p.82]:

1)視野を広げてテーマを設定:従来の常識から離れる、過去、未来にスケールを広げて課題設定する。社会的なテーマに広げて課題設定する。

2)多様性を確保して人集め:ステークホルダー(専門家、生活者)に注目、専門性の違う人を選ぶ、横断的(企業、部門、チーム横断)に人を選ぶ。

3)非日常を演出:日常を持ちこまない、非日常の経験を演出する(目を見開かせる、思いがけないこと、くつろげる雰囲気、面白み・遊び)。

4)主体性を引き出す運営:テーマへの深い共感を得る、参加者が相互に認め合う雰囲気をつくる、一つの答えを出すことにこだわらない。

5)参加者全員の深い気づき:実行への期待を高める、議事録で感情を含めた物語を伝える、過去の対話に立ち戻れる仕掛けを用意する。

・「自らの視野と経験の拡大により、まったく異なる立場から発想できるようになります。異なる立場の人と共感し、異なる立場の人の行動を変えることで、イノベーションが生み出されます。[p.159]」

ファシリテーターに求められる能力

・「フューチャーセンター・セッションの成功のカギを握るのはファシリテーター[p.88]」

・求められる7つの仕掛け[p.90-92]:1)セッションに招待するゲストに「なぜあなたに来てほしいか」を事前に伝える、2)この人の情熱はすごい、この人の考え方に触れたいと思えるような、あこがれの人を招く、3)どんな参加者に対しても深い愛と傾聴で対応する、4)板書によるリ―タシップ、5)付箋を使って参加者の主体性を引き出す、6)セッション終盤に内容を整理して示す、7)セッション終了後、結果を整理してフィードバックし、参加者の貢献とセッションで得られた洞察の大きさを讃える。

・テンションのコントロール:「テンションはネガティブになると『緊張感』となり、ポジティブになると『張り』になります。」『緊張感』を下げ、『張り』を高めることに注意。[p.92-95]

フューチャーセンター設計ガイドライン

・設計ガイドラインは、フューチャーセンターの6原則に対応した、原則実現のためのノウハウやアイデアの方向性。[p.104-114]

1)信頼感:「テーマを提起する人が、この問題を語るにふさわしい人だと参加者の誰もが思えれば、セッションに対する信頼感は高まります。・・・もう一つの要素は、ファシリテーターの示す情熱です。ファシリテーター自身が『この場に集まった人たちには、この問題を解決する力がある』と信じ、そして『必ず創発を起こす』という強い意図を持っていることが、場に大きな影響を与えます。ファシリテーターの示す『場への信頼』が、参加者にとてつもなく大きな信頼感を与える」

2)多様性:「『多様であることをパワーに変えていく力』が必要」、「空間もファシリテーションも、『インクルーシブ(除外されてきた人々を包含する)』にデザインされている必要」がある。「『違いから学ぶ』ことを体感することも大事」、「階層を感じさせないこと、さらには階層間での学び合いを積極的に促すことが必要」

3)関係性:「関係性を大切にしていることを表現するためには、『お迎えの仕方』が大切」「問題解決より先に、人間関係を大切に」

4)全体性(共通体験、アクティブな学習):「そこに来た人たちが、お互いの間に壁を感じることなく、全体で一つの場をつくれるようデザインされるべき」、「少人数での対話の機会をつくることによって、逆に全体性が感じられる」

5)可視性(プロトタイピング):「一つの正しい答えを論理的に導くのではなく、たくさんの仮説を形にしていきます。」「現れたアイデア一つひとつをしっかりとつかみ取ることが大切」

6)安心感(質の高い会話):「自己との対話をしっかりと行うためには、安心な場が必要」、「他人が自分を攻めたり、揚げ足をとったりしない場なのだという安心感をしっかりと確認することに、大きな価値がある」

高質な「対話の場」(よい場)の条件[p.117-131]

・美しい場所、意味のある場所、外部に開かれている、おもてなし(ホスピタリティ)で参加者の期待感を高める、参加者全員を『唯一の特徴を持った人』として『主役』になってもらい、適切な『出番』を持ってもらう。

フューチャーセンターによる変革

・アクションにつながる要因[p.140-141]:1)課題提起者が本気であること、2)実行力を持った参加者がいること、3)ファシリテーターが強い意志を持って関わること

・日本企業のイノベーションプロセスの提案[p.144-145]:「未来シナリオは、日本企業に合ったやりかたです。なぜなら、シナリオプランニングは複数のシナリオを提示して、それらに備えるかたちでアクションを決める方法論なので、意思決定者にとっては、説明責任が果たせて安全だからです。」「つまり、日本企業のイノベーション・プロセスは、次のように考えればよいのです。まずデザイン思考のプロセスで洞察を得て、そこからたくさんのアイデアを出していきます。続いてそのアイデアをベースに、未来思考で複数のシナリオを作成して、全員のコンセンサスを得る。そしてさらに、対話の方法論によって意思決定者、協力者、顧客などを巻き込み、一緒にコンセプトをつくり上げていきます。合議制の日本型組織でも、これら3つの方法論を組み合わせれば、イノベーション・プロセスを回していくことができるでしょう。」

・「ビジョンや戦略で人を動かすのは難しいことですが、新しい人とのつながりは、一瞬にして人の行動を変えるのです。[p.156]」

―――

以上が、私が重要だと感じた点ですが、本書では必ずしも体系的にまとまった形で書かれているわけではないように思われました。おそらく、著者が「ぜひ一回、実際にご自分で開催してみてください。あるいは、他の人が主催するフューチャーセンター・セッションに参加してみてください[p.86]」と言っているように、体験してみることが必要なのかもしれません。また、フューチャーセンター活動はその歴史も浅いため、上記の方法で本当にうまくいくのかどうかが実績で証明されているわけでもなく、どんな場合に効果があるのかが明確になっているわけでもありません。しかし、現在の経営に行き詰まりを感じているのであれば、フューチャーセンターの不確実性を懸念して何もしないことよりも、可能性に賭けてみるという発想も必要ではないでしょうか。本書の考え方は確立された絶対的なものとしてではなく、一つのアプローチとしてまず使ってみることが重要なのだろうと思います。

加えて、マネジメント面での有意義な示唆も含んでいるように思います。特に、フューチャーセンターの考え方と、野中郁次郎氏らによる知識創造理論の関係が興味深く感じられました。フューチャーセンターには、「場」の創造、賢慮型リーダーシップ、共通善、組織的な知識創造、多様性の重視など、野中氏の理論でも重視される概念が活用されています。野中氏の理論は、使う立場からするとわかりにくい面がありますが、それに対して、本書に述べられたフューチャーセンターの考え方は、知識創造理論の一面を具体的に実践しやすい形に再創造しているとも考えられるように思います。

また、他者との協働によりイノベーションを達成する手法は、オープンイノベーションとも関連すると言えるでしょう。ただし、単に仕事の一部を他者に担当してもらう、というような相互補完的なオープンイノベーションでは、フューチャーセンターのような深いレベルでの協働はできないように思われます。オープンイノベーションの真価を発揮させるためには、単なる分業ではなく、フューチャーセンターの特徴である対話や信頼、主体性などを重視した協働を行う必要があるのかもしれません。

なお、本書では、フューチャーセンターの役割として、社会的な問題の解決が主眼となっているように思われます。企業にとっても、そうした社会的問題の解決に貢献することは意義深いことではありますが、企業の第一線の研究者、研究マネジャーにとっては、やや縁遠いようにも思われます。ただし、フューチャーセンターで用いられる手法は、企業内における研究マネジメントでも活用可能ですので、対話、多様性、信頼、主体的行動の促進、デザイン思考など、フューチャーセンターの考え方を支える基本思想の有効活用を心がけることは重要でしょう。

今後、フューチャーセンターの活動が活発になってくれば、様々な問題点も顕在化してくるかもしれません。実際には、本書に示されたフューチャーセンターの姿もひとつのプロトタイプとして考え、様々な場面でその方法論を進化、発展させていくことが必要になるのだと思います。しかしその過程では、当初想定していなかったようなフューチャーセンターの優れた点が創発してこないとも限りません。イノベーションに関わる一つの重要な動きとして今後も注目していきたいと思います。



文献1:野村恭彦、「フューチャーセンターをつくろう 対話をイノベーションにつなげる仕組み」、プレジデント社、2012.

(参考)野村恭彦、「フューチャーセンターをつくる!」、PRESIDENT Online2011.12.29-2012.4.19、全17回:本書のかなりの部分の内容が読めます。

http://president.jp/subcategory/%E3%83%95%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8B%EF%BC%81


参考リンク<2013.8.18追加> 





 


 

「知識創造経営のプリンシプル」(野中郁次郎、紺野登著)より

野中氏らによる「知識創造」の考え方については、本ブログでも何回か取り上げてきましたが、非常に重要な示唆が多いと感じられる半面、難解な概念が多く、活用が難しいという印象も持っていました。そんな中、新たに発表された「知識創造経営のプリンシプル」(野中郁次郎、紺野登著)[文献1]は、「知識創造経営のための『ワーキングガイド』」として「実践的に理解するために、関連する諸々の断片的な概念をある程度まとめておきたい、そして体系的に総括・綜合しておきたい」、「21世紀の社会経済という文脈に、知識創造経営を再度置き直してみる」という2点を狙いとして書かれた本ということであり[p.v-vi]、期待を持って読みました。本稿では、その内容について、知識創造理論を使う立場からのまとめを試み、私なりの理解を述べさせていただきたいと思います。なお、本書の広範な内容のすべてをご紹介できていない点はご容赦ください。

知識創造経営の位置づけと意義

まず、著者らは、「知識社会化した資本主義社会において経済的価値を生むにはどうするか」[p.1]というドラッカーの問いから始め、近年の社会の変化を考察した上で、「21世紀の新たな社会経済状況の中で従来の戦略論や組織論には行き詰まり感がある。これに対する、知識社会経済における経営の考え方が知識創造経営であるといえる。[序章、p.26]」、「世界が新たな資本主義に向けて暗中模索を始めている。こうした中で、求められるのはいわば『人間中心の精神・価値観』に基づいた経済や経営のあり方である。それは賢慮(共通善実践のための智慧)に基づく資本主義(prudence-based capitalism、プルーデントキャピタリズム:より一般的にはワイズキャピタリズム)ではないかと考えている。それは人間中心の、実践的賢さを重視する経営だ。[p.vi-vii]」、「知識創造経営は、脱工業社会あるいは知識社会の経済に対応した、①個の知識と能力、②個と個の交わる『場』を『基本単位』とする経営モデルである」[p.44]と述べています。さらに、イノベーションとの関係について、「経済価値の多くは、ノウハウ、特許、著作権、ブランド、さらには背後にある開発力やイノベーション(新たな知識創造)力によって生み出される。我々はこれらの知を『知識資産』と呼ぶ。知識創造経営は知識資産によって価値を生み出す経営である。[p.64]」、「イノベーションとはこれまでになかった関係性によって知識資産を生み出し、組み合わせ、事業価値に変換することである。知識資産の価値を高めるために企業が行うべきことは、高質な知識創造プロセスの構築である。[p.67]」と述べていて、知識が生まれる現象への理解だけでなく、知識創造に基づく経営手法の構築も視野に入れた議論が展開されています。

実践のための基本則(プリンシプル)

その上で、著者らは、実践において大事になると思われる要素として10項目を挙げ、さらにその共通項を以下の3つにまとめています。[p.viii-ix

・共同体あるいはエコシステムにおける企業や顧客、パートナーなどの関係性を基盤とすること

・その起点としての「場」、すなわち間身体性あるいは相互主観性

・目的を追究して意味や価値を形成していこうとする意識に基づく生命論的な人間力

これだとややわかりにくいと思うのですが、要するに、周囲との関係を考慮すること、人が集まることで互いの知識を体感し深く理解すること、人間にとって重要な目的を意識すべき、ということと個人的には理解しました。おそらく上記の点を大切にすることで、知識の出会いによる知識創造の可能性を高め、周囲を動かし、実践につなげやすくできる、ということではないでしょうか。以下、10のプリンシプルのそれぞれをまとめます。

1、場(あるいは間身体性)に基づく経営

「場は『共有された動的な文脈あるいは意味空間』と定義される[p.27]」ということですが、「知識創造経営の起点となるのは、場における認識、経験、知識の獲得である。場は我々の経験の起点であり、身体性(embodiment)に基づくものである。[p.47]」という表現の方がわかりやすいかもしれません。間身体性の意味はややわかりにくいですが、「たとえば、相手をコントロールしようとしたり、命令に従わせようとしたりしても、人や組織は動かない。共通の考えを持ったり、経験をしたり、一体感を感じることで初めて内発的に人は動き始める。こういったときの根底にあるのが、相互主観性(間主観性ともいう)である。[p.29]」であって、「メルロー=ポンティは、相互主観性の本質は身体感覚に基づいて相互に浸透することで生まれる関係性、つまり間身体性(inter-corporeality)だと解釈した。[p.29]」、さらに、「身体的な認知活動とは、すなわち個々人が社会的に、他者との交わりを通じて暗黙知を獲得するプロセスである[p.48]」という説明からなんとなく理解できるように思います。著者は、実際にどの程度の他者との交わりが必要なのか(例えば、バーチャルな交流でよいのか)についてははっきりと述べていないように思いますが、ミラーニューロン(「他者の行動を見て、まるでわが事のように感じる共感能力(empathy)を司っているとされる[p.49]」)の重要性を指摘していることを考えると、直接会って交流することを重視しているように思われます。

2、実践的方法論に基づく経営

著者らは、知識創造経営の方法論として、「論理分析的アプローチとは異なる、実践主義的な思考の重要性を指摘したい[p.51]」と述べています。「いわゆる『複雑な問題解決』に対しては、分析と意思決定科学だけでなく、洞察や判断など、直観や人間知の動員が求められる。[p.52]」、「専門家が分析すれば問題が解ける、という時代は終わりつつある。(中略)今求められるのは、現場視点を持ったクリエイティブで発見的な分析だ[p.51-52]」、と述べ、ミンツバーグの「創発戦略」、デザイン思考における(ラピッド)プロトタイピング、アジャイルスクラムなどの実践的思考の例を挙げています[p.53]。「仮説的に知の創造と適用をインタラクティブにかつ段階的に進めていくやり方[p.54]」ともいえるでしょう。

3、知識創造理論に基づく組織プロセス

「市場は単に企業の外的環境として捉えられるのではない。(中略)企業は市場という生態系の一部として存在するという考えがますます重視されるのが知識社会経済、そして知識創造経営である。[p.70]」「組織的知識創造とは、組織が個人・集団・組織全体の各レベルで、企業の環境から知りうる以上の知識を、新たに創造(生産)すること[p.77]」。「知識創造のプロセスは暗黙知と形式知の相互変換[p.77]」。暗黙知と形式知の相互作用は、共同化(暗黙知から新たに暗黙知を得る)、表出化(暗黙知から形式知を得る)、結合化(形式知から形式知を得る)、内面化(形式知から暗黙知を得る)という4つのプロセス(SECIプロセス)で表わすことができる[p.77]。さらに、「直接経験を通じて環境における現場での現実に共感し(=共同化)、気づきの本質をコンセプトに凝縮し(=表出化)、コンセプトを関係づけて体系化し(=連結化)、技術、商品、ソフト、サービス、経験に価値化し、知を血肉化する(=内面化)、さらに、組織・市場・環境の新たな知を触発し、再び共同化につなげる[p.79]」、という具体例を示しているのはわかりやすいと思います。


4、戦略の物語的アプローチ

「伝統的に行われてきた戦略策定では、客観的な事業環境分析に基づいて課題を抽出し、指針を提示・指示する。しかし、(中略)現実の組織の現場では、行動すべき人々の気持ちがこれに参加しないので動かない。戦略と実践の間には大きな隔たりがある。[p.96]」、「人間は社会で協力関係を維持するとともに、他者との利害を調整しなければならない。(中略)共有される目的が共通善[p.99]」、と述べ、「知識創造経営の従来の経営との大きな違いは、(中略)共通善の追求といった目的を問う点である。[p.102]」としています。そして、「戦略やその計画を文書で配布しても、それは形式知にしかすぎない。戦略が組織を前進させる『知力』となるには、暗黙知つまり身体のレベルで共有理解されなければならない。そのために、暗黙知を大きく失わずに知を伝達できる形態としての物語に注目する。[p.107]」ということです。

5、実践的三段論法による実践的戦略思考

戦略の実践において有効な思考が実践知とされます。「意志決定ツリーに基づいて、相対的な数値の大きさや確率で方向を決める、という単純な比較が難しい、社会的価値判断や経営者や企業としての独自の価値判断が求められる複雑な問題に対処するのが実践知である。それは共通善に向けた価値基準を持って、個別のそのつどの文脈の只中で、なすべき実践(プラクティス)のための最善の判断ができる智慧であるといえる。[p.123]」。そうした実践知(フロネシス)の方法論として、実践的三段論法があり、「実践的三段論法では、目的があり、そのための手段があったときに、実行をすべきか、という判断を行なうという我々の日常的思考を表わしている。(中略)このように、実践的三段論法は必ず実行・実践を伴う。[p.129]」、「我々はすべては仮説であるという態度を持たなければならない。法則、理論などもすべて仮説であり、『知識は半分しか真でない』。(中略)我々はこうした仮説を用いながら、実践的な推論と判断をしていくのである。[p.131]」、と述べられています。

6、リーダーシップにおける賢慮のサイクル

「賢慮とは、個別具体の場において、その状況の本質を把握しつつ、同時に全体の善のために最良の行為を選び実践できるためのリーダーの智慧[p.148]」。それは6つの実践の行動サイクルすなわち、1)「善い」目的を作る、2)場をタイムリーに作る、3)ありのままの現実を直観する、4)直観の本質を概念に変換する、5)概念を実現する、6)実践知を組織化する、で示すことができ、「トップや特定のエリートに実践知が埋もれているままではいけない。彼らの実践知を、実践の中で伝承・育成し、組織的に自律分散型フロネシスを練磨することが必要だ。それを『集賢知』と呼ぶ。[p.149-161]」、とされます。

7、非ヒエラルキーの組織、ワークプレイスのデザイン

「知識創造経営においては、ヒエラルキー(階層的組織構造=一極集中あるいは官僚制、ビューロクラシー)に基づかない自己創出的組織と、それに適応した『ソーシャルリーダーシップ』(社会的関係性を創出するリーダーシップ)からなるオートノミー(自律的組織構造=自律的で分散的)の形態が望ましいと考えられる。なぜなら、我々は組織の成員を、指示命令に従って情報処理業務を行うホワイトカラーのモデルではなく、個が自律的に場を形成して知識創造するナレッジワーカーのモデルを通じてみるからである。[p.178]」、「基本となるのは、特定の業務のためや顧客価値を生む深い知識資産を、サイロ化を避けつつ、柔軟に活用できるようにする構造の創出にある。[p.195]」、「今後の組織設計においては、『場』における実践(プラクティス)についての理解とコンセプトがカギを握る。それは現場がどのような実践を行うかのモデル、仕事の仕方(ワークウェイ)などに基づくものである。[p.198]」、ということです。

8、顧客価値と知識資産の関係性としてのビジネスモデル

「ビジネスモデルとは、顧客にとっての価値を提供し、利益の流れを生み出すための内外の資産や能力の関係性を表わすロジック[p.214]」。「モノではなく、知の流れで経済的価値が生まれる[p.214]」。「コトが価値を持つ時代になると、ただモノを売っていただけでは利益が生まれなくなる。[p.222]」、「ビジネスモデル・イノベーションの課題は、知(知識資産)を利潤の流れに変換することである。顧客価値の実現のためには、さまざまな資源(知識資産)とパートナーとの関係性など、ユニークな関係性の創出が求められる。それは分析的作業からは出てこない。[p.218]」、「試行錯誤、反復的修正、プロトタイピングによるフィードバックが不可欠である。我々は論理分析的にビジネスモデルを構築しようとせずに、現場での具体的洞察や創造性の発揮を通じてビジネスモデルをデザインしなければならない。[p.219]

9、市場知と技術を融合する方法論としての知識デザイン

「技術は重要だが、科学的技術知に市場・顧客の知、組織の知を組み合わせなければイノベーションにはならない。[p.239]」、「イノベーションとは、革新的な技術あるいは革新的な方法による技術の活用と、提供者のシステム、ユーザーの利用や消費の形態(行為や行動)の革新を通じて、顧客の問題の解決や新たな創造的な社会的関係性を創出することである。イノベーションの実現のためには、顧客の現場からの洞察や顧客との協調・協働が基礎となるだろう。そこで、デザインアプローチの重要性が最近指摘されている[p.243]」、「デザイン思考が志向するのは、『コモディティ+付加価値』(モノの価値)とは異なる、『人間的価値』(本質的コトの価値)の追求である。[p.245]」、「デザインは、『エンジニアリング』に象徴される論理的・分析的・効率的な理性的思考とは異なる、直観的・統合的・創造的な身体的・感覚的思考を代表している。デザインは人間の視覚的な能力と形態創造の能力(形にする力)を背景に持った『知的な方法論』である。[p.249]」、「知識デザインの基本的な作用は、従来からあった社会や技術の関係性をいったん脱構築し、顧客あるいは人間の視点から再構成して、価値や便益をもたらすことである。知識デザインはイノベーションのための『新結合』を支え、深めるものだ[p.249]」、「知識のデザインとは、現場から顧客の状況を把握し、仮説を設定してコンセプトに綜合し、プロトタイピングと実践を繰り返しながら顧客の問題を解決する行為[p.254]」。

10、人間中心の市場空間としての都市

「人々のアイデアや知識の交わる『場』がグローバル経済の要となる。それはすなわち『都市』である。[p.291]」、「今後は、国家を1つのユニットと捉える呪縛から解き放たれ、地域コミュニティや、国家を超えたコミュニティにおいて、共通善の実現のために共同体の境界の内外の構成員が、内発的な動機づけの下、『知』を結集してイノベーションを起こすという発想が未来を拓くだろう[p.321]」。「岩井克人氏は、(中略)経営者や従業員の知こそ最も獲得しがたい資産であり、それらを育てる企業文化などの重要性を示唆している[p.322]」。

---

以上が私なりのまとめです。知識創造理論については、従来発表されてきた概念の本質的な部分のみが抽出され、体系的に整理されているように思いますので、かなり理解しやすくなっているのではないでしょうか。本書では、知識創造理論についての考え方の他にも、従来の経営理論や哲学、最新の考え方や試みについても評価が加えられており、そうした点も大いに参考になりますので、知識を実践的に用いるためのワークブックとしての価値は非常に高いと思います。

私にとって従来、知識創造理論が使いにくく思われていた理由は次の2点でした。

・知識創造理論は非常に正しそうに思われるけれども、本当に有効な理論だという証拠はあるのか。

・知識創造理論では、知識創造が行われるプロセスやいかに知識創造を行うかについては述べられているが、何に取り組めばよいのか(具体的に言えば、何を研究テーマとすればよいのか)がはっきりしない。

もちろん私もこのような問題について明確な回答を得ることは不可能だと思っていますので、回答が示されないこと自体には何の不満もありませんでした(かえって、こんな複雑な問題に明示的な回答がある方が胡散臭い)。しかし、上記の疑問に対して何らかのヒントはないものか、という願いを持っていたことも事実です。これに対して本書では、現在の社会経済状況に対して今までの経営理論が効果的に機能していないこと、それに比較して知識創造理論には可能性があることが述べられ、理論の有効性を受け入れやすくなったと思います。また、何に取り組むべきか、という課題に対しては、「共通善」を基礎にすべきという基準が示された点が意義深いと思います。もちろん、共通善という考え方からただちに明日の研究テーマを導くことははっきり言って不可能ですが、例えば研究テーマを分析的に考えだすのではなく、例えば組織的知識創造プロセス(SECIモデルなど)を使って研究テーマを発想し、それを共通善という篩にかけて有望なテーマを選び出す、という創発プロセス(当然、研究テーマが知識創造プロセスの過程で変わってしまってもかまわない)を利用したテーマ設定の方法も可能ではないか、と思い至った点、有意義だったと思います。本書によって、知識創造理論は間違いなく使いやすくなったと思いますがいかがでしょうか。



文献1:野中郁次郎、紺野登、「知識創造経営のプリンシプル 賢慮資本主義の実践論」、東洋経済新報社、2012.



本ブログ参考記事

「流れを経営する」を読む2012.3.25

フロネシス(賢慮)と研究開発2012.1.29

「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想2011.3.21

創造性を引き出すしくみ2010.10.24

参考リンク<2013.1.14追加>



 


 


 

「流れを経営する」を読む

野中郁次郎、遠山亮子、平田透著、「流れを経営する」[文献1]を読みました。野中氏の知識創造理論に関連した話題については今までにも何度か取り上げていますが(創造性を引き出すしくみ、「イノベーションの知恵」感想フロネシスと研究開発)、多くの示唆に富むものの、難解で使いにくいというのが実感でした。しかし、その知識創造理論の集大成とも呼べる本書では、理論を構成する様々な概念が整理され、関連づけられてまとめられていて、今まで感じていたわかりにくさがかなり解消された気がします。知識創造理論について考えるなら、そしてその理論を使ってみたいなら、まず参照すべき一冊と言えるでしょう。

さて、本書は当初、2008年に英語で出版された同じ著者による「Managing Flow - A Process Theory of the Knowledge-Based Firm」の日本語版として着想されたもの、とのことですが、単なる翻訳ではなくかなり異なった内容になっている[文献1、p.ix]とのことです。本書の英語題名は「Managing Flow - The Dynamic Theory of the Knowledge-Based Firm」と、原著とは少し変わっており、本書の方が発展した内容となっていると考えてよいと思います。なお、本書では「持続的イノベーション企業の動態理論」という副題がついていますが、Christensenが「イノベーションのジレンマ」[文献2]で提示した「持続的イノベーション」の概念とは関係がないと思われます(持続的成長を可能にするイノベーション企業、といった意味かと思われます)。

本書の構成は次のとおりです。第1章が知識の定義と特性、第2章が暗黙知と形式知の相互変換により知識が創造されるプロセス、第3章が組織において知識が創造されるプロセスについてのモデル、第4章が知識創造を促進するために必要なリーダーシップ、第5~9章が日本企業の具体的な事例に基づく知識創造理論についての解説、終章が総括と提言[文献1、p.viii]、となっています。本稿では事例以外の部分(1~4章、終章)を中心に重要な知識創造理論の考え方をまとめてみたいと思います。

第1章:知識について

知識の定義は「個人の信念が真実へと正当化されるダイナミックな社会的プロセス」[文献1、p.7]とされます。これは「知識の重要な特性はその絶対的『真実性』よりむしろ対話と実践を通して『信念を正当化する』点にあるとの考えに基づく」とされています。そして、知識に関する重要なポイントとして、次の点を挙げています。

・主観性:排除不可能であるから主観を排除しないのではなく、むしろ価値観や信念などの主観的要因を積極的に組み入れる。客観を無視することではない。[文献1、p.8-12

・関係性:「世界は相互に関係するプロセスや出来事の連なりからなる有機的な網であり、すべては関係性の中にあると見る」プロセス哲学の視点に基づく。「世界は『モノ(thing/substance)』ではなく、生成消滅する『コト』すなわち『出来事(event)』によって構成される」のであって、知識を物体のように固定されたものとして扱うべきではない。「変化する態様を『動詞』、一定の形に固定された場合を『名詞』と表現するならば、動詞的知識を製品として名詞化し、さらにユーザーにより名詞が動詞化されるという『名詞(モノ)-動詞(コト)』の相互変換プロセスとなる。「人は常に未来の自分へと『成る(becoming)』状態にあり、現在の自分としての『ある(being)』状態は『成る』の一側面にすぎない」。「知識創造のプロセスとは、知識ビジョンなどの『どう成りたいか』という目的に動かされた成員が、互いに作用しながら自身の限界を超えて知識を創造することにより将来のビジョンを実現させるプロセス」。[文献1、p.12-16

・審美性、美学:「知識は人の信念から創造されるが、信念が知識となるには真実として正当化されなければならない」。「真は美によって価値あるものと見なされる」。「審美的な感性は、創造された知識についての判断をするために必要なだけでなく、どのような知識を創造すべきかを判断するためにも必要である。われわれは、自分の価値観や信念に基づいて知識を創造する。」[文献1、p.17-18

・実践:「知識ベースの経営論は、企業が置かれた個別具体の状況の中での実践から出発し、そうした実践の中から知識を創造するプロセスと、知識を創造する能力が形成されるプロセスを説明するための理論とフレームワークを確立しようとするものである。」[文献1、p.20

以上をまとめるならば、知識は「個人の主観的な思い・信念や価値観が、社会や環境との相互作用を通じて正当化され客観的な『真実』になるプロセス」[文献1、p.20]ということになるでしょう。

第2章:知識創造の理論

・「暗黙知とは、特定の状況に関する個人的・経験的な知識であり、具体的な形に表現して他人に伝えることが難しい」「と同時に、新たな経験を積み重ねることによって常に変化していく知」。「形式知とは明示的な知であり、言葉や文章や絵や数値などにより表現が可能で、他人にもわかりやすいような形式的・論理的言語によって伝達可能な知識」。「ダイナミックに動いている『動詞的』な暗黙知があり、それを具体的な形として『名詞化』(固定化)したのが形式知。[文献1、p.24

SECI(セキ)モデル:SECIモデルについては別稿でも簡単に紹介しましたが、著者の言葉でまとめておきます。[文献1、p.28-42

「暗黙知と形式知の継続的な相互変換は、『共同化』『表出化』『連結化』『内面化』という四つの変換モードからなる知識創造モデルによって表わされる。

共同化(Socialization):身体・五感を駆使、直接経験を通じた暗黙知の獲得、共有、創出(共有)。自然環境との相互作用や他人と共通の時間・空間を過ごす体験を通じ、個人の暗黙知が複数人の間で共有され、さらに異質な暗黙知が相互作用する中から新たな暗黙知が創発されていく。

表出化(Externalization):対話・思索・喩えによる概念・図像の創造(概念化)。表出化は個人知である暗黙知を形式知にすることにより、集団の知として発展させていく。

連結化(Combination):形式知の組み合わせによる情報活用と知識の体系化(分析・モデル化)。表出化によって集団の知になった言語や概念が具現化されるためには、概念と概念を関係づけてモデル化したり、概念を操作化・細分化するなどして、組織レベルの形式知に体系化する。

内面化(Internalization):形式知を行動を通じて具現化、新たな暗黙知として理解、体得(実践)。共有化された知識は、再度個人に取り込まれ、暗黙知化されて、もともと持っていた知識と結びついて新たな知となり、その個人の中に蓄積されていく。

スパイラル:知識創造の過程は、SECIプロセスの中で増幅され、拡大発展していくスパイラル。

第3章:プロセスモデルの構成要素

知識創造を行なっている企業の動態モデルは、SECIに方向性を与え、SECIを回す力の源泉となる「知識ビジョン」と「駆動目標」、「対話」と「実践」で表わされたSECIプロセス、現実にSECIプロセスが行なわれる実存空間としての「場」、SECIプロセスのインプットでありアウトプットである「知識資産」、そして場の重層的な集積であり、場の境界を規定する制度を含む知の生態系としての「環境」の7つの構成概念で表わされる。

・知識ビジョン:企業は何を「真・善・美」とするかについての一貫した価値基準を持たねばならない。知識ビジョンはこうした価値基準をもたらす。知識ビジョンは、組織の構成員の知的情熱を触発する。人はそれが自分を利するからというよりも、自分の仕事に社会的な意味を見出すときに強く動機づけられる。企業間の「競争に勝つ」という相対価値は、勝った時点で消える可能性があるが、「われわれは何のために存在するのか」という存在論から始まる知識ビジョンは、決して完全には達成されないかもしれない理想へと組織を向かわせる。何のために真・善・美を追究するのかという理想主義と同時に、それを実際に達成するための実践的なプラグマティズムが必要。[文献1、p.44-50

・駆動目標:組織がどのような価値を提供するか、あるいはどのように提供するかについての具体的かつ挑戦的な概念、数値目標、行動規範などが、知識創造プロセスに駆動力を与える駆動目標となる。駆動目標は矛盾をつくり出すことにより、矛盾に直面した組織成員が持てる知を総動員し、深く考え抜いて本質を追求し、矛盾を綜合して一段レベルの高い知識を創造する(困難や矛盾のあるところにこそ新たな発想の機会がある)。[文献1、p.50-52

・対話:対立を乗り越え、それまで存在しない新たな解にたどり着くには、本質追求の実存的質問により、自分とは異なる視点の存在を理解・受容し、それらの視点を自己の視点と綜合するための対話が不可欠。[文献1、p.53-57

・実践:「実践」とは、個人的で一次的な単純な行為である「動作」とは分けて考えられるべきもの。世界との関係性を踏まえたうえで、自己がいかに「ある」あるいは「成る」べきかを考えたうえでの行為が実践。行動する中でその行動と結果の本質的な意味を深く考え、そこからの反省を踏まえて行動を修正していくことが必要。[文献1、p.57-59

・場:対話と実践という人間の相互作用により、知識を継続的に創造していくためには、そうした相互作用が起こるための心理的・物理的・仮想的空間が必要であり、そうした空間を「場」と呼ぶ。そこでは、参加者の間で自他の感性、感覚、感情が共有される相互主観が生成し、個人は自己の思惑や利害などの自己中心的な考えから開放され、全人的に互いに向き合い受け容れあう。場は動的文脈であり、常に動いている。「よい場」の条件は以下の通り。

1)独自の意図、目的、方向性、使命などを持った自己組織化(=自律性が必要)された場所でなければならない。

2)参加するメンバーの間に目的や文脈、感情や価値観を共有しているという感覚が生成されている必要がある。

3)異質な知を持つ参加者が必要。

4)浸透性のある境界が必要。文脈共有には一定の境界設定が必要だが、必要に応じて境界を開いて新しい文脈を取り入れ、あるいは必要に応じて境界を閉じて中の文脈を守る、というのが「浸透性のある境界」の考え方。

5)参加者のコミットメントが必要。場において生成する「コト」に「自分のこととして」かかわることによって知識は形成される。こうしたコミットメントを得るためには、信頼、愛、安心感、共有された見方や積極的な共感などが必要。知識創造には内因的モチベーションが必要(外因的要因には暗黙知の表出化を推奨する効果は期待できない)。内因的モチベーションが有効に機能するには、仕事において創造性を要求されること、内容が広範囲で複雑で幅広い知識が必要とされること、暗黙知の移転と創造が不可欠であることのいずれかが含まれなければならない。

場は動詞的であるが、場と場同士の関係性が固定化することによって作られた組織構造は名詞的である。[文献1、p.59-79

・知識資産:特許やライセンス、データベース、文書、スキル、社会関係資本、ブランド、デザイン、組織構造や業務、文化などが含まれる。ルーティン知識資産(実践の中に埋め込まれて組織に共有・伝承されている暗黙知であって、業務ノウハウ、組織ルーティン、組織文化などが含まれる)の中でも「型」(状況の文脈を読み、統合し、判断し、行為につなげるために、個人や組織が持っている思考・行動様式のエッセンス)が重要で、「守・破・離」の三段階を経て学びとられる。「守」は指導者の言葉を守り指導者の技能や価値観を自分のものとする段階、「破」は自分なりの工夫を試す段階、「離」は試した方法を自分なりに発展させる段階である。[文献1、p.79-88

・環境(知の生態系):知は組織の内部だけでなく、組織をとりまくさまざまな存在の中に埋め込まれている。知の生態系とは、さまざまな場所に多様な形で存在する知識が、相互に有機的な関係を構成している状態をいい、組織が環境との相互作用の中で創造した知はまた環境を規定し、変えていく。[文献1、p.88-94

第4章:知識ベース企業のリーダーシップ[文献1、p.95-123

知識ベース企業において、リーダーは知識ビジョンを設定し、場を創設・結合・活性化し、SECIプロセスを促進し方向づけ、知識資産の開発と再定義を行う。リーダーシップの役割はまず、使命やビジョンを設定し、それを理解し一貫性を持たせることである。組織で創造される知識の質は、究極的には「何を真・善・美としたいか」というリーダーと、個々の組織成員の志の高さに依存する。リーダーに必要な能力として提案されているのがフロネシス。フロネシスとは、賢慮ないしは実践的知恵と訳される知的美徳というべきものと考えられ、企業におけるフロネシスとは、個別具体の状況でその企業の主観(価値観)に基づき、市場(顧客)が「良い」とする社会的価値を理解し、実現する能力であって、SECIプロセスの実践の練磨のなかで獲得されていく高度の実践知であると考えられる。具体的には以下の6つの能力からなる。

・善悪の判断基準を持つ能力:理想を抱くと同時に現実を見据える能力

・場をタイムリーに創発させる能力

・個別の本質を洞察する能力

・本質を表現する能力

・本質を共通善に向かって実現する政治力

・賢慮を育成する能力

(上記の点については後に発表された論文と大きな違いはありませんので、詳細はそれを取り上げた拙稿をご参照ください。)

終章:マネジメントの卓越性を求めて

著者が語る本書の目的は、「企業がどのように知識を組織的に創造し新しい価値を作り続けていくか、すなわち、企業のイノベーション生成のプロセスを明らかにすること」[文献1、p.385]であり、「知識ベース企業のプロセスモデルは、ビジョンの実現に向かって言語(対話)と行為(実践)の練磨を通じて、イノベーションを起こし続ける運動モデル」であって、「その動態理論を一語で表わすならば、『実践知経営(Phronetic Management)』である、とのことです[文献1、p.387]。しかし、「企業の状況が異なれば、おのずと方法論も異なる」ため、「現在の段階では『これを行えば確実に知識創造が可能である』という定型的で一般的な確立された方法はない」とされます。ただし、分析において明らかになった実践方法として以下の提示がなされており、実践を行なう者にとっての指針になると思われます。

・アクチュアリティを見て直観する

・実践的推論(「~すべし」「~が望ましい」)を磨く

・より大きな関係性で世界を捉える(それまでの視点を超える関係性で世界を把握する)

・生き生きとした場を構築する(間身体的な体験すなわち「共にいること」も重要)

・異文化超越によるグローバルな場の構築(無意識の前提を揺るがすことはイノベーションの好機)

・「型」により賢慮を育成する(保守的な暗黙知を自己革新するためには「破・離」が重要)

・知識を価値に変換するために、知識創造型ビジネスモデルが必要

以上が私なりのまとめです。野中氏の知識創造理論では、哲学的な背景に基づく様々な概念、用語が用いられており、それが複雑でわかりにくく感じられる原因のひとつではないかと思いますが、本書のような形でこうした概念が体系化され、あらためて定義、説明しなおされることによって、その意味が理解しやすくなり、概念の持つ意味の広がりも受け入れやすくなるように思います。知識創造理論は、いわゆるナレッジ・マネジメントとして捉えられることが多いと思いますが、本書でも「問題はまず、知識というものの特性や本質が、いまだ十分に理解されていないところにある。たとえば『ナレッジ・マネジメント』という言葉は、ビジネスの実践の世界においては主にITに対する重点的投資によって企業運営を効率化することと受け取られた。知識を情報と同列視し、ナレッジ・マネジメントとは、単に情報を効率的に蓄積・伝達・使用することであるとの誤解に基づいてIT投資を進めたものの、結局期待した成果をあげることができなかった企業も多かった。知識の本質的な性質を理解しないままでは、その共有や活用を進めても効果をあげることはできない。」[文献1、p.4]とされるように、知識創造理論はハウツー的な枠組みではなく、知識に基づくイノベーションの本質を追求するものであると理解すべきであると思われます。もちろんこの理論による個別の指摘の中には実証による裏付けに乏しい考え方もあると思われますが、理論の全体観を理解することによって、個別の指摘が納得しやすくなり、使いやすくなっているのではないでしょうか。知識創造理論の考え方を参考にした実践に基づいて、自分自身の暗黙知を高度化し、形式知としての理論の高度化を図る、というのが実践する者の務めなのかもしれないと思います。

 


文献1:野中郁次郎、遠山亮子、平田透、「流れを経営する――持続的イノベーション企業の動態理論」、東洋経済新報社、2010.

文献2:Christensen, C.M, 1997、クレイトン・クリステンセン著、伊豆原弓訳、「イノベーションのジレンマ」、翔泳社、2000.

参考リンク<2012.7.8追加>

 


 


 

研究における企画という仕事

研究開発組織に「企画」と名のつく部署を設けておられる企業は多いと思います。企業における研究開発では、研究者が行なう実際の研究活動の他に、様々な補助的業務が必要です。例えば、研究組織の運営、テーマやプロジェクトの選定と見直し、予算配分、人員配置、環境整備、制度(しくみ)整備、教育と育成、労務、安全、設備、法規制などへの対応、情報の管理と収集、資料整備、研究成果蓄積、市場や環境動向の調査、標準化(公的規格対応なども含む)、品質管理、外部対応(社内外)、対外交渉、宣伝広報、知的財産の管理と活用、等々の業務を行なう必要があります。これらは、「総務」、「管理」、「人事」などの部門が担当したり、一部は研究以外の製造部門や本社部門が担当したり、さらに外注したりして対応することもありますが、「研究に関して何かを企て計画する」ことに関わる業務の遂行は「企画」担当者の分担になることが多いと思います。

具体的には、研究グループを超えた研究部門全体の計画と管理、グループ間の調整、研究成果の公平な立場での評価や、経営層と研究グループの橋渡し(経営戦略の徹底、成果のPR、他部署との連携など)など、研究グループの外側の立場から研究活動に付随して発生する業務を担当することが求められるようです。もちろんこれらは必要な業務でしょうが、「企画」として行なうべき機能と担当者の能力を十分に発揮できているか、より多くの研究成果の獲得につなげられているかは考え直してみる価値があるのではないでしょうか。研究開発の成功事例ケーススタディーなどを見ても、研究リーダーや、経営者個人の研究成功への寄与が取り上げられることはあっても、「企画」という組織の活躍はあまり表に出てこないように思いますし、経営層の考えを最前線に伝える、あるいは最前線の情報を整理加工して経営層に伝えるだけの窓口的業務に終始している場合もあるように思います。そこで、本稿では、「企画」という部署にいる人々が研究の成功のために何ができるか、何を行なうべきなのかについて考えてみたいと思います。

私が「企画」部門に期待することを一言で述べれば、「研究者の能力を超える分野を分担することによって、研究を成功に導くこと」となります。現在の技術的課題の解決のためには、深い専門性が求められるにもかかわらず、研究の成功はひとつの分野の知識のみでは困難なことが多いでしょう。あるいは、広い分野にわたるある程度以上の深さの技術やアイデアが求められるようになっている場合もあると思います。いずれにしても個人の力に頼ることは無理になってきたといえるのではないでしょうか。つまり、研究者の能力を超える部分を誰かがうまく補うような体制で臨む必要がある時代になってきていると思います。その部分を担える部隊があるとすれば、それは「企画」ではないかと思うのです。

これは、研究の成功において、ひとつの技術の卓越性が競争要因になる時代から、技術の組み合わせ、あるいは技術を収益に結びつける力そのものが競争要因になる時代に変わってきているともいえるかもしれません。結局のところ、どんな技術もビジネスモデルとして完成させて初めて成功といえるわけで、技術も含むビジネスモデル全体としての優位性が競争要因になってきたというではないでしょうか。

イノベーションにコラボレーションが求められるようになっている背景には、このような状況が存在すると考えられます。コラボレーションの例としては、野中氏らによる組織的知識創造や、チェスブロウの提唱したオープンイノベーションが挙げられますが、組織的知識創造の場合には「場」という仕組みを作ることとその効果的運営手腕が求められますし、オープンイノベーションについても協働相手の情報収集からその能力の評価、協働の仕組みづくりと管理など、第一線の研究者にとっては本来の研究業務の傍らで実施するには荷が重い課題が存在すると言えるでしょう。さらにビジネスモデルの組上げ、ということになると経営上の知識も必要となり、研究者にとってはますます困難な課題になってしまうと思われます。

もちろん、こうしたことが得意な研究者もいるでしょう。また、研究者にこうした知識や考え方を教育してビジネスセンスをもった研究者を育成すべきだという考え方もあるでしょう。しかし、こうしたことが得意な人、興味がある人を研究の「企画」担当として、専任でそうした業務を行なわせることも有効ではないでしょうか。具体的には、次のような仕事の内容が考えられると思います。

・研究成果、要素技術の将来のビジネス展開の可能性評価

・研究をビジネスにつなげる仕組み(ビジネスモデル)構築と推進の支援

・社内外の保有技術や知識と活用可能性に関する情報収集と評価

・社内の各部署、社外との連携、協働の推進

・社内情報(ニーズ、シーズ)にもとづくイノベーションアイデアの抽出

・社内外技術、情報の融合によるイノベーションアイデアの提案

・協働、組織的知識創造のための「場」づくり

・研究環境の整備

このような業務に必要な資質としては次のようなものが挙げられるでしょう。

・技術内容についてのおよその理解ができること

・好奇心が旺盛で、様々な技術を受け入れることができること

・イノベーションの本質(どのように進み、成功あるいは失敗に至るか)についてのイメージを理解していること

・ビジネス実現のために柔軟な判断(妥協、変更も含めて)ができること

このような業務は、基本的にボトムアップのプロジェクトにおいて特に求められるでしょう。開発プロジェクトとして社内で承認されトップダウンのプロジェクトになったものは、しかるべきプロジェクトマネジャーが任命されて、そこに推進体制が形成されるでしょうから「企画」の出番はないかもしれません。しかしアイデアを抽出し、実現性のあるビジネスモデルの形に仕上げるまでの作業、そのための情報収集と環境整備を行なう必要がある場合、そうした作業を担当する部署が必要になってくると思います。

ただし注意しなければいけないのは、「企画」の担当者の立場です。基本的に研究者や第一線社員の立場に立ち、イノベーション実現を支援する立場から行動できることが特に重要だと思います。場合によっては黒子の役割に徹することも必要かもしれません。ボトムアップのアイデアを出させて、それを審査して合否を決定するような立場であってはアイデアの抽出と育成は困難でしょう。

このような研究を補助する仕事の役割については、今まであまり取り上げられていないように思います。実際には、このようなことに積極的な企業もあるのかもしれませんが、一般には「企画」の仕事というと、研究テーマの採否や予算配分の決定、進捗管理と中止や変更の判断、といった具合に経営側の下請けとして、研究者に対峙する立場になるのが普通であるように思われます。しかし、それでは研究者の能力や資質に研究の成否を押し付けているだけで、企画専門の立場として研究者の能力を補ってイノベーションの実現に向かって協力していくことは難しいのではないでしょうか。従来の企画の仕事が不要だとは言いませんが、いわゆる「管理」は「企画」の本質ではないと思います。まして、研究幹部と研究員の単なる橋渡しのような業務、さらに幹部の秘書のような業務は「企画」に本来求められている業務とは言えないでしょう。研究コーディネーター、メンターなどといった呼び名も考えられるかもしれませんが、創造力を発揮しながら研究を育てる専門職の確立が必要なのではないでしょうか。イノベーションの進め方が多様化している現在、研究者を支えるこのような役割から生み出されるイノベーションもあるように思うのですがいかがでしょう。

フロネシス(賢慮)と研究開発

暗黙知、形式知の変換による知識創造理論を提唱した野中郁次郎氏、竹内弘高氏が最近取り上げているフロネシス(賢慮)という考え方について、両著者による論文「賢慮のリーダー」[文献1]に基づいて考えてみたいと思います。

この論文において著者らが目標としているのは、「企業が社会と衝突するのではなく、共生するために、どうすればリーダーが体系的な決定を下せるようになるのか」を探ることです。そして、その研究の結果、「形式知と暗黙知の概念を使うだけでは十分に説明できない」、「CEOは『実践知』という、忘れ去られることが多い第三の知識も利用しなければならない」という結論に至ったとしています。ここで、実践知とは、「経験から得られる暗黙知で、価値観や道徳についての思慮分別を持つことにより、現実の具体的な文脈や状況において最善の判断を下し、行動することを可能にする」もの、言い換えれば「実践知は、倫理的に健全な判断を可能にする経験的知識」であって、その実践知の起源が、アリストテレスが分類した三つの知識の一つ、フロネシス(賢慮とも訳される)という概念にある、と述べています。

つまり、知識を用いて何かを成し遂げようとする場合でもまずは正しく判断することが重要で、実践知はそれを可能にするものということでしょう。そして、こうした能力は特にリーダーに求められているというのが著者らの主張と考えられます。ということは、実践知とは、知識というより、能力や信念、思考や行動のパターンといったものに近く、しかし、学んだり育成したりすることができるという意味では知識とも言える、ということになると思います。著者らは、この実践知においては「共通善」が重要な役割を担うとしており、「未来の創造とは、企業の境界を超える、共通善の追求でなければならない」、「意思決定が自社だけでなく社会にも有益かどうか」、「企業は、経済価値と共に社会価値を創出しなければ、長く生き残れない」、「いかなる企業も、顧客に価値を提供し、ライバルが創造できない未来を創造し、共通善を維持することができなければ、長く生き残れないだろう」と述べています。つまり、知識創造を含めた企業活動の全体を統括するのが共通善に支えられた実践知である、と言っているように思います。

著者らは、その実践知を持つ賢慮のリーダーには次の6つの能力が必要であるとしています。

1、善を判断できる:著者らは「賢慮のリーダーは、何が善かという道徳的認識力を発揮し、どんな状況にあってもそれに基づいて行動する」「経営者は、利益や競争優位性のためではなく、共通善のために判断を下さなければならない」とし、基盤となる価値観を持つことが必要としています。そして、善いことの判断力を養う方法として次の4つを挙げています。すなわち、1)経験(特に逆境や失敗の経験)、2)日常の経験から得られた原則を書き留め、共有する、3)卓越性の追求、4)判断力は一般教養に精通することで養うことができる、です。

2、本質を把握できる:「賢慮のリーダーは判断を下す前に、状況の背後にある物事を素早く察知し、将来の展望や結果に対するビジョンを生き生きと示し、そのビジョンを実現するのに必要な行動を決定する。実践知によって、本質を見極め、人々、物事、出来事の性質や意義を直観的に理解する」とされます。そのためには、「細部への目配りと粘り強さが必要」で「細部から普遍的な真実を把握することも重要」「主観的な直観と客観的な知識との間のたえざる相互作用が必要」であり、問題の本質を把握する能力を養うため次の3つの行為を習慣化しなければならないとしています。それは、1)問題や状況の根本が何なのかを徹底的に問う、2)「木」と「森」を同時に見る、3)仮説を立てて検証する、です。

3、場をつくる:「賢慮のリーダーは、経営幹部や社員が互いに学び合う機会をたえず創出する」「フォーマルおよびインフォーマルな場(共有された文脈)をたえず創出する」。

4、本質を伝える:「賢慮のリーダーは、だれにでもわかる方法でコミュニケーションできなければならない」「ストーリーやメタファー(隠喩)など、比喩的な表現を使う必要がある」「それによって、ベースとなる文脈や体験の異なる人々同士でも、物事を直観的に把握できるようになる」。当然ですが、「レトリック(言語表現の技術)も大切」とのことです。

5、政治力を行使する:「賢慮のリーダーは人々を結束させ、行動に駆り立てなければならない」「人材を動員するためには、経営幹部は状況に応じたすべての手段を-マキャベリ的な権謀術数さえも-利用しなければならない」。さらに、「人間はもともと論理的であると同時に感情的でもある」などの「人間性のあらゆる矛盾を理解し、状況に応じてそれらを統合しようとする」「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を十分に発揮できる能力(フィッツジェラルド)」という点も指摘しています。

6、実践知を育む:「実践知は組織内にできる限り分散させなければならないし、あらゆる層の社員が訓練によって使えるようにならなければならない」「自立分散型リーダーシップの育成は、賢慮のリーダーの最大の責務の一つ」。ソフトウェア開発で採用されているスクラムアプローチも構造的な選択肢の一つであり、また、手本となる人物から実践知を学ぶこと、メンターによる指導、徒弟制も有効であるとしています。

このようなリーダー像をまとめて、著者らは、「CEOは理想主義的な実用主義者(アイデアリスティック・プラグマティスト)にならなければならない」と述べています。「理想主義者でなければ、新しい未来は作れない」が、それと同時に、「現実を直視し、状況の本質をつかみ、それがもっと大きな文脈とどう関わるのかを思い巡らして、共通善を実現するために何をしなければならないかをその時その場ですぐに判断する」ことが求められる、としています。

リーダーに要求されるこのような能力の内容については、特に目新しいものではない、という意見もあるでしょう。しかし、最近の経営環境の変化を受けて、これからの時代のリーダーに必要な能力として、上記の点をことさら強調している点は重要であると思います。著者らは、こうした能力を持つ経営幹部の事例を挙げているのみですが、企業経営の困難度が増している現在において、こうした能力の欠如が原因で経営が失敗したと思われる例を探すことはそれほど難しくないように思います。例えば、次のような問いを考えてみると、上記の能力のどれが欠けても企業の永続には問題があるだろうことは容易に理解できるのではないでしょうか(それぞれ上記1~6に対応しています)。

1、不祥事を起こしたり社会の信頼を失ったりした企業に「共通善」の認識があったか

2、本質を軽視して目先の利益や指標にとらわれて失敗していないか

3、知識創造の基盤となる相互交流の制度(場)を整備、維持しているか

4、経営層の考え方が社員に浸透しているか

5、相反する目標を認識した上で、社員の行動を束ねられているか

6、知識、能力の育成はできているか

研究開発のリーダーについても同様のことが言えると思います。上記の考え方を研究の場面に適用すると以下のような示唆が得られるでしょう。

1、共通善に反する研究は、仮に研究自体がうまくいったとしても社会との関わりにおいて問題を起こす可能性がある。

2、本質(たとえば、Christensenの指摘する「片づけるべき用事」、エスノグラフィーでとらえようとする真のニーズなど)を考慮した研究が重要。本質を忘れた改良はオーバースペック製品や、使われない製品を生む。

3、知識創造の場を整備し維持する必要がある。

4、企業戦略の方向を理解して研究の方向を決定できているか。

5、社内の協力体制はできているか。矛盾するような目標に対して安易に妥協していないか。

6、技術やノウハウ、技術的優位性、よき伝統の継承はできているか。

こうしてみると、当たり前の指摘とはいいながら、重要なチェックポイントを示しているように思います。特に、科学技術への信頼が失われ、研究の不確実性が高まるなかで、新興国からの技術的な追い上げを受けている研究環境にあっては、研究開発にこそこうしたフロネシスにもとづく実践知が求められていると言えるのではないでしょうか。確かに著者らの主張は技術者の感覚からすれば実証性が不足していてそのまま受け入れにくいと思われるところもあり、観念的な概念はわかりにくい点もあるのは事実ですが、貴重なヒントを与えてくれていることは確かだと思います。

著者らは、「『断絶』が繰り返される時代にあって、組織を賢く統率する能力は消え失せたに等しい」「多くの経営者が、新しい技術、人口動態の変化、消費動向などに対応できるように自社を素早く改革するのは難しいと感じている」「人々は産業界に価値観や道徳が明らかに欠けていることに腹を立てている。ビジネス・スクールや企業、CEOの経営者育成法にはどこか誤りがある」という問題意識に基づいているようですが、これはそのまま科学の世界、研究開発の世界にも言えることなのではないでしょうか。何を読み取るかは我々次第なのでしょう。


文献1:野中郁次郎、竹内弘高、「『実践知』を身につけよ 賢慮のリーダー」、Diamond Harvard Business Review20119月号、p.10.

参考リンク<2012.7.8追加>

 

研究組織におけるコミュニケーションの難しさ

研究開発活動においては、様々な場面での情報交換が必要です。例えば、野中らが提唱する知識創造に必要な「場」という概念も、情報交換をつうじてそこから何かを生み出す一種の組織と考えることができるでしょう(拙稿ノート10)。しかし、研究組織内での情報交換、その基礎となるコミュニケーションの促進はそれほど容易ではありません。そこで、今回は、研究組織内でのコミュニケーションの難しさと、コミュニケーションの活性化について考えてみたいと思います。

そもそも、コミュニケーションは同類性の高い人の間で効果的になると言われています[文献1p.359]。つまり、同じようなタイプ(知識、考え方、行動など)の人とは「話が通じやすい」ということで、これは経験的にも納得しやすいと思いますが、これは裏を返せば、違うタイプの人とは話が通じにくいということです。では、コミュニケーションを活発にしたいとき、同類性を高めることだけを考えていればよいのでしょうか。組織やしくみのマネジメントによって同類性を超えるコミュニケーションを促進することはできないのでしょうか。

以下では、特に研究組織におけるコミュニケーションの問題について、コミュニケーションを2種類のパターン、すなわち、「ヨコ」のコミュニケーション(研究者間)と、「タテ」のコミュニケーション(上司-部下間)に分けて、その問題点と対処法について考えてみたいと思います。

ます、どのような異類性が問題となるかを考えてみます。研究者のコミュニケーションを考える場合、以下の4つのポイントが重要と思われます。

・専門的知識(知識の深さの違い、分野の違い)

・話題への興味の違い(関わりの深さ、問題意識の違い)

・利害関係

・相手に関する情報(日頃の接触度合、相手がどんな人か知っているか)

専門的知識の違いというのは、研究開発部門に特徴的な要素でしょう。要するに、専門的な話(専門用語、概念)が特別の説明なしに通じるかどうかが問題となります。基本的には話題に対する専門知識の深さの違いが影響するわけですが、専門分野が違えば基礎的な知識が違いますので、一口に研究者といってもその間のコミュニケーションは容易でない場合があります。さらに、知識の深さの程度は業務経験の長さとは必ずしも一致しません。研究の場合、専門分野の狭い範囲に関しては担当する研究員自身が最も知識が多いことが普通ですので、相手が同僚であっても上司であっても部下であっても、知識の深さが異なる相手とコミュニケーションしなければならないという、大変骨の折れる状況が生じるわけで、どうしてもコミュニケーション不足に陥りやすいでしょう(特に研究手法や背景について理解不十分な相手への説明は非常に大変です)。この問題は、上述の「タテ」「ヨコ」いずれのコミュニケーションでも起こり得ます。

話題への興味の深さに関しては、「タテ」の場合は、上司が多数のプロジェクトを管理する場合に問題になります。仮に上司が十分な専門的知識を持っていたとしても、1つのプロジェクトに割く時間が少ないと、すべてのプロジェクトには十分な対応が行なえず、上司の興味が薄い話題に関しては部下のコミュニケーションの意欲が阻害されてしまうでしょう。これは単純に上司の時間的制約の問題だけではなく、個々のプロジェクトに対する期待の軽重が興味の差に現れてしまうことにも注意しなければなりません。さらに、上司には上司としての立場上の問題意識がありますので、それが第一線の意識とは異なる場合も当然あるでしょう。「ヨコ」コミュニケーションの場合には、いわゆるタコツボ化、他人のやっていることに興味を持たないために情報交流が阻害される場合が考えられます。この傾向は、仕事に没入するタイプの研究者の場合に特に顕著ですが、セクショナリズムや過度の目的指向、成果主義によって他の業務に興味を示す雰囲気、余裕がない場合のような、組織運営に基づく問題もあります。

利害関係を異にする場合、正直な情報の交換が阻害される可能性があります。「ヨコ」の場合では、例えば、個人間、部署間の競争状態がある場合、交換される情報が自分と他者のどちらを利するかによって、伝わる情報にバイアスがかかる可能性があります。「タテ」の場合には、一般に、上司は部下の評価を行なう任務を持っていることが普通でしょうから、部下自身が悪い評価を受けると予想されるような情報は上司には伝わりにくくなるでしょう。

相手に関する情報については、そもそも知らない人とは用事以外の情報交流が行ないにくいことは容易に想像できます。

実際にはコミュニケーションの阻害は上記のような要因が総合されて起こると考えられますが、組織の構造に依存している可能性にも注意が必要でしょう。おおざっぱな経験的感覚ですが、「タテ」の情報伝達に関しては、本音のコミュニケーションが自然に可能なのは、自分より2階層上、または下が限度のように思います。それ以上に階層が開くと、評価に伴う利害、知識や興味の共通性、相手の情報のどれをとってもコミュニケーションを阻害する方向に作用するのではないでしょうか。「ヨコ」の情報伝達に関しては、日ごろの協力関係(多くの場合、利害が一致する)を超えた範囲(部署の区切りで考えると、業務上の交流のない部署)とは情報伝達が難しくなることが予想されます。

セクショナリズムのような悪習はもちろん論外ですが、そうした問題のない組織でも何も手を打たなければ上述のような構造的なコミュニケーション阻害が発生する可能性があるのではないでしょうか。従って、時にはこうした観点から研究組織の形態と運営を見直すべきと考えます。例えば、組織のフラット化や、組織の垣根を低くするような制度(大部屋制など)などは検討に値すると思われますが、それだけで十分とは思われません。組織のフラット化などは「ヨコ」のコミュニケーションは促進するでしょうが、「タテ」のコミュニケーションについては必ずしもうまくいくとは限らない点に注意が必要だと思われます。これは、「タテ」制度が持つ機能(部下を評価する、多くのプロジェクト、メンバーを統括する)そのものがコミュニケーションの阻害要因となっていると考えられるからです。このような状況を打破できる可能性があるとすれば、ネットワーク組織の活用、フラット化の極限までの追求、部下の評価の放棄(例えば、拙稿「研究者の金銭的報奨」で述べたような方法)があると思われますが、いずれも最適な解決策とはなりえないように思います。野中らは、ホンダで行なわれている「ワイガヤ」の効果を述べていますが、こうした非定常的な活動も有効なのかもしれません。

このように定常的な組織にはコミュニケーション阻害の問題(特に「タテ」の問題)が存在するとなると、その問題を軽減する方法としては、その問題があることを認識した上で、個々のマネジャーが努力する必要があることになるでしょう。「タテ」のコミュニケーションの問題は、上司から部下へのコミュニケーションよりも部下から上司へのコミュニケーションの方が難しいと考えられますので、その分、上司が部下から情報を引き出す工夫が必要になると考えられます。まずは前提として、背景となるビジョンや目的を共有し、お互いに相手を知る努力をし、その上で、上司は知識をできるだけ身につけ(完璧に部下と同じ知識を身につけることは困難だと認識し、せめてポイントが理解できるよう、さらに、上司ならではの立場からの情報提供も効果的と思われます-これはコミュニケーションをつうじた協力関係と言えるでしょう)、話の内容には興味を示し(もし、上司にとってもはや興味のないプロジェクトであれば中止も考慮すべき)、利害を共有する(少なくとも上司は部下を評価する態度で接しない)ようなマネジメントが重要と考えます。

その上で、コーチングのノウハウが活用できるのではないかと思います。例えば、COACH Aはコーチングを活用したマネジメントスタイルのポイントとして次の4つを挙げています[文献2]

・コミュニケーションの量と質を変える:例えば、詰問ではなく安心して答えられる質問、部下自ら考え、問題解決を促進させるような質問、タイムリーなフィードバック、提案後のフォロー、部下のやり方・強みを認める、など。

・個別対応する:例えば、自分と部下が好むコミュニケーションスタイル、自分と部下のストレッサーは何か、自分と部下がどんなときにモチベーションが上がるかを知っておく。

・答えでなく問いを共有する:「問い」の共有により、メンバーの思考を刺激し、新たなアイディアや状況にあった行動を引き出すことが可能になる。

・「部下が自ら動き、目標達成すること」をゴールにする:上司がティーチングによって目標を達成させるのではなく、上司がいなくとも部下が目標達成できるようにする。

コーチングスキルそのものは、組織構造とは関わりなく、様々な個人対個人のコミュニケーションにおいて活用できると思われますが、組織構造が生みだすコミュニケーション阻害の問題点をコーチングスキルの活用によって補いながら解決していくことが有効であるように思います([文献2]では上記の他にも示唆に富むスキルが数多く紹介されています)。研究組織というのは、専門性の問題や研究者個人の特性によって、コミュニケーション阻害を招きやすいものです。様々な情報の出会いがイノベーションを生むことは多くの人の認めるところですが、情報の出会いづくりをイノベーター個人の能力に頼るのではなく、組織的、効率的におこなうために、コミュニケーションの活性化は不可欠だと思います。コミュニケーションの阻害要因を知り、環境を整え、マネジメントスキルを磨くことはイノベーションの実現の必要条件であるように思うのですが、いかがでしょうか。


文献1Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.

文献2COACH A webページより

「今日から変わるコミュニケーション」:スキル集http://www.coach.co.jp/coaching/change/
<2013.8.18現在、上記リンクはなくなってしまいました。>

 

「イノベーションの知恵」(野中郁次郎、勝見明著)感想

本書では様々なイノベーションの事例を取り上げ、野中教授の知識創造理論をベースにその成功の要因が解説されています。さらに、それぞれの事例におけるリーダーの考え方と行動について詳しく述べられている点は、イノベーションにおけるリーダーシップについての示唆も多く含んでいると言えるでしょう。取り上げられた事例はいずれも従来の考え方や方法の革新が成し遂げられたもので、イノベーションによって世の中を変えることができる人間の能力とその成果を再認識できたことは、(特に震災の記憶が生々しいこの時期、)力づけられる気がしました。

 

取り上げられているのは、以下の9事例です。

ケース1、旭川市旭山動物園:動物の行動展示によって人気を得た有名な事例。

ケース2、京都市立堀川高校:自ら学ぶ教育を実現して大学受験と生きる力の教育を達成。

ケース3、JR東日本エキュート:これも有名ですが、駅構内のあり方を改革したエキナカの創造。

ケース4、トヨタiQ:「カイゼン」を超えた発想による小型車の開発。

ケース5、アサザプロジェクト:霞ヶ浦の自然を再生させるプロジェクト。

ケース6、社会福祉法人むそう:知的障害者の能力を地域再生に生かす福祉ビジネス。

ケース7、再春館製薬所:大部屋経営を通じて「監視」から「共創」を達成。

ケース8、いろどり:料理に添えるつまものをビジネスとして創造。

ケース9、銀座みつばちプロジェクト:都心で養蜂し、都市のあり方を変えた事例。

 

いずれも研究開発や技術が主役ではありません。しかし、技術があっても、それを成果に結び付けるための多くの技術以外の努力が必要であるというのは多くの方の認識が一致するところでしょう。技術的イノベーションを考える上でもこのような事例から学べることは多いのではないでしょうか。

 

野中教授はこの事例から、イノベーションを生むための方法、リーダーの行動として、次のような概念を示しています。

・「理論的三段論法」ではなく「実践的三段論法」(ケース1、2)

・「モノ的発想」から「コト的発想」への転換(ケース3、4)

・「考えて動く」ではなく「動きながら考え抜く」(ケース5、6)

・「名詞」ベースではなく「動詞ベース」で発想する(ケース7)

・「見えない文脈」を見抜く(ケース8)

・偶然を必然化する(ケース9)

そして、まとめとして

・リーダーにとって大切なのは「場のマネジメント」

・知を創発する場の条件は「チームの自己組織化」、「身体性の共有」による「相互主観性」

・リーダーとチームを支えるのは「共通善」

・経営は「サイエンス」ではなく「アート」

と述べています。

 

とまとめてみたものの、はっきり言ってこれらの概念は私には非常にわかりにくいものでした。もちろん、事例の解説を読めばなんとなくわかったような気にはなるのですが、例えばその概念を自分で使おうと思った時、あるいは、野中教授の知識創造理論を知らない人に伝えてその人を動かすことに使えるかというと、非常に心もとない感じがしてしまいます。

 

恐らくその原因のひとつは、「概念」の種類が多すぎることのような気がします。特に技術系の人は、新しい理論や概念に触れると、それが本当に正しいのか、どんな場合にでも正しいのか、なぜ正しいのか、何を根拠に正しいと言えるのか、などのことを考える習慣がついている人が多いので、一度に多くの概念に触れると混乱をもたらすことになるように思います。さらに、多くの概念があると、実際の場面においてどの考え方を使えばよいのかがはっきりせず、「使いにくい」という印象になってしまい、使いにくい概念をわざわざ受け入れる必要はない、と思ってしまうこともあると思います。

 

しかし、事例に基づいてよく考えてみれば、これらの概念には重要な示唆が多く含まれていると言えると思います。そこで、野中教授の概念を使う立場から私なりにわかりやすく言い換えてみようと思います。

・「実践的三段論法」とは、「目指すべき目的がある」「目的を実現するにはこんな手段がある」「ならば、実現に向けて行動を起こすべきである」と結論を導き出し、行動を起こすこと[文献1p.32]。さらにこのプロセスには「仮説→検証→修正」の反復が含まれており、経験から仮説を立てる段階ではアブダクションが活用されます[文献1p.73-74]。このように考えれば理解しやすいと思います。

・「モノ的発想」から「コト的発想」への転換については、まず「モノ」と「コト」の理解が必要でしょう。モノはsubstance、コトはevent[文献1p.82]、「モノはそこに人間がかかわろうとかかわるまいと存在するのに対し、コトはそこにかかわる人間との関係性のなかで成立し、人間の経験として生成される」 [文献1p.99]、だそうです。「モノ的発想」から「コト的発想」へということは、物を提供してそれをどう使うかは物の受け取り手に任せるということではなく、その物が受け取り手にどのような経験を与えるか、ということまで考える、ということではないかと思います。単なる物ではなく、その作用や、人がどんな作用を求めているかの着目しようとする人間中心のイノベーションなどと近い考え方だと思います。

・「考えて動く」ではなく「動きながら考え抜く」というのは比較的理解しやすいですが、最初に考えを立ててそれを実行し、改善点があればフィードバックする、という方法ではなく、動いて得られた経験を直ちに発想につなげる、という意味で従来よりもダイナミックなアプローチ重視している、ということと考えられます。

・「名詞」ベースではなく「動詞」ベース、というのは固定的な考え方(名詞ベース)ではなく、何かになる(become)とか変化するとかの流動的な考え方を重視すべき、ということであると思われます。「モノ」から「コト」へという考え方と本質的な違いはないように思います。

・「見えない文脈」を見抜く、については「一見、関係ないモノがジグソーパズルのように結び付くと、これまでなかった新しいコトが生まれ、変革がもたらされる」[文献1p.222]とのことですので、違うものを結びつける力だと言ってよいでしょう。そのきっかけにセレンディピティーが存在する場合もあり、イノベーションの原動力になりうることは経験的にも明らかだと思いますが、そのきっかけには「強い好奇心」と「強い目的意識」があるとされています[文献1p.239]

・偶然を必然化、については偶然により生まれたチャンスを大切にする、という意味ではないかと思います。偶然というのは誰にでも訪れるものではありませんので、偶然の力を活用すると他者との差別化が容易に行なえます。これは「真のセレンディピティー」(ノート6で取り上げました)に近い考え方のように思われます。

・場のマネジマントとは、組織や環境や人や知識を別個にマネジメントするのではなく、新たなイノベーションが起こるようそれらを総合的にマネジメントすること、という風に受け取りました。野中教授は「場は、人々が目的を共有し、価値観や感情を共鳴させ、互いに知を共振させ、信頼、愛、安心感などの社会関係資本を共有し合う時空間」[文献1p.51]としていますが、こうした場を作るためには総合的なマネジメントが必要なのだと思います。

・自己組織化とは、リーダーが引っ張るとか、管理者がこまかい調整を行なう、という方法ではなく、組織が自主的に全体として最適な行動をとれるように動き、個を超えた大きな主観(相互主観性)を確立するということのようです。そのためには「身体性の共有」つまり、「相手と身体的に時空間を共有し、触れ合うことによって、相手の視点に立ち、相手の経験を自分のなかで持つことができるようになる」[文献1p.287]ことが必要ということのようです。

・「共通善」とは「『世のため人のため』『よきことをする』という根源的な思い」[文献1p.5]ということです。このような思いが人を動かす大きな力を持つことについては疑う余地はないでしょう。

 

野中教授の考え方をこのように言い換えてしまうこと自体、私の理解不十分の可能性に加えて、野中教授の暗黙知を不十分な形の形式知として表出化してしまうという危険がありますので、適切なことではないかもしれません。また、野中教授が様々な概念を提示されていることも、暗黙知を単純な形で形式知化させないためなのかもしれないとも思います。しかし、このようなわかりやすい言い換えを行なわなければ野中教授の概念はそれを使う立場から眺めている私にとってはただのモノにしかすぎず、こうした考察によって初めてコトになりうるのではないか、とも思います。そんなわけで、あえてトライしてみました。野中教授の理論は受け取る側の知識が多いほど、深い内容を受け取れるようにも思いますので、さらにどのような解釈ができるかは私自身の今後の課題とも言えるかもしれません。

 

なお、本書には上述の概念の他にも多くの有用な示唆や興味深い概念が語られています(ここでは限られた点しか取り上げられず申し訳ありません。詳しくはぜひ本書をご参照下さい。)。しかし、それらの概念を単なる羅列ではなく、重要性を正しく判断して系統的に整理することは少なくとも私には困難だったので上記の点に絞らせていただきました。本書で述べられているように経営がサイエンスではなくアートである、という考え方に立てば、そうした概念の整理は必要ではないのかもしれませんが、アートであったとしてもその質を高めていくことは有益なことでしょう。本書では経営をサイエンスと位置付けるアメリカ流の考え方はあまり評価されていないようですが、私はアメリカ流の考え方であっても役に立つものもあると思っています(アメリカ流とひとまとめにしてしまう必要もないようにも思いますが)。本書で示された概念も含めてあらゆる考え方を総合していくことが経営の質の向上に役立つのではないかと思いますがいかがでしょうか。

 

 

文献1:野中郁次郎、勝見明著、「イノベーションの知恵」、日経BP社、2010.

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%9F%A5%E6%81%B5-%E9%87%8E%E4%B8%AD-%E9%83%81%E6%AC%A1%E9%83%8E/dp/4822248291/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1300717571&sr=1-1


参考リンク<2011.8.14追加>
 

記事検索
最新記事
プロフィール

元研究者

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ