研究開発マネジメントノート

研究開発とそのマネジメントについてのいろいろ

形式知

「オートメーション・バカ」(ニコラス・カー著)より

技術の発達が人の仕事を奪う、という議論が最近よく話題になります(例えば、本ブログでも「コンピュータが仕事を奪う(新井紀子著)」、「機械との競(ブリニョルフソン、マカフィー著)」をとりあげました)。人の仕事を楽にすることは技術開発の大きな目的のひとつですので、機械が人の仕事を代替し、それによって人が仕事を失うことは、当然起こりうることでしょう。しかし、長期的に見れば技術の発展は新しい仕事を生み出すのだから、一時的な失業増加はそれほど大きな問題ではない、という意見もあります。

もちろん、こうした未来予測で確定的な答えを得ることは困難ですが、未来を考える上で、技術の発展が人間にどのような影響を及ぼすかを知ることは重要でしょう。ニコラス・カー著「オートメーション・バカ」[文献1]では、この問題が議論されており、著者は、「本書はオートメーションについての本である。かつてわれわが自分でしていたことをやらせるために、コンピュータやソフトウェアを使うことについての本である。オートメーションのテクノロジーや経済学、ロボットやサイボーグやガジェットの未来のことも話には入ってくるが、そうしたことについての本ではない。オートメーションが人間にもたらす影響についての本なのである。・・・オートメーションは必ず、隠された深い影響を与えるものだ。・・・すべてがよい方向に働くわけではない。[p.10]」と述べています。単なる雇用の問題を超えて示唆に富んだ多くの事実、考え方が述べられていると思いましたので、今回はその中から興味深く感じた点をまとめたいと思います。

オートメーションの意味するもの
・「コンピュータの能力を測るに際し、経済学者や心理学者は長年、知に関する二つの基本的分類に依拠してきた。暗黙知と形式知である。暗黙知はしばしば手続き的知識とも呼ばれ、考えることなしにわれわれが行なうすべての事柄を指している。・・・コンピュータは形式知に基づくスキルは複製できるけれど、暗黙知から来るスキルとなると得意ではないものだとわれわれは思いこんでいる。」しかし、「グーグルカーは、人間とコンピュータとの境界線をリセットする。・・・思っているほどわれわれは特別な存在ではないのだ。暗黙知と形式知の区分は、心理学の領域ではいまなお重要であるけれど、オートメーションについての議論においては、妥当性の多くを失っている。・・・コンピュータの超人的速度が意味することは、われわれが暗黙知をもって行なう複雑なタスクの多くを、彼らは形式知を使って遂行できるだろうということだ。・・・コンピュータ独特のこの力は、場合によっては、われわれが暗黙知によるスキルだと考えているものを、われわれ自身よりも上手く遂行することを可能とする。[p.19-22]」
・「どんな活動が自分を満足させ、どんな活動が不満をもたらすかを、われわれはまるでわかっていない・・・心理学者はこれに『欲求ミス(ミスウォンティング)』という詩的な名前をつけている。好まないものを欲し、欲していないものを好む傾向がわれわれにはある。・・・・仕事には、『人が関与し、集中してわれを忘れるよう催促する』ゴールと難題が、『ビルトイン』されている・・・。だが、われわれをあざむく精神は、われわれにそのようには思わせない。機会さえあればわれわれは、労働の過酷さから自身を解放しようとする。[p.27-29]」
・「オートメーションは悪いものだということではない。オートメーションと、その先駆者である機械化は、何世紀にもわたって前進してきたのであり、その結果われわれの状況は、全般的に大きく改善されてきた。オートメーションは賢く使えば、われわれを骨の折れる労働から解放し、もっとやりがいと充足感のある試みへと駆り立ててくれる。問題は、オートメーションについて合理的に考えたり、その意味を理解したりするのが難しいということだ。[p.30]」

オートメーションと雇用
・「世界的に製造業の雇用者数はここ数年減少しつづけている。・・・その一方、製造業全体の生産量は急増している。経済成長が新たな製造業の職を創出するより速く、機械が工場労働者に取って代わりつつあるのだ。・・・資本家にとってみれば労働は問題であり、この問題を解決してくれるのが進歩なのだ。テクノロジーが雇用を消し去るのではという恐怖は、非合理的なものであるどころか、『きわめて長期的には』実現する運命にあるのだと、高名な経済史家ロバート・スキデルスキーは主張する。[p.47-48]」

高度専門職へのオートメーション拡大と人への影響
・オートパイロット:エアバスA320のモニターに覆われた操縦室は、パイロットからは「グラスコクピット」と呼ばれた[p.70]。「『オートメーションが高度になるにつれ、パイロットの役割は、オートメーションの監視者または監督者へとシフトしている』。・・・コンピュータ・オートメーションに過度に依存すると、パイロットの専門技術が浸食され、反応が鈍り、注意力が減じる可能性があり、・・・『乗務員のスキル棄却』を招きうる・・・。[p.73-75]」「精神運動的スキルがさびついたため、操縦に戻ることを要求される、まれな、しかし重大な機会において、パイロットが身動きを取れなくなるケースが出てきたのだ。[p.79]」「グラスコクピットは、ガラスの檻(グラス・ケイジ)にもなりうる。[p.86]」(注:Glass Cageは原著表題)
・医師による電子医療記録の利用でもスキル棄却などの様々な問題が指摘されている[p.124-149]。また、トレーダー、弁護士、経営者、システム技術者などのエリート専門職の仕事へのコンピュータの侵入も進んでいる[p.150-153]。GPSの利用によりナヴィゲーション・スキルが失われてきているという(ナヴィゲーションに関わる脳内の細胞は、出来事や経験の記憶の形成にも関わっているらしい)[p.164-179]。コンピュータで作業するデザイナーでは、初期段階のデザインに固執する傾向(早期固定)などの問題が指摘されている[p.179-191]。

オートメーションと人
・「われわれのほとんどは・・・オートメーションをよいものだと考えている。・・・行動や思考のあり方を変えるものではないと思っている。だがそれは誤謬だ。オートメーションの研究者が『代替神話』と呼ぶものの表われである。労働節約の装置は、ある仕事のなかから、切り離し可能な限られた部分だけを代替するのではない。それに参加する人々の役割、姿勢、スキルを含めた、仕事全体の性格を変えるのだ。[p.90]」
・「コンピュータの助けを借りてタスクに取り組む者は、『オートメーション過信』と『オートメーション・バイアス』という、2つの認知的不調に陥りがちである。・・・オートメーション過信は、コンピュータがわれわれを偽りの安心感へと誘いこむことで生じる。機械は不具合なく動くだろう、難題にもすべて対処してくれるだろうと信じこむと、われわれの注意力はさまよいはじめる。[p.91]」「オートメーション・バイアスは、・・・モニターに流れる情報に過度の重みを置いた場合に忍び寄る。その情報が間違っているとき、あるいはミスリーディングであるときも、それを信じこんでしまうのだ。[p.93]」
・「1970年代以来、認知心理学者は、生成効果と呼ばれる現象を記録している。・・・書かれたものを読んでいるだけのときよりも、積極的に心に呼びだしているとき――生成しているとき――のほうが、単語をはるかによく記憶するというものだ。・・・ソフトウェアによって仕事への没入度が下がっているとき、およびとりわけ、観察者やモニターといった受動的役割へと押しやられているとき、われわれは、生成効果の支えである深層認知処理活動を止めている。その結果、ノウハウへとつながる類の、現実世界の豊かな知識を獲得する能力が阻まれる。〔p.97-100〕」
・ヤーキーズ・ドッドソンの法則:「刺激のレヴェルが非常に低いとき、人は注意も向かず意欲も起こらず不活発なままで、パフォーマンスもほぼゼロのままである。刺激の程度が上昇すると、それにつれてパフォーマンスも向上し、・・・やがて頂点に達する。すると、刺激が強まりつづけているにもかかわらずパフォーマンスは低下しはじめ・・・る。刺激が最高度に達したとき、人はストレスのせいで実質上麻痺してしまっており、パフォーマンスは再びゼロになる。・・・学習とパフォーマンスの質が最も上がるのはヤーキーズ・ドッドソン曲線の頂点にあるとき、すなわち、難題に直面してはいるけれども圧倒されていないときである。[p.118-119]」
・「最初の人工知能戦略は惨敗に終わった。われわれの脳内で動作しているものが何であれ、それをコンピュータ内部で動作する計算に還元することはできなかったのである。今日のコンピュータ科学者たちは、人工知能に対して非常に異なるアプローチを取っている。・・・目標はもはや、人間の思考の過程を複製することではなく・・・思考の結果を複製することとなっている。・・・精神が生み出す特定のもの・・・に注目し、精神を持たないコンピュータが、同じ結果に到達するようプログラムしている。[p.155]」
・「もしわれわれが不注意であれば、知的労働のオートメーション化は・・・文化そのものの土台のひとつを浸食してしまうだろう――つまり、世界を理解したいというわれわれの欲望を、である。予測アルゴリズムは、相関関係の発見に神のごとく長けているかもしれないが、特色や現象の裏にある原因にはまったく無関心だ。しかし、因果を見出すこと――物事がなぜ、どうやってそのように動いているのかを、細心に解きほぐしていくこと――こそが、人間の理解の範囲を押し広げ、究極的に、知に対するわれわれの探究に意味をもたらすのである。[p.160-161]」
・「われわれは知的労働を、あたかも肉体労働とは違うもの・・・として語りがちであるが・・・どんな労働も知的労働なのだ。・・・現代の心理学と神経科学において、最も興味深く、最も教えてくれるところの多い研究分野のひとつに、『身体化された認知』と呼ばれるものがある。・・・脳と身体は同じ物質からできているだけでなく、その働きもまた、われわれが思っているよりもはるかに緊密にからみ合っているのだ。[p.192-194]」

人間のためのオートメーション
・「機械はその製造者同様、誤る可能性を持っている。[p.199]」「オートメーション・テクノロジーが複雑化」するにつれ、「システムは、科学者が言うところの『カスケード故障』を起こしやすくなる。ある一部分の小さな不調が、広範ににわたるカタストロフィックな故障の連鎖を引き起こす現象のことだ。[p.200-201]」
・「最終的に人間は単なるモニター、スクリーンを受動的に監視するだけの存在になる。しかしその仕事は、精神がふらふらさまようことで悪名高いわれわれ人間が、とりわけ不得意としているものだ。[p.203]」
・「人間の心身に対してコンピュータなどの機械が与える影響についての懸念は、最大限の効率と速度、正確性を達成しようとする――または単純に、できるかぎり多くの利益を上げようとする――欲望によって、いつも打ち負かされてきた。・・・テクノロジーの進歩は『利益を求める動機と結びついており、したがって、人間をほとんど考慮しない』〔p.205〕」
・「ヒューマンファクターの専門家たちはずっと前から、テクノロジー第一主義のアプローチから離れ、『人間中心的オートメーション』を取るようデザイナーたちにうながしている。人間中心のデザイン・・・の目的は、コンピュータの速度と正確さを利用するだけでなく、労働者が・・・関与的で、能動的で、注意力を持っていられるよう、役割と責任を分担させることである。・・・人間中心的アプローチの最も興味深い応用例のひとつが、『アダプティヴ・オートメーション』である。・・・アダプティヴ・オートメーションは、コンピュータの分析能力を人間的用途に回すことで、オペレータのパフォーマンスをヤーキーズ・ドッドソン曲線のピークに保ち、認知的負荷の過剰も過少も防ぐことができる。[p.211-213]
・「テクノロジー中心的オートメーションの悪影響について、エンジニアとプログラマーだけが責任を負わされるべきではない。・・・彼らは・・・雇い主やクライアントの要求に応えているのである。・・・結局のところ、彼らがオートメーションに投資する主たる理由は、労働コストを下げ、オペレーションを合理化することなのだから。[p.225]

オートメーションの将来とわれわれの対応
・「複雑な人間の活動をオートメーション化するには、道徳的選択をオートメーション化することが不可欠[p.239]」
・「いかなる大企業も、このまま上手くやっていきたいのなら、オートメーション化し、それからさらにオートメーション化する以外、ほぼ選択の余地はない。[p.253]」
・「ロボット自動車やロボット兵士のプログラミングが提起した倫理的難題――ソフトウェアを制御するのは誰か? 何が最適であるかを決めるのは誰か? 誰の意図や利害がコードに反映されるのか?――は、生活をオートメーション化するアプリケーションの開発にも同様に関連してくる。プログラムがわれわれへの影響力を増せば・・・遠隔操作のような様相が呈されることになる。[p.261-262]」「社会を幸福にしようとするコンピュータ企業の重要な貢献は歓迎されるべきであるが、それらの企業の利害を、われわれ自身の利害と混同してはならない[p.266]」「計り知れないテクノロジーが目に見えないテクノロジーになったとき、われわれは不安を抱くのが賢明だろう。そのとき、テクノロジーの前提や意図は、われわれの欲望や行動に浸透してしまっている。ソフトウェアに助けられているのか、制御されているのか、もはやわからない。[p.268]」
・「道具によって新たな能力の開発が可能となるたびに、世界はいままでと違うもっと興味深い場所、さらに多くの機会のある場となる。自然の可能性に、文化の可能性がつけ加わる。[p.277-278]」しかし、「すべてのツールがそれほど親和的なわけではない。・・・デジタル・オートメーション・テクノロジーは、われわれを世界に招き入れ、知覚と可能性の幅を広げる新たな能力の開発をうながすのではなく、むしろ逆の影響を及ぼすことも多い。[p.179-180]」
・「オートメーションが引き起こす、または悪化させる社会的・経済的問題は、ソフトウェアをさらに投入すれば解決するというものではない。・・・未来の社会の幸福を確かなものにするには、オートメーションに制限をかけねばなるまい。進歩観を改め、テクノロジーの前進にではなく、社会と個人の繁栄に重きを置かねばなるまい。これまでは考えることすらできないと、少なくともビジネス界においては見なされてきた考えをも、受け入れねばならないかもしれない――機械よりも人間を優先することを、である。[p.291]」
・「われわれはラッダイトを、後進性を象徴するカリカチュアにしてしまった。新しいツールを拒んで古いツールを好む者は、ノスタルジアからそうしている、つまり合理性ではなく感傷から選択を行なっているのだとわれわれは思いこんでいる。だが真に感傷的な誤謬とは、新しいものは古い者よりも、われわれの目的や意図につねにかなうものだとする考えだ。それは、うぶでだまされやすい子どもの考えである。あるツールがほかのツールよりすぐれたものである理由は、新しさとは何ら関係がない。重要なのは、それがいかにわれわれを拡張または縮小するか、自然や文化やわれわれ相互についての経験をいかに形成するかなのだ。[p.295]」
・「オートメーションは目的を手段から切り離す。欲しいものがたやすく手に入るようにしてくれるが、知の労働からわれわれを遠ざける。・・・生産の手段ではなく経験の道具としてツールを取り戻すことで、われわれは自由を享受できるだろう。その自由とは、親和的なテクノロジーが世界をいっそう完全に開いてくれるとき、われわれに与えてくれる自由である。[p.296-297]」
―――

人の作業を機械に行なわせることは、省力化による人件費削減、能力向上、効率化、品質や利便性向上、人為的ミスの削減や労働環境の向上など、様々なメリットを生むものとして、研究開発における重要な検討項目のひとつになっています。そこから生まれる経済的利益は、企業の成長の源として期待され、また、研究開発への投資を正当化する論理の裏付けとなることも多いでしょう。しかし、省力化による雇用減少、雇用構造の変化が社会的な問題となることが指摘され始めています。加えて本書で指摘されているようにオートメーション化自体が人間の能力や社会に悪影響を与えるとすれば、こうした影響をも考慮することは技術者にとっての義務であると言えるでしょう。

本書の示唆の中で、技術開発の視点から特に重要と感じたのは以下の点です。

・人間の特性についての理解が求められていること:特にコンピュータと関わりの深い人間の脳の活動に対する理解を深める必要があるように思います。科学的根拠に基づく、人間の精神活動の捉え直しがマネジメントを考える上で必要とされているように思います。
・結果を求めることはよいことなのか:結果を出すだけならもはやコンピュータの能力は人間の能力を上回りつつあるようです。しかし、因果関係(相関関係ではなく)を発想する能力は人のほうが上回るとすれば、そして、結果をコンピュータに求めることが人の能力の発達を阻害するのであれば、結果を求めることはほどほどにしておくべきなのではないかとも思います。このことは機械が関与しない効率化にも言えるのかもしれません。人間が深く考えなくてすむような作業のマニュアル化、効率化は能力の発達を阻害する可能性があるでしょう。その結果として、新しい発想が出にくくなっているとすれば、効率化を求めるプロセス自体が、人をうまく使いこなすことを阻害しているともいえるような気がします。

とはいえ、経済的なメリットを追求する企業においては無論のこと、近年では公的研究機関でも同じような発想が求められていることを考えると、オートメーション化を批判的に捉えることはそれほどたやすいことではないように思われます。本書の著者も、オートメーション化が抱える問題の将来については悲観的なように感じました。もちろん簡単なことではないでしょうが、効率化から利益を生む発想ではなく、人間に新しい世界を与えるような技術開発、新たな因果関係を見出しそれを発展させる技術開発を目指すべきなのかもしれません。そのために、人間の特性をよく理解し、それに基づいた仕事のやり方を実践していくことが、これからのマネジメントに求められることなのではないかと思います。


文献1:Nicholas Carr, 2014、ニコラス・G・カー著、篠儀直子訳、「オートメーション・バカ 先端技術がわたしたちにしていること」、青土社、2015.
原著表題:The Glass Cage: Automation and Us

参考リンク



創造性を引き出すしくみ

研究開発には様々な段階があり、何もないところから何かを生み出すことが必要な段階もあれば、それを育てて製品化し収益を挙げるようにする過程での様々な問題解決が求められる段階もあると思います(大雑把すぎる区分ですが)。しかし、どちらの場合にも従来にないことを生み出していくこと、すなわち「創造性」が必要とされるというのは一般的に認識されていることでしょう。

 

どうしたらそのような「創造性」をひきだすことができるかについては、様々な提案がなされています。そうした提案について、個人の関わり方の観点から大きくわけると、

・個人レベルでの創造性発揮(発想法など)

・集団レベルでの創造性発揮(他人の知識との接触や交流、相互刺激による発想など)

となると思います。このうち、マネジメントに強く関係しているのが、後者でしょう。

 

集団レベルでの創造性発揮については、ブレーンストーミングやKJ法による集団でのアイデア抽出技法がまず思い起こされるでしょうが、マネジメントの観点からは野中らによる組織的知識創造が重要と思われます。これは、以下の4つの知識変換プロセスを繰り返すことによって組織的知識創造が進むとされているものです(SECIモデル)[文献1p.90-109]。(一部は、ノート14でも述べました)

1、共同化:個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する

2、表出化:暗黙知から形式知を創造する

3、連結化:個別の形式知から体系的な形式知を創造する

4、内面化:形式知から暗黙知を創造する

 

そして、この知識創造プロセスを促進するために、以下の役割を持つ人々で構成される「ナレッジ・クリエイティング・クルー」の設置が提案されています[文献1p.227-238]

・ナレッジ・プラクティショナー:暗黙知と形式知の両方を蓄積し創造する。ナレッジ・オペレーター(経験に基づいて体系化された技能の形で豊かな暗黙知を蓄積・創造する。ほとんどは第一線社員やラインマネジャー。)とナレッジ・スペシャリスト(伝達可能で量的なデータの形できちんと構造化された形式知を扱う。)からなる。

・ナレッジ・エンジニア:暗黙知を形式知に、形式知を暗黙知に変換し、上記4つの知識変換プロセスを促進する。一般に、ミドルマネジャーとして、トップと第一線をつなぐ。

・ナレッジ・オフィサー:企業全体レベルでの組織的知識創造プロセスのマネジメントを行なう。一般にはトップマネジャーで、会社の知識創造活動に方向性を与える。

 

このような集団の創造性を引き出すしくみは、知識創造の原理に基づいた方法として概念的には理解できるものの、実務的な立場からすると具体的にどうすればよいのかがわかりにくいように思われます。恐らくは、何らかの目標をもったプロジェクトを進めるためにそれなりの組織体制を構築する場合には有効だと言えるのでしょうが、萌芽段階の研究にとっては必要とされる組織が大きすぎるようにも思いますし、この方法が研究開発におけるあらゆる場面で有効なのかどうか、創発的戦略(ノート12)にもこの方法で対応できるのかどうかはよくわかりません。また、研究グループを率いるミドルマネジャーだけの力では実行しにくいと思われることも難しい点だと思います。

 

しかし、この理論を以下のように非常に単純化した形で捉えると、応用が開けてくるように思います。

・個人が持つ知識は、他の知識と出会うことによって、新たな知識を生み出す(=創造の)可能性がある

・組織的知識創造には、個人の知識と別の個人(あるいは組織)の知識が出会うことが効果的

・個人の暗黙知はそのままでは他の暗黙知と交流することが困難なので、形式知化する必要がある

・知識の出会いによって創造された新たな知識には、正しいものも正しくないものもあり、断片的でまとまりのないものだったりするので評価、整理を行なう必要がある(集団による多様なチェックを経て評価、整理し、体系的な形式知を創造することが必要)

・正しいことが確認され、まとめられた新たな知識は個人の頭のなかに蓄えられ、次の発想の原点となる

 

このように考えると、創造のためにまず重要なのは知識の出会いであると言えるのではないでしょうか。こうした知識の出会いを作ることが集団による創造性発揮の基本ではないかと思われます。しかし、知識の出会いの場を広げていくことは実際にはそう易しいことではありません。これは、情報の交流は同類性の高い人々の間では活発になるが、同類性の高い人々は同じような情報しか持っていないことが多く、イノベーションに役立つ異類的な情報を入手するのには困難が伴う[文献2p.334]ことがその理由ではないでしょうか。情報の交流を活発化させるため、例えば、アイデア提案制度や、失敗事例の収集、知識のデータベース化など、個人の暗黙知や経験を表出化して集団で活用できるようにしようとする試みはいろいろとなされているようですが、ノート14にも述べたとおり、こうした試みは必ずしもうまくいっていないのが現実のようです。

 

従って、情報の交流による創造性の発揮を期待するならば、情報交流を促進するための仕組みとともにその仕組みを活性化する努力が必要になるのではないかと思われます。野中らが述べている組織的知識創造の仕組みの中では、ある目的のためにチームが編成されたり、チーム同士の協力が奨励されたりすることが効果的に作用していると言えるでしょう。これは単なる仕組みだけでなくその中に仕組みを活性化させる要因(例えば、特定の目的を達成するためにいろいろな人が協力しようとする共通認識やそれを推進するマネジャーの存在)があったのではないかと思われます。これに対し、そのような目的が希薄である(例えばテーマ探索、アイデア出し段階など)場合には、情報の交流には特別な努力が必要なのではないでしょうか。つまり、知識やアイデアを表出化し、形式知として情報交換できるようにする体制を作るとともに、例えば組織のゲートキーパーを結びつけるような制度や、情報交流の媒介をする担当者を置くことなどの施策を設けて情報交流の努力を行ない、その仕組みを活性化することが必要と考えます。

 

創造性を引き出すことを狙った仕組みを作ることは、例えて言えば、コーヒーに砂糖を入れるようなものではないでしょうか。砂糖を入れただけではいくら待ってもコーヒーはほとんど甘くなりません。誰かがかき混ぜるという努力を行なわなければ目的は果たせないでしょう。もし、水と油の混合によって発生するイノベーションに期待するなら、かき混ぜる努力は継続的に行なう必要があるはずです。

 

多角的な経営を行なっている企業の中には、それぞれの専門分野の知識を融合して、相乗効果(シナジー)を期待することもあると思いますし、「総合力」という名目で多面的な能力をアピールし、その成果を期待することもあると思います。しかし、丹羽の指摘のように、総合力の発揮によって成果を得ることはかなり難しい、というのが現実のようです[文献3p.94]。おそらく原理的には、異なる知識の出会いによる新たなイノベーションの創出に期待することは間違っていないと思いますが、マネジメントの方法にはまだまだ工夫が必要ということではないでしょうか。創造性を引き出す仕組みづくりとともに、その仕組みを活性化し、創造性を発揮させる努力を継続することが求められているのだと思います。

 

 

文献1Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、野中郁次郎、竹内弘高著、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.

文献2Rogers, E.M., 2003、エベレット・ロジャーズ著、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.

文献3:丹羽清、「イノベーション実践論」、東京大学出版会、2010.

 

関連記事:「『イノベーションの知恵』(野中郁次郎、勝見明著)感想」<2011.8.14リンク追加> 

ノート6:研究部門が実施したいテーマ

ノート4,5につづき、企業活動の役に立つテーマ設定の第3のタイプ、研究部門が実施したいと考えるテーマについて検討してみます。

 

③研究部門が実施したいと考えるテーマ

前節までに述べたテーマを研究部門の側からみると、①企業の収益源となるテーマは成果が期待できるので実施する価値がある、②の企業が研究部門に求めているテーマは企業の要求に応えることに実施する価値があると考えられます。しかし、それ以外に、成果の期待が不明確で、かつ求められてもいないが、研究部門として実施したいテーマというものもありうるのではないでしょうか。

 

研究テーマの性格については、まず、テーマのアイデアが何に基づいているかに関して、

「サイエンス・プッシュ」「テクノロジー・プッシュ」vs.「マーケット・プル」「デマンド・プル」

「シーズ志向」vs「ニーズ志向」

という区分がなされることが多いようです。さらに、そのテーマが組織のどの階層から発生するかについて、

「ボトムアップ」vs「トップダウン」

という区分もあります。研究部門が実施したいと考えるテーマはそれぞれ前者の性格を強く持ったものであるということができるでしょう。

 

イノベーションがどのような過程で発生するかについて、過去(1950年代)においては、基礎的研究がイノベーションを生む「サイエンス・プッシュ」が重要と考えられていたようです。これに対し、近年では科学技術と市場の双方向のコミュニケーションの重要性が認識されて、上記のような「サイエンス・プッシュ」と「マーケット・プル」の2つの逆向きの流れを組み合わせる「カップリングモデル」を考慮すべきだと言われています[文献1p.119-121]。さらに、Tiddらは、テクノロジー・プッシュ型か、さもなくばニーズ・プル(必要は発明の母)型かのどちらかといったアプローチの限界は明らかであり、現実には、イノベーションとは何かと何かを結びつけ調和させていくプロセスであって、相互作用こそが最も重要な要素である[文献2p.54]と指摘しています。また、Rogersは「知覚されたニーズがイノベーション過程を始動させたり、イノベーションの知識がそれに対するニーズを創出したりする」[文献3p.410]と述べており、同様の見解は他にもみられます[文献4p.149]

 

トップダウンかボトムアップかという議論に関しては、不確定要素や不確実性の存在のため研究開発の計画は完全にトップダウンだけでは決められないことに特別の注意が必要[文献1p.177]との指摘があります。また、形式知(形式的・論理的言語によって伝達できる知識)と暗黙知[文献5](特定状況における個人的な知識で、形式化したり他人に伝えたりするのが難しい知識)[文献6p.88]の相互作用が組織的知識創造にとっと重要であるとの立場から、トップダウンモデルは形式知を扱うのに向いているが組織の第一線での暗黙知の成長を無視しており、ボトムアップモデルは暗黙知の処理が得意であるが暗黙知を組織全体に広めて共有することを難しくしていると述べ[文献6p.187]、組織的知識創造のための最良の環境として「ミドル・アップダウン・マネジメント」が提案されています[文献6p.238]

 

このように、イノベーションにとってはいわゆるシーズとニーズの双方が必要ということは広く認識されていることのようですが、にもかかわらずシーズ志向の研究というものは企業内では評判が悪いように思われます。この原因としては、シーズ志向の研究は、企業内外の環境分析に基づいて戦略的に目標を設定し、それを効率的に実行するという古典的な企業経営の手法になじみにくいことがまずあげられるでしょう。それに加え、開発(あるいは導入)された技術と、製品や実機に使えるような技術との間のギャップ(レディネス・ギャップ)を誰がどのように埋めるかがはっきりしないために「研究所で生み出された技術は、市場よりもサイエンスに近いものとして評判が悪い」[文献7p.232]と判断されてしまうこともあると思われます。シーズ志向の研究を行なう際には、このような周囲の捉え方も考慮しておく必要があるでしょう。

 

しかし、技術者の立場からするとシーズ志向にはニーズ志向に比べて好ましい点があります。それは、ニーズ志向の研究を行なう場合に、「こういうニーズがあるから売れるはずだ」という予測をしたとしても、そのニーズ予測自体は技術者にとってはどうしようもない場合があるのに対し、シーズは実体のある技術として身近に存在するため、シーズをどう発展させるかというプロセスに技術者が関与する余地が大きく、やりやすいという点です。さらに、シーズ技術はそれ自身で(ニーズがなくても)成長し、さらに新たなシーズを生み出す可能性がある点も重要でしょう。

 

シーズ技術のもつこのような特性は、セレンディピティーにも繋がるものと考えられます。セレンディピティーとは、偶然に幸運な予想外の発見をする能力を指し、Robertsは、以下の2種類に分類しています。[文献1p.198] [文献8p.ix]

・擬セレンディピティー(pseudoserendipity):追い求めていたことを、偶然に発見できること

・真のセレンディピティー(true serendipity):思ってもみなかったことを、偶然に発見できること

このうち、真のセレンディピティーは「予想外」の結果に基づくものであるため、オリジナルであることが多く、差異化のためには特に重要でしょう(擬セレンディピティーであっても発見に偶然を必要とするものは同様です)。セレンディピティーに恵まれれば、それは競合他社が容易に達成できる成果ではなく、技術的に優位に立つための重要な足がかりになるはずです。ただ、真のセレンディピティーは、目的志向を強く意識した研究においては目的外の結果や単なる異常値として見逃されてしまうこともありうるので、シーズ志向の研究の方がこうした発見をしやすくなるということも言えるでしょう。

 

以上、ここで述べたような、研究部門が実施したいと考えるいわゆるシーズ志向のテーマは、それだけではビジネスにはならないものの、必要であるとの認識に立つべきだと思われます。このとき、技術シーズとしては自身が保有している技術の他に、外部の技術、埋もれた技術、失敗の結果に終わった技術なども加えて考えてもよいでしょう。こうしたテーマを行なう場合には、ニーズとの組み合わせを意識し、さらに、見えないニーズの具体化に利用できないか、シーズそのものをさらに発展させることができないか、といった点を念頭におくことが、よい成果を得るために必要なことと考えられます。

 

文献1:丹羽清、「技術経営論」、東京大学出版会、2006.

文献2Tidd, J., Bessant, J., Pavitt, K., 2001、後藤晃、鈴木潤監訳、「イノベーションの経営学」、NTT出版、2004.

文献3Rogers, E.M., 2003、三藤利雄訳、「イノベーションの普及」、翔泳社、2007.

文献4Anthony, S.D., Johnson, M.W., Sinfield, J.V., Altman, E.J., 2008、栗原潔訳、「イノベーションへの解実践編」、翔泳社、2008.

文献5Polanyi, M., 1966、高橋勇夫訳「暗黙知の次元」、筑摩書房、2003.

文献6Nonaka, I., Takeuchi, H., 1995、梅本勝博訳、「知識創造企業」、東洋経済新報社、1996.

文献7Leonard-Barton, D., 1995、阿部孝太郎、田畑暁生訳、「知識の源泉」、ダイヤモンド社、2001.

文献8Roberts R.M., 1989、安藤喬志訳、「セレンディピティー」、化学同人、1993.


参考リンク 

改訂版ノート6へのリンク

記事検索
最新記事
プロフィール

元研究者

QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ